御神と不破   作:しるうぃっしゅ

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第8話:永全不動八門

 

 

 

 

 

 山田太郎。

 彼は平凡な名前と同様に平凡な人生を歩んでは―――いなかった。太郎が歩いてきたのは栄光の道といっても良い。自分の異常性に気づいたのは何時頃だったろうか。物心ついたころには気づいていたのかもしれない。人並み外れた身体能力。同年代を遥か後方に置き去りにする桁違いの運動能力を所有していた。

 

 そして、もう一つ。自分のイメージしたとおりに身体が動いてくれるのだ。僅かな狂いも無く。特に戦いという場においては絶大な効果を発揮する。中空に描く想像の軌跡をなぞるように腕を振るえば如何なる相手も地に沈んだ。太郎は凄かった。圧倒的なほどに強かった。これまでの人生で戦ってきた相手で、太郎を苦戦させるような敵はいなかった。それはどんなスポーツに置いてもそうだったのだ。

 

 努力をせずとも、他を圧倒できる純粋な才能。それだけで、太郎は最強という称号を欲しい侭にしていた。だからこそ、つまらなかったのだ。どんな相手も敵となりえる存在が居なかった故に。太郎は己と対等に渡りえる敵を誰よりも求めていた。

 

 そして、ようやく出会えた。高町美由希という雌獅子に。

 

 一目で心を奪われた。勝てるかどうかわからない。本気でそう思える存在にようやく出会えたのだ。歓喜しか太郎にはなかった。そこでひたすらに考えた。どうすれば高町美由希の全力を引き出せるのか。考えた末の方法。妹の高町なのはを餌にするという碌でもない手段だったが、しっかりと高町美由希をおびき寄せることが出来た。ようやく戦えるのだ。ようやく本気で潰しあえるのだ。産まれて初めて自分は本気を出すことが許されるのだ。

 

 ああ―――ああ。ああ、ああ、ああ……愉しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

  

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 倒れ伏した太郎には目もくれず、美由希はベッドに寝かされているなのはに駆け寄ろうとして足を止めた。壁に激突して地面に寝転がっていた太郎がゆらりと立ち上がったからだ。足取りは多少は覚束ないようではあったが、それでも立ち上がったことに驚きは隠せない。脇腹を殴られ、顎を蹴り上げられたというのに、太郎の表情は普段と変わらない笑顔を見せている。いや、逆に普段より笑みが深いような気がした。

 

「いやはは。素晴らしいね。僕の反応よりさらに早く……これほどとは思わなかったよ」

 

 全く堪えていないような様子の太郎に、美由希の眉がピクンと跳ねる。たった二発とはいえ、全力の拳と蹴りを叩き込んだのだ。だというのに平然とする様子は予想外ではある。赤くなった顎を手でさすりながら、壁際から美由希に一歩ずつ近づいてきた。

 

「……っ!?」

 

 出し抜けに、背筋を悪寒が突き抜けた。幾千と繰り返してきた戦いの経験が反応し、流れるように身体が動く。咄嗟に顔の前で組み合わせた腕に激しい重みと痛みがはしった。崩れかけたビルに山彦が響くように肉と肉がぶつかり合った音が木霊する。

 

 その衝撃に美由希の重いとはいえない身体が後方へと流された。そのまま仰向けに倒れそうになるのを堪えながら、太郎の行動を見逃さぬよう体勢を整える。太郎は追撃を仕掛けるでもなく、右手を前にした半身の構えを取り呼吸を短く吐いた。それに美由希は首を傾げたくなる。確かに見事な構えだとは思ったが、何かがおかしい。

 

 足は大地に根を生やしたかのようにどっしりと踏みしめられ、背筋は鉄棒がはいっているのではないかと疑いたくなるほどに伸び、構えに隙が無い。まさにお手本のような姿勢。一種の理想ともいえるが―――あまりにもそれが完璧すぎた。外側だけが一分の隙も無いのだが、肝心の中身が―――。

 

 地面を叩きつける音が聞こえ、太郎の身体が空を跳ぶ。数歩の間合いは、一瞬で消え去り、左右の拳が美由希へと襲い掛かった。先程のお返しと言わんばかりの右拳が美由希の左脇腹を狙うが、一歩後ろに引くことによってかわす。続いて、左拳が美由希の側頭部に放たれた。  

 

 その左拳が美由希に着弾すると思われた瞬間、太郎の下半身から地面への感覚が突如消えうせる。太郎の死角となる位置から足払いをかけられた。遠くから見ている者がいたならばはっきりとそう分かっただろう。だが、太郎は足を払われたと理解できることはなく―――視界が反転するなか、美由希の肉薄を許していた。

 

 必死の思いで、体勢も定まらぬまま、苦し紛れの拳を振るう。そんな攻撃が美由希に通じるわけも無く、救い上げるような美由希の左拳が太郎の腹部に喰らいつく。先程と同様に身体を突き抜ける、衝撃。か弱い少女の拳だというのに、その一撃は鉄槌で殴られたと錯覚するほどに重い。

 

「ぐっはっ!!」

 

 拳の衝撃に口から唾液が撒き散らされる。透明なものだけでなく、赤い血が混じった唾もあった。この前にくらった顎への蹴りで口の中を切っていたらしい。唾液を吐き出しながらも、美由希が左足で踏み込んだのが見えた。そして―――右足がぶれる。

 

 脇腹への衝撃で頭が下がったため、太郎の頭は美由希の蹴りで狙える絶好の位置へと落ちていた。放たれる右足。霞むような速度で跳ね上げられた右足は太郎の側頭部めがけて蹴り上げられた。

 

 どれだけ速くても、来る場所が分かれば防御することは容易い。左手をあげることによって、直撃だけは避けようとしたが……太郎の左腕に防がれる瞬間、右足がさらにぶれた。蹴りの角度が突如変化。隙だらけとなった脇腹へと叩きつけられる。

 

「―――ぁぁぁっ!?」

 

