麒麟児の仰ぎ見る旗   作:地獄大陸

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16話 連合 と それぞれの誤算

 一刀が天水の太守就任を承諾して、すでにひと月。

 彼は太守の執務室で竹簡の冊に目を通しながら振り返る。

 

 あの日、彼は()の城の謁見の間で前太守范津(はんしん)からの退任と次期太守への指名を聞いたが、瞬間には当然戸惑いがあった。

 そんな大役が自分に務まるのだろうかと。

 しかし、県令推挙の際も近い状況だった事を思い出し考えを改めた。

 また一刀は、これまでの己の歩みをみて確信する。

 自分一人では到底無理だが、多くの志を共にする者達の協力があれば十分可能なのだと。

 

 

(ここの太守を、今、誰かがやらなくちゃいけない。他の者が立ったとして、この後の事後処理で大きく一段階の手間が増えるだけの恐れもある。現在の不安定な周辺状況において時間は貴重なんだ。それに県令と、郡の長官である太守では影響力と権限が全然違う。大きい『約束』にも近付けるし……。あと何と言っても――姜維を初め皆が『天の御遣い』に期待している――)

 

 

 だから、北郷一刀はその場にて「謹んでお受けします」と答えていた。

 

 それからが大変である。

 太守の范津は、1週間ほどで引継ぎを終えると、さっさと自邸のある都の洛陽へ引き上げて行った。

 中央から地方へ出向で来ている太守は無難に任期を終えると、将来再びコネや賄賂で新しい任地に向かう事も少なくない。范津の場合、苦手にする近隣の戦乱の空気と、姜維らからの根回しを受けた周囲の地元有力者からの排斥の圧力も感じ、「重い病」での辞任だ。しかし、異民族撃退に土壇場で郡兵を出し「なんとか撃退を成功させた太守」という面目を得ていた。

 この前後で、人脈のある顕親県県丞(副県令)の鄧魯(とうろ)や県令補佐官の楊達(ようたつ)らが、姜維からの指示で良く動いてくれた。

 彼等は天水の有力者らに、一刀が太守になったときの「利」を説いて協力を募る。

 ただ、この冀周辺の有力者らの多くは面倒事を嫌い、目立った人材は文官で郡丞の職にいる龐悳(ほうとく)しかいなかった。有力者らは、鄧魯(とうろ)楊達(ようたつ)らの説得と意見に龐悳の元で集まり、一刀へと賛同した。

 もともと范津(はんしん)の軍事面で、大きな不安や不満があったこの地の有力者らは、一刀の成して来た困難な戦時実績と人望と『天の御遣い』という希望に乗ったのだ。

 馬家の令嬢達も傍にあり、明らかに友好度の高い関係という部分も大きかったようである。

 范津が去ったあと、一刀らは1週間ほど新米太守として急ぎの仕事を冀の地で行ない、「天水郡内の生活基盤の立て直し」という直近の政策を示し落ち着かせる。

 一刀の要望に応え、姜維が指示し行った事はまず、治所周辺に溢れる難民対策だ。

 それには、冀に留め置かれた二百余の異民族軍の捕虜と、保護している30名程の非戦闘員な西羌(セイキョウ)の娼婦達も活用。彼等には無駄飯を食わす余裕はないとし、大量の難民へ異民族軍から接収した食料の炊き出しや配給など一時的ながら援助作業に関する労働が課せられている。

 並行して、難民らを冀に近い無人化した元の街や村へ護衛と資材部隊を伴わせ順次帰していく作戦だ。

 とにかく難民らの帰還と食糧生産を早急に再開しなければ、天水の人民達が飢える恐れがある。

 最寄りの幾つかの村再開を軌道に乗せると、やっと一刀らは一度顕親(ケンシン)の街へと戻った。

 すでに、龐徳と(かく)が負傷兵らと六百余の兵を連れて1週間前に帰還している。

 

 出陣してからひと月振りの『凱旋』だ。

 一刀は、自分の馬に跨り姜維と馬を並べ、馬超、馬岱らと共に北郷隊二百を従え街の門を潜った。

 朝早くに出た隊列が街へ着いたのは、正午を二時間程越えた真昼の時間帯。

 街の衆が総出で沿道を埋め、県令の館まで列を成し迎えた。

 ただ、街中には一刀が次期太守に指名された話も伝わており、県と街の今後に対して一抹の不安の声も出ていた。

 一刀はまずその点について、謁見の間へ街の有力者らを集め払拭する。

 

「当面は県令も兼任しますので皆さん安心してください」

「「「おおおっ」」」

 

