おそらく国立! IS学園!!!
篠ノ之束博士が開発し、世界の軍事状況を一変させたマルチフォームスーツ、インフィニット・ストラトス通称ISの操縦者を育成するための学園である。
ISを操縦できるのは女性のみという制限のため、各国の才女淑女が集まる国際色と謀略の匂いが豊かな、全世界的にも中立を約束されたこの学園。しかしいま、可憐な乙女が花と咲くこの学園には、嵐が渦巻いている。
そう、世界初の男性IS操縦者、織斑一夏の存在のために!
ISの世界大会モンド・グロッソ初代総合優勝者、ブリュンヒルデの称号を受けた織斑千冬の弟にしてイケメン。彼を得ようとあるいは特にそういう打算なくお近づきになろうと考える女子は、集めれば山となるほどうず高く積もること疑いなし。
そして、そんな織斑一夏をめぐり恋の鞘当てを繰り広げる女生徒たちの中でも、渦中にあるのが5人の少女。
一夏第一の幼馴染にして、篠ノ之博士の妹。スタイル抜群大和撫子。剣術の腕は中学時代に全国制覇。篠ノ之箒!
英国貴族とは豪奢で瀟洒。初手から一夏と決闘沙汰となるも、その後のメロメロっぷりは誰もが知ろう、セシリア・オルコット!
幼馴染が幼少期からの付き合いだと誰が決めた。多感な中学時代を共に過ごしたツインテールは伊達ではない。近所の中華料理屋の娘改め中国代表候補性、凰鈴音!
えっ、親友が実は女の子だった!? あざとい展開とはこういうことを言うのだよ。フランス生まれに不可能はない。王子様役もお姫様役も思うがまま、シャルロット・デュノア!
私は戦うことしか知らないから。そんな風味も今は昔。戦うことと部下に吹き込まれた余計なことしか知らない、無知か無垢か妖精か。ドイツ軍人、ラウラ・ボーデヴィッヒ!
いずれ劣らぬ美少女揃い。彼女らの心はしかしたった一人の男に捧げられている。
そう、その通り。織斑一夏!
三国一の果報者はしかし、その想いに応えない! というか気付かない!
イケメンぶりなら学園一。しかし鈍感ぶりなら世界一。数々のアプローチを笑ってスルーし聞き逃し、折れたフラグの屍山血河はもはや誰もが目を覆うほどの惨状だ。
金城鉄壁なる鈍感。
そしてなんだかんだでいまだ年若く、人生経験が足りず、結果恋愛クソザコの宿命を背負った少女たちの織り成す青春模様は、なんかもうこんがらがりまくってどうしようもなくなっていた……。
「どうすれば、どうすればいい……!」
「一夏さんに、振り向いてもらうには……」
「もう、どうしろってのよ」
「まっすぐ告白……? ううん、それでもダメだったよね」
「ならば、残る手立ては……」
ヒロインズ5人、それぞれが別の場所で同じ悩みに頭を抱え、答えの出ない迷宮入り不可避とさえ思われた。
「未知」。
未だ知らぬもの。それに対して冒険のロマンを感じるバカもいるが、人は本能的に恐怖を感じる。とある作家は未知なるものに対する恐怖、すなわち
少女たちは、恐れている。
一夏の心の内がわからないことを。
箒は、セシリアは、鈴は、シャルロットは、ラウラは、一夏のことが好きだ。そこに一片の迷いもない。容姿その他諸々に自信もある。ナンパの類をされた経験とて枚挙にいとまがない。
だがそれでも、勇気をもって一夏に告白したとして、それが受け入れられるかどうか。
少女たちは自分に自信を持っていることと同じだけ、魅力的な他の少女が一夏の周りにあふれていることも知っている。もし一夏の心がほかの少女たちの方に寄っていたら、結果はどうなるかわからない。
90%の的中率なら外れて当然。99%でようやく五分、というのはもはや常識。必中あるいはひらめきなしに、絶対の確信など抱けない。
だからこその停滞。
だからこその臆病。
100%の信頼がなければ、神がダイスを振ってしまえば、今の幸せさえなくなってしまうかもしれないという恐怖。決して振り払えるものではない。
しかしそれはつまり。
「100%の自信があるのなら」話は別で。
