御神と不破   作:しるうぃっしゅ

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1章:出会い編
第3話:高町恭也と高町美由希


 

 

「九百九十六……九百九十七……九百九十八……!!」

 

 さらさらと気持ちいい風が吹く。近くには川が流れているのか水の音が聞こえる。

 風に吹かれた木々が、ザワザワと葉がこすれあう音を響かせていた。

 

 人が滅多に近寄らないとされる巨大な山々が連なる日本でも辺境の地。その山々のなかでも霊山ともされる場所の麓で一人の女性が一心不乱に木刀を振っていた。

 長い黒髪を後ろで三つ編みにしていて、容姿は可愛らしい。化粧ッ気がないが、元が余程いいのだろう。どことなく目をひきつけるものがある。薄く白いシャツが汗に濡れ、下着が透けて見えるが本人は全く気にしていないようだ。本人がきづいてないだけかもしれないが。

 

「九百九十九……千!!」

 

 一切の休みなく木刀を振っていたのだろうに、最後の千回目まで姿勢を崩すことなかったその少女は、様々な意味で美しかった。武に生きているものならば目を離せないような、そんな鬼気迫る様子も感じ取れただろう。

 

 ふぅ、とたいして乱れていない呼吸を整えるように息をつく。

 華奢に見える見掛けとは裏腹に恐ろしいほどの体力があるのだろう。腕の甲で汗を拭う。勿論それだけで汗をふき取れるはずもなく、近くの木の枝にかけてあったタオルを手に取った。

 

 そのままタオルで汗をぬぐいながら近くに流れる川の方へと向かうと一分も歩かないうちに透き通った水が流れる川をみつけ、そこで両手で水を掬い顔を洗う。

 

 都会ではお目にかかれない底まで見える美しい水におもわずため息が出る。毎年ここで合宿を行っているが、この川と周囲に広がる森だけは変わらない。

 

 季節は四月。冬も終わり、春を迎えてはいるが流石に山奥であるここはまだ肌寒さが残っていた。特に朝と夜は、気を抜くと風邪をひいてしまうほどの気温である。シャツを替えないといけないかなーと考えている少女だったが、ビクリと身体を硬くした。

 

「……気を抜いたな」

「ぅぅ……面目ありません……」

 

 振り返ることを許さない硬い声が少女の後ろから聞こえた。気づかぬ間に、一人の青年が少女の背後から首筋に手刀を添えていたのだ。ただの青年にしか見えないが、見る人が見ればそうでないことは分かるだろう。

 無駄なく締まりきった身体。身のこなしに隙はなく、纏う気配に険しさはない。短く切られた黒髪に、それが似合う精悍な顔つき。或いはただの青年にしか見られないかもしれない。少し腕が立つ程度の若造と侮られるかもしれない。

 だが、少女は知っている。この青年が―――世界最強に最も近い剣士であることを。誰よりも知っていて、誰よりも信じていた。

 

 僅かな気配を感じ取られることもなく、足音もなく、己の背後にまわられたことにため息をつきつつ少女は両手をあげ降参の意を示す。

 青年はそれ以上は何も言わず、少女から離れ森の方へと戻っていく。少女は鍛錬が終わった直後であったが気を抜いていたことを指摘され罰が悪そうに青年に続いた。

 

「……わっぷ」

 

 その時、ばさっと少女の顔に布がかかった。

 青年が何時の間にか少女に向かって投げていたらしい。それを広げてみると、少女の着替えだった。気を利かせて持ってきてくれたのだろう。何も言わない青年の優しさに、少女は着替えを胸に抱き、嬉しそうに笑った。

 

「ん、有難うね……きょーちゃん!!」

「夕飯にするぞ。着替えたらテントに戻って来い……それと肩は冷やすなよ、美由希」

 

 永全不動八門一派が一つ。御神真刀流小太刀二刀術―――御神流の残り僅かとなった使い手。それがこの二人の兄妹。高町恭也と高町美由希である。

 

 恭也は今年高校三年にあがり、美由希は中学を卒業し高校一年になる歳なのだが、毎年恒例ともいえる二人で行う春合宿を春休みの間を利用して彼らが住む都市海鳴から随離れたこの山にきたのだ。普通の人が聞いたら驚くのだが……美由希を指導しているのは何を隠そう恭也なのである。

 

 歳は十八。そんな年齢で人を指導するなど無理だと思われるかもしれない。

 しかし、恭也は見事なまでに美由希を育てていた。その強さは筆舌に尽くしがたく、彼らの知り合いである空手家の評価は、お前ら二人は人間をやめてるな、だそうである。

 

 美由希は受け取った服に着替えるためにシャツを脱ごうとして―――ちらりと恭也が去っていった方角を横目で見る。視界にはすでに恭也の姿はなく、揺れる木々が映されるばかりだ。

 全く異性として意識されていないことに、深くため息をつく美由希。最近大きく成長してきた二つの膨らみを見て再びため息。あまり大きくなるのも戦いの邪魔になるため困るためだ。もしこの考えを言葉に出したら、高町家にいる犬猿の仲ではあるが、仲がいいという矛盾の間柄の二人の居候少女がタッグを組んで襲い掛かってくるのは明らかだ。そんな考えの美由希だが、一応は年頃の少女。本音は胸が膨らんできて嬉しかったりする。

 

 着替え終わった美由希は、キャンプ地としている場所に向かう。

 緑豊かな世界。鳥の鳴き声が聞こえる。頭上を見上げれば赤く燃えていた。

 既に夕方の時刻。太陽は地平線の彼方から没しようとしている。穏やかな風が汗ばんでいる身体を心地よく撫でていく。

 

 獣道―――というほどではないが、美由希と恭也が歩くだけの道―――には草花が生い茂り、木々の合間を時折リス等の小動物がかけていく。平穏そのものの情景である。ゆっくりと恭也の後を追い、木々が開けた場所に出た。

 

 広がった空間。そこにはテントと石で囲った焚き木。

 薪を適度に入れながら、鍋を蒸かしている。その周囲には木を削った串を刺した魚が数匹炙られていた。

 

 美由希の鍛錬中に得意の釣りで釣っていたのだろう。それに対して美由希は釣りが得意というわけではないので、かつては魚を捕まえるのが苦手だった。その旨を恭也に愚痴ったこともあったが、その返事は美由希の考えの遥か右斜め上をいくものであったのが懐かしい。

 

 ―――釣れないのなら、掴め。

 

 何を言っているんだ、この人は……という表情をしたのが悪かったのだろう。即座にデコピンを喰らってしまい悶絶してしまった。

 できるわけがないという美由希の意見を聞いた恭也は手本としてあっさりと泳いでいる魚十数匹を素手で掴み取ったのだ。あの時は思わず口をあんぐりとあけて、反応ができなかったのだが―――恭也の、魚の気配を読め、という教えを自分なりに噛み砕き理解した。あれから数年……今でも釣りが苦手な美由希であったが、魚を掴み取るのは得意となっている。

 