 顕親の有力者達は一刀の言葉で落ち着く。

 彼の言葉は瞬く間に顕親県の各地に伝わっていった。

 この県の後ろ盾あっての、今の一刀であるのだ。復興は始まったばかりで手は離せない。

 冀との距離が二十五キロ程で馬なら数時間と近いこともあった。長躯騎乗の鍛錬替わりにもなる。

 それにこの地には――帰る場所があり待つ者もいる。

 この日の晩には県令の館で、天水の英雄らを一堂に揃えての大宴会が行われた。

 またしても、一刀の県令の月給の大半が消費されたことは言うまでもない……。

 一刀らは朝方にようやく楊達の屋敷へと戻り、董婦人と雪梅(せつばい)ら屋敷の者達に出迎えられる。

 

「おかえりなさいませ、皆様」

「ただいまです、董婦人」

「おかえりなさいませ、一刀様、皆様」

「ただいま、(けい)

 

 雪梅とお互いの無事を笑顔で確認する。

 ただ、一刀は前回の様にはいかなかった……姜維は宴会の途中で寝てしまい、朝に起きたからだ……。一刀と雪梅(せつばい)はそれを僅かに苦笑う。

 馬超に馬岱、龐徳らと共に屋敷での相変わらず平和な関係で休息の数日を過ごした。

 そのあと一刀と姜維は、騎乗移動での冀との往復を重ねながら一日おきに両所での政務を熟し、4日前に冀の城で思わぬ客を迎えつつも、10日が過ぎていた。

 

 太守の執務室で一刀が、長めの思い出しから再び、少し読めるようになった竹簡の冊に目を戻して暫く読み進んでいると、扉が叩かれた。

 彼の周辺状況は、再び大きく動き出す――。

 

 

「我が主様。馬騰殿と韓遂殿、それぞれから書状を携えた使者が来ております」

 

 

 キラキラするポリエステル製の制服姿の一刀が、謁見の間で太守の席へと座るや否や、姜維から口頭でそう伝えられた。

 彼女は頭冠の左右に付いた羽を可愛く揺らし、剣を背にいつもの緑と黄緑基調の服を着て主の座る席の台座下左脇に控え佇んでいる。

 姜維は天水が異民族軍から解放されたあの日より、気持ちに一区切りを付けていた。

 ほんの少し前までただ一人、小生意気な幼い身で途方に暮れ死を覚悟していた少女。

 

 それが、今や栄えある天水太守の軍師である……。

 

 母親の消息も残念ではある形だが確認出来、両親のカタキへの復讐も半場達成されている。

 それを可能にしたのは紛れもなく主である『天の御遣い』北郷一刀様のおかげであった。

 今は彼のために、命を賭して力を尽くすべきだろうと動いている。

 だが――当初に想定していた、『天の御遣い』様の悪鬼化計画を諦めた訳ではない。

 二千五百名以上の異民族軍を討ち果してなお、軍師は考えている。

 

(異民族軍が飢餓の事もあったとはいえそれだけでもなく、私達から奪っていったものの大きさは計り知れない。その報いは、こんなものじゃないっ。それに纏まらないヤツらは――いずれ再びこの国へ災いを起こすはず。その時、力を得た『天の御遣い』様の手で敵として全て惨たらしく(キョウ)の荒野に死すべし)

 

 それは、一刀の考える異民族と共存する平和への思いと大きく反していた……。

 

 さて、この時期に馬騰と韓遂の使者が重なるのは偶然ではないと考えられた。双方とも天水内が落ち着くのを待っていたのだ。

 そうしなければ太守は動かないと予想して。

 面会の順序は、当然相手の官位が優先され金城郡の太守を務める馬騰の使者が前になる。

 しかし今は、先に異民族軍と結託する不穏な韓遂の話を聞きたいところであった。

 一刀は一瞬そう考えたが、姜維は淡々と逆を告げる。

 

「まずは、馬寿成(馬騰)殿からの使者にお会いなさいませ」

 

 その当然という雰囲気の言葉で少年は感付いた。

 ここに来ている使者が誰なのかを。すぐに彼は頷き「では通して」と告げた。

 銅鑼が鳴り、謁見の間への扉が開くと脇に文官の龐悳(ほうとく)らも並ぶこの場へと、揚々とあの剛の者達が朱の敷物の上を歩き現れた。

 

「いやー、『御遣い』様、あたしらと立場があっという間に変わってしまったな」

「流石はお兄さま、だよね~♪」

 

 馬超と馬岱であった。

 一刀に対して笑顔と人懐こさは変わらないが、暫定にしても一郡の太守と、将とは言え官位のない娘達では、地位の差は歴然。またここは顕親(ケンシン)の街中とも違い、彼女達の声にも場を考えた丁寧さが伺えた。

 一方一刀も、この地の有力者の龐悳(ほうとく)らへ、馬家との友好である関係への再認識をしてもらうべく語る。

 

