ゴロゴロゴロゴロと、キャリーバッグの車輪が地面を転がる音が鳴る。
それと並んで響いているのは、真新しい革靴が地面を踏みしめる、カツカツという音。
白い服に白い帽子、ともすれば司令官にも見える服装をした青年が、ある建物の前でその足を止めた。
「……ここか」
呟く少年の目の前にあるのは、煉瓦造りの立派な建物。その外装には微塵の汚れも見られず、新築―――本当に建てたばかりであるということがわかる。
その隣には訓練施設や工廠、銭湯のような施設が揃い、施設も充実している。
ここが青年の仕事場であり、住居となる基地―――鎮守府。
某月某日、若き新米の提督が鎮守府に着任した。
***
鎮守府内は、外装と同じくピカピカの状態であった。磨き抜かれた状態が保たれた廊下の床は、陽光を受けて輝かんばかりである。
一人で歩くととても広い廊下だなぁ、と思いながら、まずは自らの主な仕事場となる執務室を目指す。
歩くこと数分、他の扉とは違い両開きの立派な扉が目に入った。その横には『執務室』と達筆で書かれた木のプレートがある。
こういった両開きの大きな扉を見ると、提督は上官に呼び出された時の事を思い出す。……つい最近、ここへの辞令の件で呼び出されたばかりなので、尚更。
「……」
その時のことを思い出したせいか、何故か緊張してきてしまった。扉を開けたら、あの上官が執務机に座っていそうな気がする。そんなわけないが。
少し難しい表情をしながら扉を開ける。
「まぁ……誰もいないよな……」
頭の中にあった上官の座っている光景はやはりなく、誰も座っていない机が―――というか、机すらなかった。
代わりにみかん箱があった。
「机位置いとけよおい」
思わず真顔で突っ込んだ提督を、きっと誰も責められないだろう。
正直、部屋に適当な家具置いて机代わりに段ボール置いてそれで終いというレベルの部屋である。
「……ま、新米の俺がどうこう言ってもしょうがないかね……」
提督になったとはいえ所詮はただの一士官、何の
なんにせよ、家具を整えられるのはもう少し先になりそうだった。
さて、取り敢えずは何もすることがないのだが、一体何をすべきか。
その場で少し思案し、そういえば、と提督はキャリーバッグに手を突っ込み、一枚の手紙を取り出す。
これは訓練生時代から世話になっている上官からの手紙だ。
出立直前に手渡され、『向こうに着いたらまずこれを読め』と言われていたことを思い出したのである。
ぱっと手紙を開け、文面に目を通す。
『さて、俺はお前の上官だから、と言うわけでお前が着任する鎮守府を伝える役目を担い、同時に下見にも行ってきたわけだが。正直、初めて着任する新参のお前にゃもったいないと思うくらいには設備は整っていた。安心してくれ』
部屋の設備は微妙でしたがね、と提督は思わず苦笑を零す。
そんな雑な書き出しから始まった手紙は、ここから数行ほど上司の思い出話となったのでさっと流す。
しかし、彼は本当にいい上司だったと、提督はふっと笑みをこぼしながら一時昔のことに思いを馳せる。
しばし思い出に浸ったところで再度手紙を読み進める。
『そして下見をするにあたって、俺からのちょっとした手向け……ではないが、お前の初期艦とは別に、もう一人を建造しておいた。きっとお前が到着する頃には完成していることだろう』
この文章から不穏なものを感じ、提督は眉根を寄せた。
先程、世話になっている……とは言ったが、この上官、割と悪戯好きというか、どうにも自由奔放なところがあり、彼はよく元帥殿にお世話になっていたらしい。初めて会った元帥が疲れ切った表情で『お前の上官はいかんせん自由すぎてな……』と話していたことは未だに印象深い。
とまぁそんな自由な上官なのだが、だからこそ心配は尽きない。
彼なら、この鎮守府にある貴重な資材を使い、コストの高いレシピ―――所謂空母レシピや戦艦レシピ―――を平然と回すことだってありうる。
マ、マジで回してねぇだろうな……。と戦々恐々としながら提督は次の文章に目を向ける。
『……手紙の前で『もしやこいつ、戦艦レシピでも回していないだろうな』と思ったお前の顔が目に浮かぶようだが、安心しろ』
正にそう思ったところであった。
少々不満げな上官の顔が浮かんだが、仮に抗議が来たのならきっと提督は真顔で『ご自分の胸に手を当ててお考えになってください』と返すだろう。
『俺もそこでふざけることはしない。回したのは初期レシピ、燃料30、弾薬30、鋼材30、ボーキサイト30だ。建造時間からして軽巡だろう。運用にもそこまでコストがかからんし、十分に役に立ってくれることだろう』
続いた文を見て安心したのは、上司には失礼だが当然だ。
仮に抗議が来たのならきっと提督は真顔で『自分の胸に(ry。
あとは他愛もない話が続いたので割愛とする。
文を確認し終え、提督は手紙を丁寧に畳んでバッグにしまった。生憎今は机がないが、机を手に入れたらその引出しにしっかりとしまっておくつもりだ。
バッグを開け、段ボールの上に……ではなく、タンスの上の方の引出しにインクとペン、判子をしまう。
持ってきた代えの服をバッグから引っ張り出して衣装ダンスの中にあるハンガーにかけて収納し……後は特に取り出す物もなく、提督はその場で顎に手を当てて「ふむ」と呟き、時計を見上げた。
時刻はだいたいヒトマルマルマル。確かこの時間には、提督の鎮守府に最初に配属される艦がくる予定だったはずだ。
