IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第18話「燃え尽きるほどヒート」

 IS学園の良く整備された遊歩道を、普段の様子からは想像もできないほど多くの人が行き来する。

 

 制服を着た同学年の友人どうしらしき三人組や、出し物の合間に抜け出てきたと思しき剣道の胴着を着た少女。そしてさりげなく、しかしばっちり恋人繋ぎに手を絡めてこそこそと歩く女子二人組などなど、どこかいつもと違った雰囲気に誘われてか、常ならば見られないような光景が散見される。

 いずれもIS学園関係者であるために女子の比率がやたらと高くはあるが、それでも一様に楽しげな笑顔を浮かべ、今日の文化祭を楽しんでいることがわかる。

 良く晴れた秋空に、賑やかな喧騒と終わらない陽気なBGMがどこまでも登って行くような、絶好の文化祭日和。

 

 簪は天候にも恵まれたそんな良い文化祭を、どういうわけかほぼ初対面の人と回ることになってしまっていた。

 

「どうしました簪ちゃん、難しい顔をして。りんご飴食べますか?」

「……ううん、大丈夫。気にしないで、ワカちゃん」

 

 その相手こそ、ワカである。

 

 IS学園の文化祭において、自社が開発したISの握手会イベントを開催するという信じられないことをやってのけた、蔵王重工のISテストパイロットにして渉外担当。簪よりもわずかばかり低い身長に、艶やかな長い黒髪を揺らす女性だ。

 23歳という年齢は高校生になったばかりの簪から見れば立派な大人のものだが、今自分の隣でりんご飴にかじりついている様からは、とてもそうは思えない。

 

 ワカと同道することは真宏に頼まれ、簪自身が了承したことではあるが、ワカと巡る文化祭は、簪にとっても驚きの多い物となった。

 

 まず第一に、簪がワカの姿を最初に目にしたのは、今朝ワカが握手会の参加者と共にモノレールから降りてきたときだ。そのときは周囲の子供に負けず劣らず興奮した様子で、実際の握手会で司会を務めていた時からもどこか子供っぽいと思えていた。だが、こうして二人だけになってみると、その印象はわずかに趣を変える。

 

 いや、純粋というか、子供っぽいところがあるのは間違いない。さっきから面白そうな出店を見つけては迷うことなく駆け寄っていく後ろ姿から彼女が自分より年上であると想像することはかなり難しいだろう。

 まして、その駆け寄っていく店が店だ。

 

 例えば、鉄板に何らかのギミックを仕込んであるらしく、ある程度焼けたたこやきがひとりでに飛び上がってひっくり返されている「たこやき屋 ソルディオス・オービット」。

 車両の上側に蔵王重工製ガトリンググレネードの模型を付け、線路の引かれていないところでもお構いなしに走る「ミニSL グレートウォール」。

 6脚の運送メカが料理を運ぶ「おふくろの味のお惣菜 スピリット・オブ・マザーウィル」などなどなど。

 

 簪などは店名を見た瞬間に目を逸らすが、そんなところばかり選ぶように突っ込んでいく勇気は一体どこから出てくるのだろう。

 「おいしいですー」などと言いつつたこやきを頬張っていたが、それは本当に食品として口に入れていいものなのか。断面が緑色をしていないか。はなはだ不安である。

 

 とまあそんな感じで、確かに無邪気な様子で、わたあめやらりんご飴やら、子供が喜びそうなものに笑顔で飛びつく様子は紛れもなく幼い雰囲気を感じさせるのだが、それだけではない。

 

 簪を先導して歩くその足取りはこれだけの人ごみの中でありながら淀みなく、不意に誰かへぶつかってしまうこともなければ、人の流れに戸惑って立ち止まることもない。

 周囲の人の動きを予測し、かなり早い段階から避けるためのルートを選んでいるのだろう。ワカは、姉の楯無でもなければできないだろうそんな芸当を軽々こなし、しかも簪の歩みすらも誘導して人ごみの中でも淀みなく歩けるようにしてくれている。

 真宏と一緒にいたときは単なる年不相応に可愛らしい女性なのかと思っていたが、さすが音に聞こえた蔵王のワカ。決してただそれだけの存在ではないらしい。

 

 しかし当のワカは簪のそんな思いも知らぬげに、りんご飴をかじっている。一口ごとに満足げな様子で頬を緩める表情はとても幸せそうで、どことなく簪の専属である本音を思わせる。見ているこっちの心まで安らぐようなその表情、これはきっと蔵王重工のスタッフにも愛されていた、彼女の持って生まれた人徳というものなのだろう。

 余り人付き合いの得意ではない簪だったが、ワカとはこうして一緒に歩くだけでもどこか心安らぐ物があるのを感じる。だから、こうして二人で文化祭を回れることは、本来ならばこのまま部屋に帰って引きこもろうと思っていた簪にとっても、悪くはないものだった。

 

 ……そう、とても悪くない。

 だがもしも、もし贅沢ながら一つだけ不満を挙げるとするならば。

 

 まさに簪がそう考えた瞬間。

 簪は、ワカが案外油断のならない相手だと知ることになる。

 

「……簪ちゃんは、真宏くんとふたりっきりで回れたらもっと楽しそうだなーって思ってますよね」

「ひゃうっ!?」

 

 簪の不意を突き、小声で耳に吹き込まれた囁きに、思わず素っ頓狂な声をこぼして飛び上がる。

 体中の毛が逆立っているのではないかと思うほど驚いて、そろりそろりと隣を見れば、そこには予想通り満面の笑顔のワカ。

 だがさっきまでの無邪気な様子とは違い、細められたその目には状況を楽しむニヤニヤとした光が宿っている。そこはかとなく何かを企んでいるときの姉や真宏に似た目つきに、簪は嫌な予感が止まらない。

 

「んふふ、別に隠す必要はないですよ、簪ちゃん」

「か、隠してなんて……っ」

 

 赤くなった顔を隠そうと、あるいはワカの前から逃げようと顔を背けるが、動けない。回りの人の壁が分厚いのももちろんのこと、いつのまにやらワカに掴まれた手首がびくともしないのだ。

 痛くはないように握る力を加減してくれているらしいが、どれだけ引っ張っても振りほどけない握力は並ではない。まして、簪が体全部を使って押そうとしても引こうとしても、巧みな重心操作で絶妙に力が釣り合うようにされてしまっている。

 

 真宏が言うには、ワカはISにおいて、反動も大きい大口径火器を好んで使うらしい。

 この完璧な力の受け方と流し方、まさしくその言葉を裏付けるとんでもない技術だ。

 ……そんな技術をわざわざ自分を引きとめるために披露しているあたり、使いどころを間違えすぎている気がしなくもないが。

 

「気にすることはありませんよ、簪ちゃん。おねーさんにほんのちょっと本音を言うだけですから。大丈夫、私は口が堅いんです」

「~~!」

 

 信じていいのだろうか、これほどニヤニヤしながらりんご飴にかぶりついている人を。

 

 だが、おそらく簪が本心を語るまでこの手を離してはくれまい。

 ワカの顔には、そう思わせるだけの「スゴ味」があるのだ。

 

 簪はちら、と周囲に視線を走らせる。幸い今日は文化祭、多少そこらで立ち話をしていてもさほど不思議には思われないし、誰も気にしていない。

 言うならば、今しかない。

 

 簪は少しだけ身をかがめ、可能な限りワカから離れようと伸ばしていた腕を折って近づき、長い髪を割ってさらりと現れた小ぶりな耳に口を近づけ。

 

「……ちょっと、……だけっ」

「――ん、よろしいです。それで良いんですよ、簪ちゃん」

 

 耳まで赤くし、しかしとんでもない小声で言ったその言葉に、ワカはそれまでのニヤけた態度とは全く違う声音を出した。

 違和感を感じた簪が、一体どういうことなのかと思って身を離すと、ワカの顔に浮かぶ表情は慈愛に満ちた微笑みになっていた。相変わらず身長は簪より低いが、それでもどことなく実年齢通りのお姉さんに見える、そんな笑顔。

 

「秘めたる思い、っていうのはいいんですけど。でも全部を秘めればいいってもんじゃありません。特に簪ちゃんは、打鉄弐式の開発も一人でやっているんでしょう? 色々大変なことも多いはずです。なら、たまにはガス抜きしなくちゃですよ」

 

 少しだけ背伸びをして、ぽんぽんと簪の頭を軽く押さえるようにして撫でながら、簪に微笑みかける。さっきまで一緒に文化祭をめぐっていた中ではまるで妹のようにも思えてきていたワカであったが、慈愛に満ちた眼差しで自分を見つめてくる姿からは、まさしく頼れるお姉さんといった雰囲気がある。

 

「真宏くんはああ見えて優しくて、でもちょっぴり厳しい子です。簪ちゃんのことはいつも気にしてるみたいですけど、それは『簪ちゃんが自分の力で立てるように』です。頼りたいときとか甘えたいときは、ちゃんと言ってあげなきゃダメですよ。……きっと真宏くんだって、いつでも簪ちゃんを助けてあげたいって思ってますから」

「……っ!」

 

 思い当たる節はある。

 確かに真宏は自分が切羽詰まった時こそ無理矢理にでも自分に関わってきて気分転換をさせてくれるが、それ以外のときに真宏から敢えて手を貸そうとしてきたことは一度もない。

 だが、以前試しに打鉄弐式開発の意見を求めてみたら、例によってロマンを追い求める意見混じりではあったものの――曰く、「ミサイルなら板野サーカスさせないとな!」。言われるまでもなく、簪は元よりそのつもりだ――、とても真摯に……真宏なりに真摯に考え、手伝ってくれたのだ。

 そして、昨日の夜のこと。逃げ出した簪を追いかけて、カップケーキを美味しいと言ってくれたこと。

 

 簪が倒れそうな時には必ず支えてくれる優しさと、そうでなければ手も伸ばさない厳しさ。

 それはきっと、簪ならば大丈夫だと、誰かに頼らなければ生きていけないような弱い者ではないと信じてくれているからだ。

 

 

 確かに真宏は優しくて、強羅もカッコいい。しかしそう思えばこそ、簪はそれに甘えたり頼ったりはしたくないと思ってきた。だがもしも、真宏がほんの少しでも頼っていいと思っていてくれているのなら。

 