「……待て、よ?」
「告白しても、それを聞き届けていただけないなら……」
「『こっちからの』告白じゃなかったら……?」
「もしも、『一夏自身が』私に告白する気になってくれたら」
「今度こそ、一夏は私の嫁に……!」
シンクロニシティ。
きっと誰かがそう呼ぶだろう。世界中のニトログリセリンがある日一斉に結晶化したようなしなかったような現象と同じように、ヒロインズも場所は違えど同時に「答え」にたどり着く。
少女たちは気付いた。告白しても思いが届かないのならば、「告白させれば」いい。
魅了し、誘い、一夏自身に気付かせる。目の前にいる少女がどれほど美しく、一夏を想い、その心を捧げようとしているのか。
それこそが難攻不落のあの男の心を陥落させうる、最後の手段。
「一夏が告白を受けてくれる可能性」は確かに不明だが、「一夏が告白してきたときに自身が受け入れる可能性」は、疑いの余地なく100%なのだから。
彼女らは思った。自分は天才ではないかと。
……いや、割と身近に天災がいるのでそれは避けて、しかしこと恋愛面においては天才ではないかと。
そう。
箒は、セシリアは、鈴は、シャルロットは、ラウラは決めた。
あらゆる知略謀略策略力技を駆使して、必ずや一夏の心を射止め、愛の告白をさせてやる、と。
この日この時をもって、恋愛戦略はコペルニクス的転換の時を迎えた。
言うなれば、まさに。
ヒロインズは告らせたい
なお。
「……む!」
「真宏? どうしたの、紅茶なんて出して」
「うん、セシリアからもらったすっごくいい葉でね。……多分、明日辺りこの上なく美味く飲める気がするんだ」
同時刻。
一夏たちの友人にして二人目の男性IS操縦者である神上真宏は、愉悦を茶菓子に優雅な紅茶を嗜めそうな気がして、いそいそと準備をしていたという。
◇◆◇
「すまないな、一夏。朝早くに呼び出してしまった」
「箒の頼みならいいさ。それに、こうやって朝稽古ってのも久々で楽しみだし」
早朝! 始業前の剣道場にたたずむ一夏と箒!
広い板張りの床に張り詰める朝の冷たく静謐な空気。特別な約束が作り出した幼馴染二人きりの空間に、道着姿の男女が並ぶ。
箒は、一夏を剣道の朝稽古に誘った。
ISの操縦においても疎かにできない剣術の研鑽。
幼少期、まだ一夏が篠ノ之道場に通っていたころを思い出す懐かしさと、互いに成長した実力を知るという真剣さが甘く、しかしピリリと肌を走る。
準備運動で体をほぐし、道場の中央で向かい合い、互いに正眼に構えた竹刀の切っ先を向け、気息を図る。
稽古と言えども真剣勝負の神聖な一瞬。
ではない。
「せっかくだ、一夏。真剣に試合うためにも――勝った方が、なんでも言うことを聞かせられる、というのはどうだ」
「……えっ?」
罠!
そう、これは箒の仕掛けた罠である!
邪魔の入らない空間を用意し、一夏をそこへ誘い込み、そこでこう言う。
相手はいかに鈍感楽観朴念仁とはいえ、健康な男子。成長著しい箒の肉体を、あえて少し緩めに着つけた道着姿を前にして情動を揺さぶられないはずもなく、稽古の高ぶりなどなど合わさればもはや理性など頸木にもならない! 燃え盛るパトスとパッションがファイヤーしてゴールイン! それが箒の作戦である!
……さすが篠ノ之束の妹、と誰もが思うだろう計算高さであった。
そして篠ノ之姉妹双方の知り合いである神上真宏であれば、「この二人やっぱ姉妹だなー」とニヤニヤしながら茶をすする。
「隙あり!」
「うわっ!? くそ、負けるか!」
悩む暇など与えない。一夏と箒。二人の関係は剣戟の中でこそ育まれてきた。
今も、昔も。それを生かして二人だけの時間を、剣だけが切り取る世界の中へ。
そして、さすがにそろそろ朝稽古を切り上げなければならないという時間になり。
「はぁっ、はぁっ……やるな、一夏!」
「ぜーっ、ぜーっ、箒……こそ」
道場の硬くひんやりした板張りの床に、二人そろって大の字になっている二人の姿が!
