第1話「ロケットパンチ」
ロマン、それは聖なる力。
ロマン、それは未知への冒険。
ロマン、そしてそれは勇気の証!
◇◆◇
「はぁ……」
「どうした一夏、溜息なんぞついて」
ゆったりとした教室の一番前。俺の隣の席で鬱々と、この世全ての負のオーラでも背負ったかのように肩を落とし、重い溜息をついているイケメンに気安く声をかける俺。
10年来の知り合いだからこその気楽さであったのだが、どうやら相手はお気に召さなかったらしく、机と平行に傾けた顔のうち、恨めし気な半眼だけをこちらに向けてくる。
「真宏は気楽でいいよな……どうしてこの状況でそんな飄々としていられるんだ」
「……その気持ちはわかる。ただ、呑まれたら終わる」
「……だよなぁ」
そして、今度はユニゾンする溜息の音。
俺達二人の後ろからざわざわ……というよりむしろきゃいきゃいと響いてくる喧噪が背中にのしかかってくる錯覚もあればこそ、せめて背筋は伸ばしていようという気概が時を追うごとにゴリゴリと削られるのも無理からぬことだろう。
ここは、女性しか扱えない超兵器インフィニットストラトス、通称ISの操縦者を育成するIS学園。
そして俺こと神上真宏とその隣の席の織斑一夏は、どういうわけだか世界でただ二人ISを使える男としてこの学園に放りこまれた男達だった。
まずは、はじめまして。
俺の名前は神上真宏――かみじょうまひろ――。
育った環境と趣味嗜好は多少突飛かもしれないけど、それ以外はごく平凡であることを自認する15歳だ。
……まあ、一夏と同様男でありながらISを動かせたり、さらにはこの世界でこれから起きるだろうことを「インフィニットストラトス」という小説の形で知っていたりするあたりは、決して普通とは言い難いかもね。
織斑一夏という人物と、ISという代物。
そしてこれから起こるであろういくつかの事件をラノベとして読んだ記憶を持っている俺は、いわゆる転生者という奴なのだろう。
どうしてこうなったのかは知らない。トラックに跳ねられた記憶もなければ、神様に出会った覚えもない。
ただ気付いたらこの世界でISと特撮ヒーローかっけーと常々思う子供になっていて、そういやテレビで見るISとか、同じクラスの友人である織斑一夏や篠ノ之箒、五反田弾という名前に聞き覚えがあるような、と気付いて以来するすると前世の記憶的なものが蘇ってきたという経緯を持つ。
俺の境遇については、まあこんなもんで良いだろう。
実は天涯孤独な家族構成とか色々言うべきことはあるような気もするが今はどうでもいい。
問題は、どういうわけだか俺も一夏同様ISを動かせる男になってしまった、ということだ。
そもそも原作からして一夏がISを使える理由は不明だから、俺が使える理由もまた不明。
ただ単なるモブの中でも多少一夏の友人ポジションに近いだけの地味な立場だと思っていたのに、一夏がISを動かせたことに伴って一夏に近い男から順番に行われたIS適性検査にて俺にもIS適性があることが判明し、気が付いたらIS学園に揃ってご入学コースだったのだから俺の受けた衝撃はお察しいただきたい。
とはいえ、これは決して悪くはない話だ。
なにせ、インフィニットストラトス。
パワードスーツ的な物を身につけるだけで空を飛び、現行兵器をはるかに上回る戦力をその身に宿すことができる代物が使えるなんて、男心とロマンがくすぐられないわけがない。
一夏は千冬さんの方針でISのことはほとんど知らずにこれまで生きてきたようだけど、それなりにロボやらミリタリーやらの好きな俺はそれはもう喜びに喜んだよ。
喜びのあまりISが動かせるとわかってからは「ちょっとはしゃいで」しまったりもしたんだが、まあそれはそれ。後で話すとしよう。
それに、その結果はこれから過ごすIS学園での日々においても多少の実益はあるだろうからと認められ、大目に見てもらえることになっている。
こうなってしまった以上、一夏と同様世界中からの注目を浴びることは避けられない。
ならばいっそのこと違った形での注目も浴びてやろうという俺の計画。むしろ野望。
これまでの仕込みが成就し、実際にISを動かしたり戦ったりすることになる日が楽しみでしょうがない。
そんなことを思いながら、山田先生の授業を聞いていく。
ところどころつっかえながらも一生懸命に、まるで教育実習生の授業でも受けているような微笑ましい気分にさせてくれる授業は、大変ためになった。あとどことは言わないが眼福だった。
俺はISにそこそこの憧れとか期待とかを抱いていたから、ISを動かせるとわかる前から本やら何やらで調べてそれなりに前知識もあったので、大体ついていける。根本的な部分でレベルが高すぎるのはさすがに仕方ないとして、少なくとも楽しむことはできそうだ。
一方一夏の方は、IS学園への入学が決まってから部屋に遊びに行ったら原作よろしく教本ゴミ箱シュートをかましていたので、電話帳と見まがう厚さの教本で脳天をはたいておいた。
そのこともあってか、多少は理解が及んでいるらしい。
難しい顔をして山田先生の話を聞きながら教科書首っ引きなところを見れば、どの程度理解できているのかは怪しいところだが。
ふう、一夏はこれだものなぁ。せっかく『教育』してやったというのに。
一夏がインフィニットストラトスの主人公たる織斑一夏と気付いてからは、原作初期で示したような体たらくを晒さないようにそれなりの思考誘導的なことを行った。
とはいってもIS関連の話題を一夏に振ると千冬さんに何されるかわからないので、家に誘ってはロボものゲームを一緒にプレイしてハマらせ、熱血系のロボットアニメを一緒に見てロボには一家言持つように仕向けたという、その程度のことだ。