 誰かに対して無条件に頼るのは紛れもない弱さだと、簪はそう思う。

 でも、もし自分だけの力ではどうしようもなくなったとき、その時誰かに助けを求めることをすら躊躇うのは、それもまた弱さではないだろうか。

 

 頼れる仲間。

 簪が好きなヒーロー達のそばにも、そんな人たちはいつでもいてくれたはずではなかったか。

 

「で、簪ちゃんはどうしますか?」

「頼って……みます。……ちょっと、だけ」

 

 これまでの自分が打鉄弐式の開発にこだわっていたのが、逃避だとは思いたくはない。だが追いかけることを諦めた姉の背に少しでも近付こうと意固地になっていたのは確かだし、そのためには全てを自分一人で成し遂げなければならないことだと思ってしまってもいた。

 

 でも、もし真宏だったら。

 あるいは、真宏が憧れるヒーローたちだったら。

 自分の力だけでなく、自分を見守ってくれている人たちのことも信じて、一緒に頑張るのではないか。

 ワカとの話を経て、簪はそう思えるようになっていた。

 

「――ん、大変よろしいです。そういう顔の方が可愛いですよ、簪ちゃんは」

「……うっ。……でもありがとう、ワカちゃん」

「いえいえ。それはそれとして、私の名刺をどうぞです。もし蔵王重工に手伝ってほしいことがあったり、グレネードやミサイルが欲しいときは是非ともご連絡を、です」

「あ、ありがとう。……でも、いいの? 打鉄弐式は倉持技研の……」

「別に大丈夫ですよ? 開発が倉持技研とはいっても、打鉄の装甲材なんかはほとんど蔵王重工製ですから」

「そ、そうなんだ……」

 

 おそるべし、蔵王重工。IS自体は強羅しか開発していないのに、それでもIS業界で燦然たる知名度を誇るのは伊達ではない。

 

 ワカの名刺に書かれていたのは、蔵王重工の社名と、ISと装備のテストパイロット兼渉外担当という意外と多いワカの肩書、そしてただ二文字「ワカ」とだけ書かれた名前と、蔵王重工の社章とワカ自身のエンブレムと思しきマーク。エンブレムはやたらと迫力のある、花火のような爆発のマークであった。

 確かに本名不詳のIS使いではあるが、まさか名刺までこのありさまだとは少し驚きである。

 

 だがそれはさておき、自分の中の硬く凝り固まった部分をなくしてくれたワカと、そして誰より真宏に感謝を。

 明日からは、もうちょっとだけ肩の力を抜いて打鉄の開発を頑張ろうと、そう思えた。

 

「あっ、それはそうとあんなところにまた面白そうなお店が! 行きましょう簪ちゃん!」

「えっ」

 

 ……しかし、「手作り自動浮遊傘 アンサラー」という看板を掲げた謎の模擬店――店頭からは何故か緑色の光の粒子がこぼれている――に突撃するワカに手を引かれている今は、本当に明日が来るのかが、まずなにより心配だった。

 

 

◇◆◇

 

 

「ぜっ、ぜはー……た、助かった!」

 

 文化祭の劇にて、何人ものシンデレラ――という名の女戦士共――に襲われた一夏は今、劇の最中に突如足を引かれて舞台から転がり落ち、その相手に導かれるままにセットの下をくぐり抜けてここまでやってきて、ようやく一息つけるようになった。

 

 半ば無我夢中で自分の目の前のスーツ姿の背中だけを追いかけて走り続けていたため、今になってようやく周りを見渡す余裕が出てきたところだ。そしてまださっきの恐怖が体に残っているため、素早く視線だけを左右に走らせて確認したところ、どうやらここはロッカールームらしい。

 規則正しく等間隔に並び立つロッカーとベンチ。天井からは埋め込み式の照明が暖色系の光を放ち、部屋の隅には観葉植物もぽつりぽつりと置かれた豪華な仕様。一夏が劇の格好に着替えるのに使った部屋と見て、間違いない。

 ここならば制服も置いてあるし、このまま劇をうやむやにして逃げ切ることもできるだろう。

 

 まるで地獄から現世に帰ってきたようにすら思える安堵感。一夏がどれほど追い詰められていたかを示すものであり、こうして自分を助けてくれた人には一言お礼を言わずにいられない。

 

「あ、ありがとうございました! ……あ、巻紙さんでしたか」

「誰かもわからずについてきて、お礼を言ってから気付くんですか?」

 

 とにかく深々と腰を折って頭を下げ、その後顔を上げて初めて自分を助けてくれた相手を認識した一夏に、IS装備開発企業「みつるぎ」の渉外担当、巻上礼子は苦笑を浮かべる。

 

 彼女は一夏が今日の文化祭の最中に出会った、企業の人間だ。

 休憩時間に偶然か必然か出くわして、白式にみつるぎの装備を使ってはくれないか、としつこくない程度に話に付き合わされ、名刺を貰った。

 

 

 正直なところ、その時の一夏の感想は「そんなことを言われても」であった。何せ白式のコアは、装備に関して言うならばかなりワガママだ。強力でこそあるものの、決して使い勝手が良いとは言えない雪片弐型と雪羅以外の装備は一切受け付けず、補助スラスターやシールド、追加装甲の類すら拒絶するという有様なのだから。

 もちろん、一夏自身も自分の戦闘スタイルからして余計な重りをつけたくないという気持ちはあるし、たとえ実弾系の火器であっても自分の実力ではそうそう扱えるわけもないから、ちょうどいいと言えばちょうどいい。しかしだからといって、他一切の装備が使えない白式の在り様に疑問を抱かないでもない。

 

 例えば真宏の使う強羅などは、白式と正反対にあらゆる装備を使いこなす。そのコアの性格(?)は、同じく多種多様な装備を使いこなすシャルロットに「とっても素直な良い子」といわれるほど様々な武器との親和性が高く、適応も早い。一夏にとって白式はかけがえのない相棒なのだが、だからと言ってもう少し融通を聞かせてくれないかと思ったこともまた、一度や二度ではない。

 ……まあ強羅の場合、たとえ各国企業が装備を薦めてきたとしても、真宏とワカが厳しい目で選定した上で選んでいるらしいから、今日の一夏のように直接売り込みをされたところでそれを受け入れるかどうかは微妙らしいが。

 ちなみに、選定基準は言うまでもなく「ロマン」。二人のお眼鏡にかなった物でなければ試験すらされないという恐ろしい基準であるが、既に各国企業はそのことを熟知して、自社製品の宣伝のためにも色々ロマンにあふれた装備を開発し始めているという噂だから恐ろしい。真宏もまた、一夏同様夏休みはかなりの回数そういった装備開発企業の人間と会いに出向き、装備が増えたとか増えなかったとか。

 

「あの、織斑さん?」

「……ハッ! す、すみません巻紙さん、ちょっと考え事を」

「まあ、よろしいですけど」

 

 怪訝そうに一夏に声をかけた礼子は、しどろもどろとした一夏の応えに今度はくすりと笑う。

 ビジネススーツでびしりと決めて、控えめながら自身の魅力を引き立てる丁寧な化粧。企業人としてのマナーと礼節、そして相手に攻撃的な印象を与えない柔和な物腰。

 スーツを着用している、というだけならば千冬で見慣れた一夏であったが、こういういかにも「企業の人間」といった大人と話をするのはいまだ慣れる物ではなく、どうにもどぎまぎとしてしまう。

 企業所属、というだけならばワカもばっちりそのカテゴリーに入るのだが、今の一夏の思考からはごっそりと抜け落ちている。あの子はOLというより趣味人であり、妹とか娘的なオーラがすごいから。

 

「それよりも織斑さん、一つお願いしたいことがあるんですがよろしいでしょうか」

「お願い、ですか……? うーん、俺に出来ることなら」

 

 ともあれ、一夏はこうして礼子に借りができてしまった。

 そのことを嫌だと思いはしないし、せっかくだから頼み事の一つくらい聞いてあげたいとも思う。だがさっきの話からすると白式に新しい装備を乗せたいということだろうとも思う。そうであるなら、一夏の考え一つではなんともし難い。

 さて望みは一体何だろう、と半ば身構えて。

 

 

「はい、白式をいただけますか」

 

「……なんだって?」

 

 身構えていたからこそわかるかすかな変化に、一夏は即座に反応できた。

 それまでの、ビジネス用のものとはいえ相手に敵意を抱かせることなどないような表情は変わらない。

 

 だが、一夏の直感が違うと告げている。

 目の細さ、紅を引かれた唇の描く弧、いずれもさっきまでとは全く変わるところがないというのに、何かが違う。まるで丁寧に彩られた宝石箱の中から腐臭が漂うかのようなこの違和感、ただ事ではない。

 

「……あんた、何者だ」

「――警戒が早いな。こんなに早くバレるとは、さすがに思わなかったぜ、ガキ」

 

 一夏の言葉に、巻紙礼子――と、名乗っている何者か――はそれまでの様子からがらりと口調と雰囲気を変えた。さっきまではOLとして身に付けただろうと思われていたそつのない笑みも、今となってはまるでそういう形に作ったマスクであるかのような不気味さを放っている。

 しかも今になってよくよく考えてみれば、出入り口は礼子の奥にしかない。さすがに別の場所に非常口もあるのだが、そこへ向かおうと背を向ければ容赦なく狙われることになるだろうと、既に相手を敵と認識した一夏は考える。

 

「おら、てめえみたいなガキと付き合ってるほどヒマじゃねーんだ、とっとと白式を寄こしやが……れ!」

「くっ!?」

 

 この事態をいかに切り抜けるか、必死に頭を回転させていた一夏に向かって、礼子が一歩踏み込んで蹴りを放つ。

 身構えていたからこそバックステップで回避できたその足刀、もしも反応できずに狙い通り鳩尾に突き刺さっていれば、それだけで体を折って身動きとれなくなっていただろう。

 さらに良く見れば、履いている靴も女物のスーツに似合うハイヒールではなく、踵の低い安定した物。そして軸足が床を踏みしめた時の硬質な音からして、それ単体で武器になるほどの強度を持ってもいるのだろう。

 

 自分の急所を迷わず狙ったあの蹴りと、この靴を履いていることから察せられる用意周到さに、一夏は身震いを隠せない。

 暴力をためらわず、身分を偽ってIS学園に潜り込めるだけの技能と力。どう間違っても、まっとうな相手ではない。

 

