俺と彼女の出会い
俺は不死身だ、なんていうと思春期によくある妄想癖か頭のおかしい人に思われそうだが、それ以外に自分の体質を説明する言葉は思いつかない。おそらく、俺は今までに五回は死んでいるだろう。火事、落下してきた鉄骨、飛び降り、海難、滑落。どれを取っても命を落とすには充分過ぎて、無傷であることなんてほぼ有り得ない。俺の両親も最初の火事で死んでしまったし、自らの意思でやった飛び下り自殺以外は必ず俺以外の死人が出ているのだ。しかし、俺はどれに巻き込まれたって怪我一つしたことがない。
落ちてくる鉄骨を見上げて気を失ったかと思えば、気が付けば無傷のまま木陰で目を覚ましたなんてこともあった。俺がぐちゃぐちゃになって死んでいる姿を見た人が誰も居ないと言うのだから、もしかしたら、ただ単に運がいいだけというのも有り得なくはないが、そう考えるのには少し無理がある。ビルの五階から落下して、当たり所がよかったってだけで無傷で済む筈がない。俺が死なないのだと考えた方が自然だろう。
しかし、不死身だからといって俺の生活が普通の人と変わっているところなんて一切無い。不死なんて死ななきゃ一般人と変わりやしないのだ。だから俺は他人との感じ方の違いに若干の違和感やストレスを持ちながらも、高校、大学そして社会人になって今に至るまでを何の変哲もなく生きてきたのだ。
そうして、俺はあの少女と出会った。
*
その日は春と呼ぶにもおこがましいくらいの熱気で、朝のニュース番組なんかでも真夏日予想が出されていた。そうそうに衣替えをしたいとは考えながらも、また平年並みに下がる可能性や気力が起きないのもあって未だに厚手のスーツを着ていた俺は、スクランブルの赤信号に時間を取られていた。大学生の頃からバイトで勤め、去年の春から晴れて正規雇用にしてもらった会社は横断歩道を渡った目と鼻の先にあり、腕時計を確認しても間違っても遅刻するような時刻ではない。しかし信号の赤色とは不思議なもので、どこか追われるような焦燥を感じながら、額を流れ落ちる汗を拭う。都心外れの住宅地ということもあって車通りは多く、もし赤信号を無視して交差路に身を乗り出そうとするなら、普通の人は瞬く間に撥ねられてミンチになることだろう。
だから、最初は見間違いかと思ったんだ。車の往来の中を堂々と歩く、今時珍しいもんぺを履いた、普通ではまずない真っ白な長い髪の少女が見えたときは、中高生の見る幻想よりも馬鹿らしい錯覚だと思った。目を皿にして、手の甲で擦っていた時に、周りからざわめきの声が上がるのが聞こえて、ようやく見ているのは自分だけじゃない、つまり現実なんだということに気付いた。心配するような声や指示、怒号の対象になっていることがわからなかったのか、少女は特に気にすることもなくこちら側へ渡ってこようとする。余所見運転でもしていたのか、全くスピードを緩めようとしない大型トラックの目の前を横切ろうとしながら。
危ない。頭の中がその単語だけに染まってからはスローモーションのようだった。考えるよりも先に体が動いて、少女を助けようと自分も交差点に足を踏み入れる。自分から死ぬと分かっていて飛び込むなんて、命が幾つあっても足りないが、幸いにしてというか命は腐るほどあったので、あまり怖さなんてものは感じなかった。だけど俺は超人じみた身体能力など持ち合わせていない一般人で、反応した時には既に手遅れだった。突き飛ばすには時間がない。少女を撥ね跳ばす筈だったトラックは俺もついでに巻き込んで飲み込んだ。
ああ、助けられなかったなあ。痛みすらも感じないまま、俺の意識は奈落の底へと落ちていった。
*
再び目を覚ましたのは、昼休憩の時によく座ってぼうっとしていた公園だった。どうやらベンチの上で横になっているようだけれど、頭の部分だけ妙に高いし、感覚が柔らかい。
「あ、目が覚めた」
上からかかってきたのはまだ年端も行かぬ少女の声だ。視点を移すと、どこかで見たような白髪の少女が見えた。少しの間目が合って、それから現状を理解した俺が思わずその場から転げ落ちる。打った腰の痛みに顔をしかめながらスーツに付いた砂を払って立ち上がり、改めてベンチに座っている少女をまじまじと見つめる。間違いなく、俺が助けようとして、諸共に撥ねられた少女だ。しかし、怪我をしたり血を流しているような様子もないし、服も綺麗なままだ。まるで、今の俺みたいに。
「ぶ、無事でよかったよ。トラックに巻き込まれずに済んだんだね」
震える声で俺は言った。ハッタリの類いだが、嘘をつくのは苦手だ。本心ではないことなんてすぐにばれるだろう。少女は訝しがるように俺を見ていた。俺と一回りは年が離れていそうだ。それなのに、何故か年上のようにも感じられる。
「なんで生きてるの」
底冷えするような、平坦な声だった。それを聞いて、俺は少女に対して抱いて気味の悪い感覚の正体に思い当たった。身に纏った雰囲気とでもいえばいいのだろうか。せいぜいが高校生くらいの姿に似合わぬ老獪な立ち振る舞い。この御時世、政治家でもこれほどの威厳を持ち合わせてはいない。蛇に睨まれた蛙とはこのことか、脚がすくんで腰が抜けそうになる。どうにかこらえて、回らない口でどうにか説明をしようと試みるが、そんな馬鹿らしい体質なんていったい誰が信じるだろうか。
「不死身だから、と言っても信じてはくれないよね」
「え、貴方も死ねないの」
「えっ」
今、この少女は何と言った。俺の言葉を信用したというのか、いやそうじゃない。大切なのは、聞き逃してはならないのはそこではない。
もしかして「彼女も死なない」のか?
