IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第20話「企業戦士」

「まだまだ! まだ走れるはずです!!」

「目標をセンターに入れてスイッチ。目標をセンターに入れてスイッチ。目標をセンターに入れて……」

「スーパーイナズマ……っ!」

 

 IS学園の生徒は、その一人一人が紛れもないエリートであり、向上心の塊だ。

 そんな彼女らは今後の人生次第ではたった一人で一国の情勢にすら影響を与えかねないほどの可能性を持っている。IS学園入学という狭き門をくぐり抜けた以上、当然彼女らはその自覚も十分以上に持ち合わせており、だから日曜の昼間からアリーナにて自主訓練に励むことも、なんら不思議はない。

 俺の目の前に広がるアリーナ内の光景は、その事実を疑う余地のないものとして改めて見せつけてくれている。広いアリーナのあちらこちらで打鉄やラファール・リヴァイヴを装着したIS学園生達が、射撃、格闘、機動戦闘と様々な訓練に励んでいる光景が、強羅のハイパーセンサーで拡大された知覚に飛び込んでくる。

 ……その中で聞こえるセリフの一つ一つがネタに塗れている気もするんだが。別に俺のせいじゃないと思うよ?

 さらに言うなら、もしこの場で今日一夏とシャルロットがデートに出かけているという事実をちらとでも漏らそうものなら、どことなくやけくそなオーラを発散しながら訓練に打ち込んでいる一部の生徒が血涙を流しそうな気もするが、あえて不幸を撒き散らすつもりもないからやめておくとしよう。

 

 そんなわけで、今日は日曜日。

 一夏がシャルロットとデートに出かけ、他の一年生専用機持ち達もほとんどがその事実にふてくされている。だから俺一人でも訓練をしようとアリーナまでやってきたのだが、相変わらずいつでも盛況なようだ。

 キャノンボール・ファストというイベントが近いこともあってか生徒達の真剣さはいつも以上であり、ただこうしてアリーナを見渡しているだけで俺も負けてはいられないという気分になってくる。

 

 ……まあ、今日ここに来た理由は、それだけではないんだが。

 

「ハァ……、ハァ……!」

『よう、セシリア』

「あ、あら……。真宏さん」

 

 ちょっと、セシリアの様子を見ておきたくてね。

 

 

 セシリアは、今さら語るまでもないイギリスの代表候補生にして、専用機ブルー・ティアーズの操縦者。ISにおける狙撃と、それを生かすための機動戦術、さらにはBTレーザーを備えたビットであるブルー・ティアーズの操作に長けた、IS学園の一年生でも屈指の実力を持つ英国貴族のお嬢様だ。

 だが今のセシリアから、それらの肩書にふさわしい威厳と自負を備えていた入学当初の頃のような気配を感じ取ることは難しい。いくつも浮かべたターゲットバルーンを狙い、高速ロール機動の最中にレーザーライフルとビットからの射撃をわざと外れる軌道で発射し、曲がることを念じながらもいまだ果たせていないのだろう。

 

 これまでどれほどの時間をこの訓練に費やしてきたのか、額に汗をにじませ荒い息をつくという、普段のセシリアならば決して人に見せようとしないだろう姿をさらしている。

 セカンド・シフトに伴って白式との相性が最悪になったことと、それに起因する調子の低迷。さらにはファントム・タスクにブルー・ティアーズの二号機が奪われていたとわかり、ましてやその相手がセシリアにすらできない偏向射撃フレキシブルをしてのけたのだから、焦りも無理からぬことだろう。

 

『俺も訓練しようと思ってな。高機動パッケージの使用は今度の実習で先生達監督の元で試すまでお預けされてるとはいえ、他の装備だったら問題ないわけだし』

「そうですわね……」

 

 俺が話しかけている間も、セシリアの反応は上の空だ。セシリアの周りに浮かぶビットはそんな精神状態に反応してか忙しなく飛びまわり、その挙動はどこか不安げなもののように感じられる。

 

『というわけで。セシリアー、模擬戦やろうぜー。ワカちゃ……じゃなくて、文化祭に現れたというグレオン仮面ほどじゃないが俺のグレネードもかーなーり、強いぞ』

「グレっ!? ……そ、それはちょっと遠慮したいですわー?」

 

 しかし、だからと言って俺は積極的にどうこうしようとは思っていない。

 

 

 なにせ、セシリアなのだから。

 IS学園に入学してすぐのころ、俺が初めて戦った相手だ。それまでもワカちゃんに強羅の扱いを特訓してもらったりもしたが、それはあくまでも上位者からの指導であり、そもそもあのグレネードの雨あられを前に戦いなどという形式の物が成り立つはずもなかった。

 そんな俺のIS操縦歴のため、セシリアは俺にとって最初のライバルだと言える。

 

 ビームマグナムもマシンガンも、その時強羅が発揮し得たあらゆる攻撃を優雅に回避し、余裕を持っていなしたあの機動。

 応射は激しく苛烈にして必要最低限であり十分以上。強羅の防御力に任せて受けとめるのも回避するのも含め、全ての行動が読まれているかのような威圧感を叩きつけられた。

 それまでISについてほぼ素人であった俺がセシリアに勝利を収められたのは、強羅のISとしては異常なほどの防御力と、セシリアに限らずほぼすべてのIS関係者の度肝を抜けるだろうロケットパンチがあればこそ。

 あれからさらにISについて学び、強羅の扱いを知るようになってこそ、その思いは強くなる一方だ。

 

 だから、俺は今のセシリアの様子を気にはしても、心配など一切していない。

 何故なら、俺がライバルと認めるセシリアが、この程度の逆境を乗り越えられないわけはないからだ。

 そう、言うなれば。

 

 俺のライバルがこんなにヘタレなわけがない。

 

「……真宏さん、今何かとても失礼なことを考えていませんこと?」

『ん~、なんのことかな? ふふ』

 

 だから、そらっとぼけてみたりもするさね。

 セシリアならば絶対に大丈夫だと、信じているのだから。

 

 

◇◆◇

 

 

「……真宏さん、一つだけお聞きしてもよろしいかしら」

『ん、どうした?』

 

 立ち去ろうとした相手に言葉を投げる。

 相手は、日曜日の昼間からの自主訓練の最中に現れた神上真宏。

 

 常と変わらぬ強羅の強靭な装甲に身を包みひょっこり現れた彼と、セシリアは少しの言葉を交わした。

 真宏も含めた、一年生専用機持ちの間で頻繁に行われる模擬戦の対戦成績下落によるプレッシャーと、謎の組織に自分よりもBT兵器を使いこなすIS操縦者がいたという事実。それらの焦りに突き動かされている姿など、特に専用機持ち仲間には見られたくなかったが、それでも真宏の言葉にはどうにも釣られてしまい、わずかな間とはいえ話し込んでしまった。

 

 いっそ誰とも話さず訓練に集中しようと思っていたセシリアであるが、こうなってしまえば多少の会話など誤差の範囲。ならば、浮かんだ疑問もぶつけてしまおうと、前向きにそう考えた。

 

 模擬戦ができないならば自分の訓練をしようと立ち去りつつあった強羅の体が振り向き、マスクに覆われた顔面が肩越しにこちらを見た。蔵王重工製の頑健なる合金から構成されるその面は形を変えるはずもないが、真宏が装着していると表情豊かに見える時がある。

 例えば今などは、予想外の質問にきょとんとしているように感じられるのだから、不思議なものだ。

 日本の伝統芸能である「能」という仮面演劇では面にも表情があると言われているらしいが、それはこのような感じなのかもしれないと、セシリアは思う。

 

 だが今はいい。真宏に聞きたいこと。それを問わなければ。

 

 

「……真宏さんは、どうして強くなりますの?」

『ふむ、強さの意味、か。前にラウラにも聞かれたな。……実は、強く、優しく、美しくなることでグランプリンセスにだな』

「そういうボケはいりませんわ」

 

 その言葉では、胸中に渦巻く想いの一片程度しか伝えられなかったと思う。

 

 強さとは。強くなる理由とは。求めた力の先に何があるのか。

 フレキシブルに失敗する度にセシリアの心に浮かびあがり、しかしこれまで決して答えは見つからなかったその思い。真宏がこの問いかけに考え込んでいるのは、きっとそれでもセシリアの思うところを彼が把握してくれたからだろうと思う。

 セシリア自身、言ってしまったあとに自分の心の何分の一すらも表せていない言葉に失望を感じたというのに、真宏は正しく察してくれたようだ。

 

 それは、ひょっとすると真宏自身同じ悩みにぶつかったことがあるからかもしれない。ISの操縦者になるなど思いもしなかっただろう人生がある日一変した、今の真宏の境遇。わざわざ日曜日にまで自主訓練に励むのを見るまでもなく、IS学園に入学したばかりのころに初めて戦ってから今日まで、彼が着実に成長し続けてきたことを考えれば、真宏もまた強さを追い求めて努力を重ねてきたことは疑いない。

