麒麟児の仰ぎ見る旗 作:地獄大陸
すでに翌々日の夕刻の前に差し掛かっていた。今日はあいにくの曇空。
一刀ら五人は
目立つ街道では無いその小道を進む。そこも西へと伸びていた。
「じゃあ、呼君。今度は帰れよ」
「……ああ、色々感謝する」
顕親の街から敵兵を倒して、服を奪い転進して帰って来たとの『戦果』を一刀は用意してやっていた。
これで、生き残った彼女の面目は立つだろう。
本当は国境付近まで送るつもりだったが、一刀らはこれから『作戦』がある。
「――忘れないぞ、北郷一刀」
その言葉と少し寂しそうにはにかむ笑顔を残し、呼鈴花は馬を西の国境へと進めて行った。その姿は林の木々に隠れやがて見えなくなる。
「さて、俺達も大事な仕事を終えて顕親の街へ帰ろう」
その主の言葉に、前へ座る姜維は馬の手綱を操り踵を返すと、馬超と馬岱もそれに続いた。彼らは戦場となる鄣県の城へと向かう。
軍師姜維の考えた作戦案は大胆なものだ。
『同時に7ヶ所全部を救出することは不可能です』
あの晩、彼女はそう切り出した。
一刀も主力四人な今の人員数からして同時は、はっきり不可能だと考える。
『しかし、一つの作戦で全ての者を救出することは可能です』
『は?』
一刀は思わず声が出てしまった。我が軍師は何を言ってるんだろうと。
『つまり、我々が順に7ヶ所を回って半日で作戦を終わります』
そんな彼女の続く言葉にも、一刀の感想は変わらない。
全く無茶な作戦である。次の日とかはもう無いという訳だ。一晩で全部終わらせるのだから。
襲撃の伝令が他へ伝わる前、警戒される前に次々と侵入し開放する――『七陣突破』である。
これしか無いと言う。しかし、難易度の高い場所が何れにしても両端に来るというヤバイ展開は変わらない。
一行は、掴んだ詳細情報を元に手早くも、その準備に丸一日以上費やす。
その間に馬岱が一度顕親の街へ報告に戻っていた。
龐徳からは、五十名程の義勇兵が現れて『天の御遣い』様に一目会いたいと言って来たりと、そろそろ『天の御遣い』様を最近見掛けていない等の話が出始めている状況らしい。
今日で不在から一週間になる。加えて新米の県令がそれだけ消えていると内政でも不都合が出て来るだろう。
とりあえず昨日、冀の街へ作戦の打ち合わせに向かったという話を楊達らから流させている。これで更に数日稼げるはずである。
今晩でケリを付け、数日で帰還する。それで問題はない。
はや夕刻を迎え、鄣県の城では篝火に火が点けられ始める。ここの城兵数は約三百。
さて城である以上、救出するには中から城壁を越えて外へ出なければならない。
城壁を楽に越える方法は只一つ。
それは門から出る事だ。
この城に囚われている者は六名であった。これは、一台の荷馬車に乗せる事が可能な数。
日没直後に一刀らは、馬岱主導の四人掛かりで城へ潜入する。門兵は居るが、門がまだ開いている事を確認した後に。
暴れまわる服装は、いつもの漢様式の服装にした。軍師は作戦の後も、郡内で少しギスギスしてもらおうとの考えを盛り込んだ。加えて今回の目的は囚われた者の開放だけに絞り、五千人隊長らへの殺意は漢の国から叩き出す決戦の日まで取っておくことにしている。
馬岱は、城内にある厩舎の配置等をきちんと確認していた。更に城から近隣の駐留地へと、物資を荷馬車で運び出す所も見ており、それを聞いた姜維は城内の物資輸送路の利用を考える。
まず、後日に備え城内の間取りだけは手分けして二十分ほど調査。救出はそれから始める。歩哨を実力で排除後、囚われていた六人を天幕から連れ出し、荷物を積んだ荷馬車に紛れ隠す。もちろん枷は天幕にて馬超が一瞬で引き千切っている。
次は――地下牢だ。
四人いれば同時攻撃が可能である。周辺の見張り達十名以上を容赦なく屠る。
馬岱を外へ見張りに残し、馬超、姜維、一刀の三人は一気に地下牢へと突入する。
でも、そこに姜維の母、
