IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第29話「篠ノ之流」

 IS学園。

 

 その存在意義は、今さら語るまでもあるまい。

10年前突如として世に現れた地上最強の兵器、インフィニット・ストラトスの操縦者を育成するための、高等教育機関。日本のどこかに浮かぶ島丸ごと一つを学園の敷地とし、全寮制を敷いてISの教育と研究を行っている現在の世界でも有数の有名施設だ。

 

 さらには広く名が知られているだけではなく、この学園が教育しているISは現在世界でもっとも強く、危険な兵器。その管理には十全の対策が講じられ、その必然としてこの島へ出入りする者は厳しいチェックを受けて許可を得るよう定められている。

 徹底的に背後関係を洗われるか、あるいは各国の信頼と妥協と黙認という名の装いの元に入学を許された生徒達以外が気安く立ち入ることはまず不可能と言っていい。

 

 だがそれはすなわち、そこまでしてなお侵入を試みる者がいるという証左でもあるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「ふむ……さすがはIS学園といったところでしょうか。想像していたよりは多少やっかいですね。しかしザル警備はこういった組織の基本。必ず突破してみせましょう」

 

 IS学園にいくつか存在する植え込みのなかの一つに紛れ、独り言をつぶやく少女がいる。

 木々の外側からでは決して見えない位置に落ち付き、太陽が中天に差し掛かるこの時間まで歩きづめだった体を休めている。

 特に腰を下ろすでもなく木に体をもたれさせ、溜息を一つついて緑の葉に隠された空を見ようとするかのように顔を上げた。

 ここまでの道のりに大した苦労はなかったが、それでも体は幼い少女のそれ。さすがに疲れる。

 

 この少女がIS学園の生徒でないことは、一目でわかるだろう。

 まずもって授業が行われている真っ最中であるこの時間にこんな場所にいることに加え、着ている物がIS学園の制服ではない、ブラウスとスカートの一揃い。

 しかも、そういった事情を置くにしても少女の容姿はあきらかにIS学園に入学を許される年齢のものではなく、人目を引く長い銀髪と常に目蓋を伏せている相貌は一目見ただけで記憶に残り、もしも学園に在籍しているのであれば誰しもが即座に気付くはずだ。

 

 彼女こそ、真宏が今朝方出会った謎の少女である。

 

 真宏と出会ってから……いや、その前から少女はずっと探し物をしていた。正確にはこのIS学園内のある場所に届け物をすることを任されており、その場へ続く入口を探しているにすぎないのだが……いまだ少女はその目的を果たせずにいた。

 

 目指す場所へ行くための手段について、あらかたの目星はついている。IS学園に直接来る前に聞かされた話と、実際に歩き回って得た情報の数々。IS学園の地理、建物と木々の配置、地質的な情報とさらには少女自身の持ち合わせたある技能。それらを合わせて考えれば、おのずと見当がついてくる。

 だからこそ、少女は今こうして休んでいる。これからが本番なのだ、こんなところで体力を消耗しすぎるわけにはいかない。

 

 そして、理由はもう一つ。

 

 

「――来ましたか。存外早かったですね」

 

 現在位置からは木々しか見えず、風が枝を揺らして音すらかき消されるその只中で、少女がすくと立ち上がる。眼を閉じたまま周囲を走査するように首を振り、またしれっと歩き出す。その歩調に乱れはなく、少女が驚きも焦りも感じていないことを示していた。

 

「校舎側から囲むように、数は……二人組が3、いえ4。咄嗟かつ生徒側に秘匿した上での動員としてはまずまずですか。移動速度の割に音もない。さすがにいい腕のようですね」

 

 まるでデータを読みあげるように無感動な声。余人には推し量りがたい彼女の中の理に従って零れるそれらの言葉の意味を知る者などいるはずもない。

 ただ、少女が木立を抜けて近くの校舎の影に身を滑り込ませた直後に木々の影から染み出るように現れた2人1組の4個集団のみが、自分達の追いかける姿なき侵入者が確実に存在するだろうことと、見事出し抜かれたのだということを知った。

 

 そこからも、真宏の言葉で存在が明らかになった謎の少女の捜索は極秘裏に続けられた。

 他ならぬIS学園が侵入者の存在を全く気付いていないということなどまずあり得ない事態であったが、千冬が指示を下した以上は従うのが部下としての定めであり、なおかつそう判断を下したということは何がしかの心当たりがあるのは間違いない。

 ゆえに、IS学園教師陣の一団はそれぞれ緊密に連携を取り合い、こういった事態の対応マニュアルと千冬からの指示に従って包囲網を効率的かつ正確に狭めていく。

 捜索にあたっているのはわずかな数でしかないが、IS学園に来るまでは各国の特殊部隊や諜報機関に所属していた者達を選りすぐって構成されたその集団から逃れることなど、できるはずがなかった。

 

 たとえ紙一重で逃れられたとしてもそれは次の一歩を追い詰めるための布石。

 IS学園の地理を知り尽くしていることもあり、包囲は盤石にして堅牢。少女は、自分が選べる道が徐々に少なくなりつつあり、いずれ補足されるだろうことを感じ取った。

 

「訂正しましょう。予想を遥かに超える優秀さです。はじめの段階で油断をしていたらその場で捕まっていましたね、これは」

 

 しかし、言葉とは裏腹にその行動に焦りはない。

 時に物影に潜み、あるいは大胆に見晴らしのいい大通りをてくてくと横切り、ダンボールを被る。電子的な監視方法は既に無力化してあるがためにこそ、追手として送り込まれた教師陣から逃れるためにのみ最善の行動をただ一人の少女がロクな装備もなしに取り続けていた。

 

 目を閉じた状態でありながら足取りは両の目を備えた普通の人のそれと変わらず、遠く視界に入らぬ位置から包囲網を狭めんとする複数の人間の動きすら読んでの行動は尋常の範囲を遠く逸している。

 

 教師達はいまだ少女の影すら捕えられていない。だが自分達の追跡を巧みにかわし続ける存在が、これまで同様の潜入を試みてその度に捕縛された程度の諜報員共とは格が違うということを痛いほどに思い知らせてくる。

 それでも教師達にできるのは、ただ相手を追い詰めることのみ。神経を尖らせてわずかな痕跡からどこへ逃げたかを割り出し、その予測を元に絶対不可避となる詰みの瞬間へと向けて布石を打ち続ける。

 

「B班、C班はルート21を封鎖しろ。D班は第三アリーナ側からプレッシャーをかけろ。……A-2、いくぞ」

 

 IS学園の教師は決して無謀ではない。相手の姿こそまだ拝めていないが現在位置はおおむね把握できており、これまでの経過からしてこちら側の動きをどうやってか察知しているのも確実とわかっている。

 となればそれなりの手段をとればいいだけのこと。

 決して広大なわけではないIS学園が収められた島の上から、生徒達の多くいる校舎などの区画を除いた限定領域内を数時間に渡って逃げ回ってきた対象を捕縛するときももうすぐそこだ。通信を追え、他のツーマンセルチームが指示通りの動きをしていることを相互に連絡を取り合う為の端末上で確認し、この一手をもって相手の退路が完全に封鎖されるのはもはや決定された未来となった。 

 勝利を確信し、追跡部隊の指揮を任された教師はなればこそより一層の慎重さとともに傾きだした日が映す影を横目に静かに走り出す。

 

 向かう先にあるのはIS研究棟。

 教師と一部の整備科生徒以外は寄りつきもしないような、使用頻度の低い建物だ。

 ゆえにこの時間帯は人目もなく、捕り物の結末が演じられる場所としてはこの上ないふさわしさで、だからこそここへと誘導してきた。

 

 建物の外側に人影はない。対象は既に内部へと侵入したのであろうが、それこそ思う壺。前もってこの建物は入口以外全ての通路を隔壁で封鎖しており、まさしく袋の鼠となるように用意してある。

 

 ついに対峙することになる大胆な侵入者。

 これまでの経緯から育まれた警戒心はIS学園教師たる彼女らをもってしても十全の慎重さを持つことを強いていた。

 

 

「……」

「…………」

 

 二人組となって互いの死角をカバーしあい、手には対象無力化用の催眠弾を装填した特殊拳銃を携えて、隔壁に封じられたごく狭いロビーの中へと無言のままに飛び込んで。

 

「……A-2、状況報告」

「……対象、視認できず」

 