「お二人には、天水からの異民族撃退戦で幾度も貴重な力を貸してもらい、親しい友人だと思ってます。天水の客人として、これまでと変わらず気楽に話してもらって構いません」

 

 そう言われたが、今日は馬超らも母であり主君である馬騰の使いで来ているため、大きく態度は崩さない。

 一刀の座る席に向かい堂々とお辞儀を伴わず手だけを組む拱手(きょうしゅ)を行ない告げる。

 

「本日あたしらは、母、金城郡太守、馬寿成よりの使者として参った。一度、協力関係について話し合いたいとのこと――」

 

 馬超らとの謁見は、形式的色が濃い挨拶と用向きを交わす程度の短さで間もなく終わる。

 

 それから少しあと、一刀は韓遂文約からの使者を銅鑼の音と共に謁見の間へと迎えた。

 その人物は、事前に城門にて名を孔桂と名乗った腰へ剣を帯びる女傑だ。

 姜維曰く、隴西(ロウセイ)郡の有力豪族の一人、楊秋の配下にして弁が立つという。

 

「北郷様、お初にお目に掛かります。わたくし、楊秋様配下、孔桂と申します。本日は盟主韓文約(韓遂)様の名代として罷り越しました」

 

 彼女はお辞儀を伴う揖礼(ゆうれい)にて挨拶を述べた。

 一刀は、まず孔桂へ太守として大きな疑問をぶつける。

 

「孔桂殿、隴西(ロウセイ)郡を治める太守は確か、李相如(りそうじょ)(李参)殿と聞いていましたが?」

「お聞き及びでありませんか? 太守李相如(りそうじょ)様は、異民族との戦いの緒戦にて討ち死にされた次第。現在、隴西(ロウセイ)郡は盟主韓文約(韓遂)様の元で纏まり憎き異民族軍と郡内西部と中部にて血で血を洗う激戦を繰り返しております。すでに南から回り込まれた東部は壊滅状態です」

 

 ()()()()()()()()()()()と分かっているが、一刀は頷くと言葉を返した。

 

「そうでしたか。分かりました。それでその大変な折、本日の用向きは?」

「はっ、我らが盟主韓文約(韓遂)様が、北郷様の天水における見事な反攻戦について伝え聞き、是非お力をお借りしたいとの事でございます。なにとぞ天水の精鋭四千の兵を援軍に派遣頂きたいと。さすれば、こちらも中部より東へと攻め進み、挟み撃ちに出来ましょう」

 

 孔桂より、異民族軍の潜む地域を伝えられるも()()()()()()()、一刀は即答を避け時間を要求する。

 

「なにぶん急であるお話なので、夕方まで二刻ほど時間が欲しいです」

「分かりました。我ら漢の同胞が苦境に立っています。良きお返事をお待ちしております」

 

 使者の孔桂は、謁見の間から下がって行った。

 

「あのー、孟起殿、仲華殿、出て来てください。もういいですよ」

 

 一刀がそう告げると、本来護衛らを潜ませておく謁見の間の側面の壁にある控えの扉から、馬超と馬岱が現れた。彼女らは最初の謁見が終って、そのままそこに入っていた。

 これは、馬岱が一刀へ要求してきたことである。

 

「でも、兵四千とはずいぶん吹っかけてきたなぁ」

 

 馬超が率直に感想を述べた。

 天水反攻戦で一刀と姜維らが天水で動員した兵力ほぼ丸々である。

 一刀が相手の目的を簡単に推測する。

 

「まあ、それだけの主力と将を減らせば、天水は敗北濃厚になりますからね」

 

 続いて姜維が確信を持つ言葉で、この場の皆へと告げる。

 

「向こうは異民族軍残存二千余と、韓遂らの豪族連合軍一万一千余が待ち構えているところへ当方を誘い込むつもりでしょう。そして地の利と兵力差で押しつぶす。おそらく異民族軍にはすぐに五千から一万の援軍も来ると思われます」

 

 二千程にまで減った異民族軍なら韓遂らの豪族連合で十分討てるはずなのに、それを行なわないということが漢への反逆の意志といえた。

 文官の龐悳(ほうとく)ら天水の有力者達は、降って湧いた厳しい状況に「ううむ」と唸っている。

 援軍に行けば三倍強の敵に包囲され、行かなければ再び天水全土が火の海の戦場になるのではと。

 

「お兄さま、どうするの~?」

 

 馬岱がニッコリと尋ねて来た。

 これは、先の馬超らとの短い謁見の際にした会話についての確認でもある。

 その折に一刀は頷きつつ、「正直とても有り難い話だけれど、このあとの韓遂殿側の話を聞いてから返事をしたい」と告げていた。

 その韓遂の使者の提案は、一刀ら天水軍の主力を誘い出して叩こうとしていることが伺えた。

 奴らが異民族軍と歩調を合わしている事は分かっているので、一刀の考えに韓遂らと手を組むという選択肢はない。

 天水太守には、馬騰と早く話をしたいという考えが広がってくる。

 ――しかし今、一刀と姜維がこの地を離れるには、リスクが大きいというジレンマが発生していた。

 そこで彼は馬超と馬岱へ伝える。

 

