ルイズがチ◯コを召喚しました   作:ななななな

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第十五話

 身の丈程の大剣を背負っているのにも関わらず、ルイズは驚異的な速度と軽やかな身のこなしで、更なる路地の奥へと走り入った。

 途中、剣がカタカタと揺れているのが分かった。言葉はない。どうやら鞘に入っている状態ならば、こいつは喋ることが出来ないらしい。

 建物と建物の狭間。他の干渉がない薄暗い路地裏にルイズは立っていた。じめりとした不快な空気が肌に触れ、つんとする臭いが鼻腔を刺激している。

 ルイズは身体を傾けながら背中の剣を抜き取った。「おい、嬢ちゃん、嬢ちゃん、娘っ子。話を聞いてくれや」剣の言葉は無視した。

 

 左手が、熱かった。その熱と衝動そのままに、ルイズは剣を路地裏の地面へと突き刺した。地面と垂直に立つ、見事な一本刺しだった。己が下腹部の戦闘態勢が如くに。うるせぇ。

 

「なぁ、おい……」

「二度はないからよく聞きなさい」ルイズは平坦な声で呟いた。「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。誇り高きヴァリエールの三女よ。三女なのよ」断じて長男なのではない。おどろおどろしい低い声が夜の闇の様に広がった。ルイズは剣を睥睨した。

 

「見ての通り、花も恥らう可憐な乙女よ」

「おお、すまねぇ、娘っ子……」

「ルイズ。様を付けることを許すわ」

「すまん、ルイズ」

「……まぁいいわ」

 

 ルイズは腕を組んでこくりと頷いた。そこに満足げな表情はなかった。強いて言うのならば透明で、無機質で、虚無だった。虚無の顔だった。

 

「知っていること、全部話しなさい」

「……昔の昔、お前さんと似たような境遇の女に、おれは使われていた。それだけさ」

「に、似たような境遇、というと、それは」

「チンコだ」

「ああ、ああ……」

 

 ルイズは顔を両手で覆った。これはもう「チンコ被害者乙女の会」を設立するべきなのではないか。一つ、真実を知った。何も知らないということは、それだけで幸福であり、不幸でもあるのだ。

 碌に世間を知らないからえげつない衝撃を受けるのだ。彼女はもう少し広い世界で生きようと決意した。もしかしたら自分が知らないだけで、世界はチンコで溢れているのかもしれない。死ね。

 しかし、その怒りと悲しみとやるせなさは長く留まることなく、すぐさま霧散した。顔に触れている紺色の手袋の感触がルイズに平静を取り戻させたのだ。彼女は顔を上げ、また剣に問うた。

 

「それは、誰。何時。何処で」

「覚えてねぇ」

「……他に何かあるなら、続けて」剣の無責任な投げっぱなし台詞に、ルイズは魂が沸騰しそうになった。つまりブチ切れ寸前だった。

 

しかし彼女は、癇癪を起こすことなく全てを押さえ込んだ。所詮は古い剣の戯言だ。ルイズは己に言い聞かせる。大人になりなさい、一皮剥けなさい。チンコの話ではない。

 

 先を促された剣は、「そうさなぁ」と呟き、暫し黙した。短い間の後、ゆっくりと剣は言った。思い出すように。もしくは、探るように。

 

「店で斧を振るっていただろう? あれは、お前さんの素の力では絶対無理だ。そうだろ?」

「……それも、分かるのね」

「そもそも、おれはおれを握ったやつの事が分かるのさ。お前さんが握った武器のことを分かるようにな」

「そう、そうなの。それも分かる、いや、知っているのね」

 

 つまるところ、この古いインテリジェンス・ソードはそういう力を持っているということだ。

 加えて――この剣の発言を信じるのなら――こいつは、かつて己と同じ状況のやつに握られていた、らしい。

 だから、己のクッソふざけた惨状を理解している、ということか。

 それと、左手のルーンに宿る謎の力も。

 

「あんた、知っているの。これが、どういうことかを。原因と、意味合いを」

「いんや」

「このっ……!」

「こちとら六千年も過ごしているんだ。忘れちまったね。それか、端からおれにもわかんねぇのかも知れない。それさえ忘れちまったけどな」

 

