ヱヴァンゲリヲンFIS-もしシンジがイノベイターなら-   作:るーしー

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“Mine”は1人称単数形における所有代名詞で「私のモノ」と訳されます。しかし地雷・機雷も同じ綴りと発音の“Mine”なのです。
Be動詞につきましては、説明を省きます。

さて第2パートの副々題“Be Mine”が意味するものとは?
多分、読めば分かります。


第7話 Double T/Win “Be Mine”

少なくとも肉体面では爽快な目覚めが常であるシンジにとって、寝起き特有の気怠さは久し振りの感覚だった。

イヤホンから流れる静かなメロディに気付き、プレイヤーを止める為、操作端末を自由な(・・・)右手に探らせる。

胡乱な頭が思考力を取り戻すにつれ、昨日の出来事が甦ってきた。

グロッキー状態――尤も自覚は薄かった――であった昨夜の自分は、相部屋(ツインルーム)の諸問題を放り出して寝落ちしたのだ。

 

「(そう云えばレイは……?)」

 

主な問題源(アスカ)と同じベッドで寝たのだろうか……などと考えながら、ピントの合っていない黒眸を遊ばていた時、胸元にある筈のデバイスに繋がるコードを辿っていた指先が、自分以外の人間の手に触れた。

 

軽く瞬きをするとぼやけていた視覚は直ぐ鮮明になり、シンジは視界の左下に見慣れた青空色を見付けて苦笑する。

 

「(やっぱり、左手が動かない訳だ……)」

 

とどのつまり、レイが左半身に抱き付いていた。シンジの左上腕を借用し、左足を彼女の太腿で挟み、緩く握った左手が彼の上体に載っている。

各種身体機能に優れるシンジは、多少の重量が一晩載った程度で、腕が痺れる事はない。

特に身体に違和感を感じない上、眠っている間に重みなどに触覚が慣れた為か、抱き付かれていた事にも気付かなかったらしい。

勿論、半身をロックしてる相手が、心を許しているレイである事も手伝っている。

 

首だけ起こしてレイの体勢を確認すると、シンジは義従妹の左肩に回っていた左手を静かに放し、背中を抱いていた二の腕を伸ばす。

そこからのシンジはまるで知恵の輪を弄ぶ手品師顔負けだった。レイを夢に置いたまま腕枕を外し、絡んでいた脚を抜く。

あっと言う間に毛布のみを少女に残し、レイから離れた。

 

 

ベッド上でレイから少しだけ離れたシンジは、上半身を起こして胡座をかいた。

改めてポータブルプレイヤーの再生を停止させ、片手でイヤホンを外した時、耳朶や頬に皮脂の感触があり、就寝前の入浴をサボった事を思い知った。

 

「(電池ギリギリ、充電しないと……)」

 

端末の小さな液晶に表示されたバッテリー残量を表すバーは、最後の1本まで減っていた。

座り込んだまま部屋を見回しコンセントを見付けると、シンジはベッドから降り、バッグを漁って充電器(ACアダプタ)とタオルを取り出す。

充電器とプレイヤー本体を接続しプラグを差したシンジが、バスルームに向かおうとした時、第三者が待ったを掛けた。

 

「何してンのよ、あんた?」

 

振り返ると――何時の間に目覚めたのか――身体を起こしたアスカが、百年の恋も冷めそうな恨めしげな半眼をシンジに向けていた。

 

 

異性が隣で寝ている事を始め、義理らしい兄妹の怪しい関係など、安眠を妨げる要因に事欠かない一夜だった。

中々寝付けず、断続的な浅い眠りを繰り返していたアスカは、近くで何かが動く気配に目を開いた。

 

「(知らない天井……)」

 

ルームメイト達に背を向けて、横向きで眠った筈だが、寝返りを打って仰向けになったらしい。

幸か不幸か浅い眠りによって、現状把握をする(おもいだす)までもなく、自分が置かれた状況を理解出来ている。

 

目だけを横に向けると、眠れなかった最大の原因=シンジがなにやら動いて……と云うか朝風呂と洒落込もうとしている。

今、一番シャワーを必要としている人間(アスカ)を、平然と差し置く所行とは恐れ入る。

 

「何してンのよ、あんた?」

「見れば判るだろ?」

 

咎められた認識すらなく、シンジはタオルを掲げてみせる。その頓狂な態度に自然と声色が荒くなる。

 

レディ(・・・)ファースト(・・・・・)よ!」

「――別に良いけど」

 

何処か納得のいかない顔で、澱んだ碧眼のワガママを了承したシンジは、踵を返して自分のベッドに腰を下ろす。ドアに近い場所に座ったのはささやかな不満の表れだろうか。

 

ゴネるようなら実力行使も辞さないつもりだったアスカは、この呆気ない結果に拍子抜けする。

対するシンジは人様に譲らせたにも拘わらず、入浴の準備を行う様子もないお嬢様(レディ)に、憮然とした視線を向けた。

 

「な、何よ?」

「…………」

 

睡眠不足も手伝って呆けてしまったアスカは、シンジの無言の圧力によって、浴室へと追いやられた。

 

 

降りた際とは逆の縁に腰掛けたシンジは、ベッドの左側に横たわるレイと近い位置になるが、彼女からは背を向けられた状態だった。

 

「(彼女が早く上がる事を祈ろう……)」

 

まず間違いなく長風呂だろうが……脱衣所に入るアスカを見送ったシンジはそっと息を吐くと、背中合わせになっているレイに向けて胴体を捻ねり、後ろから彼女の寝顔を覗き込んだ。

 

形の良い耳に掛かる、絹のような蝉鬢/色素が薄い為、正面からは分かり辛い(まつげ)の長さ/肌との境界が曖昧な程、淡い小さな唇の端。

 

「(やっぱり、綺麗だな……)」

 

少女らしい華奢な肩越しに見るレイの横顔は、文字通り普段とは違った角度から、穏やかにシンジの心を持っていった。

 

「うぅん――」

 

そんな折、レイは――母親の匂いを嗅ぎ分ける乳児の様に――寝返りを打って義従兄の方に向き直る。

 

「――ぇぅ」

 

と、家族に接近したレイが、満足そうな吐息を漏らす幼気な仕草に、シンジは愛おしげに目を細め、彼女の目元に掛かった髪を優しく梳いた。

 

 

 

 

熱いシャワーで意識と肉体のハリを取り戻しながら、アスカは如何にして少年の鼻を明かすかを考えていた。

自らの自尊心を満たしつつ、シンジを驚かせる様な方法――本調子でなかったとは云え、同い年の異性に屈したと云う屈辱に甘んずるアスカでは無いのだ。

とは云った物の、普通はそんな都合の良い手段が直ぐに浮かぶ筈もない。

 

「そうだ! イイ事思い付いた」

 

しかし、目から鼻へ通じるアスカにとって、この程度はお遊びのレベルなのだ。

 

 

 

 

あどけなく夢路を泳ぐ眠り姫に見蕩(みと)れていたシンジは、脱衣所のドアが開く音に我に返った。

 