全身汗まみれ、どれほど激しい稽古であったかはそれを見るだけで誰もが察しよう。充実した時間は永遠にも一瞬にも思えるほどに尊く濃密であり。
最初の約束を二人の脳裏からすっ飛ばすのに、5分とかからなかった!!!
「………………………………あっ」
なお、朝食直前になってそのことを思い出した箒は、朝稽古で腹が減ったせいで大盛りで頼んだ朝食セットを前に、すさまじい虚しさと自己嫌悪に苛まれつつ米をしこたま腹に詰めることになるのだった。
IS学園学生寮の食堂は料理がおいしいことで有名だが、この日はちょっとだけしょっぱかったという。
◇◆◇
「朝から茶がうめえ」
そんな様を見て、愉悦に浸りながら緑茶の渋さを堪能する男が一人いたことに、箒は気付くはずもない。
篠ノ之箒の勝敗:敗北。剣に生きすぎたため。
◇◆◇
「一夏さん、よろしければ朝食をご一緒しませんか?」
セシリア・オルコット。
専用機、ブルー・ティアーズを任される英国代表候補性にして貴族。楚々とした立ち居振る舞いは歴史と高貴、そしてそれらに裏打ちされた気高い誇りを感じさせる美少女である。
そんなセシリアから食事を共にしようと誘われて、断れる男がいるだろうか。
「ああ、いいんじゃないかな」
いるはずがない!
ましてや一夏はその辺特に気にしない男。当たり前のような顔で受けて立つ。
「ありがとうございます、一夏さん。――チェルシー」
「はい、お嬢様」
しかし! 一歩踏み入れたそこはすでにセシリアのテリトリー!
一夏はスルーしつつあるが、食堂内の一角に許可を得て設えた英国式朝食スペース! さりげなくテーブルも椅子もオルコット家御用達の高級品に替えられ、テーブルクロスは清潔純白。普段はIS学園の食堂にないメニューを独自に用意した、他の誰にも真似できないセシリアならではの武器である!
これより始まるのはイギリスの誇り。しかも本家正統メイドの給仕。年上の女性に弱いところのある一夏がチェルシーの存在にちょっとドキドキしている隙にセシリア・オルコットの存在を叩き込む、これはそのための布石なのだ!
「今日は、一夏さんにぜひ我が国の朝食を味わっていただきたくてご用意いたしましたの。楽しんでいただければ何よりですわ。まずは紅茶をどうぞ。淹れて差し上げますわね」
「そ、そうなのか……。うん、楽しみだな」
セシリア手ずから淹れた紅茶を味わうという光栄に浸りながらも、割といつも通りな様子の一夏。
呑気なその顔をわずかに憎らしく、しかしときめきながら見つめるセシリアの眼差しは、熱い。
なあに、焦ることはない勝負は始まったばかり。これから来る怒涛の英国面の力、とくと思い知るがいい。
かつてある人物が言った。
「イギリスで美味しい食事がしたければ、1日に3回朝食を取ればいい」。
ここで言う「朝食」とはフル・ブレックファーストのことを指し、実は少々量が多い。
しかし、供する相手が健康な男子であり、IS学園の専用機持ちとして日々鍛錬にいそしむ一夏であればむしろ望むところのハズ。存分に腹を満たしてもらうとしよう。
チェルシーとともに日本式の味、一夏が好むだろう傾向を分析して作り上げた対一夏用イングリッシュ・ブレックファースト。その威力たるや。
「んー! 美味いな、これ。トーストに、卵に、ソーセージとか、洋風朝食の王道って感じで!」
「まあ、嬉しいですわ。ささ、もっとどうぞ」
動物性たんぱく質……! ぶっちゃけ肉系……! 高校生男子の腹に何より響くその甘美な響き、朝練の一つもしてきたらしいちょっと汗のにおいがセシリアの胸をドキドキさせる一夏に、肉系をガッツリ備えたメニューが効いた!
