東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、お待たせして大変申し訳ありませんでした。
少し、いえかなり用事やら何やらが立て込んでいたものですから。

こういった前書きもお馴染になりつつあるので、簡略しちゃいましょう。


それでは、どうぞ!






第伍十参話「名も無き夜、今と昔を選ぶなら」

 

 

 

フランと鈴仙が幽香と共に太陽の畑を出立した、ちょうどその頃。

彼女らの足元で人知れず、今日も今日とて騒ぎ栄える地下歓楽街の旧都のなかでも

一際目立つ巨大な洋館の一室で誰にも悟られないようにひっそりと話す者たちがいた。

 

その部屋で対談を行っていたのは、地底で知らぬ者はいない地霊殿の主、古明地 さとりと

彼女の前で淹れられたばかりの紅茶の味と香りを楽しむ二人の少女だった。

 

 

「_________それで、その後はどうかしら?」

 

 

自らが管理下に置くペットの一人に淹れさせた紅茶を一口飲んで話題を切り出したさとり。

その彼女の言葉に、同じく紅茶を楽しんでいた二人の少女のうちの一人が答える。

 

 

「うーん、見てる限りでは問題ないかな?」

 

「見てる限りでは、ね。他に気になるところは?」

 

「今のところ無し、かな!」

 

「……………………」

 

「なるほど、どちらも現状維持の方向なのね」

 

 

明るく快活な雰囲気の少女の回答に質問を上乗せしたさとりは、もう一人の少女からも

答えを聞こうと質問をしてみるが、もう一人の少女は日頃から話さない性分のために心を

読んで回答を先読みして結論を得た。

 

今彼女らが話題に挙げているのは、ある一人の少年のことについて。

そのためにさとりはわざわざペットを遣いにして目の前の二人を呼び寄せたのだ。

呼ばれた二人も地底の領主ともいえるさとりからの招集を断ることなく同席したが、

実際この会談はあまり意味の無いものなのだと場にいる三人は薄々感じ始めていた。

 

「はぁ…………実害を受けたあなたはもう少し警戒しているかと思っていたけれど」

 

「んー、まぁアレはただの事故みたいなものだよ。下の街なら肩がぶつかっただけで

夜通しのケンカが始まるでしょ? あんなことになるよか、よっぽどマシだって!」

 

「そうは言っても、よく分からない力で地上に吹き飛ばされたんでしょう?」

 

「そーそー! あの子が手をバッて上げたらいきなりビューってなって、そしたらあたしの

身体がフワッてなってさ! そこから一気にドーンって地上に向かって一直線よ!」

 

「……………とにかく、事実だということね」

 

「…………………」

 

「見てたから間違いない、と。怪我とかしていませんか?」

 

「あらら、心配してくれるの? 『怨霊も恐れ怯む』と謳われた地霊殿の主様が?」

 

「…………その呼び名は、あまり好かないのだけれど」

 

「そーなの? ゴメンゴメン」

 

快活な少女へと質問を続けるさとりだが、あっけらかんとした彼女の朗らかさに負けて

やむなく聴取を断念する。もう一人の少女の心を読んでも大した違いが無かったので、

三人そろって紅茶をのどへと流し込んで一度会話を区切る。

自らを畏怖する呼び名を呼ばれたさとりは眉を顰めるも、すぐに普段の無表情に戻って

次の話題に移ることにした。

 

 

「まぁいいわ。それよりも、頼んでいたことについて何か分かったかしら?」

 

「それがその、全然で…………分からずじまいだよ」

 

「…………………」

 

「そうですか。お二人共、ご苦労様でした。よろしければ引き続き」

 

「うん、任しといて!」

 

「ありがとうございます」

 

「しかしさとりは偉いよねぇ。あの人間の子供の過去につながりそうな何かをペット

だけじゃなくて私らなんかにも協力を仰いで調べさせようとするなんてさ」

 

 

快活な少女と無口な少女がさとりの次なる質問にそろって首を横に振り、肩を落とす。

その様を見たさとりは労いの言葉をかけるも、逆に揚げ足を取られるように労われる。

さとりが彼女たちに頼んでいたこととは他でもない、先の話題に共通する人物について。

 

