「さあ八房さん修行ですよ!」
「おい待てこら」
溢れんばかりの笑顔を見せる美鈴。置かれている器具を見ると俺はどうも笑えないのだが、そもそもレミリアはこんなものを許可したのだろうか。というか効果があるのだろうか。俺は自分の身の丈よりも大きな物体を前にして大きく溜め息を吐いた。
紅魔館の庭、広々とした空間にでかでかと存在主張しているのは、どう考えてもトレーニング器具ではなく処刑台である。しかも吸血鬼の嫌う十字架、聖人を殺した磔だ。本気で殺すつもりですか。殺す以外の利用方法があるのかと強く疑いたい。というか一体どこから持ってきたのかも気になるところだ。
「まあまあ落ち着いてくださいよ」
「これが落ち着けるものかね」
「いや、磔刑の死因が何だかご存知ですか」
「死因?」
それが何か意味があるというのか。そもそも磔刑の死因ってなんだ。有名な話だから処刑としてのイメージは強く持っているがどうやって殺すのかと言われると、よく分からん。失血死とか餓死とかだろうか。そう答えると美鈴は首を横に振った。
「正解は窒息死です」
「窒息死?」
窒息する要素なんて何処かにあっただろうか。
「呼吸をするためには腹筋を使う必要があります。そして、磔にされた時最も負担を強いられるのも腹筋なんです」
重ねて言うことには気力を鍛えるのにも呼吸、腹筋が必要なのだとか。つまり──
「死ぬまで吊られていろと」
「死んでも吊られていてください」
これは手厳しい、というよりも意気地無しと考えられているのだろうか。普通の筋トレでは足りないのか、それとも俺が音を上げると考えているのか。美鈴はいつもと変わらないにこやかな笑顔のままだ。最近はそれが本心を包み隠す仮面なのではないかと思えてくる。その中身は見えない。
まあ逃げられるとも思えないので潔く処刑される、じゃなかった訓練するとしますかね。とにかく俺には彼女の言う通りにする以外の選択肢が無いんだ。
「っと、これは辛いな」
「口数が多いと長生きできませんよ」
「肝に銘じておく」
少なくとも力持ちとは言えない俺には辛いな。美鈴は門の前で寝始めるし、まあ、死んでもすぐに生き返れるようにという配慮だろう。手足は釘を打ち付けられて動かない。肩は脱臼してしまったようだし、すぐに呼吸も苦しくなる。想像を絶するような痛み、なのだろう。実際息を整えることも出来ない。窒息させるつもりなのだから当たり前だけれど。それでも何故か冷静さを保てて居るのは、さっき見た夢が原因なのか。海の中で溺れているような感覚。どちらが辛いのかは分からないが、思い出しているとこっちがそんなに辛くないように思える。
「俺は、本当に人間なのか」
喋るなと言われたが、それでも口から漏れてしまう。考えるだけならそれこそ思春期くらいの頃からずっと考え続けていたような陳腐な問題。だが、今と昔では議論の主題が違う。昔はただ自分の体質についてだけだった。不死身の人間なんて居るはずがないと、そう考えていた。でも心が人間ならいいじゃないかと、人間らしく生きるようにしていた。
いつからだろう、何事にも本気で怒れなくなったのは。いつからだろう、知らなくていいことも分かってしまえるようになってしまったのは。いつからだろう、自分で自分が分からなくなってしまったのは。人間らしさをモットーにしていたのに人間らしくないと言われるようになったのは。妹紅に出会って恋愛と呼べるような感情を抱いた時、俺は何よりもその人間らしい感情に歓喜していたのだ。それすらも人間とはかけ離れた感情だってことに気付いたのはすぐだった。
姫様に自分が何の為に生きるのか聞かれた時、俺は答えられなかった。人間らしい答えならいくつでも用意できただろうが。どれだけのことを言っても、それらに本音が含まれていたとしても、正しい答えで無ければ意味が無いように思えてしまった。妹紅に聞かれた時は何台と答えてしまったが、五つの難題の共通点とは何か。それは答えの無いこと。自分で自分に生きる理由が無いと言ってしまったようなものだ。事実今でも答えを出すことか出来ない。それがどうしようもなく悲しくて。妹紅が来なくて本当に助かったと言える。あいつの前でこんな顔を見せるわけにはいかないから。紫が相手ならはぐらかされるかそれっぽく叱られて終わりだろう。美鈴は、どうだろうか。なんとなくちゃんと叱ってくれるような気がする。だけど他人任せにしている時点でお駄目なんだ。頭の回転もどんどん遅くなっているらしい。
