IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第17話「ありがとう、強羅」

 スルスルと、海上高くを通る梁に吊るされたモノレールが静かに走る。

 吹きつける潮風にすら揺れることなく、普段乗る地上の電車などとは段違いの静かさと乗り心地は驚くべき技術力なのかもしれないが、それを気にする者など今の少年の周りには一人も居ないらしい。

 さっきまで、キラキラと輝く海面に向けていた視線を車内に転じると同時にその感想を抱き、今年小学4年生になったその少年は、手の中のプラモデルを握りしめた。

 

 車内にひしめき合うのは、彼と同じ小学生くらいの男女がほぼ半数ずつと、その保護者としてついてきた大人達。子供達はワクワクとした瞳の輝きを抑えるつもりもなく、保護者の一部もまた子供達と同様の期待に胸を膨らませている様子が手に取るように分かる。

 興奮と、来るべき感動の予感にモノレールの車両が内側から膨らもうとしているかのような雰囲気が満ちているようで、さっきから居ても立っても居られない様子の子供達がもぞもぞと座席の上で落ち着きなく体を揺すっていたし、事実少年もまたそんな中の一人だった。

 そして、一番前の席に座っている女の人は興奮一歩手前と言った様子で、長い黒髪がさらさらざわざわと揺れている。

 自分達から見れば随分と年上で、保護者もいないようだけど、まさか同じ目的の人なのだろうかと不思議に思うが、今はそれどころではない。今日は、とびっきりのイベントが待っているのだから。

 

 モノレールの向かう先は、IS学園。

 そしてこのモノレールの乗客は全て、今日開催されるIS学園の文化祭のイベント、強羅握手会の抽選に見事当選した子供と、その保護者達であった。

 

 

 少年は、これから出会うISに思いを馳せる。

 

 つい数カ月前、テレビを賑わせた男性IS操縦者の話題。

 人が人の姿のまま空を自在に飛ぶという、子供心にもとんでもないものだとわかるが、女性しか操れないというIS。そのISを操縦することのできる男性が最近になって二人も見つかったのだという話を、少年は両親が食い入るように見つめるニュース番組で知った。

 とはいってもその事実はしかし、少年にとって他のニュースと全く変わらない、大人が何か難しいことを言っている、という程度の話題に過ぎなかった。

 翌日の学校で多少騒がれはしたものの、小学4年生ともなれば男女の区別くらいは付くようになる年頃であり、自分が生まれたころから既に広く知られていた『ISを使えるのは女の子だけ』という事実は、今さら認識し直すまでもない当たり前の現実として定着していた。

 だからこそISを使える男が現れたという事実は驚愕すべきニュースだったのだが、ISを使えるようになったのは自分ではない。

 

 クラスの一部には「もし自分がISを使えたらどうするか」という、ヒーローごっこの延長となんら変わらない想像を熱弁する男子もいた。だが結局のところそれは想像に過ぎず、世界を変えることなどない。

 

 どんなに望んでも、買って貰った変身ベルトを光らせてもヒーローになれないことくらい、あの男子達だってとっくに知っているはずだから。

 

 確かに、少年はそう思っていた。

 その数週間後、ISを操縦できる二人のうちの一人、神上真宏の専用機の姿を見るまでは。

 

 初めてその姿を見たのは、またしてもテレビのニュースだっただろうか。実のところ少年は詳しく覚えていない。

 なぜなら、テレビの画面越しに出会ったそのISの姿に、一瞬で心奪われていたからだ。

 

 そのISの名前は、強羅。

 蔵王重工が作り上げた、第二世代型IS。

 蔵王重工の重役が居並ぶ記者会見の会場に、中に人が入らないまま、それでも雄々しく胸を張って立つ姿は、今でもよく覚えている。

 

 絶対無敵の防御力を誇るフルスキンの装甲はただひたすらにカッコよく、ゴツイ手足は立ちふさがるあらゆるものを粉砕してのけるだろうと、信じて疑う理由がない。

 そのときはまだ自らを操るべき主を宿していない無人の姿ながら、初めて見たそのISはまさしく偉大な勇者その物としか言えない姿をもって少年の瞳に映り、その魂にまで圧倒的な存在感を刻みこんだ。

 

 まるで物語の中のヒーローのようなその姿。

 だがそれは紛れもない現実で、テレビの向こう、記者会見の会場へと駆けつければ目の前に画面越しと変わらぬ威容を見せつけてくれる。

 かつて憧れ、しかし決して届かないと知ってしまったヒーロー達とは違う、本物の質量を持ったモノ。

 

 それを見て、心奪われなければ男じゃない。

 ニュースを見てから数ヶ月後、父親がこれまで見たこともないような笑顔で買ってきて、作ってくれたこの強羅のプラモデルが何よりの証拠だ。

 

 だから、少年は強羅と間近で接し、握手できるというこのイベントの存在を知った時、迷うことなくはがきを出すと決めた。

 仕事に疲れて帰ってきた父親に、拙い言葉と興奮に染まった頭でそのことを伝えるのは難しくてならなかったが、次第に今日IS学園で開催されるイベントの内容を理解していった父親の表情は輝き、どこからともなく引っ張り出してきたはがきに、応募のための必要事項を書いてくれた。

 生憎、父親は上司が突然出張することになった代わりの仕事が入ってしまったらしく今日の付き添いには来れないが、だからこそ父親の分も強羅との思い出をしっかり記憶に刻まねばならない。

 

 強羅の手は大きいだろうか。熱いだろうか。冷たいだろうか。どれだけごつごつとして硬いだろうか。

 

 右手を握っては開き、これから強羅と繋がるだろうその瞬間を想像しては抑えきれない歓喜の感情に体全体が包まれる。

 この気持ちはこのモノレールに乗る全ての子供達が同じはずで、その事実が何よりうれしかった。

 

 そのとき。

 

 

――コンコン

「?」

 

 ふと、少年の耳に小さな音が届いた。

 はて、一体どこから聞こえてきた音なのだろうか。直感を信じるならば自分のすぐ隣、モノレールの壁側から響いた音だ。

 だがおかしい。だって自分は壁側の席に座っているから、すぐ隣には壁があり、その向こう側は何もない空中のはずなのに……。

 

「……え?」

 

 疑問はすぐに氷解する。

 どういうことかと確かめるため振り向いた視線の先、窓の外。

 IS学園へと向かうモノレールの車両のすぐそばに、強羅がいた。

 

 

 1メートルと離れていないすぐ近く、窓がなければ手を伸ばすだけで触れることができそうな距離に、テレビで見慣れた強羅がモノレールと並んで飛んでいた。

 ついさっき、自分の注意を引くために窓ガラスを叩いた拳は開かれ、ひらひらと手を振っている。

 

「あ……あ……」

「あら、どうした……の……?」

 

 目を見開き、口を閉じることもできず、だが手の中のプラモデルだけは胸に押し付ける少年。

 そして、そんな我が子の様子をいぶかった母親も窓の外を見て言葉を失くし。

 

 

 

 

「強羅だーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 

 

 

 ついに迸った叫びを聞きつけた車内の全員が窓際に寄り、モノレールが一度ゆらりと揺れた。

 

 びっしりとモノレール進行方向左側面の窓に張りつく子供達を眺めながら、強羅はモノレールの隣を同じ速度で飛行している。

 水平に伸ばした体は陽光を弾く鋼鉄の装甲を海面に映し、左腕は飛行姿勢のため斜め下方へと伸ばし、手を振るためにわずかにロールした体勢でいる。

 PICの恩恵を受けた機体はそんな不安定な体勢でも揺るがず、ブレードアンテナに切り裂かれる潮風の色が見えるのではないかと思うほど、モノレール車内の子供達には輝いて見えた。

