IS学園の中心で「ロマン」を叫んだ男   作:葉川柚介

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第36話「北風と太陽」

 腹も膨れて大文化体育祭午後の部。まだまだ多くの競技が控えているこのイベントは、競技の質的な意味でもここからが本番と言っていい。……だから、「誰かの好きという気持ちを大事に」という簪に言われたことはひとまず頭の片隅に置いておこう。簪以外で俺に恋愛感情を抱くような人がそうそういるとは思わないが、あの表情が冗談ともまた思えない。簪はたまに真顔でギャグを飛ばす子なので、そうと言いきれないところではあるのだが。

 

『みなさんご飯は美味しく食べましたかー? IS学園大文化体育祭午後の部も元気よくいってみましょう! 午後一発目は、いきなり激しい運動をするのもあれ何で目を楽しませる「借りアセン競争」!』

 

「えーと、まずは走っていってあそこに並んでるカードを選んで」

『その段階でISを展開。コース上にあるアセン小屋まで飛んでいって、中でカードに書かれたお題に沿ったアセンを構築して、ゴールしたらアセンを評価してもらってさらなるポイントを獲得できるという面白競技なんで、楽しんでくれたまえ』

 

「……ハズレは引かないようにしないと」

「無理な相談だぞシャルロット。真宏が関わっているのだ。ハズレしかないに決まっている」

「紅椿はそもそもアセンができるのか……?」

「わたくしは、アセン小屋なるプレハブの周りでお手伝いのためにスタンバイしている蔵王重工社員の方々に果てしない不安を感じるのですが。指がわきわきしてますわ」

 

 楯無さん発案によるコスプレ生着替え走も実に楽しそうだったのだが、やはり午後一発目は健全に滑り出したいという俺の考えを採用してもらった結果、この競技が行われた。専用機持ちのみならず、各チームに貸し出された量産機も使って複数回行われるこのレース。さりげなく速やかな武装選択やその装備が試せる、訓練に持ってこいの競技じゃなかろうかと自画自賛している。

 さあ楽しみだ。……誰がどんなネタに染まるのかが。

 

 

『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡのシャルロット選手、速い! アセン小屋に入ったと思ったらそのままノンストップで飛び出したー! さすがはラピッド・スイッチの使い手、武装切り替え速度は天下一!』

『さすがね、シャルロットちゃん。それではここで、前のレースで1位になった鈴ちゃんにインタビューしてみましょう。おめでとう、鈴ちゃん。お題には「雷雲旋風拳!」と書かれてたんだったわよね。それで右腕をもう一本増設するあたり、わかってるじゃない』

『……出て来い真宏おおおお! 狙ったでしょ! これ絶対狙って私に引かせたでしょおおお!』

 

 きゅいーんきゅいーんと、右腕が1本増えて合計3本腕となった鈴がそれぞれの手の先についた回転刃を思いっきりまわしながら半泣きで叫ぶ。

 失礼な。確かにあのお題を仕込んだのは俺だし、鈴が引いてくれたらいいなーと思ってはいたが、それを見事引き当てたのは鈴自身の運命力だというのに。

 

 

『さーて次なるはチーム対抗「タワー倒し」! IS学園中央塔を目標に攻防戦を繰り広げていただきます!』

『棒倒しじゃないのか……』

 

 次なる競技は棒倒しをIS的に拡張した特別競技。IS学園中央塔を落とさんとする攻撃側と、それを防ぐ防御側に分かれての集団戦闘だ。ルールは基本的に何でもアリ。人にケガをさせず、タワーを本当に倒すようなことをしなければそれでよし。

 それはもう、いかにもISらしい実戦が繰り広げられるのだ。

 

「我々が先に仕掛ける。後方を警戒しつつ援護。各機、合図と同時に突っ込め! 一機も逃がすな!」

「目的はタワーへの侵攻だ! 急げ、連中を鎮圧しろ!」

「ただの生徒……そういう風には、もう生きられない時代か」

「それは他人が決めることじゃなかろうさ」

 

「みんな、丸太は持ったか!」

「おー!」

 

『……IS学園生が傭兵みたいになってるー!?』

『計画通りね。いい感じに盛り上がってきたんで、ここらで女の子だらけの運動会的なものにつきものの歌でも歌ってもらおうか。今日のために結成した、スクールアイドル<I’S>!』

『箒達じゃないか。みんな歌上手いけど』

『トルコのあたりで有名なIS操縦者のアイドルチーム、ANT39にちなんでやってもらった。結構ノリノリだったぞ? 簪が意外と歌も踊りもうまかったし、鈴は年季入ってるし、箒はアイドル大統領だし』

 

 妙に殺伐としたノリでタワーを攻めたり守ったりを繰り広げる各チームのメンバーに対して、あとで編集する映像ではワイプ枠として画面にはめ込まれる予定の、箒達によるアイドル的なステージが午後の競技を華々しく飾る。

 まあ、もしもIS学園が深刻な経済危機に陥った場合、やるべきことは新入生確保のためのアイカツではなく生活の糧としての傭兵になりそうな気しかしないが。

 

 

