IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第54話「ISTD」

「あー、うるさくって頭おかしくなりそうっス」

 

 戦場において、これほどやる気のない声を出せるのは世界広しと言えど彼女しかいまい。IS学園にてついに最上級生となった専用機持ち、フォルテ・サファイアだ。

 愛機コールド・ブラッドは進級してからも絶好調に彼女の怠けオーラを精神干渉波として放出するオモシロISとして君臨し続けており、卒業後はクニに帰って自国製ISのさらなる発展に寄与することが期待されている、実のところそれなりに優秀な代表候補生である。

 

 が、いつもの通りにダラけた声を上げる彼女が今いる場所は。

 

「サファイアさーん!? 怠けてないでこっちも手伝ってくださいよー!?」

「はーいっス。今行きますよ山田せんせー。……おっと危ない、そっち抜けないで欲しいっス」

 

 両手の拳銃をズガンと放てば、飛び出た弾丸が防衛線の一角を貫こうとしていたバグが数匹まとめて中枢を貫かれて機能を停止する。すぐさま別のバグがその屍を乗り越えて後に続こうとするが、今のピンチは偶発的なもの。すぐに戦列を立て直したISと通常兵器の混成部隊が火力を集中させ、押し返す。

 

 尽きない数の敵と心もとなくなってきた弾薬量。何度交代要員と入れ替わったかは数えたくないほどの、戦場の真っただ中だった。

 それも地上で屈指の激戦である、IS学園をめぐる防衛戦闘の渦中である。

 

 

 地球は今、未曽有の大混乱に陥っている。

 

 世界各地に突如現れた謎の機械が、一斉に都市部へ向かって侵攻を始めた。その機械自体はさして巨大なわけでも頑丈なわけでもなく、通常兵器でも十分破壊可能な程度の強度。しかしその数はかつて人類が相対したいかなる敵にも勝るばかりに圧倒的であり、高台の街においては大地を埋め尽くさんばかりのバグの群れを見て恐慌状態に陥った民間人もいると聞く。

 

 

「ここもすごいっスよねー。……海中には、いないっスか。それもいつまで続くかって感じっスけど」

 

 その中でも屈指のバグ密度を誇るのが、他のどこでもないIS学園だ。

 バグは性能ではなく数をこそ頼りに侵略をする兵器であるようで、その有り余る数たるや世界中の名だたる都市を残さず狙えるほど。ISを総動員して最前線で奮戦しても処理し切れるものではない。飽和攻撃とはかくあるべきかといっそ納得させられるほどのものであり、急きょ駆り出された通常兵器もまた世界中いたるところで迎撃にあたっているのだとか。

 

 世界中から続々と寄せられる襲撃情報。

 どこの戦線が危ない、どこぞの戦線では一波を押し返したといった話が通信とISのコアネットワークでけたたましく叫ばれている。

 応援を求める声は数知れず上がり、しかし生憎と地球全土でどこも手一杯で余裕はなく、それはこのIS学園において最も顕著と言っていい。

 

「先輩、大丈夫ですか! なんなら私がしばらく代わりますが!」

「わ、私もいけます!」

「おお、頼もしい一年生達っスねー。でも大丈夫っス。私は怠けることの達人っスからね。山田先生に適当に押し付けて休むんで、一年は無理せず頑張るっスよ」

「怠けないでー!」

 

 海側からIS学園に押し寄せ、撃破されたバグの数はここ数時間で既に千機単位で数えるべきほどになっている。

 迎撃に出ているのはIS学園の保有する全戦力。地上居残り組の指揮を任されている真耶を筆頭に、IS学園を守るよう言いつかった専用機持ちフォルテ、教師や専用機を持たない代表候補生、果ては見込みのある新入生まで交代要員に駆り出し、学園所有のISを総動員して必死の防衛を行っていた。

 今応援に来てくれているのは今年の一年生。元ファントム・タスクのIS操縦者であり、神上真宏の弟子を自称する暑苦しい少女と、その子と仲が良い一般受験の少女、五反田蘭。蘭は一夏や真宏の知り合いと聞いていて、それだけで入学直後だというのにこんな場に駆り出されることを納得できてしまうほどに将来有望な二人だ。

 

「おっしゃあ、食らえ食らえ食らえー! 二つの意味で!」

「グレオン仮面さんから教わった心得の一つっ! 敵がたくさんいるときはグレネード! 敵が強い時もグレネード!」

 

 さっそく、真宏がちょろまかしてきた打鉄で神喰いを振り回してバグを斬り、狙い撃ち、たまに剣から怪獣の頭みたいなのを出して噛み砕いている弟子と、なんか聞き覚えのある名前を挙げながら慣れた様子でグレネードをぶっ放す蘭。なんだかんだで十分戦力として機能しているのだから、心配はいらないようだ。彼女らの将来の方は果てしなく不安だが。

 

 バグが押し寄せるのは海側から。おそらく敵の狙いはIS学園の施設であろうが、島への上陸を許せば学園が蹂躙されるのみならず、その向こうの本土まで危険にさらされることになる。必然的に戦闘は海面からIS学園の海岸沿いにかけてで行われることになり、海から逆巻き上がるレーザーを掻い潜るISと、反撃を受けてバラバラのスクラップになって海へ降り注ぐバグという図が繰り返し何度も起こっている。

 

 

 フォルテは機体の能力を生かし、広域にわたってジャミングをしかけてバグの能力を削いでいる。センサーを狂わせ、照準補正を邪魔して、戦場全体で味方に有利な状況を作り出しながら、自身もまた両手の拳銃にて的確にサポートをする。

 

 楯無と同じく、今年から最上級生となった専用機持ち。この程度のことができなければ勤まらない。

 しかしだからこそ、冷静に戦況を俯瞰する余裕もまた彼女は持っている。

 

(こりゃ、ジリ貧かもわからないっスね?)

 

 今のところIS学園へのバグの侵入は許していない。しかし敵はどれだけ倒しても同数以上が補給されているような相手で、徐々にだが戦線も後退し始めている。

 交代の操縦者にも疲労が溜まればこちらが不利になる一方で、しかし敵の残存兵力は底が見えない。仮にISがあれば倒しつくせるとしても、先行きへの不安は確実に戦闘力を鈍らせる。自分ですらそうなのだ、一年生にはなおのこと荷が重いだろう。

 

 今も一年生が取りこぼしたバグを右手のバッシャーマグナムで打ち抜き、左手のジャッカルで山田先生を狙っていたものの頭部を砕きながらそう思う。

 

「こりゃあ、私もちょっと覚悟決めないとっスかねえ。私は、どっちかってーと最近話題の働いたら負け系アイドルみたいに印税生活とかしたいんスけど」

 

 ちらりと見上げた空は晴れているが、フォルテが見通したいのはさらにその向こうにある星の世界。地上の激戦などどこ吹く風と流れる雲の彼方、宇宙空間において自分たちと同じように、あるいはそれ以上の激戦を繰り広げているだろう仲間達を思う。

 もしこのバグ達を根本的にどうにかして地球を救えるとするならば、それはザ・ワン迎撃に旅立ったあいつらだけだろう。

 

 

◇◆◇

 

 

「はぁっ!」

――!

