麒麟児の仰ぎ見る旗   作:地獄大陸

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06話 波乱の旗上げ

 天水郡の北部、顕親県の街の県令補佐官である楊達の屋敷。

 一刀と姜維はこの地で旗上げの為、この屋敷へ当面逗留することになった。

 だが、その晩の真夜中の事だ。

 それは遠くから、そして周辺から小さく響いて来た。

 

「――!」

 

 その地獄を作り出す恐怖の独特な銅鑼の音へ、真っ先に条件反射的な反応をしたのは、眠っていた姜維である。

 彼女は足まで絡ませ抱き付いて、偶に顔を気持ちよさそうにスリスリしながら寝ていた一刀の温かいお腹から弾けるように離れると、布団をはねのけて立ち上がる。

 

「主様、大変レす! 敵襲が。敵襲でフ! 主様っ!」

「――ぐへっ、わはっははら、はおほいふは、ほれから降りろ(分かったから、顔と言うか、俺から降りろ)」

「あぁ、ツみません、すみまテん」

 

 姜維は、一刀の顔面と胸腹部を踏みつけていた小さな可愛い足を退けるように一刀から降りようとして体勢を崩し、自ら払いのけた布団の上へ可愛くぽてりと尻餅を付いた。

 一刀が「敵襲?」と目を擦りつつ上半身を起こす。姜維も立ち上がったが、彼女の様子が何か変だ。

 どうみても――前後左右へとフラフラしている。

 一方で、本当に敵襲のような鬨の声と銅鑼の音が遠くより聞こえて来るのに気付く。

 一刀は経験したことのない非常事態な状況に、一気に目が覚める。

 そして、様子がオカシイ姜維の、昨夜風呂から上がった時のままの浴衣姿なその肩を掴んだ。

 いつもは柔らかくも剛力でビクともしないのだが――前後へぐにゃぐにゃであった……。

 

「おい、伯約。お前、夜中はダメなのか?」

「あの……お昼寝をすれば大丈夫なのレすが……」

「……そうか」

 

 一刀は顔をしかめつつも現状を受け入れる。

 姜維を責めることは無意味だ。全てに対処することなど一人の人間には出来ないのだから。

 姜維は、この段階ですでに時折、下がり続ける重い瞼に白目を見せている。

 

(……今は、俺がこの子を守らないと)

 

 一刀はそう考え、行動を起こす。

 

「伯約、着替えて来れるか?」

「はヒ……」

 

 一刀が、姜維へ客人用の履物を履かせてやり、背中側から脇を持ち上げ、寝台から下ろしてやる。すると姜維はヨロヨロトテトテしながらも隣の部屋へと向かって出て行った。

 それを見送りつつ一刀は昼間、この屋敷の主の楊達が語った言葉を思い出す。

 

『これまで私は適当に生きていたような気がするんだ』

 

 ――一刀も正にそうであった。

 

 高校に進学したが何かしようという目標は特に無かった。

 学校では剣道や体育のほか、授業でも適当で随分手を抜いてきた。

 それでも成績は並みで、日々を十分平和に過ごせていた。

 甘えてふぬけていたと思う。でも、それでもいい環境であったのだ。

 しかし、やはり三国時代(ここ)は違う。

 皆が必死で生きている。それも生き延びる為に必死なのだ。

 現代日本と訳が違う。

 まさに弱肉強食。法など権力者次第の曖昧なものでしかない。

 上位者による、いきなりの理不尽な重税に徴兵。更に戦争。それが当たり前の光景。

 加えて、恐らく干ばつに大雨や洪水に地震、イナゴの大群等の天災による飢饉に疫病も……。

 

 人々の平和や安全など、全くどこにも保障されていないのだ。

 

 欲しい物は基本的に力関係で、有るところから奪い取って行く時代と言える。

 そして守るのも『力』なのだ。

 彼はそんな時代へ来てしまっていた。

 

 北郷一刀はこれでも――北郷流剣術の免許皆伝者である。

 

 そのため、初見で姜維の強さの水準がどれほどか分かるぐらいの剣客のつもりでいる。

 鹿児島の祖父の道場では、厳しい修行に耐え、祖父と真剣での刹那な激しい打ち合い稽古をもしてきた。

 だが、平和な現代日本の社会に真剣を振るう場などないと言える。

 

