IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第22話「淑女の嗜み」

 赤や青や黒といった、日本の家屋特有の統一感が無い屋根の色がすさまじい速度で後方へと吹き飛び、はるかな高空にあるはずの白い雲さえ流れて見える様は自らの速度が尋常なものではないことを、如実に物語る。

 ISのシールドバリアとPICによる慣性制御のお陰でその事実はハイパーセンサー上に表示される速度計の数字でしかわからないが、なんら防備のない市街地上空を超音速で飛翔しているのは、間違いのない事実。

 ただ空の青さだけが変わらぬその戦場に今、空よりなお青い二機のISが、入り乱れての超高速空中戦を繰り広げていた。

 

「くっ、狙いが……!」

「……っ」

 

 色だけではなく、二機は似通った点が多い。

 互いに射撃型であり、時に白く雲の尾を引きながら有効な射撃位置を得ようと常に遷移し続けるその戦闘スタイルは、空を絡み合う二頭の龍を思わせる。

 ならば、互いに撃ちあうレーザーの色は龍のブレスであろうか。見る物の目すら焼きかねない灼熱のレーザー光は確かに一薙ぎで町を焼き払いかねない脅威であり、その光がいくつも交差する光景はいっそ終末的な美しさすら感じさせる。

 地上から見る限りでは一瞬に通りすぎてしまうそのIS達は、ブルー・ティアーズとサイレント・ゼフィルス。

 

 イギリスで開発されたBT兵器運用モデルの第三世代型ISの姉妹機であり――今は、敵同士だ。

 

 

 BT1号機ブルー・ティアーズと、同じく2号機サイレント・ゼフィルスは同じ系譜に連なる機体であるため、当然武装や戦闘のスタイルが似通ったものとなる。狙撃を中心とした、BTビットによるオールレンジ攻撃は多対一の戦況を制することに優れ、一対一ともなればその全ての攻撃を相手に集中できるため、総火力と手数の多さの脅威は尋常なものではない。

 

 そのため、この二機が戦うともなればどちらからも空を埋め尽くさんばかりのレーザーが無数に飛び交うこととなる……かと思われるが、現実は違っていた。

 

「フレキシブル……! 敵に回すと本当にやっかいですわ!」

「……」

 

 まず第一に、攻撃の頻度が違う。

 ブルー・ティアーズは高機動仕様のパッケージ<ストライク・ガンナー>を装備しているため、ビットがスラスターとして砲口を封印されているというのが原因の一つだ。

 必然的にBT兵器の特徴の一つであるオールレンジ攻撃は使えなくなり、高出力BTライフル<ブルー・ピアス>しか武装が無い。しかも相手はブルー・ティアーズ自身の稼働データも反映されている後継機であり、ビットの総数、レーザーライフル<スターブレイカー>の連射速度共にセシリアの武装を凌駕している。

 

 セシリアも、無論反撃はしている。

 高速機動中であり、ビットが使えなくとも彼女はイギリスの代表候補生にして、専用機ブルー・ティアーズの操縦者に最もふさわしいと認められた者。

 超音速状態での戦闘訓練も経験があり、冴え渡る狙撃の実力は陰りもしない。必然、狂わぬ狙いは一発一発が相手に致命的なダメージを与える部位へと向かい、スラスター、頭部、装甲のない皮膚などへ向けてレーザーが空間を灼いて伸びる。

 だが、相手にはシールドビットがあった。傘状に広がるエネルギーシールドはブルー・ピアスをしてすら一撃では貫けず、一度阻まれてしまえば彼我の射撃間隔の違いから、セシリアは倍する反撃を回避しなければならない。

 

 そして、何よりも。

 

「さすがに、この高度では……!」

「……ふん、生意気な」

 

 高度の……いや、サイレント・ゼフィルスとの位置関係が、セシリアに何度となく攻撃を躊躇わせる。

 

 何故なら、今二機が飛んでいるのは市街地上空。当然眼下には何軒もの民家が連なり、このあたりではまだ避難できずに残っている人がいる可能性がかなり高いと、ハイパーセンサーが告げている。そんなところへISの武装を撃ちこんでしまえばどうなるか? 絶望の未来が待っているだろうことは、想像に難くない。

 だからこそセシリアは常にサイレント・ゼフィルスの攻撃が地表へ向かわないよう上方を取らざるを得ず、時折一瞬だけ相手と同じ高度まで下がった時にしか攻撃することができない。

 もしもサイレント・ゼフィルスが自分よりも上に位置するようなことがあれば、撃ち下ろされたレーザーを回避した瞬間に町が燃え上がる。

 そして、強羅のようにやたら重装甲のISではないブルー・ティアーズであれば、身を呈してレーザーを受けとめた場合即座に絶対防御が発動し、敗北することになるだろう。そうなるのを避けるためには、相手の上空を占有するよりない。

 

 しかもどうやらサイレント・ゼフィルスはそのことを知った上で敢えて応じているフシがある。セシリアよりも高度を上げようとはせず、その手から放たれるレーザーも全てが空へと向かい、水平に近い角度で放たれたレーザーも後にフレキシブルであらぬ方向へと曲げられる。

 どうしてこの状況に相手が合わせてくれているのかは分からないが、セシリアにとってはむしろ願ったり。悪の秘密結社の構成員としては不可解なその行動も今だけは考えず、戦闘に集中しなければならない。

 

「このままでは……っ、ならば!!」

 

 しかし、相手の射撃技能はセシリアにも迫るものがあり、ましてビットとレーザーライフルの連動攻撃の密度は圧倒的だ。この状況を打開するためにはストライク・ガンナーの速度だけではアドバンテージたりえず、土俵を変えなければジリ貧の敗北が待っている。

 

 選択には一瞬の躊躇があった。

 それでもこのままでは勝てない以上、危険な可能性はあるが賭けに出るしかない。だからセシリアはここで戦術を、変える。

 

 かつて一夏と真宏との対戦を見て着想を得て以来、たとえブルー・ティアーズであろうともいつか必要になると考え、訓練を続けた接近戦を挑むのだ。

 さすがにスターライトmkⅢほどに展開が早くはないが、それでも無言のうちにインターセプターの展開に成功し、ビット4機分の推進力で一気に相手へと肉薄。その刃を振るう。

 

「射撃では勝てぬと見て接近戦か。……不様だな」

「なんとでもおっしゃいなさい!!」

 

 ここまでセシリアの思惑に付き合っていたと感じたのは、やはり間違いではなかったようだ。それを裏付けるように、サイレント・ゼフィルスもまたその手にナイフを展開し、高速で飛行しながらセシリアと斬り結ぶ。

 互いの速度とISの腕力を乗せた攻撃は一合ごとに鋭い金属音を響かせ、逸れた刃先が顔のすぐそばをかすめる度に心臓が凍りつくような恐怖が走る。

 いかにシールドバリアと絶対防御があるとはいえ、ISの手で扱う巨大なナイフは人の眼前を走るのには威圧的にすぎた。だが、この状況に持ちこむことによってビットとの連動はできなくなったらしく、お互いの間でただ剣撃だけが交差を続ける。

 つまり、自分達が墜落しない限り下方への被害を気にする必要はなくなったわけだ。

 

 なればこそ、セシリアの振るうインターセプターは唸りを上げる。

 セシリアはIS学園に来るまで近接戦闘をさほど重視していたわけではないが、今は違う。一夏や真宏、箒も鈴もラウラもシャルロットもみな一定水準以上の格闘戦を行える以上、いかにブルー・ティアーズを駆るとはいえそれを無視することはできず、この際貴族としてのプライドは抜きだ! ということで仲間達にも教えを請い、訓練を続けてきたのだ。

 至近距離で振るわれる刃を恐れぬ踏み込みと、間合いの計り方。まだまだ未熟と自分でも思うものであるが、それを理由に必要な時に使うことをためらうのでは、何のための訓練か。なんのために指導を仰いだのか。

 

 だからセシリアは、必死に食い下がる。

 相手はビットの扱いのみならず近接戦闘にも優れているようで、どれほど打ち込んでもまるで突き崩せる気がしない。それどころか反撃の一閃一閃が重く鋭く、一瞬でも集中が途切れればこちらがズタズタに切り刻まれかねないという確信ばかりが、秒を追うごとに強くなる。

