時は少し、遡り。
フラノールでソルムに後を任せた彼は、すぐに異界の扉まで戻ってきた。
彼はそこが異界の扉と呼ばれていることを知らない。ヒトが遺跡と認識していることも知らない。彼にとって、そこはただの扉で、ただの通路でしかなかったので。
彼のマナに反応して、扉は正しく開かれる。中に入り、―――凄まじい眩暈と痛みに彼は思わず膝をついた。彼に従い共に中へ入った魔物たちが慌てるが、それを制した。呼吸を繰り返し、体内のマナを制御する。ロディルによって流し込まれたコレットの―――天使のマナは異物だが、少し意識すれば制御可能だ。……痛みまで覚えた理由は、天使のマナではない。
落ち着いてから、辺りを見回す。
白い、枯れた樹が結晶化したモノ。骨と土の地面。濃度が濃いために、おそらくは只人でも見ることができる、マナの流れる空間。
その最奥、彼の名を冠する空間には、『扉』がある。
「やはり、かなり不安定になっているな……」
『扉』は彼によって封印されている。しかしその封印が、今は緩み始めていた。
そもそも世界が
そもそも精霊とは、彼が敷いた理の上に生まれた存在たちだ。彼よりもこの世界、この星に寄り添い、しかし本来の住人ではないもの。彼の理の上にしか存在できず、だが彼とは関係なくこの世界に生まれたもの。……彼と同族であり、しかし決して同じ立場にはなりえないもの。
精霊たちに彼の代わりはできない。故にその権限は『彼が目覚めるまで』という期限付きだった。それでも、正しく当初の形が保たれていれば、今もこの空間は強固に守られているはずだった。
だが、今は。
「一つは抜けた。一つは半分が欠けた。残る二つも、……時間の問題か」
残る二つも完全ではない。一つは精霊たちの意思と尽力で保たれているが『かろうじて』という言葉が頭につく。もう一つは、ほぼ破綻している。
あと一つ、いやその片割れでも欠ければ、……支えきれなくなる。
「目覚めが早かった……いやしかし……どちらにせよ負担が大きすぎたな」
彼がまだ眠っていれば、古の盟約によって抜けた後も精霊たちが維持したはずだ。精霊たちは、契約と盟約、そして『王』と『翁』の命令には逆らえない。そういう存在だ。しかし理を書き換える力は持たない。そういう存在だ。
今の状態は応急処置だ。精霊たちの繋がりを太いパイプに例えるなら、配下たちは網のようなもの。全体で補い合い、負担を分散させてなんとか世界を守る結界を維持している。
さらに言えば歪んだ形で楔が運用されてきたために、『扉』の封印にも負担がかかっている。本来世界にいるはずのない存在たちが入りこんでいるのがその証。いまでは二つの世界を行き来するマナの一部をここに引き込んで封印を保っている有様だ。恐らく本来シルヴァラントがテセアラから得られたマナの、半分程度しかシルヴァラントには届いていない。
だとしても、この扉だけは守らねばならない。
ここは、世界の狭間。シルヴァラントとテセアラの狭間、ヒトと精霊の世界の狭間、この世界と『魔界』の狭間。世界を繋ぐ二極とつながる場所。クルシスの本拠地―――大いなる実りがある場所と、繋がっている場所。
ヒトの世で存在も名も忘れられ、しかし数万年この世界を守り続ける、魔を狩る者が守る場所。
その名を、『ギンヌンガ・ガップ』という。
リヒターが落ち着かない様子で辺りを見回している。
あれから魔物と遭遇していない。ただアクアがネレイスと呼んだ紫の女性型の魔物が、監視するように通路との境に居続けている。センチュリオン・アクアと名乗った彼女? がそのように手配したのだろうか。だがネレイスは近づいてきた魔物と何らかの手段でコミュニケーションを取り、魔物たちは立ち去っていくのでロイド達としては助かっていた。この場所から離れようとした時だけは弓を向けてきたので、一行はこの行き止まりの小さな島から動けずにいる。
リフィルは気絶したミトスと体調があまりよくないマルタを休ませるために、野営に使う毛布を敷いている。ジーニアスはミトスに付き添い、プレセアはリフィルを手伝う。他は手持無沙汰だ。待つにしてもすることがない。
「リヒター、気持ちはわかるけど、少し座って落ち着けよ。エミルがついてるならきっと大丈夫だ」
「そうだぜ、アステルのことだ、根拠が一切ないならあんな無茶はしないだろ」
