妖魔本。
主に妖怪が書いた本の事を示すのだが、その大半が人間には読めない文字で書かれてあるという。天狗の詫び証文とかいう具体例もあるが、その他にも魔導師向けの魔導書、妖怪が書いた古典など、とにかく人外めいた妖気、要素を兼ね備えた本の事を総称して妖魔本と呼ぶらしい。ちょっと前に小鈴が自慢げに語っていたからそれなりには知っているつもりだ。
そんな妖魔本をカウンターの上に並べた小鈴は、その中の一冊を手に取るとぱらぱらと適当な頁を開く。
「倉鬼。一応聞いておくけど、貴方にはこの文字が読める?」
「読めないな。まぁ僕は半妖と言ってもほとんど人間と同じ暮らしをしてきたし、妖怪の文字なんて学ぶ機会は皆無だったからな。読めるわけがない」
「使えない半妖ね」
「記憶力しか能のないちびっこも読めないんだから同じだろ」
本を開いて見せられるが、中に書かれてある文字を読み解くことはできそうにない。そもそも規則性さえ掴めないのだから至極当然ではあるのだが。人間社会で暮らしてきたはずの妖怪が自分達専用の文字を持っていることにも驚きであるけれど、どうせなら遺伝や相伝といった形で代々引き継いでくれれば便利なのになぁとは思う。
そしてそして、毎度のことながらいちいち噛みついてくるあっきゅんも妖魔本を読むことはできないようで、編纂者としては悔しいのか何やら苦虫を噛み潰したような、僕的には非常に清々しい表情で妖魔本を睨みつけている。ざまぁみろ。痛い。殴られた。
僕達が読めないことを確認した小鈴はどこか嬉しそうに、それでいて何かを期待するような顔で文字列の一つを指で示すと、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「『はぁ、あれあれ。今日も私の主人は我儘で横暴で粗暴で、世話が焼けることこの上ない。そのうえいちいち注文が多いわけだから、仕事が溜まってしまっててんてこまいだ。はぁ、どうして白面金毛九尾の私がこんな古いだけの妖怪の下でせかせか働かないといけないのか。理解に苦しむ』」
「……小鈴、アンタまさか」
「これはとある妖怪が書き記した日記みたいね。内容の大半は主人に対する愚痴で構成されているわ」
「だいたい予想はしていたが、まさかお前に発現した能力というのは」
「ご明察。【人には読めない文字が読める程度の能力】が、私の得た能力よ!」
ずばーん! とかいう効果音が小鈴の背後にでかでかと表示される。みたいな気がした。実際に出たわけではない。さすがの僕もそこまで突拍子もない思考回路はしていない。いや、すべてを受け入れる幻想郷のことだ、もしかしたら効果音を表示する程度の能力とかいうけったいなものを持つ妖怪もいるのかもしれないが。
それにしても、能力である。あのちみっこくてぴょんぴょこしていて可愛らしいだけだった小鈴が、ついに能力を得たのである。しかも誰にも読めない妖魔本を読み解くという珍しいにも程がある超激レア能力だ。大方予想はできていたが、実際に目の当たりにすると凄い。僕も一応は能力に分類される代物を持っている半妖もどきではあるが、比べるまでもなく希少だ。羨ましいと言ったらウソだけど。別段羨ましいとは思わない。本当だぞ!
