麒麟児の仰ぎ見る旗 作:地獄大陸
天水近くの大きな諸侯と言えば西涼の馬騰である。
もともと馬騰の母馬平は、天水郡蘭干(らんかん)県の丞(副長官)の職を務めており地盤や縁があった。
今は、天水の北西五百里(200キロ程)の位置にある金城(きんじょう)郡金城県の街と城を中心にその周辺へ勢力を持っている。
配下には子の馬超、馬休、馬鉄。そして弟の子、姪の馬岱らがいた。
そのうちの筆頭、長く綺麗な茶髪を赤い紐で括るポニーテールと大きな胸元を自然に揺らして、馬超は今、困惑気味な表情で城内を一人歩いていた。特定の人物を探す様に……。
その人物には昨日、君主の馬騰から初めての大役となる最近の異民族軍に関する動向視察が告げられている。そして一応の監視役に馬超も小隊に付いて今日出立のはずであったのだ。
しかし――。
「まったく、どこに行ったんだ……? 蒲公英(たんぽぽ/馬岱)のヤツ」
――今、天水郡の街道を馬で行く、一本の槍を握り橙色な服装の茶髪で右サイドポニーな髪型の少女が一人。
「ここにいるぞ!」
彼女は、晴れ間が広がる遠い空へ槍を翳し、その明るい笑顔と高い声を無意味に響かせていた……。
一刀と姜維は、『旗揚げの場』として、天水郡の北部、顕親(ケンシン)県の街を目指していた。
しかしその僅か手前の街道にて、異民族の小隊に襲われていた馬車を助ける。
その馬車には、長めの紺髪に頭冠を被ったこの顕親県で県令補佐官を務めるという楊(よう)と名乗るまだ若そうなの男性文官が乗っていた。
助けられたことに感謝した楊は、礼をしたいと一刀達を自らの屋敷へ招く。
そして今、少しの休憩のあと声が掛かり、丁度、楊と一刀ら一同が昼食の席に着いたところである。
姜維は緑と黄緑基調な衣装に頭冠、一刀は、ピカピカと光沢のあるポリエステル製の白い制服姿で臨んでいる。二人ともどこへ招かれても恥ずかしくない服装だ。
その席で、笑顔を浮かべる楊より改めて異民族兵からの救助に礼を言われる。
一刀らも招きに対し改めて、『北郷一刀』『姜伯約』だと名乗った。
「では、いただきましょう」と和やかな会食が始まる。
そう、これは和やかな会食のはずであった。
姜維は自然に食事をしている風に見えるが、一刀は少しぎこちない。
それもそのはず。彼はこの食事の席へ――姜維の剣をシャツ内の背中に隠して持って来ているためだ。
戦場の会食なら帯剣も有るだろうが、こんな街中での客人としては礼を失する行為。おまけに隠し持っている。
だが、彼の軍師はこの席へ来る前の休憩部屋で、食事への声が掛かったあとに主へ小さくこう囁いた。
『ご油断無きように』と。
そうして、背中へ剣をと渡された。
どういうことだと思ったが、すでに案内の使用人より再度の声が掛かり、一刀は訳が分からないまま今に至る。
加えて一刀は背筋をピンとしたまま曲げれず、背中へ余裕を持たせるため制服の前は胸を張りつつの全開である。
彼の額には、季節外れのイヤな汗が流れた。
それでも時間は過ぎ、会食は進んでいく。
食事の合間に屋敷の主の楊から、体の具合や部屋への不満がないかと会話のやり取りが少し行われた。
そんな中、一刀へ声が掛かる。
「そういえば、北郷殿らはどのような目的でこの街へ?」
この内容に一刀の顔が『待っていた』とゆっくり姜維へと動く。
姜維の方も楊の言葉に顔と目線が主へと向けられ、一度視線が重なったのち、彼女の顔が楊へと向く。
その一連の動きに、楊は少女へと向き直る。
彼は思っていた。若いが背の高めな一刀は兎も角、この少女は『美人』だが、どう見ても子供に見えると。
しかし、登場時の馬車へと近寄って来る戦闘で見せた馬を駆りながらの鮮やかな立ち回りは、圧巻と言わざるを得ない。見た目での子供扱いはとても出来なかった。
その少女が口を開く。美しくもやはり少し幼いその声が会食室内に伝わる。
「楊殿は、『天の御遣い』様の噂はご存知ですか?」
「……ええ。確か、管路なる占い師の話だったと思いますけれど。……それが……ああ、お二人はその方をお探しと?」
姜維はそれに答えない。そして質問を続ける。
