御神と不破   作:しるうぃっしゅ

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第4話:変わり行く日常1

 

「そういえば恭ちゃん……師範代って鉄とか斬れるの?」

 

 ある日普段のように恭也と美由希が実戦を想定した訓練をして、相変わらずあっさりと美由希が敗北した時そう突然聞いてきたときがあった。

 恭ちゃんとよんだ瞬間、少し鋭い目つきで睨んだため慌てて師範代と言いなおした。訓練中は師範代と呼ぶことを厳命しているからだ。

 

「……また唐突だな。何かそれっぽい小説でも読んだのか?」

「ぅ……なんでわかっちゃうのかな」

「それくらい唐突だからだ。お前は読んだ小説にすぐに感化されるからな」

 

 恭也が美由希から少しだけ離れて小太刀を納刀する。

 再開するのかと美由希も戦闘態勢になろうとしたところで、恭也は首を振った。

 

「鉄を斬る技術。斬鉄と言ったところか。別に細い鉄程度ならどうにでもできるぞ。俺でもお前でもな」

「え、そうなの?」

「それほど太くない、という条件はつくが。ある程度剣を学んだ者なら恐らくできるだろう」

 

 恭也の前には巨大な木があった。その幹の太さはゆうに一メートルを越えているだろう。それほど太く大きな樹木であった。

 美由希は恭也がなにをするのか不思議に思っていたが、僅かな間合いを取ってその樹木の前で抜刀術の体勢を取る。まさか―――と思う間もなく。

 

「……シッ」

 

 光が奔った。

 輝きを残す、光が煌く。その閃光を美由希は刀が残した軌跡だとは認識できなかった。それほどに速く、人の理解できる域を超越していたのだから。何時抜いたのかもわからぬほどの音速で抜刀された小太刀が目の前の樹木を斬りつけた。が―――。

 

「まぁ、これだけ太いとさすがにこうなる」

 

 恭也が小太刀を鞘におさめ、美由希へと振り返る。

 美由希はまじまじと恭也が斬りつけた樹木を見るが特に変化はない。てっきり真っ二つにでもするのかとおもっていただけにちょっとだけがっかりした。

 

「小説を読むのはいいがあまり感化されるなよ?」

「はーい」

「では、少しは休めたか?再開するぞ。今から一分の間時間をやる。その間に罠を仕掛けるなり、身を隠すなりしろ」

「……」

 

 返事もなく、美由希は即座にその場から姿を消す。

 一分という時間をどれだけ有効に使うか考えながら……森の中を走り去る。

 恭也と美由希の力量差はまともにやったら絶望的。例え、罠や奇襲を仕掛けたとしてもどうにもならないほどだ。だからこそ美由希は考える。どうすれば恭也に一泡ふかせれるのか。

 

「……」

 

 両腕を組んで目を瞑り、頭の中で秒数をカウントをする。

 風が吹き、木々の葉を揺らす。ざわざわという音が恭也の耳を打つ。

 

 そして―――。

 

 恭也の背後にあった木が……ずれた(・・・)

 ズズズという不気味な音をたてて、ずれていく。ずれていく。ずれていく。ずれていく。斜めに斬りつけられた剣閃の跡が、一分近くたった今になってようやく樹木に斬られたことを思い出させたかのように。地響きを立てて半ばから斬られた木が大地へと倒れ伏した。その斬り口のなんと滑らかなことか。或いは戻し斬りなる技術とはこういうものを言うのかもしれない。即ちこれは神業の一種だ。

 

「―――まだお前には見えなかったか、美由希」

 

 少しだけ残念そうに呟いた恭也の独り言は―――風の音とともに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 高町恭也の朝は早い。

 お年寄りも真っ青な時間帯に目を覚ます。

 目覚まし時計をかけてはいるが、毎回なる前に目を覚まし、アラームを前もって止めるのが日課といってもいい。合宿の疲れはあったがそれでも恭也は何時も通りに睡眠から目覚め、布団から起き上がり身体を軽くほぐす。

 

「懐かしい、夢か」

 

 やけに鮮明に見た夢だった。

 あれは何時ごろだったろうか。まだ一年ほどしかたっていないくらいの昔だったかもしれない。あの時放ったのはただの抜刀による斬撃だ。御神流の基本技術。斬を極めた者は鉄さえも切り裂く。そう言わしめるほどの境地に至れる。確かにそうだ。記憶にある御神の剣士達もその域に達していた者も幾人かはいた。

 今の美由希ならば鉄をも両断できるだろう。御神流の剣士としての腕前はそれほどまでに成長している。

 

 だが―――恭也は鋼すらも断つ。

 今の恭也は基本であるはずのただの斬撃が、すでに必殺の域にまで達していた。

 

 横目で見た時計は朝四時を示している。動きやすい服装に着替え、昨日の夜と同じく音をたてずに高町家から外へと出る。時間が朝早いだけにまだ日の出はまだのようだ。辺りは薄暗い。

 

 何度か深呼吸をくりかえし、ランニングを開始した。普通の人が見たら驚くほどの速度のランニングではあるが。途中で何人かではあるが、すれ違ったので挨拶をしておく。何時もこの時間帯で会う人は決まっていて、特に親しいというわけではないが顔見知りが何人かいる。

 

 朝靄がうかぶ空気を裂きながら走る。

 やがて長く続く階段へとたどり着き、それまでと同じ速度で階段を駆け上がる。

 止まることなく終わりまで駆け抜けると、前に広がるのは赤い鳥居とその先の神社が見えた。八束神社―――ここの後方に広がる広大な森林が恭也達の訓練場所である。

 実戦は常に万全の状態でできるわけではない。それを想定してどのような状況でも全力をだせれるように、恭也達の鍛錬場所は敢えて障害物の多い森の中を選んでいた。

 

 普段から使っている鍛錬の場所。そこは長年の鍛錬の結果、多少は動きやすいようひらけた空間となっている。そこの丁度中央付近で足を止めた恭也は小太刀を抜こうともせず、足を肩幅程度に開き手をだらりとさげた状態となる。所謂無形の位だ。

 

 何分そうしていただろう。

 ただ立っているだけの恭也の額から汗がしたたり落ちる。

 そして、抜刀。何もない空間を断ち切った。

 

 それと同時に、跳ねたように後ろへと跳躍。地面に足をつけると横へ今度は転がる。

 即座に体勢を立て直し、牽制するように一振り。続いて、もう一振りを斬り上げようとした瞬間、刀を振るのをとめ、半身になって迫ってきていた何か(・・)をかわす。右手の小太刀で頭上から落ちてきた何か(・・)を弾く。弾くと同時に左の小太刀で見えない敵に対して斬り付けた。

