IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第16話「人類種の天敵」

 スラスターの加速が体に鈍い慣性の負荷をかけ、自分が通り過ぎたあと、すぐ足もとの海面が白く切り裂かれていくのがハイパーセンサーに知覚される。

 鋭く描かれた白い波の軌跡が海の青さに紛れて広がり、波間に生じる泡と区別がつかなくなるのを振りかえることなく感じ取り、そのあまりの益体の無さに一夏は我が事ながら呆れかえる。

 最近は、こうして意味のない物思いにふけることが多くなったようだ。

 

 それでもなんとはなしに背後へと長く連なる白線をハイパーセンサーの全周知覚能力で追っている。

 自分から遠ざかるにつれて段々とかすむその白い航跡は二筋。隣を併走するように海上を飛ぶもう一機のISからも伸びていた。

 

『よう、一夏。どうした』

「……いや、なんでもない」

 

 一夏がかつての恩人や友人たちと袂を分かつことになった原因にして、今では世界にたった一人となってしまった自分の味方。

 フルスキンのIS、強羅を身にまとい、白式の巡航速度よりも幾分遅い速度で飛翔する強羅の兜の奥の表情は見えないが、きっと真宏は獰猛に笑っているに違いない。

 

 一夏と真宏の目的地は、海上に浮かぶIS学園。

 依頼主は、国際IS委員会。

 かつての学び舎でもあるかの地の占拠こそが、今の自分達に課せられたミッションだった。

 

 

 ありえない組織からの、ありえない依頼。一夏と真宏がここ数年こういう荒事に進んで従事する人生を送っていることを差し引いても、不可思議に過ぎる話であった。

 だから、このミッションの内容が怪しいことは百も承知だ。

 確実に罠であると、一夏も真宏もはじめからわかっている。

 策謀の縁にあると知り、それでも構うものかと突き進んでいく自分に対する違和感。

 ざわりとするその感触に促されるようにして、ようやく視界に入り始めたIS学園をまっすぐに見据えた一夏は、かつての記憶を呼び覚ます。

 

 

 もう、何年前になるだろうか。

 今では理由も原因も思い出せないが、真宏とともにIS学園を飛び出したあの日から、二人は世界中を当てもなくさまよい、白式と強羅で戦場という戦場を駆け抜けた。

 国境がどうした、利権がどうしたと欲に目のくらんだ連中が仕組んだ紛争で、民兵と傭兵が使ってくるような小銃や火炎瓶の出来そこないとしか言えない手榴弾など、ISを使う自分達にとっては熱帯の夜に羽虫が騒ぐ音より些細なもので、仮に何を間違えたのかISが出てきたとしても、真宏と二人ならばどんな相手であろうと負けることなどなかった。

 

 いつしか世界はそんな二人を傭兵というカテゴリにあてはめて扱うようになり、気ままに迷い込んだ戦場で銃火と光刃を閃かせるだけの繰り返し。

 欲も擦り切れた懐に滑り込む札束にももはや価値を見いだせず、吹き散らすように使い尽しながら生きてきた。

 

 間違いなく世界にとっての異物である自分達。

 IS学園に入学したあの日、何人もの女子に好奇の視線を寄せられた時から一夏が感じていたその「ずれ」を、この期に及んでようやく世界も理解しだしたらしい。

 そして、異物と見れば弾きだそうとするのが世の常だ。依頼という名のおびき出しが常態化し、依頼人に指定された地点に赴くと数機のISという地域紛争には過分な戦力の出迎えを受けるようになってなお、戦場で一夏と真宏の二人は無敗を誇った。

 

 そんな自分達の強さを喜ばしく思う様な心は、きっともうない。だが今の二人はこれこそが全てであり、他はなにもなかった。

 見えもせず、存在もしないはずの首輪がかちゃりと鎖の揺れる音を立てた気がするのだけが、一夏の耳には妙に耳触りだった。

 

「……誰もいないな」

『ああ。サプライズパーティーにしても念が入ってる』

 

 低空から侵入し、即座に急上昇。そのまま慣性に任せ、半ば自由落下して辿り着いたのは、昔懐かしい第三アリーナ。

 だがまだ日も高い平日の昼間であるはずなのに、アリーナ内はおろか、ハイパーセンサーの索敵圏内にはただの一人も人間がいないらしかった。

 

 こういう状況は初めてではない。

 あるときを境に依頼の報酬金額が跳ねあがり、指定の場所に行ってみればそこには世界の名だたるIS操縦者が待ち構えていた、などということはこれまでに何度となくあったことで、その度に真宏は笑い、一夏は表情を失くしていったのだから。

 

 装甲のあちこちがひび割れ、それに倍する威厳と風格を備えた強羅。かつてきらめいていたブレードアンテナは片側が根元から折れ、くすんだ装甲の色にかつての面影は薄い。

 両肩のハードポイントを占有する蔵王重工製の展開式大口径グレネードキャノンはかつてラウラを相手に使った時と変わらぬ威容を誇り、未だ真宏が忘れ難く持つロマンの対象だ。

 

 肩装甲を失くし、ヘッドセットも片側が焼け焦げ、雪羅以外は手甲も失ったが、その分逆に機動力を増した白式。

 いつからか、昔はあれほど苦手としていた射撃型の敵と戦うことも苦にならなくなり、ここしばらくはろくに被弾した覚えもなかった。

 

 二機に敵うISとその操縦者は今日に至るまでただの一人も一集団も現れることはない。

 だから二人は、もはやこういうことにはとうの昔に慣れていた。

 

『……さて、今回はどんな相手かな』

「さあな……っ」

 

 珍しい沈黙ののちに言葉を発した真宏と、語尾が自然と跳ねる一夏。

 日本にきたのは随分と久しぶりで、IS学園のよく整備された石畳と手入れの行き届いた植木など、もはや二人の目には少しの現実感も与えず、絵の中にでも迷い込んだような気分にさせられる。

 

 まったく、罠なら罠でせめてもう少し派手にすれば良い物を。

 二人が思った、その時。

 

 

『偽りの依頼、失礼いたしましたわ』

「!」

『ッハァ!』

 

 オープン・チャネルに、懐かしい声が聞こえてきた。

 一夏は驚き、真宏は歓喜の叫びを上げる。

 

『あなた方にはここで果てていただきます。理由はお分かりですわね』

 

 白式と強羅は即座に上昇。

 IS学園中央部にある管制塔よりも高度を上げ、さっき自分達が侵入してきたのとは逆側の海へと、ハイパーセンサーの指向性を高めて注目する。

 

 そこには、遥か彼方からでも眩く見える金髪を長く伸ばし、それよりなお長いレーザーライフルを構えた主を包む青いISがいた。

 セシリア・オルコットだ。

 

 

『まあ、そういうことだ。……どうせ、確信犯なのだろう。話しても仕方ない』

 

 赤いISから発せられた、刀の切っ先を思わせるその声にかつての剣道少女の面影はなく、ただひたすらの鍛錬の先で修羅へと至った凄味がある。

 篠ノ之箒だ。

 

 

『所詮は獣だ。人の言葉も解さんだろう』

 

 冷徹にして冷酷。ただ声だけで聞く者に寒気を抱かせるその威風は変わらず、しかしなお一層研ぎ澄まされた隙のない軍人の声。

 全ての葛藤を斬り捨て、一個の兵器としての自身を塗り固めて平坦たらんとする意志が回線越しにも伝わってくる。

 初めて会ったときから優秀な軍人だったラウラ・ボーデヴィッヒは、未だ健在だ。

 

 

『お前達とこうなるとはな……。残念だが、私の蒔いた種だ。刈らせてもらうぞ』

 

 ただその一言だけで、首筋に刃を突きたてられるような緊張感が総身を駆け抜ける。

 紛れもない最強の自負と実績を持つ者だけが纏う覇気と殺気は距離も武装も突き抜けて魂その物に響くのだと、一夏と真宏に確信させたのは他ならない、織斑千冬。

 

 

『ハッ。選んで壊すのが、そんなに上等かね』

『壊しすぎるんだよ、君たちは』

 

