ヱヴァンゲリヲンFIS-もしシンジがイノベイターなら-   作:るーしー

8 / 9
“Face/Off”と云うハリウッドの傑作アクションがあります。

本サブタイトルではスラッシュが変な位置に有りますが、“TWi”まで文を戻れば“Twice”となります。
“n”が何処へ行ったと訊かれると困りますが。


第8話 Double T/Win “Fa/ce _Off”

午前6時半、単調な電子音(アラーム)にアスカは目を覚ました。

ドイツ時代から使い続けている携帯を――これまたドイツから持ち込んだダブルサイズの高級ベッドの上で、腕を彷徨わせて――探り出しアラームを停止させる。

アスカが気怠げに上半身を起こすと、寝間着代わりにしたキャミソールの左肩紐がずり落ち、彼女の年不相応にタプンとした胸の上部が露わになるが、生憎その果実を拝める者は居ない。

 

「ふぁ~あ……」

 

組んだ両腕を上げて軽く伸びをしたアスカは、ダブルベッドの一画を占有する腐れ縁を見下ろした。

今のアスカみたいにボサボサした毛糸の髪の主を、ベッドの上から両手で強制退去させて正面に引っ立てる。

 

「おはよう、アスカ」

 

素朴な人形を見つめるアスカは、第二次成長著しい肢体と高慢な態度が作り出す、普段の近寄り難さが信じられない程、幼い表情をしていた。

 

 

両手で拘束していた犯人(にんぎょう)を、元居た場所に乱暴に釈放してベッドを下りる。

 

「さてと――」

 

ドイツと日本では電源の規格が違う。ネルフ総本部へ向かう事が決定した日、ヒョッコリ現れた加持から貰った、日本規格に対応した充電器を携帯電話に接続。

海外出張も少なくない仕事柄の加持は、グローバル対応の携帯と数種類のアダプタを常備していると云っていた。

アスカの携帯もグローバルタイプで、日本用拡張パッケージプログラムも既に入れてあるが、日本に慣れたら解約して、新しい物を手にしても良いかも知れない。

 

後継機のデザインを夢想しながら、アスカは寝室の隅に置いておいたB4サイズ程のアタッシュケースをリビングに備え付けのちゃぶ台まで持って行く。

金属製のアタッシュケースの端に走ったスリットに、アスカが自身のIDカードを潜らせると、カチリとケースが解錠される音が鳴った。

その中に入っていた物は、ドイツを発つ際にユーロ本部に返却し、昨日ネルフ総本部より再支給された同じ品である。

 

H&K P30

 

Heckler(ヘッケラー)&(ウント)Koch(コッホ)社製セミオートピストル。全長178mm。重量740g。装弾数15発の9mmパラベラム弾仕様。

ここにある物はSA/DAトリガーのV3モデルで、想定される使用者より小柄である事を考慮し、グリップパーツを最小の物に換装してある。

余談であるが、アスカに銃が支給される事となった当初、小型拳銃に分類されるワルサーPPシリーズ等を奨められたが、彼女の強い希望により本銃が渡された経緯がある。

アスカにとって9mmクルツ(ショート)豆鉄砲(・・・)や、すぐ息が上がるシングルカラムマガジンの銃は、自分に相応しくないと云う思いがあったのだ。

無論、9mmショート(.380ACP)弾は充分な殺傷力のある実包であるし、護身用としては数発も撃てれば事は足りる。当然その事を知るアスカの真意は、子供扱いが嫌だっただけだ。

 

アスカは慣れた手付きでマガジンの抜かれたH&KP30を持ち上げて構える。セイフティ、デコック、スライド、そしてトリガープル、軽く各部の動作を確認。

危なげなく実銃を扱う様子は、アスカの要求が驕りだけでは無かった事を如実に示している。

 

「ふ~ん。結構良い仕事するじゃないの」

 

滑らかに作動する機構に満足そうな笑みを浮かべると、ハンマーをデコックしセイフティをかけてアタッシュケースに仕舞う。蓋を閉めるとオートロックがカチリと音を立てた。

 

偽装ガンケースを寝室に戻すと、シャワーを浴びる為に浴室へ足を向ける。

素足でペタペタと進むアスカはパンツを穿いておらず、張りのある太腿からヒップのラインは14歳とは思えない程に扇情的。

標準的な丈のキャミソールでは下着を隠しきれず、裾が揺れる度に飾り気のないショーツばかりか滑らかな下腹部すら見え隠れしていた。

 

 

シャワーを浴び終えたアスカは、濡れ鼠のままで洗面所と洗濯場を兼ねた脱衣所に戻った。

家内に溢れる荷にはバスマットなどと云う代物は初めから無く、脱衣所の床は半ば水浸しだ。また不覚にも忘れたタオルを求め、アスカは全裸でスーツケースが置いてある寝室への帰路を行く。

半月近く処理を怠われた体毛は元々やや濃い事もあり、アスカの肌本来の撥水性を著しく損なって、含んだ水が背や内股を伝って床に滴っている。

 

スーツケースを置いてある寝室まで戻ったアスカは、点々とフローリングを濡らした原因の1つを見下ろした。

 

「しばらく処理が出来なかったから結構ヤバイな……学校のカリキュラムには水泳もあるらしいし」

 

ドイツからの船旅の間は勿論、ホテル暮らしをしている時も愛用のコスメが手元に無かった為に、全く手入れが出来なかった。

早々に得物を引っ張り出して、ムダ毛を処理する事を決めたアスカは身体を拭く。やはり水気の切れが悪い、陰になりがちな部分は特に。

鞄に収められた下着のヴァリエーションとデザイン性の欠如に、再び溜息が出た。

 

 

チューブトップにミニスカートと云う露出過多な出で立ちは、アスカがスタイルに自信を持っている事の表れだろう。

昨夜の件もあり、シンジに朝食をたかる事には抵抗があったアスカは着替えた後、ホテルから新居に移動する際に見掛けたコンビニへと赴いていた。

 

「(コンビニおにぎりが至高の日本食……って話は眉唾だけど、土地勘もないしね)」

 

暇つぶしに読んだネット記事。筆者がカルチャーショックを受けたと云うなら、少なくとも悪くは無いはずだ。

件のブログに倣い“ツナマヨ”“おかか”“めんたい”を籠に入れ、ついでに緑茶も放り込む。

アスカの胸元や太股に不躾な視線を向ける店員に、内心で侮蔑と優越感をブレンドした蔑視を与え店を出る。

 

 

緑化と景観向上の一環として、マンションに併設されている公園のベンチにアスカは腰掛けた。

断続的なそよ風が、アスカの腰椎近くまである朱金のロングヘアを揺らす。

 

「外で食べる事にしたのは正解ね」

 

ゴチャゴチャした屋内と、開放的な青空弁当では、比較するまでもない。

ペットボトルを開封し一口含む。……不味い。

しかし、おにぎりとの相性は良いかも知れないと、アスカは小綺麗なラッピングを表記に従って剥く。このユニークな包装に関する記事の一文が脳裏に浮かび上がる。

 

「マジックみたい……か。さて――」

 

少々はしたないが、このテの食べ物は大口でかぶりつくのが一番。パリッとした海苔を破り、白米と要たる具を頬張ったアスカは、顔を引き攣らせた。

 

「(か、辛ッ!)」

 

舌を刺した予想外の刺激に目を白黒させながら、ペットボトルを引っ掴み緑茶で明太子おにぎりを流し込む。

 

「(か、辛さが消えない。あんまり合わない)」

 

日本食には日本の物を……と緑茶を選んだが、油脂分に乏しい為か辛さを中和出来ない上に、やはり不味い。

こんな事ならミルクティでも買えば良かったと後悔しながら、囓られた部分を見ると、具に赤い粒々がまぶされている。

 

「(唐辛子?)」

 

こうしてアスカは“めんたい”の正体を知ったのだった。

 

 