 

 もし、この光景を見ている者が居たならば恭也が戦っている空想の敵を肉眼で確認できただろう。それほどにイメージで作られた敵と戦う恭也の姿は鬼気迫るものを感じさせるのだから。例えるならば究極に近いリアルシャドー。戦うべき相手のできること、できないことを確固たるイメージとして固め、そのイメージと戦う。

 今戦っているイメージは―――五年前に敗北を喫した女性。アンチナンバーズが××。以前の恭也ならば相手にもならなかった強敵。そのはずだったが―――。

 

 森を縦横無尽に駆け回る恭也は、木々を盾とし、障害物を利用し、三次元的な動きで相手を翻弄する。木の枝を蹴りつけ、空から強襲。相手の背後へと回りこみ、そこでさらに加速。見えないはずの相手を断ち切った。そしてイメージした敵は一瞬で霧散。残されたのは小太刀を振り切ったままの体勢の恭也だけであった。

 

「……駄目だな、この程度では」

 

 深いため息。イメージしていたあの女性との戦いは確かに恭也の勝利で終わった。

 だが、所詮はイメージはイメージ。実際に戦ってみなければ勝敗がどうなるかわからない。ましてや、恭也の中のあの女性の強さは―――五年前のお遊びのように戦っていた力量そのままなのだから。戦い方も動きもスピードも、その全てがあの時の女性の見せたものを想定している。

 あの底知れぬ女性の力が一体どれほどのものなのか……今の自分が負けるとは思っていない。しかし、勝てるとも思っていない。それほどまでにあの女性は強かったのだから。

 

 なんといってもあの女性はアンチナンバーズの一桁台。

 伝承級と称されるいかれにいかれた化け物どもの頂点に立つ生物。水無月殺音に匹敵……或いは凌駕するという存在なのだ。

 

 ナンバーズと呼ばれる組織がある。

 対化け物専門の世界最強を名乗ることを許された戦闘集団。設立時期は不明。随分と昔から化け物を狩る組織として存在したという。

 多くの戦闘要員を擁しているが、その中でも特に優れた十二人は数字持ち(・・・・)と呼ばれ、夜の一族から恐れられている。真っ向から戦いを挑むことは死神に喧嘩を売るようなものだと子守唄のように聞かされているという。

 HGS能力者によって構成されていることが多い。特にナンバーⅢ。神速(・・)のドライと呼ばれる女性は圧倒的な殺戮能力を持ち、ナンバーズ設立史上最高のアンチナンバーズ撃墜数を誇る。続いては爆殺姫(バクサツキ)の通り名を持つフュンフ。この二人を筆頭として今代のナンバーズは歴史上最強戦力と噂されている。それぞれの数字を与えられた者達は世界各国を走り回りアンチナンバーズと呼ばれる化け物達を処理してまわっているという。

 

 そしてナンバーズと対になる組織としてアンチナンバーズと呼ばれる集団がある。それはナンバーズによって定められた処理対象。そのほとんどが夜の一族ではあるが、人間でも人類社会に多くの被害をもたらした者なら対象に加えられる。あくまで人類社会に対する危険度が優先されるため序列が一位に近ければ強いということではない。

 ただし、アンチナンバーズの序列一位から九位までは別格と考えられている。十位の二桁以降はナンバーズによって定められるが、九位までは基本的に固定なのだ。一位から九位までは寿命で死んだ場合はナンバーの繰り上がりが行われる。もしくは寿命を感じ、本人の意思によるナンバーの継承を行わない限り変化は起きない。

 例外が、一対一の戦いで撃破すること。力によるナンバーの強奪。そうすれば例えアンチナンバーズの序列百位の者だろうがアンチナンバーズの五位を倒せば一気にそこまでナンバーが繰り上がる。そのような奇跡は起きたことはないのだが。そう、それはまさに奇跡としか言いようがない出来事だ。それほどまでに上位九人は規格外の化け物達なのだ。アンチナンバーズの九位までは圧倒的にして絶対的。超絶的な戦闘力を誇り、それゆえに一桁台として畏怖されこう呼ばれる。歴史にさえも名を残す化け物達。即ち伝承級、の怪物達と。  

 

 いや、一度だけそんな奇跡が起きたことがある。アンチナンバーズの序列六位を単独にて、撃破せしめたものがいる。故にその者はこう呼ばれた。伝説の怪物を墜としたもの。即ち―――伝承墜とし(・・・・・)

 それが一体誰なのか、情報は開示されていない。というか、ナンバーズでも把握しきれていないというほうが正しい。ただ、結果だけが届けられた。一人の女性によって。当時のアンチナンバーズ六位が敗れ去ったということを。それを伝えたのが―――。

 

「未来を見通す天なる眼を持つ者―――アンチナンバーズが序列二位。六百年以上の時を生きる最古参の魔人」

 

 そう……恭也の膝を砕いた張本人。

 名乗った本人の談を信じるならば―――現在確認されている生き続けている最古の夜の一族。夜の一族の世界にも、人の社会にも不干渉を保つ人外の中の人外。その人外が圧倒的な力を持って唯一手をだしてきたことがあった。

 

 それが、アンチナンバーズ序列一位。剣神(・・)が六百年もの昔亡くなり、繰り上がるはずだった彼女は―――その席に自分が座ろうとはしなかった。否、決して誰も座らせようとはしなかった。第一席を狙っていたあらゆる存在を殺戮しつくしてまで。

 それ以降、第一席には誰一人として選ばれていない。決して誰も座ることのない永久欠番。触れてはならぬ禁忌。戦ってはならぬ同族殺しの化け物。

 

 それが、未来を見通す天なる眼を持つ者―――天眼。

 誰もが恐れ、関わり合いになることを避けるであろう化け物だが……。

 

 二振りの小太刀が迸る銀閃を描く。

 幾度斬ったのか視認さえも許さない雷の如き速度。恭也の周囲に舞い降りてきた木の葉が剣の結界に触れた瞬間切り刻まれ、微塵となって消えていく。

 

「―――借りは必ず返す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 本日は四月六日。

 風芽丘学園と海鳴中央の入学式であり、二年と三年にとっては始業式ともなる日だ。

 美由希とレンはそれぞれの学校の一年生として入学することとなる。対して恭也は風芽丘学園の三年。高町家の三女―――城島晶は海鳴中央の二年になった。

 流石にこの記念日にぎりぎりまで鍛錬をするわけにもいかないので、できるだけ早めに鍛錬をきりあげ高町家へと恭也は帰った。

 

