ルイズがチ◯コを召喚しました   作:ななななな

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第八話

 

 実際問題、そう悩んだり苦しんだりする必要は、ないのではないか?

 

 学院長の執務室を出たルイズは、軽い足取りでそんなことを考えていた。

 たかが、たかがチンコがくっついただけだ。

 もし信用ならない者にバレたらそりゃもう大変なことになるが、逆に言えば、露見しない限りは他に外的影響はないのだ。

 使い魔と認めさせることも出来た(無論周囲に正体は伏せているが)、風呂などの問題も難しいものではない。もっと長期的な話――たとえば家族。家族に、説明は――

 

『ルイズ、杖を抜きなさい』

『あの、母様、その……』

『ルイズ、杖を抜きなさい』

『母様、その、あの』

『ルイズ、杖を抜きなさい』

『……』

『……』

『ば、ばばーん!』

『カッター・トルネード!』

 

 結果的にルイズは死ぬ。ひたすら母親に苦手意識を持っている少女は、顔を青くして身震いした。

 先送り、ささささ、さきおくりよ! 人知れずうんうんと頷くルイズ。心なしか、どこかの何かも同意してくれている気がした。

 そうだ、そうだ、もっと、もっと楽しいことを考えよう。辛いことや難しい問いではなくて。左手が光っている。

 

 なんとなれば、人は行動次第で如何様にもなれるのだ。もっと楽しく生きようではないか! チンコなんて、その妨げにすらならない……ならない、ええ、きっと。

   

 この天下を冠する美少女に、よりによってぷらぷらした玉と棒がにょっきしているのは、あまりにも屈辱で情けない話だが、そもそも屈辱というのなら、私は、昔から、ずうっと――それは駄目だぜご主人様。

 

 ぴたりと歩みを止める。一瞬、整ったルイズの顔が白痴のように呆けたものになった。左手が光っている。

 

 ――まぁなんでもいいか。

 

 何事もなかったように、再びルイズは歩き出す。

 とにかく今は気分がいい。どういう訳か。

 廊下を歩き、何の気もなしに外へ出る。空は快晴であり、見てくれの上では、それはルイズの心情を表している様に透き通っている。

 身体も、心も、下手をしたら生きてきて今まで一番の絶好調だった。

 鼻歌さえ出しかねない程に上機嫌で、ルイズは暫し外を散歩することにした。午後の授業には、まだ時間が有る。

 

 

 

 一際大きい広場に着けば、ルイズが先ず目にしたのは、幾人の生徒達が杖を持ちじゃれあっている姿だった。

 マントの色から判断するに一年生だろう、彼らは、笑いながら杖を振るい、先から水を出したり小さな火を出したりして談笑している。

 まぁ、微笑ましいこと。ルイズは聖母のような優しい顔つきになった。左手が光っている。

 

 要は、入学したばかりの生徒が、同年代の者に自身の技術を見せ付けあい自慢しているのだ。

 これだけ同じ程の年齢のものが一堂に会することは、学院以外ではそうないだろう。挨拶代わりみたいなものだ。俺はこれくらい出来る、私はこれくらい、へぇやるじゃないか――

 左手が極光を放っている。ルイズは、ただぼけっと生徒達のじゃれあいを見ている。ちくちくと故無き痛みが瞳を貫いてる――気がする。

 ほとんど無意識に、片方の瞼に手を重ねた。ちょっとした小屋ほどに大きくなった黒犬が、発情期の様に目を爛々とさせている。

 

 別におかしいことはないわね。ルイズはそう判断する。しかし何処からかともなく芽生えた居心地の悪さに、彼女はその場を立ち去ろうと、また歩を進め始めた。

 

 

 その時だった。 

 

 

 後の話になるが、あの時、何故即座にあんな行動を取れたのだろう、ルイズはそう首を傾げる。その答えは、思考の領域外にあった。

 それがルイズの本質だから。それだけのことだった。

 場面、必要性、成す為の能力。全て揃っているのならば、この誇り高き少女にそれ以外の選択肢はない。

 肢状に分岐した無数の運命線。彼女が選ぶものは、とうに決まっていた。

 

 