Hi(ハーイ)! お・ま・た・せ」

「ああ、うん」

 

全身を湿らせて脱衣所から出て来たアスカは、バスタオルを胴体に巻いただけの、一般に目の遣り場に困る姿だった。

西洋の血に因るものか、アスカの肉体は年不相応に発達している。胸元を隠す綿生地は豊かに盛り上がり、柳腰はチューブアイスの様にくびれ、手足は長く瑞々しいハリがある。

 

砂時計の様な肢体はグラビアアイドル顔負けで、柔布一枚を纏っただけの艶姿は、思春期の少年には剰りにも扇情的だ。

と云うアスカの考察は決して驕りではなく、確かな客観性に基づいていると云えよう。

だがその想像が、必ずしも碇シンジと云う少年の主観に一致するものではない事を、アスカは失念していた。

 

「何よ。折角サービスしてあげてるのに反応鈍いわね」

 

自慢のプロポーションに慌てふためく様子を期待していたのに、当人(アスカ)に無関心なばかりか、別の女(レイ)へ視線を向ける様子は実に面白くない。

 

シンジが色香に靡く気配の無い事を、アスカは平静を装っていると解釈した。ならば、強気にせめて、本性を暴いてやろう。

 

「それとも――」

 

コケティッシュに拗ねて見せたと思ったら一転、秋波を細め唇は弧を形作った。

 

「興味ないフリしてェ――」

 

そこから腰を曲げて、片腕をアンダーバストに巻き付け、グッと双丘を殊更に強調。

 

「アタシに……」

 

更に表情を挑発的な上目遣いに変え、残った手の薬指を、谷間にあるタオルの継ぎ目に引っ掛ける。

 

「……どうせ服を着ているんだろ」

「ッ! 何で分かったの……?」

 

小悪魔的な媚笑から急転直下、アスカは顔を苦虫を噛み潰した様に歪めた。

シンジはフッと人の悪い笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「君は簡単にヌードを見せる程、莫迦でも安くもないだろ?」

「それ、褒めてるつもり?」

「遠回しにね……」

 

一見半裸に見える少女は舌打ちして、巻いていたバスタオルを乱暴に取り去る。アスカはコルセットに似たデザインのチューブトップと、ジーンズ地のホットパンツを身に着けていた。

水着並みの露出度にもやはり反応せず、シンジは着替えを持って、タオルを放り投げた少女の脇を通り過ぎる。

 

「このカリは返すわ」

 

脱衣所に入るシンジを見届けると、アスカは小さく呟いた。

 

 

浴室から漏れる微かな水音の主への報復をしくじった事に、アスカの自己の回復が不完全であったと苦笑い。その上だ。

 

「あんなエレガントに欠ける遣り方なんて、らしくなかったな」

「シンジくん……」

「え? うひゃあッ!」

 

苦笑しながら反省するアスカは、その完全な不意打ちに飛び上がった。

 

空耳と思わせかねないような囁き声(ウィスパー)にアスカが振り返ると、なんの気配もなくシンジの義妹が至近に立っていたのだ。

 

「……違う」

「(何がッ!?)」

 

背後霊の模倣で人様を驚かせておきながら、ワケが分からない。

 

人肌の喪失と云う温度差に目覚めた姫君は、身体を起こして視線を巡らせるが、夢枕に寄り添ってくれていた温もりが見当たらない。

その事が琴線に微少な冷気(ノイズ)を織り込むも、弦全体から見れば想定内の誤差だろう。

軽く思案したレイは、シンジの件を保留して、朝の用事を済ませる事にした。

 

焦点の合っていない深紅は、少しの間虚ろな赤光を彷徨わせると、おもむろに身に纏っている物を脱ぎ捨てる。

 

「何いきなり脱いでんのよ!?」

 

女の子同士とは云え、なんの躊躇も無く素肌を晒すレイに、思わずアスカは喰って掛かった。

 

「…………お風呂」

「は?」

 

まだ夢うつつなのか、数秒の間を置いたレイの端的な回答に、ついアスカは脱力。

 

「ッ!」

 

その弾みでアスカは、少女の首から下の事を考えない為、意識的に逸らしていた視野が、レイの全身を捉えてしまう。

アスカの網膜に焼き付いた水浴びをしようとしているニンフと云った風情の絵姿。

それは邪念を抱きがちな男性より、むしろ女性に対する誘引力が強そうだ。事実アスカには当てはまった。

 

余分な脂肪が皆無の痩躯で、胸郭の白皙に肋骨が浮かぶ程だが、淡い桜色の頂点を持つ膨らみのおかげであまり目立たない。

手足や胴は一見手折れそうな程に繊細だが、内臓がリフトアップされて凹んだ腹は、レイが全体的に細くも均整な筋肉を有する事。

すなわちアスカと同様に訓練を受けてきた事を――僅かに残った冷静な部分――彼女の慧眼は見抜いた。

シミ1つ無い肌は抜けるようで、産毛も少なく、弱い部分を守るも隠すも出来ない幼気さは、アスカに庇護欲(父性)を覚えさせた。

 

人工の泉(シャワー)に向かおうとしている妖精は、義兄と同じように、静止したアスカの隣を通り過ぎる。

アスカを内面()葛藤(めいきゅう)から帰還せしめたのは、脱衣所のドアが閉まる――木の枝に衣を引っ掛ける――音だった。

 

 

どうにも手持ち無沙汰になり、ストレッチでもやろうかとベッドに上がったアスカは、今更ながら重大事項を失念していた事に気付いた。

 

「さっきシンジ(ナナヒカリ)の奴はシャワーに――って事は! …………あれ?」

 

少年少女は互いに全裸で鉢合わせする――にしてみれば、異様な静けさにアスカは首を傾げた。

先程2~3秒だけ大きく水音が響いたので、浴室の戸が開いた事は間違いない。それなのに、悲鳴どころか沙汰の気配すら全く無い上、両人いずれも出て来ないとは、どう云う事だろう。

乙女の想像力は、彼氏彼女が邪魔の入らない密室で、一糸も纏わず2人っきりと云う光景を幻視した。

 

「いや、まさか……」

 

中でナニが起こっているのかと、脳内イメージが煩悩に染まるにつれ、アスカの顔が朱くなっていく。

 

妄想が危険な領域に差し掛かろうとした時、脱衣所から物音と人の気配がして、アスカは正気を取り戻した。

5分もしない内に出て来るであろう人物を思い、冷静に自分の装いを顧みると、ラフとはしたない(・・・・・)の緩衝地帯に立つ様な薄着である。

先程シンジをからかおうとして失敗した手前、いつまでもこんな格好でいる様を見られたら、乙女としても沽券に関わる。

急いでボストンバッグから、ショールにも似たデザインの白い重ね着用ドレスシャツを取り出した。

アスカが羽織った白を基調とした上着は、ブラウスと同じく正面で留めるが、ボタンは胸骨の上までしかない。更に裾が鳩尾から斜めにカットされ、背面も同様な燕尾状の涼しげなノースリーブタイプだ。