 目の前の誰ひとりいないロビーを目にして、自分達が完全な敗北を喫したことを知った。

 

 突入班の二人は無駄と知りながら2班を外部の監視に残し、もう1班を呼び寄せ改めてロビー内を調査した。入館を管理する窓口と、隔壁に封鎖された廊下と階段。客を呼ぶような場所でもないためソファの一つも置かれていないその空間に隠れられる場所などあるはずもなく、すなわち確実にこの建物に入ったはずの相手が自分達の想像の埒外の手段をもってまんまと逃げたことを意味する。

 

 屈辱ではあるが、こうなってしまえば事態は既に自分達の手を離れたことになる。そう確信した現場指揮官の教師は通信機を取り出し、責任者――すなわち、千冬――に連絡を取る。

 

「織斑先生、こちら追跡班。IS研究棟にて……目標を完全に見失いました」

『――そうか、わかった。ならばあとは通常の勤務体制に戻れ。ご苦労だった』

 

 返事は半ば予想していたものとなんら変わらない。状況は何一つ改善していないというのに捜索を打ち切るなど常識を外れた対応とも思えるが、それも致し方の無いことだろう。

 

「あの、これってやっぱり……」

「言わないでよ、大体わかってるんだから」

 

 それまでの張りつめた空気を弛緩させ、さきほどまでA-1というコールサインで呼ばれていた数学担当教師エドワース・フランシィは拗ねたような表情を浮かべ、かつりと音を立てて床を蹴る。

 

「それこそあたし達じゃ踏み込めないところまで侵入された、ってことよ。……あーもーしょうがないな。何かあるかもしれないし、榎の盆栽避難させておいたほうがいいかしら」

「相変わらずですね、先生は」

 

 返ってくる音は普通の床を蹴ったときのそれと変わらず、「IS学園の地下には深く広大な機密区画が広がっている」という信憑性のありすぎる噂を否定も肯定もしない。

 ただ明らかなのは自分達がこれ以上知ることは許されていないという事実だけで、あとはせめて千冬達が上手く収めてくれるように祈るだけだ。

 

 最近、IS学園はイベントの度に某かの襲撃や事件が起きることが半ばジンクスとして知られつつある。

 たとえイベントがなくても侵入を試みる無謀な手合いは常々いるが、それでもここまで侵入されることがあるのかと、今夜一年生寮で開かれるハロウィンパーティーを知らない彼女らは思うのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 病院か何かを思わせる、単色の壁と床を白々とした照明が照らす通路を少女が歩く。

 足取りは軽快、表情は平静、閉じた瞼はぴくりともしない有様で、ここがIS学園の関係者の中でも一部の者しか入ることを許されない特別機密区画であるということを意識もしていないようだった。

 

 世界でも最高峰のセキュリティと秘匿性を持つはずのそこにこれほど幼い少女が入りこめたのは彼女自身の能力と、それを支える存在があればこそであったろう。

 

「さすがは束さま。さすたばです。私だけではあの入口を見つけても突破するのは難しかったでしょうね」

 

 呟く言葉だけは、年相応の少女のように弾んでいる。

 つい先ほどまで厳しく追い立てられていたことにも緊張など欠片も感じなかった少女の胸中には、自分の全てと誓った存在である篠ノ之束への畏敬の念のみがあるからだ。

 

「しかし……そんな束さまでも、あの男は……」

 

 だがその表情がふいに歪む。

 一辺の曇りなく束のことを信じるその少女が、それでもわずかに心を揺らされる存在がいるのだ。

 

 その存在こそ、敬愛する束ですら推し量りがたいと言わしめた謎の男、神上真宏である。

 今朝方下調べをしていた段階で他の誰にも邪魔されず接触する機会があったためにあえて姿をさらしてみたが……確かに底知れぬところがあった。バカ、という意味で。底抜けだ。

 

 IS学園に自分のような存在がいることなど明らかな異常事態であるというのに、あの男は暢気に声をかけて探し物を手伝うなどとのたまった。もしあのとき地下特別区画への侵入経路を探している、と本当のことを言っていたらそれでも手伝うと言ったのだろうか。

 ……あながちあり得ない話でもない、というのが直接話しての印象だった。

 

 さすがは束さま。あのようによくわからないモノにも一定の理解を示すとは。

 少女の脳内に備えられた束美化フィルターは今日も絶好調である。

 

 そんなことを益体もなく考えながら、束からくーちゃんと呼ばれるその少女は銀髪を揺らして地下特別区画を歩いて行く。彼女の能力を持ってすれば複雑に入り組んだ地下通路を瞑目して歩いていようとも、目的の場所への道を間違えるなどありえない。

 右へ左へ上と下、扉に行きあたって認証を求められる度に、束が自身の写真を元に作ってくれたブロマイド型偽造カードキーをかざして全てなんなく開く。ちなみにこのカードキーは、一件が終わったら宝物にしようと決めている。

 さらに彼女は時に踊るように身を翻しながら歩いて行く。彼女にとってみれば、縦横に張り巡らされた赤外線センサーなどあやとりの隙間を縫うようなもの。最適な動きは常に美しく見えるもので、それほどの余裕でどこまでもマイペースに歩いて行った。

 

「IS学園……さほど単純でもないとは思っていましたが案の定ですね。存外黒いものです」

 

 時折首を振って探るような顔を向けた扉の向こうに何を見たかは少女しか知らない。

 今の彼女の目的はそれではないからだ。

 

 地上とは違って人の気配がしないこの場では隠れる必要もなくスムーズに進み、子供の足が少し疲れを感じ始める頃になり、ついに現れたのは最も大きく堅牢な扉。すなわち目的の場所へと、辿り着いた。

 

 本来ならば何重もの認証が必要なのであろうが、篠ノ之束驚異の科学力を意味なく結集したカードキーにかかればオープンセサミ。他の扉となんら変わることがなく、しかし流石の巨大さにより、この地下施設全てを揺るがしそうなほどの振動を伴ってゆっくりと開いて行く。

 

「……なるほど、貴様が侵入者か」

「はい、織斑千冬。お邪魔しています」

 

 一歩踏み込むなり声を叩きつけてきたのは、予想を違えず待ち受けていた織斑千冬。

 この地上で最強のIS使いにして、少女の全てを捧げるべき相手である篠ノ之束にとって無二の盟友だ。

 

「素性は……問う意味もないか。目的はなんだ」

「それに応える前に、まずは謝罪を。やましいことはありませんが、束さまから授かったお役目を邪魔されるわけにはいかなかったので少し礼儀知らずな訪問となってしまいました」

 

 であるならば一定の敬意は必要だ。少女は長い銀髪をさらりとこぼして頭を下げる。お辞儀の仕方など習ったこともないがために、不格好なのは仕方がない。だがそれでもこういった仕草が必要なのだと、少女は学んだ。

 

「……」

「本題に入りましょう。私は、束さまからの預かり物を届けに来ました、あなたに」

 

 顔を上げ、部屋の中央部の一段高くなった位置に自然体で立つ千冬を見上げた。

 元々の身長差に段差の分も加わった相手はまさしく見上げる威容であり、無表情な瞳は一挙一動を見逃さぬ剣士のそれで、力みを捨てた姿勢はいかような状況にも対応しうる万全の警戒を示している。

 

「束のやつから届け物とは……一体何を持ってきた」

「束さまの友人たるあなたなら想像はついているかと。……黒鍵、と束さまは呼んでいます」

「やはり、か……」

 

 水面にごく少量の墨が流れたかのように、千冬の表情に苦みが揺らぐ。

 歪められた眼差しが射抜くのは少女の右手。

 その掌に載せられた、小さな鍵だ。

 

 見た目は、名前に反して鍵ではない。

 名前の通りに黒く、表面が剥がれた黒曜石のように複雑な形と模様を成している。どちらかといえば鏃に近い。しかしなぜかメカ恐竜の顔のようなものまでついている。

 きらきらと光を反射しているのは単に素材の持つ光沢によるものか、はたまたその下に隠された何かが発しているものなのかはわからない。

 

 だが束が作ったこの黒鍵が、ただ奇妙なだけのものではないことなど千冬にはわかっているのだろう。いやむしろ、かつて束と共にいたときに見たことがある可能性すらあろうと、少女は予想する。

 