 想像もしていなかった一撃に、太郎の喉からは言葉にならない悲鳴しか上がらない。腹部を襲う激痛を必死で無視しながら、美由希から逃げるように距離を取る。太郎の頬を汗が滴り落ちた。太郎が攻撃に転じた一瞬を美由希は悔しくなるほど完璧に見切っていたのだ。

 

 恐ろしいほどに上手い。完全な死角からの掬うような足払い。そこからの回し蹴りも驚くしかない。頭を狙った蹴りを、太郎が防御したのを見た途端、腹部へと変化させた。単純な力では太郎の方が上だろう。だが、動きの速度は美由希の方が遥かに速い。さらに技術に関しては太郎とは桁が違っているといってもいい。

 

 それを認識した太郎が慎重に間合いを測りつつ、口元を汚す唾液を拭う。戦う前まで喜びに満ちていた太郎の心は、動揺に襲われ平常心を保つことさえも難しい状態であった。そんな心を無理矢理に押さえつけるように、深呼吸を繰り返し、冷静に美由希の全身を視界にいれる。

 

 対する美由希は息を全く乱すことも無く、軽くリズムを取るように身体を上下させていた。美由希の攻撃は変幻自在。後手に回ったならば防ぎきるのは難しいと判断した太郎が、放たれた矢の如き勢いで飛び出す。息もつかせぬ連続攻撃。右拳。左拳。時には左右の蹴りを混ぜ合わせながら、美由希の防御を貫こうと我武者羅な連撃。

 

 だが、それは届かない。美由希は、その攻撃すべてに反応し、あっさりと防ぎ、払う。十数発は打ち込んだ打撃は一撃たりとも、美由希を捉えることは出来なかった。それでも太郎は、美由希に反撃の機会を与えまいと攻め続ける。

 

 美由希の真似をするように、死角からの地を這うような足払い。しかし、それは美由希にとって死角からとはなり得ない。その足払いを足の裏で受け止め、足払いの威力を利用し後方へと跳躍。結局太郎の連撃は、美由希の防御を穿つことはできなかった。

 

「は、はははは……想像以上だよ。この僕がここまで子ども扱いされるとはね」

「……一つ質問しても良いですか?」

「うん、なんだい?」

「貴方はこれまで何か武術を極めようと努力したことはありますか?」

 

 平坦な美由希の質問に太郎は首を横に振った。

 

「いいや。僕にはそんなもの必要ない。神から与えられた才能。天に愛された武。それだけで十分さ。僕には、努力(そんなもの)など必要ない」

「そうですか……。それが本当なら貴方は凄い」

「―――え?」

 

 まさか褒められるとは思ってもいなかったのだろう。予想外の美由希の返答に、気の抜けた返事を返す。美由希は深く息を吐くと、首を振った。少しだけ羨ましそうに。そして、心底残念そうに。

 

「それほどの才を持ちながら―――このまま地に埋もれるのは本当に残念です。貴方の才は確かに群を抜いている。まさに天才という言葉が相応しい」

 

 拳を太郎に向けながら、寂しそうな瞳が全身を射抜く。才能だけで防戦一方とはいえ美由希の攻撃に耐え、ここまで渡り合える。それは美由希自身で驚くしかない。太郎は強い。これまでの人生で負け知らずだったのにも納得はいく。それでも才能だけでなんとかなるほど―――美由希達がいる世界は甘くはない。

 

 太郎の構えは確かに完璧だった。だが、それはあくまでも模倣。中身のない薄っぺらな武。いざというときに頼るものがない、惨めな孤高。

 

「できれば貴方には正々堂々とぶつかってきて欲しかった。そして―――兄と戦って欲しかった。そうすれば、きっと貴方は理解できたはず。本当の強さを。真の強者とはどんな境地なのかを」

「なに、を―――」

 

 返答は返さず、美由希の姿が残像を残す程の動きで太郎へと迫った。彼女の動きは今までよりもさらに速く、まさしく飛燕が如し。それが美由希の全速だということを認識する暇もなく、左右の掌打が顎と鳩尾を同時に打ち抜いた。反撃を考える隙も与えず、美由希の膝が唸る。止めをさすような二連続の鳩尾への打撃。

 

 耐え切れず、さらに前のめりとなった顎を打ち上げた。のけぞりながらも、無意識のうちに拳を美由希にふりまわすようにして放った太郎は賞賛されるべきだろう。だが、その苦し紛れな一撃が美由希に当たるはずもない。

 

 その攻撃を払いのけつつ、左回し蹴り。メシリという嫌な音が太郎の右足から響く。ガクンと崩れ落ちそうになった太郎の後頭部に、蹴り足が直撃。弾き飛ばされるように太郎の全身が泳ぐが―――最後の一撃。廃ビル全体が揺れるほどの強い震脚。地震が起きると錯覚するほどの。そっと美由希は太郎の腹に手を当て……。

 

「―――這い上がってきてください。貴方は、強かった」

 

 それが太郎がこの日最後に聞いた、高町美由希の声だった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 山田太郎の意識を呼び起こしたのは―――意外なことに顔にかかる水滴であった。ピチャン。ピチャン。と、一定感覚で顔に落ちてくる冷たい水滴が、太郎の意識を浮上させた。先日降った雨がどこかに溜まっていたのか、ぼろぼろになっている天井から漏れ出しているようだ。

 

 激しく痛む全身を押して、近くにあったベッドに手をかけて何とか立ち上がる。我に返り、辺りを見回すがそこは意識を刈り取られる前に、美由希と戦っていた場所であった。口の中に感じるのは生臭い鉄の味。それ以外にも何か硬いモノと、生暖かい液体がある。床にそれを吐き出すと、ベチャリと吐いた場所を赤く染めた。それと一緒に床に転がる白い歯。顎を何度も殴られたせいだろう。折れにくい奥歯をやられてしまったらしい。

 

 気を失ってどれくらい経ったのだろうか。生憎時計は持ってないので正確な時間はわからない。未だ下半身に痺れが残っているのを考えると何時間も気を失っていたとは考えにくい。当たり前のことだが、ベッドにはすでに高町なのはの姿は影も形もなかった。