 御飯は恭也の当番のため、美由希は近くの石に腰掛けてぼぅっとしながら出来るのを待つ。というか御飯を作る担当はほぼ全てが恭也だといってもいい。

 その理由は単純明快。恭也が美由希に料理をさせようとしないからだ。美由希としてはやはり好きな相手には手料理を振舞いたいという願望もある。そのため何度か料理をかってでようとするのだが、何故か凄く可哀相な人を見る目で見られて優しげに断られるのだ。

 一度無理矢理作ろうとした事があったが―――背中に衝撃がはしり暗転。目を覚ましたら、御飯ができていた。恭也曰く……これはお前が作った物だ。在り難く戴こう。

 質問しようとしたが、その時の恭也の顔が怖くて追及はできなかった過去がある。

 

 とりあえず食器の準備をして、料理ができるのを待っていた美由希だったが御飯と魚以外に珍しく肉のような物も用意されていることに気づく。この山は野生動物が豊富で、時々ウサギや鳥を捕まえているのだが今回はどうやらそれらとは異なるようだ。傍にいてあった水筒から木でできたコップに水を注ぎ、ながら口に含みながら聞いてみる。 

 

「あれ?きょーちゃん。何か動物捕まえたの?」

「ああ。お前が素振りをしている最中に熊が出たのでな。狩っておいた」

「ぶふぁっ!?」

 

 思いっきり噴出した。

 すぐ前にいた恭也は背後からだというのにその霧状となった水を横に軽く動いてかわす。そして何事も無かったのように調理を再開する。

   

「ごほっ……ごほっ……熊!?熊がでるの、この山!?」

「冗談に決まっているだろう?確かにここらは動物は多いが流石に熊がでたことはない」

「だ、だよね―――あはは」

 

 乾いた笑いをあげる美由希だったが、兄ならば本当に熊を狩りかねないのでちょっと不安になる。落ち着こうと再度水筒の水を飲む。

 

「お前は俺なら熊を倒せられると思ってそうだが……熊をなめるなよ」

「……お、思ってないよ」

 

 あっさりと心の内を見抜かれた美由希は水が気管に入りそうになったが、なんとか落ち着かせるように飲み込む。恭也はまるで相手の思っていることが分かるかのように言ってくることが多く、美由希は兄がそういった特殊能力をもっているのではないかと怪しむことも多々あるのだ。

 

「いいか。ツキノワグマならまだいい。だが、羆にだけは気をつけておけ」

「ええっと……いきなりだね、きょーちゃん。羆ってそんなに危険なの?」

「……ああ。奴らの凶暴性。執着性は尋常じゃない。三毛○羆事件や福○大ワンゲル部羆事件など悲惨な獣害事件を引き起こしているからな。十分に注意しておけ」   

「聞いたことないんだけど……きょーちゃん詳しいね?」

「恐ろしいからこそ、調べる。知らない方がよっぽど恐ろしいと思うぞ」

「ん……そうかもね」

 

 炊き上がった御飯を皿にのせ美由希に渡す。結局何の肉から分からないが―――それも更にのせて渡された。恐る恐る食べてみると思ったほどまずくはない。多少の獣臭さを感じるが、牛や豚とは違った旨みがある。山での鍛錬中は魚や山菜が多いので、滅多に味わえない肉は有難い。

 今更どんな肉でもいいか……と納得して美由希は食べすすめた。二人で黙々と食事をしていたが、ふと美由希は思いついたように口を開く。

 

「ん。そういえば、きょーちゃん。熊が怖いって昔なにかあったの?」

「……昔からとーさんに連れられて日本全国を回っていたときに少し、な。それと全国武者修行で中学の時に旅立ってた時があっただろう?その時にも北海道の方で出くわしたことがあったんだ」

「出会ったとこはあったんだ……よく無事だったね?」

「ああ。北海道で遭遇したのは羆だったからな。流石に殴り殺すのには苦労した。奴らは人間とは比較にならない肉の分厚さだから打撃系の効きが鈍くて……四百キロクラスの大物はしつこかったぞ?」

「ふーん」

 

 聞き流した美由希だったが、魚にかぶりつこうとして―――反芻するように呟く。

 

「え、えっと……殴り殺した(・・・・・)?」

「あの時は……雨に降られて洞窟で雨宿りをしていた時だった。外の様子を見に出たらばったり出くわしてしまったんだ。刀を取りに戻る間もなく襲い掛かられて、なかなかの強敵だったな」 

「無理無理無理、無理でしょう!?」

「失敬な。何度か死を覚悟したがきっちり息の根を止めたぞ。素手で」

「素手で熊を殴り殺すってどんだけ!?」

「楽に勝てた、とはいえんが。良い戦いだったと両者認めるところだろう、あれは。その後食べたがなかなかいけたぞ。貴重なタンパク源だったしな」

「てか、食べたの!?」

「ああ。少々硬く肉に臭みがあったが、贅沢はいってられん」

「……もう何に驚けばいいのかわからないよ……」

 

 知らなかった兄の非常識さの一つがまた新たに浮上し、心底疲れたため息をつく。

 刀を使って倒すのならまだしも、素手で殴り殺すとか人間を辞めてるとしか思えない。少なくとも美由希は熊と素手で向かい合って倒せれるような自信はない。というか、あってたまるか。

 

「まぁ、実際は羆に遭遇するなど滅多にないから心配するな」

「……わかってるよ」

 

 一応はフォローをいれてくる恭也だったが、皿にのっている肉を見てふと思い出したように独白した。

 

「そういえば―――今日で倒した熊は五匹目になるのか」

「……えっ!?そ、それってまさかこの肉―――」

 

 美由希の台詞を邪魔するように、テントからオーソドックスな携帯の着信音が鳴った。どうやら恭也の携帯のようで、食器を置くとテントに向かう。美由希は質問を切られた形になったので、皿にのっている肉をどうしようかまじまじと見つめた。確かに牛や豚とは違う。ましてや鳥でもない。鹿や狐などでもなかった。ということは本当に―――。

 

 テントに戻った恭也は荷物の中に埋もれていた携帯をとりだすと液晶画面を確認する。表示されていた名前は―――高町桃子。恭也と美由希の母親だ。

 

「もしもし。こちら俺だが―――何かあったのか?」

『何かあったか?……じゃ、ないわよー!!ちゃんと連絡を毎日いれなさいっていったでしょー!!』

「……すまない。忘れていた」

『もう!! 恭也がついているから大丈夫だとおもってたけど、心配したんだからね』

 

 相変わらず元気な母の様子に恭也は安堵を隠せない。恭也が家を一週間以上あけるのは美由希との合宿の時だけだ。桃子がこちらを心配するように、恭也も高町家のことを心配していた。桃子がいる限り大丈夫だてゃ思っているのだが……。

 

「それで安否の確認の電話……だけではないようだが?」

『あ、そうそう。恭也ってば五日までに帰るって言ってたじゃない?美由希の入学式が六日にあるから』

「ああ。そうだが」

『なのにこの時間になっても帰ってこないから心配したのよ。まさか恭也が日付をを間違えるわけないし』

「……」

 