 元より、この場でなされる会話に意思疎通の意味はなく、ただひたすらお互い予想しつくした現実の追確認でしかなかった。

 束から託された黒鍵を少女は渡そうとする。

 そして千冬は……おそらく意地でもそれを受け取ろうとしないだろう、と束は言っていた。

 

「そんなものはいらん。持って帰れ」

「よろしいので? これがどんなものかはご存知で、必要なはずです。今のあなたには……いいえ」

 

 にべもなく返された言葉も気になどしない。少女の役目はこの黒鍵を届けること。束から任されたそれを果たすためならば、どんなことでもする覚悟だ。

 

 ……例えば。

 

「その、暮桜を目覚めさせるためには」

 

 千冬の向こう側、無数のケーブルが這う台座に固定され死んだように沈黙している、暮桜を引き合いに出してでも。

 

「……お前には関係ない」

「はい、その通りです。暮桜というかつて世界最強の座にあった、現在は行方不明のはずのISが今も当時の操縦者たる織斑千冬の手にあろうとも、IS学園という組織が収集したデータと技術を元に更なる改修を受けていようとも、私にとっては預かり知らぬことです。……ですが、ここまでの力を持たせるとはIS学園の研究班も中々に優秀ですね。部屋の隅に隠れているあなたも、私でなければ気付かなかったでしょう」

「――っ!?」

 

 わずかに空気が震えた気配は、少女が閉じた瞼を向けた先を震源として広がった。

 山田真耶は隠業を得意としているわけではなかったが、だからといって早々バレるような位置にいたつもりもない。少女の知覚力が桁外れなのだ。

 少女としても相手が自分の命を狙っているような気配は感じないから、メガネで巨乳な女と読み取れる気配の源に一応の忠告をしただけに過ぎない。

 

 少女は暮桜というISについて、詳しく知っているとは言えない。活躍した当時のことなど興味もなく、束の盟友のISであるから多少調べた程度のもの。それでもその記憶と台座の中のISは細部のデザインに違いがあり、また少女の感覚が探った結果、このISはかつてのものよりもはるかに強大な力を得ていることが感じられた。

 

 鋼の鳥籠に座し、ケーブルに縛られた眠り姫。

 少女が詩歌を愛する性質であれば、そんな言葉を思い浮かべたであろうか。

 

 ここにこうして今の暮桜があることが織斑千冬の意思によるものなのかを少女は知らない。

 だが、千冬がISをいまだに所持しているというのは世界中どこの国にとっても看過しえない事実だろう。かつてこの世のあり方を塗り替えた白騎士事件においてISを駆った者が誰かという確証はなくとも、彼女一人の力が自国の総戦力に匹敵するかもしれないという脅威はどこの国にも共通してある認識に違いない。

 

「やはり、あなたが今の世界に再びIS操縦者として姿を現すことは影響が大きすぎますか?」

「……お前に教える理由はない」

「そんなものを気にするのは今さらだと思いますが。先日襲来した無人機のコア、いくつか健在のようですね。この地下区画に分散して保管されているようですが……今後は一体何に使われるのやら……IS学園も、なかなかどうして」

「やめろ。それ以上口にするならば……」

 

 少女なりにいくらか揺さぶりをかけてみたのだが、やはり織斑千冬は変わらない。だが、それも予想の内。自分と千冬では役者が違いすぎるだろうと、最初から信じてもいなかった挑発という手段を少女は早々に放りだすことを決意した。

 

「で、しょうね。ですが私は是が非でもあなたにこの黒鍵を受け取ってもらいたい。暮桜を目覚めさせてもらいたい」

 

 少女はその時、何か特別な動きをしたわけではない。

 だがIS操縦者として人知を越えた領域に長く身を置いてきた千冬と真耶は。世界の色とにおいがこの瞬間を境に変わったことを直感で理解する。

 熱いとも寒いとも言える、苦しいとも激しいとも言えないその感覚。

 

 それは、五感では捕えられない戦場の風だ。

 

 

――ビイイィィーーッ! ビイイィィーーッ!

 

 

 そしてその風は、けたたましく鳴り響く緊急警報の音を連れてきた。

 

「なっ、なんです!?」

「貴様っ!」

「どうぞ、織斑千冬。通信を」

 

 この期に及んでなお平静な少女の様子の憎たらしいことと言ったらない。

 だがそれでも千冬はIS学園の教師にして、有事の対応を任される責任者。そう言えば今だ名も聞いていない、と頭の片隅で思いながらマイクを掴み、サウンドオンリーの通信を起動する。

 

「管制室、状況を知らせろ!」

『織斑先生っ。現在レーダーがIS学園に接近する多数の反応を感知! 敵味方識別信号には反応なし。その数……50以上! しかも……まだ増えています!』

「なんだと……!? 対象はなんだ、航空機か、ミサイルか? 照合急げ」

『やってます! センサーデータ取得完了、データベース照合……!?』

「どうした、報告しろ」

『た、対象データ、ドキュメントISSに該当あり。接近反応は全て……クラス代表対抗戦に現れた、無人機です!』

「なっ!?」

 

 告げられた内容と、それを裏付けるデータの数々。上空からIS学園へと接近してくる機影は数え切れないほどで、ディスプレイに表示されるのは今年度最初にIS学園を襲った無人機であると示すセンサー類の観測結果。

 

 千冬は、あの時無人機が示した強さとこの数、そして学園側が動員可能な戦力を脳裏でざっと天秤にかけ……その結果を、歪めた表情によって示した。

 

「今の時間ならば生徒は寮にいるな。決して外に出ないよう命令しろ。戦闘教員は第一種戦闘配置。そして……専用機持ちを一か所に集めておけ」

『了解』

 

 通信は短い。長く続ける余裕がない。

 必要最小限にして、決して使いたくはない駒をすら用意しなければならない状況に歯がみする。

 

「いい判断ですね。さすがです」

「……よもや貴様以外の仕業でもあるまい」

「否定はしません。……ですがよろしいのですか、その程度の戦力で?」

「そ、その程度とはなんですかっ。IS学園の先生達はすごいんですからねっ」

 

 これまで二人の雰囲気に呑まれて固唾を飲んでいた山田真耶が、ようやく口を開いた。状況は最悪に近いが、同僚のことをその程度扱いされて黙っていられるほど薄情ではない。それに、かつて襲撃してきた無人機の残骸は真耶が解析を行った。一夏達との戦闘データから得られた結果からしても、IS学園教師陣の戦力を結集すればこれほどの数が相手であっても撃退程度は可能なはずだ。

 

 そう、無人機だけが相手ならば。

 

「確かに、技量は優れているでしょう。私もついさっき実感してきたばかりです。……ですが、それでも使える機体は機体はIS学園で訓練機にもしている量産機でしょう。それではさすがに機体性能が及ばないのではないですか……例えば、イギリス製の第三世代機などには」

「っ! まさか……っ!」

 

 さっきから、この少女は恐ろしいことを本当に何気なく語る。

 普通ならば入ることすらできず、無事に出ることなどもっとありえないこの場において、自身の生存に絶対の自信を持っているのだろう。

 そんな彼女が示唆したのは……更なる敵襲の可能性。それも、最悪に近い形の。

 

「多少工作はしましたが、あの組織のすることに確証があるわけではありません。ただ、ゴーレムⅠ――ああ、あの無人機の名前です――が1年生専用機持ち程度の実力でも撃破可能なのは、あなた達からの公式発表で世界のIS関係者にも知られているでしょう。こうして集結したのがIS学園である以上世界中の国々が直接手を伸ばすことはまずありえませんが、それでも干渉する手段はあるもの」

 

 少女は言葉を切る。

 その先に待ちうけるだろう未来の姿を千冬達が想像する猶予を与えるように。

 いやむしろ、それによって身の内から恐怖を感じるよう仕向けるために。

 

「……絶好の狩場に見えるでしょうね。あるいは今日から数カ月のうちに世界各国のISコア保有数が密かに増え、ファントム・タスク……でしたか。あの組織の財政が潤うかもしれないというだけの、仮定の話ですが」

 

 感情の薄い口調で慇懃無礼に紡がれる言葉の一つ一つが、想像を越えて悪い方へと思考を加速させる。もし少女の言葉を信じるならば、IS学園はいまだかつてない乱戦の舞台となりかねない。

 

 真耶が顔を青ざめさせたそのタイミングで、再び通信が入る。

 無人機群とは違う方向から接近するIS反応を一つ感知。データ照合の結果判明したその機体は――サイレント・ゼフィルス。

 

