永遠亭に入院してから一週間。
なんだかんだ毎日誰かしら見舞いに来てくれていたから退屈することはなかったのだが、今日はついにその見舞い客が途絶えてしまったらしい。主にあっきゅん、パチェ、小鈴が交互に来てくれるものの、さすがに一週間も経てば頻度が少なくなるのは道理である。僕を巻き込んだ罪の意識を抱えて申し訳なさそうに看病してくれていた小鈴も、この一週間でようやくいつも通りの天真爛漫な彼女に戻ってくれたようだし。寂しくはあれども、罪悪感を捨ててくれたのなら嬉しい限りである。僕が好きでやっていることで彼女が胸を痛めるのは本意ではないからね。
さてさて、そうは言っても誰も来ないのは寂しいものだ。八意先生によれば後数日で退院できるらしいものの、安静にしていろとのお達しの為外に出ることも叶わない。だが、一日中ベッドの上で寝て過ごすだけというのもなかなかの苦行だ。もうかれこれ夜になるまでなんとか暇を潰したものの、寝過ぎて夜を越せる気がしない。せめて誰か話し相手になってくれれば違うのだが……。
「……そう言えば、永遠亭には物凄い美人なお姫様がいるって聞いたことがあるぞ」
あくまで人から聞いた噂ではあるが。
よく永遠亭に通っているらしい藤原さんに以前聞いた話によれば、「心底ムカつくし殺してやりたいほど腹立たしいけど、外見だけは今まで見た生物の中で一番綺麗」だとのこと。前半部分に藤原さんの私怨がたんまり詰まっている件については触れない方が無難だろう。僕は蓬莱人ではないから死ぬのは怖い。
にしても、絶世の美女というのは多少なりとも興味が湧く。異性は小鈴以外眼中にない僕ではあるが、一応は男という生物である以上気にはなる。決して目の保養とかそういうことでは断じてない。これはあくまで、入院中の暇つぶしという名目上の何かだ。やましいことではない、間違いなく。……脳内でパチェとあっきゅんが何やら蔑んだ眼で僕を見下している気もするが、頭を振って霧散させた。
一通りの言い訳を終えたところで、入院着のまま病室を出る。幸い夜中であるせいか見回りの兎は見当たらない。見当たったところで職務怠慢気味の彼女らが何か言ってくるとも思えないが……面倒事は避けるに限る。特に鈴仙さんに見つからないように気を付けながら進んでいこう。目的地は定まっていないけれども、あぁいうボス的な存在は決まって一番奥の部屋にいるものだ。とにかく奥に進んでいけばいつか会えるに違いない。道に迷う可能性も否定はできないが。
まぁどうにかなるだろう、と安請け合いをしつつ、月の光に照らされる廊下を進む。
☆
結論から言うと、その女性はいた。
永遠亭をひたすらに奥へ進むこと数十分。稗田家に負けず劣らずだだっ広い広大な敷地面積を誇る永遠亭を探索するのは少々骨が折れたが、最奥の部屋……間取り的には丁度月が昇る方向に面するその部屋に、件の女性は存在した。彼女のご尊顔を一度も拝んだことがない僕ではあるけれども、一瞬で理解した。僕の中の本能が、彼女であると即断した。それほどまでに美しく、美麗な女性。これは確かに、非の打ちどころがないほどの美人である。
月並みな表現ではあるけれども、鴉の濡れ羽のような光沢を放つ黒髪。白磁の如く滑らかできめ細やかな肌。目鼻口、そのすべてが本来あるべき場所にこれ以上ないバランスで収まっているであろう整った顔立ち。僕なんかの粗末な語彙力では喩えられない、けれども「美しい」以外の言葉では言い表せない絶世の美少女が、月明かりに照らされるその部屋で静かに座っていた。優しく目を瞑りわずかに綻ぶその表情に否応なく視線が吸い込まれる。見惚れるとはこのことと言わんばかりに目が釘付けになっていた。
話しかけようと何度か口を開くものの、僕のような矮小な半妖が言葉を交わしてよいものかと逡巡するほどに、彼女の美しさは暴力的だ。その姿はまるで、お伽噺に出てくるお姫様の様で……いや、確かちょっと昔に、今の彼女のような美貌を備えたお姫様の話を読んだことがある。夜空を照らす月の光に負けないくらい美麗なそのお姫様の名前は――――