 今から起きること、起きたことは、まるで世界がトチ狂ってしまったかのように、全てが鮮明に、全てが鈍化して、ルイズは全てを視界に納めていた。

 

 

 ぽつんと、一人の少女が俯いて座っている。茶色掛かった髪の――これまたマントの色から判断して、一年生。

 その少女は、離れた位置にいる同級生たちとは違い、ただ暗い顔で溜息をついている。

 少女がいる場所からいくらかの距離をとり、正面ではしゃいでる生徒達も、彼女を気に留めず、無邪気にじゃれあい、そうして、一人の生徒が杖から出した明らかに身の丈にあってない大きな火球が――

 

 その時点で、ルイズは弾ける様に大地を蹴っていた。

 鈍い世界で、自身のじれったくなる鈍さを呪い、ただ一人でいる少女の方に向かい駆ける。

 

 誰も声を上げられなかった。生徒の制御を外れた火球は、その行使主の全く予期せぬ方向――俯く少女へと、ごうごうと唸りを上げて飛んでいく。

 他生徒達はぽかんとしている。下を見る女生徒は近づく脅威に気付かない。そしてルイズは間に合わない。距離がありすぎる。

 

 咄嗟に、左手を服の内側に突っ込んだ。握った杖をさっと取り出す。そうするべきだと何かが囁いた。吼える声ではなく、儚い囀りの声だった。

 左手が激しく輝いて、一段と駆ける速度が上がった。風すらも置いてきぼりにする、人外の域の迅速さだった。現象をおかしく思う暇さえなく、マントのたなびく音が遠く聞こえる。

 火球が迫る。少女は気付かない。焦燥と風が頬を撫でる。駆ける、駆けろ。速い、けれど遠い。ルイズは少女を突き飛ばそうと考えたのだが、駄目だ、僅かに、届かない――

 

 

「ロック!」

 

 

 ルイズが何かに導かれるように唱えた「鍵を閉める魔法」は爆発という結果を起こし、正確な狙いのそれは、少女に迫り来る火球を横殴りするように消し飛ばした。

 短く太い破裂音の後に、しゅうしゅうと火球の残滓が陽炎になって消えてゆく。

 がりがりと地面を靴底で削り、驚異的と呼べるまで膨れ上がった速度を殺すルイズ。気味悪いほどの静寂が、広場いっぱいを包んでいた。

 虚空に杖を突きつけて動かないルイズには、ただ荒くなった自身の息遣いだけが聞こえていた。

 刹那の硬直、その終わりに。

 じゃれあっていた下級生が、蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。

 

 うわぁ、だとか、あっ、だとか。

 

 悲鳴の様な喚きがごっちゃになっていたので、ルイズに正確な判別は出来なかったが、彼らは背走前に大体そんなようなことを言っていた。

 ルイズはふんと鼻を鳴らした。責任逃れ、謝りもしない。それが貴族のやることか。杖を懐にしまいながら、フライを使い空へ逃げる一年生達を、キッとルイズは睨み付けた。

 魔法の失敗はしょうがないだろう。けれど、仮にも己の力が原因ならば、そのことに責任を――ずきりと、頭に痛み。

 

 そこで、ルイズは起こった事件全てのことを埒外においた。あの生徒達も、助けた少女のことも。なにもかも。

 

 ルイズは顔を歪めた。左手が光っている。まるで頭の中でガンガンと鐘が鳴っている様だ。なんとなく、分かる。これは、警鐘だ。何かに、気付けという、警鐘。

 片目をぎゅっと瞑る。爆発音と犬の遠吠えが聞こえた、気がした。絶望色の爆発がルイズの半分を満たし、黒犬がそれに弾き飛ばされている。犬の身体から黒い靄が抜け落ちていく。同時に、その体躯がどんどんと萎んでいった。

 

「あ、あの!」

 

 現実から響く声に、ルイズははっと目を開いた。

 そこには、件の少女が立ち上がっていた。胸元に手を当て、ルイズを心配げに見ている。

 自分へ襲い掛かって来た危険に気付いたのだろう、少女は勢いよく頭を下げた。

 