「改めて、織斑千冬。黒鍵をどうぞ、ここに置いて行きますので。……私はこれで失礼します」

「まっ、待ちなさいっ!」

「山田先生、追うな」

 

 言うだけのことを言った少女は、そのまま泰然とした態度を崩すことなく悠々とIS学園地下特別区画を後にする。

 一方追いすがろうとする真耶を止めた千冬の声は固く、それなりに付き合いの長い真耶はそこに深い苦悩の色を感じ取った。

 

「こうなってしまえばヤツ一人に関わっている場合ではない。ここから現場への指示を頼む」

「……はい、わかりました」

 

 真耶とて長く千冬を傍で見てきた者の一人だ。こう言った時自分がどうするべきかは心得ているし、状況がどれほど追い詰められているかなど当然深く理解している。

 

 だからこそ敢えてそれ以上の声はかけずに通信可能なコンソールへと取りつき、矢継ぎ早に戦闘教員への指示を出していく。

 ひとまずは敵の数と位置を正確に把握し、生徒達に危害が及ばないような防衛策を練らなければならない。山積する課題の量に自然と心の中のスイッチが切り替わり、通信への応対を加速させていく。

 

 視界の隅に、少女が残していった黒鍵をじっと見つめる千冬の背を映しながら。

 

 

◇◆◇

 

 

「で、いきなりこんなところに押し込められたわけなんだが」

「仕方ないよ……専用機は狙われやすいし」

 

 ハロウィンパーティーの会場に無粋にも響き渡った警報を聞いてから、おそらく10分と経ってはいまい。

 ここには走ってきたがその程度で息を切らせるような仲間など居るはずもないが、それでもこんな日にまできっちり事件を起こす何者かに対して、どこか疲れにも似た諦めがあるのは否めない。

 そんな感情を抱きながらも、警報が鳴った直後に為された放送で一般生徒は寮から出ることが禁止され、俺達専用機持ちは大至急この教室に集まるように言われて、慌ててやってきたわけだ。

 

 俺達が集められた理由は、おそらく簪の言う通りとかく狙われやすい専用機を効率よく守るため、一か所にまとめることだろう。操縦者は学園生だが、2、3年生の専用機持ちも含めてこの場に集った機体の数と名前を聞けば、それだけで真正面から襲撃しようなどと考える手合いは激減するに違いない。

 

「それはいいんだけどよ、一年共」

「なんですか、ライバック先輩?」

「そりゃオレのおじさんの名前だ。オレはダリルな。ダリル・ケイシー」

 

 ただ、まあなんというか別の意味でもそういう意思をくじく要素があったりする。

 そしてそれになんか脱力した感じになりつつもツッコミを入れてくれたのこそ、三年生唯一の専用機持ちたるダリル先輩だ。……ただ、今俺のボケに聞き逃せない返事しませんでしたか。

 

「あんたらのカッコ……なんなんスか?」

 

 そのツッコミを継いだのは、以前の専用機タッグトーナメントでダリル先輩の相方を務めたフォルテ・サファイア先輩。どう見ても外人な見た目なのに、喋る言葉は日本の体育会系というよくわからないお人だ。

 

 とはいえさすがは専用機持ち。着眼点が鋭いですね。

 

「や、着眼点もなにも……」

「どこを見ても……ッスよね」

 

「あ、あまり見ないでくださいましっ」

「みんな、どうしてあんなに着替えさせるの早いのよっ……!」

 

 先輩方の視線の先にして、声の聞こえて来た方。部屋の隅の方で体を縮こまらせている、さっきまでのパーティーでしていたようなコスプレそのまんまの一年生ズがいるのだった。まあ、一部さらにお色直ししてるのもいるし、当然俺も人のこと言えないのだが。

 

 今が割とシリアスになるべき緊急事態なのは間違いないが、そんな状況でなお俺達一年生がコスプレをしている理由。それを説明するためには、警報が鳴り響いた直後までハイパークロックアップしなければならない。

 

 

◇◆◇

 

 

『――緊急事態発生。緊急事態発生。全生徒は寮内にて待機。専用機持ちは速やかに特別教室へ集合せよ。――繰り返す、緊急事態発生……』

 

 けたたましい警報に続いてスピーカーから聞こえてきたのは、感情を排したアナウンス。否が応にも緊張を掻き立てる音が跳ねあげた心拍を、その声は少しも落ち着かせてくれなかった。

 

 ……いや、仮に心安らかにする類の作用があったとしても意味の無いことか。

 何せ俺達がいるのは、ついさっきまで楽しいハロウィンパーティーをしていた会場なのだから。

 

「…………」

「……………………」

 

 口を開く者はいない。

 ある者は黙ってスピーカーを睨み、ある者は外からバレたりしないようにカーテンの下ろされた窓に疲れた眼差しを投げ、ある者は紙コップを持つ手を震わせて俯いている。

 

 悔しい、という感情は俺も同じだ。

 外は暗くなり宴もたけなわ。さすがにここまで来て邪魔が入ることもなかろう、ついに俺たちはジンクスを打ち破ったのだと思ったその瞬間に、コレだ。

 繰り返し通常の生徒は寮内でじっとしているように、専用機持ちは一つ所に集合するようにと告げる緊急放送をいつまでも無視し続けることはできない。俺たちは、行かなければならないだろう。

 

「えっと……」

「ごめんね、みんな。それじゃあ僕達行ってくるから……」

「申し訳ないとは思いますけれど、パーティーはこれで……」

 

 セシリア達の表情は見るに堪えない。

 パーティーを楽しみにしていた気持ちは企画の言いだしっぺたる彼女らこそ最も強いが、しかし異常事態とあっては代表候補生として国の威信を背負い、専用機を任された責任から逃げるわけにはいかない。

 せめぎ合う二つの心に無理矢理折り合いをつけて、ファンキーなコスプレ衣装からひとまず制服へと着替えるため、部屋の隅に仕切られた更衣室的なスペースへ足を向け。

 

「……まだよっ!」

「きゃあっ!?」

 

 突如上がった叫び声に、びくーんと驚き上がって振り向いた。

 

「まだよ、まだ終わってなーい!」

「お前一体どこのスネークだよ」

 

 吠えたのは、自称七月のサマーデビルこと谷本癒子。テンション高めで祭り好き、気が付いたらかなり初期からこの催しの企画運営に紛れ込んでいた根っからの賑やかしである。

 そんな彼女が俺のツッコミもスルーして駆けだし、勢い余って横滑りしながら、更衣スペースへ向かうセシリア達の前に立ち塞がった。

 

「た、谷本……? どういうつもりだ」

「どうもこうもないわよ……っ。こんな終わり方、納得できるはずないじゃない!」

「だ、だが谷本……」

 

 何を思ったかは知らないが、異常な剣幕。それはもうラウラすらたじろぐほどで、俺も一体どんな面白可笑しいことが始まるのかとちょっとワクワクしてきた。

 

「ええ、大丈夫。もちろん、指示は守るわ。私達は『寮から出ない』。……そしてついでに、この部屋からも出ない。――みんなひと固まりでいた方が、きっと安全だもの。そして集まっていれば、元気が出るように励まし合ったりして騒ぐこともあるわ……そうよねみんな!?」

「……っ!」

 

 ついさっきまでラウラの演説で心を一つにしていた一年生達。谷本の意図するところは即座に知れたようだった。

 

「ええもちろん、ちょっと不安になってお腹空いてきたから料理たくさん食べるわよ! むしろ追加するわ!」

「じゃあ私は、みんなが怖がったりしないように明るく楽しく芸でもするわ! 衣装も変えて!」

 

 その言葉を皮きりに、わいのわいのと上がる賑やかな案の数々。やれ火を吹いて見せるだ、ここまで隠していたコスチュームの封印をついに解くやら、なんかもうさっきまでの状況に輪をかけたカオスがここにあった。

 

 不安はあるだろう。

 怖いとも感じているはずだ。

 

 だがそれでも彼女達は笑っている。笑おうとして、笑う為に……戦っている。

 そのことが、俺の心をたぎらせた。

 

「……というわけで、あたしたちはここでずっとパーティーの続きしてるからみんなも解散したら戻ってきてね、絶対に」

「で、でもっ……! 危ないよ!」

「そうだ、お前達にもしものことがあったら……!」

 