『IS関係の競技が続いたわけですし、ここらでちょっと普通の競技もやっていきましょうか。お次は定番、ムカデ競争!』

『おーっと、いつの間にか簪さんのチームに混じっている神上くん、さっそくチームのメンバーと一緒に勝利のイマジネーションのポーズを決めている! これは割とダイレクトな勝利宣言かー!?』

『しかも、6人目が指で適当に6号アピールするだけじゃなくて、全身使って大きく6を描く最終決戦仕様……やる気ね』

 

「くっ! どうして、どうして織斑くんと神上くんは同じチームじゃないの!?」

「もしこのレースに二人が出てくれたら、どっちが前になるかで三日は不眠不休で議論できたのに!」

『お前はそこでくさってゆけ』

 

 たまには、普通の運動会種目に俺らも混じってみたりして。外野からのセリフが大分恐ろしかったりもするが、それを無視すればなかなかどうして楽しいもんだった。

 

 

 歓声は尽きず、本来は男を巡ってのドロドロしたものにもなりかねないイベントが、ただただ楽しい物として過ぎていく。修羅場にならないよう、一夏のことなど考える暇もなくなるくらいに楽しい競技を詰め込んだ甲斐があったというものだ。箒達も負けを恥じず、勝って驕らず、すなわちレッツエンジョイ。一夏に褒められてデレデレしているあたり、なんだかんだで楽しんでくれているようだ。

 

 ……だが、楽しい時間もいずれは必ず終わるもの。体育祭最後の種目、一夏とクラスメートになり同室となる権利を賭けた最終決戦が、はじまる。

 

 

◇◆◇

 

 

「……で、なんで俺は空中にいるんだ?」

『楯無さん考案による、文字通り一夏を掴みとる競技だからだろう』

 

 決戦は、さっきまでタワー攻防戦に使われていたIS学園中央塔のあたりを、風船がたくさんついた籠に乗って浮いている一夏のつぶやきから始まった。地上からの高さは約50m。もし落ちれば、当然死ぬ。風がびゅんびゅん吹く中、籠に取り付けられた風船によって浮いている。今までも散々理不尽にさらされてきた一夏は、既に半ばあきらめた目に闇を宿してしまっていた。おかげで、前髪が風にばっさばっさ煽られてイケメンが軽く台無しだ。ここまで強羅で籠をかついできた俺も、思わずちょっとやり過ぎちゃったかなーという罪悪感を感じるくらいに辛そうだ。だが私は謝らない。

 

「くそう! こんなところにいられるか! 俺は下りるぞ、白式! ……って、あれ、白式が起動しない!?」

『ああ、逃げられると困るんで白式にはちょっと起動を受け付けないようにしてもらってるんだよ。白鐵が説得してくれたら聞いてくれた』

――きゅーう

「白鐵―!?」

『まあ、安心しろ。万が一落ちそうになった場合は白鐵が助けてくれるから』

 

 一夏の右腕に宿る相方たる白式は、白鐵に張り付かれて沈黙している。自分の味方がこの期に及んでほとんどいないということを理解して半ば絶望顔になっている一夏を見るのは俺も辛いのだが、これも体育祭を盛り上げるためだからしょうがない。尊い犠牲は忘れないぞ、一夏。

 

「さあ……そろそろはじめてもらおうか。決戦の時、待ちわびたぞ」

「ひぃっ!?」

 

 ゆらりと浮いてきた箒の放つ殺気を感じたのだろう。一夏は籠の中で身をすくめ、怯え100%の悲鳴を上げる。振り向けばそこに、二刀を構える和風美少女、箒の姿がある。ただしブルマにISというマニアックすぎる格好で。

 箒だけではない。セシリアが、鈴が、シャルロットが、ラウラが、そしてついでに簪が。午前の玉撃ち落としのごとく一夏を囲んで等間隔にぐーるぐーると回っている。逃げ場などどこにもない。そりゃあ、一夏でなくてもビビるだろうよ。

 

「……すまないな、一夏。驚かせてしまったか。だが案じることはないぞ。もし危ないと思ったら、いつでも私の方に飛んで来い。この腕で、必ず抱き留めて見せる」

「一夏さん、わたくしの方でもよろしくてよ。一度一夏さんの手を掴んだならば、決して離しませんから」

「そういうわけだから、心配しないで。僕達はお互いに戦う相手だけど、一夏のことは絶対に守るよ」

「ぐぬぬ……少し、少し胸が大きいからって調子に乗ってぇ……!」

「さあこっちへ来るがいい一夏。夫の両手は、嫁を抱きしめるためにある」

『ほんとブレねーなラウラ』

 

「……なあ真宏、俺は今幸せなのか? それとも今日ここで死ぬのか」

『それはお前次第だろう。ま、頑張れ』

「薄情者! 薄情者! いつものことだけど、もし死んだら化けて出てやるからな!」

 

 

 一夏もいろいろと気づき始めているのかいないのか。箒達の想いのほどが腕力ではなく色気とかそういう方面でアピールされるようになった昨今、恋愛的な意味でかそれとも単純に男の子としての意味でかはさておき、思うところはあるようだ。願わくば、箒達の想いが少しでも報われんことを。そして、その時一夏の命があらんことを。そして世に平穏のあらんことを。特に一夏の命のことを、俺は割と本気で願う。