「かぐや、姫……?」
「……あら、こんな夜更けにお客様だなんて。幻想郷にもまだ夜這いの文化が残っていたのかしら」
「っ!?」
意識とは無関係に言葉が漏れていたらしい。すっかり油断していた所に投げかけられた声に心臓がはち切れそうになる。その外見もさることながら、放たれた声すらもこの世のものとは思えない程に透き通っていた。ガラス細工を打ち鳴らした時のような、空に吸い込まれていく音色。小鈴一筋であるはずの僕が、「男」という部分において一瞬揺らぎかけた。もしももう少し精神状態が悪ければ、そのまま心を持って行かれていたとしても不思議ではない。
驚愕と感動で身動き一つ取ることができない僕を他所に、そのお姫様は可愛らしく首を傾げると、僕に視線を固定したまま艶やかに口元を隠した。歳の程は十も半ばくらいだろうか。それなのに、その大人っぽい仕草に胸が高鳴ってしまう。
「
「え、あの……えっと……」
「ふふ、可愛らしい反応。雰囲気は少し擦れた感じだけれど、内面は見た目通り幼いのね」
「……参ったな。こういう取り乱し方は、普段の僕らしくないんだけど」
目を細め、コロコロと笑う彼女を直視することができずに思わず視線を泳がせてしまう。これは、駄目だ。意思を強く持たないと、自分の意識どうこうとは関係なく惚れ込んでしまう。僕だからとかそういうわけではなく、「雄」という分類上の生物すべてを虜にする何かを、彼女は持っている。
何度か深呼吸を繰り返し、心を鎮める。落ち着け、僕。興味本位で探しに来たのだから、必要以上に入れ込むな。あくまで知人程度の間隔を保って話せ。
すぅ、と大きく息を吸い込んだ後、恭しく首を垂れる。
「夜分遅くに失礼致します。巷で貴女の噂を聞き、その真を確かめに来たしがない半妖でございます。姓は桂木、名は倉鬼。記憶の片隅にでも残しておいていただければ幸いです」
「桂木……あぁ! 貴方が倉鬼なのね! 妹紅から話は聞いているわ!」
「……はい? 藤原さんから、ですか?」
「えぇ。人里に住んでいる不器用で恋愛下手な半妖って紹介されたわ」
「どんな不名誉な紹介だ……」
予想外すぎる反応と、想定外すぎる内容に二重の意味で驚きが隠せない。確かに顔見知りであるということは、世間話の中で話題に挙げられていても不思議ではないが……。なんでまたよりにもよって、誤解しか招かない悪意たっぷりな紹介をしたのだあの人は。蓬莱人というのは根が意地悪いものなのだろうか。
藤原さんの顔を思い返しながら些か苦々しい思いに駆られていると、何かの糸が切れたらしい。先程までの上品な様子からは考えられないほどに表情を綻ばせると、
「……ぷっ、あっはははは! 妹紅のヤツが紹介した通りね! 不器用さが全身から出ているわ!」
腹を抱えてこれでもかと言わんばかりに大爆笑を始めた。その姿はさながら幼子の様で、つい先刻まで僕を悩ませていた色っぽさの欠片も感じられない。なんだか、こう、とても親近感を覚えてしまう。
言動の乖離が異常すぎてうまく会話を繋げられない僕はしばし狼狽えていた。
「えー、その、かぐや姫、さま?」
「ぷっくく……蓬莱山輝夜、よ! 気安く輝夜と呼んでもらって構わないわ!」
「え、いや、さすがにそれは……」
「いいのいいの、堅っ苦しいことは嫌いなのよ、私。その不自然極まりない敬語もやめなさいな! もっとフランクに行きましょう!」
「……さっきまでの僕の感動を返してくれ」
「私の美貌に負けなかった褒美と思えばいいじゃない」
「自分で言うのかそれ……」
「だってほら、私は地上一の美人だし」
あっけらかんと言い放つ彼女のふてぶてしさにもはや言葉すら出ない。なんていうか、その、幻滅とは違うが……先程まで僕の中で存在していた彼女の立ち位置、ランクというものが激しく変動しているのを感じた。今の彼女……輝夜は、僕の中であっきゅんとかパチェと同じような気安さに収まってしまっている。ギャップ萌えとはよく言うが、これは萌えを感じる前に一種の残念さを覚える勢いだ。そりゃあ藤原さんも腹立たしさを覚えるわけである。
