IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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番外編 その二「メタルギア楯無」

 これは、真宏による簪への一大告白からそう遠くないいつかに起きたこと。

 

 

「むぅ……」

 

 ある日ある時自室にて、ベッドの上に並んだ二枚の紙切れを前に唸り声をあげる神上真宏の姿があった。

 眉を逆立て目をすがめ、どう扱ったものか考えあぐねた末、丁寧に並べてみた紙切れが放つ――ような気がする――オーラに負けないよう仁王立ちをして、真っ向から向かい合っている。

 

 彼が悩んでいるのはほかでもない、先日ワカから「お小遣いみたいなものですっ!」とかつてないほどニヤついた悪い笑顔で渡されたこの紙切れ、水族館のチケットの処遇についてであった。

 

 ……いやまあ、ワカがこれをくれた意図はわかりやす過ぎるくらいにわかっている。何を期待されているのかということも含めて、あそこまで表情に出る人はそういないし。最近簪とも仲がいいらしいから、これはワカなりに気を使ってくれた結果であろうと真宏は正しく理解する。

 あの子の場合、単に楽しんでいるだけな気もするが。ともあれその心遣いはありがたいと思う。

 

 真宏にとって、ペアで行けとばかりにこんなものを渡されたのだから、誰と行くかは決まりきっている。それ以外には想像もつかず、想像もしたくない。

 あれだけの告白をしでかすほどに一途な男であるならば、さもありなん。

 

 問題は、実際に自分が誘えるかということだ。

 

 そう。

 簪を、デートに。

 

「――っくぅぅ……!」

 

 自分一人しかいない部屋の中で、何を想像したのか赤くなったり青くなったりを繰り返す男が一名。その時真宏の脳内で繰り返された、簪をデートに誘うシミュレーションのパターンと回数は伏せておくのが武士の情けというものであろう。

 IS学園の訓練された生徒一同がこの様子を見ていればそれはもう視線が生温かくなるのであろうが、幸か不幸かここには真宏しかいない。よって、その百面相がどれほど面白かったかは想像にお任せするよりないだろう。

 

「うんまあ、ひとまず簪の予定を聞いてみるのは確定事項なんだけどね?」

 

 決して短いとは言えない煩悶の後、ひとまず当座の目標を捻り出した真宏としては次に行動へ移りたいところだ。

 

 簪が喜んでくれるのならば、恥ずかしいとか断られたらとか、そういう余計なことを考えずに誘ってみようと思う。

 

 そうするに足るだけの理由を、真宏は簪からもらっているのだから。

 

 

◇◆◇

 

 

 このときより数日前の、放課後訓練のときのこと。

 これまでも折を見て開催されていた、時に充実し、時に阿鼻叫喚の地獄絵図が降臨するこの一年生専用機持ち合同訓練の場に、色々あった末めでたく専用機を完成させた簪も今回から参加することあいなった。

 

 ……余談であるが、これまで鈴が加わったりシャルロットとラウラがこの訓練に参加するとなったときはそこはかとなく空気に火花が散るような幻覚を伴ったのだが、何故か簪の場合はヒロインズ一同極めて和やかに迎え入れたという。

 利害の対立と一致は、どんな所にも存在すると言う証左であろう。

 

 

 そんな訓練である。

 専用機持ちには、IS訓練以外にもインタビューやらグラビア撮影やらと多忙な国家代表候補生が多いため、開催の日時は不定期で、その度に参加メンバーも訓練の内容も異なっている。

 一夏のブレオン体質をなんとか射撃型相手にも戦えるよう矯正するためシャルロットと真宏がひたすらトリガーハッピー弾薬をばらまく弾幕ごっこを繰り広げたり、チームに分かれての複数対複数模擬戦をやってみたり、一対一の模擬戦をやって強羅との試合の際に分離してこっそり後ろから回りこんだ白鐡に連れ去られかけたりと、今回だけでも色々と行われた。

 基礎的な訓練に関しては錚々たる経歴と指導力を誇るIS学園教師陣に任せるのが得策であるため、この場では主にこういった突飛な状況を想定しての訓練を行うのが常であった。

 ……単なる趣味じゃねぇか、と言ってはいけない。真宏以外はその事実に薄々気づいているからして。

 

 そして、激しくも愉快なそれら訓練の合間合間には、専用機を持ち優遇されている者の務めとして、学園側の打鉄やラファール・リヴァイヴを借りて訓練に励む生徒達の相手役をする、というものもある。

 とはいえ、他の生徒が使う機体が学園側の量産機とは言っても、そう気を抜けるものではない。相手もIS学園入学という狭き門をくぐり抜けた選りすぐりの才女達であるわけであるし、専用機と量産機の間にある性能差も、操縦技能の習熟と専用機の長短を把握して対策を講じることによってその差を徐々に詰めつつある。

 

 例えば。

 

「トリガー! ハッピーーーーっ!!」

「うわああああああっ!?」

 

 こんな感じで、近接一辺倒の白式をハリネズミのように武装したラファールが圧倒したりとか。銃弾と爆炎に追い立てられてアリーナ中を逃げ回る一夏の必死な顔といったらない。……まあ、ただたんに恍惚とした表情で銃を乱射する少女が恐ろしすぎただけかもしれないが。それでも量産機にはまだ勝ち切らせず、最後に零落白夜の一閃で逆転するあたりが一夏らしいといえば、らしい。