 

 いやむしろ、格闘になってからこそ威圧感が増したようにさえ思える。

 冷徹にして容赦のない、千年雪の降り積もる冬の凍土を思わせる冷たい太刀筋。これでは、まるで……。

 

「ふっ……」

「な、お待ちなさい!」

 

 その時セシリアの脳裏に結実しかけたイメージは、しかし確かな焦点を結ぶ前に霧消する。

 サイレント・ゼフィルスが、突如高度を落としたのだ。

 上を取られたわけではないため射撃に移られても街への被害はないだろうが、それもさっきまでの行動から予想しての話。相手がすぐ足もとまで迫った町に向かって無差別な攻撃を開始しないという保証はどこにもなく、である以上セシリアもまたそれに追随せざるを得ない。

 

 そんな状況になったため、サイレント・ゼフィルス操縦者のナイフ捌きから連想しかけた誰かの姿は、セシリアの思考から吹き飛んだのだった。

 

「まだです、まだ終わりませんわ!」

「……しつこい奴だ」

 

 うんざりした、とばかりの表情をバイザーの下の顔に隠しもしない、サイレント・ゼフィルスの操縦者。必死なセシリアの攻撃をそんな気勢の削がれた様子でやすやすとしのぎ、しかもまだまだ余裕があるように見える。

 

 相手は自分と同型の機体を使っているのだから、射撃に優れてはいてもまさかここまで近接戦闘に秀でているとは。あるいは格闘を挑んだのは間違いだったかという思いがよぎる。

 だが、それでもセシリアは斬りつけ続ける。

 

 この相手に勝てる可能性があるとするならば、もはやこれしか手はないのだから。

 

「なんのっ、まだま……だぁっ!?」

「ははっ!」

 

 そこで初めて、サイレント・ゼフィルスが笑った。

 だがセシリアは到底そんな心境ではない。素っ頓狂な声が示す通りに驚愕している。

 

 サイレント・ゼフィルスを追って高度を下げた結果、既に随分と地表近くまで迫っている。後方では二機の作りだした衝撃波に家々の屋根瓦がガタガタと揺らぎ、窓ガラスが破裂せんばかりに震えているのがわかるほど。

 そして今まさに自分たちと同じ高度、目の前に、突如高速道路の立体交差が現れたのだ。

 このまま直進していれば激突してしまうのは間違いない。それを見て取ると同時、思考が形を成すより先に、セシリアの鍛え抜かれた戦闘の神経は回避を選択した。

 

「こっ! のっ! ……なんとぉーーーーーーーっ、ですわ!!」

 

 迫りくるコンクリートの図太い柱を眼前に、右へ、左へと華麗にローリング。衝撃波が林立する柱の間を不規則に入り乱れるより速くその場をすり抜け、すぐに再び目の前が開けた。

 が、それは同時に回避機動によってサイレント・ゼフィルスとの距離を離されたということでもある。

 

「っきゃああああ!?」

 

 ハイパーセンサーで捕えたとき、サイレント・ゼフィルスは既にライフルを構えていた。そのため、セシリアが撃ち返すよりも、回避や防御の姿勢を取るよりも早く引き金が引かれ、光速のレーザーがブルー・ティアーズに直撃し、盛大にシールドエネルギーを削られる。

 そしてその衝撃により、左手に保持していたライフルが落下してしまう。

 

 これで、セシリアは遠距離攻撃手段を失った。

 

「やはり、茶番か。……貴様はもう死ね」

「くっ……!」

 

 そのまま遠距離から撃ちつづけられれば勝利は確実であったろうに、またしてもナイフをその手に接近してきたのは余裕の表れか。必死に応戦しようとインターセプターを薙ぐように振るうが、焦ったこの状態ではただでさえ十全の実力を発揮できるはずもない。

 

 互いのナイフがぶつかり合って火花を散らせたその瞬間、サイレント・ゼフィルスの手首がくるりと翻る。たったそれだけのことで冗談のようにナイフの刃先が走り、不可解な力がかかるとともに、ブルー・ティアーズの手からもぎ離されるようにナイフが弾かれて飛んだ。

 

「なっ!?」

「……終わりだ」

 

 まさに熟練の技。一夏や箒との模擬戦ですらお目にかかれないような現象を目にして驚くセシリアに構わず、サイレント・ゼフィルスは突きつけた銃剣にエネルギーを通わせ、青い輝きを放たせる。

 聞いたことがある。サイレント・ゼフィルスに搭載された武装の一つであり、シールドバリアを貫くほどの威力を持った銃剣用の追加機能だ。

 それはつまり、相手が勝負を決めようとしているということで、必然的にセシリアに近づかなければならなくなるということ。

 

 ……この時を、待っていた!

 

「それは、こちらのセリフですわ!!」

 

 セシリアが狙ったのは、ブルー・ティアーズの奥の手を使うこと。ストライク・ガンナー装備時は補助推進機としての役目に甘んじている4機のビット全てに、砲口を吹き飛ばしての一斉発射を命じる大技だ。

 当然それは暴発となんら変わることがなく、リスクも高い。最悪の場合空中分解の可能性もあるほどの反動が予想され、もしも外してしまえば本当に後が無くなるだろうと、開発チームには使用禁止を言い渡されている。

 

 ……だが、使うなと言われれば使いたくなるのが人情というもの。

 などと思うつもりは全くないが、今のセシリアにできることはこれ一つしかなく、仮にスターライトmkⅢとインターセプターが無事であったとしても、この間合い、この瞬間ならばこれが最適だ。

 

 だからセシリアは迷わず、本来の機動性と攻撃力を封じられていたビット達に、待ちわびていただろう攻撃命令を下す。

 

 腰部に接続されたビットが俊敏な動きで埋められた砲口を持ちあげ、銃剣を振りかざして迫りくるサイレント・ゼフィルスを向く。

 本来の機動性を封じられた代わり、高速機動のためブルー・ティアーズ本機からエネルギーを供給されている今のビット達は常にエネルギーを十分に満たした状態にあり、当然放たれるレーザーの出力も上がっている。

 ましてやこの距離。まさしく必殺の一撃だ。

 

「さぁ、お受けなさい!! 全砲門、一斉発射!!!」

 

 セシリアの叫びと共に、ビットの砲身が内蔵したエネルギーの大きさに一瞬だけ赤熱し、すぐにその全ての力をレーザーに変えて撃ちだした。

 砲口を塞いでいたパーツはその破壊力に耐えきれず瞬時に蒸散した金属の飛沫となって散り、サイレント・ゼフィルスに向かってBTレーザーが殺到する。

 そして同時に、供給されるエネルギー量に耐えきれなくなったビットの固定部が弾け飛び、4機のビットはその全てが虚空へと投げ出された。

 

 距離も、タイミングも完璧に等しいその攻撃。

 仮に高機動型の機体であったとしても気付いた時にはもはや遅く、回避などできようはずもない。

 ハイパーセンサーで拡張された認識力と極限まで至った集中力は光速にも迫る速度で伸びるレーザーの先端までも網膜の上に映し出し。

 

「しょうことも、なし」

 

 高速ロールでその全てを避けるサイレント・ゼフィルスもまた、はっきりと見えた。

 

「なっ!?」

「悪くはない。……だが、サイレント・ゼフィルスの前身となった機体の奥の手ごとき、知らないとでも思ったか?」

 

 その言葉は、当たり前のことであった。

 確かに本体と直結した状態での全ビットからの一斉発射は強力であるが、それはセシリア自身が編み出した技ではなく、ブルー・ティアーズに元から備えられていた機能に過ぎない。そうである以上BT2号機サイレント・ゼフィルスを奪取し、それを実戦で運用しているファントム・タスクとこの操縦者にとって、この攻撃は予想されて仕方のないことなのだ。

 

「これで終わりだ。……死ね」

「あっ、ぁぁぁぁああああああああああ!?」

 

 言葉は短い。

 行動も単純だ。

 