「くそっ、白式!」

「はっはぁ! コノシュンカンヲマッテイタンダー!」

 

 一夏が白式を纏ったのを見て、それまで張り付いた様な笑みを浮かべていた礼子の表情がついに変わる。

 糸目のように細められていた目が開かれると、それは意外なほどに切れ長で酷薄だった。

 つつましやかに引き結ばれている口元が裂けるように開かれると、その中から蛇を思わせる長い舌がぞろりと這い出し、唇をなぞってより一層紅く染め上げる。

 顔の造作自体が変わったわけではないが、発散する空気と感じ取れる気配は紛れもない邪悪のそれ。

 

 こいつは悪い奴だと、一夏ははっきり確信した。

 

「さぁ、こいつをくらいな! 『アラクネ』!!」

 

 叫びと共に女の背から飛び出したのは8つの影。

 ハイパーセンサーがなければ姿を捕えることすらできないだろうほどの俊敏さで、それぞれ別個の軌道を描いて白式に迫るそれは虫の足を思わせる多関節式の装甲脚。疑いようもなく、相手のISだ。

 刃物のように鋭い先端が白式の装甲に届くより先に、一夏は脚部スラスターを噴かせて後退。アームのうち3本がベンチを跳ね飛ばして床に突き刺さったが、残り5本は軌道を変えて一夏に向かい、先端部分を展開。短銃身の砲口を突き出した。

 

「だぁっ、危ないな、このタコ女!」

「タコじゃねぇ、蜘蛛だ!!」

 

 一夏は砲口が弾丸を吐き出す直前に床を蹴って跳躍。空中で身を翻し、天井とロッカーの隙間から一本隣の通路へと着地する。ちょうどその跳躍が頂点に達した時に打ち出された弾丸の数は恐ろしくなるほどに多く、射線上のロッカーをズタズタの穴だらけにし、壁に無数の弾痕を穿つ。

 

 その事実に、一夏はわずかに顔を青くする。

 確かに弾幕の密度こそ濃いが、ISにとってはさほどの脅威となるわけでもないその射撃。

 だがしかし、それが八本の装甲脚全てから放たれるとなれば事情は変わるし、それにもまして、もしもあの射撃が一夏しかいないロッカールームではなく、この部屋の外で放たれたらどうなるか。

 

 まして今日は文化祭で人手も多い。そんなときに、こいつが外で暴れたら。

 

(そんなこと、させられるか!)

 

 繰り広げられるだろう惨劇の想像を振り払い、一夏は左手の雪羅をクローモードで起動する。

 高機動型の白式にとって、この狭い部屋は有利な戦場だとは言えず、相手は紛れもない害意を持って迫ってくる。

 だが負けるわけにはいかず、それどころかここから出すことすら許されない。

 クラス代表対抗戦での無人機や、臨海学校でのシルバリオ・ゴスペル。これまで一夏が戦った実戦以上に自分と周囲への危険が大きいこの戦いの意味を自覚した体には震えが走るが、逃げることは許されず、許したくもない。

 

 ならばどうするか。

 

 その自問の答えは、既に出ている。

 

「誰だか知らないけど、容赦しないからな!」

「ハッ、できるもんならやってみろ、悪の秘密結社『亡国機業』のオータム様をよぉ!」

 

 装甲脚で立ち並ぶロッカーを引き裂き、吹き飛ばしながら再び姿を現したオータムを名乗る女に、一夏は雪羅のクローを振りかぶって叩きつける。

 そして先の一夏と同じようにバックステップで回避した相手に、一夏は湧き上がる怒りのままに言ってやる。

 

「悪の秘密結社とか、そういうのは真宏にやれ! あいつのほうが似合うから!」

「何を言ってるんだこのガキは!?」

「あとそういう組織の刺客なんだったら、IS使いじゃなくて怪人かなんか連れて来い!」

「ますますわからねえ!?」

 

 こんな子供だましのような叫び――それでいて、割と本気の思い――で相手の不意を付けるとは思っていないが、これは出し惜しみをできるような戦闘ではない。本当の本気で、こいつを倒さなければならないのだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 ここ数日、会長によって鍛えられたPICのマニュアル制御を駆使して、一夏は狭苦しいロッカールームの中を縦横無尽に飛び回る。

 ロッカーどうしの間、天井との隙間など、あるいは開けた空中以上に三次元機動を駆使し、上下左右前後あらゆる方向への小刻みな移動を繰り返してオータムの攻撃を避けに避けた。

 

「はっ、どうしたガキ! ちょこまか逃げ回ってるだけじゃ私は倒せねーぜ!?」

「くそっ、うっとうしい!」

 

 だが、それはすなわち回避に徹しなければならないほど追い詰められているということでもある。

 一夏は元々近接戦闘タイプであるため、射撃型の相手と戦うときは元々なによりも回避を重視しなければならないのはいつもと同じ。だが、さすがにこれほど狭いところで戦うのは初めてのことであり、思ったように動けない。

 一方で、相手は背中から伸びる八本の装甲脚がそれぞれPICを使うらしく、独自に動き回って射撃を行ってくる。相手の後ろに回り込んだとしても、射線自体に死角がないため攻撃の隙がない。

 IS学園に一人で乗り込んでくるだけあり、紛れもない熟練のIS使いであり、戦闘慣れもしているようだ。

 

「せいっ!」

「ハッハァ、マッハで蜂の巣にしてやんよ!」

 

 アラクネの装甲脚から打ち出される弾幕は一瞬でロッカーを鉄くずに変え、装甲脚を二、三本振るえばロッカーとベンチをまとめてなぎ倒すほどのパワーがある。

 あの腕に捕らえられれば終わりだという確信があればこそ、一夏は突進をためらい、慎重にならざるを得ない。

 

 かといって、自分に有利な広い戦場へ移動することもまた、できようはずもない。今はロッカールームの中にいるからこそ被害は物的なものだけに収まっているが、もしここから出てしまえばどうなるか。オータムが周囲の人間に気を使うところなど想像もできず、必然的に人的被害が莫大な物となる想像も、現実味を帯びすぎている。

 そのため、一夏は自分にとって絶対的に不利なこの場所で勝利をおさめなければならないのだ。

 

 出来ない、とは思わない。

 白式の機動力を生かせばこれだけ狭くとも致命的な直撃を受けることもないし、オータム自身余り大火力の武器を持っていないのか、はたまた事件の存在が周知の物となって騒がれることを嫌って使えないのか、いずれにせよ出してこない。

 ならば零落白夜と雪羅という、自身の武装を制限なく使える一夏にこそ分があるという見方もできる。

 最近嫌になるほど特訓したマニュアルPIC制御と、強羅の多彩な武装が見せる弾幕と火力に対して行った訓練が一夏にその自信を与えてくれているのだ、ビビってなどいられるものか。

 一夏が知る限り最高の防御力を誇る強羅ですら、まともに食らえば一撃で戦闘不能になる零落白夜。それを持つ白式がこの身と共にある限り、最後の一瞬まで絶対に諦めない。それこそが白式であり、一夏であり、一夏のロマンであるのだから。

 

 暴れる心臓を無理矢理押さえつけ、弾む呼吸は喉の奥へと飲みこんで、血走る瞳を開いて敵の動きの一挙一動を逃さず捉える。かつてない集中力で挑むこの戦いは、一夏の全身全霊をかけた物であったと言っていい。

 

 だが、敵もただの無法者ではない。

 白式がどんなISですら一撃のもとに葬り去る武装を持っていることは知っている。

 だから、賢しくも冷静に隙を窺う一夏に対し、一番の切り札を叩きつけた。

 

「ヒャハハッ、やるじゃねぇか! 第二回モント・グロッソの時とは大違いだな!」

「……なんだと?」

「おっと、知らなかったのか? じゃあ教えてやるよ。――あのときお前をさらったのは、うちの組織なんだよ!」

 

 オータムのその言葉に、一夏の表情が凍りつく。そして同時に脳裏をよぎる過去の光景。

 わらわらとどこからともなく湧いて出て、自分の体を押さえつける怪しい男たち。気付けばどことも知れぬ暗い廃屋にしばりつけられていて、そのとき感じた不安。どうしようもない無力さに打ち震え、鉄扉をこじ開けて現れた千冬の姿を見て感じた安堵と、せっかくのモント・グロッソ決勝戦をふいにさせてしまった申し訳なさ。

 

 そして何より、自分と千冬をそんな境遇に陥れた相手に対する怒り。

 

 静かに、だが決して忘れることなく一夏の中に息づいていた、その熱く激しさを伴う感情が、オータムの一言によって無理矢理引きずり出された。

 

 首から上を巡る血液が炎となったかのような熱を持ち、ギリ、と響いた音は食いしばった歯と強く握りしめた右手から出たものだ。

 それまで相手の挙動を見逃すまいと、焦点を集中させることなく動き全体を見渡していた視点はオータムの目しか映さなくなり、そこに浮かんだ嘲笑の色になおも怒りが燃え上がる。

 

 端的に言って、キレた。

 

「てめえええええええええっ!!!」

「そうだ! ガキならガキらしく不様に突っ込んでくれば良いんだよぉ!」

 

 一夏は叫ぶと同時にイグニッション・ブーストを起動。背後に立ち並んでいたロッカーをブーストの余波で吹き飛ばしながらオータムへと迫り、右手に展開した雪片弐型を叩きつける。

 が、瞬間速度こそ目を見張る物のある白式のイグニッション・ブーストも、怒りに我を忘れた一夏の行動を読んでいたオータムにすれば、いかようにも対処できる物。零落白夜すら使っていない実体剣はあえなくアラクネの装甲脚八本によって受けとめられ、一夏は押すも進むも出来ないこう着状態へと持ち込まれてしまう。

 

「何!?」

「蜘蛛の巣に絡め取られた気分はどうだよ、ガキ!」

 

 刀身の両側からがっちりと挟みこまれた雪片弐型はもはや白式の腕力を持ってしてももぎはなすことはできない。

 だがそれは同時に相手の攻撃手段を奪ったということでもあり、一方の一夏はまだ左手の雪羅がある。まだ勝機は消えていないと、そう考える。

 

 しかし当然オータムもそれは承知しており、それでなおこの状況を受け入れたのは、これこそがオータムの、いやアラクネの勝利に最も近い状況だからだ。

 

