IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第26話「超変身」

 専用機持ちタッグトーナメント襲撃事件。

 

 後にこう評されるこの事件は、複数の無人機が同時多発的にトーナメントに参加するほとんどのタッグを襲撃したことに大きな特徴があり、事実このとき一夏・簪タッグ以外のタッグ達もまた、常ならぬ激闘の渦中にいた。

 

 その全てを語るには足りないが、それでも彼女達の足跡を、ここに記そう。

 

 

◇◆◇

 

 

「ホォーミングッ! レェーザァーーーーッ!!」

 

 全方位を壁に囲まれた狭いピットの中に、セシリアの声と、何故か指先に接続されたBTビットからのレーザーが迸る。

 閉所というブルー・ティアーズの特性には適さない空間だが、フレキシブルを体得したセシリアにとっては攻撃面における不利にならない。蜘蛛の糸でも吐いたかのように撃ちだされたレーザーはすぐ、自在に収束拡散を繰り返しながら眼前の無人機のシールドユニットを掻い潜って本体を狙うことが可能となっている。

 

――!

「な、なんて気味の悪い動きですの!?」

 

 しかし、それは全身の各関節に「稼働域の限界」という概念を持たない無人機ならではの常識を外れた動きによって回避されてしまう。

 肘が、膝がありえない方向へと曲がり、背筋は折れたのではないかと思うほどに反りかえってブリッジ回避。さらにそのまま両足の間から頭を出して後ろに転がっていく。さしものBTレーザーもその動きには追従できず、結果としてそこには無傷の敵機のみが残ることとなった。

 

「ちぃっ、鬱陶しい! ……あとセシリア、『アヌビスゥッ!』って叫んでいい?」

「今はそんな場合ではありませんわよ!? それと、わたくしのレーザーの軌道はむしろジェフティですわ!」

 

 先ほどから数度の攻撃をしかけている鈴とセシリアであったが、そのことごとくが防がれてしまっている。鈴にとって因縁の相手とも言える漆黒の無人機は明らかに以前戦った時よりも強力な発展形となっており、あの頃より自身もISも成長した自覚のある二人をしてすら苦戦を強いられていた。

 

「このっ、機動力も防御力も火力もなんて、てんこ盛り過ぎるでしょ!」

「装甲と武装の過積載は強羅だけで十分ですわ!」

 

 今回のタッグトーナメントにひと際気合を入れていた鈴は、刀剣というよりむしろ槍と表現した方が適切なほどにほっそりとした刀刃仕様の双天牙月を振るう。

 その姿はまるで宇宙の騎士のようで、セシリアは鈴の記憶が無くならないか物凄い不安になったというが、特にそういった症状は発現していないので心配はいらない。

 

――!!

「たりゃあああああああっ!」

「くっ……! フレキシブルを覚えて以来、こんなに当たらない相手は初めてですわ!」

 

 戦闘は苛烈にして熾烈。それぞれのISが繰り出す一撃一撃が大気を震わせ、ピットの壁にひびを走らせ、床に落ちたコンクリートの破片は浮きたち煙る。

 お互いのハイパーセンサーが捉える相手の姿はそれでもなおくっきりと浮かび上がり、全感覚と全能力を費やしたその戦闘は、見る者がいないことを惜しく思えるほどの次元へと昇華していく。

 

「鈴さん、私が時間を稼ぐ間に、チャージを!」

「わかったわ、……見せてやろうじゃない、あたしの新兵器!」

 

 そして、この種の高度な戦闘は瞬時の判断が勝敗を分ける。

 鈴との共闘において後衛に徹していたセシリアがそのとき、射撃に使っていたBTビットを左手に装着して短距離レーザーによるドリルを形成し、ゴーレムⅢへと突撃。慣れないながらも破滅的な威力を秘めた左のレーザードリルで相手を牽制し、鈴が両肩の衝撃砲に常ならぬエネルギーを溜め始めるための時間を稼ぐ。

 

「くっ、こ……の! レーザードリルは斬り結べないのが欠点ですわ!!」

 

 慌てる言葉とは裏腹に、セシリアの攻撃は攻撃一辺倒。引く手も見せずに突き出されるドリルは着実に相手へのプレッシャーを高め、あるいはこのまま押し切ることも可能かと思われた。

 それでも、焦ることを知らないゴーレムⅢを相手にしては流れというものを掴みづらく、右の刃が前振りなく翻ってセシリアの首を狙った。

 

「……あら、残念ですが時間切れですわ」

 

 が、それを紙一重でセシリアは回避した。

 いやむしろ、ちょうどそのタイミングがセシリアの退く瞬間と一致していたと評したほうが適切だろう。

 

 事実として、セシリアの向こう側の床に両足を下ろしていた鈴が、肩の衝撃砲に限界までエネルギーを溜めこんでいたのだから。

 

 

 明らかに身の危険に直結するその攻撃、無人機とて見過ごすわけにはいかない。これまでセシリアと斬り結ぶ中でもエネルギーを充填していた左腕の熱線砲の砲口を鈴に向け、こちらも真正面から撃ちあう覚悟を決める。

 

「さあ、食らいなさい。……これが! あたしの!!」

――!

 

 球状のアンロックユニットが半分に割れて上側へスライドし、その内面を相手に向ける。断面にずらりと並ぶレンズは破壊力の証であり、放つのは必殺の一撃以外ではありえない。

 

 

「ボルテッカアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 甲龍とゴーレムⅢから同時に放たれた大規模エネルギー砲撃はちょうど二機の中間点で真正面からぶつかりあい、炸裂した衝撃波がピット全体を震撼させた。

 ついでに学園が侵入者監視用に用意しておいたマイクが鈴の叫び声によって2か所壊れたらしい。

 

 

◇◆◇

 

 

「おのれ無人機! お前はなんなんだ!!」

 

 他のピットの激闘もまた、激しさにおいては決して劣らぬものだった。

 

 もう一つのピットで、天井を突き破って突然現れた無人機は一瞬の停滞もなく真正面にいたラウラへと襲いかかり、巨大な左腕を広げて頭部を掴んで軽々と持ち上げ、相手の声にも耳を貸さずにいる。

 

 その一瞬の間にISを展開することができたのは、敵に襲撃されるという状況を最もリアルに想定していた軍人たるラウラならではのこと。お陰で不利な状況も文字通り首の皮一枚でつなげ、この無粋な漆黒のISに対する怒りの叫びを叩きつけた。

 

 かつてIS学園に現れたという無人機の話はラウラも知っている。正体不明ではあったが紛れもなく強力な機体であり、一夏、鈴、真宏の三人が撃破したのだということも。

 だが目の前の機体はその無人機ともまた違っているようだ。右手のブレードも全体のシルエットも、資料にあった物と比べれば紛れもなく洗練されたもの。人を害する意思を滲ませる、戦闘用の機械だ。

 

 ……そんな相手に、ラウラは負けるわけにはいかない。戦う為に生まれ、しかし戦うことだけがこの世のすべてではないと知ることができたラウラは、そう決意した。

 

「ラウラッ!」

「すまん、シャルロット!」

 

 そしてその決意を支えてくれる仲間もいるのだから、恐れることもありはしない。

 左腕のシールドに内蔵されたパイルバンカー<KIKU>を突き出し、ラウラを掴んでいたゴーレムⅢの左腕にゼロ距離から必殺の一撃を叩きこむ。

 

 瞬間、視界が横に流れる衝撃と共に拘束から外れ、敵の腕もろとも揺さぶられた脳を何とか落ち着ける。パイルバンカーの余波だけで意識を刈り取られそうになったのは秘密だ。

 だが油断はできない。これまでの戦闘だけでは敵の能力を計ることすらできておらず、それどころかまだ追撃が待っているのだから。

 

「熱線砲!?」

「ラウラ、僕の後ろに!!」

 

 ラウラを掴んでいた腕は、続いて距離を取った二人に向けられ、四つの砲口から破滅的な色をした灼熱の光をこぼし始める。ISのハイパーセンサーはけたたましく危険を訴えだし、それを見たシャルロットは迷わず前衛へと歩を進めた。

 彼女が魂と頼るとっつきを格納した左腕部シールドとともに、ラピッド・スイッチを利用した物理シールド三枚を高速展開。

 ズシリと腰を落としたのと同時、真正面から迫るその赤光を、逃げることなく受けとめた。

 

「くっ……、あぁぁっ!?」

 

 それでもなおゴーレムⅢの熱線砲は止めきれない。シールド全てを貫いた光軸が肩を焼き、シャルロットは苦悶の悲鳴を上げて射線上から逃れていく。

 

 だが身を張って稼いだ時間は、正しく仲間に引き継がれた。

 

「貴様……よくもシャルロットを!!」

 

 シャルロットの後ろには、ラウラがいる。

 自分を守るために危険な賭けに出た友の覚悟と勇気を無駄にしないため、眼帯を外して金の左目を晒したラウラが。

 

「くらえ!!」

 

 気合の叫びと共に放ったのは6本のワイヤーブレード。投射後の軌道変更も可能となるこの剣は、AICを使いこなすだけの集中力と、動体視力や解像度を含む総合的な視覚力を数倍に引き上げるヴォーダン・オージェを持つラウラに率いられてこそ、無敵の剣舞を降臨させる。

 

 爆発的な加速で宙を滑った剣は一本が防御ユニットに、もう一本が右腕のブレードに弾かれるも、残りの全てはそれぞれが完全に独立した軌道を描いてあらゆる防御を掻い潜り、その四肢の全てに絡みついて見せた。

 

「くっ……、さあ……これで動けまい!!」

 

 しかし、相手はIS。動きを抑えた程度では左腕の熱線砲を封じることはできず、そもそも強烈なパワーがワイヤー自体にギリギリと負荷をかけ、あるいは破断するのではという危機感すら抱かせるに十分な力であった。

 

