「イチカ、今度の夏休み中にドイツへ来ないか?」
「はい?」
中学二年に進級した一学期の期末終了後、イチカの携帯に千冬からそんな電話があった。
なんでも、現在千冬は訳あってドイツ軍のIS部隊で教官をしているらしい。
それで一度俺を招待し、ラカンの下で鍛えた腕で訓練を手伝ってほしいのだという。
「いやいや、一般人の俺をそんな所に招待していいのか?」
「大丈夫だ。何でも上層部の数人がラカン殿と飲み友達らしくてな、元私の弟でラカン殿の義理の息子だと言ったら二つ返事で許可を出してくれた」
いくら訓練のためとはいえ、それでいいのかドイツ軍。
そして親父の交友関係が何気に広すぎる。
と、イチカは心の中で突っ込まずにはいられなかった。
「そうだ、マドカも連れて来い。一度じっくり話をしたいからな」
「……分かった。予定の関係上、十日くらいが限度だぞ」
「充分だ。では、待っているぞ」
こうしてイチカとマドカは、夏休みの前半にドイツへと旅立ったのだった。
マドカは最初は渋ったものの、イチカの説得に応じて会う決意をした。
この事を知ったシャルロットや刀奈、簪、本音、鈴が自分も行きたいと言い出す。
旅費は自腹だぞ、と言ったら素直に引っ込んだが。
ちなみにイチカとマドカの旅費は千冬が用立てしてくれている。
他にも刀奈が同行を申し出たが、彼女は自由国籍を得てロシア代表になっていた。
その関係でロシアと日本を行き来している上に、今年は受験生という事で却下され、今は学校で夏期講習に参加中である。
「兄様! 本場のドイツソーセージ、凄く楽しみです!」
「分かったから落ち着け、それはイヤホンじゃなくて携帯ストラップだ。手に持っているのもP○VITAじゃなくてT○イントカードだ」
はしゃぐマドカを落ち着かせながら、一路ドイツへ向かう二人。
ドイツの空港に着いた二人は、千冬に聞いた迎えに来ている人物を探す。
すると、軍服を着た女性が周囲を見渡していた。
なんとも分かりやすいが、軍服のために近づきがたいと思いつつ、イチカは女性に話しかける。
「すいません、千冬姉の使いの方ですか?」
イチカが話しかけると、女性は写真とイチカ、マドカを見比べ、即座に敬礼をする。
「お待ちしていました、イチカ・ラカン様、マドカ・ラカン様。ドイツ軍IS部隊黒ウサギ隊副隊長のクラリッサ・ハルフォーフと申します」
ビシッと決まった敬礼は見事だが、ここは一般の空港。
そんな所で軍人が少年少女に敬礼すれば、自然と周りの注目を浴びる事となる。
「ク、クラリッサさん。早く行きましょう、視線が痛いです」
「承知しました。車を用意していますので、どうぞ」
視線が集まる中、案内されて空港の外へ出る。
「どうぞ、お乗りください」
空港を出てすぐ傍の道に横付けされていた一台の車。
それはどこからどう見ても、軍用のジープだった。
「兄様、凄いです! 私、軍用ジープに乗るのは初めてです!」
「うん、俺だって初めてだよ」
確かに軍らしいが、もうちょっとマシなのは無かったのかとイチカは思った。
ジープに乗り込んで街中を抜け、長い時間を掛けて走って辿り着いた軍の施設。
入り口で警備している軍人とクラリッサが何かを話し、ゲートが開いて中へ通される。
そこから先は、完全に軍隊の光景だった。
あっちこっちに銃を手に訓練している兵士や、ISを使っての訓練をしている兵士。
指揮官か教官らしき人物の怒鳴り声に似た指示も次々に飛んでいる。
ただ、ISが配備されている部隊ということで、いるのは女性軍人ばかり。
「ここで千冬姉が教官をやっているんだ……」
「はい。毎日、厳しくご指導いただいております」
イチカが呟いた言葉にクラリッサが返事をする。
