IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

23 / 95
第23話「だが断る」

 夜の住宅街、まばらな電灯と自動販売機の明かりがうっすらと闇の中に浮かび上がる、ごく普通の路上。アスファルトは隅がひび割れ、側溝の蓋にはさびが浮き、コンクリートの隙間から伸びる草が風に揺れてさらさらと音を立てる、どこにでもあるごく普通の風景が夜の帳に隠された、その道。

 家路を急ぐ者以外は通らぬようなその時その場に今、異様な緊張感を滲ませる三人の男女がいる。

 

 

 ひとりは、目の前の男二人を前に銃を突きつける少女、織斑マドカ。

 ひとりは、友に突き飛ばされてたたらを踏んだまま呆然とした表情でいる少年、織斑一夏。

 

「真……宏……?」

 

 そしてもうひとりは、胸に銃痕の黒い穴を開けたまま倒れ伏す、神上真宏であった。

 

 

「……ま、真宏っ! おい、しっかりしろ!」

 

 目の前で親友が撃たれるという現実に自失状態となっていた一夏が、ようやく我に返る。慌てて真宏の元へと駆け寄る足元はおぼつかず、ほんの数歩ですら転びそうになりながら真宏の側へと膝をつき、腕を掴み、首の後ろに手を入れて上半身を支え起こす。

 傷口に障らぬようにするため揺らさずゆっくりと身を引き起こすと、抱えた腕にかかる重みはズシリとして、予想以上のものだった。

 意識を失った人間の体は重く感じるというのを聞いたことはあったが、いざこうして自身の腕に感じると目の前の友人の体が作り物か何かのように思えるほどのゾッとする違和感がある。

 人の肉体ではなく無機質な砂袋でも抱えているような気分は、吐き気がするほど恐ろしい。

 そしてなにより、意識が無いという事実自体が最悪の事態を想起させてくるのだから。

 

「ちっ、邪魔が入ったか。……まあいい、どのみちそいつも殺すつもりだった」

「なんだとっ、お前……!」

 

 不機嫌な舌打ちに顔を上げた一夏に対し、揺るがず銃口を向けている織斑マドカは嘲笑混じりの言葉をこぼす。名前や顔つきから一夏自身と何らかの因縁があるのは予想がつくが、それは真宏を狙う理由にはならない。この友人とは、一体なんの因縁があるというのか。

 事情を知らない身にしてみれば理不尽にしか思えない相手の行動に怒り、一夏は強く睨みつけるが、マドカは動じない。

 真宏を庇うように抱え込む一夏に対して得体の知れない憎悪を込めた目を向け、再び引き金に指をかける。

 

 サイレント・ゼフィルスをあれほどまでに使いこなすマドカの狙いはおそらくこれ以上なく正確で、先ほどの真宏のように不意を突かなければ避けることなどできるとは思えない。だがそもそも、いま一夏が逃げれば真宏はどうなる。まだ死んだと決まったわけではないのだから、置いていくなどありえない。すぐにも病院に連れて行きたいと、一夏の心は悲痛な叫びを今も上げ続けている。

 

 だからせめてと、ゆっくりと力を籠められていく引き金を見据えながら、抱えた真宏をかばうようにして相手へ強い視線を向け。

「一夏、真宏!」

 

 放たれた銃弾が、駆けつけたラウラのAICによって止められるのを眼前に目撃した。

 

「貴様……、よくも真宏を!!」

 

 ラウラは既にISを展開している。曲がりなりにもファントム・タスクからの襲撃があったその日に、一夏と真宏という何かと狙われる理由には事欠かない二人が夜の街に出ることには初めから反対していたラウラであったが、やはりどうにも我慢できずに後を追ったのは正解だった。

 

 ハイパーセンサーの補助する知覚力によって瞬時に状況を理解したラウラは、真宏を撃っただろう相手を見据える赤い右目を怒りに燃やす。相手の顔付きを見て驚くのも一瞬、すぐに軍人としての明確な敵味方の判断を下し、一夏と真宏の上を飛び越えて路上に着地するなり、鋭く腕を振るう。

 放たれたのは、一本のナイフ。市街地の只中で銃火器を使用することを避けるための選択であったのだろうが、ISの腕力によって投げつけられればそれだけで十分すぎるほどの殺傷力を持つ。

 事実そのナイフは極めて正確にマドカの右目を貫く軌道を飛び、街灯にきらめく銀閃を残して距離を詰める。

 

「また、貴様が邪魔立てするか」

「なっ、掌で!?」

 

 しかし、そのナイフが眼球を抉ることはない。驚異的な反射で跳ねあげられたマドカの左手が盾となり、掌を貫通されながらもナイフを止めたのだ。

 回避できなかったのか、はたまた敢えてそうしたのかはさておき、迷わず自らを傷つける手段を使って致命傷を防ぐという方法は、正しい生命の在り様からどこか外れて見える。そんな異様なことをしてのける目の前の相手は、一体何者なのか。

 一夏とラウラはこの一挙動から、元々持っていたその疑念をより一層深くした。

 

「こんな物はいらん。返すぞ」

「むっ!」

 

 マドカは掌に突き刺さったナイフを無造作に引き抜くと、べっとりと血糊のついたそのナイフを投げ返す。既に最大級の警戒を相手に向け、眼帯をむしり取ってヴォーダン・オージェを露わにしていたラウラにとってそのナイフはなんら脅威ではなかったが、その軌道が自分ではなく一夏を狙っているとあれば無視はできず、AICを起動して空中に拘束する。

 

 そして一秒とかからぬその隙に、マドカは一歩下がって再び全身を闇の中へと隠している。確実にそうなるだろうと予想はしていたが、ラウラが赤と金の目を再び襲撃者へと向けたときには、既にその姿がない。

 肉眼では見えないが、ハイパーセンサーによれば相手はISを展開してこの場を離れつつあるらしいというのがわかる。鮮やか過ぎる撤退の手並みだ。

 

 時間にしてほんの数分。

 ファントム・タスクのIS操縦者、織斑マドカと一夏との目まぐるしい遭遇は、マドカの手からこぼれ落ちただろう小さな血だまりのみを残して、終わりを告げたのであった。

 

「くっ、またしても逃がしたか! ……それより一夏、無事か! それに、真宏は!?」

「俺は大丈夫だ! でも……でも、真宏が!!」

 

 同じ敵を何度も逃し続けていることはラウラにとって屈辱的であるが、今だけはそれに感謝する。敵の存在よりも重要な、真宏の安否の確認を急がねばならない。

 

 ラウラはISの展開を解除し、ISスーツ姿のまま一夏が抱えている真宏のもとへと駆け寄る。先ほどは真宏の状況をちらりと確認しただけでその後はハイパーセンサーを敵に集中させたために詳しくはわからないが、軍人として鍛えた技能と知識の中には当然こういった場合の対処も含まれている。

 力なく一夏の腕の中で目を閉じている、普段の飄々とした姿からは想像もつかない真宏の顔に一瞬だけ絶望的な予感がよぎるが、それを振り払って二人の隣に膝を突く。

 

「一夏、冷静に答えろ。撃たれたのはどれほど前だ? 何発撃たれた? 倒れたときに頭を打ったか?」

「あ……え、と。撃たれたのは、ラウラが来るほんの少し前。あいつが撃ったのは一発だけで、頭は……多分打ってない」

「そうか、わかった」

 

 自分を庇った真宏が撃たれた、という事実に動転していた一夏を一瞥で必要最低限の報告はできる程度に落ち着かせるのは、さすがドイツの冷氷。駆けつけたときには倒れた真宏を抱える一夏しか見ていなかったが、どうやらそのとき見てとった状況とさほど変わりはないらしい。簡潔な質問で一夏でもわかるだろうことをひとまずは確認し、再び真宏に目を向けた。

 

 全身をさっと見まわして傷の有無を確認。目立った外傷はなく、さっきまで織斑家にいたときとまったく変わらないシャツとジーンズのラフな装い。ただ一点、胸の中央近くに黒々と開いた穴だけが、不吉に虚ろを覗かせている。

 

「……!」

「お、おいラウラ、どうしたんだ!?」

 