「あ、ありがとう、ございました!」

「……いいのよ。気にしなくて」ルイズは素っ気なく返した。少女の無事は喜ばしいことであるが、正直、それどころではなかった。

 

 頭の中で、心の中で、魂の中で。何かが、暴れている。悲哀が混じる犬の呻き。悲観だらけの爆発。音なく響くそれらは最早耳鳴りだ。ルイズの内で、確かに何かが傷をついている。

 限りなく現実に作用する幻痛に、ルイズの表情が歪む。間近でそれを見た少女は、驚きと戸惑い乗せた声で「どこか怪我をしたんですか」と言った。

 

「……大丈夫よ。怪我なんてしてないわ」

「でも、とっても苦しそうで……」

「心配は無用よ。ほら、もうそろそろ授業でしょ、あなたも」

 

 言葉の最後に、ルイズは微笑むことが出来た。逆に言えば、それが精一杯だった。

 少女の二の句をまたずルイズが足早に歩き出すと、慌てたような礼の声が背後から聞こえた。

 ルイズは、返事をすることも、振り向くことも手を振ることもなかった。

 

 

 

 

 ルイズはもはや駆け足に近い速度で、歩いていた。けれど、教室に向かうつもりも授業に出るつもりもなかった。

 厳しい顔で歩を進めていると、唐突に強烈な吐き気を感じた。原因は分かっていた。これは肉体的なものではない。精神から出る高負荷が、無惨にルイズを虐めているのだ

 ルイズは足を止めなかった。代わりに、右目を抑える。

 

 黒の水平線に爆発の閃光が瞬き、子牛ほどの大きさの黒犬がくるくると宙に弾き飛ばされている。

 なんとか体勢を戻し闇の地面に着地した黒犬は、前方を見据えて短く鳴いた。その声はただ憐れみだけが乗っている――そんなことをしても、あんたが苦しむだけだぜ。

 

 犬の鳴き声の先には、幼いルイズが立っていた。相変わらずの空っぽの瞳は、どこを見ているか分からない。その小さい手には、杖がぎゅっと握られていた。

 幼いルイズは口を開く。分かっているわよ。平坦で、冷たい色だった。対面する黒犬は一際強く吼えた――意味が、ないだろう!

 

 意味ならあるわ。幼いルイズはすっと杖を振り始めた。

 悲しいほどに洗練された杖の動きは、限りない挫折の軌道を描き、口をつく磨き上げられた呪文は、ただ惨めな過去を詠っている。

 また、爆発。犬は吹き飛び、体躯から黒靄が漏れ、ルイズの心は無情に傷ついていく。

 犬は、ぐるぐると低い呻きを上げた――最後の手段だ。

 身体を若干前傾にして、四足で強く踏ん張った。ルイズはそこで、犬の左前足がぼんやり光っていることに気付いた。

 

 

 

 ぴたりと足を止める。血が、集中している。顔を下に向ければ、先程のように、スカートの前部分が不自然に盛り上がっていた。

 冷静に、辺りに人がいないかきょろきょろと見渡す。授業が近い為か、誰の姿も見えない。

 ルイズは酷薄な笑みを浮かべた。絶望の鐘がガンガンと響く中であっても、未だ頭は冴えていた。そう言うことね。左手のルーンが光っている。

 

 暗闇に棲む黒犬と幼い自分。唸る犬と嘆く自分。光を放つ使い魔のルーン。唐突に起きる身体の異変。都合のよい思考。

 大体、分かった。これが、どういうことなのか。

 

 ふっ、と息を吐いて、ルイズは精神を集中させる。駄目だ、と犬が吼える。幼いルイズが笑った。

 予想があった。たびたび増幅する使い魔のルーン光、これは、感情の高ぶりによってその光を増減させているのだろう。

 

 

 それは、誰の感情だ?