 

「忘、って言ったっけ? あの子にそこまで肩入れするなんて、情でも移ったの?」

 

「……………………」

 

「情、ですか。もしかしたらそうなのかもしれない」

 

 

手に持っていたティーカップを受け皿に置いてふと目線を少し上に向けて思い起こす。

今まで会話の中心に挙げられていた、忘という名の新たな地霊殿の住人の少年の事を。

 

 

「あの子は、私を見て悲しいと言ったの。私の力を、素晴らしい力だと言いながらね」

 

 

そう呟いたさとりの頭の中は、自らが名を付けた記憶喪失の少年のことでいっぱいになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって相手と同じじゃないって、『独り(ちがう)』って、さみしいじゃないか」

 

 

自らに関する記憶を全て失った少年が、私を真っ直ぐに見つめてそう口にした。

 

この時の私は、最初にこの少年がこの地霊殿に担ぎ込まれてきた時の事を思い出していた。

いつも通りに湧き出す怨霊の後処理と地獄方面への連絡、並びにペットたちの食事など諸々の

事務をこないしていると、ペットの一人が慌てたように私の部屋に飛び込んできたのだ。

事情を把握しようと心を読んでみると、なんと鬼の頭領である星熊 勇儀さんが怪我をした

人間の子供を抱えて突っ込んできたのだという。正直信じられなかったけど、心は嘘をつかない。

まして私に拾われて生活をしているこの子たちが私に嘘をつく理由は無いため、信用出来た。

すぐに案内させて正面玄関へと向かうと、そこには確かに勇儀さんが子供を抱いて待っていた。

私が姿を見せるや否や、彼女は普段は見ない迫真に迫る表情で私に頭を下げながら言った。

 

 

「頼む‼ この小僧をどうにか生かしてくれ‼」

 

 

唐突なことで面食らったけれど、一目見て人間の子供の状態が最悪に近いものだと分かり、

他のペットたちを呼び集めて部屋を確保し、そこに勇儀さんを案内するよう指示した。

少年を部屋に運んだ後、私は医学に心得のあるペットのサルと共に少年の容態を見た。

結論から言えば、ほぼ助かる見込みは無かった。

 

 

「勇儀さん。先に結論から言いますが、希望は持たない方がいいでしょう」

 

「なっ⁉ そんな、なんとかならないってのか‼」

 

 

その旨を彼女に伝えたところ、何故か異様に慌てた様子で食い下がってきたのだ。

流石に何かおかしいと感じた私は能力で勇儀さんの心を読んで何が起きたかを把握した。

 

 

「この子供が、地獄の深淵の力を宿している、と?」

 

「ッ…………ああ、お前さんだと話が早くて助かるよ。この人間の子供は最初、とんでもなく

デカい力の塊みたいな奴でさ。感づいた私が様子を見がてら腕試しに行ってみたのさ」

 

「そしてこの少年に会い、地獄の深淵の力を使われそうになった、と?」

 

「ああ。あれは現世にあっちゃならん力さ。それをこの小僧の中に感じた。

私は鬼の中でも腕っぷししか自慢が無いけど、それでも妖怪の端くれ、危険は察知できる」

 

「…………なるほど、分かりました。しかしそれほどまでの力が何故この人間の子供に?」

 

「それはむしろ私が聞きたいくらいさ。地獄のお偉方は何してんだろうかねぇ」

 

「もしかして、それを読ませるためにここへ運び込んだんですか」

「それもある。というか、地底でまともに医者の真似事が出来んのはここしかないしさ」

 

「それもそうですね。ですが心を読むには、彼が目覚める必要があります。

現状それが可能かどうかは、分の悪い賭けになると思いますけど」

 

 

事情を把握したさとりは勇儀の目的を知り、それが不可能に近いと文字通り悟った。

 

彼女、古明地 さとりの持つ"程度の能力"は、『心を読む程度の能力』である。

 