 それを見て一瞬息を飲んだラウラの様子に、一夏はすぐに気がついた。

 わずかだが硬くなった表情と、ピクリと止まった手。不吉な予想を掻き立てるのには十分すぎる動揺だ。

 

 事実、ラウラは恐れていた。

 これまで学んだ知識と経験からするかぎり、真宏が銃撃を受けた位置は極めて危険だ。心臓に限りなく近く、もし心臓自体を外れていたとしても重要な血管を傷つけている可能性が高い、そんな場所なのだ。こんなところを銃弾が貫通していれば、まず間違いなく助からない。

 だがそれでもラウラの体に叩きこまれた軍人としての経験は、淀みなく必要な行動を取らせる。

 まずはだらりと垂れ下がった真宏の手を取って手首を返し、脈を探って……。

 

「…………………………………………んん?」

「ラウラ?」

 

 どこか、間抜けな声を上げた。

 親指の付け根よりさらに腕側、そこで脈拍を探ろうと当てたラウラの白い指。あるいは絶望的な結論を下さねばならないと覚悟していたその指先の感触は、まさしく。

 

「まあ、ここで死ねたら感動的だったんだが」

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「ま、真宏おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 ばっちり健康的に、脈を刻んでいたのだからして。

 

 

「けほけほ。あー、痛て。さすがにきっついなこりゃ。背中も打ったし。……あと一夏、驚いたからって放り捨てるのはヒドイぞ」

「あ……、ああああ……!」

「真宏……! ぶ、無事なのはなによりだが、なぜ無事なのだ!?」

 

 驚いて飛びのいた一夏の腕から放り出されながらも、何事もなかったかのようにむくりと起き上がり、胸をさすってせき込んでいる真宏の姿は健全そのもの。間違っても体の中枢部分に近いところを撃ち抜かれた人間の様子ではなく、事実なんでもないとでも言うように、呆然と見つめる一夏とラウラの目の前で胸に開いた銃痕からぽろりと弾丸がこぼれ落ちた。

 

「だ、弾丸を弾いている……! き、貴様まさか、ついに生身でも強羅並に頑丈になったのか!?」

「いやむしろ、いつか言ってた束さんに改造手術されかけたっていうのが本当に!?」

「……そういう発想が出るあたり、ばっちり俺の友達だよなお前ら」

 

 生きていたことは嬉しいのだが、予想もしていなかったことに驚きを表す友人二人へ、真宏は呆れそのものといったため息をつく。

 しかし一方のラウラと一夏にしてみれば、そんな風に言われる筋合いではない。あのシチュエーションは本気で死んでいてもおかしくなかったのだし、そんな状況から平然と復活するなど……真宏であるならばありそうだと心の底から思うが、だからといって理由もなしに納得できるはずがない。

 揃って真宏を指差し、ぱくぱくと声にならない言葉を叫ぼうとする二人の動きは奇妙なほどシンクロしていた。

 

「別に、おかしなことじゃないさ。えーと……」

 

 そんな二人の疑問はさすがに察することが容易だったからだろう。説明のため、真宏は自分の着ていたシャツのボタンを外し始めた。

 ぷちりぷちりと外して首元からへそのあたりまで。全てを開けると今度はシャツを掴んで、二人に向かってその内側を見せるように開き。

 

「ほれ」

「「そ、それは……!」」

 

 目を見開いて顔を近づける二人が見た、そこにあるモノ達は。

 

 

「「セルメダルゥ!?」」

 

 

 服の内側一面に、びっしりと縫い付けられたセルメダルだった。

 

 そう、セルメダル。それもガシャ○ンで一つ400円、対象年齢15歳を数える明らかに大きいお友達向きの、ダイキャスト製セルメダルスイングである。

 一個あたりの重量は約80g。振り回して投げれば軽く凶器になりそうな代物だ。それがこれだけあるのだから、まずそろえるだけでいくらかかるのやら。そしてどれほどの重さになるのか。どう見積もっても、その数は10個や20個ではきかないはずだ。

 

「いやなに、ついつい欲望のままにたくさん買っちゃったんでね。グリードごっこでもしようかと」

「助かったのは良かったが、何をやっているんだ真宏は!」

「道理で、抱き上げるとき妙に重いはずだよ……!」

 

 そのセルメダルの内の一つが、服の内側から見てもわかるほどにへこんでいる。おそらくこのセルメダルが弾丸を受けとめたことで助かったのだろう。

 やっていること自体は呆れるしかないようなものであり、どーしても納得いかない部分はあるのだが、それでも今回だけは感謝したい。真宏のいつもの奇行ではあるが、そのおかげで助かってくれたことは、一夏にとってもラウラにとっても紛れもない救いなのだから。

 

「まぁつまり、なんだ」

「ん?」

 

 そう胸を撫で下ろす二人は、真宏の声に顔を上げる。

 さっきまでセルメダル越しとはいえ撃たれたショックでか少し血の気の引いていた顔も今ではすっかり元通りの血色を取り戻し、しかもそこはかとないドヤ顔すら浮かんでいる。

 

 あ、こいつロクなこと言わないな、と思った時にはもう遅い。

 真宏はこれが言いたかったとばかりに満足げな表情で。

 

 

「セルメダルも、それなりに増やせば防弾チョッキに匹敵する!!」

 

 

 近所迷惑にならない程度の声に抑えて、言いきった。

 

「……なぁラウラ、そろそろ帰ろうか」

「そうだな」

「あれ、割とノーリアクション!?」

 

 言いきったことで満たされた欲望により、服に縫い付けられたセルメダルの数がさりげなく増えてないだろうな、などと無駄な不安を感じつつ、辺りに散らばった飲み物の缶やペットボトルを速やかに拾い集め、真宏を無視して帰る一夏とラウラなのであった。

 

 

◇◆◇

 

 

「ぁー……今日は本当に色々あったな」

 

 その日の夜、誕生日パーティーが終わって仲間達が帰った後の織斑家。

 ついさっきんでと比べれば随分静かになったリビングのソファに、一夏はずしりと身を沈めていた。

 

 リビングはあれほどの人数が入り乱れて飲む食う騒ぐの限りを尽くしたというのに、ちり一つないのではないかという勢いで片付いている。台所のシンクもピカピカで、水滴一つない。

 それもこれも、真宏と楯無率いるパーティー参加者が総出で片づけをしてくれたからで、せめてそのくらいはやらねば主夫の名がすたると思っていた一夏のプライドその他を徹底的にくじいてくれた。

 人を動かすことに長けた会長と、こと家事となれば10年来の経験で三人分は働く真宏の二人とその他十分な人手がいれば、この程度のことは造作もないだろう。

 真宏と会長にしてみれば、それこそ騒動に次ぐ騒動に巻き込まれた一夏を無理矢理にでも労わろうとしてくれたのだと理解はしているが、それでも家事をしたいと思ってしまうあたり、我が事ながら取り返しのつかない主夫ぶりであろうと思う。

 

 そんな風に感じながらも、一夏はしばらくぶりに訪れた静かな時間に、今日の出来事を振り返る。

 IS学園のイベントの中でもかなりの規模を誇るキャノンボール・ファストへの参加。

 襲撃してきたファントム・タスクの刺客。

 その後の取り調べと、アリーナを飛び出して市街戦に加わってしまったことへの説教。

 敢行された誕生日パーティーと……一夏と真宏を再び襲ってきたサイレント・ゼフィルスの操縦者。

 名前は、織斑マドカというらしい。

 

「……織斑、マドカ」

 

 小さくつぶやいたその名の違和感に、一夏は軽く眉をひそめる。

 これまで長い間千冬とたった二人だけの家族と思ってきたなかに突然現れた、千冬にそっくりな顔をした襲撃者。状況から見てファントム・タスクに加担していることは間違いなく、またおそらく一夏とも深い関係があるのだろう。

 

 その存在を思えば、どうしてもまとまらない考えが脳裏をぐるぐると回り出す。

 あいつは一体何者なのか。「私はお前」とはどういう意味なのか。なぜ自分と、そして真宏を狙ってきたのか。

 

 わからないことばかりで、考えれば考えるだけ頭が痛くなってくる。きっとマドカは、いずれ避けることのできない者として必ず立ちはだかってくる。その時まで、今と同じようにまったく何も知らないままでいなければならないのだろうか?

