ベルの大冒険   作:通りすがりの中二病

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葛藤

食堂奥の休憩室にて、リューは頭を抱えていた。

頭の中は凍結する様に固まっていて、口の中はカサカサに乾ききり、胸の中では鉛の様に重くどんよりとした感情が沈殿して、その重さに比例する様に心臓が早鐘を打っていた。

その根源は、後悔と罪悪感

胸の奥から湧き上がってきている罪悪感に、リューの心と頭は完膚無きまでに打ちのめされていたからだ。

考えるのは、昨日の路地裏での一件。

自分への追手と思わしき少年と、一戦交えた昨夜の一件。

――やってしまった――

――とんでもない過ちを犯してしまった――

今のリューの心境を簡潔に表せば、正にこんな感じだろう。

全ては自分の勘違いだった。

あの少年は、自分の件とは全く関係のない人物だった。

たまたま偶然と誤解が重なっただけで、あの少年は本当に何も関係のない人物だった。

そして、その少年に対して自分は何をしてしまったのか?

夜道の中追いかけ回し、路地裏で襲い掛かり

相手を幾度となく得物で殴りまわし

相手が出血し骨がヘシ折れるまで、ただひたすら殴り続けた。

事の詳細を思い出す度に、胸を抉る様な後悔が押し寄せてくる。

殺すつもりはなかった、事実を確かめるのが目的だった…そんな事は、言い訳にもならない。

身勝手な理由で、あの少年に狼藉を働いた事実は変わらない。

――もっと冷静になっていれば――

――もっと周りと相談してたら――

――もっと考えてから行動していれば――

そんな風に、絶え間なく後悔が押し寄せてくる。

下手をすれば、本当に取り返しがつかない事をしていたかもしれないのだ。

その事を実感する度に、リューは自分の頭皮が剥げ落ちる程に掻き毟りたくなり、額が割れるまで頭を壁に打ち付けたくなった。

店の皆に迷惑を掛けられないと、息を巻いておきながらこの有様。

惨め無様を通り越してもはや道化…否、もはや自分と比べる事自体が道化にも失礼だ。

そんな状態が何分続いただろう?

気が付けば、対面の席に店主のミアが座っていた。

「――アンタの『一夜の過ち』には色々と言いたい事があるけど、アンタのその様子を見る限り必要なさそうだね…」

 

既に朝の時点でリューはミアを初めとする同僚達に、昨夜の一件を話してあった。

リューとしては、本当はソレを最後の挨拶にする予定だった。

しかしシル達に強く止められ、ヘルメスの探りの結果が出るまで『保留』となったのだ。

「…まあ、普通に考えて…夜中に得体の知れない輩に尾け回されりゃ、ギルドにしょっぴきたくなるのも当然だわね」

「…はい」

「店に居た時から視線を感じていたんなら、当然あの時店にいた誰かだとも思うわけだ」

「…その通りです」

 

結果、昨日の少年は完全なる白…自分の過去とは全くの無関係の人間だった。

 

「ミア母さん、私は――」

「店を辞めて出て行く、街から出て行く、その手の事を言うつもりなら聞かないよ」

「………」

「私の店はね、リューの過去一つでどうにかなるほどヤワじゃない。アンタを途中で放り出すくらいなら、初めて会ったあの日にそのままギルドに突き出してる。この店にいる奴らだって、大なり小なりワケありの連中だ。その事で今更どうこうしても仕方がない訳だしね」

「………」

「勿論、リューがその上で考えた事なら私ももう止めないさ…でもね、勝手に一人で暴走してただの誤解で無関係の坊主にしちまった事に、何のケジメをつけないままでいる事だけは絶対に許さない。場合によっちゃ、アンタをこの場でフン縛ってギルドに直行して、今までの事を洗いざらい白状してもいい」

「!? ちょっと待って下さい!そんな事したら――」

「二人揃って仲良く牢獄行きだろうね 、でもこのまま自己満足にすらならない事を黙認するよりは大分マシさ。

それにコレを放置しておいたら、アンタはいずれまた同じ事をしちまうかもしれない…そしてその時こそ、本当に取り返しのつかない事をやっちまうかもしれないしね」

 