若干クラリッサの体が震えているのは、おそらく砂利道で車が揺れているからだ。
「長旅ご苦労様です。こちらが、我ら黒ウサギ隊の宿舎になります」
案内された宿舎は、簡素な外見ながらいかにも軍の施設という雰囲気が漂う。
廊下で見かける隊員達はキビキビと動き、擦れ違う際にはクラリッサに敬礼をしている。
さすがは軍だけあって、上下関係は厳しく指導されているようだ。
そうしている間にとある部屋の前に到着。
クラリッサがノックをして、中にいる人物へ声を掛ける。
「織斑教官。イチカ殿とマドカ殿をお連れ致しました」
「分かった、入れ」
中から聞こえた千冬の返事に従い、扉が開けられる。
室内には、教官服を着た千冬と、直立不動の姿勢をとる左目に眼帯をした鋭い目つきの銀髪の少女がいた。
「よく来たな、イチカ。そしてマドカ、初めましてだな」
弟と初対面の一応妹を前にして、千冬は柔らかい笑みを浮かべる。
すると、何故か銀髪の少女とクラリッサが驚いた表情を見せた。
おそらくは千冬がこんな表情をするとは思っていなかったのだろうと、なんとなくイチカは察した。
「ちょうどいい、紹介しよう。こいつはラウラ・ボーデヴィッヒ、ここの隊長だ。ラウラ、こいつがお前達の訓練を手伝う、もう一人の方の弟だ」
もう一人、という箇所を強調させながら、千冬はラウラにイチカを紹介する。
それを聞いたラウラは、目つきを尖らせてイチカを睨むと、千冬に向き直る。
「そうですか。では、私は訓練に戻ります」
一礼したラウラは、早足に部屋を去っていく。
そんなラウラの態度に千冬は溜め息を吐く。
「まったく。すまないな、あいつはどうも素っ気無くてな。クラリッサ、二人を部屋へ案内してくれ」
「了解しました」
指示に従って退室する三人だが、マドカがラウラの目つきについて呟く。
「あのラウラって人、最初は兄様を睨んでいた気が……」
「……申し訳ありません、隊長は教官の弟君を恨んでいまして」
謝罪と共に始まったクラリッサの説明。
しばらく前に行われた第二回モング・ロッソで、千冬の弟が誘拐に会う。
捜索と救助のため、決勝を棄権してドイツ軍に協力してもらい借りを作る。
その借りを返す為に教官として赴任し、当時は落ちこぼれだったラウラと出会う。
千冬の指導のお陰で隊長の地位に上り詰めたのだが、どこからか決勝棄権の情報を仕入れる。
さらに、その原因が誘拐された弟にあるという情報に辿り着く。
結果、尊敬する教官に汚点を作った弟たる人物を憎むようになった。
「という訳でして……」
簡潔な説明を聞き終えたイチカとマドカは、納得したような、納得できないような気分だった。
「その弟って、兄様でなくて……」
「あぁ、そうだな。冬也の方だろうな……」
「その通りです……」
おそらくは姉の勇士を見に行って、捕まったのだろう。
イチカは電話で千冬に誘われたのだが、その日は簪とシャルロットとの外せない約束があった。
謝罪の言葉とテレビで応援するから頑張れと伝え、イチカはテレビの前で千冬の活躍を見ていた。
決勝を棄権するまでは。
その後、イチカは電話で千冬からある程度の事情を聞いていた。
「睨まれただけで済んだのは、多分冬也じゃなかったからだろ」
「もしもそいつがいたら、隊長さんどうしていたかな?」
「隊長なら、平手打ちして「お前が教官の弟なんて認めない!」って言うでしょうね」
彼女の尖った雰囲気から、その光景が容易に想像できた。
最も、仮にイチカに平手打ちしても軽く避けられるだろうが。
仲良くそんな雑談をしていると。
「お前ら、さっきから何をぺちゃくちゃやっているんだ?」
背後から教官モードの千冬の声が聞こえた。
彼らは雑談に夢中になり、退室した後に一歩も動かず喋っていた。