 だが、突き出された銃剣は狙いを外さずセシリアの右の二の腕に深々と刺さって貫通し、かつてない痛みと灼熱感が全身へ走り、思考を紅く染め上げた。

 

 

「く……ぁ……」

 

 過度な痛みは、肉体のみならず精神にも傷を与える。苦痛に引き攣れる喉は意味を成さない悲鳴を垂れ流し、頭蓋の中にはただひたすら痛みへの拒否感が反響する。

 相手は突き刺した銃剣を抉ろうとこそしないものの、それでもセシリア自身の体は勝手に動き、その度にまた新しい痛みがさらなる精神の後退を促しつづける。

 

 痛い、苦しい、怖い。

 そして、逃げたい。

 

 マイナスの感情はひたすらに高まり、戦意を削いでいく。

 

 一刻も早くこの苦痛から解放されたいという心が時を追うごとにセシリアの中で大きくなり……。

 

 しかし。

 

 

「……うふふっ」

「……ん?」

 

 セシリアの中にはそれ以上に「サイレント・ゼフィルスに負けたくない」という、何より強い思いがあった。

 

「ビットからの一斉発射を知らないと思ったか、とおっしゃいましたわね?」

「なっ、なんだ……!?」

「あなたがそれを知っているだろうこと、もちろん承知していましたわ。……だからこそ、『こう』していただいたんですのよ」

 

 その時セシリアの呟いた声は小さく、だがはっきりとしてゆるぎない。

 さっきまでかすれた悲鳴を上げていたのと同じ喉から出る声とは思えぬほどに凛としたその響きは誇りに満ちて、利き腕を刺し貫かれた敗残者の声では断じてない。

 

 むしろそれは、自身の腕一本を囮に勝機を手元まで手繰り寄せた勇敢なる戦士のようで。

 

「……! は、離せっ!?」

「あら、つれないことをおっしゃらないで?」

 

 わずかに恐れをなしたサイレント・ゼフィルスが距離を取ろうとした動きは、セシリアの手によって阻まれた。

 

 

 ライフルを掴む、その腕に。

 二の腕を刺されて血の気の引いたまま、それでも驚異的な握力を発揮する、その右腕に。

 

 セシリアは、俯けていた顔を上げる。

 腕から飛び散った血を頬に付け、血色は悪く白磁の肌をより一層白くしているが。

 

 その表情は、絢爛たる舞踏会のシャンデリアの下でこそ映えるような、眩いばかりの微笑であった。

 

「ヒィ……!?」

「悲鳴だなんて、無粋ですわね。せっかく……こんなにお近づきになれたのに」

 

 サイレント・ゼフィルスの操縦者たるエムは、その時紛れもない恐怖を感じていた。

 顔つきと生い立ちのため、自分自身に少なからず自傷癖があるのは自覚しているが、目の前の女はそんなものではない。

 

 痛みに愉悦を感じる倒錯した感情など持っていない。

 今も腕から染み渡る激痛に心をさいなまれ、表情は今にも歪もうとしているのがかすかに震える口元や眉根からわかる。

 だがこの女は、それをただ自身の精神、すなわち気合と根性のみによって押さえ込んでいるのだ。

 

 それも当然のこと、とセシリアは自分に言い聞かせる。

 栄えある英国貴族たるもの、たとえ身中にいかな憂いがあろうとも、舞踏会――戦場――においては決して笑顔を絶やしはしない。

 両親を失ってからずっと続けてきたことだ。この場でできないはずがない。

 

 ましてや今は、ようやく掴んだチャンスなのだから。

 

「あなたは確かに、サイレント・ゼフィルスの操縦もBT兵器の扱いも見事ですわ。“ブルー・ティアーズの”切り札も破られてしまいました。……でも」

「この……! 離せ、離せぇぇええ!!!」

 

 その時狂乱状態にあったのは、むしろセシリアよりもエムであっただろう。得体の知れないものに対する恐怖は常に人の心の奥底にあり、「貴族であるから」というだけの理由でISの装備に腕を貫かれてもなお微笑んでいられる存在など、エムにとっては人の理の通じぬ化け物以外となんらかわるところがない。

 冷静さを失ったためにライフルを捨てるという選択肢は思い浮かばず、仮に思考に上ったとしても、その程度でこの女を引き離せるとはどうしても思えなかった。

 事実、セシリアはなおも掴んだライフルを離さず、相手がどんな手段に出たとしても逃げることを許さない覚悟である。

 

 何故なら、こうなることこそが、セシリアの思い描いた勝利への避け得ぬ通過点だからだ。

 

 セシリアはずっと考えていた。

 ブルー・ティアーズで、接近戦に不慣れな自分が格闘を行うにはどうしたら良いのか。唯一の近接武装であるインターセプターの扱いに関しては、仲間たちとの特訓のお陰で大分慣れてきたが、それだけでは不十分だとセシリア自身痛いほど理解している。

 付け焼刃のナイフ捌きではどうしても熟練の戦闘巧者に対して後手を踏むことになる上、IS用装備として切れ味と強度を保証されていても、そもそも武装がナイフだけではいかにも不安であり、何より決め手に欠ける。

 

 かつて真宏と一夏の模擬戦を見たとき、真宏がやっていたようにスターライトを棍棒のごとく振り回して武器にしようかと考えたこともあったが、ブルー・ティアーズの機体特性と、何よりセシリアの美的感覚がその使用を許さなかった。

 

 しかし、それでもあの戦いを見てから得る物はある。

 心の中で、どこかの英国貴族が「逆に考えるんだ。『武器を目的と違う用途で使ってもいい』と考えるんだ」と言ってくれたような気がした。

 要するに、これまでのように武器をただその使用目的のためだけに使うのではなく、別の使い方をすればいい。

 自身も機体も近接戦闘が苦手でそのための武装もないというならば、今あるもので近接した敵を倒す手段を考えればよいだけのこと。それは本来邪道と呼ばれるものであり、セシリアのような正統派のIS操縦者が習得したとしても身の錆にしかならないようなものだと……かつては、考えていた。

 だがどうしても倒したい敵がいるとき。勝利しなければ前に進めないとき。

 

 そんなときに体裁を気にすることこそ愚かであるし、何より。

 

 邪道な武装でも、見事使いこなして華麗に勝利すればいい。

 それが、セシリア・オルコットの答え、フォーアンサーである。

 

 

「……おいでなさい、ブルー・ティアーズ」

「ビット!? まだ動けるのか!」

 

 セシリアの囁きに、従順なるビット4機は我先にと馳せ参じてきてくれた。

 先ほどの無茶がたたってあちこち焼け焦げてしまってはいるが、戦場においてはむしろそれこそが激闘を示すなによりの誉れ。ビットは1機の欠損もなくセシリアの伸ばした左腕へと集結し、等間隔に距離を取って腕部装甲の袖口へと基部を押し付ける。

 ブルー・ティアーズの青い左腕に新たに生じたクローのごとく、その切っ先は伸びている。武装をことごとく失ったセシリアであるが、こうしてビットが健在な以上まだまだ戦えるということが、戦う意志があるということが、エムにはようやく理解できた。

 

 と、そこまでしか思えないのが、いまだIS学園がどうなっているか知らないものの浅はかさ。

 ただビットで攻撃するだけならば腕に装着する必要もなければ、エムに腕を貫かれてまで引き付ける必要などない。

 

 セシリアがこうまでして相手を捕えた理由は、別にある。

 

 

「叫ぶのは少々はしたないのですが……、この技のヒントをくれた真宏さんに免じて、今日だけは自分に許しますわ」

「なんだ、何を言っている!?」

 

 セシリアの微笑は揺るがない。

 そして、腰だめに構えられた左腕では、ビット達が自らの役目を果たすために動きだした。

 基部を袖に押し付けガイドとし、そのまま横方向へのスライドを開始。各機はお互いの間隔を保ったまま、手の周りを加速しながら周回し始めた。

 これは、本来ブルー・ティアーズが想定した運用ではない。そのため袖とビットの間は激しく擦過して、火花を散らす。

 

 まるで、ビットからなる4枚の青い花弁を飾り立てるかのように。

 

 しかしそうしていたのもわずかの間。外に向かって開いていた各ビットはその状態からごく短いレーザーを伸ばし、セシリアが拳を握るのに合わせて閉じていく。

 レーザーは短くも高出力に発振したまま、セシリアの握りしめられた拳の先に頂点を結び、うっすらとした残像の尾を引いて光の円錐を作り上げる。

 

 手の先に現れた、高速にて回り続けるそれは時折生じる出力の揺らめきが表面を走り、まるで光の螺旋のようにも見える。

 

 そして、エムは気付く。

 

「ごめんあそばせ。本当の切り札は、最後まで取っておくのが淑女の嗜みですの」

「くっ、くそおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 これが、“セシリア・オルコットの”切り札だ!!