おかげで中二病華やかなりし頃はしょっちゅう一夏とロボ談義に花を咲かせていたもんだよ。特に、自分がISなりロボなりを動かす立場になったらどんなパーツの組み合わせにするかとか。
某社の出している、自分でパーツを組んで作ったロボでミッションをこなしていくあのゲームには大変お世話になった。
ちなみに、一夏はしっかりとブレードオンリーの機体を使いこなせるように教育しておきました。今ではネット対戦において剣豪と称えられる実力を身につけるに至っているあたり、さすがの主人公補正だ。
俺も自分の好みの機体ならまだしも、ブレオンで挑むと絶対に敵わない。
まあそのおかげでこうして一夏と共にそこそこ期待を持ちながらIS学園での生活ができるのだから喜んでおくべきだろう。
ISを動かすのは楽しみだし、多分一夏は中学までの学校生活で見せたジゴロ体質をここでも遺憾なく発揮して、俺を楽しませてくれることは確実だし。
ほら、既に一人。
ちょろっと一夏の毒牙にかかることになるだろう金髪少女が近づいてきた。
「ちょっと、よろしくて?」
ゴージャスな金髪を翻した英国淑女が俺と一夏の前に立つ。
……ホント、物語が始まろうとするその瞬間っていうのは言葉にしがたい感動があるものだ。
その後、主に一夏が売り言葉に買い言葉でイギリスの代表候補生セシリア・オルコットと揉めに揉めた。
俺は一夏と並ぶと大体の人、特に女の人は一夏に注目するからスルーされるという影の薄い特性があるのであまり話を振られたりはしなかったけど、彼女の言っている内容はやはり、思うところはあるわけで。女尊男卑に基づく上から目線。そんな目で見られたらゾクゾクしちゃうじゃないか。
さて原作から外れるかとわくわくしていたのだが、特にその場はイレギュラーな事態が起きることもなく、二人が互いに軽く敵視しあう程度の邂逅になった。
ちなみに、セシリアが怒りを滾らせるポイントであった入学試験時に担当教官に勝ったかどうか。面倒は嫌いなんで言わなかったけど俺も入学試験では山田先生に勝っていたりする。
……いやまあ、あれは「勝った」というよりも一夏との対戦で醜態をさらし、それまで以上にテンパった先生が俺の目の前でずっこけただけなんだけど。
閑話休題。
休み時間はそれで終わったのだけれど、問題はこのクラス代表を決めるとき。
案の定一夏が推薦され、それにセシリアが食いついての口げんかが決闘申し込みまで話がとんとん拍子で進んで行った。
まったく、原作通りに話が進んでくれて結構だと思うべきなのか、それとも二人の短絡思考に頭を痛めるべきなのか。単純思考では俺もちょっとしたものだが、こいつら本当に単純だな。
でもまあ、あまり大きな不確定要素があっても困りもの。これが最初なわけだし、やっぱりここは穏便な方向でこのまま原作通りに……
「織斑とオルコットの決闘は構わんが、現在織斑の専用機はまだ用意ができていない。そこで、神上。もう一人の専用機持ちである貴様が代わりに戦え。貴様のISならば納入が間に合うはずだ」
「……とばっちりー!?」
ならねーでやんの。
言われてみればまあ確かに、一夏の専用機はどうにも調整が遅れているらしく、納入までにまだ一週間以上かかるという話を聞いたような。
多分今日起きるであろうセシリアとの決闘騒ぎはどうするのかと思っていたけど、まさかこうくるとは。
俺がここに座っている時点でわかっていたこととはいえ、どうやら本格的に原作の知識が当てにならなくなってきたらしい。おいまだ原作でいうと1巻序盤もいいとこだぞ。
「でも決闘を申し込まれたのは一夏だったはず。オルコットさんはよろしいんで?」
「あら、あなたは少しだけ言葉遣いというものがわかっていらっしゃいますのね。……まあ無礼を働いた織斑さんとの直接対決ができないのは残念ですけれど、所詮あなたも男性ですから。それに、聞きましたわよ。あなたも入試で先生に勝ったのだと。だからわたくしは一向に構いませんわ!」
「そういうことだ。それともなにか、貴様は織斑に生身でISと戦えと言うのか?」
あっさりと俺が代理になることを認めたセシリアと、超怖い目つきで睨んでくる千冬さん。
……そうだったよ。一夏は筋金入りのシスコンだけど、千冬さんは千冬さんで極度のブラコンなんだった。
もしこの場で断ろうものなら、事態の推移を超面白そうに見守っているクラスメイトと、断ったら殺すオーラを放っている千冬さんに何をされるかわからない。額にたらたらと冷や汗が垂れてきて……でも、胸の中は熱い。
そう、これもまたロマン。
俺自身この状況はある意味望むところだったのだから、選択肢など最初から一つしかない。
「わかりました、受けましょう」
「真宏……すまん、頼む」
「なぁに、いいってことよ。……ああ、そうだオルコットさん」
「なんですの?」
俺が示した受諾の意思に、わっと湧き上がるクラス内。
入学してすぐ、同期の人間とはいえ専用機どうしの戦いが見れるとあっての歓声がどよどよと教室に満ちる中、俺はここで初めてセシリアをまっすぐに見つめて言う。
……セシリアの言にムカついたのは、何も一夏だけじゃないことを伝えるために。
「コテンパンにするから、覚悟しておけ」
「なっ……!?」
「……あんたの言うことにムカついたのは一夏だけじゃない。意地があんだよ、男の子には。楽しみにしとくんだな」
「……ええ、よくってよ。そのセリフ、必ず後悔させてさしあげますわ……!」
教室内の騒ぎにかき消され、俺の言葉はセシリアと一夏くらいにしか届かず、緊迫感を孕んだ空気は俺達の近くにしか存在しない。
ピリピリと肌を刺すような緊張が心地よく、ワクワクする心は止める気にもならなかった。
「すまん、本当は俺が戦うべきなのに考えなしにあんな勝負受けたから……」
「無茶振りは気にするな。俺も、せっかくだから専用機は派手にお披露目したかったしな」