 

「すげえっ、強羅だ! 本物だ! 飛んでるっ!」

「腕太いっ! 足ごついっ! 装甲硬そうっ!」

 

 車内のあちこちから興奮に満ちた声が上がる。

 今日この場に集った子供達は誰もが強羅に会える権利を得てこそいるが、それでもついさっきまで強羅はテレビの向こうのヒーローに近い、現実でありながら現実離れした存在だった。だが、今目の前に強羅がいる。

 自分たちと同じ速度で空を飛び、時に高度を上げ下げしては体を捻って回転させ、海面スレスレを飛んで白い軌跡を海上に映し出す。

 その一つ一つが紛れもない現実であり、子供達の胸を騒がせるのだ。

 

 憧れた勇者の姿が嘘ではないこと。

 間違いなく、手を伸ばせば届くほどの距離にいてくれること。

 子供達は、そのことを生涯忘れないだろう。

 

 

 しばらくモノレールと並んで飛んでいた強羅はしばらくして、ぐっと沈み込むように高度を落とす。

 海面を擦りながら速度も落とし、モノレールからわずかに遅れる。

 力を溜めるようなその一瞬の停滞の後、強羅はブーストの余波で海面を爆ぜさせて一気に速度と高度を上げ、瞬く間に空へと駆け上がって行った。

 

 そして、ブーストで巻き上げられた海水の雫と、少年達を祝福するようにかかる巨大な虹が残される。

 

「……すげえ」

 

 誰知らずこぼれたその呟きこそが、保護者として付いてきた大人も含めて全員の意思の代弁だった。

 強羅がモノレールの隣を飛んでいた時間は決して長くない。ほんのわずかな時間のファンサービスであり、強羅の最高速度と見える最後のあの機動も、IS全体の中から見ればいっそ鈍足な方ですらあろう。

 

「なあ、すごかったよな!」

「うん!」

 

 だが心に焼きついたその姿は色濃く、衝撃だった。

 あちらこちらで子供達が、さっきまで見ず知らずの他人だった隣の子供と言葉を交わしている。男の子どうしが抑えきれないとばかりに互いの手を握り、女の子達は胸の前でそれぞれ両手を組んで頷きあい、「すごいね! すごいね!」としがみついてくる1年生くらいに見える女の子の頭を、6年生だろう男の子が優しい笑顔で撫でている。

 

 強羅が現れて、ただそれだけでモノレールに乗っていたみんなが友達になったのだ。

 

 やっぱり強羅はすごい。

 最初に強羅を見つけた少年の顔にも他の子供達と同じ笑みが浮かび、その手の中のプラモデルをますます強く握りしめた。

 決して高価なものではなく、強度も知れたものであるはずのそのおもちゃはしかし、少年の思いに応えるように頑健であり続ける。

 まるで、本物の強羅のようだと、少年は思った。

 

「あっ、それ強羅のプラモデル!」

「……うん、これはね、お父さんが作ってくれたんだ」

 

 そして少年もまたこの日、強羅の導きにより新しい友達ができたのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

『はいっ、強羅に会うために集まってくれたみんなー! こーんにーちはー!!』

「「「こーんにーちはー!!!」」」

 

 壇上に立ち、笑顔を振りまきながらマイクにセリフを吹き込んだワカの声に応えて、子供達が元気よく返事を叫ぶ。

 

 ついさっき蔵王重工のスタッフから、イベント参加者がIS学園に来るためのモノレールと並んで強羅が飛んだと言う話を聞いたときから半ば予想していたのだが、子供達のテンションは舞台の袖で様子を見守る簪の予想より、圧倒的に高い。

 男女の比率はほぼ同数ずつ。これは応募してきた男女比をそのままに抽出したらしいが、ISなのに男子が多いと見るべきなのか、それとも強羅なのに女子が多いと見るべきなのかは、男女どちらも満面の笑顔であり、判断はつきかねる。

 

 一人の例外もなく目を輝かせ、ステージへとよじ登らんばかりに迫ってくる姿にはしかし恐ろしげな気配など微塵もなく、ただ純粋な好意と輝きだけが見て取れる。

 

 子供の目で見た強羅の姿には、きっとそれだけの価値があるのだろう。簪自身、初めて強羅を見たときはまさかヒーローが目の前にいるのではないかと目を疑ったほどなのだから、その気持ちはよくわかる。

 

 昨日の夜に真宏からもらったカードを持ってこの強羅握手会会場へとやってきた簪は、さっそく手伝いに駆り出されている。

 ステージの設営こそ前日からIS学園に入って準備をしていたスタッフ達が終えていたが、来場者誘導のためのルート設定や、ついでとばかりに売り出されるまだ未発売の強羅フィギュアなどの物販スペースに商品を運んだりなど、意外とやることは多い。

 ちなみにそんな中、簪が最初に任された仕事は「ワカをモノレール駅からここまで連れてくること」だった。

 

「えっ……でも、その人ってここの責任者なんじゃ……」

「そのはずなんだけどね……。うちのワカちゃんはお祭り好きだから、ふらふらと迷子になっちゃいそうなのよ」

 

 なんでも、今回の企画の首謀者……ではなく発案者である蔵王重工のISテストパイロット、ワカは今日のイベント参加者がIS学園へとやってくるモノレールと強羅を併走飛行させるということを思いついてしまったらしい。

 ある意味IS学園外でISを使用するというとんでもないサプライズであり、交渉し、押し通し、許可を取ったは良いが、そのことが千冬の耳に入ってしまい、文化祭期間中も含めてIS学園への一時出入り禁止を申し渡されてしまった。

 その結果、苦肉の策として真宏から文化祭入場チケットを貰い、イベント参加者の小学生と保護者に混じって来ることになったのだという。

 

「いやー、IS学園を相手にあんな条件飲ませる当たりさすがだけど、結局千冬さんにバレちゃうあたりがうちのワカちゃんよねー」

「……そう、ですか」

「うん、そうなのよ。あっ、そろそろワカちゃんを迎えに行ってもらっていいかな。簪ちゃんよりちょっと背が低くて、髪が長くて、子供達と一緒になってテンション上がってる、高校生以下にしか見えないのにビジネススーツ着た女の子がいたら、多分それだから」

 

 実のところ、蔵王重工のワカと言えば日本のIS操縦者の中でも知る人ぞ知る実力者として有名であったりするのだが、その実態を思い知らされた気分に簪の胸中は複雑だ。

 そもそも特徴の説明がコレというのはどうなのだろうか。

 

 言われた通りモノレール駅へと迎えに行ってみると、飛行する強羅を間近に見て興奮する子供達に混じって簪くらいの身長しかない髪の長い女の子が、物凄いほくほくした笑顔で子供と強羅談義をしながら歩いてきていたのだから、なおのこと。

 

「祭りの場所は……ここですか!」

「あ……アレだ」

 

 まさか本当に一目でわかるとは思わなかったが、実際その通りだったのだから困ったものである。

 

 

『うんっ、良いお返事です! 今日はみんなが楽しみにしていた強羅との握手会! 思い出をたーくさん作っていってくださいねー!?』

「「「はーーーーーーーーいっっ!!!」」」

 

 放っておいたらそのまま文化祭へと突撃しそうだったワカを捕まえ、なんとか握手会の会場へと連れてきたのがほんの数分前。

 会場の設営などでは大した手伝いが出来なかった簪であったが、物販システムの立ち上げなどに自作の両面キーボードを駆使して手伝っているうちに開始時間となった。

 