彼女は硬質な襟と対照的な、ワンポイントの赤いリボンタイが気に入っている。

 

 

身体を拭いて出てきたシンジの風体に、アスカは顔をヒクヒクと痙攣させた。

 

「ア、アンタはデリカシーってモノが無いの!? そんな格好で出て来るなんて!」

 

苦言を呈された少年は紺のスラックスを穿いたのみ、首にタオルを掛けただけで、上体を完全に晒していた。

 

常識的に、裸の男が乙女と向かい合うなど言語道断であるが、男はちゃんとズボンを身に着けている。

シンジは一度自分を見下ろした。反論の余地も無くだらしがない状態だが、デリカシーとは関係なく思える。

 

「? デリカシーって……むしろ水着より露出が少ない位だけど」

「なっ……!(コイツ、ちょっと大人っぽい(かじさんみたいな)処があると思ったけど、まるっきり子供じゃないの)」

 

キョトンとする隠れ天然にあんぐりと開口する。もしもシンジの格闘能力が自分より劣っていたら、アスカは暴力に訴えただろう。

だが、現実は彼女と互角以上の実力がある事を、ついさっき思いだしたばかりだ。

こんなくだらない事で、生傷を作りかねないリスクを負うなんて、アスカにしてみれば割に合わない以上、彼女は閉口するしかなかった。

 

 

シンジが中央にブルーで“ASAP”とプリントされた白地のTシャツを着用し、アスカの溜飲が落ち着き始めた頃、作戦部の日向マコトは上司の代わりにパイロット達が泊まったツインルームへと歩いていた。

昨日(さくじつ)の使徒イスラフェルとの攻防から、未だ24時間も経過しておらず、作戦責任者は現在進行形(てつや)で事後処理に追われている。

ミサトに思慕の念を抱く彼は、自主的に彼女の仕事も手伝って一夜を共にしたが、単なる業務の一環に色気など皆無である。

 

現在、執務室のデスクに突っ伏して仮眠中のミサトを、悶々と堪能する楽しみを放り出して、日向がパイロット達の元へ向かっているのには理由がある。

ミサトが睡眠欲に屈した直後、リツコから使徒イスラフェルが活動を再開するのは5日後だと判明したと、内線で連絡が来た。

故に活動再開まで小一時間は掛かりそうなミサトの代わりに、シンジ達に一時帰宅の許可を伝える為、日向は思い人の寝顔を諦めたのだ。

数十分後に加持が差し入れを持って、ミサトの執務室を訪れる事など、日向には知る由もないし、これから彼に降りかかる不幸に至っては尚更だ。

 

 

荷物を纏めたナップザックをベッドに置き、充電されたポータブルプレイヤーを耳に宛がおうとしたシンジに、アスカは話しかけた。

 

「アンタってさ、零号機の子と恋人(ステディ)なワケ?」

「え……? 何でまたそんな質問(コト)を?」

「いや、アンタ達って同棲してるんでしょ。気になるわよ」

 

ふむ……と、ベッドに腰掛けたシンジが脚を組み指先を口元に当てる。

 

「どうだろう……最近はそういった事を意識してないから、ちょっと分からない」

「分からないって……男女七歳にして席を同じくせず、恋人同士でもないって不自然じゃない」

「それは確かに一理あるけど……う~ん」

 

思案の為か、シンジが斜め上に視線を向けた処で、脱衣所のドアが開いた。

 

「レイ……またそんな格好で」

 

呆れと諦めが混ざった声の理由を、アスカは後方を振り向いて理解した。

バスタオルを肩に掛けただけの――いや僅かな湯気を纏っただけ、有り体に云えば全裸の少女がそこにいた。

 

 

アスカが固まり、シンジが溜息を吐いた数秒後、部屋の出入り口が開く音が、彼らの耳に入る。そこに立っていた人物が男性であると認識した瞬間、2人は同時に反応した。

 

「ふぁ、みんな起き――ぺぶらッッ!」

 

この日――日向が最後に見たものは、シンジとアスカの蹴り足である。またこの部屋で、最初に見たものも、彼らの蹴り足だった。

 

ベッドに座った体勢から鏡合わせの様に2人は、素早く片足を折り畳みながら闖入者へと跳躍、間合いに入ると、見事なツインドロップキックを日向の顔面に見舞っていた。

 

「無断で入るな!」

「無断で入るな!」

 

綺麗に着地した2人の怒声は、派手に吹き飛ばされて気絶した日向には当然聞こえていない。

 

「む?」

「へ?」

 

図らなかった異口同音に因って生まれたシンパシーに、シンジとアスカは目を見合わせた。

 

 

 

 

ツープラトンアタックで出歯亀?を撃沈した後、シンジ達は24時間営業のネルフ食堂にて、リツコと朝餉の席を共にした。

 

「そう云えば、使徒の再侵攻が5日後って話は聞いている?」

「いいえ、初めて聞きました」

 

連絡役であった日向をKOした以上、当然彼らがその事を知る由もない。

初耳だと云うパイロット達に「ミサトもしょうがないわね」と女流科学者は漏らす。その呟きに、痴漢として排除してしまったミサトの部下を、シンジは思い出す。

丁度良いので先の顛末をリツコに説明すると、彼女は呆れと憐憫の入り混じった何とも云えない顔をした。

 

日向の性格を鑑みると故意ではなく、ミサトに付き合って徹夜し、判断力が低下していた故の事故(ミス)であろう。

しかし、レイが関係する事柄となると沸点が異様に低くなる少年と、手負いの野獣の様なアスカがそこに居たのだ。

酌量の余地がある過失に対する制裁としては、――乙女の素肌を護る為とは云え――日向の被ったダメージは同情に値する。

とは云え、所詮リツコにとっては――事ある毎に愉快痛快に表情筋を稼動させるミサト関係(の子分)――対岸の火事に等しい。

 

「取り敢えず、日向君の記憶は消しておくから安心して。それと今日は帰宅しても構わないわ」

 

諜報部で実験的に使用されている記憶消去薬――未だ動物実験段階の試薬――の投与をリツコは平然と宣い、更に「ミサトがなにか言ってきたら私の名前を出しなさい」と付け加えた。

非道い話である、主にミサトや日向にとっては……。だがミサトがイロモノ街道を突っ走る以上、同情の余地なンぞねェのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

およそ丸1日振りにシンジとレイが自宅の床を踏んだ頃、とある青年の不幸をなかった事にした狂科学者は、腐れ縁の悪友の執務室を訪れた。

 

「随分とお疲れの様ねミサト、ちゃんと使徒についての分析報告に目を通した?」

 

トロけたチーズみたいに全身を弛緩させ、デスクに顎を預けていたミサトは目線だけを客人に向ける。

 

「再侵攻は5日後。そして最も有効な殲滅方法は、分離中の各コアに対する同時加重攻撃――最優先事項は忘れないわよ」

「重畳ね――それで、具体的な作戦は?」

 