それが教官室の中までずっと聞こえていたようだ。
「拙い、逃げるぞ」
そう言って、イチカは左脇にマドカ、右脇にクラリッサを抱え、瞬動でその場から離脱した。
「おぉ!? さすが兄様、見事な瞬動です!」
「ななな、なんですか、この瞬間移動みたいなのはっ!?」
この後、道に迷ってクラリッサに迷惑をかけてしまい、平謝りするイチカがいた。
しかし、リアル瞬間移動を体感させてくれた事に礼を言われ、結果的にチャラになった。
「前にも伝えたが、今日からしばらく私の弟が訓練の手伝いに参加する」
千冬が指導している黒ウサギ隊にイチカを紹介する。
その後ろではマドカが座って見学をしている。
集合している隊員達はざわめき、イチカについて小声で囁きあう。
顔の傷が格好いい。
男なのはともかく、一般人に何ができるのか。
割といい体格をしている。
「静かにしろ!」
千冬からの注意に隊員達は一斉に黙る。
「まぁ、こいつの実力を知らないんじゃ、困惑するのも当然だろう。というわけで、ボーデヴィッヒ!」
「はい!」
先頭にいたラウラが呼ばれ、一歩前に出る。
「イチカと勝負してみろ」
不敵な笑みを浮かべながらそう言った千冬に、隊員達の間に動揺が走る。
部隊の隊長クラスと一般人。
その二人で勝負などしても、結果が見えていると思ったからだ。
「分かりました」
そんな事を特に気にすることなくラウラは承諾。
イチカもこれを承諾し、訓練場の一角で勝負を行う運びとなった。
審判に千冬、隊員達とマドカは二人から距離を大きくとって囲うように見物。
戦う二人は空いたスペースの中央付近で、向き合うようにして立っている。
「貴様に恨みは無いが、手加減はしないぞ」
「恨みが無いという事は、俺が誘拐された方じゃないって分かってくれているんだね」
「ふん。だが、貴様が全く憎くない訳ではない。貴様が会場にいれば、同じ目に遭っていただろうからな」
ラウラからすれば、千冬の足を引っ張るという点ではイチカも冬也と同じようだ。
「多分それはないと思うな。それをこの勝負で証明してあげるよ」
「ほぅ、面白い」
ラウラは刃を潰してある訓練用ナイフを、イチカは素手のまま構える。
「貴様、武器は持たんのか」
「安心しろよ。俺は素手の方が強い」
師匠が師匠だけに、イチカも武器有りより素手の方が強く育てられた。
「ならばその自信」
互いに戦闘準備が整ったのを確認し、千冬が手を挙げる。
そして開始の合図と共に手を下ろす。
「叩き潰してくれる!」
開始と同時に駆け出すラウラ。
だが次の瞬間、視界にイチカはいなかった。
どこだと思った瞬間、背中に衝撃が走る。
「ぐっ!」
衝撃を受けて転んだものの、すぐさま起き上がって衝撃を受けた方向を確認する。
そこには構えをとっているイチカがいた。
「貴様、何をした?」
ラウラだけでなく、見物している隊員達も何が起きたのか理解していない。
理解しているのは瞬動術を使ったイチカ自身と、それを知っている千冬とマドカ、クラリッサだけ。
他の隊員達には、開始の合図と同時にイチカの姿が消え、気がついたらラウラの背後に回りこんで背中を殴打していたので、瞬間移動だ、ジャパニーズニンジャだ、というざわめきが生じていた。
「何をしたって言われてもな」
問いかけに答える前に、再びイチカの姿が消える。
微かな土煙が元いた場所に立っているが、音も何も聞こえない。
また背後かと振り向こうとしたが、今度は左脇腹に衝撃を受ける。
「がっ!?」
吹き飛びながら確認をすると、今度は膝蹴りをされたようだった。
「くそっ!」
転がりながらも起き上がり、反撃に転じようとしたら、再び背後から声が聞こえる。
