IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第42話「家族以外では」

 IS学園の施設の充実は、今になって改めて語る必要はないだろう。

 模擬戦や訓練に大賑わいのアリーナに、高速機動も練習できる中央タワー。校舎においても各学年の学生寮にはそれぞれの十分な広さの部屋に家具、シャワーに簡易の台所が完備。食堂ではおばちゃんたちが各国の料理を美味しく作ってくれるという至れり尽くせりっぷりで、あまり学園外部に出られない関係上運動部向けのグラウンドナイター設備、茶道部用の茶室なども取り揃えてある。

 そして、そんな中には当然のように。

 

「シャルロット・デュノアのお菓子作り教室、はじまるよ~」

 

 こうして、突発企画「シャルロット先生のお菓子作り教室~血のバレンタイン編~」が開催される運びとなった家庭科室も用意されているのだった。

 講師はもちろん、日々家庭科部にて料理の腕を研鑽しているシャルロット。そして助手には案外お菓子作りが得意な簪。生徒は箒と鈴、オータムとマドカ、そして。

 

「ちょっ、なぜわたくしまでここに参加することになっていますの!?」

「そうだぞ。シャルロットに教わるのはやぶさかではないが、これではまるで私が料理ができないかのようではないかっ」

 

 じたばたと暴れるので椅子にくくりつけられている、セシリアとラウラである。

 

 誤解してはいけない。セシリアもラウラも、みんなで料理をしてみようと言われれば大抵の場合頷くだろう。

 ましてや今は既に2月。マドカとオータムが転入してきて、真宏と一夏を相手に模擬戦をやってあっという間にクラスに馴染んでからひと月近くが経っている。

 その間は特に何事もなく、平穏無事に時が過ぎて来た。学園内にスコールのことをお姉さまと呼ぶ生徒が増えたり、それを耳にするたびにオータムが保健室に突撃しては小一時間してから夢見心地の表情で戻ってきたり、マドカが同級生から上級生まで模擬戦の相手を頼まれて、情け容赦なくボコっては相手に恍惚の表情をされてドン引きしたり。

 IS学園的に考えればこの程度至って平常運転といえるのだが……最近また、クラスの雰囲気が浮つきだした。セシリアやラウラ達国外出身組はあまり気付いていなかったようだが、箒と鈴は他のクラスメートと同じくどこか落ち着かない様子になってもいた。

 

 これは怪しいとセシリア達が問い詰めてみれば、なんと日本にはバレンタインデーなるイベントがあるのだとか。その名自体は欧州でもありふれたものであったが、真宏も呼んで詳しく説明を聞くところによると、一夏あたりならばバン=アレン帯の祭りの日とでも聞き間違えそうなこの日は、なんということでしょう。日本のお菓子会社(たくみ)の陰謀によって恋する乙女の決戦の日となっているのだとか。

 

 お菓子会社がチョコレート商品の売り上げでしのぎを削り、ついでとばかりに手作りチョコに手を出しては文字通り火傷する少女達も続出するというこのイベント。そんなリスクの果てに得られるのは極めて合法的な告白タイムという乙女の本懐。逃すわけにはいくまいて。少女達の胸に闘志の火が灯る。

 

 ……そしてそれだけならば、よくある話。

 しかしながらここはIS学園。一般的にチョコ、それも本命を送られるべき相手は実質、かつノーマル的に考えれば一夏しかおらず、特にこの場に集った者のうちオータムと簪以外は全員が一夏に思いのたけを込めたチョコを送ることになるだろうこと、自明の理。

 ……そう、自作のチョコを。セシリアも、ラウラも送ることになる。

 

 ゆえにこそのお菓子教室である。

 海兵隊入隊前のウジ虫のごとき料理の腕を持つセシリアと、腕前は元よりなんか致命的なところで色々勘違いしていそうなラウラに、たんぱく質の光学異性体とかが紛れ込んでいない、普通の人間の内臓が消化できるチョコを作ってもらう為の教育を課さねばならない。主に一夏の腹の安全のために。

 

 それがこのお菓子教室開催の趣旨である。

 無論、当人達には伏せられているが。

 

 

「まったく、失礼極まりないですわ。わたくしの手にかかれば一夏さんを虜にするチョコくらいちょちょいのぱっぱですのに」

「私もだ。自信はあるぞ」

 

 灯台もと暗しとはこのことか。

 この一件、何より不幸なのは当人たちにこそ自覚が欠けていることだ。

 英国貴族たるセシリアは一夏がいらん気を使ったせいもあって自分の料理の腕を過信しているし、ラウラはカエルだろうが蛇だろうが捌いて食べる程度のことはお手のものだろうが、教育係が悪いのかあらゆる面で勘違いが多い。

 

「……分かった。それじゃあ二人とも、本当に作れるか見せてくれるかな」

「よろしくてよ」

「うむ、とくと見るがいい」

 

 ゆえに、シャルロットはとりあえず二人に自覚してもらうことにした。

 目を離したら何をしでかすかわかった物ではないが、ひとまずしっかりと監視した上であればさほど突飛なこともしなかろう。

 箒と鈴によってくくりつけられたフリフリのエプロンを翻し、家庭科室の調理台の周りをふわふわと舞うように動くセシリアの背を注視しながらシャルロット、箒、鈴という今回の監視者三名は考える。

 

 ……実際のところ、自分たちの懸念が無駄に終わってくれれば良いとは思っているのだ。貴族の誇りにかけてこっそり料理を特訓していたセシリア、あるいはシャルロットと同室のよしみで料理に興味を持ったラウラ、などという切望してやまないシチュエーションが現実のものとなり、せめて味覚的な意味での常識を手に入れていてくれるのならば、友としてこれほどうれしいことはないと。

 

 だがしかし。

 

 

――ごろん

 

 さっそくセシリアの手から、温められたフライパン上へ直接転がされるチョコの塊を見るに至り、深い絶望と共に諦めた。

 

――スパァン!!

「っきゃああ!? なんですの!?」

「セシリア……君には失望したよ」

 

 零落白夜もかくやとばかりの白い光を残して一閃されたのは、シャルロットの手に携えられし名刀・ハリセン。

 ただでさえ大量のチョコを送りつけられることになるだろう一夏の健康を思い、せめて手綱を握れるセシリア達だけでもまともなチョコを作れるよう教育してやって欲しいと、アレな形ではあったが友の体を気遣う真宏から預かったものだ。

 抜かずに済めばと思いはしたが、よもやこんなにも早くお出まし願う羽目になろうとは。多難な前途を思えばため息の一つも出ようというものだった。

 

「ラウラは、どう?」

「うむ、これだ」

 

 ちなみにこの時点でシャルロットの目は割と死んでいる。セシリアの頭を引っ叩いた際に響き渡ったハリセンの快音すらもどこか物悲しげで、これからこいつらにお菓子作りを教えるなんて無理ゲーじゃね? ちょっと一夏に責任とってお腹壊してもらうしかなくね? などと思っていたりもする。

 そんなシャルロットが、それでも友を信じて振り向く先で、ラウラがずずいと示した彼女自慢のチョコは。

 

「ドイツ軍でも採用されている戦闘糧食のチョコレートだ。これを持って砂漠を行軍しても溶けることがなく、しかも一本で一日分のカロリーを摂取できる優れモノだ。……ただまあ、初孫に初めて会った祖父のようにダダ甘いのが欠点だが。……シャルロット? なぜハリセンを振り上げる!?」

\開眼! ムサシ!/

 

 ゆらりと振り上げられるハリセンの二刀。

 いつの間にか腰に巻いたベルトと、そこに収められた目玉状の何かから迸る叫びが今のシャルロットに剣豪の魂が宿ったことを教えてくれる。篠ノ之流の剣術を修める箒の目から見てすら隙がなく、背後に稲光の一つもあってしかるべきと思えるほど見事な構えであった。

 

「ラウラの……バカぁっ!」

――スパァンッ!