 谷本の顔に……いや、この場に集ったみんなの顔に覚悟がある。

 元々、たとえどんな障害があろうとも必ずや実行するという決意の元、千冬さんに秘密にするのではなく黙認を取りつける形で始めたパーティーなんだ。ましてやこの数カ月で襲撃慣れした生徒達のこと、今さらこの程度で諦めるなどありえないのだろう。

 シャルロットと箒が必死に食い下がろうとするが、もし逆の立場だったら同じことをしていただろうと思えば強くも出られまい。語る言葉は平行線で、どちらももはや引くに引けない。

 

 ……まったく、世話が焼ける。

 

「心配はないさ。『もしも』なんてことがないように、俺達がいる。俺達、専用機持ちが。……そうだろう、一夏」

「真宏……。ああ、もちろんだ」

 

 きゅらきゅらと相変わらずのガチタンコスプレのまま前へ出て、そうとだけ言ってやる。

 その相手に一夏を選んだのは、ただ近くにいたからにすぎない。

 たとえ誰であろうとも、あとほんのひと押しで気持ちは決まっていたはずだから。

 

「なぁに、世の中にはしょっちゅう怪物が出ようが、文化祭の日に空から女の子が降ってこようが学校行事を続けるところもあるんだから、平気だって」

「神上くんの言う通りよ! こちとら襲撃慣れしとるんじゃボケぇ!」

「やめてくれ真宏。束さんあたりがゾディアーツスイッチ流通させ始めたらどうする。そして谷本さんは本能寺に帰れ。……でも、行こう。俺達に何ができるかは分からないけど……俺達の寮だけは、絶対に守る」

 

 まあ、一夏ならこう言ってくれると思っていたし、そうなった場合の影響力ってーのを考えなかったわけじゃあないけどさ。ツッコミもちゃんとしてくれたしね。

 

「……まったく、仕方の無いやつらだ」

「微力ながら、力をお貸ししますわ」

「わかったわよ。そのかわり、あたしのこともちゃんと頼りなさいよね」

「みんな、必ず守るから」

「軍人が民間人に見せるのは、守るための背中だけでいい」

 

「……やるじゃない、真宏くん」

「なに、みんなが当たり前に思っていたことを代弁しただけですよ」

「うん……。でも、……かっこ、よかった」

 

 箒達が言葉を重ねる度にうずうずと湧き上がるテンションはとどまるところを知らず、最後にはパーティーが始まった時以上の歓声が、談話室に満ちた。

 元気一杯なその声を覚えていれば、俺たちはきっとどんな敵とだって戦えるだろう。

 

 ……しかも俺は簪にこんなことまで言われたわけだからして。よっしゃマジでどんな敵でもかかってこい。多分今の俺なら絶対負けないから。

 

 

 ただ、まあ。

 

「……あ、そうそう。この事件が終わったらパーティー戻ってきてもらうわけだから、衣装はそのままで行ってね。そろそろ、時間もヤバいと思うわよ? 着替える時間もないくらいに」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

「えっ」

 

 そういうオチも用意してくれるあたり、さすがはIS学園一年一組の生徒だな、とも思うんだよね。

 

 

◇◆◇

 

 

「とまあ、大体こんな感じです」

「……今年の一年は本当に面白いな」

「あたしもちょっと混じりたいッスねー」

 

 などという説明を、先輩方二人にしておいた。

 時間がないとか言ってた割には瞬く間に新しい衣装に着替えさせられてた面子もいたりするんだが、そこはそれ。もはや怨念を宿す行動力の塊と化した一年生達のスペックは想像をはるかに凌駕するところまで至っていたのだから、気にしない気にしない。

 

「まあそれはいいとして……少しおかしいわね」

「確かになー。あたしらここに押し込まれてから音沙汰ねーし」

「忘れられてるなんてことないッスよね?」

 

 そして、パーティー会場ならばいざ知らず普通の教室という日常空間にコスプレ衣装のまま放りだされて委縮しているヒロインズが部屋の隅の方で固まって震えているせいもあってか、ここは頼りになる先輩方が場を仕切ってくれるようだった。

 

 会長はその役職上の責任もあるから自然であるにしても、やる気の無い表情と口調ながらダリル先輩とフォルテ先輩の目つきは、意外なほど鋭い。

 しかしそれも当然のことだろう。わざわざ専用機持ちを一つ所に集めたとはいってもここはただの教室。特別のガラスやら建材やらはIS学園の物なので多少頑丈ではあろうが、それ以上の防護措置もされていないところに放置するなど通常ありえない。

 疑問は時を追うごとに増していき、それに伴って事態の認識を改める必要に駆られつつある。

 

「その辺は、多分そろそろわかりますよ」

「うん? ……真宏くん、もしかして」

 

――きゅー

「おう、お帰り白鐡」

「なるほど、白鐡におつかい頼んでたのね」

 

 そんでまあ、こんな場所での待機を命じられるくらいなのだから異常事態が発生しているのは間違いなく、少しでも情報を手に入れるためにちょっと白鐡に偵察をしてもらっていたのが役に立つ時がきたようだ。

 白鐡はマスコットモードであれば手のひらサイズなうえに飛べるからその役目にぴったりだし、一応ISの装備の一つだからセンサーも持ち合わせているという優れモノ。さすがに状況が不明な今の段階でISを展開してハイパーセンサーを起動するのは危険に過ぎるが、その点も白鐡ならば大分マシだ。

 

 俺が差し出した掌の上に、教室の扉の隙間をすり抜けてきた白鐡がふよふよと漂ってとまる。そうすれば、あとは白鐡が見た物聞いた物感じた物が強羅との間でやり取りされ、その情報をまとめた結果が俺の脳裏に流しこまれてくる。

 余り勢いがありすぎると酔ってしまいそうになる情報量をなんとか頭の中で整理していく。

 

 警報が鳴った意味、現在起きていること、なぜ俺達に追加の指示が届かないのか、その原因と思われること。

 ……ふむ。

 

「なるほどね。大体わかった」

「とりあえず、おのれディケイドォ! ……で、状況は?」

「ありがとうございます会長。そして結論から言いましょう……やっぱり襲撃されてますね、IS学園」

 

「!!」

 

 わかったことは至極あっさりと告げる。隠しだてなどする意味もないし、さすがにもうみんな予想通りのことでもあった。

 しかし、だからといって内容は放っておけるものではない。先生達から追加の指示がないのもあるいはそのためか、と気付いた箒達一行もどしどしと俺の周りに集まってきた。コスプレ衣装のままで。その表情には諦めに近い開き直りの色が浮かんでいるのがはっきりとわかる。

 

 

「おそらく敵はいつぞやのクラス代表対抗戦のときに現れた無人機か、それに極めて酷似したもので数もそれなりに。今は島の南端の当たりで無人機の一部が先生達あたりと戦闘してるみたいだけど、残りは戦闘に参加してないからこっちに来るかもしれない……と。あと、例によって通信障害が発生してるみたいです。白鐡もハイパーセンサーを使わなきゃこの情報がわからなかったらしいんで、先生達も俺達をここに押し込んだあと対応してる余裕が無くなったんでしょうね」

 

 白鐡の集めて来てくれた情報と、そこから推測される現状を告げる。偵察役としての俺の仕事はそこまでで、あとはみんなで考える番だ。

 無言のままに視線が会長――この場で最も指揮を執るにふさわしい人――へと集中する。

 仮にも国家の代表候補生であり、専用機を託された、一人一人がエリートという言葉にふさわしい存在達。有事の際でありながら迷いはなく、自分の行動と生命を会長に託すという意思が瞳にあった。

 

 一体、どうするべきなのか。

 待機状態を維持するか、あるいはこれからも指示が届くことはないと見て独自の行動を起こすべきか。

 

 専用機持ちが集まっている、ということから導き出される戦力と、国家から任されたそれを守るべきという責任。

 決してたやすい判断とはならないだろうそれらを天秤の皿へと乗せて思考する。

 

――ズズンッ

 

 だが考えに費やせる時間は長くない。

 外から響いてきた、沈黙を崩す重い音。複数の何かが地面に降り立ったのだろう、巨人の足音を思わせる響きだ。

 ここまでくれば、それこそISを使わなくてもわかる。

 敵が、来た。

 

「会長……」

 