 どうやらイベント自体は問題なく進行しているようだ。壇上のワカを見て、司会のおねーさん役がついさっきまで自分達と一緒にモノレールに乗っていた人だと気付いた子供も何人かいたようだが、いまはそれよりもさっき目の当たりにした強羅と直接会えるのを楽しみにする方に忙しいのだろう。

 

 ワカのトークは巧み……というかむしろ子供達と精神年齢が同レベルらしく、さっきから単に強羅のすごさを興奮しながら語っているだけなのに、反響はすさまじいの一言。

 

『強羅の装甲は超硬いんですよ! ラファール程度が使うようなひょろひょろのグレネードなら平然と耐えて見せます!』

「「「わーーーーーっ!」」」

『そして圧倒的なパワー! 軽自動車でお手玉することもできるんです! 真宏くんがこの間見せてくれましたし!』

「「「すげーーーーっ!」」」

 

 ……と、このようにテンションはどんどん上がっていくのだが、肝心の強羅はどうしたのだろう、と簪は気付く。

 モノレールと並んで飛んでいたという強羅はさっきIS学園上空に上って行くのが見えたが、それ以降は強羅も真宏も姿を見ていない。

 予定ではそろそろ出番の時間なのだが、一体どうやって登場するつもりなのだろう。

 

『よぉーっし、それじゃあみんな、そろそろ強羅を呼びましょう! 私の合図に合わせて大きな声で呼んであげてください。……それじゃあ行きますよ、せーのっ!』

 

「「「強羅―――――――――――――――――――――――――――ッ!!!」」」

 

 簪がそんなことを考えているうちに、強羅登場の時間がきたらしい。

 ワカの掛け声に合わせ、一糸乱れぬほどの統率をもって子供達の声が海風に運ばれて良く晴れた秋の空へと駆け上がり。

 

 

『おおおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!』

 

 

 その声に応えた強羅が、空から降ってきた。

 

 空から響く叫びに、その場の誰もが天を見上げる。

 視線の集中したその先に見えるのは、空の青と雲の白によく映えるブレストアーマーの赤い残像を引き、観客達から見て握手会用ステージの向こう側から高速で迫ってくる強羅の姿。モノレールと一緒に飛行してから高度を上げ、そのまま今まで待機していたのだろう。

 地面に激突するかと不安に思うも一瞬、強羅はPICの制動によって空中で一回転。PICを全力で駆動させて減速し、ズシンと重々しい音を立てて着地した。

 

『……』

「す、すげー……」

 

 急降下からの急制動と反転着地。間違っても飛行機では見られないような機動に子供達はますます目を輝かせ、保護者達のうち、むしろ自分達こそが強羅に会いたかったのではないかと思うほど嬉しそうな表情を浮かべている父親及び母親、あるいは兄か姉らしき一団が一斉にカメラの砲列を向ける。

 揃いも揃って一歩前に出て膝をついて絶好のポージングを撮影できる位置に身構える。

 対する強羅は、両足を肩幅に開いて胸を張り、左斜め下から見上げるアングルで写真を取ろうとする保護者達へと視線を向けたカトキ立ちを披露して、そのあまりの「わかっている」様に大人たちは悩ましげな溜息をつき、シャッタースピードを越えそうな勢いで激写し続けた。

 

『さあ、みんなの声に応えて強羅が来てくれました! それじゃあさっそく握手会を始めますから、さっき配ったチケットの番号通りに並んでくださーい!』

 

 そして、いつの間にやら配布されていた整理券を保護者に見せた子供達が、手を引かれて一列に並んでいく。

 カメラを提げた大人と、興奮してじっとしていられない子供達が次々に並んでいく姿は、簪がかつて子供の頃に憧れたヒーローショーの光景そのもので、どこか懐かしい気分にさせてくれる。

 

「やっぱり……強羅はすごいなぁ」

 

 そんな強羅を見つめる簪の目もまた子供達と同じように輝いていることを、彼女自身だけが知らなかった。

 

 

◇◆◇

 

 

『やあ、こんにちは』

「こっ、こんにちはっ!」

 

 ついに、モノレールで最初に強羅の接近に気付いたあの少年の番がやってきた。

 ガラスすら隔てることなく強羅の前に立ち、握手をしてもらうその時だ。

 

 こうして見ると、強羅は本当に大きい。

 IS自体人間が装着するパワードスーツだから普通の人間よりも大型なのは当然のことであるが、その事実を差し引いても強羅は大きく感じる。

 アンロックユニットを持たない強羅の数値的なサイズは他のISと比較してさほど大きいわけではないが、地にめり込まんばかりに踏み締められた太くて大きな足と、少年の体程度ならば軽くつかめそうな鋼の両腕の威容が強羅を実際以上に大きく見せているのだ。

 マスクの中央、ブレードアンテナの下にきらめく緑のデュアルアイセンサーの視線は遥かな高みから少年を見下ろしているが、不思議と怖くはない。

 目の前の強大な存在が自分を傷つけることは決してないと、どうしてかそんな確信を持つことができたからだ。

 

『今日は来てくれてありがとう。……ほら、おいで』

「は、はいっ!」

 

 そして何より、その言葉が優しかった。

 大人たちの口調とも、同年代の友人たちの口調とも違う、強羅の言葉。ゆっくりと膝をつき、顔の高さを下げてなお少年にとっては見上げるほどに大きい強羅であったが、その声にはどこまでも優しい響きがある。

 

『それじゃあ、握手。してくれるかな?』

「あ、握手……っ!」

 

 ずい、と差し出された強羅の腕は大きい。肘から手首までの太さは少年の胴回りほどもあり、鋼の五指は鉄板すら容易に引きちぎるほどのパワーを秘めているのだが、やはり少年は恐怖を感じない。

 太すぎる指にそっと触れると、強羅はその指を折り曲げて少年の手を包み込む。これだけ大きな手をしていながら、握る強さが強すぎて痛みを与えるということはなく、それでいて力強い圧迫を加えてくる強羅の手。

 

 冷たいかもしれない、という少年の予想を裏切り、強羅の手はとても温かかった。

 

『ははっ、よいしょ』

「うわああっ!?」

 

 強羅の手の感触に感動していたのもつかの間、強羅は少年の体を引き寄せる。

 そしてそのまま、強羅はもう片方の手で少年の体を掴み、昔父親が同じようにしてくれた時よりも軽々と体を持ち上げたのだ。自分より前に握手をした子供たちも、そういえばこうされていた。

 CMで見たシーンのように、握手をしたまま立ち上がった強羅の腕に座らされる少年。すぐとなりに強羅の顔があって、目の高さは父に肩車されたときよりも高い。

 さっきまでは大人に囲まれて周りがほとんど見えなかった握手の順番待ちの行列も後ろまで見渡すことができ、少し離れたところでは母親が笑顔を浮かべて写真を撮ってくれている。

 

『どうだい、感想は』

「すっごく……高いね」

『ああ、良い景色だろう。……実は、俺も気に入ってる』

 

 こっそりと呟いた強羅の声を聞き、まわりを見回す。自分を支える強羅の腕は少しも揺らぐ気がせず、不安など覚えもしない。

 自分より前に強羅と握手をした子供達は誇らしげな顔で親に感想を語り、順番を待っている子供達は待ちきれないというような視線を向けてきている。

 

 列の後ろ側、強羅を眩しそうな目で見上げ、そのあと目元を抑えて俯く父親と同世代の男の人たちがいる。あの大人たちはひょっとして、子供を抱き上げる強羅を見て、泣いているのだろうか。