残ったハズレドリンクを一息に飲み干して、アスカの朝食は終了した。

ペットの緑茶は美味しくなかったが、めんたいは辛さを覚悟すれば悪くなかったし、おかかはシンプルながらも味わい深い。ツナマヨも中々だった。

 

「よし、行くわよアスカ」

 

GPSと連動し各国家地域の標準時に自動調整される携帯の時計は、訓練開始時間の10分前と云った処、公園のゴミ箱にレジ袋に纏めた物を放り込み、アスカは颯爽と立ち上がった。

 

 

 

 

薄手のブランケットに浮かび上がる人型がモゾモゾと寝返りを打つ。同居人が覚醒状態(アクティヴ)となっている気配に、微睡むレイは目覚めた。

低血圧故か朝の初活力に乏しいレイは、緩慢に四肢を胴体に引き寄せ、全身の筋肉を駆使して上体を持ち上げる。

 

「んっ」

 

肘を突っ張って身体を支えながら両脚をベッドから降ろし、腰と床に着いた足を支点に身を起こした。

 

「ふぅ……」

 

ベッドに腰掛けるレイの肩には、中途半端にブランケットが掛かっている。白い布地は朝陽の色を吸い、

レイが持つ静謐な美しさも相まって、さながら天上人が纏う羽衣の様だ。

 

重い目蓋を表情筋に力を入れて強引に支持しながら、レイは肩の動きのみでブランケットをベッドに落として立ち上がる。

両腕をダラリと下げた猫背のレイは、ゆっくりと軽い深呼吸。酸素濃度が上昇した血液が全身に送り込まれ、レイの背筋は伸びこころなしか足取りもシッカリした。

 

最低限の起動力を確保したレイは、いつも通り浴室へ直行しようとしたが、ふと昨日シンジに云われた事を思いだす。端的に云えば服を着ろ、だ。

同居が始まった折にシンジより云われて久しい事であるが、昨夜は――寝惚けたシンジが素っ裸でカエデを出迎え、大目玉を喰らったと云う――実例に基づいた要請である。

 

 

それまでのレイは、やんわりと言葉を濁すようなシンジの注意を――当人も合理的理由が無い事を、彼女が読み取った事もあり――取り敢えず半分程受け入れ、彼のYシャツを拝借するに留まっていた。

レイにしてみれば自宅にいるのに着衣に拘る理由が無く、シンジも直ぐに慣れて「まあよいか」と妥協してしまった為に、彼女が半裸で闊歩する現状が形成されていた。

しかしアスカ達が帰った後に、入浴をしたレイが雪花も翳むような白い素肌を晒して出てきた際、彼自身と似た事態の発生を危惧したシンジが、湯気を纏った妖精に忠告。

無意識にカエデの件を排除した以前と違い、シンジの沙汰を踏まえた説得力に因って、レイの足は義従兄と共用のクローゼットに反転した。

 

シンジに貰ったYシャツは、彼が購入する際2サイズ程大きな物を選んだ為――裾こそ膝上半ばで丁度よいと云えなくもないが――レイにはブカブカだ。

袖丈は指先すら袖口のスリット以外からは見えない程の長さ。レイは腕まくりをし、ハンガーに掛かっているシンジの私服から、正面に位置していた普段着の上下を取った。

 

 

喧々さとは無縁な雲上の貴人とは似て非なる理由で、レイは殆ど足音を立てずに歩く。

貴人達の淑やかさは習慣による部分が大きいだろうが、レイの場合は身体的な性質の比重が大きい。

レイの身体はほぼ完璧なシンメトリーだ。本人の形質もさる事ながら、おそらく徹底した管理体制の下に置かれてきた事が伺える。

アスカがパイロットに選出されたのは約7年前。最初の被験者(・・・・・・)と云うレイの経歴から、少なくとも7年以上前からネルフ内部で純粋培養の生活を送ってきたと、シンジは推測している。

ある種の黄金バランスと羽毛の様な軽さを併せ持つレイは、たとえ無意識でも動きにしなやかさが勝手に付随するのだ。

 

台所で朝食を作っているシンジは、寝室から出てきたレイに対し背を向けている形になる。着替えを小脇に抱えたレイは、おはようを云おうとしたが、不意にシンジが振り向いた事で気を逸した。

 

「レイ、おはよう」

「……おはよう、シンジくん」

 

少女の胸に去来する小さな驚き。ジュウジュウと卵が焼かれているフライパンに因って、レイの気配が消し去られている以上、脳量子波を失ったシンジは彼女に気付けない筈なのだが……。

 

背後の義妹に気付いた事――脳量子波回復の兆しと見るか、レイのリズムを把握した故か。どちらにしろ少女には楽しい。

 

「珍しく朝からゴキゲンだね。そうだ、卵焼きに昨日の缶詰を入れていいかな?」

 

丁度今、シンジはプレーンの卵焼きを作っていた処で、彼の姫の意向はこれより反映される予定である。

ツナもカニ缶も既に攻略済であり、ハイテンション(シンジによる当人比)であるレイの答えは決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

訓練3日目。遅々として成果が上がらない事に、とうとうアスカは爆発した。

タブレットPDAの端に小さく表示された65%と云う値――彼らのモーションデータをMAGIが解析したユニゾン率――が彼らの最大スコアである。

使徒イスラフェルに対抗するには、最低でも80%の完成度(ユニゾン)が必要であり、不確定要素への安全マージンも踏まえ実際には90%以上が目標値になる。

 

3日間の訓練、初日前夜も含めれば30時間超。それ程の時間を、いけ好かない奴と一緒にお遊戯みたいな事(・・・・・・・)を延々とやらされ続けたのだ。

その挙げ句、来日して最初に友誼を結んだ級友の前で恥をかかされれば、プライドの高い少女(アスカ)には腹に据える事など出来る訳がない。

 

 

 

 

訓練初日。前夜の内に振り付けを覚えたシンジ達は、レイとカエデが見守る中、一度通しで踊った後、早々にカリキュラムを第2段階へと移した。

第2段階は一方のヘッドフォンのみに曲を流して、もう一方は曲無しと云う状態をランダムに切り換えながらのユニゾンを目指すというものだ。

当初、才気に溢れるアスカは直ぐに第2段階もクリア出来ると思っていた。ところがいつまでもスコアは73%を超える事が出来ずに初日は終了。

 

2日目。業を煮やしたアスカが曲のテンポとメロディを完全に覚え込むと云う力業を実行し、偶然にも80%に達した事を根拠に、シンジやカエデの反対を押し切って第3段階への移行を敢行。だが、その断行は浅薄な暴挙であった。

 

第3段階――第2段階の要素に加え、曲調をもランダムに変化させると云う実戦仕様の最終段階。

これでのユニゾン率(スコア)90%以上が目標ラインなのだが、第3段階の1曲目でいきなりスコアが30%を割った。

その酷い点数に初めの内はアスカも息巻いていたが、幾ら回数をこなしても結果が振るわない事に苛立ちだし、益々成績(アヴェレージ)は悪化の一途を辿るばかり。

一度だけ65%を叩き出す快挙があったが、慢心したのか直後に最低点(ワースト)を更新した。

 

そしてアスカの鬱憤(ストレス)が限界に達しようかと云う3日目。

いぢめ的分量の書類を、地球と木星を往復しながら片付けたミサトがやって来た事が、アスカの導火線に火を点けるとは……結構、予測出来たかも知れない。

 

 

暫定的にカエデに任せていた訓練監督を引き継ぐ為、シンジ達のマンションを訪れたミサトは、エントランスで眉根を寄せている洞木ヒカリを見かけた。

彼女の制服からシンジ達の同級生と判断したミサトが事情を訊いた処、クラス委員としてプリントを届けに来たとの事。

しかし携帯電話は繋がらず、部屋番号も知らない為に困っていたそうだ。

ミサトは「全く、水臭い子達ね」などと云いながら、半ば強引にヒカリを同行させて、シンジ達の自宅に赴いた。

 

そして……ヒカリにエヴァパイロットである事が完全に露見した。

 

