ルイズがチ◯コを召喚しました   作:ななななな

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第十七話

 疲れているだとか、そんな義理はないだとか。

 ルイズは、キュルケが言う「第一回タバサを慰める会」への参加を断る為の方便をいくつか持っていた。

 それらは虚言という訳でもなかった。実際ルイズは疲れていたし、タバサやキュルケに対して何かをする義理や義務はない。

 なのだが、ルイズは断らなかった。怪訝な顔をしているもう一人の巻き込まれた人物、モンモランシーと共に、キュルケに引きずられる格好でタバサの部屋へと向かっていた。

 

 ――戯れよ。興味本位なのよ。あのいつもすましている人形のような少女の泣き顔とやらを拝むだけよ。

 

 言い訳なら、沢山出来た。けれどルイズはそれら全てを言わなかった。頭に浮かんだ多種多様な強がりこそが、ただの虚言でしかなかったからだ。

 

 ――まぁ、いいわ。

 ため息一つ。ルイズは、結局キュルケに掴まれた腕を振りほどかなかった。

 あのタバサが泣き出した、と言っても、キュルケが大げさに言っているだけだろう、ルイズは考える。

 結局のところ、何かの拍子にちょっと涙ぐんだりしたか、あるいは目にゴミが入っただけ、ということさえもあり得る。

 ぱぱっと顔を出して、適当に言葉を投げて、終わり。それぐらいで十分であり、己と彼女はそれぐらいの関係であると、ルイズは思っていた。

 

 

 思っていたのだが。

 

 

 目的の部屋へと辿りつき、三人は中へと入る。

 タバサらしいというべきか、そこは極めて殺風景であった。机、椅子、ベッド、何冊かの本。ルイズは初めてタバサの部屋に赴いた訳だが、ほぼほぼ想像通りの情景だった。

 机の上にはワインのボトルと数個のグラスがあったが、それはキュルケが持ち込んだものだろうと、ルイズは当たりをつけた。

 そこまで見て、ルイズは半ば目を逸らしていた青色の物体に目をやる。部屋のやや中央よりのところでへたりこんでいるそれは、端的に言えばタバサであり、タバサは泣いていた。

 

「ああ、タバサ、ほら、ルイズとモンモランシーが来てくれたわよ、ね、楽しくお話ししましょう?」

「………ぅう」

 

 ここがタバサの部屋で、今開かれようとしているのが「タバサを慰める会」だとするのなら、キュルケにぎゅっと抱きしめられていて目が真っ赤で洟をすすっている青髪の少女は、まぁ、タバサ、なのだろう。嗚咽としゃくりをあげているのも、もしかしたらタバサなのかもしれない。

 元来かなり年不相応な姿(なんとルイズより更に幼児体系)であるが、今のタバサは何時にも増して幼子の様に見えた。なるほど、充血した瞳を潤ませている彼女の状態は、確かに泣いていると言える。ルイズは頭がおかしくなりそうだった。

 一言で言えば、違和感が凄い。

 

「誰よこれ……」

 

 ルイズの頭を巡る凄まじい違和の要点を、同じくして部屋に招かれたモンモランシーが一言で纏めてくれた。ルイズが横にいるその彼女をちらりと見やれば、顎をがくんと下げて目をぱちくりとしていた。おっぱいはあまり大きくない。おっぱい関係ないだろ殺すぞ。

 しかし尤もである。おっぱいではなく、彼女の発言が。

 たとえばもし、このぐずりながら目元の雫を手で拭う少女と、道端にいるおっさん、どちらがタバサでしょうか、と聞かれたら、ルイズはおっさんを選ぶ。タバサが魔法でおっさんに化けていると言われた方がまだ納得出来るからだ。

 それくらい、今の彼女は普段とはかけ離れているのである。なまじタバサの相貌でらしからぬ状態にあるのだから、余計にタチが悪い。

 

 何があったのだろうか。あの氷の如く無表情無感情の少女に。

 刹那、ルイズの脳裏に実家の姿が浮き上がった。実家の庭。庭の中の、今はもうない池。そこにたゆたう小舟。小舟の上で泣いていたのは誰だ? 犬の遠吠えが聞こえる。

 ルイズはタバサの身に何があったか知りたかった。魂に刻まれる衝動。知ってあげるべきだと思った。だから聞いた。

 

「ねぇタバサ、あんたどうしたのよ。何があったのよ」

 

 その言葉と同時にタバサがびくりと身動ぎし、キュルケは呆れた顔をし、モンモランシーはぎょっとルイズを見つめた。

 心の機微も気遣いもへったくれもないルイズの言を、声なく咎めているのだ。

 

 しかしこの反応は、ルイズの予想範囲内にあった。己がこういう言い方しか出来ないのは誰よりも知っているし、他のやり方は出来なかった。

 これがキュルケなら、悲しみの源泉に触れないよう、滑らかに会話し、昼にキュルケが言っていた様に、気分を盛り下げないようにするのだろう。

 彼女は奔放に見えて、その実他者との距離の測り方が上手い。火種の見極めはお手の物なのだ。では朝のアレは? あれは多分キュルケの別人格か何かだ。勃起したチンコ握りたくなるやつがキュルケの内に居るのである。そう思わなきゃやってられない。

 そしてモンモランシーもまた、それなりの対応を見せるだろう。キュルケほど洗練されてなくても、ほどほどに付き合い、ありふれた慰めをして、余計なことは言わないような対応を。

 キュルケとは別の意味で、彼女もまた女性らしいといえる。話の流れを読む力がある。香水つくりにも定評がある。男の趣味は悪い。

 

 では、己はどうなのだろうか。ルイズは自問する。この答えはすぐ出た。致命的なまでに、ルイズは直接的な言い方しか出来ない。自分のことならともかく、誰かを想うものは特に。

 だけどそれは、決して想いがない訳ではないのだ。人付き合いの経験が希薄なだけ。そして、癇癪もちの性分と何もかも上手くいかない人生が、ますます人を遠ざけてゆく。どうしようもない、悪循環。

 ぐるぐる回る泥の輪廻を、けれど彼女はそっと、精神の奥にしまいこむ。

 

 私にはチンコがついているんだぞ!