 

 

 意識すれば、答えは簡単だった。自分の物だから自分の感情。そんな常識は、こいつには通じないのだ。

 感情のうねり。それによる精神への干渉。自分の思考外から強制的に引きずり出された、らしくない考え。

 それらすべてを睥睨して、ルイズは滾る極寒の激情で上書きした。天に翳した左手は、恐ろしいほどの眩い輝きを見せた。

 黒犬は怯み、スカートは萎んで、ルイズはまたやって来た痛みに顔を歪ませ、しかし微笑んだ――この条件で、『誰か』がルイズの感情の振れ幅に勝てる訳がないのだ。

 ルイズは笑った。死人の様に青褪めた顔で笑った。あまりの己の滑稽さに、大声を出しかねないほどだった。 

 

 ふらふらと幽鬼のような足取りで歩みを続け、何も顧みることなく自分の部屋へと戻った。ばたんと強く強く扉が閉められる。

 ルイズはそこに背を任せ、そのままずるずると床にへたり込んだ。

 頬を伝う冷水には、気付いていた。それを拭う気にはなれなかった。

 火傷しそうなほどの、凍える灼熱。ルイズの魂は熾烈な炎の中にある。敵意や悪意、劣等感。黒い感情の炎の中に。

 

 ――だから、言ったのに。

 そんな声が、聞こえた気がした。気のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 ただ分かりきっていることは、歪んだ大木の如き、無惨な真実だけだった。

 

 ルイズに魔法は、使えない。

 

 分かってしまった。それがはっきりと、ルイズには理解できてしまった。

 あの刹那。あの瞬間。広場で、女生徒を救った、あの爆発――失敗魔法。

 一度の失敗で、爆発で、ルイズは本能で解答を出してしまった。

 これが、己の魔法なのだ、と。

 

 

 ずっと、ずっと前から、ルイズはその確信に至っていた。ただ認められないから、癇癪の様に抗っていただけだ。

 第一、自分のあるのかないのか分からない才能を信じていたとするのなら、女生徒に迫る火球を吹き飛ばすのには、もっと相応しい魔法を選ぶ筈なのだ。

 だと言うのに、ルイズが選択したものは『閉錠の魔法』であり、そして皮肉にも、思惑通り、失敗、爆発を産んだのだ。

 咄嗟だった。咄嗟だからこそ、ルイズは真実に手を伸ばした。端からそれしかなかったのだ。だからそれを掴めた。それだけの話だ。

 

 

 結果だけ見れば。

 詠唱速度。高威力。そして今回は狙いすら完璧だった失敗魔法は、あの場面では適切なものだった。

 火球を消し飛ばし、女の子は無事。お礼まで言われた。誇る、べきなのだろう。己の選んだ道と、爆発を。

 

 だけど、それでも。

 

 

「私は、ゼロだ」

 

 人知れず口から漏れたのは、聖歌のように透き通った、呪いの様な呟きだった。

 鳶色の瞳からはらははらと流れる雫は、彼女の服に染みを作り、やがては消えていく。

 掻き毟るように胸を抱く。薄っぺらなそこには、けれど莫大な希望が込められていた。その筈だった。

 いつか。いつか。いつかいつかいつかいつかいつか。

 火・水・土・風。四大系統のどれかに目覚め、スクエアクラスなんて言わない、ドットでもかまわない。

 それでもいいから、ただ、魔法を使いたかった。どんなものでも、どんな能力が低くても。

 

 証が欲しかった。己がメイジであり貴族の生まれであると、誰にも分かる当然の証が。

 

 

 それさえも、ゼロだ。   

 

 

 受け入れたくなかった蔑称を、ルイズはすんなりと口にした。

 落涙は止まらず、滲んだ視界は未来さえも映さない。

 自身の内にあった悪しき感情が、一斉に襲い掛かって来たようだった。まるで漆黒の靄が、四肢全部を縛り上げているかのような、猛烈な不快感。

 苦しくて。悔しくて。憎くて悲しくて辛くて寂しくて。慣れ親しんでいた筈のいつもの感情も、こうも一度にくればその痛みは尋常のものではない。

 げほっ、と肺の中から空気が漏れた。嗚咽と一緒に、悲鳴のように痛々しく。 

 

 

 

 極論の極論で言えば、魔法を使えなくてもよかった。世界が己を認めてくれさえすれば、それでよかった。

 