 並んで迫りくる5機へと真正面から向かい合って飛翔し、すれ違いざまに真宏がはき捨てた言葉。

 その言葉に堪え切れない嘆きをにじませながら応えたのは、相対する五人の中でもっとも色濃くかつての匂いを残す、シャルロット・デュノア。

 だが過去の残り香は戦場の高揚がすぐさま霞と散らし、これから嫌になるほど鼻をくすぐるだろう硝煙の幻臭が肺腑に満ちるのだ。

 

 海上で交差し、すぐさま反転する2機と5機。

 戦力差は見るからに明らかであるが、もはや他人の死も自分の死も区別のつかなくなった二人と、そんな二人を止めなければならない五人の間にそんな物は意味をなさず、ただ目に着く相手を倒すことしか考えられない。

 

 お互いがお互いを、かつて自分達の戦ったどんな敵をも越える脅威であると、いくつもの戦場をくぐり抜けた今は総身で感じられる。

 

 この場に集った者達こそ、世界最強に誰より近いだろう7人。

 もし生き残る者がいたとすれば、それはもはや人の枠に収まるような器であろうはずもなく、きっと人類全てと戦ったって負けはしない。

 

 その心はISを通じるまでもなく誰しもが確信している。

 だからこそ、祝うとしよう。

 

 今日この場に生まれ落ちる、人類種の天敵を。

 

『忘れるなよ。お前は私の物だ。……そうだろう、一夏?』

 

 

◇◆◇

 

 

「――っていうのはどうです!?」

「いいわね! いいわね! IS使った派手なバトルもあるし、一夏くんの違った一面も見られるし!」

 

 それまでのシリアスっぽい語りを瞬時にブチ壊す、俺と会長の興奮した声が生徒会室に響いた。

 

 まあそれも致し方なし。

 昨日の夜、突然会長に「明日、生徒会がやる文化祭の出し物についての話をしたいんだけど、なにか劇のネタ、ない?」と聞かれ、その後どういうわけだか俺のテンションはMAXへ。

 その勢いで徹夜して今の脚本を書き上げてしまったのだから、無理からぬことだろう。

 

 俺の大好きな例のロボゲのシナリオを、一部ISの存在するこの世界っぽく改変し、再現しようというこの脚本。多分徹夜明けのテンションが引けば、普通の人なら黒歴史直行便とするであろう自信作だ。

 ちなみに出演者についてだが、鈴は二組だからいない。

 ちょっとテンションに合わせて声も大きくなってしまったが、心配は無用。天下のIS学園生徒会室は防音性能も抜群だから、この程度の騒ぎが外に漏れる心配はないのだ。

 

「でも、この案だと織斑せ……じゃなかった特別出演枠の、コードネーム『ミス・キシドー』に出演を頼めるかがカギよね。あの人が出ないと盛り上がりも半減だわ」

「そのあたりは抜かりなく。ワカちゃん直伝の交渉術に、最近作った必殺交渉アイテム『一夏リバーシブル抱き枕』を使えばあの人を口説き落とすなど容易いことです。……この抱き枕、なんと裏面はこんな感じに!」

「おぉっと、これは公共の電波には載せられないようなデザインだわ! 良し……! ディ・モールト、ディ・モールト良いわ……! あなたをこの会議に呼んで本当によかった!」

「こちらこそ、光栄ですよ」

 

 万感の思いで差し出された会長の手を、力強く握る俺。

 今こそ、俺と会長の想いが一つになるときだ。

 

 IS学園文化祭の生徒会出し物を決めるためのこの会議とも呼べない話し合いの場において、昨日会長にこの会議の話を聞かされてからテンションを押さえる理性がぶっ壊れた俺も、そもそもの言いだしっぺたる会長も勢いを止めるはずがない。

 だからこそ、お互いの脳髄からわき出る茹ったアイデアはその全てが天才の発想にしか思えず、多分10年くらい経って会長が見直したらまさにこの瞬間の自分を抹殺したくなるだろう、錚々たる企画が次々と積み上がって行く。

 ……俺? 俺は多分20年経ってもこんな感じだろうから全く問題ない。

 

「もしこれがシャレにならないようだったら、次はこんなのどうです? せっかく専用機持ちがたくさんいるんですから……」

 

 

 そして、俺の用意したネタは一つだけではない。

 

 

 

◇◆◇

 

 

「レッドカメリア!」

 

 並ぶ五人の中央でひと際雄々しいポーズを決め、紅椿を装着した箒が叫ぶ。

 

「ブラックレイン!」

 

 肩に備えたレールガンの姿も勇ましく、どこか斜に構えた姿勢のラウラが言い放つ。

 

「イエローゲイル!」

 

 ノリノリのシャルロットはひと際真面目な顔つきで。

 

「ホワイトフォーミュラ!」

 

 なんだかんだ言ってこういうのも好きな一夏は優美に雪片弐型を掲げ。

 

「ブルーティアーズ!」

 

 ぴしりと決まったポーズでさすがの貴族らしさを無駄にアピールするセシリアが最後に名乗り。

 

 五人そろって、名を叫ぶ。

 

「「「「「学園戦隊、ISファイブ!!!!!」」」」」

 

 

◇◆◇

 

 

「とか! とか!!」

「くぅっ、戦隊物とは盲点だったわ! でもこれはこれで! 最終回の後でラウラちゃんがチンピラにお腹刺されそうな色の組み合わせだけど!!」

「それはトラウマだからやめてください! ……でも、もしこれをやってくれるんだったら、俺は強羅で巨大ロボット役やりますよ!」

「いいわねそれも!! いえむしろ、このままIS学園のご当地ヒーローにしたいくらいだわ!」

 

 スパーン、と今度は勢いのいいハイタッチの音が生徒会室に響き渡る。

 あはははは、掌すごいひりひりする!

 

 普通に考えれば赤、黒、黄、白、青の戦隊などいくつかあるだろうに、真っ先にあのトレンディ戦隊を上げる会長は間違いなく簪の姉だ。

 

 

 あとになって冷静かつ客観的に考えれば、「混ぜるな危険」という言葉が決して洗剤にのみ使うものではないという証左のような光景だっただろうと思う。

 

 元よりロマンを求めることにかけてはブレーキなど搭載していない俺と、面白いことが好きすぎてちょっとタガの外れてしまった楯無会長。

 こんな運命のボディ&ソウルが一つになってしまえば、最高のケミストリーが始まって激し目のエフェクトが吹き荒れるのも致し方ないことだろうよ。

 

「……ふう」

 

 だからそんな俺達の外付け良心回路的役割は、この話が始まる以前から地味に生徒会室内に待機していた、虚さんの役目になる。

 

 威力はさておき、小脇に抱えたバインダーを振り上げてから振り下ろすまでの動きの無駄の無さは千冬さんにも匹敵するのだということを、その日俺達は身をもって知ったのだった。

 

 

 とまあ、俺はそんな風にIS学園の文化祭準備的日々を過ごしたりしていた。

 いつぞや言った通り強羅の握手会イベント開催のためにしなければならないことは数多いが、せっかくの文化祭。学生らしい楽しみもしてみたいし、どうせ生徒会側へも根回ししなければならないことは多いからちょうどいいのである。

 

 いやまあ、ああして会長が相手だったとはいえ、テンションがおかしくなるくらい忙しいと言うのは確かにあるんだよ。

 

 学生だから授業をサボるなど許されるはずもないし、ワカちゃんからの指令を受けて学園内をあっちゃこっちゃ交渉と連絡に飛び回っているし、一夏には会長指導による訓練に付き合わされるし。

 

「サークル・ロンドなんて、よーするにあのロボゲのサテライトみたいなものなんだからやろうと思えば……って一夏はあんまりやらなかったか」

「ああ、俺はあのゲームでもとにかく近づいて斬るだけだったからな。だから真宏、俺の特訓に付き合ってくれ!」

 

 一夏ともども武道場で会長にボコられた後、俺はどうにもカポエラキックの当たり所が悪かったらしくかなりの時間寝込んでいて、目覚めた時には既に一夏がセシリアとシャルロットによるシューター・フローの実演を見学した後で、そんな言葉で協力を求められたのだった。

 

 確かに、そろそろ一夏も雪羅を生かすために射撃型の動きを練習して良いと思っていたが、よりにもよってこの忙しい時期に訓練始めなくてもよかろうに。

 