「では、『御遣い』様はどういう姿をされていると思いますか?」
楊は一瞬訝し気な表情になるも、彼女の質問に笑顔で返事を返す。
「……良く分かりません。もしかすると、見たことのない姿を――」
楊の口の動きがそこで止まる。彼の少女への目線が静かに、一刀の方へと向く。
この文官は戦闘の現場で見た時から、一刀の変わった服装に気が付いていた。
そのピカピカと光沢のある服は何なのかと。
金でも銀でもない。それは、軽そうな生地に見えるのだ。
そんなものはこれまで――見た事がない。
楊が姜維へと目線を戻し尋ねる。
「……北郷殿が『天の御遣い』様であると?」
姜維はコクりと小さく頷いた。
そして、彼女は話しを切り出し始める。
「今、この周辺の地は異民族兵らに蹂躙されている。だが、この方の元へ周辺の兵力を集結すれば十分対抗できるでしょう。『天の御遣い』の北郷様はそのためにここへ参られました。ですがいきなりの言葉や書簡だけで、周辺の説得や足並みを揃えるのは無理でしょう。なので、何度かこのお方の『兵を集めれれば平和に出来る』力を、可能性を見せましょう。そのために、貴方には県令殿に掛け合って兵を貸してもらえるように協力して動いてもらいたいのです」
いきなりと言える話の大展開に、会食場は箸が止まり静かになっていた。
楊は姜維と一刀を交互に見ると目を瞑り、小さく笑う。
「ふふふっ。いやまさか……、失礼。『天の御遣い』とはまたご冗談を。そんな事を騙(かた)らなくても何日でもわが屋敷でゆっくりされてください。恩は十分に感じておりますので。なんでしたら一年や二年でも構いませんよ? ……しかし、正気ですか? ヤツラは五千からいるんですよ? 確かに最近は、この周辺から半数以上は去りましたが、それでも二千は越えています。ここの兵数では勝ち目は無く、いずれにしても無理な話ですよ」
館の主は「さあ、面白い話でしたが食事を続けましょう」と話を一蹴しかける。
しかし、姜維は再び口を開いた。
「これは全く冗談ではありませんよ、楊殿。それに、まずあと一月、この地が無事だと言い切れますか? それは――あなたが一番よく知っているのでは?」
「何を、――――」
だが、楊の顔色が変わる。姜維の袖から出された竹簡の巻物で――。
軍師姜維は静かに畳み掛ける。
「貴方は朝確かに、街の傍の街道で異民族兵らに襲われていました。でも――そう都合よく『敵』と遭遇するものでしょうか。まあ、利用した敵中の寝返り者はよく、用済みになれば消されることはよくあること。あの時の貴方の馬車の傍で守って居た兵達は、後から来た街の兵達とは鎧が違っていましたし、すべて貴方の私兵ですよね? その時に『やっぱり」かと。あとから貴方が多くの兵士を連れて来たのは裏切られた異民族兵を全部殺す為。しかし、私が大方は殺して先にヤツラの持ち物を調べておきましたから、他に知る者はいませんので安心してください。なので、貴方が県令殿に掛け合ってもらうのは、口止めに対する『天の御遣い』様との対等な取引と思っていただければ」
楊は――笑い始めた。
まだ若くやり手のような表情が『あくどい』ニヤケ顔に変わる。
「ふはははははっ、知られたからには――――」
楊はそう言いつつ使用人へ私兵を呼ぶ為、腕と指を動かそうとした刹那、姜維が電光石火の動きを見せる。
隣席で身を斜めにした一刀の背中の腰辺りから斜め下へ剣を鞘より一瞬で引き抜き跳躍――。
「繰り返しますが、これは『天の御遣い』様との対等な取引と思っていただければ。それとも殺(ヤ)りますか、私と? 部屋に百人は呼んでくださいね?」
――そう言い終わった時には、まだ席へ座る楊の喉元へ見下ろす形で剣を突き付けた彼女が、彼の料理の並ぶ食卓の上で仁王立ちしていた。
「――(どこから)剣を?! それに、な、なんて素早さだ……。わ、わかった、協力する! ……全力で県令様に掛け合おう」
「じゃあ、取引は成立ということで。それと、ここにはお言葉通り、主と共に『居たいだけいます』ので」
「お、お好きに……」
楊は姜維の剣技の凄まじさを改めて間近で見せ付けられた。私兵達では……いやこの街には彼女より腕の立つ武人はいない。降参するしかないと判断した。