 

 

『それでは、IS学園大文化体育祭最終種目、一夏くん争奪バルーンファイト……はじめ!』

 

 

◇◆◇

 

 

「はあああっ!」

「ぎゃー!?」

 

 開始と同時に響く箒の気合声と一夏の悲鳴。紅椿のイグニッションブーストは、人間の肉眼から見ればまさに瞬間移動。一夏の視界からすれば、赤い閃光が走ったと思えば次の瞬間には頭上の風船がばしんばしんと割れていったようにしか見えないだろう。頭を抱えてうずくまってもなお感じる暴風は過ぎ去るISの余波か。揺れる籠に必死でしがみつき、小舟に乗って嵐が過ぎ去るのを待つ心境に至りつつあった。

 

「箒さん、そんな風に風船を割ってはバランスが崩れてしまいますわ。一夏さん、少し我慢してくださいましね」

「おおぉっ!? また落ちる……けど傾かなくなった! ありがとうセシリア!」

 

 箒の斬撃が斬り裂いた風船の間隙は一夏の乗る籠のバランスを著しく崩し、そのままであれば地上への到達を待たずして籠の均衡は崩れて一夏が空へと放り出されていたことだろう。

 そこを救ったのは、セシリアの精密狙撃。ビットとフレキシブルも併用しての、針の穴を通すごとき狙いはどこまでも正確に密集した風船の一部のみを貫き、その結果風船の分布が均等化され、籠は一端がくんと落ちたものの、再び水平に近い状態へと戻った。神技じみた狙撃が今日もまた冴えわたる。

 

 

 顔を出して感謝の声を上げる一夏に小さく手を振って返す余裕のあるセシリア。箒達からしてみれば負けていられないとより一層の闘志を上げるべき場面であるが、ここまでの戦いの中から、それ以上に大切なことに気が付いた。

 

 一夏争奪バルーンファイト。

 IS学園大文化体育祭の最後の種目であり、配点はこれまでの最高レベル。ここに至るまで実力が拮抗し、ほぼ横並びの獲得点数を誇る箒達にしてみれば、この競技の勝敗がそのまま一夏との同室権、同クラス権の獲得に直結すると言って相違ない。

 勝利条件は風船を割ることで一夏が乗った籠の浮力を下げ、一定の高度に下がった段階で一夏をかっさらい、地上に無事下した者が勝者となる。

 つまり、勝利を掴むために必要なのは何よりもタイミングだ。

 一夏の手を掴んでよい高度に達したことを見るや否や動くか、はたまた相手を妨害・牽制して最高の瞬間を狙うか。その駆け引きこそが勝敗を分ける……と、思われていた。

 

 だが真実は異なる。この競技はむしろ、どれだけ一夏の心を自分に寄せられるかという、北風と太陽の寓話にも似た側面を持っている。

 

 箒達が狙うのは一夏自身。物ではなく、人だ。当然そのことを忘れたことはなく、一夏に危険を及ぼすつもりは毛頭ない。だが、それだけでは勝てない。よしんば勝負に勝ったとしても、他の仲間を蹴落として乱暴に一夏の体を掴んで地面に引きずり下ろすようなことをして、果たして一夏の心が自分に向くことがあるだろうかと、箒達は想像する。

 そう、この競技での勝利はあくまで表面的なものに過ぎない。本質はむしろその先、命の危機にある一夏をいかにして救いだし、その心に自分の存在を刻み込むか。まさにそここそが、この勝負では問われている……!

 

「……」

「……っ!」

 

 そうと気づけば、うかつには動けない。風船の数は残りわずか。既に浮力も半分以上を喪失し、一夏を乗せた籠は何もしなくともゆっくりと降下していっている。もしもこれ以上風船を割ってしまえば、おそらくそれだけで一夏の高度は強制確保が許されるデッドラインを割り、そのときに致命的な隙をさらすことになるだろう。相手はいずれ劣らぬ専用機持ちの代表候補生。一瞬の油断がすなわち敗北へと至る。

 

 では、いかにして勝利するか。一夏の身柄を地上へ下すことができれば、競技としてはそれだけで勝利。だが、この戦いはそれ以上に一夏の心を掴むためのものだ。

 ぶっちゃけ、一夏と抱き合って見つめ合ってくるくる回ったりしながらゆっくり降りていきたい。普段は互いにけん制し合っている箒達の心は今この瞬間だけはひとつだった。一歩たりとて譲る気はないが。隙をさらさず、それでいて一夏をこの手にする。両方やらなければならないのが恋する乙女の辛いところだ。

 

 攻撃が止んだことに気が付き、おそるおそる籠から顔を覗かせる一夏の周囲を油断なく旋回しながら策を練る中、真っ先に動いたのは。

 

「一夏さん。わたくしのことを、信じていただけますか?」

「セシリア……?」

 

 旋回を止めた、セシリアだった。

 セシリアがこれまでと異なる動きを見せた以上旋回を続けるのは危険と判断し、他のヒロインズもゆっくりと止まり、ただ籠に合わせて高度を下げるのみとなる。セシリアはそんな周囲の様子に構わず一夏だけを見て、微笑みを浮かべながら問うた。