「ふっ、この程度……! 片手で私ごと振り回した強羅とは比べ物にもならん!!」

 

 しかし、ラウラはPICを全力で制御してその場にとどまり続ける。

 リボルバーカノンすら稼働できないほどに全神経をその一事に奪われているこの状況で勝ちを拾うことは不可能に近いため、言葉は負け惜しみのようにも聞こえる。

 

 もっとも、あくまでラウラ一人であった場合の話だが。

 

「……とっつきの恨み!!」

 

 今は、頼れる仲間がいる。熱線がシールドを貫くとき、ついでに自慢のとっつきに傷を付けられ、復讐に燃えるシャルロットがその背を取っているのだから。

 

「身動きなど、させると思うか!」

「勝手に動く機体を狙うなら、ここだよね!!」

 

 シャルロットの手にはショットガン。そして、状況はお得意のゼロ距離射撃。ワイヤーに絡みつかれて身動きが取れない無人機は、ウィルスに汚染された機体というわけでもなかろうが、ISにとっても首の後ろは急所。そこに銃口をねじ込み、全弾余さず叩きこむ。

 

「このっ! このっ! このおおおおおおおっ!!!」

 

 珍しくポンプアクション式なショットガンを、一発撃つごとにリロード、射撃、リロードと繰り返して、最後の一発までも一切の無駄なく叩きこんだ。

 

 床に落ちた金色の薬莢が立てる澄んだ音と、その後ごろごろ同じく転がる先に使われた薬莢達に次々とぶつかる音が妙な静けさを強調する中、シャルロットとラウラは動かない。

 

 紛れもなく機体中枢に近い部分に多大なダメージを与えた。

 事実ゴーレムⅢはピクリとも動かず、シャルロットをその背に乗せたまま硬直している。

 

 

 しかし何故か不安は晴れず、固唾を飲んで警戒を続けるシャルロットとラウラ。

 

 

 ――あるいは、倒したか?

 

 口には出さず、思ってしまっただけでもフラグとなったのであろうか。

 

 

――ガアアアアアアアアアアアアアッ!!

「くっ、やはりまだ生きていたか!」

「うわあっ、なんでフェイスオープンするの!? どうして真っ赤なセンサーレンズがついてるの!? 怖いよ!!」

 

 突如再起動し、有人機では不可能な激しい暴れ方でシャルロットと体に巻きつくワイヤーを引きはがしたゴーレムⅢは、バイザーに隠れていた頭部をあらわにする。

 シャルロットの攻撃で頭部に受けたダメージによるものなのだろうが、跳ねあがった顔面装甲の中から現れたセンサーレンズは妙に大きく赤く輝き、漆黒のボディと相まって悪魔の一つ目と言われても全く違和感がない。

 

 そして、あからさまに制御の効いていないと思しきあの動き。

 

「……ひょっとして、暴走してる?」

「かも、しれん」

 

 たらりと額から汗を垂らすシャルロットはゴーレムⅢが無意味に暴れている様子を見ながらショットガンの弾装を交換し、ラウラは口の端を引き攣らせながら全てのワイヤーブレードを引き戻す。

 

 そして、それらの支度が終わると同時にゴーレムⅢはまた奇妙なほど唐突に動きを止め、首を気味悪く動かして二人を見据える。

 

 じっと見つめ合うのはほんの数秒。

 高まる緊張か、はたまたダメージを受けたゴーレムⅢの奇行に対するおぞましさが原因か。

 

 その対峙は長くは続かず、再び激戦の幕が切って落とされる。

 

――!!

「いつまでも好きにはさせんっ!!!」

「今度こそ、とっつきの仇をとるからね!!」

 

 荒れ狂う漆黒のバーサーカーと、迎え撃つ二人の戦巧者。際限のない暴力と、精緻を極める戦術と技のどちらが勝つかを知ることができるのは、今よりまだしばらくはあとのこととなるだろう。

 

 

◇◆◇

 

 

「秘剣……ツバメ返し!!」

 

 箒の二刀が、連撃となって翻る。

 振り下ろしと斬り上げを一瞬の遅滞もなくつなげたその斬撃は、いつか一夏がセシリアに対して使おうとしているのを見てから密かに訓練して身に付けた絶妙の軌道を描き、ゴーレムⅢの右腕ブレードを弾き上げた。

 

 タッグトーナメント出場のため楯無の師事を受けて訓練に励み、ISの調整も十分に行った今の箒が放つ斬撃は、重い。

 その全力はいかなゴーレムⅢといえども軽く抑えられるようなものではなく、PICの制動の甲斐もなく上半身をぐらりと崩し、その隙をついた楯無に踏み込まれることを許してしまう。

 

「この程度では沈まんか、クソ虫!」

「口が悪いわよ!? でもナイス箒ちゃん! 超忍法、水流破!!」

 

 放たれたのは楯無の超忍法……ではなく、螺旋の水流を従えるランス<蒼流旋>の一撃だ。貫通力を極限まで高めた上に楯無自身の技が加えられたその突きは、これまでどんな攻撃であろうとも弾いて見せたゴーレムⅢの装甲に、わずかだが突き刺さった。

 

 しかし、相手の装甲強度はそれでもなお貫通を許さず、機械らしい冷徹な判断が働いて動いた左腕が、ランスを掴んでそれ以上の侵攻を拒絶する。

 もとよりミステリアス・レイディは水を操ることによる汎用性と火力に重きを置いたISであり、機体自体のパワーはゴーレムⅢに敵わない。このままでは、容易く振り払われることになる。

 ならば。

 

「箒ちゃん、やって!」

「はい!!」

 

 仲間と力を合わせるだけだ。

 楯無は全力でランスを突き出したまま、その背後に回り込んだ箒が展開装甲の出力を上げ、全力で楯無を押す。スラスターからの噴射光が爆発的に広がり、さらにはミステリアス・レイディ自身の推進力も加えられたことで流石のゴーレムⅢも踏みとどまることができず宙に浮き、そのまま為す術なく背後に迫ったアリーナのシールドと激突する。

 

「くぅ……!」

「楯無さん、大丈夫ですか!?」

「と、当然っ! 迷わず突っ込んだのは正解よ」

 

 その衝撃を最も受けたのは、ランスを抱えていた楯無自身。

 全身に響いた激痛は顔を歪めてもなお耐えられる物ではなく、しかし気合と根性で完全に無視。さらには蒼流旋に内蔵された武装たる四連装ガトリングまで射撃を開始する。

 

 ゴーレムⅢの可変シールドユニットの内側、装甲に直接幾千もの鉛玉と水のドリルが叩きつけられ、さらに装甲を削っていく。

 

「箒ちゃん、出力アップ!」

「! ……わかりました!!」

 

 それでもまだ相手の付けいる隙があると判断した楯無の更なる要求に、彼女の身を案じた箒は一瞬言葉に詰まる。

 だが、それも本当にわずかの間のこと。ゴーレムⅢが強力な敵なのは間違いなく、どうしてかIS学園側からの連絡がなにもないことから考えて、以前の無人機と同じように学園のシステムは掌握され、援軍が望めない可能性は高い。

 つまり自分達だけでこの敵を倒すより他になく、楯無が最適と選んだこの方法に代わる案を箒は持っていない。故に、箒にできるのは楯無を信じて自らの全力を尽くすことだけだ。

 

「はあああああああああっ!!」

「お、おぉうっ! 箒ちゃん……え、遠慮ない出力ね?」

 

 水流から噴きこぼれる水しぶきと、ガトリングの弾丸が散らす火花と無数の薬莢。あらゆる攻撃の余波を撒き散らしながらシールドに張り付けにされたゴーレムⅢはしかし、未だ健在。両腕の武装も生きている以上この状況が続けば思わぬ反撃を受ける可能性も否定はできず、それを防ぐためには早期の決着が必要となる。

 

「さあ、それじゃあ行きましょうか」

 

 そのことを誰より知る楯無は、惜しみなく奥の手を使う。

 ランスはいまだ相手に突きつけながら、ランスから離した右手の先にしゅるしゅるとミステリアス・レイディの機体を包む水と、さらには周囲の水蒸気をすら集め、成形する。

 それは液体でありながら混入したナノマシンの作用によって一定の法則に従って塊となり、火薬の爆発力を一点に集中させる、砲弾のそれにも似た形となっていく。

 

「楯無さん、それは……?」

「普段は防御に使っている分も含めて、ありったけのアクア・ナノマシンを導入して最大の火力を発揮する、ミステリアス・レイディが可能とする一撃必殺の大技よ。……真宏くんが好きそうよね」

「ええ、確かに」

 

 お互いに軽口を叩きながらも、箒の展開装甲が噴き出し、残った水をまとったランスがゴーレムⅢの装甲を抉り、さらにゴーレムⅢが暴れる力は絶大なもの。そしてさらにもう一つ、強力無比な威力を秘めた水の爆弾が出来上がろうとしているのだ。

 

 そんな物を見てはいかに無人機といえど、なりふり構っている余裕はない。

 

――!!!!