 

「なんて、無様な……」

 

 気がついて最初に口から飛び出したのは、そんな台詞だった。全てが予想外の出来事。そう、今夜起きたことは太郎の想像を遥かに超えることしかおきていなかった。その最も大きな誤算は、高町美由希の実力。

 

 自分と同等に戦える雌獅子。そう考えていた自分が愚かしい。強かった。あまりにも強すぎた。手も足も出ずに、子ども扱いどころではない戦いの結果。高町美由希が雌獅子ならば―――太郎は鼠に過ぎなかった。

 

 美由希の実力を測れなかったこと以上に、許せないこともあった。戦いの最中、太郎は途中から焦燥に駆られていた。力の差に絶望を感じ、勝ち目がないと諦めてしまった瞬間が、あの短い戦いの中で確かにあったのだ。勝てるどうかわからない相手との潰しあい。その結果例え死ぬことになったとしても受け入れる。

 

 それを誰よりも望んでいたはずの山田太郎は―――美由希に恐怖し、戦えなくなっていた。勝てないのではない。戦わないのでもない。戦えない、という唾棄すべき結果を残したことを、山田太郎は許せなかった。

 

 今まで得てきた勝利など。今まで得てきた栄光など。そんなものを一笑に付すほどの敗北感。絶望感。そして、虚無感。太郎は手を握り締め、ベッドを力いっぱい殴りつける。歯を食いしばり、ぶつりと歯で噛み千切った唇から血が滴り落ち、ベッドを汚す。

 

 山田太郎の心に残されたのは―――己に対する目も眩むような憤怒だけであった。幽鬼のようにふらふらと、廃ビルを降りていく。途中何度も、座り込みそうになりながらも壁に手をついてゆっくりと降り続ける。廃ビルから外に出ると、月光が静かにあたりを照らしていた。普段だったら好むその光が憎らしい。

 

 ざっざと砂を踏みしめる音をたてて太郎は歩く―――そして、足を止めた。

 そこに、いた。何かが(・・・)いた(・・)人の形をした(・・・・・・)だけの怪物が(・・・・・・)いた(・・)

 

 壁に背をもたれさせ、両腕を組んだ状態で高町美由希の兄である―――高町恭也が悠然と立っている。何をするでもなく、壁にもたれているだけ。だというのに、その空間は捻じ曲がったような歪みを発生させていた。人はその気配を肌で感じなんと称するのだろうか。殺気。闘気。戦気。鬼気。そういった気配とはまた一線を画した―――この空間は一種の究極。

 

「高町……きょう、や?」

 

 どこからどう見てもそこにいたのは高町恭也だった。高町恭也以外のはずがなかった。しかし、別人だと言われなければ分からない。別の存在だと言われなければ理解できない。以前見た恭也は武の気配など感じさせない、一般人にしか見えなかったというのに―――今は、一般人に見ろという方が無茶な話だった。 

 

「き、キミは……一体、なんだ?」

 

 声が震えている。詰まりながらしか音を紡ぐことができなかった。太郎の耳にガチガチという不快な音が聞こえる。それが自分の歯が噛み合わさりたてている音だということに気づくまでしばしの時を要した。目の前にいるのが人だということに納得がいかない。

 

 ―――おかしいじゃないか。なんで、こんな、こんな、こんな―――。

 

ばけ、もの(・・ ・・)

 

 全てを忘れて気を失いたい。意識を手放したい。

 そう願っても、恭也の圧力は逃げることを許さなかった。

 

「妹が世話になったようだ」

 

 沈黙を保っていた恭也が口を開く。初めて聞いた声だったが、考えていたよりもずっと人間味溢れる声ではあった。例え機械のような抑揚のない平坦な声だったとしても納得できてしまう。そんな圧迫感が恭也にはあったのだから。轟と恭也の身体から、火柱が立ち昇ったかに思われた。人の姿だというのに人智を逸した重圧は、恭也の姿を一種の幻想の生物にも幻視させた。

 

 果たして恭也の台詞の中にあった妹という単語の意味指すものは、美由希かなのはか。一体どちらのことを指しているのだろうか。それとも両方を含んだ言葉だったのかもしれない。少なくとも今の太郎にその真意まではわからなかった。

 

「……ぅ……ぁ……」

 

 太郎の舌は上手く回らず、意味をなさないただの文字の羅列となる。あまりにも、桁が違いすぎた。いや、違う。そんなレベルではない。高町美由希でさえも桁が違ったが、高町恭也は―――次元が違う。鼠と獅子。いや、蟻と獅子。それほどの距離が二人にはあった。同じ土俵に立つことすらできない。本当に人間なのかと疑ってしまうほどの存在。

 

「美由希を狙うのは、良い。だが、お前は―――なのはに手を出した」

 

 恭也が腕組みをやめ、一歩ずつ太郎に近づいてくる。近づくにつれ、その圧迫感が凶悪になっていく。土下座をしてでも許しを請いたい。そんな逃避の思考が思い浮かぶ。だが、そんなことはできない。すりきり、削られた太郎のプライドが辛うじて、そんな思考を弾き返した。残り数歩。そんな間合いで恭也は足を止める。今にも地面にへたり込みそうな太郎の顔には何時もの笑顔はすでになく、泣き笑い。それが相応しい表情となっていた。

 

「戦いたいのならば、小細工抜きで美由希と向かい合え。次は―――無い」

 

 言葉を理解する暇もなく、太郎の体が跳ねた。瞬きするよりも速く、認識するよりも速く、一秒を遥かに短くした刹那の瞬間―――その挙動はまさしく紫電雷光。美由希のスピードが鈍く見えるほどの超速度。恭也はすでに太郎の目と鼻の先にいた。そして、一撃。無造作に、たいした力も込めずに、虫を振り払うように掌打を太郎の顳顬に放った。それだけで、太郎は自動車にぶつかったかのような勢いで、その場で一回転。地面へと激しい音をたてて倒れこんだ。

 