 

 顎に手を当て、首を捻り、強羅の駆動音に混じって唸り声を響かせながら真剣に考えている様子は、どこかコミカルであった。だが、こんなにも拙い問いかけの意味を察し、自分なりの答えを出そうとしてくれていることは、素直に嬉しいと思う。

 

『……これはどこまで行っても俺の理由だから、セシリアの参考にはあんまりならないだろうことを先に言っておく』

「ええ、かまいませんわ。わたくしも、ふと気になっただけですから」

 

 ほどなくして、真宏の中で言葉が形を成したようだ。

 声音には思うところを正確に表せるとは思えない諦めにも似た感情が漂っているのがわかるが、もとよりそれは当然のこと。気にするほどの物でもない。

 

『俺が、特にこのIS学園で強くなりたいと思った理由。その最初の理由を敢えて挙げるなら……』

「挙げる、なら?」

 

 真宏は、一体どんな思いで強くなったのだろう。

 

 IS学園に入学して初めて戦った男性IS操縦者。セオリーを外れたISで、奇矯な装備を使って自分から勝利を奪い取り、その後の研鑽も激しく一夏と共に着実にIS操縦者としての実力を付けている彼。

 最初の模擬戦のときの、強羅の防御力に頼りきりだったどこか危なっかしい機動もいまやほとんど見られない。防御に頼ることは変わっていないが、強羅ならばどんな攻撃を前にしても決して揺るぎはしないという明確な信頼のもとに勝利へ突き進む姿は、常に優雅たることを自らに課すセシリアにすら雄々しく見えるほどのもの。

 

 その成長の源は、一体どこにあるのだろう。

 わずかにうつむけた強羅の顔が上がり、まっすぐにセシリアを見つめ。

 

 

『セシリアに、負けたくないと思った』

「……え?」

 

 

 セシリアの胸中に、正体不明の波を立てた。

 

 その揺らぎの正体を、セシリアはまだ知らない。

 かつて一夏の決意を知った時に感じた、甘い暖かさを含む初めての恋の拍動とは違う。

 しかしそれと似た熱量を持ち、どこか懐かしいこの感情は、一体なんなのだろう。

 

『ああ、やっぱり最初の理由はこれだな。……IS学園に入学して、早々にセシリアと模擬戦をすることになって付け焼刃で色々訓練してはみたけど、さすがに代表候補生だけあってすごく強かった。そんなセシリアに負けたくないと思ったし、今も思ってる』

「……そのセリフ、結局勝ったほうが言うのはかなり不条理なように思いますけれど?」

『だろうな、自覚はある。でもそう思ったもんは思ったんだからしょうがないだろ。マシンガンの弾幕を避けつつビットで多角攻撃をしてきて、ビームマグナムがかすっても瞬きすらせず狙撃するなんてこと、あの頃の俺には絶対にできなかったからな。敵ながらすげーと思ったし、憧れたさ』

 

 自分が負かせた相手を褒めるという行為は、場合によっては最大限の侮辱ともなるだろう。しかし真宏がそんな意思を持たないことを、持つような人格ではないことを、セシリアは百も承知だ。

 真宏は強羅という専用機を持ち、同時に自らのISに関する知識と訓練の不足を十分すぎるほどに知っている。ロケットパンチやドリル、大口径砲といった彼の愛するロマン武装の数々はただでさえ扱いづらく、最高の舞台で、最高のタイミングでその力を披露するためには類稀なる戦術眼と十分以上の熟練と愛が必要となる。

 戦術眼は、ゲームの応用という信じられない方法でカバーしている。だが訓練はISを使って為すよりなく、事実真宏は普段のおどけた態度を崩すことこそないものの、自らの装備の反復訓練を欠かしたことはなく、最高のコンディションで使う為の整備も怠ってはいないと聞く。

 

 操縦時間こそセシリア達IS学園入学前からの代表候補生より少ないものの、その内に秘めたる情熱とひたむきさは国家代表候補生たるセシリアから見てすら驚愕に値する男、神上真宏。

 

 そんな真宏にとっての目標が自分であったとまっすぐに言われて、セシリアは妙に落ち着かなくなってしまったのだ。

 

「そ、そうですの。……誰かに負けたくないから、だなんて真宏さんらしいですわね」

 

 セシリアの常とは違うその様子に、真宏は気付いていたのだろうか。

 ……いや、きょとんとしてその後の言葉を口にしたことからすると気付いていなかったのだろうが、だとするならば普段の一夏のように度し難い。

 何故なら。

 

『……何言ってるんだ。人が強くなりたい理由なんて、「何かを守りたい」か「あいつには負けたくない」しかないだろうが』

「……っ!」

 

 そんな単純な言葉で、セシリアの心に決して小さくない衝撃を走らせたのだから。

 

 セシリアに限らず、IS学園の生徒に限らず、人ならば誰でも当然知っているようなこと。

 だがそれは、焦りと不安で自分の在り様を見失いかけていたセシリアに驚くほど深く深く突き刺さった。

 

 瞬間、セシリアの意識は過去へ飛ぶ。

 

 ぶ厚く重く、精緻な装飾の施された、かつてのセシリアよりはるかに大きな扉が、使用人の手によってきしむ音一つなしに恭しく開けられる。緊張で高鳴る小さな胸を必死に抑えながら決然と顔を上げ、頭上から降り注ぐ星より眩いシャンデリアの光を浴びたあの日の記憶だ。

 

 三年前、両親を事故に失ってから初めて社交界へと出たときのことが、不意に蘇る。

 今よりも背が小さく、両親を失って家督を継ぎ、周りの全てが遺産を狙う浅ましい敵にしか見えなかったあの頃。

 それまでにも何度か経験した舞踏会でのきらびやかな記憶とは全くことなり、あちらこちらで交わされる密やかな会話は自分を陥れようとする策謀に思え、一流の楽士が奏でる管弦の調べもその話し声を覆い隠す悪意あるカーテンとしか感じられない。

 ホール中央でダンスを楽しむ男女の笑顔はまるでマスクのように不気味に見えて、あの中に入れば自分も永遠に抜け出せないのではないかという錯覚が両足をがんじがらめに縫い付けた。

 

 あの頃感じた不安と焦り。自分が世界で最も弱々しく、何一つ守れないのではないかという気さえした。

 今の自分とほとんど変わらないと、セシリアは思う。

 

 だが。

 

 

『……皆様、ごきげんよう。本日はお招きいただき、本当にありがとうございます』

 

 

 あの日のセシリアは、最高の笑顔を浮かべてその渦中へと飛び込んでいったのだ。

 

 舞踏会に参加していた面々に感じた敵意の全てがセシリアの勘違いだった……などということはなく、セシリアの境遇を気遣う言葉と共に近づいてくる輩の半数は欲にまみれた亡者どもだった。

 若干12歳の少女が見上げるには高すぎる視点から見下ろしてくる大人達は、誰も彼もが百戦錬磨の化け物に見えた。しかし、セシリアは決して俯くことなく震えることなくその輪の中で笑顔を振りまき、持ち前の深い知性と確かな卓見から来る会話術を持って全てを切りぬけてのけた。

 

 舞踏会を終え、帰りついた屋敷の暗い廊下の真ん中に、たった一人で立ち尽くしたあの日の自分の姿をセシリアは思う。

 悲しいほどに張りつめて、それでいてオルコットの名を守ろうと強い強い決意に支えられていた少女。

 

 今の自分は、あの頃の自分に誇れる姿をしているだろうか。

 

『……セシリア?』

「……あら。ごめんなさい真宏さん、少し考えにふけってしまいましたわ」

 

 強羅の装甲を通した、どこか機械音にも似た真宏の声を聞き、セシリアは意識を現実へと戻した。

 目の前ではわずかに身をかがめてセシリアの表情を覗き込むようにする、強羅のマスク。普段はいかめしいとしか思えないはずのその顔が、今はどこか可愛らしく思えてくるから不思議だ。

 

 セシリアはクスリと笑い、ISを展開したままの右手で髪をすくいあげる。

 普段の右手と変わらぬままに豊かな金髪の中へと指をさし込み、ISの装甲の隙間に一筋も絡ませることなくゴージャスに風の中へとなびかせる。

 

 そう、何を悩んでいたのだろうか。

 

 この身はセシリア・オルコット。

 イギリスの名門オルコット家の末裔にして、専用機ブルー・ティアーズを駆る代表候補生。

 その実力と誇りは、たかが謎の組織に自分より少しISの操縦が上手い相手がいた程度のことで揺らぐだろうか?