 

 空間に連続して閃く火花の色。激しく重々しい音とともに赤と黒の残像が走り、その軌跡が交差する度に鋭い金属音とともに光の花が咲いては消える。

 

 マスク・ザ・レッド……ならぬ赤影は紅椿。二刀を振るう箒の第四世代機。

 一方の黒い影はISTD。かつて地球に侵攻してきた折は箒に切り裂かれて散ったあの機体の改造型らしき、小癪にも一本のブレードのみを頼りに箒と渡り合うザ・ワンの手足だ。

 

 仲間達と同じく、ザ・ワンの内部へと引きずり込まれた箒は人類側が便宜上第一ロケットステイツと呼んでいる巨大ロケット内部にてこのISTDと戦っている。

 状況から考えて、敵はISTDによる一対一での決戦を望んでいるのは明らか。相手に先んじられ戦力を結集することはできておらず、ザ・ワンの中に入ってからはコアネットワークが不調となり、仲間達の情報がわからない。

 周到に準備をしてのことなのだろう。バグの邪魔すら入らないなど、まるで茶番だ。

 

「ふっ、少しは剣を覚えてきたか!」

 

 しかし、箒はそれに臆さない。

 箒の仲間は、真宏や一夏を筆頭に自分と同じかそれ以上に強い。敵の基地に引きずり込まれた程度のことで動揺するような軟弱者は一人もおらず、必要以上の心配は無駄なだけだ。というか一部のメンツは確実に喜んでいつも以上の実力を発揮する。真宏とか一夏とかシャルロットとか簪とか。……一部どころではないかも、などと思ってはいない。

 

 そして何より、箒は剣士。

 篠ノ之流は多対一の戦いにおける技や理念も伝えてはいるが、道場で積んだ長年の稽古は目の前の一人の敵を撃ち倒すためのもの。その技の冴えを今、地球を守るために振るうことができるのだ。心躍らぬはずがない。

 

 敵はISTD。人の身でこそないが、かつての戦いで箒に斬られた機体の経験を生かしているのであろう。以前より少しはマシな動きをして、それなりに剣を振っている。

 

 ならばこそ、倒し甲斐もあるというものだ。

 

 2機が描く弧はたびたび交わり、その度に相手の急所を狙った技の数々が繰り出され、それら全ては相手に阻まれ有効打たりえない。

 首を狙えば胴が薙がれ、手首を斬り落とす軌道には心臓へ向かう突きが邪魔に入ってくる。剣士の本能にも似た瞬時の判断とISの性能による高速斬撃。そのどちらが欠けても命を落とすであろう交差は既に数十合。絢爛舞踏の力を借りて、エネルギーを回復しながら常にフルスロットルでの高速戦闘だ。

 時間にすればわずかの間。しかしISによって高速戦闘に対応するため引き伸ばされた知覚の中では何時間にも及ぶ激闘に等しく、もしISでなくともこれほどの激闘であれば無限にも感じられる戦いとなっていただろう。

 

 だがだからこそ、その戦いは驚くほどあっさりと終わりを告げる運命にある。

 

「――すぅ、ふーっ」

 

 乱れた息を一呼吸で整える。体の中にたまった空気をそれだけで入れ替わるが、これですら一瞬の先を争う今の戦いの中では隙となる。

 今のISTDがそれを見逃すはずはなく、絶対の好機と見て先の先を取らんと刃を翻して箒の眉間を断ち割りに来た。

 

 速い。

 機体の軌道を捻じ曲げながらも太刀筋は歪まず、打ち上げから降りおろしへの動きは全ての剣道の手本になれそうなほど。機械でありながら魂を感じさせる一刀だと、箒は素直に感心した。

 そもそもISTDは剣術などろくに知りもしなかっただろうに、かつての戦いと今の剣戟の中で急速に箒の太刀筋を読み取ってきている。

 もし敵でなければ、篠ノ之流の門下に加えたいと思うほどの成長速度だ。

 

 だが、ISTDはまだ知らない。

 速さだけが剣術ではないと。

 この先手があえて譲られ、掴まされてしまったものだと。

 

 そして、篠ノ之流は窮地であってもなお震えぬ心があってこそ、本領を発揮するモノであることを。

 

 

 正確に顔の中心線に沿って迫る刃を見る箒の眼差しは湖水のように澄み渡り揺らがない。あと数センチ、ほんの数瞬で顔面が斬り裂かれる。

 そしてこの時こそが、勝利を掴む最大のチャンスであった。

 

 するり、と箒の体が霞のように揺らめいた。

 少なくとも、ISTDのセンサーにはそう見えた。

 

 それは、篠ノ之流の歩法の応用。伝承にこそ残っていたものの、敵の刃が眼前に迫ってから避けて後ろに回るなどということは不可能だと、長いこと思われてきた。この技を今の世に再現したのは、他ならない箒だ。

 ISの持つ性能と、篠ノ之流との親和性の高さ。束から篠ノ之神社の始祖である剣の巫女がISの元になった隕石と関係があると聞いて、古い書物を紐解いてまで調べ上げた術理の数々。

 もとより篠ノ之流の術理の中に脈づいていたこの技の命が数百年の時を経て、今再び剣の巫女の技が蘇った。

 

 古今途絶えて久しいこの技をISTDが知るはずはなく、次に我が身に降りかかる運命はわかろうとも逃れる術は見つからない。

 まるでISTDの体をすり抜けるかのようにその背後に回った箒は、相手と速度を同調させたまま旋転。

 

 ISTDには振り向く時間さえ与えられない。

 気付いた時にはもうすでに、紅椿の二刀が胴体を輪切りにせんと迫り、受け止めようもない速度でその装甲へと刃を埋めた。

 

 

◇◆◇

 

 

 人類側がつけた暫定名称、第二ロケットステイツ。箒が引きずり込まれた第一ロケットステイツの隣にあり、ほぼ同構造のこの場所に鈴もまたいた。

 他の例に漏れずこの場に居合わせるのは鈴ともう一機、いつぞや倒したはずだが素知らぬ顔で復活しているISTD一機のみ。一度は負けたというのに、再戦を期して自らを改造のうえ再建し、こうしてお膳立てを整えたのだろう。

 いささかISTDを人間臭く捉えすぎている気もするが、それが正しい認識なのだと鈴は確信できた。

 

「その度胸、認めてあげるわ」

――……

 

 抱拳。意味が通じるかはわからないが、それでも敬意を表するに値する敵。それが鈴から見たISTDだ。

 言語機能を持たない敵は無言のまま、ひたりと油断なくバイザーアイを見据えるだけで動かない。これが戦闘機械であるISTDなりの礼儀なのだろうかと思うと、無性におかしくすらあった。

 

 開いた鈴の両腕には、双天牙月がある。鈴の身長からすれば異常なほどに巨大な青竜刀だが、ISの膂力で振るえば見た目通りの恐ろしい凶器となり、鈴の鍛えた技をもってすればその威力はなお一層のものとなる。

 

 

「……はぁっ!」

――!

 

 武器を構えてからの沈黙は一瞬。重力が働かないながら足をつけていた床を蹴り、直後に2機のISは激突する。

 

 二刀の鈴に対してISTDの武装は両の鉄拳。

 ISはそもそも機械の体なのだから両腕とて刃を受け止めうる強度を持ち、間合いの差さえ埋められれば、十分に強力な武装たりうる。

 しかし武器の扱いの達者さで言うならば鈴にこそ軍配が上がる。いかに拳が頑丈といえど剣の間合いに勝る道理はなく、事実鈴の攻撃に対し相手は防戦一方だ。

 ぶおん、と袈裟斬りにうなりを上げる刃が装甲に弾かれ、すぐに逆の剣が逆袈裟に斬り上げる。そのどちらをも装甲で弾き、距離を取ったISTDの見切りは見事なものだが、生憎と武術一辺倒でどうにかなるほど、鈴のISにおける功夫は甘くない。

 

「まさか、私のワンオフ・アビリティを忘れてるんじゃないでしょうね?」

――!