 

 まるで友達同士の喧嘩のような叫びであるが、威圧にビビったラウラが硬直した瞬間、稲妻が落ちるかのような勢いで振り下ろされたハリセンの白い紙がラウラの脳天に落ちる。

 響いた音はまさしく快音。

 

 爽快感と、ついでになんでIS操縦者としての技術をこんなところで発揮しなければならないんだという哀しみに満ちた響きであった。

 

 そしてこれこそが、これから始まるシャルロット達の困難を知らせる号砲なのであったという。

 

 

 一方その頃、簪達は。

 

「チョコの湯煎はこうやって、50℃くらいでするの。固めるときにはまたちょっと温度を上げる必要があるから、気をつけて」

「くっ、こう……か」

「なかなか、難しいなっ」

 

 ネタ担当とは違って割と普通の乙女たち。

 既にチョコを刻んで溶かす段階に入っていましたとさ。

 

 

「そ、それじゃあ……あとは固まるのを待つだけだね」

「ちょろいもんですわ」

「当然の結果だな」

 

 ほぼ完成したチョコを前に、腕組みをして根拠のない自信をみなぎらせるセシリアとラウラ。確かに見栄えもそれなりのチョコができたが、ここに至るまではシャルロット達にとって苦難の連続だった。

 料理を色合いで捕えるという、イギリス人以外には理解しがたい感性をもってチョコに味噌を入れようとするセシリアを止め、さしすせそに従い砂糖と塩と酢としょうゆを入れたあとだろうとドヤ顔でそれらの調味料を手に取るラウラから全て奪い取り、手にゴムべらを直接くくりつけることでようやく湯煎に専念させることができた。

 

 自分達のチョコ作りも並行していただけに疲労困憊し、もはやツッコミを入れる気にもならない。

 料理ベタとかメシマズなんてチャチなものでは断じてない。もっと恐ろしい物の片鱗を味わった気分である。

 それでもあきらめなかったシャルロットたちの偉大なる戦いは、おそらくこの世に乙女のある限り、永く語り継がれるに足る偉業であったろう。

 

「ま、まあいいとしようか。……それと、今回教えたのはあくまで基礎中の基礎だから、これにどう変化をつけるかは、それぞれの自由だよ」

 

 チョコを刻み、溶かし、テンパリングをして、再び固める。

 世に多くある手作りチョコの作業の基本はこれだけだ。だがそこに無限の想いを込められるのが乙女の特権であり、トッピングやらチョコペンでのちょっと恥ずかしくもいじらしいメッセージを書き込むことができるのも、日本のバレンタイン商戦の力。

 

 ここまでは、乙女のスタートライン。

 そこから先にどんな思いを込めるのか、そして「自分の羞恥心」という最大の敵との勝負に打ち勝ち、ド鈍い一夏ですら秘めたる心に気づけるほどストレートな愛を示せるかどうか。それを計るある種のチキンレースじみた戦いが繰り広げられる準備が、今整う。

 

 バレンタインを数日後に控えた、ある日のことであった。

 

 

◇◆◇

 

 

「なあ一夏、真宏。……最近どうよ」

「変わりないぞ。一夏の生き別れの妹が転校してきたり、明らかに成人してる人がクラスメートになって他の女子と同じ制服着てたりするくらいで」

「あと真宏は最近ますます簪さんとラブラブだな」

「……お前らホントすげーわ」

 

 ロクに整えられてもいないベッドのシーツに、本やらCDやらが乱雑に突っ込まれた本棚が雁首を揃え、床に放りだされた雑誌の花が彩る余りにもむさくるしい男部屋に集う三人の男達は、俺と一夏と弾。

 久々に会う約束をこうして果たし、しかしながらどこぞへ遊びに行くわけでもなく弾の部屋でゲームに興じる、いかにもアレな男子高校生の姿がそこにはあった。

 中学時代ならば良くあったこんなシチュエーションだが、さすがに俺と一夏がIS学園と言う全寮制の学校に入ってしまったから近頃稀になった物でもある。だからこそ今日は気楽に自堕落にゲームやら何やらで無駄に時間を使いつぶすことになったわけだ。

 

 本日のゲームはIS/VS。なんか近頃最新版が出たとかで、弾が買ったらしいからちょっくら対戦しに来てみた次第。……まあ実のところ、シャルロット達乙女連合に「今日はバレンタインのためのチョコ作りを練習するから、万が一にも一夏にバレないよう連れ出しておいて」と頼まれたからこそこうしてわざわざ学園の外に出てきたわけでもあるが。

 シャルロットに託した伝家の宝刀ハリセンが役に立つといいけど。

 

「くそっ、真宏なんだよその隠しキャラ! バカみたいに火力高いし、それに硬すぎる!」

「強羅・迦具土ですが、何か? ……いやー、ある人に聞いた隠しコマンド入力してみたんだけどまさかホントに出るとはね」

 

 そんなことを考えながらも手は動くのがゲーマーの性。

 弾と対戦し、一夏が観戦し、だらだらとした時間を過ごしていくのでありましたとさ。

 

 

「あーもー、その機体反則だろ。勝てねーよ」

「そうでもないぞ。火力が足りんのだ火力が。基本的に近接武装ならダメージ通るから、銃なんか捨ててかかってこいよ、弾!」

 

 対戦を繰り返して小一時間。元よりゲームバランスなど求めるだけ無駄なゲーム性を誇るIS/VSだけに、試しに使ってみた強羅のステータスは異常の一言で、相手が射撃型ならほぼ寄せ付けずに爆殺できるような、これラスボスじゃね? という機体でした。さすが日本版。日本製ISの性能がぶっ壊れてる。

 そんな久々の男同士の時間を楽しんでいたのだが、しかし。

 

「そうだ、弾。今日って蘭はいないのか?」

「今日はちょっと出かけてるな。……ほら、前にISの簡易適性検査でA取ってから本格的にIS学園への入学を目指してるらしくて、なんか変な人に色々教えてもらってるらしい」

「ああ、そういえばそんなこと言ってたな。……っていうか、変な人?」

 

 一夏の問いが少々空気を変えさせる。

 せっかく友人の家に来たのだから、友人の妹にも会えないものかと思うのは至極当然のこと。相手は多感な中学生なのだから生憎と留守にしていることくらいは一夏も想像していたが、しかしながら弾の応えはどうにも歯切れが悪い。

 しかもその理由が、なんか変な師匠を見つけたからだという。

 

「なんか、一つ目みたいに穴のあいたダンボールを頭に被った小柄な……多分女の人だな。基礎体力つける特訓とかISの知識についてとかグレネードの扱いとかいろいろ教わってるってさ」

「……おい、真宏」

「……いや、知らん。俺は知らん。少なくとも俺が仕組んだ話じゃないぞ、マジで」

 