 その言葉を受けて、ルイズは黙することしか出来なかった。

 六千年。六千年の時。冗談にしてもあまりにぶっ飛んだ年月だ。聞き入るには値しないただの与太話だった。事実、ルイズはそれを信じなかった。

 その代わりに、ルイズはこの錆びだらけの剣の明らかなる真を感じ取った。年代は別として、少なくとも、長く存在しているのは確かなのだろう。その大剣の声色は儚げだった。

 出会って。知って。別れて。忘れて。また出会う。意義を問いかけたくなるほどの、無意味に思える時間。この剣は、そんな虚無を繰り返しているのだ。それだけは理解できた。

 

「だけど、覚えていることもあるんだわ」ルイズの思考の間隙を縫って、剣がそう言った。「お前さん、困ってるだろ? その、朝とか」

 

 ルイズは頭痛を覚えた。火山噴火現象が脳内を過ぎる。

 苦虫を百匹ほど噛み潰し、この後に苦虫のスープと苦虫のサラダ、メインディッシュである苦虫のソテーが待ち構えているような顔で、ルイズは呟く。

 

「……ということは、かつての被害者様も、そうだったのね」

「そうさな。そいつの絶望的な瞳だけは、なんとなく覚えている」

「ふん……」

 

 知られてしまったこともそうだが、剣の同情溢れる言葉にルイズは虚しくなった。この剣が過ごした歳月を憐れんだのが悪かったのかもしれない。同情し返されている。

 己は無生物にさえ憐憫の情を向けられる存在なのか。しかもそれら全てがチンコに帰結する訳だから、ルイズはもう乾いた笑みにしかならない。都合の良い、いや、都合の悪いことを覚えてやがってこの野郎くそぅ。

 

 

「まぁ、なんだ」ルイズが内なる黒いもやもやと戯れている最中、剣が言った。

 

「おれが居れば、いくらか役に立つぜ。使ってくれや」

「どうにかしてくれるの!?」

「泣きたい気分の時そばに居てやれる」

「クソがっ!」

 

 ルイズは背負っていた鞘を瞬時に抜き取り、突き刺さっている剣の柄に向けて叩き付けるように振り下ろした。

 汚い悪態に付随して、乾いた金属音が路地裏に木霊する。寂しい残響の後に、「すまねぇ」と悲しげに剣は言った。本当に申し訳が立たないという声だった。己の無力を痛感する者の嘆きだった。

 

「つまり」荒れ狂う感情の波を制御して、ルイズは突き刺さっている剣の横に、また同じように鞘を突き立てた。まるで墓標のようだ。

 

「事情は理解している、解決策は知らない、記憶自体も覚束ない状態……そういうこと?」

「まぁ、そうだな」

「何の役にたつ訳?」

「……辛いとき、寂しいときに」

「それ以外で」

「愉快で親切な話相手、なんてのはどうだ? しかも驚くべきことに、なんと剣の役割も果たせる」

「へぇ驚きだわ。うふふふふ。ふざけているのね? そうなのね? 愉快ってところは認めざるを得ないわね。頭に『不』が付くだろうけど」

 

 底冷えするような笑いだった。同情なんて消し飛んでいた。

 今ルイズに必要なのは、行き遅れた貴族の子女に対するような慰めではなく、即物的で即効性のある抑止力なのだ。

 剣は剣で必要とはしている。だがそれは別に普通の剣でもいい訳で。自身の秘所を知ってしまった魔剣に何かを求めるとすれば、股間の魔剣を封印する奇跡なのだ。

 魔剣・股下ビンビン丸の存在自体については、それはもう致し方ない。己が一部で、己が使い魔だからだ。

 けれど、ああけれど、せめて、魔剣の威力を封じることさえ出来れば、魔剣解放を防ぐことが出来れば、ルイズの苦しみは和らぐことだろう。

 だって、あまりにもあんまりだ。もう何度自問したか分からないが、己は今どういう生物なのだろうか。誇り高き貴族の乙女なのか。生殖器で思考している思春期の男子なのか。

 当然前者だ。そうに決まっている。しかし、ルイズは分かる。私は、後者に片足突っ込んでいる状態なのだと。おっぱいにやたら反応したりヴァリエール跡継ぎ生産体制に入ったり。