 

 否。

 断じて否である。

 

 イギリスの代表候補生の中にも、自分よりISの操縦歴が長い者も、技術に優れている者もいた。セシリアがその中でもあえて専用機を与えられている理由はBT兵器への適性の高さという持って生まれた才能に似たものが大きいが、その後に積み重ねた努力は誰にも劣らぬものだと断言できる。

 

 そうして得た強さと勇気が、なんの力がなくとも大人達の世界へ立ち向かって行ったあの頃より弱いものだなどとは、たとえ女王陛下にだって言わせはしない。

 

 それがセシリア・オルコットなのだ。

 

「私の疑問に答えていただけたこと、感謝いたしますわ、真宏さん」

『なに、いいってことよ』

「でも、わたくしだって真宏さんには……いいえ。一夏さんにも、他の誰にも、負ける気は無くってよ?」

『……望むところだ。それでこそ、目標にする甲斐があるってものさ』

 

 今でもまだ、フレキシブルを成功させられるとは思えない。真宏との会話だけで何かが劇的に変わるほど、セシリアの人生は単純なものではないのだから。

 それでも。真宏の想いは聞いている方が恥ずかしくなるほどに幼くまっすぐ純粋だったが、決して嫌いではない。

 それこそ、かつて自分もそうであった頃を思い起こさせるくらいに。

 

 

 世界の全てを敵に回したような恐怖にさいなまれ、それでもなおオルコットの名に恥じぬ誇り高い淑女であろうと決意したあの日。かつてこの手の中に握りしめた思いをほんの少し見失いかけていたが、今はもう大丈夫。絶対に離さず、強くなっていける。

 

『……それじゃあ、改めて。一曲いかがかな、レディ?』

「喜んで、お受けいたしますわ。ワルツでよろしくて?」

 

 だからこそ、そのための機会は手放さない。

 気取った大仰な仕草で差し出された強羅の手を取り、二機で揃ってPICを起動して宙へと浮かぶ。

 そこで繰り広げられるのはきらびやかなダンスホールでの舞踏ではなく、激しく眩い銃火の交差する激闘。互いの本気をぶつけ合い、相手よりわずかでも強くあろうと渇望する者達だけが放つことのできる、本当の輝きをセシリアと真宏は放つのだ。

 

 アリーナの上空で繰り広げられるその戦いは、突発的に始まった模擬戦とは思えぬほどの迫力と気合に満ちて、地上で訓練をしている他のIS学園生すら一時手を止めて見入るほどのものだった。

 無数の銃弾が空を薙ぎ、レーザーの閃光がシールドに当たって眩くはじけ、ロケットパンチが唸りをあげる。

 人々が見入るに足る価値を感じさせるだけの真剣さと技術とロマンが、そこには確かにあったのだ。

 

 予想の通り、相変わらずフレキシブルが成功することはなかった。

 それどころか、強羅の苛烈なマシンガンとビームの射撃、さらには肩武装として搭載されたグレネードの爆風の回避と迎撃に精一杯でそんな不確実な手段に頼る余裕などまるでなかった。

 

 しかしだからこそ、余分な思考に気を取られることのないその模擬戦は充実し、セシリアの心は細く鋭く研ぎ澄まされる。

 

 霧のごとく散逸した闘志はその心の切っ先をよりどころとして凝集し、一つの小さな水の珠となる。

 まだ滴り落ちるには早い。しかしあとほんのひとかけらの何かがあればいい。

 

 セシリアの心の水面に、青い雫ブルー・ティアーズが落ちるときは、もうすぐそこまで迫っている。

 

 

『そうだ、セシリア。これを渡そうと思ってたんだ』

「あら、これは……」

『お守りにはなるだろ。余計な世話かもしれないけど、……心配くらいはさせてくれ』

「……ふふっ、ありがたく頂きますわ」

 

 真宏から受け取った「お守り」を、その手の中に握りしめる。

 これほど頼れる仲間の想いと期待も受けているのだ。その時はきっと近いと、セシリアもまたそう信じるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 ちなみに、そんな訓練が終わった後のこと。

 

『ところでセシリア、実は俺さっきからずっと気になってたんだが』

「……ええ、わかっていますわ」

 

 というか、俺がここにやって来てからずっとなのだが、アリーナの片隅にちょっと見過ごし難い光景が繰り広げられていた。

 その、光景とは。

 

 

「鈴候補生、逃げるな!」

「ヤン管理官―!?」

 

 

 何故かアリーナ内に持ち込まれたジープを運転する中国美女と、それに追い回される鈴(生身)の姿であった。

 

「……鈴さん達の叫びと周囲から漏れ聞こえてくる会話の内容からすると、キャノンボール・ファスト用の新型パッケージの展開練習らしいですわ。あれは、そのための“軽いウォーミングアップ”だと」

『……そうか』

 

 実のところ、俺がアリーナに入ってきたときから鈴の強制ジープ走はノンストップで続けられていたのだったりする。あまりにあまりな光景なのでハイパーセンサーの故障か何かによる幻覚だろうと半ば思いこんでいたのだが、どうやらまごうことなき現実らしい。

 ……なんつーか、中学時代までは一見ごく普通の少女だった鈴が、こうしてあっという間に代表候補生になった理由が分かった気がする。きっと中国にいたころは、真冬の滝に向かって手刀を繰り出したり、先を尖らせた丸太でぶっ飛ばされたりしていたに違いない。

 

「ちょっ……管理官! さすがに……、もう……体力が!」

「情けないっ! そんなことで新しいパッケージが使いこなせるものですか! パワーアップ前には地獄の特訓というお約束を忘れたとは言わせません!!」

『あ、多分いい人だ』

「……真宏さんの判断基準はとても厳しいのですわねー」

 

 鈴の身の安全のためにもそろそろ止めに入るべきだろうかと思ったのだが、方針変更。なんかヤン管理官なるあの人とはとても仲良くなれそうな気がしてきた。だから、ここはひとつ放っておこう。そうすれば、きっと来週には血のにじむような特訓で新しいパッケージと必殺技とか引っ提げた鈴に会えるに違いないから。

 

 セシリアの妙に棒読みな応えも気にせず、俺はそう決意するのであったとさ。

 

 

 しかして、人を呪わば穴二つ。

 

「……えーと、簪さん」

「……」

 

 結果として鈴を見捨てる形になってしまった罰なのだろうか。セシリアとの模擬戦を終えた後、強羅の調整と、ある頼み事をしようと整備室を訪ねたところ、他ならぬ依頼予定者であらせられる更識簪さんが、何やらとても不機嫌なオーラを放っていらっしゃった。

 思わず敬語になってしまうほどの簪の様子は、頑なな無言。さっきから俺が何度か話しかけても返事はなく、こっちを向いてもくれない。ただひたすら無言で目の前の空中投影ディスプレイを睨み、キーボードにすさまじい速さで打鍵していく。

 ここは整備室なのだから、ISの機能を使って簪得意の手の上下に投影される両面キーボードも使えるはずなのに、何故か普通の実体キーボードがさきほどから指先の爆撃にさらされている。

 実体があるためにキーを打つ音は投影型よりも大きくなり、簪の打鍵間隔の短さのため、響く音は削岩機でも使っているのではないかと錯覚するほどのものになっている。幸い今日も整備室では他の生徒達が大きい機材を使って騒音を出しているため邪魔にはならないようだが、それでも簪の鬼気迫る雰囲気は、いつもより一層彼女を余人の近づきがたい存在としていた。

 

「えーと、何があったかは知らないが、少し休んだらどうだ。さすがにそんなペースで作業してたら疲れるだろ」

「……疲れない」

 

 とか思いながらもめげずに声をかけ続けていたら、ようやく返事をしてくれた。

 簪は気難しく、無口で人を寄せ付けない雰囲気もあるのだが、根は優しいし人嫌いというわけでもない。多少鬱陶しいと思われても、話をしたいという意志を示していれば、決してそれを無碍にしたりはしない子なのだ。

 その成果として返ってきた今の言葉の拗ね具合からするに、どうやらすぐにいつも通りになるというわけではないようだが。

 

「疲れないって……。まぁ、簪がそう言うんならいいんだけどさ。……それより、一つ頼みたいことがあるんだけど、ちょっと話を聞いてもらえないか?」

「頼……み?」

 

 お、手が止まった。効率重視の両面キーボードを使っているわけじゃないから急ぎの用事があるのではないと思ったのだが、どうやら当たっていたようだ。

 簪がいつも使っているブースの一角、作業机とセットになった椅子に腰かけたまま体ごとこちらを向いて、ちらりと俺のすぐそばの椅子を見る。簪流の着席許可だ。

 拗ねていた原因はまだわからないが、話を聞いてくれるなら好都合。原因もわかるかもしれないし、少しだけ付き合って貰うとしよう。

 