(そんな平和な時代に、血の出る程鍛えてくれたじいさんには感謝しないとな)

 

 一刀はすでに決意し歩み始めていた。

 この時代の今、この時を――手抜きなしの全力で必死に生きる事を。

 そうしなければ生き残れない。

 お手本は、共にいる身近な少女だ。

 抱き付いてくる甘えん坊な所が、少し妹に似ているかもしれない。

 そして、恩人の少女でもある。

 

(姜維の恩に報いたい―――そして助けてもやりたい――)

 

 一刀は手早く制服に着替え終わると、壁近くの剣台に置かれた姜維から渡されていた剣を一応手に取り部屋を出た。

 そうして、先に楊達のところへ向かう。二つの用件を持って。

 彼の部屋へと近付く。

 そのころには四方から多数の銅鑼の音に加え、鬨の声も徐々に周辺へ響いてきており、街中も騒然とし始めていた。

 この状況で楊達(ようたつ)や屋敷の者も流石に起き出しており、屋敷の主として周辺の状況確認や警備などを使用人や私兵らへ指示していた。

 手際よく手短に指示の出し終わった彼へ、一刀は「いきなり大変な事になってるけど」と話し掛ける。

 

「あの、仲言殿。急ぎ、例の兵借り受けの件と、あと一つ頼みがあるんだけど。武器について『片刃の直刀』の剣がここの武器庫にないかな?」

「ふむ。そんな剣なら取次の礼(わいろ)の代わりに一本、二本貰っていた気がするよ。でも兵の件は県令のところへ直接行くしかないかと。もちろん助勢はして差し上げるが」

 

 一刀は頷き、まず武器部屋があるというのでそちらへ向かった。

 そこには、壁の剣台や大きな水瓶等へ剣や槍が多く並べられ差し込まれ、五十本はひしめいていた。

 ざっと見渡すと、壁に大刀のような細めの剣を見つけた。楊達に了解を取り、手に取ると長さは丁度良い。抜いてみる。

 握りの感覚といい、多少違うが刀身の形といい、良い感じの剣であった。

 

「えっと、仲言殿――」

「北郷殿、それが気に入ったのなら持って行っていいですよ。街を守る為に使うんですよね? 他にも必要なら持って行かれて構いませんので」

「……うん。じゃあこれ、有り難く」

 

 楊達のはにかむ笑顔に一刀も微笑む。

 楊達は、県令の所までの馬車の用意をしておくと言うので、一刀は姜維の部屋へと廊下を戻る。

 姜維の部屋へ数度声をかけるが、返事がないので中へと入った。

 彼女の着替えは終わっていた……。剣も背負っている。しかし、何故か部屋の片隅にある文机へうつ伏す様に寝ていた。

 おまけに両端に鳥の羽がある頭冠の向きが前後逆なので、一刀はまずそれ直してやる。

 これで可愛さよし、と。

 ふと一刀は、文机の片隅に筆と硯へ擦られた濃い墨を認める。

 なぜか、書き留める紙や木簡等は辺りに見当たらない。

 首を傾げつつ、彼は姜維を文机の椅子から両脇を抱え持ち上げる。

 かくんと少し上を向いた彼女の可愛い美人な顔を見ると、その理由が分かった。

 姜維は目を瞑り寝ていた。

 

 

 しかし、目があった。 ――瞼に。

 

 

 机の手前に鏡が残されていた。それで見ながら筆で書いたのだろう。

 軍師の何とか起きて共に行動したいという、可愛らしい気持ちが伝わり、一刀はそれを噛みしめる。

 姜維の策として県令から兵を借りるという案は聞いている。

 しかし彼は『どうやって借りる』かは聞いていない。だが今はいい。

 一刀は姜維を優しく背負う。置いては行かない。広いこの世界に二人きりの主従であるから。

 

「じゃあ伯約、行こうか」

 

 そっと相方へ声を掛けた。

 返事はない。それはいらない。この背中に温もりがあれば問題ない。

 もはやあとは、『天の御遣い』北郷一刀に掛かっていた。

 

 

 