 桃子は何を言っているのだろうか、と恭也は首を捻る。

 まだ今日は四日で、明日の朝一で帰ろうと思っていたのだが。

 

「……少し待ってくれ」

 

 耳から携帯を離し、改めて液晶を見る。

 そこに表示されていた日付は―――四月五日。どう見ても恭也が一日日付を間違えていただけであった。咄嗟に頭の中で山から下りる時間と、電車で海鳴に戻るのに必要な時間を計算して弾き出す。

 

「―――今夜遅くにはなるが、帰る。心配しないでくれ」

『恭也……あんた一日勘違いしてたわね?』

「……何のことだ?」

『はいはい。そういうことにしておいてあげるから急ぎなさいよー。あんたもしっかりしてるのか抜けているのかわからない時あるわよねー』

「……面目ない」

 

 幾ら美由希の鍛錬に気を使っていたとしても、日付を間違えるのはうっかりを通り越していた。

 今回の合宿で美由希は御神流の基本でもある()までを使いこなすに―――というにはまだ早いが、実践でも十分使えるレベルに達した。

 予想以上の成長速度を見せる美由希は、指導をしていても楽しいと素直に恭也は思う。怪我をさせることなく、御神の剣士として完成させることが恭也に課せられた義務ともいえた。

 焦って強さを求めた剣士の成れの果てが―――ここにいる(・・・・・)。ズキリと痛んだようなきがする右ひざ。普段生活する分には問題もない。だが、決して忘れえぬ過去の愚行の結果だ。

 

「では、急いで帰るとする」

『あ、晩御飯はどうする?』

「丁度いま済ませたところだ。準備をしなくてもいい」

『わかったわー。気をつけて帰ってくるのよ』

 

 携帯を切り、テントから外に出るとすでに美由希が後片付けをしていた。

 どうやら恭也の話を聞いていたのだろう。美由希自身も鍛錬で疲れていたとはいえ、日付を確認していなかったので恭也に文句をいえるはずもない。

 

「片付けた後すぐに山を降りるぞ。強行軍にはなるが、ついてこれるか?」

「大丈夫。それについていけないといったら置いていく気でしょう?」

「勿論だ」

 

 あっさりと言い切る恭也にちょっとだけ寂しくなる美由希であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 強行軍に強行軍を重ね、山を降りなんとか一番近くの駅についたのは午後七時を回ったところであった。

 普段だったらもう少しゆっくりといくので、一時間近くを短縮して下山できたことになる。鍛錬の疲労が蓄積されている現在でそれだけの速度で降りれたのはまさに限界ぎりぎり。無人駅のため恭也や美由希以外に待っている人はいなく、美由希は疲れたように椅子に腰を下ろした。

 対する恭也は時計に目をやり、時間を確認する。美由希からみて、恭也が疲れているようには全く見えない。美由希の指導をし、供に汗を流した後に―――夜中美由希が寝静まった後も一人で鍛錬を続けていたというのに、疲労など微塵もないその姿に心底尊敬のため息しか出ない。

 

 はっきりいって美由希の剣士の腕前は相当なものだ。

 それは父の友人であり、数少ない実戦空手の巻島流の創始者巻島十蔵のお墨付きを貰っているのだから疑うことは無い。

 その美由希が恭也のことを断言する。高町恭也の底は―――計り知れないと。

 強くなればなるほどにそれを体感できる。実戦をかねた試合を何度も行っているが、恭也に一撃をいれれたことは一度としてない。かつて恭也が士郎に感じた壁。それを美由希は恭也に感じていた。

 

 そんなふうに思われていると気づいていない恭也は背負っていた荷物を降ろし、肩をぐるぐると回す。さすがに美由希の数倍の重さの荷物を持っていたために肩が痛かったのだろう。ここら一帯は田舎のため電車の本数は少ない。というかほとんどこない。普通電車が一時間に一本だけなので、乗り過ごしたら長い間待たされることになる。何度もここにはお世話になっているのでその時間にあわせるように下山してきたこともあり、あと数分程度で電車はくるようだ。

 

 やがて、遥か彼方から低くうなるような、かすかな振動が響くのに恭也はきづいた。

 耳をすませば、確かに長く低く、響く音の波動が聞こえてきた。

 夜の闇を切り裂くように、明かりを照らし電車が現れる。寸分の狂いも無く、駅に停車した。

 

 恭也と美由希は電車に入ると荷物を降ろし、長椅子に座る。

 春休みも最終日で夜ということもあったのだろう。恭也達以外に乗客は乗っておらず、閑散としていた。

 

 電車が走り出し、車両が揺れる。動き出してからすぐ恭也の肩に軽い重みが加わった。美由希が相当に疲れていたのだろう。恭也に身を預けるように眠っていたのだ。流石に起こすような真似はしない。

 ここから海鳴まで一時間程度はかかるのだから、それまでは寝かせておこうと決めると、恭也も目を瞑る。眠る―――というわけではないが、少し考えたいことがあったからだ。

 

 美由希には徹底的に基本を叩き込んでいるがそれがかなりのレベルになってきている。御神流の基本にして最も重要な()。これを使いこなせるようになったのは大きい。この調子でいけば御神流でいう第三段階の()をそろそろ教えてもいいのかもしれない。

 

 そしてその先―――神速の世界。

 御神流の奥義の歩法。かつて大勢居た御神の剣士達も全員がこれを使えたわけではない。というか、使えた人間の方が少ない。

 言ってしまえば己にかかっているリミッターを外し人間が可能とする動きを大幅に上回ることができる―――というものだ。人によって解釈の違いがあるが、恭也はそう認識している。簡単にすると、火事場の馬鹿力を何時でも可能とする。それだけだ。だが、そんなことが簡単にできるはずもない。また、神速に対する適正というのも存在する。どれだけ修練を積んでも結局その域に至れなかったという事例も多数存在する。逆にあっさりと神速の世界を自在に操れた剣士も居た。故に神速の世界へ至るには修練も大切だが、適正も重要だとされている。

 

 果たして美由希はどうだろうか。

 恭也を信じて、不平不満もなく青春を投げ打って鍛錬に精をだしている。修練という意味では問題は無いはずだ。後は適正。貫を修得したうえで―――後は神速の世界を認識できるか。多少の不安はあるが、問題はないと信じている。

 

 美由希は、御神宗家の血を受け継ぐもの。

 御神静馬と御神美沙斗の間に産まれた完全なサラブレッド。両者とも神速の世界にわけもなく踏み入っていた剣士達だ。その二人の血を受け継ぐ美由希ができないはずがない。

 

 目をあけ、今度は恭也は自分の右膝を見る。

 他の人間が見たならば何の問題もないように見えるかもしれない。だが、実際に恭也の右膝は一度砕かれたことがある。別に事故でもない。鍛錬の疲労でもない。

 勝てないと分かっていながら戦いを挑み、圧倒的な差を持って―――人智を逸した化け物に嘲笑うかのように砕かれたのだ。

 