 

 レーザー光は4本。その全てが結集する一点はより深い青色の輝きを放ち、回転するビットが腕部装甲との接触で散らす火花は紅く彩りを添える。紛れもない美しさと、絶対的な破壊の力。その双方をその手に宿し、セシリアは叫ぶ。

 

 

「レェェェェェザァァァァァッ!!!  ドリルッ!!!!!!!」

 

 

「っああああああああああああああああああああああ!?」

 

 豪ッ、と。

 これまでの貧相なナイフ捌きとは比較にならないほどの思い切った突き出しが、サイレント・ゼフィルスへと伸びる。レーザードリルなどという妙な名を冠した技を使うだけではなく、それに対して全幅の信頼を寄せた、この手に貫けぬ物はないと確信しているであろう迷いなき行動だ。

 右腕を銃剣で刺し貫かれたままという事実を忘れるようなその一撃、ISを展開していなければ視認することすら不可能に近い。

 

 裂帛の気合と共に振り抜かれた光の円錐は、途中盾とかざしたサイレント・ゼフィルスのナイフと接触する。

 が、ナイフは一瞬たりとて耐えることはできなかった。横にして受けとめようとした刀身はレーザードリルの先端が触れると同時にその熱量によって溶かされ、回転する4本のレーザーが瞬く間にその穴を抉り広げ、手を止めることすらできはしない。

 

 結果として、振り抜かれたレーザーは実質ほとんど何の障害もなくセシリアの腕の続く限りに直進を続け、最後には必死に首を逸らしたエムの髪の毛数本と、サイレント・ゼフィルスのバイザー及び肩装甲の一部を焼き抉った。

 

 

 ……だが、そこまでだ。

 いかにブルー・ティアーズのビットと言えど、これほどの高出力レーザーを長時間発し続けることはできない。セシリアの一撃が与えたダメージは決して少なくなかったが、それでも戦闘不能に追い込むほどの物ではなく、既にチャージしたエネルギーを使い尽してレーザーの発振は止まっている。

 

 後に残ったのは、操縦者も機体も満身創痍のセシリアとブルー・ティアーズ。

 

 そして、こざかしくも反撃してのけた相手への憎悪に燃える、サイレント・ゼフィルスだ。

 

「貴様……! 今度こそ殺してやる!!」

 

 エムの口から、これまでセシリアには向けられることのなかった殺気が迸る。

 主の激情に反応したサイレント・ゼフィルスは身の内に蓄えたエネルギーを盛大に発散させ、セシリアに容赦なく吹き付ける。

 

 対する今のセシリアに、反撃の手段はない。

 ただでさえ傷は深く、武装もほとんどが失われている状態だ。いまだ二機がもつれあったまま高速飛行状態にあることを考えれば、すぐにも装甲が剥がれ落ちて分解してしまってもおかしくない。

 ビットも砲身の冷却と再チャージを行わなければもう一度レーザーを打ち出すことはできず、実質相手のなすがままになるしかない。

 

 これまで以上の、絶体絶命。

 独力での挽回は完全に不可能。

 怒りに燃えるサイレント・ゼフィルスの魔手からセシリアが生き残るには。

 

<<テキ セッキン キケン キケン キケン>>

 

「なにっ!?」

 

「え、なんでナビゲート音声がそんな片言ですの?」

 

 それは、窮地に駆けつける仲間の助け以外にありえない。

 

 

◇◆◇

 

 

――今の叢は、やっぱり……どうしても安定させきれないから

 

 セシリア達を追うため、スラスターが半分方死に絶えた叢を酷使し、可能な限りの最大速度で市街地上空をぶっ飛ばす。

 そしてそのさなか、俺はここまでの間に簪から説明を受けた、今の叢の状態を脳裏で反芻していた。

 

 サイレント・ゼフィルスのレーザーをまともに受けたダメージで、ご存じの通り叢はスラスターの半数が大破し、今こうして飛んでいる最中も残りのスラスターをだましだまし使っているというのが本当のところだ。今すぐ機能を停止してもおかしくない上、そのままでは出力バランスが崩れて瞬く間に制御不能に陥るだろうところを、簪が大突貫で作ってくれた新しい制御システムによってなんとか持たせているが、それでも拭いがたい無理がある。

 

――出力が片方に寄っているのは、PICでなんとかする。……でも、少しずつだけどロールしていくのは、止められない。それに、無理に止めようとすると出力も……下がる

 

 簪が調整してくれたお陰で、右側に偏ったスラスターの出力が機体を左ロールさせようとする力は辛うじて抑えられていたのだが、それでは速度が出せない。

 さすがに戦闘中の二機から引き離されるということはないようだと、遠方監視モードにしたハイパーセンサーからの情報と分析結果は出ていたが、それでもこのペースでは決定的な瞬間に間に合わないという可能性も高い。

 

 ならば、どうすればよいか?

 答えは簡単だ。

 

 ロールを抑える力などなくして、全てのエネルギーを前進のために使えばいい。

 

 そもそも、強羅にはその方が合っている。精妙な機体制御など元より俺にできることではないのだから、強羅と叢がするべきはただひたすらの直進、ただひたすらの加速だ。

 

――……言うと、思った。それでも、最低限機体の軌道だけは安定させられるシステムも……今、できた。転送、するね

 

 俺の熱弁に簪は呆れ混じりの苦笑をこぼしながらも、既に予期して作っておいてくれたシステムを転送してくれたのだ。本当に、俺のことを良くわかってくれている。

 

 ともあれ、これをもって俺の憂いは無くなった。

 

 転送が完了すると同時に、強羅は発揮しきれていなかったポテンシャルの全てを発揮して最大加速を開始。

 だが同時にPICによるロール抑制もなくなり、視界は高速で回転をし始める。

 

 正直目が回りそうどころではない勢いで三半規管がかき回されるのだが、それだけの甲斐はあった。

 全てのくびきから解き放たれたに等しい叢のスラスターは、既に失われた仲間の分までも奮闘する。後方に吐き出される噴射炎はこれまで見たどんなISスラスターよりも太く、激しい勢いとなって白く螺旋の尾を引いて行く。

 

 スラスター全機が揃っていた時の最大出力時にも迫る加速度により、強羅の中に収められた俺の体は歪められて骨を軋らせるが、ハイパーセンサーに集中させた意識だけは途切れさせない。

 ISの全周知覚能力が高速ロールによる視界の回転を補正してくれているからこそ辛うじて認識できる外界の様子、その前進方向中心の一点。

 もつれ合うようにして近接戦闘に移行したらしいセシリアのブルー・ティアーズとサイレント・ゼフィルスの姿は既に捕えられ、幾度もの交差の果てに接触したままになった二機の速度が落ちるのに対して、ますます加速し続ける強羅との距離はすさまじい勢いで詰まっていく。

 

 視界の片隅に表示された相対距離を示すメーターは著しい勢いで彼我の距離が近づいていることを示し、俺はそれを見てわずかな方向転換とより一層の加速を命じた。

 

 強羅と、強羅が使う装備に、限界以上の駆動を厭うような軟弱モノは一つとして存在しない。噴射口周辺温度が耐熱限界に近づくのも構わず、装甲材が本当に溶けだす0.001℃前まで出力を上げる勢いで、スラスターはその思いに応えてくれる。

 

 

 そうだ、それでいい。

 それでこそ、この技が強くなる。

 

 ますます加速し、ますます回る強羅のボディ。

 軌道はまっすぐ、二機へ向かって一直線。

 

 さぁ、ショウタイムだ。

 

 

◇◆◇

 

 

(なんだ……、なんなんだ!!)