 

 視界いっぱいに映る、強羅の見ている世界。

 その実感が自分の中に生まれて胸に満ちる暖かい気持ちと、体に力が湧きあがってくる感覚。

 

 そうだ、これはヒーローを見たときと、同じ。

 

 

 テレビの向こう側、今よりもっと小さい頃、いつも勇気をくれたあのヒーロー達と同じものが、今ここにいるのだ。

 かつて憧れ、一度はこの世にいないのだと知らされ、だが今もこの胸の奥に残る光をくれたヒーローと、同じ血肉の存在が。

 

 その思いは少年の体を駆け巡り、自然と言葉になって口を出る。

 

「――ありがとう、強羅」

 

 言葉を発する度にピカピカと明滅する緑の瞳をまっすぐ見て、少年は言う。

 感謝の言葉を、勇気の声で。

 

『っ! ……ああ、こっちこそ、ありがとう』

 

 わずかに驚いたように震えた強羅は、すぐに嬉しそうに応えてくれる。

 短いやり取りであったが、少年は自分の思いが届いたことと、それを強羅がこれからも糧としてくれるだろうことを確信した。

 

 だって。

 表情など作れるはずもない強羅のマスクが、優しく微笑んだように見えるのだから。

 

 この後、腕に抱えられたまま強羅と一緒にVサインをして撮った写真は、生涯ずっと少年の宝物でありつづけ、彼の勇気の源になったという。

 

 

◇◆◇

 

 

「……よかったですねぇ、真宏くん」

「本当に。むしろ俺こそ思い出を貰ったよ」

「うん……強羅、かっこよかった」

 

 文化祭が始まった直後から三時間ほどが過ぎた。実に120人に上る子供達一人一人と握手をし、言葉を交わし、写真に撮られまくるという強羅握手会を終えた俺とワカちゃんと簪が並び、IS学園を離れて行くモノレールを見送っている。

 一人一人と握手して、言葉を交わす時間はかなり少なくなってしまったが、それでも最初に握手をした子供はあとから来る子供達と興奮気味に話をして、最後に残った子供もそんな様子を見て期待を膨らませていたようで、退屈させずにすんだらしい。

 会場の隅に用意されていた強羅のフィギュアや食玩などの物販スペースでも商品が飛ぶように売れ続け、十分に用意したはずなのに完売御礼の売れ行きだったらしい。

 もし物販のシステムがちゃんと立ちあがっていなければパニックになっていたと、さっき蔵王重工のスタッフが簪に感謝していた。

 

「んふふふ、子供達が楽しそうにしてくれて本当によかったです。これでこそ、千冬さんに拳骨落とされても頑張った甲斐があるというもの!」

 

 ワカちゃんはさっきからずっと子供達にも劣らぬ眩しい笑顔を浮かべ続け、モノレールが帰って行った海の向こうを見ている。その口ぶりからは全く懲りていない様子が容易く窺え、きっとこれからもこういうイベント毎には一切手を抜かないだろうと思われる。

 

「本当によかったよワカちゃん。ありがとう」

「すご……かった」

「えへへ~、それはこっちこそですよ真宏くん。……絶対また来年もやりましょうね!」

 

 ワカちゃんの笑顔は可愛く、だが頼もしい。

 強羅を選んで、蔵王重工を選んで本当によかったと、心からそう思った。

 

「うふふふふふふ、来年はもっと規模を増やしたり色んな地方に出張したりもしたいですねぇ。今回は許可がおりませんでしたけど、握手会だけじゃなくて子供達を抱えての体験飛行とかもぜひやりたいです!」

 

 ……ただ、そんなワカちゃんの野望を放っておいたら千冬さんと山田先生のストレスと心労が大変なことになりそうな気もするが、まあ気にするまい。気にしたら負けなんだ、きっと。

 

 と、そんな感じで文化祭における俺の一大イベントは終了した。

 蔵王重工側からの全面協力があったためにつつがなくイベントは進行され、結果として思っていたよりも大分早く仕事が終わったことになる。会場の片づけなども蔵王重工のスタッフがしてくれるらしいから、俺とワカちゃんとついでに手伝いに来てくれた簪は文化祭を自由に見てきていいと言われたのだった。

 

「あの……昨日はごめん。それと、……ありがと」

 

 そんな三人でぷらぷらと握手会会場を離れて歩きだしてすぐ、簪からは昨日のことを謝られた。

 どうやら、会長から逃げ出してしまったことをずっと謝ろうとしてくれていたようだ。別に気にしなくていいというのに、なかなかどうして律儀なことだ。

 

 

「それで、真宏くんはこのあとどうするんですか?」

「そうだねぇ、確か一夏の奴が中学時代の友人を呼んだって言ってたから、そっちに合流しようか」

 

 先日一夏が弾を文化祭に招待したと言っていたし、時間を確認して見たらちょうど弾が学園に到着する時間までもうすぐといったところになっている。おそらく今頃クラスの出し物であるコスプレ喫茶での執事の人から開放された一夏もモノレール駅へ向かっている頃だろう。一夏と弾にも久々に一緒に会って楽しもうと誘われていることだし、行っておきたいところだ

 

「なるほど、そうですか。簪ちゃんは?」

「え……私? 私は……部屋に……」

「予定ないのか。だったら、ワカちゃんと一緒に文化祭を回ってあげてくれないか?」

 

 一方の簪は、案の定というべきか例によって部屋に引きこもろうとしているらしい。こういう場合、本当なら俺が簪を無理矢理にでも文化祭に引きずり出して強制的に楽しませてやりたいところなのだが、……まあその、なんだ。簪は引っ込み思案なところがあるし、俺とその友人ばかりなところに連れて行くのはどうかと思ってね?

 ……別に、簪と一夏を引きあわせたくないとかそんなことを思っているわけではない。

 原作的に簪が一夏になびくことは十分にありえるからって、それを阻止しようなどとはかけらも思ってないんだよ?

 

 

 それに、ワカちゃんと組ませようとしたのにもちゃんとした理由がある。

 

「なんで私が付いてきてもらう感じに言われてるんでしょう。……ひょっとして、私一人だと迷子になるとか思ってるんですか、真宏くん?」

「――ほらワカちゃん見てごらん、あんなところでわたあめ売ってるよ」

「あっ、ほんとだ! わーい、一つくださーい!」

 

 じとっとした目で俺を睨みあげてくるワカちゃんだが、わたあめがあると言われただけで、こちらを振り向くことなく一目散に屋台へ駆け寄っていくワカちゃんの姿に説得力はない。

 ワカちゃんの背中を見送る俺と簪の背中が妙にすすけて見えるかもしれないが、今まさにそんな気持ちだからしょうがない。

 そそくさとスーツのポケットから財布(がまぐち)を出して、小銭をこぼしそうにしながらお金を店番の子に渡し、IS学園の校章が印刷された袋に入ったわたあめを受け取る23歳OL。れっきとした、俺達より年上の大人のおねーさんであるはずなのに、お祭りに来た女の子と言われても全く違和感を抱けない。

 

「……ああいうわけなんだよ、簪」

「……うん、わかった。私がついていく」

「わたあめ美味しいですっ! 真宏くんと簪ちゃんも食べますか?」

 

 ……本当に、アレで世界屈指レベルのIS使いだって言うんだから世の中わからないもんである。

 まあ、世界最強のIS使いは極度のブラコンだからどっこいどっこいな気もするが。

 

 

◇◆◇

 

 

