私が異変に気がついたのは、居間でテレビを見ていたときでした。
お風呂にお湯を入れにいったお母さんが帰らないと気がついてしまったのです。
そのとき、ちょうどホラー映画を映し出していたテレビの電源が切れました。幼い頃の私には、その静寂がとても怖くてお母さんがいないことにとてつもない不安を感じたのです。
お風呂場は扉が開けっぱなしでした。
水音がひっきりなしにぺちゃぺちゃ…… ぺちゃぺちゃと鳴り響き、お湯はとっくに溢れていました。
しかし、どこにもお母さんはいません。
湯の上に浮かんだエプロンが虚しく揺れていました。
幼い私には意味が分かりません。お母さんが消えてしまったのだと思い、急いで湯に近づこうとしました。
そのときです…… 湯がゆらりと音をたて、湯船から巨大ななにかが飛び出してきました。
真っ白で三角形のような、ぬめぬめした粘液が滑り落ちていく柔らかなもの。後から考えると、あれは巨大なイカの触手でした。
うねうねと、その場で触手が蠢くとエプロンは湯船の中へと消えていきました。
私は、単純に恐怖を感じたからかそのまま飛ぶように玄関へと向かいました。
家の中は巨大なイカの触手のようにぐねぐねと蠢き、廊下はとてつもなく長く感じました。永遠に続くような廊下、その端々にある部屋には得体の知れない黒い化け物のようなものや、水に浸って出てきたのか、本の中の生物のような中途半端な海洋生物がそこら中を泳ぎまわっていました。
一心不乱に玄関へと突き進む私と、その後ろから伸ばされてくる触手。普通、幼子の足で勝てるものではありませんがそこは夢なのです。
間一髪、扉を潜り抜けて外へ躍り出ることに成功しました。
「おさなきこ、はやくおにげ」
舌足らずのような、なにかの声が聞こえて私はびっくりしてしまいます。
その声の主を探せば、足元には漫画の中から出てきたようなカメが首を一生懸命伸ばして私を見つめていました。
「にげなされ」
なおも続けるカメにさえ恐怖を抱き、私は走り出します。
その直後、 「にげなされ」 と壊れたラジオのように言い続けるカメを触手が攫っていくのが見えました。
あの触手は、私の全てを奪っていくようで泣き出していました。
家の門を抜け、公道に出ると触手は鉄の門さえ捻じ曲げて出てきました。
そのまま逃げても触手はきっと追って来てしまいます。
そこで私はとある場所へと向かいました。
向かう途中でたくさんの人が水と触手に捕らわれていきました。
やがて、私はカン、カンと甲高い警告音の鳴る線路へと辿り着き、躊躇いなくそこに飛び込みました。
やってきた触手は電車に巻き込まれ、真っ赤な飛沫をあげて両断されます。また、雲間が晴れて太陽がさすと途端に端から干からびていきました。
これにて一件落着。
夢から起きた私には立派なトラウマになると同時に、これがとある神話の世界へどっぷり浸かる原因となったのは…… また別の話。
帰りは怖い。
クトゥルフTRPGの世界からは帰れません。
夢の出来事なのでいろいろと訳分からないうえにやまなしおちなしですけれど、夢だから仕方ないね。