 今でも色鮮やかに思い出せる。

 五年もの昔―――ひたすらに強さを求めていたころ。

 その時に彼女(・・)に出会った。

 

 何故居たのかわからない。何時の間に居たのかわからない。

 普段鍛錬をしている八束神社の裏手に広がる山の中で、初めて彼女に邂逅した。

 

 片目だけでこちらを射抜く人外の化け物に。

 美しい女性の姿をしただけの化け物に。

 

 己の全力で挑んで―――傷一つつけることもできずに敗北したあの時の思い出は苦々しい。不可思議なほどに強かった。二振りの剣を操り、恭也と同じ土俵で戦いながらも圧倒された。その姿は―――御神流の剣士にそっくりであったのが未だ理解できない。

 

 意識が薄れていく中、女性は恭也の右膝だけを砕いて消えた。

 忘れられない。あの時の屈辱を。忘れられない。あの時の言葉を。

 

 ―――この程度の試練は乗り越えてくださいね? 

 

 狂ったようなソプラノの声が頭に響く。

 すぐ傍にあの女性がいるのではないかと時々錯覚してしまう。

 

 ―――私は××と呼ばれています。アンチナンバーズが××。世界に仇なす化け物集団の一員ですよ。そんな可憐で異常な私が予言をしてさしあげます。今から二年後に貴方は人の理を容易く超えた怪物と出会うことになるでしょう。人類に憎悪と悪意しか持っていない正真正銘の化け物に。それまでに、強くなっていないと死にますよ?

 

 彼女は予言めいたこと残して姿を消した。

 それ以降彼女と出会ったことは無い。気配を感じたことも無い。

 

 だが、確かに彼女の予言は―――的中したのだ。

 

 反射的に右膝を手で握りしめたが、すぐに力を抜いた。

 何故だろうと時々思うこともある。あの時あの女性は確実に恭也を殺す事ができた。

 だというのに右膝を砕くにとどまったのだ。その意図が読み取れない。しかも、砕かれた膝は実はそれほど酷いというわけでもなかったのだ。膝はすぐに治った。

 しかし、不思議なことに今でもその時の古傷が痛むのは事実である。幻痛かと最初は訝しがったが、そうではなかった。知り合いの医者に相談した所、細部まで検査してもらえたが理由は結局分からずじまいだった。その時の話の中での一言が妙に恭也の耳に残っている。

 

 ―――完全に怪我は治ってるのに、医者として情けないことだけど原因は正直わからないんだ。まるでこれは一種の呪いだね。 

 

 呪い。

 

 そういわれた恭也はそれもあるかもしれないと思った。

 あの女性ならば、そんなことを仕掛けていても可笑しくは無いのだから。恭也を殺さなかったこともあるし、膝のこともある。恭也にとっては恨みしか抱けない相手ではあるが、あの時の女性の瞳は―――懐かしい人物にあったかのような―――そんな優しげな感情が読み取れた。 

 

 勘違いだったのかもしれない。それでも確かにあの時の女性は―――。

 

「いや、今更気にしても仕方ない」

 

 何時の間にか思っていたことが口に出ていた。

 恭也自身、再びあの女性と出会うことになるだろうという予感を感じているために次の邂逅で聞けばいいと思っているのだ。今の自分ならば五年前のような無様な結果にならないという自信はある。

 

 慢心ではない。あの時の敗北で得たものは計り知れないほど多い。

 あの時あの女性に出会って膝を砕かれなかったよりも―――今の自分の方が強いという確信がある。不思議なものだ。怪我を負っていない自分よりも、怪我を負っている自分の方が強いなどと思うのも。

 

 恭也の思考に割って入るように何度も駅に停車し、少しずつではあるが乗客も増えてくる。といっても満員になるほどでもなく、車両は所々あいていた。外の景色もすでに暗くなっていて見えにくいが、家々の明かりが多くなってきているのがはっきりとわかる。

 

 ガタンゴトント規則正しい揺れが身体を揺らす。

 どれくらいたっただろうか。次の駅を告げる車掌のアナウンスが聞こえる。

 

『次の停車駅は―――海鳴。海鳴―――』

 

 ようやく恭也達の住む海鳴へと着いた様で、隣で寝ている美由希を揺らす。

 

「……んっ……」

「起きろ、美由希。帰ってきたぞ」

「ん……ふぁ……ごめん。寝ちゃってたみたい」

「気にしないでいい。もう少しで家まで帰れるから頑張れ」

「はーい」

 

 電車が駅に到着。海鳴はかなり大きな都市でもあるので多くの乗客が下車する。

 その流れに乗るように恭也と美由希も電車から降り、改札を通った。時刻は九時近くを指しているが、多くの人たちが海鳴駅の前を賑わせている。

 

「はぁー。懐かしの海鳴にかえってきたよー」

「やはり帰ってくると安心するな。今日は鍛錬は無しとするから家に帰ってゆっくり休むぞ」

「了解です」

 

 鍛錬無しという恭也の言葉に美由希は安堵したように返事をする。

 別に訓練は嫌いではないのだが―――今日ばかりは疲れがピークに達している。

 二人が高町家がある方角に向かおうとして、恭也が人混みの中に見知った顔があるのに気づいた。

 

「……美由希。先に帰っていてくれ。少し用事が出来た」

「うん。分かったけど……あまり遅くならないようにしてね?」

「ああ。すぐ帰るさ」

 

 去っていく美由希を見送る恭也。

 この時間に女性一人で帰るというのも物騒ではあるが―――美由希を襲うような輩がいたら逆にそちらがとんでもない目にあうだろう。

 恭也は人混みで見かけた知り合い……女性に声をかけようとして、近づいていく。

 

 周囲は人混みが凄いというのに、誰にもぶつかることなくすり抜けるように歩いていき―――。目的の人物に辿りつく一歩手前で長身の男性にぶつかってしまった。ドンという音がして肩が男性にあたる。それは知り合いの女性とその長身の男性に丁度割り込むように―――。

 

「失礼しました」

「……ちっ」

 

 謝罪をする恭也に対して男性は舌打ちを残してその場から離れていった。

 後ろのそのやりとりに気づいたのだろう。目の前にいた女性が恭也へと振り返る。

 

「あれ? 高町―――くん?」

「終業式以来だな。月村」

 

 女性の名は月村忍。恭也の通う高校である風芽丘学園の生徒である。

 恭也と一年二年と同じクラスだったためそれなりに面識があり、恭也も砕けた話し方ができる数少ない相手である。

 恭也は、はっきりいって知り合いが少ない。というか、学校において友達と呼べる人間はたった三人だけだろう。

 一人は赤星勇吾。剣道部の部長であり、恭也とは中学時代の腐れ縁で、恭也の唯一の男友達だ。二人目が藤代佳奈。女子剣道部の部長。赤星との縁でそれなりに親しくしている。

 三人目が目の前の月村忍だ。互いに口数が多いというわけでもなく、友達もいない。休み時間は、むしろ机が友達な二人。色々と共通点があったこともあり、二年の時に少しだけではあるが話すようになり、今では友達といっても良い関係だ。