 

 エムは、どうしようもなく混乱していた。

 スコールからの気に入らない命令で動かなければならない不機嫌さに、より一層の不快感を加えるBT1号機の操縦者。

 半ば戯れに相手の狙いに乗って戦ってみれば、予想の通りエムとは比較にもならないお粗末な操縦技能であり、暇つぶしにすらならなかった。

 こんな奴の相手をするくらいならば、本当はもっと……。

 

 そう思っていたエムの思考をしかし、この女は驚愕に染めて見せた。

 

 腕を銃剣で貫かれ、そのままサイレント・ゼフィルスのライフルを掴んで止める。

 血糊の着いた顔で微笑んで、傷の存在など幻であるかのように朗々と語る。

 

 そして、さっきのレーザードリル。

 

 4本のレーザーが結集する眩いばかりの頂点は、盾としてかざしたナイフをまるで薄紙でも燃やすかのようにあっさりと貫き、サイレント・ゼフィルスの装甲を穿ったのだ。

 

 どれ一つとっても信じられる話ではなく、しかし今目の前の女から漂う血の香りも、段々と荒くなり始めた息遣いもまぎれもない本物だ。

 サイレント・ゼフィルスのハイパーセンサーは間違いなく目の前の敵が重傷であると判断し、だが同時にこの距離での危険度もまた尋常なものではないと告げてくる。その矛盾に回路が負荷を感じているようであったが、そんなものはどうでもいい。

 それよりいま最も気になるのは、近接戦闘に移行してから索敵距離を縮めていたハイパーセンサーの最外縁に感知された、もう一機のISだ。

 

 援軍が来るだろうことは予想されていた。

 IS学園に襲撃をかけたのだから、生徒と言わず教師と言わず少なからぬ数のISを相手取らなければならないのは間違いなく、事実アリーナでエムはそれをこなしてきた。

 当然自分ならばそれもできるだろうという自負もあり、さっきまで戦ったIS学園の専用機達はさほど脅威を抱くほどの物ではなかった。

 

 ……だが、今はどうだ。

 多数のISを相手にして優勢を築いておきながら、今は目の前のボロボロになった一機のISに恐怖すら抱いている。

 

 そんなことがあるはずがない。まぐれだ。偶然だ。

 自分にそう言い聞かせようとしていたところに、またやってきた敵の増援である。

 

 しかしエムは、これをむしろ好機だと考えた。

 敵の数が増えたとはいっても、たかが一機。こうしてブルー・ティアーズが組みついている状態では援護しようにも攻撃の方法はなく、仲間に攻撃の機会を与えるためにようやくこの恐ろしい女が離れてくれるだろうことは間違いない。

 

 そうなれば、敵はさっきまで戦った多数のうちの一機と、今度こそ大破寸前になったブルー・ティアーズのみ。

 むしろ御しやすい。瞬殺してやれる。

 

 そう考えたエムはいっそ救われたようにすら思い、新たに飛来するISの来る方角にバイザーを向け、望遠機能を起動して。

 

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』

 

「今度はなんだあああああああああああああああああああああああああ!??」

 

 

 そこに、弾丸のように回転しながら高速で迫りくる、強羅を見た。

 

 狂乱の叫びを上げたエムはそれでも、すぐに対応を考える。

 相手の速度はキャノンボール・ファスト仕様の高機動パッケージを装備していると考えても明らかに常軌を逸しており、ブルー・ティアーズと掴みあったまま飛行を続けるサイレント・ゼフィルスよりも圧倒的に速く、あと数秒と経たずにこの場へと到達するに違いない。……というか、なぜ銃弾のように回転しながらやってくるのだ、あいつは。

 

 奇妙極まりないのは回転だけでなく、強羅は減速をする様子もないどころか、明らかに直撃コースを取っていることもだ。まさか、あのまま体当たりをするつもりなのか、と不安が湧きあがる。

 

 相手のISは、強羅。先ほどアリーナで戦った内の一機であり、装甲はぶ厚く重量は重い。「ただの体当たり」を「最強の体当たり」にしかねない、バカげたISだ。

 

 間違っても直撃など許せるはずはなく、一刻も早く回避しなければならない。

 見れば見るほどあの速度と回転、尋常ではない。ISらしい急激な方向転換や加減速といった機能の一切を捨て去り、回転しながらただまっすぐにひたすら突き進むだけのその存在は、まるで銃弾の王マグナムのようですらあるのだから。

 

 一瞬のうちにそこまで思考を組み立てられたエムは、やはり優秀なIS操縦者だと言える。比喩ではなく一瞬一瞬で優勢と劣勢が翻るISの戦闘においてその判断力は他者に優越する力となり、だからこそ彼女はここまで力を積み上げてこられた。

 

 幸いにして、相手は先ほど甚大なダメージを受けたスラスターを無理矢理使っているらしく、あのロールも単純にそうなることを許容しなければ飛べないからの苦肉の策であろう。ならば鋭い軌道修正などできるはずもなく、サイレント・ゼフィルスならば簡単に避けられる。

 

 そう思ったのは、正しい現状認識であった。

 

 ただ唯一の失敗は、ライフルを掴む右手だけでなく、レーザードリルを振り抜いた左手すら使って本格的に組みついたセシリアを、一瞬だが忘れていたことだ。

 

「わたくしのことも、忘れないでくださいまし」

「貴様、正気か!? あのISが見えているだろう!! は、離せっ!!」

 

 現状を認識しながらも離れようとしないセシリアに、今日何度目かの驚愕の声を上げた。

 

 強羅との距離は最初に感知した時の半分ほどまで詰まっている。

 ブルー・ティアーズは機体の補助動力すら落ちかけているようで握力は下がっているが、強羅が到達するまでの間に引きはがせる保証はない。

 

「あら……もちろん、わかっていますわ。強羅は……真宏さんは」

「くっ、くっそおおおおおおおおお!!!」

 

 そして実際、無理矢理にターンして力任せにブルー・ティアーズを振り払った時には、もはやいかにサイレント・ゼフィルスの加速力と言えど強羅との距離は突撃を避けきれないまで詰められていた。

 

 

「わたくしを、助けに来てくれたのですわ」

 

 静止したに等しいその一瞬の中。

 エムは自分の失策と戦った相手達の無茶苦茶さに憎悪を膨らませ。

 セシリアは真宏に向かって無事な左の親指を立てて見せ。

 

 真宏は。

 

 

『マグナムトルネェェェェエエエエエエエエエエエドッ!!!!』

 

 

 力の限り叫んでサイレント・ゼフィルスへとぶち当たり、ついにその装甲を、砕いてのけた。

 

 

◇◆◇

 

 

 サイレント・ゼフィルスから振りほどかれたセシリアは、ブルー・ティアーズに残ったなけなしのエネルギーでPICを起動し、何とか空中に踏みとどまった。ただでさえ未だ慣性が残って超音速移動を続けている最中なのだ。この状態で地面に激突すれば、セシリアにも地上にも計り知れない被害が出る。

 

 幸いにして、激突の寸前に引き離されたことで強羅の突撃によるダメージはセシリアに一切及んでいない。

 サイレント・ゼフィルスの操縦者がセシリアもろともに強羅に跳ね飛ばされることを良しとしなかったからであるが、セシリアはこうなるだろうと分かっていた。

 

 真宏なら、こんな状況でもきっと仲間を傷つけたりせず一矢報いるに違いない。

 常識とかそういうものからはどこか外れた存在なのだ、あの時々頼りになる友人は。

 

 だが、これでもまだサイレント・ゼフィルスは倒れない。

 

 強羅の巨体が接触する瞬間、咄嗟に全身を捻ったことで打点をずらしたサイレント・ゼフィルスは辛うじて直撃を免れてのけたのだ。

 完全には回避できず先の強羅に負けず劣らずの回転をさせられることにこそなったものの、それでも全身に衝撃を受けることはなく、逃がし遅れた右半身の装甲だけを砕くにとどまってしまった。

 

