まるで示し合わせたかのように、呼び出されたり、人気のないところでばったり出くわすことが続いた、と一夏は語る。
そして最初の一人は、セシリアだったのだとか。
「一夏さん、ちょっとよろしくて?」
「ん? ああ、セシリア。どうしたんだ」
訓練を終えてアリーナから寮へと帰る道すがら、出くわしたセシリアにそう声をかけられた。何もなくとも会えば一緒に帰るくらいのことはいつでもする一夏だったが、その時のセシリアの雰囲気には違和感を覚えずにいられなかったという。
常から貴族らしい気品溢れる立ち居振る舞いを自らに課していて、事実そうあるセシリアが……その時はスゴ味すら感じられるほどに気高く見えたのだと。
まっすぐに伸びた背筋と、穏やかな微笑み。名画に描かれた女神とさえ思えたその感覚は、紛れもなく「美しい」という言葉でしか表せない。
セシリアはこの瞬間、紛れもなくこれまで見てきた中で一番美しかった。
そしてそんなセシリアが、胸に手を当て微笑んで、一夏に向けた言葉は。
「わたくしセシリア・オルコットは、織斑一夏さん。――あなたを愛しています」
「…………え?」
一夏ですら勘違いなどできないほどにまっすぐな、愛の告白だった。
「……うふふ、ようやく言えましたわ。思ったより、すっきりするものですわね」
「や、あの……ちょ、セシリア?」
「落ち着いてくださいまし、一夏さん。今のはただ、わたくしの気持ちですわ。……すぐに返事をいただこうとは思いません。ですが紛れもなくわたくしの本心。そうとだけ、覚えておいてくださいまし」
慌て、まともに言葉が出ない一夏をひとしきり宥めたセシリアは、ではと一言告げて去って行った。
女の子から言われた愛している、という言葉の重みを生れてはじめて噛みしめる一夏を残して。
◇◆◇
その次は、鈴であったという。
「一夏、ちょっといい? ……って、ひどい顔じゃない」
「あ、ああ、鈴か。大丈夫だぞ。何か話か……?」
あまりのショックにどこをどう歩いたか覚えていないまま部屋に戻った一夏の元へ、ノックもそこそこに訪ねてきたのは元気印ツインテール、鈴。
身軽にひょいひょいと部屋に入ってくるなりあまりにもひどい一夏の顔色を気遣ってくれたのだが、まあいいかと軽く流されたらしい。
鈴はいつでもそうだ。根本的な部分では優しいが、そのうえで問題ないと見れば、あっさりと自分の用を優先する。
「昔の話だけどさ。私、一夏に言ったことあるじゃない? 『毎日酢豚を作ってあげる』って」
「あの話か。ちゃんと覚えてなくて悪かったな、鈴。……でも、それが?」
いかにも鈴らしい、明るい笑顔とともにこう言ったという。
「――あれ、私なりのプロポーズだから」
「…………はい?」
「今も、同じ気持ちだからね。……じゃ、じゃあ用は済んだからっ!」
さらっと言った後、あわただしく部屋を出ていく鈴の顔は見えなかったが、少なくとも耳が赤かったのだけは確実だった、と一夏は語る。
◇◆◇
次は、少し外の空気を吸って頭を冷やそうと寮を出たところでちょうど自主訓練を終えて戻ってきたシャルロットと出くわしたのだとか。
「あれ、一夏。こんな時間にお出かけ?」
「お、おう……シャル。いやちょっと、な」
さすがにこの段階になると、一夏も少しだけ身構えるようになった。ひょっとして、もしかして、と。アリーナでシャワーを浴びてきたのだろう。少し湿った髪を夕暮れの風に遊ばせるシャルロットの姿は、ザ・ワンとの決戦を控えたこんな日だというのにいつもと変わらず美しい。
「えへへ~、えいっ」
「おわっ、シャル!?」
そんなシャルロットに見とれてしまったせいだろうか。いたずらを思いついたような笑みを浮かべたシャルロットが抱き着いてくるのに対して、一夏はまったく反応できなかった。
上機嫌に笑いながらぐりぐりと胸板に額を押し付けてくるシャルロット。ふわりと香ったのはシャンプーの匂いだろうか。暖かな体と甘い匂いにくらくらしそうだった。
だけど今にして思えば、あれもシャルなりの踏ん切りのつけ方だったのかもしれない。一夏はそう語る。
「ありがとう、一夏。僕に居場所をくれて。一緒にいてくれて。――大好きだよ、世界で一番」
「………………そう、か」
セシリアと鈴の時よりはまともな声を出せたが、それでも自分の口から出たとは思えないほど固い声だった、と一夏は自嘲する。
「今日はちょっと涼しいから、早めに部屋に戻った方がいいと思うよ。それじゃあね、一夏」
「……」
ぱたぱたと寮に入っていくシャルロットを見送る一夏に言葉はない。何と言えばよかったのか、今でも全く分からないと囁く一夏の気持ちは、まあ確かに理解できる。
◇◆◇
この時すでに一夏はまともな思考能力を失っている。
セシリアたちに言われたことを考えなければ、と思うのだが何せ短時間のうちに3人もの相手から立て続けにあんなことを言われたのだ。一つのことを集中して考えるなどということができるはずはなく、セシリアのことを考えれば鈴が、鈴を思えばシャルロットが、次々と脳裏に浮かんでは消えて行って、結果として何も考えていないのと変わらないまま、薄暗くなったIS学園をフラフラと歩いていく。
半ば無意識に歩いていたせいだろうか。一夏は誘蛾灯に誘われる羽虫のように、最近IS学園に最近よく見られる妙な明かりの元へと近づいていた。
