「やっぱり付いてけばよかったかしら」
そんな言葉とともに私は溜息を吐いた。何度目になるか分からない、同じ行動を取り続けているというのに手元の本はさっきから同じページで止まっている。読書に集中出来なくて、私は周りを見渡した。
紅一色に染めた家具で統一した部屋。招待した客は大抵趣味が悪いと嫌悪感を顕にするか、館の主の趣味だから仕方が無いと諦めるかのどちらだろう。相手を選ぶとは思うけれど、そんなに嫌う程悪いものでもないでしょうに、とその主である私は思うのだが、他の住民に言わせてもいいとは言えないとの一点張りである。咲夜にすら言われるとは思わなかった。昔は可愛かったのに随分とツンとしてしまって、なんていうと年寄り臭いからこれ以上はやめておこう。
美鈴を付けたとはいえ、傷付きやすい妹のことが心配で気がそぞろになる。ページが進まない読みかけの本を閉じて、紅茶を飲もうとティーカップに手を伸ばしたら、中に何も入っていなかった。無意識のうちに飲み干してしまったようだ。仕方ない、咲夜を呼んで入れ直してもらおうと考えて、そういえば彼女に内緒で買ったコーヒー豆があったっけ。八房のことを教える代わりに八雲紫に外の世界から買ってきてもらった高級品だ。今の姿を咲夜に見られると主としての威厳に関わりそうだし、偶には珍しいものを飲むのも悪くは無いだろう。
コーヒーを作り始めてちょうど完成しようかというころに、ドアがノックされる。私が応対する前に開けられたドアから現れたのは、濃い色と薄い色な紫縞模様のゆったりした服を着た私の親友。動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジだった。といってもこんな無礼な真似をしてくれるのはフラン以外にはこいつしか居ないのだから私も予想はついていたので驚いたりはしなかった。席を勧めると一切の遠慮も無しに座る。いつも通りの無愛想。普段から図書館に座り続けている彼女がここまで来るのは珍しい。
「ねえレミィ、良かったの?」
「何がよパチェ」
「フランのことよ」
開口一番に我が妹の話。久々に部屋に来たと思ったら、やっぱり気になるのはそこか。私の大親友様はいつも冷たいくせにこういう時は心配性だ。俗に言うクーデレという奴ね。チェスをするわけでもないのにこっちまで来るなんて、余程あいつのことが心配なのかしら。でも、こういう時に心配してくれるのが親友なのでしょうね。それにこの部屋に入ってくるというのは彼女なりの気遣いなのだろう。
咲夜はこの部屋には入ってこない。主の自室に許可無く入るのは無礼だと幼い頃に教えたから。より正確に言うならば彼女には紅魔館当主としての私だけを見てほしかったから。ま、肩書きがあってもなくても私はそれほど変わらないんだけどね。でもこういう時には彼女が入ってこないのは大いに助かる。余り聞かせたくない話も多いから。咲夜は私のことを心配してくれているのにこちらはずっと謀ってばかり。バレた時には軽蔑されるのかしら。彼女ならそんなことはしないと分かっていても、隠し事をしている負い目は無くならない。
「聞いてる?」
「大丈夫よ。むしろこうするしか無かったわ。美鈴も連れていかせたし」
「・・・・・・視えたの?」
再度問いかけてきたパチェに無言で頷く。口に出す気にはなれなかった。それを聞いたパチェがはっと息を呑んで、そのまま咳き込む。背中をさすってやるが、単純に喘息が出ただけだろう。体が弱いのに無茶をするからだ。私の献身的な介護で落ち着いたパチェは「それなら安心ね」と胸をなで下ろす。それは私の能力に対して、というよりも美鈴を護衛に付けた、という部分に対しての安堵だろう。彼女なら、フランも、八房とかいうあの人間も抑えることが出来る。