「協力関係について話し合うという事にはもちろん同意するよ。でも、それについて悪いんだけど幾つかお願いがある。――伯約」

 

 姜維は一刀へ頷き、主の心配事を無くし、馬騰らのメリットも損なわない提案をした。

 馬超はその案に、「んー、それしかないんじゃないか。あたしからも説得してみるよ」と頷いた。

 姜維の提案の言は、その場で竹簡の冊に書き留められ、太守印を押されたものが馬超へと託される。

 馬超はこの直後、速やかに一度、この地を離れていった。

 

 夕方が近付くころ、韓遂の使者である孔桂を再び謁見の間へと迎えた。

 一刀は天水太守として、回答する。

 

「重臣達と急ぎ話合いました。結論として――同胞を救うため天水から援軍を出すことにします」

「おおっ、ありがとうございます――」

 

 ここで、姜維が主の言葉を補足する形で告げる。

 

「――ただし、流石に今日明日という訳にはいきません。何分、これまでの戦いで天水も物資が不足気味ですので」

「では、何時頃援軍を動かして頂けるのでしょうか?」

 

 孔桂の顔は少し緊張気味である。向こうも何か判断材料を貰っているのかもしれない。

 軍師は答える。

 

「そうですね、急ぎ兵を整え十日後に出陣という事では?」

 

 孔桂の顔は――表情変わらずだが、ホッとし緊張は解けた様に感じられた。想定内に収まったのだろう。

 

「……分かりました。では先程お知らせした敵の潜む治所狄道(テキドウ)南東方の場所への到着は更に五、六日後ぐらいでしょうか?」

「そのぐらいで見て貰えれば」

「御助力感謝いたします。委細、我らが盟主へお伝えいたします。では北郷様、重臣の皆さま、失礼いたします」

 

 そう話すと、使者の孔桂は急ぎだとして晩の宴も断ると、謁見の間を足早に退出し()の城からも護衛達の十名程の騎馬小隊を伴い足早に去っていった。

 

 

 

 金城と冀の距離は五百里(二百キロ)超。

 しかし一刀と馬騰との会談が開かれたのは、実に三日後の事である。

 電撃的な会合場所は――冀であった。

 馬超は、途中の街で馬を変えつつも片道をたった一日足らずで駆け抜けていた。馬騰も余裕の二日で到着する。

 そう、一刀と姜維が天水から離れられないのならと、呼んでみたわけなのだ。

 一方馬騰にもここへ来てでも、将来的に天水の助力を必要としている事案があった。

 それは、以前から催促が来ている涼州刺史の耿鄙(こうひ)からの要請である。

 

 『涼州内で頻発している異民族軍と反乱軍を排除せよ』と――。

 

 耿鄙(こうひ)も中央からの就任官だ。ゆえに涼州での地力はない。

 耿鄙は周囲へ長年付く奸吏を重用。周辺へ無理な税や要求も課し、この地での信用を無くした。身から出た錆である……。

 そのため彼の脅威度は低く、馬騰は病気や準備中等で要請を引き延ばしていた。

 なぜなら、すぐに涼州の北西側奥へ進撃すれば、韓遂らが金城郡へ背後から進攻してくると容易に想定出来たからだ。

 涼州には天水や隴西(ロウセイ)など十郡国存在するが、他郡へまで長期に大きく進撃出来る力があるのは馬騰や韓遂らぐらいまでで現状限られている。

 馬騰の勢力は騎馬3万余の他、数万を擁し確かに強大であるが、単独で涼州刺史の要請に応えるのは負荷が掛かり過ぎると判断していた。

 とは言え涼州刺史の司馬としても、上司の言葉を将来に渡り実行しないわけにはいかない。

 そのため、彼女は信用のおける強い配下や協力者を欲していた。

 

 それが実績を伴い、短期で天水太守にまで日輪の様に駆け登って来た『天の御遣い』の北郷一刀という訳である。

 

 もはや時節が、運が、出会いが、彼を大海へと運ぼうとしているようにしか見えない。

 そうでなければ、馬騰自身が動く事は無かった。

 

 冀の太守の館は、防御施設の充実した城塞都市の北側城壁傍へと一体化するように建てられている。

 会談は謁見の間ではなく、秘密裏に館内の広めの部屋にて行われた。

 馬騰側は、馬騰本人と、馬鉄、馬岱が参加。

 一刀側は姜維と龐徳、そして文官の龐悳(ほうとく)が同席する。

 対等の太守同士の会談であり上下は無い。

 部屋に先着し招いた一刀から、部屋へ入って来た一目で分かる女傑へ声を掛ける。

 