 

 ちなみにこんな訓練に付き合いを頼まれるくらいだから言うまでもないが、俺はサークル・ロンドを含め一通りのシューター・フロー、すなわち射撃型のマニュアルPIC制御もできる。

 というかその程度のこともできなければ到底強羅を扱えないということで、IS学園入学前に蔵王重工で強羅を受領したとき、フィッティングがてらワカちゃんにみっちりと特訓してもらって身に付けた。

 

 ……あー、今でも時々思い出すなあ、あの訓練。

 一言で言うと、本気で死にかけた。

 

 あの時のワカちゃんは本当に容赦がなかった。

 ワカちゃんが使う武装は炸薬量を減らした訓練用の弾を使ってこそいたものの、ワカちゃんはああ見えて……というかむしろ見た目そのまま、グレネードを使うと興奮するという性癖もとい性格だ。

 俺の知る限り最強の射撃技能を持つIS使いによる、テンションの上がった弾幕と制圧射撃からひたすら避けまくるのがあの時の訓練内容だった。

 それを休みなしのぶっ続けで5時間とか続けていれば、死を覚悟したのだって数え切れないくらいになるし、PICのマニュアル制御も気付けばできるようになるってもんだ。

 

 お分かりいただけるだろうか。

 絶え間なく響くグレネードの爆発音と、あらゆる方向から押し寄せる熱風の衝撃波。

 踏ん張ろうと意地を張っていられたのは、強羅の装甲強度と言う安心材料があっても最初の10分が限度で、あとはただひたすら不様に逃げ回るのみ。

 

 だが逃げる先逃げる先へと、俺の拙い回避機動はことごとく読まれてグレネードが放りこまれて再び爆炎がシールドを削る。

 その恐怖に俺が半狂乱になってなおワカちゃんは砲火を緩めず、訓練が終わった後しばらくは耳鳴りと頭痛が止まらない。

 そんなことを5日も続けていたのだ。

 

 2日目は今日こそ死ぬかと思い、3日目は明日まで生きられないと思い、4日目は不思議と心が落ち着き、5日目になるとワカちゃんの真意に気付けるようになっていた。

 

 そうして迎えた5日目に、俺が思ったこと。

 おそらく、シェルショックやらPTSDやら誘発してもおかしくない超絶スパルタ特訓は、ワカちゃんが心から俺のためにとしてくれたことなのだろう、と。

 

 俺の使うISは、強羅。

 堅牢たる装甲と圧倒的なパワーは他の追随を許さず、しかし鈍重な機動力は他のどのISよりも被弾数が多くなることを宿命としてしまっている。

 そんな強羅を使う俺に必要なのは、IS学園で模擬戦や実戦を経験してより強く思ったことでもあるが、一にも二にも相手の攻撃に怯まぬ鋼鉄の精神力だ。

 

 マシンガンの銃弾が装甲を跳ねても突然の雨に振られた程度と思って笑い、榴弾の業火と黒煙のなかからでもハイパーセンサーを駆使して冷徹に相手への照準を調整することができるだけの心があってこそ、強羅の防御力を生かして戦える。

 それができなければ、被弾を恐れ、その衝撃に体が竦む。

 一々その程度で怯えているようではどれだけ贔屓目に見ても強羅の使い手とは呼べず、ろくに動くこともままならないうちに封殺されることになるだろう。

 

 だからワカちゃんは、俺を鍛えてくれたんだ。

 たとえどんな攻撃を受けても怯まず、常に相手を見据えていられるように。

 一夏に続いて世界に二人しかいない男のIS操縦者である俺が、これから直面するだろういくつもの困難に、自分の力で立ち向かっていけるように。

 

 いつだったか、あのときはそんな風に思ったということをワカちゃんに告げると、どこかばつが悪そうに照れ笑いを浮かべていた。

 

「別に、ただ私以外に強羅を使ってくれる人が現れてくれてうれしくて、ついグレネードではしゃいじゃっただけですよっ」

 

 ……うん、それは間違いない。

 わざわざあの訓練をグレオンでやったのは確実に趣味だよね。

 

 ともあれ、そんなワカちゃんの――師匠の――思いに応えられているかはまだわからないが、俺はワカちゃんに教わった機動を使って今日まで敵や同級生と戦ってきたからこそ、何度も勝利を収めることができたのだ。

 

 ……しょうがない、ワカちゃん直伝のこの技の数々、俺を思って授けてくれたワカちゃんのためにも、一夏に伝授してやるとするか。

 

「さあ一夏くん、シューター・フローから直線機動にシフトして、零距離で荷電粒子砲っ、速く!」

「あ、え、っと~……うおりゃ!」

『あらよっと』

「うわあああああああああ!」

 

 楯無会長から矢継ぎ早に飛ぶ指示に対応しきれず、焦った結果操作をミスり、俺がちょっと回避しただけでアリーナのシールドに激突している一夏をみると、まだまだ道は長そうな気がするんだけどね?

 

 

◇◆◇

 

 

 そんな風に訓練を頑張る一方、一夏は会長という厄介な人に目をつけられてしまったために前より一層ToLoveる的ハプニングに出くわすことにもなったりする。

 

 例えば。

 

「まっ、真宏! 真宏真宏真宏ぉ!」

「……どうした、一夏」

 

 特訓後、はーやれやれ今日も疲れたな飯食うか、と思ってくつろいでいたところに、部屋の扉を激しく叩く音と、女難で切羽詰まった時の声を上げて俺の名を叫ぶ一夏の声がした。

 応える俺の返事は当然のようにまたかとばかりにうんざりした物になり、扉の隙間から一夏に向ける目は隠しようもなく半眼だ。

 

「ちょっ、あ、お、俺の部屋に……っ! とにかく来てくれっ!!」

「へいへい、わかったよ~」

 

 そう返事をするより先に、一夏は俺の手を引っ掴んで走り出している。

 大方会長がまた何かやらかしたのだろうが、それで動転したにしても俺を巻き込まなくたってよかろうに。

 

 しかし俺の考えを気にする余裕すら失くした一夏は寮の廊下を全速力で突っ走り、ぜぇぜぇと息を切らせて自室の前へと俺を連れてきた。相変わらず足が速いな一夏。

 あと、こういうシチュエーションは箒達にしてやったほうが喜ばれるぞ。

 

「わ、悪いけど……っ、先に入ってくれないか……真宏」

「……ぜはーっ、いいけどさ……」

 

 さすがにこれだけの全力疾走は、一夏の訓練に長時間付きあわされた後だとキツイものがある。

 他に通る寮生がいないとはいえ、廊下の片隅で手を膝について荒い息を整えている男二人というのはそこはかとなく怪しい光景だと自分でも思うし。

 ヘタに見つかって騒がれるのも面倒だ、とにかく部屋に入ってみるとしよう。

 

 ……まあ、何があるかは大体予想付いてるしね。

 

「お帰りなさい。私にします? 私にします? それともわ・た・し?」

「……相手が一夏じゃないと気付いても続ける根性と裸エプロン姿がグッドですね、会長」

 

 扉の影に隠れる一夏に背中を押されて入った部屋で俺を出迎えたのは、案の定会長だった。

 若さ炸裂のみずみずしい肌に、真っ白なフリフリエプロン。

 持ち前のスタイルは柔らかそうな布地を押し上げて天にも昇っていけそうなほど見事な曲線を描き出し、前かがみになって谷間を強調するポーズとか、くりくりといたずら好きな感じで見上げてくる瞳とかとても魅力的。おそらくついさっきも全く同じポーズで一夏を出迎えたのだろうよ。

 

 ……うむ、よくやった一夏。

 いかに9割方女子校であるIS学園とはいえ、こんなに早く漢のロマンたる裸エプロンを拝めるとは思わなかった。

 そりゃあ、弾だってリア充爆発しろと常々言いながらも友達付き合いをやめないわけだ。

 あいつ、色恋とエロ方面だと俺以上にロマン体質だし。

 