「こうしたとしか言えないよ」
振り向きざまにナイフを向かわせるが、既にそこには誰もおらず、ナイフは空を斬っただけだった。
「なんだとっ!?」
すばしっこい動きをする隊員との訓練は経験がある。
だが、イチカの動きはすばしっこいどころではなかった。
目で捉えることも、追うこともできないのだから。
「悪いな、威力以外は手加減するつもりはないからさ」
気付いた時にはイチカは少し離れた場所におり、両手をポケットに突っ込んでいる。
その姿が余裕を見せているのかと思ったラウラは、攻めてる手を緩めない。
的を少しでも絞らせないように、後方へ回り込もうとしながら徐々に接近する。
「いい動きだよ。表の世界ならね」
傭兵として裏の仕事に関わってきたイチカにすれば、ラウラの動きは物足りない。
裏の世界には、今の彼女以上の動きをする者はいくらでもいる。
その中でも飛びぬけた力を持つラカンやその仲間に育てられたイチカからすれば、ラウラの動きを見切るのは容易い。
「ふっ!」
ポケットに手を突っ込んだまま、イチカは微動だにしない。
にも関わらず、ラウラの右肩と左太ももに何かが当たった。
「ぐっ!?」
突然の衝撃に思わず足を止めてしまい、そこへ同じ衝撃が左肩とナイフを持つ右手、右足首に襲い掛かる。
「あうっ!?」
右手に受けた衝撃でナイフを落としてしまい、拾おうとするがナイフに衝撃が当たり遠くへ吹き飛ぶ。
さらにナイフを拾おうとして無防備になった右脇腹にも衝撃が走り、しりもちをついてしまう。
「あぐっ! な、何が起きている……」
先ほどからイチカには何の動作も見えない。
ただ突っ立ってポケットに手を突っ込んでいる。
それなのに、何かの衝撃が体に襲ってきた。
立ち上がってざっと辺りを見渡しても、何も仕掛けらしき物は無い。
ギャラリーの中に協力者がいて、何かをしているのではとも考えた。
だが、そんな事をすれば周りにいる誰かが気付くはず。
あらゆる可能性を潰していったが、ラウラには何が起きているのか分からない。
「どうする? まだやる?」
「当たり前だ! このまま終わって――」
「じゃあ、仕方ないな」
反論が終わるより先に、ラウラの眼前にイチカが現れた。
そして、いつの間にかポケットから出していた右手をラウラの腹部に添えて腕を捻る。
「一応、加減はするから」
そんな呟きが耳に届いた瞬間、ラウラの視界は天地が逆転していた。
そのまま視界が何度も横回転しながら、ラウラの軽い体は宙に浮き、やがて落下する。
隊員達と千冬の眼には、通常ありえない回転をしながら地面に落下し転がるラウラの姿が映っていた。
ラウラは起き上がろうとするが、体中に痛みが走って起きるに起きられないでいる。
「父さん直伝 羅漢破裏剣掌」
技名を口にしたイチカだが、誰もそれを聞いていなかった。
というより、聞ける状態ではなかった。
自分達の隊長が手も足も出ずに敗北したからだ。
「さすがです、兄様!」
「……これほどとは」
イチカの勝利に喜ぶマドカに対し、千冬は驚愕していた。
高名な傭兵のラカンとその仲間に育てられたのなら、少しはできるだろう。
瞬動とやらを使えば多少はいい勝負をしてくれるはず。
それが千冬のイチカへの認識だったが、それが甘すぎた事を痛感する。
いい勝負どころか、両者の間には圧倒的な力の差があった。
「マドカ、ラウラを医務室へ連れて行け」
「はぁい」
「他の者は訓練に移る! 隊列を組め!」
『りょ、了解!』
動けないラウラに肩を貸して医務室へ向かうマドカ。
痛みを堪えながら顔を後方に向けたラウラは、イチカを見る。
指示を出す千冬の隣に立っている姿に、ラウラは悔しさを覚えた。