「野営の準備は終わったか……。よし、ではこれより食事の準備だ。素早く済ませろ」
「はいっ、隊長!」
「あれ、ラウラ……とシュヴァルツェ・ハーゼの人たちか」
「む。一夏、どうしたのだ? ……まあ、ちょうどいいが」
その正体は、寮に部屋を用意すると言われたのを固辞し、訓練代わりと言って日々持ち込んだテントで寝泊まりしているシュヴァルツェ・ハーゼの面々であった。学園の敷地内で野宿というのもなんなのだが、許可はとってあるし結局は学園生徒とも同年代の女子たち。普段はIS訓練などできゃいきゃい仲良くやっている。
実際、ラウラの号令で料理を始めた隊員たちはいそいそと軍人らしからぬふりふりのエプロンをつけているくらいだし。材料にそこらで捕まえたと思しきカエルやトカゲのような野生動物がごく稀に混じっていることを除けば、いたって普通の野外料理だ。
「さあ、今日はカレーよー!」
「飴色に炒めた玉ねぎはルーにコクを与える」
だが、この時点で一夏はとある危惧を抱かずにはいられない。
隊員たちから少し離れて、一夏の元へと駆け寄ってきたラウラ。テントの間に張り巡らされたタープの中を照らすランプの淡いオレンジの光に照らされる銀髪と幼げな顔は、愛らしくも美しい。
まあさすがに何度も見とれて呆けるほど間抜けな一夏ではなかったが。
「いきなりでなんだが一夏、覚えているか。前にお前を私の嫁にすると言ったことがあっただろう」
「ああ……あったなあ、そんなことも」
この話の流れに心臓が跳ねるのを止められようはずもなく。
「お前は私の嫁にしてやる。――だから私を、お前のお嫁さんにしてくれ」
「あー……」
肯定とも否定とも取れないその呻きは、言うだけ言ったら即座に背を向けて部下たちの元に戻り、クラリッサにタックルするような勢いで抱き着いて胸の谷間に顔を隠すラウラの耳には、おそらく入らなかっただろう。
ちなみにその後クラリッサさんは鼻血を噴いて意識を失うも、ラウラがそれに気づいて離れるまでしっかりと立ったままその背を抱きしめ続けたという。どれだけ気合の入った変態なんだあの人。
◇◆◇
「……何してるんですか、楯無さん?」
「わひゃうっ!? ……な、なんだ一夏くんじゃない。驚かせないでよねっ」
一夏は、状況がさっぱりわからなかった。
次から次へと女の子から告白されるなんて予想もしていなかったし、こうも立て続けに起こるとなると、自分は気付かないうちにイタリアのギャングスタに憧れる少年のスタンドのレクイエムに殴り飛ばされたのではないかと思ったりもしてしまう。ただ、部屋に戻るまでの間の記憶はないのでキング・クリムゾンも併発してるのではなかろうか、などと考えてみたり。
……まあ、実際のところ一夏の人生ではこういう密度で告白されたことが無きにしもあらずだったりするのだが、知らぬは本人ばかりだ。
ともあれ、そんな繰り返しの中一夏は自室へ戻ってきた。特に目的があってのことではない、もはや完全に条件反射で動いているだけなのだが、そんな一夏の部屋の前に挙動不審な人物が一人。
うろうろと歩き回り、思いつめたような表情で扉を睨み、ドアノブに手をかけようとしてはひっこめ、ノックしそうになるも空振りし、扉に額をつけてどんよりとしたオーラを背負う。一目で迷っていることがわかる、楯無だった。
「あれ、ひょっとして一夏くん出かけてたの? ……よかった、入れ違いにならなくて」
「そうですね。それよりどうしたんです? 珍しく面白いくらい緊張してたみたいですけど」
「面白いって……ひどいわね、一夏くん」
さて、楯無は一体何の用だろうか、と一夏は首を捻る。心の隅の方には警戒しろと叫ぶ声がするのだが、さすがに楯無ならばそれはなかろう、と思う部分もまたあるわけで。
なにしろこの生徒会長は一夏をおちょくることを第一義としているような人だ。マッサージ中にエロい声を上げられてからかわれたり、寝技の訓練と称して胸を押し付けられたことなど数知れない。
だから安心して……いや、油断していたのだ。
俯いて見えない楯無の表情に浮かぶ照れと羞恥。組んだ指先がもじもじとこねくり回されてたまにV8を讃えている意味。そしてちらりちらりと自分に向けられる目に宿る、セシリアたちのそれに勝るとも劣らない熱量に、気付くことができず。
「一夏くん。――好き。大好きなの……っ」
「……なんですと?」
常の楯無からは想像もできないほどかすかな声で、これまで決して素直に示すことはできなかった思いの丈を告げられた。
上向いた楯無の顔はこれ以上なく赤い。両手を胸元で握りしめ、一夏でさえまるで恋する乙女のよう、と思う可憐な様子。勇気を振り絞ったのだろう。目には涙さえ浮かべて告げられた言葉に、嘘偽りなどあろうはずもない。
一夏はまた一つ、自分に寄せられていた想いの深さをその身に刻む。
◇◆◇
部屋に戻ってからは、ずっとベッドに身を横たえていた。
仰向けになって天井を見るともなしに見ながら考えるのは、5人の少女に言われた言葉。全員が全員とも、自分に思いを寄せているのだと、そう宣言してくれた。
好かれていること、愛されていること。そのことは心の底から嬉しく思う。だがそれが、あんなにも一度に何人もの少女たちから重なってくるとは。