「えへ、でしょう? なのに一夏くんったら、見なかったことにして逃げ出しちゃったのよねー」

「そりゃしょうがないですよ、一夏ですから。……ちなみに、一夏は裸エプロンよりも裸ワイシャツの方が好きですね。千冬さんがよく寝起きにそういうカッコしてるんで」

「……なるほど、それはいいことを聞いたわ!」

「おい待て真宏おおおおお! 楯無さん、嘘ですから! 今の嘘ですからね!?」

「そうやって必死に否定する姿を見て会長はより一層確信を深めているようだぞ、一夏。見ろあの獲物をロックオンしたみたいな顔。……あとそれから、お前は何気に女の子のジャージ姿にもキュンとくるんだよな、確か。これまた千冬さんが家でよくそういう格好してたのが原因で」

「へぇ~、織斑くんって案外マニアックなのね♪」

 

「……お前らああああああああああああ!!!」

 

 そしてついにキレる一夏。

 俺たち二人にこうまでおちょくられ、しかも性癖まで暴露されてしまったとあればそれも無理からぬところであるが、少しは落ち着けよふはははは。

 

 飛びかかってきた一夏を俺はひょいっと避けたのだが、会長は敢えて避けない。

 しかもさりげなくベッドが背後に来るような位置に移動して一夏を待ちうけ、「きゃー」とかわざとらしい悲鳴を上げながらちょっと足を動かして一夏の足をもつれさせ、一夏ともどもくるくるとその場で二回転。

 

 そしてそのまま、一緒になって押し倒されるように倒れ込む。

 

 うわなにコレひどい。

 確かに一夏が襲いかかったのは間違いないのだが、確実に一夏の想定したのとは全く違う構図になってるぞ。

 

「えっ、何がどうなった!?」

「んふふ、すごいでしょー。これぞ更識カラテ『既成事実投げ』。押し倒された形にするも、逆に押し倒した形にするも思うがままの投げ技よん」

 

 その言葉とともに膝を立て、首に両手を絡めるように回せばあら不思議、会長の格好がいまだ裸エプロン――しかも今のドタバタでちょっと乱れ気味――であることも相まって、途端にチョメチョメのパヤパヤな感じになるじゃありませんか。

 ……更識家は対暗部用暗部とかいう物騒な家柄だったはずだが、それって忍者とイコールと見ていい物なのか?

 

「……それじゃ、ごゆっくり」

「待て真宏! いつものことだけど俺を置いていくな!」

「あら、ひどいわ一夏くん。せっかくきれいなおねーさんがウェルカムしてるっていうのに男友達を取るなんて」

 

 なんか放っておいたら取り返しのつかないことになりそうな気もするけど、さすがにこの状況で会長に近づくのは危険にすぎるので、ここは賢く戦術的撤退をさせていただく。

 背中に切羽詰まった一夏の叫びを聞きながら部屋の扉に手をかけて……。

 

「一夏、少しいいだろうか、差し入れを持ってきてやったぞ。……む? なぜ扉が開いている」

「あ」

「ああ、真宏か。なるほどちょうどいい、一夏の部屋に遊びに来ていた……の……か」

 

 扉を開けると、箒がいた。

 手に何かの包みを持っていることから察するに、おそらく箒の母親直伝のいなり寿司を一夏に振舞いに来たのだろう。

 俺も昔何度か御馳走になったことがあるから、お相伴にあずかれるかもしれないことは大変うれしいのだが、今はタイミングがマズイ。

 

 背後から一夏が息を飲む気配が伝わってきて、それと同時に箒が部屋の中を覗き込み。

 

 裸エプロン姿の会長を押し倒している一夏を発見した。

 

「………………………………………………………………」

「ヒィっ!?」

 

 無言のままに俯いた箒の目は前髪に隠れて見えず、一歩踏み出したのに合わせて俺は思わず悲鳴を上げて道を開ける。

 真正面から本物の殺気叩きつけられたじゃねーか、マジ怖いよ!

 

 箒は隣に避けた俺にいなり寿司が入っているだろう包みを手渡すと、そのまま一夏の前までゆっくりと歩んでいく。

 一夏はすぐにも飛びのいて誤解を解いた方がいいのだが、あまりの恐怖に体中が強張ってしまったらしく、例の押し倒し体勢のまま動けやしない。

 

 あ、ちなみに会長は面白そうにニコニコしてました。

 この状況で笑ってられるあたり本当に流石だよ、会長。

 

「……………………一夏」

「な、なんだ箒」

 

 どうやら恐怖がカンストしたらしい一夏は、ひと回りして逆に普通に受け答えができる状態になっているようだった。

 それも、すぐに終わりを迎える運命なのだが。

 

「……あの世で悔いろっ!」

「うわああああああああああ!?」

 

 一夏のそばで直立していたはずの箒の姿が、気付いた時には腰を落として体をたわめた姿勢になっており、次の瞬間には雨月が展開されていて居合の要領で一夏の首を断ち落とす軌道に入っている。

 

 正直に言おう。

 今の居合は俺がこれまでの人生に見てきた中でも屈指の速度を誇る見事な居合だった。

 

「あらー、すごく上手いわね。……ちょっと焦ったわ」

「なにっ!?」

 

 だから、さっきまで一夏に押し倒されるというシチュエーションを楽しんでいた会長が、言葉通りに焦って同じく部分展開したISのランスを突き出していなければ、確実に一夏の頭と胴体はさようなライオンしてぽぽぽぽーんと宙を舞っていただろう。

 

「いま一夏くんを亡き者にされると、ちょーっと困るのよね」

 

 そして、居合というのは振り下ろすのと違って一度止められてしまえばさほど力を加えられる体勢にはないらしい。

 会長がくるりと手首を捻っただけでランスに巻き上げられた刀が箒の手を離れ、勢いよく天井に突き刺さる。

 

「くっ! 参り……ました……!」

「うん、よろしい」

 

 そう言って、負けを認めた箒と呆ける一夏、ついでに俺を笑顔で見回す我らが生徒会長、更識楯無。

 この前試合した時も思ったけど、やっぱりこの人半端ないな。

 

 ついでに蛇足だが、天井に刺さっていた刀はその直後に抜け落ちて、ベッドの上で呆けていた一夏の目の前に突き刺さりました。

 主が負けを認めてもなお一夏にくぎを刺すことを忘れないとか、立派な刀だね、うん。

 

 

◇◆◇

 

 

「なるほどね、箒ちゃんは文武両道で、一夏くんの幼馴染で、しかも料理上手と。いいお嫁さんになる条件は全部揃ってるじゃない。んー、このいなり寿司もおいしい」

「は、はあ……。ありがとうございます」

「いやでも本当に美味いな。昔道場で食べたのと同じ味で、懐かしいぞ箒」

 

 あれから箒を口八丁で丸めこんだ会長は制服に着替え、俺と一緒にごく当たり前のようにいなり寿司をつまんでいる。

 

「さっきの格好は私なりの露出プレイなのよ」

「なんと、そうだったのですか。ならば仕方ないな」

「……それで納得しちゃっていいのか、箒?」

 

 裸エプロンで一夏の部屋にいたことについて、会長の適当な出任せを平然と信じる箒は将来生徒会長になれそうな貫禄があるね、無駄に。

 まあいい、それより今はいなり寿司だ。

 箒が作ってきたこれはかつて食べた彼女の母親の味を見事に受け継いでいて、思わず一夏達と一緒に篠ノ之道場で剣道を習っていた頃に心が帰ってしまいそうになる。

 

 しかし、箒は一応の納得こそしたもののまだ一夏に対する怒りは収まらないらしく険しい視線で一夏をにらみ、一夏は一夏で現在の箒が持ちうる最高の居合の一刀を間近で見てしまったために体が竦んでほとんど食欲がわかないようだ。

 結果として、いなり寿司をつまむのはそんな二人の雰囲気をどこ吹く風と受け流す俺と会長のみ。

 ひょいぱくひょいぱくといなり寿司が減って行く。

 

 が、残った二つのいなり寿司の片方を取ろうとした会長の指が目標を外れ、弁当箱の底をかつりと叩く。

 

「……あら、真宏くん。どういうことかしら?」

「男には譲れないものがあるんですよ、会長。意地しかり、夢しかり、ロマンもしかり、そしていなり寿司もまたしかり」

「いや、最後のはどうなんだ。このいなり寿司は確かに美味いけど」

 