当然のごとく、今まで同じ体質の人間にはあったことがない。しかし、俺自身という前例がある以上、荒唐無稽な話と笑うのには無理がある。
「もう少し、話を聞かせてくれないか」
さっきまでの恐怖も忘れて、俺は少女に話しかけていた。
*
少女は藤原妹紅と名乗った。最初は「ふじわら」と思ったのだが、どうやら「ふじわらの」が正しいらしい。彼女は自分の不死性を証明するために自らの腕を引きちぎった。驚いた俺を尻目に、切断面から吹き出した血が離れた腕を包み込み瞬く間に元の有様に戻っていく。俺も何か証明をするべきか迷ったが、妹紅の方から必要ないと言われた。そもそも俺をこの公園まで連れてきたのは妹紅で、その時には俺は確実に死んでいた。彼女がそう言ったのだ。
「死んだと思ったから埋めようとここまで持ってきたのに、ふと気付いたら怪我が治ってるなんて、流石に驚いたわ」
「死人を勝手に埋めようとするな」
別にその場に放置してくれても良かったし、警察や救急にも電話せず埋めようとするなんてどういう思考回路をしているのだろう。妹紅は申し訳なさそうに目をそらした。
「し、仕方ないじゃない。外の世界の常識なんて知らないんだし」
「外の世界って・・・・・・箱入り娘でも警察くらい知っているだろう」
「警察? えっと、外の世界っていうのはそういうことじゃなくて」
口ごもる姿は年相応の少女で、先程の威厳をまじまじと感じていたのに対して酷く幼く見えた。妹紅の言葉を待っていると、バッグの中からバイブレーションが響く。
「ちょっと失礼」
取り出してメールの中身を確認すると、会社からだった。心配と怒りを込めた文言が綴られている。気付けば既に正午に差し掛かる辺り。同様のメールも既に数十件来ている。今更彼女を放って会社に行くなんて選択肢は俺の頭の中には無かった。素早く体調不良の旨を伝える。もう五年、それなりに真面目に努めてきたから不審には思われていないようだ。返ってきた労りのメールにはあえて返信せず、スマートフォンをバッグの中にしまう。
「すごいな、それ。まるで河童達の道具みたいだ」
妹紅は言いたいことが纏まったのか、今度は目を輝かせてスマホを見ていた。
「河童? それって妖怪だっけか」
「ああ、うん。ちゃんと話すべきだよな」
一つ大きな深呼吸をして彼女は言った。
「幻想郷って知ってるか?」
「幻想郷?」
不思議と聞き馴染みがあった。はてなんだったかとしばらく頭を抱えて、幸運にも昔に聞いた噂を思い出す。噂、というよりは民俗伝承に近いのだろうが、幻想郷は俺がまだ小学生くらいの頃に住んでいた村で語られていたものだった。
曰く、現世とは離れた幽世。曰く、魑魅魍魎の楽園。曰く、かつての暮らしの姿。どれを取っても眉唾物だったし、大人になってからインターネットで調べても何故か出てこなかったから今の今まで忘れていた。むしろ思い出せたことの方が奇跡だ。
「確か御伽話の類だったかな」
「御伽話、まあ間違ってはないかもな。でも一つ大きな間違いがある」
「間違い?」
「幻想郷は実在するの。だって私は幻想郷から来たんだから」
鈍器か何かで頭を打たれた気がした。誰だって夢物語が現実だと言われればそんな気分にもなるだろう。法螺吹きが相手なら信じることはなかった。しかし、初めて会ったとはいえ、目の前で自らの異常性を証明せしめた彼女に言われたのなら、虚妄も小説より奇怪な事実になる。だいたい幻想郷なんて単語自体俺が住んでいたところ以外では誰も知らないようなマイナーな話だ。前述の通りネットにも上がっていないんだから、知っているのは相当なマニアックか、あの村の出身か、或いは本当に幻想郷からの来訪者だ。最初の一つ、マニアックだからというのでは知っている理由にはなっても、今ここで知らない相手に話す理由にはならない。そして一目見たら忘れられないような白髪、人口も三桁に遥か届かないあの村に居たのなら、俺が覚えていないというのは考えにくい。そうすると、消去法的に最後の一番現実的でない案が残ってしまう。だから、否応にも信じるしかなかった。
「本当は来たっていうより迷い込んできたって言う方が正しいんだけどね」
「普通、逆じゃないのか?」
「そうでもないわ。境界の管理者があれだし、割と迷い人って現れるのよ」
「管理者しっかりしろ」