 

 

 だが、マドカについて調べる方法はほとんどないと言っていい。なにせ相手は正体不明の組織に属するだろう人間。楯無ですら詳しいことは分かっていないという組織の、中でも実働要員とはいえたった一人の構成員の出自についてまで調べるということは、おそらく不可能に近い。

 それでももし、マドカについて何かを知っている人がいるとすれば……。

 

 

「いま帰ったぞ。……なんだ、一夏。そんなところでどうした」

「あっ……お帰り、千冬姉。……ちょっと、考え事しててさ」

 

 思考が至ったその瞬間、何かを知っている可能性が最も高い千冬が帰ってきたことで、一夏はわずかだが声を震わせる。

 千冬の様子は普段と変わりがない。ピシリとスーツを着こなし、伸びた背筋が凛々しくてしょうがない。

 昼間のキャノンボール・ファストに関わる事後処理が長引き今ようやく帰ってきたのだが、そんなことがあった片鱗すら表へ出すような姉ではないから、実際のところは見た目以上に疲れているのかもしれない。

 

 いつもの条件反射で立ち上がり、バッグを受け取りながらそう思った一夏は、ついさっきまで考えていた織斑マドカという名を問うてみることを、やめた。

 

(今日くらいは、やめておこう。……でも、いつかは聞かないと)

 

 色々なことがありすぎたうえ、もう夜も更けている。ここには一夏と千冬の二人しかいないが、いくらなんでもそんなことを聞くのははばかられるだけのことが、今日はいくつもありすぎた。千冬の帰りがこれほど遅れる理由の一端は自身にもあるのだから、せめてあとはゆっくりして欲しいと、一夏は心から思う。

 

「そうだ、千冬姉。何か食べる? 風呂も沸いてるけど、腹減ってるでしょ」

「ん……む。そ、そうだな。少し小腹がすいた。もらうとしよう」

「わかった、ちょっと座って待っててよ」

「あぁ、あまり手の込んだものは作らなくていいぞ。なんなら残りものでも構わん」

 

 千冬がソファに腰を下ろしたのを見届けて、一夏は台所へと引っ込んでいく。

 いつものことながら、あまりに甲斐甲斐しくも手慣れた主夫じみた様子に千冬としてはそこはかとなく育て方を間違えたのではないかと思ってしまうと同時に、一夏の気遣いをとても心地よく感じているのも事実。

 せめて自分も家事の一つもできればという思いと、一夏に色々してもらう安心感に深く満足する心は、長年千冬の心の中に消えない対立なのであった。

 

「えーと、何を作るかな。真宏なら多少は食材も残しておいてくれたと思うけど……」

 

 千冬のバッグをひとまずテーブルの上に置き、冷蔵庫へと向かう。今日は台所に入るなり真宏によってつまみ出されていたから、どれだけの食料を持ちこみ、使われたのかは出された料理から推測するしかない。

 完全に空になっている可能性もなくはないのだが、実際のところ一夏はそんな心配を一切していない。なにせ相手は家事能力において自分に迫るところのある真宏。人の家の台所を支配することはあっても、荒らすことなどあるはずがない。そんな、憎たらしいほど家事の上手い男なのだ。

 

「千冬姉も疲れてるし、さっぱりと一、二品でも……って」

 

 記憶の中のレシピから、手早く作れて胃の負担が少ないものをピックアップしながら冷蔵庫の扉を開き、そこで一夏の手が止まる。

 きっと一食程度作る分には買い物に行かなくても良いくらいの食材はあるだろうと思っていて、事実その予想は当たっていたのだが、それだけではなかった。

 

 冷蔵庫の中段、一番目立つところに三つの皿がある。

 一つは冷やっこ。ひき肉、玉ねぎを炒めて豆板醤で辛味を足したものを乗せた、ピリ辛の一品。しっかりと冷やされているから辛さが効果的な刺激を足してくれる、真宏がよく作るお手軽料理の一つだ。

 もう一つは、皮つきの鶏肉を焼いたものに、裏ごしにした梅干しと和風の出汁をかけたもの。皮はパリっとして、梅干しの酸っぱさが舌に心地よいから時々一夏も作ることがある。

 そして最後に、一夏でもこうはできまいというほど綺麗に黄色く丁寧に焼き上げられた、出汁巻き玉子。一口食べれば溢れる出汁の風味も芳しく、一夏も千冬も大好きな、真宏特製の玉子焼きだ。

 

 よくよくみれば、出汁巻き玉子の皿の下にメモが一枚。抜きだしてみると、明らかに真宏の文字で、一筆。

 

『今日はどうあっても一夏に料理をさせたくなかった。後悔も反省もしていない。千冬さんとのディナータイムを手早く楽しむがよい。 ハッピーバースデー』

 

「……真宏は時々、親切なのか意地が悪いのかわからなくなるな」

 

 冷えたメモ用紙に視線を走らせ、苦笑を浮かべながらも一夏は真宏が作ってくれた料理を取り出した。

 誕生日のプレゼントならさっきもくれただろうにと、真宏からもらったプレゼントのことが記憶に浮かぶ。

 

 真宏のプレゼントは、蔵王重工に頼んで作ってもらったという、全長30cmほどの白式のフィギュアだった。

 福音事件後、倉持技研の技術者とともに白式の調査に来たときに取ったデータから作り上げたらしく、無駄に精巧な上に受け取った時はやたら重かった。

 プラスチック製かと思ったらさにあらず、なんでも実際に白式の装甲に使われているのと同じ装甲材を加工して作ったのだとか。「まさに超合金」と嘯いていたが、そんな物を用意する真宏も、依頼されて作る蔵王重工も本当に技術を無駄遣いしていると思う。

 ただ出来は異常によく、自分のISながら造型もポージングもすさまじくかっこいいので、今度寮の自室に飾ろうと思う。いいものを貰ったもんである。

 

 それはさておき、今は真宏の作ってくれた料理だ。

 確かに今日は真宏が色々としてくれていたが、まさかここまで至れり付くせりであろうとは。千冬に自分の手料理を食べて貰いたいと思いもしたのだが、まあ良しとしよう。真宏が作っておいてくれたのは、一夏も千冬も好きなものばかり。たまには姉弟二人で、真宏の料理の品評会なども悪くない。

 食器棚から盆を取り出して皿を乗せ、グラスを二つと、麦茶と何故か用意されていたビールを取り出して、千冬の待つリビングへと戻る。二人でこの料理をつまんで、千冬が風呂から出たらマッサージもしてあげよう。

 

 そんな平和で幸せな未来の予想に、自然と一夏の頬には穏やかな笑みが浮かぶ。

 

「お待たせ、千冬姉。真宏が作っておいてくれたものだけど……って、あれ?」

「……」

 

 台所からリビングへと戻ってくると、千冬はさっきまでと変わらずソファに座っていた。ゆったりとくつろいでもらえていることは嬉しいのだが、同時に一夏は気付く。

 千冬が占有する三人掛けソファの隣、いつもの一夏の定位置である一人掛けのソファの前のテーブル上に、何かが置いてある。

 

 丁寧な包装とリボンのラッピングをされた、細長い箱。中身は万年筆かなにかだろうか。

 

 もしやと思って千冬に視線を転じれば、そっぽを向いている顔の、耳が赤い。

 

「……ありがとう、千冬姉」

「ふんっ。弟の誕生日くらい、私でも覚えている」

 

 この姉は意外と、ストレートな感謝の言葉に弱い。どこか不貞腐れたような照れ隠しは見ないことにしてあげた一夏は、持ってきた料理をテーブルに並べ、千冬のグラスにはビールを注ぐ。料理はどれもが二人の好物である。

 

 いくつもの騒動を経た夜の織斑家。看過しえない疑問は確かにあるが、それでもようやく戻ってきた日常の静けさだ。

 

 だからせめて今だけは、この姉弟水入らずの時を楽しもうと、一夏は思った。

 