 IS学園に入学するために必要なのはIS適性だけではない。

 知力体力時の運、魔力とか気力とか超力とかガッツとか、ありとあらゆるものが必要になるらしいというのは通常受験組の同級生から聞く話であるが、蘭はどうやらそれらを着実に身に付けつつあるようだ。

 おそらく受験ももう間近。下手すると入学試験の際に山田先生が圧倒的な火力で爆殺されるんじゃないかなーという一抹の不安を抱きつつ、俺と一夏は顔を見合わせるのでありましたとさ。

 

 

◇◆◇

 

 

 一夏のような朴念仁にとってはあずかり知らぬところだが、ここ数日のIS学園の浮かれようといったらなかった。一夏と二人で廊下を歩いていると普段から視線を向けられることはあるのだが、ここのところその熱が大分上がっており、たまに女の子同士で常ならぬ熱い視線を交わしていたりもするのを見かけもした。

 ついでのようにいつものヒロインズはそわそわしだし、簪には当日ちょっと予定を開けておいてくれと言われたので、思い出すたびにニヤけそうになるのを我慢するのが大変だ。

 

 放課後になると家庭科室の前や寮の中に甘いチョコレートの匂いと、時々セシリアの部屋の前あたりで焦げ臭い匂いが漂い出す今日この頃。それら一つ一つに少女達の思いの深さと真剣さが込められていることが肌身に感じられるようになり、その気配が頂点に達した、その日こそ。

 

 決戦の日、バレンタインデー。

 ついに、やってきた。

 

 

 朝起きて、一夏と二人でランニングをして、朝食を取り、寮から教室へと向かう道すがら。ここまでは特に何事もない、普通の日であった。おそらく一夏は今日が何の日かすらロクに覚えてはいないだろうが、前日までのどこかざわついた気配がなりを潜め、まるで嵐の前の静けさのようであった。

 

「な、なあ真宏……なんか今日、学園の雰囲気がおかしくないか?」

「いや、別に? あーでも、こんなに天気がいい日だと世界中にゾンビが大量発生して学園的な黙示録が始まる可能性はないとも言えんけど」

「ラウラが実は俺たちより一歳年上で銃剣術を駆使しそうな未来はさすがにないだろ!?」

 

 軽口を叩きながらの登校であるのだが、正直ちょっと怖い。ちょくちょくこっちを窺う視線なんかは感じるんだが、こうして校舎入口に至るまで生徒に出くわすこともないなど、異常極まりない。

 

 幸いというか、校舎に入ってからはそれなりに生徒とすれ違いもした。いつも通りに挨拶すれば返事を返してくれているので一夏あたりはほっと一息ついているのだが、俺の目はごまかせない。彼女達は例外なく片手を体で隠していたり、鞄を押えていたりする。そこに何かを隠していること、もはや明確であろう。

 

 安心したのもわずか一時。やはりどこかしらおかしいのだと今さら再認識した一夏はようやくたどり着いた教室で、全方位から集中する視線と意識に震えながらなんとか席に着いたのだった。

 

 

 さて、ここからが本当の勝負だ。

 

 教室へと来るまでの間、寮内や登校の道すがら、あるいは下駄箱なり机の中なりロッカーなり。一夏へのプレゼントとなるチョコを渡す機会や忍ばせておく場所はあったにも関わらず、乙女の恥じらいかはたまたヘタレか誰ひとりとして一夏に声をかける者はなく、ラッピングされた袋の一つも見ることはなかった。

 こうなれば、事態はますます難しくなる。授業が始まるまではあとわずか。普段の行動パターンから考えて一夏が今さら教室を出てどこかへ行くとは考えづらく、必然的にヤツへこの日最初にチョコを渡す栄誉を得られるのはこのクラスの誰か、ということになる。

 

 ちらり、と目線を教室内に走らせてみる。

 箒は剣道の試合前のような緊張感を総身に漲らせ、すらりと伸びた……というか背骨が棒にでも変わったかのような固まりっぷりでピクリともしない。というか瞬きすらしていない。

 一方のセシリアはさすがに緊張を表に出すようなことはせずクラスメートと談笑して「わたくし意識なんてしてませんわよ?」というオーラを振りまいている……のだが、たまに声をかけられて返事をする相手を間違えている辺り、ばっちり動揺しているのは明らかだ。

 シャルロットは虎視眈々と隙を窺っている。ニコニコと笑っているのだが、時々そんな表現では生ぬるいくらいににへらと顔が緩むところからして、自分の作戦が成功した時のことを妄想して悦に入っているのだろう。直後今なら行けたのではないかと気付いて残念そうな顔をするのも合わせて見ると、考えていることが手に取るようにわかる。

 そしてラウラは……ナイフを研いでいた。教室の中にナイフと砥石を持ちこんで、まるで刀鍛冶かなんかのように集中した様子で、このナイフを研ぎ終わった時こそ決戦の時、とでもいうかのように。まさかチョコを渡す時にそのナイフを使うつもりなのか。一夏の命が心配だ。

 

 ついでに時々教室の入り口あたりを何度となく通りすがっている見覚えのあるツインテールは、多分鈴。2組だから教室にいないのがこうまで響くとは、不憫である。

 

 あるいはこのままでは千冬さんと山田先生がやってきて勝負なしのお流れにもなりうるか。なんとなくそんな空気が流れだしたその時。

 空気を読まない……というか、余り理解できず自分の中で決着をつけた一人の乙女が、動いた。

 

「いっ、一夏!」

「うぉぅっ!? ……ま、マドカ?」

 

 

 その少女こそ、織斑マドカだった。

 

 

 マドカは全身これ一夏との因縁の塊と言っていい。

 ISの界隈においては特別な意味を持つ「織斑」の名を持ち、千冬さんにそっくりな容姿をしていて、ファントム・タスクが壊滅した直後の季節外れな時期にIS学園へ転入してきた謎の少女。

 あるいは千冬さんよりさらにとっつきにくい人柄かとも思える鋭い目つきからして孤立することもあり得たが、このクラスの生徒達はこともあろうに同じ日に転入してきたオータムともどもまとめて一夏と俺との模擬戦闘に引きずり込んだ。

 その際の戦いにて一夏と思う存分拳を交わすことによって、人柄に邪悪さはないということが知れ渡り、受け入れられた。

 

 以来、相手が引っ込み思案ならばこっちから踏み込むべしとばかりに、初日からオータムに普通に声をかける異様な胆力――あるいは天性のマイペースさ――を持つのほほんさんを筆頭に、さっそく絡んでいった。

 結果は、詳しく説明するまでもないだろう。今ではクラスの中において、彼女は千冬さんがあのくらいの年頃だったころにとても良く似ているという俺の一声に目の色を変えて接するようになり、友であり畏敬を抱くべき相手であるという認識が成り立ちつつある。

 

 ……まあ、未だ千冬さんとの距離の取り方は掴みあぐねているらしく、「それなら転入生らしく、授業の質問とかすればいいんじゃね?」とアドバイスしてやったらさっそく教室といわず廊下といわず、千冬さんを捕まえてはISに関する技術的・実技的な質問を次々ぶつけ、教師と生徒という立場ではあるが色々と話をするようになっていた。

 いまだ二人とも似たもの同士なせいかぎくしゃくしたところはあるが、それでも時折揃って見せる家族の顔。優しく暖かく魅力的だと、隠れて見守ることを趣味とする一部生徒達が鼻血出さんばかりの勢いでサムズアップするほどいい顔だった。