「山田太郎。この領域にまで登ってきて見せろ。なのはのことは許すことはできないが―――美由希の良きライバルであってくれ」  

 

 なのはに傷一つでもつけていたらこの程度では済まさなかっただろう。ほんの少し前に、美由希が気を失っているなのはを抱いて廃ビルを出てきたときは心の底から胸をなでおろした。無論、言葉通り太郎を許す気持ちなど一片たりともない。

 そして、太郎の心に僅かでも美由希を憎悪や恨む気持ちがあったならば、この場で負の連鎖となるそれを断絶していただろう。だが恭也から見た太郎の心には不思議とそういった感情は見受けられなかった。

 

 憎悪はあった。怨恨もあった。でもそれは、自分の無力さに対するものであり―――美由希に対して一切それは向けられていなかったのだ。故に恭也は太郎に一撃だけ入れることによって自分の気持ちに折り合いをつけた。

 

 山田太郎は確かに才あるものである。他を圧倒する選ばれた人間。天才を凌駕する天才であった。だからこそ、惜しいと思った。このままここで朽ち果てるのはまだ早いと何かが囁いた。

 

 恭也は意識を失った太郎を肩に担ぐ。

 身長は恭也と同じ位であるが、体重はそうでもないらしい。確かに見た感じ細身ではあった。軽々と男一人を担ぐと、廃ビル群から離れようと歩き出そうとした瞬間―――。

 

「それ、消さなくてもいいんですか?」

「ああ。別にそんなつもりは一切ない」

 

 無機質な声が響く。感情が一切こもっていない、機械のような声。先程の恭也よりもよほど声色に人間味がなかった。その問い掛けに驚くこともなく平然と返答をして振り返った。一つの気配が忍び寄ってきたことを理解していたからだ。

 

 先には悠然と恭也を見据える少女の姿。海鳴にいれば注目を集めるであろう容姿と服装だ。それもそのはず、巫女服に朱の帯。その帯には日本刀が差してあった。それが夜だというのに異彩をはなっている。純粋な黒で塗りつぶしたような真っ黒な長い髪。声と同じ、深い黒の瞳は月の光を拒絶するような冷たい光を放っている。日本人形を思わせる少女だが、身長も年齢も美由希と同じくらいだろうか。美由希とはまた異なる怖気を見るものに感じさせた。

 

「貴方の家族に牙を剥いたというのに命を奪わないとは……噂とは違い甘いんですね」

 

 太郎を視線だけで射抜き、それ扱いする少女。人を物と見ている発言に恭也とてそう気分がいいものではない。

 

「……キミは?」

「申し遅れました。不破恭也殿(・・・・・・)。永全不動八門が一。御神の闇(・・・・)―――不破が最終血統(・・・・・・・)

 

 懐かしき旧姓を言い当てられて、恭也の眉尻が僅かに上がる。不破の名を知っている者。恭也が不破であることを知っている者。そんな者などすでに数えるほど。ましてや、恭也たちの戸籍は父である士郎があり得ないほどに弄くり、もはやそこからたどり着くことは不可能のはずである。だが、少女の挿している刀。雰囲気、身体の創り、そして所作。それら全てを組み合わせれば彼女が一体何者なのか推測はつく。

 

天守の一族(・・・・・)のものか」

 

 恭也の予想に、機械のように見えた少女はビクリっと一度身体を震わせた。無表情だった顔色にも僅かな驚きが見え隠れしている。

 

「……仰る通り。わたくしは永全不動八門の一。天守家の次期当主(・・・・・・・・)天守翔(あまのかみかける)と申します」

「聞いたことはある。才気溢れる天守宗家の娘。永全不動八門の黄金世代(・・・・)を担う一角だと」

「お褒めに預かり光栄です。天守宗家の次女。今年で十六を迎える若輩者ではありますが、宜しくお願い致します」

 

 自己紹介を続ける少女―――翔だったが、その最中にも先程まで出ていた感情の色は既に消え失せていた。恭也は翔の全身を確認するように眺める。といっても別に下心がある視線ではなく、本当に確認をするためだけであった。

 

「成る程。最近風芽丘で感じていた違和感。妙な気配を幾つか感じていたが―――そのうちの一人は君か」

「……っ!?」

 

 感情を顔に出さないように心がけていた翔が、再び驚いたように目を僅かに見開く。確かに最近―――というか、入学式から翔は新入生として風芽丘学園に潜伏していたが気づかれていたとは思っていなかったのだろう。その動揺を消すように、翔の雰囲気がさらに冷たく、深くなる。

 

「気づかれていましたか……その通りです」

「それで、今更永全不動八門が何用だ?」

 

 翔の賞賛を突き放すように恭也が問い掛ける。言葉に組み込まれた威圧感。それが、波動となって翔を襲う。それに僅かに気圧されたように一歩後ろへ下がった。無意識のうちだったのだろう。自分が一歩下がっていたことを恥じるように、今度は恭也へと一歩足を踏み込む。

 

「不破恭也殿にお願いしたいことがございます」

「願い、とは?」

「―――御神美由希との戦いを認めていただきたい」

 

 翔が口に出した途端、空気が変わった。その場に居た誰も彼もの心臓を止めんと、凍て付いた空気を呼び起こした。三度翔の表情に感情の色が乗る―――それは明確なまでの恐れの感情が、浮かび上がってきている。だが、口は止まらない。

 

「わたくしは次期当主と言いましたが、あくまでも次期当主候補(・・・・・・)。精々が二番手程度の資格しかありません。だからこそ、永全不動八門の長老会(・・・)が畏れる御神宗家の剣士と戦い破った―――その証明が欲しいのです。御神宗家を倒したという事実はどんなことよりも評価される筈です。わたくしの魂に誓います。決して卑怯な手等使わず、正々堂々と戦うことを」

 