「言っただろ、お前はもう蜘蛛の巣に囚われてるのさ!」

「うわぁっ!?」

 

 一夏が雪羅を振り抜くより一瞬早く、雪片を止めている装甲脚とは別に、完全に自由になっていたオータムの手からエネルギーワイヤーが放たれ、ネット状に拡散して一夏の体を包み込む。

 エネルギー体であるならば雪羅のクローで切り裂ける。そう思ってなおも腕を振るった一夏であるが、それは有効な策とはならなかった。

 確かに零落白夜の爪が触れる先から糸を切断こそしていくものの、その糸はまるで生きているかのように斬られる端からまた伸びて、ほとんど時間をかけずに一夏の全身へと糸を広げて行く。

 一本一本ならば大したことのないエネルギーワイヤーも、何重にも巻きつけば関節の動きは制限され、雪羅のクローが届く範囲も狭くなる。そうなってしまえば糸はますます絡みつき、ついに一夏はまともに動くこともできなくなって床に倒れ込んだ。

 

「楽な仕事だなぁ、オイ。バカなガキ一匹とっ捕まえて終わりだなんて、あくびが出るぜ?」

「くそっ! なんだこれ!」

 

 体中を縛りあげられ、なおももがく一夏であったが、さっきまでの高機動が嘘のように動けない。エネルギーワイヤーの干渉を受けているのかPICが上手く働かず、スラスターの噴射口もふさがれているために浮くことすらできないのだ。

 

「さぁて、それじゃあそろそろ終わりとしようか」

 

 そう嘯き、懐から奇妙な四脚の機械を取り出したオータムがゆっくりと一夏に近づいてくる。見たこともないものでありながら、かしゃりと音を立てて足を開くその動きにはどこか虫のようなおぞましさがあり、一夏の背筋にぞっと悪寒を走らせた。

 

「くそっ、離れない!」

「あぁもう、おとなしくしろよ。これからがお楽しみなんだから……なっ!」

「がは!?」

 

 より一層必死にもがく一夏に、オータムは容赦のない蹴りを叩きこむ。無造作に足を振り上げるだけの雑なものではあったが、ISを装着して強化された脚力は一夏の内臓にまで響く衝撃を叩きこんでくる。

 白式を展開していてなお体が浮くほどの力で蹴られた一夏は、ベンチとロッカーの破片を跳ね散らしながらごろごろと転がって、仰向けになって止まる。

 そして、オータムはそんな一夏の体がこれ以上転がらないよう踏みつけて、さきほどの機械を白式の胸部に置いた。

 

「さぁ、お別れの時間だぜ」

「何を言って……? ……っがあああああああああああああ!?」

 

 オータムの言葉に怪訝な顔を浮かべた一夏の声は、途中から壮絶な悲鳴に変わる。白式に取りついた機械から流れ込むエネルギーが一夏の体にまで浸透し、体を引きちぎられるような痛みが走ったせいだ。

 足先から頭まで、全身くまなく駆け巡る激痛に一夏の喉は裂けんばかりに声を張り上げ、同時に天を仰いでゲラゲラと笑うオータムの声がロッカールームにこだまして、それが意識を失いかけた一夏にはとてもとても耳触りだった。

 

「ぁ……かは……」

「ザマァねえな」

 

 激痛が収まり、息も絶え絶えの一夏の顔をニヤついた顔のオータムが覗き込んでくる。さっきまではそつのないOLの物に思えていたその顔は、すでに二目と見たくないほど醜悪に歪んでいる。だがそんなことを考える一夏の頭とは別に、体は即座に反応した。

 痛みが残りながらもなんとか動く体と、いつのまにか姿を消した体に巻きつくエネルギーワイヤー。そして、すぐ目の前間合いのうちにある憎いあん畜生の顔。

 

「……フンッ!」

 

 仰向けの状態から、腹筋と上半身全ての筋力を使って起き上がりざま、オータムの顔面に拳を叩きつける。不利な体勢だったことと、激痛で疲労困憊していたことを合わせれば驚異的と言っていいその反撃をしかし、オータムは嘲笑の形をした表情をわずかも変えずに避けて見せ、逆に体を起こした一夏の胴体に拳を叩きこんだ。

 

「なっ!?」

「ISもなくて、届くわけねえだろバカがッ!」

 

 殴りつけられた勢いのまま一夏の体は宙を飛び、まだ辛うじて原形をとどめていた部屋の隅のロッカーにぶつかって、ガランガランと中身をぶちまけながら崩れ落ちた。

 

 一夏は混乱しかけた頭で必死に考える。

 

 反撃が届かなかったのは良いとしても、どうしてあの距離で届かなかったのか。

 ISがない、というあの言葉はどういう意味か。

 さっきまで白式を展開していたのに、体が妙に脆く感じるのはなぜなのか。

 そして、シールドバリアがあるはずのISを展開しているはずなのに、どうしてこんなに痛いのか。

 

 その答えは、自分の体を見下ろせばすぐに出た。

 

 白式が、ない。

 白い装甲も、左手を覆う雪羅も、右手に持っていたはずの雪片も、どこにもない。

 

「白式……! どういうことだ!?」

「こういうことさぁ!」

 

 驚きに上がった一夏の声に、オータムのニヤけた声が答えを出した。

 その声音にどうしようもないイラ立ちを感じながら、しかし弾かれたように顔を上げる一夏が見たもの。

 アラクネの、禍々しく湾曲した爪の間に挟まれているそれは、強い輝きを放つ菱形立体クリスタル。

 

 あんな姿を見たことは何度もないが、それでも一夏は一瞬で理解する。

 アレは相棒の――白式の、コアだ。

 

「白式!?」

「ハッハァ、驚いただろ? これがISを強制的に引きはがすリムーバーの効果だ! これでお前は正真正銘ただのガキってことだなぁ!」

 

 オータムの言葉が胸に突き刺さり、白式を失ったことを自覚した体が途端に何倍も重くなったかのように感じられた。

 

 目の前にはISを装着した悪人がいて、一方の自分はどういうわけかISを奪われて身一つのまま。

 どうあっても、勝てるわけがない。

 生身の人間とISという、絶望すら生ぬるい戦力差が、そこにはある。おそらく自分はあの酷薄な哂いを浮かべる女になぶり殺しにされ、白式は奪われてしまうことになるだろう。きっとあいつはそうする。

 その後は、再び文化祭にやってきたIS企業の人間になりすまして何事もなかったかのように学園を離れるか、あるいはあの耳触りな笑い声を上げながら、文化祭の参加者を散々に蹴散らして大暴れして去っていくのか。

 

 どちらが現実の物となるかは分からないが、そのどちらもがあり得る未来なのは間違いない。

 IS学園に入学してからこちら、たゆまぬ鍛錬を続けてきた結果、一夏の脳髄に根付いた冷静な戦術判断能力がそんな未来予想を叩きだす。

 

 ラウラやセシリア達であれば、その未来予想に基づいて自分の最適な行動を取ることができるだろう。この絶体絶命の局面を脱し、勝利を得るための方法をどこまでも冷徹に考え抜くに違いない。

 

 だが、そこが一夏とは違うところだ。

 

「……っ!」

「ほぉ……、まだ立ち上がれるとは、根性あるじゃねぇか」

 

 一夏が叩きつけられたロッカーは掃除用具を収めていたらしく、扉が弾け飛んだせいで中からこぼれたモップのうちの一つを掴み、それを支えに立ちあがる。

 シールドバリアが無い状態でISに殴られた体はあちこち痛み、ただ立つだけにすら普段とは比べ物にならないほどの時間がかかり、モップに縋っていなければ今にも崩れそうになる。

 しかしその最中も揺るがぬ瞳はオータムを睨んで決して離れず、その奥に燃え盛る闘志の炎にかげりはない。

 

 一夏とラウラ達の根本的な違い。

 

 それは、「許せない奴には絶対屈しない」という、なんかもう理屈を越えたところで一夏の行動の決定権を握っている性根の存在なのだった。

 

 

 確かに、今の一夏に勝利の目は無い。まるで無い。

 彼我の戦力差を考えれば、それすなわちIS対モップ。他にたとえて比較する対象すら思いつかないほどの、圧倒的な武器の差がある。

 だがそれでも一夏は足を踏みしめて、モップを正眼に構えて相手を睨む。

 

 一夏に残された戦う手段は少ない。戦えば死ぬかもしれない。

 それでも、放っておけば白式を奪い去り、戦いなど知らずに生きてきた人たちが傷つけられるかもしれないという事実を知っていてなお、恐怖に震えているだけなどできない。できはしないのだ。

 

「くっ、くく……っ! な、なぁお前。ひょっとして、そのモップであたしと戦うつもりか?」

「……」

 

 笑い混じりの問いかけに、一夏は返事を返さない。だがその沈黙を肯定と判断したオータムは、にやにやと嘲笑の形に歪んだ唇をますます歪めた。

 

「あっはははは! お前バカだろ! バカすぎるだろ! まさかISにそんな木の棒一本で立ち向かうつもりかよ!?」

 

 いかにも、その通り。

 言葉にこそしなかったものの、一夏の全身から発せられるその意思を感じ取ったオータムはますます声を上げて笑いだす。それも当然のことだ。窮鼠猫を噛むという言葉はあるが、ISと生身の間の戦力差がそんな程度ですむはずがない。

 捨て鉢になっての行動はアラクネに傷一つ付けることなく無駄に終わり、あわれ織斑一夏は抵抗むなしく不様に敗北することになる。

 

 そんな光景がオータムの脳裏にありありと浮かび、その滑稽さに笑いが止まらない。

 

「――ハァァァァッ!!」

「……遅せぇよ!」

 

 事実、そんなオータムの隙をついた一夏の踏み込みからの袈裟切りの挙動すら、ハイパーセンサーを持つISにとっては難なく受けとめられる攻撃に過ぎない。

 両手で腹を抱えたままに呟いたオータムは、一夏に視線を向けることすらせずにアラクネの装甲脚の一本でそれを迎え撃ち、ぶち当たったモップの柄は圧倒的な強度の前に乾いた音を立てて折れ散った。

 

 木の破片が飛び散る向こう、その光景を見た一夏は。

 

「折れたぁ!?」

「当たり前だろうが!」

 

 力の限り叫びを上げ、別の装甲脚に再度殴り飛ばされた。

 