 

 そう考えれば、ルイズはどこまでも人に優しくなれる気がした。優秀なメイジに対する粘つく劣等。関係ない。私にはチンコがあり、タバサは泣いている。それでよかった。何もよくねぇよ殺すぞ。

 二つの間に因果関係は何も無いが、それすらもどうでもいい。ただ、魂の咆哮がままに。

 ルイズは大またで部屋を横切り、机の上にあったワインを手に取ってグラスへと注いだ。丁度四人分。赤き水が満ちた杯を二つ持ち、その内一方をタバサへとあてがった。

 

「……言わなきゃ何も分からないわ。もし分かって欲しいのなら……聞いてあげる」

 

 もう少し言い方があるだろうとか、よりによって、よりによって誰よりも秘密や劣等を抱えている己がそれを言うか、だとか、自分の発言に対する突っ込みは沢山あった。

 けれども、それが己なのである。それがルイズなのだ。良くも悪くも直情。生き様だけは、変えられない。

 このやり方しか思いつかない。だからそれを成した。ただそれだけである。これでタバサが拒絶したら、そのときはそのときだ。キュルケやモンモランシーに任せて、己は御暇すべきであろう。

 存外、ルイズは平静であった。あるいはこの場にいる誰よりも。確かに、タバサの変容には驚いた。親しくはないとは言え、概ねどのような人間かぐらいは知っている。冷静沈着。黙考の才女。

 そんな彼女が今やただの童女だ。ルイズの人生で起きた衝撃の展開を順位付けするのなら、このタバサの様子は今のところ間違いなく五位以内に入るだろう。

 ちなみに一位はチンコだ。おそらく今後の人生未来永劫変わることない、不動の一番である。嬉しくもなんともない。

 しかしだからこそ、ルイズは誰よりも強く自我を持っていた。チンコが身体にくっつく以上の衝撃があるのか? と言った具合である。乙女は強いのだ。チンコがついているが、乙女なのである。おっさんのタバサ並みに矛盾した存在だった。

 

 

 部屋は停滞した空気に満ちていた。ルイズの突発的な言葉に訝しげな目線を送っていたキュルケやモンモランシーは、今は何も言わずただタバサの動向だけを見ている。

 タバサは、充血した瞳を僅かに揺らした後――こくりと頷いて杯を受け取った。

 ルイズは心中で胸を撫で下ろしながら、椅子を引っ張り出して、我が物顔で座った。どうだ、と言った表情で残る二人を見ると、キュルケは柔らかな笑みを浮かべていて、モンモランシーは戸惑いの色を見せていた。

 二人はそれぞれの思うところを口には出さず、黙って机にある杯を取る。

 乾杯の音頭でも取ろうと思ったのか、キュルケがゆっくりとグラスを掲げようとして、直後、ぴたりと動きを止めた。

 タバサのグラスは、既に空になっていた。

 

 

「話を聞いて欲しい」酒気が混じる吐息と共に、タバサが小さく言った。

 

 声だけは普段のタバサだった。平坦で、感情が読みにくいもの。ただ、瞳は潤んだままだった。

 重要な話が始まる気配に、キュルケは当然の様にタバサの隣へと腰を下ろし、モンモランシーは遠慮がちに、二人の体面へと座する。

 ルイズは身構えるかの如く、椅子の上の己の位置を調節した。もっと具体的に言えば、チンコの位置を修正した。

 

 

「私はガリアから来た」

 

 透明な呟きが、冷たさ混じる風のように部屋の中を吹き抜ける。

 出自さえ誰にも語ることがなかった謎の女生徒、タバサの発言を聞いた三人は――『やっぱり』と心の中で呟き返した。

 

 キュルケは朝のやらかしにより既に察していれば、モンモランシーとルイズの二人は、薄ぼんやりとそうであることを感づいていたのだ。

 

 と言うよりかは、タバサという明らかな偽名に加えその人を近づけない雰囲気の為に、二人は人違いだろうと出来るだけ考えないようにしていたのだが、ルイズ、モンモランシー両名とも、かつて彼女に会ったことさえあるのだ。

 ガリア。ガリアブルー。正確に言えば、それは「タバサ」としてではなくて――

 

 キュルケは表情を変えなかったが、モンモランシーはますます困惑したまま視線をきょろきょろと彷徨わせていた。

 ルイズには、惑いが強く理解できた。おそらく、過去の情報がそうさせているのだ。下手をしたら話は国際問題やら政治問題やらに繋がりかねないのだから。

 連鎖的に、ルイズは閃いていく。タバサの正体。そして、それをモンモランシーも察していること。さらに、モンモランシーがひどく混乱していること。

 ルイズとて驚きや戸惑いはあれども、チンコの衝撃に勝てるものなどないのである。チンコ強い。ルイズは意を決した。

 

「私は――」

「ねぇ、このワイン、誰が持ってきたのかしら」

 

 タバサの言を遮って、ルイズが声を上げた。これ見よがしに、ゆらゆらとグラスを揺らしている。

 予期せぬ乱入の言葉にタバサは目をぱちくりとさせた。それを横目で見ながら、キュルケがゆっくりと手を挙げる。

 

「私だけど」

「駄目ね。ぜんぜんなってないわ。ゲルマニアには安物しか売ってないわけ?」

「これ、食堂からもってきたのよ。適当に選んだものだけど、多分トリテイン産よ」

「うっ……んん、じゃあ、あなたの目がおかしいのね。普通、こんなの選ばないわよ」

「ちょっとルイズ、今はそんなこと」

「だから! 私が今から本物のワインというものを持ってきてあげるわ。感謝しなさい」

 

 タバサとキュルケは、ぽかんと口を開けた。

 突然ワインの批評をしだしたルイズは、そんな二人を置いて次の動きに移っていた。椅子の上から、金髪の戸惑う女を見下ろす。

 

「ねぇモンモランシー、ちょっと手伝って貰えるかしら? 私の手持ちから、二三本持ってこなきゃいけないから」

「え、あ、は…………ああ、ええ、分かったわ」

 

 急に話を振られたモンモランシーは、一度うろたえながらも、ルイズの眼差しから何かを読み取り、こくりと頷いた。

 その様子を見ていたキュルケは、合点がいったという様子でにやりと笑う。 

 