心を読む力といえば、誰もが一度は想像し、欲してやまない理想的な能力だろう。

しかしそれは空虚な幻想であり、実態は理想とはあまりにかけ離れた歪な能力なのだ。

古明地 さとりは【覚り(古くは喩り)】という妖怪の固有種の直系の血筋の妖怪らしく、

先祖の外見や身体的特徴はともかく、他者の心を読むという能力だけは脈々と受け継いでいた。

 

だがこの能力は先程も言ったように、実態は理想とはかけ離れた歪な能力である。

彼女は他者の心が読める。それはいわば、誰も彼女の前では企ても謀も成しえない。

それだけではなく、何気なく他人に隠している本音なども包み隠さず丸裸にしてしまうのだ。

 

これを踏まえてもう一度言おう。彼女の能力は、心を読む程度の能力である。

 

心を読まれた側の存在からすれば、さとりの能力は恐れるか、忌み嫌うかの二択しかない。

彼女の前では嘘はつけないし謀略も企てることが出来ない。そればかりか、普段は言えない

本音や、それを隠すための建て前なども全て見透かされてしまうのだ。後はもう分かるだろう。

他者の思考を先読みし、他者の心情を把握し、他者の行動を掌握する。故に彼女は迫害された。

 

誰にも分からぬはずの心中を読まれるのが怖い。誰にも言えない秘密を容易く暴かれるのが怖い。

誰にも知ってほしくない内なる闇を知られるのが怖い。建前を見破り本音を見抜く能力が、憎い。

望んでなどいない力によってさとりは、望んでいない結末を辿らされることになったのだ。

その末に辿り着いた地底世界でのことを思い返して、自らの能力唯一の弱点を勇儀に語った。

 

 

「私の能力は"意識のある"ものにしか発揮されません。つまり、この子供が意識を取り戻さねば」

 

「読めるものも読めないってか…………あー、ったく。肝心なところで私はいつもこうだ‼」

 

 

さとりが口にした弱点を聞き、勇儀は自らの失態だと目に見えて悔やんで頭を押さえる。

そう、さとりの能力は常に心の中で物事を考えている状態、つまり意識のある状態のみでしか

使用することが出来ないのだ。使用と言えば語弊があるが、常時発動しているに等しい彼女の能力

によって読むことが出来るのは意識して思考している者のみであり、逆に何も考えてなどいない者

(悪い言い方をすれば極限の馬鹿)、つまりは無意識状態の者の心は読むことが出来ないのだ。

このことによって、彼女は寝ている人間の思考も読めないことを付け加えて勇儀に向き直る。

勇儀は申し訳なさそうに頭をガシガシと掻きながら、どうにか治療できないかと頼み込んできた。

 

「頼む‼ 厄介事を押し付ける形になっちまったが、この通りだ‼」

 

「…………分かりました。どこまでやれるか分かりませんが、出来る限りの手は尽くします」

 

「ありがたい‼ 恩に着るよ‼」

 

「いえ、鬼の頭である勇儀さんの頼みを聞き入れないとあっては、旧都中の鬼たちが押し寄せて

地霊殿を片っ端から打ち壊しにやってくるかもしれませんからね。致し方ないことです」

 

「はっは……流石にそんなことさせやしないさ。私がそんなことするように見えるってのかい?」

 

「冗談です」

 

「お前さんの冗談はそう聞こえないんだっての…………まあいい、とにかく色々と頼んだよ!」

 

 

ベッドの上に寝かせた少年を横目で見てからそう語り、安心しきった表情で勇儀さんが出ていく。

数匹のペットと共に意識が戻りそうにない少年の様子を見ながらどうにか意識を回復させようと

尽くせる限りの手を尽くし、少年が運び込まれてから五時間ほどが経過した頃に変化があった。

少年が何かにうなされるように顔をしかめると、身体そのものが徐々に変化していくのだ。

白雪のような白い肌は灼熱に焼かれた岩肌のような褐色に、髪は鋭い銀から濃い黒色へと変貌し、

短めの髪をかき分けるようにして両側頭部からは巻き角のようなものが徐々に生え始めた。

明らかに異常な光景に私とペットたちは驚きのあまりに息を飲む。すると、彼の口が動いた。

 

