特殊能力も、恵まれた身体能力もない冴えないサラリマンから見たヘルサレムズ・ロットの日常の物語。
ここ
しかし、今のこの街に住んでみればそれも大仰でないことが分かるだろう。紐育が紐育であったのは、もはや霧の彼方にしかない昔の出来事であるのだと嫌でも実感する。
今やここ、かつての紐育は異界と現世が混じり合い。今後千年の覇権を占う都市とすら呼ばれていた。異界の怪物や化け物が跳梁し、それに負けず劣らずな
何処よりも進んでいて、どこよりも危険で。毎日が
そんな危険極まりない街ヘルサレムズ・ロットではあるが、そこにも確かに人の営みはある。何もかもが変わってしまったこの都市でも変わらずに子供の為に働く父親だっている。
その父親の名はエリック・ノーランド。男手ひとつ娘を育てるサラリマンである。今日もまた娘の為に父は働く。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
エリック・ノーランドの娘セシリー・ノーランド。父親に似ず将来は非常に美人になること自他共に請け負いの少女が朝起きてまずやることは身だしなみを整えることである。
レディーとして当然のように、さながら毛虫の如く眠りの中で乱れた己の癖の強い父親譲りの金髪をなんとか見られるように整えて、顔を洗い可愛らしい寝巻から少しだけ背伸びした普段着に着替える。
一度姿見の前でくるりと回って見せて、問題がないことを確認。そこで満足すると朝の支度を始める。具体的に言えば朝食の準備だ。
父の分と自分の分。物心ついてからは毎日朝早くに起きてやっている。覚えている限り、父であるエリックの作る料理というものは愛情という補正を加味しても食べられたものではなかったからだ。
セシリーが初めて喋った言葉というのが「パパの料理まずい」という一言なのだから、そのまずさが分かるというものだろう。その言葉で数日、エリックは寝込んだのだが、娘としては子供の頃のことであるし、本当にまずかったのだから仕方ない。
そういうわけで、料理はセシリーの担当。それによって食事状況は彼女が料理を覚える頃にはなんとか改善した。その手つきは実に手慣れたもので、サクサクと朝食を作って行く。朝は簡単だ。トーストを二、三枚、エリックは朝も良く食べるので少しばかり多めに焼いて、ソーセージにスクランブルエッグ、それとサラダという単純なものを用意する。特に大変ということもない。
「よし」
出来上がれば朝のメインイベント。男女共用で使えるような可愛げの少ないエプロンを椅子に掛け、気合いを入れてエリックの部屋に向かう。
建付けが悪いのか半開きになった扉からは微かないびきが聞こえている。ベッドと仕事机、パソコン、書棚と言った必要最低限の家具しかない部屋。
趣味らしい趣味のものとしては、カメラくらいのものだろうか。壁に貼られたわずかな写真に映っているのは一人の女性だ。
日系人の女性。すらりとしていながら、出るところは出ているという凄まじいお得感溢れる女性だ。如何にも出来る人という風な写真が多いが、時々お茶目な写真もある。
そんな素敵な女性は誰なのか。答えは単純だ。エリックの妻にして、セシリーの母親である。綺麗なストレートの髪が非常に羨ましい。あとスタイル。数年後にはそれくらいには成長してほしいとセシリーは願うばかりだ。今のところ外見で猛烈に仕事している父親の遺伝子が仕事しなければいいのだが、とかこの写真を見るたびに思っている。
ただでさえ父親譲りの髪で苦労しているのだ。ブラシを通せば、すぐに絡まって痛い。朝目が覚めると爆発しているようになる。直すのにかなりの時間を要するのだから、本当勘弁してほしいところ。だから、せめてそれ以外は仕事をするのはやめてほしい。
そんな益もないことを考えつつベッドで眠っているエリックを起こす行動へ入る。まずは、窓のブラインドを開ける。光と共に、霧が煙る街が眼に入って来た。今日も今日とて甲虫型の飛行生物だとか、巨大生物だとかが、高層ビルを崩しながら移動していたりしている。
そんないつも通りの光景をよそに、こちらもいつも通りに仕事をこなす。深く息を吸って、
「起きろー!!」
と耳元で叫ぶ。それから滅茶苦茶に揺さぶる。
「早く起きなさーい!」
「うぅ、ああ、おはよう、セシリー」
「起きた? 起きたわね。なら早く顔を洗って、髪を整えて着替えて。今すぐ。ハリーハリーハリー!」
