ハイマの夜空は、パルマコスタのものよりも格段に美しい。明かりが少なく、山の上だから空気も澄んでいるせいたろう。
「綺麗だな……なぁ、コレット」
ロイドの声に返事は返らない。代わりにコレットがロイドの手をほんの少しだけ強く握った。
それだけで、ロイドは泣きそうになってしまった。
―――人間性の欠如。天使になる代償。
味覚を失い、睡眠を失い、触覚を失い、ついには声まで失う。
「誰かの手を握っても何も感じられないなんて……世界再生なんかやめちまいなよ!」
正面からそう言えるのは、しいなくらいのものだ。他は、口が裂けても言えない。コレットは、神子だから。
シルヴァラントにはもう、後がない。
神子に護衛を雇うことだって、ロイド達の同行だって本当なら例外だ。神聖な世界再生の儀式は一般人は見てはならないとされているから。通常神子の護衛は司祭が担う。
しかし規範を曲げてまで、イセリアは神子を送り出した。
八百年失敗し続けている世界再生。次の神子はいつ生まれるか分からない。マナの減少はもう、生活に影響するほどになっている。
真実、シルヴァラントはここで失敗したら滅ぶ。
だからユニコーンの角を手にいれた後も、コレットは自分のためではなくクララのためにそれを使うようにと笑ったのだ。
『わたしは世界を再生するために生まれたんだから、ちゃんと自分の仕事をするよ。ね?』
コレットの症状は、術で治せるかもしれない。しかし治せば天使にはなれずに世界再生を成し遂げられないかもしれない。
一行は、結局救いの塔を目指すしかなかった。
しかしここで問題がある。シルヴァラントの救いの塔は、険しい山脈の中にあるのだ。
「本当にありがとうございました、神子様」
「いえ、お礼を言われるようなことではありません。神子様のご意志ですわ」
声の出ないコレットに代わり、リフィルが返答する。
総督府はようやく、元のように人々が出入りするようになった。……クララとドアは未だ療養中なので、ニールとブルートが代理を勤めているが。
だから総督の席は空けて、その隣の椅子にニールは座っていた。
「それでは、救いの塔へ向かわれるのですね」
ニールにはユニコーンのことも説明してある。水の封印を解放し、ウンディーネと契約できればクララを助けられる、と。クララが助かった今、それは即ち再生の旅の終わりを意味する。
ニールは知らない。コレットは声がでないことも、痛みを感じないことも、人として当たり前の睡眠すら出来ないことも。
だからニールの笑顔は世界再生を純粋に喜んでいるものだった。故に、リフィルは一瞬答えに詰まった。
「……ええ、お世話になりました」
「ところで救いの塔にはどうやって行くつもり?」
横からアリスが口を挟んだ。なにをするわけでもないのに何故か総督府にいるアリスは、デクスが入れた紅茶を飲みながら足を組む。
「どうって……」
ジーニアスが答えようとしたとたん。
「因みにあの辺りはハイマの人間でも立ち入らない山岳地帯だ。海は荒れて熟練の漁師でも無事には帰れないとまで言われてるし、お前達が行ったら骨で見つかるぞ。――あ、違った。骨すら見つけて貰えないぞ」
デクスの現実を突きつける言葉に、今更ながらジーニアスは青くなった。
再生の旅は救いの塔で終わる。逆を言えば、救いの塔に行かなければ世界は救われない。
山を越えれば何とかなるだろうと甘いことを考えていた。……前にも、砂漠越えのときにエミルにも言われたのに。情報もなしに未知の土地に入ることは自殺行為だ、と。
ロイドもリフィルも黙りだ。彼らも方法を思い付かなかったのだ。頼みの綱のエミルとクラトスはハイマに行ってみようとしか言わなかった。
それを見て、アリスがため息をついた。
「………はあ、そんな事だろうと思った。アリスちゃんに任せなさい」
マルタが目を見開いた。
「珍しい……アリスが自分からそんなこと言い出すなんて、明日は槍でも降るんじゃないの?」