 強く、強くなりたかった。強く生きたかった。

 力が欲しかった。それは魔法と限定したものではなく、襲い来る害意を全て蹴散らす、自分だけの力が欲しかったのだ。

 常識的に考えれば、魔法こそが、正しく力たる物の筈だった。

 ルイズは貴族だ。

 貴族であるならばメイジであり、メイジであるならば、力の拠り所を魔法に託すのは、極当たり前のことなのだから。

 

 けれど少女には、その当たり前が与えられなかった。

 ルイズはもう十六歳だ。なのに、幼子でも使えるような簡単なものでも、爆発という無様な結果を生む始末。

 あんまり過ぎる人生に、ルイズはとうとう笑ってしまう。

 使い魔の召喚だって、あれは結局失敗だ。失敗したからこその部分召喚だ。そのままの状態では存在できないから、ルイズと一体化している。それだけだ。

 ちらりと横を見る。部屋の一角に、干草の山が積まれている。それは使い魔を召喚に成功した際に使うつもりだった、それ用の寝床だ。

 笑える。自嘲の笑みだ。自分には過ぎた夢だった。何もかも失敗であった。結論は、それだった。あるいは失敗よりも性質が悪い、部分的な成功だった。

 

 ねぇ、そうでしょう。ルイズは目を瞑る。黒犬が、寂しげな瞳で所在無く座り込んでいる。大きさは、もう、最初に見たときと同じ位に萎んでいた。

 根拠は無いし、論証も無い。だけど、確信だけはあった。この黒い犬こそが、己が使い魔――正確に言えばその思考の一部――なのだ、と。

 無論、元は犬そのものが召喚される筈だった、という訳ではない。

 召喚される予定だったのはヒト型であり、これは自身が無意識のうちに判断した、比喩的顕現なのだ。

 なぜに犬という姿をとっているかは、ルイズ自身にも分からない。知るすべも無い。自身の内なる神秘は、自分が一番理解できない未知なのだから。

 

 

 ――辛い現実で自分を傷つけて、お前は幸せになれるのかよ!

 

 

 聞こえた気がした幻聴は、才能なき己を慰める情けない自演行為でしかないのだろうか。

 きっと違う、ルイズは頭を振った。孤独な世界の中で、確かにここに、ささやかな味方がいたのだ。

 

「ありがとうね……ちょっとでも、楽しい気持ちにさせてくれて」

 

 涙を流しながら、か細い声で、しかし穏やかな顔で、ルイズは黒犬にそう告げた。

 喚いたり、嘆いたり、とても他人には言えないようなことをやらかしてしまったり。

 昨日から今日。ルイズの調子は狂いっぱなしだった。だけれども、ああ、少なくとも、劣等感の刃から、こいつは守ってくれていたのだ。

 黒き感情を吸収する犬。魔法を使わせない為に、真実に気付かせないように、異常事態を引き起こし引き止める行為。

 

 それは多分、幸せな幻想で。

 そこに浸ってさえいれば、今の様な身を引き裂くような絶望感を味わうことだって、きっとないだろう。

 目を逸らしたまま生きて、目を逸らしたまま笑う。苦しみや悲しみからは全て使い魔が守ってくれる。

 そうして、たまに怒鳴ってたまに困って、面白おかしく楽しい人生を送ればよい。何もかもを、見ないことにして。

 

 けれどそれを、その人生を歩む己を、果たして『ルイズ』と呼ぶことが出来るだろうか。

 胸を張って、これこそが自分だと、誇り高く主張することが出来るだろうか。

 

 出来なかった。ルイズにはそれが出来ない。どうあろうと曲げられないものが、彼女にはあるのだ。

 逃げてしまうことになる。このままだと。魔法が使えない。それはもう、いい。けれどそれでも、自分はヴァリエールのルイズであり、貴族なのだ。

 

 逃げないし、負けない。貴族に背走はない。

 綺麗ごとだということは分かっている。それでも、だ。

 

 

 絶望の暁に。

 ルイズは何を見たのか。何を感じていたのか。何を思ったのか。

 

 ルイズは証明したかった。自分が自分である証を、何より強く渇望していた。

 

 それは学院の教師にでもオールド・オスマンにでもキュルケにでも他生徒たちにでも家族にでも世界にでも証明することでは、ない。

 

 自分だ。自分が納得出来る結果こそが、ルイズが一番欲しかったものなのだ。

 