「……あぁ、お前バカだな。どうしようもないバカだったんだな」

 

 まるでさっきの焼き直しのごとく、また別のロッカーの山に埋もれる一夏を見下ろすオータムが呆れた声を出す。生身でISに立ち向かうという蛮行もさることながら、木製のモップで殴りかかっておきながら、いざ折れれば驚きの声を上げるなど、はっきり言ってオータムには理解できない。

 恐怖と錯乱の結果であるにしても、もう少しマシな行動というものがあるだろうに。

 

 そう思っていた。

 

 見下ろす一夏の口の端が、はっきりとつり上がるのを見るまでは。

 

「……どうにか、もちましたかね?」

「ええ、ばっちりよ一夏くん」

「!?」

 

 意味のわからない一夏の呟きに、応える声がオータムの真後ろからあがった。

 

 完全に、予想外の事態。

 文化祭のどさくさにまぎれて一夏を人気のないところに誘い出し、多少荒っぽい手段を用いてでも白式を奪い取る。その任務を課せられたオータムは周到な準備の上で行動に移っている。だから、狩り場と定めたこの更衣室が文化祭中はほとんど使われないということも確認してあるし、念を入れて全システムをロックして誰も入れないようにしてあった。

 

 だからこの部屋には最初から最後までオータムと一夏しかいないはずであり、背後から何者かに声をかけられることなどないはずだった。

 

 その自信と現実とのギャップが生み出す混乱に支配されかけたまま、驚いて振り向くオータムから少し離れた位置。そこにいたのは、『間一髪』と書かれた扇子で口元を隠し、笑みの形に目を細めた少女。

 

 更識楯無であった。

 

「なんだ、てめえ! どうやってここに入ってきた!」

「そんなこと、どうだっていいじゃない。私はIS学園の生徒達の長だから、そのように振舞った、ただそれだけのことよ」

 

 オータムの殺気を正面から叩きつけられ、なおも泰然と微笑み続ける楯無の姿に、オータムは直感的な危機を感じ取った。

 自分に気づかれずこの場に現れたことと言い、周囲の状況からすぐにも鉄火場とわかるここにいてなお崩れぬ平常心。目の前の相手は間違いなく荒事に慣れた、自分に近しい存在だと、オータムは認めたくないと思いながらも理解していた。

 

「はん、どうだっていい。見られたからには、てめえから殺してやるさ!」

 

 その叫びと共に、オータムは八本の装甲脚全てを相手に向かって伸ばした。

 首と心臓、両手に一本ずつと、両足に二本ずつ。いずれも致命傷となるか、そうでなくとも相手の動きを大幅に制限する位置を狙った攻撃。

 仮に相手がIS操縦者であったとしても、展開が間に合わぬ速度で迫ったその刺突はオータムが思い描いた通りの軌跡を走り。

 

「あーらら」

 

 場違いなほどのんきな声を出す楯無の体に、全て余すところなく突き刺さった。

 

 

◇◆◇

 

 

 さしたる抵抗もなく楯無の体を突き穿った装甲脚を確認したオータムは、その顔に浮かべる嘲笑の色をますます濃くする。

 生意気なことを言って現れた相手を圧倒的な力で叩きつぶすのは、彼女にとって他の何物にも勝る喜びだ。

 

「ハハハハハハハァッ! 所詮口だけのガキ……が……?」

 

 しかし、違和感に気付く。

 こんな場所に現れるほどの相手が、こうもたやすく急所を貫かれるだろうか。装甲脚が体を貫いた感触は、やけに軽くはないだろうか。

 

 そして、目の前で女の子の体が刺されたら、部屋の隅で瓦礫に埋もれている一夏が叫び声の一つも上げないものだろうか。

 

「うふふっ」

「何……!?」

 

 ありえないはずの声がした。

 アラクネの装甲脚に全身を貫かれ、即死していてもおかしくない、楯無の笑い声だ。驚愕と共に振り向いたオータムの目に移るのは、さっきと変わらぬ楯無の姿。

 

 喉を刺されながらも笑い声をこぼし、足を貫通されても平然と立ち、痛みなど感じていないかのような笑みを浮かべる、更識楯無である。

 

 一体何が起きたのか、と疑問に思っていた時間は長くない。オータムに思考する暇を与えず、楯無の姿が透き通ると共にぐにゃりと歪んで、次の瞬間には液状化してロッカーの影へと迸ったのだ。

 人の姿をしていたモノが液状化し、尋常ではない速度で移動する。その非常識な光景に、なんか昔の日本のヒーローにそんなのがいたという話を聞いたことがあるような、とオータムはふいに思い出す。

 

 同時に、そのヒーローが悪の組織にとってとんでもないレベルの天敵だ、とも。

 

「今のは……水か!?」

「その通り」

「!?」

 

 オータムは振り向きざま、返事の聞こえた方へと反射的に装甲脚を叩きつける。

 同時に四本の装甲脚を出しうる限りの力で振り抜こうとしたにも関わらず、ちょうどオータムが背後に振りかえったところで、一本のランスに全て止められていた。

 

「あらあら、案外やるわね」

「このガキっ!」

 

 余裕に満ちたその声と表情がオータムの気に障る。ランスと拮抗する装甲脚に残りの四本も叩きつけて楯無を弾き飛ばし、一旦間合いを取る。

 今自分が貫いた楯無の姿は、水で作った偽物。たとえIS操縦者であったとしてもあんなものを作り出せるなど、よほどの手練なのは間違いない。オータムは、それまで以上の慎重な警戒のもと、改めて楯無と向かい合った。

 

 

 オータムと楯無の交差がひと段落したことで、ようやく一夏は楯無のISを落ち着いて観察する余裕ができた。

 見れば見るほど、奇妙なISだ。

 楯無のISは、これまで一夏が見てきたどのISよりも装甲が少ない。

 腰や肩などにごく短いプレートアーマーがあるだけで、ISスーツに包まれたむき出しの肉体があちらこちらから見えている。

 しかも装甲自体の形状も珍しい。ごく少ない装甲の端部にはスリットが開いており、まるで本来そこにあるべき装甲を取り払ったかのようにも見えるほど。高機動型の白式と比較してすら少ないアーマーは、強羅と比較すれば生身と変わらないようにすら見える。

 

 だが、何より一番目を引かれるこのIS一番の特徴は、そこではない。

 アンロックユニットのように左右一対で浮遊している、クリスタル状の結晶体。水晶のように鋭いエッジを持ちながら、その中身はまさしく液体の水であるかのように揺らめき、光の波紋をロッカールームの床と言わず壁と言わず幾重にも描いている。

 

 これこそがアクア・クリスタル。楯無のIS、ミステリアス・レイディ最大の特徴だ。

 

「今回の事件、あなたにとってはけっして不可能なものではなかったのでしょうけど、間が悪かったわね」

「なんだと……?」

「今日はIS学園の文化祭で、うちの生徒みんなが楽しみにしていたの。そんな日に織斑くんを襲う事件を起こして、他のみんなも危険にさらすなんて。……そんなことは、絶対に」

 

 ゆっくりとランスを下ろし、自然体で立つ姿勢となる楯無。

 しかしその身の内に溜めこまれた力は激烈であり、その威力を隠しもせず、楯無は目の前の敵に絶対の意思を持って叩きつける。

 

 悪に屈さず戦う決意を示す言葉。

 

 それすなわち。

 

「ゆ゛る゛さ゛ん゛っ!!!」

 

 その叫びに、悪の秘密結社「亡国機業」に属するオータムは何故か判らないが絶望を覚え。

 

 

 一夏は、アクア・クリスタルと装甲のスリットから吹き出た水のオーロラを身にまとい、会長が戦う人になるのを見て。

 

(もう全部楯無さん一人でいいんじゃないかな……)

 

 と、思ってしまったのだという。

 

 

◇◆◇

 

 

「コォォォォォォっ!」

「ちょ、調子に乗るな!」

 

 マントのごとく水の膜を纏った楯無に対し、オータムは気丈にも反撃を開始した。

 格闘モードにしていた装甲脚の全てを射撃モードにして、火線を楯無に集中させる。全八門からなる弾幕は楯無の全身を覆い尽くすに足るものであったが、ただの一発として水のヴェールを貫くことはできなかった。

 

「な、なんだよその水は!?」

「うふふ、教えてあげるわ。この水の操作こそが私の……」

 

 よくぞ聞いてくれた、とばかりの表情を浮かべた楯無は、それでもたっぷりともったいつけて言う。

 彼女が纏う、自在に動く水の正体。それこそが

 

 

「波紋よ」

「いや、ナノマシンかなんかでしょ」

 

 

 思わず一夏がツッコミを入れずにはいられないほど、自信満々に言いきった。

 

 オータムは、楯無が出てきて以来狂わされっぱなしの勘をどうにも取り戻せないでいる。普段ならば戦闘中に相手の話術に乗るような真似はしないが、それでもこの相手だけは何かが違う。妙な言葉に幻惑され、タイミングをずらされ、攻撃をいなされ、ことごとくが上手くいかない感覚に囚われかけている。

 

「このっ!」

「あらら、すごいわね」

 

 相手の武器はあの長いランスのみと見たオータムは戦闘スタイルを切りかえる。

 自分の両手にカタールを展開し、さらに装甲脚のうち半数を格闘モード、残りを射撃モードのままにして近接戦闘を挑む。

 オータムの格闘能力も決して低いものではなく、ましてやそれに加えて圧倒的な手数を誇る装甲脚の刺突と射撃。並のIS使いならば数秒ともたないだろう猛攻であり、事実オータムの連撃の前には、水を纏わせ貫通力を増したランスもその力を発揮しきれず、次第に楯無も押されだす。

 

 だが、しかし。

 

「楯無さん……助太刀いりますか?」

「大丈夫よ、一夏くん。そんなことよりあなたは、あなたの望むことを強く願っていてちょうだいな」

 

 どういうわけか、一夏と楯無の態度に焦りがない。

 オータムは楯無への攻撃を途切れさせることなく、同時に考える。どうしてこいつらはこんなにも余裕を持っていられるのか。

 IS学園の生徒会長を名乗る楯無が現れた以上さらなる増援が来る可能性もあるが、もしそれが可能ならばそもそも楯無一人で来るとも思えないし、増援がIS使いであるならば楯無が姿を見せてから今までの間にとっくに到着していなければおかしい。

