御神と不破   作:しるうぃっしゅ

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第2話:不破恭也と水無月殺音

 

 

 

 それは、背筋を粟立たせるほどにあまりにも美しく鮮やかで、魂さえも魅了する華麗でありながら無骨な死を纏った剣閃であった。恐ろしいほどに速く、鋭い、横薙ぎの一閃。空を渡り、一切の容赦も無駄も、躊躇もなく自分へと迫りくる木刀を見ながら少年は、石像のように強張っていた四肢を無理矢理動かし回避に転じようと体を捻らせる。

 

 だが、その行動はあまりにも遅かった。少年の回避行動は決して悪かったというわけではない。。むしろ見かけ小学生程度の年齢の少年が自分へと迫ってくる超速度の木刀をここまで冷静に凝視し、回避しようと動こうとすることが異常なのだ。

 

 それでも木刀をふるってきた相手の男性の手加減抜きの一撃は―――あまりにも速過ぎた。普通の人間では、何かが動いたな、程度の認識しか抱けないであろう。それほどまでに速い、一瞬の斬撃。それをあろうことか、少年は確かに木刀の切っ先までも視線のうちにおさめていた。

 

 それでも―――少年の身体がそれに追いつかない。

 

「っ……」

 

 コツンと少年の額を木刀が叩いた。

 少年が回避しきれないと分かった瞬間、木刀を薙いでいた男性は手を止めていた。しかも、少年からミリ単位しか離れていない空間で正確に。寸止めといえばいいのだろうか。しかし、ある種の神業ともいえるその技には、少年もため息しかできない。少なくとも今の自分では真似することなど絶対に不可能な芸当。

 

「まだまだだなぁ、恭也」

「……もう一度おねがいします」

 

 ニヤリと面白そうに笑みを浮かべる男性。

 中肉中背ではあるが、服の上からでも分かるほどに筋肉が引き締まっている。どこか肉食獣をおもわせる雰囲気と肉体だ。鍛錬の途中だというのに私服で、全身真っ黒の服装で統一している。

 動きやすいとはいえないであろう恰好なのにあれほどの速度でうごけるのだから信じられない。顔は美形―――というより男臭いというのだろうか。短く刈られた髪とやや伸びた無精ひげがそれをより際立たせている。その男臭さが良いと多くの女性たちが噂をしていたのを、恭也と呼ばれた少年は知っていた。

 

 自分の父である目の前の男性―――名を不破士郎という―――が、女性に魅力的に映るのは何故だろうか。それが不思議でならない。確かに外見は異性を惹き付けるに十分なものであろうが、未だ幼い息子を連れて日本行脚に出かけるその行為はあまり褒められたものではないはずだ。それが知られていないはずもないが、やはり当事者ではない者達ではその過酷さをあまり理解できていないのかもしれない。

 

 そこで恭也は自分の呼吸が酷く乱れていることに気付いた。

 長い間全力疾走したかのようなだるさを体全体に感じる。どうやら士郎のお遊びのように出していた剣気に軽くあてられていたようだ。整えるように深く呼吸を繰り返す。

 

 二人が今手合せしていた場所はある一族の道場。古き時代から―――日本の裏に潜み、生きてきた殺戮一族。二刀の小太刀を携え、あらゆる暗器を使いこなす最強の名を欲しい侭にする剣士達。人はその一族をこう呼ぶ……即ち。

 

 

 

     ―――永全不動八門一派・御神の一族―――。

 

 

 

 

 ここはその御神流を受け継ぐ一族の宗家の敷地の一画にある道場なのだ。そして士郎は御神の分家である不破(・・)最強の剣士。いや、御神家も含め最強の剣士として噂されるほどの男である。

 学校の体育館ほどの大きさがあるだろうか……周りを見渡せば今の恭也では到底及ばぬ幾人もの剣士達が、しのぎを削りあっている。誰もが十分に達人と呼ぶにふさわしい腕前であった。

 

 そんな恭也の視界の端に艶やかな黒髪を腰までのばした女性が心配そうに士郎と恭也を見ていた。いや、正確には恭也を凝視している。美しすぎる容姿は時に相手に冷たい印象を与えるとも言うが、彼女に限ってはそんなことは微塵もなく、大和撫子という表現があてはまる端麗な女性であった。身長はそう高くはないが、唯一の悩みが胸が小さいということで、よく恭也にそのことをもらしていた。僅か七歳にしかならない彼にとっては、どんな反応をすればよいのか非常に困る愚痴である。

 

 女性の名前は御神琴絵。御神宗家の長女であり―――女性でありながら士郎にも勝るとも劣らぬ剣士である。心配そうに見やる琴絵の視線に耐えきれず恭也は逃げるように足元に視線を落とした。手も足もでない鍛錬の結果に、僅かな羞恥がこみ上げてくる。

 

「いいや、今日はお終いだ。お前に付き合ってたらきりがないしな」

 

 ポンと士郎は恭也の頭に手を置きグシャグシャと乱暴に撫でた。それに不満そうに眉を顰める恭也。撫でる士郎の手をパチンと軽く叩き落とすと、その行為に士郎はより笑みを深くした。本気で嫌がってなどいないのが士郎にはわかっているからだ。

 

 他の子どものように公園で遊ぶでもなく、ただただ剣をふるう。子供らしかぬ恭也を心配したこともある。まだ一桁の年齢のくせにどこか大人びた雰囲気をまとう恭也だったが、それは甘え方が分からないのだろう。

 

 物心ついたころから父である士郎と日本中を旅してまわっていた恭也だったからこそ―――甘えるという選択肢を無意識のうちに排除してしまった。恭也が年齢に見合わない物の考え方をするようになったのは間違いなく士郎の責任であり、それを申し訳ないと思っていた。

  

「それにそろそろ夕飯時だからな。美影のババアがもう少ししたら呼びに来るぞ」

 

 士郎の言葉を確かめるように恭也は道場の入り口の方を見ると、確かに夕焼けが差し込んできていた。幾度となく士郎と手合せをしていたが思っていたより時間がたっていたようだ―――たとえそれが、最初の一撃を防ぐこともできない一方的な結果の手合せだったとしても。

 

「……少し汗を流してくる」

 

 募る悔しさを振り払い、恭也はそう言い残し道場を後にする。

 悔しいが―――これはある意味当然の結果だと己に言い聞かせて。

 

 まだ数年しか生きていない自分程度が、その数倍以上の時間を生きた天才―――不破士郎に勝とうなど虫が良すぎる話だ。いや、勝つかどうかの話ではない。今の恭也では最初の一撃さえも避けることができない。恭也はまずは一太刀目をかわすことを目標にゆっくりと走り始めた……のだが。

 

「きょーやちゃぁぁぁあああーーーーーん!!」

 

 ドゴンと音が成る程の勢いで走り出そうとした恭也の背中目掛けて体当たりしてくる琴絵。いや、体当たりというより正確には、本人的には抱きついただけなのだろうが、そのあまりの衝撃に当然幼い恭也が耐え切れるはずも無く道場の床に倒れ付す。その拍子に顎を床へと打ちつけガンっと激しい音が鳴り響く。床にうつ伏せに転がった恭也になおしがみつく琴絵に対して道場にいた全員が、またか……というように手を止め生暖かくその光景を見守る。

 

「恭也ちゃん、痛いところない!? 遠慮なくいってね!! 私が治療してあげるから!!」

「だい……じょうぶです」

 

 倒れたときにうった顎をさすりつつ、なんとか起き上がりながらやや涙目でこたえる恭也。まさか貴方に抱きつかれて倒れたときに打った顎が一番被害が大きいですと言う訳にもいかない。

 

 琴絵はゆっくりと身体を離すと、恭也と視線を合わせるように腰を曲げる。

 その拍子に長い髪が琴絵の背中から零れ落ちる。その髪を自然な様子で背中へとおしやる。甘い、琴絵の香りが恭也の鼻をくすぐり、反射的に顔を赤くする恭也。

 

「あれ? 顔が赤いよ? 本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫です……。走ってきますので、失礼します」 

 

 自分の額を恭也の額にあてて熱をはかってきた琴絵から慌ててはなれ、背を向けて走り出す。その背中を残念そうに見送る琴絵。完全に恭也が見えなくなるまで見送った彼女は温和な表情を一変させ、鋭い視線を士郎にむける。険の混じったそれに、反射的に逃げ出したくなる士郎ではあったが、それを堪えて視線を受け止めた。

 

「士郎ちゃん。もっと手加減してあげなさいよ。恭也ちゃんはまだ七歳なのよ?」

「……手加減してあいつが喜べば幾らでもするんですけどね」

「でも……!!」

「琴絵さんにも分かってるんじゃないですか? あいつの今の目標は俺の初太刀をかわすことです。手加減してそれを壊したくはないんですよ」

「むぅ……」

 