「涼州に名が響く馬騰殿に来ていただき感謝します」

 

 一刀の言葉に、恰幅のいい濃い茶髪でポニーテールの女性――馬騰が答える。

 

「いや、難しい状況の折だ。こちらもこの会合に感謝しているよ」

 

 大きい円卓へ太守のみが着席し、会談は半刻ほど行われた。

 

 なお、この会談には――――もう一勢力が参加、同席している。

 

 会談終了後、この天水へ残る事を決めた馬騰は太守の館の外で馬鉄へと小声で指示を出す。

 

(そう)よ。お前は郡境まで来ているはずの兵団を予定地まで連れて来い。それから、翠にもこの木簡の指示で動けとな」

「はーい、(かあ)さま。じゃあ、たんぽぽちゃんも。ちょっと行ってきまーす♪」

「蒼ちゃんも頑張ってね~♪」

 

 馬鉄は、仲の良い馬岱とキャッキャとハイタッチを交わすと、華麗なる馬の走りで視界からあっという間に消え去った。

 

 三陣営会談から一週間後、冀の城塞から兵四千が隴西への援軍として出陣し街道を進んでいく。

 この時期の出兵は、貴重な予算を戦費で食いつぶし、戦乱への不安から一般の民達の動揺を誘うのだが、ここは踏ん張りどころだと一刀は決断していた。

 先鋒には龐徳、中軍を反攻戦で良く働いた千人隊長の(しょう)が率い、丸に十文字の旗を掲げる後軍を一刀、姜維が率いた。

 その様子は、韓遂の陣営が放っていた偵察中の草に――予定通り目撃されて、隴西(ロウセイ)の治所狄道(テキドウ)から南東へ三十キロの地に陣を敷いている韓遂へと早馬で知らされた。

 

「三日前、冀の城より天水軍の出陣をこの目で確認しました。その数四千」

「ふふふっ。そうか、ご苦労」

「はっ」

 

 天幕から報告した草が去るのを、最奥の席で酒杯を片手に見送る。

 

「これで二日後には、天水の軍団と『天の御遣い』とやらがいなくなるな」

 

 彼女らと異民族の連合軍団は、街道が山奥の森の細い谷間をしばらく通る地点を前後数か所で塞ぎ高所から囲めるように、すでに前日から周辺に潜み陣を張っている。

 ここを天水の軍が通った瞬間に、落石、落木、弓矢の雨を各所で降らせ、前後から逃げ出てきた少数を多勢で粉砕するという作戦である。

 ただ、天水軍の出陣が早い予想で動いたため、西羌(セイキョウ)からの援軍八千の到着にはまだ一週間ほど掛かると聞いていた。

 

「まあ、私の策略と三倍以上の兵数だけで十分。援軍八千は天水郡と――金城郡への戦いで活躍してもらおう」

「――はははっ。それはもちろん。我々に任せて貰おう」

 

 韓遂の天幕に招かれていた一将が静かに笑った。

 異民族軍を率いている大柄の五千人隊長、冒曼(ぼくまん)である。

 流石に最近の天水軍との戦いでの惨敗で、この場ではあまり大きい事は言えず、将来での確実な戦果をちらつかせる発言に留まっていた。

 

 そうして、更に二日が過ぎた快晴続きの昼前頃――。

 

「文約様っ、天水の軍が目標地点の前方に現れました。あと十里ほどの距離です」

 

 韓遂の天幕へ、待ちに待った伝令の声が届けられた。

 

「各自、急ぎ配置へと付け。冒曼殿らは?」

「はっ。予定通り――正面より間もなく仕掛けるとの事」

「ふふ、さしずめ勝利への敗走だな」

 

 異民族軍は、昨今の敗戦を挽回するべく、兵千が五千人隊長と共に囮を買って出ていた。

 天水軍の先鋒へ仕掛けて、激しい戦いを挑み、頃合いを見て谷間の街道へと退き、引き込む作戦である。

 彼等は逃げて奥へと進むだけでいい。迫る敵は、頃合いを見て谷上からの罠により分断されるのだ。

 そうして天水軍を混乱させたのちに、冒曼の隊は散々な目に遭い逃げて来た天水軍の残党を討てばいい。

 

 だが――。

 異民族軍達が動き出す前に、天水軍の行軍が狭い街道へ入る前の広めの草原で止まる。

 その動きに異民族軍五千人隊長の冒曼(ぼくまん)は、怪訝味の濃い表情になるも、「ええい、者ども突っ込めーーっ!」と突撃を指示する。

 そうして異民族軍は先鋒率いる龐徳の隊へと迫った。

 天水軍は、龐徳の隊を前面に全軍が一団となった魚鱗の陣形である。

 その龐徳が、迫る異民族軍へと告げる。

 