男子高校生らしからぬ健康志向な一夏のニーズに応えるため、焼いたトマトに加えてサラダも用意。心憎い気遣いは英国式の朝食に則りつつも細部に及んで隙がない!
健啖を発揮する姿を見て、セシリアは勝利を確信する。
このまま毎日一生英国式の朝食を食べたいと言ってくることは必定。すなわち、勝利。英国人は恋と戦争ではあらゆる戦術を駆使する、その面目躍如であった。
が。
「……これは、セシリアに謝らないといけないな」
「えっ……? な、なにかお気に召さないことでも!?」
その程度でコロっと行くようなら、一夏はすでに誰かのものとなっている。
「…………………………」
少し申し訳なさそうにはにかむ一夏の表情を見て、セシリアの従者であるチェルシー・ブランケットは「いつから俺が狩られる側だと錯覚していた?」と舌なめずりする様を幻視したという。
「ハハッ、あるある」
後日そのことをセシリアと一夏双方の友人である神上真宏に伝えたところ、めっちゃ共感されたりもして。
「ほら、セシリアと会ったばかりのころ、『世界一まずいメシの覇者』って言ったことがあっただろ? あれ、取り消さないとッて思ってさ」
「…………あの言葉、覚えて……?」
初めて会ったばかりのころ、セシリアは一夏を見下していた。
相手にしていなかった、とすら言える。
今でこそ胸に秘めた大切な思い出ではあるが、それを、一夏もしっかりと覚えていてくれた。
決して良い出会いだったわけではないが、それも含めて、二人の歴史は始まりから今も、消えることなく続いている。
そのことは、とてもとても。
「……うふふ、一夏さんったら」
セシリアの胸を、温かい満足で満たすのだった。
「で、こうやってちょくちょく当初の目的を忘れるくらい満足しちゃうから話が進まないんですよ。あと、紅茶とっても美味しいですチェルシーさん」
「お嬢様……」
なお、それを遠巻きに見ていた真宏の解説に、チェルシーは頬を抑えてため息をついたという。
セシリア・オルコットの勝敗:敗北。ちょろい。
◇◆◇
「いっちかー! ちょっと味見して!」
「なんだいきなり」
凰鈴音は、一夏第二の幼馴染である。
中華料理屋の娘として生まれ、自身も中華鍋を振るうことにかけてはIS学園でも屈指の腕前を誇る料理少女だ。
チャイナドレスを着こなし、ツインテールを靡かせてチャーハンの一つも作ればそこらの男は軒並み彼女に胃も心も捕まれることになるだろう。
「ほらっ、酢豚! 今日のは特に自信作なんだから!」
「なるほど、確かにいい匂いだし、照りもきれいだな」
ただし! 意中の男、織斑一夏を除いて! この男、どれだけ攻めても落ちやしない!
まさしく難攻不落の男である!
しかし!!
「……おー、やっぱり鈴の作る酢豚は美味いな。歯ごたえもしっかり残ってるし、味付けも濃すぎず薄すぎず、絶妙だ」
「で、でしょー? ……えへへ」
壁が厚く堅牢ならば、内から攻めればいい。いかに一夏の精神が鉄壁であろうとも、その胃袋までもが同じであろうか。否。断じて否である。
「昔の約束、だもんねー。きっちり私の料理修行に付き合ってもらうわよ」
「ああ、こんなに美味い思いができるんなら大歓迎だ」
必殺! 「昔の約束」!!
箒に続く幼馴染にして鈴が持つ最大のリード!
かつて約束したそれを一夏は見事に勘違いして覚えていた事実はいまだ鈴の腸をグツグツさせる致命的鈍感であるが、そこは発想を逆転させた。
「一夏が毎日鈴の料理を食べるという約束だと思っているならば、望み通り食べさせてやる」。
そう、すなわち毎日手料理を食べさせ、餌付けし、いずれ鈴の料理なしではいられない体へと作り変える口実となるのだ!! そのことに、つい最近気が付いた!!!