 玄関の引き戸を開けると、恭也の鼻をくすぐるのは味噌汁の良い香りだ。

 その匂いから今日の朝食を作っているのは桃子か晶のどちらかだと予想がたった。

 基本的に高町家の食事当番は四人でローテーションを組まれている。桃子、フィアッセ、レン、晶の四人だ。どうしても料理当番が都合がつかないときに恭也。そして恭也も駄目な時はなのは。ただし、なのははまだ小学二年生。簡単なものしかまだできない。

 なのはも駄目だったらもはや最終手段―――外食である。一人欠けている気もするが、そう高町家の法律で決められているのだ。

 

 料理の傾向として桃子が料理は基本的に和洋中なんでもオールマイティーにいける。どれもこれもがプロレベル。というか、本当にプロなのだが。

 対してフィアッセは洋食専門。レンは見かけどおり中華。晶は和食やその他色々。この三人も十分にお金を取れる腕をしているといっても過言ではない。だから、味噌汁の匂いをかげば作っているのがどちらかに絞れるのだ。

 

 リビングに足を踏み入れるとキッチンで忙しそうに動き回っていたのは、青みがかったショートカットヘア。ボーイッシュな雰囲気を纏った少女であった。少女は味噌汁をお玉で掬い、小皿にうつし味見をしている。

 

「よし!! 良い出来!!」

 

 一人でガッツポーズを取った少女が、テーブルに焼き魚を乗せた食器を持ち運ぼうとして―――恭也にじっと見られていたのに気づいた。

 

「し、師匠!? いたんですかー!?」

「ああ。今帰ってきたところだ」

「い、いるならいるっていってくださいよー。滅茶苦茶びっくりしたじゃないですかー俺」

「いや、なに。晶、お前は楽しそうに料理を作るなと思っていたところだ」

「うう……変なところみられちゃった……恥ずかしい」

 

 晶と呼ばれた少女は若干顔を赤くしてそっぽをむく。

 セーラー服の上からエプロンを着ているが、それが不思議と似合っている。スカートから見える素足が健康的な色気を醸し出している、が―――髪が短いうえに私服も男っぽいものも多く、一人称が俺。そのためセーラー服を着ていない限りは七割の人が少年と間違えてしまう。最も本人は間違えれらることに慣れているため、そんなに気にしていないという。

 

「かーさんはまさかまだ寝ているのか?」

 

 時間はまだ六時三十分なので寝ていたとしても十分に間に合う時間なのだろうが、まさかあの桃子がこの時間におきていないことがあるとは寝ているとは思えなかった。

 しかし、朝食の準備もしていないので他にどこにいるのか訝しがる。

 

「あー、桃子さんは美由希ちゃんとレンの制服の着替えをみてます!!」

「ああ、そうか。今までとは違う制服になったしな」

「美由希ちゃんには風芽丘の制服にあいそうですよね。レンは微妙でしょうけど」

「……レンとあまり喧嘩はするなよ。なのはに怒られるぞ?」

「う……気、気をつけます」

 

 テレビをつけてソファーに座ろうとした恭也だったが、まだ一人起きてきていない家族がいるのに気づく。

 

「なのははまだ起きてきていないか?」

「あー。そうですね。多分まだ寝てますよー」

「では、俺が起こしてこよう」

「お願いしても大丈夫ですか? お願いします、師匠!!」

 

 階段を昇ると幾つもの部屋がある。レンと晶、恭也と美由希。そしてなのはの部屋。

 廊下を進み角部屋となる部屋の前までいくとドアを軽く叩く。ちなみにドアには可愛らしい字で、なのはとかかれてあるドアプレートがかけられていた。

 

「なのは。もう朝だぞ。起きているか?」

 

 返ってくるのは静寂。どうやらまだ起きていないのは確実のようだ。

 再度ドアを叩く。今度は先程叩いたよりも強く。しかし、反応はない。

 

「入るぞ、なのは」

 

 一応断ってから扉をあける。なのはの部屋は小学生の部屋とは思えない空間だった。机はしっかりと片付けられており、デジカメやパソコンなどの機器がおかれている。

 まだ小学二年生なのにこれらを完璧に使いこなすのだから恭也からしてみれば実に大したものだと感心せざるを得ない。今でこそようやくパソコンを使えるようになってはきたが、幼いころの自分はなのはくらいの年頃なにをやっていただろうと昔を思い馳せる。

 

 ―――剣の修行と士郎につれられて全国を回っていた記憶しかなかった。

 

 ろくでもない記憶を意識的に片隅においやる。ふと見ると机の上やベッドの枕元には多くの人形が飾ってあった。その大部分は恭也がプレゼントとして送ったものであり、しっかり飾ってあるのをみると喜びを感じてしまう。まさに兄冥利につきるとはこのことだ。

 

「なのは。そろそろ起きる時間だぞ?」

「……すぅ……すぅ……」

 

 返ってくるのは可愛らしい寝息。小動物のようにまるまってベッドで寝ているなのはとよばれた幼女。今年私立聖祥大学付属小学校の二年生となる、高町家の末っ子であり、正真正銘血の繋がりがある恭也の妹だ。

 なのはは朝に強い恭也や桃子とは異なり、非常に朝に弱い。かわりにどんな時でもあっという間に眠れるというある意味羨ましい特技を持つ。声をかけてもまったく起きる様子もないなのはに嘆息しつつ、肩に手をかけて軽く揺り動かす。

 

「遅刻するぞ。起きろなのは」

「……ぅにゅ……」

 

 ようやく目をあけるなのはだったが、焦点があっていない。ゆっくりとベッドから上半身だけ起き上がって、まだまだ寝ぼけ眼で恭也を見る。しばらくぼーとしていたなのはだったが、起こしにきたのが恭也だと気づいた瞬間―――。

 

「おはよう!! おにーちゃん!!」

 

 にぱっという向日葵のような見るものを暖かくさせる笑顔を向けてきた。美人や可愛いといった女性は多く知っているが、そういった女性達とはまた別の魅力がなのはにはあった。子供ゆえの純粋さ。子供ゆえの無邪気さ。なのはの笑顔を見ると安心する。恭也はなのはと一緒にいる時は数少ない心が安らぐ時であった。

 

「ああ。お早う。今日は起きるのが早いな?」

「ぅ……だっておにーちゃんが起こしてくれたから……」

 

 恥ずかしそうに俯くなのは。

 その手の趣味がある人ならばお持ち帰りをしてもおかしくはない可愛らしさ満点だ。

 