 

 万象縮地。

 離れた分の距離を近づくのではなく、空間を圧縮することによって無理やり狭める接近戦において無双の有利。ISTDが気づいた時には再び鈴の間合いに捕えられ、しかも咄嗟の反撃にと掲げようとした腕は見えない衝撃を叩きつけられた。

 衝撃砲。

 ワンオフ・アビリティの覚醒に伴いより強く、そしてより正確になった不可視の弾丸。遠近自在にして精妙な武器と技。これらを兼ね備えた鈴に対して近距離での戦いを挑むなどとはまさしく愚行。そのことを思い知らせんと鈴の両手に気合が満ちる。

 

 二刀にて殴り飛ばすように斬りつけた直後、双天牙月を連結させて襲い掛かる。

 敵のカウンターは遠ざけ、その直後に再び迫る様はまさしく魔法のようで、今この場は、急激な間合いの変化を支配する鈴の独壇場だ。

 

「はいだらああああ!」

 

 本国にて学んだあらゆる技が自然と体を動かした。

 おそらくこのISTDは雪辱を果たすため、策と自信を持って現れた。こうして防戦一方になっているのがその表れとは思えず、おそらくまだ何かを隠し持っているのだろうことは確実だ。

 だが構うものか。負けられないのはこちらとて同じ。弄する策があるのなら、その暇すら与えず打ち倒してしまえば良い。

 

 技と心の苛烈は鈴本来の性質であり、それを彼女の長所と見抜き、正しく伸ばしてくれた師匠たるヤン管理官への感謝は尽きない。……もっとも、鍛練の時はそれはもう鬼教官の名にふさわしい厳しさだったのだが。

 しかしそれもこうして地球を救う一助となるものだったのだと考えれば報われる。

 一合ごとに鈴の剣風は勢いを増してISTDを容赦なく追いつめる。

 

 防御に徹しながら、隙あらば急所へ伸びてくる貫手、岩をも砕けそうなほど重い蹴り。それらを避け、時には受け、互いに決して無傷とは言えない戦いの果て。

 

 鈴は勝利を掴みとれるのか。

 

 その答えは、戦いの中で一瞬捕えた好機を逃さず、相手の真正面から唐竹割りに振り落とされた双天牙月の刃が知っている。

 

 

◇◆◇

 

 

 

「せっかくの宇宙だというのに……景色を楽しむ余裕すらありませんわ」

 

 宇宙の虚空に青く光の尾を引いて、優雅に舞い飛ぶ淑女がいる。

 とんでもなくスケールの巨大なザ・ワンのロケットステイツ外部を、決して本体から引き離されないようにと第三ロケットステイツのすぐそばに張り付いて低空飛行にも似た軌道を取り、突き出た障害物を巧みに避ける見事な操縦を見せるのは、セシリアだ。

 

 ザ・ワンへと引き寄せられた仲間の内、セシリアだけは内部にまで引きずり込まれることが無かった。一体いかなる扱いなのかと当初は疑問に思いもしたが、今はその理由の大体のところを察している。

 

「バグ自体を流用してビット扱いするだなんて……あまり優雅とはいえませんでしてよっ」

――ォオォ!

 

 今も機体をかすめた鋭いレーザー。反撃に繰り出したビットと互角の火力を持って光の火線を上げるのは、しつこく自分を追いかけてくるISTDではなく、バグ。

 宇宙戦仕様となり、なおかつこのISTDの手足としてビットと同じような機動砲台として操られている、バグである。

 

 目を転じれば遥か彼方、ザ・ワンと地球の中間宙域でいくつもの爆炎が花開いては消えていく。あれはおそらく、千冬たちの戦闘の光。今こうして自分たちが戦っているのと同じく、千冬たちもまた地球へ迫るバグを一機残らず破壊するため、必死に踏みとどまっているのだ。

 

「ですから、わたくしも負けるわけにはいかないのです!」

 

 ロケットステイツに並行して飛翔しているセシリアにとって、上空側をISTDに取られてしまったのは少々痛い。ロケット壁面は滑らかなのが基本だろうに、このロケットステイツにはどうやら内側の本体を包む外壁があるらしく、今セシリアが飛び回っているのはその外壁部分だ。

 突起物やら板材やらが突き出た妙に複雑な構造になっていて、その隙間を縫いながら敵に追い回され、何とか反撃の機会をうかがっている。

 

 目の前に障害が見えるたびに右へ左へロールして、さらにその先の障害の位置を読み取り、ISTDの隙を探りつつ先々の軌道を選定。その間も手に持つレーザーライフルの狙撃でバグを落としながらビットを構造物の間を縫って飛び回らせ、こちらを狙う攻撃をけん制しつづける。

 

 自機のみならずビットにまでこんな曲芸じみたことを同時に課すことがあろうとは、さすがに思わなかった。それこそキャノンボール・ファストの時を思い出すほどの高速機動だ。

 相対速度をザ・ワン本体に合わせていられたのも最初の頃のみの話。ロケットステイツの頂点からベースステイツと接続しているちょうど真ん中のあたりまで下ってきた今となっては凄まじい速度差であり、障害となっている構造物に激突すればただでは済まない。

 しかしそれでもセシリアはどこまでも冷静で、思考を占めるのは極限に置かれた恐怖ではなく、獲物を死地に追い込み刈り取る狙撃手の思考だった。

 

 敵のビット替わりのバグはいくら撃墜してもすぐ代わりが補充されるので、戦力を減少させる方法はほぼ皆無。勝利を収めるためにはISTD自体を倒すしかなく、しかしロケットステイツを背にして攻撃と障害の双方を回避しなければならないこちらと対照的に、ISTDはいかようにも攻められる。状況は紛れもなく不利だ。

 

 だからこそ、セシリアは狩場を整えなければならない。勝機は一瞬。敵に絶対不可避の瞬間を作り出し、その時の自身を狙撃に最高の状態に持っていく。

 

 ISTDの周囲を衛星のように旋回しているバグからのレーザー2本がセシリアへ迫る。

 前もって予感していたセシリアは瞬時に機動を直角に曲げて回避し、同時に右側に配置していたビット2機からレーザーを照射。うち1本がバグ1体のレーザー照射源を貫いて行動不能にし、残るもう一本はISTDへ。フレキシブルによる軌道変更ですら追随できないほどの回避を披露されるが、それも織り込み済みだ。

 

 反撃の用意をしていた別のバグは既に残ったビットが潰している。

 ISTDは、先を読まれていたこと、ビットの同時制御によって上を行かれたこと、攻撃の手が緩んでセシリアが冷静に狙いをつける時間を得られたこと、スターライトmkⅢの砲口が、1mmのズレもなく正確に自分の中枢を狙いつけていることを知った、そのとき。

 

「ばぁん、ですわ」

――!?

 

 勝利の道筋を見通したセシリアの放つ青いレーザーが、胸部中央をまっすぐに打ち貫かれ、溢れるエネルギーに全身の装甲が四散していた。

 

 

◇◆◇

 

 

 重力で銃口が下がらないことへの対応はすぐにできた。PICの設定も無重力空間向けにしてあるため、閉所での機動にも何ら問題はない。シャルロットの適応力の高さはこの環境でも遺憾なく発揮される。

 

「こぉの……っ、なかなか当たらないっ!」

――!

 

 シャルロットはいまだ知りようがないが、箒や鈴と同じロケットステイツ内にあるホール上の空間にて、ISTDと戦っている。

 右へ右へと回り込みながら2機のISが高速で円を描き、飛び交う弾丸とエネルギーのほとんどは敵に届くことなく壁に跳ねて宙を漂うばかり。

 敵の武装はこれでもかとばかりに全身くまなく設置された無数の火器。マシンガンにガトリングガン、腰の両側からは実弾のライフルと粒子砲が伸び、両肩からはミサイルポッドが覗いている。

 単機でこれほどの武装を積んでくるなど、それこそ強羅でもなければ見れないものだと思っていた。

 

 だがそれも仕方のないことか、とシャルロットは思う。

 もう一段サークル・ロンドの速度を上げると同時、これまで使っていた肩のグレネードキャノンをワンオフ・アビリティ<パラレルスイッチ>で一瞬すらかからず、元からエネルギーランチャー<ブラウ>であったことにして間髪入れずにISTDの未来位置を狙って発射。

 反撃のタイミングを計っていたISTDは最高のタイミングを邪魔されて機動がブレ、追撃を畳み掛けられるのを恐れるように両手のマシンガンとガトリングを乱射して弾幕を形成。

 さすがにその中へ飛び込んで接近戦を挑むには至らず、再び先ほどまでと全く同じく2機のISが弧を描く。

 

 シャルロットのワンオフ・アビリティは、武装が豊富なラファール・リヴァイヴ・アルカンシェルの能力を最大限引き出す、極めて相性のいい能力だ。ISTDがこれでもかと武装を搭載してきたが、実質武装切り替えのタイムラグが存在しないシャルロットに対抗するためにはこれでもなお十分とは言えない実質の武装量を誇る。

 事実この2機の周囲はひどい有様だ。なぜか地球上の大気組成と大差ない空気が満ちている密閉空間内にあふれんばかりの火力をぶちまけているのだから、周囲の空間は破壊された壁の建材と薬莢、マガジン、黒煙が漂ってはぶつかり合っている。