(油断はあった、慢心もあった。だが、それが無かったとしても、あいつには勝てない。私も、教官も……)
見ただけでは分からなかった、イチカとの実力差。
それを身を持って思い知ったラウラは、自分の甘さと弱さを思い知った。
試験管ベビーとして戦うために生まれた彼女は、優秀な成績を残した。
しかし、ISの登場により全てが一変した。
特殊なナノマシンを投与され適合できなかったラウラは、どん底まで突き落とされた。
そこから助けてくれたのが千冬だった。
みるみるうちに成績も上がり、最低だった評価も覆して見せた。
どん底から這い上がったラウラの階級は上がり、大部隊の隊長にまで上り詰めた。
訓練ではISでも格闘技でも、誰も寄せ付けず勝てるようになった。
その積み上げてきた自信が崩壊すると同時に、感じるものがあった。
自分の中にあった狭い世界をぶち壊し、千冬に教わる以上に広い世界を教わったような気分が。
世界には自分や千冬より強い人物がいるのだと。
「お前、あいつの妹だったな」
「うん、そうよ」
「あいつはどうやって、あそこまで強くなれたんだ?」
「……あなたと同じ。どん底から這い上がってきたのよ」
マドカは自分が知りうるイチカの話をラウラに聞かせた。
ラカン夫妻に引き取られる前の一夏。
引き取られた後のイチカとしての日々。
それを聞いたラウラは、改めて自身の甘さと弱さを痛感する。
彼のしてきた努力に比べれば、自分の努力は遥かに及ばない。
彼は才能を開花した後も努力を怠らなかった。
それに比べて、自分は周りの評価に流されていただけ。
トップだった頃も、調子に乗って当然だとばかり思っていた。
どん底に落ちた時は、自分はいらない存在なのだと絶望ばかりしていた。
這い上がる努力を始めたのは、千冬と出会ってから。
イチカに当てはめるなら、ラカン夫妻に引き取られてからだ。
問題はその後だった。
ラウラは再びトップに返り咲いた事で、周りを見下していた。
だからイチカに大して油断も慢心もしていた、その奥にある強さを欠片も考えずに。
もしも相手が強かったらと想定して戦っていれば、もう少し粘れたはず。
全ては這い上がった後、それで満足したか、それ以上を目指したかの心がけの問題。
それが先ほどの戦いでの、圧倒的な力の差を生み出した。
「……くそっ!」
「ひゃっ!? ど、どうしたの?」
「すまない。自分が情けなく思って、つい……」
たかが心がけ、されど心がけ。
それを痛感したラウラは、ある決心を固めた。
「イチカ師匠! 私を弟子にしてください!」
昼食を摂るため、千冬の案内で食堂を訪れたイチカとマドカ。
そこで待ち伏せていたラウラが、いきなり頭を下げて弟子入りを頼み込んできた。
突然の事にイチカだけでなく、マドカ、千冬、周囲にいる隊員達が呆然とする。
「えっと……なんで?」
「師匠の下で鍛錬に励めば、本当の強さを得られると思ったからです!」
顔を上げてキラキラと輝く右瞳でイチカを見るラウラ。
そんなラウラに向けてイチカは。
「アホッ!」
「はぐっ!」
拳骨を落とした。
何故殴られたのか訳が分からず、痛む頭を押さえるラウラ。
疑問に満ちた表情のラウラの頬を両方共摘み、横に引っ張りながら説明する。
「本当の強さ? そんなのはタダの言葉遊びだ、忘れろ。強さってのは、形が無い。結局はそいつの持つ心技体がどう活かされるか、どう使うかによるだけだ。第一、得た強さの先には更に上の強さがあってだな」
頬のマッサージでもしているかのように、ラウラの頬で遊びながら強さを説くイチカ。
と言っても、誰かしらの受け売りを自分なりにまとめたものだ。
「わひゃりまひたひゃら、はなひへふははいぃ!」
(訳:分かりましたから、離してくださいっ!)