 

「わたくしは一夏さんを必ず助けます。ですが、そのためには一夏さんがわたくしを信じてくださることが必要です。……どうでしょう、ほんの一瞬で構いません。私を、信じてくれますか?」

「……ああ、いまさら疑うもんか。俺はセシリアを信じるよ」

 

 そのとき、セシリアに光が降り注いだ。

 それは、この競技を観戦する全ての生徒が感じた錯覚であり、花が咲くように嬉しそうな笑顔を浮かべるセシリアの喜びが起こした奇跡だ。愛する男からの信頼が、頬をバラ色に染め上げ美しい乙女を彩った。

 

「では一夏さん……飛んでください!」

「やっぱりそういう方向か! いや、いいけど。信じるけど……!」

 

 両手を広げ、籠から飛び出た一夏を抱き止める気満々のセシリアに向ける、箒達の表情は苦い。やられた、としか言いようがない。北風と太陽の図式がまさにここにある。勝利条件を「一夏の確保」ではなく「一夏自身に選ばれる」という方向に切り替えてきた。これでは籠から飛びだす一夏を横から奪ってもセシリアを戦闘不能にしてひったくっても悪者にされてしまう。それでなお勝利する方法は、もはやこの期に及んでしまえば一つしかない。

 

「一夏! 私もいるぞ! 私を……選んでくれ」

「私も忘れるんじゃないわよ! 必ず掴んでみせるから!」

「一夏が掴んでくれたこの手で……今度は僕が一夏を掴むよ!」

「受けた恩なら私とて負けてはいない。AICもワイヤーブレードもある。この中で一番お前を抱き留められる確率が高いと断言しよう」

 

「……あ、あれー?」

 

『なんということでしょう! 一夏くんを巡る大文化体育祭のクライマックスにふさわしく、なんか競技じゃなくて告白合戦になってきたー! 一夏くんの答えが見逃せないっ! 新聞部、カメラ構えい!』

「イエッサー!」

 

 ゆるゆると下がる籠。両手を広げて待ち構える箒達。固唾を飲んで見守る観客たちの視線と望遠レンズの砲火を浴びるただ中で、空の上で孤独な一夏は妙な冷や汗が止まらない。

 箒達の言葉は真剣で、ただの運動会の競技とか言っていられないレベルの決意を感じる。少なくとも一夏は、この競技に自分の命がかかっているので生き残ることにかけては最初からかなり本気ではあった。だが、何となく方向性が変わってきている気がする。

 

 最初に為されたセシリアの申し出は一夏にとって渡りに船なものではあった。女の子に向かって飛びつくというのはさすがに少々恥ずかしいが、ここに至れば背に腹は代えられない。体操服ごしに感じることになるだろうセシリアの胸の感触も心頭滅却して受け入れる覚悟を決めた。

 

 が、気づけばあっという間にご覧の有様だ。空気を読んで一歩引いたところで無表情ながらワクワクした気配で事態を見守っている簪を除き、セシリアを筆頭に一年生専用機持ち全員が一夏の選択を待っている。

 どうしてこうなったのかはさっぱりわからない。だが一つだけはっきりしているのは、ここの選択にはとんでもなく重要な意味がある、ということだ。

 もしも歴史に分岐点があるならば、きっと今この瞬間はそうなる可能性を秘めている。誰の腕に飛び込むか。それによってこの先の世界が変わることすらありうるのでは。一夏の頭の中で、そんな直感がガンガンと鳴り響く。

 

 生半可な結論は下せない。箒達に負けない覚悟を持たなければ、誰かの手の中に飛び込んでいくことなどできようはずもない。

 籠は今も止まらずどんどん高度を下げている。悩んでいられる時間は、長くない。

 溢れる冷や汗と集中する期待の視線が辛い。

 助けを求めて実況席に目を転じれば、さっきからテンションの高い実況で盛り上げていた先輩すら固唾を飲んで見守り、楯無も、そして何よりこれまでどんなピンチであろうとも必ずネタを挟むことに心血を注いでいた真宏が、10年以上の付き合いの中常にそうあった真宏までもが、茶化すことなく割と真剣な目で一夏の選択を見守っている。

 

(……俺、今日死ぬのか?)

 

 その時の一夏の心境は、たとえ同盟国が戦争を起こしてもアニメを放送し、地震が起きても旅行番組を中断させない不動のテレビ局が緊急特番を流したときのそれに近い。あの真宏の様子からして、今日が自分の命日か。天が裂け大地が割れるのか。錯乱した脳裏に一瞬、かなり本気でそんな懸念がよぎる。

 一夏の正面に集う箒達の様子はさながらブーケトスを待つ少女のようで、一夏としては自分自身がブーケ役という点に妙に納得がいかない。

 

 そして一夏は、結論を下す。

 箒達の本気の度合い。しつらえられたこの舞台は証人も多く、一度下した決断を翻すことなどできはすまい。加えてタイムリミットの短さ。籠がデッドラインを割るのはもうほんの数秒先の未来に待ち構えている。