シンジとレイは友人と云えども立ち入らせない事情の存在を匂わせていたが、アスカは吹聴こそしないが隠す意思も無いスタンス。

そんなアスカの所為で、また相田ケンスケに目を付けられているのだが、ここでは置いておく。

つまり、彼らの本業(かくしごと)について薄々感づいていたが、何らかの事情があると察し、敢えて訊く事をしなかったヒカリ。

そんなヒカリの思い遣りを、ミサトは余計なお節介で踏み躙った。

シンジ達に無断でヒカリを招き入れ、珍妙な事をしている2人に出くわして目を点にした彼女に、ミサトはいっそ盛大にパイロットの素性をバラしたのだ。

 

 

米噛を押さえたシンジが、ヒカリに口止めをしている後ろでは、一向に芽の出ない第3段階を重く見たミサトが、作戦責任者としての強権を発動していた。

 

「ふざけないで! 何で、もうクリアしたトコに戻らないといけないのよ!」

第2段階(ステージ2)への差し戻しは決定事項よ。異論は認めません」

「気合い入れなさいよ、ナナヒカリ! ミサトに吠え面かかすわよ!」

 

そもそも第2段階はクリアしたとは云えず、アスカは鼻息を荒くしている。その結果(スコア)は語るまでもない。

 

 

一度はパスした筈の第2ステージ――しかもヒカリが見ている中――でワーストスコアを更新した事に、激昂したアスカはヘッドフォンを床に叩き付けた。

その様子に、嫌そうな顔で溜め息を吐くシンジに、アスカのヴォルテイジは鰻登り。

 

Scheiße(クソッたれ)! アンタがトロいから、こんな風になるのよ!」

「(人の家で暴れるなよ……)君だって、タイミングを外してただろ」

 

自分が曲無しだった際の、テンポのズレ指摘されたアスカは逆上。シンジの側頭部を狙い脚を跳ね上げるも、両手で足首を掴まれて止められる。

 

「危ないだろ!」

「放しなさいよ、この変態!」

 

シンジに蹴り足を取り押さえられ、片足立ちのアスカが拘束者を罵倒する。そこにレイも交え、何やらカエデと話していたミサトが立ち上がった。

 

「いい加減にしなさい!!」

 

怒鳴り声を上げて叱り付けたミサトに、アスカが鼻を鳴らした瞬間、シンジは彼女の足を放しバックステップで安全圏に退避する。

射程圏から離脱した獲物にアスカは舌打ち。その太々(ふてぶて)しい様に、ミサトは大きく息を吐いて、レイを促した。

 

「レイ、振り付けは覚えているわね。アスカ、交代よ」

 

前に出てきたレイを、内心アスカは鼻で嗤った。訓練評価の為、監督者(カエデ)は予備のヘッドフォンを付けていたが、レイは最初の数回位しか曲を聴いていない。

この3日間ずっと見学していたので、振り付けは覚えているかも知れないが、メロディを把握していないだろうレイはタイミングを掴めない筈だ。

 

「(フン、大恥かくといいわ)」

 

ミサト達の方に移動したアスカは、隙を見て素早くコンソールを操作、ステージ2に落とされた難易度(レベル)をステージ3に戻す。

ヒカリの隣に陣取ったアスカは、クルリと自分が居たステージに振り向いて腕を組んだ。

 

 

アスカが床に投げ打ったヘッドフォンを拾い、レイはシンジと共に定位置に付いた。

そして、2人の舞台が始まる。

前奏だけは共通で両者に流れるが、それ以降は完全にランダムだ。故にリズムを計れないレイは、タイミングを外すしか無い。

しかしアスカの予想に反して、シンジとレイのユニゾンは完璧だった。

いや……この義兄妹(ふたり)のそれは、協調や同調と云った言葉に収まりきらない。

もはや、鏡合わせとか、影法師と本体の関係……と云った次元であり、一卵性双生児でも中々こうは行かないだろう。

 

では、何故こんな神業が可能なのか。

そもそもレイは碌に曲を聴いていない。それ以前に聞く必要すら殆ど無い。レイが意識しているのは、隣で踊る少年のみ。

初日の前夜からずっと舞台袖にちょこんと座り、少女は飽きること無くシンジを見続けてきた。

シンジの呼吸や動き、僅かな癖に至るまで詳細に把握している。更に、彼の隣で踊るアスカを自分に置き換える事を、幾度となく夢想していた。

そんなレイと云う少女は、この訓練の本質を誰よりも体現している。

 

1ヶ月の共同生活、パイロットとしての訓練も一緒である事が多いシンジは、己の身体能力がどの程度レイを凌駕しているか熟知している。

レイを見ながら、その差分だけスピードを抑えているシンジは、ラミエル戦で脳量子波を全開にした時以上に、彼女を身近に感じていた。

 

「(凄い! この感覚なら――)」

 

絶対に出来る! 強い確信の基にシンジは目を閉じる。

 

「……信じられない」

 

その呟きは誰のものだったか。

パートナーが目を閉じた直後に、紅眸もまた目蓋の奥に隠れる。自ら視覚を封じ、聴覚すら塞がれた暗闇の状態で尚、2人は一糸も乱れない。

 

「(綾波さん、微笑(わら)ってる……)」

 

体力の劣る自分に合わせてくれる気遣い、何より同じ事をして互いを感じ合える事。数分前までのポーカーフェイスから、いつの間にか少女は柔らかな表情に開花していた。

 

 

第3段階での97%、追随を許さない圧倒的な数値。

 

「こいつは凄いな」

 

呆然となっていたアスカは、背後から聞こえた声に我に返った。道中での悶着を避ける為、ミサトとは時間差を設けてやって来た男がそこに居た。

 

「か、加持さん……」

 

愕然とした少女の掠れた声に、加持は思わず口を吐いてしまった感嘆を悔やんだ。

惣流アスカ・ラングレーが自分に思慕の情を向けている事は――性的な挑発を受けた事すらあり――よく知っている。

アスカの兄貴分を自認する加持にとって、先の一言はあるまじき失態であるが、フォローが不可能ではない。

しかし、あまりにも完璧な兄妹に、目を奪われたのは加持だけではなかった。

 

「零号機が使えれば……」

「ッ!!」

「――葛城ッ!!」

 

ミサトが漏らした臍を噛む呟きに、アスカはビクリとたじろぐと、涙を滲ませながら玄関に駆け出す。

 

「え、加持君!?」

 

居なかった筈の(・・・・・・・)元カレの怒声に、ミサトが「しまった!」と思った時には、既にアスカは外へと飛び出していた。

 

 

アスカが泣いて飛び出る原因をもたらした大人組の頼り無さに、ヒカリは憤慨したが、かと云って目上の人間を糾弾する程の気概は彼女に無い。

ヒカリが選んだのは、直接の原因となる光景を作り出した少年を責める事だった。

 

「い、か、り、く、ん――」

 

少女と“繋がった”余韻に浸っていたシンジは、ある種の陶酔感からゆっくりとした浮上をしていたが、怒りを含んだヒカリの声で強引に水面へと打ち上げられる。

 

「――早く、追い掛けて!」

「……何の事? そう云えば惣流は何処に?」

「な……!」

 

本当に何が起きたか分からずにキョトンとしたシンジに、ヒカリはワナワナと震えている。

どうやら頭に血が上っているらしいヒカリからは目を外し、シンジはミサト達に状況の説明を求めた。

 

何やら電話中の加持、オロオロしてあまり使えそうにないミサト。シンジはカエデから事情を聞くと、その莫迦々々しさに溜息を吐いた。

 

「なるほど――取り敢えず惣流は暫く放っておきましょう。ガードは付いてますよね」

「ああ、さっき保安部には連絡しておいた。ネガティヴレポートも15分毎に行わせるから心配無いよ」

「っ、責任取りに行くべきじゃないの! 女の子泣かせたのよ!」

 

虚を突かれて機を逸していたヒカリは、平静なシンジの様子に再び噴火する。だが、的外れな部分を自覚しているのか、声にやや精彩を欠いている。

そんな詭弁(ヒカリ)に対するシンジの返答は、氷のような眼差しだった。

 