「昨日は遅くなってすまなかった。本当ならもう少しゆっくり帰ってくるはずだったんだが……」

「ううん。私も起きてなくてごめんなさい……」

 

 今度はシュンとしたように笑顔を曇らせるなのは。昨日恭也が帰ってきた時間は夜遅い。まだ幼いなのはが限界ぎりぎりまで起きて恭也をまっていたのだから、寝てしまったとしても仕方ない。むしろそこまで頑張って起きていたのだから謝られることなど少しもない。ぽんっと頭に手を置くと寝癖になっている髪をなおすようにさする。

 

「気にするな。それより早く顔を洗ってくるといい。バスの時間に遅れるぞ?」

「……あ、そうだね」

 

 なのははベッドからおりるとちょこちょこと効果音がなるような歩き方で部屋から出て行く。その一歩手前で立ち止まると、恭也へと振り向く。

 

「起こしてくれて有難うね、おにーちゃん!!」

 

 語尾にハートマークが着いていそうな嬉しそうな響きを残してなのはが一階へとおりていった。殆どのクラスメイトが妹とはうまく行っていないという話を時々耳に挟むが、高町家ではそのようなことはないようで正直胸を撫で下ろす。

 まだ幼いということもあるだろう。だが、なのはが成長して年頃になったらどうなるのだろうか。反抗するなのはをイメージして気が重くなる。どうやら相当なダメージを負う事は間違いないようだ。どうか、なのははずっとあのままでありますようにと珍しく神頼みをした恭也も一階のリビングへと戻る。

 

「あ、きょーちゃん。おはよー」

「お師匠。おはようございます」

「お、流石に今日ばかりは帰ってくるの早かったわねぇ」

 

 なのはを起こしに行っている間にリビングには美由希とレンと桃子が戻ってきていた。美由希は風芽丘学園の制服。胸元の学年色を示す黄色のリボンも輝いている。

 対してレンは海鳴中央の制服だ。二人ともおろしたての制服のため皺もなく、初々しさが身体全体からあふれ出ている。そんな二人を見ていた恭也だったが、桃子が突然近づいてきて―――美由希やレンに聞こえないような小さな声で囁く。

 

「ねぇ、恭也? ちょっとは何か言いなさいよ?」

「……何か、とは?」 

 

 そう聞き返した恭也を、桃子は―――うわー何言ってんのこの子―――というような駄目な子を見る目で見返してくる。高町母は、はぁとため息をつきながら首を振った。

 

「ここまで朴念仁なのも国宝級ね……新しい制服きているんだから褒めてあげなさいってことよ」

「……そういうことか」

「そうそう。そういうことよ」

 

 桃子の台詞の意味がわかった恭也が頷くが、桃子は半ば投げやりにそう返事をする。成る程。桃子の言葉を理解してみれば、簡単なことだった。美由希もレンもどこかそわそわとして落ち着きがない。普段では全くありえない事だ。視線をあちらこちらに向けているように見えるが、ちらちらと恭也を窺っているのは明らか。つまり、二人は恭也の感想を聞きたいのだろう。それにようやく気づいた恭也が遠慮がちではあるが二人の制服姿を見る。あまりじろじろみるのも悪いかと思ったからだ。

 つい先日までは二人とも別の制服をきていたのだから、確かに新鮮な姿だ。しかし、美麗字句を並び立てるのも恭也には似合わない。というかそんなことができたら朴念仁などと決して呼ばれないだろう。

 

「二人とも、まぁ、なんだ……よく似合っている」

 

 結局恭也が告げたのはそれだけであった。

 桃子はそんな恭也の感想に嘆息するものの―――まぁ、いいかと思うしかなかった。

 

「えへへ……」

「有難うございます。お師匠」

 

 美由希とレンは素直に恭也の賛辞に照れていた。

 二人とも長い付き合いなので、今のが恭也の最大限の褒め言葉だということを知っているからだ。最悪何も言われないか、良くても馬子にも衣装―――程度のことを予想していただけに意外すぎる恭也の台詞に照れを隠し切れない。

 

 この程度のことをいうのにも恥ずかしかったのか恭也は無言で朝食が並べられているテーブルに座り新聞を広げる。そんな恭也の姿に三人は顔を見合わせて苦笑した。

 そうこうするうちになのはも顔を洗ってきたのだろう、起こしたばかりのときのような寝ぼけ眼ではなく、しっかりと目を覚ました様子でリビングにやってくる。これで一応高町家にいる全員が揃ったことになる。普段だったらフィアッセもいるが、今日はマンションの方に戻っているのでまだきていないようだ。

 全員が椅子に座り、食事の前の挨拶を済ませ、朝食に舌鼓をうつ。ゆっくりと味わいたいところだが時間的にもそういうわけにもいかない。手早く皆が食事を終えると桃子が食器を洗い始めた。

 

「すみません。後はお願いしてもいいですか?」

「いーのいーの。桃子さんに任せておきなさい」

 

 晶が申し訳なさそうに謝っている。時間も迫ってきているだけに洗い物までする時間が厳しかったのだ。それに桃子は笑いながら胸をドンと叩いて答えた。普段なら桃子も店長を務める翠屋にいかなければならないが、今日はお休みを貰っていた。翠屋は人気の洋風喫茶ということもあり休みを取ること自体なかなか厳しいのだが、今回ばかりは二人の愛娘の入学式ということもあるためアシスタントコックの松尾さんの許可をしっかり取っている。

 

 恭也も部屋に戻り風芽丘学園の制服に着替えると一階へ戻る。

 玄関にはすでに美由希とレンと晶、そしてなのはの姿が見えた。そこへエプロンで手をふきながら桃子もやってくる。

 

「じゃあ、また後でね。いってらっしゃい」

「「「「いってきまーす」」」」

「ああ。行ってくる」

 

 桃子に見送られ恭也達は学校へと向かう。風芽丘学園と私立海鳴中央は同じ敷地内にある学校だ。少子化が進む昨今ではあるが、部活動では運動部が優秀で力を入れていることもあり多くの学生が集まっている。巨大な土地面積と生徒数をほこるマンモス学校ということで中々にその学校名は通っている。

 

 恭也達五人連れ添って歩いている姿を知らない人が見たらどう思うだろうか。

 仲がいい兄弟と思う人が多いかもしれない。年齢の離れた友達同士と思うかもしれない。もちろんそれは制服で登校しているからであり―――私服であったらまた意見も変わってくるだろう。間違いなく恭也となのはは親子。レンと晶は下手をしたら……年若いカップルに見られるかもしれない。

 

