ノーディスとヴーニス。
封印を守る守護者を倒すと、これまでと同じようにマナに溶けて消える。そのマナの光が祭壇に注がれて、精霊の祭壇が光を放つ。
ロイドは剣を納めて成り行きを見守った。
コレットは緊張した面持ちでそっと羽を広げ、祭壇の上に浮かんだ。
「大地を守り、育む、大いなる女神マーテルよ。……御身の力を、ここに」
コレットの言葉で精霊の祭壇は解放される。光が浮かんで、それが明滅を繰り返す。光は祭壇から出ようとして出られず、祭壇の中をくるくると回っていたが、やがて落ち着いたのか中央に留まり動かなくなる。
それと同時に、光は上の方にも延びて行く。眩い光の柱の中を、天使レミエルが降りてくる。
「長き道のりだった。よくぞここまで旅を続けたな、再生の神子コレットよ。我らから、そなたに祝福を授けよう」
「……はい」
また、差し伸べられたレミエルの手から、光がコレットのクルシスの輝石に注ぎ込む。
「―――何が祝福だ」
ぽつりと、横でエミルが呟くのが聞こえた。
「浮かない顔だな。また天使に近付いたというのに」
「いえ、とても嬉しいです」
コレットの声は、堅い。
レミエルは僅かに顔をしかめた。
「しかし神子よ、ようやくそなたの旅も終わりを迎えようとしている。……喜ぶがよい」
さっと両手を広げて、笑みを浮かべた。
「いまこそ救いの塔への道は開かれる! 救いの塔で再生の祈りを捧げよ。その時神子は、天の階に足を乗せるであろう!」
――天へと続く階を登り、神子が祈りを捧げたとき。世界は救われる。神子が天使となることで。
神子が天使となることで。
「救いの塔……」
「いよいよ世界再生なんだね」
「もうすぐ……救われる……?」
マルタなどはディザイアンと戦うパルマコスタの住人だから感慨もひとしおだろう。しいなだけが、顔を曇らせる。
「ホントに再生されちまうのか……」
エミルやリフィルは何か言いたげにしていた。しかしコレットが―― 一切の感情を殺したような声で――答える。
「レミエルさまの御心のままに」
そういえば、とロイドは気がついた。
何時からだろう、コレットがお父様とかではなく、レミエルさまと呼ぶようになったのは。
レミエルは満足したように頷いて、また天へと上っていく。
「救いの塔で待っている。再生の神子コレットよ」
コレットは黙って、それを見送った。
何時もなら、それで終わり。封印は解放され、精霊は目覚めた。ここには用がない。
けれど。
「……驚きました」
澄んだ声。一つ高みから落ちてくるような、そんな声。静かで大声でもないのによく通り、ロイドは全身に鳥肌がたった。
祭壇の上で何かが集まり、形をとった。青い女性。
水の精霊ウンディーネ。
「私はミトスとの契約に縛られるもの。契約の資格を持つ者よ、貴方は何者ですか」
ウンディーネは真っ直ぐにしいなを見て、言った。召喚士である、しいなを。
しいなが召喚士と分かったのはつい半日前のことだ。エミルがウンディーネの力を借りればいい、と言ったとき、しいなは自らが召喚士であることを明かした。
『エミルはあたしとコリンの恩人だ。その恩を返すよ』
だから、神子の暗殺を中断してまで付いてきてくれたのだ。
しかししいなは契約の詳しい手順までは知らず、エミルとクラトスが助言してくれた。どちらも「昔精霊に詳しい友人がいたから」としか言わなかったが。
資質を問う、と戦いになり、ロイド達はなんとかウンディーネを下した。
マナに消えたはずのウンディーネは、一瞬の後に何事もなかったかのように祭壇の上に現れていた。
「………見事です。私との契約に何を誓いますか?」
「今この瞬間苦しんでいる人たちがいる。その人たちを救うことを誓う」
「良いでしょう。我が力を契約者しいなに」
ウンディーネはしいなの手に小さな指輪を残し、またマナに還って消えた。
ほうっとマルタが息を吐き出した。
「……これでクララさまを助けられるんだよね?」
「ユニコーンに会えればな。……戻るぞ。ここにはもう用がない」
「あ、待ってください、クラトスさん!」
「神子さま!」
クラトスが踵を返し、転送装置に足をのせる。そのあとをコレットとマルタが小走りに追いかける。
「はーっ、すげえなあ。早くウンディーネを召喚する所が見てえっ!」
「もう、はしゃぐんじゃありません!」
「ま、見てのお楽しみサ」
「すぐに飽きなきゃいいけどね……」
ロイド、リフィル、しいな、ジーニアスもまた装置に乗り、景色が変わる。神殿の内部に戻ったのだ。
「あれ、エミル?」
マルタが辺りを見回すが、ロイド達が戻ってから転送装置は動かない。
―――エミルだけが、戻ってこない。
「――俺を残したからには、話してくれるんだろうな? ウンディーネ」
振り向く彼の瞳は、紅。