 一体どういうことなのか。地下のロッカールームであるためかやけに蒸し暑い空気が生み出す不快感に考えはまとまらず、そのイラ立ちも含めて楯無に叩きつけるカタールの斬撃はますます重さを増していく。

 

 そして、ついにオータムの攻撃がガードごと楯無を弾き飛ばし、状況を変える。

体勢を立て直されるよりも速くに放ったエネルギーワイヤーが先の一夏のように楯無の体をがんじがらめに縛りあげたのだ。

 

「はぁっ……はぁっ……手間かけさせやがって……!」

「あらー、困ったわ」

 

 荒い息を吐くオータムは、なおも飄々とした態度を崩さない楯無に今度こそ射撃モードの装甲脚を突きつける。狙いは頭部、水の防御はない。ただ引き金を引けばそれだけで命を奪える、必勝の間合いだ。

 

 だが、しかし。

 

「あなたも大変ねえ。――だってあなたの周りだけ、すごく暑いでしょう?」

 

 意味ありげな雰囲気を孕む楯無の声に、ぎくりと身をすくませた。

 楯無を倒すことにばかり集中していて全く気付かなかったが、オータムの周りだけ、異様に濃い霧が漂っている。しかも全身にまとわりつくようなその霧は、振り払おうとしても離れない。

 しかも、よくよく見るとなんだか霧の中、青いボディに赤い目をした怒りの王子の顔が見えるようで、悪の組織の戦闘員であるオータムは、またしても理由のわからない絶望的な恐怖にとらわれる。

 室内であることを考えるまでもなく明らかにおかしな現象であり、間違いなく楯無からの攻撃だ。

 

「さっきも言ったでしょう、ミステリアス・レイディは水を操るIS。……ごめんなさいね、『実戦の最中で己の失策を知った顔をさせる』っていうのが、私のとっておきのロマンなの。……さぁ、受けなさい」

 

 一夏のいる位置から見える楯無の顔には、これまで見たこともないほど美しい笑顔が浮かんでいる。

 相手の失策を笑い、自らの勝利の確信を噛み締めるその表情。まるで(ドSの)女神様である。

 

「震えるぞ分子! 燃え尽きるほどヒート! 刻むわナノマシンのビート!」

「このおおおおおおおっ!」

「はい、残念」

 

 破れかぶれのオータムに対し、セリフを言いきって満足した楯無は、エネルギーワイヤーにがんじがらめにされながらもわずかに動く手を使い、パチンと指を鳴らす。

 おそらく単なる演出の意図しかなかったのだろうが、現実として次の瞬間には霧の中に含まれるナノマシンが一斉に発熱し、沸騰した水の急激な体積膨張がオータムの体を押し包み、透明な爆発の中に叩きこんだ。

 

「があああああああ!?」

「どうかしら、私の必殺技、キュア……じゃなかった、『清き熱情の波紋疾走――クリア・パッション・オーバードライブ――』の味は」

 

 そんなことをのたまいながら、アラクネがダメージを受けたことで強度が低下したエネルギーワイヤーを引きちぎりながら楯無が立ちあがる。とはいえ、さっきまでの戦闘とクリア・パッションで消費した水とナノマシンの量は決して少ないものではなく、水の守りがかなり薄くなっている。

 このまま戦闘続行となれば、少々厳しいものがあるだろう。

 

 

 爆発のダメージを受けはしたが、オータムは亡国機業の実働要員。そのことを即座に理解して、むしろ不敵な笑みを浮かべてすら見せた。

 

「まだ……まだだ……!」

「あら、中々根性あるのね。……まあ、確かにここで立ち上がられると厳しい状況ではあるわ。――さっきまでは、だけど」

「何!?」

 

 一瞬オータムの言葉を認めるかのようなことを言った楯無はしかし、すぐにそれまでと同じような、愉悦に染まった笑みを浮かべて否定する。

 もはや今日何度目になるかもわからない驚愕の叫びを上げたオータムは顔を上げ、楯無の視線が向かう先を見て。

 

 そこに、オータムから受けたダメージを無視して仁王立ちする一夏の姿を見た。

 

「さあ、見せてあげなさい一夏くん。あなたと、あなたの白式の力を」

 

 楯無の言葉に導かれるように、一夏は決然と顔を上げる。そして、すぅと深く息を吸う。

 その期待に応えるため。目の前の敵に今度こそ屈しないため。

 そしてなにより、奪われた相棒を取り戻すため。

 

 一夏は高らかに右手を掲げ、その指を打ち鳴らす。

 

 

「出ろぉぉぉぉぉーーーーーーッ!! 白式ぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーッ!!!!」

 

 

 パチーン、と妙に響く音と共に、一夏の全身はISの量子転送光に包まれた。

 

 

◇◆◇

 

 

「せやああああああああああああああ!!!」

「なんだ、一体何がどうなってやがる!?」

「そんなこと俺が知るか!」

 

 白式の展開が終わると同時、一夏はオータムへ向かって飛び込みざまに雪片を展開し、真正面から一刀両断に振り下ろす。心なしか肩装甲とか浮きあがって中から金色の光とか出ている気もするが、おそらくただの錯覚だろう。

 オータムも、先ほどの楯無の攻撃でボロボロになった装甲脚の全てを掲げて受けとめるが、互いの力が拮抗したのも一瞬のこと、奇跡の復活に高ぶる今の一夏と白式に斬れぬものなどあんまりなく、刻一刻と鋭さを増す零落白夜のエネルギー刃が装甲脚をチーズのように切り裂いた。

 

 バラバラと砕け散る装甲脚の向こうに見えるオータムの表情は驚愕に凍りついている。だが、一夏はそんな物に構わない。さんざこけにしてくれた相手なのだからと、容赦のない前蹴りを叩きこむ。

 遠隔転送によって取り戻されたことで一時的に白式の出力が上がっているのか、一夏の予想以上にオータムの体は吹き飛び、叩きつけられた壁を突き崩し、向こう側が見えた。

 

 調子のよかった一夏の、それが今回最大の失策であった。

 

「しまった!?」

「一夏くん、そいつを捕まえて!」

「くそ……、次は絶対殺してやるからな!」

 

<敵IS、シールドエネルギーの過剰供給を確認。爆発の危険性あり>

 

 既に戦闘不能なほどに追い詰められたオータムではあったが、だからこそ一夏達からの距離が離れ、しかも壁には逃走にうってつけの穴まで開いた。ファントム・タスクの刺客として、作戦遂行能力はもとより高い生還能力も持ち合わせているオータムは、ここが潮時と判断した。

 迷うことなくISをパージし、その際同時にアラクネの全エネルギーをシールドに供給するように設定を変更。それを感知した白式とミステリアス・レイディが互いの操縦者に警告メッセージを発するのと同時、アラクネのシールドジェネレーターが過負荷を起こし、それでもなお送られ続けるエネルギーが瞬く間に飽和して光となって。

 

「一夏くん、危ない!」

「うおわっ!?」

 

 ロッカールーム全体を震撼させる大爆発を引き起こしたのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 一方、その頃。

 

 IS学園全体に微震が響き渡るほどの衝撃を強羅が感知したと伝えてきたとき、俺はちょうど舞台の上にいた。

 

 生徒会主催の劇は、一夏が姿を消してからもなお続いている。

 実のところ、この劇の目的は一夏との同室権を賭けた勝負にあるのではない。

 一夏襲撃が予想される今日この日、不特定多数の生徒が好き勝手にIS学園内をうろつくことが無いようにするため、可能な限り多くの生徒をこのアリーナに収めておくことが、この劇の真の目的だったりするのだ。

 

 だから、たとえ一夏がいなくなろうとも事件が終わるまで劇を終わらせるわけにはいかず、その任を託された俺と虚さんはIS学園生に楽しんでもらえるよう出来る限りのことをし続けていた。

 

 

 その方法を、具体的に言うと。

 

「ノホホーンがやられたようだな……」

「ククク……奴は四天王の中でも最弱……」

「一年生ごときに負けるとは、生徒会の面汚しよ」

 

 舞台の上で話し合う、新聞部の薫子さん、ちょっと無理矢理引っ張ってきた山田先生、眼鏡の似合う虚さんが悪役っぽい雰囲気たっぷりにそんなセリフを口走る。ちなみに四天王最初の一人役ののほほんさんは既に退場している。

 当初辛うじてシンデレラとしての体裁を保てていなくもなかったころの面影は既になく、まったく別の何かに変貌しているのは言うまでもない。

 

 ついでに言うと、生徒会の面汚しも何も、のほほんさんを入れても四天王のうち生徒会メンバー二人しかいないし、のほほんさん自体一年生じゃねーかよ、などとツッコんではいけない。

 

「くらええええ!」

「「「ぐはあああああ!?」」」

 

 どうせ、すぐ退場するんだから。

 どこぞのクモ男の操る巨大ロボの必殺技がごとく、舞台袖から飛んできた音撃斬に三人まとめて胴体を貫かれた――ように見える演出なのだが――、その結果。

 三人そろってその場に倒れ伏し、下手人たる箒が堂々と舞台の中央に進み出る。

 

「ついに四天王を倒した! ……さあ姿を現すがいい、真宏!」

「ふはははははははは!」

 

 そしてこれまでの劇の展開に、理性とか色々削り取られた箒がノリノリで叫びを上げるのに応えた俺が、舞台の天井側からワイヤーに吊らされてゆっくりと降りてくる。

 衣装は劇の最初に着ていたコートではなく、いかにも魔王っぽいマントのような良くわからない格好である。

 劇の中盤で俺こそがシンデレラバトルを仕組んだ黒幕だと知らされ、残ったシンデレラ達をまとめ上げてここまでやってきた箒との最終決戦が今まさに始まろうとしているのだ。

 

「よく来たな箒……待っていたぞ」

「ついに追い詰めたぞ真宏! ここでお前を倒し、私は願いをかなえるのだ!」

「いいだろう、出来るものならやってみるがよい。……だがその前に言っておこう。お前は俺を倒すのにはロマン断ちが一番有効だと思っているようだが……すみませんそれマジキツイんで勘弁して下さい」

「ここで土下座か!?」

「戦隊とライダーが一週休みになっただけでも辛いんだよホント。……ゴルフなんてこの世から消滅すればいいのに」

「危険思想をつぶやくな! ま、まあいい、私も一つ言っておこう。この私のマッドサイエンティストな姉が、ここぞとばかりにIS学園に忍び込んでこの舞台を見ているような気がしていたが、別にそんなことはなかったぞ!」

 

「ぎくっ」

 

 ちなみに、箒のそのセリフに反応して、観客席の後ろの方でぴくりと動くウサミミが見えた気もするけど、まあ気にしないでおこう。後で適当な架空の住所宛てにシンデレラドレス姿の箒の写真(新聞部に頼んで撮っておいてもらいました)を送りつければ、謎の郵便事故が起こって住所不定のマッドサイエンティストにでも届くだろう。というか、そうしておかなければ理不尽な面倒が降って来そうな気がするし。

 

「うおおおおおおいくぞおおおおおお!」

「さあ来い箒!」

 

 そしてついに始まる最後の戦い。

 一体どんな超展開バトルが繰り広げられるのかと息を飲む観客達の視線の全てを舞台上に引き集め。

 

『篠ノ之さんの勇気が世界を救うと信じて……! ご観劇、ありがとうございました!!』

 

 いつのまにか舞台袖にはけていた虚さんのナレーションが、一瞬で幕を引くのでありましたとさ。

 

「「「「ええええええええええええええええええええええええええええ!?」」」」

 

 どっとはらい。

 

 

◇◆◇

 

 

(クソっ……クソが!)

