或る短かな後日談   作:石竹

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二 鏡面

 銃声、銃弾、弾けた身体。筋力はあれど決して重くは無い肉体が、先駆けて飛び散った皮膚と粘菌、肉片を、追いかけるように宙を舞い。発砲者を目視しようと身を捻り、動かした目に銃弾が飛ぶ。

 片目に移る景色が消える。今までと何ら変わらず、痛みは無い。只、二つ備えた感覚器官、その片方が損傷しただけ。只、それだけ……いや。

 

「ぁっ……目……っ……」

 

 それだけではない事は、既に分かっている。キメラのそれを傷付けたその時には既に、理解していたこと。

 穿たれた孔を手で押さえ、溢れ出す粘菌と、それに混ざって零れ落ちるゲル状の液体。指と指との間を伝い落ちるそれらの感覚が嫌にはっきりとしている。そうして、そのまま、浮いた身体は通路にへと落ち、埃に塗れた金属の床で体を擦って。

 出来るならば、傷付きたくも、傷付けたくもなかった部位。それを大きく損なった動揺と、この状況に対処せねばならないという意識の中、弾丸が撃ち込まれる寸前に見た姿を脳裏に描く。捉えたのは、一人の少女の姿だった。灰色の髪、淡い電灯の光を受けて、銀色に輝いた髪が、赤い帽子の下で揺れ。揺れる髪のその下で、強く光を湛えた瞳が無骨な銃口と視線を重ねる。私と同じ軍服を着た彼女は、あの時一度、言葉を交わした。

 

「ネメ、シス……」

 

 体を抱き支えられる。マトの腕に包まれ、マトの腕を赤く汚す。彼女には支えられてばかりだと、場違いな思いを胸の内で呟き、思わず、苦笑する。見上げれば、冷たい眼光。怒りを孕んだ、彼女の目。獣のような。

 

「……マト、怒らないで。やられても、仕方がないことをしてるのだから。それに、私がもうやった事よ」

 

 返答は、短かな歯軋りの音。そして言葉は、ネメシスが引き継いだ。

 

「……頭で理解できていても、納得出来ないものだろう。少なくとも、私はそうだ」

 

 何処で調達してきたのか、肩に掛けた対戦車ライフルを背中に回し、彼女は言う。二丁の拳銃、ナイフに加え、これで装備は私のそれと殆ど同じ。目は、冷たく。口調は静かであっても、怒りを隠すことなくぶつける、彼女の目。冷たい目。

 マトと同じ目。

 

「銃を収めては」

「やらん。……分かってくれ、私たちは、もう」

「まだよ。まだ……絶望しきるには、まだ早い。だって、私達は」

 

 まだ生きている。

 分からないさ。

 

 重なる声、そう呟くと同時に、マトが、私を抱き抱えて跳ぶ。その後を、二発の弾丸が穿ち、鳴って。腹部の内側を風が抜け、綿の破片が落ちる感覚、粘菌の滴る音。彼女の腕を汚す。彼女の肌を汚す。そして。

 第三の腕、備わった爪が、突き出された鉄の指を弾く。そのまま、空中で身を捩り、私という重荷を抱いたまま爪を振るい、ネメシスとキメラ、二体のサヴァントを相手取る。

 

「大体。こんなところに……クイーン達から態々離れた場所までのこのこ足を向けたのは、こういうコトを想定したからだろう?」

 

 無言で流す。否定に用いる言葉は、持っていなかった。

 

「……優しいのか、冷たいのか。お前たちの考えが分からない。理解し合えた存在との間で、荒事を起こしたくないだけか?」

「……貴女たちとも、和解したいと考えてる。それが、第一――」

「第二は? それが叶わなければ?」

 

 躊躇を殺して、銃口を向ける。射線は、彼女、ネメシスの手元。構えた拳銃へ。

 

「やっぱり、そうだろう? アリスを救うとも言ったな。具体的にはどうするつもりだ」

 

 マトが一歩退き、キメラの一撃が空を切る。重なった射線は、共に鉛を吐き出さず。只、言葉を交わすだけ。

 

「言え。いや、もう分かってるんだ。そして……それが、きっと。お前達にとって、本当に悩み考えた結果の……悪意ではない……行為、なんだって。それでも……お前の口から聞かなきゃならない。だから……」

 