状況は何とか理解できた。正直、織斑一夏という人間一人が処理しうる状況の限界を軽く天元突破してしまっている気がしなくもないが、ああして真摯に思いを伝えてくれた彼女たちに、一夏は応えなければならないだろう。無理を通して道理をひっこめるくらいのことはしなければなるまい。だからこそ。
「夜分遅くに済まない。起きているか、一夏」
「……ああ、起きてるよ」
箒も、きっと来るだろうと予感があった、
「ど、どうしたんだ箒。こんな時間なのに、そんなに息上がって」
「あぁ……ふう、すまない。はぁっ……少し、居合の練習をしていてな。安心しろ、迷いは全て振り斬ってきた」
扉を開けてすぐ、部屋に入るほどではないが話をしたい、と即座に切り出した箒は言葉の通り、道着姿に刀を携えていた。そういえば、今日は放課後から箒の姿が見えなかった。外は既に暗いが、まさか授業が終わってからずっと剣を振るっていたのか。なんか振り切るの発音がおかしかった気もするし。
汗ばんで上気した肌と、荒い息。確かに多少疲れているように見えるが、それでもすがすがしげな表情をして見えるのは、箒がよほどの集中力を持って特訓していたからだろう。
箒をそうまで突き動かしたもの。今の一夏にならば、少しくらいは予想もつく。
「一夏、どうか聞いて欲しい」
「……ああ」
これから箒が言うだろうと予想される言葉は、普通の乙女ならば決して刀を抱えて言うようなセリフではないのだが、箒の場合は無性にそれが似合っている。
おそらく色々な葛藤が脳裏に浮かび、その全てを斬り伏せ乗り越えここまで来たのだろう。今の箒の瞳に迷いはなく、切っ先のように研ぎ澄まされた思いが感じられる。
だが人は思いを通じ合わせるためには言葉にしなければ伝わらない。
箒はそのことを知っている。一夏と出会い、思い出を作り、その後一時別れることになってしまったこの10年で、思い知っている。
だから今度こそ、と。
「一夏。――お前が好きだ。小さいころから、ずっと」
「……そっか」
気のない返事だな、と箒は笑った。
こんなことを言うことも、一夏の反応にこんな風に返すことも、かつての箒ではありえただろうか。
返事は欲しいが今でなくていい、と言って箒は自室へと帰って行った。残されたのはやはり一夏ひとり。ただただ閉じた扉の前で黙して立ち尽くすばかり。
目を閉じれば、浮かぶのは自分に告白してくれた箒達みんなの顔、顔、顔。
まぎれもなく一夏を悩ます大問題の数々であるが……同時に、記憶の中の少女たちは、これまで見たこともないほど美しく見えたのだった。
◇◆◇
以上が、説明された今日の一夏の放課後だった。わずか数時間の間にいったいどれだけ濃厚な時間を過ごせば気が済むのだこいつは。
長いこと話して喉が渇いたのだろう。湯呑を煽ってすっかり冷めた茶をぐいと飲み干して一息つく一夏の様子を見るにつけ、呆れつつそう思う。
……だが、とてもとても喜ばしい。
一夏が人の好意をようやく受け止められたことも、そもそもこれまで告白のチャンスの度にことごとくヘタレたり邪魔が入ったりして失敗してきたヒロインズ一同が、こうして告白できたことも。
――まあ、発破かけたの俺なんだけどね?
◇◆◇
「おいお前ら。いい加減一夏に告白しろ」
「ぶふぅぅぅっ!? い、いきなり何を言う!」
「何をって……色々切羽詰まった時期だから少しは焦れよってことをな?」
「ことをな? じゃないわよっ」
「……ふう。呆れたぞ、鈴。いいか、よく聞け。お前らさ」
「……ごくり」
『明日死んだらどうするんだ?』
「っ!?」
『「お前たちが」じゃないぞ』
『お前たちみたいなヘタレじゃなくて』
『一夏が死んだらどうするんだ?』
◇◆◇
とまあ、そんなことを死んだように濁った眼で括弧付けつつ滔々と語ってあげたら、みんな何かを決意したようだった。欲望に素直になれるお守りとしてセルメダルもプレゼントしたのがよかったのかな、うん。
このセリフのあと、なんとなくそうなるんじゃないかなーと覚悟はしてたけど、みんなから手刀と張り手と掌底と左ストレートと軍隊格闘と古流武術をプレゼントされる羽目になって、死ぬかと思ったけど。
無論、この状況がすべて俺の掌の上というわけではない。
俺はいつでも一夏回りにはちょっかいを出すだけしかしてないし、ヒロインズの行動や考えを恣意的に歪めたわけでもない。多分。
箒達だって、これからの戦いがどれだけ激しいものになるかは知っている。その中で、全員が生きて帰れる保証がないことも、千冬さん達の真剣さから感じ取っている。
「なあ、真宏。俺は……どうしたらいいんだ?」
「どうしたら、ねえ」
そしてそれは一夏も同じこと。
だからこそ、彼女達は勇気を振り絞って思いを伝え、一夏はこうして彼女たちの想いをしっかりと受け止められたのだろう。
これまでもなんだかんだで冗談半分に色々相談を受けてきたことはあったが、まさか一夏に恋愛相談をされる日が来ようとは。ある意味感動だ。
ましてや、そのことを俺に打ち明けてくれたのだから。
だが生憎と、こんな時俺が言うべきことは最初から決まっている。
「決まってるだろ、一夏」
「き、決まってるって……?」
「大事なのは、どうすべきかじゃない。どうしたいかだ」
いっそ無責任なほど軽い調子で、そう告げる。
だが生憎と、一夏には不評だった。一瞬呆けたあと、少しだけ目つき険しく睨みあげてくる。怒らせてしまったようだ。