「いやな、簪の技術を見込んで、強羅に組み込むシステムを作って貰いたいんだ」

「システム? ……今の時期にわざわざ、っていうことは……ひょっとして、キャノンボール・ファストの?」

「話が早くて助かるよ、その通りだ。実は、今度使う予定の俺の愛パッケージは凶暴で……って、おーい。簪さーん? なんで話の途中で何も言わずに作業に戻っちゃうのかなー?」

 

 しかし、話を聞いてくれていたのはほんのわずかな間のこと。何が気に障ったのか、またしても途中で機嫌を損ねてしまった簪は、再びそっぽを向いてキーボードの寿命を縮めるだろう高速打鍵をはじめてしまう。

 

 

 ……ふむ。

 正直なところ、簪がどうしてへそを曲げてしまったのか、現時点ではまだわからない。だが俺は思考能力を持った人間という生き物であり、中でも「オリムライチカ」と言う女性の複雑な心の内を全く理解できない希少種でもないのだから、女の子の心の内を理解しようという困難な努力もいとわない。

 まして、相手は簪なのだ。簪にいつまでも不機嫌なままでいて貰いたくは……。って、べ、別に簪だから特別にってわけじゃないぞ!? ……そういうことにしておいてください、今は。

 

「ひょっとして、キャノンボール・ファストが拗ねてる原因か?」

「っ!」

「やっぱりか」

 

 簪の反応は小さかったが、普段から何かとリアクションの少ない簪の所作を見慣れている俺は、それを見逃すようなことはしない。ほんのわずかに手が止まり、かすかに目蓋が動いたのを、俺ははっきりと確認していた。

 

「……」

「……私、じゃなくて」

「ん?」

 

 そして、図星を突かれたと簪も気付いている以上、あとは話したくなるのを待ってやればよい。元来多弁な性質ではない簪だが、言葉を選ぶ間を与えてやればちゃんと応えてくれるのだ。

 

「私じゃなくて、……オルコットさんや、他の人に……頼んだらっ?」

「……あー」

 

 なるほど、そういうことか。

 簪がこんな様子となった理由を、俺はようやく理解した。

 これは推測なのだが、簪はさっきの俺とセシリアの模擬戦の様子を見ていたのではなかろうか。

 

 キャノンボール・ファストが近く、ただでさえ訓練に熱の入るこの時期に、いきなり始まった専用機持ち同士の真剣な模擬戦。おそらく、あの時アリーナにいた借り物の量産機で訓練をしていた生徒達から見てすら恵まれているその境遇と性能は、いまだ自身の専用機を完成させることのできていない簪にとって、焦りや嫉妬を掻き立てられるものだったのだろう。

 

 しかし、俺は自分のしたことが迂闊だったとは思わない。

 誰にどう見られることになったとしても、真剣に訓練をするのは専用機たる強羅とともに俺に与えられた義務だし、それが原因となって簪を怒らせてしまったのなら、平謝りするより他にない。

 

 だが。

 

「他の誰かには頼めない。簪じゃないとダメなんだ」

「……え?」

 

 この頼みは、本当に簪にしか頼めないのだ。

 そのことだけは、どうしても伝えたい。

 

「キャノンボール・ファストまではもうあまり時間が無い。限られた時間の中で、俺の望むシステムを作れるとしたら簪だけだ」

「え……そ、そんなこと……ない」

「なくない。俺がそう思ったから、簪に頼もうと思ったんだよ」

 

 簪は、自分のことを無能だと思っている。

 幼い頃から長いこと優秀な姉を追い続け、それでも決して届かなかったのだから無理もないことであり、姉にならってはじめた自分の専用機開発も、最近は行き詰まりを見せだした以上仕方のないことだろう。

 ゆえに、自分は無能だと。

 

 

 しかし、俺はそうは思わない。

 これまで見てきた、簪のシステム構築速度とその正確さは蔵王重工の技術者にも迫るものがあるし、問題点の洗い出しやそれをその場で即座に修正するなどと言う芸当は、簪以外には束さんでもなければできないと思う。

 誰が何と言おうと、簪には余人をもって代えがたい能力がある。そう信じるからこその、この依頼だ。

 

「どうだ、頼めないか」

「あ、う……でも、どんなものを作ればいいか……作れるかどうか、わからないし」

「もちろんそれは伝えるし、強羅と今回使うパッケージの最新情報も公開しよう。さぁ、どうだ!」

「う、うぅ……」

 

 控えめにできない理由を並べる簪には全面的な協力の確約を。こう見えて押しに弱いところのある簪には、ずいずいと半ば押し付けるような勢いで迫ることも時には必要になる。

 ぐっと身を乗り出し、顔がくっつくのではないかというほど近づいてしまい、簪の顔がボッ、と音が聞こえそうな勢いで赤くなったが気にしてはいけない。首から頬にかけてやたら熱くなってきたことを考えるに、俺も似たようなことになってるから。

 

「……………………ぃぃ……ょ」

「ホントか!?」

「ほ、本当だから……! ちょっと、離れてっ!」

 

 俺の熱心かつ真摯(?)な頼みの甲斐があってか、ついに簪は頷いてくれた。喜びのあまり一層身を乗り出したら両手で顔を押し戻されてしまったが、そんな物は些細なこと。これでキャノンボール・ファストでのパッケージ運用の目途がついたのだから、万々歳だ。

 

「すまんな、簪。自分の専用機のこともあるだろうに、こんなこと頼むことになって」

「べ、別に……いい。私の方は、少し詰まってたし。……それに」

「それに?」

 

 さっそく簪に、作って欲しいシステムの概要をまとめたものと強羅やパッケージのデータを渡そうと端末を操作している俺に、どこか楽しげな簪の声がかけられた。

 これまでの話の流れから考えて恨み言の一つも言われるだろうと覚悟していただけに、どうしても違和感を覚えてしまうその声音。

 ……というか、出会ってこの方簪の楽しそうな声など、いつぞや映画を見に行ったときくらいしか聞いたこともない。一体どうしたのかと疑問に思った俺は背後を振り向き。

 

「今度は、IS開発で頼らせてもらうから」

 

「……!」

 

 柔らかく微笑む簪を、そこに見た。

 

 さっきまでと比べて、見た目が大きく変わったということはない。あまり改造されていない標準に近い制服も、ISのヘッドギアのような髪止めもそのままで、しかし表情だけが違っていた。

 

 ふにゃり、と。体中のあらゆる強張りが取れたような、くつろぐ子猫を思わせる安らかな笑顔。笑うと猫のように感じられるあたりはさすがに会長と姉妹なだけはあるが、いつでも底知れない怪しさのある会長と違い、今の簪は、なんというか……その……。

 

 どうしようもなく、可愛く見えた。

 

「……どうしたの?」

「ハッ!? ……い、いやなんでもない! あぁ、頼る、頼ってくれるのな! あいわかった、いつでもなんでも頼ってくれぃっ!!」

 

 俺がその後、妙なテンションになってしまったのも仕方がない。あんなに綺麗な笑顔を向けられてなお平然としているなんて、一夏あたりと比べれば及びもつかないほど女性との縁がなかった俺には、まだ無理な話なんだから。

 

 

 そんな簪の笑顔を見られたのも嬉しかったが、何より一番嬉しかったのは。

 これまで何度手伝いを申し入れても、せいぜい意見を聞くだけで何かを任せようとはしてくれなかった簪が、頼ると言ってくれたことだ。

 

 これまで、良くつるんでいる一年生専用機持ちの仲間内では頼り頼られが当たり前のようになっていたけど、今回の簪の言葉はより一層嬉しかった。

 ようし、キャノンボール・ファストが終わったら、今度は思いっきり簪を手伝ってやろう。

 

 その決心のせいもあってか、その日は簪と二人であーでもないこーでもないと言い合いながらシステムを作成し、また後日パッケージを実際に使った後にその時のデータを元に続きをしようと約束して別れた。

 別れ際の簪がまたあの笑顔を浮かべてくれたのは、簪もこの作業を楽しんでくれたからだと、そう信じたいもんである。

 

 

◇◆◇

 

 

 その翌日以降は、何事もなく過ぎたと言っていいだろう。

 

 さっそく始まった一夏の部活動貸出キャンペーンにて、最初の貸出先であるテニス部にて一夏のマッサージ権争奪トーナメントが開催され、セシリアがテニスから一歩テニヌに踏み外した技の数々で見事優勝を飾ったが、まあ放っておこう。

 

「わたくしの波動球は108式までありましてよ」

 

 ……そんなセリフ、絶対聞こえてないからね?