 高速で駆け巡る機体に当たった薬莢が跳ね飛ばされ、無重力空間の中をあちこちとんでいるので控えめに言っても人が足を踏み込める環境ではない。

 

 しかしシャルロットはそんなものを気にしない。朗らかな人格とは裏腹に、戦士としての彼女は冷徹に勝利への道筋を一歩一歩刻み続ける。

 

 両手のマシンガンをライフルに切り替え連続で発射。ISTDはちょうど軌道を直した直後だったため一発目で再び回避のため体勢を崩し、二発目は避けきれず肩のミサイルポッドに被弾。瞬時に切り離すことによって誘爆に巻き込まれることは避けたが、爆炎に煽られて一瞬機体の制御以外のことがおろそかになる。

 

「今だっ」

 

 シャルロットは結果を確認する前からわずかにサークル・ロンドの軌道を大きく広げておいたことにより、ちょうどその瞬間壁に足をつけていた。

 ここまでの展開を見越して、敵との距離がちょうど射程内で、なおかつ無事な壁に足がつくよう計っておいた。

 

 敵が反応するより先に両足で壁を蹴って、一直線に相手へ向かってイグニッション・ブースト。両手に持つのはサーベル<ルージュ>と大斧<ベール>。二刀流とするには無理がありすぎるほどの大物だが、今のISTDを倒すにはこれが必要だ。

 PICがあってなお全身の血が足元へと寄り、視界がブラックアウトを起こしそうな超加速で一気に接近する。

 

 完璧なタイミングを取れた自覚はあるが、シャルロットには、しかしわずかに迷いがあった。

 ISTDを倒すためにはルージュとベールが必須と思えばこそこの戦術を組み立て、敵を確実に倒せる一瞬を作った自負がある。

 だがこの一撃のみで倒せるだろうか。

 セカンド・シフトに伴って現れた五種の武装。今日までこなしてきた特訓であらかたの使い方は習熟している。これで勝利をつかめるという自信もある。

 

 

 しかし本当に自分は、自分たちは勝てるのか。パラレルスイッチでこれらの武装を展開するたびに感じる違和感。まだ見ぬ先があるのではないかという、漠然とした感覚をシャルロットはセカンド・シフトしたその時から抱えている。

 

 それでも、今は攻撃に集中する。

 誘爆したミサイルの爆炎の中から、予想の通りの位置へと姿を現したISTDに半ば反射で両手の剣と斧を必殺の威力で繰り出して、この戦いを終わらせよう。

 

 

◇◆◇

 

 

 ロケットステイツの中へと引きずり込まれ、自分との一対一のお膳立てを整えたISTDが目の前に。この状況に一番脅威を覚えたのは、ほかの誰でもない。ラウラであった。

 

 ラウラの今の機体は、ドイツの制作した専用機がセカンド・シフトを果たしたシュヴァルツェア・レーゲン・ディ・ヴェルト。AICを発展させた能力である空間全域への慣性停止結界<ディ・ヴェルト>を有する、一対一の局面に関して言えば現存の第三世代ISの中でも屈指の強さを誇り、それを操るラウラとてIS学園の生徒の中でもトップクラスの実力を備えている。

 

 そしてそのことを、ISTDは、ザ・ワンは、すでに知っているはずだ。

 初めてISTDが地上に姿を現したあの戦いの中でラウラ達はセカンド・シフトに覚醒したのだから、当然のこと。

 

 それでありながら、ISTDは一機のみでラウラの前に現れた。

 

「はああっ!」

 

 ワイヤーブレードが蛇のようにうねってISTDへ迫り、ブレードで弾かれるのと入れ替わりにラウラのプラズマ手刀が斬り込んでいく。元々軍隊仕込みの格闘術を身に着けていたラウラであるが、最近ではめきめきと実力をつけてきた近接型の一夏と箒に対抗するため、さらに磨き上げた技を持つ。

 可能な限り隙を作らない小回りを利かせた動き。相手が何をしてきても対応できる……否、何かするに違いないと見なした戦闘の運びだ。

 

 

 敵が何かを隠している。ここまでお膳立てをされているのだから罠を警戒するのは当然のこととして、ラウラは特にその警戒が強い。

 シュヴァルツェア・レーゲンのワンオフ・アビリティは単騎を相手にする際にはほぼ無敵ということすらできる能力だが、弱点がないわけではない。おそらくISTDはそこをついてくるつもりなのだろう。

 

 わずかに距離を離し、こちらに向けられた熱線砲を横合いからワイヤーブレードを激突させて逸らす。それでも発射された熱線は顔をのけぞらせてかわし、無重力の空間にばさりと舞った銀髪の数本が焼き切られた。

 髪を焼かれてしまったことは、一夏が知ったら惜しんでくれるかもしれない。そんなことが思考の片隅に浮かんだが、一個の戦闘機械たることを自らに課している今のラウラにとって、普段ならば顔を赤らめるようなそれすらも行動を鈍らせるものにはならない。

 

 ぐるりと背を反らせた体勢のまま、ラウラは眼帯をしていない赤い右目でISTDを睨み、熱線砲を弾いたものと、さらにもう一本のワイヤーブレードが敵の近くにあるのを確認。

 

「――ここだっ!」

 

 ロケットステイツ内のホール中央、20mの距離を隔てたISTDまでの空間。ラウラはイグニッション・ブーストにて一瞬でその距離を無にして、同時に右のプラズマ手刀を発振。たとえ触れたら爆発する紐とか張り巡らされていても知ったことかとばかりの突撃。

 ISTDの能力は高いが、それでもセカンド・シフトを果たした第三世代機の機動力を持ってすれば最悪でも熱線砲の発射とプラズマ手刀を振り下ろすのは同時。相打ちには持ち込める。

 それを嫌ったISTDは回避を選択し、後退……しようとして、いつの間にか左足と右腕に絡みついていたワイヤーが接近と同時に巻き取られ、距離を離せなくなっていることに気が付いた。

 

――!?

「無駄無駄無駄無駄ァ!」

 

 ワイヤーに捕らえられただけならば何とでもなった。逆にラウラを振り回すことができる程度のパワーは、ISTDとて持っている。だがそうできなかった理由は、のうのうととらえられてしまっている理由は、あらわになったラウラの金色の左目に見据えられているからだ。

 熱線を回避するため身を翻したあの一瞬のうちに眼帯を外したラウラは、発展系AICたるディ・ヴェルトを既に起動している。

 

 身動きを取れないようにし、ワイヤーを巻き取り確実に距離は縮まっている。イグニッション・ブーストの速度も上乗せしたプラズマ手刀の威力はISTDの装甲ですら切り裂いてのけるだろう。

 

 勝利の予感とともに、もしISTDが何かしてくるならばいまだ、という確信を同時に抱きながらも、ラウラは迷わず手刀を敵の首めがけて振り下ろす。

 

 

◇◆◇

 

 

 後方に退き続ける楯無は、がむしゃらに追従してきてはブレードを振るうISTDの刃に装甲代わりの水の膜をあてがい、適度に硬化させることによって刃筋を逸らした。

 わずかに力の方向が狂った相手はそのまま体がブレードにつられて泳ぎそうになるが、冷静に切り返して今度は足先を薙ぎに来る。極めて真っ当で、だからこそ予測もしやすい。楯無は冷静に再度装甲を半液状化して、またいなす。真正面から受け止めることはなく、ここまで全ての攻撃をこうしてかわし続けていた。

 

 楯無は積極的な攻撃に転じることなく、相手の様子を伺っている。

 無数のバグに取り囲まれ、否応なしに放り込まれたザ・ワン本体の、おそらくここは5本のロケットステイツをつなぐベースステイツの後方、エレキステイツ。周りはのっぺりとした壁に囲まれた半球状の空間であるが、この壁の向こう側に動力源があるのだろう、何か巨大な力が蠢いているのがハイパーセンサーに感じられる。

 

 黒い装甲にバイザーアイは、いつぞや簪の前で無様を晒させてくれたゴーレムⅢのものと似ていて恐ろしくも腹立たしい敵であるが、楯無は一度勝った相手だからと油断することなく冷静に敵を観察している。

