「無縁塚に行くわよ、倉鬼!」
もう季節も夏に差しかかろうとする頃。そろそろ羽毛布団は暑いな、なんてことを考えながら惰眠を貪っていた僕であったが、突然部屋に押し入った侵入者によって布団を引っぺがされ、あろうことか前述のような台詞をぶつけられた始末である。その犯人は誰か。僕の寝室に無断で突撃してくるような輩の心当たりなんて一人しかいない。
言わずもがな、僕の幼馴染本居小鈴である。
どうせ親父あたりが進撃を許可したのだろう。人の安眠を妨げたにもかかわらず一切罪悪感を覚えていないような清々しい笑顔が実に眩しい。彼女が腰に手を当てて仁王立ちの構えをとると、髪留めの鈴がリンと存在を主張した。
しかしながら僕はまだ眠いのだ。寝ていたいのだ。寝ぼけ眼をこすることでまだ眠いアピールを実行し、彼女のなけなしの良心に訴える戦法を取ってみる。
「あぁ、眠い。春眠暁を覚えずという諺を知らないのかい、小鈴?」
「もう初夏だけどね」
「それに、まだ日も低いじゃないか。お天道様がやる気を出していない以上、僕が活動を開始するわけにもいかないだろう?」
「それは西日よこのコンコンチキ! いいからさっさと起きろ寝坊助倉鬼!」
「あう」
決死の善戦空しく、ついには布団から蹴り出される始末。とても友人に向かってやるような行いではない。これは訴訟ものだ。当方は睡眠二十時間の刑を求刑する!
「それ以上バカなこと言ってると阿求に頼んで過去の恥ずかしい体験談Ver倉鬼ベストテンを射命丸さんプロデュースで幻想郷中にばら撒くわよ」
「さぁて無縁塚に行くんだっけか? とりあえずご飯と支度を済ませたら早速向かおうじゃないか小鈴!」
「…………」
「おぉぅ。そんな家畜を見るような眼をしても僕はめげないぞ」
見下されるのはパチュリーで慣れてる。
外出用の服に着替えつつ、何気なく小鈴に話しかけてみる。
「それにしても、なんでまたこんな時間からわざわざ無縁塚に」
「ふふん。なんでってそりゃあ、逢魔時になると無縁塚には妖魔本が流れ着く可能性が超アップするのよ! これは妖魔本コレクターとしては見逃せないチャンスじゃない!」
「しかしなぁ。その時間帯は妖怪共が本領発揮するタイミングであって、決して安全とは言えない気がするんだけど」
「だから倉鬼に声をかけたんじゃない」
「キミの護衛をするためだけに布団から蹴り出されたのか僕は……」
心の底から溜息をつく。この小娘はいったい何本危険な橋を渡り続ければ気が済むのだろうか。
小鈴が名前を出した無縁塚。この場所は幻想郷の有名スポットの中でもトップクラスの危険度を誇る秘境だ。幻想郷縁起によると、その危険度はなんと極高。わざわざ説明するまでもないそんなデンジャラスな場所にあろうことか逢魔時に向かおうとしているのだからタチが悪い。
無縁塚が危険な理由にはいくつもあるが、最大の要因は妖怪の出没率の高さだ。
魔法の森の奥、その先に広がる再思の道を通ることで辿り着くのが無縁塚であるが、この場所ではどうしてか、幻想郷を覆う博麗大結界が緩んでしまっているらしい。ようするに、外の世界とつながりやすくなっているのだ。本来は隔絶されているはずの幻想郷と外の世界。その二つの世界が交わるこの場所には、外来人がよく迷い込む。その大多数が自殺志願者だったり、うつ病患者だったりするのだが、彼らは外来人であるゆえに妖怪への自衛の手段を持たない。僕達のように弾幕が撃てるわけでもなければ、逃走手段を持っているわけでもない、正真正銘の弱者。無縁塚には、そんな外来人を狙う妖怪達が潜んでいるのだ。表だって人間を喰らう程力を持つわけではないが、そんな雑魚妖怪も無力な獲物を相手にすれば脅威となりえる。
本居小鈴が人間としてどちらの部類に属するか。そんなものは考えるまでもない。
「一応言っておくけれど、無縁塚は自衛の手段を持たない人間が遊びに行っていい場所じゃないんだよ? 本来は立ち入る事すら許可されない場所だ。それは分かっているのかい?」
「勿論。でも、妖魔本コレクターとして、ここで臆するわけにはいかないわ」
「そもそもその前の魔法の森でさえ、僕達にとっては危険な場所だ。昔ルーミアに喰われかけたことを忘れたのかい?」