 

 

 そして、そのあとちゃっかりマッサージを受けている最中に見事寝こけてしまったらしく、翌朝一夏と一緒に出てきてまたひと悶着あったりもした。

 

「抜け駆けなんて、卑怯よセ尻ア!」

「特別規則を忘れたか、セ尻ア!!」

「セ尻アがこんなことをするなんて……見損なったよ!」

 

「ちょっと、何かイントネーションがおかしくありませんこと!?」

 

 ……うん、いつものことだ。

 一夏の周りだとこの程度いつものこと過ぎて、逆に清々しい気分になるから不思議だよ。

 

「……俺はそれどころじゃ済まないんだが?」

「そう言うセリフは、この状況が己のフラグ体質による自業自得だと理解した上で言いやがれ」

 

 そう、今の俺はそれどころじゃない。

 今日から始まる、高速機動の授業が楽しみでしょうがないんだから。

 

 

◇◆◇

 

 

「はーいみなさん。それでは今日から高速機動実習を始めますよー」

 

 火曜の昼前の空に、ISスーツにジャージ姿な山田先生の元気良い声が響き渡る。

 そう、今日から待ちに待った高機動実習にして、パッケージお披露目の日なのだ。

 

 俺達が集ったのは、IS学園中央タワーに直結する第六アリーナ。普段の訓練のときに足を踏み入れたことはなく、そもそも強羅は機動力に振るべきステータスもパワーと防御力に振ったようなISなのだからますます縁遠く、実のところここに来たのは今日が初めてだったりする。

 だがそんな物は些細なこと。今日はこれまで体験したことのないような速度を強羅で味わう絶好の機会。新装備を引っ提げて初めての超音速機動に、心震わせるなという方が無理な話だ。

 

「それでは、まずは専用機持ちのみなさんに実演してもらいましょう。最初の一人は、高機動パッケージ<ストライク・ガンナー>を装備したオルコットさん!」

「よろしくお願いいたしますわ」

 

 一番手として紹介されたのは、高機動パッケージの使用に慣れたセシリア。一歩前に出て恭しく一礼するその姿はさすが貴族の令嬢だけあって、血筋的には一般人も多いIS学園生徒を一歩たじろがせるほどの完成度を誇っていた。

 

「もう一人は、通常装備の出力を調整して仮想的な高機動型に設定した、織斑くん!」

「えーと。が、がんばります……」

 

 きゃあきゃあと上がる黄色い叫びに気圧され、どうしても強くは出られない一夏がそれに続く。これまでそれなりの月日をIS学園で過ごしてきたが、未だ自分のフラグ体質に気付く気配すらない一夏のこの様子。これは奴の美徳と言っていいのだろうか。

 

「……そして、最後の一人は放っておくとまたとんでもないパッケージを使いそうな神上くんですっ!」

『山田先生の期待に応えられるよう、全力で頑張ります!』

「期待なんてしてません! だから応えないでください、いいですね!?」

 

 力強い俺の宣言に、涙目で迫る山田先生。両手をきゅっと握って寄せているためにおそらくIS学園でも最強の攻撃力と防御力を誇る胸部装甲がたゆんもにゅんと形を変え、しかも強羅装着による身長差から、自然と視線は上目遣いになってしまっている。

 くぅっ、さすがは元日本代表候補生。かなりの破壊力だ。

 

「また真宏がろくでもないこと考えてるな……。でも、それが強羅のパッケージか」

「見た目は……さほどおかしくありませんわね」

 

 おぉっと、そんな風に山田先生を堪能しているうちに、どうやら俺のパッケージが注目されだしたらしい。

 ならば、見せてやらねばなるまいて。

 

 

 強羅は、その設計の段階から機体強度を最大に重視されていたため、たとえパッケージを装着する場合でも元々の装甲を換装するということがほとんどない。あったとしても追加装甲をつけるか、装甲一体型の武装を追加するかであり、事実今回の高機動パッケージにおいても、装甲を外して軽量化しようなどという軟弱な思想は一切採用されていない。

 昔の人は言った。「装甲が重いなら、より大出力のスラスターをつければいいじゃない」と。

 ……まぁ、昔の人というかワカちゃんの言ったセリフらしいのだが。

 

 

 ともあれ、このパッケージを装備したことによる最大の外見的特徴は、なんといっても後腰部に装着された巨大スラスターであろう。

 人の胴体ほどもある円筒形のスラスターが二本、腰の左右から斜め後方へと突き出し、その二機を繋ぐように半分ほどのサイズのスラスターがスカート状にずらりと並んで接続されている。

 全長もまた当然のように長大であり、強羅の腰から足元までよりも長く、必然的に通常時から巡航状態と同じように斜め下方に突き出した形となっている。

 

 いやはや、お陰でこうして地上に立っている間は重心が後ろに傾いていけない。もっとも、実際飛行に移ってしまえば大した問題はない。

 だから、早く使わせてくれないものだろうか。強羅をして超音速機動を可能にするだけではなく、理想実験型都市あたりのビル群を縫って自律型のメカと追いかけっこができるほどの制動能力も持つ、左右の大型スラスターに名前のロゴが刻まれた、この高機動パッケージを。

 

『すごいだろ、これが今回俺の選んだ高機動パッケージ<叢――MURAKUMO――>だ』

「……うん、すごいな。きっと最高速度とんでもないことになるんだろうな」

「そして、あんまり曲がれないんですわよね」

「ぁぁあああああ、やっぱりぃ~~~……」

 

 うむ、良く理解してくれる友と教師の存在というのは嬉しいものだね。

 ちなみに、叢にはいくつかバリエーションがあり、これは一夏とセシリアの指摘した通り、旋回性能が低い代わりに直線での最高速度に優れた4号機だったりする。

 さて、それじゃあ解説も済んだことですし、さっそく飛びましょうよ。合図お願いします山田先生。

 

「人の気も知らないで……! えぇい、もうやけです! オルコットさん、織斑くん、神上君! 準備を始めてください!」

 

 と、どうしてか怒り気味の山田先生。今日の朝ごはんに嫌いなものでも出たのだろうか。大変ですねー。

 

 

『それはそれとして、一夏。高速機動用補助バイザーの扱いは分かるか? 気をつけないと大変なことになるぞ』

「モードをハイスピードにして、各スラスターを連動監視にするのですわよ」

「ああ、ありがとう二人とも。……でも、大変なことってどうなるんだ?」

『それは見た方が早いな。……ほれ、あそこ』

 

 山田先生の指示に従うが、デモンストレーションの準備に手間取る一夏に高速設定についての注意点を教えてやる。

 中でも特に、普段ならば使うことのないようなこの機能については注意が必要だ。高速機動状態でも周囲を把握するためにハイパーセンサーの感度と反応速度を挙げるこの機能、もしうっかり設定を間違えたりすると……。

 

「ハイパーセンサーから、光が逆流するッ! ……ギャアアアアアア!!」

「ちょっ、ちょっと大丈夫!?」

 

 少し離れたところで借りた量産機を装着していたあの子みたいになるのである。

 

「……うん、気をつけるわ」

『それがいい』

 

 ちょっと何かが逆流したらしきその生徒は、友人に助け起こされて無事か聞かれ「ハイ、そのつもりです」とか言ってるのだから大丈夫だとは思うのだが、油断はできない。

 一夏も俺もセシリアも、一つ一つの項目をしっかりと点検しながら設定を進めて行くのであった。

 

 

「それでは、カウントダウンを始めます!」

 

 山田先生が持ち出したフラッグをパタパタと振りながらの指示に従い、位置に着く俺達三人。それと同時に起動準備に入ったそれぞれのスラスターがエネルギーを取りこんで高い音を出し始める。

 この音、否が応でも楽しくなってくるってもんだ。

 

「3、2、1……」

 

 カウントダウンと共にその音量は一層大きくなり、期待と緊張は高まっていく。これから俺達が経験するのは、これまで見たこともないような超スピードだ。男の子として、速い乗り物にワクワクが止まらない。

 

「――スタート!」

『いよっしゃあ!!!』

 

 ズガンッ、とばかりの衝撃を背後に残し、スラスターが火を噴いた。一瞬で背後へと流れ去る景色はそれぞれの色を持った直線のように見えた気がしたが、すぐにハイパーセンサーの恩恵で全てがくっきりとした焦点を結んで意識の中に浮かび上がる。

 すぐさま音速を突破した俺達三機のISは発生させたソニックブームすら置き去りにしつつ上昇し、中央タワー外周を駆け昇っていく。

 

「お先に失礼いたしますわ」

「ああっ、セシリア!」

『この、負けないぞ!』

 

 しかし、さすがにそこは俺達よりも高機動パッケージの使用経験のあるセシリア。カーブすらない局面でもスラスター出力の適切な配分によって淀みなく加速し、俺たちの前に出る。

 ブルー・ティアーズのビット全てを腰部に装着して推進力としているだけあって、前方方向のみならず旋回においても威力を発揮し、一夏の白式と共に俺の前を優雅に突き進んでいく。

