マルタが目の前でベッドに寝ている。
医者の家から宿屋に運んで、その間もずっと、こんこんと、眠り続けている。
『諸々ありますが、まず第一に疲労ですね』
処置を終えた医者によれば、休ませるしかない、ということだった。
彼の目から見てもそれは正しい。マルタは、マナにあてられた状態だ。大量のマナに体内のマナをかき乱され、それで体調を崩した。マルタは人間らしくマナへの抵抗力が低く、それでいてマナの感受性が高いのだろう。
時間が経てばかき回されたマナも元に戻る。休ませるしかないのだ。
「―――頑張ってたもんね」
顔に落ちた髪をそっと指で直してやる。そのまま頭を撫でて、ふっと、彼は笑みを漏らす。
その、背後に。
「終わったか」
「はい、主様」
音もなく、気配もなく、小さな獣が降り立った。
「粗方終わりました。残りは竜種で―――」
「それは仕方ないな」
竜種はおしなべて強力で、こちらの命令に従わないこともある。力が完全ならばまだしも、未だ本調子でない彼等では、結べる縁にも限界があることはわかっていた。
「他はほぼ契約済みですから、単純なマナの乱れによる地震はほぼ抑えられる筈です。ただその………契約に伴う方は」
「あれは地の震えじゃないからな。契約を書き換えることの弊害だ」
マルタが倒れたのも、ノームが契約の更新でマナの管轄を手放して発生したマナの奔流によるもの。あれは、あの契約は、世界を変えるのだ。文字通りの意味で。
彼は振り向き、背後を見て、笑った。
「ソルム。地の神殿でのあれは、お前だな?」
「はい。あのとき契約されると間に合わなかったので」
魔物と契約し、縁を結ぶことで世界を安定させる。それが彼等の役目だ。だからこそ彼は精霊の契約が書き換えられる前に、魔物と縁を結べと命じたし、ソルムたちもそれに従った。
ソルムの能力は幻。ソルムがロイドたちを惑わせたのは、ギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際だったから。
「主があっさりあいつらを祭壇に連れてっちゃうから、あたし大変だったんですからね! 結果的に間に合ったから良いんですけど!!」
「あぁ、あれはよく間に合わせた」
間に合ったから、契約の反動があの程度だったのだ。
まぁ彼の方も、ソルムなら間に合うだろうと考えたからこそ、あのタイミングでロイド達を案内したのだが。あそこでクレイアイドルが声をかけてこなければ、もう少し時間は稼げたかもしれない。………が。
「ノームもクレイアイドルも、あれ以上放置すると余計なことを言いそうだったからな」
彼等は総じて裏表が無い。精霊の掟とは関係なく、そもそも性格として嘘がつけないのだ。
「否定はしません。けど、主様、ノームを脅すのはどうかと………」
「人聞きの悪いことを言うな。ちょっと『余計なことを言うなよ』っていう意思を込めて目で会話しただけだ」
ソルムはそっと目をそらした。それは一般的にはガンを飛ばすと言うのではなかろうか。
だがソルムが前もって口止めをしておいたにも関わらず、主と会った瞬間に口を滑らせたのはノームだ。ならば仕方ない、これはノームが悪い。
「………狭間はどうだ?」
「今は、だいぶ落ち着いてます」
ヴォルトに代わり、トニトルスが。ノームに代わり、ソルムが。そしてウンディーネに代わり、アクアが。
「それぞれ御方々に代わり“籠”を支えています。ですが―――」
「分かっている。いつまでも、俺達がそれを維持できるわけではない」
彼等は精霊の眷族ではあるが、精霊ではない。魔物よりは精霊に近いが、精霊と言うには魔物に近い。そういう存在だ。だから、精霊と全く同じことは、出来ない。
今の世界は歪んでいる。歪んで、それを歪めて、精霊の契約で強引に固定させているだけ。元々が歪んでいる以上、どこか一画でも欠ければ―――結果は。
解決法はいくつかある。例えば現在の契約者の手で世界を本来の形に戻すこと。例えば一度、全てをまっさらな状態に戻して、“奴等”に干渉されるより早く新たな形を成立安定させること。―――例えば、今現在精霊を縛る『契約に逆らえない』という理を、世界の要を、根本からそもそも変えてしまうこと―――