「くっ、……あぁっ!」

「これ以上は危険です、楯無さん! 一端離れて私が前に……!」

 

 エネルギーの大きさを察知したのだろうゴーレムⅢが、空いている右腕のブレードで、最大の脅威を生み出しつつある楯無を斬りつける。

 普段ならば回避も防御もできたであろうその一撃一撃はしかし、必殺技の準備をしつつある楯無にはただ受けきる以外に方法がない。何度も振るわれる刃は装甲を砕き、肌を裂き、飛び散る血がミステリアス・レイディの蒼い装甲に点々と赤黒い染みを飛ばしていく。

 それを、黙って見続けられる箒ではない。楯無の身を案じて片手を離し、せめて刀で相手の斬撃を少しでも食い止めようと腕を引き。

 

「……箒ちゃん」

「なんですか!?」

「展開装甲で防御しなさい。危ないわよ」

 

 楯無は叱咤することすらなく、準備が整ったことを告げる。

 

 右腕の先には、巨大な水の塊。しかもその内部にはアクア・ナノマシンがひしめき合い、ハイパーセンサーでなければ感知できないほど微小に震えていることが激烈な内圧とともに感じ取れた。

 これを解放したらどれほどの威力になるのか。それは、楯無が箒に下した指示からも想像がつく。

 

「そんな……! 楯無さんはどうするんです!?」

「――うふふ。知ってる、箒ちゃん。……ウルトラダイナマイトって、一度木っ端微塵に爆発四散してから自力で体を再生しているのよ」

「いつの間に光の巨人になったんです!? あと、真宏が確実に真似しようとするのでやめてください!! 強羅には絶対自爆装置とかついているんですから!」

 

 その言葉で、危機感は確信に変わる。口ぶりからどうしてもシリアスにはなりきれないが、それでも危険なことに変わりはない。

 

 必死で止めようとする箒。

 しかし、溜めこまれたエネルギーは行き場を求めてやまず、ミステリアス・レイディの最大火力として解き放たれねば収まらない。

 

「さあ、くらいなさい無人機。……これがっ! 私のっ!!」

 

 血の飛んだ頬を凄絶な笑みで彩り、箒の制止も振り切った楯無が放つ最強の技。それこそが……っ!

 

 

「ミストルティン、キィィィィーーーーーーーーーーーック!!!!」

 

 

「間違ってもキックじゃないーーー!?」

 

 

 そして楯無の叫びと箒のツッコミ、アリーナ全館を揺るがすだけの強大な爆音が、その瞬間に轟き渡ったのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 ――ズズゥ……ン

 

 ピットの中に、遠くの方で起きた爆発のくぐもった音と振動が響いてきた。

一夏と簪がアリーナに出てから経った時間を考えるに、おそらく会長が奥の手を使ったのだろうと思われる。

 自身の最強火力を、自爆にも等しい状況で使わざるを得なかった会長の身が案じられるが……実は、今の俺はそれどころではない。

 

『どりゃああああああああああっ!!』

 

 左手のマシンガンと、右手のビームマグナム。いつもの基本の二丁持αとなった俺は、目の前の敵に向かって容赦ない弾幕を叩きつけている。

マシンガンから吐き出される無数とも思えるほどの弾丸と、要所要所で急所を狙うビームマグナムの一撃。

 

――……

『だあっ、効きゃしないし当たらないっ!』

 

 叫んだ通り、相手にこたえた様子はまったくない。

 

 相手は強羅の姿に恥じないどころか……むしろ上回る性能を持っているらしい。

 マシンガンの弾幕は、ほとんどを無視。防御姿勢を取ることすらなく装甲で弾き、ビームマグナムの一射はさすがに危険なのか回避しているが、その回避機動が白式などの高機動型かと思うほどに鋭い。

 強羅と似た機体だから鈍重だろうと想像していた当初は、視界からかき消えるかのようなその速度に一瞬見失ってしまったほどだ。

 そのとき慌てて視界に残る残像とハイパーセンサーががなりたてるロックオン警報に導かれて振り向いてみれば、真っ赤なモノアイセンサーを横にスライドさせてこちらを見るダーク強羅の姿。はっきり言って不気味以外の何物でもない。

 

 強羅ですらあまりしたくないマシンガンの直撃を厭わず、機動力は明らかに上。こんなIS見たこともない上、それに加えてもう一つ。

 

――!!

 

 この敵も決して逃げてばかりではなく、当然時には反撃に出てくることもある。

 どことなくマシンガンとビームマグナムに似ていながら、これまた禍々しい捻じれかた歪みかたをした火器を放ち、距離を詰めて肉弾戦を挑み、こちらのダメージを狙ってくる。

 

 マシンガンは弾速、弾幕密度ともに申し分なく、口径も大きい。

 ビーム兵器もまた威力が高く、辛うじて回避した程度では加速された粒子が装甲上で弾ける音が大きく響き、直撃時のダメージの大きさを想起させる。

 その装備は一つ一つが明らかにこちらの同類装備の性能を越えており、いま回避の隙もなく近づいてくる踏み込みは、むしろ一夏や箒のそれに近いほど。もはや回避もまともな防御もできない以上、かくなれば両手の装備を捨てて真正面から組みあうより他にないというのが、その時俺の至った結論だった。

 

 自由になった両手で、首を狙い伸びてくる手を掴み返す。

 そして俺達はISではありえないほど泥臭く手と手を掴みあって、真正面からの力比べを始めた。

 

 普通ならば、強羅はそこらのISのパワーを圧倒できる。それだけの物を持たされている。

 しかし。

 

『ぬ……くっ……! 強羅が、パワーでも押されるだと!?』

――!!!

 

 この、パワーも問題だ。

 強羅は防御力とパワー、そしてそれらが許す限り搭載する大火力兵装こそを主力と頼んでいるのだが、こいつはその全てにおいて強羅に匹敵するかあるいは凌駕し、さらには速度にも優れているのだから、たまらない。

 

 

 これまでも、強敵はいた。

 かつての無人機やシルバリオ・ゴスペルを上げるまでもなく、一夏達仲間のISですら強羅を上回るスペックを持つ部分がいくらでもあったし、操縦者である俺自身が彼女らに勝っていたところなどは、むしろないに等しい。

 それでも俺は強羅を、その装甲を、パワーを、火力を信じて戦ってきた。それらは決して、負けていないと。

 

 だがダーク強羅はその点をも上回っている。ぎりぎりと握力の限りに握りしめられた手の間では互いの装甲がきしみ、ゆっくりと押しこまれる腕は重く、眼前に迫るモノアイセンサーは嘲笑っているようにすら見える。

 

 くそっ……、そうじゃないかと思ってたけど、分が悪すぎるぞ!

 

 徐々に押し込まれ、踏みしめた足がじりじりと下がっていく。はっきり言って、ヤバ過ぎる。

 

『……ふん!』

 

 真正面からの力押しもダメならば、小細工に頼るよりほかない。掴んだ腕をくるりと捻って、押して、引いてと、小技を交えて思いっきり投げ飛ばす。

 ISでやるのは初めてだし、しかもどちらも強羅だと相撲でもしているかのように思えるが、当然この程度のことがダメージになるわけもなく、ダーク強羅は空中でPICとスラスターの制動を駆使してくるりと身を捻り、見事着地をして見せる。

 だが、そこが狙い目だ。

 

『行くぜっ、デュオデック二丁!!』

 

 地に足を突く瞬間を狙って、デュオデックを両手に展開した。このグレネードは拡張領域の占有量が少なく、展開も用意であるためこういう時に重宝する。そして何より、今はこの敵をなんとしても倒さねばならず、その点デュオデックの火力は例によって蔵王重工が持てる技術を結集して作り上げた新型爆薬を使っているため、十分だ。

 

『くらっとけ!!』

――!?

 

 いかに機動力に優れていようとも、そういう相手にこそグレネードを狙って当てる技術はワカちゃんにしっかりと仕込まれている。こういうときに相手が避けるために取るべき軌道を全て塞ぐ位置へと一発ずつ弾体を放ってやれば、あとは膨れ上がる火球が全ての始末をつけてくれる。

 

 轟っ、と二発の弾頭が炸裂し、狭いピットの中で壁や天井にぶつかった爆風と熱波が乱反射を繰り返す。ISを展開していなければとてもでは耐えられないような環境に、思わず俺も腕で顔面部分を保護せざるを得ない。

 そこに顕現したのは、ハイパーセンサーですら状況を把握しきれないほどの高温と黒煙。爆心地に確かに飲まれたあの漆黒の装甲のISは、はたしてどうなったのか。

 

 ……やったか!? なんて絶対言わないからな!?

 

 などという内心のフリがあったせいなのか、否か。

 

――ザリッ

『これでも、ダメとはな……』

 

 音響センサーにはっきりと、焼けたコンクリートの床を大質量の何かが踏みしめる音が届いた。

 

 

 ピット内の機材や可燃物から上がる炎の向こう側にゆらりと浮かび上がったのは、強羅によく似た漆黒のシルエット。陽炎に揺らめきながら頭部中央に輝く赤いモノアイセンサーの光は、俺ですら恐怖を掻き立てられるほど。

 その光景は、まるで……。

 

『悪魔め……っ!』

 

 地獄の底から歩み出る悪魔のようで、思わずそんな悪態が口を突く。

 憎たらしいほどゆっくりと、炎も気にせずほとんど無傷の姿を現したダーク強羅。装甲すら強羅に迫るかあるいは凌駕することが明らかとなった以上、いっそ一夏達のところへ合流することも考えるべきか。

 

 そう思ったのを狙いすましたように、あるいは俺のセリフに反応して……胸部装甲が、開いた。

 

 

『悪魔でいいよ。悪魔らしいやり方で……まーくんを倒してあげるから!』

 

 

 ……そして、なんか見覚えのあるセップクしたクロウサギのぬいぐるみが飛び出してくるのであった。

 

『……そーじゃないかと思ってましたけど、やっぱり束さんの仕業ですか』

『あれっ、驚いてくれないの? 束さんつまんなーい』

 

 見覚えがあるのも当然のこと。以前の臨海学校のとき、旅館の庭先に埋もれていた束さんの刺客にして、その後どういう機構でか箒レーダーという名のウサミミにメタモルフォーゼしたあのぬいぐるみであった。

 

『当たり前でしょう。見た目だけでなく性能まで強羅みたいな機体を作れるのなんて、蔵王重工か束さんくらいです』

『それ……褒められてるの? あの企業並の変態だって思われてない?』

 

 もちろん、そう思っている。

 ……実は、束さんが本命だろうと思いつつもほんの少し、調子乗った蔵王重工の刺客なんじゃないかなーと思わないでもなかったのだが、どうやら本当に束さんの差し金だったらしい。喜んでいいやら悪いやら、だ。

 

『そんなことより、一体何の真似です束さん。色々暗躍してるのはいつものことにしたって、わざわざこんな機体まで作るなんてどういう了見です?』

『いやー、白式と合体したりわけがわからないことだらけの強羅について調べて、試しにこのダーク強羅を作ってみたんだよ。そしたら、なんだか本物の強羅とどっちが強いか試したくなっちゃった♪』

『さようで。……それより、俺のタッグパートナーのワカちゃんが遅れてる理由って、ご存じですか?』

『……あー、あれね。さすがにこの状況で紛れ込まれたら色々マズイから、足止めしてあるよ。ごく平和的に食べ物で釣って! ヘタに暴れられると危ないから! ちーちゃんたちもいるのに、IS学園が島ごと沈んじゃうよ』

 

 満面の笑みが見えるような、その返事。

 どうやら本格的に喜べない話だったらしい。似たような機体を作るにしても、こんなあからさまに暗黒のライバル機みたいにするなんて。

 

 

 ……本当に、束さんもよくわかっていらっしゃる。こういう状況でなければ惚れてしまいそうなほど、強羅の特徴を残しつつ悪っぽいデザインだしね?