中華料理は医食同源。
日々味と健康の両立した料理を味わい続けた一夏はやがて、鈴の手料理しか受け付けない体となり、二人は必然の結果として結ばれる。
完璧。一片の瑕疵もない、もはや確定した未来とさえいえるような計画に、鈴は自分が諸葛孔明の生まれ変わりではないかという気さえする。ほら、最近の日本だと歴史に名を遺した人物の女体化とかデフォだし。昔はあかいあくまが孔明枠だったし。
――ただ一つ、誤算があるとするならば。
「ところで、鈴」
「なあに、一夏?」
鞄の中から一夏が取り出した容器。鈴が持ってきたのとよく似たそれは、当然食品を持ち運ぶためのものであり。
「お返しに、俺も料理作ってきたんだ。味、見てくれるか?」
「えっ」
一夏自身の料理の腕を、計算に入れていなかったことで。
「ほら、あーん」
「あ、あー……んっ」
メニューは唐揚げ。スパイスが効いた中華風の味付けであることは冷めても漂う香りからも明らかで、立てた歯に抗わずさくりと割れる衣、溢れる肉汁、それと調和して絶妙の加減となるよう整えられた下味、ハーブ、香辛料。
まあその辺全部ひっくるめて一言にまとめると。
「……負けたっ!」
「ぃよし! 勝った!」
高校生らしからぬ料理の腕は、鈴だけのものではない。幼少期から愛する姉に美味しいものを食べさせようと腕を磨き、似たような境遇の神上真宏とも無駄に切磋琢磨してきた一夏の料理の腕はぶっちゃけ非凡。男性IS操縦者にしておくのは惜しい、とは彼の手料理を味わったIS学園女子がマジ顔で語った感想である!
鈴とて料理の特訓は積んでいる。積んでいるがいまだ修行中の身。一歩先を行かれているのは紛れもない事実。
……まあ、「一夏からのお返し」と「あーん」のコンボが鈴の心に与えた絶大な悦びもあるにはあるのだが。
それはさておき。
「……美味しかったわ、一夏。また明日ね。ふ、ふふふ……」
「おう、俺もまたお返し用意しておくよ!」
「うんうん、一夏もまた腕を上げたな。唐揚げうめえ」
「カレー塩もつけてくれるなんて、気が利くね」
事前におすそ分けをもらっていた真宏とご相伴にあずかる簪は授業前のから揚げをキメながら、鈴の酢豚も食べてみたいなー、などと思っていたという。
凰鈴音の勝敗:敗北。料理の道は険しい。
◇◆◇
さらりと靡く金髪は丁寧に編んでまとめて、女子力の翻るスカートは短めに。
タイツの類は履かず、自身のカラダの実力だけで勝負するのがシャルロットのスタイル。
「ねえ、一夏。ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「ああ、もちろんいいぞシャル」
休み時間の雑然とした教室。シャルロット・デュノアは、胸に秘めた絶大な決意をおくびにも出さず、かわいさ全開で一夏に声をかけた。なお、その辺の仕草とか表情とかは意図して作っているわけではなく、無意識である。まさにあざとい。
そして、放つ。
「僕と、付き合ってくれない?」
その瞬間、IS学園1年1組の教室に電流走る!
なんたること! 衆人環視の中での告白など、ラウラが似たようなことをやったとはいえまさか今になって、シャルロットがするなど誰もが予想外! 普段であればその手の気配を察知するやインターセプトに入る他のヒロインズ、誰も動けない!!
しかし、相手は一夏である。
「いいぞ。買い物だろ?」
世が世なら、死刑を宣告されてもおかしくない残酷さなまでの鈍感さ。これこそが、粘膜的な意味でも政治的な意味でも日々数多の女性から狙われ続ける一夏の貞操を今日まで守り抜いた自動防御スキル、『
一夏との会話において、「付き合って」とか「好き」とかその辺の言葉は全て自動的に「買い物」とか「友達として」とかの言葉が追加され、当たり障りのないものへとなり果ててしまう。そのあまりのアレっぷりに勇気をくじかれ心を折られた乙女はもはや数える気にもならぬほど。
シャルロットもまた、一世一代の告白をこんな風に扱われてしまうなど、と同情の眼差しが寄せられる……そんな中! しかしシャルロットは動じない!!