「それじゃあ千冬姉、お疲れ様」

「あぁ。……誕生日おめでとう、一夏」

 

 まだ少しだけ頬の赤い千冬と打ち合わせたグラスがキン、と澄んだ音を響かせ、二人だけの誕生日パーティーが始まった。

 

 

◇◆◇

 

 

「お、襲われた!?」

「あぁ、昨日の夜に」

 

 キャノンボール・ファストやら一夏の誕生日やらがあった翌日の、月曜日。

 さっそく授業が始まったその日夕食の席で、一夏は昨日サイレント・ゼフィルスの操縦者に襲撃を受けたことを箒達一同に語っている。

 あの場に居合わせた俺には操縦者が織斑マドカと名乗ったことを黙っているようにと頼んで来ていたが、一日経ってようやく色々と覚悟が定まったらしい。確かに、そう軽々と口に出すことでもないが、この場に揃った専用機持ちはみなキャノンボール・ファストのときにサイレント・ゼフィルスの襲撃を受けたわけだから、正体はさておきしつこく狙われたという程度のことは伝えておくべきだという判断だろう。

 

 ……その判断は正しいと思うんだけど、どうやら正しく伝わってはいないようだ。

 事情を知らないラウラ以外のヒロインズよ、最初に「襲われた」とだけ聞いた瞬間お互いに探るような視線を走らせるのやめろ。それ別に性的な意味じゃねーから。

 

「それより真宏、銃で撃たれたって……大丈夫だったの?」

「ああ、セルメダルが弾を受け止めてくれてな」

「そうでしたの……無事で何よりですわ」

「まあ、真宏の場合はもし死んでもISに乗せて時速200kmで飛ばせば生き返りそうな気がするけど」

「もしくはウンメイノーと歌っておけば勝手に時間が巻き戻って復活しそうだ」

「おいお前ら、俺を何だと思ってる」

 

 ちなみに、あの襲撃の時に俺がわざわざセルメダルを仕込んだ服を着ていたのは、ああいうことになるんじゃないかと予想していたからだ。さすがに大っぴらに防弾チョッキなど用意するわけにはいかないし、だからと言ってISを不用意に出すのもはばかられる。だからと用意した代替手段であったのだが、さすがはセルメダル。見事に俺の身を守ってくれた。

 いやはや、欲望の赴くままにガシャ○ンが目につく度に買い集めていたセルメダルがこんな形で役に立ってくれるとは、俺も思わなかったよ。

 

 ……そうやって茶化さないと、思い出すだけで震えが走るほど怖くはあったんだけどね。いくら覚悟してたとはいえ、ISを展開せずに銃で撃たれるなんて経験、二度としたくないもんだ。

 

 

 内容が内容だけにさほど大きな声で語らっていたわけではないが、それでも俺達一同の雰囲気が変わったことは食堂の中にも伝わったらしく、いくつかの視線が向けられているのを感じる。

 シャルロットあたりは声をひそめて一夏に襲われる心当たりとファントム・タスクの目的を聞いていたりするが、それは一夏ならずともわからないことばかりだ。

 

 ……襲われた理由は、一夏の奴が俺すら知らない間にヤンデレの女の子にまでフラグを立てていたか、なおかつその相手がシスコンにしてブラコンな妹かなにかであったとでも言われれば納得できるとして、ファントム・タスクの行動原理は気になるところだ。

 

 

 不確かな情報しかないために推測すらまともにできるものではないが、時折耳にするあの組織の在り様と実際に為した行動に関しては、どうにもちぐはぐな部分があるように感じられる。

 

 まず巷での評判を聞く限り、ファントム・タスクは「悪の秘密結社」だ。

 そのうち刺客として改造人間やら強化人間の類が普通に出てきそうなくらい、その謎めいた出自と不可解な行動がネット上の不確かな噂として流れている。勿論それを鵜呑みにするつもりはないが、少なくともそう言った想像を許す程度には存在が知られ、それでいて実体は一切つかめていないらしい。

 正直なところ、これだけ聞くと一夏と二人でポーズやらセリフやらキメながら秘密基地に殴りこみをかけたくなるほど「らしい」話なのだが、実際にああして組織の構成員に妙な襲撃の仕方をされると、そんな気分に浸ってもいられなくなる。

 

 その理由が、これまで二度ほど襲撃してきたファントム・タスクの引き起こした事件の結果だ。

 

 まず一度目。文化祭で白式を狙ってきたときは、白式をリムーバーで引きはがしこそしたが、結局耐性をつけられて遠隔転送を可能にするだけに終わる。

 そして昨日。夜に俺と一夏を襲撃したのは多分織斑マドカの私怨だから除くとすれば、特に目的も示すことなくキャノンボール・ファストへ乱入して暴れ回り、最終的にはセシリアがフレキシブルを使えるようになったに過ぎない。

 

 世界各地でISを強奪して回っているという話も聞くが、その活動にしても死人はあまり出ていないという話も聞く。ただ単純な悪の組織と見るには不可解な行動があまりにも多いのだ。

 どこの国にも人種にも属さないというし、だとするならばその組織の行動を括れるのはもっと広く「地球人」という枠くらいで、あるいはそのために世界の戦力を強化しているようにも……?

 

 

「茶碗蒸しは、私が食べさせてやろう」

「協力するわ、ラウラ」

「ちょっ、鈴さんなぜわたくしを羽交い絞めにしますの!? それからラウラさん、せめて茶碗蒸しは冷ましてから……あっつぅぅ!?」

 

 とかなんとかフロム脳がぎゅいんぎゅいんと高速回転を始めた思考は、そんな声に止められた。サイレント・ゼフィルスにやられた右手がフィリップス式組織再生法で治療中のため不自由だからと、一夏の手で料理を食べさせてもらっていたはずのセシリアの声達のコントが自然発生していたようだ。

 なんか鈴に羽交い絞めされて動けないセシリアに、ラウラが無表情のままアツアツの茶碗蒸しを突きつけている。……この子ら、仮にもISの代表候補生なのになんで熟練のお笑い芸人みたいなことしてるんだろう。

 

「……ところで、注意しないんですか千冬さん」

「意外と面白いからな。もう少し放っておけ」

「お、織斑先生……」

 

 その面白さたるや、注意しに来ただろう千冬さんすら黙認するほどである。隣の山田先生も途方にくれつつ目を離せないようだし、すごいなオイ。

 使っているのはおでんじゃないし、三人とも日本人ではないから意図的にやっているのではないかもしれないが、だからこそすげー面白いよね、確かに。……でも、鈴だけはわかってやってるな、多分。セシリアを押さえ込んですごく満足そうな顔してるし。

 

 ……アクアビットマンやら空飛ぶ衝撃砲やらいまの鈴やら、中国は本当に大丈夫なのかと果てしなく不安になる光景であった。

 

 

◇◆◇

 

 

 そんな異様に騒がしい夕食時から、二時間ほど。

 ヒロインズは流れで一夏の部屋まで押し掛けて行ったようだが、俺はちょっと用事があったので別れ、今になって改めて一夏の部屋の前まで来ている。

 

 年がら年中騒々しい一夏の部屋であるが、今は一夏一人しかいないだろうから扉越しにもしんと静まり返って、落ち着いた佇まいを見せている。実際のところはこの扉、これまで何度となくボロボロにされて取りかえられたため落ち着く暇などないのであろうが、そんな物は気にするだけ無駄だろう。

 

 多分、このドアの寿命ももはやそう長くないし。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

「えぇ、会長」

 

 だって、今一緒にいるのは会長だし。

 

「呼ばれて飛び出てズバズバズバズバーン!! 楯無お姉さんです!」

「ハザードレベルの高い人はお断りですんで」

 

 会長とは、今後についてちょっと話しを聞いて欲しいといわれて付き合い、その結論として一夏のところへ来ることになったのだが、扉を開けるなりいきなりアレなことを口走ってさっそく一夏に締め出されている。

 うん、正しい反応だ。どこのIS学園に、大剣人みたいなことを口走る女生徒を平然と招き入れられるやつがいるだろう。そんなのは多分俺と簪くらいなものだ。

 