 しかし。

 そんな箒達に対して、一夏の覚悟のほどは。

 

 

「……ええい、ままよ!」

「一夏!?」

 

『なんと織斑くん、誰かを選ばず、とりあえず目を閉じて飛び降りたー!? 意外とヘタレだー!』

 

 いまだ、答えを出すには至らなかった。

 自分では選べない。だから偶然と運に身を任せて飛び降りた。

 一夏は鈍い。人の心の機微を掴めない。それでも箒達の覚悟はひしひしと感じられ、それに応じられるだけの覚悟がまだないことが苦しくて、とてもその場に居続けることなどできなかった。無論、だからと言って飛び降りる必要性はまったくないが。

 

 しかし一夏とて、全くの無責任というわけではない。一度決めたからには貫き通すだけの意思を持ち、このとき自分の行く先にいる誰かに対して覚悟を決めようと思っていた。なんの覚悟なのかは、当人いまだ理解していないが。

 

 

 だがそれでも、運命は残酷で。

 

「……うおわー!?」

「一夏ぁ!?」

『織斑くん、足を滑らせて落ちたー! そして突風ー! 突如巻き起こった突風が織斑くんを押し流す!』

 

 そもそも風船でぷかぷか浮かんでいる籠から飛びだそうとすればバランスを崩すのは当然のこと。その上、神がラブコメの継続を望んでいるとしか思えないタイミングで吹いた強風が、一夏の体を箒達の真逆へと吹き飛ばした。

 

「やばい! 白鐵、悪いけど緊急事態だ。白式を起こして……」

――きゅー、すぴー

「……寝てるぅー!?」

 

 しかもなお悪いことに、さすがにこうなってしまえば力を貸してくれるだろうと見込んでいた白鐵は、白式を寝かしつけるのに夢中になるあまり自分までスリープモードに入ってしまっていた。これでは白式を展開することもできず、白鐵に飛んでもらうこともできない。

 それでいて、重力に捕らわれ落下速度は増すばかり。どこか掴まれそうな木の類も周囲にはなく、今の一夏にできるのは、おとなしく地面に叩き付けられるのを待つことのみだった。

 

(おいちょっと待ってくれよ……! 確かに俺は逃げたけど、こんなところで死ぬわけにはいかないのに!)

 

 箒達は一夏を追ってきてくれている。だが驚き、遅れた初動は取り戻しがたく、一夏の体はもうあと地面まで1mもなく、伸ばした手は届かない。だが、仮にその手が届いたとして。一夏は一体誰の手を掴めばいいのか、自分の心に決着をつけられていない。

 

 その迷いは、間違ったことではない。

 迷うことすらできなかったほどの鈍感野郎が、わずかなりと前進した証拠なのだから。しかし現実は残酷で、迷いながらでも一歩ずつ進んでいく猶予が今はない。一夏自身の力では生き延びることが難しく、箒達の手も届かない。であるならば。その体が落す影が地上に濃く刻まれるほどに地面へ迫った一夏を救い上げるのは。

 

「――一夏くん、大丈夫!?」

「あ……楯無、さん」

 

 思いの強さで引けを取らない、また別の誰かだけだ。

 

 

 地面へ激突寸前だった一夏を救ったのは、楯無。実況席からISを緊急展開し、机もテントも吹き飛ばしてイグニッションブーストで駆け付けた。目いっぱい慌てながらも冷静に実力を発揮する手腕はさすが国家代表のそれ。色々思考からすっ飛んでいたので、一番近くにいた真宏が余波を食らってテントの残骸に埋もれていたりもするのだが。しかし真宏はこういう時はいつもそういう役回りなので、慌てて助けに飛んでいく簪以外に気付く者はいない。

 

 いまの世界の中心は、一夏と楯無。当然のようにお姫様抱っこをされている一夏を、楯無は心配そうな顔で覗き込んでいる。

 唇は震え、一夏の体を抱き留める力は強い。もしも自分が間に合っていなかったら、という恐れを抱いていたことがISの装甲を通しても伝わってくる。それでも一夏はゆっくりと地上に下ろされ、揺るがない大地の感触にようやく生きている実感を得る。

 だから、一夏はまだ心配そうな顔でこちらを見ている楯無に、笑みを向ける。

 

「そんなに心配しないでください。おかげで助かりましたから」

「でも、私がこんな競技を考えたから……」

「ちゃんと助けてくれたんだからいいじゃないですか。ね?」

 

 責任を感じている楯無を励ますように手を取り感謝を伝える。確かに楯無の悪ノリで死にかけたのは事実だが、無茶をしたのは一夏自身でしかなく、助けてくれたのもまた楯無だ。少なくとも一夏の中では、事情を差し引きしても感謝しか残らない。だから、ただ自分の気持ちを素直に伝えることだけが、今の一夏にできることだ。そうすることで、楯無が少しでも笑顔を取り戻してくれたらうれしい、と。その気持ちは、きっと伝わっているだろう。徐々に赤くなっていく楯無の顔を見ながら、一夏は確信する。

 

 

 そして、こちらが片付いたのならばつけなければならない決着がもう一つ。

 