そろそろくるな、と提督は少しばかり服を整える。
丁度その時、執務室の戸がノックされた。
『あ、あのっ! こ、この鎮守府に配属された、い、いにゃじゅっ……!!』
噛んだ。
それはもう盛大に。
可愛らしい……あどけないともいえる幼い少女の声が戸の向こうから聞こえてきたと思えば、その声の主の少女はどうやらあがり症のようで、早々に自己紹介を失敗するという失態をしてしまった。
扉の向こうの気配が羞恥でプルプル震えているのを感じながら、提督は苦笑を零しながら戸に向かって声を出す。
「話は聞いている。……入ってくれ」
『いたいよぉ……はっ!? はっ、はひゃい!! し、失礼します!!』
再度噛みながら執務室の戸を開けて姿を見せた少女を見て、提督は思わず目を見開いた。
羞恥に頬を朱に染めて入ってきたのは、提督よりもかなり年下だと思われる年齢の少女。
明るい茶髪に、黄色に近い瞳。その明るい色の瞳と髪とは対照的に、表情はおどおどとしている。
特Ⅲ型駆逐艦、暁型四番艦……電。
話に聞いてはいたが、なるほど確かに上がり症だなと。
提督は、本日何度目かの苦笑を零した。
***
ラバウル基地、その廊下にて。
提督と電は二人で並んで、鎮守府にある工廠を目指していた。
ついでに、お互いの自己紹介中である。
「まずは俺からだな。俺は
「に、二十歳ですか。お若いのですね」
「あぁ、そうだな。だからこういう時はあまりかしこまらなくていいからな。そういうのは嫌いだ」
「わ、わかったのです!」
提督……もとい速人は、その半眼を少し細めてこめかみを掻いた。
どうにも相手が『部下』と思い難い……と、改めて電を見る。
自分より低い背。
小さい体。
……どう見ても、年下の妹か何かのように見えてしまう。
早々に上官としての意識を身に付けねば……と速人が密かな決心をしているとき、電が自己紹介を始める。
「あ、改めまして、暁型駆逐艦四番艦の電なのです! よ、宜しくお願いします、なのです!」
「あぁ、宜しくな」
一度立ち止まってぴしっ! と敬礼をした電だが、しかしその小さな体で胸を張り、精一杯背伸びをしている姿はかっこいいというよりとても愛らしい。
故に、速人は思わず妹を相手にするような感覚で頭を撫でてしまった。
撫でられた電は一瞬硬直し、見る見るうちに頬を紅くする。
「あ、あぅぅ……司令官さん、そんなぁ」
「……あ、すまん。つい」
「あ、あぅ」
謝罪しながらその頭の上から手を除けると、電は多少落ち着いたようだった。
……なぜか少し残念そうだった気がしないでもないが、気のせいだろう。
その後は他愛もない会話に花を咲かせつつ、二人は並んで工廠へと向かった。
***
工廠。
艦隊の構成員である『艦娘』の建造、並びにその装備である『艤装』を開発する場所だ。開発を担当するのは、『妖精』と呼ばれる働き者の少女達。
今日もどこかの鎮守府で、彼女らが働く音が響くことだろう。
その中にある、艦娘開発ドックの一つ。その前に、速人と電は並んで立っていた。
開発ドックの扉に光るのは、『建造完了』の文字。……基本的な軽巡の建造時間は一時間。きっと中にいる娘は相当な間待たされていたことだろう。
出会い頭に殴られやせんだろうな……と密かに心配しながら、電と二言三言言葉を交わす。
「それじゃ、ご対面だな」
「はわわ……ど、どんな人でしょうか」
「ま、お前の初めての仲間になるんだ。肩筋張らずにな」
「はっ、はい、なのです!」
「(だめだこりゃ)」
やはりガチガチな電の姿を見てまた苦笑を零しつつ、速人はドックの扉に手を掛ける。
速人と電の間に、ちょっとした緊張感が走る。こうして初対面の人と対面するとなると、やはり独特の緊張感があるものだ。
そして速人は、意を決したようにドックの扉を開いた。
扉の向こうに立つ人影が速人と電に気付き―――、
「こんにちは! 軽巡、長良です! よろしくお願いします!」
―――敬礼と共に、快活な声で答えたのだった。
***
場所は戻って提督の執務室。
小さな段ボール箱を囲み、速人と雷、新メンバーの長良は改めて自己紹介を行っていた。
「さて、俺はこの鎮守府の提督、水谷速人だ。よろしく頼む」
「私は電なのです! よろしくお願いします、なのです!」
既に自己紹介を済ませた二人は手短に終わらせ、それを聞いた新メンバー長良は快活な笑顔を見せた。
「私は長良型軽巡洋艦一番艦、長良です! 砲雷撃戦は任せてください!」
「そうか。なら頼りにさせてもらうぞ」
「はい!」
速人が笑みかけながら返すと、長良は喜色満面と言った風な笑みを浮かべた。
そこで一度話を切ろうかとしたところ、視界の端に電のさびしげな表情がちらりと見えた。疑問に思って視線を向ければ、雷はどうやら自分に言葉がなかったことを寂しく思っているらしい。
流石に申し訳なくなったし、そりゃあ電にも頑張ってもらうんだから言葉の一つもなければな、と速人は電の頭に手を載せながら笑みかけた。
「電のことも頼りにしてるからな」
「あ……は、はいっ! 電、頑張るのです!」
撫でられながら言葉をもらった電は、先程の沈んだ表情からは一転、こちらもまた喜色満面になった。
嬉しそうに笑う二人の艦娘の姿を見て、速人は一度満足げに頷き、拳を突き上げた。
「それじゃあ、総勢三名、鎮守府一丸となって頑張ろう!」
「「おーっ!!」」
遅れて突き上げられた拳二つと並び、三つの拳が窓から差し込む光に照らされた。