 

『ぁ………まだ、こ………様、ぁ…………クソ……』

 

うわ言のように少年は言葉を呟く。しかし私は彼の言葉を解読しようとは思わなかった。

彼は言葉を発した。ということは、わずかながら意識が戻ったということに他ならない。

心を読むなら今しかない。いきなり訪れた機会に焦燥を募らせるものの、私は能力を使った。

左の胸元にある『第三の目(サードアイ)』が少年に瞳を向けて捉える。これで心を読む準備は整った。

 

「__________さぁ、全てを曝け出しなさい」

 

 

第三の目を両手で上下から包み込むように撫でながら、彼の心を表面化し、浮き彫りにさせる。

思考がつながるようないつもの感覚に陥り、心を読む能力の発動が成功したことを裏付けるが、

そのことに安堵したのも束の間、私は今度こそ驚愕に目を見開くことになった。

 

 

『申し訳、ありません…………お嬢さ『クソッ‼ もって、いかれたァ………クソォ』…………』

 

「⁉」

 

目の前にいる少年の心を読んだはずなのに、何故か二人分の心が読めた。

弱々しくか細くなっていたのはおそらく少年の心だろう。ではもう片方の心は一体何だろうか。

驚きのあまりに能力を解除してしまった私は再度能力を発動し、再び彼の心を読もうとする。

ところが少年が苦痛に顔をゆがめて二、三回ほどもがいた後で動かなくなり、眠ってしまった。

少年の意識が途絶えると同時に巻き角も無くなり、肌や髪の色も元の白と銀色に戻っていった。

 

「なんだったの、今のは」

 

 

初めての体験だった。他者の心が読めないのではなく、一度に複数も読めたことがだ。

これまで心を能力で読んだ時は、その場に複数人いた場合でも第三の目が対象として捉えた相手

のみしか読むことが出来なかったのに、今回はたった一人で二人分の心が読めたのだ。

この人間は、普通じゃない。

 

先程の姿が変わることといい、目の前で寝息を立てて眠る人間の子供に対する私の警戒心の

上げ幅が大幅に上昇していくのを私自身も自覚できた。この少年は危険だと妖怪の勘が告げる。

それなのに、だというのに。私はこの少年の心を読んだ瞬間に感じたものに戸惑っていた。

 

(心が…………安らいだ? 何故、どうして? )

 

そう、私の心が彼の心を読んだ瞬間、ほんのわずかな一瞬だけ安らいだ感じがした。

私の能力は他者の心を読む。つまりは相手の感じている心情も読み取ることが出来るのだが、

普段は少々自分の心がざわつく程度で済むはずのものだったはずなのに、今回は違った。

怒りの感情ならば憤怒を、悲しみの感情なら悲哀を、喜びの感情なら歓喜を感じられる。

しかしそれは所詮は共感に過ぎず、実際に体感しているわけではないため重要視していない。

なのに今回はいつもとは違った。彼の心を読んだ瞬間、安心感がこの胸の内に広がった気がした。

 

 

「一体、何が?」

 

 

普段は冷静沈着で表情を崩すことなど滅多にしない自分が、目に見えて顔色を変えたのが分かる。

傍らにいるペットたちが心配そうに近寄ってきてくれるけれど、今はそれどころではない。

見ず知らずの謎の少年によって、私の心は激しく揺り動かされてしまっていた。

 

これまで数多くの心を読んで、その度に自らの心を痛めてきた私には理解できなかった。

他人の心を読んで嫌な感情を感じ取らなかったのは、今回の彼が初めてだったから。

「………………気になるわ、この子供」

 

 

そう考えた自分の口が、自然とそんな言葉を口走ってしまっていたことに今気付く。

ハッとなって自らの言動を思い返して口に手を当てるも、既に近くにいたペット達には聞かれて

いるため、その行動ももはや遅かったと認識しなおして平静を保とうとした。

すると一緒に彼を診ていたペットの一人が心配するようにのどを鳴らしてすり寄って来た。

能力でその子の心を読み、本当に心配してくれているのだと理解して優しく頭を撫でる。

 