 もはや猶予はない。

 あの無人機達は襲来したうちの一隊か、あるいは先生達の部隊と交戦していない残りの全てか。俺達の持つ専用機が集まっているのを感知したと思しき敵が来た。

 

 進むか、止まるか。

 戦うか、守るか。

 

 IS学園の教室の中。ここから決して遠くはない各学年の寮の中で、不安に震えているだろう仲間達(一年寮は除く)。

 

 それらを思い、俺達の為すべきことを決断しなければならない。

 

 瞑目し、開いた扇子で口元を隠して深い思考に沈んでいた会長の目が開かれ、唇が言葉を、紡いだ。

 

 

◇◆◇

 

 

――ギッ

――ギギッ

 

 金属がきしむ音にも似た響きが、IS学園の校舎前に降り立った複数の無人機から出ている。しかしそれは整備不良や装甲の干渉が起こしてしまう音ではなく、何かのコミュニケーション手段なのだということが頭部の動きと明滅するカメラの色から知れた。

 今夜は空が晴れて月も明るい。それに、そもそもISである奴らにとってみれば昼夜の別などその行動に何ら支障をきたさないだろう。

 

 一定の統制が取れているのか居ないのか、はっきりとはわからないながらもその集団は明確な目的を持っているらしい。

 それすなわちIS学園の襲撃。

 この一隊は、中でも俺達専用機持ちが集う校舎を攻撃対象に選んだようだ。

 ずらりと横一列に並んで腕に仕込まれた熱線砲を構えながらハイパーセンサーの指向性を向けて校舎の中を探ろうとし。

 

 

「待てェい!」

 

 辺りに響き渡る声に、その手を止めた。

 

――ギッ!?

――ギギィ!

 

 無人機達は声の出所を探ろうと、焦ったような声を上げながらきょろきょろと周囲を探る。

 ……そもそもハイパーセンサーあるんだから、どこから声がしたかくらいすぐわかるだろうに敢えてそんなことをするあたり、なんか色々と憎めない気分になりつつあるがここは黙っておく。その方が楽しいから。

 

――ギィ!

 

 一機がついに見つけたようだ。

 天を仰いで長い腕の先の指――どうやらこの無人機達は以前の物と違って両手に指を持っているらしい――を伸ばして、校舎の屋上をさした。

 

 そして、見ることになる。

 月光を背に屋上の縁に並び立つ、俺達11人の専用機持ちを。

 

「人の心を、哀しさを感じる心を知るものなら……! 白式! 俺に力を貸せ!!」

 

 どこぞのコロニーの工専生みたいなパーカーを羽織った、割と普通の格好をしてるのにやたらめったら芝居がかった言いまわしの一夏が。

 

「体にみなぎる無限の絢爛舞踏(ちから)、アンリミテッドエネルギー、レッドカメリア!」

 

 それはいつぞや俺が会長に提出したネタの中で使った名前じゃないか、と思わせてくれるチャイナドレスの箒が。

 とりあえずそのスタイルでチャイナドレスやめてやれよ、隣の鈴がかわいそうだ。

 

「甲龍レンジャー! 天風星、リン!!」

 

 箒と比較されそうな悲しみを振り払うがごとく、ビシビシと動きのキレもすさまじく、完璧なポーズとセリフを決める鈴が。

 そーいや小学校のころよくこのセリフやってもらってたなあ。

 

「クックック、愚か者どもよ、月の魔力を湛えし我が前にひれ伏すがいい。覚えておけ、我が名はレイシス・ヴィ・フェリシティ・射突(とっつき)なり」

 

 なんか悪いはしかにかかったと思わせて、実はそれ以前からもっと性質の悪い病気にどっぷりつかっていたことをばっちり示してくれる、黒いゴスロリドレスのシャルロットが。

 

「光の使者、キュアティアーズ!」

「勇気リンリン、直球勝負! キュア突撃行軍歌(マーチ)!」

 

「「ふたりは、プリキュア!」」

 

 さっき写真撮られていたときのままフリフリの衣装を翻し、声がぴったりでセリフも大体合ってるセシリアとラウラの二人が。

 ……ってかラウラの名乗りがセシリアの方針と違った上にやたら物騒に聞こえたのは気のせいか。

 

「こんなに月も紅いから。……本気で殺すわよ」

「あなたたちが、コンティニューできないよっ」

 

 髪と眼の色、そしてカリスマがあるんだかないんだかわからないところがフリフリの衣装とよくわからない構造の帽子にとてもぴったりな会長と、姉妹のよしみでそれに付き合ってあげて珍しくミニスカートを履いている簪が。

 

「百鬼夜行をぶった斬る! 地獄の猟犬、ヘルハウンド!!」

 

 いまにも無人機を100人斬りしてくれそうな頼もしさで、ポーズの一つ一つも完璧に、意外とノリもいいということが判明したダリル先輩が。

 

「状況A『クロムウェル』発動による承認認識。目前敵の完全沈黙までの間、能力使用、限定解除開始。……では教育してやるッス。本当のISの闘争というものを……!」

 

 コールド・ブラッドという専用機の名前も合わせてやたらと恐怖を掻き立ててくれる口上を述べたフォルテ先輩が。

 てーか意外と吸血鬼ネタ多いなこいつら。あとラウラ、さっきの演説の時みたいな顔して睨んでるんじゃない。敵はそっちじゃねーから。

 

「ISなんぞ、慣れちまえば簡単なもんよ。装甲さえ硬めときゃ、あとは問題ないってワカちゃんが言ってたぜ。ウハハ!」

((((((ものすごい説得力だー!?))))))

 

 さすがにガチタンのままだと移動が大変だから、予備に用意しておいた重二脚コスプレの俺が。

 すかさずオープンチャネルでツッコミを入れられたが、それは俺も思うから気にするな。

 

 そんな十一人が待ち構えている光景を、無人機達が見上げた。

 ひとり残らずポーズを決めている姿は大変絵になるものであるはずで、背後で爆発が起こらないのが残念で仕方がない。いやー、俺が爆発を演出しようかと思ったんだけどみんなに止められてさ。

 会長がこういう演出で行こうとか言い出した時はノリノリ……というか半分やけっぱちだったくせに。画竜点睛を欠くことこの上ないぜ。

 

 ともあれ、これが俺達の結論だ。

 なにせ揃っているのは専用機持ちのお歴々。学園側からは集合指示以降何も言われていないが、事ここに至ってしまえばそれはイレギュラーな事態によるものだというのは確定的で、俺達は自分の専用機を守る義務がある。

 そういう形で理論武装をきっちり固め、自分達と専用機と、そして何より寮で帰りを待ってくれているみんなを守るため、戦うと決めた。

 

 ……さあ、もう遠慮する必要はない。派手に行こうじゃないか。

 

「とうっ!」

「気合入った飛び方だな真宏は!」

 

 一夏のツッコミもなんのその、両手を横に右足を下に、左足は膝を曲げて前に突き出すと言ういかにも特撮っぽいポージングで飛びおりて、全員揃ってそのさなかにISを装着し、着地する。

 

 

 ズガンッ! と路面を踏み割らんばかりの勢いで着地した俺を含めて数機のISと、空中で制動して浮かんだままの残りの機体。いずれもが覚悟を秘めて、ここより後ろには一歩も通さないと言う決意をみなぎらせている。

 

 こちらの数は11機。対する無人機は……その3倍で収まってくれるだろうか、甚だ疑問だ。

 数の上では紛れもない不利。しかも、かつて学年別トーナメントの時に見た無人機とよく似た姿をしている以上それに匹敵する力は持っていると見て間違いなく、いやがおうにもプレッシャーが感じられる。

 

 だがそれでも、俺たちは負けない。

 敵も味方も数が多く、未だかつてない乱戦となるだろう。ISの希少さを考えればそんな戦闘を経験した人間自体そうそういるはずもないが、きっと大丈夫だ。

 何故なら、仲間がいる。

 敵の数が多くとも、頼れる仲間がいるならば背中を預けることができる。ダリル先輩とフォルテ先輩とはまともに話をしたのすら今日が初めてだが、それでもこの人たちが優しく強く面白いということは、さっきの口上から大体わかっている

 

 さあ、始めようじゃないか。

 おそらくIS学園始まって以来、最大の戦闘を!

 

 

「行くわよ、みんなっ!!」

「「「「「「おうっ!」」」」」」

 

――ギギィっ!

――ギッ!!