「……僕達に性別なんか無意味なんだよ。自分勝手に泣く方が悪い」

 

シンジの容赦ない言葉は、彼の転入から暫くの間感じていた怜悧さを、数倍にした印象でヒカリに口を噤ませる。

 

「僕もレイも……惣流だって、何度も死にかけてる。遊びじゃないんだよ」

「で、でも…………」

 

しかし、ヒカリにそれ以上を紡ぐ事は出来なかった。フェミニンな価値観に基づく感情論の、なんと薄っぺらい事か。

 

門外漢の口出しに苛ついたとは云え、少々強く言い過ぎたらしい。級友が肩を落とす様子に、シンジは努めて穏やかに語りかけた。

 

「今の処、僕達の事情(ネルフ)と、洞木さんは殆ど関係無いし――これからも関わって欲しくない」

 

明確な拒絶よってヒカリは全身が強ばり息を呑むが――ネルフの事情(エヴァンゲリオン)などに関わらない方が幸せに違いないと――それに構わずシンジは続ける。

 

ネルフにいる(パイロットの)僕達と、一般人の洞木さんでは住む世界が違う。でも学校では一緒だから、今まで通りに接してくれると嬉しい」

「あ……! そう云えば、私たちお友達よね!」

 

消沈していたヒカリの顔に喜色が灯った事に、シンジの表情がふわりと弛んだ。

 

「それと惣流の頭(ほとぼり)が冷めた頃合を見て、一応迎えには行くさ」

「(あ……碇君の笑顔って、綾波さんに似てるのね)」

「あの態から堂々と戻れる程、厚顔なタイプじゃ無さそうだしね」

 

その微笑がレイに似ている事を発見したヒカリは、小さく「時間をムダにはしたくない」と付け加えたシンジとの価値観の相違に、これからも続くであろう友誼にビミョーな不安を抱いた。

 

 

 

カエデとヒカリが主人の見送りで碇宅を後にしてから暫し経った。当家の旦那たる少年の対イスラフェル戦における相棒が逐電してから半時間程か。

 

「(そろそろ彼女の頭も冷えたかな……)加持さん、惣流の居場所は何処です?」

「ちょっと待ってくれ…………ふむ、P-6エリアの第17ブロック――高台にある公園だな」

 

無駄のない指使いで携帯端末を操作し、加持は淀みなく回答。そして意外な事に、ミサトがその場所に関心を示した。

 

「ネェネェ、そこって確かデートスポットよね……良かったじゃないシンジ君」

 

以前コンビニで立ち読みした地域向け情報誌の記事を、何故かこの時ばかりは非凡なる記憶力を発揮したミサトが面白可笑しく発表。

 

「(んな事どうでもいいし……)支度してきます」

 

ウザったそうな半眼で外出の準備に取り掛かった少年に、加持は親指と人差し指で『L字』を作るジェスチャーを示した。

 

「そうだ! シンジ君、一応コイツも持って行くんだ。――もう支給されているだろう?」

「えっ!? 何でまたそんな物を……」

「弐号機の受け入れを前後して、キナ臭い連中が増えているんだ。保安部(ガード)が張ってるから大丈夫だと思うが、まあ念の為にね」

 

最期は軽くおどけて見せるも、その眼差しは硬質。明朗な男に倣い、シンジも軽妙な頷きで応じる。

元カレにまで無視された女の「いっそ口説け! あたしが許可する!」などと云った妄言をBGMに、少年は自室にガンケースを取りに行った。

 

 

 

小人閑居して不善を為す。暇を持て余した俗物は碌な事をしないと云う故事であるが、残念な事に主人が外出した家中に該当者が居た。

云わずと知れたミサトSAN拾斎(30才)である。鬼の居ぬ間に洗濯と云う訳ではないが、シンジのド胆を抜けるサプライズを用意したい。

例えばプロ顔負けのご馳走を、あり合わせの材料で作ってみるとか。口酸っぱい家主の注意など、今度は類い希なトリ頭で忘れ去っている。

 

「我ながらサイキョーのアイディアね!」

 

堪え性のない女は諸々の鬱憤を、自らに低評価を下したシンジへの対抗心へと昇華? させ、直ちに行動開始。

一切の躊躇も無く抽き出しやら冷蔵庫やらを全開にする無神経さは、シンジが客人(カエデら)を見送る際、加持に見張りを頼んだ理由を如実に体現している。

 

野放図な振る舞いをするミサトは、もう1人居る住人の存在も忘却していた。厳密には、店子に分類される少女を軽視していた。

 

「陸佐……」

「あら、居たの? ちょっち忙しいから後にして~」

 

少女の声量に反してよく通る声は、常よりやや硬質な響きであり、傍若無人な上司への抗議を滲ませていた。

しかし、ただでさえ分かり辛いレイの情緒を嗅ぎ分けるには、あまりにもミサトはガサツが過ぎている。

 

この場合、キッチンに部外者(ミサト)が居る事こそが不自然であり、他人の家で忙しいという事態こそが異常である。

自分たちの領域(テリトリー)で不逞を働く無神経な女の態度に、氷の様に冷たい炎がチリチリとレイの胸の奥を焦がしていく。

 

「葛城陸佐、止めて下さい……!」

「だ~! さっきから何よ? 大船に乗った気で、あなたは黙って見てれば良いの!」

「………………ッ!」

 

その時、真っ黒に染まった胸郭内、或いは冷え切った頭蓋内部にて、レイは何かがブチリと千切れる音を確かに聞いた。

 

そして……液体ヘリウムが注入された頭脳で、無血交渉が不可能であると判断した少女は、武力行使も厭わないハードネゴシエーションを決断した。

 

 

人様の厚意を邪魔する小娘を追い払ったミサトは、鼻歌交じりに料理の準備を進めていた。尤も彼女の辞書に、お節介と云う単語が存在するかは甚だ疑問であるが。

 

ジャキリ……と、比較的聞き慣れているが一般住宅には似つかわしくない作動(スライド)音に、錆びた歯車の様にゆっくりとミサトは振り向いた。

 

「…………え(M84(チーター)?)」

 

鳥肌が立ち下半身の穴が締まる感覚は何年ぶりだろうか。対照的にミサトの目前に存在する、たった今初弾が装填されたチーター・ピストルは微動だにしない。

馬耳東風な女に対し、武力と云う手段を用いた少女の普段なら強い光を宿す紅眸は、突き付けた銃口以上に暗く一片の輝きも存在しなかった。

 

ベレッタM84、通称『チーター』はピエトロ・ベレッタ社の代表的な製品の1つである。.380ACP=9ミリショート弾を使用する中小型拳銃であり、女性にも扱いやすい。

ちなみにレイが持っているのはシングルカラムのM85Fである。

支給当時における彼女の体格や筋力から、よりグリップが小さいM85Fが与えられた経緯があるが、最近の成長度(フィジカルデータ)から標準モデル(ダブルカラム)のM84Fなどへの交換が考えられている。

 

閑話休題。

居直り強盗並の厚顔さで自宅を荒らす女に――かつてゲンドウから貰った眼鏡に、当時の義兄が勝手に触った時を遥かに上回る――激情がレイを支配していた。

 

「ぁ……れ――」

 

掠れた呻きを漏らしたミサトが口を開こうとした瞬間、反射的にレイはM85F(チーター)のトリガーへ

と力を込めて黙らせた。声すらも聞きたくないのだろうか。

聖域に土足で踏み入った不届き者を射抜く目は絶対零度で、噴き出す強力な弾劾の意思(オーラ)に、罪人は呼吸もままならない程。

 

ベレッタM84(チーターシリーズ)のトリガープルは約2㎏と云われているが、ミサトの目算では既に1.7㎏以上引き絞られている。

隙を見て銃を取り上げる事も考えたが、レイには油断も隙も存在しない。恐らく、少しでも自分が不審な動きをすれば、躊躇無く残りの300gを引き抜くだろう。

どうしてこうなったと自問自答を繰り返しながら、ミサトは大量の脂汗をかき続けるしか出来なかった。

 