 

『よっしゃあ、どんとこいやぁっ!』

「あーもう、どうしてそんなに硬いのよ!」

 

 そして、当然真宏も例外ではなく、対戦相手を務めている。

 しかし強羅は元々頑丈であったところにセカンド・シフトまで成し遂げ、ますます重厚一辺倒に。結果としてシールドバリアを削りきるにはかなりの火力を持ちこむ必要があるという、アリーナで真正面から量産機で立ち向かうにはかなり無理ゲー臭いことになりつつあったりするのだが。

 しかも、自律型ユニットたる白鐡も分離して独自に戦ったり、時々強羅が放り捨てておいたアサルトライフルやらグレネードやらを拾って自分で使ったりもするのだから、支援火力も侮れない。

 ……その一方、がんばってとっつきを使う生徒やらブレオンで挑んでくる生徒相手には、強羅にそんな武装で立ち向かうというロマンっぷりに気を取られて逆にやられたりする勝率の安定しないところがいかにも真宏らしいともっぱらの評判だ。

 

『だから言っただろう、そんな程度じゃ火力が足りないって。……やっぱりとっつき使おうぜ! それなら強羅も数発で沈むし!』

「そうだよ! ほらこのRAJMなら初心者にも向いてるし。……え? 使いやすいかって? ――とっつきやすかったらとっつきじゃないよ!」

 

「……いや、パイルバンカー使いこなせるのなんて神上くんかデュノアくんくらいだから」

 

 試合終了後、全弾撃ち尽くしてなお強羅を削りきれず両手のアサルトライフルを手に悄然とたたずむ生徒に、熱心にとっつきのよさを宣伝している真宏がいた。その話題になった途端ワープでもしたかのように現れたシャルロットも隣に混じってもいるが、気にしてはいけない。

 あれは先日手に入れた新装備のあまりのとっつきらしさに浮かれて一時的に信者を増やそうとしているだけだ。近づけば取り込まれる。

 

「とっつきがダメとなると、大量に武器を持ち込むしかないかなあ」

「でも、量産機の拡張領域じゃあ……」

「そんなときはこれ! デュノア社製の背部コンテナ。戦車を穴あきチーズかローストチキンにできるくらい色々詰め込めるよ」

『シャルロットの胸を誤魔化していた信頼と実績の異次元コルセットの技術を応用して最近開発されたらしい。明らかに容量以上の武装が詰め込めるし、取り外して楯代わりにすれば大気圏突入時も安心だ』

「それ大統領魂がないと使えないヤツじゃない?」

 

 このような例に限らず、9割9分の生徒が女子であるIS学園で訓練などすると、真宏であろうとも必然的に女子と会話を交わすことになる。まして真宏は、一夏とは違った方向性で神経がズ太いので、女子生徒との会話でまごついたり照れたりということはない。だからこうして楽しくも賑やかに模擬試合の講評などしているのであるが、その際気になることが一つ。

 

「……」

 

 これまでならばそうして会話が弾むことも一切問題なかったのだが、今は簪がいる。

 

 訓練に熱が入った結果、敢えてアサルトライフルを二丁持ちにするのがいいだとか、拡張領域から展開するのではなく背中に背負った武器を次々持ちかえるのがたまらないだとか、対戦相手の良いところを興奮気味に褒めそやす真宏の姿を見た簪が、どうなるか。

 IS学園生である以上、真宏と訓練をしていた少女とてあの日の真宏の行動とその後の二人の距離の近さを知らぬわけがなく、だからこそおそるおそると視線を向けざるを得ない。

 箒達と共に休憩していた簪のもとへと、徐々にアリーナにいる大半の女子生徒の視線が集まっていく。おっかなびっくり、怖いような見たいようなという複雑な感情を乗せて。

 

 ……そこには。

 

「もう……また相手を困らせてる」

 

 まったくしょうがない、とばかりに苦笑いする簪の姿があった。

 嫉妬や不満などの暗い感情は、かけらもなしに。

 

 

「なん……だと……?」

 

 これに驚いたのは、誰より箒達である。

 

 なにせ、真宏と簪は「ああ」なった。

 詳細は省くがぶっちゃけた話、もうお前ら結婚しろよとばかりの睦まじい姿がこれまで学園中で確認されてもいる。休み時間にすれ違った時に微笑みを交わし、廊下の隅でとても自然に、それでいて幸せそうに他愛ないことを話している。その時の二人の頬は、まだ少し赤みが残る。中学生日記かなんかか、というのは現在学園内で最も共通した感慨であろう。

 そんな簪が、今の真宏を見てのこの表情。

 もし一夏が今の真宏のようにまた別の女子をたらしこむようなことをしていたら、一夏を引きずってきて多対一――当然一夏が一人の方――の訓練になだれ込む自信のある箒達であるだけに、簪のこの反応は予想外であった。

 

「か……簪? 外野が言うことではないかもしれんが、いいのか? その……真宏があのようなことをしていて」

「あのよう? ……あ。あの子と仲良く……とか?」

「ああ、そうだ」

 