 

 着地するなり地を蹴って加速する白式。それについて行く強羅・白鐡を筆頭とする近接戦闘を挑むISと、射撃体勢に入るセシリア達後衛陣。

 正面の無人機達も同様に、一部が近接戦闘用らしき得物を展開し、残りが浮き上がって射線を確保して両腕を構えてくる。よく統制の取れた、見事な戦列だ。

 

 数の不利と守るべきモノの存在。通信妨害によって先生達と連絡が取れないという孤立の可能性。

 不安要素はいくらでもあげられるが、それがなんだ。隣を見ればちらりとこちらを見返してくれる簪の横顔。その向こう側に並ぶ一夏や箒のまっすぐなまなざしと、ハイパーセンサーで感じ取れる後方援護の体勢に入ったセシリア達。みんなの力があればこんなやつらに負けるなんてありえない。

 

 その確信が心を高鳴らせ、強羅のワンオフ・アビリティたるロマン魂が余すことなく力へ変えてくれる。

 湧き上がる力を押さえる気など、俺にはない。目前まで迫った無人機にひとまずその力を叩きつけてやろうと拳を振り上げて、まずは叫んでやろうじゃないか。

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいしょおっ!!』

 

 こうして、IS学園全専用機持ちと無人機軍団の戦いの火蓋は、切って落とされた。

 

 

◇◆◇

 

 

「ふー……っ、はあっ!」

 

 気合一閃。横薙ぎに振るわれた雪片弐型が銀光を走らせ、しかし持ち手にはなんの感触も残さずに空を切った。

 通常ブーストで踏み込んでからの斬撃程度ではこの無人機を捕えることができないのだと、これまで数度の突撃からすでに知れていた事実を追確認する結果に一夏は苛立ちを隠せなくなりつつある。

 

 

 戦闘が始まってから、まだいくらも経っていない。

 しかし無人機の陣営に斬りこんでいる今の一夏の全方位には敵が居て、刃を振るうべき相手が尽きはせず、既に何度刃を交えたか。

 

 それらどれひとつとして有効打となっていないことを考えれば、その焦りも納得できよう。

 

 もっと速度が欲しい、一撃に威力があれば。

 零落白夜を起動せず、ただの鉄刀と変わりない今の雪片弐型の刀身が視界に入る度にそう思う。

 そして、そんなことを思ってしまう我が身の未熟にこそ、何よりの不甲斐なさを感じるのだ。

 

「一夏、下がれ!」

「……! わかった!!」

 

 空中で後方へ半ば転げ落ちるようにして目の前から迫りくる無人機と距離を取り、その空間へと敵が侵入してくるのを待ち構えていたように上方から二本のワイヤーブレードが降り注ぐ。

 無人機はそれらを両腕を掲げることによって防御し即座に後退。一夏との距離は再び開いたために反撃される危険は消えたが、それはこちらからの攻撃手段が無くなったことをも意味する。

 

「今回は色々と勝手も違うだろう、そんな武装で大丈夫か?」

「……大丈夫だ、問題ない!」

 

 無人機群と一夏達が激突してすぐ、戦況は乱戦となった。

 あちらこちらで近接戦闘の激突と炸薬の破裂音が弾け、さらに無人機の熱線砲が大気を焼く焦げ臭いにおいが周囲に満ちて、ハイパーセンサーとコアネットワークの通信が仲間達の状況を伝えてくれているというのに注意を割く余裕はまるでなかった。

 

 そしてそんな戦場の偶然の一幕として一夏はラウラとタッグとなり、フォローを受けながら戦っている。……いや、受けなければ戦えないというべきか。

 

 

 何故なら、今の一夏は零落白夜とイグニッション・ブーストを封じられているからだ。

 

 封じられている、とはいってもそれはISにトラブルが起きたのではなく、一夏が自主的に使用を控えているだけのことではある。

 だがそれは楯無を含め仲間達のほとんどから言い渡されたからこそのことであった。

 

 

◇◆◇

 

 

「一夏くん、一つだけ言っておくわ。……今回あなたは『とくぎつかうな』……じゃなかった、零落白夜とイグニッション・ブーストは使わずに戦って」

「なっ!? ど、どういうことですか楯無さん!?」

「どうもこうもないだろ、一夏。悪いが今回敵の数はイヤになるほど多くて、その分戦闘時間も長くなる。そんなところで白式が全開で戦ったらどうなるよ」

「うっ……」

「それが良いぞ、一夏。紅椿の絢爛舞踏ならばエネルギーを回復させることができるが、いつでも補給できる状況にあるとは限らない」

 

 

◇◆◇

 

 

 敵の数が多いというのは真宏に聞かされて知っていたはずだが、その際自分がするべきことには情けないことに言われて初めて気がついた。

 元々継戦能力に乏しい白式が、セカンドシフトによって性能が改善されたとはいえ未だ莫大なエネルギーを消費するイグニッション・ブーストを多用し、零落白夜を振るってこの戦闘に挑めばどうなるか。

 確かに、今の一夏の技量と白式の性能があれば無人機の1機や2機は容易く斬り伏せられるだろう。まして量産されていることもあってか、これまでの感触から察するにこの無人機達は鈴と真宏と共に戦った最初の無人機よりはまだしも与しやすい相手であったのだから、あるいはそれ以上も狙えるかもしれない。

 だが、そのあとは。すぐさまエネルギー切れを引き起こし、紅椿からエネルギー供給をされない限りまともに動くこともできない木偶の坊になり下がる。

 多数の無人機が襲来してきた状況の中で、そんなことは許されようはずもない。

 

「でも……っ、さすがにキツいな! こいつらなんか変な武器使ってるし!」

「我慢しろ、その分は私がフォローする! ……それと、武器については言うな。おかしなものは真宏で見慣れているだろう!」

 

 吐き捨てるように叫んだ一夏の声に割って入るように、一夏の下方から急上昇してきたラウラのシュヴァルツェア・レーゲンが肩の大型レールガンを放ち、一夏を取り囲みつつあった敵の包囲を散らせる。

 この無人機達は、熱線砲を標準装備している上に装甲もそれなりの頑丈さだが、近接戦闘用の武装として何故かスコップやらツルハシを使ってくる。

 斬ってよし突いてよし殴ってよしの万能兵器スコップ。IS学園でがくえんぐらしをしなければならなくなったときはきっとメインウェポンになってくれるだろう。そしてもう一つは貫通力に優れたツルハシ。振り下ろせば深々と路面をぶち割って突き刺さるその威力、レトロなくせに現役バリバリであると全力で主張していた。

 

 その技は剣とも槍とも棍とも違っていてただでさえ相手取り辛く、なんかやたらと扱いに熟達しているようで苦戦を免れない。

 

 それでもなんとか戦えるようラウラが巧みにフォローしてくれるのを嬉しく感じるとともに、確実に足手まといとなっている自分にどうしようもなく苛立った。

 

(くそっ……こんなんじゃだめだ!)

 

 雪片を一振りするごとに、その感覚が募っていく。

 自分の動きにまるで納得がいかない。敵に届かない。

 もっと速く迅く、無駄な力みも動きも一つだっていらないのに。

 

 乱戦の中にあり、前方の敵を追う直後に後方からの熱線を横っ跳びに回避し、その先で待ち構える無人機の拳を雪片で受けとめ、カウンターで相手の胴を蹴りざま反対方向に加速。ついでにそのとき目の前にいた一体に向けて、加速する体ごと引きこんだ雪片を叩きつける。

 

「せえええぇいっ!」

――ギギッ!?