的確に急所を抉ってくる旧友に、ウッとミサトは息を詰まらせた。

NN兵器の使用に関する事後報告やら、関係各所からの抗議文やらを漸っとやっつけ、一休みしていた彼女に作戦を練る時間がある筈もなく……。

 

「こんなんじゃ、アイデアの1つも浮かばないわよぅ」

 

苦手な書類仕事で徹夜したミサトには、閃きを呼ぶ為の気力すら尽きていた。

 

「やっぱりね……そんな貴女に朗報よ。既に1つプランが上がっているわ」

「マ、マジ!? 恩に着るわリツコ!」

 

棒状のメモリーディスクを掲げてみせるリツコに、加持からの差し入れを弾き飛ばしながらミサトは近寄る。

 

「お礼なら私じゃなくて、それを考えた人にね」

「え?」

 

受け取った棒状メモリーディスクをよく見ると“FOR MY HONEY”とペンで書かれていた。文面から送り主が、リツコの前に陣中見舞いに訪れた元カレだと知り、ミサトはガクリと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションの自室の前に辿り着いたシンジが、玄関の脇にあるミニパネルに指先で触れると、扉のロックが解除され、静かにオートドアがスライドする。

 

「(あれ……?)」

 

三和土に足を踏み入れると、奇妙な事に、一昼夜しか留守にしていない自宅がヤケに久しく感じる。

 

「ただいま」

 

戦闘と云う圧縮された時間を過ごした為だろうか……、シンジの挨拶はやや熱が籠もっていた。

 

ものぐさな処のあるシンジは、手で揃える手間を省く為、後ろ向きに靴を脱いで家に上がり、レイも真似する。

2人はひとまずリビングに鞄を置いて汚れ物を取り出し、シャワーを浴びに行くレイが纏め、途中にある全自動洗濯機に放り込む。

リビングに残ったシンジは荷物を片付け、着替える為に自分の部屋と向かった。

 

ダイニングに戻ったシンジはヤカンに水を張り電子コンロにかける。戸棚からティーパックを3つ取り出し、封を切ってポットに放り込む。そしてマグカップを2つと小皿を1つテーブルに運んだ。

シンジはリビングの隅に置いてあるノートPCを、テーブル――いつもの定位置――まで持ってくると電源を入れる。ウェブブラウザを起動させ、お湯が沸くまでニュースを流し読み。

 

カチカチと方向キーを叩いていたシンジは、耳に届いた沸騰音にキッチンへと戻り、茶葉が入ったポットに熱湯を注いだ。

煮出し中のポットをテーブル中央に置き少し待つ。充分に抽出がされたティーパックを引き上げて小皿へと置き、紅茶を2つのマグカップに注ぎ入れると、シンジはネットサーフィンを再開した。

 

 

暫く経つと、洗面所を兼ねる脱衣所と廊下を隔てるアコーディオンカーテンの音がして、風呂上がり特有の暖かく湿った空気が鼻を撫でる。

 

「自分の家だから良いんだけどね……」

 

湯気のにおいの濃厚さから、また(・・)レイは素っ裸でバスタオルを身体に巻きもせずにいる事が分かる。シンジは小さく嘆息した。

 

 

地上の喧噪から隔たれた高級マンション上層階の一室――キーボードの操作音と、ページを捲る音が断続的に響いている。

テーブル中央のティーポットを挟むようにシンジとレイは対面して座り、時折紅茶で唇を湿らせながら思い思いに過ごしていた。

シンジはウェブブラウザを2つ起動させて、料理関係のサイトと海外の学術論文を交互に流し見ている。レイは文庫本を読みつつ、正面に座る少年の息遣いに耳を澄ませていた。

 

無造作に垂らされていた――或いはページを捲っていた右手が、にゅっとマグカップに伸びる。引き寄せたカップを口元に運び、日本茶の様にズズッと啜り、ホッと一息。

まさに鏡合わせ――この場所で幾度となく繰り返された光景――だが、今回はカップを卓上に戻したシンジの動きが止まった。

 

「(もうこんな時間だ……)」

 

PCモニターの右下隅――タスクバーの端にあるデジタル時計が、11時を過ぎた時刻を示していた。

そろそろ昼食の準備を始めるべきだが、実戦の翌日と云う事もあり、少々台所に立つのが億劫だ。今までの事例から、夕方には気力も回復するだろうが、昼を用意する事は難しい。

 

「レイ、お昼は外食で良いかな?」

 

活字を追っていたレイはコクリと肯定の意を示し、本から視線を上げて質問者に向ける。

 

「ん……シンジくん、大丈夫?」

 

少年の精神的ダメージが抜けきっていない事を察したレイは、心配そうな目でシンジを見つめた。

 

まるで母親の様に心情を見透かすレイに、見栄や意地を張る意味は無い。シンジは自己の明眸が戻る頃合いを以て、レイの想いに応える。

 

「夕食は――」

 

おもむろに立ち上がったレイに、シンジは途切れ気味に言葉を紡ぐ。

 

「期待してくれて――」

 

レイはテーブルを回り込み、スタスタとシンジの背後まで移動する。

 

「――良い……ょ?」

 

柔らかく背中と首筋を包んだ体温に、シンジの言葉尻が窄む。微かに感じるシトラス系の薫り――僅かにLCLが混じる独特のそれ――はレイの匂いに他ならない。

 

少年の真後ろに回ったレイが、座ったシンジの両肩に手を置いて上体を密着させたのだ。

 

「(わたしが、出来ること……)」

 

触れ合って温もりを共有する――純粋な少女が得た答え――レイは自然に慈母の笑みを浮かべていた。

 

「レイ、ありがとう……」

 

シンジは肩に置かれた手に、自分の手を重ねた。

 

 

 

 

ベジタリアン向けのメニューも充実している大手ファミリーレストランチェーン店で、シンジは日替わりセット、レイは野菜カレーを注文した。

レイの野菜カレーは、肉を使わないベジタリアン向けメニューの1つである。対するシンジの日替わりセットは、肉料理の主菜にライスやスープ、サラダバーなどが付いたお得なメニューだ。

4人掛けのテーブルの対角に座った少年が、今日の日替わりのメイン――大根下ろしがタップリ載ったハンバーグ――を食べる様子をレイは見ている。

 

「シンジくん……お肉食べるの、我慢させてた?」

 

思えば、昨日シンジが食べたネルフ豪華定食も動物性タンパク質が多かった気がする。

 

「そんな事は無い……とは云い切れないか」

 

シンジとしてはタンパク源の摂取自体は――畑の肉を使ったり――幾らでも工夫のしようがあるとは思っていた。

しかし無意識に自分が肉分を欲していた事が、レイの指摘で浮き彫りとなり苦笑。

 

 

シンジが一瞬だけ苦笑いを浮かべた事に、紅眸の帯びる光が強まった。大切な人に我慢をさせていた事は悲しいけれど、既に賢明なる少女は最善の答えに到達している。

 

