「全くなんだかなあ」
自分でも分かるくらい気だるげな声が出る。紅魔館に来てから数日、磔トレーニング法は結局俺が二回程死んだ辺りで止められてしまった。効果は一応あったらしいがどうにも腑に落ちない。腑に落ちないけれども何か言うことでも無いし、結局俺が修行中に死ぬことが変わるわけでもないのだから。
腹筋を鍛えたら今度は呼吸法だ。と言ってもこれは言われた通りに息を吸って、吐いて、形が崩れたら美鈴に注意される。それの繰り返しで難しいところも何も無い。では何故ざんきがどんどんと減らされていくのか。それは追加で行われた筋トレと美鈴との組手のせいである。超回復という言葉があるが、筋トレが発揮されるのには筋肉を休ませる必要がある。しかし俺の場合死んでしまう度に時間を飛ばして強化されてしまうらしい。インターバルが必要ないのだ。そのせいか死ぬ程筋トレしたら殺されてまたやり直しというスタンド使いも真っ青のハードスケジュールである。そし美鈴との組手も困り物だ。何せ殺す気で来るのだから。初めは開始数秒で心臓を貫かれて死んだ。その後も手刀で首を撥ねられたり背骨折られて臓器かなんかに刺さったりと本気で容赦がない。俺になんかうらみでもあるのかと思いたくなる。
「どうしたの?」
「いや、大したことじゃない」
ポーンの駒を動かしながら不思議そうにフランが首を捻った。なんだかんだで毎日のようにチェスに付き合わされた結果、最初の苦手意識も薄れてきた。勿論フランに勝つことは出来ないのだが、それなりに腕は上がって来たらしくやって来た美鈴には勝てた。その後の組手でフルボッコにされたけど。
ちなみに今居るのは地下室ではない。先の人里観光の一件からフランがよく屋敷の中を動き回るようになったのだ。今までも彷徨く許可はもらっていたらしいのだが、彼女にも恐れがあったのだろう。それが改善された、ということだ。人里を自由に歩けるようになるのもそう遠くないかもしれない。その時俺が生きてるかは知らないが。
そうして俺達がチェスを指しているのは大図書館である。図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは煩くさえされなければ基本的に放任を決め込むつもりのようだ。フランも本来の気性としては大人しい方なので滅多に図書館内が煩くなることはない。俺とフランで対局のどこが悪かったのか話す声や司書らしい小悪魔(悪魔は名前を知られてはいけないため、種族名で押し通しているらしい)が慌てたような声を上げる程度。大きくても例の白黒魔法使いが本を
「あれ?」
「どうした?」
未だ首を捻っていたフランが困ったような声を出す。何事かとその視線を辿るとチェス盤のある一箇所に止まっている。どうしたのか、しばらく同じようににらめっこしてみてようやく理解出来た。
ナイトの位置がおかしい。黒のナイト、つまり俺が置いた駒がおそらく右に一つずれているのだ。たかが一つ、とは笑えない。これで戦局がひっくり返ってしまうレベルのズレだ。だが当然俺には動かした記憶がないし、そもそもそんなイカサマが出来るような技量なんて持ち合わせていない。フランも最初から俺がズルをしたとは考えていないようで「なんでズレてるんだろう」と考え込んでいる様子だ。
二人して結論は出なかったのでとりあえずズルはいけないと駒を元の位置に戻してから対局を続ける。しかし今度は自分達から離れた場所のパチュリーが困惑した声を上げる。
「小悪魔、ここの本はどこにやったの?」
「えっ、ええ?」
そんなところに本なんてありましたっけ。ええ有ったわよ貴女に持ってこさせたじゃない。遠くから聞こえる会話を要約するとパチュリーが小悪魔に持ってこさせた本がなくなったらしい。どっか行ったのかと俺もあたりを軽く見回すと何故か椅子に腰掛けた膝の上に見知らぬ本が一冊。チェスを始めてから席を立った記憶はないのだが、どうしてこんなところに本があるのだろう。まあ悩むのは後で出来るとしてとりあえずフランに一言断ってから本を持ってパチュリーの方へ向かう。
「本ってこれのことか?」
「え? ええそうよ、これよ。なんで貴方が持っているのかしら」
「知らん。気が付いたらあった」