 

『くぉっ……、バランスが……!』

 

 一方、俺の方は慣れない高速機動と叢の制御に四苦八苦していた。

 実のところ、叢というパッケージは強羅用に開発されたものではない。むしろ第二世代型IS開発初期から存在する高機動用大型スラスターセットとも言うべきものであり、大多数のISで装備することが可能な代物だ。

 最高速度は現在開発されている最新の物にも迫り、燃費も決して悪くない。バリエーションによっては制動能力にも優れた中々の性能なのだが、高機動パッケージとして採用されている例はほとんどない。

 

『うおおおおおっ!? ま、回るうぅぅぅ!?』

「ま、真宏大丈夫か!?」

 

 何故なら、御覧のあり様だからである。

 叢の最高速度はかなりの物となっているが、それは全スラスターが完璧に連動しての場合のことで、少しでも不安定になれば今の俺のように体の前後を貫く軸に沿ってきりもみ状態に回転してしまうようになる。

 簪に頼んだシステムというのがまさにこの問題を解決するためのものであり、未完成な現状では思った通りに飛ぶことすら難しい。

 

『こんのっ、負けるかあああああ!』

 

 しかし、そんな物は最初からわかっていたこと。このリスクがあってなお、叢の出力は鈍重な強羅をしてキャノンボール・ファストでの勝利を狙えるだけの速度を与えてくれる。

 ならばこのじゃじゃ馬、乗りこなすしかあるまいて。

 

『自動で設定が効かないんだったらマニュアルじゃあああああああああ!!!』

 

 そう、スラスター自身の出力バランス調整が上手くいかないのであれば、こちらでサポートしてやれば良いだけの話。

 高機動設定と共に連動監視状態にした各スラスター出力をハイパーセンサーの知覚上に表示。小さい数値幅ながら、目まぐるしく変動する左右のスラスター出力を半ば勘で捕え、エネルギー供給量に干渉。スラスターの出力バランスを安定させるッ!

 のだが。

 

『やっぱりかぁああああああ!!!』

「うぉぉっ、危な!?」

「ま、真宏さん!?」

 

 さすがにそう上手くいくはずもなく、バランスを調整しようという試みが成功したのはほんの数秒のみ。

 後は錐揉み回転を止めることすらできないまま、ゴール近くにまで迫った一夏とセシリアにぶつかりそうになりながら追い抜き、トップでゴールすると同時に地面へ激突したのだった。

 

「……織斑先生。もう、ゴールしてもいいですよね?」

「落ち着け山田先生。ゴールしたのはあいつらだ」

 

 もうもうと上がる土煙の下でそんな声を聞いた気もしたが、気にしている場合ではない。

 チクショウ、本番までには必ずもっと扱い上手くなってやるからなッ。

 

 

 そんな風に反省を必要とする結果となってしまったため、以後の訓練はかつてないほど真面目に受けた。

 一夏と共に箒の元を訪れて高機動調整についての話をしたり、ラウラとシャルロットの視界を共有させて貰ってISにおける加減速やコース取りについてを学んだりなどなど。

 俺はレースゲームやら戦闘機ゲームもそれなりにたしなんでいるし、ISでの飛行も最近は慣れてきたように思ってきたが、やはりまだまだ素人の域を出るものではなく、学ばなければならないことは数多い。改めてそう思ったよ。

 

「頑張ってるみたいですね、織斑くん。……そうだ、せっかくだから私と模擬戦してみませんか?」

「え、いいんですか? 是非お願いします! あ、真宏はどうする?」

『俺はもう少し地上でスラスターの調整をするよ。……っつーか、見てみろ山田先生のあの涙目。俺も参加したら本気で胃に穴開きかねん』

「あ、あははは。そ、そんなことはない……ですよ?」

 

 山田先生はそんな風に言ってくれているが、さすがにいつもいつも迷惑かけ通しなのは俺も自覚するところ。まして今回は装備とISと俺自身との連携がしっかりできていなかったという訓練以前の問題があるのだから、あまり無茶をするわけにもいかない。まずはしっかりとこの装備に慣れることが急務であり、そのためにも模擬戦よりも地上での調整と訓練の方が先決だ。

 

「それにしても……山田先生の増設スラスターはかなりゴツイですね。ラファール・リヴァイブのシールドがスラスターになってるし、他に6機もブーストエンジンが付いてるじゃないですか」

「はい、これは元々大気圏離脱用のものを転用しているんです。ロケット燃料を使っていますから大型ですけど、多少スピードを落とせばドリフトもできるんですよ」

「えっ!? ロ、ロケット燃料って誘爆とか危なくないんですか?」

 

 一方で、一夏と山田先生はラファール・リヴァイブの高機動調整を見て話し込んでいる。山田先生の説明通り、大気圏離脱用に開発されたものだけあってかなり大型のスラスターが装備されていて、見た目だけならば俺の叢に似ていなくもない。

 ないのだが。

 

「大丈夫です、安全対策はしてありますし、絶対防御の範囲を広げて保護してあるから誘爆はしませんよ。……誘爆は」

『一夏気をつけろ、なんか今すごく不穏当な発言があったぞ』

 

 なーんか、別のところで見た装備にとてもよく似ている気がする。具体的に言うと、シャルロットが大好きな半分こライダーのバイクの装備として。

 しかしそんな俺の指摘もむなしく、一夏はいつものごとく無策に山田先生との模擬戦を始めてしまう。

 一夏に、多分山田先生の後ろに着いたら負けるフラグだと言ってやろうかと思ったのだが、その暇すらなかった。

 

 まあいいや。せっかくだから、俺もその様子を観戦させてもらうとしよう。

 目の前にいくつも開いた叢の調整用空間投影ディスプレイをいったん閉じ、ハイパーセンサーの感度を上げて一夏達二人の軌道を辿る。

 

 まず先行したのは、山田先生。

 6機のブーストエンジンから長く噴射炎の尾を引いて爆発的な速度の加速を見せ、最初のコーナーへと真っ先に突入する。

 とはいえさすがに一夏は物覚えの速い奴だけあって、さっき見たラウラとシャルロットの巧みな加減速を早くも物にしつつあるらしい。アウトインアウトを意識したコーナリングは白式の機動力もあって見事な立ち上がりを披露し、先行していた山田先生へとあと一歩と迫る。

 だが相手は歴戦のIS使いであり、キャノンボール・ファストと言う競技の性質も熟知した山田先生。立ち上がり直後、わずかに不安定となった瞬間を狙いすましたマシンガンの弾幕に晒され、一夏は驚きのままに回避行動を余儀なくされる。

 

 その際、多少の被弾に構わず半ば無理やり山田先生の背後を取る軌道を選んだのは意図してのことなのかどうか。いずれにせよ、中々悪くない判断だ。あの位置ならばどんな攻撃をするにもかなり無理な体勢を取らなければならず、そうして隙ができれば白式の機動力でそこを狙うことができるだろう。

 

 ……もっとも、今の装備の山田先生相手には最低最悪の下策だったのだが。

 

「中々やりますね、織斑くん!」

「山田先生、このままじゃやられな……って、うおおおおおお!?」

 

 山田先生のすぐ後ろについた一夏が目にした物。

 

 それは、白式以上の加速力でスタートダッシュを決める要因となった6機のブーストエンジンが切り離され、バラバラと目の前に迫りくる光景であった。

 

「ぎゃああああああああ!?」

 

『……ホントにやったよ、山田先生』

「くっ、一夏め……! 白式の使い手ともあろうものが!」

『落ち着け箒、それはタブーだ。男運悪い女みたいなセリフ口走ってるぞ』

 

 接触するとともに次々と爆発するブーストエンジンと、その爆炎のなかからひゅるひゅると落ちてくる一夏の様子を見上げながら、妙に怒っている箒を宥める。言っておくけど、それは一夏の死亡フラグだからな、箒?