ロイドに続いてゼロスもリヒターに声をかけると、わかっている、とぶっきらぼうな返事と共にリヒターが近くに腰を下ろす。
「アステルの身は心配していないんだが、……あいつが突拍子もないことを言い出さないかと、そこだけがな」
「あー……」
ゼロス、そこで黙らないでくれ。コレットが輪に加わる。
「ゼロスはアステルさんと知り合いなんだよね?」
「まあな。俺さまみたいなテセアラの上流階級は、サイバック王立研究所に学生として入学が許可されるんだ。その時研究員としてスカウトされたアステルと会ったのがきっかけだな」
「サイバックは本来なら出入りには王家の許可が必要だからね。あそこにいるのは研究者か、上流の学生か、あたしらミズホの民みたいな例外だけだよ」
「え、じゃあアステルさんはサイバックの学生ってわけじゃなかったの?」
若いからてっきりそうだと思ってた、とマルタが驚く。パルマコスタの学問所では入学に試験があるが、基本優秀であれば貴賤は問わないのだそうだ。勿論階級制度があるテセアラと単純には比べられないが。
「どうだったかな……けど俺さまが入学したときにはあいつはもう研究員として頭角を現していたはずだぜ。弱冠七歳の子供が、ハーフエルフに匹敵する天才ぶりを披露したって、俺さまの入学前から有名だった」
現在アステルは16歳。もう九年も前から活躍していることになる。
「そういえば、アステルさんが精霊の専門家だってことは聞いたけど、具体的にはどういう研究をしているの?」
ジーニアスの問いでリヒターに視線が集まる。そういえば聞いたことは無かった。しいなとゼロスも興味深そうにしているので知らないらしい。
リヒターは眼鏡を直しながら言葉を選び、言った。
「具体的……アステルは発展派生した研究が多すぎて、いまは精霊とマナに関する分野の専門家扱いされているが……最終的な目標は、『大樹カーラーン』の精霊を探すことだ」
…………………………
「ああ、来たかアクア―――うん? なぜソルムとアステルがここにいる?」
それが振り向いたとき、アステルは確信した。
きっと、自分がずっと探していたのはここで、彼だと。
そして同時に悟った。決して、もう『夢』と同じにはならないのだと。
その瞬間、アステルにとって『夢』は意味をなさないものとなった。
だからその、聞き覚えのある声で語りかけてきた存在を見上げ、改めて一礼した。
「お邪魔してすみません。どうしても、貴方に会いたくて」
「それは構わないが、お前がいるということは―――……あぁ、そうか、マナの流れに引き込まれてしまったのか」
「はい。あとあたしがいて、異界の扉を通ったので、こっちに繋がってしまったんだと思います」
ソルムがさっきまでの態度が噓のように礼を尽くして畏まった。
「主様と別れた後、ロイド達が氷の神殿から戻ってきたのですが、あの氷の壁に阻まれて中に入れなかったようです。それであの氷を、イフリート様の炎なら融かせるのではないかと」
「なるほど、それでシルヴァラントに。……氷の壁はちょうどいい時間稼ぎになると思ったんだが、甘かったな。グラキエスには無理をさせてしまった」
「セルシウス様の暴走はもう止まっているんですよね?」
「理性は戻った。おそらく魔族の気配に反応して力を使い、それがグラキエスの半端な目覚めに引きずられて暴走したようだ」
『魔族!?』
叫んだのはアステルだけではない。アクアも、ソルムすらも叫んでいた。
「ガオラキアみたいなのが、フラノールにも……?!」
脳内で聞いていた報告を総ざらいする。アステルのもとには、テセアラ中の異常情報が集まるのだ。フラノール周辺では、一日だけ異様な温かさに雪が解けて、その後例年以上の冷え込み。フィヨルドのほうで空や海に妙な光の点……は、レネゲードの基地がそのあたりだとロイド達に聞いている。他には……
が彼がいやいや、と首を振る。その仕草が、姿は人間ではないのに妙に人間臭い。
「いや違う。あんなのは例外中の例外………、とも言い切れないのがつらいところだな」
歯切れが悪い。アステルが魔族のことを知ったのはつい最近だ。ガオラキアの森にいたアレは魔族なのだと、ミズホでソルムに説明された時のこと。だがアレと似たような情報は、テセアラでは……?