 

 てーか、やっぱり足止めされてたのかワカちゃん。束さんの言葉をそのまま受け取るのはどうかと思うが、それでもワカちゃんならば道端のたこやき屋から漂う匂いに心奪われてちょっと休憩、くらい平然としかねないからな。

 

『この子のコアも自分と強羅のどっちが強いか白黒つけたがってるみたいだし、付き合ってあげてよ。……もちろん、本気で。もしまーくんがやられちゃったら、あの眼鏡かけたのも危ないかもね?』

『はっはっは、その心配はいりませんよ』

 

 しかも悪者っぽく、仲間に類が及ぶ宣言までしてのけるだなんて、今日の束さんはノリノリだなぁ。

 

 ……本当に、取り返しがつかないくらい。

 

『ん、どういうこと?』

『決まっているでしょう』

 

 

『――簪には、指一本触れさせねぇ』

 

 

 呟くほどに小さな声で、しかし闘志は隆々と。炎の中から姿を現した公式で<ダーク強羅>という名前らしいことが確定したISに向かい合う。

 

『……ふふっ。あはははははは! さすがまーくん、すごく面白いよ! でも、束さんの科学力は世界一イイイイ! 強羅のスペックを基準にイイイイイイイ……このダーク強羅は作られているのだアアアアアア!! ……というわけで、期待しててね!』

『さいですか』

 

 束さんの化身たるクロウサギからの通信は、そこまでだった。いい加減胸元から飛び出して勝手なことを喋るぬいぐるみに対するダーク強羅のイライラが頂点に達したらしく、むしり取って放り捨て、無駄に開いていた胸部装甲が閉じて元の姿を取り戻す。

 黒い機体から黒いウサギが生えているという奇妙な光景がなくなったのはいいのだが、ダーク強羅自身からも無人機らしからぬ覇気が漂ってくるから困る。

 俺と強羅も、相手のダーク強羅も、目の前の自分によく似た敵より自分の方が強いと証明しなければ気が済まないところまで来ているのは、言葉を交わすまでもなくわかる。

 

 スペックで上回る相手が勝つか、人機一体となって不屈のロマンを持つ俺達が勝つか。

 ……さっき束さんに言われたことがあるから負けられないのはもちろんのこと、この戦いを楽しく思う気持ちは確かに俺達の心の中にあったのだろう。

 

『さあ、ダーク強羅……。奇しくもよく似た俺達だ。どっちが強いか、白黒つけよう』

――ヴォォォォオオオオオオオオオオッ!!!

 

 だから、ダーク強羅内部のエネルギー機関かはたまたコアが原因か、いずれにせよダーク強羅の上げた叫びがゴングとなる。

 足元の強化コンクリートを抉り、爆ぜさせる勢いでの突撃は二機同時。ぶつかり合う腕部装甲同士が火花と共に衝撃波を撒き散らし、俺達の第二ラウンドが始まった。

 

 マシンガンにビーム兵器、グレネードまで通じないとなれば、もはやこの狭いピットの中で火器に頼る必然性はあまりなく、そこからの戦いは接近戦を主体に切り替えていった。

 パワーに勝る相手との取っ組みあいは避け、拳を、足を、あるいは近接戦闘用の装備を振るっての激戦に……相手もほとんど同じことをして応えて来るのだから、たまらない。

 

『ロォケットォォォ! ――パンチ!』

 

 何度目になるか、もはや覚えてもいられないほどの交差の後、互いの腹部を蹴って距離を取り、地を削りながら着地すると同時、それまで右腕に溜めこんでいたエネルギーを推進力にしてのロケットパンチを撃ち放つ。

 フルチャージには及ばない程度のエネルギーしか込められなかったが、それでも威力は十分。強羅自身の最高速度以上の勢いでダーク強羅までの短い距離を飛翔する。

 ……が。

 

――ゴオオォッ!

『って、ロケットモジュールゥッ!?』

 

 その空飛ぶ右腕は、しかし相手の全身を使ったロケットパンチのような何かによって阻まれる。右腕の肘から先を取り込むようにして展開された、オレンジ色のロケット。いつぞや束さんからもらったロケットモジュールそのものである。

 

 大気圏を突破することすら可能とする推進力に、ダーク強羅の自重をも加えた突撃。いかにロマン溢れるロケットパンチといえど、最近ロマンを急激に蓄えつつあるこの攻撃には太刀打ちすることが敵わず、真正面からぶつかりあった一瞬の均衡の後に弾き飛ばされ、そのままダーク強羅のロケットが俺の胸部装甲のど真ん中に炸裂した。

 

『がはっ!?』

 

 そしてその威力は、ぶち当たっただけで止まるような物ではない。ロケットモジュールの大気圏を離脱することすら可能な推進力に加え、ダーク強羅の腕力も重ねて振り切られたそのパンチは強羅をすら軽々と吹き飛ばし、既にあちこち穴だらけになったピットの壁面の一部に叩きつけられ、俺をそのまま降り注ぐ瓦礫の中に埋もれさせるほどの威力がある。

 

『……なんのっ、まだまだぁ!』

 

 コンクリートの破片を跳ね飛ばしながら立ち上がるが、それでも強羅の受けたダメージは大きい。視界にいくつもの警告表示が映るのはもちろんのこと、パワーアシストは健在だが中身である俺自身の動きが鈍くなってきた。

 腕は重く、足は回らない。装甲を通して響いてくる衝撃は強羅の頑健さに対する信頼をしてすら不安を掻き立て、勝利への道筋が刻一刻と消えていく幻想が脳裏をよぎってやまないのだから。

 事実装甲はあちこちに傷が走り、さっきのロケットモジュールの一撃では特別頑丈な胸部装甲にすらへこみとヒビが見える。その程度で機能を損なう強羅ではないが、だからと言って楽観していられない状況なのは間違いのない事実であった。

 

 飛んで戻ってきた右腕部を装着。機体の警告を確認するまでもなくその拳と指には歪みがみられ、受けたダメージの大きさを知らせてくれる。一方のダーク強羅にはいまだ目立った損傷もなく、どちらが不利なのかは火を見るより明らかだ。

 

 

――!

『……大体オチは読めるけどっ! ドリルアーム!!』

 

 いまだロケットモジュールの勢いを保ったままのダーク強羅は、狭いピットの中をギリギリまで上昇する。その間もモノアイセンサーは決して揺るがずこっちを見据えているあたり、そろそろ必殺技で勝負をつけにきたと見て間違いない。

 このシチュエーションから考えてやってくることは一つだろうが、なればこそ俺のするべきことも決まっている。

 

 中の人がいるISには怖くて使えないほどの貫通力を秘めたドリルアームを、久々に展開。右腕部の不調もドリルを回転させる機構にまでは及んでいないため、出せる限りのトルクでぶん回す。空間ごと巻き込む勢いで回転するドリルの威力は、以前の無人機戦で証明されている。

 だからドリルなら、硬さと気合と根性で相手を抉り取るドリルならなんとかしてくれるに違いない。

 

 もっとも、それは相手が装甲であった場合の話なのだが。

 

――ヴォォォォォオオオオオッ!!

 

 おなじみとなった唸りを上げるダーク強羅。跳躍の最高点で反転し、さっき俺と一夏がこのピットへと突入した時のように、左足を突き出してくる。

 ロケットモジュールの推進力で加速してのキックはそれだけでも尋常ならざる威力を秘めているだろうが……そこはダーク強羅のこと。これだけで終わるはずがない。

 

『やっぱりかちくしょおおおおおおおおおっ!!』

 

 俺の叫びは、ドリルアームが『相手のドリル』と激突する瞬間と全くの同時だった。

 ダーク強羅の左足、そこにいつの間にやら展開されたドリルが、俺のドリルアームと回転軸を完全に一致させて真正面から打ち合った。

 互いに全威力を集中させた切っ先同士がかちあい、いずれの貫通力が上かを一歩も引かずに競い合う。どういう物理現象が働いているのかは分からないが、そんなわけのわからないことが今この場所では発生している。

 

 ギリギリと、押し込まれれば押し返し、一歩も引かないドリルの激突。

 撒き散らされる火花は目も眩むほどの量となり、床や装甲に当たって跳ね返る音すら聞こえそうなほどの大きさと密度を放ち続けている。

 

 この勝負にだけは、逃げも小技もありはしない。ただどちらのドリルがより強いか、それだけを示すためのもの。力の限りに右腕を突き上げる俺と、ロケットモジュールのパワーも加えて蹴り下ろしてくるダーク強羅。軍配が上がるのは、どちらになるのか。

 

 