 だから、サイレント・ゼフィルスにはまだ反撃のチャンスがある。

 機体にこそ大きいダメージを受けたものの、まだ闘志は熱く、武器もある。

 セシリアの右腕から銃剣が抜けたためライフルもビットも使える現状、サイレント・ゼフィルスへの体当たりによって軌道が変わり、しかもその反動でスラスターまで調子を悪くしたか黒煙を噴いて落下していく強羅には一切の応戦ができないだろう。まるで戦闘領域から外へ踏み出してしまったかのようにごろんごろん回りながらすっ飛んでいく。

 

 バイザーの下の口元を怒らせ、歯を食いしばるサイレント・ゼフィルスの操縦者。

 瞬時に姿勢を整えると同時に左手のライフルとビット全ての砲口を強羅に向け、全火力による追撃をかけようとしているのが、かすみ出したセシリアの意識にぼんやりと映る。

 

――ああ、これはいけませんわ

 

 その状況を認識したセシリアは、思う。

 思うだけでは足りないだろう。それにはなんの力もない。

 しかし、セシリアは第三世代型IS、ブルー・ティアーズの操縦者。

 

 イメージインターフェイスを搭載したこの機体において、思うということはすなわち戦うことに他ならない。

闘志を失わない限り、セシリアはいつまででも戦える。

 

 既に武装のほとんどを失ったセシリアではあるが、まだ一つだけ残っていた。

 

 それこそが、セシリアの意思に従って空をかける四騎の小さな騎士――フリップナイト――。砲口の封印ごと吹き飛ばしての一斉発射に、続いてのレーザードリルと、今日は無茶ばかりさせてしまった。

 しかしこの忠勇無双なるビット達は主の中でいまだ消えない闘志に応えんと、再びセシリアの眼前に砲口を並べて整列し、下命を待っている。

 

 

 力はこの手の中にある。目の前には自分を助けてくれた仲間がいて、それを狙う敵がいる。

 ならばどうするべきか。どうしたいか。

 

「……ん」

 

 セシリアは自身の内から湧き上がる衝動に身を任せ、なすべきことを決める。

 目を閉じ、左手を握って意識を集中。ストライク・ガンナーを装備するためにかなり容量を使っていたブルー・ティアーズの拡張領域の片隅、わずかに残ったその場所に収めておいた物をその手の中へと展開する。

 

 ISの武装とは比較にならないほど容量の小さなそれは、数日前の訓練のときに真宏から貰った「お守り」だ。

 手を開き、その中に確かに存在するそれを見て、セシリアはかすかに笑う。

 あの日の真宏の、心配くらいはさせてくれ、といった言葉の通りだ。

 

 セシリアならば必ず成し遂げるだろうからと信じて無理に訓練には付き合わず、ただ自分のために模擬戦を挑んできた真宏。

 それでも心配だからとこんなお守りを渡して、しかもこうしてピンチには駆けつけてすらくれた。

 

 あんな奇妙なISを好んで使う癖に心配性で、仲間思いのセシリアの友人。

 そんな友人だからこそセシリアは、「真宏を守りたい」と思う。

 

 セシリアは、人の掌に収まる程度の短冊状のそれを手に、目の前に居並ぶビットの内の一機を見る。一斉発射時の負荷でブルー・ティアーズと接合していた本体の方が破損したらしく、装甲の一部を付けたままになっているものだ。

 ビットに残ったそのそれは、ちょうどこのお守りを入れるのにぴったりのサイズ。

 あるいはこれも運命のいたずらかと思うような偶然の采配。

 だがなんであれ、真宏を守れるその宿命に感謝を捧げたセシリアは、夜空に煌めく満月のような金色のメモリを、そのスロットへと差し込んだ。

 

 この身はブルー・ティアーズを駆る「銃撃手」、セシリア・オルコット。

 ならばあとは「幻想の記憶」が加われば、できないことなどなにもない。

 

 そう、真宏の託してくれたこれこそが。

 

 

\ルナァ! マキシマムドライブ!!/

 

「何!?」

 

 セシリアの心の水面に青い雫を落として波紋を広げる、最後に残った勝利のカギだ。

 

 メモリから響いたその声に気付いたエムが振り向いたときには、もはや手遅れ。再びレーザーの光を蓄えた4つの砲口が、サイレント・ゼフィルスを狙い澄ましているのだから。

 

 さあ、とくと見るがいい。

 指で作ったピストルを、ビットと同じくサイレント・ゼフィルスに向け、セシリアは再び叫ぶ。

 これが真宏にもらった、セシリア・オルコットのもう一つの必殺技!

 

 

「ティアーズ・フルバースト!!」

 

 

◇◆◇

 

 

 エムは、幸か不幸かもはや相手のわけがわからない行動にも慣れ始めていた。何かまたロクでもないことをしているだろうことは、セシリアの手元のメモリから突如中年男性の声が響き渡った瞬間に気付いている。

 その目の前でビットがレーザーを発射しようとしているのもまた即座に見てとったエムは、シールドビットをその射線上に移動させエネルギーアンブレラを展開。

 フレキシブルを使えない相手にとっては十分な対応。これまでも有効であったその策を取ったのは、ブルー・ティアーズと強羅を同時に相手取っていたエムには当然の戦力配分であり、それが最善であるという自負を持っていた。

 

 シールドビットへ着弾する寸前、鋭く軌道を曲げて回避したレーザーにライフルを直撃され、取り落としてしまうその時までは。

 

「なっ……、フレキシブルだと!?」

「あら、成功しましたわ。……どうやら、切り札はいつもわたくしのところに巡って来るようですわね」

 

 衝撃にライフルを取り落としながらも振り向いた先では、セシリアが戦場とは思えないほど穏やかな声音でそんなことを呟いている。

 しかし、現実にはそれほど軽くできる芸当ではない。フレキシブル自体がそもそもBT兵器の高稼働時でしか使えないことに加え、先ほどの射撃はシールドビットもその他のビットもサイレント・ゼフィルスの装甲も、ライフルを射ち落とすにあたって立ちはだかる全ての障害を完全に避けて見せたのだ。

 

 既に限界を軽く超えていたであろうブルー・ティアーズの機体はついに崩壊を始めていたが、セシリアの表情はそんな状況に頓着していないかのように揺るがない。

 あれほどのフレキシブルを見せながら、当たり前のことを当たり前にやった結果であるとでも言いたげなその表情が、エムにはとてつもなく気に障った。

 

「くそっ、くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 頂点に達した怒りはすぐさま周囲の空間へと伝わり、その感情を受信したサイレント・ゼフィルスの6機のビットはその全てが荒々しくも俊敏な動きで敵を照準する。

 辛うじて墜落を免れ、ようやく軌道を安定させ始めた強羅と、いっそ安らかにすら見える顔で落下していくセシリアに3つずつの砲口を向け。

 

 

「させるかあっ!!!!!」

 

 

 強羅に続いて飛来した白式の手に持つ雪片弐型が一閃し、レーザー発射前にビットのほとんどを切り払った。

 

 

◇◆◇

 

 

「すまんっ! セシリア、真宏。遅くなった!!」

『ヒーローは遅れてやってくる、ってか。……だが、遅れすぎると出番もなくなるぞ』

「それは、……真宏さんも同じでしょう。お二人とも、レディを待たせるのは……感心、しませんわ」

『悪かったよ。一夏のデート2回で勘弁してくれ』

「承りましたわ」

「即答!? っていうか、勝手に人の予定を決めるな!!」

 

 俺がなんとかセシリアのピンチに間に合ってから、ことは1分と経たないうちに急変した。

 強羅での体当たりが完全にはヒットしなかったことを理解した瞬間、俺はもはや自分の命運が半ば尽きただろうと予想していたのだが、その土壇場でセシリアが以前渡したお守りを物凄く有効活用してくれてフレキシブルを成功させ、そうして作り出した隙をついて一夏がようやくこの場に到達したのだ。本当に、タイミングのいい奴だよこいつは。

 

 サイレント・ゼフィルスに斬りつけてから取って返した一夏の腕の中に抱かれるセシリアはこれまでのダメージが祟ったかぐったりとしているが、意識を失っただけだというのがコアネットワークを通して伝えられてくるし、腕の傷もブルー・ティアーズが止血を行っているらしい。これなら、病院へ担ぎ込むくらいまでならば十分持ってくれるだろう。