 箒の疑問の声に応え、合点がいったと頷く簪の様子を、いまだ異様な熱心さでとっつきを勧めているシャルロット以外の4人が詰め寄らんばかりに傾注している。

 どうにも、気になってしょうがないのだ。人の恋路に土足で踏み込むようなことは格好が悪いとわかっているしはしたないとも思いはするのだが、今の簪がどう思っているのかを、どうしても知りたいという気持ちが強い。

 

 なぜ、そんな風にふるまえるのか。

 なぜ、そんな表情をしていられるのか。

 

「大丈夫。……だって」

 

 簪の思いも、彼女達がどうしてこれほど知りたいと願ったのかも、答えはすぐに出る。

 何故なら。

 

 

「……真宏は私一筋だって、言ってくれたから」

 

 

「「「「――!!」」」」

 

 照れたように、あるいはノロけるように。

 朱に染まる頬をそっと(打鉄弐式のゴツイ)手で隠しながら微笑んだ顔を俯ける簪の横顔が、あまりに魅力的過ぎたからだ。

 

 女は恋をすると美しくなると言われている。

 ならばその恋が適ったならば。そして相手が心から思ってくれて、それをどこまでも信じることができたなら。

 人はここまで美しくなれるのだと、箒達は初めて思い知らされた。

 

 

◇◆◇

 

 

 ……などというやり取りがあったことを、実は真宏もばっちり把握していた。ISのハイパーセンサーを舐めてはいけない。そしてさりげなく音響センサーの感度を上げていた強羅の、空気が読めるんだか読めないんだかわからない気の使い方も。

 

「なんとかなぁ……信じてくれてるのは嬉しいし……でもそれって誘う理由になるのか?」

 

 てーわけである。他の誰かに聞かれたらグレネードで自爆しろとか思われること請け合いな甘酸っぱい考えと言葉であるのだが、当の本人はこの上なく真剣だ。

 

 

 真宏としては、なにをするか自体は既に決めている。

 このチケットを持って行って簪を誘い、水族館に行き、思い切り楽しんでもらう。この水族館は数年前に元あった施設が新しくなったものであるし、割と大きな水槽も備えているらしい。仮にさほど行楽要素のない場所であったとしても、簪と一緒に出かけられるならこの上なく楽しいだろうとは思う。

 

 思うのだが。

 

「で、デデデデートだなんて言ったら簪のことだし多分戸惑うよな。……よし、あくまでただ遊びに行くって感じで誘う方向で!」

 

 問題は、この期に及んでこの男がヘタレないかだけであろう。

 

 

「というわけで、簪! 水族館に行こう、な!?」

「……?」

 

 ……そして、この誘い文句である。

 

 いつぞやのように回りにどれだけの人がいるか知らないうちに勢い任せで言ったわけではなく、しっかりと人気のない廊下の隅でこっそり、という体裁を整えられたのだけは進歩なのだろうが、どの方向に進歩しているかについてはさっぱりわからない。

 日も落ちた時間帯に寮の廊下の隅。簪を誘おうと部屋を出た直後、簪の部屋に着く前に廊下ですれ違いかけたとき、その勢いのまま連れ込んだのだから衝動的なのか計画的なのかわからない。

 

 しかしそんな真宏の行動に評価を下すのは、この誘いを受けた簪自身。

 

 きょとんとした表情でこの場に連れてこられ、真宏の言葉を聞いてしばらく考え込んだ後、何かに気付いたように目を見開いて真っ赤になって俯いた、簪の役目なのだから。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。

 簪は俯いたまま指をこねくりまわしているし、真宏は緊張で固まって動けない。

 ここは寮の廊下の隅で、しかも二人のいる位置は積みあげられたダンボールに隠された一角であるため通りがかる生徒はおろか動くものすら二人の他にはなく、互いに言葉を発することができないヘタレ共の心拍が刻む時間だけが過ぎていく。

 さまよう二人の視線はどうしても重ならず、しかし視界の端に相手の顔が赤くなっているのが見えてますます照れる。

 

 そして、おそらくあと数秒このままならば真宏が緊張に耐えられず奇声を発して逃げ出し、いつぞやと逆に今度は簪が必死に追いかけることになっただろう、その時。

 

「あの……」

「な、なんだっ?」

 

 絶妙のタイミングで、簪が声をかけた。

 

 真宏の目を見上げた顔は茹だって赤く、そこはかとなく潤んだ垂れ気味の瞳に映るのは、期待の色だろうか。

 少なくとも、真宏の声が上ずる程度には魅力的だったのは間違いない。

 

 そして、続く言葉は。

 

「これって……デート?」

「~~~~っ!?」

 

 まさしく、トドメであった。

 

「簪が……そうしたいなら」

「……うんっ」

 

 ゆえに、真宏に抵抗の余地などないのである。

 

 そんな、噂に敏感な十代女子ならハイエナのごとく食いつきそうなやり取りも、場所が場所であったため、聞いていたのは二人を取り囲む無言のダンボールの山だけであった。

 

 

◇◆◇

 

 

「それじゃあ一夏くん、次の日曜日は予定を開けておいてね」

「いきなり部屋に乗り込んできて何を言ってるんですか!?」

「いいから、会長命令よ。……急で悪いとは思ってるけど、一夏くんの力が必要なの。お願いできないかしら」

「……わかりました。会長のシリアスな顔ってイマイチ信用できないんですけど、協力します」

 