 

 そんなマドカだからだろうか。HRが迫る、ラストチャンスをものにしたのを見て驚きはしても、みなどこか納得したようだった。

 

「……」

「ど、どうしたんだマドカ……なんか変だぞ?」

 

 一夏にとっても、マドカに対する接し方はクラスのみんなと変わらない。千冬さんはいまだぎくしゃくしているが、一夏は既にマドカのことを妹とみなして接している。朝は一緒に登校しようとして逃げられ、昼は手作り弁当まで用意して食事に誘い、放課後は自主訓練をしようと手を引いてアリーナへ向かう。

 女心を介さぬこと恐竜の鈍さの如しな一夏であればこその強引過ぎる方法で、しかしながらマドカにはそれが中々どうして効いているらしい。まとわりつく一夏を表面上鬱陶しそうにしながらも内心嬉しく思いまくっていることは、長年織斑姉弟を見てきた俺にはわかる。……いやむしろ、この二人を見てニヤニヤしている生徒の数からするに、周知の事実なのであろうが。

 

「変とはなんだ! ……た、ただ、一夏に渡すものがあるだけだ」

「俺に、渡すもの……?」

 

 すでにこの時点で、マドカと一夏は教室中の注目を一手に集めている。

 何せ二人は元から美男美女。一応兄妹という触れ込みではあるが、その辺は妄想でカバーできる戦闘力の高い女子も数多くいるため問題にはならず、普段は中身こそ結構熱いが表面上クールなマドカが耳の先まで赤くして一夏の前に立っているのだ。ある特定の人種にとってはご褒美でしかない。

 

 そのことはマドカとて百も承知だろう。だが一度やりかけたことを途中で投げ出すことは矜持が許さないのか、後ろでに隠し持っていた物を、プルプル震える両手で差し出した。

 

 その手の中にあるのは、丁寧にラッピングされた箱。決して大きなものではないが、まさしくその所作は乙女のモノ。クラスのボルテージが静かに、しかし天井知らずにカチ上がる。

 

「バ……バレンタイン!」

「これ、くれるのか? ……って、無言で押し付けるな! 角が頬に刺さるぅぅ!?」

 

 マンガ的に表現するなら、目が×の字になるくらいきつく目をつぶって、愚かにも自分へのプレゼントか、などと聞き返した一夏にマドカがぐいぐい箱を押しつける。しっかり角が頬に刺さる角度で。無意識でやってしまっているのだろうが、あれはかなり痛い。

 

「さあ席につけ。浮かれずホームルームを……織斑、何をしている」

「俺にもさっぱり」

 

 しかし目を閉じているマドカはそんなことにも気付くはずもなく、ひとしきり一夏の頬をえぐった後、鳴り響くチャイムの音に文字通り飛び上がって驚き、そのまま脱兎の勢いで自分の席へと戻る。

 丁度マドカが席に戻ったその時に教室へと入ってきた千冬さんは、顔にいかにもバレンタインチョコっぽいものを食いこませた一夏にちょっと冷たい視線を送っている。

 ぐるりと教室を見渡せば、一夏のすぐ隣に赤くなって縮こまっているマドカが一人。想像していたことではあったろうが、それでも状況からしてこれはマドカが、マドカのみがプレゼントした物とすぐにも察せられる。

 

「……はぁ」

――いくらなんでも、妹が真っ先にとは。

 

 その時千冬さんがこぼしたため息には、確かにそんな思いが籠っていた。

 

 

 ついにマドカの行動によって火蓋が切って落とされた一夏を巡るバレンタイン騒動。

 特に一夏を巡ってはたくさんのドラマと数え切れない面白シーンが交錯していたのだが、生憎とその全てを記すことは紙面の都合が許さない。ゆえに、いつものあの面子に絞って語らせていただくとしよう。

 

 

――たとえば篠ノ之箒の場合

 

「きょ、今日は大変なようだな、一夏」

「……ぁあ、箒。ま、まあ大丈夫だぞ?」

 

 箒が動いたのはマドカの直後、ホームルームと授業の間のほんのわずかな時間であった。乙女としての決意というより、隙を見れば逃さない剣士としての踏み込みの速さを思わせるその行動、いかにも箒らしい。特に何も考えずに踏み出したせいで、今まさにテンパってるのがよくわかる。

 ちなみに現在進行形で好奇の視線は集中している。マドカに一番槍を許したとはいえこの戦いは始まったばかり。次に先陣を切る武士は一体誰か、いやさあるいは我こそはと虎視眈々に狙っていたのだからして。……時代小説のような語りであるが、間違いではないと自負する次第だ。

 ともあれ今は箒の成り行き。普段の行動からして彼女も本気のチョコを一夏に渡すだろうことは明白であり、このままチョコを渡しうるのか、あるいはヘタレて失敗するか、既にクラスの片隅で賭けが始まっていたりする。

 

「その……なんだ。辛いならば無理はするな。私で力になれることがあれば、何でも言ってくれ」

「お……おう?」

 

 人の慣れというのはげに恐ろしい物。実のところこうして箒が目の前に立った時点で、一夏はまたなんぞ怒られるのではないかと身構えていたのだ。無意識のうちに恐れる体が思い返すのは、かつてこんな雰囲気の箒に殴り飛ばされた日々のこと。

 一夏の本能には、こうして頬を赤らめちらちらと自分を見てくる箒とは普通に話しているだけでも何故か怒らせてしまい、最後には殴られ蹴られるのだと刷り込まれてしまっている。

 悲しい悲しい経験値。だが箒はくじけない。

 

「こっ、これをやるから元気を出せ。……頑張って、作ったんだ」

 

 そっと差し出す、マドカのそれに勝るとも劣らぬ思いが込められた、チョコレート。きらめくばかりの乙女オーラを込められたそれに対し、一夏は。

 

「うええぇっ!?」

 

 信じられないとばかりの驚愕をもって、返したのだった。

 

「なんだその驚き方は!? いらないならやらんぞ!」

「ち、違う! イヤなんかじゃない、ありがとう!」

 

 一夏を驚かせてしまった原因は、ひとえに普段の箒の態度にある。

 恋する乙女の常として、想い人の傍にいれば天にも昇る幸福を感じるとともに、羞恥に目が曇り、心にもない言動をしてしまうことがある。だからといってその際の照れ隠しに篠ノ之流の技がポンポン急所狙いで出るのはどーなのよと思わないでもないのだが、そこはそれ。侍ガールな箒の宿命だ。

 

 しかし今の箒は違う。

 箒には、目標とするべきものがある。

 

 それは、簪の存在だ。

 簪自身は控えめで、自分に対する過小評価がすぎるきらいがあるため認めないだろうが、簪の姿は箒が思い描く理想の大和撫子そのものだ。

 真宏に寄り添い、大人しく、可憐で、優しい笑顔を振りまく少女。打鉄弐式が完成するまでの鬱々とした頃を知らないせいもあり、箒の目には簪こそが誰にも愛される理想の少女の姿に見えてならない。

 

 ゆえに、そのありようを見習おうと思った。

 怒るより許すこと。愛されるより愛すること。疑うよりも信じること。簪が真宏に注ぐ眼差しから、箒はそれを学んだ。

 