 となれば、あとの問題は。

 

「……」

「サイレント・ゼフィルス……!」

 

 一夏がやってきて以来、底冷えするような沈黙を保っているサイレント・ゼフィルスだけだ。

 武装自体は、既にほぼ失っている。ライフルに続いてビットも4機ほど斬り捨てられたらしく、こちらがボロボロなのと同じくらい向こうも手詰まりとなっているだろう。

 しかし相手が放つ殺気を感じるに、そんな程度のことで退いてくれるとは思えない。

 

 バイザーの下に晒された唇は憎悪に歪み、俺達を睨み据えているのがわかる。

 一夏はセシリアを腕に抱いたままその敵意に負けないように強い視線を返しているが、もし白式とサイレント・ゼフィルスが高機動の戦闘になった場合、いよいよ残りのスラスターも全滅した今の強羅でどれほど戦えるか。

 はっきり言って、勝算はそれほど高くない。

 

 勿論諦めるなどということは絶対にあり得ないが、それでも自然と緊張感は高まり、不快なプレッシャーが空に満ちる。

 

「――スコール。……何!? グレオン仮面が、また……!? わ、わかった帰投するっ」

「な、おい!?」

『追うなよ、一夏』

 

 どちらが激発するのが先か、と一秒ごとに不安の増すその空気はしかし、サイレント・ゼフィルスに届いた一つの通信によって遮られる。

 ……なんか漏れ聞こえる内容からするとロクでもないことが原因なようだが、その通信を聞いたサイレント・ゼフィルスの操縦者は血相を変えすぐに反転し、捨て台詞も残さずに飛び去った。

 どうやらこれまでの戦闘でも逃げ足だけは損なわないようにしていたらしい。周到なことだ。

 

 その事実一つをとって見ても恐ろしい敵であったサイレント・ゼフィルス。

 わざわざ襲撃をかけた上でのこの撤退はあっけなさすぎる感じもするが、今はひとまず全員の無事を喜ぼう。

 

『とにかく、今はセシリアを病院に連れて行くのが先だ! 強羅は鈍足すぎる。一夏は先に行って、セシリアを真っ白なシーツの敷かれたベッドに担ぎこめ!』

「わかった、任せろ! ……って、今なんか言い方おかしくなかったか!? 箒達にそうやって言いふらすつもりじゃないだろうな!?」

『ぎくっ。……何を言っているんだ、マイフレンド』

「真宏がマイフレンドって言うときは絶対信じないからなあああああああ!!!」

 

 そして、その全員の中には当然セシリアも入っているんだから、ひとまず急いで医者に見せなければならない。一夏は律儀にも俺のセリフにツッコミを入れながら、セシリアの体に負担がかからないように注意しつつ加速して、あっという間にIS学園の方角へと飛び去っていった。

 おそらく、ISが生命維持を行っている状態で白式が運ぶなら、セシリアは問題なく助かるだろう。一息付けた状況にようやく胸を撫で下ろしながら、一人残された俺はなんとなしにサイレント・ゼフィルスの飛び去った方角を見る。

 

 

 去り際のサイレント・ゼフィルスの操縦者――エム――は最後に一瞬、俺の方を見たような……?

 

 

◇◆◇

 

 

「それじゃあみんな……わかってるね? ――せーのっ!」

 

「「「「「一夏、ハァッピィバーースデェェェエエエエエエエエエッ!!!」」」」」

 

 現在、夕方の織斑家。キャノンボール・ファストとその後の取り調べやらなにやらのごたごたを気合で片付け、その勢いのまま一夏の誕生日会となだれ込み、元々の予定通り一夏の誕生日パーティーが強行された次第である。

 ちなみに、今一斉にハッピーバースデーを叫んだのはこのパーティー参加者全員であり、当然一夏ヒロインズの皆も一人残らず入っていたことを伝えておこう。……会長がノリノリに手を広げていたことやシャルロットが叫ぶのあたりは分かるとして、多分他の皆も疲れてたんだね、うん。

 

 

 ともあれ色々面倒もあったが、一夏の誕生日パーティーだ。当初予定されていたヒロインズと五反田兄妹に御手洗数馬を加えたメンバーだけでなく、会長やら新聞部の黛先輩やらのほほんさんやら虚さんやら混じっているのだが、まぁ少々部屋が狭くなるだけで気にするほどのことでもない。パーティーは賑やかな方が楽しいんだし、どうせ人の家だ。

 あんなことのあった日なのだから、これからはそれを忘れる勢いで楽しもうじゃないか。

 

「ほい、から揚げ一丁上がり! おあがりよ!」

「わ、衣がさくさく。すごくおいしいっ」

 

「次はちらし寿司だ! 一貫どころか一桶献上!」

「見た目からして見事なものだな。……ん、酢飯も材料の下拵えも完璧だ。さすがは真宏」

 

「くらえっ、麻婆茄子! 熱いぜ辛いぜ油吸ってるぜ!」

「あひゃぁっ!? ホントに熱いじゃない! しかも茄子の中からじゅわっと出てくる油がまた……っ」

 

「……それから今度は料理じゃなくて、主賓のくせに台所に忍び込んでた一夏っ! 大人しく給仕されてやがれ!」

「はっ、離せ! 俺も料理するんだぁああ!」

「えぇいやかましい! 今日誕生日のやつなんかと台所にいられるか! 俺は台所に戻る!」

 

 とまあ、こんな感じでさっそく織斑家の台所を支配した俺の作る料理が次々と並べられ、その度に食欲旺盛なる参加者達の胃袋へと消えていった。そんな俺の姿に主夫としての魂を呼び覚まされた一夏がこっそり手伝おうとしていたが、そうはさせるものか。ワカちゃんにもらった、黒地に白く筆の書体で「蔵王」と書かれたこのエプロンにかけて、今日の台所は譲らんっ。

 

 

 実際、織斑家のキッチンから見るパーティーの風景というのは、中々に良い。みんな本当に楽しそうだし、俺の作った料理もおいしく綺麗に食べてくれている。ヒロインズは個別に一夏を呼び出してプレゼントを渡したりもしているのがぽつぽつ見られるし、つい数時間前まではかなり危険な戦いの場にあったことなど忘れるくらい、いい思い出になりそうだ。

 

「……よしっ、完成! 台所貸してくれてありがと、真宏。このラーメンを一夏に食べさせてくるわっ」

「おう、がんばれよー」

 

 次はカルボナーラでも作ろうかと思ってスパゲティを茹で、ついでにその隙に戻ってきた食器を洗っていたところで、鈴が自分のプレゼント(?)であるラーメンを完成させて一夏に持って行った。

 さっき少し味見をさせて貰ったのだが、麺からスープからチャーシューまで全て手作りであるため、そんじょそこらのラーメン屋では味わえないほどの完成度を誇る見事な味であった。

 ……まあ、それを作っている風景は花嫁修業というよりもタオルをねじり鉢巻きにしたのが似合うラーメン屋修行にしか見えなかったのだが。

 

 とか何とか思いながら鈴の行方を目で追っていると、一夏にケーキを振舞っていた五反田さんちの蘭ちゃんとさっそく揉め始めたようだ。

 あの二人も仲が良いんだか悪いんだか。とりあえず、久しぶりに会った蘭ちゃんが元気そうでなによりだ。ちょっと前に一夏とシャルロットがデートに出かけたときにも一夏達と遭遇したようだが、やはり思い人の前にいると笑顔が眩しいね。

 

「おーい、蘭。……えーと、あの人知らないか?」

「……うるっさいのよお兄! そんな言い方でわかるわけないでしょうが!!」

「ウェェェイッ!?」

 

 ……おぉ、いつものよーにバッドタイミングで割り込んだ弾に対し、飛び上がって頭を両脚で挟み砕くようにしたあの蹴りはブリザードクラッシュではないか。

 どうやら弾への制裁技も着実な進歩を遂げているらしい。俺と一夏がIS学園に入るまではライトニングブラストが精いっぱいだったというのに、この成長っぷり。これは、バーニングディバイドを習得する日も近いかもしれない。もしその時は、俺が分身役を請け負おうじゃないか。