その日の夕刻、授業が終わってから。それほど長くはない寮への帰り道、一夏と二人でそんなことを話しながらぷらぷらと歩く。
一夏は自分の買った勝負を俺に押し付ける形になったことを悔やんでいるらしい。
無理からぬことではあるが、俺だってこういう展開を望まなかったわけではないし、それに一夏のせいというわけでもない。
……そもそも、世界最初の男性IS適合者たる一夏の専用機なのだから改造や調整に時間がかかるのは当然のことで、IS学園への入学が決まった当初から納入が遅れることは確実だと言われていた。
倉持技研の技術者がそれはもう感涙にむせびながら可能な限り最高の性能を持たせようと寝食を忘れ、時折見ている方が引くほど不気味な笑い声を上げながら嬉々として調整を行っているのだと、俺のISを都合してくれた企業の人に聞いた。
元々別の生徒に用意するはずだった専用機をほっぽってそんなことしてるというし、実は倉持技研って変態企業なのではないかと逆に不安になる話ではあるのだが、それはそれ。
そんな情報は当然千冬さんにも行っているだろうし、それをもとに考えれば一週間後の決闘というのはさすがに早すぎる。
もちろんクラス代表は速やかに決めるべきだからという理屈はあるのだろうが、この一件は、むしろ千冬さんが一夏を心配したという部分が大きいだろう。
いきなり実戦というのも一つの手だが、ひとまず一度ISの戦いをその目で見ろ、と。
……そのための生贄は俺。
昔からこんな感じで、一夏はともかく俺に対する扱いはヒドイんだよなぁ、千冬さん。
「その代わり、俺に出来ることがあったら何でも言ってくれ、協力する」
「もちろん、目いっぱい付き合って貰うつもりだ。……そうだな、ひとまずは体力づくりのために早朝ランニングしようぜ。明日朝5時に寮の玄関に集合な」
「5時!? ……って、家で家事してる頃なら普通だったか。了解だ」
IS学園に入るまでほぼ一人暮らしと言っていい生活をしていた俺と一夏にしてみれば、朝早くに起きることなど体に染みついた習慣の一つだ。
そんなわけでいざというとき頼りにするためにも、一夏ともども強くなるために頑張って行きましょー。
……でもあまり仲良くしすぎないように気をつけないとな。
俺と一夏がISを動かせるということを伝えるニュースで、どこから流出したのかプライベートな写真(一夏と俺が肩を組んで笑っている奴)が放映されるや否や、ネット上で即座に801ネタにされているのを見て絶望した身としては、どうしてもね。
そんなわけで翌日から、俺の対セシリア戦用の訓練が始まる。
とはいってもあまり特別なことをするわけではない。
俺のISのほうが一夏のものより納入が早いとはいっても今現在は手元に無く、試合の前日ごろに到着するだろうといわれているため、ISを装着しての訓練はできない。
だから一夏と一緒に朝のランニングをして体力をつけたり、放課後は一夏ともども箒のところに行って剣の稽古をつけてもらったり。
「一夏!? それに真宏も……」
「すまん箒、世話になる」
「ふふーん」
そんな感じに、一夏と合法的に接することのできる環境を作ってアイコンタクトで箒に貸し一つ作ったり。
まあ、箒はあまりにも鈍っていた一夏の様子に憤慨してそっちを主に見ていたから、俺は割りと一人で練習する羽目になったのは最初から分かっていたことだけどさ。
これは一夏強化策の一環でもあるからいいんだけど、相変わらず一夏と一緒にいると俺は影薄いなおい。
箒も、相変わらず強いこと。
昔から俺は一夏ほどの剣の腕が無いから、より一層錆びついた今では箒と試合をしても5回に3回は負ける。
何とか勝ち越したいと思うところなのだが、箒と俺の腕には中々越えられない壁があるようだ。
俺のISの戦闘スタイルは一夏と違ってブレードオンリーというわけではないから、必ずしも剣の実力がISの勝敗と関係するわけではないのだが、やはり悔しい。この一週間で少しはまともになるといいんだが。……まあ、セシリアとの試合にブレードっぽい武器は使わない予定なんだけどね!
そんなこんなで童心に帰って剣を振って、ランニングで体力をつけて、時々寮に持ち込んだゲームなどやりつつ一週間。
ついにセシリアとの対戦の日がやってきた。
「……その、あまり見てやれなくてすまない。大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
「いや、本当かよ!?」
一夏の不甲斐なさを目の当たりにし、そちらに掛かりきりになってしまった箒が俺の身を案じるような言葉を掛けてくれる。
俺のほうはついついネタで応じてしまったのだが、一夏が拾ってくれたので箒がきょとんとした顔をしているが気にしない。
というか、実際にあまり問題は無い。
「もちろん、本当だとも。負ける気はないし、策もある。……勝っても負けても俺はクラス代表とか関係ないしな」
「ぅおい! それが本音か!?」
「はっはっはっ」
「うるさいぞ、神上」
「あいたぁ!?」
幼馴染が三人も揃っていたせいか、どうにも締まらない空気だった俺たち……というか俺の後頭部を衝撃が襲った。
この音にこの角度、そして衝撃。こんな一撃を繰り出せるのは振り向くまでも無く一人しかいないと分かる。
「うぅ、これから試合だというのにあんまりな激励ですよ、織斑先生」
「お前が腑抜けているからだ。緊張で固まっているよりはましだがそこまで気を抜いてどうする」
むっすりと腕を組んで不機嫌そうな顔をしているのは、一夏の姉たる千冬さん。
半ば無理矢理一夏の代わりを押し付けたことを少しは気に病んで見に来てくれたのだろうか。
「試合の開始時間が迫っている。いつまでもバカな話をしていないでとっとと準備しろ」
「アッハイ」
なんて、甘い夢だよなぁ!