射抜くようなミアの視線に晒されて、リューもまたじっとその視線を受け止める。

そのミアの言葉は虚仮やハッタリではなく、本気の言葉である事を悟る。

何よりミアは自分の事を心から案じている事を感じ取り、改めて自分のしでかした事の重さを悟る。そして場が再び静寂な空気に包まれかけた時、不意に休憩室のドアが開いた。

「立て込んでいる所、ちょっとお邪魔するよ」

 

ドアから現れたのは、黄橙色の髪の男神

ミアが事の詳細を探るために依頼した、神ヘルメスだった。

「ちょっとリューちゃんの様子が気になってね、『お花を摘んでくる』と言って抜けてきたんだ…その様子じゃあ、大分堪えているようだね?」

「言い訳はしません。自分がどれ程の事をしでかしたのかは、解っているつもりです」

「フム。店主としては今回の一件、どう考えているかな?」

「従業員が勝手にしでかした事…なんて、責任逃れをするつもりはありませんよ。何かしらの形で、しっかりあの坊主には侘びとケジメをつけるつもりです」

「フムフム、成程」

 

両者の言葉を聞いて、ヘルメスは頷いて顎に手を当てて考える。

少しの間、そのポーズを取り続けて再び二人に視線を置く。

 

「ここで一つ提案しよう。この一件、俺に預けてくれないかな?」

「「…はい?」」

 

不意の提案に、ミアとリューは同時に疑問の声が漏れる。

そんな二人のリアクションを受けて尚、ヘルメスは言葉を続ける。

 

「実は件の少年、ベルくんって言うんだけどね。この店の料理を大層気に入っているみたいなんだ」

「……?」

「二人がどういうケジメの取り方を選択するか、俺には解らない。ただ確実に言えるのは、ベルくんに事の詳細を告げるという事なんだ」

「――まあ、それがケジメって奴ですからね」

「恐らく事実を知れば、ベルくんはこの店に入りにくくなる…下手をすれば、店から圧力と脅しを受けていると誤解されかねないんじゃないかな?」

「いや、流石にそんな事は――」

「無いって言い切れるかな?」

 

そのヘルメスの言葉を聞いて、二人は押し黙る。

事の始まりは一つの誤解からだ。ならばもう一度同じ事が起きる可能性は、当然考慮しなければならない。 

 

「まあ結局の所、今のままだと誰も得をしないのさ。ベルくんは余計な心労を抱えて、お気に入りの店に来にくくなる。リューちゃんは自身の安全、ミアさんはお店の今後…他の従業員の娘やこの店のファンや常連客も、決して良い思いはしないだろうね…このままだと、この一件は皆が不幸になってお終いになっちゃうと思うんだよ」

「「………」」

「俺自身、この店はとても気に入っているし、あのベルくんも話していると中々素直で気持ちの良い子だったしね。出来れば不幸な結末は避けたい。ここまで関わった以上、俺だってもう部外者とは言えないだろうね。だから俺も少しお節介をさせて貰うよ」

「どういう意味、ですかい?」

「何、大した事ないさ。真実を告げても誰も得をしないのなら、告げる必要はないって事さ。

いずれ告げる事になるとしても、それは今じゃない。さっきも言った様に、きちんと筋道を立てて置かないと更なる誤解を誘発する危険があるからね…そしてその上で、しっかりとベルくんにお詫びをすればいい」

 

二人の視線がより一層強くなる中、更にヘルメスは言葉を続ける。

 

「ここで一つ、リューちゃんに確認しておきたい事がある。君から見てあのベル・クラネルはどういう存在だったかな?」

「どういう意味ですか?」

「俺は何も、考え無しでお節介している訳じゃないって事さ。その為には把握する必要があるんだ、君から見て彼がどういう風に映ったのかをね」

 

じっとリューを見据えて、ヘルメスは尋ねる。

そのヘルメスの態度に、ミアとリューは少なからず驚く。

普段は掴み処がない、どこか飄々とした態度をしているヘルメスがこの様に真剣な空気を纏うのは滅多にないからだ。

そしてリューもまた、昨夜の一戦を思い返して自分の印象を纏める。

 

「先ず思いつくのは、強いという印象です。

総合的な実力で言えばLv4クラス。また単なる肉体的な意味合いだけでなく、精神面でも並みの冒険者とは一線を画す屈強な精神力を持っている。それにあの少年は見た所まだ発展途上、体そのものが成長期に差し掛かっている年頃を考慮するに…将来的には『第一級冒険者』にも成り得る可能性もあると思います」