 ドリルの回転を数えられそうなほどに高められた集中力は、そのわずか数秒にしか満たない拮抗の内実を全て詳細に記憶させてくれている。

 互いのドリルの先端が相手を貫こうと必死の回転を見せていたのが、わずかに変化を見せた。

 

 切っ先がほんのわずかだけぶれて見え、腕にかかる力が妙な変化をして軽くなったのだ。

 ……マズイと思いはしても、反応ができる世界の話ではない。相手のドリルの回転が生み出す反発力に右腕がちぎれるかと思うほどの勢いで弾き飛ばされ、その衝撃でドリルが砕け散る。

 それだけでも目を疑うような光景だというのに、敵の攻撃は終わっていない。ドリルとは、止まらないモノ。

 腕の内側に入り込んだ相手のドリルは、そのまま強羅の胸部装甲中央部へと突き刺さった。

 

『あ、ぐあああああああああああああああああっ!!?』

 

 ドリルの直撃とあっては、さすがに強羅の装甲でも耐えきれるものではない。徐々にではあるが装甲が抉られ、衝撃が操縦者である俺にまで響き、全身を強引にかきまわされるような激痛が走る。

 どうあがいても被弾が多くなるため、優秀な強羅の搭乗者保護機能でも、いい加減減衰しきれないだけのダメージが蓄積されてきた証拠であり、かなりマズイ。

 マズイ、マズイ。マズすぎる……。

 

 

『――がはっ!?』

 

 その後、どういう経過があったのかは記憶が途切れているのではっきりとはしない。

 そんな状態だったのはさほど長い間のことではなかったのだろうが、気が付いたのは背中から壁に叩きつけられたからで、胸には装甲どころか内部機構にまで及ぶ深々とした穴が開いていた。……貫通されなかっただけマシ、と思っておこう。

 

『こ、の……っ! やるじゃないか……!』

 

 気合で負けてはおしまいだと、減らず口を叩くだけでも肺に針を刺されたように痛む。ISを装着していても腕やら足やら、特に内部が痛むということは、骨が2、3本逝っていてもおかしくないということだ。

 瓦礫に手をついて体を起こすことすらすぐにはできず、ギシギシと音がするのは強羅自身もただでは済んでいないという証拠。……この戦い、本格的にヤバいかもしれない。

 

『……だからって、諦めるわけにはいかないよなぁっ!』

 

 それでも、俺はIS学園に入学して以来諦めるということを忘れた男だ。

 たとえズタボロになったとしても、それは奇跡の逆転というロマンへと近づくことで、闘志は尽きずに湧いてくる。

 だからこそ、余裕綽々な態度でこっちの様子を窺っていたダーク強羅に更なる反撃を叩きこまねばならない。

 叩きつけられ崩れた壁から落ちてくる瓦礫を跳ね飛ばして立ち上がり、その粉塵の向こうからでも見えるだろうほどの光を両目に宿す。俺があまり動けなくなったことを見越した強羅が、自分の判断で溜めておいてくれたこのエネルギー、ここで使わずいつ使う。

 

 足元に転がっていた少々大きめのコンクリート塊を角砂糖のように踏みつぶし、ついでに足を床にめり込ませて強引に体を固定。ハイパーセンサーでしっかりととらえたダーク強羅をまっすぐに見据え、ドリルアームと並んで随分久々なこの技を、使わせて貰おうじゃないか。

 

『行くぞっ! ――ゴウラ……ッ!』

 

 喋るのに連動して光るはずのデュアルアイセンサーは、さっきから眩く光ったまま。それは目からビームを放つ強羅の搭載武装を使う予兆であり、視覚が使えない状況になってもハイパーセンサーがあれば周囲の状況はしっかりと把握できる。

 

 ……だから、目の前のダーク強羅もまたモノアイセンサーに常ならぬ眩い輝きを宿していることにも気がついていた。

 

『ッ! ……ビィィィーーーーーームッ!!』

 

 それでも、もはや止まることなどできはしない。真正面からの撃ち合いが望みだというのなら、受けて立ってやろうじゃないか。

 PICすら使っての沈墜で土台は盤石。この身全てを砲台としたその粒子砲は先に続いて双方同時に撃ち放たれ、ぴったり中間地点で緑と赤のビームが炸裂した。

 

『ぐ……くぅぅっ!』

――!!!

 

 二色の閃光が混じり合う中間点には莫大なエネルギーが荒れ狂い、その余波はこちらの足元をおぼつかなくさせるほどになっている。コンクリートすら焼けてガラス化し、波紋となって広がっていく。

 強羅もダーク強羅も背後に明滅する影を長く伸ばしながら一歩も引かない体勢を見せているが、強羅の場合このビームはどうしてもつぎ込めるエネルギー量が少なく、勝負は長く続かない。

 決着がつくのが先か、ピットが度重なるダメージで崩壊するのが先かと思われていたが……。

 

 どうやら、決着によって終わりを迎えることになりそうだった。

 

『何てエネルギー容量だよっ!?』

 

 撃ち合い始めてから数秒後、強羅のビームが勢いを失くし、まだまだ威力を保ったままのダーク強羅の赤いビームが相対的に押してくる。

 全てのスペックで強羅を上回っているという話が伊達ではないというのはこれまでの戦いからも信じていたが、まさかこんな装備まで再現し、きっちり上回ってくるとは。

 改めて束さんのスゴさを思い知った。

 

 だがそんな風に考えている余裕など、赤いビームが眼前に迫るまでのほんの一瞬しかない。段々と細っていくビームは濁流に呑まれるようにして喰らい尽されて、破滅的な光が手の届くほどの距離まで届き。

 

『――がっ!?』

 

 そのまままっすぐに、顔面へと直撃。

 ビーム発射機構を備えたデュアルアイセンサーごと、顔面装甲の上半分を吹き飛ばした。

 

 

 ズッ、ズッ……という音がする。

 麻袋でも引くような不吉なその音が、再び俺の意識を復活させる契機となったらしい。目の前が暗いのは目蓋を閉じているからなのか、あるいは最悪失明したのかすらわからない状況だが、恐る恐る目を開けてみる。

 震える視界に、滲んだ天井。焦点が合わずに色の混じった判別のつかないものしか映らなかったが、どうやら目は無事であったらしい。

 

 ……いや、そうでもないか。普段なら邪魔にならないように、しかしはっきりと重要な情報を示してくれているハイパーセンサーのデータがないし、眼球が渇いていく感覚がある。さっきの攻撃で強羅の顔面のうち目の部分がえぐり取られてしまったのか。

 眉根を伝うぬるりとした感触はおそらくその時の破片が付けた傷から流れる血で、口元を覆うマスク部分は無事なのか、必死に俺を賦活しようと酸素を送り込んできてくれているのが口元に感じる空気の流れからわかる。

 

 だがはっきり言って状況は悪い。わずかに首を巡らせて見れば、もはやこちらには抵抗の力もないと見たのだろうダーク強羅が、仰向けになった俺の脚を掴んでピットの中央部へと引きずって行っている。事実体はあちこち痛むし、引きずられる体がどこかにぶつかる度にうめき声を上げるくらいしかできなくなっている。

 強羅の方も無茶させ通しだったせいかパワーアシストのエネルギーが切れかけ、装甲へのダメージ蓄積もかつてないほどのものとなっている。

 

 

 結論として、動けない。

 ……完膚なきまでの、敗北だ。

 

 

 悔しくても、もはや俺には拳を握るだけの力すらない。

 ダーク強羅が俺にトドメもささず、何を企んでいるのかは分からないが確実にロクなことではないだろう。……多分、普段の俺もみんなからはこんな風に思われてるんだろうなーなどと呑気に考えていたのは、逃避なのか俺という人間に備わった性質なのか。どっちなのだろう。

 

――……

 

 そして、ピット中央。

 ダーク強羅のパワーからすれば強羅の重量をしても大した重りにはなってくれず、軽々と片手で運ばれてしまった。

 誰が見ているわけでもないというのに、わざわざこんなところまで連れてきてするべき事とは、一体何なのか。

 あるいは逆転の機会があるのではないかと、体が動かないなりに必死でハイパーセンサーの探る周辺状況に注意を払っていると、相手の動きが手に取るように分かる。

 

 ダーク強羅は足を止め、その場でくるりと向き直る。

 照明を背に逆光気味となり、高い位置から見下ろしてくる真っ赤な一つ目にはどうしても恐怖を掻き立てられる。

 

 そんな漆黒の無人機が出た次なる行動は……。

 

 

――ガシッ

 

 なんかもうこの時点であとの展開が読めるくらいしっかりと、両脇に俺の脚を抱えることだった。

 

――オオオオオオオオオっ!!

