家に居るよりホテルの方が筆が進む不具合。
「おー、ようやく戻ってきたか」
ヤツフサは相変わらずの呑気な声で私を出迎えた。まだ怒りが収まらなかったので無愛想に返事をすると、煤で汚れてしまっているのも気にせずに頭をわしゃわしゃと撫でてくる。いつからだったか、ヤツフサは私の頭を撫でるのが気に入っているようで、余り人目もはばからずやってくるのは勘弁してもらいたい。ほら永琳とかに見られてるし、輝夜に見られてなくてよかった。そしたら撫でられたことで収まった怒りが再燃しそうだったから。馬鹿にしてきたときに、しばらく復活できないくらいに痛めつけといたのは正解だった。こんなところを見られたら弄りのネタにされるに決まっているから。てゐが居るのはそれはそれで厄介だけどあの兎だけなら問題は無い。いざとなれば焼いてしまえばいいだけだ。長生きとはいえ不老不死ではないのだから焼き殺せば食い物くらいにはなるだろう。
「姫様は?」
「埋めてきた」
永琳からの質問に簡潔に答える。正確には骨まで溶かした後に土に混ぜてきた。蓬莱の薬の再生能力を持ってしてもあれから復活するのには数時間はかかるだろう。前にやられたことをやり返しただけなのだから私は悪くない。永琳も大体察知して、しかし咎めるようなことも言わなかった。前々から感じてはいたがなかなかにドライな主従関係だと思う。
ほらよ、とヤツフサから手渡された皿の上には団子が乗っている。どうせ疲れて帰ってくるからと残しておいてくれたらしい。別に物を食べなくても問題は無いのだから食べてしまっても良かったのに、こういうところで無駄に気遣いの上手い人だ。というよりヤツフサは私に物を食べさせたがる節がある。私が今まであまり物を食べないのを心配してくれているようなのだが、持ってくるものが饅頭やら今回の団子やら甘い物ばかりなのは趣味なのだろうか。とにかく遠慮するのも勿体ないと思ったので一粒摘んで頂いている。あの兎が作ったにしてはなかなか美味しい。もう一つ摘んでから皿をヤツフサに返す。残りはあげるというつもりだったのだが、今はいいから持っていてくれと解釈されてしまったようで。落とさないように持ち直していた。
お日様はもうだいぶ傾いてきている。夜にヤツフサを連れ回すつもりもないのだが。仕方がないのでヤツフサの袖を引っ張る。
「そろそろ帰ろうよ」
私が言うとヤツフサも今の時刻にようやく気付いたのか間の抜けた声を上げた。
「ん? そうだな。もう日も暮れてるしお暇しようか」
「もう帰るの?」
鈴仙が聞いてくるのは、団子作りに必死でほとんどヤツフサと会話してなかったからだろう。いやまさかこいつに気があるとか? 幾ら兎が万年発情期だとしても流石にそれは無い。と思いたい。
「また今度暇な時に来るさ」
残念そうにする鈴仙。鼻の下でも伸ばしていれば殴ってやろうかとも思ったがヤツフサはいつも通りの表情だ。女の私から見ても鈴仙は可愛いし、かなり良い表情だったのに無反応とはやっぱりヤツフサの考えていることはよく分からない。そちらには興味が無いのだろうか。
「ん、どうした?」
「な、なんでもない。早く帰ろう」
あの夜の話を思い出してしまって顔が赤くなる。ヤツフサはこっち方向に限っては気付かないことの方が多い。鈍感、という奴なのか。てゐがこちらを見てニヤニヤとしているのが気に食わないが今回は見逃してやろう。意地の悪い笑みを浮かべていた兎だが、突然真面目な表情に変わる。
「あ、ちょっと待った」
「なんだよ」
今度こそ帰ろうとする私たちを今度はてゐが引き止めた。何をするのかと思いきやポケットから取り出した人参のネックレスを八房に手渡していた。顔をひきつらせていたヤツフサが幾らだって聞いていたけれど、あの兎詐欺に似合わず善意なのだそうだ。幸運の素兎が持っていたアクセサリー。幸運を与える効果でもあるのだろう。人間にしか効果が無いらしいが、ヤツフサには効果があるのだろうか。いや人間なのだから効果はあるか。そうでなければてゐが渡すはずもないのだから。
「お大事にね」
「え? ヤツフサ、なんか病気でもしてたの?」
「してねえよ」
先のてゐのネックレスの件もあって思わず八房に聞いてしまう。何か悪いところでもあるんじゃないかと疑ったけれど本人の答えは否定。永琳からは何故か暖かい目で見られているが、本人が違うというのなら違うのだろう。嘘を吐くのが下手くそなのは知っている。この間はチルノにすら嘘を看破されていた。いやあれは看破というよりも問答無用で襲われたといった感じだったけど。