「ますますママに似てきたね、その言い方。パパ嬉しいよ」
そんなこと言う前にさっさと行く! とローキックかましつつ、エリックを洗面所に追いやる。その間にエリックの汗の匂いがするベッドを整えて、消臭剤を散布。
「よし」
「セシリー着替えはー?」
「いつものとこー」
洗面所からそんな声がしたので、答えてセシリーは食卓へ戻る。しばらくすれば、エリックが姿を現す。よれた寝巻姿から、よれたスーツ姿に。多少はマシになったとは思うが、だらしがないことにかわりはない。
「ほら、しゃがんで、ネクタイ曲がってる」
「ああ、ごめんごめん」
「もう、しっかりしてよね! 私が学校で笑われるんだから」
「それについては、本当にごめんね」
「本当よ。じゃあ、早くだべちゃって。片付けてから出たいから」
「いつもごめんね」
「それは言わない約束。あと、パパに何かさせると面倒になるから」
ますますごめんね。といたたまれなくなるエリックではあるが、いつものことである。朝のニュースを見ながら朝食。食後のコーヒーとジュースまで出して、エリックは新聞。セシリーは片付け。
良い時間になれば、
「じゃあ、行こうか」
二人して家を出る。エリックは仕事へ、セシリーは学校へ。スクールバスまでエリックがセシリーを送る。やはり、いつものように冴えない彼に対して言う奴はいる。このヘルサレムズ・ロットで学校に通おうなんていう連中なのだから、それくらいは言うような奴らだ。特に異界人の子供はその毛が強い。
それに対して、何も言い返さないエリックもエリックなのだが。
「いってらっしゃい」
そう言って出発するバスを見送ればエリックも職場へと向かう。地下鉄で数駅先。今日の生存確率は67%。それなりの数字に満足しつつ、それがデッドゾーンを切る前に降車。あとは歩いてオフィスまで向かう。
「よォ! エリック、今日も早いな。娘さんは元気してるか?」
オフィスに入ってすぐに陽気そうな黒人の男がそう言う。
「元気すぎるくらいだよ。最近ますますママに似て来て」
「あー、自慢かこの野郎! 毎日毎日自慢しやがって」
「いや、そんなつもりはないよ、ボリック」
「あーあ、俺も嫁さん欲しいぜ」
そう言って嘆きつつも笑みを絶やさないあたり陽気だ。
「ははは、君ならそう遠くないうちに結婚できるさ」
「そう言われ続けて一行に嫁は来ないんだがな」
「さて、今日も仕事仕事」
今日も今日とてサラリマンは仕事である。例え、この街のどこで何があろうともサラリマンの本分は仕事。ビジネス! 娘の為に頑張るのである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「エリック、そろそろ飯に行こうぜ」
「そうだね。今日は外に行くのかい?」
「おうよ。良いだろ? たまには」
「そうだね。行こうか。でも、まともな店にしてくれよ。僕じゃ食べられないものとか多いからね」
「ばっかだなぁ、そういうのがいいんじゃねえか」
ボリックは食通だ。異界原産の料理なんかを好んで食べる変わり者。このHLのうまい店の全てを知っていると豪語しているほどだ。
食うためなら食われることも辞さない。そんな彼とエリックが向かったのは、馴染の店のダイアンズダイナー。娘ともよく来る店だ。
「いらっしゃい」
看板娘のビビアンが入ってきた二人に対してそういう。昼時ともあれば空いている席は少ない。
「ここ、いいですか?」
「あ、はい、どうぞどうぞ」
エリックはカメラをもった少年の隣に座る。
「いやー、ビビアンちゃん、今日も綺麗だねー」
「アハハ、お世辞いっても何もでねぇぜー」
「本音だって、本音」
「はいはい、ご注文は? いつもの?」
「おう、俺はそうだ。エリックは?」
「私もそれで」
「はいよー」
注文通りの品が運ばれて来て、それを食べているといきなり隣の少年が、
「待て、この猿うぅう!!」
と叫んで走り出してしまった。
「なんだったんだ?」
「さあ?」
ボリックと二人してわけがわからんと唸っていたのだが、答えは店の中にいた異界人が教えてくれた。
「音速猿だな」
「ああ、カメラ取られるとこ見えなかったしな」
音速猿。音速で動くと言われている小型の猿の姿をした異界交配動物だ。人間はおろか異界の一般住人でも視認することが困難な速度で運動する反面、骨格は脆い。