「うん、そう。服を見に行きたいから、一夏の意見も聞きたいなって」
「お安い御用だ」
ある意味、シャルロットが告白まがいのことを口走った時以上の動揺が教室を揺らす。
なんと、一夏がいつもやらかす勘違いに動じず、そこからさらに言われた通り二人で買い物、すなわち事実上デートの約束を取り付けた!
その手があったか、と臍を噛むIS学園女子。しかし一世一代の覚悟すら秘めなければ吐けない言葉をかわされて、それでなお食い下がるなど生半可な乙女には実行できない。まさに、二の太刀三の太刀を備えた上で肉を切らせて骨を断つがごとき、もはや修羅の所業である。
(勝った……! 一夏とのデートはもう何回か行ってるし、男の子なんだからそろそろ段階を進めて、も、ももももしかしたらデートの終わりごろにキス、とか……きゃー♪)
最近読んだティーン向け雑誌の内容を鵜呑みにして皮算用に忙しい少女、シャルロット・デュノア。交際がいい感じに進んだらさりげなく男の目に付くところに結婚情報誌とか置いておく系女子である。
勝利の道筋は決まったも同然。デートとなればクラスメートや教師の目を気にすることなく、さらに思い切った手が取れる。牽制の意味も込めて公衆の面前で一夏をデートに誘ってのけ、興奮と羞恥で茹だったシャルロットの脳裏に描かれるデート計画に隙はないような気しかせず、バラ色の未来とピンク色の思考がもんもんと湧き上がり。
「ありがとねっ、一夏!」
「なあに。シャルからの頼みだからな」
――それだけでどうにかなるほど一夏という男は素直ではなく。
「『どんな頼み事だって』喜んで受けるさ」
「っっっっっっっっっ!?!?!?!?!?」
じゃあ、もし。
恋人になって欲しい、と頼んだら。
言え、言ってしまえシャルロット・デュノア。一夏から告白させるなど不確実。今この瞬間の言質と勢いこそが勝利のカギ。
そう叫ぶ内なる声、加速する思考、どんどこ茹だっていく頭と火照る体! そして!!
「シャル!? なんかものすっごく顔赤くなってるけど大丈夫か!?」
「あ、あははははは大丈夫大丈夫なんでもないよそれじゃあね一夏今度の休み楽しみにしてるから!!」
逃げた。
シャルロット・デュノアの勝敗:敗北。一夏の鈍さと安請け合いの破壊力が強すぎる。
「ああいうところで、自爆覚悟で突っ込んでいくことと、たとえダメでもくじけないことが恋愛には絶対必要だって、この前99人の恋人がいるらしいオランダの代表候補生が言ってたんだってさ」
「面白そう。でも、そういう勇気を相手が出してくれるってことも、嬉しいんだよ……?」
「お、おう」
なお、すでに交際している場合はこのように過去の思い出に浸りつつ至近距離で笑いあうなどということもザラである。
彼女らがその領域に辿り着くには、まだまだ遠い。
◇◆◇
「一夏、入っていいか」
「ラウラか? どうぞー」
放課後、自身の部屋に女子が訪れることに違和感を抱かなくなって久しい一夏。青春を過ごす少年としてはいささかときめきが絶版してクライシスな状況でこそあるものの、それは同時に一夏の懐に飛び込みやすい、という少女たちにとってのメリットでもある痛しかゆし。
そんな中、今日一夏の部屋へと訪れたのはドイツの現役軍人でもあるラウラ・ボーデヴィッヒ。鈴といい勝負なほど小柄な体に、月光よりも冴え冴えとした長い銀髪。「人形のよう」という形容が比喩とは言い難いほどに人間的な感情が欠落して見えた転入当初とは異なり、今では一夏にメロメロの立派なヒロインズの一人で。
「すまんが一夏、この服を見てくれ。感想を聞きたい」
「服の感想? ああ、俺でよけれバニーガール!?」
一夏得意のクソ寒ダジャレにすらならないセリフを引きずり出す、野生のバニーガールとしてそこにいた。
「何してんだラウラ!?」