 そして俺は簪とワカちゃんから別れてモノレール駅へと向かい、執事服姿のままでそこら中の女子の視線を根こそぎ釘づけにしている一夏と弾に合流し、文化祭を回ってみた。

 最初、弾の様子がおかしいので今年の夏の暑さに脳でもやられたのかと不安に思ったのだがさにあらず。よくよく考えてみれば今日は文化祭の日なのだから、おそらく弾の入場チケットを確認しに来た、のほほんさんの姉である虚さんと互いに一目惚れでもしたのだろう。

 

「真宏……俺は今日、本当のロマンを見つけたよ」

「お前のロマンは相変わらずそっち方面ばっかだな、弾」

 

 とまあそんな男同士でもなければできないようなバカ会話を久々に楽しみつつ、爆発物解体ゲームやら鈴の所属する一年二組の中華喫茶やらを冷やかしていった。

 

「そういえば、鈴の頭のそれなんだっけ。えーと、シュシュ……トリアン?」

「誰が有言実行三姉妹よ! これはシニヨン! シュシュとは見た目も全然違うわよ!」

 

 しかし、今日は忙しくも騒がしい文化祭。中華喫茶にいる途中で一夏が執事の仕事に呼び戻され、それに合わせて弾も「そ、そそそそそれじゃあ俺もちょっと文化祭回ってみようかな~?」などと挙動不審全開で出て行ったことから察するに、あいつは虚さんを探しに行ったのだろう。

 急遽ぽつねんと中華喫茶に一人取り残されてしまった俺。

 ちなみに隣のクラスである一年一組が超大盛況だから俺の他には一人の客もいない。ざわざわと文化祭の喧騒が壁越しに聞こえる教室の中でひとり中国茶をすするというのは、……うん、控えめに言っても居心地が悪い。

 まして、俺自身この閑古鳥の原因たる一組の所属だからなおのこと。

 

「よし、俺も行くわ、鈴」

「あー、うん。こんな雰囲気だもんね。でもあんたのクラスのせいなんだから謝らないわよ」

 

 などとあけすけに言えるのも中学時代からの腐れ縁があればこそ。うん、やっぱり気心の知れた仲間というのはいいものだ。

 多分この調子なら9月の終わりにある一夏の誕生日でまた弾と鈴も含めたみんなで集まれるだろうから、その時が今から楽しみだよ。

 

 

 そうして鈴の中華喫茶を後にした俺は、ワカちゃんと簪に会えればいいなと思いながら文化祭を見て回ることにした。

 一組に戻っても俺の仕事はないし、強羅握手会の時に蔵王重工のスタッフが撮ってくれた写真は明日配ることになってるし。なぜか一組のクラス内にも強羅の写真を欲しいと言い出す輩が出るあたり、自分の行いながらロマンの感染力の強さには驚くばかりだ。

 そんな益体もないことを考えつつ、りんご飴を買ったりラムネを買ってみたりするついでに、店番の学園生にワカちゃんと簪らしい二人組を見なかったか聞いてみたところ、

 

「ああ、あの姉妹みたいな二人組? 何故かスーツ着たほうの子がうちの制服着たお姉ちゃんにりんご飴買って貰ってたわよ。すぐ口の周りべたべたにしちゃってハンカチで拭いてもらってたけど」

「あー、きたきた。ラムネ瓶の中のビー玉取りだせないか必死にコロコロやってたわね、長い黒髪の子の方が」

「……さようで」

 

 どうやらワカちゃんは相変わらず絶好調らしい。

 事前に渡されたタイムスケジュールによれば蔵王重工側のスタッフはそろそろ会場の片づけを終えて撤収にかかる頃だろうが、ワカちゃんにそんな常識が通用するはずもない。

 このままあたりをうろついてもし出会えればよし、出会えなかったとしてもそれはそれ。

 多分簪も、ワカちゃんと一緒ならなんだかんだで楽しんでいるだろう。

 

 そんなことを思いつつも、やっぱり三人で文化祭めぐりをできたら良いと思ってあちこちをうろついていると、何度か一夏達を見かけた。

 喫茶店が態勢を立て直している間に与えられた休憩を満喫するため、いつものヒロインズがそれぞれ一夏を連れ出しているというアレなのだろう。

 ちなみに、鈴は二組だからいない。……哀れな。

 

 

 例えば料理部ではシャルロットに連れられた一夏が肉じゃがを試食している一方で、なんか妙ないちゃもんをつけている客がいた。

 

「この豚バラ煮込みは出来そこないだ、食べられないよ」

 

 IS学園の文化祭を取材に来たどこぞの新聞社の記者だったらしいが、注目するところそこじゃねーだろ。

 

 

 その次に茶道部の様子を覗いてみたら、ラウラが猫だかウサギだかわからない、耳から触手のような房を垂らした赤目の小動物をかたどった白あん饅頭とにらみ合っているのを目撃した。

 饅頭は一見すると可愛らしい外見なのだがどうにも表情が読めず、まるで「僕と契約して、茶道部に入ってよ!」とでも言っているかのようだった。

 ちなみに、ラウラの隣の三つ編み眼鏡の女の子は同じ白あん饅頭に対し、時間を止めているのではないかと思うほどのものすごい速さで楊枝を突き刺し、穴だらけにして食べていた。何か恨みでもあるのか。

 

 

 なんだか段々楽しくなってきて、今度は音楽室へと向かってみると、案の定中に一夏とセシリアがいた。一夏は四苦八苦しつつもなんとか辛うじてトランペットで音を出し、その次にセシリアが手本を見せる。

 

「……それでは、行きますわ! 音撃射、疾風一閃!」

「いや、それ違うだろ」

 

 明らかに楽器の使い方を間違えているように思えるのは気のせいだろうか。色は合ってるけど、その技はせめてもうちょっと肉弾戦出来るようになってから使いやがれ。

 

 

 そうやってあちこちめぐり、一夏とヒロインズとのイベントを見つつワカちゃん達を探しながらさ迷い歩き、最後に辿り着いたのが剣道場。さすがに文化祭の日なせいか剣道に興味を引かれて寄ってくる客も少ない……と思っていたのだが、なんだか妙ににぎわっている。

 女の子たちが剣道場の入口に列を作り、わいわいきゃぴきゃぴと楽しそうにおしゃべりに興じている。なんだこれ。

 

「あっ、ここが剣道場ね! なんだか妙に当たる占いをしてるっていう!」

「そうよ、剣道部の部長さんが急遽占いを始めたらしいんだけど、それがすごく良く当たるんだって。確か、三つ重ねたコインを弾いて運命を読むんだとか」

「……」

 

 いや、死亡フラグ立ってないか、その占い?