 

「大丈夫。少し気になることがあっただけよ、心配いらないわ」

 

「クゥン………」

 

「心配性ね、でも本当に大丈夫よ。さあ、あなたたちはもう持ち場に戻りなさい」

 

 

ここは私が一人で診ておくから大丈夫という旨を伝えてペット達を部屋から出した。

そして改めて目下で安らかな寝息を立てている少年を見て、私の心はざわついた。

 

鬼の頭領の勇儀さんが直接関わるほどに重大な問題の渦中にいる少年に警戒心は当然起こる。

ただ、彼の心をほんの一瞬だけど読んだ時、私の心は行方知れずの『妹』と談笑している時と

同じくらいに穏やかになって安らぎを感じていた。絶対的な矛盾に、違和感を感じてしまう。

そして、感じたのは違和感だけではなかった。

 

 

「本当に不思議な少年…………気になる」

 

 

常に地霊殿の外側、ひいては幻想郷の表舞台に干渉したりはしない体で過ごしている私が、

たった一人に人間の子供に興味関心をそそられていることに、私は今更ながら羞恥を覚える。

それと同時に、今まで感じたことも無い奇妙な感覚に陥った。

 

死んでしまっているかのように眠りこけている少年の事を考えると自然と口元が緩んでしまい、

意識が無いせいで彼の心を読むことが出来ない事実を残念がっている自分を認識させられた。

 

 

「まさか、もう一度心を読んでみたいと思ってる? この私が? まさか、ね」

 

 

心の内で思っているだけでは耐えられずに言葉にして、ようやくそれを否定できた。

これまで多くの人妖の心を読んで後悔しなかったことは、かつて私たちが無理やり起こされる

ことになった、苦い後味の残る【異変】で出会った博麗の巫女と白黒の魔法使いの心を読んだ

二回きりしか覚えていない。そしてこれが三度目になることを、心のどこかで望んでいるのか。

つい先ほど否定した事実と相反する考えを抱いた自分を奇妙に思い、一度考える事を止める。

改めて少年の顔をよくのぞき込み、能力を発動させても読めないことを確認して椅子に腰かけた。

 

「やっぱり、気になるわ」

 

 

またも自然と口に出た言葉を、どこか客観的に聞き入れていた自分がいたことに気付く。

それと同時に、不自然なほど顔が熱くなっていく不可解な現象にも気付いた。

 

 

「…………………」

 

 

そして今、意識なく眠っていた少年が私の元へやって来て、私を『悲しい』と言ったのだ。

彼の言葉を聞いた瞬間、自分の中にある形の無い心が激しく揺さぶられたのを感じた。

これまで幾度となく他人の心を読み、思考を読んできた私が、人間の子供に心を動かされる。

言葉にすればあまりに滑稽なこの事態も、今の私にとっては意識の外に追いやるべきものだ。

今私がすべきことはこの人間の子供の監視、及び彼の心を読んで勇儀さんの頼みを果たすこと。

それさえ済めばこんな普通の人間相手に時間を割くことも無くなるだろうと考えていたのだが、

裏腹に彼は自分に関することの一切の記憶を失ってしまっていて、心を読んでも効果は無かった。

 

(もう、何がどうなっているのか分からない…………)

 

 

何も分からない。少年への対処の仕方も、私自身が何を考えているのかさえも。

 

半ば自暴自棄になりかけながらもなんとか堪え、一先ず彼を地霊殿に住まわせることにした。

勇儀さんからの依頼も何も果たせていないこともあったし、何よりここは幻想郷の地底世界。

地上ですら妖怪が蔓延る場所だというのに、ここ地下旧都は魑魅魍魎の巣窟となっているのだ。

ただの普通の人間の子供が生きていける環境ではない。そう考慮した結果の決断だった。

しかし理屈的に物事を考える反面で、この少年と共にいられることを密かに喜んでいる自分が

心の奥底にいたことに気付き、目の前で話を続けている少年の言葉に耳を傾けられなくなる。

 

結局、私はどうしたいのか。私は私の心が分からなくなってしまっていた。

 

 