だから問題無いと判断して永遠亭を去る。永琳だって何も言ってはこないのだ。少なくとも急を要するような体調ではないと考えられる。
帰り道は今回も歩きだった。今日に限っては行きも歩いてきた。きっと私が歩くことを面倒だと思わなくなったから、飛ぶ機会が少なくなっているのだ。本人はそもそも歩きの方が好きみたいだし。こうも飛ばないと弾幕ごっこでの飛び方を忘れてしまいそうだが、そもそも弾幕ごっこをする相手も輝夜と慧音くらいしか居ないし、忘れてしまっても構わないか。
「そっちじゃないよ」
どれだけ歩いても風景が変わらない竹林は私や鈴仙のように慣れていないと迷う。途中でも何度か道を間違えそうになったヤツフサを止めてはゆっくりと家にまで向かう。分かるようになってきた、と考えているのだろうか。今までは、はぐれそうになることなんてなかったのに、今日に限っては何回もやっている。
「本当に大丈夫なの?」
だから違和感を覚えて、心配になって聞き直してしまうのも仕方のないことだと思う。ぼうっとしていたり、具合の悪そうな様子を見せたりはしていないけれど、ヤツフサの体質は病気と無縁になるものではない。そう本人が言っていた。いんふるえんざとやらには掛かりやすくて困ったとも言っていたし、今回もそれにかかっているのではないのか。
「いや、インフルエンザだったらもっと熱っぽいさ」
「本当に熱無いの?」
「触ってみるか?」
おでこを突き出してきたので触れてみる。私の冷たい掌だから余計に感じるのだろうが、人間らしい肌の温かみがある。しかし熱を出しているという感じではない。いんふるえんざにはかかっていないようだ。少し安心して手をヤツフサのおでこから離す。
「だから大丈夫だって言ったろ」
「うん、うん?」
「どうした?」
「えーと、なんでもない」
「なんだよそれ」
少し不満げになっても追求はしないでくれるのが有難かった。今の感覚を言葉にするのは凄い難しそうだったから。
一言にすれば、嫌な予感を感じた。でもその予感が何に対してなのかが分からない。でもさっきまでそれに突き動かされていたんだと分かり、ヤツフサの身に何か起こるんじゃないかと不安になってしまう。虫の知らせというんだったか。リグルならこの予感のもっと詳しい部分まで分かったのだろうか。でも私には分からない。だから怖い。
「着いたな」
ぐるぐると考えていても、気が付けばもううちの目の前だ。別に何事もない。杞憂だったのか。それならそれで良いと胸をなで下ろした私の隣で
「・・・・・・えっ?」
間抜けな声しか出なかった。すぐには何が起きたのか理解出来ず。何も起きていないと納得するのにもまた幾らかの時間をかけた。前触れ、と呼べるものはあった。私だってあれだけ心配したのだ。だからといって、こんな光景が想像できるはずもない。
────ヤツフサが血を吐いて倒れ込むなんて。
「──、────」
膝をつき、片手は口元を押さえ、もう片方は心臓の部分のシャツを強く掴んでいた。ヤツフサを助け起こすと、口元に当てていた手が力なく落ち、代わりに何か言おうとしているのか、血の止まらない口を開いてぱくぱくと動かす。そこからは空気の音が聞こえるだけで、本来発せられるはずの言葉が出ない。体全体が痙攣して、瞳孔も死人のように開ききっている。それでも口をもごもごと動かして私に何か伝えようとしている。気を動転させたまま揺さぶりたくなるのを理性で必死に抑えて、私は彼の言葉を聞いた。
「ふざっけんなよ!」
こらえ切れず叫んでしまう。目から涙が止まらない。死なないはず。だってヤツフサは不死身なんだから。そう思わないと心が折れてしまいそうだ。
──心配するな。すぐに収まる。
白かったシャツを自分が吐いた血で赤く染めて、痛みに顔を歪めながら、ヤツフサはそう言っていた。何度言えば分かるのだ。アンタの嘘なんて簡単に見抜けるって。そんな苦しそうな顔をしているのに笑おうとするなよ。そういう仕草が人を心配させてるのに、なんで気付かないかな。
「ヤツフサ!? ヤツフサ!?」