 

 

 

怒り心頭の義妹が、不当占有に対して実力示威を行っている事などつゆ知らず、シンジは逃げ出した少女を公園内の展望台で発見した。

途中まで同行した加持は「俺が居ると逆効果だ」と道中で別れたが、飲み物を買っていくようアドヴァイスを残している。

 

ミッションのバディは柵に腕を預けて寄り掛かり、硬い無表情で夕陽に染まった市街を見下ろしていた。

自販機で購入したダイエットコーラを片手に、シンジは無造作に近付きながら、アスカの肩(シルエット)越しに自然と目に入る景色を評価。

なるほど……夕焼けの街並みは趣があるし、区画整理されたビル群による夜景も素晴らしい事だろう。確かにデートスポットに相応しい、ちょっとした人工の絶景だ。

 

「惣流――」

 

突然声を掛けられた事に全く驚いた様子も見せず、アスカはゆっくりと振り向いた。

泰然とした所作から察するに、近付く気配を捉えていた事は確実だが、何者かが背後より接近すると云う、警戒すべき事態を平気で看過する胆力は、とても逃亡者のモノとは思えない。

 

「あら、アンタ1人でやって来たの? てっきり加持あたりも一緒かと思ったんだけど……」

「途中まではね。いわく、俺が居ると逆効果……だってさ」

 

少年の予測に反して余裕のある口元は、一欠片の動揺も気負いもない完全な平静であった。そんなアスカに小さな違和感を感じながら、シンジは彼女にコーラを放る。

程良いコントロールで飛んで来たペットボトルを、悠々とキャッチしたアスカは、目を細めてラベルを一瞥し、軽く鼻を鳴らした。

 

「フラウ・ブランドじゃないのは減点、と云いたいけど日本だしね。ダイエットコーラを選んだ事は評価してあげる」

 

また微かな違和感。彼女は入手困難な海外?――語感からしてドイツ系メーカーの――製品でない事を妥協はするだろうが、カロリー量に配慮した事を褒めたりするだろうか。

 

「(いや、そんな些細な事じゃない。もっと根本的な何か――)」

 

云うなれば、微妙にピントが合っていない感じ。或いはラジオのチューニング(チャンネル)が中途半端な様な印象。

コーラのボトルを豪快に呷る姿は、上品にフォークを操る姿と一致しない様なする様な。いや、これについては、アスカの年齢や性格を考慮すれば50:50(フィフティ・フィフティ)だろう。

 

一般的な少年ならば、刺激的な液体を嚥下する度に脈打つ喉や、なまめかしい唇とペットボトルの口が離れる光景などに妄想を掻き立てられるものである。

だが、元来そう云った欲望が希薄なシンジには瑣事にも満たない事だ。そんな事よりも、惣流アスカと云う少女に感じる違和感の方が、余程に重要である。

それは“この違和感は間違っていない(・・・・・・・・・・・・・)”と、直観的にシンジが確信しているからだ。

 

「なによ、ワタシの顔になんか付いてる?」

「…………君は、誰だ?」

「ッ! …………ふふ」

 

半ば無意識にシンジが呟いた言葉――少女は息を呑んだが、直ぐさま蒼眸を不適に細めた。だが、その虚を突かれた反応こそが正鵠である。

 

「ワタシはアスカよ?」

 

自若に構え、聞き分けのない子供を諭すような声音。相手方の勘違いをやんわりと修正する媚笑に、並の男ならコロリと騙されるだろう。

だがシンジの中では、先の遣り取りによって99.89%の確信が、100%の真実にまで昇華されていた。

 

「でも中身は違っている……少なくとも、僕が知っている(・・・・・・・)惣流アスカ・ラングレーではない(・・・・・・・・・・・・・・・)

「…………まさか、気付かれるとはね」

 

微塵も迷いが無い断定(こえ)に、アスカ(仮称)は少年の目を見つめ返す。そこに疑念の色が差していない事を認めると、あっさりとシンジの言葉を肯定した。

 

「解離性精神の非連続同一型――多重人格……」

「ま、自己分析では成長したイマジナリーフレンドの類型点が多いけどね。でもそんな事はどうでも良いわ」

「僕らの立場……いや、エヴァの特性を考えれば、軽く視る事じゃないと思うけど?」

 

反復練習や技術の習熟と云った一般的な努力ではなく、メンタルこそが最重要なエヴァパイロットとは思えない物言いを訝しむシンジに、アスカ(仮称)は少年を試すように唇の端を釣り上げた。

 

「ハッ、モノを知らない奴程そんな事を云うのよね。(アタシ)達は全てを共有し、完璧に共存している。初見で気付いたのはアンタだけなんだから、無責任な能無し(がくしゃきどり)共みたいな物言い(ナンセンス)で失望させないで欲しいわ」

 

アスカ(仮称)の言葉を素早く噛み砕き、シンジは肩を竦めた。少なくともエヴァの運用において支障は無いらしい。

 

「OK、取り敢えず心理学者(カウンセラー)が大嫌いだって事は分かったよ。それと君達(・・)の在り方には、二度と口を出さない。君もあの娘も『アスカ』で、それが全て……でいいかな?」

Richtig(そうよ)! ミサトと違って理解が早くて助かるわ。尤も、あの女(ミサト)(アタシ)達に気付いてないし――そもそも教えてやる気も無いけど……」

 

悪戯っぽく笑うアスカ(仮称)に、シンジも愉快そうにクスリと漏らす。実際、ミサトは遊び仲間としては上等かも知れないが、人生相談を持ちかけるには少々頼り無いタイプである。

 

やや緊張感のある遣り取りの中に、シンジは一種の昂揚感を覚えていた。何処か心地よい昂ぶりは彼にとって初めての感覚。レイと過ごす穏やかな時間とは、まるで違ったベクトルを有している。

この空気の張りに貴重なものを感じたシンジは、胸の奥で静かに燃える熱を表に出さない様に気を付けながら、訊き損ねていた重要な事を投げ掛けた。

 

「そう云えば、()の事は何て呼べばいい?」

 

一方、2人で1人の少女も同様に心を躍らせていた。シンジが己の感情の解読に難儀しているのに対し、彼女は自己の昂揚の正体を把握している。

それは、漸く本当の意味で(・・・・・・)自分達(・・・)と対等になりうる人間と出会った事だ。

端的に云ってアスカは天才である。容姿端麗にして文武両道の才媛、少なくとも同年代で彼女と同等の才覚・実力を持つ人間には一度も出会った事が無い。

加えて彼女自身の持つ特殊な二面性が、アスカの人間関係を難解なものに変貌させている。

 

「そうね……『式波』とでも呼んでくれればいいわ」

 

ほぼ全ての記憶を共有し、似た性格の2人が、シームレスに人格交代を行うものだから、式波と名乗った少女に気付く者は皆無だった。

加持などは式波の存在こそ知っているが、人の持つ多面性が通常より強く出ているだけだと解釈しており、式波という名すら知らない。

式波に一個人としての人格を認めたのは、シンジが初めてだったのだ。しかも初見で彼女に気付く眼力?と、自分に匹敵する溢れんばかりの才気。

 

鋭さを伴った友誼を交わす遊戯を、碇シンジと式波アスカは愉しんでいた。

 

 

 

ひとしきりの会話(はらげい)を愉しみ、「今回は私が妥協してあげる」と云う言質が取れた帰路、式波アスカは意外な程に饒舌だった。

 

「まったく、いつもそう! あの子ったら、ちょっとした事ですぐ引き籠もるのよ!」

 

漸く『惣流と一括りのアスカ』ではなく、式波個人として扱われている為だろう。それだけでなく色々と鬱憤が溜まっていたらしく、主な話題は主人格であると云う惣流アスカへの愚痴だった。

 

「……つまり、惣流が自分の非を認めるのが嫌だから、君が出張る羽目になった?」

 