 なのはは皆で登校できるのが嬉しいのか上機嫌で歩いている。普段は誰か一人とバス停までしか一緒ではないので、これだけ大人数でいられるのは嬉しいのだろう。通りがかる近所の人達に挨拶しながら数分。私立聖祥大学付属に通う小学生達が集まっているバス停に到着した。

 

「あ、なのは。おはようー」

「おはよーアリサちゃん」

 

 なのはが仲の良い友達―――というのは少し年齢が離れているようにも思えるが―――見かけ駆け寄る。金の髪が美しい、元気溌剌そうな少女だ。

 少女の名前はアリサ・ローウェル。名前の通り日本人ではない。そして、本当の両親の顔を知らないという。もっと幼い時から孤児院で過ごしていたが、最近になって養子として迎えられたらしい。普通ならば捻くれたりするのだろうが、そんな翳りなど一切持たない少女である。

 

 歳は丁度十。なのはよりも少しだけ年上ではあるが、姉妹のように仲がいい。以前に―――とある事件を経て高町家と交流を持つようになり、それが縁でなのはとも仲が良くなったのだ。

 

 仲良く二人で話をしていると、時間になったのか毎朝迎えに来る聖祥大学付属小学校専属のバスが到着した。なのはとアリサ。その他の待っていた子供達もバスに乗り出発。その間際窓ガラスごしにアリサが恭也に向かってウィンクをしてくる。それに軽く手を挙げて答える恭也。それだけでアリサは満面の笑顔を残していった。

 

「アリサちゃんも相変わらずですね」

「おししょーって小さい女の子にもてますよねー」

「そうそう。恭ちゃんってなんか変なフェロモンでもだしてるんじゃ―――」

 

 晶とレンに重なるように発言した美由希だったが、言い終わるよりも早く恭也の右手がぶれた。それに気づいた美由希が迫ってくる右手を防ごうとして―――その右手は蜃気楼のように実体をなくし、美由希の額にデコピンが直撃する。

 脳を揺らすかのような衝撃がはしり、美由希はふらふらと後ろに倒れそうになるが、電信柱が背についたおかげでそれは阻止することが出来た。

 

「あ、あれ……? 何やってるの美由希ちゃん?」

「おししょーのそれ(・・)って何時も思うんですけど凄すぎますよー」

 

 晶は突然苦しみだした美由希を呆然と見ている。何が起きたのか全く分かっていないようだ。レンは美由希がなにをされたのかわかったらしく、額を痛そうに押さえる。美由希がされたのをみて自分がデコピンを受けた場合のことを想像してしまったのだろう。   

  

「二人とも早く行かないと遅刻するぞ?」

「あ、そうですね」

「流石に今日遅刻したら洒落になりませんしねー」

 

 苦しんでいる美由希をおいて三人は先へ行ってしまう。それを見た美由希が額を片手で押さえながら追いかけてきた。何時も喰らっているせいで耐性ができたのだろうか、普段だったらもう少し長い間苦しんでいたはずなのだが。

   

「デコピン一発にも()を込められる師範代を褒めるべきか、防ぐことができない自分の未熟さを戒めるべきか……」

 

 涙目になってそうヒリヒリと痛む額を気にする美由希だったが―――。

 

「徹だけだと思ったか?」

「え? 徹……じゃない、の?」

「いや、今のお前にしては上出来だ」

「え、ええー?」

 

 いまいち納得できない。そんな様子の美由希だったが、こういう意味深な発言をした時は追求しても話してはくれないことを経験上知っているので大人しく諦める。そして彼女は改めて考える。意味もなく恭也があんなことを聞くはずがない。聞くはずが……な、ないかもしれない。

 不安になる美由希だったが、先程の恭也のデコピンを脳裏に浮かべる。確かに受けた一撃は徹のこもったデコピンだった。衝撃を完璧に内側へと伝える技術。最近になってようやく使いこなせるようになったのだから間違いようがない。デコピン一発でもわかる兄の凄まじい基本の錬度。

 他に何があるのか思い出そうとした美由希だったが―――思い至る。恭也の右手の動きは速かったが、防げないほどではなかったのではないか。かなり手を抜いていたのだろう。美由希でも防ごうと防御をすることができたのだから。

 問題はその後だ。恭也の右手を押さえたと思った瞬間、そこが最大の違和感だ。自分の防御を通過してデコピンを叩き込まれた。確実に防げたはずなのに。幻を見せられたかのように、抜けてきた(・・・・・)

 

 ―――わざと右手の動きを遅くした? 私が反応できるように?

 

 恐らくそれは間違いない。

 何故なら普段の恭也だったならば気がついたときにはすでに額に打ち込まれているのだから。だというのに今回は視認して、なおかつ防ぐ時間もあった。そして……防御をすり抜けた。それを見せたかったのだろう。気づいて欲しかったのだろう。今のデコピン一つに込められた、技術に。

 

 だが―――。

 

 口元を面白げに歪めていた恭也をちらりと横目で見て……ただたんに面白そうだから打ったんじゃないかと不安になる美由希だった。詳しい追求は今は無理でも鍛錬の時にでも聞こうととりあえず忘れ、恭也に追いつき、並んで歩き出す。

 

 四人が幾分かゆっくり歩きながら学校へと向かう。その途中多くの学生もその道へと合流してきた。千人を軽く超える規模の学校のため、通学路となる道は学生で一杯だ。

 その中には多くの新入生と思わしき若い少年少女が混じっている。ピカピカに光るおろしたての制服に、希望を胸に膨らませ学校へと向かっているところだ。

 

 随分とゆっくりと来た割には時間には余裕が見て取れた。校舎の前に、学年ごとに貼られているクラス分けを見てみると……恭也は風芽丘学園三年G組であった。

 他に見知った知り合いがいないか順番に見ていくが―――発見したのは赤星勇吾と月村忍。恭也の三人しかいない友達のうち二人までが同じクラスになったことに胸を撫で下ろしたい気分だった。神は恭也を見捨てなかったのだ。

 

 クラス分け程度で大げさな話だが、恭也にとっては死活問題だ。恭也は授業のほぼ半分近くを睡眠に費やすことも少なくない。となったら問題はノートだ。授業態度はもはやどうしようもないが、テストでそこそこの点数さえとれれば問題な……くもないが、補習は免れる。

 真面目な赤星と一緒になればノートの心配はない。良く考えたら月村忍は恭也以上に授業中寝ているのだからあまり期待できなかった。結局は知り合い二人がクラスメイトになれたのが嬉しかっただけだが。

 

「それじゃあ、お師匠。また後でですー」

「また始業式終わったら一緒に帰りましょうね!! 師匠!!」

「ああ。二人とも入学式から喧嘩はするなよ?」

 