「一夏には指一本触れさせん!」

 

 そんなことを何度続けただろう。

 今の一夏では相手にまともなダメージを叩きこむことすらままならず、一機に気を取られて別方向から迫る無人機の拳を受けたことなど数知れず、その度にラウラがフォローをしてくれる。今はまだラウラが無事だからいいが、もし自分を助けるためにラウラが傷ついたら。

 脳裏をよぎる想像が一夏の心に突き刺さる。

 

「くそっ!」

 

 何度目かの攻撃を受けて地面に叩きつけられ、頬に砂がめり込んで痛い。

 口の中に入った泥を悪態とともに吐き出し雪羅で地面を殴る。

 こんなことをしてもどうにもならないとわかっていながら、ままならない今が許せなかった。

 

 IS学園に入学してから、一夏は間違っても自分を強いなどと思ったことはない。

 周りにいるのはみんな同年齢ながら自分の力でIS学園への入学資格を勝ち取った生徒達ばかりで、専用機を持つ代表候補生達はいずれもが卓越した実力を備えていた。

 長いことまともに竹刀を振るってもいなかった自分を鍛え直してくれる箒、容赦ない射撃の恐ろしさを教えてくれたセシリア、かつての姿からは見違えるほどの実力を見に付けた鈴、あらゆる装備の特性を身をもって教えてくれたシャルロット、軍隊式の戦闘技術がいかに厳しいものかを叩きこんでくれたラウラ。

 ……そしてついでに、尋常ならざるISと武装を使いこなす真宏。

 専用機持ちに限らず自分にISのことを教えてくれたすべての人への感謝を忘れたことはない。

 

 男でありながらISが使えることを、真宏には及ばないだろうが嬉しく思ってはいたのだ。

 望んだわけではないけれど、力を与えられた。

 引き換えに、望む未来を奪われて。

 ――だが戦える。

 この鋼の両手は、誰かを守るためにあるのだから。

 

 しかし、結果はどうだ。

 零落白夜とイグニッション・ブースト。その二つを禁じただけでこの体たらく。これまで自分がいかに一撃必殺の力と、機動力に優れる白式の性能に頼り切りだったかが痛いほど身にしみた。

 

――ギッ!

「……!? ああもう、鬱陶しい!」

 

 だが戦場においてそんな感傷にふける時間などない。上空から迫る無人機が一夏の退路を封じる機動を取り、一夏はやむなく応戦のために雪片弐型を構える。

 

 どうせ地に足が付いているうえに逃げ場もない。ならばと足場を定めて正眼の構えで切っ先をまっすぐ相手に向けるという、かつて徹底的に叩きこまれた基本にどこまでも忠実な型を取り。

 

「――!」

 

 その瞬間、次の相手の動きが「観えた」。

 

 相手が迫ってくる軌道、振り上げられたスコップが狙う場所、そしてそんな相手を下すために、自分がどう動くべきなのか。

 今も左50mほどの位置で両手に持ったマシンガンを乱射する強羅の存在も、後方上空校舎の屋上付近から無人機の後衛を狙撃しているセシリアが次に狙いを定めたのがどの無人機かすら知覚できるISのハイパーセンサー。人知を越えたその感知領域を初めて共有したときの感覚に似た万能感が突如として生まれた。

 

 一夏はどこか懐かしいその感覚に逆らわない。

 無造作に見えるほどあっさりと踏み出した一歩にスラスターの加速を合わせ、無人機との距離を詰める様はまさしく縮地。タイミングと距離という二つの間を外された無人機の拳が威力を乗せるより先に、振り回す腕の内側に入った刃が袈裟斬りに相手の肩を打つ。

 

――ギギィっ!?

「むっ、やるな一夏!」

「え……あ、あれ?」

 

 それは、この戦い始まって以来一夏が初めて打ち込んだ直撃であった。

 大して力を入れたつもりもなかったのに、一夏の斬撃は無人機の正面装甲に長大な刃傷を刻んでいる。

 

 一夏はいまだ気付かない。自分の中で芽生えたその何かの正体を。

 しかし、すぐに気付くだろう。

 

 

 篠ノ之流。

 この状況下にあって一夏の成長を促している物の正体こそが、それである。

 

 

 箒の実家が伝える篠ノ之流は古流の剣術。その本来のあり方は戦場で生き残るための術であり、道場において伝承される今となっても、根底に流れているのはあらゆる状況において向かってくる全ての敵を屠る業の数々だ。

 

 かつて学んだその剣が、いま再び一夏の体に確かな命脈を刻もうとしている。

 

(そうだ……これだ!)

 

 意識した途端に、まるで曇った視界が開けたような実感が体に満ちる。

 

 相手にこちらの呼吸を悟らせず、無拍子に打ち込む歩法はイグニッション・ブーストのような力任せの加速ではなく、スラスターのマニュアル操作で実現したすり足のように静かな動きの中にこそあった。

 そうして近づいてからの斬撃は腕の力ではなく全身をもって振るうのだと、かつて姉と師である箒の父親に散々教えられたことであった。

 たとえそれが相手の胴を薙ぐことかなわず反撃に転じられたとしても、その打ち込みを受けるのではなくかわしていなして流すのは、まさに今この瞬間のように相手と体を入れ替えて、後ろから迫る敵へ押しつけることも楯にすることも可能にする変化の基礎中の基礎だった。

 

 戦場においては全ての剣先を知れ。目の前の相手だけを見てはいけない。

 

 まるで演武の一幕であるかのようにそれだけの交差をくぐり抜けた一夏の脳裏に、かつて箒の父から聞かされた術理が幻想の声を伴って走馬灯のように再生された。

 その声はこの戦場という空気の中に響いてこそ、一夏の血と肉にかつて学んだ術理の本当の意味を教えてくれる。

 

 一夏の振るう剣の色が、この数瞬でがらりと変わる。

 直線的な動きであるのはさっきまでと変わらないながら、その踏み込みが、間合いが、呼吸が違う。

 敵への最短距離を最速で詰める体の軸にはわずかな揺らぎもなく、前の無人機を斬ったあとに全身を捻って後方の敵と向き直る動きは篠ノ之流が伝える基本の足運びにとても似ていて、しかし常に全方位を知覚できるISを使っていてこそこの動きは真価を発揮するのだと、今の一夏は無意識に理解する。

 

 それらすべての技。深奥にはいまだ指先すらも届かないが、それでもわかる。

 一時もとどまることなく動き、剣を振るう。しかしそこに無駄は一つもあってはならず、一夏の持つこの刀は力に任せて使うのではなく、確固たる理のもとに切り裂くものだ。

 

 そうだとも。ただそれだけの話だった。

 かつて身に付けたはずの技を、再びこの手で再現すれば。

 

――ぞんっ

 

 すれ違いざまに無人機の小手を斬り飛ばす程度のことなど、容易いことだ。

 

 戦場には似つかわしくないほど静かな目で自分の為したことを確認し、一夏はその真理を知った。

 

――ギィっ!?

「よし……って、うわああ!?」

「一夏!!」

 

 しかし、その喜びこそが悪かったか。今の一合には無駄な力みが全身あちこちにあり、心の揺れが刃筋も乱れさせたせいか手に痺れが残ってしまっている。

 一夏の隙を見つけたかはたまた偶然か、いずれにせよその瞬間を狙い澄ましたような熱線砲が迫り、咄嗟に掲げた雪羅の装甲で受けとめざるを得なかった一夏は為す術なく吹き飛ばされ、ラウラが数本まとめて放ったワイヤーブレードのワイヤー部分に受けとめられた。

 

「大丈夫だ、ラウラ!」

「無事かっ! ……貴様っ、よくも一夏を!」

 

 網膜を焼きそうな閃光はラウラのプラズマ手刀のそれで、描く軌跡の美しさには惚れ惚れとする。

 そして同時に思う。

 

(――ダメだ、俺の腕は大分錆ついてる。……これは、この一件が終わったら箒と……それとできたら千冬姉にも、もう一度本格的に鍛え直してもらわなきゃだな)

 

 自分の未熟さと、至るべき完成形のひとかけら。

 一夏はこの戦いで、それを得た。

 

 思い知らされた弱さは確かに厳しい現実だったが、収支で見れば決して悪くない。自然と口の端がつり上がる、この喜びが何よりの証拠だ。

 

 

 箒と千冬に頼むとなれば「地獄の特訓」というフレーズが自然と脳裏をよぎるが、肝を冷やしたのも一瞬のこと。それも必要なことなのだと必死に言い聞かせ、動かぬこちらをどこかの無人機の熱線砲が狙う気配を感じて即座に垂直上昇。案の定すぐさま大気を焼く熱線が一夏の居た位置を貫くのを眼下に見て、次の敵へと狙いを定めた。

 

 さすがに一人であの二人の訓練を受けるのは厳し……寂しすぎるから、真宏も無理矢理巻き込んでやろうとか、さりげなく心に誓いながら。

 

 確かな手ごたえをその胸に、一夏は戦場へと舞い戻る。

 

 

 これからはさっきまで自分を守ってくれていたラウラを。

 そして他のみんなも全部、今度こそ守るために。

 

 さっきまでとは見違えるほど頼もしく感じられる鉄刀・雪片を、自分の為しうる最速で迅らせた。


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