俺の返答はお気に召さなかったのか頭を抱えられるが、だからといって俺が動いていないのは彼女も知っているのだから特に何も言われなかった。ただ図書館から一旦出ましょうと提案してきたのはこの状況が明らかにおかしいと分かっていたからだろう。しかし動かない大図書館とまで呼ばれる彼女が簡単に決断するものだ。そう考えていたのが顔に出てたのか無愛想な顔で「外に出ないだけよ」と返された。紅魔館の中は割と自由に動き回っているらしい。
埃っぽい部屋から出るとカーテンに覆われて日の差し込まない廊下に出る。天気の良さそうな日だから陽光でも浴びたいものだが吸血鬼の館でそれを言うのは無礼で無粋というものだろう。そもそも門に行けば浴びれるわけだし。というかそろそろ門に行かなければならない時間か。約束の時刻まではまだあるが、あの状況でチェスの続きをするというのも気が進まないし自己鍛錬もやっておいて損は無いものだ。紅魔館の暮らしが悪いという訳では無いが、普段と違う生活というのは違和感があって仕方が無い。いつもそこに居る者が居ないってのは想像以上に不安を掻き立てる。早く帰れるに越したことはないのだ。
「で、チェスは途中になっちゃったし。俺は美鈴のところに行くけどどうするんだ?」
これは三人(人ではないが)全員に向けての問いである。パチュリーはレミリアをからかいに行くと答え、小悪魔は契約者、つまりパチュリーに付いていくと答える。フランはといえば俺の修行を見てみたいから門に着いてくると答えた。大丈夫かとパチュリーに目で問いかけると諦めたように首を振られた。こうなると止められない、ということらしい。まあ日傘さえ差していれば問題はないか。後でレミリアにこっ酷く絞られるかもしれないが。
パチュリー達と別れ、フランも自分の地下室から日傘を取ってくると言って一旦離れていく。そういえば部屋は余っているのだから一階にフランの部屋を作らないのかと疑問になったが、彼女自身が地下室を気に入っている節もあるので案外自分の意志かもしれない。後でレミリアに聞いてみよう。またお節介焼きかと呆れられるのが目に見えているが。
それにして先程から何だか肩が重い。美鈴から貰った気力が切れた、という感じではなく今朝から体調を崩しているわけでもない。しかしやけに重く感じられるのはなんだかんだで疲れているのかもしれない。早く家に帰りたいと、少しだけホームシックみたいなことを思ってしまった。
フランが戻ってくるのを待って、それから一緒に屋敷の外へ歩く。気力を鍛えているのだが未だ飛べそうにはなかった。正確に言えば浮く事は出来るようになったのだが、そこが限界で動こうとしたら落ちる。舞空術的なあれをやれるようになるの結構楽しみなのだが、なかなか上手くはいかない。そしてフランも綺麗な羽は羽ばたかせず、水晶を揺らして歩いている。何故だか知らないが俺と関わると歩きに目覚めるものが多いらしい。俺が飛べないから合わせてくれているのだろう。
「はい、早かったですね。はやいのはいいことですよ。おや妹様?」
「修行ってのを見に来たの」
「なるほど。お嬢様の許可は、取ってないでしょうね」
元気よくうんと答えるフラン。そこは胸を張る部分じゃないと言いたくなったが連れてきた俺も同罪なのでぐっと我慢。
「それで、そちらの方は?」
「ん? 誰のことだ」
「貴方の背中におぶさっている方ですよ」
「え? うおおっ」
何を言っているのかと思ったが、本当に背中に人が張り付いていた。黒い帽子に黄緑と白の中間みたいな髪色をした見た目フランと同じくらいの女の子。誰だこの子。まさかいつの間にか俺は誘拐犯罪を起こしていたのだろうか。いや流石に無意識で誘拐するなんてことは有り得ないだろう。となると相手から勝手に引っ付いてきたのか。楽しそうに俺の背中で暴れるその子を引き剥がすとさっきまでの肩の重みはすっきりなくなっている。病でもとってくれたのか、それともすねこすり的なあれか。なんて何の怖さもない妖怪かと邪推していると、フランが今になってようやく思い出したかのようにあっ、と小さく声を立てた。
「こいし、来てたんだ」
「やっほーフラン。今日はいい天気だねー」
知り合いなのか、こいしと呼ばれた少女はフランと仲睦まじそうに笑いあっている。少なくとも知らぬ仲ってことではないようだ。人見知りした反応じゃない。相手人じゃないだろうけど。
「で、君は誰なんだ。どうして俺の背中に乗っかってた」