 生憎とすぐに激するのは生来の気質であるから、未だかっとビングレベルの菩薩メンタルな――と、箒は思っている――簪の領域に至るには遥か遠い。

 だがそれでも、あんな風になりたいと願う。そのために、できることをする。

 自分にできる限りの限界ぎりぎり、これ以上一歩でも一夏に近づけば、一秒でも余計にその顔を直視すれば勝手に手刀が一夏の首を狩ると思える間合いで、首から上を巡る血潮の熱さを感じながら、それでも精一杯に笑顔を見せてチョコを手渡すことができた。素直に快挙である。

 

「あー……何て言ったらいいかわからないけど、本当にありがとう箒。後で食べさせてもらうよ」

「ああ。心して味わえ」

 

 一夏がありがとうと言ってくれた。

 そして素直に……とは言い難いが、言葉も返せた。

 

 最後にちらりと振り向いたときに見えた、何が何だか分からないながらも嬉しそうにしていた一夏と、貰った心からの言葉。これだけあれば、今の箒には十分だった。

 

 

――あるいはセシリア・オルコットであれば

 

「ちょっと、よろしくて?」

「あ、なんかすっげー懐かしい」

 

 箒に続く形で一夏に近づいたのは、セシリアであった。

 一夏の席に颯爽と近づき、自信に満ちた声をかける。まるでIS学園に入学したあの日を思わせるセリフであるが、二人の間の空気はかつてとまるで違う。

 

「うふふ、そうですわね。……ただ、あの頃のことは忘れてくださいまし。少し恥ずかしいですわ」

「そうなのか?」

 

 ある意味で敵として出会った二人は、その後様々な出来事やラブコメイベントを経た結果、こうして笑顔で会話を交わし合うような仲になった。くすくすと口元を隠して上品に笑うセシリアは所作の一つ一つにも気品が滲みでて、一夏も自然と背筋を伸ばす。

 元より美男美女たる二人がこうしていると、まるで絵画の様である。

 

 ……あるのだが。

 

(よしっ、これでいい、これでいいんですわ……っ。淑女らしくエレガントにチョコをプレゼントする。これでイチコロに違いありませんわっ)

 

 内心、セシリアはこんなことを考えていたりする。

 

 セシリアは、一夏へプレゼントするための手作りチョコを用意した。注ぎ込んだ思いは誰にも負けない自負があり、味だってばっちりだと、根拠のない確信を持っている。

 だがおそらく、それは他の皆にとっても同じだろう。彼女らは彼女らで、セシリアが認めた恋のライバルなのだ。

 ここまでやってようやく互角。ではそこからさらに一歩先んじて一夏の心を掴むにはどうするべきか。セシリアの出した答えが、これだ。

 

 かつての出会いと同じ言葉を、今の気持ちで一夏に捧げる。あの日から変わった自分、変わった想い。そしてそれらを宿す英国貴族たる自分。全てを知ってほしいという願い。

 

 心の中に描く姿は騎士へと褒美を賜わす姫君。そんなシチュエーションなのだと妄想の果てで必死に自分に言い聞かせ、ちょっとどころじゃなく恥ずかしいものの、マドカに続いて箒まで教室内でのチョコプレゼントというある種の凶行に走ったのだからと、負けてられないセシリアは勇気を出して踏み出したのだ。

 

「ところで一夏さん、今日はバレンタインデーですわ。英国とは少々様式が違いますけれど、せっかくなので日本式にチョコをプレゼントしたいと思いますの。……受け取って、いただけますか?」

「お、おぉう……。あ、ありがとうセシリア。嬉しいよ」

 

 そっと差し出すチョコの包みを、一夏は恭しく……と言うにはちょっとひきつった表情で受け取った。かつてセシリアが作った料理を食べる度に口の中に広がった煉獄の記憶がよみがえればさもありなんだが、このラブコメ主人公体質男に受け取らないなどと言う選択肢はありえない。

 セシリアの乙女フィルターが掛かった視界の中の一夏はキリッとした決め顔で恭しくチョコを受け取り、凛々しく微笑んでくれたように見えている。

 これにてミッションコンプリート。あとは授業が終わってからでもこのチョコを食べて、あまりの美味しさを知り自分の溢れんばかりの思いに気付いてくれれば。

 

 しかしてそんな未来予想図は。

 

「それはそれとして、大丈夫かセシリア。……さっきからなんかものすごく顔赤いけど、熱でもあるのか?」

「わひゃぁああうっ!?」

 

 実のところ、最初からずーっと恥ずかしすぎて顔真っ赤であったことに気付かなかったことと、ここにきて空気を読まずぺたりと額に触れてきた一夏の手の感触によって瓦解するのであった。

 

「ぅう……わ、わたくしの完璧な計画がああああ」

「大丈夫~、せっしーすごく頑張ったよ~。なでなで」

「うんうん、良くやったわ。見事よセシリアさん!」

 

「……な、なんだったんだ」

「乙女の意地だったんだろうよ、多分」

 

 目的自体は果たせたものの予想外の反撃に会い、轟沈。

 頑張れセシリア、ある意味すっげー印象に残ったみたいだから。

 

 

――さもなくばシャルロット・デュノアについて

 

「ごめんね一夏、こんなところに来てもらっちゃって」

「いや、それはいいんだけどさ」

 

 次なる刺客、シャルロットは意外や意外、箒達とは異なり一夏を人気のない廊下の隅に連れ出すことを選んだ。トイレに立った一夏をさりげなく追いかけ、一瞬の隙をついて二人っきりの状況を作り上げる抜け目なさ、さすがは学年一のあざとイエローである。

 

「さすがにそろそろ予想が付いてると思うけど、チョコあげるね、一夏」

「おう。ありがとな、シャル」

 

 さすがの一夏といえど、今日の日付とこれまで自分の周りで起きた現象からして今日が例のバレンタインデーだということと、みんながチョコをプレゼントしてくれているのだということは気付いている。来月のホワイトデーのお返しどうしようかなーなどと既に考えが及んでいる辺りいかにも渡し甲斐の無い話であるが、そこはまあ一夏のこと。ましてやシャルロットはかつて男と勘違いして同室で寝起きしていた気安さもあるのだろう。

 実際にチョコを食べ、その味と込められた気合によって気付いてくれることに期待したいのがシャルロットの心情だ。

 

 ……だが、実はそんな物を待つ気がないのが、意外と肉食系でがっつりいくシャルロット。わざわざ人気のないところに一夏を連れ出したのは、こんな状況でもなければさすがに恥ずかしくて使えない必殺技を駆使するためだ。

 シャルロットは、丹精込めて作ったチョコを取り出し……包みを開け、一つ取り出した。ときどき包みを開けそこなって指がかするのは緊張ゆえか。それを見て不思議そうな顔をしている一夏。そんな態度でいられるのは。

 

「それじゃあ一夏……んっ」

「……え、ええええっ!?」

 

 シャルロットが、自作の一口チョコを「自分の口に咥えて」突き出してくるまでのごくわずかな時間だけだった。

 

「な、ちょっ、シャル!?」

「んー」

 

 シャルロット、無言。早く、とばかりに薄目を開けて促し、じりじりと一夏の口元めがけて接近していく。のけぞる一夏であるが、生憎とこの場所へはシャルロットが選んで連れてきた死地。最初から一夏の背後は壁になるよう位置取られており、人類に逃げ場なしもいいところ。