私の能力について正しく知っているのは、パチェと美鈴だけ。逆に言えば知っている彼女が心配に思うことなどない。どう足掻いても、フランと八房が里に出るのは避けられない運命だった。そこに美鈴を入れたのは念のための安全装置。頭のいいパチェならそこまですぐに察することが出来るはずだ。
用事は終わったとばかりに席を立とうとするパチェを留めて、私はコーヒーメイカーを持ってくる。これで帰るのはいくら何でも薄情過ぎないかしら。
「コーヒーでも飲むかしら?」
「珍しいわね。いつもなら紅茶なのに」
「偶には悪くないものよ。それに貴方も好きじゃない」
せっかくいい豆が手に入ったんだから一人で飲み切ってしまうのも勿体ない。どうせなら美鈴も交えて飲みたかったが、彼女は彼女で中国の茶が好みだし、私も紅茶の方が好きだから本当に嗜好が合わない。コーヒーをカップ二つに注ぐと芳ばしい香りが広がる。パチェもすかさず結界を張って咲夜や妖精メイド達にバレないようにする。流石魔術はお手の物だ。咲夜には美鈴の代わりに門番をやらせているけれど、いつ戻って来るか分からないし、見つかると小言が五月蝿いもの。小言というより駄々を捏ねられると言った方が近いわね。無表情を装った悲しそうな顔で「私の紅茶はもう要りませんね」なんて言ってくるのだから。ちょっと甘く教育しすぎた。
私は砂糖を一つ入れるが、パチェはブラック派だ。ちょい、と口を付けると微かな甘みとコーヒー特有の目の覚めるような苦さが口の中に広がる。飲むのは何年かぶりだったけど、案外まだいけるものね。パチェの方は黙々と飲んでいる。彼女、猫舌の筈なのに何故かこれだけは大丈夫なのよね。よく分からない体質だわ。そして、お互いにあらかた飲み終えた辺りで会話に上がるのは、愛しくも疎ましい妹のこと。
「フランは、治りそう?」
「私の知識じゃお手上げね。そもそも治るかどうかも分からないわ。彼女のアレは病気ではないもの」
「そう」
淡々しているが、その言葉は私にとって何十年も前から死刑宣告に等しかった。絶望的なパチェの言葉に俯いて唇を噛み締める。拳に力が入る。カップを置いてなかったら握りしめた手が割ってしまっていたかもしれない。爪が掌にくい込んで血が流れ出す。それでも握りしめずにはいられない。自分への戒めのようなものだから。こんな部分、絶対に咲夜には見せられない。今ここに居るのは、紅魔館の当主などではなくレミリア・スカーレットというただの不出来な姉でしかないのだから。
「私は、なんでこんなに弱いのかしら」
妹一人も守れない非力な人外。自分の不甲斐なさを考える度に涙が出る。何よりも、八房にフランのことを期待しているというのに、彼とあいつが一緒に居るのを見ると嫉妬の感情が湧き上がってくるのが自分で堪らなくなるほど嫌なのだ。私には出来なかったことをぽっと出てきただけの軟弱な男が何故、という思いが絶えず私の心を締め付けるのだ。私では力不足だったというのか。あのひょろひょろとした人間風情の方が私よりも妹のためになるというのか。私では、フランの孤独を癒すことは出来ないというのか。
それは痛いくらいに事実
だった。私では、或いはパチェでは、美鈴ではフランを、救うことなんで不可能だった。だから若丘八房という男の運命に頼った。
私を気遣ってくれたのか、パチェが私の仕事机の上に置いてあるチェス盤に手をかけた。それを私が置いた本をどけて、もう一つの机に乗せる。そしてイラついたように言った。
「久々にやるわよ」
パチェはチェスが好きではない。嫌いであるというよりはその時間を研究に充てた方がいいと考えているのだろう。その彼女が自分からチェスを誘ってくれている。その意味は痛いほどに分かっていた。
駒を並べて、私が黒で始まった。ポーンを動かして、パチェの動きを伺う。いつものムスッとした顔はこういう時にはポーカーフェイスに早変わり。なんて、一手目で顔色変える打ち手も居ないだろうけど。