「開かぬなら 切り裂き壊せ ホトトギス」

「うわあああああっ!?」

 

 かくしてごく一般的な反応をした一夏の部屋のドアは、無残にも蛇腹剣<ラスティー・ネイル>によって真っ二つにされたあげく、情け容赦なく足蹴にされてしまったのだとさ。

 時々ほんとヒドイなこの人。

 

「ダメじゃない一夏くん、おねーさんは逃げられると追いかけたくなっちゃうタイプなんだから」

「……ソウデスネ」

「元気出せ、一夏」

 

 既に絶好調……のように見えて、これから一夏に話すことの内容が大分アレだから無理矢理テンションを上げているだろう会長は、「騎士の庭園」と書かれた扇子を見せながら一夏の部屋へと入っていく。

 随分らしいというか、いっそ常にないほどの大胆な行動ではあるが、それだけ会長も追い詰められているのだろう。今回の、この一件に関しては。

 

 

 一夏が淹れた茶を飲み、サイレント・ゼフィルスの操縦者に襲撃された件に触れながらもどこかそわそわとタイミングを見計らっていた会長であったが、しばらくしてようやく決心したらしい。

 頭を下げ、両手を合わせて打ち鳴らし。

 

「えっと、その……妹をお願いします!!」

「……は?」

 

 色々説明の順序を省き、一夏を混乱させていた。

 

 

◇◆◇

 

 

「……会長には妹がいてな。そのことについて、の話だ」

「妹……なるほど。でもお願いとかまだよくわからないんで、説明してくださいよ」

「え、あ……そ、そうよね。ごめんごめん、ちょっと焦っちゃって」

 

 あははは、と乾いた笑いでごまかす会長などというレアな光景、早々見られるものではないのだが、突然話を振られた一夏も……そしてついでにこんな話を持ってきた会長の付き添いをしている俺自身も、実はそれを堪能していられる余裕があんまりなかったりする。

 

 

 そこから会長が語った説明と頼み事は、さほど難しいことではない。日本の代表候補生にして専用機持ちである簪であるが、その専用機は開発元が白式と同じ倉持技研であるために完成していないという事実。そんな簪の専用機開発を手伝って、昨日のキャノンボール・ファスト襲撃を受けて、急遽開催が決定された専用機持ちタッグトーナメントに一緒に参加してほしいことなどなど。

 

 そろそろ会長が簪のことを放っておけなくなるだろうことは予想が付いていたし、ついさっき呼び出されたのもこのことについての話だったから、俺はこの件について既に知らされている。

 敢えて語ることが残っているとするならば、なぜその話が一夏に行き、俺がこうしてこの場に立ち会っているか、くらいだろう。

 

 

 実のところ、簪とタッグを組んで欲しいという話は、最初は俺が頼まれたのだったりする。

 ただ、とある理由から俺はそれを断り、代わりに一夏を推薦したのだ。

 

 

◇◆◇

 

 

「それじゃあ……どうしても簪ちゃんとタッグを組んでくれないのね?」

「どうしても、ってわけじゃありませんよ。でも、最初は一夏に頼みたいです」

「そんな、バカな……! こんなに私と真宏くんで意識の差があるとは思わなかったわ……っ! これじゃ、私……IS学園を守りたくなくなっちゃうわよ……」

「黙れミストリアス・レイディの操縦者」

 

 

◇◆◇

 

 

 このやり取りはごく一部を切り出したダイジェストに過ぎないが、実際に会長がこんなことを口走ったのは本当だから困る。

 

 それはそれとして俺がこうなることを望んだ理由は、簪を取り巻く状況を何とかしたいと考えたからだ。

 

 まず第一に、未完成の専用機を開発中という簪の立場。

 倉持技研が開発のためのキャパシティを白式に全振りした現状、簪が自力で打鉄弐式の完成を目指すこと自体は、何ら問題が無い。姉である会長にはある程度完成に近い状態だったとはいえ、そこから虚さんたちにも手伝って貰いつつ専用機を自主開発したという実績もあるのだから、途中からISの開発を代表候補生に任せることも、苦肉の策ではあるがありえる話。

 しかし、昨今の世界情勢がそう言っていられなくした。

 

 なにせ今のIS学園にはただでさえ一夏と俺というイレギュラーが紛れ込んでいる上、それを受けて各国の専用機持ちが大挙して押し寄せるという状況になっている。それだけならまだしも、イベントを行う度に必ずと言っていいほど事件が起きており、しかも最近では世界中でISを強奪して回っているファントム・タスクまで狙いを定めてきた。

 

 そんな状況下で、未完成のISなど放置しておいたらどうなるか。

 ファントム・タスクにいいカモと思われ、あっさりと奪取されかねないという危惧は、IS学園上層部のみならず各国で急速に高まっている。敵は戦力としてISを運用しているのだから、対抗するためにはこちらもISを使う以外に方法はなく、そうなれば最も適した対策は「各専用機持ちに自衛させること」。

 IS学園においてそういった方針が決定されるのは当然のことであり、そのため簪のISを完成させることが急務となった。

 

 そしてここから先は俺と会長の意見なのだが、簪にはそれだけでなく、仲間も必要だと思う。

 

 もちろん俺は簪の仲間のつもりだし、会長だっていざとなれば簪の力になろうとするだろう。

 だが、それだけでは足りない。仲間は多いに越したことがないし、それになにより簪には俺以外の友人も作って欲しいというのが、俺と会長の共通見解だ。

 

 そこでなぜ一夏が選ばれたのかというと、こう言ってはなんだが消去法だ。

 

 まず俺と会長は除外。

 俺は既に簪の友達だから今さらコンビを組んでも状況は変わらないし、会長はここにきてヘタレて、嫌われそうだから絶対に無理だとぬかしやがった。

 

 ならば他の一年生専用機持ちの女子達はどうかと考えるが、これも厳しい。

 まず箒は簪のようなタイプと初対面でまともにコミュニケーションを取れるか疑問だし、ラウラは軍隊式のスパルタ特訓を課しそうな気がするし、鈴の場合だと簪のネガティブさにキレそうだ。

 セシリアとシャルロットあたりならなんとかなるかもしれないが、だからこそこの二人には、相性のいい鈴とラウラを任せなければならない。

 

 ……そもそも、このうちの誰かと簪が組んだ場合必然的に他の誰かが一夏と組むことになり、そうなればタッグマッチより前に血の雨が降りそうだ。

 だからといって俺が一夏と組んでそれを防ごうとした場合、今度は学園内を密かに流通している薄い本が厚くなる。……時々新刊が出ているのを見つけては絶望しながら焚書しているのだから、これ以上燃料を与えるようなことは勘弁して欲しい。

 

 というような話が会長から提案され、俺の意見も取り入れて、ついさっきまで話し合われていた。

 

 

 しかし、タッグトーナメントが開催されることすら初耳な一夏には、さすがにいきなりすぎる話で、迷っているようだった。

 そんな様子を見て会長も気がとがめたのだろうか。この話を持ってきたとき以上に緊張した面持ちで、代案を出した。

 

「でも、無理はしなくていいからね? いざとなったら、私が簪ちゃんと……!」

「いや会長はダメでしょ。だからそうなったときは俺が……」

「いえいえ、私が」

「そこはやっぱり俺が」

 

 

「……わかりました、じゃあやっぱり俺が!」

 

 

「「どうぞどうぞ」」

 

 

 ……などというやり取りがあったから、代案というより単にいつものノリで一夏を弄りたかっただけなのかもしれないが、ばっちり加担した俺のいえたことじゃない……かな?

