あの日以来、刀奈と簪、本音や虚ともメールで連絡を取り合っているイチカ。
連休には遊びに行ったり、向こうが突撃を掛けてきたり。
主に苦労する虚を慰めるのもイチカの役目となりつつあった。
そんなある日、いつも通り日課のランニングを河川敷でしていると、上空から何かが接近する気配を感じた。
軽く回避すると、巨大な金属製のニンジンが地面に突き刺さった。
「……どう見ても、ニンジンだよな?」
何だろうと首を傾げていると、ニンジンの一部が開いた。
咄嗟に構えを取るイチカだが、中から出てきた女性を見て目を丸くした。
「……いっくん」
「た、束さん!?」
彼女の名前は篠ノ之束。
彼女こそ、幼い頃のイチカにとって、行方不明の両親と共に数少ない味方でいてくれた人。
ISの開発者にして、つい数ヶ月前に政府の目を掻い潜って姿を晦まし、I現在絶賛世界中から行方を追われている女性だ。
「やっと、やっと会えたよぉ!」
涙を溢れさせて抱きついた束を受け止めると、束はそのままわんわん泣き出す。
時折、あの時に助けてあげられなくてゴメンねと、何度も謝罪の言葉を口にしながら。
朝早い時間と河川敷という人気の少ない場所だったので、幸いにも目撃者はいない。
四年ぶりに会え、自分のために泣いてくれている束をイチカはそっと抱き締めた。
「……落ち着きましたか?」
「うん。えへへ、やっぱりいっくんは優しいね」
真っ赤になった目に残った涙を拭い取る。
そんな二人だけの空間に、割ってはいる声が聞こえた。
「お取り込みの途中、申し訳ありません。束様、ここではなんですからあちらへ」
束が乗ってきたニンジンから、何故か目を閉じている銀髪の少女が現れる。
その少女は近くにある橋の下辺りを指差し、そこで話そうと提案する。
「おぉっと、そうだね。じゃあいっくん、ちょっとあっち行こうか」
束に促され、三人は近くの橋の下に座る。
空から降ってきたニンジンは、束が何かの装置を操作すると空の彼方へ飛んで行った。
「それにしても驚きましたよ。束さん、急に現れるんですから」
「だって、いっくんが見つかったから、じっとしていられなかったんだもん!」
「……ありがとうございます」
一瞬、登場の仕方を突っ込もうとしたが、それより先にお礼の言葉が出た。
家出して束の下から急にいなくなって四年が経ったのに、まだ自分の事を心配してくれていた。
その事が嬉しく思えたからだ。
「でも酷いよ。電話一本だけよこして、急にいなくなっちゃうんだもん」
一応、ラカンに引き取られる際に連絡はしておいた。
電話の向こうで泣きじゃくり、まだ電話を切らないでと叫ぶ涙声は今もしっかり覚えている。
各国政府や国際IS委員会、さらに政府の監視下に置かれていたので、この四年間は思うように連絡も取れなかった。
「それは本当にすみません。突発的に家出した上、束さんの所に行ったら箒や姉さん達に見つかるって思って」
「勿論、束さんもそれくらい予想できるよ。でもさ、来てくれたら一緒に家出ぐらいしてあげたよ?」
「……ごめんなさい。俺、お世話になった束さんに迷惑をかけたくなくて」
あの頃にイチカの味方でいたのは、この束を除けば友人の家族だけ。
こうして束に会えたイチカは、ふとその友人の家族がどうしているか気になった。
「……束さん、弾はどうしているか知っていますか?」
五反田弾。
束と同じく当時の数少ない味方だった友人。
家族揃って優しくしてくれたので、束同様に五反田家にも連絡を入れておいた。
たまには連絡を寄こせと言われていたので、ちょくちょく電話やメールをしている。
できれば会いにいきたかったが、両親の仕事の関係で海外に行ったり、修行もあったりで行けずにいる。
「弾? …………あぁ、たまにいっくんが連れて来ていた赤毛君だね」
基本的に束は自分が気に入った人物以外の顔と名前を覚えようとしない。
弾に対しても、最初はそんな感じだった。
だが、イチカと仲良くしてくれ、周りからも守ってくれている姿を見て、顔だけは覚えてくれた。
名前はうろ覚え程度だが。
「ごめん、知らないんだ。いっくんがいなくなってからは、一度も会ってないから……」
申し訳なさそうな表情で謝る束。