 納得しきれない……そんなふうに唇を尖らせて士郎を睨む。

 本人としては不満を全身で表しているようだが、全くそうは思えない。可愛らしさ満点である。しかし、普段の琴絵ならばこのようなことを言わない。誰よりも優しく、思量深い人間なのだから。その相手の考えていることを第一として、助言を行う。

 

 だが、恭也のこととなると話は別だ。琴絵は不破恭也のことを大切に思っている。実の弟以上に可愛がっているのだ。溺愛しているといってもいい。恭也が自分に甘えてくれない、ということを不服に思う程に。士郎の子供ということもあり、御神と不破において恭也はおおいに可愛がられているが、両家においてなお彼女の熱愛ぶりは追随を許さない。

 

「でもでもでも……士郎ちゃんの本気の一撃を避けることなんて難しいじゃない? この場にいる何人がそれをできると思ってるの!!」

「まぁ……そうなんですけどね」

 

 初太刀をかわす。

 言うだけなら簡単に聞こえるかもしれない―――不破士郎が相手でなければの話だが。

 

 士郎は強い。強すぎる。長い歴史を誇る不破の一族で歴代最強の名を冠しても可笑しくはないほどに。不破が生み出した異端の剣士。何者にも束縛されぬ……そしてそれが許されるほどの実力。

 

 いや、士郎だけではない。

 士郎が生きるこの時代は異才の集まりである。

 

 不破家からは不破士郎。その弟である不破一臣。士郎の妹である不破美沙斗―――今では御神当主の静馬と結婚しており御神美沙斗が正しいのだが。三人の母親である不破美影。御神家からは御神静馬。ここにいる御神琴絵。

  

 そんな彼らを凌駕するとも言われる御神最強の剣士。御神宗家長男の御神相馬。

 

 その誰もが、もし時代が違えば御神最強の名を欲しいままに出来たであろうほどの実力の持ち主ばかりだ。それほどの剣腕を持つ士郎の一撃を避ける。幼い恭也にできるはずもない。目標というにはあまりにも高すぎる壁だ。

 

「私は心配なの。高すぎる壁は……何時か恭也ちゃんの心を折らないかって……」

「それは心配しなくてもいいと思いますよ?」

 

 琴絵の心配をあっさりと切り捨てる。

 士郎はすでに見えなくなっている恭也の方向へと視線をやり、暖かい目で見守る。

 

「あいつはその程度で折れるような剣士じゃないです」

「……なんでそう思うの?」

「だってあいつは俺の息子ですよ?あいつのことは俺が一番分かっています」

「……むー」

 

 今度は膨れっ面になり、不満ありありという感じで琴絵は士郎を睨む。

 それに気づいた士郎は愛想笑いで返し、頬を指でかく。

 

「それにあいつはちょっと特殊なんですよ」

「え?……恭也ちゃんが特殊って?」

「あいつは、何時も俺の小太刀の軌跡を目で追ってるんですよ……信じられますか? 七歳の子供が、ですよ?」

「……知ってるよ。気づいてるよ。それがどれだけ異常なことなのかも分かってる」

「ははっ。琴絵さんには愚問でしたかね」

 

 そう。士郎の言うとおり、恭也は確かに視線でおっていた。

 御神最強の一角である不破士郎の一撃を―――幼き子供が。

 

「俺はアレはあいつの一種の才能だと思っています。俺の中で心眼と名付けてる恭也の才能です」

「そうだね。一度や二度なら偶然で済ませれると思うよ―――でも、あの見切りは私達のそれを遥かに超えている」

「初太刀は見えている。でも、かわすことはできない。それは―――」

「―――身体がそれに追いつかないから」

 

 コクリと士郎が頷く。

 不破恭也の最大の武器。それが見切りである。といっても普通の人間の感覚とは違う。恭也には見えるのだ。空間をはしる人間の動きが。どう動くのか。人の身体がおりなす動きの静と動。筋肉の細部までがはっきりと。それが一瞬の見極めを可能とする。

 それなのに士郎の一撃を避けることをできないのは、琴絵の言うとおり身体がその見切りに追いつかないからだ。

  

「当分は無理だと思いますけどね。あいつが成長していって、身体が出来上がってくれば―――」

 

 肉体と感覚の一致。

 そして、そこに恭也の見切りが加われば……。

 

「―――あいつこそが御神最強の名を継げるでしょう」

 

 自信満々にそう士郎は断言する。

 己の息子こそが御神最強の座を手に入れれると。

  

「うん。そうだね。恭也ちゃんには……その可能性が眠っている。私達を超える可能性が―――」

 

 琴絵も士郎の台詞に同調する。

 士郎の言うとおりだ。恭也には自分達を超えることができるほどの潜在性がある。

 それを嬉しいと思う。それを素晴らしいと思う。恭也だからこそ自分のこと以上に嬉しい。だが―――。

 

 分かっていない。分かっていないの、士郎ちゃん。

 

 そう琴絵は心の底で深くため息をつく。

 士郎は恭也を信じている。誰よりも、自分の息子を信じている。

 それが―――目を曇らせている。

 

 恭也は見えている(・・・・・)のに避けられない。

 それはある意味見えていないのに避けられないということよりも苦しいのだ。自分の実力不足を痛感する日々。毎日毎日―――気が狂うほどの鍛錬。どれだけの努力をしても、その努力は実を結ばない。何日も何十日も何百日も。そんな日々が続く。

 

 士郎という名の壁は誰よりも高く……何よりも厚い。何時かは越えないといけない壁なのかもしれない。だが、今の恭也が目標とするには絶望的なほどの壁なのだ。

 

 まだ幼い恭也の心は……何が切っ掛けで折れるか分からない。

 琴絵はそれを懸念している。誰よりも恭也のことを心配しているが故に―――。

 

「恭也ちゃん……」

 

 琴絵の寂しさと心配をのせた呟きは―――周りの喧騒にまぎれて、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 御神の屋敷がある敷地から走り出た恭也は誰かに呼ばれた気がして振り返った。

 巨大な山の中腹に大きな屋敷が見える。そこが御神宗家が暮らす屋敷であり―――先程まで恭也が鍛錬していた道場がある場所だ。そこにいくには、長い山道を越えて、数百段もある石段を登らねばならない。その屋敷を遠くから見ると、不思議な威圧感を醸し出している。それは、巨大な屋敷に比例するかのように、規格外に高い塀が外敵を寄せ付けない一種の要塞のような錯覚を覚えさせるからかもしれない。

 

 御神の一族は様々な暗殺業。護衛業を取り扱っているが、勿論それだけではない。表の顔として様々な事業に手を出している。この周辺の山々を所有しているため、近隣の住人には名家として知られていた。

 

 しばらく経って、どうやら完全に空耳だったことを確認すると恭也は御神の屋敷に背を向け走り出す。勿論無人の荒野が続いているわけではなく、御神の一族が所有する山の麓から多くの家が建っている。御神の裏の顔を知らない普通の一般人たちであるため、小さな町に住まう皆が笑顔で暮らしていた。

 

 恭也は町の住人とも面識があり、走っている途中で何度も横を通り過ぎる人達に声をかけられた。それに律儀に挨拶を返す恭也。まだまだ公園で遊んでいるのが似合う年頃の少年だというのに、そんな様子を一切見せない恭也はある意味有名であった。

 

 どれくらい走ったであろうか。家が段々と少なくなり、ついには道しかなくなった。その道の両側は土手となっており、大きな川が流れていた。その河川敷では週末には町の住人達がバーベキューをしているのを見かけたことがある。そういう恭也も何度も御神や不破の者達としたことがあるのだが。

 

 足をとめ、深呼吸を何度か繰り返す。

 額を流れていた汗を拭い、再度深い息をつく。

 

 そろそろ帰らねばならない。

 走りこんでいたのはせいぜい三十分程度ではあるが、夕飯が何時も通りならば今から帰っても間に合うかぎりぎりなのだから。万が一夕飯に遅れたら祖母である不破美影の雷がおちることは間違いない。恭也にはだだ甘なところがある彼女だが、そういうところには厳しく躾をしているからだ。

 

 帰らなければならない恭也だったが―――それに反するように土手に腰を下ろす。

 夕焼けが辺りを照らす。誰が手入れを行っているかわからないが綺麗に刈られた土手の草。青臭い草の香り。

 