 恐れていながら、翔は一気に言い切った。恭也のプレッシャーに襲われながらも、退くような事はせず、真摯な瞳で訴えかける。己に出来る精一杯の想いを言葉に乗せ、翔はさらに一歩恭也へと歩み寄った。先程までは機械のような少女だったはずが、今は決してそうは見えない。感情がないというわけではないようだ。考え込むような恭也の様子に、どのような返答をしてくるのか不安なのか、自身のごくりと喉が鳴るのが聞こえた。

 

「そういう理由ならば好きにするといい」

「―――へ?」

 

 翔を襲っていた重圧は気がついたら消えていて、周囲は平穏そのものの空気が流れていた。至極あっさりとそう返答した恭也の台詞が信じられなくて、気の抜けた返事をしてしまう翔。さらには疑問系。まさかこんなに簡単に了承を得られるとは思ってもいなかったのだ。

 

「あ、あの―――本当に宜しいので?」

「ああ。俺の家族に手を出さなければ、美由希とは好きに戦えばいい」

 

 ある意味冷たいとも取れる恭也の答えだったが、翔はその言葉の裏を読み取っていた。美由希は強い。その美由希と真正面から戦って勝利を掴めるのと思うのならば、挑んで見せろ、と。込められていたのは絶対の信頼。自分が手塩にかけて育てた高町美由希の力。どのような状況でも、どのような相手でも、必ず打ち倒し、勝利する。

 

「あいつは、強いぞ?」

 

 自信に満ちた恭也の台詞に、翔は言い返すことが出来なかった。圧倒された。高町恭也の想いに。高町恭也の心に。高町恭也の言葉に。話は終わりだな、と短く確認した恭也に頷く翔。それを最後に山田太郎を抱えて踵を返す。その背中に反射的に声をかけようとして、翔は言葉に詰まった。拒絶している。話は終わりだと。恭也の雰囲気が、壁を作っていた。姿が消えてから数秒、十数秒、一分が経ち―――ざしゃっと砂を踏み締める音がこの場に響いた。発生源は天守翔であり、その場に膝から崩れ落ち、地面に倒れそうになるのを両腕を突いて支えとした。

 

 

「う……はぁぁ……はぁはぁ……げっほ……」

 

 呼吸が落ち着かない。身体が酸素を必要として暴れまわる。カチカチと歯が鳴るのをとめられない。全身を這いずるのは、氷点下を遥かに上回る纏わりつくような悪寒。

 

「なに、なになになになになになになになに、なになに何なの、ですか……あれは(・・・)!!」

 

 永全不動八門。それは日ノ本の古い時代から裏で暗躍してきた一族。

 無手の如月。針の鬼頭。槍の葛葉。棍の小金井。弓の風的。糸の秋草。

 刀の天守と小太刀の御神をあわせて人はそれらを―――永全不動八門と呼ぶ。

 

 その中でも最強を誇ったのが御神の一族だ。分家の不破とともに決して敵に回してはならない相手として知られていた。その両家と立ち並んだのが、天守家。かつては双璧とまで呼ばれた一族で、御神家が終焉を迎えた今現在、八門の中でも間違いなく頭一つ抜けた実力者ぞろい。その天守家の中でも歴史に名を残すほどの才を持つと謳われているのが、天守翔である。各永全不動八門に存在する絶対強者の才能を持つ者達―――所謂黄金世代の一員として褒め称えられている自分が、その天守翔が―――。

 

「わから、ない……底が見えない。深すぎる……あれが、あれが、あれが……関わってはならない禁忌。御神の深淵……不破の魔刃、不破恭也」

 

 自分よりも強い者は少ないが知っている。手も足も出ない化け物染みた剣士も悔しいが存在している。それでも、その高みは理解できていた。何時か必ず手を届かせるという想いのみで修練を積んできた。そんな想いが木っ端微塵に打ち砕かれた。しかも戦ったわけでもなく、彼の力を見せられたわけでもなく……身体から滲み出る圧力のみで、格の違いを理解させられた。

 

 

「姉様の……天守翼(・・・)の遥か上をいっているじゃないですか……」

 

 

 本来の目的である御神美由希は確かに強い。あの歳でどれだけの鍛錬を費やしたのか、どれだけの才能を必要としたのか。少なくとも自分と同程度の鍛錬を積んできたのは間違いない。流石は不破恭也の弟子である。それは尊敬すべきことだとわかっている。そんな自分たちの修練が、努力が、鍛錬が、子供だましにしか見えない極地を見た。恭也が放つ気配は太陽の光が届かない深海の底。否、否、否―――あれは奈落だ。一切の光が到達しない、存在しない真なる深遠。

 

「天守、御神、不破……? 永全不動八門? あははっ……アレはそんな世界に住んでいて良い存在じゃないですよ……」

 

 自身の全てを打ち砕かれた彼女は未だ震えが治まらず、恭也が去った後この場でただ呆然と脅えていた。

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

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 永全不動八門との邂逅でさらに時間をくってしまった恭也は内心焦りながら帰宅を急ぐ。流石に連絡もいれずこれだけ遅くなってしまったのは予想外で、何を言われるかわからない。廃ビル地帯を横断する恭也だったが、ふと足を止める。

 

「―――私の妹はどうだったかしら?」 

 

 この場に相応しくない、鈴が鳴るような声が聞こえた。どこか楽しげで親愛の情を感じさせる声の発生源は恭也の右斜め前方。数メートル先の崩れかけた建物の丁度影になった場所だ。暗くて人影が誰なのかはっきりとは見えないが、恭也にはその声の主が誰かはっきりとわかった。

 

「強いな。美由希でも勝てるかわからんほどに。凄まじい使い手だ」

「あら、有難う。そんなに褒めて貰えるなんてあの娘も喜ぶわ」

 

 凛としたその声でくすくすと笑って続ける。

 

「でも少し精神的に脆いところがあるのよ。そこが心配なの」

「姉妹でそこは一緒だな」

「も、もう……。わたしだってあの時のことは反省しているのよ」

 

 恭也の台詞に今度は若干怒りながらも照れた様子を見せる声の主。

 