頬で遊ばれながら抵抗するラウラだが、イチカは手を止めない。
むしろ、面白い玩具でも見つけたかのように、傍らにいるマドカを誘う。
「マドカ、お前もどうだ? なかなか楽しいぞ」
「えっ? ホント?」
横から加わったマドカもラウラの頬で遊びだす。
思ったよりも柔らかく、伸びる頬にマドカも段々と楽しくなってきた。
そのまましばし、ラウラは兄妹の玩具となった。
「まぁ、なんだ。修行をつけてもらいたいってなら、少し教えてやってもいいぞ。基礎の辺りくらいなら」
「本当ですかっ!?」
修行をつけてもらえると聞いた途端、ラウラの目が輝く。
地獄が待っているとも知らずに。
昼食後、先ほどの戦闘で使った瞬動術について簡単に解説し、そのためには気が必要だと説明。
身体能力は軍の訓練のお陰で充分なので、今後もしっかり鍛錬を続けていけばいいと伝え、気を身につけさせる修行に入る。
「さっき説明した通り、気が使えなきゃ瞬動は使えない。だから、気を身につける訓練方法を教えるぞ」
「はい!」
「じゃあ、これ振って」
差し出したのは先端部分に金属を装着した棒。
それを持ったラウラは、予想外の重さに棒を落とし、目を白黒させている。
「あの、師匠。これ何キロ……」
「三十キロ。とりあえず、それを三百回振れ、勿論毎日な」
「三十キロ!? 三百回!? 毎日!?」
驚くラウラに対し、イチカは容赦なくカウントを始める。
「じゃあいくぞ。いーち……」
「ちょちょちょっ、待ってください!」
「次、ランニング」
「あぁぁぁぁぁぁぁっ! これはランニングじゃありません! 全力ダッシュです!」
全力ダッシュするラウラの後ろから、イチカが例の見えない攻撃をしながら追いかけている。
ラウラが回避できるギリギリを見極め、速度をある程度調整している。
「肉体の限界を超えることで気が鍛えられるんだ、つべこべ言わず走れ、当たるぞ」
「にゃあぁぁぁっ!?」
攻撃を背中に浴びたラウラは、猫のような悲鳴を上げながら練兵場を転がった。
「ありゃ、当たったか」
「続いて組み手」
「速い速い速い速い速い! 反応が追いつきません!」
イチカの連続パンチを辛うじて防ぐラウラ。
「それも含めて修行だ。気を抜くと当たるぞ」
「ふぎゃあぁぁぁっ!」
反応が追いつかず脇腹にいい一撃を浴びたラウラは、悲鳴を上げながら地面を転がった。
「ありゃ、当たったか」
こんな調子で修行は続き、若干不安を覚える隊員に見守られながら、十日はあっという間に過ぎた。
さすがに十日で気は身につかないので、今後のメニューはメールでやり取りする運びとなった。
滞在期間を終えたイチカとマドカは帰国の準備を整え、来た時と同じくジープに乗り込む。
「じゃあ、お世話になりました」
「皆さん、お元気で」
「お二人も、どうかお元気で」
交流を深めてすっかり仲良くなった隊員達が、全員で見送りにきてくれた。
最前列に立つラウラは強い決意の籠もった口調でイチカに話しかける。
「師匠! たった十日でしたが、ご指導ありがとうございます! 次にお会いする時までに、なんとしても気を習得してみせます」
拳を握り締めるラウラの頬には絆創膏が貼られており、訓練服も擦傷だらけ。
どれもイチカとの修行で付いたものだ。
「それは楽しみだな。じゃあ、もし習得できていたら、瞬動とは別に何か必殺技を教えてやろう」
「本当ですか!? 嘘だったら私を嫁にもらってくださいね!」
「なんでだ!?」
ラウラの突然の嫁入り宣言に、後ろにいる隊員達から黄色い歓声が上がる。
同時に隣に座るマドカがラウラに威嚇の眼差しを向ける。
「責任をとってもらうとき、日本ではこう言うのだとクラリッサに教わりました!」
胸を張ってドヤ顔をするラウラの発言に、イチカとマドカの視線がクラリッサに向く。
当の本人は明後日の方向を向いて、吹けもしない口笛を吹いている。
千冬は良い意味でのラウラの変わりように微笑を浮かべ、やりとりを見守る。
こうしてイチカとマドカは黒ウサギ隊に見送られ、ドイツ土産を手に日本へと帰国した。
おまけ
黒ウサギ隊にお世話になっている間、千冬とマドカは同室で過ごしていた。
最初は後ろめたさからマドカは居心地が悪かったが、千冬は温かく迎えてくれた。
食事の時はできるだけ隣の席に座り、夜中になったら時間が許す限り語り合う。
結果、言い合いになることもあったが無事に打ち解けあい、笑って話し合えるようになった。
「これが私の入手した兄様の極秘写真です」
「すぐにコピーを私にもよこせっ! 全部だっ! 報酬は幼児服時代の一夏だ!」
「すぐに送ります、姉様!」
余計な物を交換し合う仲にも。