 ISTDは機械知性とも呼ぶべき存在であるせいか、自己の保存に対する執念や本能に近いものはあまりないと感じられるのは以前戦った時と変わらない。だが今日はなおのこと、恐れを知らずに攻めかかってきていた。

 

 不思議にゆっくりと、しかし確実な回避機動を交えながら後退を続ける楯無に対し、ISTDの取る行動は前進あるのみ。常に楯無に対して最短の距離を詰め、がむしゃらにブレードを振るい、マシンガンを乱射する。まるで強羅のような猪突猛進戦法だ。

 

 この戦法、はっきり言ってミステリアス・レイディ・エーテリアルに対しては全くの無駄である。

 実弾、実体剣、ともに今のミステリアス・レイディが持つアクアナノマシンの集合体たる水の装甲の前では十分な威力を発揮しない。身に着けている装甲は液状化して銃弾を受け止めて吐き出し、ブレードもまた同様に異様なまでに粘度を高めて液状化した装甲がからめ捕る。

 力の入れようによってはそのまま相手の手からブレードを奪い取ることも可能かもしれなかったが、楯無はあえてそれをしない。

 

 自分以外にも、簪を含めた専用機持ちの多くがザ・ワンの中に引きずり込まれた現状、間違いなく敵にとっては各個撃破の好機である。

 しかし、こうして現れたのはISTDとはいえ、一機のみ。それも決して自分の相手をするのに適しているとは言えない機体で。おそらく何かを隠している。ザ・ワンが隠しているのか、それともこの機体がなのかはわからないが、それだけは確実だ。

 その隠された何かを探る。そのために楯無はあえて攻めを急がず様子を見ている。

 

 だが、動きはない。ひたすらに正面から切りかかってくる以外の能がないかのように、めげずに攻撃をし続けるISTDは健気と言えなくもないが、どこか異常だ。

 どれほど埒が明かずとも、こうして攻撃を繰り出し続けられるのは人ならば稀有な資質だが相手は機械。無駄とは知りながらも楯無の根気が尽きるまで延々と続けてくるだろう。そうなると、さすがに少々マズイ。

 

「……まったく、よく考えているわね」

 

 顔を斜めに斬る軌道の斬撃は、水を当てずに首を逸らすだけで回避。無駄に大振りだったので避けることはたやすく、それを囮にこちらの腹へ突きつけてきたマシンガンの斉射は全てアクアナノマシンで液状化させた装甲で受け止める。

 水を纏って宙を舞う楯無の姿は、まさしく天女のようだった。

 

 だが天女にも限界はある。勝利を急ぐことはなくとも、仲間との合流は急ぎたい。

 仲間たちの中に心配が必要なほど軟弱な者は一人もいないが、だからと言って気にならないわけではないのだ。

 

「そういうわけだから、さっさと片付けさせてもらうわよ!」

 

 ブレードを腕の限りに突き出してくるISTDを、ブレードと腕ごとまとめて液状化した装甲で受け止めた。無重力空間における液体は表面張力に従って球形に近い形となって楯無とISTDの間の空間に殺到し、高い粘度で絡み付く。

 透き通ってはいるが不定形で中の様子がはっきりとは伺えないが、それでもISTDの肩から先がミステリアス・レイディの持つアクアナノマシンの大半をつぎ込んだ水に捕まったのは事実である。

 機体の動きも強制的に止められて、もはやISTDに逃げ場はない。楯無本人の気質もあってかワンオフ・アビリティ<アクアネックレス>は守勢の能力と思われがちだが、さにあらず。

 セカンド・シフト前から使っていた水蒸気爆発を誘発する技、クリア・パッションは今なお健在なのだ。ましてこれだけの液量をつぎ込めば、ISTDなど。

 

 いつの間にかちゃっかりと距離を引き離した楯無は、ISTDを拘束する水の中のアクアナノマシンに指令を下す。

 

「爆ぜなさいっ!」

 

 瞬時に沸騰した水の持つ爆発力は、火山に誘発された水蒸気爆発ならば地表を吹き飛ばすほどのもの。擬似的に再現されたその爆発は、瞬時にしてISTDの姿を飲み込んだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 白煙を引いて、無重力空間の弾体制御プログラムを搭載した無数のマイクロミサイルが、部屋の床面に対して水平に回避機動を取るISTDに追随する。

 どうやらISTDは、かつて地上で戦ったときよりも性能が上がっているらしい。今の一斉射で一発くらいは命中するかと思ったのだが、加速に加速を重ねて無理やりミサイルを引きはがして避け切り、目標にたどり着けなかったミサイルたちは全てが壁に着弾して爆炎と果てた。

 

 ファイヤーステイツ内の広間中央には、簪の打鉄・蓮華。その周囲を一定の距離を取って豪風を引きながら旋回しているのがISTD。簪とISTDの戦いは高速を維持し続けるISTDと、その中央で不動のままミサイルを放つ簪という一見膠着したように見えて、しかしその実見えないところでめまぐるしい攻防が繰り広げられるものとなっていた。

 

 ISTDの軌道は、正確に簪から一定距離を取った真円を描いている。その距離は広間の構造とISTDの旋回性能に縛られ、同時にこれより少しでも遠ければ隙があっても簪に自らの攻撃を届かせる手段を失い、逆に半歩分でも近づけば理詰めで張り巡らせたミサイルの弾幕に封殺されてしまう、簪が作り上げた結界の外縁だ。

 

 ISTDの位置と距離、速度と動きを簪は常に計りつづけている。重心の位置、スラスターのノズル角度、機体内部のエネルギーラインの脈動の乱れ、わずかにでも動きがあればいつでもミサイルを放ち、位置さえ合えば両腰の荷電粒子砲を放つ用意はできている。

 一方のISTDもまた、簪の一挙手一投足を見逃さない。僅かなれども計算と予測、機体制御に仕損じがあれば即座に飛びかかるだろう。

 

 

 わずかに軌道を割り込むISTD、その動きを眼差し一つで牽制する簪。

 もし簪が不用意にISTDの誘いに乗れば、一斉に放たれたミサイルは敵を捕らえることができずに、爆炎の中から手を伸ばすISTDに敗北する。

 ISTDが簪の先読みを侮れば、全方位逃げ場を失い燃え尽きる。

 

 チェスのように読みの深い者が勝ち、ギャンブルのように度胸の足りない者が負ける、それがこの二人の戦いだった。

 ISTDが攻撃機会を得たのはこれまで三度。肉薄できた一度目、出足をつぶされた二度目、即座に加速してミサイルを振り切らざるを得なかった先ほどと、いずれも簪に届いてすらいない。

 

 状況が固着しかけたこの状況、しかし明確に有利と不利がある。

 それこそが、簪のワンオフ・アビリティに準じる能力<仙里算総眼図>。相手の思考から未来をすら読み取るこの力の前に、長期戦を挑むことはそのまま敗北への道を転がり落ちることに等しい。すでに三度の攻撃機会においてISTDが取った行動、その際に見せた性能、何を狙い何を嫌うか、それらを簪は読み取っている。

 

 ISTDは、このままでは敗北する。かつて地球において喫した敗北の記憶をデータとして受け継ぎ生まれたこのISTDはその事実を誰よりよく知っている。

 

 だが。

 

「――完成」

――!

 

 ぽつりとした呟きがISTDのセンサーに届く。

 そしてそれと同時、打鉄の機体全てを覆い隠さんばかりに、全身から発射されたミサイルの噴射煙がほとばしる。

 ここにきて初めて簪からの攻撃。それも、異様なほどに派手なもの。警戒をするなというのが無理な話であるが、ISTDは即座にイグニッション・ブーストを起動。こちらを狙ってくるミサイルを置き去りにし、先回りしようとするものをすら振り切る。

 遠心力によるGで機体がきしむのも構わずさらに加速。限界を超えんばかりのトップスピードへ。

 

 わずか数瞬で簪の周囲を一周する勢いで、1発目のミサイルが着弾した地点へもすぐにぐるりと戻ってきて残っていた白煙の中へ突入。舞い散るミサイルの破片や剥離した壁材にも構わずさらに追随してくるミサイルを巧みに回避して。

 

――!?