アクアが何か閃いた。
「クヴァルとかいうのに憑いていたやつのこと、ですか? ルーメンが、魔族と主様が戦ったとか」
「―――主様! シルヴァラントにもいたんですか?!」
ソルムがすごい剣幕で彼に詰め寄る。
「危険です! 今のシルヴァラントはほぼマナが枯渇状態だったんですよ?! そんなの、あいつらにとっては、主を殺す絶好のチャンスに決まってます!」
「わかってるから、そう怒鳴るなソルム。仕方ないだろう、ヒト、ハーフエルフと契約して隠れ潜んでいたんだ。放置するわけにもいかなかったし、あのときはクラトスもいたし」
アステルは知らぬことではあるが、その時クラトスはロイドを庇って倒れていたので戦力にはなっていない。さらに言えばシルヴァラントで一度ソードダンサー擬きの魔族と交戦していたのだが、それを知っていればソルムはまだしばらく騒いだだろう。
「シルヴァラント側はウェントスに調査を命じている。テセアラ側も、アレを起こしたら調査しよう。魔族本体がこっちに入り込んでいた場合は、全力で撃退する。……が、俺が言いたいのは本体じゃなく、その残滓を宿した武具が存在していたことだ」
武具。アステルはリヒターから聞いた話を思い出した。
「トイズバレー鉱山で見つけたっていう……?」
「ああ、便宜上、魔装具と呼ぶことにする」
彼が手を振ると、彼の周囲を光の玉が漂う。人間の頭くらいの大きさか。彼がアステル達にも見えるように玉を床に近い高さまで落とし、ソルムたちが中を覗き込む。
そこにあったのは、不気味な動く目が付いた、異様な輪状の武具だった。
「チャクラム……? たしかに妙な気配を感じますが、魔族というには弱いような」
「そうだな。これ単体では大した力はない。だが、だからこそ怪しい。魔族がヒトに分け与える力と考えても、年月をかけ弱体化したのだと考えても説明がつかない。……お前たちに問う、これと同じ気配に心当たりはあるか? 最近に限らず、大戦時以前を含めてだ」
ソルムとアクアはしばし考えこみ、二人とも首を横に振る。
「なら、名のある魔族ではなかったか、それとも魔族の支援を受けたヒトの仕業か……どちらにせよ、放置は望ましくないと判断した。各センチュリオンには可能であれば『これ』らの回収も命じる。フラノールで感じた気配はこれより弱いものだったから放置したが、ヒトの世界に散らばっていた場合はロイド達が接触するかもしれない。アステルは頭の隅にでも入れておけ。あまりよくないものだから、軽率に触れないほうがいいとな」
「はい。……魔族が世界に干渉するのは、よくあることなのでしょうか」
「よく、はない。それ以前に俺たちが対処する。が、流石に眠っていた間のことまでは言い切れないな。……奴らの狙いはこの世界を手に入れること。その為にはマナの加護と精霊が邪魔だ。故に奴らはヒトと手を組み、ヒトを唆す。……奴らが力持つままこの世界に来ることは本来あり得ない。おそらくあの骨は今の世界にマナ産む大樹がないからこその、例外だ」
アステルは魔族など知らない。いや、おとぎ話や各地の言い伝えには魔族が登場するのだが、それが本当の意味での魔族なのかはわからない。強大な知性ある魔物を魔族と呼ぶこともある。しかし教えてもらった定義によれば、魔族とは魔界の住人であり、瘴気を糧とする者のことを言う。
「ヒトが持つ負の感情は、多少なりと周囲のマナを淀ませる。その淀みは奴らにとっての好機となる。だからこそ、俺たちがマナの調停をする。……ヒトの世が乱れるのは望ましくない。世界に存在するマナの絶対量が少ない今は、特にな」
「……だから、ヒトの世に出てこられたのですか? ヒトの形をとってまで」
アステルがそう問いかけると、……返事はなかった。見れば彼は口元に手を当て、考え込んでいるように見える。
そしてアクアもソルムも口を挟まない。どころか、二人も彼の言葉を待っていた。気になっていたのはアステルだけではなかったようだ。
「あの、……間違っていたのなら、申し訳ありません」
「いや。ちがう、お前が謝る必要はない。……だが、……まあ、そうとも……言えるんだが、違うとも……説明が難しいな。どうも言葉にできない……」
答える必要はない、とバッサリ切り捨てられるかもしれなかったのに、その覚悟はしていたのに、彼の対応は誠実だった。アステルを侮ることも見下すこともない。それどころか対等に扱ってくれている節すらある。
じっと彼が口を開くのを待っていると、やがて彼がアステルを見つめた。
「お前は……その、聞かないのか。俺がどうしてお前の形をしているのか、とか」
―――。
「まあ、世界に同じ顔は三人いるって言いますし。どこかで僕と同じ顔の人に会ったのかなー、くらいに、思って
今、この瞬間までは。
沈黙が流れ、空気が張り詰める。
早々にアステルはその空気を変えることを選んだ。
「まあ、僕の姿でよければお好きに使ってください。人間社会での身分が必要なら、僕の兄弟ってことにしてもいいですし。あー、ちょっとばかり、教会には目をつけられて面倒かもしれませんが」
「面倒は別に構わないが……シルヴァラントの人間だと名乗った後でそれは無理があるだろうし、それは……戸籍? の改ざんだろう。まずいんじゃないのか。こう、社会的に」
社会的な問題を指摘する、人外の存在とはこれ如何に。
アステルはニッコリ笑顔で応じた。
「大丈夫です、こっちには神子様と陛下がついてるんで!」
「それ職権濫用だろうが!」
※設定の違い
以前の話にも書きましたが、アステルがサイバックにスカウトされた時期が9歳→7歳になってます
あとSの三回戦えるソードダンサーは普通の魔物ではなく、魔物のソードダンサーはSRに登場する方を指します
もうひとつ、テセアラではセンチュリオンが目覚めかけた影響もあり神殿周辺の環境が変化。闇の神殿があるメルトキオ大陸は昼間でも夜のような薄暗さだったり、氷の神殿があるフラノールでは気象の変化が発生しています
※前回の補足というか、解説
ソルムとの入れ替わりのタイミングを書いておきます。一応作中でも描写は入ってるんですけど、答え合わせ的にへーそうなんだーと思ってくださいませ。
テセアラ編
9-2〜11-6(pixivでは11-3):ロイド(アステル)たちに同行してるのはずっとソルム
12-1〜14-5(pixivでは14-3):ソルムはセンチュリオンとして活動中
14-5(略14-3)〜:またソルムがロイドたちに同行中