 

 スタスタと、驚くほどの速足で歩く一人の女性がある。

 落ち着いた笑みを浮かべ、そつなく着こなしたスーツ姿で颯爽と歩いているように見えるが、それにしてはやけに足音が高くイライラとした気配がある。

 それもそのはず、IS学園を離れて帰還の途にあるその女性、オータムの内心にはとめどなく溢れる憤怒の激情が荒れ狂っているのだから。

 

(計画にケチがついたのも、あんな邪魔が入ったのも、全部あのガキのせいだ!)

 

 上っ面だけは穏やかな表情を取りつくろいながらも、今のオータムはこの仕事を持ちかけてきた少女への怒り一色に染まっている。組織に入った時から変わらぬ人を見下した態度と、神経を逆なでする喋り方。

 

「この作戦を成功させればスコールからの覚えもめでたくなるだろう。そちらにとっても、悪い話ではないと思うが?」

 

 今思い出してもイライラする。なんだその喋り方は、流行っているのか。

 そう思いながらなんとか無事にモノレールに乗り、無心にIS学園から距離を取る。組織に回収を依頼するにしても、あまり学園に近いところでは連絡を取ることすらできはしないのだから。

 

 それにしてもと思うのは、今回の作戦に使ったリムーバー。どこぞの国なり組織なりが開発した極秘の兵器と言う話であったが、それを使うことでISに生まれる耐性は遠隔コールを可能とする。

 あの女はそれを知りながら、自分にこの作戦を決行させたのだ。わかってみれば、とんだ茶番である。

 

「あぁっ! くそ! イライラするんだよ……」

 

 そうして歩き続け、オータムは人気のない公園に到着する。

 素早く視線を走らせ、辺りに人の目が無いことを確認してから、苛立ち紛れに目の前の水飲み場を蹴り上げる。鍛えられたオータムの脚力はコンクリート製の水飲み場を鈍く揺らすほどのものであるが、少しも壊れないところがますます気に入らない。

 

 だが、ようやく一人になれたことでわずかに落ち着いたのもまた事実。そうなれば、さっきからの緊張で無性に喉が渇いていたことにも気付く。そしてちょうど目の前には水飲み場。少し水分を補給するとしよう。

 

「ごくっ……ごくっ……。……はぁっ!」

 

 蛇口から溢れる生ぬるい水を飲み下し、勢いよく顔を上げたオータムは口元を拭って、再び脳裏に染みだすように広がるドス黒い思考に身をゆだねる。

 

(殺してやる……。あのガキだけは、誰が何と言おうと絶対に……!)

 

 自分をこんな目に合わせた少女への復讐を内心で誓い、嗜虐的な笑みを浮かべるオータム。痛めつけてやればどんな声で命乞いをするだろうか、と酷薄なことを考えて歪む頬を隠しもせずに笑い。

 それと同時に、異常に気がついた。

 

「なんだ……?」

 

 オータムのすぐ目の前、蛇口から出しっ放しにしていた水が一瞬、おかしな跳ね方をしたのだ。蛇口のすぐ上の空間に透明な板でも通りすぎたかのように綺麗に遮られ、ばしゃりと落ちてオータムの服を濡らす。

 明らかに物理法則を無視した現象。普通の人間ならば目の錯覚を真っ先に疑うところだろうが、オータムは違う。

 あんな現象を起こしうるものに心当たりがある。まして、透明な板が通り過ぎたように見えたあの軌道は、ついさっきまで自分の顔があった位置だ。

 

 自分は、狙われている。

 

「くそっ!」

「遅い」

 

 蛇口もそのままにその場を飛びのいたオータムであったが、まるでその時を狙いすましたかのように目の前に何かが飛来した。

 

 ドズンっ、と公園の地面に両足を突き刺すようにして落着したそれは、着地と同時に舞い上がった砂煙に紛れる前に見えた姿からすると、黒い装甲に長大なレールガンを装備したIS。AICを装備したドイツのIS、シュヴァルツェア・レーゲンである。

 

「ようやく見つけたぞ、亡国機業。IS学園に侵入した件について、話を聞かせて貰おうか」

「くっ……! ドイツのラウラ・ボーデヴィッヒか!」

 

 砂煙の向こうから聞こえてきた声に対しオータムがそう応じると、しかし何故かぎくりと震えた気配が帰ってきた。

 

「ち、違うぞ。私はラウラ・ボーデヴィッヒなどという一夏の婿ではない」

「何……?」

 

 オータムとて、今日の織斑一夏襲撃を実行するにあたって情報収集をしてある。さっき自分の前に立ちはだかった生徒会長の更識楯無とやらはどういうわけか情報が見当たらずに不覚を取ったが、さっき一瞬見えたISのシルエットと声からして、目の前に現れたIS使いの正体がラウラなことは間違いない。

 それなのに一体何を言っているのかと思い、顔を覆っていた腕を下げて、砂煙が風に吹き散らされ露わになったISの姿を目にし。

 

 

 そこに、黒・赤・黄色の三色に色分けされ、目の部分だけが見えるようになったマスクを付けた銀髪の少女を見た。

 

「……お前、何やってんだ」

「お前ではない。今の私は謎のゲルマンくノ一、シュバルツ・シュヴェスターだっ!」

 

 やけに、ノリノリだった。

 

 ちなみに、はっきり言って正体は全く隠せていない。

 マスクの後ろからは長い銀髪があふれ出ているし、浅いV字を描く角の下には特徴的な赤い右目と黒い眼帯に覆われた左目がはっきりと出ている。

 正体を隠す気があるのか、いやむしろこの間抜けな姿でこちらを幻惑しようとしているのではないかと思うほど、とてもアレな姿であった。

 

「おかしい、真宏に作ってもらったこのマスクを付ければ、親兄弟にすら正体がバレないはずでは……?」

 

 などと呟く声が聞こえた気もするが、ひとまずオータムは忘れることにした。

 かなり間抜けな格好をしているが、このISもその操縦者も、もし今回の仕事で邪魔になるとしたら最大級の脅威があると考えられていた相手だ。

 ましてや今のオータムはISを失った身。このままでは組織に生還することすら危ういという状況になってしまっている。

 相手は現役のドイツ軍人とはいえ、IS学園の生徒。わざわざ生徒が出てきているのだから追手が一人だけとも思えないが、何やら考え込んでいる様子の今こそが好機。どの道もはや逃げ切れる可能性もほとんどないが、一か八かこの場から離れなければ。

 そう決心し、悩むラウラから距離を取るべく重心を後ろに移し。

 

「余計なことはしないほうがいいですよ。今あなたは狙撃手に狙われていますから」

「!?」

 

 そのわずかな動きを察知した者の声、が背後からオータムの背筋を叩いた。

 ラウラに背を向け走り出そうとした、まさにその瞬間を狙いすましたように届いた声に、オータムは震えあがるようにして振り向いた。

 前門のIS使いですら脅威であるというのに、今度は一体何が。

 半ばやけくそになりながらも更なる敵の正体を求め。

 

「……………………またかよ」

「なっ! またかよとはなんですか!?」

 

 そこにいたのは、なんか頭にダンボールをかぶった女だった。

 

 そうとしか言いようがない。

 心外だ、とばかりに声を荒げてはいるものの、小柄な体と微妙に似合わないスーツ、そしてどこか子供っぽい仕草のため、「ぷんぷん」という擬音が聞こえてきそうな雰囲気を放っている。

 

 おそらく頭に被っているダンボールはラウラ同様顔を隠すためのものなのだろうが、なぜか外を見るための目穴が中央に一つしか開いていない。学園祭中のIS学園から調達してきたと思しきダンボールの側面には「GA」と書かれているが、一体どこの企業のロゴなのだろうか。

 

 そんな風に半ばあきれたオータムであったが、しかしすぐに凍りつく。

 怪奇・一つ目ダンボール女はISを展開せず生身のスーツ姿であるが、その胸に輝く社章に見覚えがあったのだ。オータムは直接の関わりこそないものの、ISに関わる人間であれば一度は名を聞いたことのある企業の所属を表すその社章。

 

 そして身長が低く、こんな場所に出てくるような度胸と実力のある人間。心当たりは一人しかいない。

 

「てめぇ……蔵王重工のワカか!?」

「ぎくっ!? ち、違います! 私はワカなんて名前じゃなくて……、そう! 愛と火薬の使者、グレオン仮面です!!」

 

 公式戦の出場記録こそないものの、大火力型のISを使わせれば右に出る者がいないどころか手に負えないとすら言われる蔵王重工のIS操縦者、ワカ。オータムがそうと見込んだ相手は案の定というべきか慌てふためいて誤魔化そうとしているようだが、もはや疑いの余地はない。

 

「くそっ……、なんてこった!」

 

 端的に言って、状況は最悪だ。

 ドイツの代表候補生はIS学園一年生の専用機持ちの中でも最強クラスだし、蔵王重工のワカもまた尋常ではないIS使いだ。加えてグレオン仮面の言葉通り狙撃手が狙ってもいるとなれば、もはやオータムにこの場を脱出する術は無い。