 

 

「さて、それじゃあ次のメニューはアロエとレモンの皮のシロップ漬けだ」

「……あぁ、さっきまでの流れからするとすごく優しいメニューですわ」

「この苦みと甘みのバランスがいいわね。真宏くんも芸が広いじゃない」

「でも~、デザートが出たってことはこれで終わりかな~」

 

 とはいえ今の俺のお仕事は楽しい楽しい料理番。さっきクリームとチーズと卵をたっぷり使ったとろとろのカルボナーラを出したあたりから宙を睨んでカロリー計算をしだしたらしい女子達など、気にもしない。

 

「……なに勘違いしてるんだ?」

「ひょ?」

 

 そう、気にもしないわけだから。

 

「まだ俺の料理フェイズは終了してないZE! フィールド魔法『甘味ゾーン』発動っ!」

 

「甘味ゾーン!?」

「なんでバトルフェイズにフィールド魔法使うのよ!?」

「ふむ……」

「鈴、ツッコミどころはそこじゃないよ。あとラウラも期待するのは分かるけどフォークは両手に持たないでいいからね?」

「これは怪我の治療のための栄養、これは怪我の治療のための栄養、これは怪我の治療のための……」

「セシリア、しっかりしろ! 目が虚ろになっているぞ!」

 

 

「ドロー! アップルパイ! ドロー! シュークリーム! ドロー! プリン! ドロー! チョコレートパフェ! ドロー! ゴマ団子! ドロー! ベルリーナー・プファンクーヘン! ドロー! ドロー! ドロォォォオオオオ!!!」

「ああああああ、甘味が、カロリーが! ……悔しいっ、でも食べちゃう!!」

 

 

 ちなみに、甘味ゾーンも含め料理は大好評で、全て美味しく頂かれたことをここに記しておこう。

 

 

 ……うん、思いっきり、本当に思いっきりたくさんの料理を作れたし、それを美味しいと言って食べて貰えた。

 悔いなんて残らないくらい、満足したよ。

 

 

◇◆◇

 

 

「えーと、水と、お茶と、ウーロン茶と、ブラックのコーヒーと……」

「とりあえずカロリー低そうなものを選んでおけばいいだろ。――ついでに、ダイエットのコーラに普通のコーラ混ぜておくか」

「……一応止めておくぞ、真宏。箒達にぼこぼこにされたくないのなら」

 

 さほど街灯の数も多くない、薄暗い住宅街の道端。うすら白い照明に体の前面を照らされながら、俺と一夏はこの自販機に飲み物を買いに来ている。

 誕生日パーティーでの料理の方は調子よく作っていたのだが、さすがに全て食べる方のテーブル上でやり取りされる飲み物の量までは把握し難く、ついつい途中で切らしてしまった。そこで、いい加減何かしたいと駄々をこねた一夏ともどもこうしてここまでやってきた次第だ。

 ガコンガコンと飲み物の缶やペットボトルが吐き出される度、一夏が取り出しては俺の腕に手渡していく。人数が人数だから既にそれなりの数になり、缶を全て積みあげたら人の身長くらいには届くかもしれないくらいになってきた。

 

「いやしかし、思ったより随分賑やかになったな。みんなからプレゼントは受け取ったか?」

「あぁ、みんなすごくいいものをくれたよ。腕時計とか、ティーセットとか、ナイフとか、着物とか」

「そりゃあ良かった」

 

 一部日本の青少年へのプレゼントとして不適切な物が混じっていたような気もするが、指摘してはいけない。そもそもIS学園のほとんどの女子から狙われている一夏なのだから、「プレゼントは私」とかトチ狂って言いだす手合いがいなかっただけでも良しとするべきだ。

 

 とまあ、そんな他愛のないことを話しながら飲み物を買い終えた。さすがに少々重くはあるのだが、こういう日くらいは色々人に任せろ、と言い聞かせて一夏には一つも持たせず帰路に着く。

 

 男同士なのだし、まして俺と一夏はわざわざこんな時に焦って話をしなければならないようなこともない。だから特に何も口に出すことはなく黙ったまま二人揃って自販機の前を離れ、織斑家へ向かって歩き出そうとして。

 

 自販機の光がギリギリ届かない闇の中、立ち尽くす一人の少女の影を見つけた。

 

 

―――さあ、ここからが本番だ

 

「おや、誰か来たみたいだ」

「ん……?」

 

 すぐに一夏も気付いたらしい。

 相手は俺達と同じように飲み物を買いに来たにしては遠く、かといって立ち去りもしない。

 闇の中に溶け込む上半身の様子はうかがえず、ただ黙然と立ち尽くす足元のみがわずかに見える。闇に眼を凝らしてようやくうっすら見えるシルエットと背格好からするに、おそらく15、6歳程度の少女だろうということくらいしかわからない。

 

 俺と一夏がそこまで予想できる程度の時間をかけた後、その少女は一歩を踏み出し、全身を蛍光灯の光と夜の闇が混じったほの青い境界の上へと浮かび上がらせる。

 

 その、少女の姿は。

 

 

「ち……千冬、姉?」

 

 案の定、先ほど予想した通りの年齢に見える“千冬さんそっくりの少女”だったのだ。

 

「……いいや、違う。私はお前だ、織斑一夏」

「なんだと?」

「今日は貴様と……そして神上真宏。貴様にも世話になったからな、挨拶に来た」

「世話にって……まさか、サイレント・ゼフィルスの!?」

「……こんな時間にお礼参りとはご丁寧にどうも……と言いたいところだが、女の子一人じゃ物騒に過ぎる。早くおうちに帰った方がいいと思うが?」

 

 予想はしていたといえ、こうして実際目の前に現れてくれると異様な雰囲気を感じずにはいられない。

 目の前に現れたサイレント・ゼフィルスの操縦者であろう少女は、本当に千冬さんと全く同じ顔立ちをしている。身長の低さや幼げな雰囲気こそあるものの、それはむしろかつて千冬さんが今の彼女くらいの年だったころとより似ているように思わせる役目しか果たさない。

 

 違いを上げられるとすればただ一つ。

 千冬さんなら決して一夏に向けないだろう、嘲りに満ちて歪んだあの笑いだけだ。

 

「あぁ、名乗るのが遅れたな。私の名前は……」

 

 そう言って、少女はまた一歩踏み出す。

 瞬時に「間合いを詰められた」と思ってしまうのは状況の異常さか、あるいはそれこそ千冬さんのそれを連想させる淀みない足運びのせいか。

 いずれにせよ俺たちに一歩分近づき、明るさの中に晒されたその手の中に黒く静かに光を放つ銃を見てしまえば、体が強張るのも当然のこと。

 

 そして。

 

 

「織斑マドカだ」

 

 

 名前が意味する彼女と自分の間にあるかもしれないと予想される関係に、一夏の脳はパンク寸前となって体を動かすどころか声を発することもできない。

 

「私はもはや、鏡の中の幻ではない……! その証明のために、貴様の命を頂くぞ!!」

 

 さらなる憎悪が吐き出されると同時、呆然と立ちすくむ一夏に向かって銃弾が放たれ。

 

 

「一夏ぁ!!」

 

 

その銃弾は、一夏を突き飛ばして割り込んだ俺の胸に、突き刺さった。

 

 そこからの数秒間は、世界がとてもゆっくりに見えた。

 

 わずかに見下ろした視界に入る、穴が開いて生地のちぎれ飛ぶ俺の服。

 着弾の衝撃が胸を叩き、遅れて感じた硝煙の臭いにむせそうになる。

 

 正面には、忌々しげに眼差しを歪める織斑マドカ。

 隣にはこっちを向いて、かつて見たことがないほど大きく目を見開いた一夏。

 

 さっきまで抱えていた缶が浮かんで見えるのは、きっと俺も缶と同じように重力に引かれて倒れている最中だからで、その推測は直後に背中から感じた地面に倒れ込む衝撃から正しいと知れた。

 

 そして最後の記憶は。

 

 

「真宏おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!??」

 

 

 今にも泣き出しそうなほど悲痛に叫ぶ、一夏の声だった。


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