「この悪鬼どもめ、もはや貴様らの命運は尽きている。ここで我が赤龍偃月刀の錆になるがよい」

「ほざくのは今の内だ、者ども掛かれ、切れ、切れーーっ!」

 

 龐徳の言葉にも冒曼(ぼくまん)は笑みを浮かべつつそう返して前進する。

 両軍は激しくぶつかった。五千人隊長の冒曼(ぼくまん)は龐徳からの兆発にも兵を間に置き龐徳から距離を取っていた。

 しかし異民族軍の兵千と、天水軍の四千では兵数が違いすぎる。

 数分の間で、五千人隊長の冒曼(ぼくまん)は予定通りに街道へと反転すべく天水軍の左側へ躱しつつ急ぎ反転する。

 あとは、後方の街道奥へと逃げ込むだけである。

 そう思って、天水軍へと背を向けて全力で走り始めた異民族軍であったが――視線奥にあるはずの街道が見えなくなっていた。

 彼らの前方には、草原の両脇から大外を回り込んで現れた騎馬の一軍が集結し陣編成が終ろうとしていた。

 それはなんと、天水軍では無かった。

 兵数はおよそ二千。そして鶴翼陣形。殲滅が目的なことが見て取れた……。

 中央奥先頭の貫録ある姿にポニーテールの()()は一騎で出て来ると、迫る五千人隊長へと静かに名乗る。

 

「我が名は、金城郡太守の馬寿成(馬騰)。涼州刺史耿鄙(こうひ)様の命により、漢への反乱軍はすべて鎮圧する」

 

 これには、五千人隊長の冒曼(ぼくまん)も焦らざるを得ない。

 西羌(セイキョウ)にも名が轟く涼州の雄率いる騎馬隊を前に、退路を開くしかなくなったからだ。

 後方から迫る四千よりは勝算が高いはずと。

 しかし、可能な筈もない。

 異民族軍は全面の騎馬部隊を突破出来ないまま、後方からも寄せて来た天水軍とに挟まれ大混戦の中、壊滅していった。

 そんな事とは知らない本陣の韓遂の天幕へもとんでもない知らせが舞い込んでいた。

 

「そ、それは本当のことなのかいっ?!」

「はっ、今朝のことでございますっ。我らの本拠である狄道(テキドウ)の城が、馬超率いる一万の軍に強襲され落とされた由っ!」

 

 隴西郡は北部郡境すべてが金城郡に接し、天水郡が西側で金城郡と隴西郡の双方と接する形だ。

 馬超は金城郡から直接、隴西郡の中央北部へと攻め込んでいた。

 戦いで汚れた兵装の伝令の兵が嘘ではないという、ガックリと首を下げた姿で跪き報告し終える。

 

「あ、ありえん……。なにが起こっているのよっ!」

 

 確かに、この作戦のために韓遂は、狄道(テキドウ)の城に五百程しか兵を残していなかったのだ。

 そうしていると、さらに天幕へ伝令が現れた。

 

「た、大変です、文約様っ。周囲の森が――燃えていますっ!!」

 

 韓遂の隊は、火計をも食らっていた……。

 彼女は椅子傍の剣台から剣を取り上げると、天幕を飛び出し馬へと騎乗する。

 

「聞けーーっ! 全軍、陣を捨て、この文約へ続けーーーっ!」

 

 この周辺の地の利を良く知る、韓遂が出し抜かれていた。

 山の裾から大火で包まれれば逃げ場が無くなる。火は上に登ってくるのだ。

 韓遂の陣だけでなく、谷に沿った各所の陣から慌てふためく阿鼻叫喚の声が上がり始めていた。

 

(い、一体何者だ……いや、確か天水には小柄で悪魔の如き将が、太守へ付き従っていたと聞いている。その者は、先の異民族軍との戦いで目の覚める様な策を披露したと聞くが――)

 

 韓遂側は、天水内で冀の周辺へ集まった四千の兵しか見ていなかった。

 しかし、天水が用意した兵力はこれだけに留まらなかったという事であろう。

 実際に姜維が各地から動員した兵力は更に三千人に上った。

 今、後陣の一刀の傍に居る軍師はニセモノである。

 姜維は北郷隊の兵装で、遊撃隊として商隊などにも頼み油壷を移動させ、事前準備をしっかりとしていた。

 それでも韓遂は、二カ月ほど前の大雨で、土砂崩れにより山裾まで幅広く木が無い場所を知っていた。

 

(甘い、甘い。この私を殺れる者はいないのよ)

 