 

 眼前に迫る、元々ISTDではなく壁を狙ったミサイルによって引き剥がされた1枚の巨大な壁材に進路を阻まれた。

 

 回避は間に合わない。ブレードで切り裂き熱線砲の圧力で押しのける。

 幸い壁材の排除は間に合った。

 

 ……だが残念なことに。

 

「これで、終わり」

 

 淡々とつぶやく簪の声が届いた時には、ISTDはすでに、逃れられないミサイル包囲網のただなかにいた。

 

 

◇◆◇

 

 

「真宏! みんな! いないのか!?」

 

 無数のバグにたかられ、外の様子もわからないままザ・ワンの本体へと入る羽目になった一夏は、バグがいなくなり、自由になるとすぐに仲間の身を案じた。

 零落白夜という必殺の能力を持つ代わりに、火力バカ、ほぼブレオン、高燃費という三重苦を抱える白式を操る自分より仲間たちのほうがよほど無難に戦えるだろうというのはわかっているが、だからと言って心配にならないわけがない。

 

 箒たちとはかなり早い段階ではぐれてしまったが、真宏とはザ・ワンの中へ入ってからもしばらくすぐ近くにいた。

 

『一夏、とにかくまずは生き残る! ほかの面倒なことは後で考えろよ!』

「真宏こそ、死ぬ……ことはまかり間違ってもないと思うけど、気をつけろ!」

 

 バグの塊のようになった状態から二人そろって手を伸ばしても届くことはなく、それでも必死に声を張り上げた。そもそも真宏は大抵の無茶な状況なら何とかなるだろうが、さて自分はどうだろう。

 

 いかに察しの悪い一夏といえど、これが何かの罠だということくらいは検討がついている。自分のいる位置は、おそらくザ・ワンのすべての構造体をつなぐ結節点たるベースステイツ。周囲にはロケットステイツ、前後にファイヤーステイツ、エレキステイツ、そしてコズミックステイツが連なり、ここからならばどこへなりとも行けるはずだ。

 そしてその先にはおそらく仲間のうちの誰かと、ザ・ワンの尖兵たるISTDか何かが待ち受けて戦っているに違いない。

 

「くそっ、ここにいないなら直接出向くしかないな」

 

 どこに向かうべきか、どこに誰がいるのかわからず一瞬迷う。もし誰かがピンチならば駆けつけたいと願っても、ザ・ワンの中ではISのコアネットワークのつながりが妨害されているのか通信ができない。できることがあるとすれば、それこそ虱潰しの突貫のみ。

 一夏はそれでもかまわない。こんなところでまごついているくらいならば、何もわからないなりに動いてみたほうが何倍もいい。

 

 だが、一夏は一歩を踏み出せない。

 ベースステイツ内の一区画。円盤状の広い空間には円周に5方向、床と天井にあたる部分に通路があり、無重力のため宙に浮いている白式ならばどこへ向かうこともできる状態にある。

 それでありながら、一夏がまだどこにも行かない理由。

 

 何かが、見ているのだ。

 自分のことを、その動向を、一挙一動を。

 

 行先に迷っているふりをしてぐるりとあたりを見渡した。通路の先を見据えているように見せて、しかし一夏の意識はハイパーセンサーが脳裏に結ぶ前後左右上下の全方向視界に傾注し、自分を狙う何かの存在を懸命に感じ取ろうとした。

 

 

 見抜いたのは、剣士の勘か白式のセンサーの感度の高さか。半ば無意識にイグニッションブーストを起動して、とにかくがむしゃらに前方へと飛び出した一夏が得体の知れない恐怖を感じるより早い移動の一瞬後。

 ついさっきまで一夏がいた空間を縦横に貫く鋼の刃が伸びていた。

 

「なんだ……壁から生えた!?」

 

 一夏を狙ったのは、周囲の壁から一斉に伸びた鞭か槍か。人類の持つ基準による判別は難しいが、鋭利に研ぎ澄まされた金属。この空間の壁材が突如として形を変え、一夏を突き刺そうと襲い掛かった。

 

 後先考えないイグニッション・ブーストが一夏に与えた速度はこの広間において過ぎたもの。勢い余って壁に激突しそうになるのを必死のスラスター制御で機首を起こして阻み、そのまま部屋の中央付近に生じた、剣山よりなお恐ろしい槍刺しの空間を凝視する。

 

 すると、一夏が見ている前で形が変わる。槍の根元が壁から抜けて、ぬるりと曲がり、ほかの槍と絡み、一体化する。まるで粘土細工でも見ているようだが、どこからともなく照らされている照明の光に輝いていることからして、おそらく流動的な金属なのだろう。楯無のアクアネックレスの存在を思えば、ああいう手合いは決して生易しい相手ではなかろうと予想がつく。

 

 一夏は手を出さなければ逃げもしない。

 

 体の中の何かが叫んでいるのだ。

 あれは危険だと。

 人に、ISに仇なすものであると。

 

 仲間のもとに行かせては危ない。今この場で、自分の力で倒さなければならない強敵なのだと。一夏はそう確信した。

 

「俺の相手はお前ってことか。……ちょっと荷が重そうだな」

 

 うごめく液体金属は自らの構造を決定したのか、いびつな球体から徐々に別な形へと変わっていく。

 ごつごつとした胴体、無重力空間でありながらなぜか生えている二本の太い足。

 そして凶悪なかぎ爪を備えた両腕と、背中から同じくかぎ爪の鋭さが寒気さえ覚えるほどの光を放つ4本の触腕。

 どことなくISを殺すために生まれた機械というか怪獣というか超獣というか、そういうイメージにあふれる相手である。

 

――シギャアアアアア!

「ああ、わかったよ。相手してやるって。……ここが月面じゃないのが、残念だけどな」

 

 右腕を無造作に軽く一振り。振りぬいた時には、すでにその手の中に雪片弐型が収まっている。

 

 凶悪すぎる面構え。ISを装備した一夏と比べても二回り以上優に大きい巨大な敵。パワーも手数も確実に自分より上だろう相手に、たった一人で挑まなければならないのだ。

 だが、泣き言を言っている暇はない。今の一夏は何よりも、早く仲間たちを助けに行きたいのだから。

 

「さあ……行くぞ!」

 

 最初の一撃を避けたとき以上の速度のイグニッション・ブーストで間合いを詰めて、一夏の戦いが始まった。

 

 

◇◆◇

 

 

 俺は動かない。

 地上からここまで、強羅をぶっ続けで展開しすぎてさすがに疲れたからなどという間抜けな理由ではさすがになく、体がふわふわして落ち着かない無重力空間にありながらPICで足を床につけ、まっすぐ前を見据えて。

 

 強羅の機動力は高くないが、腕力脚力パワーは別だ。足一本腕一本であろうとも、強羅自身の質量をそこらの高機動型ISに負けない初速で放り出すくらいのことはやってのける。そんなことをしたところで、俺自身が速度についていけなくなるのでほとんどしないのだが。

 

 しかし今、強羅は地に足をつけ、白鐡も背負い、ミサイルだろうがビームだろうが火炎放射だろうが、何が飛んできても立ち向かう覚悟を決めている。

 何故か。

 

『……まさか、俺がこんなところに呼び出されるとはな』

――キュイ……

 

 それは、目の前で形をとっていく何かがいるからだ。

 

 

 ここはおそらく、ザ・ワンの中枢最深部たる、コズミックステイツ。かつて地球の周回軌道を回っていた、IS隕石の片割れが安置されていると目されていた、いわばザ・ワンの中枢。

 俺もほかの仲間の例に漏れずバグどもにご案内されたわけなのだが、わざわざ俺を選んでこんなところに連れてきたということは、何か意味があるのだろうか。

 

 それは、実際にこの広間の中央にどでんと聳え立っていた、大岩のごとき巨大さを誇り、うっすらと光を明滅させていたこの鉱石に聞いてみるしかないだろう。

 

 

 俺が部屋に入り、気づくなり明滅のパターンを変えた鉱石。表面には光の筋が時折浮かび上がり、そのさまはまるで回路が演算をしているかのよう。あるいは、かつて取り込んだじーちゃん謹製のロケットから構造を取り込んだものなのかもしれない。

 