 

 バレンタインデー当日、学校の隅っこで口にチョコ咥えた美少女に迫られる絵面。全国のしっと団員に見られればジャッジメント、死刑! されること確実な状況に、一夏はただただ戸惑うばかりであった。

 

「冷静になれ、何がどうなってるんだ!?」

「んんー。……ふふっ、冗談だよ、一夏」

 

 しかし、シャルロットは割とあっさり身を引いた。

 くすくすと楽しそうに笑っているところを見るになんとか助かったのだろうとおぼろげながら理解する一夏。何をどう助かったのか、とかそういうのは考えたくないのだが。

 とはいえなんとかなった。そう安心してため息をつき。

 

「でもチョコの味は自信があるから……えいっ」

「むぐっ!?」

 

 その隙にシャルロット自慢のとっつきのような勢いで開いた口の中へチョコが突っ込まれた。無論、さっきまでシャルロットが咥えていたものである。

 

「他のも味わって食べてね一夏。それじゃっ」

「……むぐむぐ……あ、美味い」

 

 一夏の手の中に残りのチョコを包みごと押しつけて、颯爽と駆けていくシャルロットを半ば呆然と見送る一夏。

 やっと出た言葉は、至極素直なチョコの味への感想だけなのだった。

 

 

――そしてラウラ・ボーデヴィッヒなども

 

「というわけで一夏、これを受け取れ」

「今度はラウラか……。ああでも、ありがとな」

 

 半ば呆然としたまま教室へ戻ってきた一夏を出迎えたのは、入り口前に休めの姿勢で直立不動を貫いているラウラであった。

 さすがは軍人と言うべきか、要件だけを単刀直入に切り出す様は既にして精神擦り切れかけている今の一夏にとってはある意味一番優しい対応だったと言えるだろう。

 

「……正直、私はバレンタインデーとやらがよくわからん。これでいいのか? 一夏は本当に喜んでくれているか?」

「何をそんなに心配してるんだよ。ラウラが作ってくれたんだろ? すごくうれしいよ」

 

 しかしラウラはどこか不安げだ。一夏としては、こうしてチョコをプレゼントしてくれる気持ちも、おそらく手作りであろうことも、今の精神的に追い詰められた状態をさらに悪化させないという意味でもありとあらゆる面で嬉しいことなのだが。

 

「……そうか。こうしてただ渡すだけでは不十分なのではないかと心配でな。クラリッサに聞いたところによると、普通のバレンタインならまだしも嫁を相手にする場合はチョコクリームを用意して全裸で布団にもぐりこんでおいて『甘~い私を召し上がれ♪』位するのが普通だと……」

「何考えてるんだドイツ軍人ーーーーーっ!?」

 

 一夏、絶叫。ただでさえ注目を集めているのにさらに視線やら何やら集まってくるが気にするものか。ラウラが口走ろうとしていることを遮るためなら手段を選べない。

 具体的には、いつぞやVTシステム暴走事件があった直後にラウラが全裸で布団にもぐりこんできた出来事とか、その時見た銀髪の流れる白い肌、触れた肌の感触と柔らかさ、そこにチョコがとろりとかかった時の光景とかとか、記憶と妄想がごっちゃになった諸々吹き飛ばすためにも。

 

「どうした、一夏」

「いやどうしたじゃなくて……はぁ、もういいよ。とりあえずこのチョコありがとう。……あと、さっき言ってたのはやらなくていいから。これは俺との約束な?」

「うむ、わかった。……実のところ、さすがにそれは恥ずかしいと思っていたから、助かる」

 

 なら最初から言わないでくれ。

 心からの願いは必死に喉の奥に押し込んで、ラウラと一緒に教室へ入っていく一夏。まあ何とか、穏便に済んだ方だろう。

 

 

――鈴は二組だけど、いる

 

 一夏は、覚悟を決めている。こうなったからにはきっと今日一日こんな感じなのだろうと、そう思いつつ授業を繰り返し、事実休み時間の度にありがたくも恐ろしくクラスメートや同じ学年、あるいは上級生の知り合いなどからチョコをどさどさともらい続け……ついに昼休みがやってきた。

 

「一夏ぁ! ちょっとツラ貸しなさい!」

「……うん、わかった。わかったから落ち着け鈴。何故かツインテールが青く染まりかけてるから」

 

 授業終わりの鐘が鳴るが早いか、ツインテールを水平になびかせる勢いでやってきたのは、クラスの壁によってこれまで一夏にチョコをプレゼントする機会を妨げられていた、鈴だ。緊張とかその他諸々が高まりすぎたのか、蛮族じみた険しい表情を浮かべている。

 

「鈴もチョコくれるんだろ? 料理上手いから、楽しみにしてたんだよ」

「うぇっ!? そ、そう……なの?」

 

 ちなみに、ここまで何度か教室の前をさりげなく――と、本人だけは思っている――通りすがるも気付いてもらえなかった鈴が、これ以上放っておくと確実に恥ずかしくてチョコを渡せなくなると焦って選んだ作戦は「ガンガンいこうぜ」。とにかく勢い任せに接触し、たとえクラス中の注目を集めてニヤニヤ生温かい視線で見守られようと、恥ずかしいとか感じるより早くことを済ませてしまえばいい。なんならそのまま流れでキスの一つもしたろうかコンチクショー。そんな感じで焦りによって完全に正気を失っていたのだが、初手から躓いた。

 

 まあ、かの大朴念仁王一夏であってもここまでチョコをプレゼントされ続ければさすがに気付く。そして、普段からよく一緒にいて仲がいいと自負する鈴。きっとチョコをもらえるのだろうと、お菓子貰えることを喜ぶ子供のように無邪気な笑顔を見せているのだ。

 鈴、ぶっちゃけちょっとキュンと来た。

 

「しっ、仕方ないわね。期待させちゃったんならしょうがないわ。私のてっ、手作りチョコだから……味は保証しないわよッ」

「そんな心配はいらないだろ。鈴が最近作ってくれる中華料理、みんな美味いし。これもきっと美味いさ」

 

 少々照れてしまったが、それでもなお気安い風に渡すことができたのは昔馴染みの特権か。こっちの気も知らぬげな一夏のへらへらとした笑みも今だけは輝いて見えるのは鈴の目にかかる乙女フィルターのなせる技。

 ある意味これって一番いい渡し方だったんじゃね? 残り物には福がある的な勝ち組なんじゃね? そんな風に思って箒達に視線を向ければ、さすがは侮りがたいライバル同士。誰もがこちらの健闘をたたえつつ、しかし自分が負けるはずがないと自信に満ちた目を向けてくる。

 鈴もむろん同じこと。負けるものかと返す眼差しの光は、この上なく強かった。

 

 

◇◆◇

 

 

「それが今年の血のバレンタインだったらしいぞ」

「みんな、すごいね。……私は、真似できないかも」

「ちなみに、さっき一夏がそうやってもらったチョコ見せてくれたけど、去年までとはちょっと違う顔してたよ。ひょっとしたら、箒達の願いが叶う日も遠くないかもしれないな」

 

 以上が、一夏を巡るバレンタイン騒動、主に俺と弾の間での通称「血のバレンタイン」の大体の顛末だ。毎年繰り返されているこの出来事、別に血が流れるわけではないのだが、まあ一夏のいつもの様子によって乙女たちの心に流れる血だけは惨劇レベルと言うことで、ひとつ。