「……ところで、この競技の勝者は一体誰になるのだ?」

「えーと、勝利条件を満たしたのは更識楯無さんですね」

 

「なん……だと……!?」

 

 箒の疑問に答えるは、山田真耶。ラウラの驚愕の声が、静まり返ったグラウンドにはっきりと響く。

 ちなみに真耶は当たり前のように生徒たちと同じノースリーブにブルマの体操服姿で、童顔のためギリギリセーフに見えなくもないが、豊満な体型もあって一夏としては目に毒だった。

 

「えーと、この競技の獲得点数は……1億点ですか。ってことはぶっちぎりの優勝ですね、楯無ちゃん、おめでとうございます!」

「え、あ……ちょっと待ってください! 私はそもそも参加者じゃ……!」

 

 一方、得点の集計結果を告げるのはワカ。これまた体操服姿の。こちらは体型からして中学生レベルなので本気で違和感が全くない。

 楯無は抗議の声を上げるが、にぱーっと笑うワカの言葉は既に事実として受け止められつつある気配がある。慌てて振り返れば、箒達が自分を見る目が白い。視線には、一夏を助けたことへの感謝と、美味しいところを持って行ったことへの不満が同量程度。そして「またこうなるのか……」という諦めがその倍くらい含まれている。

 

「ち、違うのよ! 私は別にこうなることを狙っていたんじゃなくて、一夏くんが危ないから必死で……!」

「ええ、それはわかります。一夏の危機なら何を置いても助けたでしょう。誰だってそーします。私達だってそーします」

「一夏さんが無事ならそれでいいですわ。……でも、ですわ」

「結局、こうなるのよねー。私らの覚悟返せっつの」

「あはは……まあ、一夏はまだ決心がついてなかったみたいだし、ちょうどよかったの……かな?」

「結果だけ見れば、な。悔いがないわけではない」

 

 同じく降り立った箒達から次々にぽんぽんと肩を叩かれる楯無。その時彼女たちの間にあったのは、まぎれもないシンパシー。一夏に惚れてしまえばその恋は一筋縄では実らないという共感が優しかった。そしてちょびっと痛かった。

 

「……違うのにっ!」

 

「認めたくないもんですね、若さゆえの過ちというのは」

「真宏、言ってる場合じゃないから保健室行こ?」

 

 一方真宏は、ようやく簪にほじくり出されて保健室に連れて行かれていた。それでもなおネタを吐かずにはいられない体質は、おそらく生涯治るものではあるまい。

 

 

◇◆◇

 

 

「昨日はお疲れ様、真宏」

「簪こそ。残念だったな、優勝できなくて」

「うん。でも楽しかったよ」

 

 体育祭翌日。休日に体育祭をやった余波で休みとなったこの日、俺は簪と二人でのお茶会を催していた。デートはさておきIS学園内での軽いおしゃべり程度の場合、楯無さんも混ぜないと大抵拗ねられるのだが、今日だけは別だ。

 なにせ昨日の体育祭の決着がなんだかんだで楯無さん勝利となり、悶々としているだろうところに一夏が訪ねてみると言っていたので、ここは二人きりの時間を邪魔しないほうが親切だろう。

 

「それより楯無さんのミステリアス・レイディは大丈夫なのか? ただでさえ修復終わってないところで緊急展開なんかしてたみたいだけど」

「平気だって言ってたよ。昨日、ワカちゃんが体育祭の資材と一緒にロシアから予備パーツと新しいパッケージを持ってきてくれたって言ってたから、今日の内には復活すると思う」

「それで今日もちょこちょこ蔵王の人たちを見るのか。……修復にかこつけて変な改造されないようにするのが大変だろうな」

 

 ここは食堂のカフェテラス。吹く風は少し冷たいが、天気は空の青と雲の白が鮮やかな秋晴れ。温かいコーヒーが実に美味い。

 

「……ふふ。体育祭の最後、面白かったね」

「あー、アレな。妥当な反応ではあるよ、うん」

 

 カップに口をつけた簪がくすりと笑う。話題になるのは、昨日終えたばかりの大文化体育祭。一夏との同室権その他を賭けた事実上のラブコメ最終決戦は、最後の最後で有耶無耶になってしまった感はあるが、それでも一応何事もなく終えることができた。……そう、「終えることができた」わけで。

 

 

◇◆◇

 

 

「それでは、これにて大文化体育祭を終了する。一同、解散!」

『……』

 

 ちょっと錯乱して一時的に使い物にならなくなっている楯無さんは放っておいて、千冬さんが閉会の言葉を述べた。実に堂々とした様子での声はマイクなど必要ないのではないかという勢いでIS学園中に響き渡り、自分の弟を巡る戦いの終幕を告げる。

 対するIS学園生は、無言。一糸乱れぬ整列と私語一つない様子はさすが……といいたいところなのだが、実のところこの時誰も何一つしゃべらないのは別の理由でしかなく。

 

『ええええええええええええええええ!?』

 