 そんな思いに浸れていたのもさっきまでのこと。今の俺は一歩も動けない。

 足が萎えたわけでも心が折れたわけでもないのだが、動けというのは無理な話。

 部屋の中枢にあった鉱石は、俺の存在に気づいてから形を変えた。

 周囲の壁は見たこともない、銀色に近い不思議な色合いをした金属だったのだが、その金属がまるで飴細工か何かのように変形し、鉱石を取り囲んでいくのを目の当たりにして、驚愕に目をむく。

 

 うねうねと金属を身にまとって徐々に形成される形は、人型だった。

 すらりとした手足、全体的にほっそりとした頭と胴体。どこかつるりとしているのは金属のみで形作られているからだろうか。しかし俺が黙ってみている中、着々と形成されるそれは紛れもない人型で。

 

 ……ただし、大人2、3人でようやく抱えられそうなほど巨大な鉱石を丸ごと取り込んでいるため身長は軽く5mほどあるのだが。

 

――……

『お、おう……はじめまして、か?』

 

 隕石の大部分は体の中に取り込まれた。ごく一部だけが胸の中央に露出してきらきらと輝いているが、綺麗だと見惚れる余裕は全くない。

 体の形成が終わったか、こちらを静かに見下ろしてくるはるか頭上の顔。俺を見つめているだろう、アーモンド形をして、白目も虹彩もなくぼんやりとほかの部分より強い光を放つ目。

 人間に似ているようでいて遠い、なんだかよくわからないものがそこにいる。

 

 

 俺はまっすぐ対峙する。

 さっきのやり取りからするに、おそらく言葉は通じていまい。

 そして仮に通じていたとしても、人類排除のためここまでやってきたザ・ワンを説得して追い返すなどということが俺にできるとは思えず、必然的にとるべき手段は限られる。

 

『分かり合えるかもしれないけど、そんな方法を模索している時間は、ないよな』

――……

 

 あるいは古い仏像のような印象すら抱かせる静かなたたずまい。

 だが俺には、強羅には、わかる。

 

 こいつは言うなれば、IS鉱石そのもの。生み出しうるエネルギー総量は、地球上のIS全てを束にしたところで届くか知れたものではない。

 しかも50年以上の年月をかけたとはいえ、自分自身の力のみでザ・ワンを作り上げ、ISTDとバグを地球に送り込み、今はこうしてもっとも確実性の高い方法で人類を滅ぼそうとしている。

 人でこそないものの、こいつは力と知を兼ね備えた超常の存在。あるいは、神にすら近いのでは。そんな畏怖さえ抱かせる。

 

 

 そして俺は今、たった一人でそんな相手に立ち向かう。

 何を言おうと相手は言葉を理解せず、理解できたところで引いたりしない。その確信はそれこそ宇宙に出る前から何故か俺の心の中にあった。

 

 だから迷わない。

 きっとこのザ・ワンの中で戦っている仲間のためにも、むしろここで俺が一足先にこいつを倒してしまおうか、と思うほどに。

 むしろあわよくば、お互い殴り合えば理解できるのではないかとか考えて。言葉が通じない人類を革新させる緑色の粒子も吐けないのであれば、そうでもするしかないだろう。

 

『……行くぞ、白鐡』

――……キュイ!

――……

 

 両手にガトリングとグレネードを展開。白鐡に呼び掛けるとともに体をたわませ力を込める。白鐡からの返事は頼もしく、しかし俺を見据えるザ・ワン自身はゆったりと自然体でこちらを見ているまま。

 さて勝てるかどうか。ふと浮かんだそんな疑問は軽く無視して、とにかく俺は自分にできることをする。

 

 隙を見るとか面倒なことは考えず、ただ体に満ちる気合いが導くままに、がむしゃらに床を蹴ってスラスターを吹かして、飛び込んだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 ありとあらゆる場所で戦いが始まった。

 因縁の相手、強大な敵、最後の壁。そして、戦場はなにもザ・ワンの中に限られているわけではない。その外でも、中と変わらぬ熾烈な戦いが繰り広げられている。

 

 

「……っ! まーくんの小宇宙コスモが一瞬強く輝いて、その後完全に消えた……?」

「つまりは何かがあったということだろうが、わかりやすく言え、束」

 

 シャトルの中に居残り、こんな時でも変わらず吐かれた束の妄言に耳を貸さず、ブレードを一閃。一振りで数体のバグをまとめて切り裂き、爆発するころにはすでに別の敵に斬りかかっている。

 

「さすがに束さんでも、まだザ・ワンの中の様子はわからないんだよちーちゃん。ISのコアネットワークがなんだか妙に騒がしいってことは伝わってきてるけど……誰かが壁に穴でもあけてくれないと、これ以上はね」

「ふむ」

 

「姉さんの邪魔はさせん! くらえっ、太陽レーザー!」

「うおわあっちぃい!? 気をつけろよマドカァ!?」

「広域火力に磨きがかかっているわねえ。ジュエル・スケールをレンズ代わりに太陽光を集めて焼き尽くすなんて、地表じゃ恐ろしくて使わせるわけにいかないじゃない」

 

 一夏たちがザ・ワンの中に連れ去られるときは、千冬たちとて黙って見ていたわけではない。だがザ・ワン本体に近づいたことで箱の襲来のとき以上の密度でバグが押し寄せ、片端から切り捨てたころにはもはやそこに一夏たちの姿がなく、千冬たちを無視するかのように地球を目指すバグとISTDが残った。

 地球を狙うバグを放置するわけにはいかないはずだと、相手も把握しているのだろう。ああしてわざわざ効率を無視して数で押してまで捕まえたからには何らかの目的があってのことのはず。そう考え、一夏たちを信じる決断をするのにはかなりの葛藤があったがそれを表に出す千冬ではなく、決断さえすれば信じぬいてくれるのが、この仲間と呼んでいいのか微妙なメンツだ。

 

「オラオラオラァ! あたしより先にはいかせねえぞ!」

「うふふ、こういう時はやっぱりアラクネの制圧力が頼りになるわね。……私も負けていられないわ」

「さあ、もっとレーザーを使え。……その全て、貴様らに返してやろう!」

 

「地球の防波堤とばかりに戦っているメンツのうち、5人中3人が元悪の組織出身の件について」

「まったくです、嘆かわしいことですね」

「そういうお前たちも半ば以上悪の黒幕だっただろうが」

 

 マドカを含め、ファントム・タスク出身者が3名。束は謎のマッドサイエンティストで、くーはその手下である。

 ましてや総元締めたる千冬自身は、地球にザ・ワンという大難を招きよせた張本人。そんな面々が、こうして肩を並べて地球防衛の最前線で戦っている。

 

 蔵王重工に魔改造されたアラクネ・オロチが炎を吐く。サイレント・ゼフィルス・スフィンギッドのジュエル・スケールが放たれる全てのレーザーを跳ね返す。スター・グリント・アンサングは光の翼で敵を薙ぎ払い、G3-Xはかつての千冬の動きを真似て、片端からバグを切り捨てて行っている。

 

 

 何の因果かと思う。

 だが贖罪にはちょうどいい。この場の誰よりも速いイグニッション・ブーストで敵に斬りこみ、進路を邪魔する者は容赦なく切り捨てると、気づけばそれだけで数十体のバグが切り刻まれている。最強の名は、伊達ではない。

 

「……行くぞ、あいつらが戻ってくるまで、一機たりとも地球へ行かせるな!」

「わかった、姉さん!」

 

 だからこそこの地球を守る役目は、他の誰にも渡せない。

 

 

◇◆◇

 

 

 戦いは激しさを増す。

 地球で、宇宙で、ザ・ワンの体内で。

 

 バグの侵攻に押される地上のISがいた。

 ISTDごとまとめて薙ぎ払う千冬がいた。

 誰もがそれぞれの場所で死力を尽くす。

 

 だが、それでも。

 

 

 箒たちは今まさに、敗北の淵にいた。

 

 

「くっ……バカ、な……」

 

 胴を斬れると確信した箒はしかし、強引に割り込ませたブレードに刃を止められ、そのまま単純な力に押し返された。

 紅椿に対抗する方法として、ISTDが選んだのは単純なまでのスペックアップ。全身から蒸気を吹き出し、装甲が赤熱するほどのエネルギーを迸らせて振う腕にこもる力は強羅の腕力すら超える。