 だから、ルイズは。

 

 

 認めよう。自分は確かに『ゼロのルイズ』であり、使い魔の召喚すら不正な結果になり、笑える身体を手にいれてしまうほどなのだ。

 劣等生なのだろう。落ちこぼれなのだろう。メイジとしての才覚がなく、出来損ないの烙印を押されてしまうのだろう。

 じくじくと染み渡るような痛みが、全身にぱぁっと広がっていく。

 まるで、中途半端な治癒を施した傷口が、毒華のようにぱっくりと開いたようだった。

 今のルイズは、自らそこを冷水に突っ込んだようなものだ。ただ理不尽な痛みだけが、彼女を苛まさせる。 

 

 けれどそれは、理不尽ではあれど、無意味ではなかった。

 それは敗北の宣言でもなければ、無様な白旗を振る行為でもなかった。

 

 

 成長する為に伴う苦痛。地を這う芋虫が、蝶へ羽化する為に必要な原動力。

 暗闇の先の霞む様な光を掴む為に、自ら黒の深みに飛び込む蛮勇。

 

 ――身を焦がす激情は、何も結果を齎さない。

 

 それは、確かにそうだ。少なくとも、幼い頃から今までは。 

 劣等感。羞恥。絶望。失望。その他の苛烈な感情は、ただ焦りを産むだけだった。

 

 使い方が、間違っていた。ルイズの選んだ答えはこれだった。

 何もかも何もかも何もかも全てが、全ての忌まわしき過去が、経験が、今のルイズを作り上げていたとしたのなら。

 それを、忘れることは出来ない。捨てることは出来ない。

 利用すればいいのだ。怒りも嘆きも苦痛も絶望さえも、先に進む力に変えてしまえばいいのだ。

 

 魔法が使えないというのなら。それならそれで構わない。

 きちんと前を向いてさえいれば、いつか歯車がかみ合うときも来るだろう……そう、信じている。

 今すべきなのは、今ルイズが欲しているのは、純粋な『力』だった。

 自分が自分であると証明する為の、力が、欲しい!

 

 

 そうだ、その方向でいい。

 闇の中で、幼い自分が、立ち上がっている。儚い笑みを浮かべながら、黒い靄を全身に纏っている。

 それらを残さず内の中に入れて、幼き少女は満足げに頷いた。これが私であり、これがあなたなのよ。

 黒犬はくぅんと寂しげな声をだした。幼き少女はその頭に小さな掌を乗せた。ルイズは目を開いた。 

 

 

「いつか、『貴方』ともきちんとケリを着けるわ」

 

 

 真剣に考えないことにしていた事実がある。

 いや、考えないように『してもらっていた』というほうが適切だろうか。

 

 どこかで、身体の一部が『欠けて』しまった使い魔の本体の存在。

 世界のどこかに、そのものがいるはずなのだ。ならばメイジとして貴族として、そしてルイズとして。

 彼女は、その責任をとり、この愉快なナニをきっちり返す義務がある。 

 紛いなりにも、この使い魔は己を守ってくれていた。ルイズが必要としてなくても、確かに暖かいものをくれたのだ。

 その忠義には、報いなければならない。

 

 

 僅かにこびり付いた頭の冷静な部分が、無理だ無謀だと囁く。うるさい。恥ずべきものは忘れてしまえと言う。黙れ。

 巨木の様な困難や大石の如き試練が、この先、彼女の前に立ちはだかるだろう。

 それが、どうした! 

 

 運命。困難。試練。自身を妨げるもの全て全て全て、この手で薙ぎ倒す。

 負けてなんか、いられない。神様のさだめからも、暗い現実だって、チンコだって!

 

 

「全部全部、ぶち殺してやるわ……!」

 

 

 獣の様に笑い、赤く腫らした瞳はギラギラと煌く。

 ルイズは、べったりと背にひっついた扉を引き剥がし、堂々と立ち上がった。 

 祝福するように、後押しするように、見守っているように。

 左手のルーンが、優しい輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

 

 なお、翌朝ルイズは夢精した。

 

 

 

 




色鉛筆にまたがって ゆくぞ地獄へ菓子買いに

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