千冬さんは昔からどうにも俺に厳しい。俺は一夏と仲が良かった上にISに興味を持っていたから、ひょっとすると悪い虫扱いなのかもしれない。
……ちなみに、この学園に入学する前はISについて千冬さんに聞けたことは今まで一度も無い。
月に1、2度くらいしか家に帰ってくることが無い上に、帰ってきたら帰ってきたで一夏と触れ合うのを心底楽しみにしている人にどうやってISの話題を引っ提げて接触しろと。
「お待たせしました、神上くん。あなたのISです」
「おっ、来た来た。ありがとうございます、山田先生」
そんなやり取りをしている間に、俺のISが運ばれてきた。
原作における白式のごとく、展開状態のISが台車に載せられてごろごろと迫り来る。
ISを動かせると知り、このISを自分の物と選んでから何度か見えた愛機。それがついに、本当の意味で俺のものになる日が来たんだ。
「はい。これが神上くんの専用機、『強羅』です!」
◇◆◇
「時間がない、すぐに準備しろ」
「了解です」
ライトに照らされる自機をゆっくり眺めるヒマもなく、千冬さんに言われるがまま練習したとおりにISを装着する。
このISを装着するのは今日が初めてというわけではない。
フォーマットとフィッティングは終了しているため実になじむ着心地で、同時に五感と力が拡大される万能感が心を駆け巡る。
一夏や箒の顔も、山田先生の身じろぎも、ピットの出口から入り込んでくるアリーナの歓声も、……そして、その向こうで待ち構えているセシリアの気配も手に取るようにわかる。
この感覚、嫌いじゃない。
『それじゃ、行ってくるよ』
「ああ、俺の分もがんばってくれ!」
一夏の激励には親指を立てて応え、カタパルト状になっている射出機構でアリーナへと飛び出していく。
ISの慣性制御機構のおかげで加速のGはそよとも感じず、一秒と待たずに空へと放り出されるも、俺の体は落下しない。
セシリアのいる高度まで上昇、と思っただけでISが反応し、重力の存在を忘れたかのようにするりと機体が高度を上げる。
翼がなく、人の姿のままで自在に空を翔ることのできるIS。
実に素晴らしい。
「……あの、織斑先生」
「……なんだ」
「神上のIS……あれは、なんですか?」
「……聞くな」
だから、後ろのほうからそんな話し声がISのハイパーセンサーに入ってきても気にしない。
そんな反応、はじめから折り込み済みだし、そのために俺はここにいる。
「恐れずに来たこと、褒めて差し上げますわ、神上さん」
『それはどうも』
アリーナ上空、10mほどの距離を開けて対峙する俺とセシリア。
風もあり、普通ならば会話をすることにも難儀をするだろう距離ではあるが、ISの通信機能があればたいした障害にもなりはしない。
今まさに試合を始めようとする両者の間には心地よい緊張感と警戒が滲み、平穏な空の裏側に激闘の未来を予見させる何かを含んでいた。
……はずなのだが。
「……ところで、そのISはなんですの?」
『ふふふっ、いいだろう。俺の愛機だぜ?』
セシリアの呆れたような声のおかげで色々台無しだった。
まあそれも無理のない話。
俺のISを一目見て、平静を保っていられるIS関係者なんてほとんどいないだろうからな。
日本のとあるIS製品開発企業の第二世代型IS「強羅」改修型。
それが俺のISだ。
ISの中では珍しい全身装甲のフルスキンタイプ。装甲部分の多い機体であるために防御力は実証機が導入されつつある第三世代型と比較しても頭一つ抜けていて、頭部を完全に覆うヘルメット、胸部から肩までを守るブレストアーマーが上半身のシルエットを他のISとはまったく異なるものにしている。
両手足もまた格闘と防御、双方の使用に耐えられるよう重厚にして堅牢。ISらしからぬ直線主体の装甲形状に、アンロックユニットを持たないのもあいまって他の第二世代型ISとすら趣を異にしている。
だが、セシリアが……いや、強羅を目にした観客も含める全ての人が言いたいのはそんなことじゃないだろう。
何より人の目を引くのは、強羅のデザインだ。
頭を保護するヘルメットは兜のような形状で顔の横から後ろを覆い、額には金色に輝くV字の複合ブレードアンテナが折り重なるように屹立。
マスク状の顔面には緑に輝く人の目のようなデュアルアイが収められ、俺が言葉を発するたびにピカピカと点滅を繰り返す。
赤いブレストアーマーは黄色い縁を持ち、胸部中央に輝くエンブレムから炎のごとき紋様が肩へと伸びている。
そんな装甲に体を覆われ、肌の露出部分もインナースーツに隠された俺を見た人たちは、こう思うことだろう。
「なんでロボットみたいな見た目してますの!?」
そう、ロボット。
装甲に覆われて人の姿が見えないこのボディ、その見た目上のデザインは紛れもないロボット。
それも、20年ほど前までは夕方のゴールデンタイムを飾っていたような、男の子が憧れること間違い無しの勇者的ロボットの意匠を引き継いだと言ってもいいほどのものだ。
これこそが、俺の「ちょっとはしゃいで」しまった結果。
ISを使えるとわかってすぐに日本政府から来た専用機提供の申し出を辞退し、前々から目をつけていた強羅を専用機とするため、開発企業へと直接出向いて交渉を行い、貰い受けてきた。
このロボロボしいデザインに、漢らしさ溢れるスペック。
IS関連雑誌の細かい記事からすら伝わってくるそのロマンにかつて一瞬で心奪われた俺は、もしもISの操縦が適うなら必ずこれを使おうと決めていた。
まあ、その際貰い受けるにあたってした説得やその他の結果色々と改造を施されることにもなったのだが、まあ細かいことは良いから置いておこう。