呼びかけてももう返事が無い。意識が無いのではなさそうだ。ただ痛みで頭がいっぱいになっている。耐えようとするからこそ余計に苦しんでいる。何が原因なのか分からない。呪いにでもかけられたのか。誰にかけられなければならないというのだ。何にしても私は無力だ。どうすればいい。
「あぁ」
そうだ、永琳を。永琳を呼べばなんとかなるかもしれない。彼女ならどんな病気だって治せるはずだ。永遠亭から離れているということもないだろう。だけど呼びに行っている間ヤツフサはどうなる。ここに置いていくのか。そんなわけには行かない。
四方八方手詰まりで動きを止めてしまった、私の後ろからにゅっと手が伸びてきた。その手がヤツフサの心の臓を強く押すと、あれだけ苦しんでいたヤツフサの顔が静かなものになっていく。いつの間にか気は失ってしまっていたようだ。ともかく彼の身体に起こった苦痛は治まってくれたようだ。
そこまで確認してから私は振り返った。おそらく紫辺りが何かやったんだろう。そう思って背後に立つ相手の顔を見たのだが、予想は外れた、それどころか全く想像もしていない者の顔がそこにはあった。
「間に合って良かったです。それで、妹紅さん。少しお時間よろしいですか?」
なんてことのなかったような呑気な口調。話したことはほとんど無いが、ヤツフサが以前に話していたのを覚えている。だけどなんで今ここに。紫ならスキマでどこからか見ていたのだと納得出来るけれど。いや、でも運命とかいうわけの分からないモノを操る小娘が居たな。彼女も同様にヤツフサを気に入っていたはずだ。
「何の話だ」
「八房さんのことについて、ですかね」
言葉が出ない。今彼女は何を言った。八房のことを知っているということか。何故彼女が知っているのだ。全てが謎だ。でも嘘をついているような様子はない。つく理由が無い。
大陸風の服装特有のスリットからちらりと見えるすらりとした足。長く赤い髪を三つ編みにして、星の彩られた帽子をかぶった吸血鬼の配下。紅美鈴がそこに居た。
*
星々が瞬く空。妖怪の楽園に落ちる妖怪のための夜の帳。一日の幕を降ろすのは神か科学か、それともやはり妖か。空は妖怪の独壇場であり、こんな夜には魔法使いも吸血鬼の従者飛んでいないのだ。博麗の巫女なんて宴会でも開いて酔いつぶれているような頃合だろう。だが人里に関しては夜は休息の時間だ。妖怪の飛び交う騒がしい空と比べて、静かな時の流れる隔絶された空間になる。
そんな全てが曖昧なまま忘れられた土地に、また忘れ去られたものが誘われる。だが、西洋の悪魔、信仰を失った神。人を惑わす妖精。本当に忘れ去られたものなのか。そもそも存在しうるものなのか。それすらも白黒付けぬまま幻想郷は全てを受け入れる。自分の破滅を招くことも知らず、ただ淡々と。己が役割を果たすかのように。
人里でも目を引く大きな建物。その内の一つは夜だというのに煌々と灯りを灯している。霧雨道具店と書かれた看板を掲げたその店は妖怪のために夜でも店を開いていた。その隣にひっそりと佇む小さな平屋。昼間ならば饅頭を売っている店は夜深くには既に店じまいを済ませている。その家の中では妻に先立たれた店主とその子供が明日に向けて準備をしているだけだ。
「寛太。もう夜遅いんだから寝ろよー」
「分かってるよ」
布団に入ろうとしない子に厳しい口調で親が言う。妖怪の友人が出来た影響なのか子は昼よりも夜を楽しむようになった。空を見上げれば弾幕ごっこの綺麗な明かりが見えると教えてもらったからだ。だか彼らは人間であり、眠らないということは体に負担をかけてしまう。事実、寺子屋でも睡眠する様子を注意されていた。
「そうだ、お父さん、知ってる?」
「知ってるってぇ、何をだ?」
唐突に思い出したのか急に親に問いかける子供。
夜ふかししたがる子供と寝かせようとする親。どこにでもある普通の光景。仲の良い親子の普通の会話。それならば、内容も普通のものなのだろう。笑い話で済む話なのだ。
「友達から聞いた話なんだけどね──」
幻想郷の夜は耽る。誰が言い出したのかも分からない、友達の友達が体験したような不思議な出来事。話半分で誰もが笑い飛ばすような噂話。しかし幻想郷では誰も不思議には思わない。
誰もおかしいとは思わない。ただ龍神様の石像だけがその目を赤く輝かせていた。
というわけで割と急展開(?)になりましたかね。
この章はここで終わり。次回からは『藤原妹紅の異変解決』に進みます。タイトルだし妹紅の出番がかなり多くなりますかね。