「こっちにも、色々と事情があるのよ。仕方ないじゃない、仕事なんだから」
「仕事?」
アリスは一瞬無表情になっただけだが、隣のデクスがしまった、とでも言いたげな顔をしていた。
「………何でもないわ。それじゃ、先にハイマに行ってるから」
固まったデクスを引きずって、アリスは颯爽と総督府を出ていった。……はて、アリスは総督府に雇われている身ではなかったか。
ロイドが頭を掻いた。
「行ってるから、って言われてもなぁ」
「けど確かにボクたちには方法がないよ。救いの塔に目指すって行っても行き方なんか分からないし」
悩む一行に、マルタが声をかける。
「あの、大丈夫だと思います。アリスはひねくれてるけど、ああいう言い方をしたときはなんだかんだ言ってもちゃんとやってくれるから」
「そうだね。腕は確かだし、大丈夫じゃないかな」
「……まあ、マルタとエミルがそう言うなら」
嘘をつきそうにないマルタと、信頼できるエミルの言葉ならば信じられる。コレットも、ロイドもそうだろう。
旅の決定権は神子たるコレットにある。
「じゃあ取り合えずハイマに行ってみましょう。ニールさん、お世話になりました」
「はい。またいつでもいらしてください」
パルマコスタを出てから、そう言えばマルタは見送りに来なかったな、と思い出した。
街道を歩けば、何度か魔物とは出会う。そのどれもが理性を失ったように、我武者羅に突っ込んでくる。
今のロイド達の敵ではなかった。
最近ではエミルもクラトスも剣を抜くこと無く、ノイシュも怯えずにロイドとジーニアスの援護のみで倒せていた。
だからだろうか。
魔物との戦いの最中に小さな悲鳴が上がるまで、その人物の存在に気がつかなかったのは。
それも偶々数が多いので全員武器をもって魔物と対峙しノイシュの回りには誰もいなくなったとき、ノイシュがその人物の頬を舐めたせいで驚いた、小さな悲鳴が上がるまで。
「え、ま、マルタ? 何でここに――いや、どうやってここに? ……まさか」
大急ぎで魔物を蹴散らし、問い詰めると、マルタはあっけらかんと頷いた。
「うん、ずっと後ろに」
「魔物は?」
「襲ってこなかったよ? それに、ほら」
マルタは腕を振り、手のスピナーの刃を出して見せた。……それで撃退したらしい。
だったら尚更に何で気が付かなかったのだろう? 魔物の襲撃に対応するために、常に気を張りっぱなしにしていたのに。まるでクラトスのような、圧倒的な上位者を相手にしたときのように、気が付けなかったのだ。
ともあれ、判明したならやることがある。
「取り合えず、パルマコスタに戻ってマルタを送って――」
「待って!」
急に大声を出すものだから、コレットは危うく転びかけた。
「私も行く」
「は?」
「アリスが行くなら私も行く!」
「え、ええぇぇえ!?」
いや。いやいやいや、それは何か可笑しいだろう!
「あのねマルタ、それとこれとは話が別」
「同じだよ! これでも、私だって武器さえあれば戦える。足手まといにはならないよ。それに……」
それ以上何も言えないような、苦しそうな顔でマルタは唇を噛む。
「それに、神子様だけにこんなことさせるなんて、間違ってるんじゃないかって……私も何か手伝いたいの。ほら、私はパルマコスタ政府の一員なんだし、一緒にいけば何か出来るかもしれないし」
「でもマルタ、お父さんは……ブルートさんは良いの?」
ブルートとは一度だけ会ったことがある。牧場から戻ってきた後で、マルタを助けてくれてありがとう、と礼を言われたのだ。
しかし、ブルートは―――重度の親馬鹿だった。目に入れても痛くないほどに可愛がっているマルタが旅に同行するなんて聞いたらどうなることやら。少なくとも許可をとらなければあとが怖い。
が、マルタは胸を張る。
「大丈夫、昨日の晩に話してあるから」
……話しはしても、許可は取れたのだろうか?