「あの時は阿求が大泣きして大変だったわね」
「……小鈴。もう一度言うけれど、無縁塚は危険な場所なんだよ? もし死んじゃったりしたらどうするんだよ」
「…………」
僕は続ける。制止の台詞を。これは友人として、そして幼馴染としての僕の言葉だ。彼女に危険な目に遭ってほしくないという、僕なりの気遣いだ。もしもこれで彼女が気を変えてくれるなら、忠告をやめるわけにはいかない。この相手がもしも阿求だったとしても、僕は変わらず彼女を止めていただろう。いくら腐れ縁で犬猿の仲だとしても、彼女も僕にとっては大切な友人だからだ。
――――でも、僕は心のどこかで分かっていた。
僕の言葉に小鈴が顔を上げる。じぃっと真っ直ぐ眼を見つめ、その柔らかな唇をわずかに開く。
そして、彼女は言った。
「でも、倉鬼が護ってくれるんでしょ?」
「――――――――」
あぁ、ずるいな。
そんな透き通った瞳で見られてしまっては――――
そんな無垢に首を傾げられてしまっては――――
そんな可愛らしい笑顔を向けられてしまっては――――
これ以上、僕が彼女を止める理由がなくなってしまうじゃないか。
「……はぁ」
再び大粒の溜息が零れる。そうだ、分かっていたんだ。昔から今まで、彼女に勝てたことなんて一度もなかったのだから。どうせ今回も彼女の思いつきに振り回されるなんて、最初から分かり切っていたことだったんだ。
好きな人からの頼みを無碍にするなんて、僕には到底できっこないんだから。
「一刻だ」
「え?」
「提灯の持続時間にも限界がある。だから、最高でも一刻だよ。おそらくその辺りで日も暮れる。それ以上の探索は許可できない。後、絶対に一人で行動してはいけないよ。良いね?」
「うん! やったぁー! 倉鬼大好きー!!」
「はいはい。嬉しい嬉しい」
溜息交じりで許可を出す。僕の同意を得られたのが相当嬉しいのか、無邪気に勢いよく抱き着いてくる我が愛しい幼馴染。こういうところもこの少女は卑怯だ。得したなんて考えてしまうじゃないか。
――――僕もつくづく馬鹿だよなぁ。
今更何言ってんの、と頭の中であっきゅんとパチュリーが溜息をついた気がした。
☆
「おや? これまた珍しい客人が来たものだ」
魔法をの森を通った先、再思の道に入ろうとしたところで、僕と小鈴に声をかけてくる人物がいた。
両手に金属の棒を持ち、鼠が入ったバスケットを尻尾に吊るしているその人は、確か……。
「ナズーリンさん、でしたっけ?」
「お、名前を覚えてもらえているというのは光栄だね。そ、命蓮寺の寅丸星の付き人、ナズーリンさんさ。そういう君は……うん、桂木、とかいったかな?」
「よくもまぁ、こんな小童半妖の名前を覚えているものですね」
「なぁに。半妖なんて数が知れているだろう? しかも人里に住んでいるといえば、風の噂でちょくちょく覚えるものさ」
「それは恐縮の限りで」
頭に生えた鼠耳をぴょこぴょこしながら、どこか達感したような口調でそう言うナズーリンさん。寅丸星、というのは命蓮寺にいる毘沙門天様のことだっただろうか。聞いた話では毘沙門天代理らしいが、実際細かいことはどうでもいい。僕は別にあそこの信者というわけではないのだし。
しかし、風の噂で僕の事を聞いたというが、果たしてその噂とは。そこまで胸を張れるような内容ではないことは分かるけれども。
「『鈴奈庵の一人娘にいつも尻に敷かれている情けない半妖がいる』ってもっぱらの噂だよ」
「……ちなみにその噂、発信源はどこですか?」
「うん? えっとね、私も星に聞いた話なんだが……確か、里の幻想郷縁起編纂者がどうとか言っていたような」
「あのチビっ子今度会ったら霧の湖に沈めてやる」
相変わらず僕の悪評を立てることだけは誰よりも積極的な有力者に憤りが止まらない。そもそも尻に敷かれているわけではないし、そういう根も葉もない噂を立てられると僕自身がよわっちい立場だと誤認させてしまうことに繋がるではないか。今後もし小鈴とのゴールを迎えた場合、夫婦生活の力関係に左右してしまったらどう責任を取るつもりだ。まったく、許されない。
とりあえず明日は稗田邸にカチ込もう、と心に決めつつも、ナズーリンさんとの会話を再開。
「そういえばナズーリンさんは、命蓮寺には住んでいないんですか?」