 美しい庭園に咲く煌びやかな木々を、地獄の釜にくべている気分だった。淑女色の燃料で性欲の炎が噴出してしまっている。

 これでマジでカトレアお姉さま御懐妊とかふざけ腐ったことを成してしまったら、私は世界と一緒に死ぬわ。ルイズは覚悟を決めていた。

 ルイズの乙女が死ぬ時。それは、ハルケギニアが滅びる時なのだ。世界は危険な綱を渡っているのだ。渡らされているともいう。

 

「ふざけてなんかいないさ」そこで剣が言った。言葉通り、至極真面目な色だった。

 

「お前さんにくっついているのは、喋ったり出来ないだろうよ。だから、おれがその代わりになるんだ」

「喋れるわけないじゃないぶっ壊すわよ」

 

 ルイズはチンコがへにょりとおじぎして「こんにちは」と挨拶する様子を脳内に描写して、発狂しそうになった。寸でのところで耐えた。世界は守られたのだ。やったね。やってねぇんだよ私の心が軋んでいるんだよ殺すぞ。

 灰色の思考のまま、ルイズは手袋に包まれた左手をごきりと鳴らす。ふざけていないと言いながらふざけ倒したことをぬかした剣へ、ルイズは殺気溢れる視線を向ける。しかし、錆びだらけの剣は動じなかった。

 

「そっちじゃなくて、そっちの持ち主の方だよ、居るだろ、そいつも。お前さんの中に」

 

 ルイズは一瞬呆けた顔になった。思い浮かぶは武器屋での光景。暗闇世界。幼い自分。黒い犬。そこに刺さる大剣。

 入り込めない世界に入り込んだ異物。闇の中にあった剣と、暗い路地裏にある剣が重なる。

 知っているのだ。こいつは。真の意味で。何もかも。闇の中にいる使い魔たる黒犬に関しては、その黒犬とルイズ以外誰も知らない筈だった。

 

「……分かるのね」

「まぁな」

「そして、あんたが何故分かるのかというのは」

「知らねぇな。あるいは、やっぱり覚えてないだけなのかもな」

「仮に忘れているだけだとして、思い出す気配は」

「ねぇな」

 

 とぼけているのか、それとも本当に何も知らない、覚えていないのか。

 ルイズにとって確かなことは、この剣からは有益な情報を得られないということ。そして知られてはならない秘密を知られてしまっている、ということだ。

 おまけに喋る。これはもう使える使えないどころの騒ぎではない。ゼロを通り越してマイナスだ。

 

「なぁ、いいだろ。安くない買い物だったんだ。このまま捨て去るのも勿体無いだろ」

「鞘込みで百エキューだったじゃない」

「……いやいやいや、まぁ、値段の割りにいい仕事するぜ? 見てくれは悪いが、質は一流だ。保障する」

「……あんた、随分自分を売り込むわね」

 

 やたらぐいぐい来る剣に、ルイズは疑惑の眼差しを向けた。

 この剣をルイズが使う意義以上に、この剣がルイズに使われる意義を、彼女は見出せなかった。

 

「そりゃ、おれが剣だからさ。そうである以上、使われてナンボなのさ」

 

 なるほど。確かにそれはそうだ。ルイズは心中で頷いた。

 そこで彼女は思い至った。インテリジェンスソードらしからぬ値段。武器屋での店主の反応。錆びだらけの刀身。

 さもありなん。要するに売れ残りなのだ。ちくり、とルイズの心にとげが刺さった。鏡の反射の如き己への投影。蔑みと孤独。

 ルイズの顔が僅かに歪んだ。それを知ってか知らずか、路地裏に刺さる大剣は、更なる言葉を紡いだ。 

 

「それに、おれはずっと待っていたんだ。お前さんみたいな奴が来るのを」

「それって……」

「チンコだ」

「おお、おお……」

 

 大剣の切れ味鋭い言葉に、ルイズはもう呻くことしか出来なかった。

 その人生、もとい剣生に、なにかいみがあるの?