「……ふーん。それなら、味わわせて貰うおうじゃないの。本物のワインとやらを。ねぇ、タバサ」

 

 タバサは小さく頷いた。よくわかんないけど美味しいワインが飲めるならいいや、といった体だった。つまるところ、状況を把握してはいなかった。早速酔っているのかもしれない。

 キュルケは如才なくワインボトルを手に取り、空になったタバサのグラスへと注いだ。気を逸らす為だ。キュルケはルイズとモンモランシーを見つめた。

 

 ――私が時間を稼ぐ。早くいってらっしゃい。

 

 赤き少女の燃えるような瞳は、そう語っていた。

 空気が読めるトライアングルメイジ、キュルケとチンコを握るおっぱい魔人、エロケは別人なのである。

 もうマジで朝のあんたはなんだったの、やっぱりチンコには勝てないの? などと言った妄言を飲み込み、ルイズはモンモランシーと共にグラスを机に置いて、そろそろと部屋から出る。

 扉を閉める直前にちらりと見えたタバサのグラスは、中身が入っていなかった。 

 

 

 消灯寸前間際の廊下。誰もいない、静寂の回廊にて。

 ゆっくりと扉を閉めたルイズは、疲れきったった表情のモンモランシーに向かって囁いた。

 

「……余計なお世話だったかしら?」

「正直なところ、助かったわ。もう頭がどうにかなりそうよ……ところであなた、そんな気のきいた子だったっけ?」

「失礼じゃない、それ。せっかく状況を整理する暇を上げたのに」

「それはそうだけど、そもそもの話、私全然関係ないじゃない。もう、今日はさっさと寝るつもりだったのよ?」

 

 私に言わないでよ、とルイズは言い返そうとしたが、モンモランシーとて文句をぶつけたいわけではなかったのだろう。

 彼女はとにかくげんなりしていた。あるいはうんざりか。ひどい混乱状態でもあるだろう。それゆえに、ルイズはワインがどうたらと理由をつけて、モンモランシーに落ち着く時間を与えたのだ。

 

「というか、あんたはなんで呼ばれたの? キュルケが部屋にまで押し寄せたの?」

「あなたと同じよ、ルイズ。廊下にいたところを、無理やり引っ張られただけ」

「断ればよかったのに」

「そっちこそ」

「私は興味本位よ。タバサの泣き顔とやらを拝みに来たの」そしらぬ顔でルイズが言うと、

「じゃあ私もそういうことにしておいて」モンモランシーはひらひらと手を振り、言外に話はこれで終わりだと示した。

 

 ルイズもそれ以上は聞かなかった。なにかしらの事情があるのだろう。

 

「とりあえず、私の部屋にいきましょう、言い訳に使った以上、ちゃんとワインを取ってこなきゃ」とルイズが言い、二人は静まり返った廊下を歩き出した。

 

 

「で、本題に入るけど」歩を進めながら、ルイズが言った。

 

「うーん、どこから聞くべきかしら、そうね、モンモランシー、あなた、あの子と何か話したことある?」

「……特にはないわね」

「学院に入る前は?」

 

 そこで、隣を歩くモンモランシーがびくりと身体を揺らし、ついでルイズを見下ろした。

 彼女の豪奢な髪が滑らかに動き、ルイズの鼻腔に華やかな香水の匂いが届いた。七フランソワーズ。

 

 

「……知っているのね。まぁ、そうよね、あなたの実家からすれば、お偉い様が集まるパーティで会うこともあるか」

「記憶に残っているのは一回だけよ。たしか、そこにあんたも招かれてなかったっけ?」

「私の場合は、家が近所……というか、親の元仕事先が近所というか……まぁそのよしみよ」

 

 そう言ったモンモランシーの口調には、どこか苦いものが混じっていた。なんとなく、分かる。頂点存在である貴族にだって、身分の高低はある。そして彼女の家庭の事情。

 ルイズは言葉を発さず、モンモランシーの二の句を待った。

 

「……かなり昔のことよ。挨拶ぐらいはした記憶があるけど、それだけ。会話らしい会話は無いわ。先に言っておくけど、なんで名前を変えているのかも、なんでここに居るのかも知らない」

「私もそうよ。もしかして、と思ったことはあるけど、まさか本当に本人だとは。というか、あの子は覚えてないみたいね。私たちのこと」

 

 そんなはずがないという先入観ほど恐ろしいものはない。

 そのものずばりな相貌、明らかに怪しい偽名。ここまで疑う条件があって、だけど疑う以上のところまでは行かなかった。普通ならありえないからだ。

 そうして疑念は風化していく。そもそも学院での関わりがないのだから、そう思ったこと自体、朧げなものになっていた。

 

 先のタバサの発言は、二人がかつて抱いた疑念を再発、また加速させるのに十分なものだった。 

 出身を語っただけであるが――ガリア。青髪。昔の記憶。確信するだけの材料が、全て揃ったというわけだ。

 

 ガリアの王家、王弟オルレアン公の系譜。

 タバサと名乗っている彼女こそ、その長女、シャルロット・エレーヌ・オルレアンその人なのだ。

 なのだじゃねーよ。ルイズは顔を顰めた。

 

「あたま痛くなってきた」

「もう訳が分からないわ」

「……なによりの問題は、王家そのものよりトリステインにいる理由のほうよね」

 

 最も不可解なところはそこだった。名前を変えているのも、結局は高貴な身分を隠すためなのだろう。

 しかし論点の根本として、ではなぜそんな身分の者が外国の学院に通っているのか、ということが持ち上がる。

 ルイズは考える。考えてはみたが、答えは出なかった。

 

「最近はあまり表に出ていないみたいよ、その、あの家は」

 

 補足するようにモンモランシーが言った。具体的な家名を避けたのは、あまりにもタバサの家の位が高いからだろう。そう易々と呼んでいいものではないのである。

 

「……何故ここにいるのかはともかく」

 

 そう言いながら、顎に手を添えて、ルイズは思案する。もとより、タバサの深い事情など分かるはずもない。

 しかし与えられた情報を吟味すれば、それでも見えるものがある。

 