 

 一刀は姜維を背負ったまま、楊達の用意した馬車に乗る。

 本当は馬を駆って颯爽といきたいところだが、彼はまだ一人で馬に乗れない。

 姜維は一刀に背負われると同時にしっかりと抱き付いて来ていた。温かく安心感があり寝心地が良いのだろう。

 そして、彼女の閉じられた瞼の上に筆で書かれた『目』が異彩を放っている……。

 屋敷の護衛から二騎を付けて、楊達ももちろんこの馬車に同行する。

 県令補佐官の楊達は、街内でもそれなりの権限があり、通常通れない警備中の通りも通過出来た。

 楊達の屋敷がある区画は一応、街の中でも塀に囲まれており比較的安全区域である。

 一方で今、その塀の外で何が起こっているのか、考えるだけで恐怖を覚えた。

 その中で、楊達が県令について話してくれる。

 

「顕親の県令は、中央から派遣されている高続(こうぞく)様という初老の人物です。ただの女好きの賄賂好きで争い事の場合、アレはまず使い物になりません。地元の有力者が就いていれば守ろうと色々するんですけどね。きっと今頃屋敷の奥か女と寝所で震え上がっていますよ」

「ひどい話だね……。じゃあ、だれが兵の指揮を?」

「それは、李績(りせき)殿でしょう。この辺りの地元の有力者の一人なので」

「なるほど、ちなみにここの兵って本当に……四百程しかいないの?」

「ええ。異民族軍はこの辺りでも二千越えですから……ズルをしてでも見逃してもらいたくもなるでしょう?」

 

 銅鑼の音と異民族軍の鬨の声は、東西南北から聞こえているようで、その皆殺しされるかもしれないという現実なこの恐怖感は想像を絶する。

 しかし、三国志といえば十万単位の激突する大きな闘いを連想するが、西方の一角だとこんな規模なのかと一刀は僅かに拍子抜ける。

 

(いや、今は好都合)

 

 最大でも敵二千余。その内、局所的な闘いで数百ずつ相手なら、少数兵でも姜維の武勇と策で十分なんとかなるように思えた。

 そうして一刀らを乗せた馬車は、間もなく県令の館に着く。

 篝火の並ぶ館の近くで、県の軍備を預かる長らしき人物が、指揮を取っている。

 あれが李績という人物だろうか。髪には白髪が混ざるも堂々とした様子。流石この時代の指揮官の一人だ。剣を腰に差す鎧姿に臆した様子は無く、一刀程の背丈でこの時代だと大柄だ。

 

「李殿、県令様は?」

「おお、楊殿。県令様は謁見の間に先程おられたが、いかがされた? ん……その人物は?」

 

 李績が、楊達の後ろに立つ一刀に気が付く。

 それは見たことない形式のキラキラとした高級に見える服装に、立派な衣装を身に付けた子供と思しき人物を背負っており、この場では違和感極まりない。

 だがあえて混乱している場を利用し一刀は名乗る。

 

「北郷と申します。今、この街の防衛の為に協力させてもらおうかと県令様へ挨拶をと。これでも少し腕に覚えが有りますので」

 

 李績は、街の四面を囲まれるこの現状でそんな考えを持つ若き武人に「ほぉ」と感心し、楊達へ「通られよ」と告げて、館の守衛らに案内と県令への通しをしてくれる。

 楊達が李績へ「手配感謝します、では」と返し、一刀も楊達に倣い礼の形を取って県令の館へと入って行く。

 李績の通しにより、待たされることなく県令との謁見にこぎつける。

 頭冠で薄目な髪を隠した、初老な少し太り気味な県令の高続は、彫刻の施された広間奥の一段高い椅子に座っている。

 

「外はどうなっておる、楊達? あの鬨の声と銅鑼の音をなんとかならぬか。まだ、死にたくないぞ」

「はぁ、今のところは情報が無くなんとも。ですが、その件につきまして一案をお持ちしました。こちらの方です」

「ん? おお、そう言えば、北郷殿と申すそうじゃな? 力を貸してくれると」

 

 ここで一刀が名乗る。

 