牢はすべて空。
馬岱は初めに気が付いていた。見張り達が、地下牢の出入り口を別段見張っている訳ではない事に。ただ地下牢の出入り口が見張りの多く立っている場所にあっただけなのだ。
奥に居た地下牢の管理兵へ、抜き放っていた剣を喉元に突き付け姜維は聞いた。
「オマエ――姜と言う姓の綺麗な女性を、知ラナイカ?」
少女は凄い形相であった。コロスと顔中に書いてあるように見える程だ。
その管理兵は脂汗を流しつつ、恐怖に呂律が回らない中で話し出す。
「さ、三カ月ほど前の、は、話で、しょ将軍の天幕、か、から、白い布で、で、くる、まれ、は、運び出され、れ、た後は不明にぃ……」
「………た・し・か・カ?」
コクコクコクと壊れたように首を縦に振る男の延髄を、姜維は見えない速さの柄で強打し卒倒させた。
打たれた兵は死んでいないが、完全に打撲で失神させていた。潜入者の漢風な姿を見た者が、ひとりは生き残っていなければならないから。
だが同時に、姜維も受けたショックにそこで動きが止まっていた。
しかし皆、この時勘違いをしていた……白い布で運び出されていたのが実は無様に失神していた『将軍』であったという事なのだが。
その放心状態の姜維を一刀は担いで、長居は無用とこの場を
救出開始からこの間、十分無い程。
一刀達四人は馬車まで走り、輸送兵の手際を先日見ていた馬岱が布を纏って御者席に座り、見回りの兵らに止められず荷馬車を無事に門まで進めた。一刀らは馬車の底面にしがみ付いている。姜維は心の拠り所な一刀へしがみ付いていた……。
そうして、一人の門兵が馬岱の顔を見て「ん? 見ない顔だな」と言った瞬間、その場の門兵数名の喉へ、馬車下から飛び出した一刀と馬超の剣や槍が突き刺さってゆく。
疾風と化した一刀と馬超が御者席に乗り込んで、馬車は門の外へと飛び出して行った。
当然、間もなく城内では見張りの兵や門兵達が、何者かに倒されている事で騒ぎ始める。おまけに囚われていた者達まで消えていたのだ。
一刀達の馬車は少し走ると北東の襄武県へ向かう街道の左脇へ寄る。
そこには二台の馬車と護衛の騎兵数騎、一刀らの乗って来た馬があった。
「逃げてきた人は早く降りて! 身寄りの無い人は右の馬車、伝手がある人は左の馬車へ」
一刀はそう言って囚われていた者らを振り分けると、直ぐに馬車を出させた。
この合間に、馬超が単騎で街道西方に戻る形で駆けて行く。侵入者らを探しに来た異民族の兵や伝令らを全て潰しておくためだ。
荷馬車は脇の林の奥へ乗り捨てる。
一刀と姜維は次の駐留地へ馬岱を先頭に馬で進む。最も早く馬で走れる馬超は少し暴れて、遅れて合流する形だ。
「ふぅ。これで二十は倒したけど。伝令は全部潰せたのか」
難役を熟す馬超はしかし、そこで伝令と四騎同時に遭遇してしまう。
二騎はほぼすれ違いざまに左右へ槍を大振りして切り、三騎目も追い掛けようとしたが、四騎目が別方向の間道へと素早く走っていくのが一瞬見えた。
「うわっ、不味い。でもこいつを先に追い付いて倒さねぇと――」
すると、四騎目の方から「ぐへぇっ!」の声と落馬する音が聞こえた。
そこには――呼鈴花が馬術の馬による後ろ蹴り足を放って、四騎目の伝令を倒している姿があった。
馬超は三騎目を追い掛け、切り倒すと戻って来る。そして、落馬した男の手足を、縄で縛っている呼鈴花へ声を掛けた。
「呼鹿(こか)っ! お前、邑へ帰ったんじゃないのかよ?」
呼鈴花は一刀以外には、男名の『呼鹿』を名乗っていた。
「流石に、あの男へ少し借りぐらいは返して帰らねぇと。ほら、今北郷隊の兵装だしな。馬将軍は先を急ぎなよ。ここは暫く俺が見てるから」
そう言って笑った。一度は国境へと向かおうとするも、本当は一刀と離れて、無茶な戦いに少数で臨む彼の事が心配になってしまったのだ。
馬超は金城郡での官職はないが、馬家では最高に立派な将の一人である。