 

 はっきりいって忍は美人だ。

 身長は百六十を少し超えた程度。薄紫の髪が綺麗で、背中ほどまであるロングが印象的だ。どこか無口で冷たいように見えるが、ソレが良いとクラスの男達が噂している。

 

「こんな遅い時間にどうしたの?」

「……春休みを利用してキャンプに行って来てな。今から帰るところだ」

「キャンプ? へぇ……意外とアウトドアなんだね。何処に行ってたの?」

「……稲神山の方に少しな」

「稲神山? ああ、うん。あそこはのどかでいいところらしいね」

「―――ああ」

 

 ちなみに恭也は下手に嘘をついて後々話の流れに齟齬がでるのを防ぐ為に本当のことを言っている。豊かな自然で有名稲神山。車どころか人が通れるような道もほとんどない場所ではあるが、一応は山の麓付近にキャンプ場が存在している。

 

「さっきの台詞をそのまま返すが、月村はこんな時間までどうしたんだ?」

「親戚に呼ばれてね。今帰ってきたところなの」

「そうか。このまま帰るのか?時間も時間だ。送っていくくらいはするが」

「ん。ありがとう。でも、大丈夫。車でそこまで迎えに来てくれてるから」

「それならいいんだが……今日のように遅くなる日は気をつけたほうがいい」

「うん。気をつけるね。高町君って―――優しいね」

 

 忍が口元に笑みを浮かべた。見惚れそうになるほどの綺麗な笑みだった。

 その笑みに一瞬目を奪われた恭也だったが、目を軽く瞑って冷静さを取り戻す。

 そんな恭也を不思議そうに眺めていた忍だったが、時計を確認して、ロータリーの方角へと視線を向けた。

 目的の人物を発見したのだろう。遠目にだが スーツ姿の女性が高級そうな自動車から降りてこちらに一礼していた。

 

「それじゃあ、高町君。また明日。また同じクラスになれるといいね」

「そうだな……祈っておくか」

 

 胸が高鳴るような言葉と笑みを残して、忍はその女性のもとへと去っていった。

 自動車で帰るのなら大丈夫だと安心して、恭也も歩き出す―――美由希を追ってではなく、薄暗い路地裏の方へと。

 確かにここら周辺は駅があるため開発が進んでいる。だが、必ずそういった薄暗く危機感を煽られるような場所も存在するのだ。

 

 薄暗い路地に入った恭也は真っ直ぐに奥へと進む。

 そして、行き止まりまで足を進めると体を反転させた。

 

「出てきてもらっても構いませんよ。居るのはわかっています」

「……お前のようなガキに覚られちまうとはな……俺もやきがまわったか」

 

 恭也の視線の先の暗がりから出てきたのは先ほど忍の前でぶつかった男性だった。

 さっきぶつかったときはまだ不機嫌そうな表情だけだったが、今は明らかに敵意を剥き出しにしている。改めて見ると恭也よりも随分と背が高く、筋肉質なのがわかる。

 

「俺が態々人気のない場所まで来た理由は推測できますか?」

「さあな。ただお前は俺の仕事の邪魔をしやがった。忌々しい奴だ。楽に終わると思ったのによ」

 

 男はポケットに手をつっこむと中をまさぐる。しかし、一向に目的のものを掴むことができない。そんな男を一瞥し、恭也は隠していた折り畳み式のナイフを取り出し、見せつけるようにかざす。

 

「はっ? いや、ちょっとまて……なんだ、それ」

「先程ぶつかったときに抜き取らせてもらいました」

「嘘だろ……そんな様子など微塵も……」

 

 先程までの余裕と敵意に満ちた表情は一転し、男性は呆然とする。

 そして、男性はようやくわかったのだ。さっき恭也がぶつかったのは偶然ではなく、男性からの忍への敵意に気づき、故意に割って入り邪魔をしたのだと。

 ただの青年にしか見えなかった恭也を見る目にかすかに恐れの感情がまじった。

 恭也はナイフを後ろに放り投げると一歩男性に向かって踏み出す。

 

「さて、話して貰うぞ。俺の友を―――月村を狙った理由を」

 

 恭也の言葉遣いが本来のものへと戻り―――男性は悟った。自分が決して関わってはならない何か(・・)に自ら進んで近づいてしまったことを。男性は長い間暴力が支配する世界で生きてきた。別に真っ当に生きようと思えば生きれただろう。

 だが、それでも自らが選んでこちら(・・・)の世界へ足を踏み入れたのだ。拉致監禁。殺人。恐喝。様々な法に触れるような裏の仕事をこなしてきた故に、色々な人間をみてきた。その中でも目の前の青年は常軌を逸している。何が危険なのか、と問われればどう答えればいいのか迷うだろう。それでも怖いのだ。恐ろしい。人間の姿をしているだけに、逆にそれが恐ろしくてたまらない。

 

 次に男性の取った行動は―――服従だった。

 

 両手をあげ、刃向かう気はないのだということをアピールする。

 いきなりそのような行動にでた男性を不審そうにみる恭也だったが、本当に敵対する意思がないのだということを即座に読み取った。

 

「知っていることは、全て話す。だから命だけは、助けてくれ……ください」

「正直に言ってもらえるなら、ソレは約束しよう」

 

 殺す気など全くないのだが、勘違いしているならそれはそれで利用できるので敢えて否定はしないでおく。

 

「まず最初に聞きたいことは、月村を狙った理由だ」

「……依頼がきたんだよ。しかも、かなり法外といってもいい金額で。俺自身はあの女に何の恨みもない」

「依頼とは?」 

「……俺は、言ってしまえば何でも屋だ。ただ、とても表沙汰にできないこと専門、だが……」

 

「依頼主は誰なんだ?」

「……いえねぇ。と言いたい所だが、わからん。さっきも言ったが法外な金額には依頼主のことを詮索するな、って意味もこめられてたんだろう……」

「しかし、電話やメールだけで依頼を受け付けたわけではないだろう?実際に会って依頼の話をまとめたのではないのか?」

「……確かに会った。でも、あいつはただのつかいっぱしりだぜ……」

「そう思う根拠はあるのか?」

「……実際に会ったやつがそう言ってたんだよ。雇い主が云々ってな……ついでに相手先への連絡方法はない。あっちから連絡がくるのを待つだけだ……」

「依頼はどんな内容だったんだ?」

「……あの月村忍って女を脅せって。殺しは厳禁。怪我をさせるようなことはするなってよ……」

 

 矢継ぎ早に質問をした恭也だったが、どうやら男性はほとんど何も知らないらしい。

 質問をするときに男性の表情を注視していたが、全くといっていいほど反応はなかった。仮に嘘をついていたとしたら、恭也を前にして騙しきっていたならばとんでもない演技力だ。恐らくこれ以上聞いたとしても大した成果はあがらないだろう。