「クラリッサから聞いた。最近日本の海沿いには野生のバニーガールが出没し、一夏のような年代の男にはとても喜ばれているのだと。……どうだ?」
「どうだ、じゃなくて……!」
しっぽもついているぞ、と振り向いて尻を突き出すようなポーズになるラウラに、一夏は割と深刻な頭痛を覚えて頭を抱える。
ラウラという少女は少々特殊な生まれと育ちをしているために、世間一般の常識に疎い面がある。それを補おうという努力はとても尊いものとして一夏も高く評価しているが、情報源がよろしくない。
クリスマスごろの事件でドイツに行ったときに会った、妙なオタク気質を持つ副官のクラリッサ・ハルフォーフと、アレな知識の量はズバ抜けている真宏。この二人から吹き込まれたあれこれを素直に信じてしまうのがラウラのいいところでもあり、直して欲しいところでもあるのだった。
しかし。
「む。何か間違えてしまったのか? ――なら、一夏が教えてくれないだろうか。私は、どんな服を着ればいい? 一夏に、喜んでもらえる?」
嘘である!
この女、一夏が顔を背けているのをいいことにこっそりとほくそ笑む、「全てわかったうえでの仕込み」を仕掛けている!
全てが嘘、というわけではない。
「クラリッサからバニーガールを勧められたこと」は紛れもない事実。だがそれが突飛に過ぎるものであることも含めて聞かされ、ラウラも知っている。そこまでの全てが、今回のラウラの策なのだ。
(ククク、こうして状況を整えれば、必然的に一夏は私の服を選ばなければならない。そう、一夏自身が望む姿に、私をプロデュースする……! その責任は、取ってもらうからな!)
無知シチュ。
あれやこれや、チョメチョメのパヤパヤなことを知らない、純真無垢にして清廉な一輪の花を自らの色と欲望に染める背徳感と、それによって生じる責任感。それは一人の男をおぼれさせるには十分すぎる沼である!
きょとんとニュートラルな表情の小柄なバニーガールが「好きにしてくれ」と迫ってくる。このシチュエーションに耐えられる男はいない! 頼れる部下からの太鼓判に、ラウラは全力で乗っかった。
「副隊長、鼻血が!」「かまわん! 隊長のためならいくらでも血を流す!」という通信の後ろで響く喧騒は、その時すでに一夏とのバラ色の未来を想像するラウラには届いていなかった。隊長思いな部下の尊い犠牲である。
一夏に見繕ってもらいたい、という体でいろいろと服やら小道具やらは用意してきた。今からラウラは一夏のお人形。どんな扱いでも愛で方でも受け入れる覚悟はできていて、あーんなことやこーんなことをされたとしても構わない。むしろ役得。そうなってこそ満願成就。さあ来い。
「……じゃあ、背中を向けてくれ」
「わ、わかった……!」
後ろから、とはクラリッサから聞かされていた選択肢の一つであり、ついに時が来たのだとラウラの胸を鼓動が叩く。
どうされるのだろう。抱きしめられるのか、押し倒されるのか。それともなんかもういきなり……! ラウラの脳裏にR-17くらいの、とてもではないが際どすぎて描写できないような、そしてとても幸せな未来予想が克明に描き出され。
「髪、触るぞ」
「んっ……」
するり、と滑らかなラウラの髪を一夏の指がすくい上げる。それだけでうなじを撫でられるような心地よさを覚えて、ラウラはうっとりと体から力を抜き……。
「よし、できた」
「…………………………………………………………………………へ?」
その間、特に何もなかった!
一夏が髪をいじっていたのはわかる。あまりの気持ちよさにちょっと満足してしまい、ラウラから何のアクションも起こさなかった。が、そのまま終わるなど誰が想像しよう! しかし、これで終わりなのである!!
「い、一夏……? 一体、何を……」
「いやー、服をどうこうってのは正直よくわからないから、ちょっと髪型をな?」
そう、この男、女性のおしゃれな服を選ぶなどという器用なことができる手合いではない!