 そう尋ねたくて仕方がなかった。チンコ生えた女の子が剣を買いに来る確率は、果たしてどれほどのものなのだろうか。どれほどの年月、チンコ生えた女の子を待っていたのだろうか。ルイズはもう心と頭がいっぱいいっぱいだった。いますぐ喚き散らしたい気分だった。

 この剣がどの様な理由で被害者乙女達を待っていたかは、ルイズは聞かなかった。どうせ返事は『分からない』か『覚えていない』かだからだ。

 言葉を飲み込み、ルイズは考える。この剣を使うべきか、否か。

 この剣がやたら丈夫なのは触った時点で分かったが、ルイズはこれを振るうそれ以上の利益を見出せなかった。不利益だけは泉の如く溢れるように見つかるのだが。

 錆が浮き出る程に古い。知性がある。秘密を知られた。事態の解決には役立たない。

 けれども。

 

「……いいわ。あんたは、今日から私の剣よ」

 

 脳裏に過ぎる様々な不利点を振り切って、ルイズは剣に言い放った。細い腰に手を当て、気持ちふんぞり返りながら、至極堂々と。

 同情がないといえば、嘘になる。記憶と忘却の輪廻を長い間辿っているこの存在に一抹の憐憫の情を抱いたのは、紛れもなく真実だ。

 そしてその感情は、疑いようもなく、剣と己の境遇が同調したが故のものだった。

 しかし、それが全てでもなかった。ルイズがこの老いた剣を選んだ一番の理由は、剣の言葉にこそあった。

 

『おれはずっと待っていたんだ。お前さんみたいな奴が来るのを』

 

 運命と言う言葉を、ルイズは考える。

 人生や出会い。それらは一体どこまでが偉大なる始祖ブリミルのお導きなのだろうか。

 武器屋でこの剣を握ったことだろうか。この街でキュルケやタバサと僅かながら友誼を結んだことだろうか。

 キュルケに秘密がばれたことだろうか。己に齎されたルーンの力のことなのだろうか。

 笑えない笑い話、最低最悪の、召喚失敗男性器結合事件も、逃れられない運命だったのだろうか。

 

 魔法を使えないことが、始祖のありがたい道標なのだろうか。

 あの馬鹿にされ哀れな目を向けられた屈辱の日々すらも、天が定めた道にしか過ぎなかったのだろうか。

 

『――糞喰らえだ。そうだろ?』

『そうね』

 

 なにかがルイズの心へ問いかけ、ルイズはすぐさま肯定の意を返した。

 不思議な気分だった。怒りや憎しみはあるのに、痛みや不快を感じない。

 負の感情の中の、前に進む原動力だけ都合よく抽出した様な、そんな感覚。

   

 この薄汚い湿り気ある路地裏で、ルイズはまた一つ、人生の教訓を得た。

 

 ――受け入れることと諦めることは違う。

 

 この剣は、ルイズの様な人物が来るのを待っていたという。そして、今日、一人と一振りは出会った。

 これが運命なら、そして全てが運命ならば。それでもいい。ルイズは受け入れる。

 何もかも、受け入れる。恥辱も屈辱も何もかも。

 けれど、流されることは御免だった。運命とやらが海原の濁流であったとしても、惨めに無価値にされるがままになるのは、嫌だった。

 

 

 ルイズは半歩ほど進み、地面に突き刺さっている剣を抜いた。手袋の下で、ルーンの発光が分かった。

 腕を上げ、天へ翳すように剣を掲げた。錆びだらけの喋る剣。それがこの手にあるのは運命だ。ならば、それを乗りこなして見せる。

 

「私はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

「おれはデルフ。デルフリンガー」

 

 お互い、二度目の名乗りだった。使うものと使われるもの。ルイズとデルフ。互いを認め合う名乗りだった。

 

「よろしくね」

「よろしくな」

 

 言葉を交わし、ルイズは静かに瞳を閉じる。

 闇に居る小さな自分と、黒い犬。そして、新たに加わった錆びた剣。

 

「お前さんも、よろしくな」

 

 漆黒の帳の中。デルフがそう言って、黒犬は歓迎するように吠え返した。

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズは地面に突き刺した鞘を抜いて、剣を納めようとする。

 錆びた刀身が鞘の中ほどまで入ったとき、ルイズはぴたりと動きを止めた。

 