2人のアスカに関して口出ししないと云う約束を、舌の根も乾かぬ内に当の本人からの要請で破る事になった因果に溜息を吐きつつ相づちを打つ。

 

「そうなのよ! 昔っから嫌な事は全部私に押し付けるのよ!」

「とは云っても記憶を共有している以上、間接的でも自分が体験してるのと変わらないんじゃない?」

「そうでもないわ。感情はリセットされるし、交代中の事を聞かれるとか、必要に迫られでもしない限り、あの子の意識に上らないもの」

 

やれやれ都合のいい事……と式波は肩を竦め手の平を裏返す。だが不服そうな態度の割に、その声は穏やかだった。

 

「はは、それじゃどっちが主人格か分からないね」

 

以前の自分と違い物事を諦観しているタイプでもなさそうだが、とシンジは疑問に思いながら、2人のパワーバランスを評す。そして批評された本人は意外そうに目を丸くした。

 

「アンタ、心理学には疎いのね。むしろ逆、主人格こそが一番弱いのよ」

 

アスカは彼との――主人格の時間(ぶん)も含めて――短いやり取りの中で、知的でシャープな人物像を抱くに至っていた。だがその信用は専門的(ディープ)な知識分野までは及ばない、自己の小さな勘違いを内心で笑う。

考えてみれば、幼いアスカが『式波』を生み出さなければ、わざわざ心理学なんぞを調べる事もなかっただろうし、シンジも似たような事情の筈だ。

 

「なるほど……さしずめ『逆転姉妹』って処か」

「逆転姉妹! アハッ、気の利いた表現じゃない! 確かに年上の妹(・・・・)には手を焼いているわ」

 

ある種のツボにハマったのか、歓声を上げた式波は「でも……」と言葉を切って目を閉じる。

 

「私はあの子(アスカ)の心を護る為に生まれたんだ。だから構わない」

 

黄昏の空を見上げる微笑みは優しくも誇らしげで、式波アスカのもう1人の自分に対する、深い愛情が見て取れた。

 

 

 

 

自宅まで帰り着いたシンジが玄関脇のセンサーパネルに指先で触れると、カチリとロックが解除される。

連動したドアが開くと、太股を抱えて座っていたレイに出迎えられた。

 

「シンジくん、おかえり」

「ただいま、レイ。こんな所で待ってる事なんか、なかったのに……」

「ん…………」

 

行為の非合理性を自覚していたレイは、ごく薄く頬を染めて足に力を入れる。苦笑するシンジが阿吽の呼吸で手を差し出すと、レイは自然な動作で補助を受けて立ち上がった。

 

「仲の良い事……ん?」

 

シンジに続いて部屋に上がろうとしたアスカは、三和土にミサトの靴が無い事に気付き、レイに上官殿が何処へ行ったか尋ねる。

 

「帰ったわ。それより……あなた誰?」

「な……!?」

 

そんな莫迦なと云う思いがアスカを支配する。恐らくは一目見ただけで別人だと看破されるなど、想定外にも程があった。

 

「ああ……彼女は式波アスカ、惣流のお姉さんって処かな」

「そう……初めまして、式波さん」

 

愕然とするアスカは、彼女を尻目に平然と説明するシンジと、あっさり受け入れたレイに更に絶句。

 

「え、あ……よ、よろしく?」

 

口をあんぐりと開けたまま、アスカは機械的に受け答え、兄妹の家で履物(わらじ)を脱いだ。

 

 

集合住宅の構造上暗い廊下を、レイの先導で戻ってきたリビングは、当然だがアスカが飛び出した時と変わらず、センサーとカメラで囲まれた訓練装置(ダンスマシン)が少なくない空間を占有していた。

窓から見える空は夕闇に染まり、僅かな夕陽がベランダに暗褐色のコントラストを描いている。

夜の帳が入り込んだ薄暗い室内をシンジは迷うことなく進み、照明のスイッチを入れると、そそくさと自室に入った。

LED照明の光が部屋全体を照らし、不気味なオブジェのようだった訓練装置に本来の機能美を甦らせる。数秒で怪しげなイメージが完全に払拭され、荷物を置いたシンジも戻ってきた。

 

「さて、訓練再開と行こうか」

「早速ってワケね。OK、Niveau(レベル)ツヴァイからやり直しましょ」

「ニヴォ? ああ、レベル2か。君がレベルダウンを許容するとは――」

 

その時、ググゥとシンジの腹が鳴った。盛大な音は本人の記憶に該当例が見当たらない位で、一瞬声が遮られ、舌の回転が低下。

 

「……ね?」

「プッ、初っ端から締まらないわね。作戦責任者(コマンダー)も不在だし」

「三日坊主で逃げ出した奴の所為で、余計な運動を強いられた影響かな? でも君には同感、一体何しに来たんだろあの人」

 

軽い舌先の応酬を、2人はミサトと云う共通の捌け口に投棄。彼女にしてみれば甚だ不本意だろうが、半分以上は自業自得である

 

人望が屑カゴ級の女を追い出した少女は、ミサトの事など歯牙にも掛けず、義兄の空腹に注目。

 

「先に、お夕飯?」

「いや、食事は後にするよ。今日中にレベル2を完璧(モノ)にしたいから時間が惜しい。だから晩の支度をお願いしたいんだけど」

 

少女が感じ取ったものは、信頼と申し訳なさ、そして心配が入り混じった揺れる内面。その信頼と心配に灯された熾火を、レイは素直に表出させた。

 

「うん、任せて……」

「(本当に良い顔するわねこの子……よしッ)ナナヒカリ! スコア80まで持って行くわよ、夜飯前(・・・)にね!」

「ああ……!」

 

凛とした表情を作った少女に触発されたアスカは、諺をアレンジして気合いを入れる。そんな彼女にシンジは義妹のそれより鋭い不敵な笑みを返した。

 

 

リビングで舞う2人を、レイはキッチンからチラチラと見ていた。余所見をしながらも、レイの持つ細い白魚(ゆび)は正確かつ淀みない。

彼らの演舞は回を重ねる毎に、それまでの3日間(ディソナンス)が信じられない速さでスコアを伸ばしている。

もし……零号機の修理・改修が終わっていたら、自分とシンジがペアを組んでいただろうか?

 

「(いいえ、もし零号機が使えたとしても……)」

 

ユニゾンを行うだけなら、比翼を彷彿とさせる相性の2人が最善。恐らくミサトも兄妹の組み合わせを推す筈だ。

しかし、それは他ならぬシンジの反論に因りご破算になるだろう。イレギュラーへの脆弱性をとうとうと指摘されて。(ちなみにレイとアスカでは、そもそもユニゾンが成立しない)

まず、2機のエヴァに同じ動きをさせる戦術上、機体性能が低い方に足並み(スピード)を揃える必要がでてくる。

そして、現在ネルフ総本部が保有する3機のエヴァの中では零号機が最弱だ。これは兵装等の改修が終わっても変わらない。

更に加えて、敵が予想外の行動をした場合、ユニゾン戦術は瓦解する。その作戦が破綻した状況下での使徒殲滅は、今のレイと零号機には荷が重い。

 

「…………」

 

たとえ零号機の投入が可能であったとしても、初号機(シンジ)の隣に立つ事は適わないであろう現実に嘆息。

その現実を生み出す一因が、少女に戦いから距離を置いて欲しいと思うシンジの優しさだとしても、レイの溜飲は下がらない。

そんな少年を好ましく思う反面、同じ時間を共有したいと云う矛盾した欲求。少女の半生において大半を占める最大比重の要素(エヴァ)と、現在心の内部で急激に比重を増した要素(シンジ)

全く性質の違うモノを同時に呑み込める程のしたたかさを持つには、レイは余りにも純粋に過ぎた。

 

胸の奥で起きた揺れが、肩から肘へと伝播した事に、レイは料理の手を止める。

 

「(このままでは、ダメ……)」

 