 ……ちなみにその後、真宏と簪が密会した場所からダンボール箱が一つ消え、どこかの部屋でこんな会話が繰り広げられたらしいが、これは一体何を意味しているのだろう。

 

 

◇◆◇

 

 

 そして、真宏と簪がそれぞれ別々にこっそりとIS学園を抜けだし、水族館の入り口で合流するという回りくどい待ち合わせをした、デート当日。

 

「……やっぱり会長のシリアス顔は信じちゃいけないなー」

「しっ! 二人に気付かれちゃうでしょ!?」

 

 そこには、楯無に連れ出されてきた理由を知ってげんなりしている一夏の姿があった。

 

 

 二人がやってきたのは、沖合に浮かぶ島の名前を冠しながらも、敷地自体は本土側にある水族館。ついさっき真宏と簪が入っていった、二人の今日のデート会場である。

 

「あれだけシリアスな顔しておいてやることが真宏達のデートのストーキングって……馬に蹴られたいんですか」

「……一夏くんにはわからないでしょうねえ。怪我だ傷だと保健室に押し込められている間に、妹が大人の階段を上っていた気持ちは」

「……そういえば、強羅の調査会あたりまで精密検査だなんだでほとんど会えませんでしたね」

 

 妹を思う姉の気持ち、というヤツがある。まして楯無はタイミングやら何やらの巡り合わせが異様に悪かったせいで、ようやく仲直りできたばかりの妹を真宏にかっさらわれた形なのだから、寂しかったり何なりの感情があるのだろう。

 一夏にもその気持ちはわからないでもない。もし自分の姉に同じようなことがあったらと考えると……相手の男に白式装備で突撃をかましかねない部分は、確かにあった。

 

「というわけで、二人のことをこの目で見守りたくなったわけよ。……大丈夫。バレなければ大丈夫。ただ、もしも真宏くんが何かおかしなことをするようなら……」

「楯無さん、目がぐるぐるしてますよ」

 

 共感できる部分は確かにあるのだが、どうしてこうまで不安なのだろうか。

 そんな楯無の有様に一夏が頭痛を覚えだした、そのとき

 

――きゅー

 

「ひぅっ!?」

「うわぁっ!」

 

 つんつん、と首筋をつつかれる感触に楯無がまず飛び上がる勢いで驚き、つられて一夏ものけぞるほどに驚かされた。

 

「一体なに……って、白鐡!?」

――きゅきゅー

「ま、マスコットモードだけど、なんでここに!」

 

 前方の真宏達に意識を集中していたせいであろうか。

 こっそりと近づいてきていた白鐡の存在に二人が気付けたのは、実際に触れられてからだった。

 

 一夏の言葉通り、そこにいたのはマスコットモードという名が定着しつつある部分展開状態の白鐡であった。セカンド・シフトしてから色々試し、ある程度は強羅からも離れて独立稼働ができるということを聞いてはいたのだが、確か真宏の許可がなければ実体化することまではできなかったはず。

 

 よって、この白鐡は。

 なぜかくちばしに紙切れをくわえてやって来た、この白鐡は。

 

「え……てことはつまり真宏の差し金で」

――きゅー

「……この手紙は、真宏くんからってこと、よね」

――きゅーきゅー

 

 ということに、なる。

 白鐡がはじめてのおつかいとして楯無に差し出したその手紙は、少なくとも誰かが自分達を追いかけるだろうと予想した真宏からの物であろうと考えて、間違いない。

 一仕事終えて自慢げに羽を伸ばしている白鐡は一夏に預け、楯無がその手紙の中を検める。

 ごく普通の封筒からこれまた普通な便箋を取り出して、最初に。

 

『この手紙を読んだ時まず最初に「一体何が書いてあるのか」という』

「一体何が書いてあるのかしら……ハッ!?」

「お約束はいいですから」

 

 などということをやってのけるあたり、真宏と更識家の人間は元々相性いいのではなかろうかと、一夏は呆れざるを得ない。

 

 

「……う~ん」

「別にいいじゃないですか、手紙には変なこと書いてあったわけじゃないんでしょう」

 

 真宏達から距離を離されすぎないように移動をはじめ、白鐡が一夏の胸ポケットに居場所を定めたころ、楯無が手紙を読み終えた。

 中にはごく簡単に「ついてくるのは勝手。ただし簪を泣かせたら怒ります」とだけ書かれていた。確かに真宏の字で書かれている簡素な手紙ではあったが、だからこそ最後の言葉がどこまでも本気なのがうかがえる。

 

 そんな真宏の邪魔をしたらどうなるか。一夏としては想像もしたくない。

 もちろん、楯無とて真宏の忠告を無下にするつもりはないだろう。簪を泣かせたくないという気持ちはきっと同じであろうし、ならばいっそこのまま帰るのもアリだ。アリのはずだと、一夏は考えている。

 

 しかし。

 

「よし、行きましょうか」

「……結局行くんですか」

「何を言っているのよ一夏くん。『ついてくるのは勝手』と書かれているわけだし、むしろ真宏くんが変なところでヘタレて簪ちゃんを泣かせたら今度は私達が天誅を下さなきゃならないのよ? ……だから、何も問題はないわ」

「……さようで」

――きゅーきゅー

 

 言うだけ無駄、というのが最終最後の決断だった。この人、絶対今日のこの一件を最後まで見なきゃあ気が済まねえと一夏は確信する。

 