彼女はイチカに対してはいつも本音で喋っているので、嘘をつくことがない。
だから今の返事もイチカは信用している。
「そうですか。なら、信じます。束さんは俺に嘘を言いませんから」
「いっくん……。ぐすっ、もぅ、いっくんは束さんを何度泣かせたら気が済むのさ!」
信じてもらえた事と、そういった事を憶えてくれていた事が嬉しい束。
泣いてしまうのを誤魔化すように、イチカを抱き寄せて顔を胸に埋める。
四年の間に見事に育った胸に埋まり、役得ながら苦しいイチカは束の腕を叩いて解放を求める。
「うふふ。どうだったかな、束さんの成長した胸は」
「ちょっと苦しかったけど、大変素晴らしかったです」
一応はイチカも年頃の男子。
喜ばないはずがなかった。
「いっくんへの愛がたくさん詰まっているからね。だから、いっくんならどれだけ触ってもいいよ?」
胸を張って成長した膨らみを主張する束。
胸を張った際に大きく揺れ、それが思春期のイチカを刺激する。
しかし、ここはまばらながらも人目がある。
暗い橋の下にいるお陰でジョギングしている人には束の姿が見え辛いが、さすがに胸を触れば注目される。
「すいませんが、それは別の機会に」
「むぅ。まぁ、いいか」
ちょっぴり残念そうにしている束に苦笑いを向けつつ、イチカは気になっていたことを尋ねる。
「ところで束さん、その子は?」
「あぁ、この子? くーちゃんっていって、助手にしようとこの前拾った子」
「拾ったって……」
まるで犬猫みたいに言っているが、名前を覚えている点から、束の目に適ったのだろうと察する。
「初めまして、クロエ・クロニクルと申します。イチカさんの話は束様より窺っております。色々と」
礼儀正しく頭を下げるクロエ。
色々との部分で、何故か朱色に染めた両頬に手を添えながら。
いったい束からどんな話を聞いているのか、イチカは激しく気になった。
「ちなみに、どんな話を聞いているんだ?」
「よく一緒にお風呂に入られたとか、お互いおやつのプリンを食べさせあったとか、将来は束様をお嫁さんにする宣言をしたとか。他には[自主規制]が[自主規制]で[自主規制]だとか」
次々と語られる内容に頭痛を覚える。
特に[自主規制]の辺りが。
どれもこれも、小学校に上がる前に束と行っていた事だ。
束は照れているが、絶対に分かって喋っていたのだろう。
「ところでいっくん、まだ時間は大丈夫かな?」
時間を聞かれ確認をすると、そろそろ戻らなければ朝食を食べそびれ、学校にも遅刻する。
「そろそろ戻らないと学校に遅刻します」
「じゃあちょっと携帯貸して」
言われるがままに携帯を手渡すと、束は素早く操作して今の自分の連絡先を登録する。
「はい。放課後になったらこれで束さんを呼んで。すぐに会いに行くから」
「あぁ、わざわざどうも」
「いいっていいって、いっくんとは話したい事たっくさんあるんだもん!」
そう言い残し、束はクロエが呼び戻したニンジンに乗り込み、空へと消えていった。
同日放課後、アジトに戻ったイチカは中庭に出て束へ連絡を取る。
学校が終わったので、朝の話の続きをしましょうと伝えると、またも空からニンジンに乗って現れた。
「イチカ、何じゃ今の轟音……は……」
ニンジン落下の音に驚いたテオドラが中庭に出ると、そこには束に抱き締められているイチカがいた。
傍らにはクロエがまるでメイドのように付き添っている。
「あっ、母さん。俺のお客さんだから、お茶お願い」
「……うむ」
呆気に取られていたテオドラは、とりあえずお茶を淹れにキッチンへ向かった。
その後、客室にてイチカと束、クロエで話をする運びとなった。
引き取られる前の束との温かい時間。
こっちに来てからの修行や仕事を手伝う日々。
その間の束が過ごした窮屈で寂しい日々。
束が姿を消してから今日までの、逃走の日々やクロエとの出会い。
これまで会えなかった時間を取り戻すようにイチカと束は喋り、テオドラはお茶を出すと、邪魔をしないようにそっと退室した。
「そういえば束さん、一つ聞いていいですか?」
「うん? 何かな?」
「その、ひょっとしてISを作ったのって、俺との約束のためですか?」