「どうして吊るされてるの?」
声がして思考が中断される。自分と同じ目線に自分よりも幼い少女がいた。そんなに自分は小さかったっけか。少し驚いて、すぐさま相手が浮いているのだと理解する。意識ももう虚ろになっているようだ。
「ねえねえ」
答えられないでいたら少女が重ねて声をかけてくる。金色が目の前で揺れて、ああ金髪だったのかと思い至る。やはり幻想郷に金髪は多い。
「なんだ?」
「貴方は食べてもいい人間?」
人間、と少女は俺のことをそう言ってくれた。それだけで嬉しくて、少女が妖怪なのだろうと分かっていながらも笑いかける。それでも返事はしなかった。自分が人間であるという確証を得ることは出来なかったから。俺は人間だ、胸を張って答えられなくなってきたから。
それとは別に少女が自分と同じような格好をしているのが不思議に思われて、話を逸らすのも兼ねて聞いてみることにした。
「なんでそんなポーズしてるんだ?」
「えー?」
くるくると回って少女が離れていく。目が霞んで来たのもあってもう顔もぼやけて見えない。それなのに、声だけはやけにはっきりと聞こえた。
「聖者は十字架に磔られましたって見える?」
「愚者が報いを受けましたって見えるな」
咄嗟にそんな言葉が口をついて出た。
*
彼の意識が朦朧としてきたのを確認してから門を離れて館の中へ向かう。形式だけの自分の部屋でも咲夜さんに会いに行くわけでもなく、目指すのは我が主の私室。ノックはするが、相手の返事は聞かないままドアを開けた。誰も居ない。一瞬入れ違いになったのかと慌てたが、ベッドの奥にうずくまる姿を視認して安心する。ドアの鍵を掛けてから、ベッドの上、膝を抱えてしゃがんでいる主の隣に腰掛ける。
「貴女の言う通り、磔にしておきましたよ」
「そう」
普通の修行なんかに磔は使わない。誰が考えようと当たり前のことだ。それは相手が不死人だろうと如何なる違いもない。それなのに私があれを持ち出したのはこの主の命によるものだった。どうしてそんなことを言ったのか、私は分からないことにしておく。想像はつくが、彼女の断り無しに踏み入れていい話題ではない。
「私って本当に最低よね」
うつむいたまま彼女が言う。普段ならどれだけ傲慢に振舞っているだろうか、想像出来ないくらいに今の彼女は弱々しく見える。自分の行いが間違っていると分かりながら、それでもしないでは居られない。彼女の気持ちは痛いほど理解出来た。何より、未だにフランに八房さんのことを教えていないのだ。彼女が八房さんのことを嫌いなのはよく伝わってくる。
「貴女がそういうのならそうなのでしょう」
「随分投げやりな返し方ね」
「主の味方をするのが従者の役目ですから」
「そういうところ、本当に変わらないわね。じゃあ従者面を止めてって頼んだら?」
「貴女がそう言うのなら」
彼女が求めているのはイエスマンじゃなくて、きっと間違っていると諌めてくれる友人だろう。そうなるのは簡単だ。だけどそれは私には出来ない。
「私は貴女の行為を否定しませんよ」
「・・・・・・どうして?」
彼女は驚いたようだった。私なら叱ってくれると考えていてくれたのだろうか。いつだって彼女に都合のいい話し相手だった私が、同じ意見であることを驚くなんておかしな話だ。
「
「茶化さないで。いや本心なのでしょうけど」
「従者じゃないのですから、求められても困ります」
ん、と彼女が言葉に詰まる。彼女を諌めるのは御親友の方にお任せしましょう。私は私らしく本当の気持ちを
「フランに対して私達は余りにも無力だった」
「・・・・・・そうね」