一応鈴花も、作戦は横で聞いていたので状況は分かっていた。
「カッコ付けやがって。でも分かった。お前は無理するなよ。適当に切り上げろっ!」
呼少年の馬術はなかなかだが、武術はそれほどでもないのは分かる。
馬超も、一刀が助けようとし、また同胞を裏切る形でも一刀へ義理を返そうという者に死んで欲しくはない。そう思いつつ、馬超は一刀らを追い始める。
呼鈴花はその後にも通り過ぎる一人の伝令を待ち伏せし、側面からぶつけて落馬させて拘束し暗がりな道の脇へ転がすと、人手不足な一刀らの後を追い始める。
一刀達の、城壁がない駐留地への救出劇は割と順調に進む。
母の件で早くも、「キェーッ!」と奇声を上げ、修羅の表情で小柄なキラーマシンと化している姜維の使い処が難しかったが、一刀が寄り添ってコントロールしていた。彼女は主の命だけには「……はい」と反応したから。
馬岱が先導し、姜維が周囲について敵を見・即・斬殺にて退路を確保、一刀が現地調達の衣類を運び込む。明るい馬岱が囚われた者へ声を掛けた後、彼女は一旦外へ出て足枷を一瞬で外せる馬超を連れて来る。その合間が長ければ、一刀が先に枷の金具を『斬鉄』で切っていた。
そして、皆で外へと脱出し、近場に待たせてある馬家の用意した二台の馬車へ振り分けると、護衛の騎兵らと直ぐに出発させる。最後は馬超による伝令狩りだ。また、一刀らへ顔を合わす暇は無いが、鈴花も遅れて馬超には追い付いて来て手伝う。殿を彼女がやっている形と言える。
伝令を断ち、夜中で且つまだ警戒薄だったという事もあり、この連携は功を奏した。街道に沿い東北方向へ二十キロ以上に渡り、敵陣数を熟すごとに手際よくなっていった。
そうしてついに、残る最後にして最大駐留地である襄武の陣へと一刀達は戻って来る。
ただ、ここには兵千五百に、離れた三か所へと囚われた者らが分散しており、数も五十名という多さだ。城壁は無いが難易度は高いと知れている。
しかし、幸い他からの伝令は届いていない様子。警戒はまだ低い状態だろう。
空が白み始めるまで時間は少ない。有利に動ける制限時間は残り僅か。
敵陣に近い森の中へ一刀、姜維、馬岱が集まる。だがここにはそれだけではなかった。北郷隊最強の武人――龐徳が援軍に駆けつけて来ていた。
一刀の前へ彼女は進むと、跪き礼を取る。
「お久しぶりでございます。しかし、主君自らこのような危険な事をやっておられたとは……ですが、小言は後に」
「ごめんね、令明。だけど、囚われている人達の為に、力を貸してほしい」
「はっ。主君の命とあらば是非もありません」
馬岱が顕親県の街へ戻った時に、龐徳へ一刀の命と姜維の策を伝えたのだ。
今回の策、それは『陽動火計』だ。
敵陣中を縦横無尽に馬で走破しながら、松明の火を放ち多くの兵の目を引き付つけてもらうという荒事に耐えられる武人の陽動人員。それは並みの者では死ぬだけで無理な役だ。そのために彼女は呼ばれていた。
龐徳は、馬岱から告げられていた予定通り、昨夜、馬家の配下五人組のいくつかの力を借りて、夜中の内にここまで得意な馬術で駆けて来ていた。
「して、主君や皆のその格好は?」
一刀達は、再び異民族軍の兵装になっている。右足と左腕に白い布を目印に巻いて。今回は最後であり、派手になる。そのための同士討ちは勘弁して欲しいという事だ。
「俺はまあ、陣内で役を演じないとね。他も色々」
そして、ほどなく馬超が伝令狩りから合流し、最後の救出作戦は始まる。
早朝だというのに陣内で火災が一つ起きていた。ここの兵団指揮官の千人隊長の頭斜(とうしゃ)の天幕へ、それを知らせる伝令が駆け込む。
「頭斜様、失礼いたします」
「ええぃ、何事だ?!」
「大変です。篝火の不始末から、娼婦らの居る天幕の横で火が上がっております。火勢が思いの他強く、いかがいたしましょう。かの者らを退避させますか」
「何をやっておるのだ、全く。急ぎそういたせ!」