 沈みつつある太陽を見ながら先程の士郎との戦いを思い出す。もうどれほど士郎に戦いを挑んだろう。士郎の太刀筋は見える。見えているが、何度ためしても避けることすらできない。勿論、士郎と己の力量差、修練の差が天と地ほど違うのははっきりわかっている。それでも、勝とうとは考えていない。ただ一太刀でいいのだ。たったの一太刀を回避することができればいいのだ。

 

 自分の見切り。異能に気づいてそれだけを目標にやってきた。その異能に気づいてからたった一年と少しの話ではあるが。幼い恭也があらゆることを捨て、それだけを目標にやってきたのだ。だというのに僅かな進歩さえみられない。果たして自分はこのまま努力を続けて―――士郎に追いつくことができるのだろうか。

 

 そう自問自答するほどの厚き壁。

 それが父―――不破士郎。

 

 恭也は傍に落ちていた小石を拾うと川に向かって投げる。

 ぽちゃんと音をたてて着水する。それを暫く見ていた恭也だったが、沈む気分を無理に奮い立たせ、腰をあげようとして―――。

 

 

「ねぇねぇ。そこの少年。ちょっと聞きたいことあるんだけど、いいかなー?」

 

 

 

 

 

 

 ―――世界が暗く染まった気がした。

 

 

 

 

 

 

「……ぁっ!?」

 

 口から言葉にならない悲鳴があがる。立ち上がろうとして、膝が笑っているのに気づいた。頬が引き攣る。今にもこの場から逃げ出したい。そんな気持ちが心を支配する。

 心臓が跳ねる。知っている。これがなんなのか。知っている筈なのだ。だが、知らない。これほどの感覚を恭也は知らない。意識ごと持って行かれそうになるほどの、圧迫感。別に身体を押さえつけられたわけではない。だが、力以上の何かで身体を押さえつけられる。これは、この感覚は、この感情は―――。

 

 

 

 ―――恐怖。

 

 

 

 間違いなくこれはそう呼ぶのだろう。

 士郎よりも、美影よりも、静馬よりも―――相馬よりも禍々しい。圧倒的、規格外という言葉でも足りないほどの、格や桁どころか次元そのもののが異なっている出鱈目すぎる膨大な重圧。

 

 逃げ出そうとする四肢を、意思の力でねじ伏せ……身体を反転させる。

 声の発した主に向けるように。

 

  

「お、良いねぇ。私の声を聞いて意識を手放さないかー。見込みあるよ、キミ」

 

 

 

 そして―――恐怖を忘れた。

 

 

 恭也の視界に映ったのは現実離れした美貌の持ち主。恭也からすれば見上げる形となるが身長も高い。士郎ほどではないがそれに近いほどには。琴絵や美沙斗などの人並み外れた容姿の持ち主を良く見ているが、目の前に映った女性は―――。

 

 神話の中の女神。

 

 きっとそう表現するしかなかっただろう。髪は烏の濡れ羽色。腰近くまで伸びた艶やかな長い髪のなんと美しいことか。光なき夜の闇―――いや、その闇と比べても女性の髪色はなお暗く深い。芙蓉の顔、柳の眉。若干釣りあがった黒曜石のような煌きを灯す眼が、恭也を鋭く見つめていた。穢れなき雪原を連想させる白い肌。少年少女から年寄りまで男女問わず魅了する、二十を迎えたかどうかという若さの肉体は、楚々としながらも魔性を匂わせる相反する美しさ。常軌を逸したその美麗端麗な容姿は、まさしく立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。陳腐になるがそのような言葉でしか表現できない飛び抜けすぎた絶世の美貌の美女。そんな眩いまでの美しさを放っている女性だが、色気も何もない単純に動きやすを追求した男物の黒い上下の衣服のとその上に同色の外套を羽織っている。そんな人外染みた容姿の女性がそこにいた。

 

 「いやいや、ごめんねー。私って威圧感を無意識に結構だしてるっぽくてさー。怯えちゃう人多いのよねー」

 

 ニカリと女神様に相応しくない笑みを浮かべ、黒髪の女性はポンと恭也の肩を叩く。恐怖を忘れていた恭也だったが、それで我に返った。そんな恭也を再度襲う圧倒的な圧迫感。

 

 怖い。逃げ出したい。今すぐにでも意識を手放したい。

 

 そんな思いが心を占領してもなお、恭也は唇を噛み締め女性を見上げる。彼女はおおっ、と本当に感心した声をあげ、恭也から離れた。その瞳には隠しようがない興味という色を浮かべていることに、余裕のない恭也が気づくことはなかった。

 

「あな、たは……?」

 

 声がかすれはしたが震えなかったことに僅かな満足感を抱き、恭也は訊ねる。

 その恭也の返答に、むふーと何故か嬉しそうに鼻息荒く胸を張った。

 

「私? 私は殺音(あやね)。水無月殺音。自分で言うのもなんだけど、結構な有名人だったりするんだよーう。ちなみに知ってる?」

 

 殺音と名乗った女性は胸を張りながらそう答えた。その質問に対して、首を横に振って答えた恭也に、ありゃっと若干残念そうに肩を落とす。外見とのギャップを感じさせる姿に可愛らしさすら感じるものの―――恭也の感じる悪寒は未だ治まっていない。

 間違いなくこの女性は……笑いながら人を殺せる化け物だ。そんな予感にも似た確信を恭也は得ていた。

 

「ねね。ところでさっきの質問に戻るんだけど、ちょっといい?」

「……俺にわかる、ことであれば」

「お、助かるわー。んとさ、御神って名前の人達を知らない?」

 

 息が詰まった。この女性は、水無月殺音は一体何をしにいこうというのか。

 御神の一族の誰かの知り合いなのか?遊びに来たとでも言うのか……。

 

 いや、違う。そんなわけがない。

 彼女は明らかに―――。

 

「探して、何をする気ですか……?」

「んー。まぁ、どうせすぐわかることだしいいかな。ちょっと皆殺しにするためにいくだけだよ」

 

 あっさりとそう殺音は告げた。恭也にとっては衝撃の発言。それを殺音はあっさりと言い放った。息を吸うかのように自然な様子で。何を馬鹿なと笑い飛ばすことなど出来なかった。何故ならばこの女性は―――水無月殺音は次元が違う。強すぎてもはや感覚が麻痺してくる超越存在だ。人間という枠組みではどうしようもないレベルの化け物だ。どれだけの努力をしようと辿りつけない。そんな世界に住んでいる住人だ。

 

 士郎でも勝てない。美沙斗でも勝てない。一臣でも美影でも琴絵でも―――相馬でも勝てないだろう。この女性に勝てる可能性があるとすれば……あの人(・・・)だけだ。

 

 そう恭也は瞬時に理解した。

 

「知らないのかな? それならそれでいいけどね。他の人たちに聞けばいいだけだし」

 

 黙ってしまった恭也を見て、知らないと判断したのだろうか。

 恭也に背を向け町のほうへと足を向けた。

 

「引き止めて悪かったわねー。子供はもうお家に帰りなさい」

 

 ヒラヒラと手を振りながら去っていく殺音を見て、恭也は内心で安堵のため息をついた。殺音の威圧感からも解放されてバクバクと高鳴っていた心臓を押さえつけるように胸を手で握り締める。

 

 ―――助かった。

 

 それが恭也の本音であった。

 これ以上あの女性を前にしていたら本当に気を失っていたかもしれない。

 幼い恭也では限界ぎりぎりのところであったのだが……。

 

 ―――ま、て?

 

 冷水を浴びせられたように背筋に寒気が走る。

 ガチガチと歯が恐怖で鳴った。

 

 ―――今何を、考えた?