「おそらくはガリアで何かあったのよ。少なくとも、ガリアという国があの落ち込みと関係していることは確かね。そうじゃなきゃ、今まで言わなかった出身をわざわざ明かさないはず。これは多分、よっぽどのことが……なに?」

 

 ルイズが呟きながら考察を整理していると、ふと目線を感じて言葉を切った。

 モンモランシーが、先のタバサを見る様な目をしていた。誰よこいつ、という目だった。

 

「どうしたのよ、ルイズ」

「何がよ」

「いや、何が、というか、何もかもが」

 

 歩きながら、モンモランシーは首を横に振るう。くるりと巻かれ下げられている髪が左右に揺れた。ルイズは芳しく、それでいて厭らしくない甘い香りを感じ取った。ラベンダー。十フランソワーズ。

 

 

 モンモランシーは先ほどからのルイズの様子に疑問を感じていた。ちなみになぜか少し内股気味になっているのも気になったが、そんなことは些事だった。

 あの癇癪ばかりの少女が、今は見る影もなく落ち着き払っている。泣いているタバサに驚き、妙に母性があるキュルケに違和を感じたりしたモンモランシーであったが、冷静で無難な人付き合いが出来るルイズ、というのも謎めいた存在だった。

 

「使い魔を召喚してからかしら。あなた、変よ。教室で訳分からないこと言ってたのもそうだけど、あんなに目の敵にしていたキュルケと仲よくして」

「……仲よくなんてしてないわ」

「今日一緒に王都に行ったんでしょ? 聞いたわ」

「特に理由はないわよ。誘われたから乗っただけ」

「以前なら、きっと断っていた……変わったわ、あなた」

 

 決め付けるようなその言葉に、しかしルイズは反論の弁を持たなかった。おそらく、モンモランシーの言う通りだろうと思っていた。

 おそらく、断っていた。朝のキュルケの誘いも、例のタバサを慰める会だとかも。

 敵対している家柄。小馬鹿にしたような態度。自分に無い物を全て持っている……かつてのルイズは、キュルケを嫌っていたのだから。

 嫌っていた。過去形だ。今はどうなのだろうか。そんなことはどうでもよくなったから、と嘯くのには、少し、微熱に近づき過ぎた。

 肉体は元より、精神にも変容がある。ルイズはそう認めざるを得なかった。本質に近いところの柔らかい部分が、淡い刺激を受けている。

 そしてその刺激を、刺激から来る衝動を、ルイズは拒絶できない。拒絶できなかった。

 

 ルイズが黙していると、モンモランシーは一歩先に出て立ち止まった。ルイズも歩みを止めて彼女と向かい合う。

 

「あなた、本当にルイズなの? それとも、その、内にいるとかいうよく分からない使い魔が、あなたに何かしているの?」

 

 そう言ったモンモランシーの瞳は不安や疑惑で揺れていた。同級の者が、得体の知れない何かに変わってしまったかのような、そんな懸念だ。

 それを見て、ルイズは諦めるように肩をがくんと下げた。これ以上の言い訳や突っぱねでは、最早誤魔化せそうになかった。モンモランシーではなく、自分をだ。

 ルイズは、自分でもらしくないと思いながらも、素直に全てを肯定する。

 

「……変わったと思うのなら、そうなのかもね。うん……きっと、私は変わった。いや、変わっているわ。きっかけは……そうね、使い魔召喚よ」

「……やっぱり」

「でも、それでも私は私よ。ヴァリエールのルイズよ……変わらないものだって、ある」

 

 ああ、全ての答えが一瞬で弾き出せる事が出来るのなら、どれだけ簡単なのだろうか。

 ルイズは何も分からない。タバサのことも。外界のことも。自分自身のことでさえも。

 その不明の闇で、唯一認識可能な光がある。自分は、自分以外の何者ではないという自負だ。過去も今も未来も。ずっとずっと、己はルイズなのだから。

 

 モンモランシーはルイズの瞳を直視した。鳶色の、爛々と輝く瞳。吸い込まれそうなほど深いそれを見て、モンモランシーは息を呑んだ。

 

「いま言えるのはそれだけよ……行きましょ」

 

 気迫に押されてか、立ち尽くしたモンモランシーの横をルイズが抜き去る。ルイズの嗅覚が、とうとうモンモランシーそのものの体臭を捉えた。爽やかな甘さ。未成熟ながらも確かなオンナを感じさせる。うん、十五フランソワーズ! うるせぇころすぞ。ルイズは全集中力を下腹部に集中させた。

 

「待って、ルイズ……あー……その、ごめん」そう言いながら、モンモランシーは小走りでルイズを追いかけた。

「なんで謝るのよ」

「いや、うーん、私もよく分からないけど、とにかく、ごめん」

「……まぁいいわ。ほら、急ぎましょ」

 

 

 モンモランシーは、自身でさえも把握し切れない感情、意識に戸惑いの顔を浮かべていた。

 それを見たルイズは、唐突に、まるで天啓のように、あることに思い至った。

 

 ――みんな、そうなのだ。

 

 人は誰しも、自分の中の『よくわからない部分』に振り回されている。

 だから迷う。だから悩む。だから、人は人と関係を作る。己の中の暗黒を、他者との交流で照らす為に。

 独りでは見えないものがある。だから、見えるようにする。手を結び、輪を作る。当たり前の話だ。しかし、己は、ルイズは――

 

 

 ルイズはゆっくりと頭を横に振った。

 どうしようもない問題は、いつだって付き纏う。

 少し早足になったルイズは、モンモランシーと共に静けさが集う廊下を進んでいった。  

 

 

 

 

「ま、まさか、ちくしょう、まだ余裕があると思っていたのに……! 風呂上がりに女引っ掛けてきやがった……!」

 

 

 

 様々な思考を巡らせて自室に入ったルイズを迎えたのは、デルフリンガーの意味深な言葉だった。

 いつでも喋れるようにと、鍔と鞘の間を空けて壁に立てられている剣は、狼狽したようにカタカタと震えだした。

 

「おいルイズ、思い直せ。おめーはそれでいいのか? 一夜の過ちは取り返しつかないんだぞ? 故郷のおふくろさん、おやじさんに顔向けできないだろうが。そもそも、そういうことはもっと責任が取れる立場になって」