「ほほー、『第一級冒険者』とは大きく出たね。つまりはあのベル・クラネルは現時点で既に『千の妖精』や『剛拳闘士』に並ぶ実力を持ち、将来的にはかの『剣姫』や『九魔姫』『勇者』に届く器だと?」

「まあ、確かに。リューを返り討ち出来る程の実力なら、Lv3以下って事はないね」

リューの評価に、ヘルメスは驚きの声を、ミアは納得がいった様な声を上げる。

当然の事ながら、冒険者はレベルが上がれば上がるほどに強く、数が少なくなっていく。

オラリオ外の都市部では、冒険者を初めとする殆どの者達の実力がLv1であり、このオラリオでもLv2になれば『上級冒険者』の肩書きと、神会によって自身の冒険者としての『二つ名』が手に入る程だ。

それ故に、Lv2以上の冒険者の数はLv1の数に比べて劇的に少なくなり、それがLv4ともなれば上級冒険者の中でも『第二級冒険者』という位置に来る。

殆どの冒険者がLv1のまま挫折、或いは朽ち果てていく事実を考えるに、Lv4の実力とはそれだけでも驚異に値する物だ。

そして、リューの現役時代もLv4。嘗ては敵対ファミリアを単身で全滅させるという、偉業ならぬ『異業』も成し遂げている。

ステイタス更新こそ行っていないが未だその実力は健在であり、Lv3以下の相手なら軽くあしらえる実力を有している。

そんなリューと渡り合い、尚且つ撃退するに至ったベルの実力がLv4クラスというのも、ある意味妥当な評価だった。

「あくまで可能性の話です。それに可能性だけで言えば不安要素や危険要素もあります…例えば技術面、件の少年ベル・クラネルは恐らく今日まで『剣技』における教えを受けていません。

完全なる独学あるいは実戦で培ったモノ、肉体や精神に於いて強靭とも言える土台が出来上がっている事とは反面、技術がそれに追いついていない…実戦慣れと言えば聞こえは良いですが、やはり放置したままにするのは少々危険かと思われます」

「ん? でも師匠が居るって言ってた様な――」

「恐らく、戦士や魔法使いという型を超えた共通部分を鍛えていたのでしょう。先も言った様に、彼の肉体と精神の錬度は並みの冒険者を遥かに上回っている。恐らく件の師匠というのは、剣を得物としていないのでしょう」

「まあ確かに。最初に下手な型や自分に合っていない型をつけると、後で直す時に苦労するからね」

「成程成程、やっぱり直接ぶつかった人の意見は色々と参考になるね」

――流石はあの人の『義孫』であり、大魔王の『弟子』と言った所か――

 

「…ん? 何か言いましたか?」

「いいや、何も」

ミアが不思議そうな顔をしてヘルメスに尋ねるが、冗談っぽく肩を竦めながらヘルメスは否定する。

ミアもそれほど気にはならなかったので、「そうですか」と呟いて再び話が本題に戻ろうとした時だった。

不意にヘルメスはミアにその提案をした。

「少しの間、リューちゃんを借りてもいいかな?」

「…まあ、事情によりけりですけど」

「私も、別に構いませんが?」

 

二人のその言葉を聞いて、ヘルメスはニヤリと悪戯っぽく笑みを浮かべて

「――それじゃあリューちゃん、一緒にお食事会と洒落込もうか――」

 

 

(――どうしてこうなった?――)

ベル・クラネルは自分の現状を確認しながら、そんな風に心の中で呟いた。

自分を食事に誘ったヘルメスが『ちょっとお花を摘んでくるよ』と言って、一度席をたった。

待っている間は適当にテーブル上の料理を食べて、店の従業員の姿を見て目の保養をしたりと、そんな風に時間を潰していた。

体感時間で十数分程待っただろうか? ヘルメスが自分達のテーブルに戻ってきた。

――見目麗しい、金髪のエルフの美女を連れて。

そのエルフの顔にベルは覚えがあった、確かリューという従業員だった筈。

もしもこれが他の従業員と同じ様に、メイド服であったのならベルは特に驚いたりはしなかっただろう。

――リューが私服に着替えたりしていなければ。

これは後で聞かされる事だが、この店の従業員の仕事は基本的に『客と同席』まではしないらしい。そこまで客と従業員の距離が近いと、『色々』なトラブルが起きてしまうからだ。