 直接教室内で目撃した物に加えて、黛先輩がどこからともなく仕入れてきた情報も含め、こうして放課後に待ち合わせていた簪に報告している。さすがに今日の一夏の動向はIS学園内でもかなりホットな話題だったようで、かなり詳しいところまで把握されていたらしい。南無。

 

 ちなみに余談であるが、IS学園内の「女性」チョコもらった数ランキングは千冬さんとスコールが二大巨頭として君臨しているらしい。スコールは相変わらず保健室の主として猛威を振るっているし、千冬さんは例年この時期になると白薔薇の騎士(シュヴァリエ・ギガンティア)と呼ばれて人気を博しているのだとか。

 あと更なる余談として、オータムがチョコ作りに悪戦苦闘したのか、絆創膏だらけの指で綺麗な包みのモノを持って保健室に意気揚々と向かい、その後1時間くらい出てこなかったという噂もある。

 

「でも……そんな話を聞いた後だと、ちょっと自信無くなる……かも」

「どうしてだ?」

「だって……私の、普通だし」

 

 そんなことを、IS学園内にいくつかある遊歩道の途中のベンチに座りながら話している。簪は今日一日機会を窺うも恥ずかしく、結局こうして放課後を待ち、あまり人が来ない場所に俺を呼び出してようやくこういう話になった。

 恥ずかしがりなところも、自分に自信がないところも俺からすれば控えめで可愛いということになるのだが、簪にしてみればやはりいまだ自分を好きになれない、という結論に落ち着くらしい。

 

 だから、仕方がない。

 簪が簪自身を好きになれないのなら、その分俺が好きになってやるしかないじゃないか。

 

「普通なんてことはないよ。俺は他の誰からもらえるのよりも、簪からもらえた方が嬉しい。……だから簪、チョコちょーだい」

「っ! ……も、もう。すぐそうやって……っ!」

 

 ニコニコと笑って両手を差し出してみせる。冗談めかしてはいるが、思っていることはまさしく本気。簪もそのことが分かっているからだろう、しゅうしゅうと頭から湯気が出そうな勢いで赤くなる。大変に可愛らしい。

 

「……あ、あのね。頑張って作ったけど、チョコはあんまり作ったことないから、味は自信ないの」

「そうなのか。でも簪が直接食べさせてくれたらぐっと美味しく思えるかもしれないぞ?」

「……っ! もう! もう!!」

「あはは、叩くな叩くな」

 

 そして、そろそろ自分が半分くらいからかわれていることに気付いた簪からの反撃を笑って受ける俺。ぽかぽか殴ってきてもまったく痛くないそんなのじゃ、俺は幸せにしかなれないぞ。

 

 

「……あそこだ。いたぞ楯無」

「ホントだ、真宏くんに簪ちゃん見っけ。おーい」

 

「あれ、会長……と、マドカ?」

「珍しい……どうしたんだろう」

 

 色々あって盛大に赤くなった簪の顔色がなんとか元通りになったころ、どこからともなく響いてきた声があった。どちらもそれなりに聞き慣れた会長とマドカの声であったのだが、この二人のツーショットなんてそうそう見たことないぞ。

 

「あらあら、こんな人気のないところで……お楽しみだったかしら?」

「おっ、お姉ちゃん!?」

「もう存分に堪能しましたんで、その辺はご心配なく」

「ふむ、それはいいことだな」

「真宏もっ、少し黙ってっ!」

 

 などと、「ゆうべはお楽しみでしたね」と書かれた扇子で口元を隠してニヤリと笑う会長とジャブの応酬をして、マイペースなマドカの様子と、俺の口を押えようとしてくる簪の手の感触を楽しむ俺。会長が簪をからかいに来るというのならわかるけど、それにマドカも一緒とは一体どういうことなのやら。

 

「うん、まあ……ね? 要件は他でもないわ。こんな日だから……ほら、ね。マドカちゃん?」

「私に振るな。楯無が話を進めるはずだったろう」

「……」

 

 会長とマドカは普段とは少々様子が異なり何とも歯切れが悪く、簪が何だかちょっと目付き鋭く二人を窺っている。

 会長は元々のらりくらりと人をおちょくるのが得意で、マドカだって転入直後に質問攻めにされた時は「私に質問をするなぁー!」と一喝して一時的にクラスを静めたほどの猛者だというのに、まるで一夏にチョコを渡さんとするヒロインズのようではないか。

 

「う~ん、それじゃあまあ、私から。……はい、真宏くん。バレンタインのチョコ。……あっ、あくまで義理チョコだからね!?」

「へっ? そ、そりゃどうも」

 

 ……そして、なんということだろう。まさしく今日の箒達のように、なんか会長が俺にチョコをくれたのだった。

 

「……じーっ」

「そんな疑いの目で見ないで簪ちゃん!? ほら、お姉ちゃんは簪ちゃんとのこととかで真宏くんに色々お世話になったから、そのお礼よ! このチョコだって一夏くんに渡したのと同じものでしかないし、ね!?」

 

 ためつすがめつ色々な方向から見てみるに、いかにも会長らしいきっちりとした、売り物であってもおかしくないほど丁寧な包装がされている。これならおそらく中身の味も期待して良いだろうと俺はその程度のことしか考えていなかったのだが、いつの間にやら俺の手を握っている簪的にはなんだか腑に落ちないところでもあるのだろう。疑いの眼差しを会長に向けていた。

 ……これ、義理チョコだよな? 簪の目の意味を考えるに、「一夏のと同じ」という点が妙に引っかかるのだが。

 

「……てことは、ひょっとしてマドカもか?」

「ああ、そうだ。私も一夏に渡していたのを見ただろう。あれは本命チョコだ。……一夏は気付かなかったようだが」

「さらっと本命とか言ってるんじゃねえよ一夏の実妹」

 

 相変わらず必死になって弁明している会長とは裏腹に、マドカはこの上なくクールであった。しかも一夏に渡したチョコが本命だとか平然と言うし。なにこれすごい。さっき一夏にチョコ渡してた時はものすごい緊張してたのに。

 

「真宏の分は義理チョコ……という分類にはなるだろうが、それなりに頑張って作ってみた。味わってくれ。……お前には色々と迷惑ばかりかけた。撃ち殺しかけたり撃ち殺しかけたり、色々と。その詫びもある」

「気にするなって。でもチョコはありがとな」

 

 思えば、マドカとの縁も奇妙なものだ。

 初めて会ったのはキャノンボール・ファストの日で、サイレント・ゼフィルスのフルチャージレーザーを背中に受け、夜に拳銃で撃たれたのだから結構エキセントリックな出会いだったような気がする。

 それでも今はこうして仲良くしていられるわけだし、俺としては願ったりだ。

 

「……感謝しているぞ、真宏。私はお前のお陰で致命的な間違いを犯さずに済んだ。今こうしてここにいられることも、一夏や姉さんに……家族と認めてもらえたことも、お前がいてくれればこそだった」

「マドカさん……」

 

 マドカは、やはり一夏と千冬さんの兄弟なのだと俺は改めて確信する。

 こうして感謝を言葉で示すマドカの優しい笑顔は、あの二人ととてもよく似ているのだから。

 

 その笑顔の魅力たるや、会長に対するのと同じくらいの不審の眼を向けていた簪にすら感じいらせるほどであり、織斑三兄弟として学園内での人気が爆上げ中であることにも納得できる。