それよりも、今はセシリアとの試合が重要だ。
「ま、まあいいですわ。……それより、最後のチャンスを差し上げましょう」
『チャンス?』
セシリアが口にするのは、予想された……というか原作で知っている通りのセリフ。
強羅を見て驚いたのもわずかな間。すぐに代表候補生としての自信で動揺を拭いさり、高らかに問いをぶつけてくる。
「不様に敗北するのが嫌でしたら、今ここで謝ることですわ。見たところ、あなたのISは第二世代機。このわたくしが操る第三世代機に勝てる道理など、どこにもないのですから」
『……』
急速に自分のペースと余裕を取り戻したセシリアであるが、瞬時に俺のISの世代を見抜いたあたり冷静な観察力を持って彼我の力量を計っていたようだ。強羅はドマイナーな機体だからほとんど知る人もいないだろうに。
だが、逆効果だ。
俺は、一夏とともに世界でたった二人だけISを操縦することを許された男。
相手が慢心した小娘ではなく、肩書き相応の実力を備えた好敵手だとわかり、震えない心なんて持っていないのだから。
もう我慢の限界だ。
さっきISを装着してからこっち、体の奥からこみ上げてくる力の実感と、これから始まる戦いへの期待。
セシリアへの問いに応える代わりに、それらすべての思いとISを使えるという喜びを込めて、叫ぶ。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっしゃあ!!!!』
「な、なんですの!?」
天を仰ぎ、腕を広げ、世界全てに響けとばかりに声を上げる。
突然の大声に怯んだセシリアがわずかに後ずさるのがISのハイパーセンサー越しにわかる。
叫びを終えるとともに握った拳と、示した構え。
これこそが答えだ。
『それじゃあ、始めようか』
「……ええ、いいですわ。ならば踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットとブルーティアーズの奏でるワルツで!」
負けるものかとばかりにセシリアが張り上げた大音声と、空を裂いたレーザーの光条が戦いの火蓋を切った。
『おっと!』
「やりますわね、でもその鈍重な機体でどれだけ避けられますか!?」
初弾は回避に成功。
予備動作が少なかったとはいえ、原作の一夏と違ってISの操縦も何度か経験する機会があった俺が、ろくな妨害もない真正面からの一射目を受けてやるわけにはいかない。
しかしセシリアの射撃の腕はバカにならない。
見た目と初弾回避の時の動きから強羅が機動力に劣るということを既に見抜いているらしい。
機体に装備されたサブブースターのお陰で前後左右への瞬発力はそれなりのものがあるのだが、重力に逆らう上方向への移動や巡航速度は遅く、必然的に一夏の白式のような高出力・近接戦仕様の機体と比べて被弾が多く、セシリアとの距離を詰めることは難しくなる。
シールドバリアを貫き装甲に傷をつけるほどではないが、回避に成功した直後を狙った射撃により既に何発かの直撃弾を受けてもいる。
このままでは、いかに強羅の防御力が高いとは言っても敗北は免れない。
だから、そろそろ反撃するべきだろう。
『ビームマグナム!』
「なっ!?」
そう叫ぶと同時、セシリアに向かって突き出した右手の中に集った光の粒子が現実のものとして腕ほどの長さのライフルの形に結実し、すぐさま一射。
俺を狙って降り注ぐブルーティアーズのスターライトmkⅢのレーザーよりも一回り太い光線となってセシリアに迫り、肩のアンロックユニットをわずかにえぐった。
「くっ、声に出さなければ武装を展開できないくせに、やりますわね!」
『このほうがカッコいいからな! まだまだ行くぞ、バァルカン!』
伸ばした左手の中に、今度は機関銃が姿を現す。
右手に持ったビームマグナムと同程度の長さ、寸法ではあるがその銃身へと螺旋状に巻き付けられた弾帯が装弾数の多さを無言のうちに豪語する。
そしてその見てくれがこけおどしでないことは、直後にぶちまけられた弾薬量が示してくれる。
「数を撃てば当たるというものでもありませんわ!」
『だから本命はこっちさ!』
そして先ほどセシリアが繰り出した戦法の焼き直しそのままに、左手から放つ牽制の弾幕を回避した先にビームマグナムの一閃を放つ。
「舐めないでくださいましっ!」
『くぉっ!?』
しかし、俺の時と違うのは、セシリアが見事直撃の寸前で回避してのけたこと。
両足を大きく振って、体を前後に貫く軸に従って一回転。
アクロバットじみた動きで胴体を直撃するはずだった閃光を避け、脇腹をかすめるに済ませた上、応射を脚部に当ててきた。
「まだまだ行きますわっ!」
『望むところっ!』
繰り出される精密な射撃と、さらにはビットの狙撃まで加わって斬り分けられた空の中、実体弾の弾幕と重厚な威力をさらけ出す反撃のビームマグナムを返しながら飛び回った。
◇◆◇
「……意外とやるじゃないか」
「まあ、真宏ならこのくらい当然だな。いいぞっ、そこだ! ……ああっ、惜しい!!」
目まぐるしく位置を入れ替えて射撃戦の繰り広げられる空の下、アリーナを埋めた観客たちからわき起こる熱い歓声と隔絶された真宏側のピットの中、モニターに映し出されたセシリアと真宏の戦いを箒と一夏が見つめていた。
当然隣には千冬と真耶もいるのだが、古い友人の戦いに真剣に見入っている箒と大きな声で応援している一夏は構いもしない。
「……どういうことなんだ、一夏」
「うわ危なっ! ……え、どういうことってなんだよ、箒」
「あいつの動きが異常だ、ということか」