 一夏のツッコミが向かう先、俺の手元にこそ会長の狙ったいなり寿司はあった。

 ただいなり寿司をつまむだけの動作でもやたら隙の無い会長の手からかすめ取るのはかなり大変なことであったが、俺はそれを成し遂げたのだ。

 普段から余裕綽々で、つい先日も一夏と一緒に手も足も出ずに実力差を見せつけられたばかりなだけに、この小さな勝利の味はまた格別であった。より詳しく言うと、濃口醤油味。もぐもぐ。

 

「ふふふ……それはつまり、私からこの最後のいなり寿司を取ろうと言うことかしら?」

「男に二言はありませんよ」

 

 そして意味もなく始まる睨み合い。

 互いの目を見ているようで、その実目の奥にゆらぐ心の動きをとらえようとする精神戦。

 寿司一つのためにどうしてここまで、と思う様な緊張感が俺と会長の間に発生し、それに気付いた一夏と箒はなにがなにやらわからずおろおろしだす。

 

 間違いなく、実力的な意味では俺より会長の方が圧倒的に強いが、だからと言って勝負を諦めるつもりもなければ、勝機がないわけでもない。

 強羅を使っての訓練で鍛えた観察眼で会長の初動を見抜き、先手を取ればなんとかなる。

 だからこそ、会長が動く瞬間ではなく、動こうと心で思ったその瞬間を捕えれば、

 

 今。

 

「せぇいっ!」

「ハッ!」

 

 そんな思考の狭間、じっと見据えた会長の瞳の奥にいたずら気な揺れを見た。

 先日一夏に使った無拍子に近い、こちらの意表を突くタイミングではあったが、まだなんとか対応できるもの。

 良し、取った!!

 

「って、あ痛ぁっ!?」

 

 と思ったその瞬間、俺の眉間に突き刺さる会長の扇子。

 どうやら会長、いなり寿司を取ろうと手を出すより先に扇子を俺めがけて投擲していたらしい。

 くそっ、道理で反応できないはずの無拍子に対応できたなんて思ったはずだ。まさかこんな手使って来るとは!

 

 痛みにのけぞらせた頭を戻した時には既に遅く、弁当箱の中は付け合わせのガリまで綺麗にさらわれており、目線を上げれば会長がこれ以上ないほど自慢げな表情でいなり寿司をつまんでいた。

 

「残念、これは私のおいなりさんよ」

「もはやそれに異議を挟むつもりはないですけど、女の子が言っていいセリフじゃないですよね、それ」

 

 とまあそんな感じで、俺の小さな雪辱は失敗した。

 さすがに今の俺の実力でどうこうなる相手とは思っていなかったが、それにしてもこんなところで本気出し過ぎだろうに。

 

 その後は会長が箒をたらし込んだり、その結果一夏とまとめて訓練の面倒をみることになったりもしたが、まあそのあたりはどうでもいい。

 なんにせよ、またしばらく退屈せずに済みそうになったのだから。

 

 

 しかし、こんなハプニングも会長の生み出す波乱の一部でしかない。

 一夏はこの後もちゃっかり同室に収まった会長にマッサージさせられたりしたらしいし、昼休みに持ってきた超豪華弁当は俺もお相伴したし、風呂に入っていたら水着姿で乱入されて背中を流されたとか言っていた。

 ハハッ、もげろ。

 

 IS学園に入学してからは一夏にこういった類の内容の相談を受けることが何度かあったが、その度に学園の購買に売っていたのを購入したスパイダーメモリ(のおもちゃ)をどこに置いたか探したくなるのも決して不思議なことではないだろう。

 神上相談所は年中無休だが、相手によってはやり口を変えてもいいんじゃなかろうかと思う。

 

 

 そんな風に一夏はかなり大変らしいが、それは学生稼業とワカちゃんの手先として強羅握手会実行のための根回しに奔走する俺も同じこと。

 さっきも説明した通りにやることが多いし、ワカちゃんは最近さらに暗躍が過ぎるということで、千冬さんから一時IS学園出入り禁止処分を課されてしまい、俺に回ってくる仕事も増えた。勘弁してくれ。

 

 とまあそんな感じで、多忙的な意味でも大変だったのだが、実のところもっと大きな事件が控えていたりするのだから、人生というのはままならない。

 

 文化祭直前に起きた、もう一つのハプニング。

 今回は、そのことについても語っておこう。

 

 

◇◆◇

 

 

 IS学園一年生寮にたった一つしかない一人部屋。

 寮の創設以来長いこと誰も住むことのなかったその部屋であるが、今では立派に使われている。

 

 ベッドやその他備え付けの家具類は女子高生の花園たるIS学園にふさわしい、豪華すぎず落ち着いた上品なデザインを備えたものだが、壁際の本棚に整然と並べられた幾冊ものマンガと小説、DVDのカラフルな背表紙がその雰囲気を完膚なきまでに粉砕する。

 全面がガラス張りになっている戸棚の中には厳選されたロボット系のフィギュアが各々迫力あるプロポーションで、どのアングルから見てもカッコいいポーズを決めてずらりと並ぶ。

 まさしく壮観な、IS学園には似合わぬ男らしさ。それこそが俺の部屋である。

 

 そしてそんなフィギュア群の中でも一番目立つ所に鎮座しているのが、つい最近作ったプラモデル。

 足を開いて正面を見据え、拳を突き出したポーズのよく似合う、重厚にして堅牢なる絶対不退の装甲の具現。

 勇者ロボをさらにごつくしたようなその姿、とても見覚えがある。

 

 ……っつーか、ぶっちゃけ強羅なのだが。

 

 強羅は元々蔵王重工内での装備試験用に使われることが主だったために余り日の目を見ることの無いISだったのが、俺の専用機となったために知名度が上がったらしい。

 その結果として、蔵王重工は強羅を積極的に宣伝に使うようになり、提携おもちゃ会社と協力してプラモデルや食玩のおまけなどに強羅を使うようになったのだという。

 強羅はフルスキンのうえに装甲形状が直線的だし、搭乗者も作らなければならない他のISと違って、とてもプラモにしやすいと聞いた。

 

 俺の部屋に飾ってある強羅のプラモデルはその中でもまだ発売されていない最新のもので、以前ワカちゃんが「ま、真宏くん! ちょっと強羅のプラモデル組み立ててください!」と言って俺の分とワカちゃん自身の分を持ってわざわざIS学園にまで押し掛けてきたときに組み上げた。

 さすがにモデラーの方々のように改造したりといったことはできないが、パーツをランナーから外すのにも四苦八苦するほど不器用なワカちゃんよりはよほどましなので、頑張って作ってあげた。

 ワカちゃんはグレネードのリロードなら目にも映らないような超高速でできるのに、どうしてそれ以外はこんなにも残念なところが多いのか。

 

 ともあれこのプラモデルはとても出来が良く、シリーズ累計でかなりの売り上げらしい。

 実際、おもちゃ会社の造型師さんが強羅に感じたロボ的ロマンの全てをつぎ込んで作ってくれたプロポーションは見事の一言で、俺のISをモデルにしたという多少の照れを差し引いてもかなりカッコいい。

 そのせいもあってか、現在1/8超合金強羅が着々と開発中らしいから、完成のあかつきには一つ買うとしよう。

 いやはや、強羅を使う役得というものだね、これは。

 

 ……などと目の前のテーブルから目を逸らし、全力で現実逃避しなければならないような空気が、今の俺の部屋には満ちていた。

 

「…………………………………………」

「…………………………………………」

 

 元々一人部屋な上、一夏と違ってそうそう頻繁に騒動や女子が訪ねてくることもない俺の部屋は元々静かなものだが、今はそういうのとは全く別種の沈黙が重々しく満ちている。

 

 状況を説明しておこう。

 現在夕食後、寮生によっては入浴を終え、寝るまでを好きに過ごすような時間帯であり、うら若き乙女たちならパジャマパーティーなり昼間はできないようなおしゃべりに興じたりもするだろう、そんな時間。

 