一方一刀は、話が怪しくなり始めたころから、片肘を付いて体を倒しシャツの下をこっそりまくり上げ、剣と取り出しやすい体勢で一部始終を見ていた。
二人の主従の息はピッタリという感じだ。
このあと、姜維は食卓へ立ち上がった非礼を詫びると、普通に自分の席へと座り直し食事へと戻った。
その彼女の様子に、一刀も続くように食べ始めた。
実は二人とも昨晩からお腹が凄く減っていたのだ。昨晩に干し肉を少し食べただけであったから。
食は生き残るための基本である。
やけくそなのか、遂には楊も食べ始め、トンデモナイ昼食会は姜維の予定通りな形に終わった。
因みに、彼の屋敷に私兵は、全部で三十人程しかいなかった……。
楊は一刀らの図太さに観念したのか、食事の後のお茶の席で名と字も教えてくれた。
名を楊達(ようたつ)、字を仲言(ちゅうげん)と二人へ告げる。
彼は昨年に家主の父を病気で失い、家と職を継いだが親類はこの地には他におらず、知人も金繋がりだけだと語った。
県令への繋がりを利用して、口利きの代わりに手数料的な賄賂を得ているので、家そのものは裕福らしい。
そんなある日、異民族の草が接触して来たという。
金に加え、街が襲われた時にも家財は守ってやるというので、ここ顕親(けんしん)県の街の兵糧や武器、兵力情報を提供してしまったらしい。
姜維の持つあの竹簡の巻物は、最後の兵力情報だとの話だ。
とりあえず、最大の情報が洩れずに済んで良かったと言えよう。
「これまで私は適当に生きていたような気がするんだ。今はすごく後悔している……。本当に馬鹿な事をしてしまっていた。それも有って君らに本気で協力させて欲しいんだ。ところで……北郷殿は、本当に『天の御遣い』様なのかい?」
最後に、もっともな疑問を
彼の口調が少し柔らかくなっている。これが地なんだろう。
「間違いないです。私がこの方が空から星として、落ちて来るのを見ましたから」
「あははっ、俺自身は落ちて来た時の事は覚えていないんだ。でも、ここが俺の経験したことの無い初めての場所なのは間違いないけどね」
腰にてを当てて、自信満々に述べる姜維を横に、一刀が客人では無く協力者となった口調で楊達へ答えていた。
今日、役所は昼までだったという事で、県令への取次は明日ということになった。
それだと楊達は、本日仕事をサボったという事なのだろうか。
彼曰く、補佐官は他にもいるから大丈夫だと。
この県の体制が腐っているというべきか。
ただ、今は気にしても仕方がないと、それから一刀と姜維は楊達に街中を案内してもらった。
楊達の屋敷は屋敷街にあり、少し歩いて店の並ぶ繁華街へと進む。
飲食店や、雑貨や、服のお店も並ぶ……だが一刀はそのデザイン類へ少し違和感を覚えた。
確かに全体の雰囲気は朱色系の色で大陸風が色濃いのだが、何か近代風な様式も感じる気もする。
服を着せて飾っている人型がマネキンぽく見えたり、本のタイトルが現代っぽく付いていたり、喫茶店風なウッドデッキを備えたお店も有ったりと。
露店で焼売(しゅうまい)などを食べつつ夕方までのんびり回った。
そうして楊達の屋敷に戻って来る。
まもなく夕食の晩餐となった。
そして――その時に二人の女性が楊達から家族だと紹介される。
「嫁の董水明(すいめい)と妹の楊雪梅(せつばい)だ」
楊達とは対照的に少しふっくら気味で静かな奥方と、穏やかそうにのほほんとした一刀よりも若い感じの妹君で、一刀らはそれぞれから手を握られ、朝の戦闘で楊達を助けたお礼を言われる。
楊達には異民族らから守るべき家族があったのだ。
選択肢が間違えていただけで、守ろうと言う気持ちは悪ではない。
それから五人で卓を囲んでの温かい食事を頂いたあと、この家にはお風呂があるというので、一刀らも良いお湯を頂く。
やはり、肩までゆったりと浸かる風呂は良い。
もちろん姜維とは別々に入る。主からどうぞと彼女が言うので、一刀が先に頂いた。
そのあと、姜維も長い髪を洗いさっぱりしてご機嫌で上がって来た、が……主の待っていた廊下途中の庭を望む休憩場所まで来た彼女は、急速な眠気に襲われ始めていた。