「……………はぁ」

 

 

その後色々と話し込んで、記憶を失った少年に『忘』という名を付けて下がらせた。

やたら理由を付けて話し込んでいたけれど、実際半分近くは上の空の状態で話していたに等しい。

それに、彼が部屋から出ていった直後からやっと落ち着きを取り戻し、冷静な思考を持ち直した

私は先程まで話していた少年に名前を付けてしまったことを少し後悔していた。

 

動物に名前を付けるという事は、名を付けたものはそれを管理するという意思を見せた事になる。

それはつまり、古明地 さとりの名において彼を地霊殿の一員と認めたことに他ならないのだ。

記憶を失ったことを良いことに、それまでの彼を捨てさせて新たな人生の道筋を急造して渡す。

私は妖怪だけど倫理観はある。故に私がしたことが褒められるものでないことも分かってはいた。

だというのに、なぜ私は。

 

 

「忘……………」

 

 

あの子の心が、気になって仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘と名付けた少年の事を思い返すのに随分時間をかけてしまったらしく、

再びティーカップを持ち上げて中身を口に含んだ瞬間、それが冷めていることに気付いた。

慌てて手にしたソレを机に置いて前に座る二人の様子をのぞくようにしてうかがってみる。

快活な少女の方は既に紅茶を飲み干していたようで、さとりを真っ直ぐに見つめて待っていた。

もう一人の無口な少女の方は逆に紅茶をちびちびと飲んでいたらしく、目線を向けた瞬間に

ようやく飲み終えてカップを自分の前にコトリと置いてさとりに向き直っていた。

少々話の本題がずれたようだと自責しながら、さとりは改めて二人に話を切り出す。

 

 

「さて、少し長くなってしまったけれど話はこれくらいです。

先程も言ったように、彼についての情報収拾を出来る限りでいいので継続してください」

 

「はーい! 何かわかったらすぐに知らせるよ!」

 

「…………………」

 

「はい、それで構いません。では、今日はありがとうございました」

 

 

椅子から立ち上がって帰り支度をする二人の少女を見送るため、さとりも立ち上がって

言葉をかける。二人はさとりの言葉に微笑みで応え、快活な少女が無口な少女の身体が収まった

大きめの桶を抱きかかえてさとりの部屋から退出した。彼女らの背を見送り、さとりは一息つく。

彼女ら以外にも、この地底で名の知れている者で自らに友好的な相手には声をかけてきた。

その内容は例に漏れず、記憶を失ってしまった少年、忘の過去の情報と地底に来た経緯である。

しかし今のところ有力な情報は得られず、時間だけが五日も過ぎてしまっている状態だった。

もしかしたら永久に彼の記憶は戻らないのかもしれないとさとりは一人になった部屋で考える。

そうなれば彼は、この地霊殿以外に帰る場所は無くなる。つまり、彼とずっと一緒にいられる。

自分は何を望んでいるのだろう。さとりは考えていたことを頭の中から追いやった。

彼は普通の人間であり、自分は妖怪。しかも同じ妖怪にすらも迫害される覚り妖怪なのだ。

そんな自分と共にあることが人間の彼にとって不幸以外の何物でもないと頭では理解できた。

しかし五日も経って何の情報も得られないとなると、いよいよ彼女の考えも現実味を帯びてくる。

 

(もしかしたら、本当に彼はずっとこのままかもしれない)

 

 

さとりはそのような考えを浮かばせるも、果たしてそれが本心なのか判別がつかなくなっていた。

彼に記憶を、過去を取り戻してほしいのか。それとも彼に、記憶喪失のままでいてほしいのか。

一体自分は、あの人間の子供に何を望んでしまっているのだろうか。

地霊殿の主としての考えなのか、古明地 さとり個人としての考えなのか。いずれも違うのか。

さとりはこれほどまでに他人の心が読めないことをもどかしいと思ったことは無かった。

彼は記憶を取り戻したいのかそうでないのか、ここに居たいのか居たくないのか、分からない。

仮にもし彼が結論を出したとして、自分はその結論に対する答えが出せるのだろうか。

 

 