 

「私の占いは当たるわよ? ……うーん、この占いによると、篠ノ之さんは二学期もずっと幽霊部員らしいよ?」

「あの……二学期はなるべく顔を出すようにしますので」

「えっ、本当? 私の占いが、やっと……外れる?」

 

 などという話し声が剣道場の中から聞こえてきた気もするけど、きっと幻聴に違いない。

 

 いやはや、いかにIS学園といえど文化祭。十代女子のリビドーが炸裂しているからカオスなこと極まりないね。……と、いうことにしておこう。

 

 

 なにせ、これから俺もその片棒を担ぐのだから。

 

 

「ふぅ、休憩は終わりか。それじゃあ、また仕事頑張るぜ!」

 

 どうにも見つからない簪とワカちゃん探しを一端打ち切り、一年一組の教室に俺が帰りついた直後に、一夏と箒も帰ってきた。

 休憩時間は決して長くはなかったが、しっかりと文化祭を満喫した一夏はリフレッシュした精神で再び執事稼業に戻ろうと気合を入れている。

 しかし残念、その気合は空振りする。

 

「ところがぎっちょん!」

「颯爽登場! 生徒会長!!」

 

 そのタイミングを見計らっていた会長に背を押された俺と会長自身が教室になだれ込み、セリフとポーズを決める。

 そんな俺達二人に対して一夏は極めて胡散臭そうな視線を向けて、警戒の意思を隠そうともしない。なるほど、段々俺と会長がセットになっているとロクなことをしないということを学習しつつあるのか。

 

 だがまだ甘い。

 そのことに気づいたなら、今この瞬間にも一目散に逃げておくべきだろうに。

 そんなだから、さっそく会長に退路を塞がれてしまうのだ。

 

「逃げても無駄よ、一夏くん。クラスの出し物を手伝ってあげたことの対価として生徒会の出し物に協力しなさい」

「命令形!? くそっ、真宏も関わってるなら止めろよ!」

 

 両手を広げ、無理に押しのけようとしたら確実に一夏の手がおっぱいに触れる位置を巧みに維持する会長は相手にし難いと覚った一夏は、俺に矛先を向けてくる。

 まったく、心外だなあ。

 

「いやいや違うぞ一夏、俺のせいじゃない」

「じゃあ、誰のせいだって言うんだよ?」

 

 決まっているじゃないか。

 

 

「これも全て、更識楯無って奴の仕業なんだ」

「なんだってそれは本当かい!?」

 

 

 ちなみに、パーフェクトなツッコミを入れてくれたのはシャルロットだった。さすがは俺の認めるロマン少女。もはや後戻りはできそうもない。

 一夏はそんなシャルロットをスルーして、じっとりとした視線を会長に向ける。俺のセリフはネタまみれだが、その内容自体は信頼に値するものだと、これまでの会長の数々の行いが証明しているからだろう。

 

 しかし、我らが生徒会長がその程度の視線で怯むような人だろうか。

 いや、そんなはずはない。

 

「会長ォ……」

「あらあら、それこそ濡れ衣だわ。私のせいでもないわよ」

「……なんかすごく嫌な予感がしますけど一応聞きます。誰の仕業なんですか」

 

 一夏のセリフに、よくぞ聞いてくれたとばかりに艶っぽく微笑む会長。

 

 だが、次の瞬間。

 目は、くわっ、とばかりに見開かれ、腹の底から響く声で言う。

 今回のこの騒動、それは全て。

 

 

「ゴルゴムの仕業だ!」

「……て○をっぽく言うの禁止ぃぃぃ!!」

 

 その叫びが、一夏最後の抵抗なのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 ざわざわと、暗幕が太陽光を遮断する、第四アリーナ内に作られた劇場の観客席からざわめきが上がっている。

 客の入り具合はまさしく満員御礼。

 これから行われる生徒会主催による観客参加型演劇は、生徒会が密かに「一夏が主役として出演!」と情報を流していたため大勢の観客が押し寄せている。

 立ち見客こそ出ていないが、期待と興奮にはちきれそうになっている少女達の様子は手に取るように分かる。

 俺はそんな様子を舞台袖からこっそりのぞき、暗闇に目を凝らして客席を見てみるが、ワカちゃんと簪は見つからない。二人には俺もこの劇に一枚噛んでいるということを伝えてはおいたのだが、はてさてここにいるのか否か。

 

「真宏くん、準備できたかしら」

「無論、万全ですよ」

 

 実のところ、俺もこの劇には出演するため、既に衣装を着替えている。

 しかも出番は初っ端から。舞台袖に控えているのはそのためもあるのだが、そんな俺のところへ会長がやってきたようだ。

 背後からかけられた会長の声はいつも通りの気楽さで、振り向いた俺の視界に飛び込む表情も、会長らしい余裕と優雅さに満ちた微笑。

 だが、目の奥に揺らめく光は冷たく鋭い。

 

 もちろんこの劇に関しては俺も会長も欲望の限りをつぎ込んで面白くしようと画策しているが、しかしそれがすべてと言うわけではないのだ。

 会長は文化祭を楽しいものにしようと望むIS学園生徒会長にして、生徒の平和を守るために自ら行動することを厭わない更識家当主。その二つの顔がどちらを立てるでもなく共存しているこの表情、中々に珍しい物を見せて貰ったと言える。

 

「それはよかったわ。……正直、あなたがいてくれてかなり助かったもの」

「なに、少なくとも今回の一件で俺ができるのはこのくらいですからして。……だから、精一杯楽しくしようじゃないですか」

「ええ、もちろん。ふふっ……それじゃあ、開幕よ!」

 

 そんな俺を見届けて、会長の声と共に伸ばされた指先の扇子が壁のスイッチに触れ、ブザーが鳴って照明が灯る。

 さあ、ここからは俺達のステージだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 それまで真っ暗だった舞台の幕が開き、たった一つだけスポットライトが灯る。

 劇の始まりを知ったことで観客達の間から波が引くようにざわめきが消え、一瞬の沈黙が満ちていく。

 だが静寂は長く続かない。次第に舞台上から、小さな音が響き始めたからだ。

 

 キィィーーン

 

   キィィーーーン

 

 鳴り響く高音。金属を擦り合わせたようにも、氷の薄片を弾くようにも、あるいは世界が崩れ去る音のようにも聞こえるその音が誰の耳にもはっきりとわかるほど大きくなった時、スポットライトの下に一人の男が現れた。

 

 長いコートを羽織り、感情が抜け落ちたような表情。

 どこかうつろな佇まいはまるで鏡の向こうの存在を見ているかのような違和感を抱かせ、鳴りやまない高音と合わせて不気味な存在感を周囲に撒き散らす。

 

 そんな男が、口を開いた。

 

「――合わせ鏡が無限の世界を形作るように、現実における運命も一つではない」

 

 その口から紡がれるのは、世界の理。

 だがそれは日本の常識ではなく、IS学園の当たり前でもない。観客席に座る人の心をこの物語の作る空間へと引きずりこむ、鏡の向こうからの呼び声だ。

 

「同じなのは愛情だけ。全てのヒロインが愛情を背負い、そのために戦っている。そしてその愛情が背負いきれないほど大きくなった時……」

 

 その目に映るのは後悔か、はたまた喜悦か。たった一つの望みを追いかける求道者のようにも、欲望のままに力を貪る悪鬼にも見えるその表情は言葉の一つ一つに血肉を与え、その意味するところが変わりだす。

 

 そう、変わるのだ。

 

「そのとき人は……シンデレラになる。シンデレラの戦いが、はじまるのだ」

 

 

 この瞬間、観客達は初めてこの劇がシンデレラだということに気付いたのだという。

 

 

『むかしむかし、あるところに少女がおりました。彼女の名前は、シンデレラ。……しかし、シンデレラは一人ではなく、彼女達がただの少女であろうはずもない。篠ノ之束博士が世界にもたらした467機のISをそれぞれ身に纏い、己が欲望をかなえるため、舞踏会という名のミラーワールドで苛烈なシンデレラバトルを繰り広げる彼女達こそまさしく地上最強の兵士! 今宵の獲物は隣国の王子が被る王冠に隠された軍事機密。それを手にした時、彼女達はたった一つの望みをその手に掴み取るのだ!!』

 

 最初に舞台に現れた不気味な男――その正体は真宏なのだが――の姿が消えるのと同時、楯無の声をしたナレーションがこの舞台の設定を語る。

 舞踏会のセットがしつらえられた舞台の中央へ、真宏と入れ替わるように現れた一夏はその余りにも物騒な内容に驚愕の表情を浮かべるが、そんな余裕は長く続かない。

 