「ありとあらゆる手段を尽くしても止められず、私達は
「そして生まれたのが
紅魔館の中でもたった三人しか知らない事実。永遠に秘されるであろう忌まわしき過去。あの時、あと一人の魔法使いは何を思っていたのだろう。私達の見ていたものが音を立てて崩れ落ちていくような、全身の力を奪い取られる感覚。
「だけど、あの子は霊夢さんや魔理沙さんに会って外を知った」
「・・・・・・」
「そして八房さんに会って友達を得た」
最近は寛太くんに会いたいから人里に行きたいと駄々をこねていることも知っている。初めての
「私達がどれだけ頑張っても出来ないことを簡単なやってのけた、八房さんが妬ましいのでしょう?」
フランの心を安定させる。本人は欠片も分かっていないだろうが、彼がやってきてから一度もフランは狂気に身を呑まれていないのだ。それは私達がついに出来なかった偉業。姉という役割に強い責任感を持っているレミリアにとってそれがどれだけ衝撃的なものだったか。自尊心を傷つけられたかは想像に難くない。私だって同じ気持ちなのだからなおさらだ。
「最近ね、フランが戻ってきているような気がするの」
私の話を聞いてくれていたのか、唐突に話を別の方向に向ける。そう私には感じられた。しかしそれが間違いだったとすぐに悟る。その口調が昔によく聞いた、弱音を吐く時の口調と同じだったから。
「戻ってきた彼女ですら、私よりも八房を大事にしているように思えて。声が聞こえてくるのよ。なんで助けてくれなかったのって。なんであれだけのことが出来なかったのって。その度に自分がどうしようもなく矮小に思えて。恩人であるはずの彼を殺したいくらいに思ってしまって。姉失格よね。妹が治った喜びより治した男への嫌悪が先にたっているのだから。まだ地下室なんかに閉じ込めて。怖いのよ。あの子に面と向かって非難されるのが。あの子じゃないものを見ているのが。私が弱いだけなのに、それを全部他の誰かのせいにして」
嗚咽が漏れる。見なくとも泣いているのはすぐに分かった。泣きじゃくる姿だけならば子供のようにも見えるなだろう。だけど、彼女は五百年間ずっと一人で生きてきたのだ。誰に相談することも出来ないまま。私にすらもこの気持ちを隠したままにしようとして。それを子供の駄々と一蹴するのは、それこそ子供のすることだろう。少なくとも私には出来ない。孤独だった私に居場所を与えてくれたこの
「さっきも言ったけど、私は貴女と同意見です。私だって八房さんのことを嫌いですから」
だから、自分を卑下することは無い。間違っていると理解しているのだから。誰もが誰も彼のような聖人君主にはなれないのだから。
「それでも自分のことが許せないのなら、後で謝ればいいんじゃない?」
「・・・・・・その時は貴女も一緒に謝ってくれるかしら」
「えー、嫌ですよ」
「なんで?」
「だって、私はまだ八房さんのこと嫌いですもん」
これも紛れもない本心。レミリアも唖然として返事ができないようだった。だけどおかげで涙は止まったようだ。
「貴女のそういう所って本当に変わらないわね。そんなのだから咲夜に怒られるのよ」
「あはは。言い返せませんね。だからこれ以上言われる前に八房さんの様子を見に行きますよ」
呆れられるのも悪くない。背中から姉に叱られる楽しみを感じながら私は部屋を後にした。
彼はまだ生きているだろうか。一度死んで生き返ったあとだろうか。廊下を歩きながら考える。彼自身は気付いていないし、また認めようともしないだろうが、彼には才能がある。武術とか能力の類ではないが、何よりも最も大切な才能。同時に彼が最も必要としない才能。
「心ゆくまで鍛えてみるのも面白いかな」
本人は嫌がるだろうが。頑張れば咲夜さんと同じくらいには強くなれるだろう。もしかしらそれ以上かもしれない。弟子を取ったことがないから加減は知らないが彼なら大丈夫、する必要も無い。
「案外楽しそうですね」
足取りはなんとなく軽かった。
わりと紅魔館陣営から嫌われてる八房。
彼に悪いところなんてほとんど無いんですけどね。