目の前に現れた野生のバニーガールそっちのけで、その子の髪の毛を梳いてまとめてリボンで留める、乙女のプライドを木っ端微塵に粉砕しかねない野郎なのである!!
「千冬姉、昔はよくポニーテールにしてたんだ。ラウラにも似合うと思ってさ」
「なに!? 教官が!?」
しかし、ラウラは一夏が好きであり、千冬のことが大好きでもあった。
「かつての千冬とおそろい」。これはラウラにとって防御不可能攻撃力極大の特攻攻撃としてぶっ刺さる。当初の目的が消し飛ぶほどに!
「ほら、鏡。うん、やっぱりラウラも髪が長いから綺麗だな」
「おぉ……これが、かつて教官もしていたという髪型……!」
一夏から渡された手鏡の中に、右、左と顔を傾けながら髪型を眺めるラウラ。
丁寧にまとめ上げられた後ろ髪と、その名の通り長く尾を引く一筋の髪束は雲の切れ間から除く日の光よりも荘厳に美しい。
千冬の漆黒とは真逆の色だが、きっとこのようだったに違いない。そう思うだけでラウラの心はぴょんぴょんする。
「ありがとう、一夏!」
「お安い御用さ」
振り向いて一夏に向けるのは満面の笑顔。
今日この日は、ラウラにとって忘れがたい思い出の一日となった。
「………………………………………………………………あ」
いろいろ終わってベッドに入り、一夏を誘惑しようとしていたことをすっかり忘れていたと思い出す、その時までは。
「千冬さん、このころから美人だったけどすげえ怖かったなー。隙を見せたら殺されそうだった」
「確かに、綺麗。でも、今の方が優しそう、かも」
「簪はすごく綺麗でかわいくて優しいからな?」
「……っ」
「抓らないで欲しいなあいてててて」
一方そのころ、なんかもうおなか一杯になりつつあった真宏は自室で簪とアルバムを眺めていたりした。
ラウラ・ボーデヴィッヒの勝敗:敗北。初志貫徹の意思を貫く一夏のジゴロ力。
◇◆◇
「――ふう。いやあ、堪能した。箒たちも着眼点はいいんじゃないかな」
セシリアが、英国貴族としての威信を存分に発揮すべくプレゼントした紅茶の芳香に酔いしれ、また感服しながら、その官能を何倍にも高めてくれる少女たちの奮闘を脳裏で反芻する。
一夏を想うのはいい。怒りではなく誘惑をもって対するようになってきた成長を喜ばしく思う。
だがそれ以上に、当人全く無自覚のまま二手三手先を行く一夏と、それに振り回されるヒロインズの悲喜交々は、ぶっちゃけ見ていて面白い。茶の共としてこの上ない。
酒が飲める年でなくてよかった、と神上真宏は本気で思う。
もしもワインを片手にあれらのあり様を見ていたならば、確実に杯を重ねすぎて二日酔いをかましていただろうから。
ラブコメを最高の特等席で眺める愉悦。それだけできっとどんな極上の美酒より酔えると楽しむこの男。
その感慨に間違いはなく、事実他人の恋愛丁々発止ほど面白いものもそうはなく、この男の超絶上から目線もあながち間違ったものではないのだが。
「ねえ、真宏」
「なんだ、簪?」
ただ、実のところ。
「……もし、私が真宏と出会ったばかりのころ、箒たちみたいに頑張ってたら……真宏は、私を好きになってくれた、かな?」
「……っ」
可愛い彼女と二人きり、極上の紅茶を楽しみながら甘えたような目でこんなことを言われて言葉を失う程度には、「惚れた弱み」という言葉の意味を知っている。
神上真宏。
かつて自分が結果的にとはいえやらかしたIS学園の伝説級な公開告白はいまだ誰の記憶からも消えるに遠い、「好きになった方の負け」という恋愛における絶対のルールにおける敗北者なのである。取り消す余地もないほどに。
神上真宏の勝敗:更識簪に、永遠の、そして幸せな敗北。