「お疲れ様。初めての授業はどうだ?」
「おもっくそ疲れた」
慧音に根気を振り絞ってなんとか簡潔に答え、ちゃぶ台に倒れ込むように突っ伏す。子供の持つエネルギーはやっぱり桁が違うと大人になってしみじみと思う。昔は下の子と一緒になって騒いでもなんともなかったのに今じゃ真面目な授業一つするだけでこのザマだ。元気がいいのはよろしいことだが、付き合うこっちは身が持たない。
気を利かせてくれた慧音がお茶の入った湯呑みを机に置いてくれる。あー、疲れきった体に渋いお茶は癒される。毎日繰り返して習慣になれば楽になるんだろうか。俺にはとてもそう思えないし、いつの時代でも教師は根気強くないとなれないんだな。俺は恩師と呼べるような先生には会えなかったが、今までの担任全員に尊敬の念を抱かざるを得ない。
授業中は部屋で眠りこけていた妹紅を起こすと、寝惚けた顔でここはどこだと言い出すものだから、俺と慧音の二人で顔を見合わせて笑った。目が覚めた妹紅が膨れていたので謝ると、後で仕返ししてやると言われた。おお怖い怖い。
「この後はどうするんだっけ」
「阿求のとこにお邪魔して幻想郷縁起を読ませてもらう」
稗田家ってのは昔から幻想郷の妖怪に関して綴ってきた由緒ある家柄で、元を辿ればあの教科書にも出たりしている稗田阿礼の一族らしい。というか阿求自身が阿礼の生まれ変わりで本人みたいなものなのだとか。生まれ変わりが生まれるのが百年単位らしいのだが、幻想郷が出来たのは明治頃じゃないのか。と疑問を投げかけたら、幻想郷が今の形態になったのがその頃で、その前から妖怪の多く住まう土地としての幻想郷はここにあったのだという。藪蛇で幻想郷の成立を六百年くらい前の出来事から長ったらしく説明されたが重要そうな部分以外は聞き流した。こういう授業は霖之助とでもやってくれ。あいつなら喜んで考察に付き合ってくれるだろうから。
そして、幻想郷縁起というのは先程も自己解説したように妖怪について書かれている書物なのだが、これを見たいと言ったのは俺である。何故かというと、一つは単純に幻想郷についての理解を深めるため。紫や慧音の話もタメになるのだが、それはあくまで妖怪であったり、管理者、観察者としての視点だ。人間の側から見た妖怪について調べてみたいと思ったのだ。もう一つは妹紅にも言っていないが、人魚を探すためである。永琳の説明によれば、俺には人魚の血が流れているらしい。人間の血に混じった不純物としか言いようがないくらいに僅かなものだが、手掛かりにならないと決まったわけではない。かぐや姫から頂いた難題にはまだ答えが出そうにないから、仮の回答として自分の起源を知ることを行動指針に決めた。だったら真面目に探して行こうと考えている。
慧音のお茶で疲れた心と体は癒されたし、妹紅に襲いかかっていた睡魔も撃退されている。妹紅はまだムスッとしていたが、そろそろ行かないと日が暮れる頃に帰れないので、立ち上がって、慧音に別れの挨拶をしてから稗田の家に向かう。
「大きなお世話だとは思うが、無理はするなよ」
「なんで人里歩くのに無理しなきゃならないんだよ」
慧音のお節介を軽く流して通りを歩くと、寺子屋からはそれ程離れていないからすぐに稗田邸に到着する。いつ見ても大きな屋敷だ。こんなところに住むのは誰もが一度は夢見たこともあるだろう。ただ使用人も雇わないと掃除がキツそうだから絶対に俺は住まないけど。
「阿求様にお目通り願いたい」
屈強そうな二人の門番に声を掛け、次いで取り出すのは阿求直筆の紹介状。以前縁起を見たいと言ったら快く書いてくれた物だ。門番はそれをしばらく見つめ、待っていろと言って片方が屋敷に入っていく。阿求に確認を取りに行くのだろう。一度見たものは忘れないという阿求の言は他のどんな文言よりも信用出来る。戻ってきた門番から入っても良いと許可を頂いたので、多少緊張しながら屋敷の中に足を踏み入れると、待ち構えていた使用人に阿求のところまで案内される。なんだか入り組んだ建物だ。日本家屋がどのような構造になっているのかは詳しく知らないが、はぐれれば簡単に迷子になってしまいそうな道だ。紅魔館といい迷いの竹林といい、幻想郷はどうしてこうも迷路好きなのか。