IHヒーターの電源を切り、調理器具を作業台に置いたレイは、水道のレバー式蛇口を6割強まで解放。無色透明な流体は勢い良く流れ、排水溝へと消えていく。

噴き出し口から底面までの人工滝は、激しい流速に反して静かに光を透過している。

シンクの縁に手を着いたレイは水柱に、己が深層心理に深く根付く、光と水とが漂い揺れるイメージを重ね合わせた。

そしてごく短期間で――ある種の超常的な交感もあったとは云え――レイの心に根を張った少年を模倣。息をゆっくりと吸って、ゆっくりと吐き出す深呼吸を1つ。

 

「んん…………」

 

葛藤は水底に沈み、精神は凪ぐ。レバーを戻し水を止めると、レイは託された仕事を再開した。

 

 

 

レイの手による少し遅めの夕食後、冷蔵庫から出してきたHDブランドアイスと緑茶が、それぞれの前に置かれていた。

店舗側のサービスで付属された木製サジで、ショコラテイストのカップアイスを掬ったアスカは、視線をオーソドックスなバニラフレーバーを楽しんでいる少年に向けた。

 

「ぱく…………で、一応今日の目標(ノルマ)は達成したとは云え、こんな風にのんびりして良いのかしら?」

 

既にレベル2での得点が90を超ており、シンジは半刻前「心の持ち方1つでここまで変わるとは」と内心評している。

冷えた口内を暖める為に、シンジは緑茶を傾ける。マグカップには『KNP』の文字列に、細身の猫科肉食獣のシルエットを合わせたデザインがあしらわれていた。

 

「食べて直ぐは動きたくないって云ったクセに……それと行儀悪いぞ」

 

モゴモゴしながらスプーンで人様を指す行為に目を細める。だが、マナーの悪さを指摘されたアスカは悪びれもしなかった。

 

「食事直後の運動が身体に悪いってのは事実でしょ。それと対策無しにレベル3に突っ込む気?」

 

2人とも食後に多少激しい運動をした位で気分が悪くなる程、内臓が柔ではないが。

 

「対策ね、さっきまでの調子なら必要なさそうだけど……強いて云えば曲調もランダムになるから、逆に曲を意識しない方が上手く行くよ。レイと踊った時に思ったんだけどね」

 

少年が自分の名を紡いだ所為だろうか。ゆったりと、しかし機械的に正確なリズムでミントフレーバーのアイスを口に運んでいたレイの手が止まる。

レイはひとまずスプーンをカップの内壁に立て掛け、水滴と紫陽花を彩った瀟洒な模様のマグに手を伸ばした。

 

空となった紙製カップに用済みの木匙を放り、緑茶で口内を整える。

 

「さて、今回の使徒(イスラフェル)だけど……今の戦術(ユニゾン)だけで充分だと思う?」

Nein(ノン)2体(てき)が同じ動きをするとは限らない以上、想定外の事態に脆弱性を晒すわね。ま、私にしてみりゃ何の問題も無いけど」

「相変わらず頼もしいね。まあ、敵がバラバラに動いても、殲滅(やるコト)支障(かわり)はないけど」

 

真に必要な事がトドメの2点同時攻撃である以上、ユニゾンに拘る理由は無い。鷹揚に頷くアスカへ、シンジは問いに隠れた第2解を仄めかす。

 

「それに、ユニゾン攻撃には致命的な穴が在る」

「致命的な、穴?」

 

落とし穴の存在を断言するシンジに、アスカは作戦の順調な推移を仮定してシミュレート。

 

弐号機と初号機の動きを揃える事で、分裂した敵の動きを限定。2体へと連鎖的にダメージを与える流れに誘導。隙を作り出してウィークポイントに同時攻撃を――何か見落とした気がする。

作戦の要旨は2体を同時に封殺する事だ。その上で必然的に発生する事――敵はどんな状態になる?

均等にダメージを与えられつつ追い詰められたら…………。

 

「SS機関(ドライヴ)の同調稼動か」

 

僅か3秒で正解へと至ったアスカを、不敵な微笑と小さな頷きで迎える。

 

「2乗化条件が許す誤差がどの程度かは判らないけど、コアに掛かる負荷が近い量になるのはゾッとしない」

「で、そこまで分かっていながら、アンタはこの3日を浪費した訳? 無意味な訓練でアスカ(あの子)を傷付けてまで……」

 

返事によってはタダじゃ済まさないと低音で滲ませるも、アスカの無意識下にあった期待――予感は応えられた。

 

「フィニッシュでの連携が必須な以上、訓練にデメリットは無いよ。それにユニゾンが失敗しても問題無い。君は1対1なら負けないんだ、なら僕がもう一方を抑えてしまえば勝算はある」

 

遠回しの賞賛と信頼に、アスカの胸が高鳴る。豊満な体積(にく)に隠れた心臓を突かれ詰まらせた彼女の様子を、続きを促していると解釈したシンジは予め用意していたラップトップを引き寄せた。

 

「デュアルソー、こいつを使う」

 

両面モニタタイプのノートの背面パネルに映った武器(もの)は、アスカの美的感覚における許容限界ギリギリの代物だった。

 

大型破砕兵器デュアルソー。チェーンソーの刃を平行に2つ並べただけに見える無骨な凶器は、マステマやサンダースピアと同時期にロールアウトされた正真正銘の秘密兵器である。

いかにも単純な外観であるが、フレームに沿って高速回転する刃の1つ1つがプログナイフと同じ高周波振動刃であり絶大な攻撃性能を有する。

更に左右の回転を逆にする事でより破砕力を高め、無数の刃によって使徒の肉体を粉砕し、その自己再生を阻害する効果があるとされる。

 

「まずデュアルソー(これ)を一方のコアに叩き込んで動きを止める。その間に、君が残った方のコアを破壊すれば殲滅出来る筈だ」

 

夕方前、カエデが本部へと戻る際に頼んでおいたMAGIでのシミュレーション――さっき届いた結果が正しければ、と付け加える。

 

「用意の良い事……(にしても、危険な役割を自分から買って出て、美味しい処(ラストアタック)を譲る……か)」

 

加重攻撃と同等の効果があると計算された、デュアルソーを用いたコアの連続破砕。ただでさえ取り回しの悪い重量装備、加えて破砕攻撃中はほぼ無防備になる事。

操縦技術への自信と度胸、そして仲間への信頼が揃わなければ易々と出来る事ではない。だが、恐らく彼は冷静に情報を吟味し、可能だと判断したのだろうとアスカは思った。

 

「処で、もしユニゾンが上手く行ってたら、どうするつもりだったの?」

「基本的には変わらないさ。ただ『1VS1×2(・・・・・・)』が『2VS2(・・・・)』になるだけだよ。それに……他人へ合わせる為にレベルを下げるなんて、お互い柄じゃないだろ?」

 

確かにアスカ(じぶん)もそうに違いないと、アスカは笑みを溢す。自由に戦えないのは息苦しいものだ。

ただ、シンジの考えは少し違い、型に押し込める様なスタイルに依って、自分達の持ち味が殺される事を嫌ったのだが。

 

「ま、付き合いの浅い僕らが2VS2をやるなら、ユニゾン位出来ないと話にならないよ。全開まで飛ばす事を前提に、お互いの動き(リズム)にある公倍数と公約数を洗い出して、そのタイミングで連携するんだから」

「それ、こんな組み体操モドキなんかより、よっぽど性に合ってる気がするわ」

 

最初からそっちにすれば良かったのに……とアスカは思うが、本来の作戦と比較して遙かに高いセンスが要求され、ともすれば足を引っ張り合って自滅は必至のハイリスクな戦法。

だが噛み合えば、通常の最大稼動(フルパワー)を超える怒濤のスピードと、途切れ目のない激烈な攻撃力を発揮するだろう。

しかも極端な話、技倆(センス)さえ伴えば、即興での連携すら不可能ではなく……自分達なら――年上の妹(そうりゅう)でも――下手をするとユニゾンより容易に完成したかもしれない。

 

 