 他の隴西(ロウセイ)軍の兵団が火計からの脱出に苦しむ中、韓遂はいち早く炎の帯から抜け出し、南側の山裾まで降りて沢伝いに移動して草原へと出てきた。

 ところが……そこには先客の一軍がいた。

 それも、あってはならない先客であった。

 勿論姜維により配置されているその人物は一騎で出て来ると、火計で煤けた表情の韓遂へと声を掛けた。

 

「どう? 不意打ちで以前の私同様に火計を食らう気分というのは?」

「なっ、なにぃ……お、お前は――李相如(りそうじょ)。い、生きていたのかい」

「ええ。でも、多くの友と兵達が私の代わりとなって死んでいったわ」

 

 韓遂を出迎えたのは、正当な隴西(ロウセイ)の太守であった。

 死策を生き延びた李参は、天水の()へと助けを求めて僅かの手勢を連れて現れていた。

 そのため、韓遂の中央への反逆は、一刀らへ明白となっていたのだ。

 長く淡い青緑の髪に頭冠を置く李参の率いる兵は、天水の兵千を借りておよそ千三百。

 韓遂の率いる兵力はおよそ五千――のはずだが、火計からの脱出と谷への罠への分散や混乱で千七百という所である。

 それでもまだ、ざっとの見た目で数は勝っていた。

 加えて韓遂自身の武力もある。

 

「李相如……ここで、確実に殺してやる。貴公は確実に死んでいないと――私が困るのよ」

 

 韓遂は馬上で、最も得意とする腰の剣を抜いた。

 だが、ここで脇の森より横槍が入る。その小さき体に得意の槍を構えて。

 

「貴方が韓文約か。私は姜伯約」

 

 李参と韓遂の軍団が向かい合い、その韓遂の左側面から姜維は千の兵を率いて現れていた。

 天水の残りの兵千は、馬岱が率いて後方かく乱をしている。

 姜維は思いを語る。

 

「貴方が、反逆を起さなければ、天水が戦火に晒され、多くの民や両親が死ぬ事もなかった。…………ここで死ぬべきはお前だ、韓遂っ。確実に殺す。私が殺す、コロス、コロスぅ――」

 

 軍師はそのまま、衝動と共にただ突撃する。

 韓遂の「ふ、愚かな。人とは結局、己の利で動くということかい――」の言葉も待たずに。

 単騎で前へ出た姜維に、遅れてはならずと隊も続いた。

 李参の兵団も韓遂の軍へと前進を開始する。

 韓遂としては、寡兵であり二面作戦で尚且つ、姜維の軍が左側面からであるため、兵団を素早く右斜め後方へ後退させ、姜維と李参の両方を正面から受け止める形に転換する。

 この辺りの迅速である判断と指揮は流石と言えた。

 姜維と李参の兵団は双方とも正面から敵に当たれず、その力は弱まる。

 さらに、異民族軍との戦いで、姜維の個人武力を知る韓遂は一騎打ちをせず、兵団での対決に持ち込みそれに終始する。

 韓遂の指揮力は、姜維に引けを取らなかった。

 李参では勝負にならない程だ。

 

 兵数の差を指揮で盛り返したが、韓遂はすでにこの作戦の完全敗北を感じていた。

 本拠地は馬超に落とされ、大規模な火計で韓遂らの連合軍はガタガタである。

 楊秋らの安否どころか軍団の存在すら不明だ。

 それに馬超の兵の半分が、こちらに向かっていれば兵数で大きく落ち込んだ韓遂側は、簡単に挟撃の上で撃破されるだろう。

 

 ――逃げるなら、僅かに有利となった今の内なのだ。

 

 韓遂は指揮力の低い李参側を集中的に崩した。

 そうして、精鋭の小隊のみでそちらの端を抜け、李参の崩れた兵団自体を姜維の隊の盾にし戦場から姿を消した――。

 韓遂の兵団も間もなく意図的に四方へと散開するようにバラけていく。

 こうなると、姜維と言えども纏めて倒すことすら難しくなった。

 悪い状況で正気に戻った姜維が思わず言葉を漏らす。

 

「…………ぁぁあ、すみません、すみません。大将の韓文約に逃げられてしまいましたぁ……」

 

 この後すぐに、一刀の指示を受けて龐徳率いる千五百が姜維らへ合流し追跡するも、残党が多すぎ、また抵抗したため手間取り、時間を消費するばかりであった。

 殺戮衝動により、思考力の落ちていた姜維は『大魚』を逃してしまう。

 韓遂らの連合軍は、楊秋、侯選、李堪、程銀、張横が降伏したが、成宜、馬玩、梁興らが少数の兵団を率いてこの地より脱出。

 五千人隊長の冒曼(ぼくまん)は、前後挟撃の絶体絶命にも関わらず、ほとんどの兵を失いながらも馬騰軍の五十里に及ぶ執拗な追撃から逃げ切っていた……。

 

 