 

 己の感じた感情に吐き気がする。

 なんという愚か者なのだろうか―――不破恭也という人間は。

 先ほど前に理解したはずだ。わかっていたはずだ。

 

 水無月殺音には、御神と不破の誰であろうと勝てない、と。

 その死神が御神の屋敷に向かおうとしているというのに―――安堵したのだ。

 自分の前からいなくなることに対して。屋敷の者達よりも、最愛の家族よりも己の保身を優先した。

 

 そんなことを一瞬でも考えた己を―――許せるものか。

 

「あ、あの……!!」

「うん?」

 

 必死の思いで恭也は死神の歩みを止めるために、引き留めの言葉を発した。

 まさか呼び止められるとは思っていなかったのだろう。水無月殺音は本当に驚いたように恭也へと振り返る。

 

「えーと。うーんと。何か用でもあった?」

「一つ、聞きたいことがあります。何故、御神の人達を、その……皆殺しにいかれるんですか?」

「……んー」

 

 機嫌を害するかと一瞬思った恭也だったが、その心配は杞憂だったようで殺音は言うか言うまいか悩んでいる様子で空を見上げながら口をとがらせる。両腕を組んでリズムを取るようにトントンと地面を足で叩く。暫く迷っていた殺音だったが決心がついたのか、見上げていた視線を恭也へと戻した。

 

「実はねー、私って暗殺業やってるのよ。それで依頼主から御神の一族の壊滅させろって依頼を受けちゃってさー」

「……」

 

 実に気楽に言ってくれる。

 御神の一族は裏の世界では有名どころの話ではない。日本最強に挙げる猛者も少なくはない。遥か昔からそれは変わらない。永全不動八門でも頂点に立つ殺戮一族だというのに……。

 

「お金の、ためですか?」

 

 金のために御神の一族と真正面からぶつかる。

 それはあまりにもリスクが高く―――馬鹿げている話だ。

 まともな人間ならば決して受け入れることがない仕事だろう。だというのに、この死神は平然と依頼だからと言い捨てた。

 

「いやいやー、私自身も前々から結構御神の一族には興味があってねー。個人的に一度殺しあってみたいと思ってたところだったから今回の依頼は渡りに舟だったわけなのよね」

 

 ―――恭也が考えていた以上のイカレタ理由だった。

 

 お金のためでもなく、復讐というわけでもなく―――ただ、殺しあいたい。

 理解できない。理解したくない。理解などできるわけもない、もはや狂人としか思えない殺音の言葉。ただ、殺しあいたいだけというだけで、御神の一族は殺されることになるのだ。

 

「なん、で……そんな理由で……」

「なんで、かー。まぁ、理解できないよねー普通は。理解してもらおうとは思ってないしね」

 

 にへらっとその美しい表情を崩し、恭也の目の前まで歩いてきて、顔を近づけてくる。息が吹きかかるほどの近くで見つめあう二人。普段ならば羞恥ですぐに逃げただろう。この女性ならば恐怖で逃げたかもしれない。だが、この時は恭也は逃げられなかった。ふと、醸し出した殺音の寂しげな雰囲気にのまれていた。

 

「私の無意味無価値な人生で―――生と死をかけたその瞬間だけは、意味があると思える時間だから」

 

 ポンと恭也の頭に手を置くと優しくなでる。

 

「私と同族(・・)じゃ意味がない。それじゃあ、つまらない。楽しくないし面白くもない。生まれついての力に頼っているだけの私とあいつら。ただの化け物同士の潰しあいにしかならないもの。私と人間の(・・・・・)戦いだからこそ(・・・・・・・)―――血が沸き肉が踊る。ただの人間が化け物(わたし)と戦えるという事実だけが私の渇きを潤してくれるから」

 

 一分も撫でていただろうか。殺音は撫でるのをやめ、恭也から顔を離す。

 夕日が差す。殺音の体を真っ赤に染めた。そのせいだろうか。

 先ほどまでは黒かった殺音の瞳が……真紅(・・)に輝いて見えるのは―――。

 

「いつの日かキミは私の渇きを―――潤してくれるかな?」

「……」

 

 はい、とはいえなかった。喉が凍ったかのように言葉を発することを拒否している。その気配、圧力に完全に恭也はこの女性に……水無月殺音にのまれていた。絶対的という言葉でもおさまりきれない。幼き少年は今まで出会ったどの剣士達をも凌駕する究極の生命体をそこに見る。彼方と此方。その差は超絶的なまでの遠さ。自分が彼女の渇きを潤せるのだろうか……答えは出ない。出せれない。出せる筈がなかった。安易な返答は返せれず、殺音もまた、そのような返答は望まないだろう。

 

 ただ、呆然と殺音をみつめるこしかできない恭也。

 殺音はそんな恭也を責めはしなかった。少しだけ寂しそうに笑っただけだった。

 そっか……そう呟いた殺音の言葉が風に消える。

 

 あらゆる人間に、何度聞いてもその答えは決まり切っていた。

 殺音を前にして首を縦にふれた者はいない。

 あまりにも異質な存在がゆえに、相手を理解できない。そして理解して貰えない。

 

 ―――水無月殺音は孤独だったのだ。

 

「何をしてるんだ、破軍?」

「およ?」

 

 破軍と呼ばれた殺音は声のしたほうへと顔を向ける。それにつられるように恭也もその視線を追う。何時の間にか二人のすぐ傍に一人の少女が佇んでいた。殺音と同じような薄く紫がかった黒く長い髪。サイドで結んでツインテールにしている。その髪型は若干子供っぽく見える印象があるが、その少女は背も低く、良いところ百四十あるかどうか程度なため非常に良くにあっていた。

 

「ああ、ごめんねー冥。ちょっと話し込んでたの」

「……仕事の間は武曲とよべ」

「あーそうだった。そうだった。ごめんごめん、冥」

「……もう、いい」

 

 ハァと疲れたようにため息をつく冥と呼ばれた少女。

 いつものことなのか、諦めが早い。心なし、少し疲れているようにも見て取れる。

 

「目的の場所はわかった。というかすぐに教えてもらえたぞ。予想外だが別に隠しているというわけではなかったな。むしろお前を探すほうが時間がかかったくらいだ」

「ありゃ。それは悪かったわねぇ。まぁ、了解了解。さっさといくとしますかねー」

「……これからのことを考えるとお前はもうちょっと緊張感を持つべきだな」

「こんくらいリラックスしてるほーが私には丁度いいのよー」

 

 恭也を置き去りにして二人が歩いて行く。御神の一族が住む屋敷を目指して。殺戮の宴をはじめるために―――。二人の歩みを止めるための方法を頭のなかで幾つも思考するが……足りない。どんな方法でも、手段でも二人をとめることは不可能だ。もはや恭也に打つ手はないかと思われた。それでも一分でも一秒でも彼女たちの足止めをしなければ、という強迫観念染みた想いに押されて二人の背中に言葉にならない何かをぶつけようとした、瞬間。ぞわりっと鳥肌をたてる冷たい風が身体全体を撫で付けた。反射的に後ろを振り返ろうとして、体が固まってしまってそれすらできない。

 

「お、いたいた。破軍の姐さん。もっと目立つとこにいてくれよ」

「探しましたよ、破軍」

 

 目つきの悪い男が、神父服の男が、恭也の両横を通って殺音と冥の背中に平然と声をかける。

 

「本当に困った長ネ」

「まぁ、そういうな。こういう行動こそが破軍あれかし、というものだ」

「……」

 

 細目の男が、二メートルを超える巨漢が苦笑を浮かべながら追随する。それに続くのはマフラーを巻いた女性。コクコクと無言で巨漢の言葉に頷いていた。

 

 

 ああ。なんだ、なんなんだ、この化け物達は(・・・・・・・)。感覚が麻痺してしまった恭也が愕然と、呆然と、二人の背中を追う五人の力量に息を呑む。

 強い。強すぎる。一体どれほどの力の持ち主なのか正確には理解できないが、それでもわかる。後から現れた五人でさえも、その実力はおそらく並みの御神の一族では歯が立つまい。下手をしなくてもその力は御神不破の上位陣でなくば抑えることは不可能であろう。漠然とした予感、直感。だが、恭也はそれが間違っていないことに確信を持っていた。やはり行かせられない。水無月殺音だけでもどうしようもないというのに、さらにそれに加えて六人の怪物達。こんな連中をむざむざと御神の屋敷に行かすことなどできるものか。

 

 

「待って、ください―――」

 

 それだけだ。その台詞だけを気力を引き絞ってなんとか口に出すことが出来た。だが、それを聞いた北斗のメンバーの対応は意外なものであった。足をとめた貪狼が、へぇっと面白そうな玩具をみつけたかのように恭也へと近づいていく。

 

「すげぇな、坊主。破軍を前にして、引きとめようって言葉がでるか。俺たちにしたってそうだ。普通の神経なら関わろうって思う前に、本能が拒否するだろうによ」

「幼いながらその意気やよし。人にしておくには惜しい逸材だ」

 

 そんなことを言いながらじろじろと恭也の身体をあますことなくねめつける。何時の間にか傍によっていた巨門もまたどこか感心したかのように顎を手で擦りながらそう評価していた。

 

「ちっこいネー。こんくらいの子供は男女問わずかわいいヨ」

「その発言少し危なくきこえますよ、廉貞」

 

 ニマニマと不気味に笑う廉貞に、禄存は肩をすくめた。確かに彼の笑顔と台詞は少々危ない人のように聞こえなくもない。誤解だヨー、と否定する廉貞だが、結構あやしい雰囲気を醸し出していた。そんな中、文曲は興味があるのかじっと恭也の顔を見ていたが、特に何も言うことなくぷいっと体を前方へと向けなおす。

 