「つまりはそれを乗り越えたとき……尋常ではない進化が見れるわけだ」

「そうね。私もそれを期待してたのだけど―――私では難しいわね」

「お前の親は何か手をうっていないのか?」

「残念ながら、父はこういったことに慣れていないようで全く頼りにならないもの」

 

 打てば返す響きで恭也と少女は会話を続ける。

 二人とも互いに全く遠慮がなく、相当に親しさを感じさせていた。

 

「まぁ、高町美由希に期待しましょうか。彼女の存在は―――果たしてあの娘の凍てついた心を溶かしてくれるかしら」

「そればかりはわからんが。世の中なるようにしかならんさ」

「それもそうね。あ、そうそう。私がここにきたことは秘密にしておいてくれるかしら? また変に、翔がいじけたら困るし」

「ん、ああ。わかった」

 

 ありがとう、と声が感謝を述べると気配が恭也から遠ざかるように歩き去っていくものの、途中で何かを思い出して一旦足を止める。

 

「あ、そうそう。今度御飯でも一緒にどうかしら?」

「そうだな。久しぶりの再会だ。ご馳走しよう」

「あら、優しいのね。お言葉に甘えちゃおうかしら」

 

 何と言うこともない返事。されどそこには本当に嬉しそうな響きがあった。

 それを最後に少女はその場から姿を消す。それに合わせるように恭也もまた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 授業全てを終える鐘の音が敷地中に響き渡った。

 風芽丘学園県外県内問わずかなり名の知れた名門校で同じ敷地に私立海鳴中央という中学もあるマンモス学園。運動部が強く、そのなかでも護身道部や剣道部、バスケ部は全国レベルの強さを誇る。そのため部活が割と活発に活動しているようで、放課後は多くの生徒が部活動に励んでいた。もっとも、風芽丘学園はあくまで活発なだけであり、部活動に対する強制はない。そのため結構な人数が帰宅部かある程度楽にできる部活に所属している。そんな中学園から敷地を通って帰宅する生徒の波を三階のある教室から見下ろしている男女がいた。

 

  風芽丘学園のグラウンド側にある一室。授業以外は使われることのないその教室に六人(・・)の男女がいた。それほど広くない部屋のなかで中央に固めた机を囲んで座っている生徒達が居た。特に話をしようとせず各々やりたいことをやっているような印象を受けた。

 

 一人は、葛葉弘之。

 面倒くせぇ、と呟きながらも本日学んだ授業についての復習でもしているのだろうか。教科書とノートを見比べながら問題を解いていっている。

 

 一人は、小金井夏樹。

 机に倒れ掛かるようにして、身体を休めている。寝ているのだろうか、目は瞑っており、時折寝息も聞こえてきた。

 

 一人は、如月、紅葉。

 美由希と話していたときの雰囲気そのままに、どこかぽやぽやとした様子で読書に励んでいる。

 

 一人は、女性を思わせる容姿の少年。

 長い黒髪で、顔つきも柔らか。男子の生服を着ていなければ女性と間違えても不思議ではない。そんな彼は小さな鏡を見ながら自分の姿形のチェックを行っている。

 

 一人は、坊主頭の少年。

 目を閉じ腕を組んで瞑想にふけっている。少年と称したが、纏っている雰囲気、大人びた風貌と合わさって制服を着ていなければとても高校生には見えはしない。

 

 各々が好き勝手に過ごしているように見えるが、全員が全員、ある方向(・・・・)を気にしている。誰かがその話題に触れてくれないか、とそれぞれが視線で合図を送っていたものの、誰もが二の足を踏んでいた。すると教室にいる五人(・・)の視線が扉のほうへと移動する。すると数秒遅れて静寂を破るように勢いよくドアが開いた。勢いが良すぎて横にスライドしたドアがガンっという音を立てる。

 

「おぃ~す!! あんた達、揃ってる? お、優秀優秀」

 

 扉を開けて教室へと飛び込んできたのは鬼頭水面だ。その両手には何故か山のような菓子パンを抱えている。

 

「あんたが来いって言ったんだから来てるんじゃねーか」

「……昨日の今日で何かあった? まぁ……あったんだろうけどね」

 

 口調は乱暴なものの、この場の空気を変えてくれる人物がきたことに内心で感謝する葛葉。そして、机から身体を起こして追従する小金井。

 

「突然で悪かったわねー。ま、ちょっと色々あってさ。ああっと……三時のおやつにあんたたちにこれあげるわ」

 

 もう三時はとっくの昔に過ぎてはいるが、全く気にしない鬼頭水面は平然と両手で抱えていた菓子パンを宙へと投げ浮かすと、それを瞬時に判別してそれぞれ五人の元へと放り投げた。

 

「サンキュー」

「……ありがと」

 

 受け取った菓子パンの袋をあけてムシャムシャと葛葉は食べ始める。細身ながらも結構な大食漢の地味に有り難い差し入れだ。逆に小金井は受け取ったものの礼は言ったが食べることさえ面倒くさがって封も開けずに机と置いた。

 

「それで、今日は何用でしょうか、鬼頭殿?」

「あんたは礼儀ただしいわねー、風的(・・)!! ご褒美にそれをあげちゃう」

「間食はしないようにしております故に、お気持ちだけ受け取っておきます」

「んじゃ、家に帰ってから食べなよ。年上からの厚意は黙ってうけとっちゃいなー」

 

 坊主頭の少年が読んでいた本から視線をあげて答え、飛んできたパンを取ると渋々といった様子で鞄につめる。そしてもうすぐ本題が始まると察したのかその本もついでに閉まっていた。

 

「如月に秋草(・・)もそれでいいー?」」

「はい。後で頂きますね」

「ありがとうございます、鬼頭先生。メロンパン大好きなんですよね、うち」

 

 秋草と呼ばれた中性の少年の軽い返事に比べて、如月紅葉は目をキラキラとさせて水面に感謝の念を送る。その姿に、癒やされるわーと思いながら水面は近場にあった椅子を引き腰をおろす。

 

「んじゃ、さっそくだけど皆様に報告がありまーす!!」

 