 そして現在地たる俺の部屋には、俺以外にも二人の客がいる。

 部屋の中央付近に置かれたテーブルのこっち側、俺の横に一人、向かい合う奥側にもう一人。

 二人とも甲乙つけがたい美少女であり、どこか似た顔のつくりに対照的な雰囲気を身に纏うという、似てるんだか似てないんだかよくわからない姉妹……ぶっちゃけ、更識姉妹だ。

 

 今日は文化祭を明日に控えた、準備期間最後の夜。

 そして、同時に以前簪と約束した互いの手作り菓子を持ち寄ってのお茶会の日でもあるのだ。

 

 さらにさらに加えてこのお茶会は、急遽文化祭の準備やら一夏の訓練やらで忙しい会長を、ささやかながら労うための意味も込めた会となったのだ。

 

 

 念の為言っておくが、会長を呼んだのは俺の独断ではない。

 発案者こそ俺であるが、そのことはしっかりと簪に伝え、無理強いは決してしないことを約束して是非を問うた。

 その結果が、今日この会だ。

 

 俺は簪のことを友達だと思っているし、簪が姉である楯無会長に抱く複雑な思いの一端も知っている。

 神上真宏としてこの世を生きる前の記憶があるとはいえ、今ではよくよく記憶をくすぐられることの多いインフィニット・ストラトス関連以外のことは既にほとんど忘れかけており、しかも今生においては既に天涯孤独の俺に家族間の面倒事は少々荷が重い。

 

 だが、それでも俺は簪の友達でありたい。

 だから相手を尊重しつつも思ったことは言うし、簪の言いたいことも聞く。

 簪と会長の仲が少しでもマシになればいいし、一夏ともども最近世話になっている会長の苦労を労いたくもある。そんな二つの考えを一挙に解決する妙策として思いついたものこそが、このお茶会への招待だった。

 この話を最初にしたとき、簪はかなり迷っていたようだったが、それでも勇気を出して会長を呼ぶことを承諾してくれた。

 簪も会長と多少なりと話をしようと思ってくれたようだし、これはひょっとしたらなかなか良い兆候なのではないだろうか。

 

 ……と、思ってたんだけどさ?

 

「…………………………………………」

「…………………………………………」

 

 結果は御覧のあり様だよ!

 

 何この子ら、なんで一言もしゃべらないの!?

 簪は時々何か喋ろうとしてるみたいだけど、根本的に控え目で押しが弱いから少し会長と目が合っただけですぐ俯くし、会長は会長でそんな簪の態度に一々ビクついて、目を逸らされる度に世界の終わりを告げられたような目を俺に向けてくる。こっちみんな!

 

 簪が話しかけやすいようにかいつもの癖か、会長は目つきこそ情けない感じになっているものの、表情全体としてはいつも通りの笑みを形作っている。

 ……いや、違うな。頬が引くついてることから察するに、おそらくさっきまでの態度から簪に嫌われてるんじゃないかとか考えてものすごいビビってる。

 それでも表情を崩さない根性はすごいんだが、せめてその気合を少しでも会話に振り向ければいいだろうに。

 ホント、変なところでヘタレな姉妹だ。

 

 それにしても空気が重い。

 さっきからもじもじと向かい合って動かない二人を見ていると、思わず「妹さんを僕にください!」と叫ぶか「それでは、あとは若い二人にお任せして……」と言いつつ部屋を出たくなってくる。

 ……まあ、やらないが。

 前者をやった場合、もはや一杯一杯になっている会長に何をされるかわかったもんじゃないし、後者に関しては簪が服の袖を思いっきり引っ掴んでいるので逃げられない。

 ホント、どうしろと。

 この会の首謀者たる俺であるが、さすがにこの事態は予想外だ。

 

「……さて、こうやって黙っててもらちが明かない。そろそろ茶も飲みごろだし、お菓子食べましょうや」

「そっ、そうね!」

「う……うん」

 

 そして、俺の言葉を好機とばかりにようやく声を出す二人。

 正直、この姉妹がまさかここまでぎこちないとは思っていなかった。

 そりゃあ、目の前で会長が命張って簪助けでもしない限りわだかまりが解けないはずだわ。

 

 飲み物はなんにしようかと多少悩んだのだが、俺は和菓子風のものだし、簪が作ってきてくれたのは抹茶のカップケーキ。だから、その両方に合わないこともないだろう緑茶にしておいた。

 急須からそれぞれの茶碗に茶を注ぎ、簪と会長の前へすっと差し出す。

 さすがに二人とも古くから続く家系の出だけあって、その茶を一口啜る仕草は緊張からか多少ぎこちないが、とても様になっていて美しい。

 俺程度の淹れた粗茶でもそうやって飲んでもらえると冥利に尽きるというものだ。

 

「それじゃあまずは俺から。羊羹を手作りしてみた」

 

 冷蔵庫から取り出してきた羊羹を並べていく。

 豆の味が残るよう、あんこを作るときよりはだいぶあっさりと煮た小豆を器に敷き、そこへうっすらと甘味を付けた寒天を流し込んで固めただけの簡単な物。

 しかし透明な寒天の中を流れるように浮かぶ小豆の粒は可愛らしいし、黒蜜を垂らしてかければ濃厚な甘さが何とも言えない、風流な和菓子だ。ぶっちゃけ羊羹の変わり種なのだが。

 

「私は……これ。口に……合うと、いいけど」

 

 そして簪が出してくれたのは、予告通り抹茶のカップケーキ。

 ケーキを入れておくような白い組み立て式の紙箱のふたを開けると、香ばしく抹茶の香りが部屋に漂った。

 これだけの香りが立つということは、ひょっとして作ったばかりなのだろうか。どうやら簪も今日のお茶会に気合を入れてくれているらしい。

 紙箱の中にはちょこんと三つのカップケーキ。簪と、俺と、会長の分だ。

 もこもことカップの上側を膨らませた緑色のカップケーキが収められているのは、会長とのお茶会を受けとめるという、簪が抱いたある種の決意なのだろうと思う。

 

 思うのだが、それを台無しにした奴がいる。

 それは誰かと問うならば、誰あろう。

 我らがIS学園の生徒会長にして簪の姉、更識楯無自身である。

 

「わっ、私も!」

「はい?」

「私もお菓子作ってきたの!」

 

 おそらく、それはこれまでずっと自分に怯える簪に気を使って距離を取っていた会長なりの歩み寄りだったのだろう。

 今日のお茶会が、俺と簪が和洋折衷ながら手作り菓子を持ち寄ってのものだというのは誘った時に説明してある。

 

 簪の手作り菓子が食べられるという餌で一本釣り出来るかと考え、事実その狙いは見事に当たったのだが、……どうやら少々効きすぎたらしい。

 くるりと背を向けた会長が振り返り、テーブルの上に置いた物は「ずしんっ」と音を立てた。

 

 いつの間に持ち込んだ物かは知らないが、テーブル中央、俺の用意した小豆の寒天寄せと簪のカップケーキの入る紙箱など比較にならないほど大きいそれは、ホールケーキを入れるときに使われる横壁と天井部分が蓋になっている紙箱だった。

 

「ほら、すっごいわよ!」

 

 そして会長は興奮のままに蓋を開け、

 

「おおっ!」

「……!?」

 

 俺たちはそこに、超気合の入ったケーキを見た。

 

 全体的には、ごくオーソドックスなショートケーキのような見た目をしている。

 高さは5cmほど、直径は30cmほどで、サイズ的にはそう規格外なものでもない。

 

 だが生クリームの化粧も艶やかに、ウェディングケーキもかくやとばかりに見事な流線形を描くホイップクリームの波と、シロップでも絡められたか眩くきらめく真っ赤なイチゴ。

 それら一つ一つならばお菓子作りを趣味とする程度の人でも作れるかもしれないが、その全てをここまで高度に組み合わせられるあたり、やはり只者ではない。

 外見だけでも「女子高生が趣味で作ったお菓子」の領域を遥かに超越し、味もまたそこらのパティシエの作る物など及びもつかないだろうということを予想させるに十分な、圧倒的にすごいケーキが、そこにはあった。

 

「うふふ、ちょっとがんばっちゃった。二人の口に合うと……いいん……だけ……ど?」

「……」

 