 一方、仕事を終えた白鐡は真宏の元に戻ることなく一夏のポケットの奥に潜り込んだり、右腕で待機状態となっている白式に顔を擦りつけたりしている。

 そういえば白鐡は白式と強羅の合体から生まれたという話だから、そのせいで白式にも懐いているのかもしれない。

 以前真宏とやった模擬戦ではいきなり背中に張り付かれてどこかへ連れ去られそうになったりもしたのだが、こうして見ると案外可愛い奴である。

 

 とまあこんなわけで、真宏と簪のデート監視隊は二人と一匹(?)の編成となったのであったとさ。

 

 

「……うん、ちゃんと仲よさそうね」

「そうですね」

 

 ゆっくりと順路を巡る真宏と簪を、一夏達はそれなりの距離を置いて追い続ける。

 いくつも並ぶ水槽を順番に顔を寄せて覗き込み、時折笑いを交わす二人の様子はまさしく恋人同士以外のものに見えはしない。珍しく一張羅を着込んできた真宏はごく普通な若者らしい風体であるが、おとなしく淡い色合いのワンピースを着た簪は、本人の持つ雰囲気と相まって清楚なお嬢様といった趣だ。

 そんな二人がくっつかず、でも決して離れずといった距離をふわふわと漂いながら歩んでいく姿は、初めてのデートの初々しさも相まって大変に微笑ましい。

 

「なのに、俺たちはどうしてこんな格好に……」

「何言ってるのよ一夏くん。尾行がバレないようにするのは基本中の基本よ?」

 

 一方の一夏達はといえば、真宏達にバレないよう変装している。

 とはいえ、余り突飛なものではない。楯無は帽子をかぶって大きめのメガネをかける程度で、あとはかかとの高い靴で身長をごまかして大人しくしているだけだが随分と雰囲気が違って見える。

 そして一夏のほうは、会長が用意してきた少しラフな服を着せられている。柄の派手なシャツやらジャケット、ダメージジーンズなどワイルドな装いでこれはこれで普段とは違った感じのイケメンオーラが滲みでる。

 しかも楯無が巧みに真宏達との位置関係を変えることによって、可能な限り相手の視界に入ることなく自然な動きで付いていけてもいる。……ちなみに、一夏を女装させ自分は男装しようとしていた楯無の意見を必死に却下してこうなった。あと少し楯無の押しが強ければ危なかっただろうと、一夏としては胸を撫で下ろすことしきりである。

 ……なんという追跡技能の無駄遣いであろうか。

 

 ついでに記しておくと、白鐡は一夏のポケットに収まっていたり胸元でペンダントのフリをしたりと割と自由に振舞っている。なかなかにイタズラ好きなのだ、こいつは。

 

「『イワシきれいだね』『ああ、時々群れからはぐれて右往左往する一団が出るのも面白い』って……もう少し色気のある会話はできないのかしらあの子たちは」

「……色気のなさで今の楯無さんの右に出る人はいないと思いますよ?」

 

 水族館に入って割とすぐ、この施設の目玉たる近隣の海の生態系を再現した大型水槽を、吹き抜けの2階部分から見下ろせる場所がある。

 2階部分にも階下にも、たくさんの人がいて水槽をのぞきこんでいる。中にはやたらと魚に詳しく、両親に怒涛の解説をかましている子供などもいたりするのが微笑ましい。

 真宏と簪はしばらくそこで大水槽を眺めることにしたようだった。薄暗い室内に水槽の水を通して青く浮かび上がる二人の表情は楽しげで会話もはずんでいるようだったが、確かにその話題は少々男女二人きりの場にふさわしいとは言い難いだろう。

 

 ……問題は、どうしてそんな会話を二人にバレないほど距離を取った楯無が判別できているかなわけで。

 

「何よ一夏くん、文句でもあるの?」

「文句はないです。……ないですけど、その耳はなんですか」

「超忍法・地獄耳だけど、なにか?」

 

 そう嘯き、耳を作り物クサい巨大なものにして聞き耳を立てている楯無の姿など、誰が望んでいるのだろうか。実際のところはNINJA的な読唇術か何かを駆使していると思われるが、こんな小道具を用意しているのは確実に楯無自身の趣味だ。

 ひょっとすると、道中真宏達を追いかけていた自分達の姿は今の楯無と同じようにかなり滑稽なものだったのではないか。そう思うと、一夏はむくむくと不安が湧いてくる。

 

 ともあれ、そんな感じでデートのおっかけは引き続き行われた。

 

 2階側から大水槽を回り込みつつ、壁に埋め込まれた水槽を見たり、大水槽に魚眼状にくりぬかれた窓から近くの岩場に潜むウツボを見たりなどなど。

 いたって普通のデート風景である。海っぽい水槽の様子を見た真宏がISにおける水中戦の話を切り出すこともなく、それに乗った簪が大雪山おろしの訓練を申し出ることもなく、普段の二人を知っている身としては信じられないほどに当たり前のデートが行われていた。

 

「ただ、ちょっとだけ『デートはこういうもの』っていう固定観念に縛られてる間があるかしら。もうちょっと二人らしくフリーダムに楽しんでもいいと思うんだけど」

「簪さんはどうか知らないですけど、真宏は絶対にこういうの初めてですから大目に見てやってください」

 