「あの少年も運がないな」
「そういうなよボリック。しかし、それならなんで彼は見えたんだろうね。猿って言ってたってことは見えていたんだろうし」
「あ、そりゃそうだな。なんなんだろうな」
「とりあえず、そんなことよりそろそろ昼休みが終わるから、戻ろう」
支払いを済ませて店を出る。どうやら危険な銀行強盗が出たのでその道を外して少し遠回りになるが安全な道を通って会社へ戻ると、会社にあるテレビ画面が一人の男を映し出した。
「ごきげんよう、ヘルサレムズ・ロットの諸君。私だよ。堕落王フェムトだ」
騒々しい声で
異常極まる超越者。あらゆる魔法を極め尽くした人外のモノ。このHLにおいてもっともはた迷惑な暇人の一人。
堕落王フェムト。超常の魔導を極めた怪人。気分1つで世界を滅ぼせるだけの男がテレビの映像の中で楽しそうに今日も世界の危機だよー、と宣告するのだ。
「どうだい諸君、最近は? 僕は全く退屈しているよ」
退屈で退屈で死にそうだ。なにせ、お前ら普通過ぎる。そうまるで他愛もないおしゃべりをするようにフェムトは言ってのける。
ツマラナイ。だから、面白くしよう、ってね。
「そういうわけで、僕は遊ぶことにしてしまった。ごめんね。これも君らが普通過ぎるのがいけないんだよ」
そう謝りながらもまったく悪いとは思ってもいないのだろう。少なくともあるのは喜色だけだ。
フェムトの放送が新たな中継を映し出す。護送されている銀行強盗。
その背中がぱっくりと割れて現れる
それが現れた瞬間全てが両断された。
「さて、そういうわけで今回のゲームのルールを説明しよう。君達が見ているその邪神は、僕の精巧な術式をもって、半分に割ったまま生かしてあるものだ。凄かろう。まあ、半分でもご覧のとおり」
大暴れ。まったく衰えた様子もなく、そこらにあるものを片っ端から真っ二つにしまくっている。おお、大変だと心にもないことをフェムトは言っていた。
「気になるのは残りの半分がどうなったか。当然、どこかにあるに決まっているだろう人類諸君。今もこの街のどこかで絶賛召喚中さ。こいつがもう半身を得て合体したら――――おお、考えるだけでも恐ろしい」
ああ、怖い怖いと心底から愉しげに、フェムトは笑う。
「というわけでゲームさ。ルールは単純明快。半神が合体する前にどこかにあるゲートを発見し、破壊してくれたまえ。制限時間は117分だ。
ああ、これはフェアなゲームだよ。君らにもきちんと勝機がある。ゲートのある場所ではある現象が起きるのさ。とてもわかりやすい現象がね」
残りの半身の居場所を示す号砲が、HL全域に鳴り響く。
――巨大ビルの一棟が、真っ二つになった
「おお! 面白い場所で開いたようだね。そう、君らはあの真っ二つパーティーを追えばいいのさ。そこにゲートはある。
さあ人類の代表諸君! 全力を尽くしたまえ! 僕を退屈にさせないでくれよ」
それを最後にぷっつりと映像は切れる。そして上がるのは悲鳴だったり歓喜の笑いだったり。街中がお祭り騒ぎだった。
誰が最初にゲートを見つけるのか。あるいは半身が見つけて合体してこのHLを包む結界を解いてくれないだとか、そんな期待。
ともかく、街中が馬鹿騒ぎを始めていた。聞こえる声にはライブラの人狼が猿を追いかけているだとか。猿がゲートだから、ぶっつぶせだとか。
警察組織がミサイルぶちかましてたり、パワードスーツ部隊がたった1人の男にぶち壊されまくっただとか。騒がしすぎるほどに騒がしい。
治安維持組織による絨毯爆撃で通りは真っ赤っか。爆炎が色々と燃やしているし、建物は倒壊し放題。ここが壊れていないのが奇跡的だった。
「うわぁ、大変だ」
「おいおい、まったく災難だぜこりゃ。どうするよエリック? 今日は仕事は終わりだとさ」
「それなら、セシリーを迎えに行くよ。迎えに来てくださいって連絡あったし」
「おーう、気を付けろよ」
「ボリックもね。こういうとき、陽気な黒人は死ぬってのが映画でのお約束だし」
「ハハハ、お前こそ、こういうとき一番に死ぬ一般人だろ」
違いない。そう言いながらエリックは、オフィスをあとにしてこんな時でも健気に働いているタクシーに乗って娘の学校まで向かった。
その後、無事に娘を保護し家に戻る頃には誰かの手で事件は解決したらしい。
ただの一般人エリックから見たヘルサレムズ・ロット。
思い付きなので続かないです。
ただし、評判次第