カツ、カツ、カツ、カツ。お互い言葉も交わさないまま、駒だけが音を立てて動いていく。私もチェスは弱くない筈なのに、フランとパチェにはほとんど勝てたことがない。パチェは魔法使いとして天才だ。科学的な思考も必要となる魔法での才能は、それ以外の頭脳を必要とする才能にも適用されるのか、彼女は私が教えた二日後には私を追い抜いた。フランよりも強いのだから、外の世界では世界チャンピオンも目指せるんじゃないだろうか。本人にはその気はないだろうけど。今回もその例に漏れず、チェスを今回も進むごとに追い詰められていく。頼みの綱のクイーンも取られて、いよいよ勝利は絶望的だ。
「弱い当主でごめんなさいね」
つい、そんな言葉が口から零れでる。それは私がいつも変わらず思い続けている思いで、美鈴には口にする度に怒られている言葉。パチェも怒ってくれればいいのに、彼女の表情は変わらないまま。しかし、後一手でチェックメイトになろうかといったところで、突然パチェの打ち筋が変わった。普段の彼女からは考えられないような凡ミスから始まり、最善手とは言えない手の数々。わざととしか考えられない。
「別にレミィが弱いことなんて最初から知ってるわよ」
ずっと黙っていたパチェが口を開く。辛辣な言葉だが、返す言葉もない。私は初めて彼女に会ったときから変わらず弱いままだ。
でも、だからって諦めたままではいたくない。パチェがわざと下手な手を繰り返すなら容赦無く突いてやればいい。弱いのにプライドなんて持つ余裕なんてない。彼女は私にそう教えてくれているのだろう。パチェの打ちがまた本気に戻るが、彼女が費やした手はけして軽くなかった。今度は私の方が優勢になっていく。懸命に逃げるけれど、ついに私のルークが白のキングを捉えた。
「私の負けね」
「ええ、貴女にチェス教えた頃を除けば、私が勝ったのは初めてよ。これを勝ったと言えるのかは別だけど」
今回は、パチェが手を間違え続けた、いわば手加減してもらったようなものだ。けして自身の力で打ち破ったとは言い難い。しかし、パチェの方はそうは考えていないようだった。
「私の油断を突いた、貴女の正当な勝利よ。なんならもう一回やる?」
「そうね、今度は油断してくれるとも限らないし」
駒を揃え直してもう一局。今度はほとんどいい所もなく私の負けで終わった。それでももう一局私の方から頼み込む。三局目は善戦したものの、最終的にはまた負けてしまう。途中で二杯目も淹れ直したのだが、コーヒーメイカーの中身ははもう空になっていた。そして、十局程やってやっともう一度勝てた時にパチェがぼそりと呟いたのを私は聞き逃さなかった。
「レミィは私の友達なんだから、もっと頼ってくれていいのに」
彼女にしてみれば思わず零した独り言だったのだろうけど、吸血鬼の聴覚を舐めてはいけない。一字一句ちゃんと聞こえている。正式に勝ったとはいえ幾つもの敗北の上に成り立ったまぐれ勝利で総合的にはボロ負けだ。これでは面白くない。私は何食わぬ顔でパチェの顔を覗く。
「何か言ったパチェ?」
「何も言ってないわよ。ちょっと、何をニヤニヤしてるの」
「べっつにー?」
笑みを隠しきれなかったようだ。自分の言葉が聞かれてしまったことに気付いて、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう七曜の魔法使いは、私にはもったいないくらいの親友だと、私は改めて確信するのだった。
うちのレミリアさんはカリスマ成分多めでお送りしていますので、ブレイクを期待している方にはちょっと物足りないかも知れません。
美鈴が紅魔館メンバーから信頼されているのには裏設定が有るのですが、作品内では語られるかは未定です。
あと何気にパチェさん初登場