「いや、どうしたいかなんて……それじゃダメだろ。箒達はあんなに真剣に告白してくれたんだから、俺もちゃんと考えないと」
「考えるって、何をだ? 誰の告白を受けるのが一番いいかってことか。じゃあその『一番いい』ってのは何を指す。誰を恋人にすれば他のみんなを傷つけないかとか、そんな話かよ?」
「……っ」
ギクリ、と身を震わせる一夏。
はっきりと意識していたわけではないがうっすらとそう考えてはいたのだろう。一夏は優しいやつだから。俺に指摘されることでそんな自分の考えに初めて気づき、でも何かが違う、と思ったのだろう。
ふん、お前がどう考えるかなんて長い付き合いでお見通しだ。
「うぬぼれるなよ一夏。箒達がしたことは、どう言い繕ってもこの一番大事な時期に自分の想いを押しつけただけだし、そうでなくともこういう話にはお前も同じ土俵で応じるべきだ。告白するってことは覚悟するってことと同じ。死ぬほど緊張して、怖くて、最悪フラれてひどい目に会うことも覚悟の上ですることだ。お前はお前の好きなように、答えを出せばそれでいいのさ」
「でも……でも、エゴだろそれは!」
「フラグが持たんときが来てるんだよ! しかも全部お前のせいだろうが!」
「な、なんで俺のせいになるんだ!? 俺だってやったんだよ、必死に! はっ、すごい告白しただけはあって偉そうだな真宏!」
「うるせーっ! 後悔はしてないけど、それでも公開処刑だったんだよあれは! 忘れるつもりはないけど思い出させようってんなら、みんなに告白の返事する前に合コンセッティングしてお前を放り込んでやろうか!」
「出来るもんならやってみろ! 真宏も絶対引きずり込んで、女の子とポッキーゲームさせて証拠写真撮って簪さんに通報してやるからな!」
などと、途中から路線がおかしくなり始め、気付いた時には取っ組合いになっていた恋愛相談(物理)。
俺が仕掛けた四の字固めで悶えていた一夏が、一瞬の隙をついてうつ伏せになることで返されて、そのままぐったりしていたところをキャメルクラッチされたり、気合一発で抜け出してコブラツイストを返したりと無駄に激しい戦いになったりもしたが、いい加減お互い何が原因でプロレスをし始めたか忘れたころになって、ようやく落ち着いた。
「ハァ……ハァ……なんだか、すごく無駄な時間を過ごした気がする」
「お前のせいだからな、一夏」
「言ってろ真宏」
なにが悲しくて、男二人が夜の部屋で荒い息を吐いていなければならないのか。あまりのむさくるしさには笑うしかなくなったが、だからこそ一夏も余計な悩みをいつの間にやらどこかへ放り捨てられたらしかった。
「……まあ、ありがとな。もうちょっと考えてみることにする。俺が、どうしたいのかを」
「それがいい。そうでなきゃこのアキレス腱の痛みが報われない」
へっ、と鼻で笑う一夏の顔はこの部屋を訪ねてきたときの重苦しい表情とはまるで違う。
もともと一夏だって、箒達が寄せてくれた心には自分の本当の望みを伝えることでしか答えられないということは察していたはずだ。これまで異常なほど恋愛に疎かったからどうしたらいいのかわかっていなかったようだが、少なくとも方針は決まった。
だからあとは、その果ての選択がどうかハッピーエンドにつながることを祈るのみ。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ぬものだ。
俺はせいぜい、横から楽しみに見させてもらうだけとしよう。
◇◆◇
だが、そんな風にのんきに構えていられるのは「人の恋路」であればの話。
自分の場合となると、また少々勝手が違ってくるものらしい。
――コンコン
夜の静けさの中、ノックの音が響いたのは一夏を叩き出してしばらくしてからのこと。
控え目で遠慮がちな音はとても小さく、しかしだからこそ俺にとってはとても聞き覚えのあるものだった。
「簪。珍しいな、こんな時間に」
「うん……ちょっと、お話ししていい?」
部屋を訪れたノックの主は、簪。
これまでも何度かこうして部屋を訪ねてくれた折、毎回ああしておずおずとノックしてくれており、扉の向こうでの様子を想像するだにかわいらしい。
俺が簪の来訪を拒む理由もないのでいつもの通りに招き入れた。
特に手に持つものもない手ぶらの簪。
だがその目に宿る光が妙に力強かったことだけが、少々気になりはした。
「真宏は自分の生まれを聞いて……どう思った?」
「……っ!」
その予感はどうやら的中したらしい。
二人並んでベッドに腰掛け、他愛ない会話をしたのもわずかな間。少しだけためらった後に簪が切り出した話は、束さんとスコールさんから聞いて以来避けては通れぬだろうと一応覚悟はしていた、俺の出生に関することだった。
簪はじっと俺の目を見つめてくる。メガネ型ディスプレイの奥の優しい瞳が、真剣な表情を彩っている。
二人の距離は近い。いつもならばドキドキと心臓は跳ねるが、同時に何とも言えない安らぎを感じられるのだが、今は少々話が違う。まっすぐにこちらの目を眼差しで射抜かれて、逃げ場がないのだという別の意味の緊張が全身を支配した。
簪が言い出したことに、心当たりは無論いくらでもある。いずれ話さなければいけないことではあったんだが、さすがにいろいろとほら、考えたくてね?