「はい、織斑先生」
箒の疑問を、千冬が継いだ。
モニターの中では、四方をビットに囲まれて間断なくレーザーの射撃にさらされながらも被弾を最小限に抑え、時折左右の手に持った銃で鋭い反撃を繰り出し、セシリアの集中とそれに連動したビットの動きを鈍らせて包囲を突破。逆にセシリアを追い詰めるといった局面が何度か繰り返されている。
まるで、二人の実力が拮抗しているかのように。
「オルコットは曲りなりにも代表候補生。しかも使用しているISは第三世代だ。ISの起動経験がわずか数度の人間がいかに専用機としての改造を施されたとはいえ、第二世代型のISでここまで喰いつける道理はない。どういうことだ、織斑。心当たりがあれば話せ」
「話せって言われても……」
箒と千冬、そして真耶からの視線が突き刺さり、一夏は思わず身じろぎを禁じ得ない。何せここにいるのは現時点で一夏内目力ランキングのツートップ+1。やましいところがなくとも挙動不審になり、心当たりが喉元まで出かかっても引っ込むのに十分すぎる威圧感がある。
「えっとな。真宏は、射撃戦が得意なんだよ」
「それがおかしいと言っている。ISの稼働経験がほとんどない人間にあそこまでの戦闘がこなせるほど、射撃戦は甘くはないぞ」
バッサリと断定。
しかし千冬の言葉は一夏を否定したわけではなくただ事実を述べたまでのことで、続きを促す気配が感じられた。
「確かに真宏はISを動かしたことはないと思うけど、動く相手を捕えて、狙って、撃って、当てて、避けるのは何度もやってるんだ。……ゲームで」
「ゲームぅ!?」
素っ頓狂な声を上げたのは真耶のみ。
箒と千冬はただでさえ鋭い眼をより一層細め、「ふざけたことを言っているとただでは済まさない」と無言で語っていた。
「いや、本当に俺が思い当たるのはこのくらいだって! 真宏とは俺もよく一緒にゲームしたから知ってるけど、こういうIS戦闘みたいなゲームで両手に銃を持ったロボの扱いがすごく上手いんだよ!」
「……ならば、そのゲームとやらの稼働時間はどの程度だ」
「えーと、真宏がやってた時間なら……必ずしも今みたいな戦い方ばっかりをしてたわけじゃないけど、前に聞いたときは確か……」
「1000時間くらいだったはずだ」
「千っ!?」
「……なるほどな」
一夏の言葉を聞いて、再びモニターに視線を向け直す千冬。
同じくモニター内で繰り広げられる真宏の戦いぶりを見直す箒と真耶の目は先ほどまでと違い、どこか驚きと畏怖のような色が混じっているが、千冬の瞳はただ単色の感情だけを湛えていた。
その感情とは。
「極めつけのバカだな、あいつは」
呆れ以外の、何物でもない。ただその声は、少しだけ楽しそうでもあった。
そもそも日本政府が示した専用機提供の申し出を蹴り、直接IS関連企業へと赴いてよりにもよって第二世代でも特にマイナーなあのISを貰い受けたことに始まり、たかがゲームに廃人レベルの尋常ならざる時間を費やし、それの応用でISの操縦において素人としては破格の動きを身につけている。
それを言い表す言葉として、千冬は「バカ」以外の物を知らない。
今も絶妙なタイミングでセシリアからの狙撃を回避し、マシンガンの弾幕による回避誘導から本命たるビームマグナムの予測射撃への流れるような繋ぎを見つつ、どうしてもさっきまでと同じような驚嘆を持って見続けることはできない自分を感じていた。
昔から一夏の友人として知っていた少年ではあるが、よもやこんな一面があったとは。
「まあいい。お前が為した努力は奇妙でも、示している実力は悪くない。どれほどの物なのか、見せてみろ」
一夏達からは見えない方の口端を引きあげ、さっきまで以上の呆れと、それに匹敵する興味を持ってモニターに集中した。
「ひょっとすると、案外鍛えがいがあるかもしれないな……」
「……ひっ!?」
そのとき奇妙な悪寒を感じたと一夏は真宏に語り、それを聞いた真宏が頭を抱えて絶望したというが、それはまだ未来の話し。
◇◆◇
「17分。IS適性のランクは最低クラスと聞きましたが、なかなかに持ちますわね」
『そっちこそ。楽に勝てるなんて思ってなかったけど、強羅がこうまで削られるとはね』
攻防が一段落して訪れた対峙の時に交わされる会話。
俺とセシリアのシールドエネルギーはともになんとか三桁を保っているが、ここから畳みかければすぐに無くなりそうな数値でもあるため、そろそろ厳しい。
元々の防御力では強羅が勝っていることを考えれば、俺のほうがかなりのダメージを受けてしまっていることがわかるだろう。
「あなたの装備では、てっきり弾が尽きたら諦めるのだとばかり思っておりましたわ」
『嘘つけ、その前に決着付けるつもりで攻めて来てたくせに』
しかも、弾切れ。
装弾数も多いがそれ以上に単位時間当たりの発射数が多い機関銃が試合開始8分あたりで早々に弾切れを起こし、威力を重視したために装弾数が少ないビームマグナムもすぐに後を追うようにエネルギーが切れた。
「弾が切れたとはいっても、どうせ予備のマガジンがおありなのでしょう?」
『ふっ、専用機の用意に四苦八苦して納入が遅れたのが一夏だけだと思うなよ! 俺だっていまは追加武装がこの二つだけな上に弾も装填分しかないわ!!』
「そ、それはなんの自慢にもならなくってよ!?」
などというやり取りがあったのが今から5分以上前。
それからは当然、防戦一方。
弾の尽きた武器など何の役にも立たず、かといって一夏のように接近戦を挑もうにも強羅の機動力ではどうしたって近づききる前に逃げられ、引き撃ちの体勢に入られる。