「ナズでいいよ。全部言うのは長いだろう?」
「それではナズさん、と」
「ふむ、まぁいいか。そうだね。私は星の部下兼監視役といった立場だから、別段聖のやつを信仰しているとかではないんだよ。だから、あんな堅苦しい寺に住むとかはないかな」
「堅苦しいって」
「間違ってはいないだろう? それに、ここら辺では変わったお宝が見つかるという話も聞いてね。ほら、私の能力はダウジングだからさ。宝探しはライフワークみたいな」
「え、じゃあ無縁塚に住んでるんですか」
「ここも慣れればいいところだよ」
さらりと何気なく言うナズさんだが、無縁塚に住むのは常識では考えられない……いや、それは人間的な考え方であって、彼女みたいな妖怪からしてみれば普通のことなのか……? うーん、その辺は種族間価値観の相違があるだろうから、深く考えるのはよしておこう。
そういえば、能力がダウジングとか言っていたけれど。
「どんなものでも探せるんですか?」
「ある程度のヴィジョンがあればね。探せないこともないよ」
「なるほど。ねぇ小鈴、だったらナズさんに妖魔本探しを手伝ってもらえばいいんじゃないかい?」
当てもなく探すよりも、そういう能力に長けた人の助けを借りながら探した方が効率は間違いなく上がるだろう。ナズさんは結構強い妖怪だから、護衛としても申し分ない。これは願ってもない機会ではなかろうか。
そんな考えの元、小鈴に声をかけたのだが。
「……小鈴?」
先程まで僕の後ろでわくわくしながら待機していたはずの幼馴染。その姿が、忽然と消えていた。
一瞬理解が追い付かなかった僕は、しばらくしてナズさんに向き直る。
「あの、ここにいたちっちゃい女の子は」
「君が連れていた鈴の子かい?」
「そ、そうです。大人しそうな見た目の」
「その子なら、私達が話している間に無縁塚の方に向かっていたけれど」
「え……?」
「待ちきれなかったんじゃないかな。彼女、どうにも周囲が見えていないような感じだったし」
なんでもないように言われているが、僕は心臓の鼓動がやけに早くなっていくのを確かに感じていた。冷や汗が身体中に浮かぶ。
まずい。まずいまずいまずいまずい!
まだ完全に日が暮れているわけではないとしても、今は夕暮れ時。妖怪達が活発化する時間帯だ。しかも、ここは幻想郷内でもトップクラスの危険度を誇る無縁塚。戦闘力の欠片もない小鈴が一人で活動していいはずがない。
気が付けば、僕は無縁塚に向かって駆けていた。さっきまで話していたナズさんなどまったく気にも留めず、一心不乱に。
一刻も早く追いつかないと。その為に僕は、何一つの躊躇もなく
「倍速……!」
ぐん、と風の音が大きくなる。さらに見えづらくなった視界をそのままに、僕は再思の道を駆け抜けた。
☆
「もぅ。いつまでも喋ってるんだから……探す時間が減っちゃうじゃない」
提灯で辺りを照らしながら、本居小鈴は不貞腐れたように頬を膨らませる。木々に囲まれた小さな空間。一般に無縁塚と呼ばれるその場所で、彼女は小さな明りで周囲を念入りに探索していた。
本来は幼馴染の半妖と来ていたのだが、彼は世間話に夢中になっている。小鈴が見たことのない、おそらく妖怪であろう少女と。こちらのことなど気にも留めず話し込む彼の姿に、なんだか面白くない感情を少しではあるが感じてしまう。おそらくは、妖魔本を探す時間が削られていくことへの苛立ちだろうと彼女は解釈した。
「私との用事よりあんな妖怪との井戸端会議の方が大事なら、そのままずっと話し込んでればいいのよ」
舌打ちと共に足元の石を蹴り飛ばす。どうにも虫の居所が悪い。さっさと妖魔本探しに没頭してしまおう。そうすれば、この妙な苛立ちも治まるはずだ。頭をガシガシと荒っぽく掻くと、再び周囲を照らす。
その時、ふと不思議な風が吹いた。
「え?」
今まで草一つ揺れてはいなかった空間に走る、一陣の風。どこか生暖かい妙な風に、小鈴は違和感を覚える。
同時に、提灯の灯りが突然消えた。
「え、え!?」
思わず声を上げながら周囲を見渡すが、木々に囲まれたそこに傾いた西日は届かない。日は暮れ切っていないとはいえ、時刻はもう遅い。灯りがない状態だと、視界は無いも同じだった。