「主様、」
「ダメだ。………今、強引に理を書き換えることはできる。だがそれでは、狭間に負担がかかりすぎる。下手すれば、世界は千切れるぞ」
ソルムは押し黙った。その通りで、そうなることは分かっているからだ。………せめて、彼等の力が完全ならば、主が完全ならば、もっと色々とやりようがあるのに。
「幸か不幸か、あいつらは全ての精霊と契約する気でいる。だから………今は、待て」
ソルムはすべて、全て飲み込んで、ただ目を伏せ、頭を下げた。
「………主様が、そう、仰るのでしたら」
「じゃあ、また頼む」
「はい、お任せください」
―――――――――
―――――――――
夢を見る。いつもの夢だ。いつもと同じ、知らない場所、知らない景色の夢。
でも、その知らない景色に、いつもと違って見覚えがあった。
(そっか。テセアラ、だったんだ)
ふとそう理解した。そりゃあ、パルマコスタしか知らないマルタに見覚えがあるはずがない。
………昔から、夢を見る。
………………………
………………………
小さいときから、夢を見る。
昔は夢から覚めたら両親の所に駆け込んで、今日はこんな夢を見たよ、あんな夢を見たよ、と話していた。まだ小さかったマルタは、普通の夢と、そのいつもの夢との区別がつかなかった。
台所に立つ母の背中に抱き付いて、無邪気にマルタははしゃぐ。
「あのねママ! きょうもね、おうじさまのゆめをみたんだよ!」
「まぁ、良かったわねマルタ」
いつも隣にいて、笑って、守ってくれるその誰か。目が覚めたら顔も声も忘れてしまうけれど、自分がその『誰か』を大切に思っていたことは忘れない。
「わたしね、わたしね」
満面の笑みで、声を弾ませて、マルタは言った。
「いつか、あのひとをさがしにいくの!」
「―――っ!!」
後ろのリビングで、父が噎せた。
「パパ? だいじょうぶ?」
「っげほ、はぁ、だ、大丈夫だよマルタ」
少しばかりひきつった笑みを浮かべる父だったが、幼いマルタはよかった、と素直にそれを信じた。そんな二人を見て、母が肩を震わせる。
「さぁマルタ、朝ごはんを運ぶのを手伝ってちょうだい」
「はーい!」
台所から、皿やコップを運ぶ。まだ小さいマルタにはたったそれだけのことが重労働だ。台所のテーブルは大人の腰辺りでマルタの身長とほぼ同じ。父があつらえてくれた踏み台を使って、マルタは一つずつ、そうっと母の料理を運ぶのだ。
「ふ、ふふっ………」
「笑うなよ」
「だって」
父ほど子煩悩な親は居ない、というのが、思い返せば母の口癖だった。そして今でもそう思う。親バカの過保護だ。
「うちの娘は嫁にはやらんぞ………!」
「まだずっと先の話よ。それにマルタを行き遅れにするつもり?」
「ぐう………」
母と二人で全てを運び終え、いただきます、と食事が始まる。親子三人、笑顔で食事をするのが、本当に幸せだった。
そういえば最近は揃って食事も出来ていなかった。再生の神子の旅立ちとともにディザイアンの動きが活発になって、父も、総督府で働くマルタも忙しかったから。
「なぁマルタ? その王子さまっていうのは………」
「いつもわたしをたすけて、まもってくれるおとこのこ。とっっても、カッコいいんだから!」
父はその返事に思いっきり狼狽した。
「ど、どうして………?!」
「だって、」
マルタは思い出す。
夢の中、いつも最後には自分に背中を向ける彼の、その後ろ姿は。
「あんなに、かなしそうなんだもん」
「悲しそう?」
「うん。かなしそうで、さみしそうなの」
顔も声も夢から覚めれば忘れてしまうくせに、その雰囲気だけは忘れられない。
叶うなら、その背に飛び付いて抱き締めたかった。出来ることなら、その手を取って大丈夫だよ、って言ってあげたかった。
―――でも夢の中で、マルタの声は彼に届かない。
「だからね、つぎはわたしがみつけるの。わたしが、まもってあげるの」
だって、わたしは。
父は話を聞いて、とても穏やかに、笑った。
「………そうか」
なぜか父は、他の話の時は『そんなのダメだ!』と必死に説得してくるくせに、その時だけは微笑んで頭を撫でてくれた。
「じゃあ、強くならないとな」
「つよく?」