 全てのISのスペックを凌駕すると謳われる紅椿ですらその場に踏みとどまれない威力。刀を直接その手でつかみ、振りまわした末に壁に叩きつけられて、箒の意識は遠のいた。

 

 

「冗談じゃないわよ……っ!」

 

 鈴もまた、敗北を確信した。

 双天牙月の刃が止められた。それも、人差し指と中指の二本に挟まれることによって。冗談のような現象に目を疑うが、確かにISTDを両断するはずだった刃は止まり、びくともしない。

 まして、その後音もなく腹部装甲に揃えて突きつけられた指先。そうあることが当然であるかのように触れてきた直後、ぞっと冷えた鈴の肝を直接打ち抜くかのような衝撃が叩き込まれたのだ。

 指の分のみの距離から、ISがなければ胴体ごと破裂していたかとすら思える威力のこぶしを叩き込まれ、鈴の体はなすすべもなく吹き飛ばされた。

 星心大輪拳、と浮かんだこの技を持つ流派の名前は、今は考えないようにしよう。

 

 

「なっ、装甲が!?」

 

 セシリアのレーザーは確かにISTDを打ち抜き、その機体を爆散させた。しかしそれはISTDの罠だ。飛び散るはずの装甲は奇妙なほど鋭い軌道を描いてセシリアに接近。ビットの迎撃すらかいくぐり、両手がセシリアの手をつかみ、脚部が変形してかぎづめ状となって足を挟み、胸部と頭部がすぐ眼前まで迫りきた。

 ボディそのものをビットとする戦術。そんな改造を施しておきながらISTDがこれまでとあまり変わらない姿で戦っていたのは、この一瞬を作るための作戦だったのだ。こうして、BTビットとフレキシブル、そしてセシリア自身の狙撃能力による防衛網は破られた。

 頭部のバイザー部分に光がともる。破滅の色をしたレーザーの光。溜めの時間は短く、回避の方法もない。

 無慈悲に放たれたレーザーは、セシリアの頭部を守り、狙撃能力を補佐するバイザー、ブリリアント・クリアランスを粉々に砕いた。

 

 

「ちょ、冗談でしょ……?」

 

 左右斜めから交差した直剣<ルージュ>と大斧<ベール>の一撃は止められた。至極あっさりと、掲げた両腕のみによって。

 それが示すところはすなわち、これらの武器の威力とラファール・リヴァイヴのパワーでは、ISTDの装甲を貫けないということだ。

 瞬時に半ば無理やり武装を変更。エネルギーランチャー<ブラウ>とレーザーキャノン<ノワール>を手持ち状態で顕現させ至近距離から発射。しかし、効かない。

 この事実を突きつけられ、シャルロットの顔は青ざめる。このままではどうあっても勝てないということを思い知らされたのだから。

 対するISTDは、これまで使わなかったものも含めすべての武装を至近距離からシャルロットに突きつける。逃げ出そうにも近すぎる。速度も相手が微妙に上回っていた。逃げきれない。

 ISTDがトリガーを引いたかどうかはわからなかった。目の前が光ったと思ったその直後、シャルロットの意識は光の中へと消え去ったからだ。

 

 

「な……に……っ!?」

 

 ISTDの首を刈り取るべく突きつけられたプラズマ手刀の光刃。

 込められた満身の力に切っ先はぶるぶると震え……しかしそこから先は一寸たりともISTDへ近づけない。

 それどころか、ラウラはただ驚愕の一言を口にするのすら自由にはならなかった。

 体が動かない。動かせない。いやむしろ、プラズマ手刀がじわじわとISTDから離れてすらいく。

 

「これは……TIC!?」

 

 テレイナーシャルキャンセラー。自分以外の存在の慣性を停止させるAICをさらに発展させ、動きを止めるどころかPICのごとく自在に動かすというテレキネシスにも似た超技術。ドイツでは理論のみ提唱されていたが、篠ノ之博士でもない限り実用化はかなり未来の話になるであろうと思われたその力が、今のラウラを動かしている。

 下手人は当然、ラウラの赤と金の目が睨むISTD。愉悦にゆがむことも勝利を確信して緩むこともない無機質なバイザーアイと目が合った。

 ラウラとシュヴァルツェア・レーゲン必死の抵抗をあざ笑うように、プラズマ手刀は向きを変え、ラウラ自身の首へと刃を向けられる。

 出力を強められたのか、ワイヤーを振りほどいてこちらに手を向けてくるISTDを睨むことしかできないラウラ。プラズマ手刀の出力が上がり、震えていた腕がぴたりと静まる。ついに完全に体の動きを支配されたのだ。

 ISTDに躊躇はない。突きつけた掌を握ると同時、プラズマ手刀が再び動いた。

 

 

「これはクリアパッションの爆発……じゃない!?」

 

 ISTDの腕を丸ごと吹き飛ばすはずだったのは、クリアパッションによる水蒸気爆発。無色の爆炎がファイヤーステイツの中に広がるはずだったが、しかし現実に燃え上がったのは、臓腑にも似た赤黒い火薬の爆発。防御に残した水の膜で熱波を遮りながら、楯無は自分の策が失敗したことを悟った。

 

――ヴォォオオ!!

 

 見通し難い黒煙の中から姿を現したのはばらばらに砕けた残骸ではなく、右腕を失った漆黒の人型、ISTD。クリアパッションが爆発する寸前、自らの右腕を爆破することによってアクアナノマシンを散らしたのだ。

 失った右腕のほかも全身が傷だらけのISTDにはしかし、楯無とは違ってもともとこうするつもりだったが故の覚悟があった。覚悟の違いは速さの違い。残った左腕に持つブレードはただまっすぐ楯無めがけて突き出され、そうと知ってから残った水を防御に回すも間に合わず。

 

「がっ……!?」

 

 体を貫く刃の冷たさと、吹き出て珠と飛び散る血の温さに襲われた。

 

 

「なんで!?」

 

 完璧と思われた包囲網は、崩れ去った。

 簪が築いたミサイルの結界は仙里算総眼図の予測に基づく敵の未来位置をことごとく潰すもの。しかしそれは裏を返せば、相手が予測と異なる行動原理に従って動けば意味をなさなくなるということだ。

 ISTDは先ほどまでとは全く異なる、鋭角的な機動を敢行。一度でもミサイルに捕らえられれば先はないとばかりに、完全回避を徹底していたのと同型機とは思えないほど大胆にミサイル群の一角に飛び込んで、数発の被弾をものともせずに突破したのだ。

 

「まさか、行動アルゴリズムを変えて……!?」

 

 いつの間にか手にはブレードを下段に構え、壁に足をついて部屋の中央に陣取る簪を見上げるISTD。バイザーに覆われた顔面に目はない。だがその時簪ははっきりと、剣の切っ先よりも鋭く自分の胸を貫く殺気のこもった視線を感じた。

 

 おそらくこのISTDは箒との戦闘に適応した近接格闘特化のアルゴリズムに切り替えた。打鉄・蓮華にも振動薙刀は装備されているがそれでは仙里算総眼図を使っている余裕はなくなる。

 これが仙里算総眼図の弱点だ。敵が変われば、あるいは敵の行動パターンが変わればまた複雑な計算をやり直さなければならなくなる。

 今のISTDを。壁を蹴り、イグニッション・ブーストを起動し、一瞬で間合いを詰めてブレードを振るってくるISTDの思考を読み解く時間は、もはやない。

 

 

 

 

 箒は壁にめり込みピクリとも動かない。

 

 鈴は吐いた血で口元を赤く染めている。

 

 宇宙空間に漂うセシリアの顔に血の気はない。

 

 シャルロットの豊富な武装は量子に帰った。

 

 ラウラの体は何一つ自分では自由にならない。

 

 楯無の体はブレードに貫かれ、勝利の証と言わんばかりにISTDに掲げられ。

 

 すれ違いざまに一閃された簪はとっさに掲げた両腕を斬りつけられた。

 

 

 ISTDの形をした敗北が近づいてくる。

 勝利は……まだ遠い。


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