故に、ミアの指示によってリューは一旦私服に着替えた。

私服姿ならそれはもう仕事でなくプライベート、プライベートで客として来店したなら例え男と同伴でも問題なし…それがミアの言葉だった。

仮にそれで何かしらトラブルが起きても『客同士』のトラブルなら店側の責任は軽い、また『客を守る』という名目で店員も遠慮なく介入できるからだ。

屁理屈の様に聞こえるが、この手の理屈はトラブル防止の効果が大きいとの事だった。

この時、口の中にあった食べ物を噴出さなかった事に、ベルは密かに自賛した。

半ば強引に水で口の中の食べ物を流し込んで、ヘルメスに事情を尋ねた所。

「ミアさんに頼んで、借りてきちゃった」

片目でウィンクして、小さく舌を出して『テヘペロ♪』等と言うヘルメスにベルは口を開けたまま呆けた様に固まった。

そんな固まっているベルを尻目に、ヘルメスは空いている椅子をベルの隣に寄せてリューに座るように促す。

「――失礼します」

流れる様な動作で一礼して、リューもその椅子に着席する。

先程のメイド服とは違って、今はの私服は至って普通の格好だ。

白い薄地の長袖のブラウスに、淡い水色のジーンズに茶系のパンプス。

恐らく、服自体は一般的な量販店のものだろう。しかし着る人間によっては、そんな安物の服でもブランド品に見えてくるのだから不思議である。

(……イイ、凄く良い……)

思わず呼吸を忘れてしまう程にベルの目が釘付けになるが、瞬時に頭をブンブン振って我を取り戻す。訳が分からない様子で、ヘルメスとリューに視線を交互させているベルにヘルメスはそっと近づいて

 

「――お持ち帰りできるかどうかは、ベルくん次第だぜ――」

 

などと囁き親指をグっと立ててヘルメスは席につく、その瞬間固まっていたベルの時間が動き始めた。

凍りついていた様に固まった状態から一転、ベルは瞬時に顔が熱を帯びていくのを感じた。

もしもベルがバーンに弟子入りする事がなく、どこにでもいる『普通の少年』として今まで過ごしていたら、もう少し異性に対して経験と免疫があっただろう。

しかし、そんな『もしも』は現実に意味を為さない。

 

大魔王に弟子入りして、早六年。特定の女性と親しい仲になる事はなく、年中無休で大魔王との修行に時間を費やしていたのだ。

故にそれ以降、ベルはこんな近い距離で若い女性と接した経験など殆どなく、精々が村祭りで一緒に鍋を囲んだり火を囲んで歌ったりした(バーンも参加)程度だ。

ましてやリューの様な十人いれば十人振り返る様な美人と、こんな近く接するのも人生初めての事だった。

「…ぁ、あ…あぅ…」

意味もなく訳も分からず、そんな力無い言葉が口から漏れ出る。

人生初のこの状況に、顔は紅潮して汗がじっとりと浮かび、頭は熱を帯びて脳が茹だっていく様な気分だった。

(…や、ヤバイ!い、いぃ一旦落ち着こう!――)

瞬時にその考えに至って、ベルは大きく深呼吸する。

師匠の教えの通り、窮地でこそ呼吸を整える――だがしかし、それはベルにとっての悪手となる。

肺に送り込むように呼吸をすると同時に、ふわりとその匂いがベルの鼻腔をくすぐったからだ。

(……何この人!すっごいイイ匂いがするんですけどおぉ!――)

 

アダマンタイトの拳で殴られた様な衝撃だった。

その不意打ちの衝動に、ベルの心臓が更なる早鐘を打ち脳に血が荒々しく駆け巡ってくる。

ベルの中で女の人の匂いとは、基本的に故郷の村の匂いでもあった。

それは農作業の土や草の匂い、季節ごとの作物の匂い、家畜の移り香や伐採された樹木の匂い、そんな匂いだった。

しかし、リューの匂いはそれとは根本的に違っていた。

爽やかで甘い、ふんわりとした柑橘系果物を思わせる様な匂い。

鼻腔から脳髄まで瞬時に浸透し、甘美な痺れが浸透していく様な酔い。

脳が奥から蕩けていき、体中の筋肉がだらしなく脱力していく快楽にも似た陶酔。

出来ることなら永遠に包まれていたくなる様な、そんな香りだ。

その効果たるや、田舎育ちの純情童貞少年にとっては正に猛毒、或いは劇薬そのものであった。

(……ま、マズい…何をどうマズいのかは分からないが、このままじゃ非常にマズい!……)

 

バクバクと心臓の音が聞こえてくる程に、激しく大きく鼓動している。

ベルの脳内に、訳も分からず危機感と焦燥感が充満してくる。

追い詰められた犯罪者はこんな気分になるのだろうか?