 依頼主への連絡する方法があれば直接そちらを辿る方法もあったのだろうが、今の段階ではそれもできないらしい。

 

「これが最後だ。この世界から足を洗え。それを約束できるならば―――去れ」

「……ああ。約束しよう。頼まれたってごめんだね」

 

 男性はそう言い捨てて路地裏から姿を消す。

 言葉に出したようにもはやこの世界で生きていこうなどとは思えなかった。

 これまで多くの修羅場を潜り抜けてきた。それなりに自分が度胸と腕っ節が優れているのだと自負をしていた。だが、本物に出会ってしまったのだ。まごうことなき、本物の裏の世界の住人に。戦おうなどとは決して思えない。思うことすら許さない絶対的な、格の違い。根本的な、質の違い。命があっただけで幸運と思えてしまう。

 

「―――十年ぶりに故郷に帰るか」

 

 男性は自分にしか聞こえない程度で呟き―――。

 そして、海鳴の街から一人の男が消えた。

 

 路地裏から去っていくのを見届けた恭也は、これからどうするかと考え込むように口に手をあてる。

 忍に危害を加えようとしている誰かがいるらしい。だが、殺す―――というほど過激なものでもない。となれば、言葉通りの脅し。彼女は数少ない恭也の知り合い。できれば力になりたいと思うが、まずは忍の意見も聞かなければならない。自分ひとりで動き回るのも迷惑にしかならないだろう。

 それでも、危害を加えようとしているのが誰なのか。それは調べておいたほうがいいだろう。

 

 恭也は携帯電話を取り出すと、登録してある番号を探し、通話のボタンを押す。

 耳に当てると何度か着信を知らせる音が鳴り、やがて電話が繋がった。

 

『やぁ、恭也。こんな時間にどうしたんだい?』

「夜分すみませんが、急ぎ―――というわけではないのですが調べていただきたいことがあります」

 

 電話に出たのは女性の声。

 電話越しではあるが、恭也へ対する言葉遣いは親しさを感じさせる。

 

『ん。最近は警察の方の仕事も落ち着いてるし、恭也の頼みなら優先して受け付けるよ?』

「何時もご迷惑をおかけします」

『いいっていいって。ボクと恭也の仲じゃない?』

 

 電話の女性のどこか、からかう様な響きを言葉に乗せる。

 

「―――調べていただきたいことは月村忍という女性の身辺で不審なことがないか、です。もしあるようならば、誰が何の目的で行っているかも合わせて調べていただきたいのですが」

『……月村?どこかで聞いたことがあるような……まぁ、分かったよ。できるだけ早めに調べておくから』

「有難うございます。かかる費用のことですが―――」

『翠屋で御飯を奢ってくれればいいさ』

「しかし……」

『ボクにとってはそれが最高の報酬だからね。期待しているよ』

「……何時も助かります」

『ふふ。じゃあ、わかったら連絡をいれるよ。携帯でいいかい?』

「そうですね……はい。それでお願いします」

『それじゃあ、バーイ。恭也』

 

 今回は相手も機嫌がよかったのだろう。あっさりと頼みごとが終わったことに対して逆に驚いてしまう。

 何時もだったら、あーだこーだと様々な理由をつけてきたに違いないのだから。

 あの銀髪の小悪魔は―――頼りになるが、それ以上に厄介なところもある。

 果たして本当に翠屋で一回食事を奢れば済むのか……ぶるりと恭也の背中を悪寒が駆け抜けた。第六感が告げてくる。絶対に碌な事にならないと。

 

 今から考えても鬱になるので、とりあえず無理矢理考えないことにしようと決めた恭也は路地裏から抜け、高町家へと向かう。

 駅に着いた時に比べて少しばかり人の波は減少をしているようだが、まだまだ人混みが消える前兆は見えはしない。

 再度その人の波をすりぬけ、歩いて行く。ひんやりとした空気が恭也の頬をなでる。

 すれ違う人の数はどんどんと少なくなっていき、そのかわりに家が増えてきた。家から漏れる明かりが遥か先まで続いている。

 海鳴駅や海鳴臨海公園などは開発されて、様変わりをしていっているが、ここら一帯は昔から変わらない。

 恭也がこの街に住み始めてから八年程度だが、この住宅街だけはまるで時が止まったかのような、懐かしい気持ちにさせてくれる。

 

 住宅街を抜けた先、他の家とはまた異なる様相の家が建っていた。普通の家の三倍はある敷地。

 その周囲は石垣で囲われているが、敷地内には二階建ての家と、小さいが池もあり―――隅には道場まであるという大盤振る舞い。

 こここそが恭也の住んでいる場所であり―――多くの家族と暮らしている高町家である。

 

 門を抜け、玄関に到着。

 高町家は今では珍しいかもしれないが、玄関はドアではなく引き戸になっている。  

 手をかけてあけようとすると抵抗もなく開いた。どうやら鍵はかかっていなかったらしい。美由希が先に帰ってきているはずなので気を使ってくれたのだろうか。

 

「お帰りなさいですーおししょー」

 

 恭也を迎えたのは身長百四十程度の小柄な少女。

 緑色のショートカットヘアで、可愛らしいが童顔。小学生にしか見えないがこれでも明日には晴れて中学生の仲間入りをする年齢である。

 

「ああ。今帰った、レン」

 

 高町家が四女―――レン。本名は鳳蓮飛。実際に血のつながりは無い。

 桃子の親友であるレンの両親が海外赴任で日本にいないため、数年前から高町家で居候している。そのレンが恭也を出迎えたのだが……。

 

「何故そんな格好で出迎えてるんだ?」

 

 すでにお風呂に入ったのだろう。可愛らしいデフォルメの亀の刺繍がしてあるパジャマを着ている。これは全然問題ない。問題はレンの姿勢だ。玄関を入ってすぐの場所で正座をして深々とお辞儀をしていたのだ。

 

「お師匠を出迎えるんですからこれくらいは弟子としてせなあかんと思いまして……」

「まさか今まで待っていたのか?」

「いえー。美由希ちゃんが先程帰ってきましたので、時間的にお師匠おそろそろお帰りになられるのではと……。そしたら丁度お師匠の気配を感じましたんで」

 

 気配を感じたから、迎えに出た。レンは簡単に言うのだが、その絶技に舌をまく。

 普段から恭也は意識して気配を抑えるようにしている。学校生活を送る上で、他の学生と遜色ないほどに。違和感を感じさせないために。ただの一学生を演じるために。彼女は、言ってしまえばただの一般人レベルの恭也の気配をあっさりと感じ取っていたのだ。

 戦いの天才(・・・・・)。恭也はレンをそう呼んでいる。

 恭也の知っている中でも美由希の才は群を抜いているといってもいい。間違いなく御神流の正統伝承者として恥ずかしくない剣士としてなれる器を持っている。

 その美由希を遥かに凌駕するのが鳳蓮飛だ。剣士としての才覚はない。武器を使わぬ無手の戦いならば、レンに勝てる相手を探すほうが難しい。決して切れぬ伸び代。研鑽を積めば積むほど桁外れの成長を見せる。恭也の心を躍らせるほどに―――その才は溢れている。本人自身はそれほど戦うことを好いていないのが唯一の欠点なのかもしれない、が。