「けど………」
「……仕方ない」
嘆息と共に一番に賛同したのは、意外なことにエミルだった。
「え、エミル本気?」
エミルはマルタと一緒にいるのを苦手にしていた節がある。そりゃあことあるごとに「さすが私の王子さま!」とはしゃがれてくっつかれていれば、誰でも苦手にはなるだろうが。
「だって、ここからだとルインの方が近いよ。まさか一人で帰らせるわけにもいかないし、ルインには置いていけない。連れていくしかないもの」
「そうかも、しれないけど………」
渋るジーニアスの袖を、コレットがくいと引いた。目が合うとコレットはにっこりと微笑んで見せる。
しつこいようだが、旅の最終決定権は神子たるコレットにある。
「………もう、コレットったら」
「やった! エミル、神子様、ロイド! これからよろしくね」
そんなわけで、マルタも交えて一行は歩を進める。
………コレットが何故同行を許可したのか、ジーニアスもロイドも、リフィルでさえも知らない。
そうして歩く――意外なことにマルタは音を上げなかった――心なしか、ゆっくりと。
誰もが分かっていたから。旅の終わりがすぐそこだと。だから必要のないお喋りに興じ、歩いていてなにかを見つければ足を止める。その度にコレットが笑い、その度にコレットが先を促すのだ。
旅の終わりはすぐそこだから。
「皆、聞いてくれないかな。話しておきたいことがあるんだ」
しいながそう言い出したのは、ルインを越え、ハイマまであと一日となった夜営の時だった。
ハイマにようやく到着したのが昨日のこと。アリスは考えがあると言って昨日の夜から出掛けている。
彼は宿屋の屋根から『それ』を眺めていた。
「救いの塔………ねえ」
天高くそびえ、雲に包まれ高さも判然としないほどの白い影。天への階。人々の希望の象徴にして、マーテル教の聖地。神子の旅の最終目的。
けれど彼にしてみれば、単なる変なモノでしかない。
「彼処だけ次元がずれてるんだよなぁ……ある筈なのに無いし、無いと思ったらあるし」
徒人には感じとることもできない違和感だが、彼にとっては西から日が上るくらいの感覚。存在するはずのないもの達を相手にする彼は、そういったものの感知に長けていた。
シルヴァラント各地を旅し、同胞の気配を辿れば、“もうひとつ”はあの向こうにある。
「……やっぱり、彼処から行くか」
一つため息をついて、屋根から飛び降りた。
山道の途中に構えられたねこにんギルドの横を通りすぎた所で、彼は慣れない、しかし懐かしい気配をとらえた。一気に山頂まで駆け上がる。
山頂にはロイドとジーニアスと、コレット、リフィルが居た。それからアリスと、大きな生き物。
「な、え、ええぇ?!」
「そそれ魔物じゃないかっ」
慌てふためくロイド達とは対称的に、エミルは僅かに目を見開いた。
「飛竜? ………まだ生き残りがいたんだ」
アリスの後ろにいるそれは、人二人が乗れるほど大きな竜。大きな翼と鋭い爪、とても攻撃性の高い魔物であり、人里ではまず見ない魔物。かつて人間の乱獲で数を減らし、山奥などに僅かに生息するのみとなった、飛竜の成体だった。
長らくまともに仕事をしていないので把握していなかった。……しかし生き残りがいたとは嬉しい誤算だ。種が絶えるのは喜ばしくない。一匹でも生き残りがいるならば、彼はその種を助けてやれる。
リフィルはエミルとはまた違った意味で驚いた。
「アリス、貴方魔物使いなの?」
「違うわよ、あっちが懐いてきただけ。元々飛竜使いが飼ってたんだけど、魔物が多くなってルインに引っ越しちゃったのよね」
そういえば、いた。あのルインでは魔物なんて連れていけないから置いてきた、とか言ってた、髭もじゃのおじさんが。
「いいの? このコその人のものなんでしょう?」
「いいのよ。許可はもらってるから。けどこれで救いの塔まで行けるでしょ?」
確かに飛竜は高地に巣を作り、雲の上を翔ぶ魔物だ。加えて力も強い。山脈を越え塔に行くくらい造作もないことだろう。
いつの間にか、明日出発に決まったようだ。ロイド達は思い思いに最後の夜を過ごすべく山を降りていく。
エミルはそこに残った。アリスが飛竜の鼻先を撫でている。
「どうしてここまでするの? アリスが得することは何もない筈なのに」
「あら、自分の世界の危機だもの。協力するのは当然じゃない?」
「アリスが?」
しばらくエミルとアリスは睨みあった。ややあって、アリスが目をそらす。
「仕事、って言ったでしょ。ちゃんと連れていくわよ。安心しなさい」
アリスはそう言って山を降りていく。
飛竜が彼を見て、おもむろに頭を下げた。エミルは近寄り頭を撫でてやる。
「明日はよろしくね……」