「一応言っておくけど」

「分かってるよ。内緒にしておくんだろ」

「何もかもね。武器を握れば云々も、今は誰にも言わないでちょうだい」

「はいよ」

 

 この剣がそう易々と秘密を漏らすことはないと思うが、念には念だ。ルイズの聖域をこれ以上広めるわけにはいかない。気を遣い過ぎるということはないのだ。

 また、性域のこともそうだが、己のルーンのことも秘密にしておきたかった。股間の聖なる性器よりかは知られても構いはしないが、無意味に吹聴する意味もない。

 藪を突かれるのは困るのである。

 

「このことは、誰も知らないのかい?」デルフがカチカチと留め具を揺らしながら言った。

「学院長とその秘書は知っているわ。というか、知って貰ったわ」

「……なるほどね」

「……それと、私の隣部屋の奴も。今日はそいつと一緒に街に来たの」

「へぇ。随分と仲がいんだな」

「は」

 

 ぽかん、と。

 全く予期せぬことを言われた、そんな表情でルイズは大口を開けた。疑問符さえも付けられないほど、それは予想外の言葉だった。 

 誰と誰が、仲が良いって?

 ルイズが反論をしようと唇を尖らせれば、それより早く、デルフが二の句を発した。

 

「学院長だとかに伝えたのは便宜を図って貰う為だろ? だから、そんな知られちゃならねぇ秘密を打ち明けた訳だ。必要だったんだろうよ。だけど、その隣部屋の奴に言う意味なんてあるか? しかも、今もこうして関係を続けているんだ。つーことは、それだけ相手と思いあっているってことじゃねぇか」

「ちっ、ちがうわよ。確かに学院長に話した理由はそうだけど、あいつは、あいつには打ち分けた訳じゃなくて、私も不本意だったのよ。無理やりよ。無理やりなのよ」

「するってぇと」

「……そいつは無理やり私の部屋に入り込み無理やり見たのよ。その、朝のアレを」

「もしかして、かなり頭おかしいやつなのかい、そいつは」

「否定できないわ。ちなみにそれ、今日の出来事よ。その後お出かけに誘われたわ」

「なに考えてんだよ……」

「本当にね。なに考えているのかしらね」

 

 なにを、考えているのだろうか。

 ――汚らわしいとさえ言える秘密を知って、尚もひるまないキュルケも。家系のしがらみを無視し、大人しく付き合うルイズも。

 なにを、考えているのだろうか。

 心中だけで、そう締める。答えは出ていない。

 頭を振るう。今考えることではない。

 

「そうだ、今日は私も含めて三人で来ているのよ。知っている方はそいつ一人だけだから、下手こと言わないでね」

「おう、その頭キているのはどういう奴だ?」

「おっぱいが大きいわ」

「知らない方は」

「可哀想なおっぱい」

「それ、自己紹介か?」

「ころすぞ」

「お前さんから話振ってきたのに」

 

 それもそうだ。しかしなぜ、なぜ己がその話題を自ら。責めるべきは。即座に気づき、ため息一つ。

 デルフをきっちりと鞘に納めてから、ルイズは目を瞑る。暗闇。一匹の黒犬と幼い自分。デルフはいない。どうやら彼がここに入れるのは、ルイズが握ったときのみのようだ。

 小さいルイズが、恨みがましく黒犬を睨み付けている。黒犬はそっぽを向いている。尻尾はブンブンだった。あからさまだった。

 男って連中はそんなにおっぱいが好きなのか。百億歩譲ってそれはいいとして、その性癖をよりによってこの私に押し付けるか。

 ルイズは瞳を開く。なんとも業の深い話であった。

 

 

 身の丈ほどの大剣を背負う、魔法学院の制服を着た少女。

 ルイズのその姿は、トリスタニアの通りにあって、とてつもなく人目を引いた。好奇の目。訝しげな視線。ルイズはそれらを気にも留めなかった。慣れているというのもあるが、もう、どうでもよかった。

 

 暫し歩き、キュルケ達との待ち合わせ場所に着く。

 やや開けたところにあるそこには、幾つかの出店が並んであり、木製の椅子がちらほらと点在している。

 

 キュルケが一人、その長椅子に座って頭を抱えていた。

 

 

「……何してんの、あんた」  

「あ、ルイズ……」

 

 ルイズが声を掛けるまで、キュルケはずっと俯いたままだった。

 ようやっと顔を上げた彼女は、困惑と憔悴の色を顔に乗せている。ルイズは辺りを軽く見渡した。タバサは見当たらなかった。

 彼女はどこに行った? そもそも、何故キュルケはこんな顔をしている?  