部屋に通されると、阿求が気品溢れる立ち振る舞いで待っていた。驚きを表に出さないようにこちらも恭しく一礼すると、阿求は俺達をここまで案内してくれていた使用人に部屋から出るよう促す。見も知らぬ他人と自分達の主人だけにすることに困ったような顔をしながらも、使用人は部屋を出て襖を閉じていった。それを見届けて阿求が大きく息を吐く。
「皆いい人なのですけど、少し過保護なんですよね」
「自分の立場考えたら当たり前のことじゃないのか?」
「そう言われると反論できませんが」
里の名家の当主でまだ十代半ばのやや病弱な少女を心配するなという方が無理な話だ。それに、本人の前では言わないが寿命という物がある。
稗田阿礼の生まれ変わり、御阿礼の子と呼ばれる人は、理由こそ不明だが誰しも寿命が短いのだという。だいたいが三十を待たずに死に、越えた者でも四十歳まで生きた人は居ない。つまり、阿求の寿命は後二十年あるかないか。自分より幼い相手が先に死んでしまうことを分かっているのだから、この屋敷の使用人達は主人を大切にしているのだろう。可哀想、なんて言葉にしてしまうのは語弊があるけれど、おそらくはそれに似た感情で。
「それはそれとして、縁起を読みに来たんでしたっけ」
「えっ、ああ。そうだ」
俺が考え事をしていたせいか、重苦しくなっていた空気を壊すように阿求が明るい声で言う。持ってきてもらった本を捲ると、知った顔知らない顔、様々な妖怪について説明と講釈が書かれていて、霖之助から買った本よりも数段面白そうだ。人魚の頁を真っ先に探して読むつもりだったのだが、御丁寧に最初の頁から開いてしまったせいで、面白さと興味深さにパラパラと飛ばすことが出来なくなった。初めの方にあってくれれば楽ができるのだが、ただでさえ分厚い本でそんな幸運を願うことも馬鹿らしい。
「そういえば、どうして縁起が見たいと思ったんですか? 興味だけでは動かない人に見えますけど」
「地味に酷いこと言ってるのに気付いてくれ。これでも人並みに好奇心はあるんだから」
余程のことでない限りは、まぁいっかで流しているだけだ。いや、これだと動いてないな。阿求の言い分はもっともなのか? 本人としては信じたくないな。人として底が知れそうだ。
反論できなくなってしまいそうだったので幻想郷縁起を読み込む作業に慌てて戻る。紫とか萃香とか、序盤に書かれているのは大妖怪の類いが多い。阿求曰く、初めの方に書かれているのはそれだけ昔に書かれた妖怪、古い妖怪なので強いのは当たり前だとのこと。言われてみればそうだ、何百年も掛けて書き足され続けているんだから、新しいのは後ろに持ってくるものだな。そんなことを思いながら頁を捲っていると、何かに耐えかねたかのように妹紅が口を開いた。
「人魚は探さなくていいの?」
「・・・・・・ちょっと待て、なんでお前がそのことを知っているんだ」
阿求は言っている意味を理解出来てないからあどけない顔付きで首を傾げているだけだが、その言わんとするところを分かってしまった俺は冷や汗が止まらない。別に知られたくなかったわけじゃないが、教える必要も余り無いと思ってそのことは妹紅には話さず、分からなかったとだけ伝えた筈だ。いったい誰からそれを聞いたのか。
「この前あいつを殺しに行った時に、永琳が教えてくれたんだよ」
雷に打たれたように驚いてまともに頭を働かせていなかったが、言われてみれば当たり前のことだ。俺に伝えたのは永琳なんだから、広くとっても永遠亭の誰か以外に有り得ない。妹紅がずっと機嫌悪かったのは俺がそれを教えていなかったことに腹を立てていたのか。めちゃくちゃ分かるように怒っている。うん、これは全面的に俺が悪そうだ。言い訳も何も無い。
「えと、人魚でしたら幻想郷には一人しか確認されてませんよ?」
二人の間の微妙な関係の悪化に気付いたのか、というか妹紅に気圧されたようで阿求は少し怯えながら人魚の情報について教えてくれる。むしろ幻想郷に居たのか人魚。あと一人で数えるのか、人という字が入って人型であるとはいえ妖怪だろう。まあレミリアを一鬼と呼んだり文を一匹と呼んだりするのには違和感しか感じられないから特に気にするところでもないけど。