どうやら時間的に入る順番を間違えたようだ……。
彼女の目が、瞼が究極に重くなっているらしい。
一刀は、姜維の最大の弱点が『睡魔』だと理解する。
「す……すみまテん、あるじ……さハ」
すでに、呂律がオカシクなっていた……。
「もう寝ていいよ、伯約」
「は……ヒ」
仕方が無いので、一刀は浴衣のような格好のままの彼女を優しく抱き抱え、自分の部屋へと連れて来る。
大陸風の赤いお姫様ベッドのような天板の有る寝具へ敷かれた布団の端に座り、一刀が彼女の髪を丁寧に拭いて団扇で仰いで乾かしてやる。そうしてから櫛で梳いてあげた。
終わった頃には、彼女は気持ち良さそうに膝の上で、一刀の胸へしっかり抱き付いたまま、完全に熟睡していた。
一刀自身も今日も色々あって眠くなっており、そのまま布団に潜り込んだ。
「……あるじさま…………お腹がいっぱい……デス」
ご飯を食べる夢でも見ているのだろうか。
(……温かいな)
しがみ付かれているところが心地良く暖かい。一刀もウトウトとしだした。
丁度その時、一刀の部屋の扉の外から声が掛けられる。
「あのぉ、北郷様……よろしいでしょうか?」
「はっ、はい、どうぞ」
一刀は、辛うじて反射的に声を返した。
何用だろうと眠い体を起こす――姜維が見事にお腹へとへばり付いているが。
すると「失礼します」と楊の妹君の雪梅が入って来た。
凄く美人とまでは言えないが、目鼻立ちは決して悪くない。微笑んだ顔は猫の様に可愛い。
肩程までの兄と同じ紺色の髪を首元辺りで短く2つに括っている。
その姿は寝間着だろうか。それにしても生地が薄く、蝋燭の灯りに女性的な影が透けて見えていた。
一刀が目を擦りつつ何用なのかを尋ねようとしたが、先に彼女の方が一刀の様子を見て話し始める。
「あっ、やっぱりそうですよね……伯約さんがイイですよね……一緒が」
「えっ。ああ、伯約は風呂を上がったらすぐに寝ちゃって。それで髪を乾かしてやってたら、俺も眠くなっちゃって……それで、俺がしがみ付かれたまま横になってたんで」
「そ、そうですか、仲が良いんですね。でも、私はてっきり……あ、いえいえ」
「?」
一刀は、回らない頭で良く理解できていない。
「じゃ、じゃあ北郷様、私は今夜はこれで失礼しますね……また明日にでも。良い夢を」
「あ、おやすみなさい」
そうして訪問者の扉は閉められた。
一刀は眠いままで再度横になる。自然と連動して彼の瞼も閉じられていった。
実は一刀が風呂に入っている時、姜維が楊達のところへとやって来ていた。
そして突然『英雄』には女が必要だと言い出した。
子供を生める年頃の女はいないかと聞いたのだ。
だが、楊達はまず、姜維へサラリと尋ねる。
「伯約殿は、自分じゃなくていいのか?」
姜維はしばらくすると――真っ赤になった。恥ずかしさで、真っ赤っかだ。
「わ、私が妊娠したら、誰が最前線で敵をなで斬りつつ指揮を執るのですかーーーーー!」
はぁはぁと肩で息をしていた。
彼女は一度深呼吸した後に「私は抜きで」と呟くように告げる。
そう言ったが本心は、自分がまだ子供を生める年とは考えていなかったのだ。
(わ、私が主様の子供を? そんな大それた事を私は望んではいけない。主様へ酷い事をしようとしている私が望んでは……でも万が一、主様がそれを……私を―――)
姜維は、風呂を上がった一刀が彼女を呼ぶ声を聞いて静かに歩き出す。
結局、楊達は一応自分の妹にどうかと聞いてみる。
これでも楊達は、それなりに人を見て来たつもりである。今までは楊達へただすり寄って来る者しかおらず、妹に良い縁談だと進めたことは一度も無い。これが初めてである。
すると、夕食の時に顔を合わせていた彼女は頬を染めつつ、「兄さんを助けてくれた人で優しそうですし、兄さんが許していただければ……私はいいですよ?」とまんざらではない風に答えていた。
その日が無事平和に暮れた。
音も無く日付が変わる。
そして、皆殺しな戦いを呼ぶ異民族軍の無数の銅鑼の音が、寝静まる顕親県の街の周囲から寄せる様に響き始めてきた。
つづく