 

「お師匠の気配を間違えることはうちは絶対にありませんよー」

 

 にこりと一点の曇りもない笑顔で答える。

 恭也は指で額をかくと、靴を脱ぎ家の中へと入った。それにレンも一歩後ろを歩いてついてくる。

 

「晶となのはは?」

「晶は今日は早めに家に帰る用事があったみたいです。なのちゃんは今さっきまでお師匠をまっとったんですけど、リビングで居眠りし始めてしもうたんで部屋で寝かせときました」

「すまんな。苦労をかける」

「美由希ちゃんが今お風呂使ってるんで、お師匠が使えるのはもうちょっと後になります」

「ああ、わかった」

 

 二人揃ってリビングへ入った途端、キッチンで食器を洗っていた女性が物音に気づき振り向く。見目麗しいという単語がピッタリあてはまるような容姿だ。光を反射する美しく長いブロンドの髪。知る人ぞ知る歌唄い。世界が注目する若手の歌手の一人―――フィアッセ・クリステラ。恭也の幼馴染にして、高町家の長女的存在。

 

 恭也の姿を認めると、パァと花がいたような笑顔で走りよってきて―――そのまま勢いよく恭也に抱きついた。軽い衝撃がはしるが、恭也ならば受け止めることは容易い。

 

「きょ~や~、お帰りー!!」

 

 フィアッセは甘えるような声をあげ、恭也の胸に顔を埋めて背中に手をまわして抱きしめる。とても恭也より年上―――二十一になる女性の行動とは思えない。普段は大人っぽいのだが、恭也に関することは時折子供のような行動を取る時もある。

 それと抱きついてきているため、なんというかフィアッセの胸が恭也にあたって仕方ない。高町家最強を誇るその双丘は破壊力抜群だ。口にだすわけにもいかず、とりあえず黙ったまま抱擁を受け入れておく。やましい気持ちなど一片も―――ない。

 

「連絡くれないんだもん。心配したんだよ」

「悪かった。どうも鍛錬を始めると他のことが目に入らなくなってしまうから。迷惑をかけた」 

「もぅ。今度からはちゃんと連絡をいれてね」

 

 フィアッセは恭也から離れる前にチョンと鼻に触れるか触れないかで指を止め、メッと子供にするように叱る。恭也を叱ってはいるのだが、全くそんな様子には見えない。むしろ可愛さ満点だ。

 

「洗い物さきにしちゃうね。座って待っててー」

「手を止めさせてしまってすまんな。」  

 

 キッチンに戻ったフィアッセは食器を洗う仕事に戻る。

 恭也も荷物を置くと、傍にあったソファーに身を沈める。ついでにテレビのスイッチをつけるが、すでに時間も時間。ニュースくらいしかやっていない。

 視線を感じ、顔だけ後ろに振り向くと、レンがじとーと効果音がつきそうなくらい冷たい視線で窺ってきていた。

 レンの両手は自分の絶壁ともいえる両胸にあてている。

 

「おししょーの、おししょーの……おっぱい星人ー!!」

 

 そんな捨て台詞を残してレンはリビングから走り去っていく。ダンダンという階段を登る音が聞こえ、バタンと勢いよくドアを閉められた。

 恐らく自分の部屋に戻ったのだろう。呆然とそれを見送った二人は顔を見合わせる。

 

「なんだったんだ……?」

「さ、さぁ?」

 

 二人して首を傾げる。

 おっぱい星人などという不名誉な呼ばれ方をしたが、それは気にしないで置こうと心に決める恭也。決してフィアッセではわからないだろう。今のレンの気持ちは―――。

   

 兎に角去っていったレンのことは置いていて、恭也はテレビに流れるニュースを興味深げに眺める。

 それもそうだろう。二週間近く世俗を離れて仙人のような生活と鍛錬をおこなっていたのだから、最近起こった出来事等は全くわからない。

 ちなみに流石に春休みの宿題は恭也はでていないので安心している。テレビを見ていた恭也の前にコトンと音をたてて湯飲みが置かれた。置いてくれたのはフィアッセだ。態々緑茶をいれてくれたらしい。ズズと音をたてて一口啜ると、お茶の香りと味が口の中に広がっていく。

 

「……うまい」

「そういってもらえると嬉しいよ」

 

 お茶を啜る恭也を、本当に嬉しそうに見るフィアッセとの間に沈黙が流れる。聞こえるのはテレビの音だけ。

 別に嫌な沈黙ではない。恭也は元々自分から喋るようなタイプでもなく、どちらかというとよく話すフィアッセも今は恭也の姿を見て満足しているような状況なのだから沈黙となるのも仕方ないことだろう。

 

「そう言えばかーさんはまだ翠屋にいるのか?」

「あー桃子はね。明日は朝早起きしないとだめだからってさっき寝たよー」

「む、そうだったのか」

「桃子はりきってたよ。可愛い娘の入学式だものね。しかも美由希とレンの二人同時だもん」

「そう考えると、時間の流れは早いものだ」

 

 なにやら爺臭いことをいう十八歳。

 若いというのに酷く老成した精神と雰囲気を持つ恭也は、桃子や美由希達に酷く呆れられるときもある。

 二人としては、いや高町家の皆の総意として若々しい趣味を持って欲しいと願っているのだが、それが決して叶えられる事はない望みということを全員が薄々感づいているのかもしれない。

 

 だが、恭也は本当に時が進むのは早いと思った。

 父である士郎が死に―――美由希に剣を指導するようになったあの日が昨日のことのように思い出せる。自分にできるのか、という迷いは何時もあった。

 それでも―――やるしかなかった。

 今の美由希を見て多少の満足感は覚えるが、まだ上への階段を一歩ずつあがっている最中だ。

 

「フィアッセは……のどの調子は?」

「うん。お蔭様で大分よくなったんだよー。調子がいいの、最近」 

「時間があるときに、また聞かせて欲しいな。フィアッセの歌を」

「うん!!」

 

 フィアッセが嬉しそうに頷く。彼女は歌を歌うのは好きだ。それ以上に恭也に聞いてもらえるのが―――何よりも嬉しいからだ。 

 イギリスにある超名門音楽学校。クリステラソングスクールに以前は在籍していたが、少し喉を痛めてしまい今現在は親交深かった高町家でお世話になっている。

 といっても、ここから少し離れた場所で親友とのルームシェアで部屋を借りているのだが、この家で寝泊りすることも実は多い。

 

 何気なく壁にかかっている時計を見ると短針が十一を指す時間になっていた。

 そろそろいい時間になってきている。飲みきった湯飲みをテーブルに置くと、フィアッセがお代わりはいる?と目で聞いてきていたので首を横に振る。

 すでに言葉を必要としないほどに二人は通じ合っていた。

 