 それはもう、こういう失礼な寸評が飛ぶくらいには。

 では当の一夏達はどうなのかというと、実のところ真宏達と大差ない。水槽を眺めているふりをし、解説を読んでいるとみせかけ、その実真宏達の視界には入らないよう最大限に注意しながら同じ順路を巡っているのではた目にはこちらもデートのように見えていることだろう。

 もっとも、真宏達の監視に全神経を集中している楯無にも、ただついてきているだけのはずの一夏にも、そんな余裕はないのだが。

 

「……さっきから疑問に思ってたんですけど楯無さん? なんで組みつかれた腕を少しでも動かすと激痛が走るんですか」

「ごめんね、一夏くん。二人からバレないようにするためにはあんまりシルエットを目立たせない方がいいからこうしてるの。……ちなみにこの技は、腕を動かせば激痛が走り、暴れようとすれば筋がねじれ、振りほどくときには骨が逝く、更識忍法『ヤンデレアームロック』よ」

 

 こんなことをされていれば、当然のことだ。

 どうしてこの行動力を簪との関係修復に向けられなかったのだろうかと一夏は常々疑問に思う。そして、身じろぎする度に走る痛みで顔を引き攣らせないよう我慢するのに必死だった。

 

「……名前は聞き流すとしてもおっそろしい技ですね」

「簪ちゃんも使えるわよ。……まあ簪ちゃんが真宏くんに使うとは思えないし、そもそもまだそんな段階にも至ってないみたいだけど」

 

 

 真宏と簪は、本当に楽しそうに二人の時間を過ごしている。

 

 壁際の水槽に近づいて魚を見ていたとき、上側の死角からぬっとあらわれたウマヅラハギの顔のあまりのウマヅラっぷりに驚いた簪が真宏に飛び付き、真宏がしっかりと支えたり。そしてその直後に二人して赤くなって離れたり。

 

 生きているのか剥製なのかわからないレベルで動かないタカアシガニの水槽を眺め、

 

「……パトレイバーを思い出すな」

「むしり取った足で殴るほう? それとも取られた腕でロケットパンチをするほう?」

「両方」

 

 周りの人間には通じない話をしたり。

 

 この水族館の特徴なのか、幻想的な色合いの照明が心を落ち着かせるクラゲゾーンで二人揃って呆けた表情をさらしたり。中でも二人は、体の縁をきらめかせるようにして水中を泳ぐ不思議生物、アミガサクラゲが気に入ったようだった。

 

「アミガサクラゲ……か」

「きれいだね……」

「「輝彩滑刀みたいで」」

 

 ……気に入った理由は、二人揃って大変アレだったのであるが。

 そんなせいもあってか、このクラゲゾーンだけはわざわざ2周も回ったり。

 

「っ! 一夏くん、下がって!」

「へぶぅっ!?」

 

 その動きが予想外だったのか、それまで安定して二人を追いかけていた楯無の尾行体勢が崩されかけ、一夏を抱きかかえて通路の隅に押し込むという局面もあったりした。

 外からはバカップルが場所をわきまえずに抱き合っただけにしか見えないだろうが、その実二人の心臓はこれ以上ないほどに激しい脈を刻んでいる。

 

 ……突然声がくぐもった一夏の顔面がどういう状態にあったのか、また一夏の動悸の原因が顔面を覆った何にあるのかなど、そういうことは一夏の名誉のために割愛するとしよう。

 ただ、一応形としては一夏もデートをしているのと変わらないわけだから、こやつがエロハプニングに巻き込まれないわけはないのである、とだけ。

 

 

 二人の水族館デートは、終始そのように進んでいった。

 静かで落ち着いて、時に笑顔で言葉を交わす。段々とお互いの距離が近づいて、指先が触れ、そのまま離さず勇気を持って手をつないで歩き、ただ自分の隣にこの人がいてくれることが幸せでならないと、互いに思っていることがひしひしと伝わってくるほどに。

 

「……うん、これなら大丈夫かしら」

「楯無さん?」

 

 そんなか細い声を聞いた。その時一夏はちょうど、自分も鳥っぽいから仲間と思ったか、ペンギンの水槽に突撃しようとする白鐡を捕まえ取り押さえている最中であった。

 普段の楯無からは想像もつかないほど小さな声であり、ダクトか何かから水槽内に侵入すらしてのけそうな白鐡を押さえていることにもう少し集中していたら気付くことすらできなかったのではと思われた。最初はメッセンジャーとして送り込まれた白鐡であるが、こうなると真宏にお守を押しつけられたのではないかという気がしてくる。

 

「別に、ね。心配はしてなかったのよ? 真宏くんが簪ちゃんのことを大事にしてくれる、っていうのは私もわかってたし。……それに、今日は二人ともすごく楽しそうだったから」

「楯無さん……」

 

 何故か水槽の隅で縦になって泳ぎもせずにじっとしているやる気のないゴマフアザラシをひとしきり愛でたあと、そろそろ始まるイルカショーの会場へと続く見通しのいい外部通路を通っていく真宏達をメガネの奥の横目に見送りながら、楯無は言う。

 

「ただやっぱり、お姉ちゃんとしてはもうちょっとかまって欲しいとか……そういうのが、ね?」

「……」

 