得意気につらつらと日記(白面金毛九尾とやら著)を読み進めていく小鈴。今思ったんだけど、密かに書いていた日記を人に入手された挙句、人前で大々的に朗読される著者本人の心労はいかほどのものなのだろうか。九尾、という種族名と家政婦的な立ち位置に心当たりがないでもないが、もしも予想が的中しているのならば彼女は今頃スキマ妖怪に八つ当たりという名の嫌がらせを行っている最中かもしれない。いや、もしかしたら賢者様の方がむしろこの光景を九尾に見せている可能性も否定できない。というか、そちらの方が可能性大だ。
ご愁傷様です、と苦労人白面金毛九尾への同情を空へと放ったところで、興味津々に妖魔本を読み続けている小鈴を他所に、傍らで神妙な面持ちを浮かべているあっきゅんへと声をかける。
「あっきゅん的には、小鈴の能力をどう思う?」
「あっきゅん言うなっつうの。どう思うって、そりゃあ能力が発現するなんてことは本来あってはならないことだわ。しかも、小鈴は普通の人間なのよ? 私や咲夜さんみたいな例外や、魔理沙さんみたいな魔法使い見習いならともかくとして、喜んでいい事態じゃないわね」
「能力は自己申請ものだから何とも言えないとは思うんだけど、やっぱりやばいよなぁ」
「当然ね。しかもこの子の場合は危機感がないもの。好奇心の塊みたいな小鈴が興味本位で妖魔本から妖怪を復活させる怖れだって否定はできないわ」
「確かに、小鈴ならやりかねない」
「でしょ? もうっ、面倒くさいったらありゃしない」
本当に傍迷惑だと言わんばかりに盛大な溜息をつくあっきゅんだが、彼女の心配は至極当然だ。本居小鈴という少女は世間一般で思われている以上にトラブルメイカーな節がある。基本的に己の好奇心に従って行動している彼女にとって、周囲にかかる迷惑とやらは二の次。自分の知識欲さえ満たせれば後は野となれ山となれとかいう傍迷惑な思考回路。かつて僕とあっきゅんが幾度となく騒動に巻き込まれて痛い目を見たのは記憶に新しい。
「天狗が見たい」と言っては妖怪の山までの強行軍に巻き込まれ、哨戒天狗からの弾幕を喰らい。
「キノコ図鑑を作りたい」と言っては魔法の森に足を運び、お腹を空かせた宵闇の妖怪に追われ。
「釣りをしたい」と言っては霧の湖で妖精達の悪戯の標的にされた。
今思い出せるだけでもこうしてぽんぽんと出てくるのだから、そのどうしようもなさが窺える。完全記憶能力持ちのあっきゅんにでも聞けばこの十倍以上は愚痴られるに違いない。それほどまでに、彼女のトラブルメイカーっプリは常軌を逸している。
本来ならばその能力の危険性を小鈴に説き、無駄な使用は控えるように言い聞かせるべきなのだろう。一歩間違えれば大惨事になりかねない異能なんて、本来は使わないに越したことはない。
だけど、僕の意見は違う。
むー、と絶賛唸りんぐなあっきゅんの肩をポンとたたくと、僕はいつも通りのテキトーさで彼女に言った。
「確かに危険だけれど、まぁ、いいんじゃない? 小鈴が楽しくて、満足できるなら僕に異論はないよ。彼女が幸せだと思う選択肢を常に取りたいからさ」
「貴方って本当に大馬鹿ね……」
む、馬鹿とは失礼な。僕は僕なりによく考えたうえでこういう意見を述べているんだぞ。たぶん。
彼女の物言いに反論するも、華麗にスルー。しかしながら、どこか呆れたような、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべると、何やら優しい視線を僕に向けるあっきゅん。
「でもまぁ、貴方は
「当然。僕の意思は揺るがない」
「でしょうね。知ってた。ったく、分かってはいたけれどもう少し予防はしたかったなぁ」
「大丈夫さ。いざとなったら僕が全力で小鈴を危機から遠ざけるから」
「分かってるわよ。私がどれだけ貴方の事を見てきたと思っているの? 貴方の人となりくらい誰よりも知っているつもりです。倉鬼が小鈴を危険に晒すなんてこと、絶対にしないってことくらい百も承知よ」
「よく御存知で」
「誠に不本意ながらね」
そう言ってフン、と鼻を鳴らすあっきゅん。こういうところが、僕とあっきゅんの仲が良いのか悪いのかを分からなくさせているところなのだろう。僕達自身は正直互いを苦手としているし、小鈴を巡って敵対しているし、相手を天敵だと思っているのだが、周囲からの評価は仲良し三人組。誠に遺憾である。誰がこんな腹黒記憶少女と仲が良いのか、と声を荒げたい。でもまぁ、たまに意気投合することも無きにしも非ずなので、否定はできないかもしれないが。いや、否定しよう。違う! 断じて違う!
なんか頭が無性にモヤモヤしたので八つ当たり気味にあっきゅんの髪を弄繰り回しておく。さらさらふわっとした素晴らしい質感の髪に手が埋まった。おぉ、なんかこれ気持ち良いぞ。新手の癒しアイテムか。
「ちょっ、やめなさいこの半妖!」
「凄いなあっきゅん。撫で心地抜群じゃないか」
「まず乙女の髪を無断で撫でているところに反論を申し立てたいのだけれど!」
「乙女? 誰が?」
「貴方を殺すわ。社会的に、今すぐに。過去の恥を一から十まで文々。新聞に掲載してもらうんだから!」
「割とマジでやめろ」
「アンタら二人さっきから何イチャついてんの……やるなら店の外でやってくれないかなぁ」
『誤解だ! 誰がこんな奴と!』
「仲良いわねぇ」
ほむほむと何やら非常にウザったらしいあくどい笑みを浮かべながら僕達を眺める小鈴に、二人して全力の否定をぶつける。よりによって小鈴からそんな評価を得るなんて大変遺憾だ! というかやめて! 僕の気持ちを知らないばかりか踏み躙るのは本当にやめて!