「シンジくん――わたし、お肉を食べられるようになりたい」

 

意気込む少女に、シンジは目を見開く。最近はレイに驚かされ感心する事が多い。

 

「無理は、しなくても良いんだよ」

 

シンジの言も尤もではある。レイの肉嫌いは単純な食わず嫌いなどではなく、彼女の出自に関わる事柄に端を発している。

詳細についてシンジは知らないが、トラウマの類だとは理解しており、レイに余計な負担を掛けたくは無かった。

だが、その事をおいて尚、レイには肉を克服する理由がある。

 

「あなたと、同じ物を食べたいもの……」

「っ……」

 

いじらしい事を堂々と云い切る純粋さに、シンジは口に含んだ物を咀嚼せずに飲み込んでしまう。大きな固まりが食道を通過していく感覚より、大きく跳ねた鼓動の方が印象的だった。

 

 

 

 

行き付けのスーパーマーケットの缶詰コーナーで淡黄色の魚肉がプリントされた缶詰を手に取った。

 

「レイ、これはどうかな? 見てくれはあんまり肉っぽくないけど……」

「…………」

 

若き主夫の手にあるツナ缶を、レイはジィっと見つめた。

 

「……多分、平気だと思う」

「よし、じゃあコイツを……」

 

熟視熟考した姫君に裁可を告げられると、シンジは数個のツナ缶を買い物籠に放り込んだ。

 

自己の食肉に拒否感を示す少女の為、次にシンジが目を付けた物は、カニとホタテだった。

 

「なら、これはどう? 甲殻類と貝柱」

 

それぞれの缶詰を1つずつ、計2個を、両の手に持って掲げる。

 

「……大丈夫、かな」

「OK」

 

一度熟慮断行をした所為か、レイの返事はさっきより早かった。シンジは両手の缶詰を籠に落とした。

 

 

缶詰コーナーで動物性タンパク質を仕入れた後、シンジは野菜数点と紙パックのコーンスープを購入して帰途に就く。

途中、自宅マンションが見えた辺りで、トリコロールカラーに塗装されたトラック2台とすれ違った。

 

 

 

 

エントランスに入るとオートドアが2つ並んでおり、左側の方が入り口だ。一方通行のオートロックで、中に入ると直ぐ第2のドアがあるが、最初のドアが閉まらない限り開かない。

第1ドアの物と同一の複合センサーに、指先を乗せて第2ドアのロックを解除し、ホールへと入ると、エレベーターに乗り込んで自宅がある階へ上がる。

通路に出たオシドリ兄妹は、自宅の隣――空き部屋の筈――の扉が開く様子に身構え、直後に隣室から出て来た人物を見て緊張を解いた。

 

「ン? アンタ達、何でこんな所に居ンのよ?」

 

隣の部屋から出てきたアスカは、先住の2人をジロジロと不躾な目を向けた。

 

昨日から今朝まで一緒だった同僚の少女が、目を丸くして云い放った問いに、シンジは内心「こっちの台詞だ」と思いながら答える。

 

「すぐそこが僕達の(ウチ)だからだよ。むしろ何故、君はここに?」

「それは、次の作戦に向けた準備の為ですよ。みんな」

 

マンションの新たな住人へ向けた質問に答えたのは、眼前の新参者ではなく背後から現れた部外者だった。

 

 

柔らかなトーンの声に振り返ったシンジは、1ヶ月程前に行った精神修養訓練以来、めっきり顔を合わせなかったバルタザール担当のオペレーターを見留めた。

 

「あなたは……阿賀野カエデさん。何故ここに?」

「は、はひっ! さっ、作戦への協力を要請されたんです……り、陸佐から」

 

シンジの顔を見たカエデは、ビクッと肩を竦ませ、ふわりとした栗色のボブカットを揺らす。

 

「あ~……」

 

小動物のようなカエデの反応に、シンジはポリポリと頬を掻いて苦笑した。

 

 

 

荷解きも済んでいないアスカの部屋では落ち着けない為、シンジ達の部屋に一同は集まる。

普段は荷物置き位の用途でしかない予備の椅子を使い、長方形のダイニングテーブルに、家人達と客人達に分かれて座っている。

カエデの正面にレイが居る――必然的にシンジとアスカが対面――しているのは、少年に対して『借りてきた猫』の様に緊張するカエデに、シンジが配慮したからだ。

 

カエデ達に席を勧めてからシンジが冷蔵庫から出した麦茶が、各々の前に置かれている。

本来この場に居るべきミサトが来ていない理由は、作戦の細部を調整してから、訓練用の機材を手配し終わった直後に、届いた追加書類に起因する。

そのデスク上に形成された大山脈を目にしたミサトは、訓練の監督代理をカエデに託す旨の遺言を遺し、その魂を木星まで飛翔させたのだ。

 

「みんなも知っていると思うけど、目標――使徒イスラフェルを斃すには、2つのコアを同時に破壊する必要があるの」

「はい、今朝リツコさんから聴きました。その事から必然的に、2つのコアに対する同時加重攻撃が有効だとも」

「ひぅ、ええその通りです。具体的には音楽に合わせた攻撃パターンを、ダンスと云う形で覚えて欲しいの」

 

カエデはそう云って、神妙な顔で話を聴いているシンジをチラチラと見た。

 

「そっそれでね……アスカの部屋は直ぐに使えないから、ここのリビングを訓練場所として使わせて、その…………」

 

越してきたばかりで積み上がった段ボール箱に溢れ、荷物整理に数日は要しそうなアスカの部屋では、充分なスペースが確保出来ない。

訓練用の機材を入れさせて欲しいと、カエデは消え入りそうな声で涙ぐむ。

どちらかと云えば他者に対して冷淡なシンジをして、憐憫の情を催す涙目のカエデに、彼は努めて明るく快諾した。

 

 

神妙に内容を咀嚼していたアスカは、麦茶で軽く唇を湿らせてから、面倒臭そうに口を開いた。

 

「…………つまり、アタシとシンジ(ナナヒカリ)にバレエをやれってコトね」

 

それに概ね正しいと肯定するカエデから、(カエデ)を震えさせているらしい(シンジ)に、アスカは目を移した。

 

「処でシンジ(ナナヒカリ)、アンタに対するカエデの様子が変なんだけど?」

 

何かあったのか、と訊いてくるアスカに、シンジはあからさまに目を逸らした。

 

 

アスカとしてはもっと頼り甲斐のある大人の男が好みだし、碧眼に映る少年はどうにもいけ好かないが、客観的にシンジはかなりの優良物件だろう。

一見ヒョロリとした優男だが、運動神経は抜群で頭脳も明晰。整った中性的な面立ち――クールと云うより、キュート系の童顔――は、内気な女性にも親しみ易そうだ。

中学校転入初日に、知り合い以上親友未満の交友を持った洞木ヒカリ曰く「異性である事を殆ど意識しないで付き合える稀有な男の子」らしい。

 