 それは楯無の、紛れもない本心であるのだろう。

 冗談めかしたことを言いながら浮かべるのは、一夏がこれまで見たこともないほどにほっとした表情。確かに今日の二人の仲の良さを喜んでいるのが感じられる。……もっとも、それはそれで心中複雑であるということもまた、わかるのであるが。

 

「これならもう簪ちゃんが寂しい思いをすることもないでしょうし……良かったと思うわ」

「楯無さん……」

 

 では、そんな少女を前にした一夏がどうするか。

 それはもう、一夏らしい行動というよりない。

 

「だったら、よかったじゃないですか」

「ええ、でも……」

 

 

「今度は、楯無さんが簪さんと遊びに行けばいいんですよ」

「……え?」

 

 にこり、と。

 何の気負いもない笑顔で、しかし楯無の不安やら何やらをまとめて吹き飛ばすように、言ってのけた。

 

「俺は楯無さんと簪さんの間で何があったかは知りませんけど、面倒なことなんかはもう片付いたんでしょう? なら一緒に遊びにいけばいい。楯無さんは真宏とも仲いいんだし、三人一緒でもいいと思いますけど」

「……」

 

 一夏のこの物言いは馬に蹴られるべきKYな発言と取るべきか、それともいつもの無自覚天然ジゴロ的な慰めと取るかかなり難しいところであった。

 

 ……だが、そんな言葉が。

 簪と元通り姉妹に戻れると言われたに等しい今の楯無には、嬉しかった。

 

「……本当? 本当に、もう簪ちゃんと仲良くできるの?」

「いや、仲直りしたんでしょう?」

 

 仲直り。

 その言葉を、どれほど遠く感じた日々だったろう。

 

 身から出た錆に近いとはいえ、妹に避けられ、それに手を差し伸べることすらできなかった、「更識楯無」という名を背負っての日々。決して嫌だと思ったわけではなかった。自分がその名に不足のない人間だという自負と、支えてくれる人たちの心が頼もしく、誇らしかった。

 ただそれでも、この手で触れたい妹の指先が、どうしても遠かった。

 

 しかし、それももう終わった。

 終わらせてくれたのだ。目の前で辛いことなど何もないとばかりの能天気さで微笑む一夏と、彼方で簪に笑顔をあげている、真宏が。

 

 悲劇も嘆きも、全て終わらせてくれた。

 

「……そっか」

「そうですよ。楯無さんも楽しんだ方が、多分簪さんも喜びます」

 

 だからもう、大丈夫なのだろう。

 こんなことをするまでもなく心のどこかでは納得できていたが認めたくなかったことが、今この瞬間にすとんと腑に落ちた。

 

「それじゃあ……ここからは私達のターンね」

「へ?」

 

 ならば、遠慮の必要などあるまい。

 楯無はこれまでのように周囲に気を張っていた態度をかなぐり捨て、ヤンデレアームロックも使わずに自慢の膨らみを押し付けるようにして一夏の腕に抱きついた。

 普段から体を鍛えている一夏はそんなことをされても揺るがず、それでいて、普段からあれだけの美少女達に囲まれているのに、腕に当たる感触に顔を赤くする様が可愛くてしょうがない。

 

「だって、私も楽しんだ方がいいんでしょう? ……なら、今日これからは一夏くんにしっかりエスコートしてもらって、楽しまないと」

「……まるで意味がわからんぞ」

 

 一気に普通のデートっぽくなった二人の雰囲気に呆然とした言葉を吐く一夏の心境が、本当にただ驚いているだけなのか、それともちょっとドキッとしたのを隠そうとしているからなのか

 

 それは、このあと真宏達とは関係なしにあちこち一緒に遊び回ってから判断することになるだろう。

 

 

◇◆◇

 

 

 その後。

水族館が名前を頂いた近くの島まで行って、トライフォースにしか見えない紋所を飾る神社でお参りなどした一夏と楯無が学園に帰ってすぐのこと。

 

「……」

「…………」

「………………」

「……………………」

「…………………………」

 

「ヒィっ!?」

「あ、あら~……」

 

 そこには、ずらりと居並んで出迎える箒、セシリア、鈴、シャルロット、ラウラの姿があったりした。

 一夏と楯無が出かけていると、一体どこから情報が漏れたのやら。女子力ネットワークによるものか、はたまたISのコアネットワークでも駆使したか。戦隊ヒーローもかくやとばかりに綺麗に並んだ5人を前にして感じるプレッシャーは並のものではなく、揃って俯き気味なせいもあって前髪に隠された目はどんなことになっているのか想像したくもなかった。

 

 ただ一つ確かなのは、目の前に勢ぞろいした大切な仲間達を前にして、一夏が自分の死を直感したことだ。

 

「み、みんな……どうしたんだ、こんなところに集まって?」

「どうした……だと?」

 

 ――ヤバイ、いきなり地雷踏んだ!?

 

 響く声は重く、深い。足元はるか地中の奥深くからゆっくりとマグマが昇ってくる光景を幻視するほどのド迫力を、箒のその声は含んでいた。

 

 隣にいたはずの楯無はいつの間にやら姿を消し、噴き出すオーラに当てられたかあたりには生徒の影もない。5人が全能力を持って一夏を狩るには絶好の舞台であり、孤立無援も甚だしい。何が何だか分からないが、ここが俺の死に場所か。一夏がそう思ってしまうのも仕方のないことだ。

 

 事実、目の前の5人の体は抑えきれない激情の震えが段々と大きくなっていき……。

 

 

――そのとき、不思議なことが起こった!