 

「絶対このネタだとは思ったけど、真宏まで……っ! まぁいいや、……それじゃあ、なるべく自然に接触します」

「うん、お願いね。無理はしなくていいから。……あ、あと真宏くんも手伝ってくれるわ」

「真宏が?」

「一応、俺は簪と友達でな。渡りをつけるくらいならできるだろう」

「……そうか、わかった」

 

 真面目なんだか一部始終コントだったのかよくわからないが、なんにせよ一夏は会長の頼みを受けてくれた。

 自分の不甲斐なさが招いた事態だと考えている会長はそこはかとなくしおれ気味であるが、一夏の返事に少しだけ元気を取り戻したらしい。

 一夏の方は俺と簪が友達と聞いて少しだけ疑問を感じたようだが、理由はわからないなりに、だからこそ一夏に頼んだということは察してくれたらしい。本当に、色恋沙汰以外ではよく気の付く友人だよ。

 

「それじゃあ一夏くん、お願いね。……真宏くんも、よろしく」

「了解です」

「わかりました。……でも楯無さん、大丈夫ですか? 随分疲れてるみたいですけど、肩でも揉みましょうか」

 

 とかなんとか言ってるうちに、一夏は会長の元気がないことに気が付いた。

 さすがは主夫にしてマッサージ師にして天然ジゴロ。話の流れが自然すぎて会長あっという間に身をゆだねちゃいましたよ、えぇ。こんなことを自然とできるから、ヒロイン達にああもフラグが立つのだろうなあなど考えつつ、俺はぼーっと眺めておいた。

 

 こうして一夏に簪のことを頼んだからといって、俺が簪に協力しないというわけではない。これまでとなんら変わることはないんだから大丈夫だろうと必死に言い聞かせながら、明日からのことへと思いを馳せる。

 簪の専用機が完成し、一夏を通して箒達他の専用機持ちの友達が増えていくだろうから、良いことづくめだ。

 良いことづくめ……なのだが。

 

 うーん、もやもやするな。

 

 慣れた手つきで会長の肩を揉んでいる一夏のイケメンフェイスを見ていると、なんだか得体の知れない不満感が湧きあがってくるのであった。

 

 

◇◆◇

 

 

「織斑くーん、篠ノ之さーん」

「あれ、黛先輩」

 

 明けて翌日。

 一時間目の授業を終え、次なる千冬さんの授業を前にしたクラスが戦々恐々と予習復習にいそしむ空気をぶち壊し、新聞部の黛先輩がやってきた。

 

 わりかしマイペースなこの先輩がすいすい机の間をすり抜けて一夏と箒を捕まえ、雑誌編集者のお姉さんからインタビューの依頼が来ていることを伝える様子を眺めながら、俺はそういやそんな話もあったなぁと思いだす。

 

 一夏と箒は専用機持ちでありながら代表候補生ではないので今までこういう話が来ることはなかったが、本来ならばこうしてアイドル一歩手前な扱いを受けることも多々あるらしい。事実、IS関係の雑誌を見ていると女優か何かのように専用機持ちや代表候補生のインタビューとグラビアが載っているのは、よく見るし。

 

「せ、専用機持ちにはそんな仕事が……」

「あれ、それじゃあ真宏もこういう仕事ってしたことあるのか? そう言えば文化祭のときは、CM見せてくれたけど」

「ん、まあなくもないな。俺の場合は生身で写真を撮ったことはないが」

 

 そしてそれは、ある意味で俺にも当てはまる。

 

 専用機持ちとしてこれまでに写真を撮られたこともあるが、強羅を着ていない状態で撮影されたことは一度もないからねえ。明らかに扱いの方向性が違う気がする。

 特に撮られた写真が掲載されるのが学年誌の場合など、毎週日曜朝の特撮ヒーロー達の次のページにほぼ同じフォントの字体で説明が書かれていたりするから、一瞬強羅を主人公にした新しい特撮番組でも始まるのではないかと錯覚してしまったほどだ。

 ワカちゃんに連絡を取ろうとすると、時々出版社やら映画会社やらに足を運んでいると言われることもあるから、あながち間違いでもなさそうなところが怖い。

 

「それじゃあ、考えておいてくれるかな。今日の放課後、織斑くんが剣道部に貸し出しされてるときに返事を聞きにいくから」

「あ、はい」

 

 ともあれ、一夏と箒がこれを受けるかどうかは本人達次第。二人は特にスポンサーが付いているわけでもないのだから、そのあたり自由だし。

 

「ほら一夏、あたしの写真見なさいよ。これもれっきとした代表候補生の仕事なんだから!」

 

 でもとりあえず、このインタビューと写真撮影がどういう仕事か自分の例で教えてる鈴はそろそろ教室戻った方がいいぞ。後ろで千冬さんが鬼のよーな形相で拳固めてるから。

 

 

「また貴様の仕業か、織斑」

「ちょっ、今回は俺関係ない……ですよ、多分!」

 

 そんなイベントも強制終了させる千冬さんの鉄拳が鈴のつむじに振り落とされ、身長縮んだんじゃないかと思うほどの音を響かせた後、授業が始まった。

 クラスメイト達は予習復習が間に合ったのかどうか、いずれにせよピシリと緊張感のある態度でいるあたり、さすがは千冬さんの授業といえる。

 

「それでは、今日は近接格闘戦における効果的な回避方法と距離の取り方についての理論講習を行う。……神上、効果的な回避方法を言ってみろ」

「はい! 強羅の戦い方は、避けるとかはやらない!!」

「……ならば自分でそれを実践してみせろ。ワカと同じように……ッ!」

 

 だから多分、開幕いきなりでネタに走れるのは俺くらいのものだろうと思いながら、さっき鈴にかました時以上の威力を誇りそうな拳骨を脳天に受けるのでありましたとさ。

 

 ……ってーか、まさかワカちゃん千冬さんを相手に実践したのか?

 

 

◇◆◇

 

 

「さて、それじゃあ行くか、真宏」

「おうわかった。パンは用意してあるな?」

「もちろん」

 

 そんなこんなで、昼休み。

 今日は一夏が放課後部活貸し出しされるため、簪とのファーストコンタクトは昼休みのときに済ませておこうということになり、簪に合わせて昼食用のパンを二人揃って携えている。

 IS学園の購買は品ぞろえも豊富であり、パン類だけ見てもヒトデパンやら煎餅パンなどの個性的な商品も含めて色々並んでいたりする。……誰が喜ぶんだ、コレ?

 ともあれ俺と一夏は妥当なパンを選び、準備は万端となればあとは行くだけ。というかむしろ、急がなければ面倒なことになる。

 

 キャノンボール・ファストの襲撃を受けて開催が決まった専用機持ちタッグマッチの件は、ついさっき4限目の授業の終わりごろに正式に発表された。となれば一夏と組もうと考えるヒロインズが押し掛けてくることは間違いなく、そうなるまえに簪の元へと辿り着かなければならない。

 

「ってことで、急ぐぞ一夏!」

「どういうことだかはさっぱり分からないけど、まぁわかった!」

 

「え、あれ、一夏に真宏!?」

 

 だから、食事に誘おうと考えていてくれたであろうシャルロットには内心で謝りつつ、俺と一夏は千冬さんが注意しに飛んでこない程度の速足で廊下の人ごみをすり抜けていくのであった。

 

 

 そして、辿り着いた一年四組。簪に会うために何度か訪れたことがあるが、専用機持ちが6人も在籍し、魔窟の様相を呈し始めている一組と違いいたって平和なクラスだ。

 

「ちーっす」

「あ、神上くんだ」

「久しぶりー。キャノンボール・ファストは強羅ですごい頑張ってたよね……って、隣にいるのは織斑くん!?」

「まさかのツーショット!? ……こちら四組、私達の望んだ光景が今ここに!」

「ハイそこ、不穏な通信しないよー。あと俺は普段から一夏とつるんでるから珍しくないよー」

「ああっ、返してー! ……でもいいこと聞いたわ!」

 

 ……平和なクラスだと思うよ、俺と一夏以外にとっては。

 ともあれ今は簪が先だ。ひょいと奪い取った携帯電話を適当に放って、一夏ともども簪の席へと向かう。

 

 

 簪の席は、教室一番後ろの窓側。

 昼休みの喧騒も知らぬげに、一人淡々と投影ディスプレイに視線を走らせキーボードを叩いている、会長によく似た青い髪とメガネの少女。

 机の隅には、袋も開いていないパンが二つほど。いつもの簪の昼だ。

 

「よっ、簪」

「ん。……?」

「えーと、どうも。椅子借りていいかな?」

「……………………」

 