 

 雄たけびのような音と共に、力強い腕が俺の体を大きくぶん回す。一周回っただけでもう体が浮き、二週目で頭に血が上り、三週目では膝がちぎれるのではないかというほどに痛み出す。

 だがそれでも、もはや抵抗力を失った俺と強羅には頭を抱える程度の動きも許されず、遠心力のかかるがままに振り回されていた。

 

 強羅が通り過ぎたあとの床では、巻き起こされた風がコンクリートの破片を吹き散らす。巨大なうちわかプロペラのように風が舞い、床面がならされていくなど尋常なことではない。それを可能とするのが強羅の巨体と重量、そしてそんな強羅を振り回せるダーク強羅のパワーなのだが、いざやられてみると本当に恐ろしい。

 高速で回転する視界はいつどこに自分がぶつかるのかというネガティブな発想しかもたらさず、次第にそんなメリーゴーランドじみた景色を楽しむ余裕すらないほどの速度になっていく。

 

 ――覚悟を決めよう。

 

 既にここまでの戦いで俺の負けは決まったと言っていい。

 だがそれでもまだこうして生きているし、俺の心は諦めていない。こんなになってもまだ、勝利を掴もうという気持ちは確かにある。

 

 ゆえに、今の俺がするべきは耐えること。いつか俺自身がやりたいと思っていたジャイアントスイングという大技をくらってなお生き残り、勝利への道を繋いでみせる。

 

『……!』

 

 歯を食いしばり、目をつぶり、頭を抱えることすらできないなりにできることは全部する。

 あとは、強羅の頑丈さを信じるだけ。いつもしていることと、何ら変わりがない。

 

 そうしてロマンの神様へのお祈りが済んだと同時、ダーク強羅の腕が離され、ミサイルのような速度で俺の体が飛ばされる。その向かう先には崩れていない壁がばっちりあり、しかし強化コンクリートの壁すら発泡スチロールか何かのように軽々と突き破り、さらにもう一度何かにぶつかった衝撃が脳を揺らし、俺の意識は闇へと落ちた。

 

 それでも、必ず復活するという決意を刻んで。

 

 

◇◆◇

 

 

「あああああああああああああっ!」

 

 簪は、激情に支配されていた。

 普段の落ち着きと内気な性質はどこかへ吹き飛び、体の奥から湧き上がる怒りのままに叫びを上げ、目前の無人機に苛烈な薙刀の旋風を叩きつけていく。

 

 そう、怒り。

 簪は今、これまで生きてきた中で一番といっていいほどの怒りと――憎しみを、感じている。

 

 

 一夏と共にアリーナへと出てきてすぐ、反対側のピットで大爆発が起こった。

 そこにいるはずなのは、まさに自分達の対戦相手となる予定だった楯無と箒。一夏と簪にとっていずれも縁浅からぬ二人であるだけにその身が案じられるが、一方でプライベート・チャネルは強力なジャミングに寄って使えなくなっていた。

 

 その帰結として簪が一時ゴーレムⅢの相手を引き受け、一夏が二人の様子を見に行って、しばらく。

 いつのまにやらピットの近くへと来ていた簪は、見てしまった。

 

 瓦礫の中に沈む、姉の姿。

 装甲が無残に砕け散り、白く生気を失った肌に痛々しいほどに赤い血を流す、楯無を。

 

「この……っ! この! このおおおおっ!」

 

 いまの簪の苛烈さは、普段の彼女を知る者からは想像もつかないほどであったろう。慎重と巧緻を編み込んだ技を主体として扱われるはずだった薙刀<夢現>は勢い任せに振り回され、ゴーレムⅢの装甲に幾筋もの傷を負わせる。

 姉を傷つけた物を見て、簪と言う人間の器に収まりきらぬほどに膨れ上がった怒りがそうさせる。

 

 イグニッション・ブーストをも駆使しての近接戦闘はさすがに代表候補生の名に恥じない物であるが、それは簪が得意とする戦いではありえないのだ。

 

――ギンッ!

 

 そして、無理を重ねた上での繰り返しが通じるほど、ゴーレムⅢは組みしやすい相手であろうはずもなく、ほどなく簪の気迫にすら怯まぬブレードの一閃が薙刀の柄を切り裂き、攻撃能力を失わせる。

 

「だからって……!」

 

 それでもまだ、簪の怒りは収まらない。腰の両側にマウントされた荷電粒子砲を迷わず突き出し、ほぼゼロ距離から浴びせかける。

 

 打鉄弐式に装備されている荷電粒子砲<春雷>。本来はこれが使われるはずだったのだが、実のところ今の装備は違っている。

 左には砲身の先端からさらに細身の砲身が突き出た収束荷電粒子砲<破竜>、右には砲口が展開式となっている拡散荷電粒子砲<死蠍>。ワカに頼んで調達してもらった、火力重視の二丁である。

 蔵王重工製ではないのだが、かの企業と志を同じくするどこぞのエネルギー系企業が作った武装ということで、威力は当然折り紙つき。

 破竜はゴーレムⅢの装甲をすら溶かし抉り、死蠍は相手が反動で下がってもその分追いかけて撃ちかけ続けるこの距離ならばその広範囲に渡って破壊をもたらす威力を全て叩きこむことができるのだ。

 

 そんな荷電粒子砲の、連射。

 いかなゴーレムⅢといえどそうは耐えられない。一撃ごとにダメージが蓄積し、装甲が減り……ついにその奥にきらめくコアが、見えた。

 

(これで……トドメ!)

 

 再びのイグニッション・ブーストによる接近。荷電粒子砲二門の砲口を突きつけるようにして、怒りに血走った目で引き金を、引く。

 

 だが。

 

「……! そんな、ここでエネルギー切れ……!?」

 

 この二つの荷電粒子砲の威力は一撃必殺。もとより連続使用など想定されてはおらず、本来ならば簪もそのことを重々承知しているはずだった。しかし怒りに眩んだ頭はそんなことより先にただひたすら威力のみを求め、砲身が過熱していることにすら気付いておらず、エネルギー残量のことなど元より考えてもいない。

 

 そして、相手は一切の油断が許されないほどの能力を秘めた無人機。自身の損傷すらも冷徹に計算し、動けるとの判断が下ればたとえ自身の最中枢たるコアが露出していようとも、敵を倒すための行動を躊躇いはしない。

 

「!? きゃああ!」

 

 薙ぎ払うブレードが、咄嗟に楯とした胸部装甲をへこませながら簪の体を吹き飛ばす。わずかな距離ながら宙を飛ばされ、地面に叩きつけられ転げ回ってようやく止まるほどの威力だ。

 口の中には紛れ込んだ砂と、どこかが切れて滲んだらしい血の味が満ちて、その不快感もまた一層簪の心に影を落としてくる。

 

 敗北と死。

 その二つの言葉がはっきりと浮かび上がり、一夏や真宏とともにいたときに感じた光を隠し、怒りが燃やした炎を吹き消しだした。

 

(何か……、何か、武装は……!)

 

 必死に探した選択肢は、不屈の闘志ではなく逃避のためのものだろうと、簪自身もわかっている。各部の損傷と、撤退を訴えるステータスウィンドウを無視して探したその中に、簪は最後に残った武装を見つける。

 

(八連装ミサイルポッド『山嵐』……でも、これは……)

 

 時間が足りず、本来予定されていたマルチロックオンシステムを妥協して通常の物にしている現状、ジャミングがひどいこの環境下ではまともに使うこともできずに流れ弾で学園の施設を破壊するのがオチだろう。

 それでも手段がないというわけではない。しかしそれにはどうしても誰かの助けが必要であり、簪一人しかいない今は無駄なことだった。

 

 脳裏に、こんなときに助けてくれるかもしれないと期待を抱く二人の姿が思い浮かぶ。

 

 一人は、おそらく最も近くにいるだろう織斑一夏。さっき楯無達がいたピットへ向かった彼がもし無事に帰って来てくれるなら、きっと力になってきてくれるだろうとこれまでに見てきた人となりから確信できる。

 そしてもう一人は、誰よりも自らのISを愛し、その力を信じているだろうロマンの使徒、神上真宏。ピットでダーク強羅との一騎打ちを演じているだろう真宏も……イヤ真宏であるならば、自分のピンチに颯爽と駆けつけてくれるかもしれない。彼にはそう思わせるだけのロマンがある。

 

 一度くじけかけたこの心。

 それでも、もし彼らの支えがあれば再び立ち上がることができるかもしれない。

 

 自分を弱いと信じ込み、心を閉ざしていた簪にとってこう考えられるだけでも大きな進歩と言っていいだろう。

 誰かの助けを受け入れることも、手を取って共に立ち上がることも、できるようになったのだから。

 

 

――だが、現実はいつだって残酷だ。

 

 ドンッ、と爆発音が響く。

 バリバリっ、とアリーナのシールドに何かが当たる。

 

 

「……え?」

 

 否応なく不吉な予感を掻き立てられるその音に、簪が顔を上げたその瞬間、目の前に転がってきた物がある。

 

 一つは、白い塊。ガシャリと崩れ落ちるように投げ捨てられたのは、白式の装甲のほとんどを失った一夏だった。ダメージは深刻で、一夏自身も意識はない。どれほどの攻撃を受けたのかは想像するのすら恐ろしく、その声なき肉体には駆け寄ることもできないほど。

 

 そして。

 

 もう一つの塊は、ひしゃげた鋼鉄の骸。

 胸部にぽかりと抉れた穴に、バラバラにへし折れたブレードアンテナ。腕も足も装甲にはヒビが入るか剥がれているかのどちらかで、無事なところなど一つもない。

 それは、見る影もなくボロボロになった強羅だった。

 常なら決して見えることのない目元が見えているのはマスクが割れてしまっているからで、たらりと額を流れる一筋の血と力なく伏せられた目はまるで命を感じられないほどだった。

 

 頼りと思った二人が、敗けている。力なく倒れ、投げ出された。

 

 それと同時に、簪を薙ぎ払ったゴーレムⅢと、一夏を倒した機体、そしてダーク強羅が、アリーナの中に揃う。

 この場で動けるのは簪一人で、今は使える武装もない。

 

 絶望という言葉すら生ぬるい状況に、簪の心は凍りついた。

 

「い……や……、いやぁっ!」

 

 叫ぶ声は、無人機達に届かない。

 一夏はゴーレムⅢに踏みつけられ、真宏はダーク強羅に頭を掴まれ軽々と持ちあげられる。

 

 そしてもう一機、簪と戦っていたゴーレムⅢはゆっくりと近づき、ブレードを掲げる。

 起き上がることもできない簪にとってそのブレードは天を衝くようにしか見えず、どうやっても逃げられるとは思えない。

 

 だから、ぽろぽろと恐怖に涙をこぼしてその切っ先を見上げ、恐怖に震えながら自分の無力さを痛感していた。

 

 

――ああ、やはり自分には何もできないんだ

 

 

 楯無という優秀すぎる存在の妹に生まれ、人々から寄せられる期待にほとんど応えることのできなかった、価値のない自分。真宏と一夏が仲間になってくれたという思いも今は幻想としか感じられず、ブレードが自分へと振り下ろされても感情が動かず、ただじっと見つめていた。