 

「楯無さんと水族館に行ってきた、と聞いている。楽しかったか?」

「……へ?」

 

 なんとそこには、笑顔を浮かべる箒の姿が!

 

「今度は私も連れて行きなさいよ」

「ん……おう?」

 

 さらに、少しツンとしながらもちゃっかりアピールする鈴までも!

 

「一夏さん、紳士としてちゃんとエスコート出来まして? 女性に恥をかかせるなどもってのほかですわよ」

「あぁ……気をつけるよ?」

 

 セシリアの微笑みはそれはもう優美で!

 

「水族館……か。水棲生物の飼育展示施設と聞いている。地下施設や海底施設の占領ならば訓練したこともあるが、水族館とやらは詳しく知らんな」

「多分知るの方向性が違うと思うぞ、ラウラ」

 

 いつものごとくミリタリー側にズレつつ遠回しに誘って欲しいとねだるラウラの姿が、そこにはあった!

 

 

「……な、なあみんなどうしたんだ? なんか変じゃないか?」

「変なことなどなにもないさ。なあ」

「そーよ。あたし達、いつも通りでしょ?」

「ええ、もちろんですわ」

「ドイツ軍人はうろたえない」

「……」

 

 ただし、最初の表情が張り付いたかのようにそのままで。一夏はその事実に気付き、ちょっと背筋にうすら寒い何かが走った。

 

 

 説明しよう!

 何故箒達がこのような行動に出たのか!?

 

 それはズバリ、数日前の簪の在り様に起因する。

 真宏と他の女子生徒が仲良くするさまを見て、それでもなお平然と受け流して信じて見せた簪の姿。それは箒達にとって、これまで何かある度に一夏へ当たり散らしていた自分達を省みさせるに十分すぎるほどの衝撃を持っていたのだ!

 

 

 一夏が無意識かつ手あたり次第に女性をたらしこむのは確かに業腹だが、その度に一夏に当たり散らしてなんになる。当人に悪いことをしているという自覚はないし、事実アレらは全て一夏の優しさに起因するものであり、自分達も一夏のそういうところにこそ惹かれた覚えがある。

 ならば、それを許すことこそ女の度量であり魅力。

 5人は、簪という想いが叶った一人の少女の姿にその真理を見たのだ。

 

 ……だから、頑張った! みんな一夏を許そうと、心から頑張った!

結果は別として!!

 

 いかに真理を得ようとも、彼女達がこれまで積みあげられた一夏への想いは今さら方向転換など容易くできるはずもなく、一夏の優しさが自分以外に向いている状況にどうしてもざわめく心がある。

 結果として箒の笑顔は強張り、鈴はそっぽを向いた横顔からとげとげしいオーラを醸し出し、セシリアの完璧な微笑は高貴なる血に連なる者のみが出せる圧倒的な威圧感を放ち、ラウラからは冷たい殺気が染みだして這い寄るように絡みつく。

 

 

 ……箒達はこうして怒りを押さえ込むことができたのだが、このあと数日間、こんな様子だった4人のことが色々な意味で気にかかってしょうがない一夏との関係がぎくしゃくしてしまうことになるのだが……今はまだ、語るまい。

 

 では、最後の一人。

 これまで沈黙を保っていた5人目、シャルロットはどうか。

 

 他の面子が一夏に話しかけるのをじっと控えて待っていたシャルロットはそこで一歩だけ前に出て、俯き気味な顔をゆっくりと上げ。

 

「――お帰りなさい、一夏」

「お……おお……、シャルゥ……っ」

 

 一夏はそこに、女神を見た。

 

 シャルロットが浮かべた表情は、いつもと変わらぬ日向のように暖かな笑顔。

 何か特別なことを言うでもなく、ほんの少し整えた前髪と、精一杯の笑顔で帰りを出迎える。

 彼女がしたのはそれだけのこと。

 

 帰ってきてくれた大切な人に、心からのおかえりを。

 それが何より、一夏の――というか男の――心を癒すのだった。

 

「……何だ、シャルロットのあの貫禄は」

「……色々疲れた男を癒す術を本能から心得てるとしか思えないわね」

 

 なんにせよ本日の対一夏アピール合戦は、シャルロットが一歩リードしたのは間違いない。

 嫉妬のままに暴れるのではなく、寛大に許すということを覚えた箒達。

 いまだ彼女らのそんな態度になれない一夏との仲が深まるのはいつの日か。

 

 それは、誰より彼女達自身が知りたいことなのであったとさ。

 

 

◇◆◇

 

 

 こうなってはもはや余談の感があるが、真宏と簪はそれはもう平和にデートを終えて帰ってきた。

 モノレールを降りるときも控えめながら楽しそうに会話を交わし、その手はそっと繋がれている。さすがに場所柄を思い出したかすぐに離してしまったようだが、それでも二人の距離がそれ以上離れることはなく、名残を惜しむようにゆっくりと寮までの道を並んで歩いて行ったという報告が、後日虚から楯無に上げられた。

 

 その報告を聞いた楯無の表情は多少苦味が滲んでこそいたが、それでも妹の幸多い未来を祝福する紛れもない笑顔だったという。


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