 私立海鳴中央のレンと晶は校舎が違うので恭也達と別れ、別の校舎へと向かっていく。美由希は自分に挨拶をされなかったことを少し寂しく思ったが、何時ものことなのですぐさま立ち直ると恭也と一緒に風芽丘学園の校舎に入り、上履きに履き替えた。

  

「一年の教室は三階にある。クラスは何だ?」

「えーと。Aクラスだったかな」

「それならば、そこの階段を三階まで上がって一番手前の教室のはずだ」

「有難うね、きょーちゃん」

「道に迷うなよ?」

「……階段上がるだけなんだから迷いようがないと思うよ」

「お前ならやりかねんしな。剣を握っている時以外のお前の行動はあまり信用できん」

「……うう。あまり反論できないのが悔しいよ」

 

 口を尖らせて上目使いで睨んでくる美由希。

 その子供っぽい様子に少しだけ苦笑する。

 

「また後でな」

「……え? う、うん。また後でね、きょーちゃん」

 

 恭也と別れた美由希は階段をあがっていく。

 同じようにのぼっていく生徒もいれば降りてくる生徒もいる。

 

 そんな日常空間のなか、突如としてそれは舞い降りた。ピシっと空気が凍ったようなな非日常が産声を上げる。奇妙な軋み音をたてながら、一瞬で周囲の温度が下がっていく。その冷気を発するモノが階段をおりてくる。反射的に身構えてしまう美由希。その場から逃げ出したくなる負のオーラがざわざわと揺らめいている。

 三階へと続く階段の踊り場から姿を現したのはただの少年であった。いや、ただのというには語弊があるだろう。百七十を少しこえたくらいの身長。これは問題ない。問題があるとすれば容姿だ。これほど禍々しい気配を発する人物の癖に―――そこらのアイドル顔負けの美形。

 階段をのぼっていく美由希とおりてくる少年。その間の空気が異常なほどに壊れていった。少年は美由希のことなど眼中に様子がさらなる違和感を加速させる。身体を反射的に抱きしめたくなるような寒気。少年の姿が―――どう見ても人間なのに、どう見ても人間にはみえない。

 

 ただ歩いているだけだというのに―――その背後には言葉には出来ないおぞましい何かが渦巻いて見えた。不吉な気配を撒き散らしながら、少年は美由希の前で階段をおりるのをやめ……。

 

「やぁ、キミは新入生かい?」

 

 朗らかに話しかけてきた。

 あまりに急な問い掛けに返事がつまる。そして何とか頷くことで是とした。

 

「ああ。胸元のリボンの色で学年の色が分かれているからね? だからすぐにわかったのさ。それだけのことなんだからそう警戒しないでほしいんだけどね」

「……」

 

 にこにこと邪気などいっさない微笑み。まるで幼児のようなその笑顔をみて、普通の人ならば警戒心を解かれ、魅了されたかもしれない。だが、美由希は全く駄目だった。おかしいのだ、この少年は。頭のてっぺんからつま先まで―――その全てが、何かがおかしい。

 

「うーん。困ったなぁ。初対面でここまで警戒されたのは、初めてかもしれないね」

 

 本当に困ったように頬をかく少年。そんなとこまで絵になっているのが美形故だろうか。何も知らない初心な娘ならばこの少年に少しでも囁かれたら恋に落ちてしまうかもしれない。美由希に限ってはそんなことはないが―――だって、こんなにも異質な人間に、どうやって好意を抱けというのか。

 

「あー。自己紹介がまだだったね、失礼。僕の名前は―――太郎。山田太郎というんだ。風芽丘学園の二年生になったばかりの若輩者だよ」

「……偽名?」

「いやー酷いなー。まー、でも皆そんな反応するけどね。あはははー」

 

 あまりにあまりすぎる名前の少年……山田太郎は美由希の返答に笑って返した。

 苗字と名前が普通すぎるゆえに突っ込まれることには慣れているのだろう。

 

「皆同じ反応をするから参っちゃうよ。その気持ちもわからないでもないから怒るに怒れないしさー。僕だってもし、僕以外の誰かが山田太郎とか名乗ってきたら間違いなく本名かどうか疑うしね」

「……」

「おっと。時間が迫ってきたようだね。できればキミの名前を知りたかったけど今回は諦めるよ。この学園内にいればどうせまた会うことになるしね」

「……失礼します」

 

 無礼だとは思った。たとえどんな相手だろうと、先に名前を名乗ってきたのだ。それに名前も名乗らず去ろうとしている。礼に無礼をもって返している。でも、どうしてもこの山田太郎に必要以上に近づきたくはなかった。

 確かに太郎の言うとおり時間はもう残り少ない。これ以上ここで時間を使っては遅刻になってしまう。初日から遅れていくのも問題だろう。そんな美由希が太郎の横を通り抜け三階へとあがっていく。太郎は逆に二階へと降っていくが―――。

 

「また会おうね―――高町美由希さん?」

「……っ!?」

 

 名前を呼ばれ振り向くもすでにそこには太郎は居なかった。先程までそこにいたというのに。すぐそこで声が聞こえたというのに。薄気味悪い得体の知れない少年―――山田太郎はまるで最初から存在しなかったかのように姿を消していた。

 幽霊とでも話していたかのような不気味さを感じつつ、美由希は自分の教室へと足を進めた。どこからか感じる自分への視線を浴びながら……。

 

 一方姿を消した山田太郎は―――。

 

「いやはやー。素晴らしいなぁ」

 

 何時の間に移動したのだろうか。先ほどまでは確かに美由希と話していたはずの山田太郎は、屋上に移動していた。墜落を防ぐための屋上のフェンスに手をかけながら、中庭を挟んだ向こう側の校舎の三階の廊下を歩く美由希の姿をとらえている。

 

「まさかあれほどの逸材だったとはねぇ。これは一目ぼれというものになるのかな?」

 

 くすくすと嬉しそうに太郎は笑みを絶やさない。

 先ほどクラス発表の紙が貼られていた校舎前で遠くから美由希を見てしまった時から、これまで出会って来た女性たちがまるで紙人形のように薄っぺらにしかおもえない衝撃を受けた。太郎はずっと探していた。太郎はずっと求めていた。太郎はずっと欲していた。

 

 ―――自分と対等に渡り合える雌獅子を。

 

「ようやく、出会えた。逃がさないよ。高町美由希」

 

 その歪んだ微笑みは―――決して恋心などではなく、ただただ己の生涯の宿敵を見つけたことに対するまがった歓喜しかなかった。

   