 

「やっぱり……ヒーローなんていないんだ」

 

 それが、きっと自分の最後の言葉になるだろうと確信して。

 

 

◇◆◇

 

 

「……ん?」

 

 何か、胸の奥がざわついた。

 いてもたってもいられないような、どこかへ行かねばならないような、焦燥と言うのが最も近い感情に心臓を揺らされた気がして、ふと顔を上げた。

 

 しかしそこには別段なにもなく、等間隔に継ぎ目の入った天井が味気ない色の光に照らされているだけだ。一体どうしたというのか。

 

「……いや、待て。何かおかしい」

 

 そんな今の状況を省みて、俺は思わず呟いてしまう。なんだこの天井は。

俺はついさっきまでぷらぷらと歩いていたらしく、しっかりと自分の足で立って見上げているのは知らない天井。自分がいったいどこにいるのかと、唐突に疑問が湧いて出た。

 

 何事か、と思って辺りを見渡す。右も、左も、自分がやってきた方向と思われる後ろも、見覚えのない壁と廊下があるばかりだ。

 木でもコンクリートでも金属でもない、素材不明の構造材がピッチリと計算しつくされた精密さで廊下の外郭を形作り、それが綺麗にまっすぐ前後に伸びて、時折左右から枝道が合流してきている。

 照明は壁に埋め込まれており、蛍光灯やなにかではないらしく、一定量の光でむらなく周囲を照らしていた。

 

 怪しいと言えば怪しいが、危険自体はなさそうなこの廊下。特に警戒することもなくぷらぷらと歩いてみれば、いくつか扉があったりもした。

 重厚そうなつくりの自動ドアで、近づけば何故か斜めに入った切れ目が開いて行くという妙な構造。なんというか……秘密基地、とでも評するのが一番適切な気がする。誰のと特定はできないが、まさしく趣味の城といった空気が、つぎ込まれた技術と計算の結果行きついた精緻な構造の狭間に見え隠れするような。

 

 そんなところに何故か俺は迷い込み、ふらりふらりと歩いていた。

 知らないはずの道なのに、目的地があるかのように迷いなく進んでいくのは、あるいは誰かが導いているからか。そんなことを思いつつ気ままに進み、時に脇の道に入り、複雑な秘密基地の通路を通って……ついに、ひと際大きな扉の前に辿り着いた。

 

「……」

 

 この扉にも、特に異常は見られない。確かに他と比べてがっちりしていて立派だが、秘密基地の司令室の扉、とか言われれば信じられそうだった。

 さて鬼が出るか蛇が出るか、はたまた変形合体する巨大ロボットとかいてくれたら嬉しいな、と呑気なことを考えながら扉に近づくと、例によってプシュッと音を立ててスムーズに開いて行く。本当に手が込んでいることだ。

 

「ふんふーん♪ ふふふふーん♪」

 

 部屋のつくりはまさしく司令室といったところ。正面の巨大モニターに、コンソールがいくつかと、司令官の座るだろう一段高い席。床にも格子状に区切られたパネルがあるあたり、この部屋を暗くしてそこに作戦状況を示す映像とか投影したくなるのだが、今この部屋には歴戦のオペレーターなど一人もいない。

 

 いまいるのは、そんな部屋の真ん中にぺたりと座り、床に置いた紙に何かを描いている、一人の少女だけだった。

 

 楽しそうに鼻歌を歌い、クレヨンか何かをぐりぐりと紙に押し付ける。

 あたりには幾枚もの画用紙が散らばり、その一つ一つに何やら描かれているのが見える。

 年のころは10にも満たないだろう、髪の長いその少女。上機嫌に絵筆を走らせる彼女の後姿はどことなく誰かに似ているような気がするが……一体、何者なのだろう。

 

 ゆっくり近づいてみると、この子の書き散らしただろう絵の内容がわかってくる。

 太い手足と、燃える炎のようなラインを描いた胸部装甲。雄々しく強く、たくましく。機能よりも夢を優先したと言わんばかりの見慣れたロボットのごとき姿の物が、何枚も。

 

 強羅の、絵だった。

 

 その絵のいくつかを拾い上げてみる。

 おそらくクレヨンで描かれているのだろうが、それでもはっきり強羅だとわかる程度には上手い絵だった。

 だが、よくよく見ればそれは強羅であって強羅ではない。

 

 あるものは巨大な剣を背負い、またある物は右腕と一体化したエネルギー砲を突き出している。そのほかにも全身火薬庫とばかりにミサイルポッドを積みまくったものや、逆に装甲を減らして巨大なスラスターを装備したもの、要塞のように楯を装備したもの、胸にライオンの顔がついているもの、などなど。

 明らかに強羅ではあるが、これまで見たこともない装備を身に付けた強羅の数々が、そこにはあった。

 

「これは……一体?」

「えへへー、これはですねー。……ん?」

「ん?」

 

 拾った絵の何枚かを手に取り、思わずつぶやいた俺の声に返事が返ってきた。

 当然、その相手はさっきから絵を描いている少女。ニコニコと笑ったまま機嫌良く応えようとしていたのだが、それが一瞬にして固まる。

 

 そして。

 

 

「……ひゃわああああああああああああああああっ!?」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおいっ!?」

 

 

 身も世もない驚きの叫びを上げ、文字通りその場で飛び上がったのだった。

 

「ちょっ、待っ! なん、どうして!?」

 

 そして、物凄い勢いで俺の手から画用紙をひったくり、辺りに散らばっていたものもしゅばばばっと集めて背後に隠し、ずりずりと這いずって距離を取る。

 ……なんだ、この挙動不審っぷり。

 

「いや……どうしてと聞かれても。ここがどこだかすらよくわからないんだよ」

「え……? あ、そっか。なるほど」

 

 せめて落ち着いてもらおうと、ゆっくり喋って俺の事情を説明したのだが、なぜだかこれだけで通じたらしい。俺自身どうしてこうなったのか……というか何がどうなっているのかすら分からないのだが、むしろこの子の方こそその辺に精通しているようだ。

 

「ひょっとして、事情わかってる?」

「はい……大体は」

 

 その予想は当たっていたらしい。俺はいまだにちんぷんかんぷんなのだが、何やら得心顔の少女はようやく落ち着き、まとめた絵をとんとんと揃え始めた。……本当に、どうなってるんだ?

 

「……まあ、状況は割とどうでもいいや。それより、さっきから描いてたのは強羅……だよね?」

「自分の状況がわけわからないのにどうでもいいとか、さすがです。……でも、そうですよっ、強羅です。すごいでしょう」

 

 俺の言葉の前半には、呆れているのか感心しているのか。どことなく見た目の年齢よりはしっかりした印象を受けるのだが、自分の絵のことになると途端に自慢げになり、にんまりとした笑みを見せてくれる。それでも絵は見せたくないらしく体の後ろに隠しているが、無邪気な笑顔はそれだけでこちらの心も明るくしてくれる作用があるようだった。

 

 

 まあ、それで十分だ。

 俺だって、今の状況は大体見当がついているから、ね。

 

 

 さっきまでダーク強羅と戦っていたはずなのに、突然紛れ込んだ見たこともない施設内。ボロボロだった体には傷一つなく、出会った不思議な少女は少し変わった強羅の絵をたくさん書いていた。

 そしてこの少女を前にして感じる、「通じ合う」感覚。これは、普段からとても馴染みのあるものだ。

 

「そっか。……頑張って、考えてくれたんだな。ありがとう」

「……えへへ、うれしいです。でも、大変じゃなかったですよ。この子も、手伝ってくれましたし」

 

 くしゃくしゃと頭をなでると、くすぐったそうに笑ってくれる。うん、実に撫でやすい位置に頭がある。

 そんな少女であったのだが、不意にどこからともなく何かを取り出した。後ろに回していた手を俺に向かって突き出し、示してくれたのは……卵だった。

 

 それも、ただの卵ではない。少女の決して大きくはないがそれでも子供の標準くらいはある手にすっぽり収まるだけのサイズをした、間違っても鶏か何かの物ではありえないサイズの卵だ。しかも、時々ガタガタと震えている。どうやら、孵化が間近に迫っているらしい。

 

「へぇ……それはすごいな」

「はいっ、すごいことになるんです!」

 

 だが、今の俺にはなんとなくだがわかる。この卵も、少女と同じくとても善い者達であるのだと。

 

 

 そんな彼女達と出会えたのは、きっと得難い経験だったのだろうと思う。言葉がいらないこの感覚は割と普段から感じているのだが、それでも今この瞬間には、それとはまたどこか違った形でつながっているという実感があった。

 きっとこの少女も同じように感じてくれているはずで、あるいは少女の持つ卵の中で生まれる時を待つモノも、同じ気持ちでいるのかもしれない。

 

 だから、行かなくちゃ。

 

「そう、ですね。……あんまりゆっくりもしてられないみたいです」

「ああ。いつも、世話ばっかりかけてるな。ありがとう。……でも、もうちょっとだけ頼むよ」

「お任せあれ、です。私もそういうのって、大好きですから!」

 

 笑顔を絶やさずそう言ってくれるこの子と、俺は手を繋いだ。

 小さなその手は力強く俺の指を握り、逆の手にはたくさん書きあげられた強羅の絵の中の一枚を大事そうに持っている。

 そうして二人と脇に抱えた卵が向かうのは、この部屋の扉。入ってきた時とは違ってその向こう側の廊下は見えず、代わりに眩いばかりの光が満ちていた。

奇妙な現象であるが、不安も感じずその道へと踏み出して、俺たちは歩いて行く。

 

 さっきから胸の奥にあったざわめきは、今も変わらずむしろ強くなっているようにすら思える。きっとこれは必死で助けを求める誰かの声で、俺はその声の主を助けてやらなければ気が済まない。

 

 そして、そのためにこの子も卵も力を貸してくれるに違いなく、ならば俺は、負ける気がしない。

 