会ったことはないけれど、どうやら相当のぐうたららしい。責任者が仕事をしない現場にろくなことはない。学生時代から学び続けてきたことだ。管理の手間がいらないからさしたる問題にはなっていないらしいが、それでは大災害がいつ起こっても不思議ではない。
「話を続けてもいい?」
「あっ、ああ」
妹紅は咳払いする。美男美女というものは本当に何をやっても絵になるものだ。
「私は今迷い込んだと言ったけれど、普通ならすぐにでも連れ戻されてなきゃいけない。なのにまだここに居るってことには何か意味があると思うの」
「まあ、それを否定する根拠は俺にはないさ」
「そこでずっと考えていたんだけど、一つだけ理由らしきものはあるの」
「ほう、そりゃ一体なんだ?」
「貴方よ」
「・・・・・・は?」
どれくらいかの思考の空白。この間、物凄い速さで頭の中が回転していたような気がするが、何を考えていたのかはさっぱり覚えていない。とにかく、結論を出すことができなくて、間抜けな声をあげたことはわかる。
「俺は不死身なだけが取り柄の貧弱一般人だぜ」
「普通は不死身を取り柄とか言わないと思うけど」
「そんなことはどうでもいい。俺は平凡な暮らしを営んでいるだけだ」
「でも、貴方と同じ人に会ったことはある?」
「む」
同じ、というのは体質のことか。目の前に居るといえば居るのだが、求められている答えはそれではないだろう。でないと、わざわざこんな質問はしない。だったら、一体何が言いたいのか。考え込むにはあまりにも簡単過ぎた。
「俺はここに居るべきでないと言いたいのか」
「少なくとも、普通居るはずのない人間じゃない。不死なんて、百害あって一利無しよ。外の世界は不思議を信じていないんでしょ」
それに、と彼女は続けた。そこでようやく辺りを見渡して、舌打ちする。それに倣って俺も周りを見ると、幾ら平日の昼間だといっても、不自然なほどに人が居ない。いや、俺と妹紅以外誰もいないのだ、目に映る範囲には。こんな奇妙な話をしているのなら、むしろ都合がいいことの筈なのだが、彼女が舌打ちしたのは、これが意図的に引き起こされているものであるかららしい。大方、俺を引き込みたい誰かが、人払いしてお膳立てしているということか。
「貴方がこちらに居ると、私達にも悪いことが起こるかもしれない」
「どういうことだよ」
「幻想郷は外にとって不思議の世界。じゃあ不思議が解明されたら?」
「なくなるってか?」
「少なくとも、妖怪の力は弱まるでしょうね」
しかし、それは相手の側の勝手な理由だ。俺には仕事だってあるし、今まで生きてきた世界に多少なりとも愛着がある。はい、そうですかと従いたくはない。そんな俺の心を見透かすかの如く、妹紅は笑った。
「それに貴方にとっても悪い話じゃないはずよ」
「その言い方はやけに不安感を煽られるんだが」
「そうなの? まあそれはどうでもいいんだけど」
「なんだよ」
「自分の不死の秘密、知りたくない?」
「なっ!?」
爆弾発言に声を失う俺を妹紅が笑う。思い通りの反応だったのか。いや、こうでもならない方がおかしいさ。俺自身、具体的には自分がどういう体質なのかは知らない。ただ、死ぬ筈の出来事に巻き込まれて、気が付いたら無傷で目を覚ます。その繰り返しだ。知りたくないと言えば嘘になる。
「私のこれは薬に依る物なの」
「不老不死の妙薬か?」
胡散臭いが事実だろう。
「それを作った人物なら、貴方の体質も解明できるかもしれない」
「俺のは薬じゃねえぞ多分」
「そうね、でもそいつは人並み外れた知識を持っている。これでもまだ気にならないというかしら」
首筋に流れた汗は冷たい。春らしからぬ暑さに頭をやられてガンガンと嫌な音が響く。だけど、遥かに強い好奇心が全てを忘れさせていた。
「少し、考えさせてくれ」
答えは既に決まっているようなものだった。
人生は常に選択の連続だ。選ばなかった方がどんなに結果になるかなんて、たとえ神様でも分かりはしない。不死身だったとしても、選ぶことができるのは一つの答えのみだ。二つの人生を同時に歩むことなんてできない。だから、このとき俺は人生の大きな岐路に立っていて、重大な選択をあまりにもあっさりと決めてしまったのではないか。そう後で考えたって、時が巻き戻ることはないのだ。
まったく、命が幾つあっても足りないものは足りないのだ。
初投稿