「はっ」
火は馬岱が付けていた。そして――火勢はまだ全然強くない。
もちろん、この偽の伝令報告者は一刀だ。
彼は千人隊長の天幕を急ぎ出ると『指揮官の命』を受けて、娼婦らの混ざる火災傍な囚われの天幕の一つへ向かう。
そして当然のように、そこの周辺の守備兵らへと伝える。
「頭斜様の命だ。火災の為、こちらで急ぎ中の者達を一時別の場所へ移す。君達は鎮火を手伝えとのことだ」
「分かった。お前達にまかせる」
「後はまかせろ」
一刀は返事を装いニヤリと笑う。軍師の作戦通りな展開に、思わず込み上げて来た。
彼の後ろに背丈が凸凹な二名の兵が従う。もちろん姜維と、右手の槍とは別に左肩へ大きな袋を持つ馬超だ。
天幕に入ると一刀が指示する。
「国から稼ぎに来ている者は、向こうに見える安全な天幕へ急ぐぞ」
娼婦達は服を着ているので直ぐに判別が付くのだが、敵の漢国の兵らが来れば叫ばれるのが必定。一刀としては非戦闘員を切る訳にもいかず、どうするかと思っていた事だ。
しかし、同郷の兵らに指示されれば素直に従ってくれるのだ。唖然な形で敵の姿を利用する姜維の策はある意味怖い。一刀は娼婦達を先導してこの天幕を離れた。
そうして残された囚われの者らに馬超が声を掛け、下ろした大きな袋の中の服に着る様に告げつつ、手際よく枷の金具を引き千切っていく。
一方姜維は……、未だit’sキラーマシンな彼女は当然外への警戒だ。
一刀が戻って来ると、残って準備を終えていた一団の十余名は、外周近くの天幕へと移動させる。
途中見張りの兵に問われると、先頭の一刀は「頭斜様の命だ」と自信を持って告げ、相手を黙らせた。
そんな、一刀らの十五分程な一連の動きを見ていた馬岱が、良いころ合いと次の火災を起こす。
そうして、残り二つの天幕からも順次、囚われた者らだけを移動させる。
その一連の動きが終わる頃であった。
桃色な美髪の長いポニーテールを靡かせ、陣内を疾走しつつ火を放つ一騎の騎馬が現れる。その姿は漢風な服装の若い女性の武人であった。
「あいつだ! さっきからの火災はあの者の仕業じゃないのか」
「つかまえろっ!」
「そっちに行ったぞ!」
龐徳は持ち合わせる十本の松明を、傍の篝火から火を貰いながら、密かに行動していた馬岱が油を派手にぶちまけて目立っている辺りへ次々と投げ付け駆け抜ける。
一刀らが囚われていた者達を集めた外周傍の天幕周辺と、丁度陣内で反対側の区域で彼女は暴れ回っていた。
警備の兵らを始め陣内の兵達や、指揮官の天幕から飛び出して来た千人隊長の頭斜までもがそちらに注視していく。
止めとばかりに、そこへ少し早いが馬超までもが加わって行く。
「おう、令明殿、楽しそうだなっ! あたいも混ぜてくれよ」
「これは孟起様。どうぞどうぞ、遠慮は微塵もいりませんぞっ!」
「確かになっ!」
『赤龍偃月刀』と『十文字槍』を
まさに西方で最強の二人である。その歩みは誰にも止められない。
その隙に一刀らは、数台の馬家の馬車に囚われの者らを振り分け終わり、間もなく北方面への間道へと脱出させ始める。
事が終わる頃、その確認に合流して来た馬岱は、出立する配下の騎兵らに指示を出すと、再び単身で外周付近の天幕へ戻り、火を放つ。馬超らへの撤収合図である。
そして今、この敵陣への街道手前で近付く伝令をずっと見張っていた鈴花が一刀らと合流する。
「呼君……。孟起殿から聞いてたけど、君はまた――」
「二度あった事だ。三度あってもそう不思議じゃないだろ? それに少しは、その……恩を返させろってんだ」
「……ありがとうな、助かったよ」
そして馬岱も再度戻り一行四人は長居無用と、馬で速やかに鮮やかに立ち去っていく。馬岱が火を放った付近は、先程まで火の手が全く上がっていない場所であった。ゆえに陣地の反対側からでも良く見えていた。
「孟起様っあの火を! 向こう側の作戦は無事に終わったようですぞ」