話に聞くと、その人魚の名前はわかさぎ姫というらしい。妖怪としての格は低く、余程のことがない限り人は襲わない善良な性格なのだとか。霧の湖に住んでいるということは、もしかしたらあの時の会話も聞かれてしまっている可能性があるわけだ。それは恥ずかしい。妹紅はわかさぎ姫の名前に聞き覚えがあったのか、頭に指を当てて考え込んでいる。放って縁起を読もうとすると多分また怒られて今度は燃やされそうなので、黙って妹紅が何か思い出すのを待つ。数分ほど待っていると心当たりが見つかって「そうだ」と嬉しそうに声を上げる。
「なんか知ってるのか?」
「そうそう、影狼って居るでしょ?」
「いや誰だよ知らねえよ」
ごめん聞いたこともない名前だ。どこのどちら様だっけ。
「ほら、時々夜中に吠えてる奴」
「あー、あれか」
妹紅の次の説明でなんとなく見当が付く。会った事はないけれど時折人間(本当は妖怪だろう)が狼のように吠えているのは聞いたことがある。たぶんそいつのことを言っているのだろう。
「で、そのカゲロウさんがどうしたって?」
「うん、草の根うんたらとかの話を聞いている時に名前を聞いたことがある」
「草の根妖怪ネットワークですね」
「そうそれ」
「なんだそれ」
「私も噂程度にしか聞いたことがないので詳しくは分かりませんが、低級の妖怪たちが生き残る為に相互扶助をしているそうです」
阿求ですら噂でしか聞いたことがないとは、余程隠蔽するのが上手い集団なのか、それとも誰からも相手にされてないから伝わってないだけなのか。カゲロウとやらは別に隠してもないようだから後者の方が可能性は高そうだ。だからといって俺みたいな一般人には危ないことこの上ないが。兎にも角にも、わかさぎ姫にお会いするにはその前にカゲロウさんに話をつけて行った方がいいってことだな。
気が付いたら日も暮れる時間帯になっていたので、そろそろお暇させて頂こう。縁起を閉じて部屋を退出しようとすると、俺だけが阿求に呼び止められた。妹紅には聞かせたくない話らしい。仕方ないので外で待っているよう妹紅に頼んで、先に出て行ってもらう。何の用だろうか、もしかして告白か。なんて自惚れ過ぎだ馬鹿野郎。
「八房さん」
「なんだ?」
「すごいお聞きしづらいことなんですけど」
本当に何のことだ。全く身に覚えがない。質問される事柄も思い付かないし、ましてや人に聞かれたくないことなんて清廉潔白のこの身には無いと思っていたのだが。
「前にから思っていたんですけど、何処かで会ったことありませんか?」
「・・・・・・はい?」
何かの冗談ではないらしい。阿求の表情は真剣そのものだ。しかし、俺は今まで外の世界に居たんだから会っているはずがない。頓智な答え方をするならば数日前に会ったと言えばいいけれど、そんなおちゃらけた雰囲気でも無さそうだ。一度見たものを忘れない程度の能力を持つ阿求がわざわざ質問する。不可解極まりない。
「意味が良く分からないんだけど」
「あ、そうですよね。突然こんな事言ったりしてごめんなさい」
阿求は恥ずかしそうに俯いて、自分を恥じるようなことをぼそぼそと呟いている。俺としては早く説明が欲しいのだが焦るわけにもいかないだろう。少しして落ち着いた阿求は言いたいのことの整理が付いたようだ。
「貴方の顔を何処かで見たことがあるんです。でもそれが誰だか分からない」
「思い出せないってことじゃないんだろ?」
「それとは少し違います。見たことがある気がするのに、記憶の中に該当する相手が見つからないんですよ」
ふむ、これ人魚云々よりも遥かに俺の体質に対する手掛かりにならないか? 阿求が思い出せない俺と同じ顔の人。それが誰なのか分かれば答えにぐっと近付けるかもしれない。
「俺は会ったこと無いと思うけど。まあ、俺の方でも調べておくよ」
「ありがとうございます。あ、じゃあもう一つお願いいいですか?」
「なんだ?」
「草の根妖怪ネットワークについても調べてきてくださいね」
その屈託のない無邪気な笑顔を見るとうん、まあそのなんと言うか。幻想郷の女の子たちってやっぱり強いなと思った。
適当に伏線貼ってしゅーりょー