 疑問がルイズを満たすが、それはそれとして、キュルケのらしくなく萎んだ顔とおっぴろげになっている萎まない風船を目にし、ルイズのフランソワーズ角度が上がった。だいたい『フラ』ぐらいなので、三十フランソワーズと言ったところか。死ね。

 ルイズが思考の雑音対策に掌を開いたり閉じたり骨をバキバキ鳴らしたりしていると、キュルケがルイズの背負っている剣に気づき、眉を顰めた。

 

「なに、それ」

「なにって、剣よ、剣。見て分からないの?」

「分かるわよ。そうじゃなくて、なんであんたが、そんなものを」

 

 どこか棘がある声と視線だった。

 責める雰囲気さえある彼女の態度に、ルイズはまたも首を傾げる。

不思議に思われたり、もしくは馬鹿にされたりするのならまだ分かるが、ルイズはキュルケの射貫くような瞳の意味が分からなかった。

 

 

「必要だと思ったから。それだけよ」取り直して、ルイズは辺り障りのない、煙に巻く言葉を放った。

「ふぅん。随分大きい剣だけど、あんた、それをどうすんの」

「……何よ、あんたには関係ないでしょ」

 

 ルイズが口を尖らせて突っぱねるような言葉を吐いても、キュルケは訝しげな目をやめなかった。

 顎に手を当てて、探るようにルイズを身体を見やる。

 上から辿っていたその視線が、ルイズの下腹部辺りで止まった。  

 

 

「なるほど。二刀流ってわけね」

「それは剣と杖の、ってことよね? ねぇ、キュルケ、こっちを見て。私の目を見て。下を見るな。おい」

「……よかった」

「よかないわよ、おい、おいキュルケ、おい」

「杖は、捨てないのね」

 

 今日二度目の予想外の言葉だった。

 今度は一文字も出ない、完全無欠の絶句だった。

 絶句。ルイズは何も言えなかった。何も言い返すことが出来なかった。

 

 論理的に考えれば。

 確かに、魔法を使えない劣等生が剣を持ちだしたら、杖を捨てた、そう思われても、あるいは仕方ないのかもしれない。

 ルイズ自身、普通の魔法にはある種の見切りを付けていたのだから。杖を捨てる、とまではいかなくても、己はよくいるメイジにはなれないのだろう、とは思っていた。だからこその剣であり、新たな力なのだ。

 それはいい。では、なぜ、キュルケがそんな台詞を吐くのだろうか。なぜ、キュルケは今、安堵の表情を浮かべているのか。

 

 仮にルイズが杖を折ったとして、キュルケに何の関係があるというのだろうか。何の意味があるというのだろうか。

 分からない。ルイズは分からない、振りをした。犬の遠吠えが、奥底で聞こえた。

 

「……私は貴族よ」

「そうね、そうよね」

 

 ルイズの逃げるような短い言葉に、キュルケは満足そうに頷きを返した。

 絡まりつつある思考を投げ捨て、ルイズは背中に手を伸ばし、飛び出ているデルフの柄を握り、少しだけ抜いた。

 

「あんたも挨拶しなさい。こいつはおっ、キュルケよ」

「よう、おれはデルフリンガ―っつうんだ。よろしくな、オッキュルケ」

「誰よ。私はキュ・ル・ケ。それにしても、へぇ、インテリジェンスソード。珍しいわね。なんでわざわざ?」

「色々あるのよ」

「ああ、色々、な」

「はぁ?」

「いいの。それより、タバサは」

「あ、そうだ。そうよ、大変なのよ」

 

 言って、キュルケはがばりと椅子から立ち上がった。

 こっちよ、とキュルケが歩き始めたので、ルイズはデルフを鞘に納めてから後に続いた。

 