この二人だと話が進まなさそうなので俺からこいし(それが名前だろう)に話しかける。誰にも気付かれずに紅魔館に入れるのは魔理沙くらいしかいないと思っていたが、中に入っても気付かれないとは恐ろしいものだ。何者なのかくらいは知っておきたい。
「私はこいしだよ? 妖怪なの」
「まあ妖怪なのは分かる。問題は何の妖怪かってぐはっ」
突然のタックルに身体が突き飛ばされる。見た目は年下に見えてもやはり力などはあちらの方が上のようだ。ただ本気じゃなかったのか、そもそもの力が弱いのか、勢いもそこまで強くはない。尻餅をつくことはなく、三歩程下がる程度で済んだ。
「な、なんでタックルした?」
「なんとなく?」
なんとなくでするのは止めてくれ。そう言うとちょっとだけ悲しそうな顔をして無理と言われた。何か事情でもあるのか。しかしそれでなんとなくが済まされるとは全く思えない。
「お兄さんなんだか暖かいよね」
「話を逸らすな」
「お空みたい」
「誰だお空って」
「お姉ちゃんのペット!」
「俺はペット扱いかよ」
酷い話もあったもんだ。しかも全くの悪意なく言っているようだからなお恐ろしい。悪意があれば一切の容赦もなく突き放せるんだが、こうなると価値観の相違と言う他ない。
「何してるの?」
今度は驚いた様子もない美鈴に話しかける。
「彼に稽古をつけているんですよ」
「へー、フランー、遊ぼうよ」
「うん!」
きゃぴきゃぴとはしゃいでいる様は見ていて微笑ましくなるが、どうにも会話のキャッチボールが成立していないのが気になる。会話を続けようという意識が欠けているのではないかと思えてならない。親(?)の教育は気になるが、でもそこまで気にすることでもないか。そもそも妖怪の礼儀を求めるのが本来間違ってる。心から生まれて思考のままに生きるのが妖怪なのだから。たぶん。
「じゃあお部屋で遊んでるね」
「おう、気をつけろよ」
「お兄さん、人間なのに妖怪に優しいね」
「妖怪嫌いならこんなとこに居ないからな」
「これあげるっ」
だからドッジボールは止めてくれと言うことも出来ず、こいしはボールを投げつけてフランと一緒に館の中に入っていく。勝手に部外者を入れてもいいのかと不安になるが、フランの知り合いのようだし美鈴が止めなかったことからもきっと大丈夫なのだろう。俺知らねっと。逃避の意味合いも込めてキャッチしたボールに視線を落とす。美鈴もそれを見て首を傾げた。
「それで、そのボールは何でしょうね?」
「俺に聞かないでくれ・・・・・・月の都?」
何のことだか分からない。月に都があるというのは永琳から聞いて知っているがその事を指しているとも考え難い。基本的に幻想郷に干渉してくるとは思えないからだ。
「もしかして異変に関係しているんじゃないか?」
俺がそう言ったのは全くの適当である。異変がどんなものかなんて知らないし冗談半分で言ったのだが美鈴の反応は成程と真面目に受け取っているようだ。
「だったら妹紅さんに渡してあげればどうですか?」
「あいつ、やっぱ異変に参加してるのか?」
「ええ、鈴仙さんが言ってました」
「待て、お前いつ鈴仙と会ったんだ」
俺の知る限りでは美鈴と鈴仙に接点は無い。そもそも永遠亭と紅魔館が関わることすら稀だろう。永琳輝夜もレミリア達とは異変の時以来会っていないと言っていた。
「昨日の夜ですね。御見舞い、だそうですよ。近い内にこうなることは分かっていたからって」
「そうなのか」
永琳の言っていた言葉の意味はこれだったのか。分かってたなら早めに手を打ってくれても良いだろうに。文句を言う筋合いがないのは分かってるがスパルタ教育は確かに辛い。
「で、手渡しに行かないんですか」
美鈴は俺を妹紅の元へ向かわせたいのか、再度聞いてくる。だけど俺は妹紅に合わせる顔がない。心配させてしまったからな。だから本人の元へは行けない。それが俺の我侭であったとしても。
美鈴が仕方の無い人だと肩を竦める。何も言ってないのに俺を意思を汲み取ったのだろう。気を使うとは、こういう使い方もあるのだろうか。
「今夜も鈴仙さんが来るらしいですから直接頼んでください」
「分かったよ」
出来ればやって欲しかったが、無理ばかり言うわけにもいかないか。鈴仙は、まあやってくれるだろう。問題は無い。
「じゃあ、今日の鍛錬を始めましょうか」
「・・・・・・おう」
美鈴の無駄に健やかな笑顔を見て、またなぶり殺しにされるんだろうなと溜息を吐いた。