ざわ、と風が葉を揺らす音だけが小鈴の鼓膜を震わせる。五感の内一つを潰されただけでここまで恐怖は人を追い込むのかというほどに、小鈴の心臓が早鐘を打ち始める。
やばい、と本能が訴えていた。頭の中で警鐘が鳴り続ける。早くこの場から逃げないと、とは思うものの、視界が見えないことに加えて恐怖で足が竦んでしまう。自らの意思とは無関係に、身体が動かない。動いて、くれない。
「さ、再思の道はどっち……?」
慌てて逃げ道を探すものの、既に闇に覆われた空間で視界を確保するというのは至難の業だ。目が慣れるのにも時間を要する。
――――そして、状況はさらに小鈴を追いつめた。
ガサッ、と。
何かが草を踏むような音が、新たに現れる。
「ひっ!?」
音が聞こえた方へ視線を向けるが、その姿を完全に捉えることはできない。ただ、それでも彼女は視認した。闇の中でもさらに目立つ、一際深い暗闇を。三メートルほどの大きさをした、巨大な塊を。満足に使えない視界の中で、明らかに異様な何かを彼女は感じた。
その塊が、草を踏む音と共にこちらへ近づいてくる。
グルグルと、獣が喉を鳴らすような声を伴って。
「あ……ぁ……!」
ドサ、とその場に尻餅をついてしまう小鈴。立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまったのか身体は震えるだけだ。力を入れようとはするものの、鉛のように重い身体は動かない。
私のせいだ、と今更ながらに後悔する。彼のいう事を聞かず、一人で行動したから。無縁塚は危険な場所だと分かっていながら、迂闊な行動をとったから。罰が当たったのだ、と。
塊は徐々に小鈴の方へと近づいてくる。もう自分にはどうすることでもできない。無力な人間は、このまま食べられるしか道はない。
『ニンゲン……ニンゲン……』
「ぁ……ぅ……」
『タベル……!』
「あぐぅ!?」
地を這うような声。瞬間、凄まじい力によって小鈴の身体が持ち上げられる。片手で引っ掴むように宙に浮いた彼女の鼻を、獣の臭いが強く刺激した。吐き気を催すような、野生の激臭が。フーッフーッと荒い息遣いが至近距離から聞こえてくる。その距離はまさに目と鼻の先。
身体を強く締め付けられ、呼吸が荒くなる。酸素をうまく取り込めない。徐々に意識が遠のく中、小鈴はとある人物の顔を思い浮かべていた。
いつでも自分の事を心配してくれた、優しい幼馴染の顔を。
「くら、き……ごめん、ね……?」
その言葉を最後に、ぐいと再び引き寄せられる。あぁ、今から自分は食べられるのだと本能で理解した。どうせ無理だとは思うものの、せめて安らかに死にたいとゆっくり目を閉じる。
生暖かい息と共に、巨大な口を開くような動きを感じた。噛み砕かれ、咀嚼され、最終的には消化され。そんな最期を思い浮かべつつ、ゆっくりと。
涙と共に、彼の名前を。
「くら……き……」
死を覚悟した。すぐにやってくるであろう痛みを覚悟した。
――――が、彼女を襲った痛みは、想像とは違うものだった。
ザン! と。
肉を無理矢理引き千切るような音が小鈴の耳をうつ。違和感を覚えた時には、腰を何かに打ち付けたような痛みが走っていた。同時に、けたたましい悲鳴のような咆哮が無縁塚に木霊する。
いったい何が。目も地味に慣れてきた彼女は、痛む腰を擦りつつもゆっくりと視線を上げる。
「ぁ……」
思わず、気の抜けた声を漏らす。
そこには、彼がいた。
頭に二本の小さな角を生やした、半妖の彼が。いつも自分の隣にいてくれた、優しい優しい幼馴染が。
小鈴に背を向けたまま、彼は言う。自分より何倍も大きな敵に対して、堂々と。
「僕の小鈴に……手を、出すな」
――――あぁ、もう大丈夫だ。
いつかの記憶が蘇る。今まで何度も、危険な目に会う度に自分を救ってくれたヒーロー。彼はどんな時も、必ず小鈴を助けてくれた。どれだけ離れていても、絶対に駆けつけてくれた。
ふ、と再び意識が遠のく。緊張から解放されたせいか、はたまた彼が来てくれた安心感からか。意思とは無関係に意識が闇の奥へと落ちていく。
それでも、不安は無かった。
だって。
(倉鬼が私の前で負けたことなんて、一回もないんだから)
絶対的な信頼と共に、本居小鈴は意識を手放した。
ちょっとだけ続く。