恥しそうにイチカが尋ねると、束の表情が満面の笑みに包まれる。
「そうだよ! いっくん、憶えていてくれたんだね!」
幼い頃にイチカは束に行きたい場所はないかと聞かれた。
当時のイチカは、いつか二人で広い大空を自由に飛びまわり、最後は宇宙まで飛んで行きたいと答えた。
そして二人で指切りをして、いつか二人で宇宙まで行こうと約束をした。
束は約束を守るために機械工学を勉強し、宇宙へ行ける手段を模索し、遂にISへと辿り着いた。
あとは宇宙に出るだけだが、宇宙に出るのはそう簡単な話ではない。
そのために、気に入らないが各国に協力を求める意味で学会で発表した。
結果として子供の夢物語だと一蹴されたが。
「じゃあひょっとして、あの白騎士事件も」
白騎士事件。
ISが表舞台に出るきっかけとなった事件。
軍用機器のトラブルにより、誤作動で多くのミサイルが発射された。
それを全て撃ち落としたのが、後に白騎士と呼ばれる一体のISだったのである。
「うん。半分は束さんがやったよ」
「……半分?」
てっきりISの存在を世に知らしめるため、全て束が手引きしたのかとイチカは思っていた。
「そうだよ。ミサイル発射の情報を知って、ISなら止められると思ってね」
つまり、束はISによるミサイル迎撃には関わったが、ミサイル発射には関わっていないということ。
一瞬嘘かとも思ったイチカだが、束がイチカに嘘をつくとは考えられなかった。
「じゃあ、本当に誤作動だったんですか?」
「分かんない。特に調べた訳じゃないし」
興味なさそうにお茶を啜る束。
クロエに視線を移したが、クロエも何も知らないと首を横に振った。
だとしたら、本当に知らないのだろうとイチカもお茶を啜る。
「まぁ、それで知っての通り世間を騒がせすぎちゃってさ。むしろこの七年でよく争い事が何も起きなかったよ。姿を消してからは居所がバレないよう、逃げ回りながらいっくんを探していたから、割と時間も掛かっちゃったしね」
その逃亡の間にも色々な事があったのだろう。
イチカはそう思っていたが。
「いやぁ、ほら。束さんってば生活力皆無だから、体調は崩しがちになるわ、変な物食べて何度もお腹こわすわ、お金の問題は出るわ、亡国機業とかいう組織にしつこく狙われるわでさぁ」
さらっと言った赤き翼の宿敵に、イチカは飲んでいたお茶で咽て咳き込む。
「げほっ、げほっ。束さん、亡国機業に狙われたんですか?」
「まぁね。でも大丈夫! 束さんにかかれば、あんな奴らから逃げるなんて楽勝だよ」
とはいえ、しつこくと言っていた以上は、何度か接触があったのだろう。
その度に逃げ切ったのだから、さすがと言うべきか。
「でもそいつら、この前ついに壊滅しちゃったみたいでさ。お陰でようやくいっくん捜索に集中できたよ」
「そこ、今の両親がいる傭兵団が潰したんです」
正直言って、今ほど両親とその仲間に感謝した事は無かった。
彼らが亡国機業を壊滅してくれていなければ、再会はもっと遅れていただろう。
下手をすれば再会すらできなかったかもしれない。
「あらら、そうなんだ。じゃあお礼に、顔くらい覚えてあげようかな。いっくんがお世話になっているしね」
相変わらず顔と名前の両方を覚える基準が厳しい人だと、イチカは思った。
「くーちゃん拾ってからも大変でさ、くーちゃんも束さんと同じく生活力皆無だったから」
「少なくとも、束様よりは幾分かはマシなつもりなのですが?」
幾分不機嫌そうに反応するクロエなのだが。
「とか言いながら、この間クロワッサン焦がしたよね。炭みたいに真っ黒に」
「……面目次第もありません」
よほど酷かったのか、閉じている目に手を添えて思い出し泣きするクロエ。
その様子から、おそらくオーブンが黒煙を噴いたなとイチカは思った。
そんな時、ふと束はある事を思い出した。
「そうだ。ねぇねぇいっくん、ちょっと聞いてくれるかな?」
「なんですか?」
「実は、ちーちゃんのことなんだけど」
言い辛そうに告げた名前にイチカの動作が止まる。
織斑千冬。
イチカの元姉にして、今年から開催されるISの世界大会の日本代表。
特集雑誌ではブリュンヒルデと持ち上げられ、国内での人気も高い。