総合的に判断して、潔癖性でも人見知りでもないカエデが、シンジを嫌う理由が見当たらないのだ。

しかし、目を逸らすと云うシンジの反応で、以前に2人の間で何かがあったとアスカは確信する。

コバルトブルーからアイスブルーへと温度を変えた眼差しに、射抜かれたシンジではなく、むしろ蒼眸が味方をしている筈のカエデの方が動揺した。

 

狼狽えるお姉さんの様子を見たシンジは、溜息混じりに折れた。

 

「あんまり過去の恥には触れたくないんだけど……」

 

そう前置きしたシンジは、渋い顔で語り始めた。

 

 

 

 

発端は1ヶ月程前、使徒シャムシエルを撃破した翌日まで遡る。

窓から差し込む日射しに暑さを覚えたシンジの肉体は、惰眠を貪りたいと願う彼の精神を裏切り、強制的に覚醒させた。

 

「うぅ……今何時(なんじ)だ?」

 

弱ったミミズを思わせる緩慢な腕が、ベッドサイドを探り、目当ての硬い感触を見付ける。

だが手首を持ち上げると云う取るに足らない動作を渋った結果、当然の帰結として彼の携帯電話はベッドから押し出され、ゴトンと床に落ちた。

 

「う……ぇ………はぁ」

 

マットレスの上で名状し難い謎の蠕動運動を行って体の位置を調整し、ベッドの縁から床へと落下するように伸ばされた手が、携帯電話を回収する。

待ち受け画面に設定しているアナログ時計の短針は、ほぼ真左を指していた。

 

「もう9時か……」

 

今から身支度を調えて中学校に向かっても、1限目は欠席になるだろう。

強い倦怠感を抱えて赴き、わざわざ悪目立ちしても、良い事など無いと判断。つまり、学校はサボると決めた。

 

階段を這って下りるスライムの様に、毛布を被ったままズルリとベッドから降りる。

パペット人形を思わせる力無い動きで立ち上がると、重力に引かれて床に落下した毛布を、シンジは片付けもせず放置して部屋を出た。

そのままシンジは覚束無い足取りで浴室に直行、服を着たまま温いシャワーを浴びると云う、無頓着振りを発揮する。

 

 

数分か数十分か、ぬるま湯を頭から被り続けたシンジの肉体は完全に目覚め、それに引っ張られて精神の方も幾ばくか回復していた。

 

「よいしょっと……」

 

濡れて張り付くシャツを苦労して脱ぎ、「引き千切らなかった自分は理性的だ」などとしょうもない事を考えながら、ズボンを下着ごと脱いで全裸になる。

同年代の平均に比べると色白で、一見すればひ弱な印象。だがその実、猫を思わせるしなやかさを有している。

よく見れば無駄な肉は無く、贅肉の付きがちな腹や太腿なども引き締まっており、発達したインナーマッスルの存在を識者なら感じるだろう。

そして、衣類を絞るシンジの腕力は、シャツに比べて複雑な構造のズボンが含んだ水分さえ物ともしなかった。

 

 

水を絞られた衣類を脇に抱えて脱衣所に戻ったシンジは、ようやっと己が失態を悟った。

 

「あ……(タオル忘れた)」

 

しかし「独り暮らしだしまあ良いか」と、寝間着を全自動洗濯機に放り込み、濡れ鼠のままリビングに戻る。

ノロノロと台所を漁り、カップラーメンを発見。

お湯を沸かすのが面倒臭いので裏技を使用、プラ容器に水を入れて電子レンジに突っ込むと云う荒技だ。無論、味の保証は出来ない。

 

「不味い……」

 

食えない味でこそないが――ふやけているのに妙に固く、塩辛いと思えば味が薄い――形容し難い謎の仕上がりのインスタント麺を、半ば無理矢理に胃袋に詰め込む。

 

しかし半分程度でシンジは食べる事をギブアップした。その代償はテンションの急降下、シャワーでの回復分を帳消しにして余りあり、結局の処マイナスであった。

故に、鳴り響いたインターホンに対し、モニターの確認どころか服すら着ずに、ホイホイ玄関に向かってしまうのも致し方ない。

 

 

 

 

ネルフ本部内のトレーニングルームで、阿賀野カエデは可愛らしく眉根を寄せて、人差し指を立てながら少年に詰め寄った。

 

「いくら自分の家だからって、裸でいるのはどうかと思いますよ! それに学校も無断欠席して……」

 

偶々カエデは午後からの勤務であった為、12時を過ぎても一度も家から出てこないシンジの様子を見に行くよう頼まれて、彼の自宅に赴いた。

そこでカエデは玄関のオートドアが開くと同時に、目に飛び込んできたシンジの均整な上半身に羞恥を覚え、反射的に下半身に視線を向けてモロに見てしまったのだ。

 

カエデは「私怒っています!」と全身で表現しているが、パッチリとした一重目蓋はまんまるで、柔らかそうな頬も染まっている様子は拗ねた子供のようだ。

加えて本人も怒ったり叱ったりと云った事に慣れていないのだろう、威厳も迫力も殆ど感じられない。

 

「(9時と12時15分を間違えたりした、僕も僕だけどさ……正直――)」

 

ボンヤリとカエデの話を聞きながら、シンジは携帯の画面方向を間違える程に判断力が低下していたとは云え、素直に本部まで付いてきた自分を呪いたくなった。

正直に云って精神的なコンディションは絶賛低空飛行中である。こんな状態での訓練に、どんな意味があるものか。

 

「オホン、お説教はこれくらいで終わりにしましょう。でもしっかりやらないと怪我をしますよ!」

「(――ウゼェ)」

 

普段カエデはMAGIバルタザールのオペレーターを務めているが、パイロットの精神修養訓練も担当している。

このトレーニングは精神修養などと畏まった熟語が並ぶが、内容はオーソドックスで護身術を兼ねた武道の鍛練を行うと云うものだ。

 

 

本日のメニューは密かに合気道の有段者であるカエデとの模擬戦を行う。彼女の失策は、シンジの機嫌の悪さを軽く見た事と、彼の実力を過小評価していた事だ。

 

「(さて、どうしましょうか? シンジ君って運動神経抜群だし、かと云って迂闊に――)ッ!」

 

正面に居たはずのシンジが消え、重力も消失し天井が見える。額に添えられたシンジの指先に「投げられた!?」と思いながらも、体は勝手に受け身の体勢をとってくれた。

額を押した少年の指は優しい位だったのに、頭から強力に加速され、両手で床を叩き付けて勢いを殺したのにも拘わらず、したたかに後頭部を打ち付けた。

 

「あうッ!」

 

一瞬星が跳んだ視界が戻ると、そこにはシンジの足の裏が見えた。足の向こうにある感情のない眼に息どころか心臓が止まる。

声を発する間もなく、無情にも踵が顔面に向けて落下してくる光景に、カエデは頭の中が刹那の内に漂白された。

 