「い、いや……」
「真宏は次に『俺は気にしてないよ』って言う」
「俺は別に気にしてないよ……はっ!?」
時間稼ぎはみっともないと思いながらも、ついつい言おうとしたその言葉。しかし何と、その言葉は簪に先回りされていた。
人の思考を読んで言葉を先取りする。会長が普段から波紋と嘯いて水を操る人なので簪だってそのくらいのことはできておかしくない気もするが、簪の場合はこの現象を再現するためのものとして、もう一つ別の手段が候補に上る。
「仙里算総眼図……」
「うん。ごめんね、真宏。なんだか最近少し様子がおかしかったから、ほんのちょっとだけ。それで、あの話を不安に思ってるんじゃないかって……」
そう、仙里算総眼図。
ミサイルの高度な誘導制御を実行する打鉄・蓮華の演算能力を駆使して、膨大な量のデータを素早く分析、予測することによって対象の思考と未来の行動を読み取る、実質上のワンオフ・アビリティ。先日のザ・ワンが送り込んだ尖兵との戦闘においても絶大な力を発揮したこの力。
最近では同級生や先輩に頼まれて、機能限定版を恋占いに使って彼氏や想い人の内心を探るのに使っているとかいないとか。有効活用なのか無駄遣いなのかは評価の難しいところだ。
「なんの、簪になら構わないさ。いやはや、これじゃ浮気なんてできないな?」
「……っ! そ、それは心配ないよ」
「ん、どうしてだ?」
「……今日、真宏の不安の正体を知ろうと思って分析したけど、途中何度も……私のことを好きって思ってくれてるって結果が出た……から」
「う、うわぁ……」
そして、初めて俺に使った結果はそんな感じだったらしい。ちょっとシリアス風味な話をしていたはずだったのに、二人揃って赤くなる。いやさ、何が恥ずかしいって、この結果に対して、それが正解だと心の底から思えてしまうことだ。
「とっ、とにかく! 真宏、教えて。真宏が、自分の生まれをどう思っているか」
「俺の、生まれか……」
なんか深く追求するともやもやしそうな話はちょっと強引に打ち切って、簪が再び聞いてくる。ちょっとばかり変な方向に話は飛んだが確かにこの件は簪にも関係があるから、気になるのも無理からぬことだろう。
何から話そうか。
そう考える俺の意識は、自然とあの日あの場所へと帰って行った。
◇◆◇
「さっき篠ノ之博士が言っていた、あの隕石には剣の巫女のものらしき遺伝情報の断片が記録されていたという話は覚えているかしら。ファントム・タスクは当然その情報に注目したわ。この遺伝情報を元にした存在を生み出すことができれば、かつての剣の巫女と同様に隕石の力を引き出せるようになるかもしれない。そう考えたの」
「まあ、ずいぶん時間が経ってたから、DNAを完全にサルベージすることはできなかったらしいけど。それでも諦めきれなくて、足りない分はまーくんのおじいちゃんが自分の遺伝情報を元に補完して生み出したモノ。……それが、まーくんだよ。今明かされる衝撃の真実ゥ~!」
「なるほど、そして俺はこの部屋で作られた、と」
スコールさんと束さんの説明を聞きながら、俺は目の前のガラスにぺたりと手を触れる。
人間一人がすっぽり入れるような、円筒形のシリンダー。基部にはメカメカしい機械が色々のたくっていて、電源が入らなくなって久しいだろうディスプレイにはうっすらと埃が積もっている。
うっすら歪んだ俺の顔と、背後に居並ぶ仲間達の姿を映すガラスの器。手で触れるとひんやり冷たいこれこそが、俺の生まれてきた場所なのだという。
「あなたのおじい様……ファントムタスクでは『ドクター』と呼ばれていたその人は、紛れもない天才だったそうよ。後にザ・ワンとなる衛星の設計製作をした組織結成前の業績はもちろんのこと、亡国機業を設立してからは機械工学に宇宙物理学、生命工学に医学に電気工学、ありとあらゆる学問に精通して技術的な下地を支えていたらしいわ。あいにくと、私がファントム・タスクに入ったころにはすでに組織を離れていたそうだけれど」
その後はスコールさんと、そして意外なことに束さんが、じーちゃんのことについて知っている限りのことを教えてくれた。
ファントム・タスクの技術責任者としてザ・ワンについての調査と打倒のため、技術開発に明け暮れた日々。そのころから偏屈でまともに言葉をしゃべろうと口を開くことも少なく、ドクターという通称も本名を知る者がほとんどいなかったからついた呼び名だったのだという。
十数年前にこの篠ノ之神社地下の隕石を見つけてからはそちらの研究にも積極的に参加し、ラウラの例を見てもわかるように当時既に実用段階にあった遺伝子操作技術によって、隕石から採取された遺伝子を持つ人間を生成。
それこそが、後に俺となる存在だった。
「とはいっても、多分めちゃくちゃこの隕石と相性が良かった剣の巫女と全く同じ存在はどうやっても生み出せなかった。だから無事生まれたまーくん相手でも隕石は何ら反応を示さなかったみたいだよ」
「そんなあなたを見て、ドクターが何を思ったのかはわからない。ただ一つ確かなのは、ドクターが老齢による衰えと技術の世代交代が進んだことを理由に、ファントム・タスクを離れたことだけ。……同時にあなたを引き取って、ね」
じーちゃんがザ・ワンを何とかして、人類に宇宙を取り戻させようとしていた無言の熱意は、ファントム・タスクの幹部にとっては周知の事実。しかしそれも長すぎた。じーちゃんは当時既に高齢で、役に立つわけでもないと証明された子を引き取りたいのであればと、組織について知りすぎている人物を離脱させる不安に目をつぶり、野に下ることを許されたのだという。
それからは、俺が今でもうっすらと覚えているじーちゃんとの日々につながっている。
無口で、ほとんど何もしゃべってくれないのにしっかりと俺のことを育ててくれたじーちゃん。たまにふらりと家からいなくなることはあったようだが、束さんの話も合わせて考えるとどうやらそのときはこの地下秘密基地に来ていたようだ。おそらく、遺伝子操作によって生まれた俺を適当な病院に連れて行くわけにもいかないから、ここの施設を使って簡単な検査や健康状態の確認をしていたのだろう。