 存外、タバサは近い位置にいた。

 丁度ルイズの側から見えなかっただけで、タバサもまた、キュルケと同じように広場の長椅子に座っていた。

 小柄な身体を少しだけ丸めて、本を読んでいる。

 それだけなら普段と何も変わらないが、字を追っているだろう彼女の目が、明らかに平素とは違っていた。

 

 淀んでいる。

 

 透き通った水晶の様な美しい青色が、今や邪悪な魔女が棲む森にある毒沼もかくや、というぐらいに濁っていた。

 実際瞳の色が変わっている訳ではないが、その喩えがしっくりくるぐらい、本を読んでいる少女の瞳は死に絶えているのだ。  

 無言。無表情。タバサはただ本を読み続けている。

 

「なに、あれ」

「知らないわよ……タバサを本屋に連れていって、気づいたらあの泥沼の様な瞳になっていたわ」

「ええ……?」

「その後本を買って、それからずっとあんな感じ……凄いわよ、あの本」

「そ、そんなに暗い話なの?」

「逆よ、逆。甘すぎて口からベリーパイが出るほどの恋愛小説。噂として聞いているけど、ひたすら男と女がいちゃついている話らしいのよ。ヤマもオチもないって評判だわ」

「なにゆえ、あの子がそんな」

 

 今日は驚かされてばかりだ。ルイズから見れば、タバサは学術書だとか古典文学だとか、とにかく小難しい本を読んでいるような印象だったのだが。

 人の好みにケチをつける気はないが、それでもルイズは何事だと思ってしまう。死んだ魚の瞳で頁を捲っているタバサを見ると、特に。

 

「ルイズ、見てよあの表紙。目が痛くなるような激しい桃色。いつものタバサらしくないわ。なんか馬鹿みたいじゃない」

「あんた私に喧嘩売ってんの?」

「あっ、ち、違うわよ、ルイズの髪はあんな色よりもっと綺麗じゃない! ……あっ」

「ぶっ、うっ、ぎ、く、ん、そ、そう、かな? い、いや、そうよ! ふ、ふふん! あんたもやっと私の美しさを分かって……」

「う、うん……いや、うん……」

「あ、あー……そうね……」

 

 何が『うん』で何が『そうね』なのか。ルイズ自身、全く分かっていなかった。キュルケもまた、そうだった。

 口が滑るという言い回しがあるが、今日まさしく、二人の口は滑りっぱなしだった。ツルツルだった。ルイズはツルペタだった。

 お互いに気まずくなっている場合じゃない。二人は目線だけでそう語り、ついでタバサをまた見やった。彼女は未だ活字の世界に生きている。

 

「……で、どうするの? 暫く放って置く?」

「一人にしておけないわ」

 

 至極真面目な表情で、キュルケがそう呟いた。

 ルイズとしては、下手に突っつくよりも本人のやりたいようにさせるべきだ、と思ったのだが、キュルケにとってはそうではないらしい。

 少し、羨ましかった。きちんと見てくれる人が居るタバサ。友人にとって何が最適なのかを即座に判断できるキュルケ。

 ルイズには、縁がないものだから。

 

「何か嫌なことがあったのなら、尚の事気持ちを盛り上げないと」

 

 どこか照れるような顔で、キュルケが言った。ルイズを見て、柔らかく微笑む。

 その目線がルイズの下腹部に届いた。

 

「盛り上がらないでね」

「おいツェルプストー、おい」

「というわけで行くわよ、ルイズ!」

 

 私もいくのかい。

 ルイズは、喉まで出掛かったその言葉を呑み込んだ。

 やれやれ、と首を振る。さっそくキュルケはタバサに絡み、腕を引っ張って何事かを言っている。

 タバサは変わらず、暗い目をしていた。  

 

 ルイズは、王都での目的を既に果たしている。彼女達に付き合う義務はないし、義理だってない。

 そこまで考えて、ルイズの視界に紺色の手袋が映った。

 

 ――ま、余興にはなるかな。

 

 他に他意などありはしない。

 己にそう嘯いて、ルイズは二人の元に駆け寄った。魂の底で、幼い自分が笑った、気がした。

 

 

 

 この後三人で滅茶苦茶遊んだ。

 

 


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