「…………………」

 

 

自問自答を重ねるごとに新たな疑問が沸き起こり、それが連なって負の連鎖を生み出し続ける。

さとりはまたしても思考に囚われて考えがまとまらなくなり、人知れずため息を漏らした。

 

このようなため息が漏れるのは今日に限ったことではない。彼がここに来てからほぼ毎日なのだ。

一日に必ず一回は彼と出会うのだが、彼と出会う度に心を読んでおきながらも会話をしてしまう。

心を読めば何を考えているか分かる。つまり口に出したいことも出したくないことも分かるのに、

何故か彼とは直接言葉を口にした会話をしたくなってしまい、先の言葉が分かっていても彼の口

から言葉が出るまで律儀に待つのだ。本当に自分はどうかしてしまったとさとりは自覚しているが

それを自分から止めようとは思えないし、止めたいとも思っていない。

 

不思議と彼女はいつからか、自分から彼に会いたいと思うようになっていたのだ。

故に今日も、今回も、溜め息の次にさとりの口から出る言葉は決まっている。

 

 

「忘、早く帰ってらっしゃい」

 

 

第三の目を撫でながら彼女は、自らの心が読めない覚り妖怪は、彼の帰りを待ちわびていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さとりが独り思い悩んでいたちょうどその頃、当の忘はというと。

 

 

「あともうちょとで地霊殿だ。はぁ、やっと落ち着けそうだなぁ」

 

 

僕は今、旧都の歓楽街の外れから帰るべき場所である地霊殿を見つめている。

つい先程まで地霊殿の主で記憶喪失の僕を拾ってくれた少女、さとりからの命令で

お遣いを頼まれていたんだけど、それをどうにか終わらせた僕はあと一息で地霊殿へ

行けそうだと安堵し、これまでの道中で受けた辛苦から解放されると喜んでいた。

 

何から解放されるのかと言えば、もはや言うまでも無いよね。

 

『本気であそこに戻る気なのかァ? 止めとけクソガキ、俺様は反対だ』

 

そう、僕の内側から聞こえてくる、この粗雑でがさつで乱暴な声からだ。

 

 

『うるせェ‼ テメェ、随分と言いたい放題言ってくれンなァ‼ あァ⁉』

 

「あーもう、うるさいなぁ。分かったから大人しくしてて、もう着くから」

『だから‼ あそこは反対だッつってんだろうが‼』

 

「反対だって言ったって仕方ないじゃん、他に行く当てもないし」

 

『だったらその辺の岩でも削って穴掘れ。雨風しのげりゃ充分だろ』

 

「無茶言ってくれるよね、ホント。悪いけど僕は今の生活気に入ってるからパス」

 

 

お遣い先だった居酒屋を出てからずっとこの調子で、正直これ以上は身が保たない。

ひっきりなしに怒鳴ってくるこの声にいい加減イライラしてきた僕はこの声への

対応もどんどん雑になって来たけど、正直相手が粗雑だからイーブンだと結論付ける。

さて、後はもうこの先の川に架かってる橋を渡って角を右、そこからまっすぐに歩けば

地霊殿に帰ることが出来る。帰ったら多分他のペット達に餌をやって仕事は終わりだろう。

別に仕事が辛いってわけじゃないけど、今はとにかく落ち着ける時間が欲しかった。

だから僕はいつもよりちょっと足早に地霊殿を目指して橋を渡ろうと一歩を踏み出した。

 

 

「_______ようやく見つけましたよ、十六夜 紅夜」

 

 

僕が一歩足を踏み出した瞬間、どこかで聞いたような声が後ろから聞こえてきた。

誰だろうと思って後ろを振り返ろうとすると、僕の中の声が一際大声で怒鳴ってきた。

 

 

『止せクソガキ‼ 振り返ンな、このままあそこまで突ッ走れ‼』

 

「え? 何、何なの?」

 

『いいからさっさとしろ‼ このままだとテメェも俺も消えるぞ‼』

 

「えっ⁉」

 

 

いきなり突っかかってきて何なんだよ、と言い返そうとした僕はその言葉を飲み込む。

このままだと僕も消える? 一体何の事だろうか、それに明らかにこの声は動揺している。

今まで乱暴な印象の声しか聞いていなかったせいか、この震えた声色は迫真めいて感じた。

でも相手は魔人を名乗る謎の存在だ、彼の言葉を信じるか信じないか___________ん?