束さんがこの施設を見つけたのは、そんなじーちゃんの姿を見つけたからだという。
篠ノ之神社の鎮守の森に平然と入っていく老人。あまりにも堂々としていたので不審者と思うことすらなくついていけば、見つかったのは地下研究施設であり、そこには例の隕石まである始末。
既に放置された施設であったからか、じーちゃんは後を追って入り込んだ束さんに目もくれず、黙々とこの部屋のみを使って俺の健康状態の検査などをしていくばかり。
凄まじい勢いで隕石について研究し、ISの開発を始めた束さんとお互いに何も言わずスルーし合っていたらしい。
「その割に、束さんが機械の使い方とかわからなくて四苦八苦してると、のっそり近づいてきて使って見せたりするんだから、本当にわけがわからなかったよ。……まあ、感謝してなくもないけど」
「あはは、じーちゃんらしいです」
「やはりそうか。あの人は私にも束にも名乗りすらしなかったし、その後お前に対してもそうだったと聞いていたが……」
本当に、じーちゃんときたら家の外でも変わらなかったらしい。ただ目的のためだけに文字通り無言で突き進んでいくような人だったが、だからこそ束さんにも嫌われ突き放されることがなかったのかもしれない。
それは千冬さんにとっても同じこと。さすがに束さんよりは常識人な千冬さんとしては、じーちゃんが何者なのかということや目的なんかについて警戒してもいたようだったが、無害な謎の無口じーさんだとわかってからは視界の端に入っても特に気にならなくなったのだとか。
そんなじーちゃんと束さんとの関係とも言えない緩いつながりは、決して長いこと続いたわけではなかった。
転機となったのは、白騎士事件。第ゼロ号IS<フォーゼ>を作っているときも、それを戦闘用に改造しているときも興味を示さなかったじーちゃんはしかし、白騎士事件のあとは妙にそわそわしていたらしい。
「……白騎士事件からほんの数日してからだったかな。束さんがこの基地に入ってきたら、まーくんのおじいちゃんが倒れてたのは。さすがの束さんも、ちょっと焦ったよ。いったい何が起きたのか、って。でもすぐに起き上って、ふらふらしながら基地を出て行った。これまで話したこともなかったし、ちーちゃん達以外の人間なんて興味はないけどさすがに心配になって出口まで様子を見に行こうと思ったの」
そして白騎士事件の起きた日というのは、実のところじーちゃんが亡くなった日とそう遠くない。これまではあまり関連づけて考えることもなかったが、束さんの言葉によるとどうやら無関係でもないらしい。ザ・ワンとじーちゃんの因縁を考えれば、それも当然か。
だから俺は、失礼ではあるが束さん達に背を向けたまま、それでも耳をそばだてる。あのときじーちゃんは、一体何を思って死んでいったのか。ほとんどしゃべってくれることすらなかったじーちゃんの想いは、どこにあったのか。
「……そのときが最初で最後だったよ。あの人の声を聞いたのは。ここを出る間際、本当に初めて束さんの目を見て、こう言ってた」
「――真宏を、頼む」
「……そう、ですか」
「うん。……そのときは誰のことなのかわからなかったけど、箒ちゃんといっくんが友達になって、いっくんの友達のまーくんも一緒に道場に来るようになって、わかったよ。ああ、この子があの人の言っていた子なんだ、って」
それが、俺の聞いた生まれに関する顛末だった。
この体がまともな人間のものじゃないのではないか、ということはじーちゃんの怪しさなんかからして、考えなかったわけではない。だがまさかここまで因縁深いものであろうとは、さすがに予想の範囲外にすぎる。まさか、割と本気で人間から半歩はみ出ていようとは。
「つまり、俺は……」
「真宏、お前……」
自分という存在の意味を噛みしめる。冷たいガラスのシリンダーの中で生まれた、そもそも人とは違うものになることを期待して生み出されたこの体。背後で気遣わしげな声を投げる一夏達の方へと振り向いて、俺が出した結論を告げる。
それは、すなわち。
『IS稼動の為に、ロマンを強化したものかっ!』
強羅の頭部のみを部分展開して叫ぶ、このセリフそのものである。
「……はい、解散。解散するわよー」
「やると思いましたわ。真宏さんならきっとこういうオチを持ってくると、そう思っていましたわ」
「最近、シリアスな空気があるとギャグの前フリだと思うようになっちゃったよ」
「まあ、そもそも私とくーも試験管ベビーだからな。今更真宏がその程度で驚くとは思わん」
「……むしろ私としては、遺伝子的に真宏が一族と言えなくもない位置にいることに驚愕を禁じ得ないのだが」
そしてみんなの反応の冷たいことったら。普段の行状が祟ってか、一応心配してくれてはいたようだが、俺が平常運転だと気付くや否や興味をなくしてくるのだからして。
『ふはははは、面白かろう!』
「いや真宏、もうそういうのいいから。……お前が俺達の友達だってのは、変わらないよ」
……いつまでたっても仮面を取らないことと、声が少し震えていたことを指摘しないのも含めて、それがみんなの優しさだと思うけど、ね。
◇◆◇
「真宏……?」
「あぁ、うん。すまん簪、ちょっと考えをまとめてた」
簪が袖をつまんできた感触でふっと我に返る。さすがに話題が話題なだけに、少し考えるだけでついつい深みへとはまってしまったようだ。不安げに見つめてくる簪の手を取って安心させるように笑い、俺の今の感情と考えをどう伝えたものかと思案する。
とはいっても、自分の中で答えは出ている。俺の生まれと、簪との今後の関係に関して、今日まで考えなかったわけじゃないのだから。
そのことはいずれ簪にも話そうと思ってはいたし、それがちょっと早くなっただけのこと。……まあ少し情けない結論になっているんで、男の子としてはその辺隠してかっこつけたいところではあるんだが、今の簪には仙里算総眼図がある。
もし嘘でもつこうものなら、
「これは……嘘をついている味だよ」
とかされかねない。
……。
……べ、別にちょっとされてみたいかもとか思ってないからな!?