「くそが」

 

 剣が何を言わんとしているか速攻即決で察したルイズは、悪態と共にデルフを蹴った。その後、鞘をきちんと閉じる。

 こともあろうに、このボケ剣はモンモランシーをルイズの夜伽の相手と認識したらしい。全方位に失礼な言動だった。 

 

 

「インテリジェンス……ソード?」

 

 しかし不幸中の幸いというべきか、モンモランシーはデルフの台詞そのものよりも、剣が喋ったことに驚いていた。

 いや、それよりも先ず、なぜここに剣があるのかについても。

 

「ねぇルイズ、これどうしたの?」

 

 会う人見た人全てが剣について聞いて来る。貴族の娘と大剣の組み合わせを考えれば仕方ないのだろうが、それでもルイズは少しうんざりした。

 ルイズは、モンモランシーと向かい合い、丁度先のギーシュにしたものと同じ説明をした。

 街で買った剣。使い魔のなんやかんやで身体能力が上がること。

 それを聞いたモンモランシーは、ギーシュとは違い、直ちに納得する素振りを見せなかった。

 

「……なんで剣なの?」

「なんでって、何がよ」

「いや、いくら力が強くなったからって、普通剣を使おうとは思わないわよ」

「私は思うのよ。まともな魔法が使えないから」

 

 はっ、と息を呑む音が、ルイズの耳に確かに届いた。

 モンモランシーを見ると、目を見開いたかと思えば、直後、申し訳なさそうに俯いていた。

 ルイズは半眼で睨む様に、

 

「……あんたが気にするようなことじゃないわ」と言った。

「……だけど」

「なによ。そもそもあんたも色々言ってきたこと、あったじゃない」

「う……も、もしかして、気にしてる?」

「どうでもいい」

 

 稲妻を切り裂くような、鋭い口調だった。

 実際問題、気にはしていた。

 モンモランシーどうこうではなくとも、かつて投げかけられた様々な言葉は、悪意の有無に関わらず、全てがルイズの心に刻み込まれている。

 だけれども、それを恨むだけで。それを憎むだけで。それを嘆くだけで、果たして何かが変わるだろうか。それの答えは出していた。無駄なのだ。感傷に浸るだけで終わるのは。

 黒い靄には使いどころがある。それは今じゃない。だからこそルイズは、腰に手を当てて、真っすぐにモンモランシーと向かい合う。

 

「どうでもいいのよ、そんなこと。言いたい奴には言わせればいい……ただそれだけよ。私は、そう決めた」

 

 今日は息を呑みっぱなしだ、モンモランシーはぼんやりとそう思った。

 言い切ったルイズの姿は、あまりにも眩しすぎた。至極堂々とした、極光の煌き。しかしそれとは対照的に、言葉に籠った情念が暗すぎる。

 

 爆発で教室を半壊させたり、悪い意味で感情的だったり。モンモランシーから見たルイズは、お世辞にも立派な人物とは言えなかった。

 では今はどうかと問われれば、はっきりとしたことは分からない。今も昔も、モンモランシーはルイズの情報を多く持っていない。

 

 ただ、ルイズの視線はどこまでも真っすぐだった。今日二度目の、その射貫くような光の道筋が、モンモランシーが唯一理解できたことだった。

 

 

 

 

「ところで」ワインボトルを両手に二本持ち、更にモンモランシーに別の一本を持たせた後、ルイズは思い出したように言った。

 

「あんた、ギーシュと喧嘩してるんだって?」

「うぐ」

 

 モンモランシーはうめき声を上げた。

 あまり触れてほしい話題ではなかった。しかし同時に、誰かの助言が欲しい話題でもあった。乙女心は複雑だ。

 だからモンモランシーは、休日の夜中、親しくもないキュルケの誘いに乗ったのだ――恋多き女キュルケに相談する為だ。

 彼女の呻きは、様々な思惑、もしくは困惑から出たものだった。

 孤独のルイズがここまで他人との距離を詰めてくるなんて。この話に乗った方がいいのだろうか。

 

 

 しばし黙った後、ため息とともにモンモランシーは口を開いた。

 

「喧嘩じゃないわ……終わりよ、終わり。ほとほと愛想が尽きたのよ」

「終わり、ね」

「もうふざけんじゃないわよ。男って連中は、そんなに年下の子が良いのかしら。やってられないわ。ええ、やってられないのよ」

 

 話すのを少しばかり渋っていた割には、妙な勢いがあった。やはり、誰かに聞いてほしかったのだろう。

 さて、とルイズは思う。

 モンモランシーの弁は、先ほどギーシュが言ったものとは全く違ったものだった。擦れ違い。浮気。さあ、どちらが真実か。

 吹き抜ける風よりも速く、ルイズはモンモランシーの弁を信じた。あの男は、軽薄という概念が服を着て歩いているようなものだからだ。

 彼が自己申告した些細なすれ違いとらやらより、彼の不貞の方がより信じれらる。 

 

 けれども。

 

『モンモランシーを愛している』

 

 ギーシュの台詞が、ルイズの脳裏を過る。

 軽薄であり、馬鹿な彼であるが、愛の語りを騙るほど愚かではない。それくらいはルイズでも分かった。彼は良く言えば純粋で、悪く言えば底が浅い。

 ギーシュは、モンモランシーと寄りを戻したがっている。単純で、それだけの話だ。では、彼女の方は?