 一夏と二人で連れだって簪の前に立つと、普段通り短く応えた後に少しだけ顔を上げ、一夏が一緒にいることに少しだけ驚いたような顔をした。

 無口なのはいつもの通りだが、一夏に対して何故こいつがいるのだろうとでも言いたげな目を向けている。

 簪はそのあとちらりと俺を見て、宙を見て、しかし何も言わず再びディスプレイへと目を戻して、作業を再開した。

 

 簪の机の前に椅子を持ってきて座る俺と一夏は、顔を見合わせる。

 一夏は簪の行動の意味がわからずにこっちを見るのだが、俺はもはや軽く諦めが入っている。

 

 ほんの一瞬、よーく見なければわからないほど小さく寄せられた眉根。悲しげというか悔しげというか、なんとも説明し難い複雑な感情の片鱗が垣間見えた。

 ……多分だけど、簪は今回の一件を裏で糸引いてる会長の存在に気付いたな、こりゃ。そもそも一夏が急に簪と接触しようということ自体怪しすぎるし、しかもそこに俺まで随伴となれば、いつぞや会長が大火傷やらかしたお茶会の記憶もよぎるかもしれない。

 そうなるだろうと思ってはいたし、わざわざ経緯を説明するまでもなく色々察してくれるだろうから問題ないと思っていたのだが、まさかこうまで早くにバレるとは。

 だが、それでもキーボードを打つ速度に変化はない。ということは、機嫌までは悪くなっていないということ。これなら話くらいは聞いてくれるだろう。

 

「ほら、一夏」

「あー、うん。とりあえず初めまして、織斑一夏です」

「……知ってる。私は、更識簪」

 

 一瞬だけキーボードを打つ手を止め、しかし一夏の方に目は向けずに名乗り返す簪。やはり、自分の専用機開発が滞る直接の原因となった一夏には思うところがあるのだろう。

 どこかぎこちない態度は、簪が表面上とっつき辛い性格であることを差し引いても、硬い。

 

 早くも会長提案俺フォローによるこの作戦の雲行きが怪しくなってきたように感じつつ、俺は簪の机に乗っていたパンの包みを勝手にびりりと開く。

 今日の簪の昼食は、カリカリもふもふのメロンパンと、砂糖たっぷりの揚げパン。そういえば最近、打鉄弐式に装備されている長刀ではなく打鉄用の長刀を振るっているのを見かけたし、図書館でやたら分厚い装丁の本をぱらりぱらりとめくっていたのも目撃した。

 大方見たばかりのアニメにでも影響されたのだろうが、まぁ俺達のような人種ならよくあることだ。気にせず袋から出した揚げパンを、簪の口元へと持って行く。

 

「はむっ」

「揚げパンはそのままだと食べ辛いだろ。えーと、飲み物はどこだ?」

「ん……」

「机の中か。……ほれ、ペットボトルのふた開けてここ置いておくからな」

 

 ディスプレイに目を向けたまま簪はぱくりとパンをくわえ、少しだけ机を揺らしてその中に飲み物が入っていると知らせてくれる。本当にこの子は、どうして集中するとこうまでものぐさになるのだろうか。

 

「へえ……仲、いいんだな」

「仲がいいというか、餌付けみたいなもんだ。こういうときの簪は放っておくと食事もしないからな」

 

 一夏は感心したような表情で言っているが、こういうことをしてやるのは初めてというわけではない。

 簪は自分の専用機がいまだ完成していないことによる焦りを感じてはいるが、それとは全く別の次元で、集中すると自分のことをおろそかにする性質らしい。だから昼休みはたまにちゃんと食事をしているか様子を見に来て、今日のようになっていたらこうして放っておかれたパンを食べさせてやったりしなければ、腹をすかせてしまうのだ。

 ……そうやってると、時々どこからともなくパチリパチリと妬ましさが滲む感じに扇子を開いて閉じる音がするのは、多分幻聴だよね!

 

 だけど、今はそんなことはどうだっていい。

 一夏、早くあのことを言え。

 目線で催促してやると、一夏は覚悟を決めたのかキッと簪の目を見据える。当の簪自身はそれにも構わず、くわえた揚げパンをもぐもぐしながらディスプレイを見続けているのでどうにもしまらないのだが、一夏は気にせず、言った。

 

「今度のタッグマッチなんだけど、……俺と組んでくれないか?」

「むぐむぐ……ごくっ。やっぱり、その話」

 

 一応は古くから続く家の子としてのしつけのたまものか、口の中に入っていたものは全て呑み込んでから返事をする簪。キーボードを打つ手も止まっているが、しかしその視線は一夏ではなく俺に向いている。それはつまり「やっぱりそういうことなのか」と問うているに等しく、嫌な汗が背中を流れていく。

 もしこれで簪の機嫌が悪くなったりしたら、多分会長がまた面倒くさい拗ね方するんだろーなー。そういうときって、虚さんも引き取り拒否するからすごく大変なのだが。

 

「……私が、あなたとタッグになればいいの?」

「お、おう。そうなんだ、頼む、俺と組んでくれ!」

 

 しかし一夏への返答の内容は意外にも、好意的と言っていいものだった。てっきり人見知りとかして即座に断ると思っていたのだが、ひょっとしてこれは……!?

 

 

「だが断る」

 

 

 ……などという俺と一夏の予想を、あっさり覆しやがったよこの子。

 しかもちょっと顔を傾けつつ見上げるようにして、どこぞのマンガ家のような表情で。その顔は、女の子がしてもいい顔じゃなかろうに。

 

「え、えぇ~~?」

「あなたと組むのは……イヤ」

 

 そう言うなり、再びディスプレイに向き直ってキーボードを打ち始める。今度こそ鉄壁の拒絶の構えだ。……あー、やっぱりこれは大変そうだな。

 

 とはいえ一夏もこの程度で諦めるような奴ではない。机に手をついて頭を下げ、説得とも言えない頼みこみを開始する。

 

「俺とタッグになって欲しい、頼む!」

「ノゥ」

「そこを何とか、イエスと言ってくれ!」

「……絶対にノゥ」

 

 ……簪、だんだん楽しくなってきてないだろうか。

 一夏とタッグを組むこと自体はかたくなに拒否して、もはや返事すら億劫になったか小さく口を開いたのでまた揚げパンを差し出すと食べ始めたが、それでも機嫌までは悪くなっていないらしい。

 

 ぬぅ。ウザがられても嫌われはしないこの無駄な人徳、さすがは一夏というところなのだろうか。

 

 と、のんきに思っていられたのはその時までのこと。

 

 

「見ぃつけたァ!」

「げぇっ、鈴!?」

 

 おそらく一夏とタッグを組むためだろう、学園中をかけずり回って一夏を探していたらしき息の切れ方をした鈴が、四組に現れたのだからして。疲労と息切れが原因だろうが、血走った目をしている今の鈴の顔は、失礼ながらかなり怖い。

 

「大は小を兼ねるのか貧乳は巨乳に勝てないのかいやいやそんなことはない速さを一点に集中させて突破すれば一夏とのタッグ結成権だって勝ち取れるぅぅぅぅっ!!!」

「何言ってるんだ鈴――――――――――っ!?」

 

 鈴は教室に入るなり一目散に一夏の元へと駆け寄り、首根っこを掴んで反転。

 そしてそのまま、誰かが何かを言うよりも先に一夏を連れ去っていった。

 

 すげーな、アレ。俺にすらツッコミのヒマを与えないとは。

 ただ残念ながら、一夏とタッグを組むためには情熱思想頭脳理念気品優雅さ勤勉さ、そして何よりも早さが足りなかったようだ。運営側に片足突っ込んでるから、タッグトーナメントの開催を昨日の内に知っていた会長に先んじろというのも、無理な話ではあるのだが。

 

 そうそう、これはこの話と全く関係ないのだが、強羅の前身となる蔵王重工の装備テスト用ISを作る際、ワカちゃんは仕様会議の場で「速さがいらない!」と叫んで、今に続く蔵王重工式のISスタイルを決定したらしい。会議の席にてその言葉を聞いた重役や開発者たちは、感動のあまり滂沱の涙を流しながら歓声をもって迎えたというのだから、さすがは蔵王重工である。