自分や師匠が狩ってきた悪党共もこんな気分だったのだろうか?

そういえば、昨日の襲撃者から奪ったあの銀棍は持ち帰ったままだけどどうしよう?

等など、意味不明な考えが浮かんでは消えていく。

(……そうだ、こんな時こそバーン様の言葉だ!……)

グルグルと回るベルの意識の中で、天啓にも近い考えが浮かぶ。

昨夜の戦闘においても、師の言葉を思い出したからこそ辛くも襲撃者を撃退できたのだ。

今までもこういう世間的なマナーや立ち振る舞いの授業も何度かあった、ベルはそんな師匠の教えと言葉を必死に思い出す。

そして、とある一つの教えを思い出した。

 

――婚前交渉の際、避妊は怠るなよ――

 

その瞬間、ドヤ顔をしているバーンの姿が脳裏を過ぎり『初めて師匠を殴りたいと思った』等と、つい考えてしまったのはベルだけの秘密である。

それとほぼ同時に周囲から『おい、剣姫だぜ』『大切断もいるぞ』等などの声が響いているが、ベルの耳には届いていなかった。

(……何というか、本当に絵に書いた様なお上りさんですね……)

自分の隣で顔を真っ赤にして、落ち着かない様にあたふたしているベルを見てリューは改めてそう評する。

ヘルメスの言葉に従って食事の席についたが、事態はリューの想像とは随分違う方向に傾いていた。

 

リューは自分の容姿がそれなりに目を引く、というのを自覚している。

冒険者時代は無用なトラブルを避ける為に、常に覆面かマスクで顔を隠していたが、この仕事をしてからはその事を一層強く実感する事になった。

『外見』も商売道具である以上、やはり男性特有の視線は毎日の様に感じていた。

あの全身を品評されているかの様な、粘ばつく様な視線。多少慣れたとはいえ、やはり露骨にそんな視線を向けられるのは気分が良いものではなかった。

――しかし、隣の少年からは一切そういう視線を感じない。

と言うよりも、それどころではない様だった。

恐らく若い女性との交流経験そのものが、この少年にはあまり無いのだろう。

この年頃ならそれなりに異性に興味が出始める頃だが、この少年はどうやら違う様だ。

目が合おうものなら瞬時に視線を逸らし、服の一部が当たろうものなら過剰なまでに反応し謝ってくる。

 

(……まあ、こちらはお蔭で大分落ち着けましたが……)

 

同席するまではリューもかなり緊張していたが、この少年の有様を見ている内に自然と落ち着いてきた。

昔読んだ書物で『どんなパニック状態に陥っても、よりパニックになっている相手を見ていると自然と冷静になる』という一文があったが、正に今の自分がそうだとリューは思った。

 

(……昨夜はあんなに勇ましかったのに……)

 

リューは心の中でそう評する。昨夜のこの少年は、正に戦士であり男だった。

あの戦気に満ちた眼光と覇気に彩られた表情、自分と幾度となく打ち合ったあの雄々しき勇姿はそう簡単に忘れられる物ではない。

しかし、今の少年は見ている此方が気の毒になる程に緊張し、動揺している。

 

――本当に昨夜と同一人物だったのか?

――本当は他人の空似ではないのか?