ビットはどうにか二つほど落とすことができたが、数が減った分残りのビットも動きが鋭くなり強羅ではこれ以上落とせそうもない。
その戦況がもはやゆるぎない物になったという確信を抱いたのだろう。
真剣に勝負に挑んでいた顔に余裕の笑みを浮かべ直したセシリアが、射撃の手を止めて話しかけてきたのはそんなときだ。
とはいえライフルの銃口はこちらを向いたままだし、ブルーティアーズもすぐさま起動できる状態になっている。
……代表候補生ともあろう人物にこれほど警戒してもらえるとは、冥利に尽きるねまったく。
「うふふ、よくおわかりで。ならばこれからのこともお分かりですね?」
『ああ、勿論』
「……」
『……』
互いのわずかな挙動も逃さぬ観察の視線が絡み合い、時間の流れを遅くしたかのような錯覚すら流れる数瞬。
相手を強敵と認め合えばこそのこの空間は多大な緊張を強いる一方でどこか心地よく、撃発の時を待つ。
「わたくしは、イギリスの代表候補生セシリア・オルコット。この身に背負う祖国全ての人々のため、勝たせていただきますわ!」
『それを言うなら、俺と一夏は全人類全ての男の代表だ。初陣は白星を飾らせて貰うぞ!』
叫びは木霊し、瞬時に戦闘状態へと自らの精神を送り込んだ俺とセシリアは示し合わせたように距離を取る。
その距離を保ったままにライフルの射撃で俺の行動を縛り、ブルーティアーズによる避けようのない多角攻撃でフィナーレ。
セシリアの思い描いたそんな筋道が攻撃の合間から透けて見える。
どうにかしようにも、格闘の間合いをギリギリ離れた最初の位置では下がって射撃を回避する以外の選択肢はなく、今この状況に置かれては再び接近して格闘戦を挑む余裕はない。
これにて完全に、打つ手がなくなった。
と、セシリアに思わせることができただろう。
俺のISがフルスキンであることに感謝した。
顔の全てを覆うこの兜があればこそ、抑えようもなく湧き上がる獣のような笑顔を覆い隠すことができるのだから。
戦う相手が好敵手と呼ぶにふさわしい力を持っていること。
戦況は不利で、絶体絶命のピンチであること。
万策尽き、相手が勝利を確信していること。
全て、「これ」を使うにふさわしい状況が整った。
体の奥、俺という人間の根幹からわき上がる力を押さえるように強く拳を握りこむ。
この世界に生まれ変わり、ISが世に出て発展し、その間ずっとずっと願ってやまなかったその瞬間が今こそ訪れてくれたのだ。
女性のみが空を支配し、ISが兵器もメカも塗り替えた世界その物に、今こそ示してやることができる。
セシリアは俺の武器が既に尽きたことを知りながら、これまでと変わらない苛烈な射撃を繰り返している。
俺が未だ諦めないことから、まだ何か手を隠し持っているということを半ば確信しているのだろう。
もしも奥の手がないならばこのままじわじわとすりつぶし、もしも策があるのならば十分な警戒の上でカウンターを叩きこんで勝負を決する。
それが、俺の読んだセシリアの戦術。
理に沿い、実力も伴ったそれを回避する方法はほとんどなく、俺の敗北は必至なものとしてアリーナの観客たちの中へと浸透しているのが、ハイパーセンサーで拡張された五感の隅に伝わってくる。
やっぱり男じゃ無理だ。第二世代じゃ第三世代には敵わない。結局こうなるのか。
そんな声ばかりが大きく聞こえるのは、あるいは強羅自身が俺に聞かせようとピックアップしているのかもしれない。
この認識を、あるいは世界をすらひっくり返すのは愉快だろう? と言わんばかりに。
『ああ、その通りだよ』
「……なんですの、その余裕は!」
強羅へと返したひとり言のような呟きを捕えたセシリアが、まだ喋る余裕があったことに驚いた声を上げる。
それでも射撃の呼吸は乱れないあたりはさすがというほかなく、俺はますます嬉しくなった。
『感謝するぞ、セシリア・オルコット。お前がこれだけ強いから……俺は、「これ」を堂々と使うことができる!』
「っ! やはりまだ何か手があったのですわね!?」
叫ぶと同時、拳を握りしめた右手を天へと掲げた。
俺はセシリアよりもわずかに高度が高い位置にあるため、その背に太陽を背負うように見えていることだろう。
ISが防眩しているのか目を細めることもなくこちらを見上げてライフルを構えてはいるが、俺が何をするのかを計りかね、また警戒しているために即座の射撃へは移らない。
……まあ、もう何をされても関係ないのだが、ね。
『……古来この技の類例は数多く、その度にロマン溢れる様々な名で呼ばれてきた』
――……キィィィィィイイイイイインン
「……なんの音ですの?」
これまでとは一転して静かな口調で語る俺の声に、ジェットエンジンのような高周波が混じる。
一秒ごとに音量を増すそれは最初セシリアしか気づかず、しかし次第にアリーナ上空へと響き、観客達の耳にも届き始めた。
◇◆◇
「おおっ! 真宏の奴、あれをやるつもりだ!」
「あれ?」
ピット内、声をからす勢いで応援の声を上げていた一夏がこれまで以上に瞳を輝かせた。
真宏が何をしようとしているのかは分からない箒だったが、一つだけ確信がある。
一夏の瞳の、まるでヒーローが必殺技を出す瞬間を心待ちにする少年のような光。
あのふざけた見た目のISを大真面目に使っている真宏。
確実に、ろくなことではない。
◇◆◇
そうだ、聞いてくれ。
これこそ、俺がここにいる理由なんだから。
『だから敢えて、初のお目見えとなる今日はこの名で呼ぼう』
――ギィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイ!!!