 うきうきした表情の会長であったが、すぐに異常に気付いたらしい。

 会長の正面、俺の隣。

 簪が、さっきからずっと俯いていることに。

 

 

 最初、会長はしばらくどうして簪が俯いているのか分からず視線をあちらこちらに飛ばしていたが、ふとある物に目が止まる。

 そして、その顔色を自身の髪よりも青くした。

 

 会長が見つめているのは、会長が作ってきたケーキより少し先、1ホールのショートケーキとは比較にならないほど小さな、簪特製カップケーキ。

 

 はっきり言って、モロ被りである。

 しかも、見た目的には会長ぶっちぎりの大勝利で。

 

 俯いたまま、小さく震えだした簪。

 自分のやらかしたことに気付き、表情が固まったまま脂汗をだらだら垂らす会長。

 ……いかん、マズイ傾向だ。

 

 

 会長にも簪にも、悪気は一切ない。

 二人の用意した菓子が両方とも「ケーキ」と名のつくものであったことは単なる偶然。

 簪は自分の最も得意とする抹茶のカップケーキを作ってくれたし、会長の手作りの枠を越えつつある見事なデコレーションのショートケーキだって、きっと簪に喜んでもらおうと頑張ったのだろう。

 

 だが、相手は完璧超人たる更識楯無。

 そして簪は、そんな姉に対するコンプレックスの塊だ。

 

 そんな状況が揃えばどうなるか。

 答えを導き出すのは、そうそう難しくもない。

 

「っ!」

「簪ちゃん!?」

 

 カップケーキの入った紙箱を引っ掴んで扉へ向かう簪と、テーブルの向こうから手を伸ばす会長。

 目尻を涙で光らせた簪は振り向かず、伸ばした会長の手も届かない。

 

 ……あー、くそ。

 まずったな、まさかこんなことになるとは。

 普段から会長を避けに避けている簪が勇気を出してこのお茶会に会長を誘うことを許してくれたから、少しは互いに話をして打ち解けることもできるかと思っていた。

 これが何かのきっかけになって、コンプレックスの解消とか専用機を自分で組もうと固執したりとか、そういうものがなくならないまでもせめて姉妹で普通に話をできるようになればいい。お茶会が始まる前に期待していたそんな未来が、今まさに崩れ去ろうとしている。

 

 ああして逃げ出した簪が今さら戻ってきてくれるとは思えず、会長は届かない手をいつまでも伸ばしている。

 しょうがないな。これじゃあ、俺が行くしかないじゃないか。

 

 

◇◆◇

 

 

「ううっ……、ふっ……ぁぁあああ……」

 

 IS学園の寮は広い。

 当初から多国籍かつ、それぞれの国でエリート的立場にある生徒を多数収容することが想定されていたため、生徒達に不自由な思いを抱かせぬよう、そしてそれがもとでトラブルに発展したりしないよう、部屋は豪華で、防音は完璧で、廊下は広い。

 だから、消灯までの時間に意味もなく廊下でたむろするような生徒はおらず、隅でカップケーキの箱を抱えて蹲り、涙をこぼす簪を見咎める者もいなかった。

 

 簪は、心の底から後悔していた。

 

 せっかく真宏が誘ってくれたお茶会を台無しにしてしまったこと。

 姉から逃げ出したこと。

 真宏にまた泣いているところを見せてしまったこと。

 

 そしてなにより、カップケーキを真宏に食べて貰えなかったこと。

 

 

 簪とて、今日のお茶会については思うところがあったのだ。

 整備室で知り合った、趣味の合う友人である神上真宏。

 世界に二人しかいない男性IS操縦者の一人であり、強羅という、簪が憧れるヒーロー達のようにとてもかっこいいISを使う少年。

 

 その心根は不必要なほどにまっすぐで、彼の言う「ロマン」をひたすら目指している。

 他の専用機持ちたる代表候補生たちと比べれば元々の実力は及ばないようだが、それでも諦めることを知らず、強羅の整備も自身の肉体の鍛錬も怠りはしない。

 姉から逃げるようにして打鉄弐式の開発に打ち込んでいる簪からすれば、困難を前にしても引くことなく立ち向かうその姿勢は紛れもない憧れの対象だった。

 

 時々簪が打鉄弐式の開発にどうしようもなく詰まった時に限って話かけ、半ば強引に整備室から連れ出して気分転換をさせてくれた。

 夏休みには、ついうっかり見逃した映画をまだ上映している劇場を見つけてくれて、連れて行ってくれた。

 大迫力のスクリーンはやはり動きのあるアクションにこそふさわしく、その中でライダー達が見せてくれた戦いと勇気は、簪の胸の奥に燃え盛る炎のような熱を今も残してくれている。そしてそれは間違いなく、ライダー達と真宏がくれたものだ。

 

 考えれば考えるほど、真宏には恩がある。

 あの映画を一緒に見に行った直後、真宏の家に織斑一夏を始めとする自分以外の専用機持ち――当然、ほとんどが女子――が押しかけ、彼手作りのお菓子を振舞われたという話を聞かされたときは柄にもなく真宏を睨みつけてしまったが、真宏はそのかわりと言って今日のお茶会を約束してくれた。

 

 ずっと、楽しみにしていたのだ。

 今日用意したカップケーキも美味しくなるよう何度も練習して、満足のいく出来になるまで頑張って作ってきた。

 きっとおいしいと言ってもらえるだろうし、自分も真宏が作ってくれたお菓子をおいしいと言ってあげられるはず。

 そのはずだった。

 

 だが、もう遅い。

 少しおせっかいなところもあるが、それでも友人として自分の家庭環境も気にかけてくれている真宏が、今日のお茶会に姉を誘ったのは額面通りに楯無の日々の苦労を労うためだけではありえず、簪と楯無のことを思ってくれてのことだろう。

 コンプレックスを感じてこそいるものの、決して嫌いにはなれない姉と自分が少しでも話せるようになるために、と。

 だがそれを、自分が無にした。

 

 姉が作ってきた豪華なケーキを一目見て簪は、やはり勝てないと思ってしまった。

 それだけなら耐えられただろう。姉の優秀さを見せつけられる程度のことなら、もうとっくに慣れた。

 

 だがもしも、真宏に自分のカップケーキとあのケーキを比べられたら。

 そして楯無の作ってきたケーキのほうが好きだと言われてしまったら。

 そう考えたらいてもたってもいられず、ケーキを持って逃げだしてしまったのだ。

 

 もう、死んでしまいたい。

 

「私の……ばか。ばかばかっ」

「まったくだ。バカめ、と言ってさしあげよう」

「っ!?」

 

 答えが返ってくるはずのない独り言に、どこか温かみのある返事がかけられた。

 

 その声には当然聞き覚えがあり、簪はどうしてここにいるのか問いただすために振り向こうとした。

 しかし。

 

「むぎゅっ!?」

「あーあーまた泣いて。ホント泣き虫だな簪は」

 

 振り向きかけた簪の顔は、ビンタの一歩手前のような勢いで頬に当てられた真宏の掌に止められた。

 むにむに、とそのまま頬をこねられる。

 不思議と嫌な気分はしなかったが、くすぐったくて照れ臭い。

 そして真宏の掌のどこかほっとする暖かさに包まれているのが、妙に恥ずかしかった。

 

「ど、どうして……」

「どうしてもこうしても、ああやって逃げられたらそりゃ追うだろ」

 

 ひとしきり簪の頬の感触を楽しんだ真宏がようやく手を離すころになると、もはや涙も引っ込んだ。さっきまで簪が泣いていたことを示す証拠は目尻に残る涙のあとと、頬の赤さくらいのもの。

 だがその赤い頬も、泣いたせいなのか、真宏に頬をこねられたせいなのか、それとも真宏に触られたせいなのかは、簪をしてすらはっきりとはわからないことだった。

 

「泣いて逃げたのを追うのもどうかと思ったけどな、俺は一夏と違って女の子との触れ合いなんてほとんどないし、ましてや手作りのお菓子を振舞って貰えるなんてこれが初めてなんだ」

「……」

 

 その時真宏が喋った言葉は少し早口で、突然の事態に動転していた簪には半分くらいしか理解できなかった。

 だが、それでもわかることはある。

 