 

 

「くっそー、さすがにこのままじゃまずいな」

『まったくだな。俺も人のことはいえんから、ますますがんばらないと』

 

 そして、今回どうにもいいとこ無しな男二人で集まって今後の課題を話し合う。

 練習の時間はまだあるからあと一度くらいはコースを飛ぶ練習ができるだろうが、はっきり言ってその程度のことでどうにかなるとは思えないレベルだ。

 一夏の方はこれまで使ってきた白式を少し設定弄った程度だからなんとでもなるだろうが、俺はまだ何度か叢を使ってみて慣れなければキャノンボール・ファスト当日に散々な成績を示してしまうことだろう。

 簪に頼んだ出力制御システムのほうは目途が立ちそうだからいいとして、俺自身の慣れについては実際に練習を重ねる以外に改善の方法はない。

 

『むぅ……仕方ない。こうなったらちょっとあそこへ練習しに行くか』

「ん、真宏はどこか練習できる場所に心当たりがあるのか? 高機動パッケージを使えるところなんて早々ないだろうに」

 

 だから、学園での実習以外にも自主練習が必要だと結論したのだが、その独り言は一夏も気になる内容だったようだ。

 確かに、IS学園以外でISを使えるようなところ、ましてや超音速機動が基本となる高機動パッケージの使用可能な訓練施設など早々あるわけもないのだから、当然の疑問だと言えるだろう。

 

『いやなに、蔵王重工の訓練所だ。強羅を受領したときにも訓練に使わせてもらったんだが、山に囲まれた盆地一帯を丸ごと使っていてな。思いっきりISの武装をぶっ放したり、高機動パッケージを使ったりしてもまわりには迷惑がかからないところなんだ』

「なんだそれ、すごいな。……なぁ真宏、良かったら俺もそこで練習して良いか?」

『構わんぞ。……ただし』

「ただし?」

 

 一夏が一緒に訓練したいと願い出てくるのは当然のことだし、その望みをかなえてやれなくもないだろう。なにせ一夏は俺と同じく世にも珍しい男性IS操縦者で、蔵王重工から様々な支援を受けている俺以上に立場が宙ぶらりんな存在だが、だからこそ蔵王重工としても一夏を受け入れるのに否定的な意見があるということもないだろう。

 そんなわけで、おそらく問題はないと思われる。

 

 しかし、あそこを使うのであれば、一つ絶対に知っていて貰わなければならないことがある。

 

 それは、すなわち。

 

 

『あそこ、時々ワカちゃんも訓練しにくるぞ』

「……え?」

 

『蔵王重工の訓練所は、周りに人里の無い山の中だから、時々特撮の撮影なんかにも使われるほど、爆発物の扱いに向いているところなんだよ。……だけど、同時に蔵王重工が所有するところだからワカちゃんによる新装備のテストやら、ワカちゃん自身の自主訓練に使われることもある』

「ま、まあそれは当然だな」

 

 一夏にも、俺は何度かワカちゃんの実力のほどや噂などを話したことがある。

 強羅を貰ってすぐの5時間耐久グレネード訓練×5日間訓練の話では顔を青くし、モンド・グロッソにグレネード部門が設立されない理由の笑い話を聞いてはどこか引きつった笑みを浮かべていた。

 そんな一夏であるからこそ、俺の言わんとすることが大体わかっているのであろう。

 

『はっきり言おう。ワカちゃんが訓練すると……時々地形が変わる』

「どんだけすごいんだよあの人!?」

 

 悲しいけど、事実なのよねこれ。

 というか、俺は時々あの訓練所を訪れるのだが、毎回違うところに来てしまったのではないかと思ってしまう。

 あの訓練所の近くでは時々「山の向こうにキノコ雲が見えた」とか、「昔に比べて山の数が減った気がする」とか言う噂を聞く辺り、ますます恐ろしい。つーか、以前ワカちゃんお気に入りの装備を実際に使うところを見せて貰ったら、土を10mくらい盛って作った、的を置く小山ごと消し飛んだし。

 

『どうする、一夏。今度の休みにでも一緒に行くか?』

「い、いや俺は遠慮しておこうかな。あ、あははは……」

 

 賢明だな。もし万が一にもワカちゃんが俺たちの存在に気付かずグレネードをぶっ放したりした場合、強羅ならともかく白式だと一発で絶対防御が発動しかねない。ワカちゃんの装備と言うのはことごとくそれが可能なものばかりだ。

 

『まあそれはそれとして、とりあえずあと一回りするくらいの時間はあるから一緒に訓練しようぜ』

「ああ、もちろんいいぞ。……でもやっぱりなんだかんだで難しいな。高速機動のがここまで神経使うとは思わなかった」

『確かに。ほぼマニュアルの機体制動とラインの選択に、相手への警戒と牽制が必要なわけだからな。ただ飛びまわるだけだと有効な訓練には成り難い。……というわけで一夏、こんなのはどうだ?』

「……なるほど、面白そうだな」

 

 ともあれ、今はこの場でできる訓練をするべきだろう。

 叢の出力バランスも、今はその場しのぎとして強羅側からの制御でそれなりに代行してもらえるように調整したし、一度レース風に練習するくらいのことはできる。

 

 だが、ただ普通にやるのではつまらない。だから俺の考案した訓練方法を試してみることにしたのだ。

 キャノンボール・ファストに要求されるのは、先にも語った通り複数の案件を同時に考える並列処理能力だ。レースとしての加減速調整やライン取り、それらに十分な思考を割きながら、刻々と変わるバトルに対しても集中力を発揮しなければならない。

 本来ならばこの機会にそれを実践して見るのが一番良いのだろうが、そこは高速機動にまだ慣れない俺と一夏であり、なおかつ周囲には他にも訓練を行っている生徒の多数いる実習時間。

 これらの制約を考えた上でキャノンボール・ファストに最も近い訓練をするとなれば、方法はこれしかない。

 

 

『それじゃあ、行くぞ一夏!』

「おう! シャル、カウント頼む」

「任せて二人とも。……5、4、3、2、1――」

 

 安心安全であり、なおかつバトルトレースを両立させる方法。それこそが。

 

『「ライディングデュエル、アクセラレーション!!!」』

 

 そう、これである。

 スピードの中で進化したりしなかったりなライディングデュエルは、レースとしての能力と同時にそれとは別の闘争を必要とされる競技であり、なおかつ俺と一夏であればデュエルには十分以上の集中を注ぐことができる。まさにうってつけだ。

 

 ちなみに、ライディングデュエルを行う為のデュエルディスクはお互いのISに装着してある。

 蔵王重工のグループ会社の一つであるおもちゃメーカーが作った代物であり、どんなISの腕部装甲にもがっちり食いつき、周囲のISのハイパーセンサーにデータを送ってソリッドビジョンを実現するという高性能な一品で、世界中に密かな愛好者がいるとかいないとか。蔵王グループは絶対に技術の使いどころを間違えている。きっと、おもちゃメーカーの重役のおっさんがワカちゃんにねだられて作ったに違いない。蔵王重工のグループ会社の重役達は、みんなワカちゃん大好きなじーさんだって話だし。

 ……ちなみに、ワカちゃんのデッキはバリバリのフルバーン。ちょっと前までは少し油断しているとすぐにダーク・ダイブ・ボンバーが2、3体かっとんでくるという恐ろしいデッキだった。

 

「俺のターン! 見せてやる、俺の新エース! 銀河眼の光子竜!!」

『なんの、お楽しみはこれからだ!』

 

 なにやら一夏もライトロードとは別に、新しいカテゴリーであるフォトンシリーズのデッキも作ったらしいし、相手にとって不足なし。俺も全力で迎え撃つぜ!

 

「……一夏さんと真宏さん、本当に楽しそうですわね」

「あの二人は時々私達にはついて行けない領域まで行くな」

「僕もあとでデュエルしたいなあ。前にあのデュエルディスクもらったし」

「ぬぅ……本来ならば嫁への指導は私の仕事であったところを……」

 

 なんか地上から俺達の様子を眺めている一団からそんな声が聞こえてきたような気もしたが、まぁ気にするだけ無駄だ。

 コースを突っ走り、自分と相手の状態を常に脳裏に思い描きながら勝利への道を模索する。これぞバトルレースの醍醐味というもの。

 この経験を元に、当日は必ずや遅れはとらないようにしなければならない。

 

 ……そう、絶対にみんなから遅れるわけにはいかないんだよ。

 何があっても。……いやむしろ、何かがあった時のために。

 

 

◇◆◇

 

 

 うわんうわんと、奇妙なうねりを伴った声が壁越しに響いてくる。熱狂的な興奮を多分に含んだそれは、今日のイベントを心の底から楽しみにしていたであろう人々の歓声が幾重にも混じり合ったものであり、ピットの中にいても、ハイパーセンサーを使わなくてもはっきりと感じ取れるほどの密度と圧力を持っていた。

 

 今日は、キャノンボール・ファストの当日。それも、今まさに2年生の先輩方のレースが行われている真っ最中。すなわちもうすぐ俺達一年生専用機組の番が回ってくる時だ。

 そのため、当然ピット内には既にISを展開した専用機持ちが集結し、据え付けられたモニタに映し出される試合の状況を観戦している。さすがに2年生だけあって、専用機持ちではないものの、今の俺ではおよびのつかない卓越した技術の応酬が繰り広げられているのがわかる。……俺も、いつかはあんな風になりたいもんだ。

 

「あー、なんか柄にもなく緊張してきたな。真宏は大丈夫か?」

『……そうだな、少し緊張気味だけど、それだけだ』

 