 口ぶりから考えれば、目の前の女はもううんざりと言った口調だ。けれどその中でルイズは、彼女の中の微かな後悔を感じ取った。あるいは、これでいいのかという疑問。

 慣れ親しんだ感情故の察知、理解。ルイズは未だぶつぶつと呟いているモンモランシーへと声を掛けた。

 

「さっきギーシュに会ったけど、あいつはきちんとあんたに伝えたいことがあるそうよ」

「え?」

 

 何事かの文句を口にしていたモンモランシーは、そこで愚痴を切った。きょとんとした顔に、どこか期待の光が宿る眼差しを添えて。

 

「ど、どういうこと?」

「言いたいことがあるってこと」

「私に? ギーシュが? 何を?」

 

 入れ食いだ。ルイズは態度にこそ出さなかったが、心中で呆れていた。

 いくら対人関係に難があるルイズと言えども、ここまで来ればモンモランシーの真意ぐらい分かる。ギーシュのどこに惚れたのだろうか。ルイズの呆れはそこから来ていた。

 

「さぁね。それは自分で聞きなさいよ。ま、悪口とかじゃないから安心して。あと付け加えるなら、必死だったわよ、あいつ」

「へ、へえ」

 

 先までの怒りや不満はどこへ行ったのだろうか。

 急にそわそわし出したモンモランシーを見て、ルイズは疑問に思う。これはルイズには分からない感情だった。

 不要なお節介だったかもしれない。ルイズはそう思わない訳でもなかったが、一応ギーシュとの約束もあるし、何より浮気された本人が満更でもないのだ。

 そのモンモランシーは口元を緩めて、にやついた笑みを浮かべている。

 

「ふ、ふーん? そこまで言うなら、まあ? 少しぐらい? 話を聞いてやっても? そうね!」

 

 何が「そうね!」なのか。

 はにかみながら、視線を彷徨わせ、縦に巻かれた髪の毛を指に絡ませるモンモランシーを見て、ルイズの角度が上がった。二十フランソワーズ。危険領域。

 魔法行使以上の精神力を注ぎ込み、ルイズは己の体を操作する。結果だけ言えば無駄だった。チンコ強い。風呂上り故、短いズボンを履いているルイズであるが、そこに股間のほのかな盛り上がりを感じていた。

 咄嗟に、両手に持つワインボトルで股下を隠す。マヌケ以上の何物でもなかった。ヴァリエールの史上に名を残す勢いである。チンコ的な意味で。

 

 しかしモンモランシーと言えば、そんなルイズには目もくれていなかった。

 ワインボトルを抱きかかえるように持ち、うわの空でにやにやしている。

 先ほどまで対人距離を測ろうとしていたあの目敏さは露と消えていた。これが乙女だということだろうか。

 

 一瞬、ルイズは想起した。懐かしき思い出の一頁。恋と呼ぶには幼過ぎたあの感情、憧憬の閃光。

 ルイズは寂しく笑った。あの名ばかりの『婚約』は、未だ解消されていない。けれども、ここ何年かは会うどころか手紙のやり取りさえもなかった。

 忘れているのだろうか。忘れられてしまったのだろうか。だがそれも故なきことだ。向こうは非の打ちようもない優秀なメイジ。こちらは家名が取り柄の劣等生。しかもチンコが強い。それが一番の問題だな!?

 

 

「……行きましょう、モンモランシー」

「あ、うん、そうね」

 

 果てが見えない思考を置いて、ルイズは先を進む。人生は常に考え続けなければならない。

 だからこそ、その中で優先順位を決めなければならないのだ。形骸と化した己の婚約事情など、あとで考えればよい。

 

 ――そう言えば。

 

 ルイズはふと、かの婚約者の母親が、件のガリアに招かれていることを思い出した。彼女はもう長い間、そこで何かしらの研究をしている、らしい。

 

 ――まぁ、関係ないか。

 

 今考えることは、それではない。

 

 

 

 

「あら、おかえり」

 

 

 二人が、タバサの部屋へと戻ると、キュルケの服が肌蹴ていた。タバサが彼女の腰に抱き着いている。褐色の果実が剥き出しで、先端の種子がこんにちは、はい、百フランソワーズ。後ろ向けご主人様。

 何かしらの声が脳髄に響き、轟く雷鳴の如き閃光の速度で、ルイズは後ろを向いた。短いズボンの下腹部が完全にフランソワーズしている。ルイズは精神を集中させたが、脳裏には浅黒い肌に付いている桃色の夢が強く焼き付いていて離れない。

 しかもあまりの速さで体を回転させたために、ルイズのかかとがぎゅるん、と物凄い音を立てていた。明らかに不自然である。怪しまれないはずがない、ルイズが冷や汗をだらだら垂らしていると。

 

「ちょちょっと、何してんの!?」モンモランシーが、悲鳴ともいえる大きな声を上げた。

 

「あんたたち遅いのよ。もうボトル一本開けちゃったわ」

「ええ……? 二人で全部飲んだの?」

「というか、ほとんどタバサ一人でね。何も話すことなく、黙々とグラスを傾けていたわ」

「もう! それより、いいから服をちゃんと来なさい。タバサもほら、離れて離れて」

 

 流石はモンモランシーである。男の趣味と髪型以外は実に常識的だ。

 無論それはルイズへの気遣いなどではなかったが、結果として時間を稼ぎ、ルイズの奇行に突っ込みが入るのを防いだ。おまけに危険物質の処理までしてくれた。

 しゅるしゅると布の擦れる音を聞きながら、ルイズは目を瞑る。暗闇の中で、黒犬と幼い自分が身動ぎせず佇んでいた。

 一人と一匹が向かい合っている。いいのか、進むぞ。黒犬が吠える。いいのよ、ほら早く。ルイズが手を差し出す。黒犬は躊躇いの呻きを上げた後、前足を小さな掌の上に乗せた。精神統一。深い合一。身体の操作。萎む音さえ聞こえそうなほど、素早く、ふくらみは消えていった。あっけなく危機は去った。

 ルイズが振り向くと、きっちり服を着たキュルケ、疲れた顔のモンモランシー、そして、無表情のタバサが見えた。顔に涙はない。

 けれどタバサの頬は不自然に赤く、また青い瞳は濁った輝きを放っていて、体は横揺れしていた。端的に言えば、明らかに酔っていた。

 

「じゃあ、話を聞きましょうか」

 

 何事もなかった様に、ルイズは淑女然と微笑んだ。

 

 

 

 キュルケはそのままタバサの隣に陣取り、モンモランシーはベッドの上に腰かけ、ルイズは先と同じように、椅子に座った。

 重要なのは位置取りである。チンコのだ。ルイズは絶好の置き場所を見つけるために、椅子の上でもぞもぞと体を動かし微調整を試みた。

 そこで。

 

 

「ガリアはもう駄目。終わっている」とタバサが抑揚のない声で言った。その手のグラスには新しき赤水がゆらゆらと揺れている。

「は」

 