 そんなガヤガヤと騒ぐ五人の部下たちを見やって、嘆息一つ。パンパンと手を叩いて自分に注意を向けなおせる武曲。

 

「はいはい、そこまで。そこまでだよ。あんまり小さい子供を苛めないの。さっさといくよ」

 

 武曲の呆れを乗せた呼びかけに、はーいと返事をする四人と頷く一人。今度こそ出立しようと歩き出した北斗を再度止める言葉を発しようとして―――その刹那、破軍を除く六人が同時に勢いよく振り返った。今の今まであった日常的な緩みなど一切合財を消して視線鋭く恭也を見た。その様子に疑問を覚える恭也であったが、すぐにその疑問は氷解することとなった。

 

「おい、なに人様の弟子に絡んでやがる」

 

 いや、違う。見ていたのは恭也ではない。その後ろ、北斗の圧力などなにするものぞ、と燃え上がるのは北斗をして警戒させるに値する千万無量の殺意であった。見渡す限りの視界を邪魔するものが全くないこの空間がまるで狭い室内に閉じ込められたと勘違いするほどの閉塞感。幻覚、錯覚、幻影―――そんな言葉が相応しい現象、あまりの圧ゆえに強者たる北斗にすら世界の誤認をさせるに至った。それの発生主が、まるで自分の存在をアピールするかのごとく、足音をたてて恭也の横を通り過ぎその眼前に立ち塞がった。 

 

 士郎よりも背の高い、長身で堂々とした体躯の男性である。シャツの上からでもその肥大化した筋肉は見て取れた。それに反して手入れをしていないのだろうか綺麗な黒髪だというのにぼさぼさだ。顔自体は美形だというのにそれら全てを覆すような、深い闇色の瞳。そして、禍々しい暗さがあった。近寄りがたい、近寄ってはならない凶悪な雰囲気が自然と彼から発せられている。腰には隠すこともしていない二振りの小太刀。恭也はいつかこの人が銃刀法違反で警察に御用になるのでは、と心配していた。

 

 そして―――そこでゆっくりと振り返った殺音の興味、という色が乗った瞳が爛々と輝いていることを恭也は気づく。また、それに気づいたのは武曲も同様であった。チッと軽く舌打ちして嘆息一つ。

 

「いや、絡んですまなかったね。謝るよ。でも特に何もしてないよ、僕たちは」

 

 平然とそう言い切った武曲に頷く北斗のメンバー。それに拍子抜けたのは男性であった。本当か、という意味合いを込めて恭也をちらりと見る。確かに実際に何かされたわけでもなく、むしろ呼び止めたのはこちらのほうだ。無駄に因縁をつけたのは、恭也達とも言えた。

 

「はい。あの人の言うことは本当です。特に何かあったわけではありません、相馬さん(・・・・)

 

 恭也の返答にガシガシと頭をかく男性―――御神相馬。どうやら自分の早合点だったことを理解したのかその表情はどこかばつが悪そうである。そんな相馬の影からヒョコっと顔を出した幼女がいた。恭也よりもさらに小さい、二歳か三歳は年下の女の子。セミロングの黒髪を指でくるくると弄びながらニパっと向日葵を連想させる笑顔を恭也へと向けてきた。

 

「にゃっほー、きょう君。なにやってるのー?」

「別段……何も。(ウタゲ)こそ、また相馬さんの後についていたのか?」

「うん。おとーさまと一緒にいるのは刺激的だからにゃー。とっても面白いのだ」

 

 尋常ならざる怪物たちがいるこの場所で、平然とそう言い切る五歳の幼女。その余裕ともいえる姿に恭也の体から緊張が抜けていく。彼女の姿は言ってしまえば、御神琴絵の生き写し。御神宗家において琴絵二世とも呼ばれているほどに瓜二つであった。もっとも御神相馬と琴絵は姉弟、その血筋の関係上似る理由はあるともいえる。誰彼構わず喧嘩を売ってきた相馬とは正反対で、御神と不破の両家の誰しもに愛想を振りまくため宴の評判は父親とは違って良好だ。本当に親娘なのか怪しまれていることを二人は知らなかった―――ちなみに本当に血の繋がりはあるのだが。

 

「まぁ、悪かったな。俺の勘違いだったようだ」

 

 ここに昔の相馬を知るものがいれば驚いたであろう。かつては触れれば切れるという表現が当てはまるほどに狂暴で手がつけられない凶悪さの塊であった彼だが、数年前に娘の宴が産まれてから少しずつ落ち着き始め、やがて一年ほど前に恭也を弟子にしてからは、もはや別人レベルに変わっていた。もっとも、落ち着いたとはいえ誰かに従うことを嫌う性格ゆえに、御神宗家の長老(・・)たちとは馬が合っていないのが現状だ。もっとも、かつての悪行の数々が負の遺産となって現在の相馬の立場をまずくしているということも理由のひとつとしてあげられる。そんな相馬が素直に誰かに謝罪するなど、まさに青天の霹靂であるといえよう。

 

「ああ、その謝罪受け取るよ。それじゃあ、僕達はこれで―――」

「で、だ。何でお前たちみたいな裏家業の、しかも俺たち同様の最悪の部類に当てはまる連中がこんなところにいるんだよ? なぁ、北斗」

 

 ピシリっと空気が凍った。武曲の台詞を遮って、言い放たれた相馬の問いかけに、今度こそ殺音を除く六人の身体に力がこもる。今にもとびかからんとする五人に対して、右手を出して制止の合図を送ると、武曲は相馬へと一歩近づく。

 

「なんだい、僕たちのことを知っていたの?」

「ふん。当然だ。知らないはずがあるかよ、お前らほどのビッグネームをな。まぁ、俺が知っているのはそっちにいる女……破軍の顔だけだけどな」

 

 うん、わたし?っと自分を指差して、こてんっと顔を傾けて聞きなおす。その姿、大人の女性がするにしては子供っぽいが、それ以上に可愛らしい。

 

「こんな何もない町に観光ってわけじゃないだろ? まぁ、それに何をしに来たかなんて聞かずともわかるってもんだ」

 

 相馬は首をコキコキと鳴らしながら鞘におさめていた二振りの小太刀を抜く。ギラリと夕陽を反射させて、二刀が白銀に輝いた。

 

「臭うぜ、血臭がな。香るぞ、隠し様がない俺たちへの敵意ってやつがな」

 

 ニィと不気味な笑みを浮かべ小太刀を殺音に向ける。一切の手加減もせずに剣気を叩きつけていく。その圧力に、北斗の五人の気配が濃くなっていく。怯んでいる様子は微塵もなく、久方ぶりの強敵との遭遇に意識が鋭利に尖っていくことを自覚していた。残った二人、武曲―――水無月冥もまた油断なく身構える。二刀を扱う剣士、即ち彼もまた標的となる御神の一族に間違いなく、そして最初に出会ったにしてはあまりの力量に此度の依頼の難易度の高さについて改めて眉尻を寄せた。対して殺音は―――相馬への興味を隠さずに満面の笑みをもって見返していた。

 

「恭也、悪いが宴を頼んだぞ。できればここから離れてとっとと屋敷に戻っとけ」

 

 追い払うかのような相馬の発言に、宴は驚き、恭也はさもあらんと頷いた。

 如何に御神最強の称号に近い相馬といえど、二人を庇いながらこの場の七人と渡り合うなど不可能だ。万が一人質にされたら詰む以上、子供たちを逃がすことを優先した彼の行動は実際に正しい。

 

「わっはっは。凄い、凄いねー貴方。七十点級はあるぜぇい」

「―――なっ」

 

 殺音の何気ない、だが楽しげな台詞に訝しげに視線を彼女に向けなおした相馬を嘲笑うかの如く、瞬きをした瞬間―――視界から突如として姿は消えていた。相馬は背中に氷柱をぶちこまれたかのような悪寒を感じ、即座に前方に転がる。転がり、体勢を立て直すとともに後方に小太刀をふった。

 

 手ごたえはない。あったのは空を斬っただけの感触。追撃は無く、何時の間に背後に回ったのか先程まで相馬が立っていた場所で拳を突き出していた殺音の姿があった。

 

「うひゃぁー!? 今のを避けるかー。ちょっと興奮してきたよ」

 

 クフフと不気味に笑って両の拳を握り、パキパキと指を鳴らす。

 その余裕の様子に相馬が不服そうに舌打ちと深い呼吸を一度。

 

「そうか。それはよかった―――ならばそのまま、死ね」

 

 地面が爆発した。相馬の凄まじい脚力が生み出した超加速。一拍もおかずに、殺音の懐へと入り込み、小太刀を振り上げた。左脇腹から切り裂くように、斜め上へと。

 

 ―――殺った!! 