 

 ……できるのだが、実のところマドカには他の二人と決定的に違う部分があり。

 

 

「……だから、家族以外ではお前のことが一番好きだ」

 

 

「え?」

「簪に捨てられたら言え。私が貰ってやる」

「……ちょ、おいぃっ!?」

 

 

 ……その魅力的な笑顔のまま、この子は時々爆弾落っことすんだよね。

 

「ダメっ! ダメダメダメっ! 真宏は私のっ!」

「ま、ママママママドカちゃん!? いきなりなんてこと言ってるの! そんなの絶対おかしいわよ!」

「落ち着け簪、言われなくても俺はおまえのだから。あとそのセリフ超嬉しい。録音した。それから会長、それはどっちかっていうとマドカのセリフです」

 

 先ほどの一夏に本命チョコ発言もそうだし、存外クールなこの子はこうしてとんでもない発言をすることがある。

 今では色々ふっきれたのか一夏とは割と距離感が近くなってたまに「お兄ちゃん」とか呼んで一夏を狼狽させているし、ヒロインズの目の前で腕を組んで挑発したりもしている。

 箒達に曰く、「冗談めかしているが、目が超本気なので千冬さん並に油断できない」とのことだ。

 

 あと一応勘違いしないように言っておくと、俺は今冷静なわけではなくあまりの事態に脳みそショートしてるだけです。復旧まではもうしばらく。

 

「安心しろ、簪。真宏を奪ったりするつもりはない。私と真宏は『ダチ』だからな」

「……そう、なの?」

「うむ。私が死ぬときはサイレント・ゼフィルスとIS学園の学生証を預かってもらうつもりだ」

 

 右手の握りこぶしで左肩のあたりをトントンと叩きこっちをびしりと指さしてくるマドカ。どうやらいつぞやした握手を色んな意味で理解してくれているらしい。そのことはいいし、言葉にウソ偽りもないだろうと信じられるだけのものはあるのだが、簪は警戒したような眼差しを緩めない。

 

 確かに言ってることは本音だろうが、それ以前の簪に捨てられたら云々のところからして既に本気としか思えねえ……っ。

 

「あー……そう言ってもらえるのはありがたいんだけど、悪いが俺は簪一筋なんだ、マドカ」

「らしいな。残念だ。……まあそれでも覚えていておいてくれ。ダチのよしみということで」

「うん……まあお手柔らかにね。なんだか簪が抱えてる左ひじがそろそろ激痛を訴え出してるからさ」

 

 

 俺の返事にも至極真面目に応えるマドカ。しかしながら簪が掻き立てられた不安やら何やらはまだまだ尽きないようで、このヤンデレアームロックをほどいて機嫌を直してもらうためには、この日の夕方まで色々話してテレビ見て、最後にその……キスをして、ようやくほどいてもらえるようになるほどのものだった。

 

「真宏が私を好きでいてくれることは信じてるけど……自信が、なくて」

「そうか」なでりなでり

「他の誰よりも、私が一番真宏のことを好きだっていうことは……ちょっと自信あるけど」

「安心してくれ。俺も同じだ」

「……顔、赤いよ」

「簪の言えたセリフかっ」

 

 簪からのチョコに加え、マドカの爆弾発言と、簪とのやり取り。

 今年のバレンタインデーは、本当に忘れられない物になる羽目になったよ。

 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。

 

 

◇◆◇

 

 

 バレンタイン当日は、そうやって過ぎていった。

 この後さらに千冬さんからもチョコをもらい、もしこの事実が学園の千冬さん大好きな生徒に知られたらと爆弾抱えているかのような不安を感じながらなんとか寮に戻り、どこで情報を得たのか「ちーちゃんのチョコはわたしのものだああーーっ!」とか叫んで部屋に乱入してくる束さんをしばき上げ、ついてきたくーちゃんにおみやげのチョコを持たせて返し、眠りについた。

 

 簪や会長達からもらったチョコは美味しかったわけだし、マドカの爆弾さえもがまあ青春なイベントの一つということにしておこう。よもや簪以外とこんなことになるとは思わなかったけど。

 

 

 だが忘れていた。

 

 IS学園において、イベント事はすなわち事件の前触れにすぎないということを。

 

 

「……神上、おい神上。……とっとと起きろっ!」

「ひでぶっ!? 痛い!」

 

 割と幸せな気分を満喫していた俺の眠りは、額から走る激痛によって妨げられた。

 

「な、何事!? 起きる直前ジョーカーエクストリーム(物理)される夢みたんだけどっ!?」

「いつまでも寝こけているからだ、馬鹿者。……まさかここまで連れてこられる間ずっと起きないとは思わなかったぞ」

「……あれ、ここどこ!?」

 

 夢の中で千冬さんに向かって両足揃えた飛び蹴りをかますという命知らずなことをやったら、案の定体の正中線にそって唐竹割りされました、みたいな夢と激痛によって俺の意識が一瞬で覚醒する。

 何が何だかわからないなりに飛び起きてみると、目の前には例によって出席簿を構えて呆れ顔の千冬さんがいらっしゃった。

 

 バカな!? ま、まさかこの俺が千冬さんの授業で眠っただと!? そんな命知らずな真似があり得るわけが……っ!

 ……と、いつから自分はいつのまに自殺願望など持ったのかと驚愕に呑まれかけつつ周囲を見渡して、ふと気付く。

 

 ここは、教室ではない。

 

 なんかやたらと薄暗く、狭い空間。ゴーゴーとうるさいほどの気流音がずっと響いている。机が立ち並ぶ代わりに壁から生えた板、としか見えない座席についているのはおなじみ一年生専用機持ちの皆と、山田先生と……スコール。

 明かり取りにもならなそうなほど小さな窓に映るのは室内よりもなお暗い夜空。察するに、ここは輸送機の貨物室の類であろう。

 

「……あ、なるほど。これからどっかにカチ込みに行くんですね?」

「その理解力は褒められるが、言い方をなんとかしろ……」

 

 ポンと手を打ち示した見解に、千冬さんは呆れの色濃くため息をついた。

 人の寝込みに侵入して身柄をかっさらい、挙句どこぞの施設に襲撃かけることを否定もしないんだからどっちもどっちですよーだ。

 

 半ば寝ぼけた頭でそんなことを考えている俺。

 ……実のところ、作戦参加者にすら極秘で輸送機の段取りを整え、夜闇にまぎれて専用機持ちをこれだけ導入するほどのことなのだ。ただ事のはずがない。

 俺をここまで担いで運んで来たという一夏は相変わらずの察しの悪さできょろきょろしているが、そうして眼が合った仲間達がみな一様に緊張した表情をしていることで大体の事情を察したのだろう。真剣なまなざしを千冬さんに向ける。

 

 かなり強引な手段も辞さず、こうして発動した作戦。

 おそらくIS学園にとっても極めて重要なそれ。

 その目的が、明かされる。

 

 

「……残念ながら、セントエルモにまつわる事件は終わっていない。少々毛色が異なるが、今回お前達にしてもらうのは――要人の救出作戦だ」

 

 ただ淡々と告げられたその言葉に、千冬さんがどれほどの感情を押し隠していたのか。

 このときは一夏もマドカも、もちろん俺も。

 誰一人として知る由もなかった。


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