 言えば、一つの段階が終わってしまう。手を取り合うための道は閉ざされ、次の段階に移行する。

 頭で分かっていても、心は追い付かない。心と心が通じ合っても、頭はそれを置き去りにして。何が正しいかなんて分かりもしない。正しいなんて概念自体、この世界にはもう、無い。

 

「……すまない。お前たちのことは、嫌いじゃなかったよ」

「ううん。元はといえば、私達の所為だもの。だから、此方こそ……ごめんなさい」

 

 ネメシスが、私の片目を見つめる。マトが、そして、キメラさえもが。攻撃の手を止め、耳を澄ます。そんな、彼女たちへと向けて。

 

「私達は、アリスを解体する。完全に、もう、蘇らなくて済むように――」

 

 ――全部、全部終わらせる。

 

 この答えこそが、開幕を告げる号令で。紡ぐと共に、響き渡る慟哭と空気を撼わす駆動音。継ぎ接ぎだらけの少女の叫びと、二発分の銃声と。そして、異質な、不可思議な音――かちあい弾。

 無数の弾丸が飛び交う激戦地では、稀に、銃弾同士が激突し、穿ち合って一つとなる。機械と違わぬ精密に過ぎる技術を持った、二体のアンデッドが向かい合い、殺意を重ねていたのだから。照準、完全に重なった射線と、タイミング。無理も無い。十分に有り得ることだからこそ――最早、偶然や、運命の悪戯によって起こされたものではないからこそ。

 

 その必然が、悲しくて。目を伏せるよりも先に続けて引いた引き金、避ける影。遥か先、闇に呑まれて消える銃弾を横目に、獣の足、蟲の足。止め処無く叩かれる床と移り変わる視界を以って彼女等を刺す。振り抜かれた鉄の拳を爪が叩いては軌道を逸らして火花を散らし。演じるは殺陣。兵器として産み落とされた、兵器のために生み出された技術。私達の生は、体は。所詮はその転用でしかない。

 けれど。それでも。そして、だからこその選択なのだろう。キメラの選択は、ネメシスの選択は。彼女達の思い、感情、その揺れ動きによって選ばれたものであると信じて。

 

 信じて、壊す。彼女たちとは、此処でけりをつける。

 

「マト!」

「ごめん!」

 

 大きく飛び退くと同時に、彼女の手の甲が私の靴底に宛がわれる。それは、強靭な筋力が作り出す足場。腕が二本塞がっていた不利は、これで解消するだろう。背に縫い付けられた彼女の腕、追い縋るキメラへと振り抜く回転の勢いと共に、宙へ跳び。

 打ち合う爪と爪の音、同時、交差する銃弾。二つの発砲音と、浚われる髪。浚う髪。それは、鏡を見ているようで。だからこそ。

 

 着地点へと向けられる銃口。空中の私では無い。勢いを殺しきれない着地、地に足を付け、そして体勢を崩す私へと向けて合わせられた照準――数瞬先にある光景へと狙いを定めて弾丸を吐く彼女の指先、角度も、タイミングも、全てが誤差無く読み取れる。銃弾を銃弾で以って撃ち落とす、そんな芸当が可能なのも、その隙を狙い撃ち出した、私の銃弾が撃ち落とされるのも。全てが、鏡のそれだからこそ。私と彼女の撃ち合いでは、勝負はつかないだろう。

 しかし。

 

「マト、右」

 

 一歩、私から離れ、単身。指示に従い移動した、彼女の影を弾が打ち、影はそのまま踊り続ける。

 

「無視。右。止まって。下。左」

 

 マトとキメラの織り成す殺陣へと、狙撃手は横槍を入れ続ける。両手に掲げた拳銃を以って、互いの思い人を撃ち続ける。鏡に向かっての発砲は意味をなさないから、もっと卑劣な、下賤な手段で、映る自分を殺し合う。そんな中であっても。

 フェイントの銃弾、思考中の静止に対する狙撃、左側の壁を用いての跳弾、移動先を予想した発砲、攻撃に振るう爪の軌道を抉る弾。短い指示でも、彼女は、マトは、正確に私の意図を汲み取ってくれる。対して、キメラは。私が引き金を引けば引くだけ、その体が削られて行って。キメラとマトが戦闘に於いて同じ役割を果たす以上、バディを組めば、それだけでキメラの狂気は重荷になる。第一。

 

「っ、キメラ、避けろ、頼むから、防御を……ッ」

 