十二単を改造したような変わった着物の袖をパタパタと振りながら僕を呼び寄せる輝夜。もうすっかり年相応な言動になってしまっている彼女に盛大な溜息をつきながらも、ご希望に沿って傍らに座り込む。
「ほらここ、私のお気に入りの場所なのよ。月が綺麗でしょ?」
「確かに……しっかり見えるな」
「私と月、どっちが綺麗?」
「さっきまでの君なら圧倒的に輝夜だけれど、今の君ならダントツで月」
「言うわねぇ」
「生憎と、本性を見せた相手には容赦がない性分なもので」
「良いわよ、そういう素直な子は好きだわ」
共に月を見上げたまま軽口を叩き合う。不思議だ。会ってからまだ数分程しか経っていないのに、まるで何年も前から知り合っていたかのような気楽さを感じる。これもかぐや姫とやらがもつカリスマの為せる技なのだろうか。彼女の名前からしてかぐや姫のモデルになった人なのだろうことは分かる。年代的に有り得ない話ではあるが、既に蓬莱人の存在を知っている僕からすればなんら不可思議な事でもない。不老不死が藤原さんだけとは限らない、というだけの話だ。
にしても、お伽噺の主人公に出会えた高揚感よりも、その本性が実は超絶フランクなどこにでもいるような性格の少女だったという真実への衝撃が勝るなんてどういう展開だろうか。神様ももう少しロマンチックさを分かってくれればいいのに。
「なぁに溜息をついているのかしらこの半妖は」
「憧れが一瞬で潰えた人の悲しみはどうせ分からないだろうね」
「憧れに手を伸ばそうとして絶望した人たちの顔なら何個も知っているわ。それこそ見飽きたってくらいに」
「かぐや姫本人が言うと説得力とリアリティが半端無い」
「美しさは罪とは言うけれど、つくづくその通りだわね」
「その自意識過剰さはいつか痛い目を見ると思う」
「
飄々とした言い方ではあるが、月を見上げる彼女の顔が一瞬だけ曇ったように見えたのは気のせいだろうか。夜空に浮かぶ月に何を思っていたのか、それを僕が知ることはおそらくできない。
かぐや姫は物語の最後で月に帰った。少なくとも竹取物語ではそうなっている。
だが、現に目の前にかぐや姫が存在する。月に帰ったというならば、この光景は何なのだろうか。もしかすれば、竹取物語自体が彼女の存在を隠すための贋作だったのかもしれない。真実を知ることは叶わないだろう。今の僕が分かるのは、輝夜と名乗る絶世の美少女が幻想郷の片隅に存在していたという事実だけ。
小鈴が聞いたら絶対に羨ましがるだろうなぁ、とお伽噺大好きっ娘を脳内に浮かべつつ僅かに笑う。会いたいと駄々をこねる彼女の姿が容易に想像できた。
一人微笑む僕を不審がってか、輝夜が怪訝そうに視線を移す。
「なぁにそのだらしない顔。あ、もしかして噂の小鈴ちゃんって子の事考えていたんでしょー」
「もうあえてツッコミはしないけど、どこまで知ってるんだいお姫様は」
「あら、私に分からないことなんてないわよ? だってかぐや姫ですもの」
「無理難題を押し付けるお姫様の言う事は違うな」
「じゃあ貴方にも問題よ。面白がった私が事を荒立てる前に、さっさと告白しちゃいなさい」
「それはまた、随分と時間と手間がかかりそうな難題だね……」
「このヘタレ」
「そういう罵倒はもう二人ほどから言われ慣れたよ」
今頃図書館とお屋敷それぞれに住む文学少女二人がくしゃみをしている頃だろう。期待通りの反応を返せなかった僕に拗ねたような表情で肘鉄をぶち込む美少女が約一名いたが、それについては一寸たりとも触れずに月見を続ける。物見遊山でお姫様を見に来たのに、とんだ悪友ができたものだ。僕の交友関係がカオスの一途を辿っているけれども、僕自身の力ではどうすることもできないのが悩みの種である。異性関係は小鈴だけでいいのだが。
その後しばらく談笑した後、両者とも疲れ切って眠ってしまい翌朝八意先生に見つかって説教されるのだが、それはまた別の話だ。
ヒロイン不在。