 

 相馬の確信にも似た予感。

 間違いなくこの一撃は、この女を斬る。

 

「―――だめ、だ!!」 

 

 反射的にあげた恭也の声にビクリと相馬の身体が震えた。何が駄目なのか、と思う間もなく、本能がそれに気づく。殺音の視線が相馬の小太刀を追っていたのだから。それに合わせる様に殺音の右手がぶれる。

 

「ぅぉおおおおおおお!!」

 

 刀を振ることを諦めて、無理矢理に地面を蹴りつけ後方へ飛ぶ。無様な格好となってしまったが、死ぬよりはマシだと思いつつ、殺音から距離を取る。牽制するように、小太刀を殺音に向けたまま、僅かな対峙で乱れた呼吸を整えた。

 

「ナイス判断だーねぇ!! もし刀を振り切っていたら―――死んでたよ?」

 

 相馬の行動を褒めるように殺音はパチパチと手を叩く。出来のよい生徒を褒めるが如く、初めて歩くことが出来たわが子を褒めるが如く。その余裕の様子に相馬の顔つきが険しくなっていく。だが、熱くなってどうにかなる相手ではないことは明らかで、改めて冷静になって、殺音の全身を油断なく見渡す。

 

「噂通り、いや噂以上……はっ、噂が可愛く思えるレベルかよ」

 

 自分が聞いていた話のほうが随分と可愛らしい。実物はなんということもない、破軍は相馬の想像を遥かに超えた化け物であった。多くの暗殺業に手を染めてきたがこれほどまでに底が見えない相手に彼とて会ったことは数少ない。

 

 御神の亡霊。不滅の百鬼夜行。魔導を極めた王。未来を見通す魔眼を持つ者。

 これまで出会ってきた中でとびっきりの化け物達を確認した相馬だったが……ふと気づく。

 

「……なんだ、結構いるじゃねーか」

 

 反射的にそう呟いてしまった。てっきり誰も考え付かないと思っただけに、四人もいることに逆の意味で驚く。だが、裏を返せば……その四人に匹敵する化け物だということだ。かつて手痛い敗北をこの身に刻んだ闇なる一族の頂点どもと同格ということを認めねばならない。手加減など一切できない。必要ない。即ち全力を持って、殺しきる。

 

「……」

 

 無言のままの相馬から立ち昇るのはさらなる高みを見せ付ける剣気。深く息をつき、深く息を吸う。その甚大な気配に、北斗達は驚愕の一言。これまで戦ってきた中で間違いなく最上位。殺音だからこそなんともないような戦いを演じていられるが、もしもあそこに立っているのが自分であるならば果たしてどうなるか。そんな感想を抱きつつ、二人の戦いを黙って見届ける。

 

 そして恭也も気づいた。相馬の気配の昂ぶり、集中力。それはある技の前触れでもある。相馬が出そうとしているのは―――御神流奥義之歩法神速(しんそく)

 

 時を止める(・・・・・)

 

 そうとも伝承される、人間の限界を超えた動きを可能とする奥の手だ。文字通り必殺を可能とする、御神の究極。

 

 何をするのかと興味深げに相馬を窺っている殺音。相馬の雰囲気で、何か大技を狙っていることくらいわかっているはずだが、邪魔をしようとしない。逆に相馬が何を出すのか愉しみにしている様子さえある。

 

「―――馬鹿が」

 

 それをスイッチとして世界が切り替わる。たっぷりと溜め込んだ感情と力の解放。極限に高められた集中力と完全な五体支配により、世界がモノクロに変化した。相馬の五感が一切余分なものを排除した結果だ。全身が重くなったような違和感を残し、ゼリ―状になった空気をかきわけるように走る。御神を最強たらしめている理由の一つ、神速を使った相馬が世界を疾駆した。

 

「……ああ、なんだぁ。その程度、か」

 

 声が聞こえた。

 聞こえるはずの無い声が。

 

 相馬の目が驚愕で開かれた。有り得ないものを見たかのように、信じられないものを見たかのように。心底がっかりした表情の殺音は自分に迫ってきた小太刀を、それ以上の速度で横から殴りつけ軌道を逸らし―――カウンターで相馬の腹部を叩きつけるように殴り飛ばした。

 

「……っぁ!?」

 

 ごろごろと地面を転がり、恭也のもとにまで殴り飛ばされた相馬を見て、愕然とする。この化け物(あやね)に対して神速ならば……という淡い期待があった。その希望を一瞬で叩き壊したのだ。あっさりと。事も無げに。当たり前のように。やはり恭也の予感は正しかったのだ―――水無月殺音は次元が違う。

 

「ぐぅ……くそっ……がっ」

 

 意識までは奪われなかったのか、相馬は震える身体をおして立とうとするが、殺音の一撃は相当に重かったようで立ち上がることにすら苦労している。ゴホっと咳をした瞬間、赤黒い血が地面を彩った。

 

「おとーさま!?」

 

 普段から飄々としている宴が顔色を変え、跪いている相馬へと駆け寄った。常に絶対の強者であった父親の初めて敗北する姿に我が目を疑う彼女は歳相応に見える。自分に抱きついてくる娘を背中へと押しやり、未だ立ち上がることは出来ずともその眼光は人を殺せるほどに鋭く強い。

 

 二人の戦いの結果を見て、恭也もまた言葉もなかった。

 あの相馬が。御神相馬が―――これほどまでにあっさりと。完全完璧な敗北を目の前で見せられた。

 

「むぃー。まぁ、七十点はちょっとキツメな評価だったかなぁ。うん、そうだね。七十五点をあげちゃうよー」

 

 相馬には興味をなくしたようにゆっくりと殺音は近づいてくる。

 ざっざっと地面を踏む音が死神が這い寄る音に聞こえて鳥肌が立つ。

 

 死ぬ。殺される。

 あの相馬でさえも歯牙にもかけぬ圧倒的な力。しかも全くといっていいほどに本気を出さずに。これでは恐らく、他の誰もが勝てないだろう。複数でかかっても一緒だ。そういったレベルではないのだから。すでに戦っている土俵が違っている。

 

 あの人(・・・)がでれば或いは勝てるかもしれない。

 だが、それまでに確実に何人かは―――死ぬ。何人かで済むかはわからない。もしかしたら数十人、百人以上にのぼるかもしれない。御神の屋敷に住むのは何も全員が武を嗜んでいるわけではない。ただの一般人と変わらない使用人も多い。そういった人たちも巻き込まれるだろう。

 

 誰よりも尊敬する父の士郎が殺される。誰よりも暖かかった静馬が殺される。誰よりも優しかった美沙斗が殺される。誰よりも厳しくも可愛がってくれた美影が殺される。誰よりも恭也の才能を買ってくれていた師匠の相馬が殺される。自分を兄と慕う美由希が殺される。天真爛漫で笑顔をを向けてくれた宴が殺される。

 

 

 そして―――誰よりも愛情をそそいでくれた琴絵が殺される。

 ミンナ死ぬシヌしぬ死ぬシヌしぬ死ぬシヌシヌシヌ―――コロサレル。

 

 ブチリと恭也は自分の奥底で何かが千切れるのを感じた。

 人として大切な何か。それを捨ててでも皆を護りたい。どれだけの艱難辛苦が訪れようとも。如何なる試練も乗り越えて見せよう。

 

 誰よりも大切な皆が殺される。そんなことは―――。

 

 ―――認めない。認めるものか。認めてやるものか。

 

 折れそうだった心は蘇った。不破恭也としての心は決して折れなかった。

 恭也の心は―――琴絵の心配を不要とするほどの不屈の魂が宿っていた。 

 

 ―――覚悟を決めろ。不破恭也。相手を恐れるな。失敗したところで、ただ死ぬだけだ。愛する者達を失って無様に行き続けるだけの人生を送るより遥かにましじゃないか。

 

「水無月殺音、さん―――提案があります」

 

 今の今まで感じていた重圧、恐怖、圧力全てが消失した。普段よりもなお気楽に、自然と言葉が口からでていた。殺音が放つ威圧感は衰えるどころか増しているというのに、震えも無く、怯えもない……普段通りの不破恭也がそこにいた。

 

「……ほ、ほぇ?」

 

 あまりに突然に問い掛けられた殺音が、おもわずどもりながら返事を返す。絶対強者にそんな反応をさせたことに少しだけ満足して言葉を続ける。

 

「御神の一族から……手を引いてください」

「……うーん。いやーちょっと無理かなー。一応依頼受けちゃってるしー。それにそこにいる剣士さんよりも強い人いるかもしれないしねー。おねーさんは燃えちゃってるんだよぅ」