「フィアッセは今日はマンションに戻るのか?」

「んー。私も準備するものがあるから一旦家にかえろうかなーと思ってるよ。明日は美由希の晴れ舞台だしね」

「なら送っていこうか?」

「大丈夫だよー。車で来ているから帰り道は心配しないでも大丈夫」

「そうだったか。珍しいな、車でくるなんて」

「あははー。暫く使ってなかったからね。明日のための試運転だよ」

 

 二人は立ち上がると玄関に向かう。

 玄関から車庫へと移動し、フィアッセが車に乗り込んだ。エンジン音がして、排気ガスのにおいが恭也の鼻にかかる。

 

「それじゃあ、恭也。また明日、ね?」

「ああ。気をつけてな」

 

 窓を開けて別れの挨拶を告げフィアッセは車を発進させて夜の街へと消えていった。

 恭也はそれを最後まで見送ると高町家に戻る。

 リビングに向かう途中で、風呂場からでてきた美由希にばったりとでくわす。長い髪だがすでにドライヤーでしっかりと乾かしていた。

 

「あ、きょーちゃん。お帰りなさい。先にお風呂使わせてもらったけど良かった?」

「ああ。お前も早く休め。明日の朝の鍛錬は無しにするから身体を癒せよ」

「はーい。きょーちゃんも……ほどほどに、ね」

 

 美由希は恭也を見て少しだけ辛そうな顔をする。

 そして、そのまま二階の自分の部屋へと戻っていった。

 

 恭也は飲んだ湯飲みを洗うと、二階の部屋へと一旦戻る。

 必要ない荷物を部屋に置くと、小太刀と飛針。鋼糸を持ち部屋を出た。

 既に皆が就寝している為できるだけ物音をたてないように高町家から外へと向かう。その際きっちり鍵をかけるのも忘れてはいない。

 

「さて、いくか」

 

 気合を入れるため言葉に出し、恭也が走った。

 家の明かりが煌々と煌く。すでにこの時間になると出くわす人間もほぼいない。

 

 目的地は何時も恭也と美由希が鍛錬している場所―――八束神社。

 美由希には休息を取るように言っておきながら恭也は休む気など全くなかった。他人に厳しいが、自分にはもっと厳しい。それが高町恭也。

 恭也の目指す先は何よりも遠く―――未だ辿りつけていない世界だ。かつてかわした約束を守るために、恭也は今日も刀を振るう。

  

 その全ては―――水無月殺音との再会のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高町恭也。風芽丘学園三年を迎える、この年―――運命が廻転。

 時代の闇に蠢く化け物どもが―――高町恭也と運命を共にする者達が―――動き出す。

 それは偶然ではなく、必然。

 

 

 

 

 

 

 

 

 高く連なるビルの屋上。

 そこに一人の少年がいた。月を見上げ、何を考えているか分からない、無機質な瞳で空を貫いている。

 

「今年は……面白い子に会えるかな。すぐに壊れない玩具に―――僕と遊べる人間に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古ぼけた屋敷。広大な敷地を誇る日本家屋。

 その一室に二人の少女が座っていた。

 

「で、一体私に何の用なのかなー。天守の次女さんが」

「―――貴女のことは聞いています。鬼頭家が次期当主候補の一人……鬼頭水面さん。その実力、かの黄金世代すらも凌駕するとも噂されていますよね」

「そりゃ、うわさが大きくなりすぎてるかなー。まぁ、噂に名高き天守(アマノカミ)(カケル)に知って貰えるなんて嬉しいわー」

「感情がこもっていませんよ?まぁ、いいです。それよりも貴女―――次期当主の座を確固たるものにしたくない?」

「うーん。悪いけどあんまり興味ないんだよねぇ、それ。まぁでも、なーにをかんがえてるのかなー? 子供の過ぎたお遊びは身を滅ぼすよ?」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院を感じさせる真っ白に壁を塗りつぶされた部屋。

 死の匂いが充満する中、長身の女性と小柄な女性が椅子に座っていた。

 

「最近はアンチナンバーズどもの動きが活発化していないか?」

「……そうだな。ナンバーズ(私達)の手がたりないというのに、労働基準法で訴えたい気分だ」

「お前の容姿で訴えに言っても鼻で笑われるのがおちだぞ?まぁ、それは置いておいて、序列一桁台の伝承級が沈黙を保っているのがまだ救いか」

「伝承級か……序列六位の伝承墜とし(・・・・・)の詳細はまだ不明なのか?」

「情報がすくなすぎるな、奴に関しては。まぁ、互いに死なない程度でがんばるとするか。また会おう、チンク」

「お前も死ぬなよ、トーレ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人里離れた森の中にある屋敷。

 そこに幾つもの黒塗りの車が到着する。

 趣味の悪い服装のやや小太り気味の中年の男性を囲うように黒服達が展開する。

 

「ここに本当にあいつらがおるんかいな?」

「はっ!!情報通りならばここで間違いありません」

「この前雇った男はつかえんかったからな。今度はワシも本気や。北斗(・・)のメンバーならノエルでも相手にはならんやろう。まっとれや、忍の馬鹿たれが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広大な森林地帯を凄まじい速度で走りぬける一人の男性と、それに付き従うように駆ける少女が一人。しきりに背後を気にする少女。

 

「もう、おとーさまってば!!あんだけ私には手をだすな!!って言ったくせに自分が喧嘩うってるじゃない!!」

「う、うるせぇ!!仕方ないだろうが、あの場合は!?」

「……おとーさまって悪ぶってるくせに以外と甘いよねー。幾ら一宿一飯の恩があるからってアンチナンバーズの二桁台に戦いを挑むってさ」

「別にあいつらのためじゃねーよ!!あの化け物が俺の寝るのを邪魔したからだ!!」

「にゃふーん。これがツンデレってやつなのかなー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは美しく、巨大な湖だった。

 水面には月が映し出され、幻想的な光景を作り出す。

 誰も近づかぬ、秘境。誰も近づかせぬ、永遠の地。

 私と彼の約束の場所。

 

 その湖の上で踊っていた。プラチナブロンドを靡かせて。月の祝福を受けるように女性が踊っていた。女性の足は不思議なことに水を弾くように沈まず、波紋を波立たせる。片方だけ開いた瞳が世界を見通す。世界を、未来を見通す魔眼の持ち主は静かに踊る。

 

「―――時は動き出します」

 

 タンタンタンとリズム良く。

 

「多くの魑魅魍魎が、青年と出会う。でも、それは全て青年の糧となる」

 

 バサリとゆれた髪が乱れる。

 

「全ての存在は所詮パーツに過ぎません。運命を形作る部品の一つ」

 

 ピタリと動きを止め空を見上げ、両手を広げた。

 

「私と青年が再び出会うために―――皆さん精々頑張ってくださいね?」

 

 ゆっくりと開け放った右目は金色に輝き、静かに世界を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とらいあんぐるハート3 アナザーストーリー  御神と不破  開幕

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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