 グラウンドに整列する少女たちの、驚愕の前に訪れた一瞬の静寂によるものだった。

 大地を揺るがす大音声と、その後もざわざわ止まないざわめき。少女たちはおろおろと辺りをうろつき、不安げな顔で空を見渡し、近くの友人たちと手を取り合って励まし合う。その顔に張り付いているのは一様に、恐怖。まるで、約束された天変地異が今すぐにも起こるとでもいうかのように。

 

「むっ!? な、なんだ一体?」

「おかしいですよ、織斑先生! だって、だって……!」

 

 生徒の一人は、困惑する千冬さんに叫ぶ。その目には涙が浮かび、プルプル震えているのは恐怖の故か。

 

 この時、千冬さんは事態がよくわかっていないようだったが、俺にはわかる。俺もまた、大多数の生徒たちと同じ思いを共有していた。

 何せ、今日は大文化体育祭。生徒一同が集まって繰り広げるイベントの日。

 ……そう、IS学園で開催されるイベントだったわけで。

 

「IS学園の行事が! 誰かに襲撃されもせず、中止もされないなんて! そんなオカルトありえません!!」

 

 血を吐くようなその叫びが、今年度のIS学園のありようを何より雄弁に表していた。

 

「……学園の警備体制を本格的に見直す必要があるな」

「手伝います、織斑先生。生徒たちが襲撃をあって当然みたいに思うなんてさすがにひどすぎです……」

「それ、いいですねー。せっかくですし、蔵王製のレーダーとか拠点防衛用の火器とか導入しません? お安くしておきますよ。設備更新おいしいです。」

「使ったが最後周囲の地形が変わるから、いらん」

 

 そして千冬さん達教師陣の間では、いい加減本格的にIS学園の、特にイベント時の警備体制を見直す必要があるという意見が満場一致を見たとのことだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「正直俺もびっくりした。束さんが正体隠して来ただけで、本当に中止されなかったし」

「これが普通のはずなんだけどね……今年は本当に、ごたごたが多くて大変」

 

 ふう、とコーヒーの香りのため息を吐く俺達二人。体育祭における唯一の事件である束さんの乱入はネタの範疇に収まっていたし、確かにこれこそ本来あるべき平和なイベントの姿だろう。おかげで、決着がぐだぐだだったことも含めてみんな楽しんでくれていたようだし、実にありがたい。願わくは、これからもこうあり続けたいものだ。俺は心底そう思う。

 

 だが、そのためにはただ漫然と学園生活を送るだけでは足りないのだろうとも、思う。

 

 

「ほっほっほ、仲の良いカップルですね。わしとばーさんの若いころを思い出しますわい」

「あれ、轡木さん。こんなところで何してるんです」

「こんにちは、用務員さん」

 

 のんびりとお茶を楽しんでいた俺達に声をかけてくる生徒はそれなりにいるが、教職員となるとさすがに少ない。俺と簪は、一応公の場では節度を保ったお付き合いをしているから、野暮につついたり小言を言ったりすることはせず、大目に見てくれているのだと思う。

 だからこうして、普段はIS学園の中をうろうろして掃除とかしている用務員、轡木十蔵さんが話に入ってくることなんて前代未聞だ。というか、これまで挨拶くらいはしてもまともに話したことすらない。

 そして、そういう理由とは別のところで俺は少し緊張する。この人は用務員と言うことになっているが、その実態はIS学園の学園長。普通に作業服姿なので農作業中のじーさんに見えなくもないのだが、裏からIS学園を率いている以上、この人もまた一筋縄じゃいかないはずだ。それを俺が知っていることをバラすわけにはいかないけど。

 

「いやいや、お邪魔をして申し訳ない。あまりにも仲睦まじい様子だったもので、つい。きみが更識くんの妹さんですかね。お姉さんに似て美人ですな」

「えっ、そ……そう、ですか? えへへ」

 

 まるで孫を見るような目で、しれっと簪を褒める轡木さん。簪はまんざらでもなさそうにしてるし、つい先日思いっきり近くで見つめ合ったときに俺も思ったことだけどあっさり言ってのけるあたり、やはり只者ではない。いまでこそ褒め言葉にはなるが、もし数ヶ月前の簪にこんなセリフを口走っていれば、それこそ即引きこもりまっしぐらコースのコンプレックス直撃弾になっていただろうが。

 そのあたり、偶然いいタイミングになっただけなのかそれとも年の功で見抜いていたのか。俺の勘では、後者だろうと答えが出た。

 

「そして君は、織斑くんとはまた違う方向で行く末を楽しみにしてますよ。……ああ、本当に楽しみだ」

「そりゃどうも……?」

 

 そして俺に対しては、ご覧の通りのコメントときた。世界で二番目の男性IS操縦者として、色々な形での期待や興味を寄せられるのはここのところ大分慣れてきてもいるのだが、なんだかこの人の視線はこそばゆい。昔俺を育ててくれていたのがじーちゃんだったせいなのか。

 はたまたこの人が俺を見る目が懐かしい物でも見るような色を帯びているように思えるからか。それは、さすがに少し考えすぎだろうか。

 