 ……本当にすごくどうでもいい話だな、我ながら。

 

 ともあれ、こうして今回の話の主役たる一夏がいなくなってしまったのでは仕方がない。俺もここで昼食を食べていくとしよう。

 

 今日の俺のメニューは、カツサンド。

 IS学園の購買特製のこの一品、ぶ厚いカツにはソースとマスタードがしみこみ、パンは薄めでしっとりとしていて、とてもおいしい。

 うん、シンプルでいいよねこういうの。

 ソースの味って男の子だよな。

 

「……簪って、肉は嫌いじゃなかったか?」

「嫌い。……でも、このカツサンドは食べたい」

「ああそうかい」

 

 なのに意外と女の子にも人気らしく、売れ筋メニューという話だったし、簪にも一つ食べられてしまった。そういえば、IS学園にこんなにもがっつりしたメニューがあるのは一部の猛者が愛好しているからだと購買のおばちゃんが言ってたな。確か千冬さんも結構好きだとかなんとか。

 ……簪が敢えてこれを食べたいと言ったのは、別の理由な気もするけど。簪は普段から自由でなんというか救われてる食事をしてるからじゃなかろうか。一人で静かで豊かで……って、そんな感じ。

 

 

「……一つ、聞いていい?」

「……大体予想はつくけど、なんだ」

 

 食事がひと段落し、カツサンドを食べ終えてメロンパンも食べさせ終えたところで、今度は簪からの質問が待っていた。既に空中投影ディスプレイも消しているあたりからするに割と真剣な質問だということは間違いなく、俺も心しておかねばなるまいて。

 

「……ん、と」

「ああ」

 

 言葉を選ぶように、視線をさまよわせる簪。

 簪が無口がちなのはよく言葉を選ぶ性格だからではないかと、俺は思っている。だから俺は言いたいことをまとめるまでゆっくりと待つ。

 

 ぬるくなった缶コーヒーの残りを飲み干して、再び顔を下ろしたときが、ちょうど簪が口を開くときだった。

 

「今回のことは……やっぱり?」

「……約束があるんで、ノーコメントとだけ」

「……そう」

 

 主語のない問いではあったが、簪が聞きたかったことは「これが会長の差し金か」ということ。そして俺の返答は肯定を示す沈黙と何ら変わりがない。

 そのことを知った簪は、上目遣いにこちらを見ていた顔を俯ける。前髪がさらりとこぼれて目元を隠し、表情を窺うことはできなくなった。

 

 簪の心中に渦巻く姉への想いは、俺などでは察することもできない。だから俺にできることは、せめて更識姉妹のどちらも泣かずに済む結末を祈ることだけである。……いやはや、やはり俺などまだまだ無力なものなのだと、こういうことがある度に実感するよ、チクショウ。

 

「ところで、簪としてはどうなんだ、今度のタッグマッチ」

 

 しかしできることが無さそうだからといって何もせずにはいられないわけで。もし一夏がタッグパートナーとして拒絶されたとしても、タッグマッチに出る気さえあれば、俺なり他の専用機持ちの皆に頼むなりして、なんとかなるかもしれない。

 

「……出る気は、ある。今度こそ……打鉄弐式を、完成させたいから」

「おっ、そうだったのか」

 

 そう思っての質問だったのだが、思いのほか前向きな意見が出てきた。

 簪はその言葉が真実であるということを示すかのように、また空中投影ディスプレイを立ち上げ、作業を再開する。ディスプレイに表示されるデータは高速でスクロールしていく上に専門的すぎて俺にはイマイチ理解できないが、確かにこれは打鉄弐式のシステムの一部……だと思う、多分。

 

 それにしても、少し意外だ。確かに簪は打鉄弐式の開発に取り掛かってそれなりの期間が過ぎているわけだから完成させたいという思いも強いだろうが、まさか今日になって言われたタッグマッチにこれほどの意欲を寄せるというのは、さすがに予想していなかった。

 

「……無力は」

「ん?」

「無力は、イヤだって……思ったから」

 

 簪の声は元々小さいが、その声はよりいっそうかすかであった。

 しかしキーボードの上を舞う指に込められた力は強く、眼差しに宿る意志は固い。

 

 だがその前に一瞬だけ見せた怯えにも似たあの表情。……つい昨日、アリーナで見たような気がする。

 

「あの時……サイレント・ゼフィルスに狙われた時、……私は、怖くて動けなかった」

「……そうだな」

 

 そう、サイレント・ゼフィルスの砲口が簪と、偶然居合わせた少年に向けられたあの時の、恐怖に震えた表情だ。

 

 ISとは、地上最強の兵器。その目の前に立ち、武器を向けられれば体が竦んで動けなくなることなど当たり前で、なんら恥じることはない。簪もそう思って、自分を納得させることができたはずだ。

 

 あの時見た、少年の勇気が無かったならば。

 

「力があればって、思ったわけじゃない。……でも」

「でも?」

 

 あの場で簪と共にいた少年とて、立ち向かって行けたわけではない。力はなく、守ることはおそらくできなかったであろうと、簪もきっとわかっているはずだ。

 

 そう。守れなくても、決して敵わないとわかっていても恐怖に負けずに踏み出した、あの一歩の尊さも。

 

「弱いままでは、いたくない……っ」

「――あぁ、俺もそうだ」

 

 簪は、奮い立っている。

 姉に追いつくためにと始めた専用機開発に、さらなる理由が加わった。

 会長とのこととは関係のない、簪自身の想い。悔しく感じたことを糧に、強い自分になりたいという願い。今の簪は、その思いに突き動かされているのだ。

 

「だから……、手伝って、くれる?」

「もちろん、喜んで。……ようやく、頼ってくれたな」

「う……ん」

 

 しかし簪は簪で、大人しく照れ屋なところは変わらない。

 簪が頼ってくれたことに感じる喜びをかみしめている俺とは目を合わせづらくなったか、またうつむいてしまう。その間もディスプレイを見ずにキーボードを叩き続けているあたりはさすがだが、これ本当に正しく記述できてるのか?

 

 まぁいいや。なんにせよ、今の簪ならきっと色々困難があったとしてもそれを乗り越えていけるだろうし、俺にも他の誰かにも、協力させてくれるだろう。

 ならば怖いものなどなにもない。さくっと打鉄弐式を完成させて、今度のタッグマッチに挑もうじゃないか。

 

 

「おっと、そろそろ昼休みも終わるか。それじゃ簪、またな。……もしよかったら、一夏とのタッグの件も考えておいてやってくれ」

「……わかった。もし、織斑くんと組んだら……友達も、増えそうだし」

「……ホントに色々見抜かれてるな」

 

 どうやら、簪に俺や会長の浅知恵は通じなかったようで、本格的にほとんどのことを察してくれているようだった。会長も普段はしっかりしてるんだが、ことが妹のこととなるとどうしても焦って抜けたところが目立つんだよね、ホント。

 

 例えば、今とか。ちらりと四組の扉に目を向けると、扉の向こう側にちらちらと、簪によく似た色の青い髪が見える。

 あんたそんなんでよく対暗部用暗部の家の当主が務まるなと思うんだが、まぁ妹に関わることならしょうがないか。

 

 そう思いながら苦笑を浮かべたのは、簪とほとんど同時だった。

 

「それじゃ、もう行くわ」

「うん……また」

 

 相変わらずディスプレイに目を向けたままだが、それでも簪はひらひらと手を振ってくれた。

 今回の一件、簪とタッグを組むのに最適なのが俺でないというのは残念でしょうがないが、それでも簪が笑顔で居てくれて、未来に可能性があるのならばそれで十分。そう、思うことにしようじゃないか。

 

 

「真宏が、タッグを組もうって誘ってくれたら……迷わず受けたのに」

 

 

 残念ながら、昼休みが終わろうとする人混みの中に紛れつつあった俺にはその時簪が何かを言っていたことにも気付けず、後に教えてもらって初めて知ったということを、ここに記しておこう。

 ……少し無茶をしてでも、簪を引っ張っていくくらいの方が良かったんじゃないかなーと、あとで思ったりなんかしてないよ!?


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。