 ゆっくりと歩き、体が光に溶ける感覚を味わいながら、俺の意識はそこで再び途切れることになる。

 

 

 今度は、絶対の勝利を確信しながら。

 

 

◇◆◇

 

 

 ブレードに肉が切り裂かれる音は、思ったよりも遠くから響いた。

 

 そして、音に続いてやってくるはずの痛みはまるで感じられず、あるいは苦痛にうめく間もなく命を落としたのかという考えが脳裏をよぎった時、目の前に現れた影と、自分を強く抱きしめる腕の存在に気がついた。

 

「え……?」

 

 その正体を、簪は知っている。知らないはずがない。

 生まれたときからずっとそばにいて、時に遠ざけながらも決して忘れることはできなかった……自分の姉を。

 

 まともに立つことすらままならないだろうほどボロボロになって倒れていた姉が、死力を尽くして自分の身を守ってくれたのだと、理解するのにはどうしても時間がかかった。

 

「お姉……ちゃん?」

「えぇ……お姉ちゃん、よ。……うふふ、そう呼んでもらえるとうれしいわ」

「……お姉ちゃん!」

 

 その軽口を言いきるが早いか、楯無は背中の傷口から鮮血を撒き散らし、力なく簪の腕の中に崩れ落ちた。

 ISもダメージを受けすぎたからか止血は効かず、どくどくと流れつづける赤い液体は温もりと生命がその体から流れ出ているというイメージをダイレクトに植え付けてくる。

 

「そんな……どうして!」

「当たり前じゃない。……簪ちゃんは、私の妹なんだから」

 

 ぞっとするほど白くなった頬を優しく緩ませ、楯無はぽろぽろと涙をこぼす簪に語りかける。無事でよかったと、その心を伝えるために。

 

「でも……! でも、助けられても、私じゃあ……!」

「もう……ダメかしら?」

「……だって、だってヒーローなんて……いないからっ!」

 

「……そう、かもしれないわね」

 

 簪は、色々な物を諦め過ぎた。

 

 それは昨日今日に始まったことではなく、言葉をいくら重ねてもその思いを払拭することはできないだろう。

 今の楯無には、なお無理なことだ。簪を助けるヒーローとなろうにも、体がもう動いてくれない。

 

 楯無の身を抱えて動かない簪の前には、未だゴーレムⅢがいる。一度攻撃を阻まれた程度では怯みもしない無人機の冷たい刃は再び振り上げられ、返り血となった楯無の血がたらりとこぼれる。

 

 その向こうではもう一機のゴーレムⅢもダーク強羅も健在で、この状況を覆す方策など、どこにもありはしなかった。

 

 

『――さっき、言っただろ』

 

 

 だから、それを覆してこそ本物のヒーローだろう。

 

 

――!?

 

 ブレードを振り上げたゴーレムⅢの背後で、ダーク強羅が吹き飛んだ。

 この場に集った無人機の中でも飛びきり重く、安定性にも優れたダーク強羅が突然そうなるなど、いかにゴーレムⅢの電脳を持ってしても予測できないこと。それでも、危険度の高い存在がそこに現れたに違いないと判断したゴーレムⅢは急遽楯無と簪へのトドメを中断して振り向き。

 

 

『簪には、指一本触れさせねぇ!!』

 

 

 本来の半分の性能も発揮できない状態になりながらも、いまだダーク強羅を蹴り飛ばすほどの力を秘めた強羅に、真正面から殴りつけられたのだった。

 

 

「あ……強、羅?」

『ああ、強羅だ』

 

 そう、そこに立つのはこの場で最も頑丈で、だからこそここまでダメージを受けてもなお戦えるIS、強羅。

 見る影もなく砕かれた装甲は痛々しく、マスクの奥に見える目元は血で汚れ、それでもしかと両足で大地に立つ、真宏の姿がそこにはあった。

 

「……いまだ、箒いいいいいいっ!」

「任せろ、一夏ぁっ!!」

 

 強羅の復活に、さしもの無人機といえど判断に迷う瞬間、動揺があったのは否めない。

 そしてそれがそのまま敗因となった。

 

 一夏を踏みつけていた一機はこのままトドメを刺すべきかそれとも強羅に挑むべきかの判断に数瞬の時間を要し、それを察した一夏の叫びに呼応した箒の胴抜き居合一閃によって、反撃の余裕すらなく真っ二つに斬り裂かれた。

 

 

「一夏、無事か!?」

「なんとかな! ……って、箒! 後ろ!!」

「なにっ!? くっ!」

 

 それでも敵はまだ残っている。

 残心の後、一夏の身を案じた箒の背後に迫ったのは、強羅によって殴り飛ばされたもう一機のゴーレムⅢ。時間があったせいか、打鉄弐式の荷電粒子砲によって砕かれた装甲は再生し、元の状態とほとんど変わらなくなっている。

 追撃の熱線砲を回避した箒であるが、紅椿もまた無事とは言い難く、状況は不利だ。

 

「待ってろ箒、いま行く!」

 

 

 箒の救援には、一夏が向かった。

 白式もまた満身創痍の極まった状態ではあるが、それでも仲間を見捨てるなどと言うことを、織斑一夏は絶対にしないのだから。

 

 

◇◆◇

 

 

 一夏と箒が残る一機のゴーレムⅢに対峙する一方、俺もまた最後の戦いが迫っているのをひしひしと感じていた。

 

 意識を取り戻すなり簪と会長がピンチになっていて、咄嗟に頭を掴んでいたダーク強羅を蹴り飛ばし、簪を狙っていた無人機を殴りはしたのだが……やはり、俺の相手はこいつらしい。

 

――……

『待たせたな、ダーク強羅。今度こそ決着をつけようじゃないか』

 

 蹴られようが、そのままアリーナの壁に激突しようが、大したダメージを負った様子もない、強羅によく似た漆黒の機体。それが、赤い一眼をこちらに向け、再びゆらりと立ち上がったのだ。

 

 ダーク強羅の力はよく知っている。

 今の強羅と俺の力では絶対に敵うべくもなく、まして背後には傷だらけになった会長と、いまだ立ち上がれない簪がいる。状況は悪いどころの騒ぎではない。

 

 だが、だからこそ燃えるのが俺という男だ。

 

『簪、遅れてすまない』

「あ……う、ううん。そんなこと、ない……」

 

 かけた言葉に返事はできるようだったが、それでもまだ表情は恐怖にひきつり、何より自分を責めている色があった。

 ……ま、それでこそ簪か。

 

『それでも、勇気は出せないか』

「……! だって、この世に……ヒーローなんて……っ!」

『そうだ、ヒーローなんていない』

 

 だから、そんな簪を放っておけないのこそが、俺だ。

 

『……ヒーローはどうしたってテレビの向こうの存在で、どれだけ待っても助けにきてなんかくれない』

 

 俺の言葉に、簪は凍りついている。不安な心、助けてくれる誰かを願う叫びに水をかけるようなことを言っているのだ、それも仕方のないことだろう。

 

 それでも、言わねばならない。

 

『この世には、神も仏も……きっと仮面ライダーもいやしない。……だけどな』

 

 俺が信じる、たったひとつの真実を。

 

 

『俺達が憧れたヒーローからもらった、この心の中の勇気だけは、本物だ』

 

 

「……っ!」

 

 ダーク強羅が、ついに俺の目の前までやってきた。

 こうして向かい合うと、強羅と良く似ているだけにその違いが良くわかる。

 

 傷もほとんどないダーク強羅に対し、強羅は装甲の縁が欠け、ブレードアンテナはほとんどなくなり、胸部には大穴が開いてしまっている。

 モノアイセンサーに向き合うのが割れたマスクからのぞく生身の双眸ではどうにも頼りなく、誰しも勝負は見えたと思うだろう。

 

 だけど、俺は負けない。

 

 なぜならば。

 

 

『……だから簪、見ててくれ』

「見るって……何を」

 

 俺の後ろには、どうあっても守りたいと願う女の子がいるんだから。

 

 振り向いて、簪には目元だけでも笑って見せる。マスクが割れた今の強羅なら、見えるはずだから。

 心配はいらないと教えるように。

 

 

 そしてダーク強羅に向き直り、俺は右手を左肩の前へと突き出し、左手を右腰の上へと据える。

 胸部の穴からは強羅のコアが眩く輝きが一秒ごとにその光を強め、左手は掌を上に向けながら左腰に、右手はゆっくりと正面に向ける間には目もくらむほどになっている。

 

 さあ。一緒にいこう、強羅。

 

 この世界に教えるために。

 ヒーローがくれた勇気と優しさ、そして胸に宿した光は、男のロマンは、決してニセモノなんかじゃないと示すために。

 

 簪に、見せてやるんだ。

 

 俺の、俺達の、

 

 

 

 

『超変身!!』

 

 

 

 

 叫びに呼応して光が炸裂し、ほどなく収まった。

 

 アリーナのシールドを貫いて天まで昇っていった光はその日かなり遠方からでも確認できたというが、それも当然のことだと納得してくれるだろう。

 

 

 光の中から現れた、強羅の姿を見た人ならば。

 

 

 そこに立つのは、強羅であって強羅でない。

 

 さっきまでの激闘で負った損傷はその全てが回復して元通りとなり、さらにはより鋭く変化した実にらしい装甲をしている。

 割れたマスクも常よりなお鋭い目つきの装甲が復活し、何よりその背には、これまでの強羅はもたなかったはずの鋼の翼と、それと一体化した大推力を予想させる大型スラスターを持つユニットが接合していた。

 

 新たな姿と、新たな力が、そこにはある。

 

 そう、これが強羅のセカンドシフト。

 

 

 新たに生まれ変わったその名こそ。

 

 

『――強羅……白鐡!!!』

 

 

 叫ぶ声も高らかに、ファイナルラウンドを始めよう。


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