 その興奮とも緊張ともつかない感覚は、しかし決して嫌いではない。かつてないほどの大舞台で、強羅の勇姿を見せられるこの機会。俺はとても楽しみにしていたし、多分確実に観客席のどこかに紛れ込んでいるワカちゃんも目をらんらんと輝かせていることだろう。

 この前、例の蔵王重工の訓練所を使わせて貰ったら、ヒマじゃなかろうにスケジュールを合わせてきたワカちゃんがスタンバイしていて、訓練に付き合ってくれたし。どうやらこのイベントも随分と楽しみにしていたらしい。

 ……うん、そのテンションであれだけのグレネードに追い回されれば、そりゃあ真剣な訓練ができるってもんだよ。

 

 ……もちろん、何事もなくこのイベントが終わる可能性などないに等しいことはわかっている。だがだからと言って、それは全力を尽くさない理由にはならないし、もし何かが起これば俺は仲間と観客を全力で守る。それだけの決意は、固めてきている。

 

 

『ところで、鈴の姿を見ないんだがどうしたんだ?』

「ああ、鈴なら確か新しいパッケージの調整をギリギリまでやるらしい。さっきちらっとだけ見たけど、それこそ強羅にも負けないくらいゴツかったぞ。……ただ」

『ただ?』

「いやな、あのパッケージ何かに似てるような気がしてな」

「あれ、一夏もそう思ったの? 僕も鈴に見せて貰った時から、何かが引っかかってたんだよね……」

 

 ともあれ、いざその時がいつになるのかは分からない以上、無駄に気にしていても仕方がない。そう思ってまだピット内にいない鈴がどうしたのかと思って口に出したのだが、なにやら一夏とシャルロットは鈴のパッケージについて思うところがあるらしい。

 はて、どうしたのだろう。確か、鈴が今回使うのはキャノンボール・ファストに間に合うように作られた高機動パッケージらしいがから時間がかかるのは仕方ないが、一夏とシャルロットの気になることとはなんなのだろう。俺としても、早くお目にかかりたいもんである。

 

「あら、私の噂?」

『お、鈴か。いやな、鈴のパッケージがどんなものなのかって…こと……を……!?』

 

 そんな話をしていたせいだろうか。噂をすれば影の言葉のごとく、ピット内へと鈴が現れた。

 当然パッケージを装備したISを展開した姿であり、PICを起動して滑るように俺達の一団へと近づいてくる、普段とは少し違った外見の甲龍。

 それこそが鈴の高機動パッケージ<(フェン)>の姿なのであろう。4基の増設スラスターを装備し、胸部装甲は衝角状に前方へと突き出した、見るからに高機動向きの流線形。そして両肩に搭載されたスパイク付きの球体である衝撃砲は拡散仕様となっているらしく、全方向射出可能な元来の特徴も合わせてキャノンボール・ファストにおいてはかなり有利な点となるだろう。

 

「あれ、どうしたのよ真宏。……ひょっとして、恐れをなしたかしら?」

『……いや、そうじゃない。鈴のそのパッケージ……それは、まるで……』

 

 だが、それよりなにより、俺はもっと気になることがある。

 今の鈴と甲龍を見て初めて思ったこと。おそらく一夏とシャルロットも気付きかけただろう、それすなわち――。

 

 

『アクアビットマンじゃないかっ!!!!!!』

「「――それだぁッ!!!!」」

 

 

 まさに、その一言。

 ビシリと指差して叫ぶ俺の声に唱和する、一夏とシャルロットの声。この二人は俺と一緒に例のロボゲにどっぷりつかっているからこそ、俺の感じたのと寸分たがわぬ驚きを感じているのだろう。

 前方に突き出した、己の思想のトンガリっぷりを示すかのような胸部装甲に、両肩の丸いコジマタンクのごとき衝撃砲。まさしくかの有名な企業戦士、アクアビットマンのそれと同じ姿だ。

 

「そうだよ、アクアビットマンだ! 何かに似てると思ってた!」

「あー、なるほどそうだったのか。確かに似てるよね、うん。すごくすっきりしたよ」

「……え? な、なによちょっと……、待ちなさいよ! あ、アクアビットだなんて、そんなことあるわけないでしょ!?」

「アクア……ビット?」

「聞かない名前だな。どこかのIS開発企業か?」

 

 つかえがとれたと言わんばかりに手を叩きあって笑顔を見せる一夏とシャルロット。一方、中国へと帰る前に俺と一夏と一緒に前作をやっていた鈴は、かの企業の変態さを知るがゆえに慌てふためき、あのゲームにあまり触れていない箒とラウラはなにがなにやらと首を傾げている。

 

 なるほど、そういえばこの二人は知らないんだったな。

 ならば、教えてやらねばなるまいて。

 

 目配せすら必要なく、俺と一夏とシャルロットの三人は並び立ち、両腕を斜めに伸ばし、右ひざを曲げ左足は伸ばしたまま重心を下げる、あのポーズを決める。

 さあ。

 

 

\○ <説明しよう! アクアビットマンとは!

 ○\

<\

 

\○ <PA整波性能19103、KP出力999を誇る最強のヒーローである!

  ○\

<\

 

\○ <そんな素敵性能溢れるアクアビットマンの姿に、今の鈴が超そっくり!

 ○\

<\

 

 

 ちなみに、上から一夏、シャルロット、俺だ。

 アクアビットマンが何かを知らない良い子たちへの説明のため、俺達三人が並んで荒ぶるジェットストリームアクアビットマンのポーズを決めて次々に説明の文句を述べる。

 当の箒とラウラはポカーンとしていたが、鈴は信じられないことを聞いたといわんばかりの表情で、首を左右に振りながら後ずさる。

 

「う、嘘よ……っ、そんな、あたしがどうやってアクアビットマンだっていう証拠よ!?」

「……鈴さん」

「セ、セシリア!?」

 

 ついには絶望のせいで言葉まで怪しくなり始めた鈴の肩に、そっと手を添えたのはセシリアであった。

 狙撃戦術を多用するため、繊細な調整と丁寧なつくりが特徴のISでありながら繊手と呼ぶにふさわしいその手の主に、縋るような視線を向ける鈴。

 

 だがセシリアの――似た名前の人がいるから半ば強引に最新作をプレイしてもらったセシリアの――顔は、悲しみを堪えるように目を伏せていたのだった。

 

「え……? な、何よその表情は」

「落ち着いて聞いてください。……先日本国の整備担当者から聞いた話なのですが、しばらく前にブルー・ティアーズの開発チームに対し、中国から技術提携の申し出があったそうですわ」

『技術提携? ……まさかっ!』

 

 ISに関連する技術は各国の国防や、企業の利益に直結する超重要機密だが、提携自体はなくもない。ヨーロッパの統合防衛計画たるイグニッション・プランも成立の暁には技術の交流もなされるだろうし、例えば蔵王重工だって色々な国や企業とやり取りして製品を売り込んだりしている。だがイギリスと中国にそれをする必然性はあまり考えられず、しかもこんな装備を作り出す中国がそれを申し出るなど、俺に思いつく理由は一つしかない。

 

「……ブルーティアーズと衝撃砲の技術を一つに合わせて空飛ぶ衝撃砲を作ろうという、熱烈なラブコールだったそうですわ」

 

 それはすなわち、衝撃砲の球体がふよふよと空を飛び、緑色の光をチャージしてビームのごとき衝撃波を打ち出すということで。

 

 

「……ウソダドンドコドーン!!!!」

 

 

 そう叫び、ついに鈴は膝から崩れ落ちた。

 

 両手を地に突く絶望のorzポーズになろうとしたようだが、前方に突き出た胸部装甲ががっつんと床にぶつかって手がつかないあたりがより一層の憐れを誘う。

 

『……あー、すまん鈴。元気出せ』

「ぅう……変態じゃない、中国は決して変態じゃないのよぉ……っ」

「だ、大丈夫ですわ鈴さん! きっとその丸くて可愛い衝撃砲が鈴さんを守ってくれますわ!」

「それはより進化した変態じゃないのぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 わーわーと、二年生組のレースが決着したらしくより一層激しくなる歓声を壁の向こうに遠く聞きながら、ピット内には何ともまぁ微妙な空気が流れていたのであった。

 

 

 間の抜けた騒動でありながらも、それは欠くことのできない俺達の日常。

 市の一大イベントが控えていようともそれは変わらず、たとえ相手が悪の秘密結社になったとしてもそれを変えてやるつもりはない。

 だが、これから始まる大レース、ひしめき合っていななくは天下の専用機持ち一年生。おそらく容易くは収まるまい。

 

 特にセシリアは、辛い痛みを経験することになるかもしれない。

 だがそれでもきっとセシリアは負けないし、俺だって黙って見ているつもりはない。

 

 さぁ、行くとしよう。弾丸より速い、最高最速のバトルレースへと。


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