そして白騎士事件で活躍したISのパイロットとの噂もある。
「……あの人が、どうかしましたか」
記憶の中にある千冬は常に過度に厳しく、何も出来ないイチカに呆れる姿しかない。
両親がいなくなってからはより一層厳しくなり、まるで軍人でも育てるかのようだった。
「実はね、いっくんが今のご両親に引き取られた後、束さんの所に来て泣いていたんだよ」
信じられない話に、イチカは硬直してしまった。
「……えっ?」
あの姉が、自分のために泣いていた。
どういう事だとイチカは動揺を隠せないでいる。
「自分がしっかりしなかったから、一夏は離れてしまった。両親に代わって、一人前の男に育てると誓ったのにって」
なおも続く説明に、イチカは追求せずにはいられなかった。
「束さん、その話を詳しく!」
束の話によると、イチカがラカンと出会った翌日のことだそうだ。
前夜に電話で会う約束を交わし、テオドラが知り合いの弁護士のゲーデルを伴って織斑家に来た。
そこでテオドラから、イチカを養子にする話を聞かされた。
最初は反対していた千冬だが、当時の織斑家の経済状況、生活費のためのバイトのため家を空けがちにする事。
なにより学校や周囲のイチカに対する扱いの悪さ。
そういった点をテオドラとゲーデルに諭され、首を縦に振ったのだという。
その後、束の下を訪れて後悔をぶつけるようにして泣きわめいたそうだ。
先ほど束が言ったように、バイトの忙しさにかまけて、イチカの苦しみに気づかなかった。
両親に代わって一人前に育てようとして、厳しくしすぎた。
悔しさをバネに成長して欲しいと思った言動が、全て逆効果だった。
今となっては気づいても後の祭りだと。
「じゃあ、あの人のやっていた事は全部……」
思い出したくはなかったが、話を聞いたら思い出せずにはいられない。
あの溜め息は、自分に悔しい気持ちを持って成長してもらいたかったためか。
思い返せば、言葉は厳しいが目は常に期待の眼差しを向けていた。
家事をやらせていたのは、姉がいなくとも生活できるようになるためか。
思い返せば、家事を押し付けていたのは双子の兄で、千冬は二人でやれと言っていた。
束や五反田家から無理矢理連れ帰っていたのは、自分の手で育て上げようという決意の表れだったのか。
思い返せば、小声で私がやるんだと呟いている気がした。
だいぶやり方や行動に問題はあるが、当時の千冬も一人の学生にすぎない。
変な意地を張ったり、子供の育て方を知らなかったり、若すぎる家長として苦労したりはあったはずだ。
「俺、気付かなかった。何で、今になって……」
俯くイチカに束は立ち上がって歩み寄り、そっと抱える。
「いっくん、ちーちゃんの事は許してあげて。ちーちゃん、とっても後悔しているから」
「……はい」
「じゃあ、会ってくれるかな? 束さんがセッティングしてあげるから、ちーちゃんと仲直りしてくれる?」
「……はい」
これだけ身近な味方に気付けなった。
イチカもその事を後悔し、仲直りを求めた。
姉に対して抱いていた凍った心が、溶けた瞬間だった。
おまけ
千冬との対談を束さんに頼んだ後、何で約束のために作ったISが女性だけしか乗れないのかイチカが尋ねると。
「それは違うよ。男はいっくんしか乗せるつもりが無いから、他の男が反応しないのは当たり前だよ」
突如として落とされた爆弾に、イチカは驚いた。
「束さん? それってどういう……」
「つまりだね、ISは男に反応しないんじゃないの。いっくん以外の男に反応しないだけなの」
紅茶を飲みながら述べた内容にイチカはしばし黙る。
そしてとても気になった事を尋ねた。
「それって要するに、俺はISを動かせるという?」
「うん。動かせるよ」
これまでの人生で一番の衝撃だった。
ISに対する認識が根本から覆りそうだった。
今の話が本当なら、イチカだけという枠に縛られなければ男でもISを動かせるということになる。
「じゃあ、何で女性は束さん限定にしなかったんですか?」
「テストパイロットは束さんとちーちゃんだったからね、限定解除してあるの。束さんだけじゃ、データ取り難しいもん」
公表すれば、世間のISに対する考えが根本的にひっくり返るなと思うイチカだった。