この短編で死んだ人をリサイクルしたのが錆理論の主人公。
「あっ」
不意に椿が小さな声を洩らした。その声は聞きようによっては悲鳴にさえ聞こえる。前よりも短くなった前髪の下で恐怖に怯えた瞳が大きく見開かれていた。
彼女は私と一緒にいるようになってからというものほんの少しだけ目線を上げるようになった。野暮ったい程に長い前髪は目に入りそうな程だったのに、今ではそれが短くなっているのだ。未だ彼女が被っている 「地味で暗い少女」 という猫は剥がれていないが、ましになったほうではある。友人としては喜ばしいことだ。
しかし今はそれが弊害になっているようだった。今しがたすれ違ったばかりの女性を目で追いながら椿の肩が震える。視てしまったのだ。黒く塗り潰された目を。もうすぐ、あのすれ違った人は死ぬ。事故か自殺か、はたまた他殺かは分からないが、赤の他人であるあの女性は日が沈む頃までには死んでしまうのである。今は夕方、もうすぐ日没。
── 答えは一つだった。
「椿、追ってみましょう? 事故ならすぐに救急車を呼べば助かるかもしれないわ。…… 現実を打ち破りたいんでしょ?」
椿に問いかけるが、本当は私が知りたいのだ。彼女の能力が本物であることを。彼女の能力は私と違って中々使える機会がないし、それが本当であることを知って、私が安心したいのだ。そうして始めて私達は完全な同盟者となる。
── 私ばかりが能力を見せるのはフェアじゃないわ!
疑り深い私は唯一悩みを共有できる友人相手だというのにまだ疑っている。騙されているんじゃないか? せせら笑われているんじゃないか?いくら体温で嘘を見極めることができてもそれが完全だとは限らない。間違えるときだってあるのだ。だから甘い言葉を言ってこの自分勝手な友人を丸め込む。私も大概自分勝手だわ、と心の中で呟いてから彼女を伺い見た。
「そうね、間に合うかもしれないわ。家に連絡して冒険しましょう。両親への言い訳は……」
「カラオケってことにしときましょ!」
二人して歩きながら電話を済まし、女性の白い服を目印にしてなるたけ足音を立てないように後をつけた。カラオケのあるビルはすぐそばにあるため不振がられることも恐らくない。子供 (高校生だけど) の脳みそで考えられることなんてたかが知れてるのだ。黒いレンガの道は夕陽に照らされて少しだけ赤い。もうすぐ椿の予言時刻だ。
「そういえばこの辺あんまり来たことないわね」
そう思って口に出したのだけど、椿の暗い顔に少しだけ口をつぐんだ。
「前来たときは工事もしてなかったんだけど、駅も狭くなってるし嫌になるわ」
椿が前を見るのを躊躇うように駅からこちらに目を向ける。それよりもカラオケで何を歌ったかを考えなければ、と彼女の家は案外厳しいらしいことをぼやく。私の家ではあまり突っ込まれたことは言われないので楽観視できるため、 冗談目かした曲を言う。彼女が笑おうとしたその時、椿は目を見開いた。
それば突然の出来事だった。
甲高いクラクションと何かがぶつかる音、そしてグワァァンという耳が張り裂けそうな程の音が鳴り響いたのだ。
今だに痛む耳を押さえ、暫くは使い物にならないと判断して先程まで追っていた女性を探す。しかし、誰もいない。駅にいた人達はこちらを指差す者と、上を指差す者、蹲ったり、恐らく泣いたり悲鳴をあげているのだろう人の三種類に別れている。
椿は…… 呆然と立ったまま落ちて来た真っ黒な鉄板を見やっている。
ようやく耳が機能するようになってから聞こえたのは、遠くで鳴る救急車のサイレンの音だった。
「どういう、こと?」
夕陽で真っ赤になったタイルが別の赤で塗り潰されていくのを見て、やっと私は何が起きたのかを悟った。そして、幾分か遅い悲鳴を上げたのだ。
椿の予言は本物だった。…… そして、救急車を呼んでも、すぐに医者に診て貰っても無駄だと嘲笑うような目の前で起こった光景に、私達は言葉を失ったまま立っているしかなかった。
数時間後、一番近くにいたとして警察に連れていかれたが何を話したのかは覚えていない。ただ確かなのは案外椿が冷静だったのと、私達に消えない傷が残されたということだけだった。
・鉄板と赤いタイル
元ネタは意味が分かると怖い話。「意味が分かると怖い話」と「赤いタイル」で調べると多分すぐに分かります。
・タイトル
分かりやすくこうしましたが、元のタイトルは「知識の代償」だったりします。