ちらり、と隣を見れば、そこにはじっとこちらを見つめる簪の姿。急かすでなく、しかし逃がすつもりもなく、ただ俺の答えを待っている。
まったく、これじゃあ下手に問い詰められるよりもやり辛い。
「……俺が簪と一緒にいていいのかって、少しだけ思ったよ」
「っ!」
「も、もちろんイヤになったとかじゃないぞ!? 簪のことは好きだ。大好きだ。……たださ、どこの馬の骨かわからないヤツだったのが、変な隕石の残りカスだったということがはっきりとわかっちゃったわけで。そんな俺の生まれを考えると、簪の実家的に大丈夫なのかな、と思ってさ?」
更識家は、古くから日本の暗部において活躍してきた一族。簪と会長以外の家族の人に会ったことはないが、俺の生まれがこんなのだとわかったからには、これからのあれこれでいろいろと面倒が起きてしまうかもしれない。
何があろうと俺の簪への気持ちが変わるとは思わないが、そのせいで簪と家族の仲が悪くなったりしたら。そんなかっこ悪いことを考えて、不安になったりもした。
そしてこの短い説明だけで、簪はそうと察してくれた。あるいは、最初から俺の考えなんてお見通しだったのかもしれない。
話を聞くうち顔を俯けていった簪は、さっと顔を上げる。
その目に宿るのは強い光。これまで見たこともないほどに、控え目で引っ込み思案な簪が、何かを決意した顔をしていた。
「大丈夫だよ、真宏。……その不安は、私も同じ。でも、絶対平気」
「平気……なの、か? いや俺は簪の家族の人なんて会長しか知らないから何とも言えないんだけど。……いや、でも会長を生んだ一族の人なら確かになんとでもなりそうな気が」
「うん、それもあるし……もし万が一反対する人がいても、何とかする」
「……参考までに聞いておきます、簪さん。何とかするって、具体的に?」
ただなんだろう。簪の身に纏う雰囲気が、いまだかつてないほど本気のそれであったりするのだが。それはもうゴゴゴゴゴ……、とか音が聞こえてきそうなほどに。
しかしてそれはあながち錯覚というわけではなく、俺はこの時初めて、簪の本気というものを目の当たりにすることとなる。
「うちの一族の誰かが真宏のことで文句を言ったら……お姉ちゃんを引き摺り下ろしてでも私が楯無の名を受け継いで、全員黙らせるから」
「落ち着け簪、そんなことしたら多分会長マジ泣きするからっ!?」
極めて本気の目をしたまんま、俺の可愛い彼女はそんなことを言ってくれたのでありました。
今の簪にはやると言ったらやる……スゴ味があるっ。
いや、簪がそこまで思ってくれてることはうれしいんだけど、手段は選ぼうぜ。ただでさえ簪のことを大好きな会長なのだから、そんなことをされた日には心臓発作の一つも起こすかもしれない。今でさえ「簪ちゃんがかまってくれない~」とわざわざその原因たる俺に文句を言いにくるような人なんだから、そんなことになったら何が起こるやら。
……それでも、この時俺は嬉しかった。
自分が人間であろうとなかろうと関係ない。ただ重要なのは、自分が人でなかったとしても人を守るために戦いたいと思えるかどうか。その点については何ら問題がない。簪も、一夏も、箒たちみんなも。俺は守りたいし、みんなも俺を守ってくれるとそう確信している。
だが簪との、特に今後のこととなると関わる人が多すぎて話がまた別のことになるわけで、俺一人の思いだけではどうしようもないことだった。
しかしそれは単なる杞憂。簪はこんな風に考えてくれていた。覚悟を決めてくれていた。
ならば、俺もまたこっそり固めていた覚悟というものを、はっきりと形にしなければなるまいて。
そう決めた。今決めた。そして決めたからには即動く。
……そうでもしないと、次に覚悟が固まる機会がくるのは年単位で先な気がするからな!
「ありがとう、簪。方法は改めて検討する必要があるとして、その気持ちはすごくうれしかった。……だからと言ってはなんだけど、渡したいものがあるんだ。受け取って、くれるか?」
「? ……渡したいもの?」
話題を変えて、簪と改めて向かい合う。二人並んでベッドに腰かけているが、簪はしつけがいいのかいつも背筋が伸びていて、ただ座るだけでも姿勢が美しく、きょとんと不思議そうにしている顔のギャップが可愛らしい。
これから言うべきことを思い、既に心臓が早鳴りだした。いつかちょうどいいタイミングが来るかもしれない、とポケットに入れておいたとあるアイテム。……情けなくもどんな状況でどんなことを言おうか、とか何度となくシミュレートしたこれを、ついに簪に渡す時が来たのだ。
あまりの緊張で、そういうシミュレートの内容は全て頭から吹っ飛んでるけど。くっそ使えねえ。
「……明日からの戦いは、きっと激しいものになると思う」
「……うん、そうだね」
「敵はこれまでで一番強くて数も多いだろう。勝てないと思うこともあるかもしれない。……そして、そんなときでも俺は簪のそばにいてやれないかもしれない」
「……」
それは、仙里算総眼図を使うまでもなく考えつくような、極めて高い確率でありうる未来予想だった。先日IS学園を襲撃した無数のバグ。アレがまさかザ・ワンの総戦力だなどということはありえず、さらに強力かつ大量の戦力が眠っていることだろう。
その戦いは、全地球規模のものとなってもおかしくない。ISの戦力は中でも最強の一角を担い、俺と強羅も力の限りに奮戦するつもりだ。だが、たかが1機の兵器。千冬さんでもなければたった1機でできることはたかが知れている。
だからこそ、俺達は戦わねばならない。死なないために、勝つために。千冬さんたちが最近俺達を殺しに来ているのではないかと疑わざるをえないレベルの本気っぷりで鍛えてくれているのも、きっとそう考えていればこそ。
そして俺もまた、簪に同じことを思っている。
自分の強さを信じて戦って欲しい、と。
「だけど心配はいらない。どんな時でも、俺は簪のことを思ってる。……だから、どんな時でも諦めないでいて欲しい」
「……わかった。ありがとう、真宏」
「なに、いいってことさ。……覚えておいてくれ、簪」
簪ははにかむように微笑んでいる。その笑顔を守るためならば、俺はなんだってできるだろう。
……だから、その誓いを形にして、はっきりと簪に伝えたい。
その願いこそが、今この手の中にあるものだ。
そっと、無言のままに簪の右手を取る。突然のことを疑問に思っているようだったが、それでもされるがままにしている簪の手を捧げ持つ。
小さい手だ。肌は白く、指は細くてすべすべしている。簪と手をつなぐ度に抱くその感情が、今日は一段と強い。
……覚悟を決めろよ、俺。
不安もあるけど、これは今このときにしておくべきことなんだ。
心臓が胸を突き破りそうなほどに拍動する。
簪の手を持つ指が震える。本当にこんなことをして大丈夫なのかと不安な心が過るが……それでも俺は。
簪の右手の中指に、指輪をはめた。
「え……こ、これって……っ!」
指輪とはいっても、金属のリングに宝石をあしらった本物ではない。プラスチックでできた、飾りの部分がやたらとバカでかく、安っぽいと言えば安っぽいものだ。
部屋の照明の光に輝いてこそいるが、それは手に入れようと思えば誰でも手に入れられるだろう程度のもの。
しかし、その意味を知っている簪と俺にとっては、ちょっとばかり特別だ。
「約束する。俺がお前の、最後の希望だ。……これからも、ずっと」
「……っ!」
簪の指にはめられたのは、最近の多々買いを制して手に入れた“エンゲージ”リング。
その意味するところは約束。そして、「エンゲージリング」という言葉そのものだ。
「あ、あうぅうう」
「……」
簪ならば、通じるとは思っていた。
この行動の意味と、俺の覚悟。どうやらその予想は間違っていなかったようで、余すところなく理解した簪は手をひっこめることすらなく赤くなってうつむいている。
そしておそらく、俺も大差ない有様だ。さっきから緊張で体はピクリとも動かず、顔が熱くてしょうがない。
やらかしてしまった、などとは思わない。いつかは通るべき道だと確信していたし、それが少し早くなっただけのこと。
だが、これは何とも……!