「シッ!」

「うおわっ!?」

 

 殺気を感じて咄嗟にバックステップした一夏の足元に、ドカカッと音を立てて突き立つ2本の刃物。

 短く薄い刃から指を引っ掛けるだけの柄を削り出し、そこに飾り紐をつけただけのごく単純な形のそれは、鏢と呼ばれる武侠小説で有名な中国の手裏剣だ。

 

「ちぃっ、外したか!」

「鈴!」

 

 そして鏢に続いて空中に身を躍らせたのは、ウェディングドレスにも似たシンデレラのドレスを身にまとい、足には木の板程度ならば軽く踏み抜くだろう(強化)ガラスの靴を履いた鈴である。

 鈴は驚く一夏を見ても一切迷わず、むしろ好機とばかりに床を蹴って再び跳躍。ワイヤーで吊られてでもいるのかと思うほど高々と舞い上がり、ぎゅるぎゅると回転しての回し蹴りを叩きこむ。

 

「ちょっ、あぶないだろ!?」

「危ないのが嫌なら冠を寄こしなさい!!」

 

 強化ガラスの靴のつま先が自分の眉間を狙っていることを覚った一夏はとっさの判断で一歩踏み込み、打点をずらしてガード。

 勢いでふわりと広がったスカートの中身が見えてしまうが、スパッツをはいているからギリギリセーフ。

 いや、むしろ一夏の命はこれからがピンチの連続なのだが。

 

「うわっ、なんか飛んできた! ……セシリアか!」

 

 鈴の連続蹴りを避けるために上体をのけぞらせた一夏の鼻先を衝撃波が叩く。一夏のある種超人的な勘が告げている通り、これはセシリアからの攻撃だ。

 マズルフラッシュは見えず銃声も聞こえないことからして、おそらく得物はサイレンサー付きと判断。鈴と連携を取っている様子はないためなんとか被弾は免れているが、相手はIS学園でもおそらくトップクラスのスナイパーたるセシリア。いつまでも逃げ切れるはずはない。

 

「ちょろいもんですわ。そのキレイな顔をふっ飛ばしてさしあげます!」

 

 などという幻聴と、セシリアがライフルのストックを「肩に担いで」こちらを狙っている幻覚が見えた気もするのだが、まさかねえ?

 

 

 しかしセシリアが脅威だからといって鈴から距離を取ろうにも、間合いが離れたと見るや片手に持った2本の鏢を、腕の振り上げ、振り下ろしの挙動で一本ずつ放って退路を断たんとしてこられては、いかにも分が悪い。

 しかも二投目の鏢は一投目の影に生じる死角を通ってくるのだから避けづらいこと極まりない。一体いつの間にこのセカンド幼馴染はこれほどの功夫を身に付けやがったのか。武峡小説の読み過ぎだ。

 

「って、さすがにやばいわあああああああ!?」

 

 そして、舞台の上で繰り広げられる、高校の文化祭とは思えないアクションの数々に観客達はやんやの喝采を浴びせ続けるのであった。

 

 

「はぁーっ、はぁーっ」

 

 セシリアの凶弾を逃れ、鈴の追撃を何とか振り切ってもぐりこんだ舞踏会のセットの物陰。ちょうど一夏一人入り込むのがやっとで、開口部も狭いから見つからずにいられる。

 だがおそらくこの均衡も長くは続くまい。スナイパーたるセシリアの目をもってすればわずかな痕跡から一夏の居所を突き止めることなど容易く、いままさに一夏の潜んでいる場所の近くをのしのしと通りすぎた鈴も、多分なんか野性じみた勘とかそんなもので一夏を見つけるに違いない。むかしから何故か一夏を見つけるのが得意なのだ、鈴は。

 

「うぅっ、どどど、どうすれば……っ」

「――一夏っ」

「!?!?」

 

 暗がりにひそみ、息を殺しつつも懊悩していた一夏は、突如後ろからかけられた女の声にびくりと震えあがる。

 さっきから狙撃と蹴りにさらされすぎて、軽く女性不審になりかけていた一夏はそれを引き金として恐慌状態に陥りかけ、すんでのところで体ごと口を押さえつけられなければ確実に悲鳴を上げていた。

 

「い、一夏落ち着いて! 僕、僕だよ!」

「むがーっ!? ……シャ、シャル?」

「うん、そう」

 

 しかして目の前に降臨したのは神か仏か。

 怒らせた場合は一番怖いが、それさえ気をつければ誰より一夏に優しくしてくれる、シャルロットであった。

 暗がりの中、すぐ近くにまで寄っているから辛うじて見えるシャルロットの顔。普段と変わらぬその笑顔は、既に精神がボロボロになった一夏にとっては女神の微笑みと変わらない。

 

「逃がしてあげるから、こっちに来て。静かにね」

「お、おお! ありがたい! 助かるぞ!!」

 

 耳を寄せ合い小声で会話する様は、傍から見れば睦言を交わし合っているようにも見えるが一夏の表情はいっそ哀れになるほど真剣だ。

 シャルロットはそんな一夏の様子に軽く母性本能を刺激されながら、それでもこの場から一夏を救うため、そしてちゃっかり好感度を稼いでおくために、一夏を先導して舞台の袖へと向かって行く。

 

 行くのだが。

 

「……なあ、シャルロット。一つ聞いていいか?」

「どうしたの、一夏?」

 

 セットの隙間から差し込む光に照らされたシャルロットの姿を目にした直後、一夏が呼び止めた。

 その声音、何故か若干引いている。

 

「シャルロットの腕には、どうしてリボルバーの弾倉みたいなのが付いているんだい?」

「それは、有線式ロケットパンチの弾丸を込めておくためだよ」

 

 一夏の見るシャルロットの背中側からも、二の腕に6本の薬莢を収めた弾倉が巻きついているのがわかる。

 それぞれにはしっかりと弾丸が込められ、いざとなればシャルロット自慢のとっつきにも迫る勢いで、グローブ状にはめている有線式ロケットパンチを弾き飛ばすだろう。

 

「シャルロットの手袋……ってかグローブには、どうして棘が生えているんだい?」

「それは、このほうがロケットパンチで殴った時に痛いからだよ」

 

 シャルロットの体の前で撃ち合わせた両手の棘がカシンと鳴る。

 いっそ澄んですらいるその音は確実に金属製の棘によるもので、殴られたら痛いじゃ済まないのは間違いない。

 

「……シャルロットの足は、どうしてガラスの靴じゃなくてショットガンでも仕込まれていそうなゴツイブーツを履いているんだい?」

「それはね」

 

 そして最後のそのツッコミに、シャルロットは振り向いて応えた。

 ゴツ、ゴツ、と明らかにガラスの靴とは言い張れないゴツさと重さと硬さを備えたそのブーツが舞台の床を叩き、一夏に向けるのは満面の笑顔。

 

 

「今の僕が、灰被り姫――アシェン・ブレイデル――だからだよ」

「……………………………………………………………………」

 

 それはドイツ語読みじゃないかとか、今のやり取りまんま赤ずきんちゃんじゃないかとかツッコミたいところは山ほどあるのだが、残念なことに今の一夏にその気力はない。

 

「……っく!」

「あっ、一夏!?」

 

 一夏に残された道はただ一つ。

 

 通路状になっていたセットの壁を蹴破って舞台に躍り出て、もはや何もかも忘れて主に現実から逃げることだけである。

 