 突然のガリア批判に、ルイズは口を丸く開けた。突いて出るのは意味のない空っぽの言葉。

 キュルケもモンモランシーも声こそださなかったが、概ね似たような反応を取っていた。

 

「だからここに来た。あそこは私の居場所じゃない」

 

 据わりきった瞳で、すっぱりと言い切ったタバサ。相変わらず平坦なつぶやきだったが、言葉尻には隠しきれない冷やかさがあった。

 タバサは杯を傾けて、ぐいとワインを飲み干した。

 

「トリステイン……ここはいいところ。みんな頭が固い」

「馬鹿にしてんのか」

 

 今度は突然のトリステイン批判である。これには股間をもぞもぞしていたルイズも物申さずにはいられない。

 けれどタバサにはそのつもりがないようで、「そこが気に入っている」と静かに言った。そして、

 

「だけど、トリステインも危うい。汚染されている」と暗い瞳で呟いた。

「汚染」

 

 汚染である。言葉の意味が分からずキュルケが堪らず反芻する。モンモランシーは首を傾げ、ルイズは丁度いいチンコの位置を見つけて概ね満足していた。

 タバサは自らのグラスにとくとくとワインを注いで、即座に口を付けた。

 

「私が一番好きな本は、イーヴァルディの勇者」酒気の吐息とともに、タバサが言った。

「はあ?」

「昔からよく読んでいる。とても好き」

「はぁ」

 

 話の流れが滅茶苦茶である。ガリア終わった、トリステインは気に入っている、好きな本はイーヴァルディ。

 酔いが回っているのだろうか、この話の着地点はどこにあるのだろうかと三人が戸惑っていると、

 

「三年前、ガリアでイーヴァルディの新解釈の本が出た」とタバサが言った。瞳はますます暗く、沈んだものになっている。

 

「それは、どういう話?」いかにも本題ですと言わんばかりの彼女の態度に、キュルケは刺激しないよう優しい声色で問うた。

「……村の男の子が攫われて勇者が助けにいく、という話」

「ん?」

 

 ルイズは引っ掛かりを感じた。字面だけで言えば何も問題はない。イーヴァルディの勇者は話の種類が多い。基本は勇者が悪者を倒す分かり易い勧善懲悪ものなのだ。弱きを助け、悪しきを挫く。

 しかしタバサは、「男の子」という言葉をやたらに強調している。彼女の目が悲しく細められた。

 

「男の子が男の魔王に攫われて男の勇者が助けに行く話」もはやそれは悲鳴のような呟きだった。

「……男しかいないの?」キュルケがおすおずと言った。

「男しかいない。作中に愛を語る場面が二回ある」タバサは泥沼のような瞳だった。

「は?」ルイズがまた呆然とした。

「……お、男しかいないのに?」そのモンモランシーの呟きに対して、タバサは吐き捨てるように、

 

「腐ってる。もうやだ」と言った。

 

 

 タバサの瞳は重々しい暗闇でいっぱいだった。幼いころから慣れ親しんだ愛書が、得体の知れない化け物に変化したのだ。彼女の絶望はとても推し量れるものではない。

 彼女は脇に空のグラスを置いた後、俯きながら両手で顔を覆った。内にあるドロドロした何かを吐き出すように、嘆きを紡ぐ。

 

「これがきっかけ、ではないけれど、ガリアはそういうことに寛容になっている。むしろ推奨まである」

「す、推奨って……つまり、男と男が、その、えっと」さしものキュルケも言い淀む。

「そう。同性に対するあれこれ。女同士も含む。ガリア終わった」

「ええ……」

 

 ルイズはドン引きしていた。これが、これがガリアの闇か、と。タバサは、これが嫌になったのだと。

 寛容、というのならまだ分からなくもない。生理的に納得はできなくとも、だ。

 けれど推奨。これはもう意味が分からない。同性同士のあれやこれの推奨。子供はどうするんだ。ガリアは自ら国力を落とすつもりなのか。そもそもそう言った一般的に不道徳な事柄を、宗教家の連中が黙っているはずがないだろう。

 ――しかし、そんな諸々の問題点はさておき、ルイズは気づいてしまった。

 尋常なる考えではまずあり得ない、国を挙げての同性同士の何がしか。言ってしまえば国策だ。そしてその国策を決めているのは。

 さらにらに、タバサの身の内を考える。王家に連なる血筋。

 

 冷静な頭が、残酷な答えを出してしまう。

 同性愛の推奨に、タバサの身内が関与している。少なくとも反対はしていないのだろう。タバサの叔父はガリアの王だからだ。

 己の国を指して「終わった」というのも頷ける。頂点に問題があるのだから。

 

「なんでそんなことに」

「……」

 

 ルイズの呟きに、タバサは沈痛な顔で頭を振るった。知らないのか、それとも知っていて尚いいたくないのか。三人はその判別がつかなかった。

 そこでキュルケがはっとした様に、

 

「ねぇ、もしかして、あなたが昼間落ち込んでたのって。その本が」と言った。

「そう。ガリア限定出版だった筈のアレが、トリスタニアの本屋に置いてあった」

「そんな」

「しかも人気があるらしい」

 

 ――平積みで置いてあった。

 まるでこの世の終わりを見たかのような絶望の呟きだった。

 手に取りやすい位置においてある破滅の爆弾。休日に賑わう本屋に積まれた終末装置を見て、タバサの乙女心は粉々に砕け散ったわけだ。

 

「……じゃあ、昼間読んでいたあの本は?」

「……文章的な技巧が薄くても、盛り上がるところがなくても、それでも、あれは正常な男女の姿を描いていた」

 

 だから、そこに救いを求めたのだ。だから、それを読むことで、何が正義なのかを確かめようとした。

 結果だけ見れば、精神は全然休まらなず、ただ無意味に時間を使っただけとも言えるが。しかしそんな無味な行為に、タバサは縋った訳だ。それぐらい追い詰められていたのだ。

 ルイズとモンモランシーは何も言えなかった。そもそもそういった本が出回っていること自体初耳だった。

 二人は閉鎖された場所で学業に勤しんでいるので、そういった世俗に対しては疎いところがある。

  