 金城、天水、隴西(ロウセイ)の太守連合軍は、隴西郡内の反乱軍に対し大きな勝利を収めるも火種はまだ残されたのである。

 

 

 

 

 

 -閑話ー

 

 反攻戦を終え冀から戻り、顕親(ケンシン)での束の間の休日の朝。

 日が少し上った時刻。

 昨晩も姜維は、一刀のお腹に抱き付いてスリスリしつつ安眠した。

 『天の御遣い』の主からも優しく包むように姜維の背へと手が回されていて心が温まる。

 

 楊達(ようたつ)の屋敷で彼女は、馬岱からの抱き枕要請の多くを断り続けている。

 それは毎夜一刀の部屋を、健気に優しい笑顔で尋ねて来る雪梅の存在のためだ。

 『英雄には女が必要』と言って、屋敷の主人で雪梅の兄である楊達(ようたつ)に頼んだわけだが、心の切ないモヤモヤがそうさせていた……。

 

 朝の目覚めの多くは、姜維の方が早い。

 

「おはようございます、主様」

「……ふぁぁぁ。おはよう、伯約」

 

 起きた一刀たちは、各自室で顔を洗い歯を磨き着替えて部屋を後にする。

 暫定ながら実質、すでに天水の太守ということで、楊達(ようたつ)が部屋替えや新調を打診してきたりもしたが、客を迎えれば屋敷の応接間を使うので大丈夫だと断っていた。

 楊達(ようたつ)兄妹と董婦人は天水の生まれであり、故郷と街を守った英雄の一刀達には家族以上に良くしてくれている。

 一刀にとっても顕親は、この世界に迷い込んで以来最も愛着のある街と言えた。

 今朝は快晴に朝日が気持ちよいので、乗馬の練習がてら街の塀の外を姜維と駆ける。

 そんな二人の姿に、出会う顕親の人々は皆、気軽に「おはようございます、太守さま、軍師さま」と声を掛けてくれる。

 この時代、本来太守というのは地方において最上位にもなる存在。

 まさに思うがままの『歩く法』と言える。

 しかし、『天の御遣い』の北郷一刀は、「理不尽といえる行為は太守さえも慎まねばならない」とし、また本当に困っている者達に公共によって手を差し伸べていた。

 もはや顕親の街で北郷一刀と姜維らを知らない者はいない。

 そして、彼が儀礼時以外では過度と思える礼を省略していることも広まっている。

 それにより、県民との距離が更に縮まっていた。

 現在、顕親県の全兵力が北郷隊と言ってもいい。

 畑などの横を馬の並足(時速六キロ程)で歩いていると、農家の人達からも「喉は乾いていませんか?」と水分の多い野菜などを良くもらったりしている。

 

「なにかあれば、すぐに皆で駆けつけますので」

 

 地区の長老らも、笑顔でそう言ってくれる。

 ここひと月で、塀の外にもかなりの家が再び建ち始めている。それは多くの無償での協力者たちが手伝ってくれているためだ。

 一刀としては本当に心強い。

 

「ありがとう。安心して暮らせるように、みんなで頑張りましょう」

「「「はい」」」

 

 互いに助け合う気持ちよさと共に生きているという満足感が顕親の街にはあった。

 

(この純粋な雰囲気を天水郡全体へと広げたいなぁ)

 

 一刀はそんな沸き立つ熱い思いを胸に、可愛い軍師を引き連れて朝の散歩を終え、屋敷へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

+ + +

 

 

 

 

 

 漢の都、洛陽。

 世間では各種天災とともに黄巾党の乱が起こっていたが、この地は平穏に過ぎている。

 大陸の中央、司隷の中の東端南側にある郡、河南尹(カナンイン)西方の黄河の南に大陸一巨大なその都市はあった。

 東西十キロ、南北五キロ。

 そして、都市中心部で東西を仕切るように、豪華絢爛な皇帝の居城である洛陽城はあった。

 城内北側に建設されている宮城で最大の床面積を誇る大極殿。

 その中央奥へ、黄金の龍を彫刻された舞台のように大きい皇帝の玉座へ漢の主、霊帝が着座している。

 今、彼女は数名の側近らと共に、前天水太守范津(はんしん)の辞任を受け、新たな天水の太守についての奏上を吟味していた。

 前太守と第三者の推薦もあり、問題なく可決されると思われた、その時――。

 

 

「北郷……一刀? ふーん。でも――――お菓子や美味しい物の献上が無かったそうね? 却下よ。今度の太守は美味なものを贈ってくる者をっ!」

 

 

「「「ははーーっ!」」」

 

 こうして、一刀の太守就任は皇帝により承認されず、新しい天水太守が中央から派遣されることとなった。

 もはや火種どころではなく、天水の将来と一刀の未来は風雲急を告げていた……。

 

 

 

つづく

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