「はい、姓を北郷、名を一刀と申します。字はありません。腕に覚えがありますので、今の状態に力を貸せるかと」

「うむ。楊達、君の知り合いか?」

「はい。昨日異民族の小隊に襲われた際、たった二人で相手を全滅させた方達です」

「おお、全滅の話は聞いておるぞ。本当に二人で全滅させたのか!? それは誠に凄いな」

「はい、なぜならこちらの世にも珍しい輝く服を着ている方が、巷で噂の『天の御遣い』様ですから」

「なにっ?! 『天の御遣い』と? むぅ、確かに変わった服装をしておるが……」

 

 県令は流石に半信半疑だ。だが日頃から楊達の『言』は利の有る話が多かった。

 

「そしてもう一人がこちら、その軍師の姜伯約殿です」

「ん? ……こちら、とは?」

 

 県令の高続はすでに老眼等で少し目が弱かった。焦点が微妙で稀にしか合わない。一刀の姿はそれなりに見えているが、背負われている姜維はパッと見では気が付かなかった。

 一刀は片膝を付いてしゃがむと、背負う彼女の首や胸に回っていた手と足を解き、両脇を後ろ側に立って持ち上げる様に支える。あたかも一刀の前に立っている様に。一度礼をするように、彼女の首が前へカクンと下がる。ただ首のすわりが悪いだけだが。

 それを見て漸く県令は「ふむ」と納得する。

 

「この方々は、今、襲撃を受けている現状を打破するため、街の兵を『百人ほど』貸して欲しいとのこと」

 

 これは屋敷を出る時に楊達が聞いた一刀の案である。あまりに多すぎると断られるし、目標はまず兵五十人程でいいが渋るだろうから初めは少し吹っかけようと。

 

「むっ、百人とな? うーん、百か……」

「県令様、何も別に兵をこの街から減らすわけではありませんよ。一時的ながら優れた指揮官の方が県令様も安心でございましょう?」

 

 楊達は上手く助言してくれる。

 この時県令は、この内容を望む一刀の表情が気になり目線を向けた。

 だが県令の目線は、その下方に見えた軍師という者の『表情』の方が気になった。

 斜めに首を傾げ、口が微かに歪むように小さく開き、更にまるで死んだ魚のような『目』が、『あぁん?』と県令を睨み付けている様に見えたのだ。

 県令は敵襲の迫る街の外の状況といい、もはやすべてが怖かった。

 そして、高続は言い放つ。

 

「分かった。そ、そのように致せ! た、頼んだぞ、『天の御遣い』の北郷殿」

 

 いきなり『百人』で通ってしまい、一刀と楊達は一瞬目を見合わせるが、すかさず一刀が答える。

 

「はい! 感謝します。戦果を必ず」

 

 可能性が有りやる気のある者に、勢いで任せる事も良く聞く話ではある。

 こうして、一刀らは気付かぬ可愛い『姜維の働き』もあり、順当に県兵百を借りることが出来た。

 一刀と楊達らは広間を退室し、館の表の李績に事情を話す。

 その際、周辺の斥候の情報から、敵の総数はおよそ八百という事を知らされた。この街の兵数の倍だ。

 それに、これはまださらに増える可能性も十分にある状況。

 李績は思案気味な顔で伝える。

 

「では悪いが、敵の一隊がいる東の門方面を頼みたい。すでに百人程の兵が居る。よろしく頼む。私は敵の主力のいる西門へこの後向かう」

「分かりました」

 

 再び姜維を背負っている一刀は、李績より指揮を任す旨の竹簡を受け取ると、楊達が東門まで馬車で送ってくれると言う。その途中で、屋敷へ一度寄った。

 そこで一刀は、楊達の奥方の董婦人と妹の雪梅(せつばい)から「御武運を」と急ぎ用意してもらっていた旗を贈られる。

 彼は、感謝を伝えるとそれを持って戦場へと向かう。

 馬車に、急造で白い生地に太い筆で濃く書き上げて貰った旗が翻る。

 

 

 それは―――丸に十文字の旗。

 

 

 戦場は、目立ってなんぼという場所でもある。

 一刀はそれも利用しようと考えた。

 馬車は一時的だが、北郷隊となる兵の守る東門へと近付いて行く。

 

 

 

つづく

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