「ここにいる相馬さんが、御神最強の剣士といっても過言ではないです。この人以上に強い剣士は、御神にはいません」

「にゃ、にゃにぃいー!?」

 

 失望感たっぷりの殺音ががくりと肩を落とす。恭也はあえて相馬を御神最強と言った。人によっては静馬や士郎、琴絵をあげるだろうが、あえて相馬を最強と推して、殺音のやるきを削がすためだ。実際に恭也自身、一対一で本気でやりあえば相馬が勝ち残ると思っている。息子としては親の士郎を推したいところだが、それほどまでに相馬は強い。もっとも―――あの人(・・・)のことは黙っておく。

 

「でも、貴女は戦いたいのでしょう……だからこその提案です」

「む、むぅ?」

 

 恭也の先へと繋がる言葉が予想できずに首を捻る。

 一体何を提案とするのだろうか……その場にいる人間はみなそう思った。恭也はそんな人達の考えの遥か上をいく。

 

「……俺が貴女と戦います(・・・・・・・・・)。貴女の渇きを、餓えを満たしましょう」

「……ええっと。笑うところ?」

「冗談じゃありません。もちろん今の俺が貴女を満足させることはできません。だけど―――」

 

 口の中が乾く。

 緊張で舌がうまく回らない。

 それでも必死となって言葉を紡ぐ。

 

「何時か必ず貴女の餓えを、渇きを満足させることを―――誓います。この俺が、必ず」

「……」

 

 恭也の告白に、両目を隠すように手を当て、深いため息をついた。沈黙が訪れる。肺を直接握りしめられたかのような息苦しさ。周囲に響くのは相馬の荒い呼吸音。いつの間にか虫の音も聞こえなくなっていた。

 

「―――ほざくなよ(・・・・・)少年(・・)

 

 顔を押さえて開いた指の隙間から真紅に染まった瞳が―――獣のように縦に裂けた凶気に彩られた眼光が恭也を貫いた。それとともに世界が闇に染まった。そう錯覚するほどに強大で巨大な殺気が迸る。言葉にならない。言葉では語りつくせぬ、異様なまでの瘴気。今までの殺音とはまるで別人。お遊びだったと言われても納得するほどに、凶悪な気配を醸し出す。これはなんだ。ああ、これは一体なんなのだ。一体この生物は、なんなのか。この化け物こそが、頂点だ。あらゆる人外で構成される夜の一族のなかの至強の頂点。最強の名を関する九体の存在すらも脅かす、化け物の女王。

 

 

「……なんだ、こいつは!? あの、化け物どもに比肩……いや、超えてやがる!!」

 

 相馬の声が震えた。

 今まで見てきたどの化け物達よりも、明らかに一線を超越していた。ただの気配が物理的な重圧をもってその場にいた全員にのしかかる。

 傷ついた相馬は呼吸はさらに乱れ、宴の表情から色が失われその場に尻餅をつく。冥を含む北斗でさえも、こんな殺音の姿を見ることは久しくて、全員が言葉を失っていた。

 

 だが、恭也だけは違った。

 顔を青白くさせ、全身を震えさせながらも、真っ直ぐと殺音を睨み返している。

 

 それを見た殺音は軽く拳をふるった。その拳は神速の域をもって恭也の顔に迫り―――そのまま打ち抜いた。殺音の拳は力を入れたように見えないというのに恭也の頭蓋を叩き割り、脳髄が飛び散る。膝から力をなくし、他の人間を見習うかのように地面につき、身体が大地へと倒れ付した。それを何故か冷静に見ている自分が居た。すでに頭は元の形を一片たりとも残していないというのに―――。

 

「っ……」

 

 ぺたりと反射的に片手で顔を触る。

 ぺたぺたとした触感。砕かれたはずの顔は普段通りそのままに存在した。そして恭也の目の前には寸止めされていた殺音の拳。当たっていなかったのだ。だというのにあのあまりにリアルな死の光景は一体何だったというのか……。

 

 ―――さっ、き?

 

 唾を飲み込もうとして……唾液もでないほどに乾ききった口内。

 覚悟を決めていたとしても緊張は隠せなかった。

 

 恐ろしいほどに凝縮され、恭也に向かって放たれた殺気は、寸止めされたにも関わらず恭也に死のビジョンを伝えてきた。呼吸が荒くなる。恐ろしい。本当に恐ろしい。この女性は、息を吐くかのように自分を殺せる。それを再認識した途端とてつもない恐怖が押し寄せてきた。

 

 ―――死ぬことを恐れているわけではない。このまま何も残せず、何も成さず、殺されることが、何よりも怖い。

 

「俺を、侮るな!! 水無月殺音!!」

 

 ビリっと空気がさらなる緊張によって震えた。殺音の殺気に怯えていた世界が、そこに無理矢理に割って入ってきた恭也に注目してきたような錯覚さえ覚えた。一歩殺音に向かって足を進ませる。眼前にあった拳が額に近づく。

 

「……今更、今更命など惜しむはずがないだろう!! 貴女の先程の問いにこう答えよう―――他の誰でもない、俺こそが貴女の望みを叶えよう!!」

 

 さらに一歩進む。

 ゴツンと殺音の拳が額に当たった。だが、視線だけは殺音と交差したままだ。

 

「誰よりも、何よりも強くなってやる!! 俺は、俺の命を、魂を、全てを犠牲にしてでも―――あんたの飢えを満たす男になってやるっ!! それこそが、俺が掲げる確固たる信念!! 揺ぎ無い意思!!」

 

 さらに一歩進む。

 気圧されたように殺音が一歩下がった。

 爛々と輝く真紅の瞳が揺れている。その瞳に映すは―――不破恭也。

 

「それが俺の答えだ!! 返答は如何に!?」

 

 静寂。

 恭也の宣誓に誰も彼もがのまれていた。

 たかが一桁の少年に。この場で誰よりも弱い少年に。

 

 風が吹く。夕日が落ちる。 

 一分。二分と時が過ぎさる。緊張だけが世界を満たし―――そして。

 

 水無月殺音は何の言葉もなく、説明もなく、恭也を抱きしめた。強く強く抱きしめた。本当に嬉しそうに、幸せそうに、笑いながら恭也を抱きしめながら、くるくると回り始める。

 

「すごいなぁ、キミは!! 私にここまで啖呵をきったのは―――キミが初めてだよ。私の殺気に晒されて、私の狂気にのまれて、私の全てを受け止めて、そこまで言えたキミは本当に凄い!!」

「む、むぐぅ……」

 

 顔が丁度胸の位置に埋もれてしまっているせいか息苦しい恭也。

 ある意味幸せな苦しさなのだが。

 

「すごいよぉ、本当に凄い凄い!! ほんとうだよぉー!! あはははー!! あははははは!!」

 

 壊れたロボットのように笑い続ける殺音。どれほど笑い続けただろうか。他の人間が呆気に取られている間は随分と長かった。我に返っても狂笑ともいえる状態の殺音に声をかけることはできなかった。

 

 ようやく満足したのか……恭也を引き離し地面にゆっくりとおろす。

 そして、恭也から離れ不気味な笑みを浮かべたまま語りかける。

 

「御神の一族からは手を引くよー。キミが約束を守ってくれるその日を愉しみにして。人類最強(・・・・)にはなってくれるよね?」    

「無論。貴女の渇きを癒すんだ―――世界最強(・・・・)くらいにはなってみせよう」

「あぁ。あぁ。うん、凄い。最高の答えだ(・・・・・・)。ああ、ごめんね。キミの名前を教えてくれるかな?」

「恭也。不破恭也」

「きょうや。恭也……不破恭也!! うん―――良い名前だ。格好いいよ。キミらしい名前だねぇ」

 

 先程とは異なる天使のような―――女神のような笑顔。それを残し背を向け、町から離れる方角へ向かって歩み始める。慌てたのがそれをみていた冥だろう。依頼を放置していきなり帰ろうとしているのだから。

 

「ちょ、ちょっと待て、殺音!? お前、依頼はどうする気だ……!?」

「ん? 仕事中は破軍ってよぶんじゃなかったのー?」

「う……そ、それはおいといてだな……破格の報酬なんだぞ、今回は」

「まーいいんじゃない?お金には困ってないでしょ」

「……馬鹿か!! そうではなくてだな―――」

「私がやらない、って言ってるのよー?理解してる、マイシスター?」

「……」

 