「そうかっ。じゃあ、あたいらも帰るとするか」
「ですなっ!」
丁度日が昇り始める頃、その輝ける眩しい東の空の方角へ向かうように、騎馬二騎は暴れまわった敵陣を置き去りにし悠然と走り去って行く。
多くの炎と煙が立ち上る異民族軍の陣内で、混乱を極めた兵士たちは呆然と二騎を見送っていた。追手の部隊が編制され、追撃に出て行ったのはそれから三十分は後のことである。当然二人の影へは、永遠に追い付ける訳も無い。
侵入者に因る斬殺、多数の火災による損失に加え、五十人もの囚人達までいなくなっているという追加報告もあり、指揮官である千人隊長の頭斜(とうしゃ)は、戻ったその自室の天幕で呆然と立ち尽くしていた。
救出作戦の為、一夜で隴西郡の襄武まで戻って来ていた一刀達一行は、更に天水寄りの当初の最終合流予定地まで戻る。
天水郡との郡境で待っていた龐徳、馬超らと約一時間後に合流、再会した。
「いやー、令明殿との炎の戦場は楽しかったなぁ」
「はっ、某も存分に」
二人はすっかり意気投合したようだ。だが龐徳はのんびりしていられない。
「主君、それでは某は先に顕親へ戻ります」
「急な往復すまないな。本当にありがとう、助かったよ」
「いえ、軍師殿に因る痛快な展開の作戦で、主君のお役にも立て本望でございます」
姜維は作戦の後、馬上にて背中を一刀に包まれて漸く正気に戻って来ていた。ただ、元気はまだない形ではある。
「すみません、令明殿。無茶な指示にも関わらず十二分の働き、感謝しています。しかし好機の時点で、孟起殿には囚われた者らの枷の撤去と多勢に対しての護衛もお願いせねばならず、貴公以外の人選は難しかったので」
「その言葉で十分。今後もお頼り下さい。共に主君の為に頑張りましょうぞ、ではっ」
「はい」
互いに笑顔で別れる。龐徳は一路間道を北に抜ける道へと消えていった。
それから――一刀は、再び鈴花を国境まで送って行く。
彼女の伝令拘束は七件にもなっていた。先の作戦の成功に小さくない貢献だ。しかも同胞を裏切っての行動。
その礼もあるが、一刀は国境まで送ると一度断念するも元々決めていた事。今度こそはそこまで送ってやりたかった。
今回は、隴西郡西部の首陽(シュヨウ)から安故(アンコ)へと抜けて羌との国境付近を目指した。
戦いを終えた早朝より、再び走り始めた一行は、途中で休憩時に仮眠を挟みつつ郡の西部に点在するいくつかの街や村を通過する。確かに、人々が逃げず、殺されずに暮らしている様子が伺えた。特に異民族軍の勢力下との境辺りな村や街には、難民らが多く押し寄せているのが確認出来た。
「本当にこの辺りは襲われていないんだなぁ」
「その様ですね。内約が無ければヤツラは何処までも追って、住民を皆殺しにしているはずです」
姜維の言葉で、間違いなく何か約定があるように思えた。
「しかし、隴西郡でそれを誰が主導してるんだろうな」
「そりゃやっぱり、地元豪族の奴らじゃないか?」
それに馬を寄せて馬超が答えて来た。加えて饒舌な言葉を聞く。
「ここの太守、李相如(りそうじょ)は中央から任命の人物のはず。だから豪族達の意向は無視できない。逆に太守の言い分は通りにくいだろ?」
「そうですね。軍閥が強いここの太守の意見が通るのは、ほぼ豪族達の意向に沿うときだけでしょう」
「そうなのか。太守と言えば郡の主で、何でも主導して出来そうに思うけどな」
「元から力の無い者、出来る事をやっていない者は、総じて流れを持ちえませんので」
そんな姜維の答えに、鈴花も隣の馬上から相槌を打つ。
「そんなもんだぜ。千人隊長をやっていた族長の親父も、行動力と力で一族を率いていた。座っているだけじゃ簡単に首を刈られちまうさ」
確かに、天水の太守范津(はんしん)は、内政者としては良かった様だが乱世では動かず困った存在。それでも太守と言えば、一大権力者に思えていた一刀には色々考えさせられる話であった。