などとつい思わせてしまう程の初心な少年に、思わず苦笑してしまう。

同僚がこの少年を指して小動物と評していたが、確かに幼さが残る見た目も相まって震える様は兎の様だ。

そのあまりの落差。戦士の様に強く勇ましく、小動物の様に可愛らしい、二つの顔を持つ初心な少年。もしもこの少年の二つの姿を見る順番が逆だったら、胸を射止められてしまう女性もいるかもしれない。

だがリューにとってはその余りにも激しいギャップは、どこか可笑しく愛らしかった。

よく同僚が『ギャップ萌えが~』と言っているのを耳にする事があったが、恐らく今自分が感じている『コレ』がその手の感情なのかもしれない。

「………」

 

しかし、いつまでもこんな状況のままではいられないだろう。

ヘルメスにどんな思惑があるのかは知らないが、このままではやはり良くないだろう。

謝罪するにしてもケジメをつけるにしても、今のままでは少年の耳には何も届かないだろう。

ならば、この少年には最低限正気に戻ってもらう必要がある…そうリューは判断したのだが…。

 

「――――」

 

対面のヘルメスに何とかする様にリューはアイコンタクトを送るが、帰ってくるのは意地悪気な微笑のみ。

どうやら現状において、ヘルメスは傍観者で通す様だ。

 

二三度声を掛けるが、あまり効果がない。

さて、それじゃあどうしよう…と、リューがそう考えていると目の前に置かれているグラスが目に入った。

グラスの中身は何の変哲も無い氷水。グラスの表面には細かな水滴が付着し、ツツっと雫となっている。何となく、ソレを持ち上げて

 

「――てい」

 

わざとらしく呟いて、そのグラスをベルの真っ赤な頬に押し付ける。

湯気が出るのではないかと思ってしまう熱い頬に、冷えたグラスをピタリと当てる。

 

「ぅへぇあぁっ!!」

 

その瞬間、声にならない叫びを上げてベルの体がビクンと浮き上がり、弾かれた様にこちらを見る。

 

「ぇ?え…あ、その…」

「――くっ」

 

その想像以上のイイ反応に、思わず噴出しそうになるがリューは咄嗟に飲み込む。

自分でしておいてソレはあまりにも失礼だと、リューは思ったからだ。

こみ上げてくる笑いを飲み込んで、改めてリューはベルに向き直って

 

「別に取って食べやしません」

 

紅い瞳を見つめながら、リューは微笑んで言う。

 

「だから、そんなに緊張する必要はありませんよ」

「…ぁ、ハイ…」

 

先のやり取りが効いたのか、今の言葉が効いたのか。

ベルは一瞬呆けた様に固まったが、次の瞬間には硬直が溶けて照れた様に頭を掻いた。

 

「ベル・クラネルです。昨日は変な事を聞いてすいませんでした」

「申し遅れましたが、リューと言います。別に謝る必要はありませんよ…寧ろ謝るのは、私の方ですから」

「? どうしてです?」

「それは……後で改めて説明をします」

 

視線をヘルメスに向けると、小さく首を横に振っていたのでリューは言葉を濁す。

またベルはそんなリューを見て、昨夜の事を思い出す。

 

(……そう言えば、あの後お店の人にからかわれたっけ……)

 

と解釈し、『律儀な人だなー』等とベルは思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー!美味しい! やっぱ良い味してるね」

「うん、美味しい」

「アイズさん、こっちも美味しいですよ。一口いかがですか」

「ありがとう、レフィーヤ」

「あー!アイズだけズルい! レフィーヤ、私も!」

 

女が三人いると姦しい、その言葉を体現する様にそのテーブルには女三人の声が行き交っていた。

三人共、まだ年齢で言えば『少女』の年齢だろう。

そしてその三人、種類や型は違えど何れも『美少女』と呼べる程に顔質が整っていた。

 

『豊饒の女主人』の様に男性密度の高い、尚且つ冒険者の様な気質な人間が集まる場所において

この様な少女たちが来店すれば色々とちょっかいを、下手をすれば揉め事やトラブルにまで発展するが、そんな気配は微塵もない。

皆が皆、遠巻きに視線を送って噂するくらいだ。

 

しかし、三人の素性からすればそれは当然の成り行きだった。

その正体はオラリオ最強のファミリアとして名高い『ロキ・ファミリア』の冒険者だった。

 

『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン

『大切断』ティオナ・ヒリュテ

『千の妖精』レフィーヤ・ウィリディス

 

彼女たちは、このオラリオにおいて最もその名前が知られている冒険者であった。

三人は来たる『大遠征』の準備帰りに、この店で夕食をとっていた。

 

「あ、そういえばさ。二人は『フレイヤ・ファミリア』の話は聞いた?」

「フレイヤ・ファミリアの、ですか? 私は特には…アイズさんは?」

「私も、特に聞いてないかな」

 

褐色肌の少女・ティオナが他の二人に尋ねるが、この二人は件の噂を知らない様だ。

 