 細かい話し合いをすっ飛ばして、いきなり本題に入ろうとする水面に、全員が気を引き締めなおす。全員が一堂に集まる機会など滅多にない。それなのに緊急として収集をかけた謎がようやく解けるのだ。

 

 いや、まぁ……実を言うと五人は殆どその内容を悟っていたのだが。

 

「昨日、そこにいる(・・・・・)天守翔が不破恭也に接触を試みました。うん、まぁ……それはいいんだけどね。そしたら見事にバッキバキに心を折られて帰ってきました。以上!!」

 

 そういう理由だったのか、と五人の視線が教室の片隅の椅子に体育座りをして自身の太腿に顔をうずめている天守翔へと向かった。あの天守翔が、何時だって平常心を保っていた少女が、ずば抜けた実力を持つ彼女が、完璧に打ちひしがれている。苛烈な意志も、気力も、何もかも、全てが失意の底に沈んでいた。

 

「いやいや、話聞き出すの苦労したんだよ? 要領を得なくてさぁ……話が全くまとまってないの。あんだけ冷静沈着ぶってたくせに、もうなんだよーって感じだね」

「……心を折られた? その割には身体に怪我は見当たらないんだけど……」

「ああ。うん、戦ってないんだって」

「戦ってはいない? しかし、ならば何故心を折られるような状況に? 話術のみでそれを為したとでも?」

 

 秋草と風的の指摘に、違う違うと水面は首を振る。

 

気当たり(・・・・)にやられただけだってさー。いやはや、信じられないよね」

「……マジか、よ」

「笑えないね、それ」

 

 驚愕を浮かべた葛葉と、気だるげな様子を消した小金井。

 実際、そんなことは有り得るのだろうか。有り得るはずがない。何故ならば、天守翔とは、この場にいる六人の中でも恐らくはまともにやり合えば最強。かの黄金世代の一角を担う人物。それはつまり、永全不動八門にてそれぞれの一族でも最強へと至る化け物達と同等の存在と言う訳だ。それほどの者が、ただ向かい合っただけで心を折られるなど理解の範疇を超えている。だが、体育座りして遂にウフフと笑い出した彼女の姿は既にその面影は微塵も残っておらず、ただただ不気味なだけであった。

 

「……ちょっと、葛葉。あんたなんとかして」

「はぁ!? いや、何で俺が……」

「天守と仲良かったでしょ?」

「仲良くねーよ!! むしろ、不仲だと思ってたけどな、俺!!」

 

 流石にこのまま放置するのもマズイと思ったのか小金井が、隣の葛葉へと囁きかける。その内容に拒否するが、他のメンバーからの視線が痛い。お前が何とかしろ、という期待の眼差しを受けて、溜息一つ。仕方なし、と教室の隅っこにいる天守翔へと近づいていった。

 

「あー、その。なんだ。うん」

 

 何と言うか迷っているのだろう。葛葉が自身の頭をガシガシと掻きながら、しばらくしてかけるべき言葉が見つかったのか息を一度大きく吸った。

 

「お前がよ、そんな落ち込んでると……怪談に出てくる日本人形みたいでこえーんだよ。早く立ち直れよ。お前はそんな性質じゃねーだろ」

 

 パンパンと翔の肩を叩いて他の五人がいるところまで戻ってくる。言ってやったぜ、どうだ―――と何故か満足気にしている葛葉に全員が失望の嘆息を漏らす。最悪だ。というか、今のは慰めていたのか。とにかく、こいつはもう駄目だ。全員の意見がこの時ばかりは一致して―――。

 

「う、うーん。でも、幾らなんでも流石に信じられないけどね……」

「そ、そうだな。しかし、鬼頭殿が天守殿と一緒になって我らは謀る理由などあるまい」

「うんうん。風的君の言うとおりなのは分かるよ? でもさぁ、不破恭也さんって、実際どうなの? 皆の意見聞いてみたいんだけど」

 

 結局無理矢理に話の先を続けることにした秋草と風的の会話に、恭也の名前が出た瞬間、ビクリっとわかりやすく肩を震わせる翔に、こりゃ重傷だなと誰しもが悟った。

 

「……正直なところ、よくわからねぇ(・・・・・・・)

「……葛葉に同意」

「右に同じだねぇ」

 

 葛葉と小金井の率直な感想に、水面も躊躇うことなく頷いた。彼ら彼女らは永全不動八門でもまだ年若いとはいえそれなりに名前が通った人物だ。黄金世代にあと一歩のところで割って入れるだけの実力の持ち主。そんな葛葉達の、わからない―――それは簡単に済ませられる内容ではない。

 

「……自分も生憎と読みきれん」

「あー、やっぱり皆もそんな感じかー。いや、本当にさ、わかんないじゃん? あの不破恭也だよ(・・・・・・・・)? 僕たちの()が、一族の当主が、長老会(・・・)が、絶対に関わるなって通達出してきている相手だよ?」

 

 風的もまた同様の意見で、それらを聞いた秋草が形の良い眉を顰めて話を続ける。そんな化け物級の相手の力が見れない。いや、一般人レベルの気配しか感じられない。そのようなことがあるのだろうか。

 

「ちょっとした間ならまだわかるよ。でも監視を始めてから結構経つけど、気配が揺らぐことが一度もないってのはおかしくないかな?」

「んだ? じゃあ、お前はあいつが不破恭也の偽者って考えてるわけか?」

「そっちのほうがまだ納得がいくっていうか……。むしろ僕としてはその考えの方に意見が傾いて―――」

 

「あ、それはないです」

 

 秋草の台詞を遮って、相変わらずニコニコと笑顔を振りまいていた如月紅葉が言い切った。なんだよ、と自身の意見を完全に言い終わる前に途切れさせられた秋草は不機嫌そうに紅葉に顔を向けて―――ゾッとした。

 