「そうだ。誰かを守るなら、強くなければ何も守れない」
その時のマルタはまだ小さくて、父の言葉は難しかった。首を傾げたら、父と母は苦笑する。
「まだわからないか」
父は、マルタの頭をくしゃり、とかき回して、ぽんぽん、と頭に手をのせる。
「とにかくマルタ、―――その男、見つけたら必ず連れてきなさい」
「? わかった!」
「あなた………」
母は頭を抑えたが、父は、ものすごく真面目に本気で言っていたと、今なら分かる。
そのうち、なぜか同世代の友人と話すのが苦手になった。楽しくない訳ではない。付き合いが出来ないわけでもない。………ただそれよりも、強烈に襲ってくる焦燥感が、胸を焼くだけで。
何かしたくて、何か出来るようになりたくて、マルタは父の仕事を手伝い、総督府と自警団に顔を出すようになった。
「なんでそんなことするの?」
まだ子供なのに、遊んでいればいいのに、と言われたとき、マルタは決まってこう返す。
「強くなりたいの」
少しでも早く、少しでも強く。
そういえば、治癒術を覚えたのもその頃だ。もっとも、夢の中の感覚を思い出しながらうんうん唸っていたら偶然出来るようになった、という感じだったけれど。
理論や技術は、ロイドたちと旅をするようになってからリフィルに教わった。それまでは感覚だけで術を使っていたのだ。………リフィルには驚かれた。その感覚を覚えるのが、一番難しいのだと。
ロイドたちの旅に半ば無理矢理同行して、マルタはいろんなものを見た。いろんなことを知った。
なら。
なら、この旅を続けたなら、いつか、あの知らない場所にも行けるのだろうか。
知らない、でもとてもとても胸が苦しくなる、あの街に、マルタは辿り着けるのだろうか―――
………………
………………
何かでくっついてしまったようなまぶたに力を入れて、ゆっくりと、目を開ける。
ぼやけた視界、窓から差し込む陽の光。逆光に照らされた影が見えた。自分が寝ているベッドの横に、誰かがいる。
その誰かというのは――――
(………デクス?)
マルタが身動ぎしたのに気付いて、その誰かがマルタの顔を覗き込んだ。
「目が覚めたんだね」
「え、ぁ、エミ、ル………?」
デクスじゃなかった。いつもの笑みを浮かべたエミルだった。
「どうかした? 気分が悪いの?」
「う、ううん、平気。ねぇ、ここはどこ? ロイドたちは?」
辺りは、それこそ知らない部屋だ。間取りからして宿の一室らしいのは分かるが、窓の外を見れば一面の雪景色。
「ここはフラノール。覚えてる? マルタ、地の神殿で倒れちゃったんだよ。それで、医者にみせた方が良いんじゃないかって、ここに。ロイドたちは少し出掛けてるけど………多分、もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」
そう、そうだ。しいながノームと契約した直後、体の中がめちゃくちゃになって、苦しくて辛くて、そうして、………意識を失ったのだ。
「皆に迷惑をかけちゃった」
「気にしなくて良いと思うよ。………そうだ、起きたなら、お腹空いてるでしょう? 今、何か食べるもの持ってくるから」
「あ、いいよ、」
「良いから。マルタは休んでて。ね?」
ベッドから起き上がろうとしたマルタを手で制し、エミルは部屋を出ていってしまった。
部屋で、一人。
久しぶりだ。パルマコスタを出発するロイドたちに無理矢理くっついて旅に加わってから、いつも、マルタの近くには誰かしらがいたから。
だから、人の気配なんてものも分かるようになった。ろくに回りが見えてないのに誰かいる、なんてわかるようになったのもそのお陰だ。
「わたし………つよくなれたのかなぁ」
足りない。こんなんじゃ足りない。いつもいつも、そんな漠然とした不安にかられている。
でも気配が感じられるようになったのだから、少しは進歩していると思いたいものだ。
「………あ、れ?」
つらつらと考え事をしていたマルタは、ふと気付く。そばについていてくれたのは、エミルだった。なのに。
(なんでわたし、デクスだなんて思ったんだろ………?)
とりあえず一言言わせて下さい。
――――――レイズまじでありがとう!!!
ラタ騎士はいいぞ!!!