「いやね、私もさっきの店で少し聞いただけなんだけどさ。昨日の夜、フレイヤ・ファミリアに喧嘩売った人がいるらしいよ」

 

ティオナのその言葉に、アイズとレフィーヤの表情に疑いの色が濃くなる。

『フレイヤ・ファミリア』と言えば、このオラリオで自分達のファミリアと対をなす最強のファミリアだ。

戦闘になったら、例え自分達のファミリアでもタダでは済まない。

そんなファミリアに喧嘩を売れば最後、自分達以外のファミリアでは跡形もなく容赦なく潰されるだろう。

アイズとレフィーヤはそう判断し、ティオナも同じ事を思っていた様だ。

 

「うん、私も流石に嘘くさいなーって思ってさ。だから二人に確かめようと思ったんだけど、やっぱり心当たりはないかー、やっぱガセネタかな?」

「そうだと思いますよ。多分何か揉め事かトラブルがあって、それに尾ヒレがついただけだと思いますよ?」

「うーん、そんな所かな?」

「他に何か聞いてないの?」

 

ティオナががっかりした様に言い、レフィーヤがあくまで現実的に考えた解釈をする。

しかし噂の内容が内容だけに、アイズもまたティオナに質問をする。

どうやらまだ情報があるらしく、ティオナは『うん』と頷いて更に言葉を続ける。

 

「その喧嘩を売った人の事なんだけどね」

「そういえば、どんな人だったんですか?」

「うん、私が聞いた話だと」

「聞いた話だと?」

 

 

 

 

 

「――髪と髭がすっごく長い、エルフのお爺さんだったらしいよ――」

 

 

 

 

 

 

そして次の瞬間

三人の隣のテーブルで、誰かが思いっきり噴き出す音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 




約二ヶ月振りの更新です。
ちょいと最近作者のリアル事情の方が忙しくて、時間が掛かってしまいました。

さて、今回の話を簡単に纏めると

ベルくん=チョロイン
ヘルメス様=なんか企んでる
リューさん=良い匂い

という感じです…やべぇ、話があんまり進んでねえ(汗)
ベルくんは六年間、ほぼ女っ気がない生活だったので原作ベルくんよりも女性免疫がないです。
普通に会話したりは問題ないですが、作中の距離まで近くなると某こち亀のボルボみたいになります。
ですが意識が戦闘態勢に入っていれば、こんな醜態は晒しません。そこら辺はバーン様にきっちり調教されております。

どれくらい調教されているかと言うと、女の人の顔面にライトニング・バスターを叩き込めるレベルです。
原作ベルくんも戦闘においては、女性の腹にボディーブローかましてゼロ距離ファイアボルトを叩き込める位に容赦ない性格なので、そこら辺は原作と変わらない仕様です。

リューさんの私服について
これは原作でもあまり描写がなかったので、作者が勝手に決めました。
リューさんの性格だと、私服でブランドとかにはあまりこだわりとかなさそうだし、動きやすそうな服を普段着ていそうだったので
シンプルにブラウスとジーンズにしました。
本編での理屈は、作者がリューさんの私服姿を出したいが為に生まれたものです。

ちなみに、ベルくんとリューさんのイベントまとめ
一日目・一夜の過ち&ベルくん豪快にπタッチ
二日目・私服のリューさんとプライベートで食事

――やだ。うちのベルくんったら、とんだプレイボーイになってる。

ちなみに前回の投稿後に貰った感想で『ヘスティア様は結構すごいんだぜ!』という感想を多く貰いました。それについての補足。
原作におけるニート時のヘスティア様のまとめ。

・唯一無二の神友のヘファイストス様が、マジ切れして追い出す。
・唯一無二の神友のヘファイストス様が、本気で見限りそうになっていた。
・他の神様からも結構軽く見られている。
以上の事から察するに、ニート時のヘスティア様は相当堕落していた模様。
周囲の神様の反応を見る限り、天界での威厳はもはや残っていない様子。

以上の事から、独り立ち前のヘスティア様は『名門大学を卒業したけど、その後は働きもせず堕落しきったニート』みたいな立ち位置かと思われます。神様は下界においては、『神の威厳』みたいな力は無意識に発動できるという訳ではないので、バーン様の評価はあんな感じになりました。

それでは次回に続きます。






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