 紅葉は普段のままだ。優しく穏やかで人当たりの良い笑顔。それを直視した秋草は何故か分からないが、この場から逃げなければならないという直感に襲われた。まるで大型の肉食獣を前にしたかのような緊張感が、痛いほど肌をピリピリと打ってくる。その圧力、その気配、今の今まで見ていた如月紅葉という人間の全てを否定せんと言わんばかりの狂暴性。なんだこの少女は、と思った瞬間、スパンっと大きな音をたてて水面が持っていたバインダーの一撃が紅葉の頭頂部を直撃した。それで、彼女が放つ危険な気配は霧散する。まるで先程までの圧は蜃気楼であったかのように。

 

「はいはい。仲間内では喧嘩はご法度だよー」

「あいたたた……す、すみません、秋草さん、鬼頭先生」

 

 涙目になって頭を押さえる紅葉に、自然と出てくる安堵の呼吸。穏やかで優しい少女という今までの印象はどうやら変更しなければならない、とこの場にいた皆が感じていた。

 

「それで、それはないとはどういう意味なんだ?」

 

 空気を読まずに風的が紅葉へと話の続きを促す。それに、頭を摩りながら日常会話をするかのごとく、爆弾発言を投じた。

 

「だってウチは不破恭也さんに三年前(・・・)に会ってますから」

「……ちょっと待て。三年前だと? それってまさか、お前―――」

「はい。三年前に行われた血の永全不動八門会談(・・・・・・・・・・)。その三十二名の生存者の一人ですもん、ウチ」

 

 ガタンっと全員がその場から立ち上がる音がした。翔を除いて、全員の表情に隠しようのない驚愕が浮かび上がっていた。

 

「ちなみにあの会談で何があったかは話す事ができません。長老会に口止めされてますし……それを除いても、あの時のことはウチの心の中に留めておきたいですから」

 

 自身の胸に両手をあてて、ほぅっとやけに熱い吐息を漏らす。

 そんな彼女に、何があったか聞くものはいなかった。聞けるものはいなかった。不破恭也が初めて表舞台に現れたのが三年前の史上最悪の永全不動八門会談、そこに現れたのが御神宗家の代理―――不破家当主不破恭也。永全不動八門全ての当主とそれに近しい者達による会談に現れた彼は、自分が不破の当主だという証明をしたわけでもない。既に滅びを迎えた一族ゆえにできるわけでもなかった。だが、当主達は恭也を不破家当主として認め―――御神宗家の代理として会談に参加させた。それが何故かは分からない。何か裏の取引があったのではないかと勘ぐるものも居た。そして、その会談である事件が起こったらしい。百名以上の死亡者が出た―――使用人も含むとはいえ、会談に出ていた達人レベルの使い手達もことごとくが皆殺し。生き残ったのは各一族の当主と幾人か、そして長老会の者達。その会談の後に徹底されたのが、御神と不破に関しては不可侵を保て、という絶対遵守の命令であった。何が起きたかは不明だが、旧時代の爺達が、自分たち以外を駒扱いにしかしていない老害達が、如何なる手段を持ってしても敵対だけは避けようと徹底させた。それほどの存在が不破恭也という化け物であった。

 

 

「そのウチが断言します。あの人は恭也さんです。不破恭也さんに間違いありません」

 

 紅葉の発言に、秋草は反論しようと思えばできた。だが、本能が警告してくる。この少女にはあまり関わらない方がよい、と。それに従って大人しく自身の意見は飲み込むこととなった。

 

「皆さんが不破さんの力を感じられない理由は簡単です。不破さんの気殺の技術が桁外れなだけです。ウチらレベルでは感じ取れない。単純にそれだけですよ?」

 

 自分達程度ではどうしようもない。

 平然と言い切る紅葉に葛葉の眉尻が僅かに上がった。

 

「言い切ったな、おい。まぁ、実際感じられない以上、そうなんだろうけどよ。あまり納得はいかねぇけどな」

「葛葉は自分で見たものしか信じないタイプだしねぇー。ま、私もそーなんだけど」

 

 葛葉と水面は意外にも紅葉の意見に反発しなかった。元々が自身の第六感を重視する二人だ。それ故に、どこかで恭也の実力を無意識にでも嗅ぎ取っていたのかもしれない。

 

「じゃあ、不破の力を知っている如月に聞く。不破恭也……どれほどのもの?(・・・・・・・)

「そう、ですね……ウチではあの人の力を読み切れるわけもありませんが、多分これくらいでしょうか」

 

 小金井の問いに、紅葉は可愛らしく頤に人差し指をあて暫く考えた後に―――パッと手を開いて五本の指を皆に見えるように開いて見せた。その五本の指を見て、難しい顔をするのは翔を除く全員だ。

 

「ここにいる連中のうちで五人がかり(・・・・・)でってことか。そりゃ、とんでもねぇな」

「やっばいねー。そりゃ、黄金世代なんて話じゃないじゃん」

「……あんまり実感わかないな、その強さ」

「え? なにそれ。ヤバイなんてレベルじゃないでしょ?」

「……我らとそう変わらぬ年齢でそこまでの高みに達しているか」

 

 葛葉が、水面が、小金井が、秋草が、風的が一驚するさなか、ふっと空気が震えた。発生主は、顔を上げた天守翔だ。どこか濁った目で、五人を馬鹿にするかのような視線を送る。

 

「馬鹿ですね。大馬鹿ですよ……いいえ、わたくしも昨日までなら貴方達と同じ反応をしたのでしょうけど」

 

 突然の発言に、自身に皆の注目が集まるのも気にせずに言葉を紡いでいく。

 

「如月は、本当はこう言いたいのです。貴方達に気を使ってかどうか分からないですけど。でも、それ(・・)の正しい意味を教えてあげます。実際に体験したわたくしの口から」

 

 口元に浮かぶのは自嘲の笑み。

 思い出すのはかつてない深淵。至高の極地。

 三千大千世界において、人類の極点に達した男の姿。

 

 

「彼はですね、不破恭也はこの場にいる七人同時に相手して―――五秒で皆(・・・・)殺しに出来る(・・・・・・)、と如月は言っているのですよ」

 

 

 

 

 

 力ない翔の無情の台詞は教室の空気を歪ませて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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