「さておき、昨日はすごかったですね。特にあの空中騎馬戦。まさかISで昔の戦闘機のような機動が見られるとは思いませなんだ。篠ノ之のお嬢ちゃんのやった左ひねり込みなんて、目頭が熱くなりましたよ。実は私は若いころ、本物の左ひねり込みを見たことがあるんです。こう……天に向かって飛んだ頂点で滑るようにひねり込む。美しいものでした……」

「そんな、子供のころにウルトラの父を見たことがある、みたく言われても」

 

 単純に、人生経験が豊富だからいろいろと思うところがあるだけかもしれない。しれっと大戦期に現役パイロットだったことを匂わせてるし。もちろん言ってることが事実とは限らず、年寄りの妄言の可能性も捨てきれないけど。

 

「……いやはや、いけませんね。年を取るとどうも薀蓄ばかり話したくなってしまって」

「お気になさらず。なかなか面白い話が聞けそうだってワクワクしてたところですから」

「私達、ロボだけじゃなくてソラノカケラのほうも好きですから」

 

 とはいえ、どちらにせよ俺達からすれば楽しい話であることに変わりはない。どうせ今日はとくに予定があるわけでもないし、何かいいことを教えてくれるというのなら、それを断る理由もないわけで。

 

「年寄の言葉に耳を傾けてくれるとは、ありがたいことです。それでは薀蓄ついでにもう一つ……楯無、という言葉の意味を知っていますかな?」

「……!」

 

 ……だから、謹んで聞かせてもらうことにしよう。簪と一瞬だけ目を合わせ、俺達はそう決めた。

 

 

「由来となっているものは、鎧です。源氏由来のものと武田家由来のものがあるといいます。源氏のものは楯が無くとも構わないほどの堅牢さを誇ったことから名がついたとされ、武田家のものは始祖の代より家宝として伝えられ、この鎧に対して誓いを立てたことは決して違えないとされたものだとか」

 

 楯無という名の意味。俺達にとっては簪の姉、IS学園生徒会長、更識家の当主にしてロシアの国家代表である楯無さんをこそ指す名なのだが、轡木さんはあえてその元になっただろう物について語っている。その言葉によれば、楯無の意味するところは「守護」と「誓い」であるという。

 

「だから、思うのですよ。もしも人の身でその名を名乗るのであれば、そこには一体いかなる決意が込められているのか、と」

「……」

 

 簪は、無言。

 更識家の娘として、当主の重責と継ぐ名の重さについてはよく知っているだろう。俺のような部外者では想像の及ぶところではない、対暗部用暗部の使命をその身に帯びて、楯無さんが今日まで若い身空を責務に捧げてきたことも、今の簪なら素直に認められるはずだ。

 そして、その名が持つ意味。IS学園の生徒会長という立場。日本人に生まれながらロシアのIS国家代表となり、裏切り者の、売国奴の名を受けてもなお俺達を守るために胡散臭い笑顔を浮かべるあの人と、不思議なくらいぴったり重なった。

 

「……すみません、話し過ぎましたね。ただ、最後にもう一つ。実は今日、IS学園近海で不審な船の影が目撃されているそうです。海岸からの距離は数十キロ。水平線の彼方なので陸地からではどうやっても見えませんが、艦影を調べたところ空母のようです。ですが、不思議なことに世界中のあらゆる海軍に所属する全ての艦船と照合しても一致する物がありません」

 

 日本近海で、ましてやIS学園の近くで怪しい船をうろうろさせるガッツがあり、ましてや空母を丸ごとひとつ記録から隠し通すほどのゴージャスなお国。高校生の浅い軍事知識で浮かぶそんなことができそうな国はそう多くなく、奇遇なことに候補の一つは、つい先日IS学園へお忍びで遊びに来てくれたばかりだ。

 また悪巧みしてるのか、アメリカ。簪と同じタイミングで溜息を吐いたのは、きっと考えていることも同じだからだろう。

 

「……行くか、簪」

「うん。用務員さん、お話ありがとうございました」

「なあに、こちらこそ。若者と過ごす時間は長生きの何よりの薬ですよ」

 

 俺と簪は揃って立ち上がる。轡木さんにお礼を言って、まずは整備室へ。件の空母とやらのいる場所は簪に調べてもらえばすぐにわかるだろうが、なにせ急なお出かけだからそれ以外にも準備がいる。

 きっと、楯無さんがいるだろうところへ。一見完璧なようで割と、特に一夏関係だと抜けたところもあるあの人に、ただ守られているだけなんていうのは趣味じゃないから。助けられたら、その分助け返す。俺達はそういう関係の方がいい。

 

 そんなそぶりは俺も簪も見せないままに決意した向かう先は、IS学園から彼方の洋上、存在を抹消された空母の一隻。そこで待つのは鬼か、蛇か。

 

 

「……空飛んで電撃ばりばりぶっ放す鬼がいる可能性が濃厚な気がするのはなんでだろうな?」

「耐電装備、用意しておいたほうがいいかも」

 

 何故か、ピロロロロという謎のSEを引き連れさせながら空中を舞う虎柄ビキニの鬼が待ち受けてるような予感がガンガンしているのだが、とりあえず俺達は自分達のISと楯無さんへの「お土産」を用意しに、整備室へ向かうのだった。


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