食後の時間(ミーティング)も終わり時刻は夜8時過ぎ、小児なら眠くなる頃だが、中学生ともなればまだまだ宵の口だ。

アスカは円い掛け時計――自分の部屋にも同じ物があったから備え付けか――をチラリと見て、曖昧な色を表した。

 

「なんか、中途半端な時間ね」

「ハハ……確かにね。今からレベル3を始めても、寝る時間までに終わらせるのは難しいだろうし」

 

夜を明かす覚悟で臨めば、充分にクリアは可能だろうが、寝不足は確実。

 

「そうね……睡眠不足は美容の大敵よ、本日は訓練終わり!」

「OK、今日はこれでお開きにしよう」

「ウンウン…………え?」

 

意に添った結果に満足顔で頷いたアスカは、意外そうに目を丸くしてシンジを見返した。

 

「半端な処で中断するのが嫌なだけだよ。それに式波(きみ)惣流(かのじょ)は別人でも、基本的な部分(こきゅう)は同じなんだろ?」

 

彼女にしては珍しく頓狂な表情を見せた事に、シンジは楽しげな様子で補足説明。

 

「――と云う事は、君も3日間一緒に訓練で、僕の呼吸を無意識に覚えたって事だ。でないとこんな短時間で息を合わせられ(Lv2をクリア出来)る訳がない」

「…………フン、柄にもなく自分達を過小評価してたみたいね。ファーストプランを反故にする以上、それに拘る必要はないか」

 

『自分達』に含まれるのは何処までか……憮然とした声色に反して、その口元は緩んでいる。矛盾の理由を探して沈黙したアスカは、殊更ゆっくりと口を開く。

 

「ねぇ、アン……い……」

「シンジくん」

 

囁くような声音に反して通りが良い呼び声が、途切れがちな言葉を遮った。

 

「ぁ、レイ……」

 

清廉な鈴の音を連想させるレイの声に、それまでのアグレッシヴな熾火色から一転、穏やかな明星色に相転移(こえがわり)

その少年の声に「なぁに?」と云うニュアンスを感じ取ったレイは、中途半端に口を開いているアスカを後目に続けた。

 

「お風呂、沸いたわ」

「(コイツ、人が話てる時に……ん、沸いた?)」

 

話に割り込まれた事は不愉快だが、アスカの価値観ではまごついた自分が悪い。それ以上にレイが告げた事への興味が怒りを上回った。

風呂(Bath)と云う主語に、沸かしたと云う動詞が結合したって事は……バスタブにタップリの湯が満ちていると云う事だ。

 

アスカの習慣上、バスタブはシャボンを満たして身体を洗う為の物であり、肌荒れを避ける為にも長時間浸かってヌクヌクする物ではない。

しかしホテル(スイート)の浴室に設置されたゆったりとした湯船は、アスカの価値観を根本的に変革せしめた。

それまではシャワーだけで済ます事も多かった行水から、指がふやけるまで入浴を愉しむ様になり、備え付けのアロマオイルは全種類を試した。

しまいには大浴場に足繁く通ってスキニーディッピングを行うまでに至った。尤も遊泳禁止の標識を発見して自重したが。

さて、来日間もなく大の風呂好きに変貌したアスカだが、実は一度も新居の浴槽に湯を張った事がない。入居してから慌ただしかった事もあるが、風呂の用意や掃除が面倒であった事の比重も決して小さくない。

だがここに、既に用意された湯――しかも脚を伸ばしても余裕がある!――があるのだ。これを逃す手など無い。

 

 

かなり無理矢理に――しかも人様の家での――入浴を取り付けたアスカの所業に、某女史に近しい臭いを感じたが、家の主人(シンジ)は敢えて地雷を踏む事もあるまいと、喉から出掛かった抗議を嚥下。

アスカは風呂場の様子を見に行き、シンジとレイはリビングに残されている。

 

「(確かアイツ……)長風呂だった気がする」

 

初戦の翌日、シャワーを譲った時の事を思い出し、しくじったかと数分前の判断を呪う。

シンジが先に入れば良い話に思えるが、アスカの性格からして屁理屈を捏ねてでも一番風呂を譲らないだろう。

どうしたものかと、げんなりした表情で思案する少年に、その小さな諦観を良しとしない少女が合理的な案を掲げる。

 

「シンジくん……お風呂、一緒に入りましょう」

「うん、そう――」

「ヲイ!」

 

鼻歌交じりで視察(フロ)から戻ってきたアスカは、義兄妹のやり取りを聞いて、上機嫌から転げ落ちた。彼らで腐的(ステキ)な妄想をしたと云う――主人格(そうりゅう)共々意識的に封印していた――記憶(くろれきし)を呼び起こされ、アスカは目を剥いて待ったを掛ける。

 

「ナニ云っちゃってんのよ、アンタら!」

 

堂々と混浴宣言する2人に声を荒げた客人を、家主達は不思議そうに見返した。

 

「何なんだよ、急に……」

「…………」

 

彼らの態度に絶句しかけたアスカだが、持ち前の機転の良さを発揮し、頭痛を堪えながら一般常識を叫ぶ。

 

「だ……男女の風呂が一緒とか、有り得ないでしょうが!」

「…………あ」

 

それに漸くシンジだけは合点がいった顔をした。今更ではあるが……羞恥心が希薄なレイとの生活に、すっかり一般的な感覚が麻痺していたらしい。

朱に交われば赤くなると云うが、白沙(いと)に漂白酵素が含まれていたらどうだろうか。逆に赤布の色が抜けて、白くなるだろう。

シンジは己が失念に気付いたが、そもそもの原因たる少女は依然として健在である。

 

通常(アスカ)の感覚で、男子を押さえてしまえば万事解決とは成らない。大元が残っている以上、気を抜くには早い。

 

「シンジくん……わたしに背中ながさせて――」

「まだ云うかッ!!」

 

思わずゲンコツを振り上げるも、普段の3割増で反応した少女の守護者に、あっさりと取り押さえられる。

 

「■■■■――――!!」

 

発散(かいほう)出来ないストレスに乙女としてあるまじき奇声を上げるアスカを、「はて、な……」とレイは首を傾げて見詰めた。

 

「…………3人で入りたいの?」

「は……?」

 

思考回路のエラーで2秒程アスカはフリーズ。バグを送り込んだ張本人(レイ)が、そのコード内容たる少年に秋波を送る様を見たアスカの少女的直感(ガールズセンス)は猛烈な警鐘を鳴らす。

 

これ以上レイに口を開かせてはならない。アスカは咄嗟にレイの手を掴む(今回、妨害は無かった)。

 

「……?」

 

再び首を傾げる――その仕草がまた悔しい位に愛らしい――レイを、問答無用で風呂場へと引き摺っていく。少々狭くなってしまうが致し方ない。

この天然2人を放置したら、なし崩しにシンジに肌を晒す羽目(3P的なこんよく)になりそうだった。




数年前に書き上げていたストックを放出させて頂きます。

当時のマイルールとして、感想返信は次話投稿時と決めていた為、何名の方には返信が出来なかった事を、この場を借りてお詫び申し上げます。


アスカの銃
当初から使用銃はドイツ製、H&Kかワルサーと決めていました。他の候補として、P2000やP99など。
ネルフにおいてはUSPの使用率が比較的高く、また彼女がミサトの進化系=同系統のヒロイン(暴論)である点から、USP後継の1つであるP30に決定しました。

レイの銃
ネルフ女性職員の使用率が高いベレッタM84のシングルカラムモデルです。
他候補はP2000SK(H&KP2000のサブコンパクトモデル)など。


アスカの秘密
実は男性ホルモン強くて剛毛(アスカファンに殺されるなw)
では無く、2重人格である事がSG<シークレットガーデン>となります。
アスカって惣流と式波の2種類? だよな。そうだアレルヤ・ハレルヤみたいにしよう。
多分、エヴァSS界隈において、惣流と式波の両方を出し、挙句に彼女たちを2重人格の設定にする。
こんな暴挙をしているのは私くらいだと思ってたり。

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