このままでは今後の進展が見られない。大体僕はそこまで口が達者な方ではないから、一度誤解が植えつけられてしまうと立て直すのに結構な時間がかかってしまう。もしかすると再建不可能なあたりまで行ってしまう可能性も否定できない。ここは口だけならば幻想郷屈指の実力の持ち主である九代目阿礼乙女にその手腕を奮ってもらうしかないだろう。
咄嗟に隣に視線を飛ばし、彼女に攻撃の主導権を渡そうと試みる。
「小鈴のバカ! わ、私がこんな半妖風情と仲が良いなんて勘違いも良い所よ!」
「顔を赤くして言われても説得力ないなぁ」
「ああああ赤くないわ! これはちょっと体力を使いすぎて疲れが溜まっただけ!」
「またまたー。まぁ親友としては? 陰からこっそり応援する所存でございます所だけれど?」
「その無駄な気遣いをどうして正しい形で使えないの貴女は! もっと気づくべきタイミングと相手がいるでしょう!」
「おぅおぅ、愛いやつめ。よしよし」
「むっきゃぁああああああ!!」
……とてもではないが戦力になるような状況ではなかった。それどころか先程よりも事態が悪化しているような気がする。何をしているんだあっきゅん。今この場においては君だけが頼りなのに。何故僕以上にテンパったうえに僕以上にドツボに嵌っているんだあっきゅん。
羞恥か憤怒か、はたまた他の理由が原因か。顔を真っ赤にして食い下がろうとするあっきゅんだったが、さすがにこれ以上は見ていられない。キャラ崩壊著しい幻想郷縁起編纂者を後方に対比させると、魔王コスズと相対する。
「まぁとりあえず聞いてくれよ小鈴。ご存知の通り、僕とあっきゅんは仇敵だ。天敵と言い換えても良い。そんな二人が仲が良いとか、イチャつくとか、そんな夢物語が存在するわけがないだろう?」
「あに言ってんのよ。互いに笑顔で頭撫でてたじゃない。それをイチャつくと言わずして何を言うの」
「あれは……アレだ。僕なりの精一杯の八つ当たりというやつだ」
「感情表現ヘタクソかアンタ」
「小鈴も知っているだろう? 僕は昔から何かと不器用で、いろんな物事が上手くいかないやつだって。今回もそれの一端さ。やましいことなんて一つもありゃしない。というか、こんな腹黒ロリ相手にやましい気持ちとか生えてたまるか」
「おい聞こえてるわよそこの半妖」
何やら筆で頭を叩かれたが、気にしない方向で。
「というわけで、アレだ。僕とあっきゅんがどうこうとかは一切ないから、安心して僕とこれからも仲良くしてくれると嬉しい」
「幼馴染相手に今更何言ってんのよ倉鬼」
「いや、これはとても重要な問題なんだ。もしかすると僕の今後を左右する事態になりかねない。そう、つまりは分岐点なのさ。ここの選択次第で、僕の好感度が跳ね上がったりするぞ!」
「何よその意味不明な指数は」
「まぁとにかく、これ以上の弄りは不毛だと思うんだよ。あっきゅんもパンク寸前だし、ここは穏便にいかないか?」
「えー、どうしようかなぁ」
「……茶菓子奢るよ」
「彩セットでお願いね」
「お前それ一番高いやつじゃ」
「甘味楽しみだなー♪」
……くっそ、そんな露骨に嬉しそうな顔されると、反抗なんてできるわけないじゃないか。
先程までの渋り様はどこへやら。ご褒美が確定して目を輝かせている小鈴に僕は肩を竦めながらも、それでも彼女を甘やかしてしまう自分に対して溜息をついた。はぁ、とことん馬鹿だなぁ僕も。
「貴方本当に大馬鹿ね」
「今自分でも再確認しているよ」
「……いろんな意味で大馬鹿者なのよ、倉鬼は」
何やら不機嫌そうな様子で再び罵倒された。しかも倒置法とかいう手の込み様である。この女、僕に対して悪口を言う時だけはいつになく絶好調だな本当。
いつものことだが、このまま不機嫌にしておくのも後味が悪い。ここは念のために機嫌を取っておくべきかもしれないか。
「そう怒るなってあっきゅん。あっきゅんにも彩セット奢るからさ」
「そんな褒美に釣られる程私は安い女じゃありません」
「そう言いながら僕の手を引っ張っている食い意地張った奴はどこのどいつだ」
「ほらー! 二人とも早く行くよー!」
あっきゅんと小鈴の二人に手を引かれて、鈴奈庵を出る。今週は少々お財布的に厳しい生活を強いられることになりそうだ。