 

 ゲルマンカラーの覆面をかぶったシュバルツ・シュヴェスターと、一つ目ダンボールを被ったグレオン仮面。この二人に挟まれるというシュールどころではない状況であったが、それでもオータムはまさしく絶体絶命であった。

 

 しかし。

 

『ラウラさん、敵襲ですわ!』

「なんだと!?」

「危ないです、避けて!」

 

 離れたところからオータムを狙っていたセシリアの索敵範囲外から、猛スピードで侵入するISがその状況を突き崩した。

 

 セシリアの狙撃を掻い潜り、ラウラが反応すると同時にその肩装甲をレーザーで撃ち抜いたISが現れた。どうやらISを展開していないグレオン仮面には脅威を感じていないらしくろくに攻撃を加えてはいないが、それでも突如現れたたった一機のISによって戦況が変えられてしまった。

 その正体は、高機動パッケージでも装備しているのかと思うほどに鋭い機動で、ヴォーダン・オージェを発動させたラウラにすら反撃の隙を与えぬ青い機体。

 

「なっ……、BT二号機、サイレント・ゼフィルス!?」

「どうやら……大変なことになってきたみたいですね」

 

 それこそは、ブルー・ティアーズと同じBT兵器実験機たるサイレント・ゼフィルス。

 しかし、ただそれだけならばセシリアにとって多少因縁があるというだけの相手。問題は、相手がその機体を完璧に使いこなしているということだ。

 

「お行きなさい、ブルー・ティアーズ!」

「……」

 

 単純な狙撃は届かぬと見るや、即座にビットを射出しての多角攻撃に切り替えるも、相手はそれすら迎撃し、直撃弾はシールド・ビットで見事に防ぐ。その上相手はさらなる反撃の余裕すら持ち、セシリアを越えるビットの六機同時制御での多重攻撃を仕掛けてきた。

 

(そんな……どういうことですの!?)

 

 全方位あらゆる位置から繰り出されるBTレーザーを必死に回避しながらも、セシリアは混乱に囚われていた。

 サイレント・ゼフィルスは、セシリアのブルー・ティアーズのデータを元にさらなる汎用性を目指して作られた二番機であり、セシリア自身何度か見たこともある。

 そんな機体がなぜ今敵として現れるのか。BT兵器の適性が最高値のはずの自分よりも使いこなす相手は何者なのか。

 次から次へと押し寄せる衝撃はセシリアの正常な判断力を奪って行く。

 

「ですが……これならどうです!」

 

 だがそれでなお、射撃戦におけるセシリアの能力はずば抜けたものがある。相手の回避能力が高いというのならば、それを発揮できないようにすればいいだけの話。スターライトmkⅢと残ったビットでの射撃で相手に回避行動を取らせ、予想通りに動いたその位置へとあらかじめ射出しておいたミサイルを叩き込むことを選択。

 

 一夏あたりならば為す術なく直撃するだろう、見事な誘導戦術。

 回避は間に合わず、サイレント・ゼフィルスのレーザーライフルとビットの砲口の向きからして迎撃すら不可能なその一撃。

 

 しかし、サイレント・ゼフィルスの操縦者は慌てもせず、そのミサイルを「レーザーを曲げて」迎撃してのけた。

 

「な……なんですって!?」

「セシリア!?」

 

 BT兵器の最大稼働時にのみ可能なレーザー偏向射撃。まさかセシリア自身にすらできないことをできるような相手とはさすがに思わず、精神に受けた衝撃を受け流せずに硬直してしまう。

 それは戦場では致命的な隙であり、セシリアとラウラを相手取ってなお余裕を見せるほどの敵が見逃す道理はない。ラウラへの牽制以外全てのレーザーがセシリアへと、今度こそ回避も防御も不可能な密度で殺到し。

 

 

「危ないです!」

 

 

 地上から放たれたグレネード弾がレーザーの射線に割り込み、起爆。呆れるほど巨大な爆炎と高熱によってその威力をかき消した。

 

 

「きゃああああああああ!?」

「セ、セシリアー!?」

「大丈夫です! ちょっと余波で吹っ飛んだだけですから!」

 

 周囲一帯に鳴り響く轟音を響かせ、公園に立ち並ぶ木々をしならせる爆風をぶちまけるグレネード。真宏やラウラが使う大口径グレネードに匹敵する威力の弾を放ったのは、未だISすら展開していないグレオン仮面。

 明らかにIS用装備たるそのグレネードキャノンは、砲口が女性の腕ほどもある大口径のものであり、本来ISの場合は片手持ちするであろうそれを両手で持って、だがふらつきもせずにしっかりとした体勢で保持している。

 以前、ラウラは生身の千冬にISのブレードで切りかかられたことがあるが、それと同じようなこととみなすにはさすがに衝撃的に過ぎる。

 

「……そろそろ退いてもらえませんか、亡国機業」

 

 一方のグレオン仮面はしかし、冷静に戦況を見つめている。

 セシリアへの射撃が命中するかどうかも見届けることなく移動したサイレント・ゼフィルスは、既にオータムの元へと辿り着いている。この場へ飛来した時の速度とその後に示した機動性を考えれば、逃げに徹された場合セシリアとラウラの二人でも捕えきれるものではないだろう。

 まして、セシリアもラウラもノーダメージと言うわけではない。このまま無理に戦闘を続けるよりも二人の安全を選ぶ。それが、この事件の存在を察知してラウラに同行を申し出たグレオン仮面の選択だった。

 

「ふん……、ISすら使わぬ腰抜けとこの程度の実力しかないドイツの遺伝子強化素体――アドヴァンスド――に、BT兵器の出来そこないだけの戦力で、私に命令か?」

「命令なんかじゃありません、これはお願いですよ」

 

 グレオン仮面の言葉に、バイザーで顔を隠したサイレント・ゼフィルスのパイロットは初めて口を開いた。バイザー越しに見える美しい形の唇は嘲笑に歪み、誰をも見下していることがはっきりとわかる。

 

 だが、グレオン仮面の様子は変わらない。ダンボールで顔面全てが隠れているため、表情が読めないことにかけてはこの場で随一のグレオン仮面であるが、IS用グレネードキャノンを持ちながらも泰然と揺らがぬ立ち姿からは、特別の危機を感じていないことをうかがわせる。

 

「ほぉ……ならば、その願いとやらを聞かなければどうするんだ?」

「その時は……しかたありません」

 

 だから、サイレント・ゼフィルスの操縦者は気付けない。

 

 自分が前にしている相手が、破壊の使徒であることに。

 

 

「――全てを焼き尽くすだけです」

 

 

「……っ!?」

 

 オータムとサイレント・ゼフィルスの操縦者は、グレオン仮面のその一言にゾッと震えて身構える。

 目の前のたった一人が放つ威圧感に、全く勝てる気がしない。

 

 グレオン仮面の背後でゆらめく陽炎はおそらくISを展開するための量子転送反応の副産物であろうが、まるで空間が歪んでいるかのようなあの光景、もし実際にISを展開した場合どれほどの質量の装甲と武装が展開されることになるのか。

 頭にかぶったダンボールの中央に穿たれた穴からも、量子転送光と思しき赤い光が洩れていて、まるで一つ目の悪魔のようだ。

 

 

 IS用の大口径グレネードを持っている相手を前にしているとはいえ、亡国機業の戦闘要員たる二人をただ睥睨するだけで圧倒するグレオン仮面。並外れたその覇気に気圧されたとて、一体誰が笑えよう。

 

 そして、そんな相手を前にしたからか、オータムはふいにかつてIS関連業界の人間から聞いたジョークを思い出す。

 

 

 曰く、モント・グロッソにグレネード部門が開設されることは、絶対にあり得ない。

 なぜなら、何がどうあろうとその部門に確実に出場してくるだろうあるIS使い。彼女の発揮する破壊力を、受け止めきれるアリーナを作ることができないからだ、と。

 

 嘘か真か、ISであるならばありえなくもない話し、というのが一般の認識となるだろうこのジョークであるが、実は続きがある。

 

 このジョークを聞いた者の反応は二つに分けられるのだという。

 ある者は、面白い話を聞いたと朗らかに笑う。

 だがまたある者は、クスリともせずに深く頷く。

 

 この話を聞いて笑わない者たちの共通点はただ一つ。

 彼らはみな、ワカがISを使うところを見たことがあるのだ、と。

 

 

 オータムが対峙するグレオン仮面から、殺気は感じられない。

 おそらく本気で戦闘を引き起こすつもりはなく、彼女が口にした通りここで自分達に退いて欲しいと思っているのだろう。

 

 だが、いざ戦うとなれば容赦はすまい。

 あまり意味はないながら、正体を隠そうとかぶっているダンボールをかなぐり捨て、第二世代型最重武装と名高い強羅を使い、言葉通りに周囲一帯を焦土と化してでも自分達を焼き尽くすに違いない。そしてそんなことを言うからには、周到にもこのあたり一帯の住民は避難が済んでもいるはずだ。

 

 あの一言には、そう思わせるだけの恐ろしさが確かにある。

 

「……くっ、戻るぞオータム!」

「わ、私を呼び捨てにするんじゃねぇ!」

 

 そこで撤退の判断を下せたのは、果たしてどちらの陣営にとっての幸福であったのか。

 いずれにせよ、ラウラ達は亡国機業の手掛かりを逃し、亡国機業もまたなんら成果なく引きあげる。

 

 

 だが、そうして何事もなく終わったのは、表面上のことでしかない。

 亡国機業が白式を狙ったこと。そのための手段としてIS学園に侵入し、かの組織にとって貴重な戦力であるISまでも繰り出したこと。

 それらが示す意味は軽視できるものではなく、世界は、IS学園は、一夏達は否応なくこれに伴う巨大なうねりの中に呑み込まれていくだろう。

 

 その中で彼らが掴むは希望か、絶望か。

 未来を知る者はまだ、誰もいない。

 

「ふー、さすがに緊張しました。正体を隠すためにISを使えないっていうのもつらいですしねえ。おかげでこんな小さいグレネードしか使えなかったです」

「えっ」

「えっ」

 

 それはそれとして、シュヴァルツェア・レーゲンの砲戦パッケージに匹敵する火力を「小さいグレネード」と評するこの人は本当に人類なのだろうかと、ラウラとセシリアは本気で疑ったのだという。


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