「やはり、貴方でしたか。見間違えましたよ」
消えたように見せていたウンディーネが顕現する。どこか、呆れたように。
彼はくく、と喉の奥で笑った。
「お前が気が付かなければ他のやつにもバレなさそうだな」
ウンディーネは水の精霊。水は生命に繋がり、命はマナに繋がる。ウンディーネが彼を人間と見間違えたなら、他の精霊は彼を人間だと思うだろう。
ウンディーネはかっと目を見開くや、珍しく声を荒げて彼に詰め寄った。
「笑い事ではありません! なぜここにいるのですか!」
彼がいなければ世界は回らない。彼がいなければ世界が滅ぶ。冗談じゃなく。彼にしかできないことが多すぎる。
しかしその前に、なぜ“今”、ここにいるのか。何故“こっち側”のここにいるのかと。
「あー、うるさいうるさい。怒鳴らなくても聞こえてる。……その辺りはあいつらにたっっっぷり言われてるからな。ちゃんと役目は自覚してるから安心しろ」
彼は自嘲気味に頬を緩ませる。昔もよく、こうして怒鳴られたものだった。
堅物のイフリートとウンディーネはその代表で、フラフラするな、早く帰れと何度も苦言を呈されたものだ。それは精霊の役目を重く受け止め、自覚していればこそだから、彼も咎めたりはしなかったが。
長い付き合いだ。こう言うとき、彼がその忠告を聞き入れた例がないのはウンディーネも分かっている。彼女はため息をついて続けた。
「しかし……いえ、だからこそ、どうしてここに? なぜ人間と一緒にいるのです?」
貴方は人間が嫌いなのではなかったのですか―――? すんでのところでウンディーネはその言葉を飲み込んだが、彼には伝わってしまう。
彼が眠りにつく少し前、彼の半身とでも言うべきものが、人間の手で滅ぼされた。その時……いや、その前から、彼は何度も言っていた。
人間など、いっそ滅びてしまえと。その気持ちに、今もあまり変わりない。
「成り行きだ。たまたまあいつらの目的地が祭壇のある地だっただけで他意はない」
ウンディーネはほっとした。
「そう、ですか。私はてっきり、問い質すためかと」
「―――なんだと?」
ウンディーネは失言を悟った。口をつぐむが、もう遅い。
彼は精霊の口から出る言葉が、全て真実であると知っている。何気なく聞こえる言葉でも、視点を変えれば穿った真実であると。
精霊は多くを語らない。精霊は世界に干渉しない。だから、精霊の言葉には意味がある。
「ウンディーネ、お前は知っている筈だな? 答えろ。何故、“こんなこと”になっている。あいつに何があった!」
こんなになっても、彼はまだ、心の奥底で希望を捨てられない。頭では分かっていても。
ウンディーネはそっと目を伏せた。
「お答え、出来ません」
「何故だ」
「契約だからです」
「今のお前はしいなと契約しているだろうが」
新たな契約を成せば、古い契約は破棄される。今、ウンディーネはミトスとの契約に縛られていない筈だった。
けれどそれは、ヒトとの契約の場合。
「ミトスとではありません。翁との契約です。“もしも貴方が目覚めても、決して伝えるな”と。これは王からの命令だ、と」
王から。精霊にとって、抗えないモノの一つ。例えそれが王が直接下したものでなくても、精霊は嘘をつかない。問いただそうにも、王は、今。
「あの野郎……命令なら仕方ない。直接あいつらに聞く」
ウンディーネは彼の目を見て、それから改めて頭を下げた。
「申し訳ありません」
「良い。そういう風に出来てるんだ。……じゃあ、なんで俺を残した? 話をするためじゃないだろう?」
「まあ、それもあるのですけれど―――彼女を、目覚めさせて欲しいのです」
ウンディーネの手元には、水色の、雫のような形をした宝玉が。
「それは……」
「確かに今、水のマナは私の管理下にあります。しかし私たち精霊は、あなたたちのように届けることは出来ません」
精霊の役目はマナの属性変換と、世界を巡るマナの流れにそのマナを乗せること。そしてその流れを見守り、導くこと。だから精霊が眠っては世界のマナは巡らない。
けれど、マナの流れは世界中を全て巡る訳ではない。そして流れが淀んだり、片寄ることもある。
そういう所で調整するのが、他ならぬ彼の役目だ。
「変換し、流れに乗せることは出来ても、流れの通らない土地までは届かない。……だから、俺たちがいるんだ」
例えば、ソダ島近くで海が荒れているのは暴走に引きずられたせいもあるが、ウンディーネがより遠くに力を届けようとした為だ。ルインの湖も、元を辿ればウンディーネの力。それを届けようとして失敗し、しわ寄せが海に来た。
本来ならば彼らが動いて、何事もなく世界は回るはずだった。
彼は“それ”を受け取り力を込めた。音もなく雫が開いて、珠になる。と同時、彼の中に力が流れ込んでくるのを感じた。