「も、もう! これだからはトリステインは駄目ねぇ! タバサ、よかったらいつでもゲルマニアにきていいわよ? 歓迎するわ」

 

 と、国外出身であるキュルケが明るい声で言った。トリステインに何か含みがある訳でなく、地獄から逃げてきたらそこもまた暗黒街でした状態のタバサをひたすらに気遣うためだった。

 タバサはキュルケから露骨に視線を外した。

 

「ゲルマニアは、もう……」

「タバサ!?」

「あそこも私がいる場所ではない」

「な、なにがあったの!? ねぇタバサ、ゲルマニアに何が!?」

 

 タバサはキュルケに肩を掴まれがっくんがっくんと身体を揺さぶられた。

 しかし言葉はなく、ただ只管キュルケから目を逸らしている。

 

 ルイズは言葉を探した。何と言えばいいのか。どう声を掛けたらいいのか。けれど、対人関係に乏しい己では、相応しい発言を思いつくことが出来なかった、

 モンモランシーもまたその様だった。彼女は青銅で出来た像の如く、じっとその場を動かない。それどころか、まともに思考できているかも定かではない。

 

 論点だ。話の論点を思い直せ。ルイズは頭を回転させる。

 この場に来た理由はなんなのか。ガリアがどうたら。同性愛がこうたら。汚染がなんたら。   

 それはあまりにも衝撃的で、またタバサの悩みの根本であるから目につくが、この場での本題はそこではないのだ。

 

 これは、この場は、タバサを慰める会なのである。

 ルイズは椅子から立ち上がり、机にある己の分の杯を手に取った。

 他の三人の視線を浴びて、ルイズは挨拶代わりにワインを一気に呷った。

 口当たりの良い甘みと酒気による熱りを味感じながら、ルイズは声高々に言った。

 

「飲みましょう」

 

 嫌なことは飲んで忘れよう。

 何の解決にもならないが、そもそも世の中の大半は不明の理であるのだ。

 とりあえず飲む。あとは野となれ山となれ。明日の自分が悩めばいい。今日は飲む日なのだ。

 

 

 この後四人で恋バナとかした。タバサは普段「他人には興味ありません」という態度をとっている割に、色恋沙汰ことに興味津々だった。

 モンモランシーの恋路を応援し、キュルケに慎みを持てと苦言を呈していたり。あくまでその瞬間を切り取れば、タバサは苦悩を忘れているように見えた。

 ちなみに彼女の好みの男性はイーヴァルディの勇者らしい。同性愛者じゃないほうのだ。 

 高潔で、強く、優しく、そして美形。出来れば同年代位がいいとのこと。

 理想が高すぎる。極めて乙女らしい少女の無垢な願いに、三人は何も言わなかった。代わりにほほ笑みを向けた。都合が悪い時はとりあえず笑ってればいい。

 そうして夜は更けていった。

 

 

 

 

 結局、日付が変わるまで四人は喋り続けていた。

 タバサが船を漕ぎ始めたところで、この場はお開きとなった。

 今、ルイズは自室の部屋の前に立っている。頭に浮かぶのは、別れ際の、タバサの眠そうな声だった。

 

『またこうやって集まりたい』

 

 孤高に見えた。馴れ合いは好きそうに見えなかった。才能溢れて、何事にも動じない少女だと思っていた。

 今の今まで、ルイズの中のタバサはそういう人種だった。自分と何もかも違う、羨望の対象だった。

 けれど、実像はまた違ったものだった。才能はあるのだろう。けれど、孤高とは言い難かった。誰かに話を聞いてもらいたい、悩みある乙女だった。

 

 タバサの幼い呟きに対し、キュルケは二つ返事で承諾し、モンモランシーも控えめにだったが頷きで返した。

 

 ルイズは、何も言わなかった。否定も肯定もなかった。

 

 どうしたらいいのか。疑問が湧き出た。疑問に対する解答は存在しない。

 ルイズが能動的に出来るのは部屋の扉を開けることぐらいだった。

 

 部屋に入ると、無造作に転がっている剣がカタカタと揺れていた。ルイズは不承不承と剣を鞘から抜いた。

 

「ぷはぁっ、おう、どこ行ってたんだ?」

「タバサの部屋よ」

「タバサって、あの青髪の嬢ちゃん、だよな? お、おめー、あんな小さい子にナニを!」

「ぶち転がすわよ」

 

 どれだけ私は信頼ないんだ。ルイズは剣を睨み付けた。

 もしタバサに対して性欲を抱いたのなら、性別云々よりもまず人としてどうだということになる。彼女があまりにも幼児体系だからだ。しかしその考えは自分にも跳ね返ってくるわけで。ルイズは無性に悲しくなった。しかもチンコがある分ルイズの方がより女性的ではない。男性度で言えば圧勝だが。嬉しくもなんともない。

 ルイズは、ちょっと話をしただけよ、しね、と吐き捨てて、再びデルフリンガ―を鞘に押し込んだ。いい加減眠いので、朝までこうしてて貰おう。

 

 服は脱がなかった。疲労が溜まっていた。身体にも、心にも。

 もし白いごにょごにょで汚したとしても、その時はその時だ。人間、疲れ切っているときはやけっぱちな思考になるものである。

 明日後悔するとしても、それは明日の自分が背負うものだ。今日の自分は眠いのだ。実際は日付が変わっている訳だが。

 

 そのままの格好でベッドに飛び込むと、すぐさま眠気が襲い掛かってきた。

 微睡に逆らわず、ルイズはぼんやりと天井を見つめた。

 

 徐々に遠ざかる思考の果てに、ルイズはぐるぐると渦巻く蔦を見た。絡みつくそれの中心部には己の心がある。 

 

 男女あやふやな体。貴族でありながらまともな魔法が使えない。

 そして、余計な感傷や馴れ合いは無駄でしかないと思っているのに、一方でそれを求めている己の本質。

 

 矛盾だらけだ。矛盾の蔦に、自分は囚われている。

  

 眠りに落ちる、一つ手前。

 最後の最後に見えたのは、笑いあう少女たちの姿だった。

 

 

 

 

 今日という一日は、ここに幕を閉じた。また新しい朝が来るまで、ルイズは帳の向こうにひっそりと包まった。




長い一日でしたね。

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