理性か良心か或いは初めから当てる気が無かったかのか、シンジの踏み付けは顔のすぐ横に落とされた。

自責の念からか、少年は苦虫を噛み潰した様に表情を歪めている。対するカエデは見開いた目に涙を溜めて、まるで凌辱されたかの様に震えていた。

血の気が失せて引き攣ったカエデの顔の横から足を退けた後、キュッと口を結んでいるシンジの鼻は、微かな刺激臭を捕らえた。

 

「ん? 何、この臭い……」

 

伏し目になっている少年の呟きを聞いたカエデは、顔色を青から赤へと劇的に変化させながら、スプリングギミックの搭載を疑うような勢いで上半身を起こし、脚の付け根付近を押さえた。

そして身を起こしたのと同じ勢いで立ち上がると、あっと言う間にトレーニングルームから走り去る。

 

「ぁ……」

 

謝罪をする暇さえ無かったシンジに、後悔と云う小さな棘を残して。

 

 

 

 

アイスブルーへ温度を下げた瞳に、侮蔑に近い光を宿したアスカは、やや温くなった麦茶を一息で飲み干した。

 

「アンタ、最低ね!」

 

辛辣だが率直な言葉は、いっそ小気味良い程で、反発心すら浮かばない。とは云え、無関係の第三者に無遠慮に批評されてムッとしない程冷めては居らず、シンジは憮然と閉口した。

忌憚なきアスカの態度に、酷薄な眼光を宿した荒んだ少年の再来を予想したカエデは、軽く唇を尖らせるだけのシンジに拍子抜けする。

 

「(あれ……なんかシンジ君、フツウ?)」

 

一方カエデからの人物像が改められている事など、露とも知らないシンジは拗ねた顔で目を泳がせている。

それを見たアスカが無用な追い打ちを掛けて自らの品位を凡俗に貶めるより先に、シンジ最大の理解者が動いた。

 

「謝って……」

「えっ……レイ?」

 

声量の割によく通るウィスパーヴォイスの主は、咎めるような思い遣るような複雑な色で、じっとシンジを見詰める

 

「…………」

「あぅ……、うわッ!」

 

静かな力強さに見据えられたシンジの上体が、紅眸から逃げて反っていき、当然の帰結として破綻した。

椅子から転げ落ちたシンジは、器用に右手を背後に回し落下運動ベクトルの大半を片腕だけで吸収するという妙技で着地する。

 

「……っ、シンジくん!」

 

一瞬の自失の後に色を失ったレイは、ガタンと椅子を蹴飛ばしてシンジに駆け寄った。

 

「大丈夫――っ!」

 

気遣いの言葉を押し留め、レイは僅かに身を固くして本分に立ち帰る。

シンジの心に刺さった小さな棘、時間経過によって跡形もなく消える程度のモノだが、確かに存在する瑕疵をレイは看過出来ない。

 

「阿賀野陸尉に……謝って」

 

心を鬼にしたレイの決意に、笑いを堪えている風なカエデに向き直る。

 

「あの、えっと――」

 

シンジは朱くなりりながら逡巡した後に頭を下げた。

 

「――あの時は、ごめんなさい」

「(まるで母親に叱られた小さな子供みたい……)! い、いいのよ。それに私もシンジ君のコンディションを考慮しなくちゃいけなかったんだし……」

 

カエデから赦しを得たシンジが、チラリとレイを見ると、少女は柔らかな表情に戻っていた。

 

「レイ、ありが――」

「アハハハ!!」

 

何かを云いかけたシンジを、アスカの笑い声が遮った。氷の様だった碧眼は今や日本晴れの様相を呈し、三枚目を晒した少年を指さしている。

 

「(何だろう、シンジ君ってカワイイかも……)」

 

頬を染めたまま苦い顔で押し黙るシンジを見て、諌め役になるべきカエデもクスクスと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

主に家主の手伝いで、MAGIと回線が繋がった特殊カメラ数台と感圧センサーマットは、ソファーなどの家具を避けたリビングに設置された。

 

「ふう、これでよし。手伝ってくれてありがとねシンジ君。お疲れさま、重かったでしょう?」

 

電子パッド(タブレット)に表示させたマニュアルと機材の配置を見較べたカエデは、満足そうに機器の運搬を買って出た少年を労った。

 

「大したこと無いですよ。――それにしても、ダンスに合わせたユニゾン攻撃パターンを覚え込んで使徒に対抗するとは……葛城さんらしいと云うか」

 

目には目を……と云う戦術は常道ではあるが、現実では難しい場合も多い。それに、こんな突拍子も無いやり方で実現性を与えるとは、正にミサトは天才と莫迦は何とやらを地で行っている。

 

「それ、何となく分かります」

 

呆れ半分・関心半分と云ったシンジに、何かしら思い当たるのか、カエデも上官をネタにする事に軽い抵抗を覚えながらもクスリと笑った。

 

 

カエデはブリーフケースにタブレットPDAをしまい、換わりに冊子を2冊取り出して、シンジに手渡す。

 

「はい。これが作戦要項……と云うか振り付け、目を通しておいて下さいね」

「了解です。それにしても紙媒体ですが……ちょっと意外です」

 

書店に電子書籍の購入(DL)カードが並び、紙で出来た本が隅に押し遣られ始めているご時世。実際にシンジが持つ数百冊に上る蔵書の殆どはデジタルデータである。

 

「まあ、紙は紙で色々とイイ部分があるんですよ。私はこれからお夕飯を食べてきますから、アスカにも渡しておいて下さいね」

 

そう云って玄関に向かおうとするカエデを、シンジは引き留める。

 

「待って下さい、今日はご馳走しますよ。その……この間のお詫びも兼ねて」

 

語尾が小声になった申し出に、カエデは破顔して振り向いた。

 

「もう気にしなくても良いのに――喜んでご相伴にあずかるわ。処で手伝える事はあるかしら? 何を隠そう、料理は得意なんですよ」

 

自慢気に胸を張るカエデに、賓客に仕事はさせられないと、シンジは丁重に彼女の厚意を断る。

 

「今日はパスタだから手間は掛かりません。それに――」

 

「わたしが、居ます」

 

天女を思わせるしなやかさで少年の隣に寄り添ったレイは、精巧なドールの様であった以前を知るカエデからすれば、信じられない程の柔らかな空気を纏っていた。

 

 

乙女の小さく可憐な自己主張に、何故だかカエデは楽しい気持ちになってくる。

 

「それじゃ、のんびりさせて貰いますね」

 

笑い出しそうになるのを堪えてカエデは云った。

 

「出来上がるまで暇でしょうし、TVでも見てて下さい。どんなパスタかは、お楽しみと云う事で」

「ふふっ、期待し――」

「あら、随分と殊勝な心掛けね」

 

いつの間に戻ってきたのか、カエデの言葉を遮り、鮮烈な少女の声がリビングに響いた。

 

現在、リビングに設置されている機材の運搬を、荷物の整理があると云って手伝わなかったアスカは、感心した様子でシンジを眺めた。

 

「何の事?」

「引っ越しソバって奴でしょう? 意外と気が利くじゃない」

「あのね、アスカ……引っ越し蕎麦は――」

 