 彼女の思考は、キメラがいるだけで乱される。キメラの機械仕掛けの腕に銃痕が浮かぶ度、その足から粘菌が噴き出す度、皮膜が破れる度。あまりに、その姿は痛々しい。私の数手先を読むような芸当は、今の彼女には出来ないだろう。

 そして、私自身。その同様と、躊躇。彼女らの負う心の傷を、前提として動いていて。

 

「……最低」

 

 思わず、呟く。自分の所業に。悪意を以って、姉妹といっても過言ではない者たちを嬲る。この姿は、最早、外道のそれだろう。

 

「分かってんじゃんか、偽善者」

 

 そして、キメラは笑うのだ。傷に塗れても、拳を、爪を、尾を振るいながら、床を汚しながら、彼女は、笑うのだ。否。嗤うのだ。

 最早、ネメシスの声も聞こえていないのかも知れない。聞こえた上で、笑みを零しているのかも知れない。最早。

 最早、嗤うしか無いのかも知れない。彼女は既に……溜め込んだ感情を、暴力を以って発散する、そんな段階は過ぎてしまったのかも知れない。そこに居るのはもう、抱き続けた狂気を曝け出す事に固執する中毒者(ホリック)では無く、きっと、心が壊れても尚、動き続けなければならない瓦落多の道化(ジャンク)であって。

 だからこそ、嗤うのだろう。心を殺し、人としての形を捻じ曲げてさえ動かんとする屍体の少女(オートマトン)を。狭い狭い世界だけを見て、契りを交わした私達、姉妹(ソロリティ)を。

 

「なんだろうな。もう。何も分からなくなっちまったよ。私は……もう、死ぬんだな。いつ生まれたかも分かんねぇのに……生き物だったのかも分かんねぇのに」

 

 マトの爪がキメラを裂く。横薙ぎの一線は、辛うじて鉄の腕に阻まれて。一瞬、鍔迫り合いにも似た甲高い音を響かせた後、第二手、三手と、鉄と鉄はぶつかり合って。四本の足、残るは、一。床に三つの赤い線を引き、残る一本の足と、腕で以って体を引き摺りながら、マトとかち合う。

 それでも、彼女を撃つ。

 

「キメラ! キメラぁ!」

「煩いなぁ、ネメシス……いつもは、すかしてやがる癖に……」

 

 キメラは、小さく笑う。

 詰みなのだと、悟っているのだろう。そして、終わる事を。多大な苦しみと、死の先に待つ無を天秤に掛けて、取捨したのだろう。

 二丁の拳銃、引き金にかける指は止めない。少しずつ、少しずつ、体を抉り、削いでいく。粘菌は二つに別たれれば、より体積の多い方に自我が残る。故に、削る。削る。落とす。落とす。

 

「なぁ。お前らは知らないだろうけどさ、私はまだ、『一回目』だったんだぜ。お前らは二回目だろうけどさ……何だったんだろうな、私の人生。人じゃ無いのか。なら、畜生か。畜生の生なんて、こんなもんか。なぁ」

 

 彼女は問う。問いながらも、近く。最早、腕を動かすだけの機能しか有していない彼女の体。足は全て失い、腕も、一本を残し、残る二本も、今にも千切れて落ちそうで。

 もう、よいだろう。一瞬、彼女と視線を交わし、合図、マトが、彼女から大きく跳び退いて。

 

 私は、只。鉄の棒を突きつける。

 

「ごめん、キメラ。貴女を……解体する」

 

 嘲笑う顔。私の好きな、彼女のそれと同じ顔、姿へと。対戦車ライフル、巨大な銃身、銃口。引き金を。

 

 引き金を引く、瞬間。僅かに、本当に、僅かに。引き金を引き、射出された弾丸が、その目標へと到達するまでの須臾に、キメラの姿が、ぶれて、消えて。見るのは只、赤い帽子で。

 

 小さく漏れ出た驚嘆の声は、キメラのそれか、マトのそれか。同じ声だから、判別がつかない。

 けれど。私たちは……私と、ネメシスにとっては。当然の結末。来るべき末路。結果であって。

 

 故に。私は、銃撃を止めない。キメラであれば、一撃で充分。彼女に対してならば、まだ、手数が必要で。

 過集中にも似た状況だった、筋力を以って反動を無理に殺すことが出来た、全身をコンピューターに置き換えたが故に人間のそれよりも電気信号の伝達を迅速に行えた。何か、劇的と言える理由付けを求めるならば、幾らでも行えるのだろう。只、二発。銃弾を撃ち出す……詰まる所は、それだけの事、簡単なこと。何ら劇的なものは無い。只々、当たり前に。当然に。必然に。行われるだけの簡単なそれが、彼女に確実な破滅を齎す死の手となるのだから。