「あ、あの……」
「はいっ!?」
二人して、いつまでそうして硬直していただろう。簪がか細くあげたその声で、俺はようやく我に返った。
耳まで赤くなった簪が、前髪の隙間から覗くようにして俺を見上げてくる。お互い手に手を取り合ったままなのは少々間が抜けているが、簪が可愛いすぎるからどうでもいい。
だが、それはそれとして簪の答えはどうなのか。
簪のことを信じてはいても不安は止まらず、心臓は破裂せんばかりにばくばくと鼓膜を内側から叩き、息もつまり出して。
触れ合っていたその手を簪がきゅっと握って。
「――ありがとう。大好きだよ、真宏」
言ってくれたその言葉だけで、天にも昇るほどにうれしかった。
「っ! ……俺も大好きだ、簪」
思わず手の中にある簪の指を握ってしまう。痛い思いはさせたくないからそっと、でもしっかりと。
ああ、なんだろうこの感情は。簪にこう言ってもらえたその時から、頭がふわふわとして、嬉しくてしょうがない。
思いが通じたのは、初めて告白した日も同じ。だがそれ以上の覚悟を持って臨んだ今日この日は、それ以上になんというかこう……嬉しいな! なんとなくアホっぽいけど!
「でも……ね?」
「ん?」
しかし、まだ今夜は終わっていない。
簪が握りしめられていた手をほどいてきたのだ。
もしや、力を入れすぎただろうか。そう不安に思うも一瞬、簪の指が俺の手から離れることはなく、そっと指先が掌を這った。
それだけですらぞくりと背筋に震えが走るが、簪は気にすることなく手首から指の根元へゆっくりと指を滑らせる。
俺は、柔らかくひんやりした指先の感触が掌を撫ぜるに任せている。簪が何をしたいのかはわからないが、それでも止めようとする気はない。少しくすぐったいな、と思ったのもわずかな間のこと。すぐに簪の指は掌を越え、指の間に自分の指を入れてきた。
いわゆる一つの恋人つなぎというやつだ。
まあ、俺と簪の関係はこういうことくらいならしてもかまわないものなわけだし、全く経験がないことではない。俺の方からも自然と指を折り曲げると、まるで祈るように二人の手が組み合わされた。
幾分大きな指輪が嵌められた、簪の指。ぴったりと合わさった掌から簪の体温が伝わってきて、これまでの緊張が不意にほぐれる。
「ありがとう、真宏。私の希望になってくれて。……でも、ね?」
「ああ、どうした?」
手をつないだまま、とても近い距離で見つめ合う。簪の濡れた瞳の輝きはあまりにもきれいで、目を離すことができない。だんだんと吸い込まれていくようにすら感じられる、短くも濃厚な時間。
その奇跡のような瞬間に、簪もまた、誓いを告げてくれたこと。それは俺の一生の思い出になった。
「私も、真宏の希望になる。私たちは、ずっとずっと、お互いの希望だよ」
「……そうか。そうだな。俺が簪の希望になる」
「私が、真宏の希望になる」
そうすれば、二人はずっと一緒だ。
最後の言葉は、声にならなかった。
直接語るまでもない。二人にとって、それはずっと願い続けていた共通の夢。
だからそう語るべき二人の唇は、声を出すのではなく、直接触れ合うことで、その思いを伝えたのだった。
つないだその手に、“二人の”エンゲージリングを輝かせながら。
◇◆◇
その翌日。
千冬さん達の計画したザ・ワンとの最後の決戦が、ついに始まるその日。
集合場所に集ったのは、俺達IS学園の専用機持ちほぼ全て。戦いの激しさは想像すらできず、万端とは言えない準備、一枚岩とは言えない地球の防衛体制で、どこまで戦えるかは全くの未知数だ。
だが、それでも。
「なんか、ずいぶんすっきりした顔してるな、真宏。ま、まさかゆうべはおたのしみ……っ!?」
「何がまさかだっ! まだしてねえよ! ……一夏こそ、悩みぬいて答えは出たのか?」
「俺は……まだわからない。でもなんとなく、望むものはわかった……かな?」
俺達の心に不安はない。
なぜならば、ここで終わることなどありえない。そんなことにはさせないと、俺達の誰もが思っているからだ。
一夏も、箒も、セシリアも、鈴も、シャルロットも、ラウラも、会長も、そして簪も。
みんな瞳に宿しているのは未来への希望。人類全ての脅威と呼ぶにふさわしいザ・ワンと戦うために必須の力を、俺達は一人の例外もなく持ち合わせている。
「……ふっ。では、作戦を説明しよう」
そのことは、千冬さんにも伝わったはず。自分を見据える瞳の力強さを頼もしく感じてもらえたか、軽く笑って作戦会議の開催を宣言する。
これが本当の最後の戦いの、始まりだ。
さあ、勝ちに行こう。
人類の、未来の為に。