「くっ、やはりそれが切り札ですのね!?」
掲げた右手を、全力の右ストレートを放つ寸前のように引き絞る。
全身全てをこの拳のために、体の軸を捻りISの動力にエネルギーを蓄えていく。
その隙を逃さぬようにと、あるいは高まる異音に焦りを掻き立てられるように、セシリアはライフルを再照準。空中の一点に滞空している俺に向かって射撃を再開した。
空を裂くレーザーは避けようともしない俺に次々と着弾し、足に、肩に、胴体に直撃の閃光を散らしてシールドを削る。
そしてトドメとばかりに放たれた二発のミサイルが命中し、巻き起こる爆炎が俺の視界の全てを覆い尽した。
「……これで無傷だったらさすがに引きますわ」
『それは残念』
「!?」
すぐさま返した俺の声に、セシリアはライフルを向け直すが、爆炎に紛れて俺が移動している可能性を考えて即座に射撃することはできずにいる。
それが致命的な判断ミスだったと、後にセシリアは言った。
あなたのような方がこの状況で、そんな無粋なことをするわけはないのだから、と。
『ロォケットォオオオオオオオオオオオ!!!!!!』
「なっ!?」
セシリアが上げた驚愕の叫びは、ミサイルの直撃を受けてなお揺るぎもせず、シールドエネルギーの残っていた強羅の防御力に関してか。
あるいは、目くらましに乗じて位置を変えることすらしなかった俺の性格への呆れゆえか。
ひょっとしたらそのどれでもなく、煙の中から現れた、抑えきれないエネルギーで輝くこの拳にシビれてくれたのかもしれない。
まだ戦える俺を見て、すぐに立ち直って照準をつけ直す速さはさすが代表候補生。
だが遅い。
『パァァァァアアアアアアアアアアアアアアンチッ!!!!!!!!!!!!!』
「ひっ!?」
ゴッ、と。
空気その物をえぐり取るような音がセシリアの眼前を薙いだ。
ライフルの引き金に指をかけるより速く俺の手から放たれた「ISの腕部装甲」は、セシリアの頭より大きいその拳を超音速の壁としてセシリアに向かって飛翔し、本能的な恐怖に首をすくめたすぐ横を通り過ぎていった。
「……」
「…………」
無言、呆然。
セシリアとアリーナの観客全てがこの言葉で表せる。
突如繰り出されたのは、新たな武装でもなんでもなく「弾丸のごとく飛び出すISの腕」だ。
武装を持てる腕部を捨てるだとか、その部分の装甲とシールドが完全になくなるだとか、そもそもあの名前ってアレだよね、とかそんなツッコミにも似た感情が渦を巻き、巻きすぎて吹き出口を失っているのがありありとわかる。
ニヤリ、と再び兜の下で笑う俺。
これだ、これが欲しかった。
誰にも気付かれるはずのないその笑いはしかし、対峙するセシリアは察したようだった。
「ふ、ふふんっ! さ、最後の切り札だったようですけれど残念でしたわね! 文字通り捨て身のその技、わたくしには二度と通じなくてよ!」
セシリアの指摘は至極もっともだ。
今見たロケットパンチは一発を放つためにあれだけの時間がかかる技であるため、もし左手にも同様の機構があったとしても十分対応できるとの自信があるのだろう。
いや、それどころか二発目を放つ前に俺のシールドを今度こそ削りきるつもりですらあるに違いない。
勘違いも、甚だしいことに。
『セシリア・オルコット。お前は一つ間違っている』
「なんですって!?」
だから教えてあげよう。
勝利を確信したセシリアに。
思いあがった全ての女性に。
そして、ロマンを忘れかけた全ての男たちに。
男のロマンも、夢も、冒険も、何も失われてはいないと示すために。
『ロケットパンチは、外れないっ!!』
俺の言葉の意味を理解するよりも先に、セシリアは後ろを振り向いた。
そこには、セシリアに回避された後に大きな弧を描いて旋回し、長く噴射炎の尾を引いて再びセシリアを襲わんと迫りくるロケットパンチの勇姿が迫る。
もはやどうあっても、避けきることなど叶わぬ距離で。
「なっ!? ……きゃあああああああああ!?」
直撃の瞬間に、ISの一パーツによる激突音とは思えないほどの音がアリーナに轟く。
胸部装甲に直撃したロケットパンチは瞬時にブルーティアーズの残りシールドエネルギーを削りきり、俺の勝利判定が下った。
『試合終了。勝者――神上真宏』
俺は、さっきと同じく右の拳を天へと突き上げる。
セシリアを打ち落としたロケットパンチはそのまま速度を落とさず天へと駆けのぼり、そこから軌道を変えて急降下。
その途中でくるりと向きを変え、再び元のように俺の右腕へと勢いよく装着される。
ガキンッ、と体中に響く接続音の重々しさも心地よく、満たされ震える心のままに、俺は叫ぶ。
俺は、このためにISを使えるようになったに違いない。
『これぞ、男のロマン』
『ロケットパンチ!!!』