 ひょっとして、真宏は。

 

「だから……、単刀直入に言う」

 

 

「簪の作ったカップケーキ、食べさせてくれ」

「……っ」

 

 自分の作ったケーキを、欲しいと言ってくれているのだろうか。

 楯無の作った、簪すら一目見ただけで美味しそうだと思ったあのケーキを見た後で。

 

「で、でも……むこうのケーキのほうが……」

「ああ、美味そうだな」

 

 ぐさり、と真宏の言葉が簪の胸に突き刺さる。

 ……そういえばそうだった。この神上真宏という友人は、たとえ相手の痛いところを突くことになっても容赦などしないのだ。簪も、一人で専用機を組み上げている最中に何度耳に痛いことを言われたことか。だが、その話も今は置いておこう。

 

「確かに、会長の作ったケーキは美味そうだったよ。だけど」

「だけど……なに?」

 

「簪のカップケーキだって、負けず劣らずうまそうじゃないか」

「!?!?!?!?」

 

 

 真宏の言葉に驚きすぎて、それどころではないのだから。

 

 呼吸が止まり、顔が熱い。きっと耳まで真っ赤になっているし、指先がチリチリする。口の中はカラカラだ。目の奥が熱いんだ。

 何を言われたのかはっきり理解しているのだが、あまりに想像外のことだったのでそれが本当に現実の出来事なのか信じられない。

 

 真宏は何と言った?

 美味しそうだと?

 このカップケーキが?

 

 姉の作ったケーキと、同じくらい美味しそうだと。

 

「お世辞は……きらいっ」

「俺はこんな状況で世辞を言うほど優しくないよ」

 

 ごく当たり前のように、真宏は言う。

 

 嘘だ。

 真宏の言うことは嘘ばかりだ。

 

 だって、真宏の目に偽りの色は一切なく、心から簪のケーキが食べたいと思ってくれるくらい、優しいのだから。

 

「……本当に、食べたい?」

「食べたい。超食べたい。なんなら土下座でもしようか?」

「い、いいっ……! いらない!」

 

 そこから真宏とどんな会話を交わしたか、実のところ簪は余り覚えていない。

 気付いた時には寮の自室のベッドで布団にくるまっていて、頬がやたら熱いのを感じていた。

 

 断片的に脳裏をかすめる記憶が確かなら、あのあとはもう真宏と目を合わせることもできず、半ば押し付けるようにして後生大事に抱えていたカップケーキの箱を渡したように思う。

 はっきり覚えているのはただ一つ、箱を受け取るなり中のカップケーキの一つにかじりついた真宏が一言。

 

「うん、思った通り。美味いよ、簪」

 

 そう言ってくれたことだけだ。

 

 思い出したら今度は顔全体が熱くなり、手をぎゅうと握りしめてしまい、掌の中で花の模様が印刷されたビニールの包みががさりと音を立てる。

 一瞬その存在を忘れていたことに驚くが、そういえばこんなものも真宏からもらった。

 辛うじて握りつぶすことのなかったその包みは、お茶会のあとにお土産としてくれるはずだったというクッキー。

 かさりとこすれた包装の隙間から、布団の中に小麦の焼き菓子特有の優しく甘い匂いが満ちて、少しだけ簪の心を落ち着かせてくれる。

 

 布団にくるまったままでは行儀が悪いと一瞬ためらうが、簪はほんの少しだけそのクッキーをかじってみる。

 さくりと音のする歯ごたえは決して軽いものではなく、むしろ硬めですらあったが、それこそ手作りクッキーの醍醐味。口の中に広がるバターの香りと、砕けた生地から伝わる甘味のバランスは絶妙で、思わず口元に笑みが浮かぶ。

 

 おいしい。

 

 真宏の作ってくれたクッキーは、思った通りとてもおいしかった。

 きっとお茶会で出された小豆の寒天寄せもおいしいだろうから、その味を見られなかったことが少しだけ残念だ。

 

 お菓子一つで機嫌を直す自分の単純さには我が事ながら呆れてしまうが、それでもこのクッキーはとてもおいしい。

 

 

 そして簪は、さっきクッキーの包みと一緒に渡された一枚のカードに指を這わせる。

 強羅の握手会にスタッフとして参加する者に配られる、身分証明のようなものだという。真宏はこれを簪に渡し、是非来てくれと言っていた。

 強羅が握手会をするという噂を聞いて心動かされてはいたが、さすがに小学生以下を対象としたイベントに自分が参加するのはどうかとも思っていた。しかし、運営スタッフの手伝いとしてなら、大丈夫かもしれない。

 これがあれば、明日も真宏に会うことができる。そして、勇気を出して今日のことのお礼を言おう。

 

 楯無との関係が改善されるのは、きっとすぐにというわけにはいかない。

 もうしばらくしてほとぼりが冷めた頃、できれば自分が専用機を自力で組み上げた頃にしたい。

 

 覆しえない臆病さが簪の中にはいまだ強く根を張っているが、もしも自分一人だったらこうして姉と向き合おうとすら思えなかっただろう。

 そんな自分を、真宏のクッキーにもらったひとかけらの勇気が塗り替えてくれたこと。

 それが簪にとっては、何よりうれしいことだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 ふぅ、なんとかなったか。

 

 逃げた簪を追いかけ、泣いているのを慰め、カップケーキを貰ってクッキーを渡すという、俺にとっては困難どころじゃないミッションをなんとかやり遂げ、部屋に戻る。

 まったく、こういうのは一夏の役目であろうに、どうして俺がこんなことをすることになるのか。

 まあ簪は俺の友人だし、そんな彼女のために奮闘することはやぶさかではないのだが、それにしたって俺には似合わなすぎる。

 

 パワーアシストを切った強羅でアリーナを10周する時以上の疲労を精神的な意味で感じつつ、ようやく部屋に戻ってくるのに30分以上経っているあたり、俺の苦労がわかるというものだ。

 

「へーい、なんとか簪を慰めてきましたよ会長。……って、なんかさっき部屋出て行ったときと全く同じポーズしてませんか」

「……」

「いや、なんか返事してくださいよ、さすがに怖くなりますから……ってうおお!?」

 

 部屋に戻り、なんか簪に手を伸ばしたポーズのままでずっといたらしい会長に声をかけ、反応が返ってこないことを疑問に思いながらも肩を叩いてみた。

 すると、会長はまるで彫像のように微動だにしないまま、横にぶっ倒れた。

 どういう現象だ!?

 え、なにこれ死後硬直!? 体を揺すっても関節の角度が一切変わらねえ!

 まるでニンジャが出て殺すFLASHアニメのようだ!

 

「か、会長しっかり! 簪泣きやみましたから! 会長のこと嫌いになってないですから!」

「…………………………………………ほんとう?」

「本当です! ……多分。って、瞳孔開き切ってないですか!?」

「かんざしちゃん、おねえちゃんをきらいになっちゃうの?」

「セリフがひらがなだ! 幼児退行しかけてるー!?」

 

 ……恐るべし、妹に対してやらかしてしまったシスコンの精神ダメージ。

 もし千冬さんが一夏に嫌われたら同じことになったりするのだろうか。興味深いが、見たくない。

 

 この後会長が正気に返るには実に一時間を要し、その間に何度か呼吸が止まったり痙攣したり、本気で死にそうになっていたことを追記しておこう。

 

 ちなみに、会長の持ってきたケーキはこのあと会長ともども一夏の部屋にデリバリーし、箒を始めとするヒロインズも呼んでおいしくいただきました。

 

 味の方は、まあ美味しかったよ。

 俺は、簪のカップケーキのほうが好きだけど。

 

 

 そうしてドタバタと騒がしい日々が過ぎて、ついに明日は文化祭当日がやってくる。

 大人気必至の我らが一年一組のメイド喫茶に、いくら子供とその保護者が対象とはいえ、学園外部からの客を多く招く強羅の握手会。

 そして主に俺と会長が企画した生徒会の出し物と、一夏を狙う秘密結社の影。

 

 波乱の種はそこかしこに撒き散らされ、芽吹くときはもうすぐそこ。

 それらが一体いかなる大樹となるか。

 さあ、文化祭も騒がしいことになりそうだ。


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