――これで、ようやく半分。
少しして、珠が本来の輝きを取り戻す。マナが少なく実体化こそ出来ないようだが、ようやく“こっち側”は全て目覚めた。
彼はふっと笑った。
「手間をかけたな。半端に目覚めたせいで引きずられたらしい。これでじきにおさまるだろ」
「……申し訳ありません。いつも、貴方ばかりに」
仕方のないことだ。
マナの調節も、魔物を従えることも、扉や封印を守るのも、『侵入者』と戦うのも、全ては彼にしか出来ないことだ。
そも、彼と精霊達とでは作りからして違う。役目が違うのだ。彼の仕事は精霊の誰であろうとも変わることは出来ないし、精霊の仕事は彼では上手く回らない。
……今は、何故か無理矢理に彼の仕事を精霊達がしているけれど。
「良い。これは俺の仕事だからな。―――さて、こっちは終わった。またしばらく、お前達に任せる」
「! 行くのですか」
「ああ。あの塔は門だろう? 彼処からなら、対して力を使わずに行けるからな」
そして彼処に、彼が求める答えもある。
彼が歩き出した。転移装置に足を乗せると、今度こそ動き出す。
転移直前、ウンディーネは彼の背中に向かって声をかけた。
「御武運を」
彼は答えず、目を閉じた。
「コレット……コレット!」
神殿を出ると、コレットの容態が急変した。
「また、天使疾患ね。早く休ませなくては」
「じゃあ早く大陸に戻ろうよ!」
「ダメだ。まだエミルが来てない」
いくらエミルが強くて何でもできそうでも、乗り物成しに帰れるわけがない。………本当は乗り物がない方が早かったりするのだが、ロイドは勿論リフィルも知らない。
ロイドがじっと神殿の出口を見つめていたら、マルタがおずおずと質問する。
「ねえ、神子様は……いつも、こんな風に?」
「ん、ああ……封印を解放する度にな」
マルタはぎゅっと唇を引き結んだ。そしてそっとコレットの側にしゃがみ、手をかざす。
その手から暖かな光が注いでいく。――治癒術の、光。
「こんなんじゃ、気休めにもならないかもしれないけど」
「……、……」
コレットが弱々しく微笑み、口が動いた。ありがと。
「マルタ、貴方治癒術が使えるの?」
「はい。ファーストエイドだけなんですけど」
「何処で覚えたのかしら?」
治癒術は人間も使える。しかしそれを知るものは少なく、人の身で治癒術を使える人をロイド達は知らなかった。世界を半周しても、まだ。
「夢で」
マルタはコレットに手をかざしたまま答えた。
「小さい頃から、夢を見るんです。大きくなるとあまり見なくなってしまったけど―――私は夢の中で術を使ってました。……不思議な夢です。大切な夢で、思い出したくないのに、忘れられなくて」
光が収まり、マルタは顔を上げた。それまで一緒にいて信じられないくらい、大人の顔をしていた。
「エミルのことも、夢で見たんです。私に背を向けて私を庇ってくれるひと。私を守ってくれるひと。……エミルに助けてもらったときに分かったんです。ああ、私はこのひとを探してたんだなって」
あ、勿論エミルが格好いいのは事実ですよ、と付け加えた辺りはマルタらしかったけれど、ジーニアスはマルタが二歳も三歳も年をとってしまったように見えた。
その時。
荒れ狂っていた海が、嘘のように鎮まった。
「――今、マナ、が」
代わった。神殿の方から何かが駆け抜けて、遠くまで伝わっていく。波紋のように。
一度しかなかったがジーニアスもリフィルも……コリンも反応した。今までも、何度か感じたことはある。精霊の解放に伴うものかと思ったが、今回は違う。既に精霊は目覚め、契約まで交わしているのだから。
その時ようやく、エミルが神殿から出てきた。
「エミル! どこいってたのさ、遅いから心配したよ」
「ごめん、なんだか転送装置が誤作動して――コレット?!」
リフィルに抱かれているコレットを見て、エミルははっとする。天使疾患は一晩の事。しかし辛いことにかわりはなく、こんな潮風が当たるところでは休みようがない。
「急いで戻るぞ。神子を休ませねば」
エミルが戻ってきたとあれば、反対する理由はなかった。
またたらいに乗り込み、陸地を目指してこぎ出す。来たときとは違って誰も喋らない。
―――旅の終わりは、目前に迫っている。
よくたらいで海を越えようと思ったよね。近くにパルマコスタがあるんだから、船の一隻でも貰えば良いじゃないか。最新式の蒸気機関船があるんだから。
さて、精霊に関する私的な考察ですが、個人的にはウンディーネとイフリートが苦労人筆頭だと思っています。何だかんだでラタ様の後始末してたり苦言を呈したりするのは彼等。他はまあ、止めになんて来ないでしょうし。
精霊が嘘をつけないと言うのも個人的設定です。
因みに、カミシラ山地の魔物たちがたらいを運んだ、という裏設定があったりなかったり。