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。日本から遥かに離れた東欧の地にて。

 

 そこ(・・)は都会とは言い難い街から、大きく広がる森を貫いて、さらに数時間はかかる辺境といってもいいだろう。誰も近寄らない、道に迷った人間がひょっこりと現れる程度でしかない草原だった。普段だったらその見渡す限り埋め尽くす草原に息を呑んだだろう。だが、今はその草原が……地獄になっていた。

 

 ぐちゃり。

 

 肉が潰される音が周囲に響く。

 あたり一面に広がっている草原は今では赤く染まっていた。どろりと濃厚な血に塗れている。その原因を作っているのは―――化け物。そうとしか言いようがなかった。

 体長は三メートルほどだろうか。巨大な筋肉の塊としか言いようのない。二足歩行で立ってはいるが、人間でいう顔のある部分が、犬のような形をしていて、鋭い牙がごっそりと伸びている。毛がはえていない巨大な化け物。まさしくその表現が相応しい怪物であった。普通の人間がみたならばグロテスクな冗談ではないかと勘違いしそうな異端の何かだ。

 

「ひ、ひるむな!!奴も負傷している!! ここで退いたらさらに多くの犠牲がでるぞっ!!」

 

 その化け物を囲んで逃がさないように何人もの黒服の男達が各々の武器を化け物に向けている。手に大型の拳銃を持っていた男達は、弾倉が空になるまで化け物に銃撃を続けた。

  

 だが、たりなかった。大型の拳銃であったとしても筋肉の塊であった化け物には小さな傷跡しかつけれなかったのだ。顔をかばっていた化け物は、そんな男達を見て嘲笑をうかべる。

 

「その程度で、俺を殺せるとでも思ったのか?」

 

 そして、流暢に話しはじめたのだ。理性など全くないように見える化け物が、人間の言葉を喋ったことに誰も驚かない。そんなことは最初から判っているのだ。

 

「お前らのような雑魚が、アンチナンバーズの序列三百十五位の……三桁台のこの俺様をぉおおおおお殺せるとでも思ってんのかよぉおおおおおおおーーー!! 人間ごときがぁぁぁぁああああああ!!」

 

 男達の戦意を挫くような、凶暴な雄叫びをあげた。囲っていた男の一人がそれに耐え切れず、短い悲鳴を残して逃げ出す。それに続くように、また一人。また一人と逃げ出し始める。残ったのは僅か数人となっていた。

 

 化け物は凄まじい速度で男の一人に近づくと、片腕を叩きつけてくる。男は逃げるでもなく、その動きをぼーと眺めたまま、ぐちゃり、とおぞましい音をたてて、熟れたトマトが地面に叩きつけられたかのように、男だったモノが地面にぶちまけられる。人一人を一瞬でひき肉へとかえた化け物は、その肉塊へとかわったモノの前に座り込み、かぶりつく。肉と骨を咀嚼する音が絶望的なほどにあたりに響いた。

 

 非現実的な光景。だが、黒服達にとっては、これが当たり前の光景なのだ―――ナンバーズと呼ばれる組織に属する彼らの。男達に恐怖を与えるようにゆっくりと喰らっていた化け物だったが、その途中で凄まじいほどの圧力を感じ、それが感じられる方向へと犬のような顔を向ける。

 

「やれやれ。たかが序列三桁台程度の化け物が、こうも調子にのるとはな。いい気になるなよ、三下が」

「全くです。分相応という言葉を考えて欲しいものです」

 

 遠く離れているというのに肌をピリピリと打ってくる圧迫感。それの発生源であろう女性が二人ゆっくりと歩いてくる。人間を喰らう化け物がいるというのに、全く気にせずに、まるで虫を見つけたかのような嫌悪感のみを見せて。

 

 一人はまだ少女といってもいい年齢か。せいぜいが十代半ば。染めたような色ではなく、綺麗な茶色が映える長髪。腰近くまではあるだろう。可愛らしい容姿とは別で、表情は恐ろしいほどに冷たい。その腰元には二振りの剣が鞘に納められ、挿されている。

 

 もう一人は、少女よりもかなり年上の女性だった。切れ長の目とシャープな顎のライン。薄紫のショートヘア。年は二十代前半だろうか。モデルでも嫉妬するようなすらりとした細身の身体だが、恐らく百七十をゆうにこえる身長だろう。この女性は、少女とは比べ物にならない色気を醸し出している。男物のスーツを着ているが、それがまた女性の氷のような美しさを助長させているようだ。少女が剣を携えているが、女性は何一つ武器らしいものを持っていないのがアンバランスであった。

 

 彼女達が現れて、残っていた男達は安堵のためいきをついた。ようやく時間稼ぎが終わり、自分達の役目を達成させれたのだから。たいして、化け物は女性二人を見て、怯んだように後ろへ一歩下がった。

 

「な、なんで、こんな場所に、お前みたいなやつらが……いやがる!? ナンバーズの、数字持ちがぁ!!」

 

 幻聴だろうか。化け物の声には恐れが混じっているように聞き取れた。人間を遥かに超えた化け物が、ただの女性と少女を恐れるなど可笑しな話だ。

 

「今回はお前が前衛にでろ。できるな、ディード?」

「はい。お任せください。トーレ姉様」

 

 ディードと呼ばれた少女は腰元の双剣を抜く。

 重さなど感じていないように、軽々と構え、化け物を冷たい瞳で射抜いた。

 

「く、くそがぁああああああああああ!!」

 

 威嚇の雄叫びではなく、後悔と恐怖が織り交ざった遠吠えをあげ、化け物は疾走する。丸太のように太いその拳の一振りで人間を肉塊へとかえられる破壊力を秘めた一撃が、ディードに向かって放たれる。先程の反応できなかった男性のように狙われた少女は身動き一つしない……いや、彼女はその拳の軌道を静かに見つめていた。 

 

ツインブレイズ(・・・・・・・)

 

 ディードが全身から強い輝きを放つ。

 化け物の拳が届くより早く、純白に煌く翼が背中から出現。化け物の目をやくように発光した。それに怯んだ一瞬で、彼女は拳をかいくぐり、双剣を振るう。

 その域や、超速。圧倒的な速度と威力の斬撃が化け物を切り刻んでいく。筋肉の塊であったはずの化け物が、銃弾をも気に留めなかった化け物が、まるで暖めたバターを切るかのよう労力で。反撃する隙さえなく、腕を、足を、斬り飛ばされ―――断末魔をあげる間もなく、首を斬りおとされた。

 

 ―――瞬殺。

 