 本当に。やるせない。

 

 立て続けに吐き出された銃弾が、彼女の胸、腰、空いた巨大な二発の穴は、その面積を一部重ねて線となり。彼女の体は、上下に断たれて。

 崩れ落ちる下半身、地に堕ちる上半身。もう、戦闘の継続は叶わない。結局、撃たれることの無かったライフルは、体と一緒に撃ち抜かれで落ちた。キメラの体を押し退ける際に、二丁の拳銃は捨ててしまったらしい。もう、彼女に武装は無い。

 

「……なんで」

 

 床へと向けて引き倒されて、低くなったはずの視線の元へと落ちてきた少女、行き場を失った赤い粘菌が口から零れ落ちて咽る。その姿を呆然と見つめ、呟く。

 心底、疑問であるというように。訳が分からないというように。

 

「なんで、そんな……そこまでするんだよ。お前は……違うだろ、違うだろ。お前は……」

 

 返事はない。吐き出す液体、水の音が作り出した沈黙が其処にあるだけで。

 

「お前はさ、もっと。そう……食えない奴で。皮肉屋でさぁ。私が死んだら、何か、小言でも言って……そして、自由になるはずだろ。分が悪くなったから、とか、そういう理由をつけてさ」

 

 ネメシスは笑う。血まみれの口の、端を吊る。

 

「分かって、くれないだろうな、って、思ってたよ」

「何をだよ。分かんねぇよ、何にも」

 

 ネメシスの体へと、掴みかかるように……いや、実際に、その襟元へと掴みかかって。

 

「なんなんだよ。分かるように言えよ。お前は、何を」

「言わなくてもすぐに分かる。ほら――」

 

 ネメシスの腕が、キメラの首に回される。抵抗は、されなかった。二人の体が重なって、動きを止めて、時が止まって。

 音が止む。発砲音も、金属音も。鼓動も、足音も、血の流れる音も。声も、止む。

 

 結局。矢張り。私たちは、姉妹なんだろう。自分の思いを伝えるための行動が、私の行動、姿と重なる。少しの間の沈黙はまた。声に依って破られる。

 

「……キメラ」

 

 ネメシスは呟く。思う人の名前を。応えは、無い。

 

「キメラ……すまない。でも……私は、お前を」

「もういい」

 

 キメラは。

 

「もう、いい……」

 

 キメラは、伏せる。自身へと、口付けを行った少女の、傷ついた胸へ向けて、伏せる。

 

「言わせてくれ。キメラ」

「嫌だ、止めてくれ。私は……私は、何してたんだろうって。惨めになる」

「……そうか。……そっか」

 

 また。言葉は、止んで。冷え切った通路は、弾痕と、傷跡、血に塗れた通路は。凡ゆる音が消え失せて、静寂に呑まれた。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 アンデッドの血に、血の味は付いていない。アンデッドの血に、血の匂いは付いていない。基本的には、無味無臭。作成者の好みによって、フレーバーを付けることもできるらしい。母様は、特に何の香り付けも、味付けもしなかった。だから、今も。何の味も、匂いもしない。

 

 二人分の足音が、遠く、通路の先へと消えていく。例え、私が死んだとしても、此処で壊すつもりだった。けど、もう、それを追うだけの気力も無い。昂った感情は、不思議な程に冷めてしまった。気が狂いそうな程に怒り、泣き、苦しんだのに、嘘のよう。いや、もしかすると、私はもう気が狂ってしまったのかもしれない。

 狂っても、おかしく無い世界だ。今だって、自分のものか、他人のものか。誰のものか分からない血肉に塗れた床の上で、二人揃って転がってる。

 

「……放してくれよ」

「放したら、追うだろう」

 

 今はもう、そんなつもりは無かった、が。彼女の腕に抱かれて居るのは、不思議と悪い気がしない。

 それに。ネメシスが、あんまりにも……腰から下が千切れて落ちた後だと言うのに、それこそ、嘘のように穏やかに、笑っているものだから。

 

「……当たり前だろ。私は……あいつらを、壊しに来たんだ」

「なら、駄目だ。放してはやれない」

 