 しつこく食い下がってくる冥の頭を手で押さえて少しだけ冷たい視線を送る。向けられた本人にしか分からないほどの威圧。それに口をつむるしかできない。そしてそんな決して退こうとしない殺音に仕方ないか、とも考えた。むしろ元が怪しい依頼だ。断ったとしても特に問題はないか、と判断して今回の依頼はここまでだ、という意味合いの視線を残った北斗五人に向ける。自由勝手極まりない長の行動だが、意外と北斗のメンバーは全員が諦めたかのように頷くと去っていく殺音の後を追う。その途中、くるりっと彼女が振り返る。

 

「にしっしー。愛してるぜー、きょーやぁぁあ!!」

「……」

 

 なんと返事をしていいのか分からず取りあえず頷いておく。両手をぶんぶんと振りながら殺音はそのまま彼方へと姿を消していった。慌てて後を追っていく北斗のメンバーだったが、貪狼がふと恭也のすぐそばで足をとめた。恭也は訝しげに横にたった貪狼を見上げると同時に、強く頭を撫で回される。 

 

「尊敬するぜ、坊主。たいしたもんだよ、お前」

 

 次いでトンっと胸を軽く叩くのは恭也の倍の背丈はある巨門であった。

 

「お前の覚悟、意志。直視できぬほどに眩いな。期待しているぞ、少年」

 

 どこか不機嫌そうに眉を顰める禄存が十字を切る。

 

「あんな破軍は初めてみました。悔しいですが、感謝します」

 

 細目を珍しく見開いた廉貞がパンっと恭也の背中を叩いた。

 

「強くなるヨ、お前はネ。その心をわすれなかったらネ」

 

 そして、文曲がじっと恭也を見つめて頷いた。

 

「……」

 

 いや、何か声をかけてやれよ―――と思わず突っ込んだ貪狼に、何か感じるものがあったのかしばらく考え込んで。

 

「……頑張れ」

 

 やけに甲高い、いわゆるアニメ調の声色でそう文曲は短くそれだけを言い残した。それぞれ一言ずつ声をかけていった北斗の五人。残ったのは武曲、水無月冥ただ一人。

 

「……禄存の台詞じゃないけどあんなに嬉しそうな姉を初めてみたよ」

 

 今は見えなくなった水無月殺音の姿を遠い目で追いながら、冥はどこか疲れた表情を浮かべた。それはとてつもなく長い年月を生きた人間の姿にも重なった。

 

「見事だよ、少年。僕はキミの全てに畏敬の念すら覚えるよ。あの殺音に、あそこまでのことを言い切った。僕や北斗の連中でも出来なかったことだ。出来ないことだ」

 

 空虚で乾いた言葉が冥の口から漏れ出てくる。

 

「幼いキミにその重荷を負わせることになった。謝罪してもしきれない。本当にすまない。だが……ありがとう」

 

 彼女は躊躇いもなく恭也に向かって頭を下げた。十秒近くもたっただろうか、ようやく頭を上げた冥は、ふっと薄く笑う。

 

「強くあれ、少年。強くなれ、不破恭也。いつか再開する日を夢見て、あいつはいつまでもキミを待っている」

 

 もちろん、僕もね。そういい残して水無月冥もまた姿を消した。

 北斗がいなくなって一分ほどたって、一気に疲労が押し寄せてくる。恭也はがくりと、地面に両膝をつくが―――あまりの精神的疲労で結局地面に横になった。冷たくて気持ちいい。このまま眠ったらどれだけ幸せだろうか。

 

 昨日までの恭也だったらこのまま眠っていたかもしれない。

 だが、今は違う。約束がある。殺音との―――決して違えてはならぬ盟約がある。一分一秒さえも今は惜しい。四肢に力を入れて、立ち上がる。その時、ぽんと頭に手が置かれた。

 

「……本気か、お前?」

 

 相馬が珍しくもどこか心配した声色で聞いてくる。殺音に殴られたダメージはどこにいったのか。単純に我慢しているのか、回復したのか。この人もまたとんでもない化け物だ、と再認識しながらじっと相馬の顔を見つめた。

 

「本気で、あの化け物と戦う気か」

「……勿論です」

「頑固なガキってのは知ってるけどな。。俺が何を言ったとしても無駄だろうが……一応言っとく」

 

 ガリガリと頭をかく相馬。

 

「やめておけ。ろくなことにはならん。お前では―――いや、()では届かん」

「―――届かせます」

「……死ぬよりも辛いことになるかもしれん。お前は、どこまでやるきだ?」

「―――無論、この命尽きるまで」

 

 そうか、と呟きを残し、恭也の頭から手をはなす。

 御神の屋敷がある方向へと帰っていく。その途中で足を止め、空を見上げた。

 

「……最近は御神の爺どもに仕事をほされていてな。わりかし手があいている」

「はい」

「いつでも来い。俺の全てをお前にくれてやる」

「……有難うございます」

 

 照れているのだろうか。それだけ言うと相馬はさっさと恭也から離れていく。その後を追っていく宴が手を振っていた。相変わらず対照的すぎる親子だと恭也はふとおもったが、それよりも殺音に殴られた怪我を感じさせないのがやはりとんでもない人である。そんな相馬に続くように恭也も歩み始める。

 

 ―――強くなろう。誰よりも何よりも。ただ、強く―――

 

 そう決意を新たにした恭也は拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 その恭也を見つめる一つの視線。

 誰もが気づかなかった。恭也はもちろん、相馬も―――殺音でさえもその気配に。

 

 恭也から随分と遠く離れた場所。そこに彼女がいた。

 女性自身が光を放っているのではないかと思うほどの美貌。殺音を女神とするならばこちらは天使だろう。輝き渡るプラチナブロンドが背にまで伸びている。顔には若干のあどけなさが残っていた。女性と少女。どちらで表現すればいいのか悩む容姿だが、少女とよばれるようなか弱さなど微塵もない。片目を瞑り、あいている片目だけで恭也を見つめていた。だが。ああ、だが……この女性は駄目だった。関わりあいになっては駄目な領域の住人であった。関わるな、近づくな。これは災害だ。これは天変地異だ。全てを無茶苦茶に、台無しにする生きる天災だ。人間、夜の一族、そんなもの関係なく凶がりに凶がった最悪そのものであった。

 

「廻る廻る。世界は廻る」

 

 そんな女性が朗々と言葉を紡ぐ。美しいソプラノの美声。

 

「巡る。巡る。世界は巡る」

 

 遠く離れた恭也に語りかけるように。

 

「今生の貴方に会えて私は幸せです。貴方と再び会えるときを愉しみにしてますよ……少年」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これより二ヵ月後。相馬は御神宗家を追放されることとなる。

 

 そして、さらに三ヵ月後―――御神の屋敷は爆破され一族は潰えることになった。生き残ったのは僅か四人。不破士郎。御神美沙斗。御神美由希。そして―――不破恭也。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……殺音。悪い知らせがある」

「んにー?」

 

 北斗が拠点としている人里はなれた山奥にある館。

 その一室の自分の部屋の椅子に座り、テレビを見ていた殺音が冥に気の抜けた返事を返す。

 

「どうしたのさ? 生活費がなくなったとか?」

「……お前にとってはそっちのほうがいいだろうね。僕としてはごめんだが……いや、僕としてもそちらのほうがよかったか」

 

 どこか苛立たしげで、深刻そうな様子の冥に殺音がちゃかす。

 それにたいして律儀に真面目に返答する冥。

 

「……お前が御執心だった、不破恭也。あの少年だが……死んだぞ」

「……え?」

「先日御神の屋敷が爆破されたらしくてね。生存者は―――いなかったらしい」

「あ、そう」

 

 冥の発言に興味をなくしたようにテレビを見直す殺音。

 あれだけ執心していた恭也が死んだというのにあまりにあっさりとした殺音に、逆に冥が驚きを隠せない。

 

「意外だな……てっきり怒り狂うかとおもったんだけど……」

「んー。だって生きてるって分かってるしね」

「え? いや、でも御神不破両家の生き残りは誰もいないらしい……が」

「だって私と約束したんだしぃー。そんな簡単に死ぬわけないじゃない?」

「……なんだその根拠のない自信は」

 

 はぁ……とため息をついて冥は部屋から去っていく。彼女とてあの勇気溢れる子供が亡くなった事をなんとも思っていないわけではない。むしろ、心のどこかがズキズキと痛んでいる。そんな冥を無視して殺音はテレビに熱中する。だが、冥は気づかなかった。殺音の手が震えていたことに。

 

 震える片手を力いっぱい目の前にあったテーブルに叩きつける。

 何かが砕き折れる音が部屋に響き渡り、粉々になったテーブルが部屋に転がっていた。

 

「生きてる……生きてるって信じなきゃ、やってられないでしょう……」

 

 物悲しい殺音の声が、虚しく消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 それから十余年の月日が流れ―――物語の幕が開く。

 

 

 

 

 

 

  

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