 

 

「いざよい、こうや……………?」

 

『クソが‼ オイ聞けクソガキ、オイ‼ 早くその女から離れろ‼』

「おん、な?」

 

 

何か頭の片隅に引っかかるものを感じた直後、新たに引っかかる言葉を耳にした。

魔人とかいう奴の言葉を聞いてから、妙に思考が靄がかかったように鈍ってきた。

それに何か、視界がグラグラと歪んで今見える景色の他に、謎の風景も浮かんできた。

 

 

霧が深く、針葉樹林に周囲を囲まれた大きな湖。

 

森の入り口から伸びる石造りの長い石橋に、その先に見える真っ赤な門。

 

門の内側には手入れが良く行き届いた花が咲く花壇に、大きく門よりも鮮やかな赤色の扉。

 

外観も内装も、ほぼ全て赤一色で彩られた不思議と妙に懐かしい(・・・・・・・・・・)大きな洋館。

 

_____________そして

 

 

煌く純金色のサイドテールを揺らして近付いてくる、歪な翼を持つ幼い少女。

 

 

「________ッ‼⁉ っく、うぐぅ‼」

 

 

頭が押し潰されるような感覚に見舞われる。ギシギシと頭蓋が軋む音が聞こえるほどに。

右手を頭に押し付けながら、痛みに耐えるために必死に歯を食いしばる。

ズキズキと頭蓋の内部、つまりは脳そのものが痛みを訴えかけてくるが、一切気にしない。

 

それに__________僕はその程度の痛みに(・・・・・・・・)耐えられないほど(・・・・・・・・)柔く造られていない(・・・・・・・・・)

 

僕は未だに内側から響いてくる声を無視してゆっくりと振り返り、その視線の先にいる

女性に対して、懐かしさと申し訳なさを織り交ぜた言葉を口にする。

 

 

「随分と久しぶりに感じますね、四季 映姫さん?」

 

 

目の前で眉を吊り上げている女性、四季さんに僕は面と向かってそう言った。

彼女は僕の言葉に対してなのか、それとも僕自身に対してなのか、怒っていた。

とりあえず訳を聞こうと声をかけようとするが、先に話を切り出されてしまった。

 

 

「全く、とんだ失態ですね。通行証を使用させたにも関わらず魔人を封印し損ね、

挙げ句あなたは自分が何者なのかを忘れる始末。どう責任を取るつもりですか?」

 

 

怒りの感情を表に出さないようにしつつも、仕事上の責任の追及を建前にして

愚痴をこぼすとは、閻魔大王としてはそれでいいのだろうかと疑問に思えてきますね。

まぁ今は彼女の問いに答えなければならない。しかし、その前に言っておくことがある。

 

四季さんを真っ直ぐに見つめ直し、僕は僕自身が何者なのかを告げる。

 

 

「僕の名前は十六夜 紅夜です。全て、思い出しました」

 

 

自分にまつわる全ての記憶を思い出した。そして、失っていた間の事も覚えている。

僕は自分を十六夜 紅夜であると自信をもって言える。だが傍らで、僕は忘でもあった。

異なる二人の自分が、同じ一つの体の中に異なる記憶として混在している。

今僕が宣言したのは四季さんに対してというより、僕自身に対してのものだった。

 

 

僕は、過去か現在か、どちらを選ぶのかを迫られている。

 

 







いかがだったでしょうか?
今回は思っていたよりも長めになってしまいましたね。
そのせいで日曜日にまで長引きました。そのせいなんです本当なんです。


さぁ、みんなの紅夜が戻ってまいりましたよ‼
果たして彼は過去の自分か今の自分か、どちらを選ぶのでしょうか。
この調子で今後もどんどん書いていきたいと思っております。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十参話「紅き夜、深紅の騎士は何処」


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