昼食は首陽を過ぎた間道脇の林で取り、一行は馬を休ませつつ更にひた走る。
日が結構傾き始めた頃に安故の街を越え、そうして夕刻前に遂に羌国境付近へ到着する。
一刀達は少し小高い丘に出る。
「うっわ~すごいよ~、お兄さまっ。――ここにいるぞーーー!」
「ほんとだ……」
その絶景に、馬岱が叫ばずにはいられないほど。
目の前の西方には遠く緑の少ない岩肌の山脈群と土色の大地が、鮮やかな夕暮れの空の下、雄大に広がっていた。
今宵は此処で、皆での最後の野宿をすることに決める。
丘の片隅へ身を隠すのに都合のいい、巨石の転がる場所を見つけ五人で陣取った。
手持ちの食料は保存食の干し肉、そして豆に米。米と豆を鍋に水筒の水を満たし煮て、近場の野草、干し肉を追加し塩で味付ける。
日が沈み星が空に瞬き始める頃、雑炊風にして皆で頂いた。
いつの間に買ったのやら、馬岱が小さめな酒瓶を一つだけだが出して来る。
お椀を杯代わりに、皆で少しずつ飲んだ。そして焚火を囲み、皆でこの旅についての長話に興じる。戦いについては、鈴花には面白くない話なので、振ることはしない。
例えば、寝癖が悪いヤツは姜維であったとか、沢で女子が水浴びをしたときに一刀はどこに居たんだとか、誰の作った飯が一番酷かったとか、一番の早食いは圧倒的に馬岱だとか……そんな他愛もない話だ。
意外に鈴花の作った料理が好評であった。
そうして焚火を囲む夜が進むと、姜維が徐々に朦朧と眠りに就き、それを馬岱が温か抱き枕にして休む。
二人を眺めているうちに、何時しか馬超もうたた寝を始めた。
残ったのは一刀と鈴花に。
「俺達もそろそろ休むか」
「……その、なんだ、北郷。えっと……ね、一つお願いしていい……ですか?」
「? なんだよ」
鈴花は、可愛いお願いをして来た。
それは―――手を繋いで休みたいのだと。
一刀は「いいよ」と笑顔で手を繋ぐと、二人は布の上へ横に並んで静かに眠りに就いた。
翌朝は良く晴れていた。
軽く朝食を済ませた五人は、これから一人と四人に別れて別々な方向へと、帰るべき処に戻って行く。片や父らの代わりに故郷を守り生き続ける為。もう片方は母らのカタキを取り外敵を討ち払うために。
双方の距離は、ほぼ同じ二百キロ(五百里)程だ。
皆が馬に乗り始める。
「北郷、ちょっと待ってくれ。我が民族式の礼を忘れていた」
姜維が馬へ乗り一刀も乗ろうかとしたとき、最後まで地に立っていた鈴花が恩人の一刀へ一族の感謝の礼をすると呼び止めた。
一刀が振り向くと、呼鈴花は―――正面から一刀を力いっぱいに抱き締める。
他の女性陣は一瞬「ん?!」となった。
だが男と男だ。
それにこれは別民族の『礼儀』と言う。今回は見逃そうという流れが起こる。
そんな周りに構わず、鈴花は彼の首に縋り頬を合わせる様にその耳元で小さく囁いた。
「私の真名は昆(こん)です。再会の時まで忘れないで。ずっと『一人』で来るのをお待ちしてますから」
先日、別れの時に鈴花へは、貿易の為の布石として北郷一刀の名の記された竹簡と割符を渡していたのだ。いつの日か実現すると。
彼女はそれを『独身』で待つと言って返したのだ。
貿易には相互の信用が必要。最も高い信用度は一族の身内になることなのだ。
そう告げると、呼鈴花はサッと離れて馬に跨ると、「じゃあなっ!」と少年らしい笑顔で駆けて去って行った。
一方のハグを受けた一刀は、放心状態と評すべき固まった姿で暫く立ち尽くしていた。
一刀ら一行は、二日後の夕刻に冀の城塞へ寄り、天水郡に於ける異民族軍掃討作戦への準備進捗の確認を行った。その翌夕、ついに顕親の街へと帰還する。
不在は足かけ十一日間であった。
ついに姜維の、皆の反撃の戦いが間もなく始まる。
-閑話ー
馬岱が龐徳を呼びに顕親の街へ戻った夜のこと。
姜維は―――主である一刀から誘われる。
「伯約、今夜は一緒に寝ような?」