「真宏と会長のばかやろおおおおおおおおおおっ!」

『ああ、何たる悲劇。王子様の王冠を狙うシンデレラ達はなによりも先に王子様の心を傷つけてしまいました。その嘆きは天をも恨み、メタいセリフが口をつくほどだったのです』

 

 普通に考えて、舞台が物理的にも展開的にもブチ壊しになるようなセリフを力の限りに叫んだのに、会長ときたらごく当たり前のようにナレーションを入れて軌道修正しやがった。

 もはや一夏は流れる涙を止めることすらできず、背後から自分を追いかけてくる鈴の鏢とセシリアの弾丸とシャルロットのロケットパンチの気配に、立ち止まることすら許されなかった。

 

「一夏ぁ! 大人しく私の音撃を受けろ!」

「敵に背を向けるとは情けないぞ! 勇気を忘れたか!」

 

 しかも、今度は目の前に箒とラウラの二人が現れた。

 箒の得物は、刀とも槍ともつかない巨大な刃物。波打つ刃に平たく長い柄。刀身には何かをはめ込むためだろうくぼみがあり、柄の部分にはギターやバイオリンの弦のような模様があり、全体的にはいつぞや弾が見せてくれたベースに似ている。

 だがあれだけ長大な物を箒の技量で振り回されれば、間違いなく脅威だ。

 

「黙って捕まれ! ウィル! ナイフ!!」

 

 そう叫んでラウラが突き出してきたのは、水晶のような、緑の結晶体で刃を構成した勇気ある限りどこまでも強くなりそうなナイフだ。

 刃渡りこそ短いが、さすがにラウラは軍人だけあってその扱いに長けていて、無駄のない動きで振り回される度に髪や服を裂いていく。

 いつから勇者になったんだラウラ、と一夏は心の底から思う。

 

 しかし。

 だがしかし。

 

 この企画の主催者……というかむしろ主犯である楯無と真宏はカオスを笑う性質の者。

 一夏を逆境に放りこむことに一切の躊躇はなく、策はまだ残っているのだ。

 

『そして戦いは激化する。増殖する人々の欲望はさらなるシンデレラを生み、王子様を我が物にせんと少女を戦士に変えるのだ』

「なん……だと?」

 

 ステージの上をゴロゴロと転がって箒達から距離を取った一夏の背後に地響きが轟く。

 振り向きたくない気持ちを必死に飲み下してちらりと振り向けば、そこには。

 

 

「私のメダル……じゃなかった王冠だぁぁーーーっ!」

「王冠置いてけ! なあ、王子様だ! 王子様だろう!? なあ王子様だろお前!」

 

「ヒィィィィ!?」

 

 強欲――グリード――な表情を隠しもしない少女の群れと、妖怪王冠置いてけの群れがわらわらと盛大に駆け寄ってくるのでありましたとさ。

 

 

◇◆◇

 

 

「さすが一夏。女難っぷりが堂に入ってるな」

「うふふ、本当に。みんなも楽しんでくれてるみたいだし、この劇を企画した甲斐があったというものだわ」

 

 舞台袖から、既に展開がしっちゃかめっちゃかになった劇の様子を見守る二つの人影。

 劇の成功を喜んでいるようなセリフではあるが、その実人の不幸は蜜の味とばかりに一夏の慌てふためく様を楽しんでいるだけなのは、人影の正体たる俺と会長の顔に光を当てて表情を見ればすぐにわかることだろう。それはもう楽しくてしょうがないって顔してるから。

 

 俺と会長が色々と策を張り巡らせた今回の劇は、見ての通りの展開となった。

 一夏と同室になる権利という、生徒会ならではの権力を振りかざした景品に吊られた乙女たちが、己の実力の全てをかけて、ドレスを身に付け舞台に上がる。

 言葉面だけ見ればそこはかとなくドラマチックでもあるのだが、実際舞台を見てみれば、無数のシンデレラが一人の王子様を追いまわすという悪夢以外の何物でもない光景が繰り広げられている。

 

「王子様、どこに消えたの!?」

「草の根わけても探し出せ! 必ずや王冠を手に入れるのだ!」

 

 さすがは、ノリの良いことにかけては右に出るもののないIS学園の生徒達。十代の乙女という自分の立場もかなぐり捨てて、瞬時に形成された共同戦線が舞台上を舐めるようなローラー作戦を展開する。

 このままでは舞台のどこかに隠れただろう一夏が見つかるのも時間の問題であり、誰かが一夏と同室になることだろう。

 

 

 ただそれは、この劇が純粋に文化祭のイベントだったならの話である。

 

「――お嬢様、かかりました」

「……ん、ありがとね」

「あー、やっぱり来たか」

 

 その言葉と共に、舞台の袖のさらに隅の薄暗がりのなか、濡れたように滑らかな楕円の光がぬるりと湧いて出る。

 さっきまで俺と会長しかいなかったその場に足音一つ立てずに現れたのは、照明の光を反射する眼鏡が良く似合うのほほんさんの姉、虚さんだ。

 

 いざ劇が始まってしまえば、的確なナレーションで内容を軌道修正――という名の面倒を一夏に与える仕事――くらいしかやることがない会長と、最初にほぼ趣味による出演を済ませた俺は揃って舞台袖にいたのだが、これは別に特等席で観劇するためのものではない。

 今回の文化祭を平和裏に終わらせるため、決して避けては通れない一つの問題。

 それに対処するためにこそ会長はこの劇に俺を巻き込み、とんでもない展開の劇を企画し、一夏を追い詰めて行ったのだ。

 

 いつどこにいても人の目を集める一夏が、その包囲を掻い潜ってもおかしくない状況。

 

 もし誰か悪い奴がいたとすれば、つい手を出してしまいたくなるような、そんな状況を作るために。

 

「それじゃ、行ってくるわ」

「はい。……一夏を、よろしく頼みます」

 

 これから起きるだろう事件は、場所と時間的に考えてこれまでの無人機襲撃やシルバリオ・ゴスペルの暴走と同じように力技でねじ伏せる、というわけにはいかないものだ。

 だから俺と強羅に出る幕はなく、一夏が危険にさらされることも避けられない。

 ならばせめて万全のフォローをと会長が考えた策があり、俺はそれに乗った。……まったく。友人を、本人は自覚のないうちに危険にさらすなんて気分の悪いことこの上ない。

 この事件が終わったら、一夏に殴られることくらいは覚悟しないとな。

 

 俺はせめてもの祈りを込め、以前の臨海学校における一夏の写真を撮りまくってきた報酬として会長からもらった扇子を開く。

 そこには、会長を激励する四文字。

 

『健闘祈願』

「……んふふ、使いこなしてくれてるみたいで嬉しいわ」

 

 対する会長は満足げな笑みと共に優雅な手つきで扇子を一閃。手品のように音もなく開いたその面には、これまた文字が。

 曰く、

 

『心配無用』

 

 ……まったく、頼りになる会長様だよ。

 

「私は一夏くんを助けてくるわ」

「俺は劇の方を何とかしておきます」

「……ふふっ、『文化祭は楽しませる』。『一夏くんも守る』。『両方』やらなくっちゃあならないってのが、『生徒会長』のつらいところよね」

 

 だから今回一夏を守る役目は会長に任せ、俺は文化祭を楽しんでもらうほうを受け負おう。

 くるりと振り向いて背を向けた会長は虚さんに先導されて一夏ともう一人のイレギュラーの元へと向かい、俺は再び舞台の照明の下へとその身をさらした。

 

 さあ、悪夢なんて存在にすら気付かずにいてもらえるよう、もうひと頑張りしますかね。


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