 滑稽だった。周りから見たなら、凄く無様だろうと思う。上半身だけで幸せそうに笑うこいつも、あれだけ喚き散らした後で、こうも大人しく抱かれる私も。

 只。

 

「……お前、これからどうするつもりだよ」

「どうするって?」

「分かってる癖に……」

 

 血塗れの顔をじっと睨む。いつも、こうだ。余裕振って、煙に巻いて。何処に本心があるのかなんて、分かりもしない。こうして問い詰めて、やっと。肩を竦めて、自分の考えを白状し出す。

 

「……どうにでも、なるさ。私たちは……確かにネクロマンサーの被造物だよ。でも、其処までの強制力なんてもの、奴は持っていない」

「それでも……母様だろ。私達は、母様に作られたんだろ。離れることなんて」

「出来るさ。きっと出来る……アリスが行使できる死体操作術は、完全じゃない。だからこそ私達は、此処まで自由に動けていたんだから。だから……」

 

 違う。首を、横に振る。なんで、分かってくれないのか。私が言いたいのは、そう言うことではないのだと。

 

「そうじゃない。私は……出来ない。母様を見捨てるなんてこと……したく、無いんだよ」

 

 少しだけ。言葉を聞いた、彼女の目が丸くなる。驚いたように。そして。

 

「ふっ、くく……ふふ……」

 

 そして。私を抱き締めたままで、笑うものだから。

 

「何……なんだよ」

「いや? そうか、お前は……お前って奴は、そうなんだな」

「だから、何なんだよ」

 

 声を荒げる。後ろ髪に埋まる、ネメシスの指が鬱陶しい。服を隔てて聴こえる心音と、早まる私の心音の、鼓動のズレが気持ち悪い。

 何もかもが合わないと、そう思う。その癖、この会話、対話は……酷く落ち着くのも確かで。それも、癪だった。

 

「いや。お前は、本当に……優しいんだなと思っただけだよ。お前は……全てのアンデッドの中で、一番、人間だよ」

「……なんだよ、それ……」

 

 また、皮肉のつもりなのか。訝しみ睨み付けた、ネメシスの目が。涙を溜めたこいつの目が、自棄に優しく、澄んでいる事に驚き、視線を逸らす。

 

「大丈夫だよ、キメラ。ネクロマンサーは……母さんは……きっと、分かってくれる筈さ。……あの頃の、まだ。狂う前の母さんなら」

「……狂っても、母様だ」

「そうだね。でも……もう、終わったんだ。私達の、家族としての幸せな時間は。母さんの心はもう死んだ……いつか死ぬから生きているんだ。死んでしまった母さんは、あの時、確かに生きていた……人生って、そういうものだろう?」

 

 詭弁だ。そう、思う。それは、私たちに取って都合の良い想像で。今はいない母様の言葉を、空想の中で捏造する――

 

「っ……」

 

 そうして、気付く。私自身、母様は。既に死んだと、思っていることに。嗚呼、本当に。

 私達の母様は、死んでしまっていたのだと。

 

「……本当に、優しいんだな」

 

 息が詰まる。流れ落ちる涙を、ネメシスの指が拭っていく。結局、私は。母様の死体に、動くだけの死体に縋り付いていたに過ぎないのだろうかと。思えば、思う程に涙が溢れる。

 呼吸は要らない筈だ。なのに、喉は詰まり、肺は苦しい。痛みは、当然のように、無い。只々、圧迫感がある。冷たい手に摩られる、冷え切った筈の背中が暖かい。髪に埋まり、撫ぜられる……彼女の手が、暖かい。

 

「……大丈夫。大丈夫だ。これからの事は……これから考えよう。また……此処から生きていこう」

 

 答えなければならない。母様の元を離れたくは、無い。けれど。

 

 私も、生きてみたかった。初めての人生を。色んな場所を歩き回って、彷徨って。世界は終わってしまったらしいけれど、終わる前の余韻や跡は、凡ゆる所に残っている。

 根本的に人間と、違う構造をした私も。私達も。人として生きることが許されるなら……世界を見て回るのも、良いかもしれない。生まれて初めて、そう思えた。思う未来で、私の横に。今は、ネメシスの姿があるのも、また、理由だろう。

 

 声を使った返答は、出来そうに無い。彼女の顔へと、もう一度顔を向ける。一度涙を自分で拭って、彼女の瞳と視線を交わす。

 

 交わせば。其処には。彼女の目、驚いたように、恐れるように。瞳に映った、緑の、光――

 

 

 

 

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