「(!?――)……はい」
姜維は内心驚きつつも、優しい主のご所望の言葉へ静かに是と答える。
どういう事だろうか。……そういうことだろうか。
答えを聞いた主が背を向ける時、彼女の頬が桃色に染まる。
実は、主から夜にそう求めの言葉を掛けられるのは初めてなのである。
この旅では、馬岱から気に入られて彼女と寝ることが多くなっていた。
しかし不思議な事に、馬岱へは抱き付き行為が起こっていない。むしろ馬岱の方が姜維へしがみ付いている形であった。
姜維が抱き付くのは、主と――母だけだ。
思い出せば、出会った次の晩から彼には抱き付いていた。
とにかく、心安らかに温かいのだ。
最近、自分は目標や何かに縋らなければいけない存在なのだと気が付き始めている。
(主様……)
今は時々温かい主が居れば、それで……それだけで良い気がしてくる。
そんな事を考えているとあっという間に、眠気を覚える時間が近付いて来た。
――眠い。
身体がフニャフニャし出す。意識する力は入らなくなるのだ。
「伯約、もう寝るか?」
「はヒ……」
それに気が付いた主が、傍へ近付いて来ると頭冠を外してくれた後、優しく両脇に手を入れて、姜維を抱き抱えてくれる。
(ああ、主様……)
姜維は自然と無意識に彼の胸へとしっかり抱き付いていた。
意識すると力が入らないのだが、この無意識な抱き付きは全く外れないほどガッチリ力が入っている。アームロック状態だ。
主は焚火の当たる近くに布を引くと、以前の様に姜維の居る側を火に向けて横になる。そして彼女を包むように背中へと腕を回してくれるのだ。
姜維は優しい温もりの中、主へスリスリしながら安らかな眠りに落ちて行った。
そのしばらく後、一刀は思わず本音を口にする。
「ははっ、伯約は暖かいなぁ。ううぅ、この辺りは海抜二千メートル地帯でやっぱり寒いぜ」
主従で温め合う、高地の肌寒い夜は静かに更けていく――。
-閑話2ー
ここは、隴西郡首陽県外れの村の街道から少し奥の間道沿いの飲食店。
昼時を迎えつつ、厨房や接客に忙しくなってきている。
そこで給仕をしている、まだ若く見え綺麗な艶のある灰色な長い髪に、胸の豊かな女性がいた。
彼女へ店の厨房奥の、紺の布を頭へ巻く前歯の出たオヤジから声が掛かる。
「あ、橋(きょう)さん、これ二番の机ね?」
「はい」
その美人な笑顔と、落ち着いた可愛い感じの返事は誰かに似ていた。
その時、数頭の馬脚の音が店の前を過ぎて行く。
彼女は、店の中で外へと振り返る。
四頭の馬に五人の人影を認めた。その先頭付近に褐色の肌の少年と並走する馬に、青年のような人物を後ろに乗せた、小柄な灰色の髪にキッと前を見据える姜家の緑と黄緑に似る服を着た少女の横顔を見た気がした。
「あれは――維?」
そんな彼女に、店のオヤジから出来た料理を運ぶ指示が再びゆく。
「次は、三番ね?」
「あ、はい」
彼女はこんな場所にまさかと仕事に戻り、拉麺に水餃子を三番机に運ぶのであった。
三番机では二十代後半の若い目鼻立ちの良い男が座っていたが、彼女が注文の品を運んで来て机に置いた瞬間、橋と呼ばれる女性に声を掛ける。
彼は既に二か月以上、ここで毎日昼食を食べていた。
「ねえ、お姉さん? その……あの……えっと」
「……はい?」
「ぁっと、お……、俺と付き合わないか?」
すると、大入りな店中の客が皆そちらへと振り返った。立ち上がっているヤツもいる。厨房からも、紺の布を思わず握りしめた禿げ頭なオヤジまでが首を出していた。なにげに彼等の目が血走っている。ちなみに全員男達である。
みんな――狙いは同じらしい。
しかし彼女は、可愛くだが申し訳なさそうに言った。
「あの……すみません、故郷に夫と可愛い娘がおりますので」
店内の男達は皆、うつ伏し轟沈して逝き、オヤジの料理には涙の塩味が増していく……。
彼女は路銀の為に、あと数日働く予定だ。
つづく