 絶望が具現化した化け物は、まさに一瞬で斬殺されてその生涯を終えた。圧倒的な戦闘力を見せ付けられた男達は呆然とその光景を見ている。本当にあの化け物が殺されたのか信じられない。その光景をつくりだしたディードは背中に展開していた光の翼を消す。

 

「上出来だ、ディード。お前も腕を上げたな」

「有難うございます。トーレ姉様」

 

 表情は変えないディード。

 だが、どこかその嬉しそうに見えるのは勘違いではないはずだ。

 

「―――お前達は後始末を頼むぞ」

「は、はい!!」

 

 声をかけられた男達は無線を片手に化け物の残骸の処理を始める。それもナンバーズの仕事の一つだ。化け物の存在が公になれば、間違いなく世界は混乱する。完全には隠せなかった異端による事件も、普通の事件として報道すればそれは日常の出来事の一つとして誰にも疑問を残さないですむ。

 

 一般の人々が化け物の存在を認知してしまえば、確かに何も知らないよりは良いのかも知れない。だが、武器ももたぬ一般人がどうやって自分の身を守ればいいというのだ。ただ、恐怖するしかない。そして、その恐怖は疑いをうむ。もしかして、隣に住んでいる人間は実は化け物ではないのか、と。

 

 疑いは際限なく広がりやがて悲劇となる。そんな状況にならないためにナンバーズがいるのだ。化け物の存在を隠し、人々を守る。もっともそのような崇高な意思を持って行動しているナンバーズは数えるほどしかいないが。

 

 ―――パチパチパチ。

 

 男達が無線で話をする声しかきこえない中で、拍手が聞こえた。

 誰がした拍手だろうか。誰もが疑問におもい、そして気づく。全く気配を感じさせずに、彼女(・・)はそこにいた。

 

「なんと見事。流麗可憐。美しきかな。いやはや、ナンバーズの数字持ちとして年若かったその少女も、随分と強くなりましたね?」

「……き、きさま!!」

「っ!?」

 

 トーレとディード

 二人がその女性の声を聞いた瞬間、その場から離脱。数メートル以上の間合いを取って、向かい合う。そして、二人の背中には光り輝く羽―――リアーフィンと呼ばれるそれを―――展開する。

 

 笑顔を絶やさぬプラチナブロンドを靡かせる未来視の魔人。

 二人の猛者の感覚に気取られることなく、天眼は間合いの中へ現れていた。戦慄するディード。

 

「お久しぶりですね。三番さんと十二番さんでしたか? 相変わらず夜の一族狩りをしているみたいですね」

「アンチナンバーズが序列二位……事実上の最大の人類の敵がこんなところでなにをしている?」

「別に意味なんてありませんよ? ただ散歩にきただけです。ここらへんは私の散歩のコースなんですよ」

「……」

 

 目つきを鋭く。睨みつけるような二人の視線を受けても天眼の態度に変化はない。

 凄まじい重圧の殺気を放っても暖簾に腕押し。魔人は気にしたそぶりもない。

 

「冗談ですよ。そんなに怖い目をして欲しくないんですけどね」

 

 ふぅとやや小馬鹿にしたように首をふる。

 ディードの足に力が入り、地面を蹴りつけようとした瞬間―――。

 

「相手が悪いですよ?十二番さん?」

 

 背筋が凍った。

 睨みつけていたはずの天眼の姿が消失し、驚く暇もなく首元に手を添えられていたのだから。触るか触らないかの隙間をあけて、なでるように首に両手をあてている。息が詰まるような圧迫感。呼吸が出来ない。

 

 しかし、そんな圧迫感も一瞬で消えた。

 天眼はディードから大きく距離を取ったからだ。それと入れ替わるようにトーレが先程まで天眼がいた空間を光り輝く爪で薙いでいた。彼女の両手に輝く太陽のような光をはなつ爪。リアーフィンの力によって生み出された、鉄をもたやすく切り裂くトーレだけの、如何なる鉄壁の防御も結界も容易く無効化する人類最強とも称される近接兵器。

 

「怖い顔をしても、何もしませんよ? 今はまだ、ですけどね……」

「ここで決着をつける気か……?」

「決着?」

 

 何を言っているのだ、と天眼が呆れたような声をあげたが、トーレの険しい顔つきを窺い、再度ため息をつく。

 

「今回はそんなつもりはありませんよ? ちょっとした情報を伝えにきたんです」

「情報、だと?」

「貴女達が掴めないアンチナンバーズが序列六位。伝承墜とし、彼の情報です」

「伝承墜とし!?」

 

 ディードが反射的に聞き返す。

 驚くのもむりはない。ナンバーズの情報網でも掴みきれていない伝承墜とし。それが本当ならば喉から手が出るほどに手に入れたい情報だ。人類最大の敵でもある伝承級の一桁台。その化け物のなかの化け物の情報が不明などあってはならないことなのだから。

 

「ここから遥か極東の国日本。そこに伝承墜としは居ます。探してみるのも一興ではないですか?」

「……その情報を私達に伝えるメリットはなんだ?」

「メリット? そんなものを考えているんですか? 結局貴女達は動くしかないのですからね?」

「ちっ……」

 

 トーレが舌打ちをする。

 実をいうとナンバーズと天眼は半協力関係にあるといえる。天眼は様々な夜の一族の情報をナンバーズに渡す代わりに、ある程度の行動は黙認されるのだ。ナンバーズといえど天眼と真正面からぶつかりあうのは、どれだけの被害がでるか判らない。それ故にどれ位昔からかもう忘れ去られているが、奇妙な協力関係にあるのだ。

 

「それではお二人とも……いずれ、また」

 

 再会を匂わせ、天眼は森の中へと消えていった。

 残された二人は暫くの間緊張をとくことはなかったが、完全に去ったのがわかると背中のリアーフィンを消し去る。

 

「……調べるしか、ないか。日本で任務をしている数字持ちはいるか?」

「確か……チンク姉様が向かっていたはずです」

「チンクか。奴ならそう簡単におくれを取ることはあるまい。情報を回しておこう」

「わかりました。他に誰かむかわせましょうか?」

「……そうだな。クアットロとウェンディにも伝えておいてくれ。差し迫ったアンチナンバーズへの対応もあるまい。念のため援護に回ってくれと」

「はい。わかりました」

 

 今の今まで全くの情報もなく、影さえ踏めなかった存在。伝承墜とし、その存在を突如として匂わせてきた未来視の魔人。その不自然さと突然差に、胸中がざわめいていた。暗雲に覆われた空を見上げて―――トーレは不吉な予感を隠せずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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