越してきた新参者が麺類(パスタ)で歓待されるのではなく、元の住人への挨拶として蕎麦を贈る古い風習である。

首を傾げるばかりのシンジを見かねたらしいカエデの説明(フォロー)に、自己の勘違いを訂正されたアスカは羞恥に朱くなる。

 

「……1人位増えても問題ないよ。レイ、早速始めよう」

「ん……」

 

アスカが発しだした不穏な気配に、半ば強引に話を切り上げたシンジは、レイを伴いキッチンへと退避する。

 

「(うぅ……シンジ君って、絶対()だよぅ)」

 

気まずい沈黙と共にアスカと残されたカエデは、心の裡でさめざめと泣いた。

 

 

 

 

家人と客人に分かれて囲まれたダイニングテーブルには、蟹と貝柱のシーフードサラダが中央に座し、メインディッシュたるコーンソースパスタを盛り付けた深皿が人数分置かれている。

カエデはフォークに一口分のスパゲティを巻き付けると、スプーンも添えながら口に運んだ。

 

「これはコーンクリームかな? 甘口だけど、程良く塩気も効いてパスタに良く合ってます。美味しいわ」

「どうも……」

 

正面に座るカエデに軽く目礼を返すと、シンジは隣に座る肉嫌いの少女にそっと声を掛ける。

 

「大丈夫? 食べられそう?」

「…………(コクリ)」

 

掬われたソースに浮かぶツナの欠片を、真剣に見詰めていたレイは、意を決して頷き、ゆっくりとスプーンを淡紅色の口腔内に滑り込ませた。

トロみのあるソースに含まれた僅かな量の固形物を、緩慢に数度咀嚼すると白い喉が動き、カチリと小さな音を立ててスプーンが皿に立て掛ける様に置かれる。

ほうと息を吐いて緊張を解いたレイは、隣の少年に振り向くと、無機質になっていた目を緩め、固く結ばれていた唇を綻ばせた。

言葉以上に雄弁なレイの返答(えがお)に、シンジもまた目を細め、改めて箸を手に取った。

 

 

西洋圏の人間だからか、隣の女性と比べて幾分か洗練された動きでフォークを操り、アスカは逆引っ越しパスタ(・・・・・・・・)を巻き上げる。

 

「(む! 結構イケる……)」

 

クリームシチューに近い味わいの甘口ソースが持つ、主食となる穀類の加工品――要するにパスタだが――との相性はアスカの予想以上だった。

目を丸くしたアスカのフォークの進みはやや速まり、その様子を認めたカエデは正面で黙々と食べている少年に目配せ。

 

「なにか?」

「ん~、この美味しい(・・・・)ソースのレシピが知りたいなぁ」

 

視線に気付いたシンジは、少々奇妙なカエデの様子を訝しむも、瑣事と判断して彼女の要望を快諾。

 

「ああ、簡単ですよ。まず――」

 

刻んだタマネギに火を通した所に、油を切ったツナ缶を投入して軽く炒めてから、パックのコーンスープを注いで…………と云う説明を聴きながら、カエデは隣を指さす。

 

「なるほど……」

 

シンジが意味深に口角を釣り上げると、カエデも笑みを深めて隣人に秋波を送る。2人分の視線にフォークを止めたアスカに、すかさずカエデは一石を投じた。

 

「美味しいよね、アスカ」

 

カエデの言葉に、アスカは自己の行動を顧みて瞬時に状況の不利を把握、だが素直に味を認める事はどうにも面白くない。

 

「悪くは無いってだけよ。大した味じゃないから、さっさと片付けたかっただけ……」

 

鼻を鳴らして食事を再開したアスカの態度に、僅かにレイは眉を顰める。

 

「気にしないで」

 

本当に微かなシンジの囁きに、紅眸に混じった氷雪は一瞬にして融解し、改めてレイは夕餉を味わい始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

衣食住の内、当座のアテがある衣食の確保を後回しにして、住環境――有り体に云えば寝床の整備――を優先した事は、体の資本率が高いパイロットとして、アスカの自覚が高い事の現れだろう。

尤も――直ぐに使う衣類に関しては赤いスーツケースに数日分は入っているので問題ないが――装いのヴァリエーションが少ない事は、如何せんとも乙女として解決しなければならないが……。

 

自室に戻ったアスカは手早く入浴を済ませると、入居して真っ先に整えておいたベッドに身を投げ出した。上等な高反発マットレスは絶妙な弾力でアスカを受け止め、彼女の肢体に残留した僅かな疲れを霧散させる。

一心地付いたアスカは、ベッドに放り投げておいた“数年来の腐れ縁”を両手で持ち上げた。

 

「ふぅ、しばらく荷解きもままならないか……」

 

毛糸の髪とボタンの目をした素朴な人形に、寝室こそ余計な物が無く――アスカの感覚では地味になるけど――小綺麗ではあるが、それ以外の場所の惨状を愚痴る。

家具の殆どは備え付けであるが、ベッドや化粧台等は――引越業者の人間とは云え見ず知らずの男に触られるのは少々業腹だったが――ドイツから輸送した物で、物量的体積的には高が知れた量だ。

問題は主に衣類や靴、その他コスメ等々を収めているダンボール箱の山が――分量にして1部屋半を占領する程にあり――ボール紙の直方体が廊下やリビングに溢れかえっている。

加えて、使徒イスラフェル打倒の為の“特殊訓練”に、明日から掛かりきりになる事を考えれば、纏まった時間は取れないだろう。

 

 

パペットに近い印象の女の子は、幾度となく棄てようと思ったが、結局手放せずにズルズルと長い付き合いになってしまった悪友だ。

 

「今日は~ちょっと油断し過ぎよアスカ~」

 

両脇を掴む手で人形を左右に振りながら、他のパイロット(ライバル)達の前で隙を見せたり、意外に珍味な夕食に舌鼓を打った事を反省する。

そしてそれ以上にアスカとしては業腹この上ない事があった。使徒イスラフェルの殲滅にはどうしても初号機と弐号機の――零号機は修理改修中――同時運用が必須である事だ。

 

「ユニゾン――エヴァ2体を運用する連携作戦――か。(アタシ)は独りでやれるのに……」

 

厳しい訓練過程で常に最高ランクの成績を維持してきた自負を、アスカは抱いている彼女に語りかける。

 

「きっと、今回だけよ。アスカ」

 

夕食後に行ったユニゾンダンス訓練の滑り出しが好調であった事と、訓練中は外出の機会も少なくなる事を鑑みて、アスカは諸々の不満を慰めた。




可愛いアルビノっ娘かと思った?
残念!
アスカちゃんでした!


さて投稿にあたり、改めて本編を読み返すと、結構やりたい放題な気がします。
その割には起伏の少ない日常パートが延々と続くと云う、少々退屈な仕上がり。

ですが、その分最終パートたる次回は山あり谷あり。
そしてなんと、アスカの秘密が明かされます。


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